彼のデザインの何が良いのかさっぱりわからないという人たちへ。
ひとつ間違えて欲しくないのは、彼は「デザイナー」ではなく「スターデザイナー」というお仕事をしているということ。スターデザイナーのデザインを審美的な視点で見ても意味はない。
広告代理店はスターデザイナーがいたほうが仕事を取りやすい。クライアントもスターデザイナーがいたほうが依頼をしやすい。若いデザイナーにとってスターデザイナーのおこぼれはありがたい。リクルート的にも憧れのスターデザイナーはいて欲しい。安心、ブランド、憧れ、そういったものがあったほうが仕事は楽なのだ。業界の構造的にスターデザイナーは必要とされている。それだけではない。
業界は盛り上がりが欲しい。社会的にいかに広告やデザインは素晴らしい仕事か、存在するに足る職業かをアピールできなくては人やお金は集まらない。ただの人の発言には注目は集まらない。だから嘘でもスターが必要になる。アイドルグループにセンターが必要なように。わかりやすいアイコンがあり、それが魅力的ならば人は集まってくる。業界の社会的地位のためにもスターデザイナーは必要とされている。
必要だからスターは作られる。スターの実際のアウトプットは本当にすごくなくてもいい。代理店や業界紙がそういうことにすればいいのだ。あなたがスターの作ったものに首をかしげるのは当然だ。アイドルが幻影でしかないようにスターもまた幻なのだから。
しかしこれは業界内だけの話ではない。インターネットがこれだけ社会に浸透し、すべての価値が相対化される世の中でも、人はどこかに「絶対的にすごいこと」があって欲しいと希望している。そういう需要に、業界は「すごいこと」に見える幻を作り出して応えているだけなのだ。だから権威をつくり、賞をつくり、賞を与えて、スターをつくる。
しかし私たちはすでに知っている。相対化された世界では、どこの誰とも知らない誰かが与えた評価に意味はない。賞レースは身内の馴れ合いゲームでしかない。うんこをしないアイドルはいない。
でもね。メジャーがなければマイナーは立たない。メインがなければサブは光らない。王道がなければ邪道もない。身も蓋もないことを言ってはロマンがないのだ。嘘の世界のほうが夢があるのだ。そして夢で膨らんだ幻は金になるのだ。
あなたにはスターデザイナーの作ったものの価値はわからない。インターネットの中にいるから。スターの価値は相対化してはいけない。
彼の仕事の評価を声高に問うあなたは、正義を行っているのかもしれない。でもその行いは社会から夢やロマンを剥ぎ取っていくことになる。