はてなキーワード: 世界三大宗教とは
諸説あるにしても、番になる動物とならない動物の違いというのはオスメスの体格でだいたいわかるという説がある。
番にならない動物は、まず、オスメスで身長体重に大きな差がある。
それと、オスの精巣の質量が大きいという特徴がある。
猿の仲間ではチンパンジーは番にはならないのだがチンパンジーのオスは身体のわりに金玉がでかい。
一方ゴリラは番になる猿で、家族単位で暮らすのだが、ゴリラのオスはあんなに身体が大きいのに金玉は小さく、霊長類のなかでは身体の大きさに対する金玉の大きさ比率ランキングは低い。
ホモサピエンスは男女の体格差が小さい方で、オスの精巣の身体に対する大きさ比率ではチンパンジーとゴリラの間であり、生物的な傾向としては番で生きるのに向いている。
実際、なんとなく~宗教的・社会的理由で夫婦で生活する人々は世界の各地にいる。
一夫多妻制の文化はあんがいメジャーでもない。戦争が多く女余りになりがちな地域に広まっている。
ただ、世界三大宗教のうち、キリスト教では厳格に一夫一婦制、イスラム教では一夫多妻、という宗教的な事情が現代社会に大きな影響を与えているだろうけど。
キリスト教系カルト宗教で、欧米起源でなくよりによってキリスト教の歴史上全く無関係の韓国起源のカルトをどうして信仰しようと思うのだろうか。
キリストでもない、聖母マリア(婚前交渉で妊娠しちゃった事実を言えなかったビッチwww)でもない、韓国人の教祖が考えた合同結婚式とか意味不明過ぎるwww
世界三大宗教の仏教、キリスト教、イスラム教のほか、ヒンドゥー、儒教など、世界史に名を残す立派な宗教への信仰ならともかく、
どうして韓国起源のキリスト教カルトを信仰するに至るのかが理解できない。
たとえば、パチンコ依存症の家庭があって、 親のパチンコ依存で家庭が崩壊して、その家庭の子供がパチンコに嫌悪を抱くようなものか?
たとえば、アルコール依存症の家庭があって、 親のアルコール依存で家庭が崩壊して、その家庭の子供がアルコールに嫌悪を抱くようなものか?
たとえば、麻薬中毒の家庭があって、 親の麻薬中毒で家庭が崩壊して、その家庭の子供が麻薬に嫌悪を抱くようなものか?
たとえば、ソシャゲガチャ依存の家庭があって、 親のソシャゲガチャ課金で家庭が崩壊して、その家庭の子供がソシャゲ会社に嫌悪を抱くようなものか?
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そのイメージはどこで培ったんだ?
たしかにブッダは妻子は投げ出したけど国に戻ってるし、妻子ともども弟子にしてるし、彼の国は(ブッダが生きている間は)滅びてないし、そもそも特定の宗教に傾倒したわけでもない。実際のところ仏教を創始したわけでもない。今の言葉でいえば、哲学者、社会運動家、心理カウンセラーみたいな存在だったんだよ。輪廻とか解脱といった言葉づかいは宗教的だけど、2500年前の世の中だから、そもそも多くの語彙が宗教的な響きがある時代だ。後世の人々が尊崇の念のあまりブッダを神格化して、後に宗教になっていったんだけどな。
日本によくいるよな。宗教=危険みたいな考え方で、「(俺が考える危険な)宗教」らしきものを目の敵にして、実物を全く学ぼうとしない。学んだら信仰心が目覚めてしまうかも、とか怯えてんのかな。
ブッダは死ぬ前にこう言ってんだよ。死後、俺を頼りにするな(=神格化するな)。俺の教えを参考にして自分自身を頼りにして生きていけ、ってな。そもそも自分が宗教団体を主催してるという意識もなかったから、晩年は教団を離れて少数の弟子と放浪の旅に出てる。実際、ブッダの死後に「ブッダも死んだし俺たちの好きなようにやってこうぜ」って考えた一派が後の北伝仏教、つまり日本仏教の祖先にあたる集団だよ。彼らはオリジナルからどんどん離れていった。「菩薩」「般若心経」「空」「禅」「隻手の声」といった仏教的な思想の多くは、北伝仏教が勝手に主張し始めたものだ。
というわけで、世界三大宗教とはいえ、オリジナルの頃からイエスやムハンマドとはだいぶ趣が異なる教えだったんだよ。
ついでに言えば、よく誤解されてることだけど、ブッダは欲望を否定したわけじゃないからな。欲望をなくしたいという考えをやめたんだ。そもそも、欲望をなくしたい、ということ自体が一つの欲望だろ? じゃあ、ブッダは何を語ったのか。もし気になるなら後は自分で調べな。
少し話が違うけれど、年末にネタのような話題があって、日本のケンタッキーフライドチキンのある店舗が、夏に、カーネルサンダースに浴衣を着せて、スイカを手に持たせていたのね。まあよくある風景です。
で、それをあるアメリカ人が取り上げて、日本人ってこんなにレイシストって喧伝してたの。
スイカと鶏肉って、アメリカ南部ではやっすい食材で、それしか食えないということで黒人を嘲笑するアイテムになってるんですよ。
まあこれは、アホかね、君、何で日本人がアメリカのローカルなステレオタイプを知っておかねばならんのよ、君の方がレイシストやろうという反応と結論になっていたんだけど、私が気になったのは、どうしてケンタッキーの一店舗がやったことが「日本人」とか「日本」になってしまうんだろうってことね。
こういう例は全然珍しくないですよ。触手ポルノに「また日本か」みたいな反応とかね。
例えば、レイディ・ガガとかが、奇抜な格好をしていても、主語は、レイディ・ガガになって、アメリカ人にはならないですよ。
思うに、マイノリティというのは、大きな主語を用いられる人たち、と捉えてもいいかもしれない。逆に言えば個々の事例に対して大きな主語を用いている時点でそれはレイシストであり、セクシストであると言っていいのかも知れない。
西欧の風刺は徹底していて、イスラムを馬鹿にしていてけしからんと言うと、彼らは必ず風刺は全方位にやってますよと答えるの。それがエクスキュースになってるのね。そして実際彼らは、カトリック教会も大統領も女王もイエスもこき下ろしている。
でもね、やっぱりカトリック教会をこきおろすこととイスラムをこきおろすことは、同じじゃないのですよ。
カトリック教会を批判することはカトリックを批判することであって、その辺のパリジャンのポール君は何ら関係ないのですよ。
でもイスラムをテロリストとして描くことは、移民のアフマド君にとっては直接自分たちへの偏見を増大させる効果を持つのですよ。
これはね、やっぱり西洋帝国主義の結果であって白人の特権なわけ。
ここの非相似に鈍感で、俺らは全部を風刺しているんだって思い込んでいる時点で、チャーリーな連中の考えの浅さ、リベラルがレイシストになってしまってるんだよね。
で、Je suis Charlie というスローガン、ものすごく気持ち悪い。
私にはそれが、私たちは特権を享受する側の白人だ、と言っているようにしか見えないから。
[追記]
元記事の人とは違って、私はテロだからいけない、とはそもそも考えていません。テロと呼ばれる暴力があり、テロとは呼ばれない暴力がある、そして良し悪しはあるにしても歴史は暴力によって動いてきました。
そもそもフランス共和国そのものがテロによって成立した国家です。言論の自由が抑圧装置としてしか機能しない時に、それに暴力的に対抗措置をとる者があらわれるのは力学的には当たり前の話です。正義不正義の問題ではありません。
mirunaさんのコメント、「で、それが産油国における世界三大宗教のひとつであるイスラム教に基づく多大な人権侵害の免罪になるわけ?」と言うのがフランスにおけるイスラム教徒の話でどうしてなされるのかまったく理解できません。これはまさしく、マイノリティのみにアカウンタビリティが求められる一例だと思います。
ご存知の方ならば常識でしょうがイスラムには宗教者は存在しません。存在するのはイスラム法学者であって多種多様な学説があり、絶対的な唯一神信仰から多神教的なスフィズムが生じたように、どのような神学も成立可能です。当然のことながらイスラム世界にはかなりの幅と多様性がありますが、サウジアラビアの「公学」は特に極端な厳格性を持つワッハーブ派です。せめて批判するのであれば、サウジアラビア政府、ワッハーブ派を批判してはどうでしょうか。
フランスのムスリムはその多くがアルジェリア移民であって、ジダンもそうですが、アルジェリア少数民族のベルベル人が多数を占めます。これは百年に及ぶフランスのアルジェリア植民地支配の結果であって、ベルベル人を原住民抑圧のための中間層として用いたために、アルジェリア独立後、報復を恐れてベルベル人がフランスに亡命したのがそもそもの発端です。宗教は事後的に影響力を持ったものです。
個人的な見解として、植民地の損失を清算していないフランスには、どのような移民であれ、移民を拒絶する権利はないと考えています。ケベックであれ、インドシナであれ、アルジェリアであれ、ニューカレドニアであれ、異民族の流入に恐怖したのはそれらの場所の原住民も同じことです。
[追記]
suna_kago 問題を西洋と東洋(白色人種と有色人種)に図式化し、後者は前者に対して何をしてもいいと考えているらしい。そのような態度こそが上記の二項対立を強化するのだけど。
この文章からどこをどう読めばそう曲解出来るか理解できません。普通に誹謗中傷の類であると思います。
目くじらをたてるような突込みではないと一般には捉えられるかも知れませんが、大半の人は、夏の時期の写真が年末に話題になったと捉えられることを、そもそも話の本筋ではない部分に「これは年末が夏の国のお話なのか。」と"エスプリ"をきかせる精神構造は、非常にチャーリー的で、見かけ以上に深刻な問題を孕んでいると思います。
yingze 追記部分に粘着気質の気持ち悪い部分が出てきてるなぁ。「植民地の損失を清算」でヤクザの誠意を見せろ手口でしょう。
誠意は見せる必要はありませんが補償と原状回復はなすのが基本です。損害賠償の基本ですが。ここが意識の上でも棚上げされていること自体が、西欧中心史観なんだということを指摘しています。ところで、粘着気質ってこんなにぱっと出されて共有されなければいけないほど自明的にいけないものなんでしょうか。yingzeさんのコメント自体は粘着気質のなせるわざではないのでしょうか。よくわかりません。
sardine11 マイノリティが言論の非対称性に圧殺されてるという指摘は同意したい。ただシャルリの間違いを認めるとしても、反テロ運動自体は間違ってないし犠牲者追悼という大きな意義を無視するのはアンフェアな議論だと思う
反テロ運動=チャーリー追悼ではないでしょう。チャーリーを一方的な犠牲者として描くことがアンフェアです。チャーリーのしたことはしたこととして、銃撃殺人はいけないよと言うならば、少なくともチャーリーをまったく不問に付すような追悼集会というような手段はとらないだろうと思います。私はこの追悼集会で流される感情と踏みにじる感情が、結果ではなくて次の抑圧の原因になると思っているので批判しているのです。それぞれに自己の加害者性を見つめることの方が重要でしょう。
続きを書きました。
スピリチュアリズムの本質は、「世間はわけのわからない力で動いている」ではない。
世界は、人間が思ったようにしか動かない、一見してどれだけ複雑であろうとも、全ての因果は自分に帰する、というシンプルな事実。
人間であれモノであれ見せかけの神であれ何がしかに依存させる構造を含むものは、全て嘘を含んでいる。
ちなみに、古今東西の宗教は、本質の部分ではだいたい同じことを言っている。
それでも世界三大宗教にしろ日本の国家神道にしろ、あらゆる宗教は、勢力争いの場、支配の道具としての側面が強い。
「わけのわからない・理解できない現実への不安」を支配や操作の道具にするのは、古今東西あらゆる局面での常套なのだと思う。
長い歴史を生き延びた分だけ、ポピュラーな宗教のやり口はまだクレバーなほうで、霊感商法然りカルトしかりマルチ然り。
粗雑な論理と手口でも、不安と無力感に嘖まれた人間は、ほんとうの自由を怖れて、自分たちに安易な現実を齎す他者に縋る。
が、それは実質、毒にしかならない。だけど気付かない。
憎むべきは「神の存在」ではない。
科学を修めて、まっとうに意味を理解した人は知っているように、探求の道程と、指し示す領域が異なるだけで、
科学とスピリチュアリズムは相反するものではない。憎まれるべきは、人に不自由を強いるものであり、不自由を己に強いる自分たち自身だ。
……はるか高みよりあらゆる執着から自由な姿で、幸福と愛に満ちてこの世界を見下ろす「何か」を、時折疎ましく思ったりはするけれど。
神とかスピリチュアリズムとか宗教とか、勘違いしてアレルギーに陥ってる人多いじゃん。
疑似科学に詐かれるのは、「『科学的』であれば正しい」「『科学』が全ての真理である」と(自己判断抜きで)思い込むからで、そんな捉え方だったら、
科学を信じることだって信仰と左程変わらない。それもタチが悪い種類の。神が居るも居ないも、判断できるのは自分自身だけだ。
居ない、と「理解している」なら、それはそれで問題が無いけれど、世界を規定しているのは常に自分自身だ。「科学的にそうだから」、ではない。
とかって書いてもなんか怪しい雰囲気に受け取られそうでヤだなーっていう話。
っていうと、アソコの話のように聞こえるけど、そうではなくて、
昨今の騒動(亀田とか相撲とか初音ミクとか安倍叩きとか)を見てると思うのは、
日本人のモノの考え方を支えてるものって
「因果応報」
って考え方なんじゃないかなぁとふと思った。
実際には全く生活に接点がない人間同士が感情を共有するには
「正しい」とされるものを共有する必要があって、
世界の多くの国や社会では明示的な宗教の教条だったりするんだけど、
日本の場合、それは宗教ではなくて非常にシンプルな考え方なんじゃないのかな。
「頑張ってるから報われる」とか、
「人の道に背いているから罰せられるべきである」とか、
あまりにもシンプルで我々には当たり前だったりするけど、
世界三大宗教、特にキリスト教なんて贖罪の意識で成立してたりする。
日本人が愚直なまでにマジメなのも、
日本人が因果の認めにくい構造的な問題に対応するのがニガテなのも、
日本が根強い死刑制度維持国家なのも(私自身は死刑制度存続派ですが)、
バッシングが去ると何事もなかったかのようにしていられるのも、
きっとそういうところから来ているのではないのかな。
まぁたぶんこれからは
頑張ってるのに報われないじゃん、とか、
悪いことしてるのに罰せられないじゃん、とか、
因果律そのものも変わってくるんだろうな、と。
ただ布教するに当たって、そういうある意味どうでもいいところを排除してきた経緯があります(ここら辺は、Wikipediaのキリスト教およびキリスト教の歴史を参照のこと)。「適度に不寛容」というのも同じで、どこを変えないべきで、どこを変えるべきかという選択がうまかったのでしょう。
キリスト教は布教に対する欲望が強く、そのためには自分自身がある程度変容することを厭いません。対して、イスラム教はその厳しい戒律からも察せられるように、自分自身の変容をひどく厭います。これが世界三大宗教のうちの二大勢力の趨勢を決しているのでしょう。