「無理が通れば道理が引っ込む」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 無理が通れば道理が引っ込むとは

2017-01-29

子育て問題諸悪の根源は「私の仕事じゃありません」という言い訳

自分たちの子どもを自分たちで育てていこう、という気持ちがなければそもそも集団教育組織である学校運営はうまくいくわけがない。

ただカネだけ出して終わりというなら単なる公営塾で良いわけだ。

みんな忙しいし、みんな余裕ないし、みんなお金ないんだよ。

だけれど、それ言い出したら誰も何もできなくなるから、厳しい状況の中でも何とかお金時間や労力を捻り出すのが子育て本質

困ったときお互い様、みんながみんなで助け合いましょうね、というのが本来スタート地点。

だけれど、賢しらな言い訳を用意してこれは私の仕事じゃありません、

から会議は出ません、お金も出しません、労力も提供しません、

でもPTAメリット享受したいです、というモンスターペアレンツが生まれ

無理が通れば道理が引っ込む形式でそういう勢力が増え始めると、

コスト負担するのは無駄で損だという意識が芽生え始める。

良かれと思って無償ボランティア気持ちでやる行為搾取されている感覚にとらわれてくる。

「なんで私がこんなことをやらなくちゃいけないんだ」という意識蔓延してくる。

持ち出すばっかりで、何も得られないじゃないか、と。

そうだ。

フリーライドする人間が増えれば増えるほど、

善意というのは苛烈搾取構造の中に組み込まれていく。

「私の仕事じゃありません」と抜け出て行く人間が増えれば増えるほど、

「やるだけ損だ」という負のインセンティブが爆増する。

チキンレースみたいになってくる。

でも、たしかPTAとか子育て界隈には理不尽なことが山ほどある。

から唯々諾々と受け入れてたら親が破滅する。

でもでも、子育てというのは、身を犠牲にしてでも子ども幸せのために何をかしたいという愛情結晶でもある。

そういう情緒を抜きにしたら、子どもを生むのは全くの損得勘定しかできなくなってしまう。

最近はそういう傾向もどんどん増えてきてはいる。

また、自己犠牲というのはあまりにも容易に搾取対象になりやすいがために、

子どものために身を犠牲にする、という考えそれ自体に大変な拒絶反応が起きるだろうことも想像に難くない。

でもでも、でも、だ。

もうコレ以上は無理だよ、というその無理のほんの薄皮一枚向こうの限界突破することが、

親としての、人間としての成長があるんじゃないかという気が私はするんだよね。

まあこれもブラック企業社長あたりが散々自分たち利益のために弄び続けたたぐいの物言いなので、

しろバッシングされるのがデフォルトの考え方であるだろうことも想像に難くない。

まあかといって今のままだったら、

「私の仕事じゃありません」

「私は知りません」

という人がどんどん増えて、

善意で引き受ける人が苛烈で過重な労力で押し潰されてどんどん少なくなって、

解決されない問題がどんどん増えて、

子育てで完全に詰みましたって人がどんどん増えていくしかないと思う。

それこそ「私は私だけの仕事して私の生活を守りますんで皆さんもあなただけの仕事を頑張って下さい」という人だけが生き残る、

自己責任弱肉強食世界になっていくだけだと思うんだけど、


みんな果たしてそれでいいの?っていう。

2015-06-22

高坂穂乃果ちゃんは神がかり

劇場版ラブライブネタバレを含む



高山みなみ=神説を推したい。

最初高山みなみ唐突にでてきて「誰だよこの高山みなみ!?」って思うじゃん?

しばらく見続けて「あーこれ未来の穂乃果ちゃんの姿的なやつか」って思うわけ。

でも、二度目の邂逅のシーンで高山みなみは水たまり?を跳んでみろというのね。

(冒頭のシーンと同じように!!!

穂乃果ちゃんの幼少期の思い出?と同じことをさせる。

んで穂乃果ちゃんは目を覚ました後、すぐに神田大明神にお参りに行くわけよ。

多分、穂乃果ちゃんはこの時点でなんとなく気づいちゃったんだろうね。

(と同時に私も気づく。)

「あ、あの高山みなみ神様だったんだ。」って。

大体、よくわからないのがあの冒頭。

この映画は「前回のラブライブ!」的なものでなくていきなり幼少期のシーンから始まる。

(おそらく「前回の~」に近いノリをを期待した人も多かったのでは?)

その上、直後には穂乃果が高校生に戻って全然関係ない話をはじめてしまうため、前後のシーンとのつながりも(上述の二度目の邂逅のシーンまで)わからない。

「どんなことも諦めない」という穂乃果ちゃんの精神性を表したかったとも見て取れるが…、視聴者ほとんどは穂乃果ちゃんのその性質を知っているだろうし、いきなり冒頭で幼少期を描写する意味もない。

そして穂乃果ちゃんが跳んでみせるシーン。

謎の音楽を耳にするとともに幼少の穂乃果ちゃんの脚力は驚異的な向上をみせ、見事水たまりを飛び越えてしまう…。

なぜ?どうして?こんな描写を?冒頭に?

…思うにこの冒頭のシーンは「起点」なのだと思う。

中通して圧倒的なカリスマ力を発揮し、無理が通れば道理が引っ込むを地で行く太陽少女穂乃果ちゃん。

彼女が「やるったらやる!」といえばライブ大成功だしたいていのことは上手くいく。雨もやむ。

そんな穂乃果ちゃんは、おそらく、おそらくだが、あの謎の音楽を聞いて水たまりを跳んでみせたシーンから、これまでずっと、

「神に愛されていた。」


あの冒頭のシーンで跳躍力強化を施されて以来、穂乃果ちゃんはずっと神様に愛され、加護を受け続けてきたのである

各種あるラブライブ批判の中には、何でもかんでもうまく行きすぎとか、跳躍力ありすぎとか、車道ダンスはどうなのとか、みんな穂乃果の言うこと聞きすぎとか、さすがに雨が止むのはちょっととか、1期最終話時系列おかしいだろとか、いろいろなものがあるが、

しょうがないのである

だった穂乃果ちゃんマジモンの神憑り少女やし!!!!!!

そんなふうにして、幼少期より穂乃果ちゃんの周りの不可能を可能にしてきた神はついに映像の中に姿をあらわす。

高山みなみボイスと大人びた穂乃果ちゃんっぽい姿をとって、劇場版という晴れ舞台で。

彼女は溺愛している穂乃果ちゃんに「あの時のように跳んで」と成長を促すとともに、視聴者へのある種の回答を携えてやってきた。

ご都合主義だっていいんだよ。だって神様もついてるしね。」

今回の劇場版も輪をかけてタイムライン考察が難しいことになっていると思うが、

いいいじゃん、気にすんなよ、神田からNYまで迷子保護に行く神様がいるんだからなんとでもなっちゃうさ、と。

げに恐ろしきは、神様まで魅了する穂乃果ちゃんのかわいさである

以上、書くところが無いため書き散らした劇場版ラブライブ考察でした。

※1 この文章制作側への皮肉として書いているわけではない。

しろ、細かい設定なんか気にせず突っ走る脚本を私は愛している。

※2 この文章は「高山みなみ未来の穂乃果ちゃん説」を否定しているわけではない。

神であり、未来の?というか成長した?というか人生の先輩となった?穂乃果ちゃんなのだと思う。

 
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