2015-10-28

『ただ考える』と、ということは、単独では力を発揮しない。

『ただ考える』と、ということは、単独では力を発揮しない。

「考えよう」と言う言葉は、あまり抽象である

自分で、考えやすいように、アウトプットを行い、更にそれを要約して、整理する。

マクロにも、ミクロにも光を当て直す。

『考えること』は、人間の言動のシステムのうちの一部分であって、単独では、状況を改善するためには、力を発揮しない。

ケース1:もっと良く考えてよ。

社会人で、日本語を使って、いると、

『(相手の立場を)考えてから、物を言いなさい』などと言われる。

この場合英語的には、respectリスペクトだろう。敬意を払うというのか。

相手へ気を遣ってとか、不快な思いをさせないような表現を避けて下さい、という意味だろう

また、結婚をすると、奥さんから旦那さんへ向けて(あるいは、愛人から不倫相手の男性へ向けて)

(あるいはアラサー彼女から彼氏へ向けて)

私たちの将来のこと考えてくれてるの?』などと、言われる。

このケースも、頭脳労働というよりは、感情労働的な側面と決意表明を求めているのであり、

「私の気持ちを気遣って(将来の生活の安定性を見通せる経済的保証を下さいな)」

ということなのであろう。

不安状態なので、安心感が欲しいの、ということだろうか。

ケース2:考えすぎるなよ。

人間関係を始めとして、何が正解か分からないような問題であると、

将来のことなどを心配していると、

『考えすぎだよ』『考えるよりも、行動だよ』

などと、言われる。

人間関係や将来のことなど、やってみなければ、分からないことも、人生には、多い。

仮説を立てることは大切だが、検証をしていない仮説は、ただの絵空事(空想である

客観的事実ではないことをあれこれ、考えても始まらない。

そんな仮説に縛られては、いけない。ABテストでもするつもりで、バンバン動いた方が良いのだろう。

ネガティブになりすぎると、行動力は奪われる。

思い出さなくても良いネガティブ経験を整理する(捨てる・忘れる)のが、良いのだろう。

  

ケース3:考えすぎると、ケース1とケース2との「考える」という言葉意味矛盾に気がつかなくて、ループになる。

確かに、一時的に充分な休息を取って考えないことが、一番の薬だったりする。

落ちついた頭で、考えた方が、良い結果を生み出す。

怒られるのが、怖いので、行動や思考の幅が狭まっている自分状態に気がつくためには、考えるよりも、休むである

その平常心になった状態から、考える。

第二次世界大戦中の日本軍のような状態で幾ら考えても、被害が大きくなり、真の意味で「お国のため」にならないことを選択していたという結果を導いていたりする。他人のことだと冷静に見れるが、自分のことだと、致命的なダメージを受けてからでないと、気がつかないということがある)

  

トコトンまで、やってダメときは諦めるか、別の手段というか、問題設定を誤っていないか、前提条件自体をもう一度、洗い流してみる。

  

長くなったので、今日は、この辺りに。

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん