ぼくは水耕をしません。
勢によって文書は磨かれる
なんでしょう。ずっと文章を書いていて感じるのは、「一筆書き」で書いた文章が市場面白いんです。
もちろん、そういった文章はところどころ「おかしい」ところもあります。文章がうまく繋がっていなかったり、冗長になってしまっていたり。
でも、その「おかしさ」は、ポジティブに捉えれば「味」とも言えるんです。
言い換えると、遂行してきれいな文章にしようとすればするほど、「味」も薄くなっていきます。
水耕というプロセスを通すと、「違和感のない文章」になってしまうんですね。
説明書ならまだしも、ブログというのは本来アートに属する創作活動です。
小説や詩のようなものです。だからこそ夜でいる人に「違和感」を与えないようなブログは面白く無いんです。
読者はあなたにスピード感を求めているんです。著者の文章を書くスピードというのは、実は読者によく伝わっています。
→断定
よく遂行された文章は美しいですが、読者は同時に「退屈さ」を感じてしまいます。
勢いの中で創作を続けることで、上達するスピードもまた早くなていきます。
→勢い重要
推敲ばっかりしている人はなかなかうまくならないんですよ。
舞台に立つ回数が減りますし、瞬発力も出ませんから。「一筆書き」を世の中に出しまくった人が結局はトップに立ちやすいのです。
→出しまくるぜ
いいんですよ。推敲なんでしなくて。もっと「生」のあなたを見せましょう。
恥をかきましょう。話はそこから始まるんです。
うのk ほれみろうんこですらtypoする俺が遂行せずに書いた文章謎読めるわけ無いだろう
文章をこねくり回さないという意味で、推敲しない、というのは一つのスタイルだと思う。 でも校正(校閲)は別の話。わざとやってるのは判るが、誤字は興ざめ。