2014-08-07

自殺する覚悟がないニートは本当に不幸

俺は自殺する覚悟があるからニートでいることに絶望的な不安はない。

収入がなくなって遊ぶ時間がやたらと伸びただけだと感じている。

将来に不安はあるが、それは絶望的な物じゃない。

やがて金がなくなって死ぬかもしれないが、人生には疲れきっているからここらでリタイアするのも悪く無いと思っている。

もしも今ニートをしていて毎日不安不安で押し潰されそうで苦しい人がいたら聞いて欲しい。

死ぬ覚悟を持つことで君たちの大部分は幸せになれる。

ニートは枠外の存在なせいで多種多様から7割ぐらいの人にしか効果はないと思うが。

試しに「死んでもいいや」と思ってみてくれ。

死んでしまったらもう誰も見返せなくなるし、素晴らしい作品を残せるようにはならない。

親戚や友人は心に傷をおったりおわなかったりしつつ俺たちのいない世界を生き続けるだろう。

死は、大きな損失ではある。

命とは未来への片道切符であり、紛失したが最後うそのものには未来はなくなる。

だが、何のために僕らは生きるのだろうか?

それが「家族のため」「誰かのため」ならば、死ぬ覚悟をしてもあまりどうにもならないかも知れない。

だが、もしも「自分が気持ちよくなるため」と思っているのなら、死ぬ覚悟をすることは非常に有用だ。

なぜなら、死ぬ覚悟を決めることで、人は楽に生きられるようになるからだ。

死のうと思えば数日で命をたてると認識すれば、40年後の将来を心配する必要はなくなる。

将来の心配事は、今を生きる僕らの活力を大きくそぐ。

未来に夢を描くことが今を輝かせるように、未来に闇が待ち受けている時僕らの今にも影が落ちる。

だが、死ぬ覚悟を決めた時、未来と今はゆるやかに断絶され未来の闇が今に侵食する度合いは大きく減らせる。

自分のために生きているニートよ、死ぬ覚悟をすべきだ。

ニートの生きる世界には常に「未来が全くない可能性」がつきまとう。

その最悪の可能性が日々少しずつ大きくなる不安に付き合っていたらせっかくのニート生活台無しになる。

何のために僕らはニートをしているのか、疲れた心を休めるためであり、今を楽しむためだ。

今を楽しむことに飽き、心が回復したら再び社会へと戻っていくのもいいだろう。

最後まで今を楽しみ抜いて社会に戻らずに死ぬのもいいだろう

だが、死の不安につきまとわれた日々を生きている限り、そのどちらもが阻害される。

楽しい日々は不安にかき乱され、心身の回復は全く進行しないだろう。

多くのニート死ぬ覚悟を身につけるべきだ。

それが幸運への近道だ

  • こういうこと言ってる人って、病気とかで不自由したことないんだろう。 人間にとって老・病・死を畏れることが問題ではない。 結果として、生を尊重するという目的に気付くかどう...

  •  ニートではないけどある意味同感。  どうせ人間いつかは死ぬんだから、もっと好きに生きないと。 「ダメだったら死ねばいい」の信条のもと、小説とか書いて日々をすごしてます。

  • さすがに死の覚悟をなめすぎではないか エリート笹井は一発で成功したが IT土方ゆうちゃんは結局失敗した 駄目なやつは何をやっても駄目

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