はてなキーワード: 多種多様とは
統合失調症。ありもしない幻覚や幻聴に悩まされる精神の病気。認知の歪みから被害妄想に陥ることもある……
読んでいた本を机に投げ出し、俺はソファに横になった。アパートを兼ねた賃貸事務所だ。自殺未遂をしたアパートは追い出された。無事に退院した俺は、膨らんだ借金を返すべく新しい事業を始めたのだ。
自殺未遂から生還してから、俺の目にはそれまで見えなかった物が見えるようになった。『人と人の間の関係』が見えるようになったのだ。なぜかは分からない。ただの幻覚かもしれない。なんと言ってもうつ病持ちだったのだ。他の病気になっても不思議ではない。
人間の脳の神秘って奴かもしれない。自殺に使った洗剤からたまたま特殊な化学物質が発生して、その影響で眠っていた能力が目覚めたのかも。あるいは、酸欠によって脳の一部が死ぬことで、今までと違う脳の回路が活動を始めたのかもしれない。事故をきっかけに画家や音楽家になった事例もある。
いずれにせよ、俺は超自然的な能力を手に入れた。窓から通りを歩く人々を眺める。人間は社会的な生き物だ。様々な人が様々な人と『繋がり』を持って生きている。今の俺には、それが見える。
『繋がり』は実に多種多様な見た目をしている。あの看護婦と医者の間は運命の赤い糸で繋がっていた。同じ恋人同士と思しき男女でも、もっとぼんやりした、細く白い糸で繋がった仲もある。『繋がり』は二人の関係を象徴した見た目をしているらしい。燃え盛る炎や、逆に黒光りする重々しい鎖で繋がった仲もある。
通りを若い夫婦と幼稚園ぐらいの子供の親子連れが歩いている。全員が淡く光る、クリーム色の光のリボンで全身が包まれている。概ね、良い関係は明るい色をしている。
スーツ姿のサラリーマンが二人歩いている。先輩と後輩のようだ。先輩から後輩には、蜘蛛の糸のような細くもやもやした線が伸び、後輩の全身をふんわりと包んでいる。後輩から先輩へは汚水を滴らせるヘドロが伸びている。人間関係は非対称だ。一方が特別に悪い感情を持っていなくても、逆もそうとは限らない。
髪の毛のような細い関係を四方八方に伸ばす若いOL、胴体に太いロープを一本だけ結びつけた中年男性。本当に人それぞれだ。人とどのような関係を築くかこそ、生き方そのものなのだ。
その時、事務所の呼び鈴が鳴った。客だ。慌てて机の上の読みさしの本を椅子の下に放る。カーテンを閉めて部屋を薄暗くした上で、俺はもったいぶった雰囲気を作って言った。
「お入りなさい」
「こんにちは~」
「ここがねぇ」
「ほんとに当たるのかよ」
「ほんとだって! キョーコもここで占ってもらったって!」
「悩める子羊達よ、プリンス佐々木の占いの館にようこそ。あなたの恋の行方を占ってしんぜよう」
俺はこの能力を生かして占い屋を始めた。恋愛占い專門だ。お互いに気があるかどうかなんて、見れば分かるのだからチョロい商売だ。リーダー格らしき女子が言った。
「私達の恋愛がどれくらい続くか占ってください! まずは……」
すかさず手を上げ、続く言葉を制止する。
男女が二人づつで六人だ。当然カップル三組で来たということだ。強く想い合っているカップルは、今の俺には一目で分かる。それを言い当てることで、『ホンモノ』という評判を立てるのだ。噂が噂を呼び、俺の占い屋は連日長蛇の列ができることだろう。さあ、年端も行かぬ中学生どもめ。超自然的な体験をさせてやるぜ!
「お名前を聞かせてもらって、よろしいですか?」
「田中です」
「ニシーって呼ばれてます」
「トモっでーす」
「鈴木元一郎です」
「ササで」
めいめい名乗る中学生達。友情は空色のリボンだ。太さはまちまちで、所々ピンと張り詰めていたり、余裕があったりするが全員が中学生らしい爽やかな友情で結ばれている。とても健康的だ。
俺は友情とは違う、もっとねちっこく強い繋がりを持つ男女を見つけていった。計三本。実に素直だ。分かりやすい。
「田中さんとニシー君、佐藤さんと鈴木君、トモさんとササ君が恋人同士ですね。どのカップルもお互いがお互いを強く想っています。他の誰よりも特別に思っていますよ。恋愛は長続きするでしょう」
リーダー格のポニーテールがチャーミングな田中さん、クールビューティっぽい佐藤さん、お調子者っぽいトモさん。野郎どもは、どうでもいいけどだいたいイケメンだ。中学生だと言うのに、みんな実にかわいい。こんなかわいい彼女がいるのが羨ましい。
しかし、何か様子がおかしい。六人の男女は全員、時が止まったかのように黙りこくっている。俺の言った事が信じられないといった顔だ。
「どういうことよ……」
次の瞬間、もの凄い事が起きた。六人の間にあったパーティの飾り付けみたいな華やかなリボンが、一瞬でバラバラにちぎれ飛んだ。残ったのはどろどろの愛憎。
「ニシー、私とは付き合えないって言ったよね!?」
「そっ、それは、ササがお前のこと好きだと思ってたから……」
「は? 俺がいつそんな事言ったよ?」
「ササっち! ちゃんと言ってくれたら、私、ゲンなんかと!」
「ゲンなんか? なんか? 鈴木君のことを悪く言わないでくれる?」
「はあー!? お前が一番……っ! 俺のこと振ったじゃねぇかよ!」
激しく罵り合う中学生達。一言ごとに六人の間の関係は波うち、尖り、断裂し、何か濁った関係が新たに生まれるのを繰り返し──
「…………」
重苦しい沈黙があたりを支配する頃には、彼らの関係はウニのような針でお互いを刺しあう物に変わっていた。これは、もしかして、とんでもない事をしてしまったのでは……?
「あ、あの~」
全員の視線が俺に向く。
「はぁ?」
ギンギンに睨みをきかせてくる田中さん。
「払うわけないでしょ! ふざけてんの!?」
彼女は事務所の戸を乱暴に開けて、外に出た。無言で牽制しあいながら、それに続く残りの五人。
「あっれー。おっかしいなぁ」
占いなんてチョロい商売だったはずなのに。何がまずかったんだろう?
* * *
現地では「悪魔の使い」とか言われてるとか。いやでももう21世紀だし言われてないかも。
ちなみにあんまかわいくない。
たぶん上野動物園で見れる。
恐竜の生き残り、ではない。それは鳥の役目だ。
ゾノサウルス(Zonosaurus)は属名で何種類かいる。形はニホントカゲ系だけどでかい(トカゲのなかじゃ中型)。
以外にビビりですぐ土に潜る(ヨスジオビトカゲの場合。他は知らない)。
ヨスジオビトカゲ(ヨスジゾノサウルス)は上野動物園で見れる。マダガスカル館(?)じゃなくて爬虫類館にいる。潜れるような棲みかになってないからいつでも見れるぞ。
でも実は夜でも明るいと活動しちゃうぞ。夜は休ませてあげよう。
グランディスヒルヤモリかなんかが上野動物園で見れるぞ。別に上野動物園のステマじゃないぞ。
名前の通りトマトに似たカエル。昔はペットとして日本に大量に入ってたらしいが今は絶滅の危機で日本には入ってこないぞ。
代わりにサビトマトガエルという色以外はほぼ同じのがよく入っている。色はオレンジ系だけどトマトガエルに負けないくらい赤いのも居るらしい。
サンシャイン水族館で見れたはず。上の爬虫類もそうだがこいつは特に動かないぞ。
デカイゴキブリ。こいつが飛んだり素早かったりしたら嫌だがそんなことはないので安心しろ。羽根もない安心設計だ。
よくこいつを食う愛好家が居るけどこいつを出してる店は知らないなあ。
やっぱり上野動物園で見れるぞ。
他にもマダガスカルには固有種だけで15万種くらい居るらしいぞ。動物だけじゃなく植物も多種多様で実に面白い、らしい。
楽なんです!寝坊しようがなんだろうがとりあえず手ぬぐい1枚をカバンでもポケットでも突っ込んでおけばいいんです!それだけです。これがすべてのスタートラインです。自分のほとばしる才能が恐ろしくなるほどこれだけです。安心感が違います。YATTA!!ありがとう手ぬぐい!!!
「手ぬぐい 使い方」とかで検索すると頭に巻くだのなんだの出てきますけど、手ぬぐいってこう使っちゃいけないなんていうルールないんですよ。あなたの思うがままに使っていいんです。使うと分かりますがとりあえずあるだけで安心できる存在になります。私は基本万能ハンカチ的な存在として使ってますが、好きなお菓子をくるんでもいいしこっそり小さな何かを持ち込みたいときに手ぬぐいにくるんでもいいんですよ。あなたにとって恐怖を覚えるほどに崇高なデザインであれば飾ってもいいです。ほこりを被らせたくないキーボードにファサッ…してもいいです。暑い日に首からさげて夏アピールしてもいいです。カイロ包んでもいいです。よごれたもの持ちたくないときにサッとくるんでもいいです。乗ろうとしたバイクが濡れてたときに使ってもいいです。海堂薫くんのように河原でブーメランスネイクを会得してもいいです。劇場で友人の涙をぬぐうために差し出してもいいのです。
明くる日にはうっかりデスクに麦茶こぼしたときの救世主になるでしょう。
どんなにずぶ濡れでも即乾きます。出先でびしょ濡れになった布ものってカバンの中に入れても濡れるし手に持ってても心がせつなくなりなおかつ困りますが、手ぬぐいならちょっと干すだけですぐ乾きます。環境にもよりますが1~2時間で完璧パーペキパーフェクト。ありがとう斉藤一!!ありがとう菊丸英二!!
最近はとくに多種多様な柄が手ぬぐい業界に出回っています。男女関係なくあらゆる年代にもベストヒットする柄が揃っています。単色ものからグラデーションかかってるもの、ぼかしが綺麗なもの、超多色使いのもの。手に持っているだけで季節が感じられるしっとりした風情あるものもあれば、大胆にキメた若者向けデザインも…モノクロからカラフルまでなんでもありです。近頃は漫画やアニメ作品とのコラボも多いですね。アメコミ界はとくにアツいです。
かと思えば古風な柄の基本形手ぬぐいに立ち戻り「やっぱりシンプルイズベストってやつかな…」などと思ったりします。まあ次の日エヴァ手ぬぐい使ったりするんですけど。
あと万能手ぬぐい的な使い方がメインの場合は基本たたんだ状態で使うことが多いので、でっかくテニプリのキャラが描かれてる手ぬぐいなんかでも、パッと見はよくわからないのです。ですから堂々と使って、元気を出したいときにこっそり広げて眺めてもいいと思います。少し前に話題になったネクタイの裏にキャラクターが印刷されてるみたいなアレですね。いいんじゃないでしょうか。世界平和は目前です。
以上!!!
http://seana.hatenablog.com/entry/2015/02/05/230648
アイドルの曲は、アイドルが歌うことに意味があるということに気づけただけでも、ジャニーズを好きになってよかったなと改めて思います。
アイドルファンのみんながみんなそうというわけじゃないよ、という話も。
そもそも「音楽とはその演者の主張である」という基準自体が、常に正しいとは限らない。
何の主張も、意思も、意見も、欲求も何もなく、音楽はただ音としてあるだけでも許されるはずだ。
それは、西洋哲学の古典の文脈で、「世界には何らかの真理があるはずだ」とされてきた価値観に似ているかもしれない。
これはおそらく、人間のコミュニケーションの手段、あるいは記録・伝達の手段の発達に関係していると言えそうだ。
音楽を伝える手段は、口伝から楽譜、レコードからCD、デジタルデータへと発展してきた。
一番最初は「自分たちの音楽をいかに奏でるか」から始まったし、実際にそういう手段や発想しかなかったわけだが、
文明の発達によって「楽器を弾かなくても音楽が作れる」、「発表した数分後には世界中の誰でも聴くことができる」ようになり、
音楽のありようは大きく変わってきた。
つまりシニフィエを持たず、純粋にシニフィアンとして存在しうるものに変わってきた。
音楽を奏でる上で、その主体が自分の顔や外見を聴衆の前に晒し、
その言葉が本人の主張であると常に解釈されなければいけない時代は終わったということだ。
人間、あるいは自己の「表現」としての「音楽」には限界がある。
そもそも「音楽」と「自己」とは関係なく存在しあってもいいものであるはずだ。
「自分たちの音楽とは、自分たちの表現だ」という自己規定は、そのうちに必ず自家中毒を引き起こす。
いわゆるアイドル戦国時代と言われたところから、近年のヒットチャートをアイドルが占拠するようになったこの音楽のあり方は、
何も正当性がないただの「衰退」や「退廃」とは異なる、文化としての次のステップの意味を示している。
「音楽」と「自己」、あるいは「音楽」と「意味」の離別は、音楽そのものの純粋さをより推し進めるものともとれる。
たとえばそれは、女性キャラしか登場しなくなったアニメや、10代の若者が世界を救うジュヴナイル作品とも近いもしれない。
その「音楽」をより純粋な形で届ける上で、最適な手段を探した結果、それが「アイドルだった」としても実は不思議なことではないのだ。
ポップスという大衆音楽には、その音楽性やジャンル自体の制限はない。
あらゆる音楽性はポップスに含まれうるが、しかし外見や表現を含めてもそうだといえるだろうか?
ダンスミュージック、ディスコ、あるいはプログレ、ハードロック、メタル、
これらはそのファッション、スタイルと相まって存在していた音楽、文化だ。
ヒップホップの音楽性には、ヒップホップのファッションが必要で、ヒップホップなアティチュードが求められる。
一人の人間、あるいはバンドでこの様々な音楽性の表現は一貫して行うことができるだろうか?答えは「No」だ。
なぜなら自己の表現として音楽が存在すると仮定した場合、多種多様な音楽を奏でることはそのまま分裂症的に解釈されてしまうのがオチだからで、
純粋な音楽の表現において、多種多様な音楽をできるだけピュアな形で届けるには、アニメやアイドルといった、
何の主張も持たない、時にはフィクショナルな存在の方が向いているということは起こりうるのだ。
彼ら、彼女たちと、そこで歌われる、奏でられる音楽は、本当の意味で結びついてはいない。
しかしながら、いや、だからこそ、その音楽は純粋に存在しているし、鳴っているのだ。
ともすれば、その歌詞が支離滅裂で意味を持たなかったとしても、
ナンセンスであるほどにその身体性、サウンドとしての純度は高まるかもしれない。
ひと昔前であれば、優れた40代50代の音楽家が表現しうる音楽の手法、伝える手段は、より限られたものだったろう。
今は、アニメ、アイドル、ボーカロイド…。様々な手段によって、自己の肉体や外見とは関係なく、純粋に音楽を表現できる時代になったのだ。
マスダに記録する。
韓国は、10才から18才までとにかく大学受験の試験勉強のマラソンが始まる。
この4年間でとにかく詰め込んで詰め込んで習い事させる。
そしてそれは、課外授業という形で学校の中で行われる。
これは社会人になってからもそうで、朝の出勤前に英会話スクールで
1時間の塾に通っている人も多いそうだ。
そして、できあがるのは、
頑丈で、早く、元気な人間。
相当な学力成績を残して帰ってくる。
之以外には無い。
ホワイトカラーとで、社会的立場が明らかに違うのもおもしろい。
興るようで、彼らはディスリスペクトされる。
情報処理をすることには長けていても
イノベーションを興したりすることは不向きだそうだ。
美しい髪をつくる美容師、さまざまな職種がリスペクトされている場合がある。
GPS(これは米国の技術)、翻訳機能、匠の技から生み出される工学機械は
両者では、労働の質が違うと言える。
いやこれはさすがに言い過ぎた。そういうわけでない。
正確に言うと、
粘り強さがなく諦めが早い弱点がある。
付加価値を創造するには、日本人的な面も必要であると言いたいのだ。
ハードワークに耐えうる体力を持つ。
このままの調子で頑張っていくとどうなるかが大体見えて、最大限頑張った状態でもあまり楽しくないであろうことがわかってしまった。
そうすると、天下国家を論じたくなったりする。自分の足元が変わるためにはもう前提条件が変わんないといけないわけだ。
ああ、これが「希望は戦争」とか「あべしね」って言い出すのにつながるような気持ちなんだなあ。
私の場合は、ISILに金をくれてやれとかISILにも言い分があるなんて言い出す奴は人類の資格がないから皆殺しにしてしまえ、と発言する形で噴出するだろうと思う。
日本的左翼というか安保反対学生運動からのサヨの流れってのは、弱者を見つけ、そいつの味方面をして無敵モードを手に入れ、そいつの敵をぶったたきまくって気持ちよさを手に入れることの繰り返しらしい。佐々木俊尚が「マイノリティ憑依」とか名前を付けてたやつだ。
部落解放運動も成田空港訴訟もアイヌも沖縄の基地反対運動も、「お前関係ないだろ」ってやつが湧いて出たやつの動きは全部これで説明できる。
(アメリカ的サヨだと未開っぽい相手を見つけて啓蒙してさしあげるため寄り添いに行って「やーい土人土人、私ってなんて進んでるのかしら」ってやるので全然違う日本的なものだ。)
日本サヨ的感覚からみると、絶対強者アメリカの空爆を受けてる時点で「やった!弱者発見!」であり、「弱者の立場に立てばアメリカをぶったたけるぞ!」なので当然ISILの側にたってアメリカはおろか全世界をぶったたこうとするのね。
ISILは近所のイスラム教徒を殺しまくってるっていうのは理解しないんだ。だってそのイスラム教徒は多種多様でいろいろな団体を形成しているから、まとめてひとつにして味方面をするのが難しいし、味方になっちゃうとアメリカに反抗してぶったたけないもんね。巨大なものの側には死んでもたちたくないんだあいつらは。大きな力を持つと責任が生まれてしまうから、つまり無敵じゃなくなっちゃうからね。
全部ネタか馬鹿じゃんと思ったら「マジっぽいのもある」と言ってる人もいてびっくりしたので全文マジレスしてみようと思う。
この時点でこいつが女かどうかすら怪しい。
女同士で男を評価するのに、「ブサイク」「ブサメン」は自分の経験上では使わない。多用する女ほど嫌われてる。
女は好みが多種多様すぎるため、誰かの好みにイチャモンつける形になってしまうかもしれないから。
これだけはガチ。面と向かってキモイと言えるくらい心的距離感を近付けた男が勝ちな面はある。
女の下ネタは場を盛り下げるので、無理して言わなくていい。
お前のしゃべりが下手なんだよ。言わせんな恥ずかしい。
逃げ場くらい自分で作れよ。
自分から別れの挨拶を言えよ、男のほうもしつこい女だなと思ってんじゃね。
奢りは自分の優位性を示すために行われる面もあり、一種の快感が伴う。
目上の方から奢られるとか、付き合ってる人が年上ならわかるが、それ以外に奢られるのはちょっと危険だと思う。
自分だったら、付き合ってもなく目上でもない奴に奢られる場合、まず断りの口上と逃げることを考える。
少し話が違うけれど、年末にネタのような話題があって、日本のケンタッキーフライドチキンのある店舗が、夏に、カーネルサンダースに浴衣を着せて、スイカを手に持たせていたのね。まあよくある風景です。
で、それをあるアメリカ人が取り上げて、日本人ってこんなにレイシストって喧伝してたの。
スイカと鶏肉って、アメリカ南部ではやっすい食材で、それしか食えないということで黒人を嘲笑するアイテムになってるんですよ。
まあこれは、アホかね、君、何で日本人がアメリカのローカルなステレオタイプを知っておかねばならんのよ、君の方がレイシストやろうという反応と結論になっていたんだけど、私が気になったのは、どうしてケンタッキーの一店舗がやったことが「日本人」とか「日本」になってしまうんだろうってことね。
こういう例は全然珍しくないですよ。触手ポルノに「また日本か」みたいな反応とかね。
例えば、レイディ・ガガとかが、奇抜な格好をしていても、主語は、レイディ・ガガになって、アメリカ人にはならないですよ。
思うに、マイノリティというのは、大きな主語を用いられる人たち、と捉えてもいいかもしれない。逆に言えば個々の事例に対して大きな主語を用いている時点でそれはレイシストであり、セクシストであると言っていいのかも知れない。
西欧の風刺は徹底していて、イスラムを馬鹿にしていてけしからんと言うと、彼らは必ず風刺は全方位にやってますよと答えるの。それがエクスキュースになってるのね。そして実際彼らは、カトリック教会も大統領も女王もイエスもこき下ろしている。
でもね、やっぱりカトリック教会をこきおろすこととイスラムをこきおろすことは、同じじゃないのですよ。
カトリック教会を批判することはカトリックを批判することであって、その辺のパリジャンのポール君は何ら関係ないのですよ。
でもイスラムをテロリストとして描くことは、移民のアフマド君にとっては直接自分たちへの偏見を増大させる効果を持つのですよ。
これはね、やっぱり西洋帝国主義の結果であって白人の特権なわけ。
ここの非相似に鈍感で、俺らは全部を風刺しているんだって思い込んでいる時点で、チャーリーな連中の考えの浅さ、リベラルがレイシストになってしまってるんだよね。
で、Je suis Charlie というスローガン、ものすごく気持ち悪い。
私にはそれが、私たちは特権を享受する側の白人だ、と言っているようにしか見えないから。
[追記]
元記事の人とは違って、私はテロだからいけない、とはそもそも考えていません。テロと呼ばれる暴力があり、テロとは呼ばれない暴力がある、そして良し悪しはあるにしても歴史は暴力によって動いてきました。
そもそもフランス共和国そのものがテロによって成立した国家です。言論の自由が抑圧装置としてしか機能しない時に、それに暴力的に対抗措置をとる者があらわれるのは力学的には当たり前の話です。正義不正義の問題ではありません。
mirunaさんのコメント、「で、それが産油国における世界三大宗教のひとつであるイスラム教に基づく多大な人権侵害の免罪になるわけ?」と言うのがフランスにおけるイスラム教徒の話でどうしてなされるのかまったく理解できません。これはまさしく、マイノリティのみにアカウンタビリティが求められる一例だと思います。
ご存知の方ならば常識でしょうがイスラムには宗教者は存在しません。存在するのはイスラム法学者であって多種多様な学説があり、絶対的な唯一神信仰から多神教的なスフィズムが生じたように、どのような神学も成立可能です。当然のことながらイスラム世界にはかなりの幅と多様性がありますが、サウジアラビアの「公学」は特に極端な厳格性を持つワッハーブ派です。せめて批判するのであれば、サウジアラビア政府、ワッハーブ派を批判してはどうでしょうか。
フランスのムスリムはその多くがアルジェリア移民であって、ジダンもそうですが、アルジェリア少数民族のベルベル人が多数を占めます。これは百年に及ぶフランスのアルジェリア植民地支配の結果であって、ベルベル人を原住民抑圧のための中間層として用いたために、アルジェリア独立後、報復を恐れてベルベル人がフランスに亡命したのがそもそもの発端です。宗教は事後的に影響力を持ったものです。
個人的な見解として、植民地の損失を清算していないフランスには、どのような移民であれ、移民を拒絶する権利はないと考えています。ケベックであれ、インドシナであれ、アルジェリアであれ、ニューカレドニアであれ、異民族の流入に恐怖したのはそれらの場所の原住民も同じことです。
[追記]
suna_kago 問題を西洋と東洋(白色人種と有色人種)に図式化し、後者は前者に対して何をしてもいいと考えているらしい。そのような態度こそが上記の二項対立を強化するのだけど。
この文章からどこをどう読めばそう曲解出来るか理解できません。普通に誹謗中傷の類であると思います。
目くじらをたてるような突込みではないと一般には捉えられるかも知れませんが、大半の人は、夏の時期の写真が年末に話題になったと捉えられることを、そもそも話の本筋ではない部分に「これは年末が夏の国のお話なのか。」と"エスプリ"をきかせる精神構造は、非常にチャーリー的で、見かけ以上に深刻な問題を孕んでいると思います。
yingze 追記部分に粘着気質の気持ち悪い部分が出てきてるなぁ。「植民地の損失を清算」でヤクザの誠意を見せろ手口でしょう。
誠意は見せる必要はありませんが補償と原状回復はなすのが基本です。損害賠償の基本ですが。ここが意識の上でも棚上げされていること自体が、西欧中心史観なんだということを指摘しています。ところで、粘着気質ってこんなにぱっと出されて共有されなければいけないほど自明的にいけないものなんでしょうか。yingzeさんのコメント自体は粘着気質のなせるわざではないのでしょうか。よくわかりません。
sardine11 マイノリティが言論の非対称性に圧殺されてるという指摘は同意したい。ただシャルリの間違いを認めるとしても、反テロ運動自体は間違ってないし犠牲者追悼という大きな意義を無視するのはアンフェアな議論だと思う
反テロ運動=チャーリー追悼ではないでしょう。チャーリーを一方的な犠牲者として描くことがアンフェアです。チャーリーのしたことはしたこととして、銃撃殺人はいけないよと言うならば、少なくともチャーリーをまったく不問に付すような追悼集会というような手段はとらないだろうと思います。私はこの追悼集会で流される感情と踏みにじる感情が、結果ではなくて次の抑圧の原因になると思っているので批判しているのです。それぞれに自己の加害者性を見つめることの方が重要でしょう。
続きを書きました。
投票しないと非国民扱いされるらしいので、昔、政治学の講義でならった学説をいくつか紹介しようと思う。
投票することによる限界効用が逓減しているという説。この種の人々にとって投票に参加することで得られる効用の増分は少ない。投票することで効用が下がってしまうことすら有るだろう。若者に世代間格差を訴え投票参加を促すことは効用の存在を提示する試みと言える。(無党派層が怖いから)雨で寝てればいいのにという政治家の発言も雨降りのなか参加するほどでもないという有権者の性向を巧みに利用したと思うと合理的である。
※前回のエントリーで、経済学を知らない人に「効用」を金銭的価値や利己的な利益と勘違いして批判されたのだが、ここでの「効用」とは経済学用語のそれである。例えば、自分には痛みのある政策であったとしても社会がよりよくなるならば、ある投票者にとっては効用があると感じる可能性はある。つまり自分自身の金銭的利得だけをさすのではない、いう点に注意。
今回の選挙で言うと、自分にとって重大な争点が無いという点も、投票行動に対する効用を低下させる要因である。
また、小選挙区制により、多数の無効票が発生する点にも注目したい。
現状の政治に満足しているため、投票に行っていないという説。この説によれば投票率の低さは、ある意味では日本の政治が一定の成功を収めていることの証左といえる。あまりに問題が多い社会だと、投票率は上昇するだろう。それ以上に問題があると暴動やデモになる。
過激な政治行動に対する緩衝材となるので政治的無関心にも一定のメリットがあるとする説。みなが政治に熱心な社会は、本当に平穏で健全な社会だろうか。考えてみてほしい。渋谷をうろうろする右翼のクルマ、国会前の反原発デモ、インチキくさいアメリカの大統領選挙の集会。みんなが政治に参加する社会なんて怖いだけじゃないだろうか。つまり、政治的無関心は過激な政治行動を起こす層に対するクッションとして作用しているのである。
意思表明には多種多様な方法がある。「最低でも白票を入れて意思表明しろ」という意見もあるが、それはそれで一種の価値表明である。参加しないことで行われる意思表明もある。
2014年8月27日、中国メディア・網易は「日本人はなぜマンホールのふたを盗まないのか」と題した記事を掲載した。
26日、北京市通州区の路上にあるマンホールのふた40枚以上が盗難に遭ったという報道があった。そこでにわかに世間の注目を集めて
いるのが日本の状況だ。日本ではマンホールのふたの大量盗難事件など発生しない。それはなぜか。
中国では、盗まれたマンホールのふたは金属回収業者などに転売され、換金される。日本では「資源の有効な利用の促進に関する法律」
や「廃棄物処理法」などの関連法規により、業者が一般市民から再生資源の買い取りをすることはほとんどない。もし、マンホールのふたを
盗んだ者がこれを換金しようとするならば、違法な金属回収業者を探すしかない。だが、こうしたヤミ回収業者は常に警察の摘発対象に
なっている。
日本のマンホールのふたは各自治体の水道局の管轄下にある。ふたの表面には固有の管理番号や敷設年度などが記載されており、
市や区から委託された民間企業によって厳格に管理されている。また、安全性などを考慮し、ふたは強度のある鋳鉄製で、重さは40kg以上、
厚みは17cm以上ある。すべてのふたは日本下水道協会が実施する品質検査に合格しており、毎年定期的に専門機関による点検を受けている。
中国のマンホールのふたは、大きさにバラつきがあるため、その上を車両が通過すると大きな騒音を出す。鋳造にミリ単位の正確さが
求められる日本のふたは騒音とは無縁だ。さらに、日本はマンホールの中に監視カメラを設置。豪雨によるふたの破損や歩行者が落下
日本には地域の名産や特色をモチーフにしたデザインマンホールもある。そのデザインは多種多様で、6000種を超えるとの報告も。
アニメの主人公やかわいいキャラクターの描かれたマンホールもあり、マニアには垂涎(すいぜん)の的だが、これを盗むことは事実上
○サガフロンティア1
○自由度の高いフリーシナリオ。7人の主人公から1人選び、さらにその主人公のシナリオも大筋のあるものから、大筋のない自由なものまで多種多様。
○ランダム要素の強い戦闘。閃き(技を戦闘中ランダムに閃き覚えるシステム。実はやり込むと閃きにもルールがあることに気づける)、連携(仲間と技が連携しその場でそのつど新しい連携技が生まれる。これもやり込んで行くとどうすれば連携できるかが理解できる)、ランダム成長の三大要素により、何週しても飽きずに戦闘や育成を楽しめる
○育成の楽しさ。人間、ロボ、モンスター、妖魔(+ヒーロー、半妖)とキャラの種別によって育ち方が全く違うため、どのように育成するかを楽しめる。
●仲間の成長に合わせて敵も強くなるシステムは嫌いな人は嫌いかも。常に緊張感をもってプレイしないといけない
●ところどころ未完成なシナリオ。容量や納期の都合なのか、「なんのイベントもないダンジョン」とかがぽっつりあったりする。個人的にはそれも「頑張った結果何もない」ということも含めて自由度の高さだと思うので、好き。
○クラッシュ・バンディクー 3 -ブッとび!世界一周-
○クリアだけなら簡単でもやり込みだすとどんどん難しくなっていく
○シューティングやレースなど3Dアクション以外の要素を使ったゲームも入っておりボリュームが凄い
●とくにシナリオとかはない
●今やると若干古くさく感じるかも
○シナリオの完成度。ネタバレや先入観があると台無しになるので、前情報を入れずに楽しんで欲しい。
○豊富な寄り道要素とNPCとの会話。気づくとその世界が丸ごと好きになるような没入感を味わえます。メインシナリオをひたすらに追うのではなく、こういったサブクエや会話を是非とも楽しんで欲しい
●良い点なのかもしれないけど、今もまだお話が続いていて完結していない。(空の軌跡自体の事件やキャラクタのお話は完結している)
○歴代FFキャラがたくさん登場する対戦アクション。FF好きじゃない人も、この作品独自のシナリオがあるため楽しめる。
カプセルホテル | 個室ビデオ | |
---|---|---|
料金 | 3000~4000円(都会はもっと高い) | 2000円代(一泊) |
部屋 | 狭い | 広い完全個室 |
清潔さ | 汚い、禁煙部屋でも煙草の匂い | きれい(廊下もピカピカ) |
雰囲気 | ださい | 黒を基調としていてオシャレ |
騒音 | うるさい | 完全防音 |
ベッド | かたい | すこしかたいリクライニング |
店員 | 糞適当な大学生のバイト | きちっとしている |
DQNの群れ | 必ずいる | 基本個人利用なのでいない |
テレビ | 小さいアナログ | でかいデジタル |
一般DVD | ない | 最新作まである |
雑誌 | 汚い中古 | 最新のものが揃っている |
シャワー | 汚い浴場(乞食みたいなのが洗わないで入ってる) | 綺麗なシャワー |
インターネット | できないところがある | できる |
アメニティ | ほぼない | 200円で全部そろう |
エロビデオ | しょっぱいペイチャンネル | 最新作からコアものまで選びほうだい |
オナホ | ない | 多種多様(トイレで買えるので恥ずかしくない) |
自分性欲がむっちゃ強いんです。
だから、毎日朝晩、特に性欲なくてもオナニーしているし、オナホールやエロゲーに金かけまくってる。AVやエロ収集もいつでも簡単に晴らせるように消費できないくらい最高のモノをつねにストックしてる。風俗も月2回くらい(正確には風俗だけじゃなく行きずりのセックスのほうが多いけど)
なぜここまでやるかっていうと、社会生活のなかで女性に対してハラスメントしたくないから。
正直自分がブサメンすぎてずーっと差別的にされてるから三次元女に対してムカつくので、相手したくないけど、だけど性欲が溜まるほど痴漢とかしちゃわないかと怖いので、性欲はできるだけ減らしている。
しかし、夜遅くに帰ってくると眠くておナニーも面倒くさくて寝る。朝早く起きてオナニーするんだけどさ。
なんか、もっと楽に性欲解消できないかなあと。
エロゲーで恋愛感情を消費するのは現状十分。たまのセックスで女体感覚もできる。セックスの腰振りも据え置き型オナホールでOK。オナニーの充実度も多種多様なオナホールでOK。女性の肉体の美しさもAVでOK。ストーリー性もエロ漫画でOK.
しかし、もっと楽に解消したい。効率化したい。特に恋愛ストックがもう少しエロゲー以外でほしいかも。ニコ生とかで女に囲ってもらえればいけるんだろうかな。
何が不思議?
人がなぜその行動をするかといえば、細かい要因の積み重ねで多種多様にあると思うが、
それを聞いたところでたいして納得感も無いと思うが。
自己創発という言葉がある。一種の高度なシステムだ。wikipediaには「局所的な複数の相互作用が複雑に組織化することで、個別の要素の振る舞いからは予測できないようなシステムが構成される。 」とある。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%89%B5%E7%99%BA
うむ高度である。高度で重要だってんで専門の研究機関が数多くあったりする。しかし高度といっても場当たり的創発には明白な限界がある。長期視点で創発を積み重ねること、つまり進化が求められるケースも多いのだ。そういったことを扱うのが「進化システム論」という学問領域である。
翻って私たち個人の日常生活ひいては人生において根本的に重要な要素を1つあげるとすればそれは集中力である。
人間として生まれたからにはまずその集中力がなんであるかを明確に会得せねばならない。分かりやすい例をあげよう。ハイスコアを叩き出したいテレビゲームがここにある。
画面に「注意する」ことは必要不可欠であるが、スコアを「気にする」ことは果たして必要なんだろうか?否!必要ない。
「気にする」とは余計な思考を含意し「何かを気にして別の大切な何かを気にできてない」ことをも含意する。かように様々なタイプの集中があるので集中力と一口に言っても多種多様なことが分かるだろう。
電王戦タッグマッチにおける脳波測定マシーンの滑稽さもここにある。集中力を単純に脳波で量として捉えても殆ど実態は見えてこない。「何にどう」集中しているかに達人的集中のギミックがあるのであるから。
ここまで言われると集中のための第一歩が「気にする」と「注意する」の峻別であることは容易に経験からイメージできるのではないだろうか?
テレビゲームの事例でも「画面には注意すべきだがスコアは注意しないほうが良い」と両方「注意」を使って捉えるからどうしようもない矛盾が生まれてしまう。
ちゃんと2つの概念を区別し「画面には注意するがスコアは気にしないほうが良い」と精密に捉えて初めて成長の道が切り開かれる。
これは人間特有のウェットな話ではなく純粋にロジカルな話なので当然色んなシステムに適用できて進化システムもその例外ではない。
例えば会社が本来の目的を忘れて腐った企業体質のまま古い事業を続けている。これが「気にする」にあたる。一般にシステムをとにかくどんな形でもいいから進化させちゃえと安直に考えるならばその実現はたやすい。
しかし高度な進化つまりシステムの根幹にある枠組み自体を進化させるには「気にしない」ことの高度な実践がたいてい決定的に重要になってくる。簡単に言うと全体の情報をきちっと注意し続けるということだ。
このように私たちは私たち個人と私たちを含む社会集団を類比することで新たな側面を発見し打開策を見いだしていくわけだ。他人のフリして我が儘治せということわざもある。
人は自分が思っているほど自分のことを理解していない。それは高度情報社会の闇でもある。気になる情報が多すぎて自己への注意がおろそかになっている。
これが原因で世の中には無用で無駄な争いが爆発的に増えているわけで、そこで提案されたのがジョージ・ハリスンの窓、略してジョハリの窓である。
自分探しという言葉は一部の人間の感情を逆なでするそうだが、注意の復権という意味では自分探しという言語表現こそまさに適切と言えよう。
「全ての人間に共感できる人がコミュニケーション能力を持ってる人」????????????
※コミュ力 コミュニケーション能力 を拡大解釈するのはヤメましょう。 情報伝達以外の意味はありません。
※それ以上付け加えるならばコミュニケーション能力とは別の能力として主張すべき。
でググってみて下さい。
あと「コミュニケーション能力」でもググって下さい。
http://ja.wikipedia.org/wiki/コミュニケーション能力
「同意することだけがコミュニケーション能力と勘違いしてる人」が多いようですが
批判がコミュニケーションでないならば、「はてなで批判をしている人間もコミュニケーション能力がない」ことになってしまいます。
つまり「イエスマン=コミュニケーション能力のある人間」という定義になってしまいます。
ましてや「どんな人間にも共感することをコミュニケーション能力とする」なんて、この世にそんな人間いますかね?
ちょっと例を挙げるとこの世界の全ての犯罪者に共感できる人間がいますか?
この世界の全ての悪意(日常を含む)に共感できる人間をコミュニケーション能力があると定義する非実効性。
そもそもの間違いは「コミュニケーション」に「力」という文字を付けたのが間違い。
またパオロ・マッツァリーノは、自己啓発書の売り上げを上げるために不安を煽り、彼らの都合のよい稼ぎ口として使われていること、も指摘しています。
以下は参考のための引用。
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パオロ・マッツァリーノの指摘
パオロ・マッツァリーノは『反社会学講座』収録の「ひきこもりのためのビジネスマナー講座」において、浜口恵俊の「日本語にはもともとコミュニケーションにあたる言葉がないため訳せない」という意見を取り上げ、近年、企業等においてコミュニケーションが本来の「意味を拡大解釈」して用いられているようだと指摘し、問題視している。
マッツァリーノによればコミュニケーションには本来、「情報(知識や感情も含む)をだれかに伝える・交換すること」という技術的な意味しかなく、そのため言葉の用法に従えば、上司や目上の人間へのある種の直接的な批判の類も立派なコミュニケーションとして成り立つことになると述べている。続けて「しかし、そうすることが日本の企業社会で奨励されているかというと、はなはだ疑問です」と言い、「日本人は古来、コミュニケーションなしで社会を成り立たせてきた」という事実を指摘し、安易にコミュニケーションという単語を用いる現代の風潮を皮肉混じりに批判している。
スーザンによれば、すべての人が同じコミュニケーションスタイルにおいて最良のパフォーマンスを発揮するというわけではなく、イントロバート(introvert)と呼ばれる『刺激に敏感で大量の刺激を本能的に避けるタイプの人間』と、エクストロバート(extrovert)と呼ばれる『刺激に鈍感で少量の刺激では必要量を満たせないために大量の刺激を必要とするタイプの人間』、二者それぞれの遺伝子レベルの性質を生かした二種類のコミュニケーションスタイルこそ、無理のない持続可能な方法であるとしている。
近代以降、資本を求め商品をいかに買わせるかが社会の関心事となった経緯を紹介し、深い思考は苦手だが口先が巧みなエクストロバートを量産し経済拡大に用いるというシステムが教育も含めて現代では日常化してしまっているという。この社会(エクストロバートワールド)では、イントロバートは欠陥品とされ(イデオロギーの定着のため病名まで発明された経緯もある)エクストロバートになることを強制される。しかしその性質は遺伝子レベルで50%以上固定されているために、対外的にはエクストロバートを「ふるまう」、無理の結果として心の病を併発したり出社拒否に陥るケースがあるという。
彼女によれば、どちらのタイプも社交的であるという。両方とも自身の性質に基づいた異なる社交性を備えており、イントロバートは多数の人間と社交を行うことは刺激が大量すぎる点で本質的に苦手だが、一対一または数人との社交においてエクストロバートを凌ぐ力があり、エクストロバートは刺激に鈍感であるがために多数の人間と社交を行うことができる。その反面、一対一または数人との社交において深い友人関係を築き長期にわたり維持することは苦手であるとされる。このため双方のコミュニケーションスタイルも必然的に異なる形となるのが自然であるが、現在の資本主義競争社会におけるバイアスのかかった社会においてエクストロバート型を唯一のコミュニケションスタイルと信じて疑わない状況がある。自分の話を聞かせたいエクストロバート、人の話を聞くことができるイントロバート、従来のリーダーの適任とされるのは前者とされてきたが、近年では後者の「引き出す力」に注目が集まり前者を凌ぐリーダーとしても可能性が示唆されている。多様なコミュニケーションスタイルは人間の多様性を認める社会であることが必須条件として、イントロバートの存在と可能性について全人民的に社会的認知を深める必要があるという。
ジャンプとガロがあって、例えばジャンプの人たちは、ガロの存在さえも知らなかったり
ジャンプの人たちも、ジャンプのジャンルの中で波乱万丈はあるけど
世界に実存するのはジャンプだけだし、ジャンプたることが幸福だと思っている。
ガロの人たちは、もちろんジャンプの存在も、それがマジョリティだということも知ってる。
知っているうえで自分たちなりのストーリーとか価値観を紡いでいる。
同じガロでの連載陣は多種多様なので、自分のことをマイノリティとも不幸とも思わないし、
ジャンプと比べてどうこうとも自発的には思わないけど、
「女の子だったら普通に結婚して子供産みたいじゃん?」って友達に言われて、
あー散々毒親とか非モテとかいろんな論争はあるけど、多分この考え方が
今はまだマジョリティなんだなーってぼーっと思ったので。
ところで、コミュニケーション能力ってなんだと思う?
たとえば、飲みニケーションが得意なオジサンがいたとして
そのオジサンと、そのオジサンが最も不得意な電子メールだけで飲みニケーションしたのと同じだけの意思疎通と信頼関係を築ける能力のことだろ。
信頼関係の築き方は、文化やその人の趣味趣向・生活・理系文系などによって大きく違う。
そういうときに例えば、アメリカにいるとかそういう地理的や民族的な理由で通常の信頼関係の築き方ができなくても、
代替手段によって信頼関係を築くことができれば、コミュニケーション能力が備わっていると思う。
逆に、飲みニケーション万能みたいに、飲みニケーションを断る人とは信頼関係が築けない人は、コミュニケーション能力が低くてテンプレコミュ力だとおもう。
というわけで、これがコミュ力!というテンプレがなくても、多種多様な人と多種多様な手段で信頼関係が築ける能力がコミュニケーション能力だとおもう。
俺は自殺する覚悟があるからニートでいることに絶望的な不安はない。
収入がなくなって遊ぶ時間がやたらと伸びただけだと感じている。
やがて金がなくなって死ぬかもしれないが、人生には疲れきっているからここらでリタイアするのも悪く無いと思っている。
もしも今ニートをしていて毎日が不安で不安で押し潰されそうで苦しい人がいたら聞いて欲しい。
ニートは枠外の存在なせいで多種多様だから7割ぐらいの人にしか効果はないと思うが。
試しに「死んでもいいや」と思ってみてくれ。
死んでしまったらもう誰も見返せなくなるし、素晴らしい作品を残せるようにはならない。
親戚や友人は心に傷をおったりおわなかったりしつつ俺たちのいない世界を生き続けるだろう。
死は、大きな損失ではある。
命とは未来への片道切符であり、紛失したが最後もうそのものには未来はなくなる。
だが、何のために僕らは生きるのだろうか?
それが「家族のため」「誰かのため」ならば、死ぬ覚悟をしてもあまりどうにもならないかも知れない。
だが、もしも「自分が気持ちよくなるため」と思っているのなら、死ぬ覚悟をすることは非常に有用だ。
なぜなら、死ぬ覚悟を決めることで、人は楽に生きられるようになるからだ。
死のうと思えば数日で命をたてると認識すれば、40年後の将来を心配する必要はなくなる。
未来に夢を描くことが今を輝かせるように、未来に闇が待ち受けている時僕らの今にも影が落ちる。
だが、死ぬ覚悟を決めた時、未来と今はゆるやかに断絶され未来の闇が今に侵食する度合いは大きく減らせる。
ニートの生きる世界には常に「未来が全くない可能性」がつきまとう。
その最悪の可能性が日々少しずつ大きくなる不安に付き合っていたらせっかくのニート生活が台無しになる。
何のために僕らはニートをしているのか、疲れた心を休めるためであり、今を楽しむためだ。
今を楽しむことに飽き、心が回復したら再び社会へと戻っていくのもいいだろう。
だが、死の不安につきまとわれた日々を生きている限り、そのどちらもが阻害される。
楽しい日々は不安にかき乱され、心身の回復は全く進行しないだろう。
それが幸運への近道だ
あんまりかわいくない後輩のために。
はてブ見てるかもしれないからフェイクありという前提で読んで欲しい。
後輩がやばい、コミュニケーション能力が異様に低い。
はじめは人の話を真面目に聞かない糞なやつだと思ってた。何度注意しても言うこと聞かないし、質問してもずれた答えで誤魔化すし。何も教えず、愛情も注がず、先輩として最低限のことだけやって、いないものとして考えようと思ってた。
でも、少し話をしてる中で、少なくとも「嫌なやつ」ではないことがわかった。真面目だし、素直だし、やる気はある。でも、会話が成立しない、ただただ成立しない。
「AとBのどっちが好き?」と聞くと「~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~という理由で、Cのこと嫌いじゃないです」と返してくる。辛抱強く最後まで聞いてから、「で、AとBのどっちが好きなの?」と聞くと「あ!Aです、すいません」と答える。
ずっとこの調子。本人に悪意はない、単純にコミュニケーション能力が低いだけ、異様に、低いだけ。
当初考えていた通り、いないものとして考えようかとも思ったけど、「ここで見捨てられたら一生こいつはこのままか。。。」と思うとちと可哀想になっちゃって、今の組織から居なくなる前に(本人の意思に関わらず、おそらく数ヶ月以内にいなくなる可能性が高い)、
ことに決めた。決めたのです。
とりあえずGoogle先生にさらっと聞いてみたんだけど、返ってくるのは「雑談をX分続ける方法」とか「空気の読み方」とかその手の話ばかり。
違うんです、僕が知りたいのは「相手の言うことを聞いて、シンプルに回答する方法」なのです。
こういう会話ができるようにしてあげたいんです。今は
「暑いですね」「いやーホント最悪ですよね、さっき犬の糞ふんじゃったんですよ」
って感じなので。社会に生きる人として最低限のコミュニケーション能力だけでいいので、それを身につける方法を知っている人がいたら教えて下さい。
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以下、追記
初投稿前にやってなかったことで実行したのは
ことですね。発達障害という認識はなかったので、もしそうだとしたら異動なり転職を薦めた方がよさそうかな。
うちの部署は新規営業なのでお客さんとの問答ができなければ受注には至らないでしょう。
的外れなコメントも多くあったけど、的を正確に示してないのだから当然ですよね。むしろ的を射てる(的をリアルに想像できている)人が多くて驚きました。おそらく、そこかしこに後輩のような人はいて、周りの人は怒ったり、悩んだり、解決策を見つけて喜んだりしているのでしょう。後輩の才能を発揮できる場所が見つかればいいな、と願うばかりです。
そろそろ眠る。
聖徳太子のようにマルチタスクでトラバ返しをしてゆくのも楽しいものだ。
もとより文章を書くのが遅い性質でもあり、多種多様の文体を使う経験もなかったため、よい訓練にもなる。
続きがあるなら後日返答するが、そろそろ別のエントリも上げたいため、やや遅れるだろう。
追記:いつものようにトラバ返しを含む自分の文章を見返してみたが、今回はあまり相手のテンションに合わせた文章を書けていなかったように思う。
また、相手が既に挑発的かつ攻撃的かつ好戦的な文章を書いているのに、未だごく淡々とした対応をしている場面が多々見受けられた。
職業柄これはとても楽な対応なのだが、しかし満点の対応とは言い難い。
「不特定の誰かに対する発言ならばともかく、特定の誰かに向かってイヤな事を言えば、まったく同じその相手からまったく同じだけのイヤな事を言い返される」