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はてなキーワード: アウトプットとは

2015-11-11

http://anond.hatelabo.jp/20151111224507

本質的というか根源的というほうが意味合いが良いかな

仕事って多くはインプットしたものアウトプットすることだけどアウトプットしても金にならないようなものでもインプットされたものって金のために得たものじゃないからもっとその人個人をあらわしていると思うんだよね

もちろん仕事にできるほど熱をあげてきたものがその人を最もあらわしているとも取れるけどね、ただやりたいことじゃなくてスキル仕事してる人にとってはそのスキルは個人をあらわすものにはなりえないんじゃない?

2015-11-06

対面での会話はどうして可能なのか

ネットの外で、つまり、人との対面的状況で「会話」ができる、という事態が、理解できない。

下書きもないし、校正もできないのに、どうやって文を組み立てているのか。

もし、意識というか自我というか、心に浮かんだ言葉をそのままアウトプットしていたら、

いわゆる統合失調症の「言葉のサラダ」みたいになって、人に理解ができる文の形にはならないのではないか。

あるいは、そもそもぼくなんかは、感じていることや考えていることを、単語レベルであれ「言葉」に変換するのに相当時間がかかるわけで、

思っていることを話してください、とか言われても、非常に困るというか、

何も思っていませんとしか言いようが無い(何も思っていないというより、求められていることがまだ言葉にはなっていません、というのが正確だけど)。

任意場所に出かけて行って、あらかじめ話すことを決めていくのであれば、まだ、何を言うべきかに困らないかもしれないけど(原稿をつくればよいので)、

会話って、アドリブというか、インプロビゼーションでやっているのでしょう? 知らないけど。

それって具体的に、どうやるのでしょうか。

意識もせずにできている、という人は、どこかでトレーニングをしたのでしょうか。

2015-10-30

働くくらいなら、離婚して死にたい

今日は、自殺予防の電話と、よりそいホットライン電話したけど、忙しいみたいで、電話が繋がらなかった。今日は、話が出来なかったので、増田に吐き出す。)

友人にも、話しても、辛い。というか、話して友達を失うのが、怖かった。徐々に、こうやってアウトプット出来ているけれど。

  

もう。働きたくない。

義実家との縁を切りたい。

  

でも、働けっていう。

失業手当が、貰える。それまでの額面が30万円だったんだから

15万ほどは入るはずだ。

しばらくは、失業手当でいいじゃないか。

あるいは、傷病休業手当金が入る。

お金が手に入るのだから

  

適応障害で、休んでいる。単身赴任をした。4年間。

適応障害で、会社休職した。半年休職した。

妻も、いっぱいいっぱいだ。

  

俺は、アスペルガー症候群だ。ADHDだ。

空想タイプ。だからのび太タイプだ。

それと、被害妄想の傾向が強いそうだ。

親父は、うつ病自殺をした。

義母は、『そんな境遇の子は、いくらでもおる』

なんていって、さらっとながす。

妻も、何人なの友人も、「お父さんとあなたは別人格」というが。

  

わたしは、『ローンを苦にして、うつ病になり、家族犠牲になった父親』というイメージ自分にも、重ね合わせている。

ああ。

この私の気分を話すことも、気が重い。

話したが、わかり合えない。

結局、前回は、一ヶ月前は『時間を下さい』、で、終わった。

  

どうせ、怒らせるに決まっている。

がっかりする顔をされる。

でも、もう、良い子ちゃんは止めたい。

(「相手が、どんな顔をするかは、コミュニケーションを取るまで分からないものだ」という感覚いまいち、まだ、わからん

ネガティブなことを話したときに、相手がどんな顔をするだろうかと、想像するだけで疲れる。

  

増田には、働くことの意味が分からぬ。

働き過ぎると、うつ病になって、自殺するだろうと、いう恐怖感があって、PTSDのようになっている。

自分の恐怖感が、相手を巨大にしている。

それは、理屈で分かるし。

『思いを言葉にするのは、簡単ではないのよ』を優しく話してくれた人もいる。

睡眠導入剤も、飲んだ。

勇気を出して、精神安定剤的な緊張をほぐす(頻脈を抑える)薬も処方された。

漢方薬イライラ効果があると言われるツムラの54番?の薬も、飲んだ。

どうすれば、いいの。

『奥さんが、無理をして、内職をしているのも、分かる』

でも、

『僕は、休みたいの!』

  

『僕は、休みたいの!』

 ああ。

明日は、家族会議だ。どうしよう。

ヤバイ

ヤバイ

2015-10-28

『ただ考える』と、ということは、単独では力を発揮しない。

『ただ考える』と、ということは、単独では力を発揮しない。

「考えよう」と言う言葉は、あまり抽象である

自分で、考えやすいように、アウトプットを行い、更にそれを要約して、整理する。

マクロにも、ミクロにも光を当て直す。

『考えること』は、人間の言動のシステムのうちの一部分であって、単独では、状況を改善するためには、力を発揮しない。

ケース1:もっと良く考えてよ。

社会人で、日本語を使って、いると、

『(相手の立場を)考えてから、物を言いなさい』などと言われる。

この場合英語的には、respectリスペクトだろう。敬意を払うというのか。

相手へ気を遣ってとか、不快な思いをさせないような表現を避けて下さい、という意味だろう

また、結婚をすると、奥さんから旦那さんへ向けて(あるいは、愛人から不倫相手の男性へ向けて)

(あるいはアラサー彼女から彼氏へ向けて)

私たちの将来のこと考えてくれてるの?』などと、言われる。

このケースも、頭脳労働というよりは、感情労働的な側面と決意表明を求めているのであり、

「私の気持ちを気遣って(将来の生活の安定性を見通せる経済的保証を下さいな)」

ということなのであろう。

不安状態なので、安心感が欲しいの、ということだろうか。

ケース2:考えすぎるなよ。

人間関係を始めとして、何が正解か分からないような問題であると、

将来のことなどを心配していると、

『考えすぎだよ』『考えるよりも、行動だよ』

などと、言われる。

人間関係や将来のことなど、やってみなければ、分からないことも、人生には、多い。

仮説を立てることは大切だが、検証をしていない仮説は、ただの絵空事(空想である

客観的事実ではないことをあれこれ、考えても始まらない。

そんな仮説に縛られては、いけない。ABテストでもするつもりで、バンバン動いた方が良いのだろう。

ネガティブになりすぎると、行動力は奪われる。

思い出さなくても良いネガティブ経験を整理する(捨てる・忘れる)のが、良いのだろう。

  

ケース3:考えすぎると、ケース1とケース2との「考える」という言葉意味矛盾に気がつかなくて、ループになる。

確かに、一時的に充分な休息を取って考えないことが、一番の薬だったりする。

落ちついた頭で、考えた方が、良い結果を生み出す。

怒られるのが、怖いので、行動や思考の幅が狭まっている自分状態に気がつくためには、考えるよりも、休むである

その平常心になった状態から、考える。

第二次世界大戦中の日本軍のような状態で幾ら考えても、被害が大きくなり、真の意味で「お国のため」にならないことを選択していたという結果を導いていたりする。他人のことだと冷静に見れるが、自分のことだと、致命的なダメージを受けてからでないと、気がつかないということがある)

  

トコトンまで、やってダメときは諦めるか、別の手段というか、問題設定を誤っていないか、前提条件自体をもう一度、洗い流してみる。

  

長くなったので、今日は、この辺りに。

2015-10-22

私のネット人格の作り方

こんな一覧を作ります曖昧にするとブレるので確実に全て決めて、何かにメモし、その人格プレイするとき確認します。

プロフィール

名前
既婚者女性なら旧姓まで
性別
男性/女性/非公開/男性っぽいけど実は女性/ネカマ/など
年齢
生年月日をしっかり決める/公開するか非公開にするか/隠しきれなくするかしないか
生息地
都道府県を決める、できれば市町村まで/都心なら最寄駅でも可/賃貸or持ち家or実家
就学/勤務先
生息地に準ずる/学生なら学校名まで/利用する交通手段もセット
職業/業種/専門
具体的に決める/それへの不満点もセット
家族構成
恋人の有無なども
携帯の機種
iPhone or Android or ガラケー
PC利用率
どのぐらいPCからネットをするか
趣味
趣味無趣味か、1つのことにこだわるのか

ネット上でのアウトプットフォーマット

利用SNS
とりあえずツイッターとインスタだけが多い/いつ頃登録したアカウントにするか(=調達する)
アカウント名の傾向
名前orアダ名を入れるか/好きなものor人を入れるか/重複した場合にどういう文字付与するか
句読点
「。、」or「.,」/句点を省略するかどうか/読点をどのぐらいいれるか
呼称
かならず決める
字数
特にツイッターで何文字ぐらいが多いか
文末
これはしっかり決めなくてもいい事が多い
ひらき
わざとひらく漢字意図的に見える事が多いのでどうするか考える
主語の置き方
主語をつけないことが多い文章にするかどうか/こそあどの頻出性

とりあえずこんぐらい。昼休憩終わったのであとで続き書きます

2015-10-10

[]冷たい熱帯魚

4点/5点満点

________

最初から最後まで悪夢を見ているようだった

特に最初こそ酒飲みながら観てたけど、2時間半の間でお腹がすいてしまった…

そこでクライマックスであろう最後45分くらいから生卵掛けご飯を食べた

丁度そこらへんで村田がバラバラに解剖されて愛子と社本が血みどろになりながらくんづほぐれつしてて

もともとグロに耐性はあったんだけど、流石にちょっと来ました。

自分がよく気になってる登場人物の同期づけとかもしっかりなされていて、脚本としては完璧だったと思う

登場人物みんな狂ってるけどみんなどこか共感出来たりしてね

狂ってるんだけど、その原因となる出来事がどこか泣けたりして

ただただ必要以上に血とか内臓とか見せられた感を勝手に感じてて5点満点にできなかった

じゃあ自分の中で5点満点の作品出会えるのか?そもそもどんなのが5点満点なのかわからなくなったな

まり文句の付けよう無いし、どこか心情に共感しながらも自分に重ね合わせる事が出来る登場人物がいなかったから、特に書くことな

アウトプットを広げるって意味ではこの映画ダイアリー全然うまくいってないんだけど

さすがに寝不足だし酔っぱらいだし気持ち悪いしで、ごめんなさい

2015-10-07

増田で何か書きたくなったけど、何もなかった。

疑問があれば調べれば解決するし、あんまり言語化するレベルの悩みも無くて。

ここまで書いたらネタが出てきたのだけど、本とかwebコンテンツでひたすらインプットしたい時期と、

プログラミング読書でひたすらアウトプットしたい時期が入れ替わり立ち替わりやってくる気がする。

これは一般的なのだろうか。

でも、アウトプットしたい人ってたぶんそこまで多くはないよね。

2015-10-06

大人になったら物覚えが悪くなるというが

もちろん頭の回転が悪くなる、物覚えが悪くなるってのはあるのだろう。

だがなぁ、小学生のころだって漢字覚えるとき10回書いていただろ。反復して何回も書いてテストもして復習もしていただろ。

頭の老化を嘆く前に、お前はそうした小学生でもしているような反復練習をしたのかよ? と問いたい。今日は問いたい。

覚えたい事を10回繰り返したか? 覚えた後アウトプットたか? 復習したか

小学校ではみんなやってるぞ。そんなことにも気付かず、また学習の習慣も付けず大人になって老化老化言ってしまうのはうんこの極み(血便)である

2015-10-04

ヒドデの言ってることが全然からない

http://hitode99.hatenablog.com/entry/2015/10/04/092924

この記事同調してる人ってそんなに「他人」が必要なの?

他人がいなかったらブログ書かないの?

1.金が貰える

2.始めやすい(リスクがない)

3.自分意見、考えを発信できる(そしてそれに反響がある)

4.アウトプット

5.誰かの役に立つ、心の支えになる

6.楽しい

7.人脈が広がる(人によりけり)

逆に言ったらこれらの事に特に魅力を感じなかったら特段勧める理由はねぇ! 

個々に書いてることぶっちゃけどれも当てはまらない。

6が一応当てはまるのかもしれないけど、

ここちゃんと書かないのにブロガーって名乗る意味がわからない。

マンガベスト100作ってるときと同じでさ、なんか書きにくいことをごまかすために他の要素入れてない?

俺は楽しいかどうかはわからない。 

けど書いてる。もう11年ずっと書いてる。

から、この感覚がちっっっともわからない。

2015-09-20

文章を書けない人の価値ゼロ

文章を書く能力というのは、人間にとって最重要であり、その他の能力たとえば絵が描けるとか料理が上手いとか科学実験カンがいいとかの技能能力よりもはるかに上位である言うなれば文章が書けない人の存在価値ゼロである。なぜならその他のすべての能力アウトプットというものは、すべて言葉を通じて他人に伝えられなければ価値が発生しないからである価値が無ければ社会的にも経済的にも生存することが困難になる。

芸術や食事やコミュニケーションはそれ単体で価値があると信じたくなるが、不思議な事にそれらの価値言語で報告されなければならないのである言語で書かれた小説文学賞を受賞したときに、ではその内容や喜びをダンス表現してくださいなんて言われることはないが、芸術作品が受賞した人には喜びの「言葉」が求められるのである言語に比べその他の能力は、極めて非対称なのだ

言葉でしゃべることも重要かもしれないが、時間空間を超えて無数に拡散して伝えることのできる文字列にその価値は及ばない。テクノロジー進化して動画配信が容易になったこの時代であっても、申請や報告や社会のやり取りは必ず文書である

まり文字を書く能力というのはすべての能力に対してAND演算、掛け算で効果が数値化される能力であり、つまり文字がかけない人というのは、ゼロが掛けられるので価値ゼロなのである

 

私は、ものを作ったり調べたりして、その結果をおしゃべりで情報をやり取りすることがとても好きで、それなりに能力を発揮できていたと思う。しか文字列を読むことが極めて困難な障害があり、特にパソコン文字入力するときに困難さが伴い、普通の人なら小一時間で書けるらしい書類であっても猛烈な疲労とともに一週間程度はかかることがザラである

そのためか、文章を書けないことで人生の多くの部分で、信頼を失い、落胆され、結果を残すことができないでいる。若いころ、文章を書くというのは人間能力の一部であると信じていたし、文字発明されたのは人類歴史上ほんの最近なのだからそれ以前のことを考えれば、文章を書くことが人間価値ゼロにまで落とすだなんて想像もできなかった。しかし、実際はそうではなかった。自分価値ゼロだ。

 

からあなたがもし、芸術家スポーツ選手技術者を目指しているのであれば、その専門的な技を磨く時間にすべてを注いではいけない。文字列で報告できる能力を同時に培わなければならない。誰かツーカー上司が守ってくれている間は、言われたことをやっているだけで喜んでもらえるかもしれないが、指導的な立場になったり、誰かに意見を求められるようになるともはや技だけではダメなのである。それどころか、スキル文字列に信頼を与えるための肩書程度にしかならないのである

しろ文字列さえ書ければ他の能力殆ど無くても問題がない。なぜなら文字列を書けなくて安く買い叩かれている人苦しんでいる人が、世の中には多くいるかである。彼らのアウトプットを頂いて、それを文章にまとめて広めてあげればいいのである文字列以外、作りだす必要性はないのである

意識無意識の間

俺は中学1年まで神童だった。

テストほとんど100点。成績順もトップ

ところが、ある時期から落ちこぼれていく。

なぜかって、学習したことを忘れるんだよ。

100点取ってた頃は、「覚える」という意識なしに、学んだことをそのまま出力できるというか。

確かに学んだはずなのに思い出せない。

インプットアウトプットの間に、とてつもない壁ができたような感覚

無意識的に覚えて無意識的に思い出せていたのが、

意識的に覚えようとして意識的に思い出せない。

意識無意識関係性を探ってみても、

難しすぎてよくわからない。

間違えちゃいけないという思い、とか、プライド、とか、いろんなものが壁となって

それらがすんなりアウトプットさせない理由だとは考えてんだけど、

じゃあどうすればいいんだろう。

昔みたいに天才に戻りたい。

2015-09-17

http://anond.hatelabo.jp/20150917154622

両方だよ。

- 自分言葉社会ルール基本的道徳観を教えてくれのはだれか?

- 自分が、努力しても、身につかなかったことは、何か?

と考えると、遺伝因子、環境因子の両方の影響を両親から受けていたと、思うよ。

 

発達障害者には、常に支えてくれる理解者が必要なんだろうけれど。

  

ヘレンケラー女史に、サリバン先生がいたみたいに、自分を良く理解した上で適切な方法で根気よく導いてくれる人がいるって大切なことだよね。

だけど、アスペルガーだと、人との関わりが上手くいかないし、ADHDで、感情コントロールも苦手だったりだと、人から理解されずらいし。

なんだろう、人の助けを得ようにも、得ることが上手く出来ないから、そもそも、困っている。

『人は、支え合って生きているんだよ』という基本的なことであっても、僕も、僕の親も、知らずに育ったように、思うよ。

 父親は、僕の祖父へ助けを求めることや、会社の人や学生時代の恩師に助けを求めることが出来なかった。

 母親も、父親を支えきれなかった。

  

両親自体が、彼、彼女らの境遇を受け容れきれていなかったように思うよ。

自分自身性格気質能力について、折り合いをつけることが出来ないでいた。

まり元増田が言うように、「頭がくらくらする」為に、どうしていいのか、わからん状態が、一生続くかと思うと、絶望してしまう。

砂に水を注いでいるようで、何も自分には蓄積していないように、感じる。

努力甲斐が、皆無に感じる。

  

  

また、ある程度、落ち着いて来た時に、親は愛情を注いでくれたつもりでも、自分では素直に受け取ることが出来なかった面があったようにも、思えるようになりつつあるのかな。。。

 

普通の人と同じ努力をしても、報われないのだから、やる気もなくなるべ。

そもそも、僕は、自分の失敗から学ぶということが、苦手だったよ。

短期記憶能力認知能力が低いとか。同時並行で、処理をすると頭が固まるとかさ。

これらは、直しようがないわ。

いくら、タメになる自己啓発本(w)とかを読んでも、理解の仕方が一般の人とは異なるし、アウトプットで、いつもつまづく。

相手の立場理解度に合わせて、表現を選んでいくと言うことが、苦手だったりするよね。

単純なペーパーテストでも、ケアレスミスがあったりで、分かっているのに、点数に結びつかずに、意味が無いってのがあるよな。

  

増田に何かを書いて、ブクマがついて、スターがついて、文章力が褒められるだけでも、マシになったかとも、僕の場合は、思うよ。

作家とか、プログラマー出身ブロガーとか、コンサルタント的な人の中には、どう考えても、発達障害です、ありがとうございました、

という人も、ちらりほらり、いるし。

  

スポーツ選手芸能人とかでいうと、

長島茂雄の子供(一茂も三奈)なんかは、タレントとしては、空気を読める人たちに思うから

環境によって変わることも、大きいのだろうね。

奥さんが、定型なのかな。

羽鳥慎吾ホンジャマカの恵なんかを始めとする優秀な司会者は、定型代表者だと思う。

多くの人の感情を読み取り、適切な言葉表現することが、上手いから

  

一方で、リアクション芸人とか、特殊な分野で一芸に秀でているタイプの人は、

自閉症スペクトラムアスペルガー症候群)やらADHDでも、やっぱし成功しているように思う。

極端な例になるが、

芸人だと、出川哲朗系の人たち。

松岡修造とか、家庭生活では、イマイチな話を聞いたことがあるし。

香川慎司なんかは、サッカーは一流でも、漢字を知らないとか。

 

TED テンプルグランディン: 世界はあらゆる頭脳必要としている

アスペルガー症候群って今は、自閉症スペクトラムって呼び方に変わって来ているようだよね。

最近NHK教育テレビで見て参考になったTEDがあるので、リンクを貼ります

子供の頃に自閉症と診断されたテンプルグランディンが、彼女の脳の働き方について話します。彼女の“絵で考える”能力が、一般的な脳が見落としがちな問題の解決に役立つと言います世界は、自閉症領域にあるとされる人たち-視覚思考者、パターン思考者、言語思考者や全ての風変わりな天才達-を必要としていると訴えます

http://www.ted.com/talks/temple_grandin_the_world_needs_all_kinds_of_minds?language=ja

 

2015-09-12

つのまにやら思考停止に陥る罠

なんでもいいからアウトプットの練習しょ

言ってみるだけ

2015-09-10

遂行すればするほど、あなた文章はつまらなくなる

ぼくは水耕をしません。

勢によって文書は磨かれる

なんでしょう。ずっと文章を書いていて感じるのは、「一筆書き」で書いた文章市場面白いんです。

もちろん、そういった文章はところどころ「おかしい」ところもあります文章がうまく繋がっていなかったり、冗長になってしまっていたり。

でも、その「おかしさ」は、ポジティブに捉えれば「味」とも言えるんです。

言い換えると、遂行してきれいな文章にしようとすればするほど、「味」も薄くなっていきます

水耕というプロセスを通すと、「違和感のない文章」になってしまうんですね。

説明書ならまだしも、ブログというのは本来アートに属する創作活動です。

小説や詩のようなものです。だからこそ夜でいる人に「違和感」を与えないようなブログ面白く無いんです。

読者はあなたスピード感を求めているんです。著者の文章を書くスピードというのは、実は読者によく伝わっています

→断定

よく遂行された文章は美しいですが、読者は同時に「退屈さ」を感じてしまます

勢いの中で創作を続けることで、上達するスピードもまた早くなていきます

→勢い重要

推敲ばっかりしている人はなかなかうまくならないんですよ。

アウトプット大事

舞台に立つ回数が減りますし、瞬発力も出ませんから。「一筆書き」を世の中に出しまくった人が結局はトップに立ちやすいのです。

→出しまくるぜ

いいんですよ。推敲なんでしなくて。もっと「生」のあなたを見せましょう。

恥をかきましょう。話はそこから始まるんです。

推敲オプションです。必要ときだけ遂行すればいいんです。あなたはむしろ一筆書きに注力すべきです。

ぼくはそうしてきましたし、そのほうが自分も書いていて面白いんです。

2015-09-09

オリンピックロゴ問題に物申したい

共感を得に来た。

得られなかったらインターネット藻屑に帰っていくつもり。

近頃のオリンピック騒動を見ていたら、論議があさっての方向ばかり向いている。

http://bylines.news.yahoo.co.jp/takayukifukatsu/20150907-00049112/

↑の記事コメント欄も荒れ過ぎだ。

やれパクリだの、やれパクリじゃないだの、正直そんなことが重要なわけではないと私は思っている。ってことで各論者たちにツッコミを入れに来た。まぁ見ていってほしい。


パクリだと主張する一般市民共へ

あのな、このロゴはな、タイポグラフィーを主としたデフォルメ系のロゴデザインなんだよ?どれも似通って当たり前だろ!目を覚ませ!

私は初見時、「あ、これIIJロゴに似てる!」と思ったぞ!

何が裁判提訴だ。こんな曖昧もの法廷に持ち込んでどうするんだ!?結果が出ると思ってんのか?てかそれ誰が得するの?

法廷正義だとか思ってるの?法廷なんて政治ゲームだろ。こんなもん裁判に持ち込んだら、適当なパワーゲームになってうだうだやるだけじゃねぇか!それで結局三面記事の良いネタになってコンテンツ力を失うんだよ!

世はフラットデザイン全盛なんだよ!似通ったロゴなんていくらでもあるだろ!全部訴えろってか?



パクリじゃないと擁護するデザイナ共へ

あのさぁ、言いたいことはわかるけどな、これは芸術じゃないの。クライアント存在するデザイン業なの。わかる?わかるよね。それが仕事だもんね。

ってことでさ、デザイナが独りよがりで作ったってどうにもならないよね。

ホントはさ、リリースする前に一般人客観的感覚で、アウトプットを精査すべきだったんじゃないかな?一般人から「これパクリじゃね?」とか「これ○○に似てるよね?」とか意見が出るの目に見えてたよね。それってまずいよね。

そういう精査をしなかったじゃん?だから叩かれてるの。クライアント感覚置き去りでデザインが世に出ちゃったからさ。

え?「クライアントは国であって、国民の事は知るか」って?それは横暴だよ。国家イベントであるオリンピックロゴ制作だよ?一生名前が残るよ?すごい大仕事だよ?それはすごーーーく丁寧にやらないとダメじゃない?

ホントはさ、国民佐野さんに唯一無二でズバッとした有無を言わさぬデザインを生み出して欲しかったんだよ。たぶん。

ここにほかの人を引き合いに出すのは良くないとは思うけどさ、岡本太郎とかすごいじゃん。唯一無二感半端無いよね。きっと国民はそういう仕事を期待してたのだと思うよ。きっとね。


国民は横暴な批判をしているし、デザイナは独りよがり擁護をしている

みんな頭を冷やせ!冷静になれ!

お前たちの戦う相手はそいつじゃない!


真の敵は?

ここまで燃えたんだから、みんな悪者が欲しいに決まってる。あいつが悪いって言いたいんだろ?

ってことでとっておきの敵を提供してやる。それは広告代理店だ。

そもそもロゴなんてものシンボルだ。そいつをみたら「あぁ東京オリンピックだな」と思えるものシンボルだ。

からな、乱暴な言い方をするとデザインなんてどうでもいいんだよ!要は決めるプロセス重要なんだよ!

適当ストーリー適当理念演出で、B層共が適当に納得するように仕向けるプロセス重要なんだよ!

そういうのはな、広告代理店仕事なの!

電通だか博報堂だか知らないけど、ちゃんと仕事しろネゴシエーションしろCM打て!適当民放で「2020年東京五輪 期待!開催までの道のり ~本邦初公開ロゴ誕生秘話~」とか言うタイトルでそれっぽい薄っぺらストーリーテレビ番組作っとけ!

広告代理店が無理なら国が仕事しろもっと上手くやれ!旗振り役が不在なんだよ!

基本的オリンピックってのは成功することが前提で出来てるから成功しても成功したことに対する利益が得られねえんだよ!モチベーションが高まらないんだよ!

からちゃんとした旗振り役を用意しろよ!

・・・

用意してください。

用意してください!お願いします。

割と東京オリンピックで古いインフラリニューアルして、更に東京は住み良い街になると信じてます。なので成功させてくださいお願いします。

2015-09-06

パクリが、デザイナー仕事ではありません。,

魚拓用。1時間後に消す

http://www.amazon.co.jp/review/R33VQYXB3J6P7P/ref=cm_cr_rdp_perm?ie=UTF8&ASIN=4838725833

ネットで叩かれているようですが、事態はもっと深刻だとおもいます

何より、「グラフィックデザイン」という仕事自体への信頼を落とした罪は、とてつもなく大きいと思います

擁護していた人間が、信じられない。「仕事」あってのデザイナーです。「彼はいい人」?ふざけるな、です。

真の人柄とは、「デザイン仕事」にこそ、出るものなはず、です。

全てのデザイナーが、こんなパクリ、というか、「雑な仕事」をしているわけではありません。

精一杯、ギリギリの低予算と日夜の仕事の上にちょびっとだけ花が咲くような「地味」な仕事です。

この「パクリ」は、むしろ佐野研二郎」さん、「森本千絵」さん、「長嶋りかこ」さんら、

大手代理店の実質・専属デザイナーからこそ、必然的に起こりえました。(まだまだ他にもいますよ)

一連のパクリは、「氷山の一角」に過ぎないのです。

 彼等は、零細のフリーランスや個人のデザイナーと違って、大手広告代理店電通博報堂とのパイプがあるため、黙ってても、とんでもない「大きな仕事」が降ってきますサントリー資生堂TOYOTAHONDA…そんな大企業デンパクにしかできませんからね。

 それをチャチャっと、イメージソースを見つけ出し、Macでコピー&ペースト。下っ端のほぼアルバイトに近い低賃金アシスタントに、徹夜でとてつもない量の「アイデア」を出させ、その「手柄」を横領ます

横領」と「電通博報堂多摩美ムサビ」を中心とする「これがオシャレなんだぜ」という「自己顕示」が、彼等のいう「クリエイティブ」の正体です。

これを私は「クリエイティヴヤクザ連合」と呼んでおります

彼等に創造性は一ミクロンもありません。「芸能人」に好かれているから、成り立っていただけです。

「ま、素人だしな、センスねえ・一般人なら、わかんねーだろ。」これが、彼等のいう「デザイナー感覚」なのでしょうか?

違います。真のデザイン感覚とは、「一般の人」にこそ、パッと「見るだけでわかるもの」だと私は思います

ちょっと心あるデザイナーたちは、みなこの人たちの「センス」の源泉・ソース元が「パクリであることにとっくに気付いていました。ただ、一般の人の目と耳に届かなかっただけなのです。

圧倒的なお金大人の事情があったからです。

彼等は「デザイナー」というより、「中間搾取業者」さんという方が適切なのです。

その一部始終の技術は、この本の「余白」にも書かれています

 

 デザインに、本当はプロもアマもありません。だからこそ、デザインは過酷な仕事なんです。

 かえって、「素人」だからこそ、曇りのない目だからこそ、デザインの本当の良さがわかるし、ウソもバレるのです。

 国民の祭典であるオリンピック」に、あん葬式か、安っぽいブランドロゴのようなデザインを出してくるセンス

 それに疑いもしないセンス。これが「プロデザイナー仕事」なのですかね?

 こんな「雑な仕事」が、止まることなく、まかり通ったのも、彼等を批判することが「タブー」だったからです。テレビ新聞ラジオという「メディア」の一番の資金である広告」を「美しく」作る方(パクリですけど…)なのですから

 まるで、一連の騒動も、「頭の悪いネット民」の批判から、などと、彼等側の人間は、主張するでしょう。

 

いえ、今回ばかりは、発見したのはネットの方々かもしれませんが、日夜真面目に働く「デザイナーたち」こそ、一番の被害者です。

こんなズサンな人々と一緒にされたくない、とほとんどの方は主張するでしょう。そして、デザイナーこそ、こういう愚劣なクソデザイナーに怒りを感じるはずです。

 和田誠さん、田中一光さん、亀倉雄策さん、横尾忠則さん等、デザイナースターだった時代は、手と情熱とで、素晴らしく美しいデザインをつくっていました。いちいち鉛筆で線を引き、イラストレーターと一緒にアイデアを考えていました。

 デザイナーという仕事は「広告屋」「看板屋」などと低く見られ、軽蔑されていました。

 その逆境からの立ち上がりにこそ、創造性があったのです。

 オリジナルの発想だから日本デザインは優れていたのです。

 パクリデザイナーたちよ、恥を知れ!!恥を!

 何が「ミスターデザイン」じゃ!!その「ネーミング」の恥ずかしさに、言葉も出ません。

 普通、「自分会社」に、そんな恥ずかしい名前つけますか?

 最高に笑えないギャグですよ。口に出してみて下さい。「ミスターデザイン」?。

 オレは偉いんだぜ、ってことでしょ。自己顕示欲の塊なんですよ。ちょっと心あるデザイナーなら、誰でも気付いていたことです。

 

 これを機に、「デザイン」という仕事から、足を洗って頂ければ、幸いです。

後記:多くの方に反響を頂きまして嬉しいです。

少なくとも、サントリーパクリの件は、専門学生の1・2年レベル課題でも今時するか?という初歩的な「画像のまんまパクリ」です。フリー素材か、写真を取ればよかっただけのことです。

デザイナーとして、本当に、ありえないレベルミスです。こんな仕事の仕方は、佐野研二郎氏の事務所だけでしょう、と信じたい…。

しかし、それでもまだ擁護する「デザイン村」の人達にはつくづく情けない…。

理研の小保方氏、音楽クラシック村の佐村河内ホントーに、まったく同じ構図じゃないですか!

デザイナーたちも、仕事に響くので、黙っている方がほとんどだと思いますが、勇気を出して、声を上げて下さい。

グラフィックデザイン」を根幹から揺るがす出来事ですよ。

電通博報堂から箝口令のお達しでもあるのでしょうか?

呆れるほどボロボロとずさんな情報が出てきてしまいます。「思考クリア化」しすぎた結果だと思います

この本を読んで、「そもそものデザインのやり方」への「違和感」を感じて、すぐに某本屋へ、売りましたが、まさかあのときに感じた違和感が、これほどまでに実現化されるとは思いませんでした。

でも、いかに佐野氏が、「手抜き体質」かが、出ていると思いますよ。

なんと…驚愕事実が発覚しました(2015年8月30日)。「ペンギンブックス」という、日本人には馴染みが薄いですが、

有名なペーパーブックのシリーズの名タイポデザイナーヤン・チヒョルト」のパクリであることが発覚しました。

私も、GGGでの展示に行って、感銘を受けました。本当に許せない。チヒョルトは、ハッキリ言って、

作風は地味です。しかし、心に残るデザインをする私も心から敬愛する、「巨匠」です。

しかし、そのチヒョルトの「表面」のデザイン部分だけをペーストして、パクる姿勢

本当に許せません。

しかも、チヒョルトは「本の世界」のデザイナーですよ?

スポーツ世界」のヤツラにならば、わからないだろう、という魂胆でもあったのでしょうか?

本当にふざけてる。デザイナーとしても、最低です。許せません。

コメントに追記)>>広告代理店デザイナー仕事プレゼンが主なので細部まで検討して作りに作り込んだファイナルプロダクツ作成することはありません。ファイナルプロダクツ下請け専門家に任せます。だから”これとこれをくっつけて~”みたいに30%ぐらいの力で仕事を仕上げるのが”デザインする”ことだと思っちゃってるデザイナーになってしまうんです。しか代理店にいたというプライドだけは高いから、始末に負えない。

そうなんですよ。彼等のいう「クリエイティブ」は、日本語訳の「創造すること」や「発想すること」じゃないんですよ。

ズバリ、「自己顕示」なんですよ。

いかにして、「自慢するか」なんですよ。

で、CMの世界では相手のクライアントが、「企業」ですから、世に漏れなかった。会議室の中だけでの世界でした。

しかし、「オリンピック」という晴れの世界で、「Mr.デザイン」こと「佐野研二郎氏」は同じように、惰性でやってしまった。彼にとっては、こういう仕事の仕方が、「普通」なんです。

もちろん、考える力も発想のノウハウも、強さもないから、最終的な「アウトプット」は「何かに似せる形」になります。何かに似せる、しか雰囲気だけ…ぐらいなら、いいんです。

「何かに似せる努力」すらやめて、「そもそも画像をそのままネットからパクっていいじゃん!」

フォトグラファーを使う」「イラストレーター絵描き)を使う」「タレントを使う」のにも、何をするにも、

「何かを作る」には、お金がかかります

「パン一個」買うにも、お金がかかります

それを解消するには、タダで「アウトプット」を創り出すには、いくつかのアイデアがあります

しかし、最も単純明解に、クリアに、ボールドに、全ての制作費が浮く方法があります

一番安く、早く、タダで済ませられる唯一のデザイン

一体なんでしょう。

それは「搾取」です(「パクリ」という言葉は、何となく、「万引き」に似た甘やかしの言葉だと思います。そんなレベルではないですよ、コレは。明らかに「システム」として、「自分仕事」として、やっています。でなければ、こんなに出てくるはずはないです。)。

デザイナーたるもの、誰でも一度は、パクることはあります学生時代に、一からオリジナルを創り出せる人間など、いないし、天才でもムリでしょう。「習作の時代」はあります

しかし、今回は、まったく事態が違います

自分の周りへのヒト・カネ」がメインであって、「モノ」(仕事)は、どうでもいいのです。軽蔑された結果なのだと思います

はっきりと、誰かの作ったものを「奪って、人に提出する仕事」に甘んじてたのだと思います原宿事務所Macintoshの中では、イラストレーターが書いたパンも、誰かのブログのパンも、「一緒」です。

ならば、タダな方がいい。

とすら、考える頭もよぎりません。

まったく自然に「ミスターデザイン」は、搾取します無限仕事がつくれ、永久にカネが入ってくる仕組み…。

思考は確かに「クリア」かもしれませんが、その精神は「ドロドロ」です。

クリエイティヴディレクターアートディレクターという「肩書き」は、「搾取指示人」なのでしょうか。

「クソ・デザイナー」というカテゴライズで、はっきりと「普通デザイナー」とは一線を画す社会にしたいものです。

まさに、「デザイン仕事」によって。

全てのデザイナーこそ、今こそ怒りを上げるべきです。

2015年9月1日、ついに、ようやく、取り下げました。が、凄まじいシロモノの反省文を掲示しました。

ここまで「ひどい謝り方」をできる人間が、いたでしょうか。

帰って来た返事は、「被害者」気取り、でした。

「私は純粋で、クリエイティヴ人間アピールでした。

やはり、闇は深い、と確信するばかりです。

もうこれは確実に、しれっとして、またヒョロっと、5年後、五輪のバックで「名前の出ない形」で関わってきますよ。1000%。

絶対に、です。「今を乗りきれば、大丈夫」と思っているはずです。

もちろん、いわれのない誹謗中傷もあるでしょう。それはお察しします

しかし、博報堂の「営業」の人間は、そういうことで強くなるんですよ。何にも言われないのは、クーラーの効いた部屋で、パソコンと戯れるクソデザイナーだけなのです。

今まで、あまりに「無菌状態」だったでしょうからね。

自分の大好きなお仲間たちと、カネをバンバン出してくれるクライアントと、ドラゴンボールドラえもんを使われても、何も言えないそっちのヒトたちの複雑な気持ちアニメーター漫画家アーティストイラストレーターを、笑顔でほがらかに踏みにじってきたわけですからね。アートディレクターって、一体何なのでしょう。

博報堂では、こんなに「謝る」ということは「罪悪」なのでしょうか。

卑怯なのは、「テキスト」ではなく「画像」で謝るということも、そうなんですが、

リュウミン」を使って、この際も「キレイに、クリエイティヴに、素敵なタイポグラフィ」で謝ろうとするクソみたいなデザイン根性です。

ニッポンは、世界中から尊敬されている映画監督出身国だった。お忘れなく。」のあの「ドヤ感」の「薄汚さ」が、本当に蘇ってきました。その「キタナさ」が何一つ変わっていない、どのメッセージでも。

これが、逆にいえば、彼のデザイナーとしての唯一の「統一性」なのかもしれません。

ただ、「ドヤ感満載」のデザイナーだと、仕事になりません。本来ならば…。

こういう場合、「真摯デザイナー」は、実は、普通の、どこにでもある「そっけない」明朝体を使います

リュウミンだと、あまりに「美しい書体」すぎて、ほぼ「ウソっぽく」聞こえるからです。

そんな「文字への美的感覚」すらないんでしょうね。表面的に、「キレイ」なら、何でもいい。佐野研二郎

そもそも本当にデザインを学んできたのでしょうか?疑わしくなってきました…。

皆様が5年後忘れていても、私は「佐野研二郎」という、愚劣な「デザイナー」という肩書きをした「搾取者」の名前永遠に忘れません。

今は、「炎上」し、「祭り」状態かもしれません。

しかし、私は、もっともっと持続的に追求していかなければならない問題だと思います

この多くの批判が消え、静寂になり、命を吹き返した頃に、

また愚劣な身内自慢とともに、高らかな搾取とクソデザインオンパレードが、そっと始まる(reborn)ように思います

絶対に許してはなりません。本当に。

2015-09-02

Tumblr疲れた元増田です。

http://anond.hatelabo.jp/20150902120750

http://anond.hatelabo.jp/20150902160738

トラバありがとう(ブクマくれた方も)。二次創作っていうだけで原作集客力の恩恵を受けているから、それを自分の実力と勘違いしないようにしたいですね。


少し話は変わるけど、先日コミティアに行った。同人誌自体は今まで結構買っていたけど即売会に参加することは初めてで、間違えてコミックシティ一般参加の大群の中で30分ほど並んだ。その後正しいコミティアの会場に辿り着いたら、あまりにも人口密度が違ってびっくりした。ディズニーランドとしまえんくらいの差はあった。あと、人気サークルって大行列ができてすぐ完売するイメージを持ってたんだけど、コミティアだと超うまい人でも午後まで頒布していて、列ができてもせいぜい5人くらいなんだよね。(あくまでも初参加の自分の見た限りだから、違う場合もあるのかもしれないけど)


そんな部分を見て、元記事で書いた虚しさを強く感じるようになった。あと、いつも投稿作品名タグをつけるんだけど、適当に描いたジャンルAではそれを検索して来た人が広めてくれて何十リアクションも行くのに、ジャンルB(21世紀以降も存続しているものの元作品自体オワコンと化している)では0リアクションということが普通にあって、「もう自分画力関係なくね」とか思ったり。実際タンブラー見る人は描き手には興味なくて自分の好きなキャラの絵が見たいだけなのでしょうがないけどね。

なんでこんな気持ちになってしまうんだろう?キャラクターが大好きだから描いているはずなのに…マイナーキャラからどうせ伸びないと思って反応とか気にしてなかったはずなのに、そもそも画力的に最初からリアクションなんて期待してないのに、いつのまにか自分ネット上で見られることばかり考えている。


あっイベント自体は凄く楽しかったです。目当ての漫画も手に入ったし美しいイラストの本も大量に手に入って、本当に幸せでした。

なんというか、自分の中に蓄積したものを一からアウトプットして作品にするって凄くいいと思った。


自分二次だけに偏向せずオリジナルやったりしてみようかな…

というか反応からしばらく離れる時間を作ろう

2015-09-01

佐野氏のこと

都内で細々と自営のデザイン屋をやっております。今回のエンブレム騒動もここにきて(とりあえず)一つの区切りがついたようなので、この一連の出来事において個人的に感じたことなどを忘備録も兼ねて書き留めておきます

まず、佐野研二郎という人物についてですが、今回の騒動でまぁ国民に広く知れ渡るほどの知名度を得ましたけど、デザイン業界においてはスーパースター的な知名度が元からありました。まぁサッカーの日本代表スタメンに入るようなイメージですかね。ちなみに僕はJ2にも入れないぐらいですね。サッカー観ないからよく知らないけど。まぁ所詮業界内だけのことを国民的なスポーツに置き換えるのもアレなんですけど。

で、そんな彼がこんな形で騒がれ始めて、まるで自分自分のやってる仕事に対していちゃもんつけられてるような気になって一人で勝手に心を痛めていたわけです。しばらくは。

今回のエンブレムが発表されて最初に感じた個人的感想は「これはちょっとやばいぞ」でした。何がやばいかというと、一般ウケしないのは一目瞭然だったんですよ。まぁ皆さんがダサい理由としてあれこれ上げてらっしゃることと同じ理由で。でも選ばれた理由幾何学的な要素だけで構成された、今後の展開やブランディング視野に入れてのことなんだなというのは初見でなんとなくわかりました。

とはいえですよねぇ。今回のオリンピックボランティアユニフォームはダッセーって騒ぎになったしスタジアムはまぁあんなゴタゴタですし。もっとかのぼるとAKB開会式に出すんじゃねーの?やめてよね!みたいな機運もあったり。もっとかのぼると、そもそも毎回オリンピックやるたびに選手団ユニフォームダサいって槍玉に挙げられてるし。もう国民感情ちょっとでも変なもん出したらただじゃすまねーよって空気が既に醸成されてたわけですよ。

そんななかあのエンブレムでしょ。「こりゃやばいぞ」と思うわけです。

でも正直ここまで大ごとになるとは思ってなくて、なんだかんだいって世間も落ち着いて、そのうちあのエンブレムがいろんな使われ方をして面白い展開がされていくなかで、徐々に世間から受け入れられていくんだろうなと楽観してたんですよね。

ダサいかダサくないかは正直これからの使われ方次第、というのが僕のデザイナーとしての見方でした。

そこにきてあのベルギー劇場ね。パクりかパクりじゃないかというと、個人的見解としてはパクりじゃないですねアレは。

ただ、あのとき記者会見で完全な悪手を打ったのは間違いないです。どういうことかというと、デザインプロセス素人にもわかるように説明しなかったからですね。

例えを出すと、アルファベットの「E」とカタカナの「ヨ」、ひっくり返ってるだけですごく似てますよね。でもこれらはまったく違う文化文脈プロセスを経てたまたまアウトプットが似てしまっただけなのはわざわざ説明するまでも無いんだけど、これぐらい明確に多くの人が納得出来るアウトプットまでのプロセスを開示してくれれば良かったんです。(ダサいダサくないは別な議論として)

ちなみにこの辺りではまだ僕は100%佐野さん擁護立場でした。

そのあとトートバッグの件とかあれこれパクりだなんだと掘り返されてく騒動を見てて、明らかにいちゃもんだろってのも多かったんですけど、こりゃ完全に黒だわってのもボンボン出てきて。ほんと正直な話をしちゃうと、程度の差はあれネットから無断で画像拝借して勝手に使っちゃうって経験ほとんどのデザイナーにあると思うんですよ。

からトートバッグの頃まではもちろん悪いことだけど同情も禁じ得ないみたいなね。下のデザイナー勝手にやっちゃったんだろうなーと。だからこの辺までは個々の問題は切り分けて議論すべきという立場で、まだ擁護派でした。

でもそのあとさすがに出てきすぎだよね。僕ぐらい小さな仕事しかしてないデザイナーでも人の目に触れるような仕事では他人の素材を勝手に使うのは怖くて出来ないのによくやるなーと。お客さんによっては「予算いから素材購入はそっち持ちで。撮影?無理無理www」みたいなのとか「ネット画像適当に使っちゃってよ、どうせバレないっしょwww」なんてケースもけっこうあります。やんないけど。でもあれほどのビッグクライアントがそんな予算渋るとは思えないしね。あり得ないよね。

で、佐野氏を結構擁護してた僕なんですけど原案を見て「もうダメだわ」となりました。

だって当初発表していたデザインコンセプト自体が後付けだったってことがはっきりしちゃったので。亀倉さんへのオマージュなんてどこにも無いじゃん!みたいな。あー、どうりで最初の会見でプロセスをはっきり説明出来なかったんだなーと。この時点でもう擁護するのが面倒になりました。心ももう痛まないです。

まぁ結果的に取り下げになったのは佐野氏にとっても委員会にとっても国民にとっても良かったんじゃないかなと思います。というか空港画像の件、取り下げる理由を探してた委員会としてはとても良い言い訳が見つかってホッとしてるんじゃないかなと。

話がまとまってないけど、あのネットで話題になった扇のエンブレムね。あれを汚いって中島英樹氏は言ったけど、あれはデザインが悪いという意味とはちょっと違いますね。多分だけど。あれはあの丸のレイアウト幾何学的な法則性がなくて、なんとなく配置してるだけなんですよ。だから揃うべきところが揃ってない。あと配色もなんとなくで決めてるのがわかりますしね。その点佐野氏のデザインは円と正方形のみでちゃん計算されたエンブレムなので、そういう意味での完成度は明らかに違います。(ダサいダサくないは別な議論として)

最後に「デザインわからん素人は黙ってろ」というこっち側人間に多く見られた反応ですけど、あれは呪詛ですよ。絶対にやってはいけない。

僕もネットの心無い書き込みを見て「素人がなんも知らんくせに」という感情が何度も湧き上がったのは正直に告白します。でもそれを言ったらもう終わりなんですよね。わからんやつは黙ってろじゃなくて、わからせるためにこっちは何が出来るか、わかってもらうための努力まで込みで考えてものを作るのがデザイナーアートディレクター仕事だと思うんです。

から出産直前で佐野擁護発言をした森本氏がこれから新しい命が誕生する前になんでこんな呪詛を振りまくんだろうと不思議で仕方なかったです。あれなんて典型的な「素人黙れ」発言だったので。

普段まり文章を書く習慣の無い人間ありがちな、非常にまとまりのない文章すみませんでした。

でもデザイン業界側の人間で僕みたいな捉え方してる人ってわりと多いんじゃないか勝手に思ってるので、多少そんな人たちの代弁ができたんだとしたらいいなと思ってます

おまけ:マスコミは全部ネットの後追いしてるだけで、彼ら仕事してないよね。

アウトプットが残る職業は不利

になったね。佐野さんの件でそう思った。

気に入らない相手がいれば、そいつ過去の実績を調べ上げればほこりを見つけることが出来るもんね。

とくに調査ネットだけで完結できるデザイナー系は不利だね。

はてなに多いエンジニアなんかはアウトプットしたものが表にはでてこないから有利だよね。

なにか一つバレても過去のものを調べることは一般人には無理だからね。

逆に言うと、嫌われてはいるけれど

アウトプットがたくさんある割には大きな炎上過去ほこりを掘り起こされない人って

比較的身綺麗なのかなと思ったり。高知の人とかさ。

岡田斗司夫愛人になった彼女とならなかった私」を読んだ

http://papuriko.hatenablog.com/entry/2015/08/31/173033

読んだ。ちょうど最近読んだ本と関係ある話だったのでこの機会に紹介しておく。紹介したいのは「岡田斗司夫愛人になった彼女とならなかった私」だ。

良い意味タイトル詐欺だった。岡田斗司夫関係の話はこの本のメインではない。それよりもかなりまじめに社会学チックな話をしてる。そもそも岡田斗司夫界隈に関わろうとする時点ですごいバカか逆に非常に意識の高いというか貪欲な人間なのだろうと思っていたがどうやら後者のようだ。単に岡田斗司夫事件レポートすることを目的としているというよりは、このチャンスを利用して最大限己をアウトプットしようという気概を感じる。岡田斗司夫女性一方的搾取たかのように感じるひともいるだろうが、どうもしっくりコなかった。それよりも、岡田斗司夫んに群がった女も、一方的にくわれるだけではない、あわよくば彼を逆に食い物にしてやろう、転んでもただでは起きないぞ、というしたたかさを持った人間揃いでないか、という可能性は念頭においても良いと思われる。

さて本書で問題となっているのは、主に男性の、異性に対するコミュニケーション能力経験の衰えと、それに反比例するかのように膨れ上がる恋愛に対する欲求だ。恋愛ベタになっているのに、恋愛に過大な期待を抱くようになっていき、ギャップがどんどん大きくなっているらしい。現代が男の性的欲求を満たすためにあまりに高度に発達しすぎたせいで、男たちは現実女性恋愛するコストリスク負担する合理性を見いだせず、それでいてバーチャルでいろんな刷り込みをしているか現実への恋愛に強いあこがれを持ってしまう。コストリスクをかけず、ときメモのように自分を鍛えることもせず、それでいてバーチャル世界のようなめくるめく恋愛体験性的体験を求めるというモンスターゾロゾロまれてきている、と。分析だけにとどまっているのが学生っぽいなという印象はあるが、なかなか読ませるつくりになっている。

本書は男性を中心に話を展開しているがこれは女性にも当てはまる話であろう。男女問わず二次元にはまるオタクや、アイドル貢ぐブームは地続きなのかもしれない。個人的には艦これやら、とうらぶにはまってる人たちについてさすがに気持ち悪すぎると感じていて、そのあたりもわかるかと思ったがこの本を読む限りここでの話とはちょっと違うようだ。オタクの話は部外者には本当に難しい。

また、どちらかというと本書はマクロな話よりも、ミクロ世界としてサークルクラッシャーやオタサーの姫などに関する分析に力を入れており、この部分が面白いのでぜひ読んでみて欲しい。

2015-08-31

[]よくある質問

今回は受け関連。

真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。

Q.ドラマであからさまなBGMを流したり、コメディとかで笑い声を入れたりすることで、視聴者誘導するやり方は陳腐だと思います

作り手の意図メタ的に読み込む観方は、間違ってはいないが本質を見失うぞ。

もう少し別の視点で観てみよう。

物語の何で笑い、どこで泣くか、仮に正解があるとすればそれを決めるのは作り手だろう。

みんながみんな、生まれからすぐに物語受け手として自己確立しているわけじゃない。

そういう人たちに物語を感じてもらう場合、それを導いてくれるものがあればありがたい側面もあるんじゃないかな。

そういう意図をもろもろに、「演出」というんだと私は解釈している。

受け手として成長し、舌が肥えた君のような客には粗末に映るかもしれないが。

だってそういうもの受け手として成長させられてきただろう。

そもそも、受け手評価というのは普遍的ではない。

世界話題になった名作が、過剰な売り込みでウザがられたり、作品のものは変わらないのに印象は変わる。

同じ受け手でもね。

やはり環境というもの大事だ。

一緒に笑ったり泣いたりする観客が近くにいれば、自分安心して笑ったり泣いたりできる。

周りの人たちはどんな感想を? あの評論家はどんな批評を?

そういうのが気になったりした経験はあるだろう。

そして、周りの影響を一切受けずに作品享受できる自信が本当にあるのかい

善悪の話をしているわけじゃあない。

皆が皆、受け手として確固たる自己確立できるわけではないのだよ。

番組だってそうだ。スタジオに観客がいる撮影方法がいまだ健在なのはそのためさ。

それら演出がなくなるときがあるとすれば、全ての人間がそれぞれ受け手として自己確立することを要求されるときだろうね。

まあ、もちろんそういう演出ゴリ押しが酷くて、台無しになることもあるだろう。

よってそういう「演出」は有益ではあるだろうけれど、不公平でもあるわけだ。

それらの選別は私が決めることじゃあないがね。

Q.「バケモノの子」のウィークポイントととして、心情や行動をほとんどセリフにするのがよく挙げられますが、何が問題か詳しくない僕に教えてください。

物語メタから見たとき登場人物たちの行動には何らかの意味がないといけない。

もしそれらが他の演出描写で分かるのなら、それを登場人物が喋るのは蛇足になるのさ。

もちろん受け手によって蛇足かどうかは異なる。

学ぶべき教訓はこうだ。

蛇足と駄作は紙一重」

一応擁護しておくが、言語化してそれをアウトプットするということ自体はとても大事なことだ。

細田守氏の作品以外だと、クリストファー・ノーラン作の「インターステラー」が最近映画の中ではいい例かな。

ウルフに再会できるかもしれない。その小さな可能性が私をかき立てる」とかを筆頭に、登場人物が心情描写を正確に語りすぎていて逆に笑ってしまうかもしれないな。

クリストファー・ノーランは、こういう心情描写登場人物に細かく語らせたがる癖がある。

そこに着目しながら、彼の他の映像作品も色々と観てみることをオススメするよ。

Q.いい映画評論家を見分ける方法はありますか。

良作と駄作両方を評論していて、かつ良作判定にした作品評論文がいかに巧みかだ。

私がいうのもなんだが、駄作がなぜダメかを説明することは、良作で何が良いかを説明することより遥かに簡単だからな。

駄作の評論ダメな要素の共通イメージを持ちやすいため、後はそれを如何に面白ディスるかに注力できる。

それ自体は、そういうものを期待している読み手もいるわけだから構わない。

だが、そうやって面白い駄作の評論を書いている人が、いざ良作判定のもの評論すると、途端に稚拙になるというケースは非常に多い。

なので、私は良作の評論も巧みな人こそ「いい映画評論家」だと思うね。

良いものを良い、悪いものを悪いと言うだけで評論が成立するなら一般人が各々でやればいいのであって、評論家なんていらないのだから

一応、釘を刺しておくが、映画評論家はもちろん映画を観ているが、読み手の君だって観る(観た)こと前提で語っているからな。

私の言った意味は、クリスファー・ノーラン作品みたく正確に語らなくても分かるよな?

まあ、もし君が他人評価作品への印象がコロコロ変わったり、シンパシーの合う評論だけを読んで喜々する人間でなければ、の話だが。

……おっと、仮にそうだとしても責めているわけではないからな。

大多数は、外から何らかの影響を受けている。

市民ケーン」が放映当時は酷いバッシングを受けていたというのは有名だな。

是非はともかく、モノの価値は時に環境が大きく起因するのさ。

私としては評論もまた「コンテンツの楽しみ方の一環」だと考えているが、それで個人が本質を見失うようなら勿体無いとは思うよ。

大事なのは、個の価値観権威なんて持たせないよう各々が努めることなんじゃないかな。

2015-08-22

真のリーダーとはなんなのか

任天堂岩田聡氏が亡くなったことを聞き、とある男性のことを思い出した。

初めて出会ったのは、とある武道クラブ小学校低学年の頃だ。

明るく朗らかで、でも平凡な子供だった気がする。

顔を合わせるのは週に一度だけ。

私は、そのクラブをやめたり、もう一度再開したりを繰り返し、彼もまたそんな感じで、終わったらササッと帰っていたので、それほど多くの言葉は交わしてなかったと思う。

同じ中学になって知ったことだけど、彼は学校勉強が出来るほうだった。

小学校が別であったため、小学校当時の彼の学校での様子はわからないけれど、親経由でオール5をとったという話は聞いたことがある。

私もまた、そういう小学生によくいる、プチ秀才だったので、ふーんという感想しかなかった。

中学での彼も、明るく裏表のなく、私は彼をとても好いていた。

成績は当初、私のほうがよかった。

月並みのように思えた。

普段も、すこし昔の出来事を綺麗さっぱり忘れるし、文系科目は苦手で、記憶力がいいとはとても思えなかった。

でも、時々、ものすごく難しい数学問題(私にはそう思えた)を解いたりして、普通とは違うかのように思える一面はあった。

学年が進んでも、彼は明るく裏表のないナイスガイだった。

でも、私だけは彼の異常性を感じていた。

人間関係における策略性のなさというべき、人に自分をよく見せようとか、他人嫉妬するとか、そういう感情の欠如のような感じ。

決して冷たい人間ではない。

しろ手品とか、芸のような、みんなを笑わせようという行動はよくしていたけれど、本当にみんなを楽しませようとしか考えてない感じがあった。

クラス会などで、話し合っても答えが出そうもないような時はフラリと帰ってしまう、そういうところがあった。

ある日の授業、どういうわけか、自習になり、コンピュータ室でワープロソフトをいじらされた。

内容は覚えていない。流行ってる歌の歌詞入力しなさいと言われてたと思う。

当時ベーマガ愛読していた私は退屈していて、その当時覚えたてのアルゴリズム自分なりに改造して、真っ黒い画面に英単語記号を並べていた。

幾何学模様が順に描かれていき、消えていく、そんな単純なもの

その時となりの席だった彼に、なにをしてるのかと聞かれて、ほとんどそのまま答えた。

「ここが変数の宣言で~」「ここからここまでを何回もループさせて~」

映像として動かしたわけではなくて、当時の中学生からみたら、英語のような文字の羅列があるだけに思う、真っ黒な画面で、私はそんな解説をした。

いま思えば不思議だけど、彼はそれを理解してたように思う。

「へー、イコール記号数学で使うイコール(右と左が同じ)と意味が違うんだねぇ。」

というようなことを彼が言っていたのを憶えてる。

今でも私だけが知ってる彼の秘密。彼自身も忘れてる彼の秘密だ。

同じ高校に進学して、数学物理テストで、彼の才は目立つようになった。

平均点30点代の試験で、1人だけ90点をとってしまったことが彼の名を校内に知らしめた。

その次の、平均点が20点代の試験でも同じ結果となった。

数学教師は、彼に惚れ込み、数学面白さを伝えようとした。

物理教師も、化学教師も同じことをした。

でも、私がみる限り、彼は数学にも物理にも興味はなかったようにみえた。

彼の回答は、数学的ではないところがあった。

前提の元に解かれていて、その解が一般解である確認や他に解が存在しないかの確認がされてなかったりする。

目の前の問題を解決することに、答えに辿りくことに興味があるだけで、普遍法則には興味がないのだと思う。

そのことに気がついた時、彼の人の良さの答えがわかった。

目の前の障害をクリアすることにしか興味が無いから他人を蹴落とそうとか、他人嫉妬するという感情がないのだ。

問題を解決するためのアイディア提案しあう話し合いでは強くても、参加者が気持よく賛成できる落とし所を考えるような話し合いでは帰ってしまうのだ。

彼が私に、彼の彼女に「「わかっちゃいるけどやめられない」と言われ、「それわかってないんじゃん」と笑ったら、怒られた」

愚痴をこぼしたことがある。

私は彼のことが大好きだけど、私が女だったら絶対にこの男とゲットしたいと思うけど、世の中の女の受けは最悪だろうな、と思った。

彼が結婚披露宴に呼ばれたとき、思わず私は彼の結婚相手の女性

「彼の良さがわかる女性がいて、本当に嬉しい。」

褒め言葉なのかけなし言葉なのかわからない言葉をかけた。

後に彼に、「嫁が私にかけられた言葉をとても喜んでいた」と教えてくれた。

自身は、その言葉がなぜ彼女を感動させたかから不思議そうに報告してくれた。

私の友人の話はここまで。

リーダーシップとはなんなのかを考える。

リーダーがバラバラの方向を向いた各メンバーの進行方向を、みんなの意思を、前に向ける仕事であるならば、私の大好きな彼は絶対に向かないと思う。

各セクションのメンツ気持ち考慮して、気持よく「イエス」といえるような空気作り、そんなことは彼に出来ない。

もう中年に足を踏み入れつつある今でも、そんなことが世の中で行われていることすら気付いてない。

岩田聡氏は、私の友人と同じ種類の人間のように思う。

みんなの気持ちを調整して、みんなが気持よくイエスといえるような会議の進行は、会社運営は出来ない。

理詰めで、冷徹に人を切るようなこともしない。

問題本質を見抜き、凡人が、「これしかない、これが最良」と思える答えのその向こうにある、本当の答えに最速でたどり着く。

各セクションの内情など、わからなくても仕事を割り振りできる。

インプットに対するアウトプットさえわかっていれば、自分が知らない分野のスペシャリストだろうと、外部の組織だろうと、使いこなすことができたのだと思う。

人生を、世の中を、Hackするのが楽しかったのだと思う。

目の前に問題があることは、リソースが限られていることは、ある種の人間にとって娯楽だ。

彼らのような人間こそ、リーダーであるべきだと私は思う。

情デ卒の視点>"多摩美統合デザイン学科の学生として思うこと"

多摩美統合デザイン学科の学生として思うこと』という記事に対する考えを述べようと思います

http://anond.hatelabo.jp/20150821111821

エンブレム正当性についてー

・"最初自分があのエンブレムをみたとき直感的にかっこいいと思いました。シックで、いままでのオリンピックエンブレムをは一線を化すような新しいデザイン

新しい東京イメージを担ってくれるような力強いものに感じました。"

・"現状では異端であるもののそれがこれからベーシックになっていくはず"

多摩美統合デザイン学科の学生として思うこと』の筆者は上記の様な内容を、エンブレム批判されるべきではない理由としてあげていますしかし、どれも論理的ではなく、感情論しかありません。

デザインとはある程度の理論存在し、その上にビジュアルの様な表層に見えるかたちを構成するものです(私が学んだことが正しければ)。"直感的"、"シック"、"新しい"、"東京イメージ"といった感覚的な部分を持ち出し、それを理由として扱うのには無理があると考えます

私個人の見解エンブレム評価に価する点を述べるのであれば、ロゴが”展開する”という部分でしょう。文字への展開、ピクトグラムへの展開、映像への展開など、様々なメディアへの仕組みこそがこのエンブレム本質だと思うのです。これらの展開する仕組みの齎す価値は不動のものだと考えます佐野さんの会見でのプレゼンテーションに寄っては、印象が大きく変動したように思えるし、ビジュアルの印象が良くない点が今回多く取り上げられていると思いますが、それはモチーフ曖昧であること、形に込められている意味が表層に現れていないことなどが原因ではないかと推察しています。著名なデザイナーの方や、デザインを学んでいる学生などがこのロゴ批判しないのは、単なる擁護ではなく、ロゴの仕組みを推察し価値見出しての意見だと考えておりますが、もちろん一般にその仕組みをプレゼンテーションすることや、ビジュアルに仕組みを表すこともデザイナー仕事であると思っております。その点は佐野さんの今回の会見は残念で致し方ありません。

筆者はデザイン感覚のみで捉えているような意見しか述べていなかったので、理屈的な部分を理解していないのだと考えています。表層的な部分を見て判断するのであればデザインを学んでいる学生としての視点にすら及ばないと思われます

情報デザイン学科が失敗であるという意見

現在確認したところ記載内容を削除されておりましたが、"情報デザイン学科は、先端技術を用いて新しい可能性を模索することに力を注いできたが、”ただ新しいことをする”学科に陥っている。卒業制作展を見に行ったが、アニメーションクオリティーは低いし、キネクト使ってることがすごいというアピールをしているかの様で気持ち悪かった"

というのが大まかな筆者の内容です。

筆者は、”なにかから影響を受け、文脈形成されていくことを「パクリ」の一言否定しないでください。”とも仰っています

情報デザイン学科卒業制作展に赴き、感覚的に得た情報クオリティーが低い、気持ち悪い)を持ち出し学科自体批判していることは、ロゴパクリだと批判している意見と違いはないように思えるのです。

根本的に考れば、"学科が失敗"することの定義曖昧であり、失敗ではない例とはどのような存在かを述べていませんし、統合デザイン学科の"ベーシック"を学ぶこと()成功したという実績が存在するのでしょうか?対として情デが"新しいことをするだけの学科であるとすれば、統合は"ベーシックしかしない"ということになりますし、発言軽率であることは確実です(削除されたので自覚したとして捉えていますが)。この意見ロゴ批判と違うと思うのであれば、もう少し理屈で語っていただきたいと考えました。

最後

デザイン感覚がすべてではありません。機能意図的に含めた様々なアウトプットデザインです。それを学んだのが情報デザイン学科でした。

今回取り上げさせて頂いた記事があまりにも破綻しているように思えたので、書かせていただいた次第です。

長々と書きたくなかったのですが、文才のない私にはこれが限度でした....。

乱文ではありますが以上が私個人的意見です。ありがとうございました。

追記

とのことでしたが、情報源はどちらですか?これもまたネット批判の悪い点と同じで、情報源を明示することや自身理屈の元で意見として述べるのであれば良いと思いますが、それが事実かどうか、何故そう思うのか、という所を明確に述べないまま批評するのは、"なんとなくロゴがかっこ悪い"、"多分パクリ"、と言う方々となんら変わりはないと考えています誤情報錯綜するのがインターネットですが、発言する際に少しの考えを載せるだけでも変わるのではないでしょうか。

人が製作した作品に対して、展示を見に行っただけで"クオリティが低い"と述べる方は、本当にその作品クオリティーを見ているとお思いでしょうか。文脈によって形成されるロゴ否定しないで欲しいと本人が述べているにも関わらず、文脈の見えない視点から人の成果物批判をしていては矛盾が生じます。それがデザインを学んでいる方のするべきことでしょうか。ちなみに私は、クオリティ感覚であると述べている訳ではなく、引用元の筆者の述べている内容は感覚的に捉えたクオリティだけであると述べているのです。背景などを読み取らずに捉えたものが"クオリティ"であるかすら疑問ですが、私自身は文脈を含めてのクオリティである認識しています

2015-08-15

社会スターデザイナー必要としている

  

彼のデザインの何が良いのかさっぱりわからないという人たちへ。

  

ひとつ間違えて欲しくないのは、彼は「デザイナー」ではなく「スターデザイナー」というお仕事をしているということ。スターデザイナーデザイン審美的視点で見ても意味はない。

  

広告代理店スターデザイナーがいたほうが仕事を取りやすい。クライアントスターデザイナーがいたほうが依頼をしやすい。若いデザイナーにとってスターデザイナーおこぼれはありがたい。リクルート的にも憧れのスターデザイナーはいて欲しい。安心ブランド、憧れ、そういったものがあったほうが仕事は楽なのだ業界構造的にスターデザイナー必要とされている。それだけではない。

  

業界は盛り上がりが欲しい。社会的にいかに広告デザインは素晴らしい仕事か、存在するに足る職業かをアピールできなくては人やお金は集まらない。ただの人の発言には注目は集まらない。だから嘘でもスター必要になる。アイドルグループセンター必要なように。わかりやすアイコンがあり、それが魅力的ならば人は集まってくる。業界社会的地位のためにもスターデザイナー必要とされている。

  

必要からスターは作られる。スターの実際のアウトプットは本当にすごくなくてもいい。代理店業界紙がそういうことにすればいいのだ。あなたスターの作ったもの首をかしげるのは当然だ。アイドルが幻影でしかないようにスターもまた幻なのだから

  

しかしこれは業界内だけの話ではない。インターネットがこれだけ社会に浸透し、すべての価値が相対化される世の中でも、人はどこかに「絶対的にすごいこと」があって欲しいと希望している。そういう需要に、業界は「すごいこと」に見える幻を作り出して応えているだけなのだ。だから権威をつくり、賞をつくり、賞を与えて、スターをつくる。

  

しか私たちはすでに知っている。相対化された世界では、どこの誰とも知らない誰かが与えた評価意味はない。賞レースは身内の馴れ合いゲームしかない。うんこをしないアイドルはいない。

  

でもね。メジャーがなければマイナーは立たない。メインがなければサブは光らない。王道がなければ邪道もない。身も蓋もないことを言ってはロマンがないのだ。嘘の世界のほうが夢があるのだ。そして夢で膨らんだ幻は金になるのだ。

  

あなたにはスターデザイナーの作ったもの価値はわからない。インターネットの中にいるから。スター価値は相対化してはいけない。

  

彼の仕事評価を声高に問うあなたは、正義を行っているのかもしれない。でもその行いは社会から夢やロマンを剥ぎ取っていくことになる。

2015-08-13

派遣社員を雇うのはやめよう

事務作業の手が足りないからと言って派遣社員安易にとるのはやめたほうがよい。

派遣社員時間単価で働いているので、拘束時間給料になる。

4時間で終えられる仕事があったら、4時間きっちりで終わらせる。

延びてしまって5時間になることはあっても、3時間や2時間と早く仕上げることはまずない。

教えた手順の通り、マニュアル通りに業務をこなして、標準の作業時間仕事を終える。

その点については短期的にはまったく問題はない。

しかし、仕事はこなしていくにつれて学習経験により効率化が図れるもので、

業務プロセス改善管理手法改善でも処理スピードは上がるものだ。

いままで4時間かかっていた仕事が、ちょっとした工夫で2時間で片付くようになる、

データ処理などはちょっとしたツールの開発で作業時間10分の1以下になったり

することもある。

ただ、そうなってしまうと困るのは「決められた仕事」を「決められた時間」で

こなしている派遣社員だ。

彼らは拘束時間給料が決まるし、効率化で人員に余裕ができると契約更新はされない。

効率化で人手不足が解消されるのだから当然と言えば当然のこと。

彼らは新しい手順や業務プロセスができたときは、まずは従う。

しかし、短時間では絶対に終わらせない。なぜか、旧来のプロセスでもう一度行って、

かめるという謎の行動をとる。

また、私語や離席、休憩時間の取り方が増えたりと目に見えて明らかに怠惰になる。

効率がよくなっているにもかかわらずアウトプットは変わらないままというマイナス

結果になる。

そういったモラールの低下は周囲に伝染して、結果として、効率化の甲斐もなく、

人手不足」が解消できなくて、派遣社員必要となる。あとはこの繰り返しだ。

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