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はてなキーワード: 次男とは

2022-11-05

さびさに「東京物語」見てるんだけど誰一人悪人はいなくて特に迎える息子も娘もみんな忙しいなりに親をもてなそうとしてて、でも与えられた職責をしっかりこなそうとしてて、でも親もやっぱり期待とは違ってお互いになんか切なくなっちゃうのリアルよね

気持ち的には長女なんよなあ 長女の夫もなんか呑気でいい人だよね

長男は真面目で真面目すぎてなあ でも親の期待に応えてああなったんだろうね

次男が生きてりゃあなあ

 

などと現代の知り合いのように思えて見てしまえるから小津は普遍的ですごい

80年代くらいのドラマとか見てもまったく感情移入できないし倫理観恋愛作法意味不明だしなんなんだ意味わからんと思うのにね

2022-10-29

2022年日本シリーズ第6戦展望

しょうがねえなあ。

俺はロッテファンからセリーグは全く見ていないので、オリックスがどうするかだけ書く。

投手陣は村上理想的に抑えることはできているので、塩見とオスナをどうするのか。

走力がある塩見はともかく、オスナは後ろの打者カウント次第では、全打席申告敬遠でもいいんじゃないかな。

満塁の時だけ渋々勝負する感じで。

打線は組み替えた方がいいと思う。

長打複数出ている紅林や、アウトになっても強い打球を打つことはできている太田を下位にするのはもったいないので、どちらかの打順は上げるべき。

宗は逆シリーズ男になりかけているのでベンチスタートにしてもいい。

ただ、その代わりに三塁を守るであろう西野守備力が不安なら外さず9番に下げて、打撃がいい上に打者としての苦手コースが知られていない山崎福也を8番にしてもいいかもしれない。

こんなこと書いたけど、試合キーマンは宗だと思う。

宗が打てればマシな打線になる。

仮にスタメン落ちするなら代わりに出る選手が打てるかどうか。

ヤクルトキーマンも宗(村上宗隆)。

オリックス投手陣が彼の苦手なアウトコース中心の組み立てをして抑えている中、今までの自分スタイルを捨てて対応されたらオリックスは手も足も出なくなるんじゃないかな。

俺は第8戦が見たいので土日は1勝1敗で終わるように、お互い適度に打ったり打たなかったりしてほしいね

第2戦のように引き分けでもいいよ。

ぶっちゃけ今日は日シリよりも高校野球の方が気になる。

秋の関東大会準決勝で、母校が清原次男がいる塾高と対戦するので、大勢マスコミの前で存分に目立ってほしい。

スタンド応援に来るであろう清原クスリとも笑えない試合展開で勝てるといいね

anond:20221028000708

2022-10-18

anond:20221018105909

平野レミって長男の嫁が上野樹里次男の嫁が和田明日香なんだな

血がつながった子供が七光りで有名人になるってのはよくあるけど

子供の嫁が全員有名人なのはなんか新しい感じするな

カトリックから処女可能性も限りなく高いな anond:20221018104943

30親父が22歳リクスーのファック中田氏!3児をもうける。うらやましー

疑うことを知らない子なんだろうな


立教女学院小学校立教女学院中学校・高等学校を経て、立教大学社会学部入学

高校時代生徒会長を務め、ミス立教にも選ばれた。

大学時代MTV JAPANインターンとして働く。

就職活動を通じて、8歳年上の現在の夫、平野レミ夫妻の次男和田率と知り合い、学生結婚をした。

2022-10-13

なぜ日本では偽物の教会結婚式をするの?と聞かれたら答えられるようにしておこう

外国から言われてみれば奇妙な日本結婚式

アメリカ人友達「偽物の教会で、お葬式の曲が流れる不思議結婚式に出たのよ」「それ、日本標準的結婚式です…」

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1956479

これはつまりブライダル業界結婚式」だが、なんでこうなったのか?。

 

イエから逃避行

今主流のこういう結婚式の始まり1970年代なんだが、その元は60年代にある。

日本のイエ制度明治に出来たようなもんだが(武家を除く)、昭和初期には堅固なものとなり、更に国家天皇がイエに擬製されて人間はそこから逃れる術はほぼ無かった。ゲマインシャフト国家有機体論の合体だ。

戦争に負けるとおせっかい焼きのアメリカ自由の形だけを作って置いていった。国家権力だけは縛ったからあとは勝手に使うがよいと。

それで戦後時代下り生活レベルが向上すると段々と生活人生上の自由が増大化していった。

 

イエというのは家督であり、継げるのは長男一人だけだ。しかしその他の女子次男以下も生き方制限された。

長男は適齢期になると親が勝手に縁談をまとめて「あの家の娘と一緒になれ」。断った場合勘当されて死ねと言われる。

次男以下は中学尋常小学校)を出ると「小僧」の勤め先を親が決めてくるので、そこに入る。小僧っていうのは商家に住込みの店員見習いだ。然程の長時間労働ではないが「仕事」ではなくて24時間主人に仕える事が求められる。全人格労働だ。

こういう風習があったので会社勤めが一般化しても昭和中期まで独身者会社の寮に住込みが基本だった。勿論集団生活で雑居だ。プライバシーかいう事を気にする者はアメリカかぶれの不良である

女子妙齢になるとやはり親が勝手に嫁ぐ先を決める。断るのはアメリカかぶれの不良であるそもそも断ると生きていく術が無い。本人が何とかなっても家族村八分になる。

商家に女版小僧として働くというケースもあった。勿論住込みの全人格労働だ。これも妙齢になると主人が見合い相手を見つけてくるので恋愛期間なく結婚せねばならない。

 

都会と田舎の落差と中島みゆきの『ファイト

戦後まれ団塊世代が成人する60年代末になると都会ではそういう古いイエに縛られない核家族が増え、子供用個室が出来たりもした。

でもそれは都会の話で、田舎の方ではまだ古いイエに縛られたままの人間が多かったのだ。

例えば中島みゆきの『ファイト』は1982年の歌だが、「薄情もんが田舎の町に砂かけんのか、出てくならお前の身内住めんようにしちゃる」と言われて長距離切符燃やそうとしたが出来なかった。東京行の文字が滲んだ切符をまだ持ってる、っていう節がある。

なんでこんなキツイ歌詞を考えつくの…と思うがこれは中島みゆき深夜ラジオに送られて来たリスナーハガキの内容を切り貼りした歌詞なんである

まり1970年代末~1980年代頭にもこういう思いをした人は居たという事だ。

「ファイト」の語感だけで元気を振るう歌だと思っていると衝撃を受ける事と思う。苦難や挫折が生々しいのだ。

 

それで団塊世代は色々な方法田舎因習から逃れようとした。

勉強を頑張って東京大学に進む事が出来るように先生に親を説得してもらう(余計な勉強なんかして更に大学に進もうなんて親不孝のアメリカかぶれの不良である)。

集団就職に参加する。

一度商家に入り、数年奉仕し18or20歳年齢制限クリアして暇を貰い、水商売に入る(増田の親のパターン。単に不良である)。

 

ロマンチックラブイデオロギー

そういう状況だったから古い世間では自由恋愛=不良であった。それは流行恋愛歌に乗せられて人の道を踏み外すアメリカかぶれの不良である

一方、若者からすれば自由恋愛とは誰と恋愛してもいいよという状態の事だけじゃなくて因習から逃れる解放テーゼだ。

人は好きな人と結ばれる権利がある。それを称揚すべきであるロマンチックラブイデオロギーだ。

そういう訳で沢山のフォークソング自由恋愛称揚されるようになった。1960年代には社会への異議申し立てという歌詞が多かったのが、70年代になると安保闘争挫折相俟って現状肯定恋愛称揚などのポジティブ系にシフトしていく。

 

有名なのが吉田拓郎の『結婚しようよ』1972年で、僕の髪が伸びたらチャペル結婚式を挙げよう、というもの

チャペルキリスト教会礼拝場の事なのだが、実際に多く使われるのはミッション大学礼拝場だ。要するに学生結婚したいねという欲求惹起する歌だ。

もう一つ有名で披露宴でも使われるのがチェリッシュの『てんとうむしのサンバ』(1973年)で、夢の国の森の小さな教会結婚式を挙げました、という歌詞

 

こういう曲のヒットにより「小さなキリスト教会での挙式」というのが憧れとなり、実際にミッション大学併設の教会での挙式が多く行われた。因みに式の前に洗礼を行って形だけでも「キリスト教者」になっておく。

ただ、ミッション校の教会は限られていてパイが少ないし両方の親族が沢山来たら礼拝堂に入らない。

でもそれがまた「イエvs.イエ」の結婚式へのアンチテーゼとして働いた訳だ。

 

なんでキリスト教会なの?と言えば、それは第一西欧への憧れであり、第二に「日本古来の神式仏式でないから」だ。神式仏式にはイエの因習表象をまとっていた。

今は厳かな神式も人気で特に鎌倉鶴岡八幡宮の舞殿で行われる神前式は人気だ。これには団塊/全共闘の残した軽いノリへのアンチテーゼ権威的なものを好むというテイストもあるだろう。

でも今の神前式を選ぶのと60年代の仏/神前式意味が違うのだ。現代のは一度因習との結びつきが嫌われて廃れ死んだ後に、「博物館入り」して個人にとって安全になったものだ。安全になったので「自由意思で選択」しているのである

 

花嫁夜汽車に乗ってとついでいくの」という『花嫁』(はしだのりひことクライマックス 1971年)なんか歌詞をよく確認してみたら駆け落ちなのな。こいつを披露宴で掛けるのはヤバそうだ。

 

それ以前の結婚式はどうだったのか

それ以前の結婚式仏式/神前とあったが、特に都市部だと著名な特徴があった。

それは「祝言(しゅうげん)として能の演目高砂』の一節の謡いを仲人がやる」という事。俗にいう「高砂や~」である

https://www.youtube.com/watch?v=Zm1Se2fRnvU

これをこの調子仲人が謡う。これは都市部では必ずやる。絶対にやる。だから仲人はこの祝言を暗記して慣れない能の謡い方を練習した。それを笑った落語もある。「高砂や~」って練習してる時に「とうふ~」と豆腐売りが来ちゃって混じって覚えちゃうのな。

これは恐らく江戸時代後期には一般化していたと考えられるが、廃れた時期ははっきりしてて団塊世代の適齢期だ。

 

老松という地名

ちょっと脱線だが老松町という地名があったり地名変更で無くなったが祭り町内会名や祭り神輿山車の提灯なんかで出てきたりする。

それらは長寿を願った年寄臭い地名に見えるかも知れない。

でも昔は結婚式では「必ず」高砂祝言を謡ったのだ。『高砂』の内容とは、神主兵庫県高砂で老女老男に出会い、我らは片や高砂の、片や大阪市住之江区住吉大社老松だと言われる。小舟に乗って去った老夫婦の後を追って船で住吉に向かうと、住吉明神が神々しい舞を見せた、というものだ。

まぁ今は埋め立てで遥か内陸になってしまって阪堺電軌じゃないと行けませんがね…。

この「老松」なのですよ。昔は結婚式で必ず仲人高砂を謡った。故に門出の歌なのですな。

関東大震災下町が壊滅すると多くの人が板橋区とか池袋世田谷杉並などの郊外に移り住んだ。すると農村人口が増えて村から町になり区画も分割される。そこでめでたい瑞祥地名として新婚の門出と長寿と願って老松町というのが増えた。

でもその後字面年寄臭いって事で消えてしまった。『高砂』が廃れた現在から見るとやっぱ年寄臭く見えるけど、それは習俗が途絶えて常識が消えたせいなんでありますな。

団塊結婚式に戦中戦前派は大憤慨

会場が教会だったり披露宴フォークソングとか歌うし高砂やはやらないしで、この新しい結婚式保守的な人らは憤慨していた。

どのくらいかというと、わざわざ入試問題に新型披露宴批判したり、親戚のオヤジマイクを渡されてフォークソング披露宴への憤懣ぶちまける説教演説したのを現代文の問題で出したりするくらい。そんなのを入試に出すなよ。過去問としてアーカイブされて10年以上参照されるんだぞ。

 

定着と業界

しか芸能人などが次々とキリスト教式で挙式するようになる。するとこれは大きな需要であるからブライダル業界」が立ち上がり、洗礼とかがない宗教的に気軽なキリスト教結婚式提供するようになったのだ。それまでは互助会のような組織が主だった。

ホテルなどでの挙式よりは断然安い。しか教会での式よりは断然高い。

 

から団塊のイエへの抵抗から始まったブームが大きくなって70年代中頃に業界化し、80年代には完全に一般化してこっちが主流になったのである。だが80年代には色々行き過ぎて珍妙な式が行われており、それでまた年配者の顰蹙を買ったようだ。ハイジみたいなブランコ新郎新婦が登場とかラブソングカラオケ熱唱とか色々おかしい。

 

から「なんで偽物の教会でやるの?」と聞かれたら「それが昔は近代的な解放だったんだよ」「その意味社会から消えても形式業界がそのままになってるんだよ」「貴方の国の若い人らもハングルひらがなを混ぜて書く事があるけど、それも同じ抑圧からサブカルチャー解放意味があるんじゃないの」と言えばよい。

 

それとは別にやっぱあの形式結婚式にはダサさを感じるし、偽物の教会中途半端教会建築への理解の少なさが出ちゃってる。標準的形式の練り直しはすべき時期かもしんない。

2022-09-27

anond:20220926211951

言葉選ばなければお荷物だろうな

そらそうだろ。

稼ぎ頭のパパ

ニート長男

社会人次男

がいたとして、「長男家族お荷物っていうのかよ」ってお荷物だろ。

2022-09-25

結婚相手長男以外」がバズる世の中で

https://twitter.com/kabos99percent/status/1573578697302740992

これ。

次男妊娠中に長男障害が発覚って話らしいけれど。

結婚相手の条件として「長男以外」を上げる事を差別だとして糾弾するツイートに対し、女性からは「長男の嫁」にかかる重圧を理由として反論する意見殆どだった訳だけど

その人達はこういう事例はどう思うんだろうね?

次男だとしても、兄に障害がある場合、通常の長男以上に結婚相手女性に重圧がかかるだろうし

その条件だけでお断りという女性も多い筈だ

実際、きょうだい児は結婚したくても出来ていない人が有意に多い

山上容疑者も兄に障害があって苦労したらしいよね

兄弟仲は良かったらしいが、それすらも都合の良い子に育つように教育された結果と言える訳で。

それとも、この次男くんが結婚適齢期になるまでには世の中が変わるという希望的観測を持っているんだろうか?

でも今から20年前って2002年だよ?その頃から結婚において女性が置かれている環境って劇的に変わったか

未だ夫婦別姓すら実現していないし、夫が家事をしないという愚痴が定期的にバズるのに。

そんな状況で兄弟障害というリスクのある男性と好き好んで結婚して余計な負担を負いたいという女性は少ないだろうし

次男くんの結婚は著しく困難になる事が予測されるが

そんなのお構いなしで母親一方的な「愛」というエゴ理由に産みたい、それを美化するツイート反吐が出る

親の「愛」なんて、子供にとっては何の価値もない

次男妊娠中に長男障害が分かった、きょうだい児にする事になるが今更中絶できない、

だってもう愛してるというツイートを見掛けたが

から何なの?

お前の「愛」にどんな価値があると思っているの?

相手気持ち無視した一方的な愛の押し付けって恋愛だったら絶対に嫌がられるだろうに、どうして親から子に対してならそれが許されると思うの?

自分障害があっても親からは愛されて育ったし、子供時代幸せだったよ

就職に失敗してニートになっても責められず、生活費を出してくれてるんだから愛されてるんだとは思う

でも、大人になればそんなもの何の価値もないんだよ

大人になれば社会から、要は他人から認められないと意味がないの

世間では親の「愛」は過大評価されすぎだと思う

親だけ愛していたって能力が劣る人間、醜い人間スペックが低い人間社会から評価されないし

誰も受け入れてはくれないしパートナーも出来ない

その次男だって障害のある長男の「きょうだい児」として、お世話係を押し付けられ、良い子である事を強要されて兄の存在理由女性からは避けられ一生結婚出来ない可能性が高いだろう

そんな人生において、親の「愛」に何の意味がある?親は子供よりも先に死ぬのに。一生面倒をみてくれる訳じゃないのに。

から親は自分自身のくだらない「愛」を免罪符にして子供を産むのをやめろ

2022-09-18

子供の頃 石立鉄男が許せなかったのを思い出した

男を「お」と呼ぶのが納得いかなかった、なんで「お」なんだと

そんな読み方名前しかしないだろと

で今現在そこに思いを馳せて気付いたのは、長男次男とかだと、

「なん」とか読みやがる、なんだよ「なん」て、それこそ長男次男しか使わねぇだろと

思ったが「老若男女」で使うかと思いいたる

なんだ「おとこ」 「お」 「なん」 とか全然関係ない読み方させるとかバカか?

かと思えば 「だん」 もあるのな 「だんだだん」 とか

男爵 男性 とか使うか

長男 三男 美男美女 使うか、 そう考えるとやっぱり 「お」 が一番なっとくいかんわ

名前しか使わねぇじゃんやっぱ 石立鉄男を許すわけにはいかんな、と改めて思ったわ

2022-09-14

角川の親父はキチゲ長男に、銭ゲバ次男に残して、いちばん大事ものは誰にも継がせなかった。折口柳田から薫陶を受けておきながら結局息子はこのざまだ。家柄の悪いやつは快楽に弱すぎる。おちんちん気持ちいいとすぐにラリってしまう。

2022-09-13

あれ?長男政治家にならなかったんだっけ? anond:20220913112138

1954年9月21日に、毎日新聞記者であった安倍晋太郎と妻洋子の次男として

東京都生まれる。

弟の信夫は養子に出されたため末子として育つ。本籍地山口県大津郡油谷町(現長門市)。

2022-09-10

anond:20220910165406

キミは社会倫理という言葉学習しよう

 

アインシュタイン書ききれないクズ伝説 (ほかにも盛り沢山)








2022-09-08

育児のやり直し

孫で育児のやり直しってまさか言われると思わなかった

 

どうりで授乳も平気で見にくるし、風呂の様子も見てきてにやにやするわけだ。

上記に関して一応許可はとってきたけど、許可取ればいいって問題じゃなくて、あー私は結局孫を産んだだけの嫁としか見られてないって。

 

退院後すぐのやむを得ない外出時には、我先にと子を抱っこするし、産後すぐの骨盤ぐらぐらの私はその間立ちっぱなしだし、15分くらいの検査室はずっとにやにやしながら覗いてきた。気持ち悪くて耐えられなくて早く帰ってくださいって言ったら私の態度と言葉がショックだったって泣かれた。こっちが子を盗られたみたいで泣きたいわ。

 

産後1ヶ月経たないうちには、自宅で義母がずっと子を抱っこしてるので仕方なく家事をやり始めたら、しんどくないの?私がそれくらいの時期は子どもの世話だけで身の回りのことは自分の実母に全部やってもらってたけどそれでもしんどかったと言ってきた。

いや、時代は変われどまだ子宮も戻りきってない風呂にも入れない24時間体制睡眠不足子ども見てる何十年前の産後1ヶ月のあなたと何ら変わりないんだけども?しんどいんだけど??何でしんどいって事まで想像がつくのに抱っこはやめないの???

何かもう言い返したりまた泣かれたくなくて家事好きなんですよとかテキトーなこと言って我慢した。

 

お宮参りも場所指定旦那母親祈祷中抱っこする、衣装こちらで用意するとか、うちは古風な家でもないし自由にしていいとか言う割にしきたり押し付けてくるじゃん。矛盾してるよ。

 

事情義実家に何日か1ヶ月の子ども連れでお世話になった時はずっと抱っこ、近所に見せに勝手に出て行く、自分の余裕がないからだと思うけどあやし方がキモくて早く帰りたかった。

 

この愚痴を実母に話しても、話聞くのが苦手というかクソバイスばっかとか相手を貶す言葉ばかりで疲れるので話すのはやめた。

たまに行ってるカウンセリングのおばちゃんに話しても極論って感じの人なので、相手を貶して福祉につなぐ話されて終わった。

旦那は話は聞いてくれるけど聞いてくれるだけで解決にはならない。

 

旦那に重度障害で介助が必要な弟がいて、子育ては大変だった旦那は実母に見てもらっていて旦那をかまってあげられず申し訳なかったとか言ってた。

可愛い可愛い次男がいて現在進行形育児してるじゃん。自分免罪符に私の子どもを使うなよ。

 

可愛いとか知らねーよ。可愛いのは当たり前だよ。

誰も呼んでないニックネームを甘い声で延々呼び続けるなよ。キモいしうるさい。

 

この義母イベント大好きなので子のイベントが落ち着くまでは我慢だなあー。しんど。

 

大分ストレスからどこかに吐きたかった。見つかりませんように。

数日後に子供を産めない体になる私の話

私は、数日後に子宮をとる手術を受ける。



愛しくも憎らしい2人のやんちゃ坊主十月日大事に守ってくれた子宮

とうとう君とさよならしなければならない時がきたようだ。


長男が生まれる前、子供ができなくて病院に行ったらポリープが見つかり、そこから私は子宮内膜異型増殖症という病気と7年間のお付き合いが始まった。


その病は、いわゆる子宮体がんのステージ0のものを指す。

簡単ものとはいえ、何度も手術をしたし、ホルモン治療もした。

ホルモン治療中はホルモンバランスが崩れ精神的に不安定になった上に、多動気味の長男が一番活発な時期だったため、とても辛かった。


今回、次男出産して、1年後の再発となった。3度目の再発。


もう1人子供がほしいな。

女の子を育ててみたいな。

でも2人の男の子を育てるので手一杯だな。

少し年齢が離れてからもう1人産んでみるのもいいかな。

もう1人産まれたら、長男みたいに多動だったら大変かもな。

子供2人くらいが色々ちょうどいいかもな。

でも女の子ってかわいいな。


次男出産後、漠然とそんな事を考えていた。

だが、手術と検査をした結果、再発の度に病が徐々に悪くなっており、

主治医は私に子宮を取ることを勧めた。


覚悟をしていたこともあって、

正直、ホッとした。

この気持ちが一番大きかった。


7年間、ずっと病と戦っていたわけではない。

寛解している期間の方が時間としては多かった。


でも、ずっと病が私の背後にペッタリとくっついているような感覚もあって、そこから開放される、安心感

それに一番つらかったホルモン治療も受けなくて良いのだ。


おそらく主治医希望を残されてしまったら私はまだ治療をしていただろう。

本当に望んでるかわからないもう1人の子供のために。


から、今回主治医にハッキリ言ってもらえて良かったのだ。

私も家族子宮を取ることに納得している。


しかし、どこか子宮がなくなる不安というか、喪失感に近いものを感じている。


別に普段から使うものでもないし、

しろ生理がこなくなるから楽じゃない?とも思う。


子供も2人産んだ。

子宮役割としては十分だろう。


子宮の有無が女として…云々、みたいな気持ちもない。


なぜだ?

なぜ私はこんなにも寂しさや不安を感じているのか。


つの理由として、考えたのは「もう子供を産めなくなる」という明確な線引きの向こう側に立つことへの不安だろうか。


私は今30代半ば。まだ周りに妊娠出産をする同年代達が現れるだろう。

その時に彼女たちを羨むことになるかもしれない。

我が家にも女の子がいたら、もっとハッピーだったかもしれない。

子供が3人いたら、とっても大変だろうけど、きっと賑やかで楽しいだろう。


それでも、やはり今手術をして家族子どもたちとできるだけ長く生きるための選択肢を選ぶことが最善だとわかっている。


それでも、子宮を取り出すことに何が寂しい?

子宮って、私にとってそんなに大事ものだったのか?



手術まであと数日。

結論が出ないまま、また日付が変わった。

この気持ちの持って行き場がなく、

思うがまま文章にすれば何かに気づくかもしれないと思ったが、

結論が出ないままである


とにかく、無事に入院手術が終わりますように。

2022-08-30

クソ坊主リアル

当方、現役の住職で、初増田です。

昨今、テレビネットで「宗教」が悪い意味クローズアップされることが多いので、

多少なりとりも宗教に関わっている人間として思っていることをとりとめもなく書いてみる。

このエントリは「宗教信じろ」とか言うつもりは無いし、何か提言をするわけでもない。

目的はなんだ、と聞かれたら愚痴相談に近いのかもしれないし、

ブクマをもらって、ただ承認欲求を満たしたいだけなのかもしれない。

そして自分は俗にいう「寺の後継ぎ」であった。

〇〇平和連合とか××学会とかでは無く、大手宗派のフツーの田舎寺の生まれで、社会人を経てから東北とある寺を継いでいる。

真面目にやっているつもりではいるが、カツカツ状態でお寺を運営している一応の「宗教運営サイド」である

僧侶として不適切表現があるかも知れないが思うことをリアルに書いてみようと思う。


ネットのよくある論調に対して思うこと~

「坊さんて生臭坊主クズばっかだよな、潰れろよwww


こういうネット論調に対して、別に否定はしない。実際にそういう人は目立つし、まぁ多いんだろうな、と思う。

たぶんお金のある環境で何不自由なく育ち、社会にも揉まれずに、資格だけ取って親の跡を継いでるのだから

悪く言ってしまえば、中小企業無能ボンボン2世社長みたいなイメージなんだろうか。(もちろん厳しい修行は経ている)

一方で、もちろん真面目なお坊さんもいるし、先代住職の後をきちんと継ごうと頑張っている若い子もいる。聖者かよ、ってレベル住職もいる。

特に、小さいお寺で住職だけじゃ食べていけない比較的若めな人ほど、副業をやりながら、

きちんと社会と関わりを持っているからマトモな感覚を持っていると個人的には感じる。

やはり前者の「クズ」とネットで呼ばれる方はでかい寺のボンボンドラ息子が多いんじゃないかな。

センス悪い真っ赤なBMW乗り回して、キャバクラ行ってるような生臭坊主。そんなネット上で揶揄されるイメージとそこまでかけ離れて無いと思う。

ただ宗教法人本部側、もしくはお檀家さん側から見て、1番ヤバいのはこういうタイプがやっている寺ではないと思う。

彼らにはまだ、人とコミニュケーションを取れる、という立派な能力があるからだ。


~1番やばいタイプ~


結論から言えば、前述のようなテンプレ的なクソ坊主(以下テク坊とする)よりヤバいのは、

発達障害の方が継いでいる寺なんじゃないか個人的に思っている。

発達障害の方自体をどうこう言うつもりは全くないし、彼らに社会ケア必要だと思うし、本題から逸れるので置いておく。

そもそも「寺の跡を継ぐ」だいたいのパターンとして寺生まれの子高校卒業後に専門の大学に入って資格を取り、寺に戻るルートが多い。

発達障害の彼らもテク坊も同じルートを辿ってお坊さんになる。

しかし彼らは陽キャテク坊とは違う。大学時代テク坊が親の金クラブで遊び呆けている一方で、

人とマトモなコミュニケーショが取れない、文字がすらすら読めない、簡単なことが覚えられない、優先順位がつけられない、何度同じことを注意されてもできない、大学に来なくなりがち等、

見ているとこんな子がいるのかとびっくりしてしまう程だ。

発達障害エピソードなんかは他のエントリでも言及されている通り。

別に彼らを馬鹿にしたりとか、彼らのやばいエピソードを列挙・紹介したりとか、そういう目的では無いので詳細は省く。

そして、もちろん彼らは悪い子ではない。

高校を出たての18歳で、地方から単身、大学のある都市に出てきて彼らなりに努力しているのだと思う。

本来なら「彼らにもできること」を職業として、何かしらのケア気遣いを受けながら生きていくのだと思う。

しかし彼らは(親の意思であれ)お坊さんになる道を選んでしまったのである


~何がやばいか~


お坊さんという仕事は、言ってみればイチ法人社長みたいなものだ。

檀家さんや地域の方とコミュニケーションは必須だし、当然一定タスク処理能力もいる。

人の生き死ににも関わる仕事なのでイレギュラー対応も多々起きる、体力のいる仕事だ。

テク坊は生臭坊主かもしれないけど、寺が回っているなら一応やることはやっているはずなのだ

また、ひと昔はお坊さんになるのにも、一定の選別は行われていたのではないか、と思う。

長男が無理なら次男が継ぐってパターンもあったろうし。

しかし今は少子化も進み、在家から出家する人も減ったろうし、そもそも職業として倍率が減っている。

なので、どんな子であろうと、なんとかして跡を継いでもらわないと、田舎なんかだと寺自体が潰れてしまうかもしれないのだ。

宗教法人本部からしてもそれは避けたいし、何より坊さんを養成する大学側も継いでくれる彼らを見捨てるわけにはいかない。

昔と比べて志望者は減り、入試の倍率はほぼ1倍に近い、いわゆるFランで、入学後も彼らを(大学とは思えないほどに)サポートする。

優しく、とても優しくお坊さんになるまで見守ってあげるのだ。

一般的職業であれば選考過程でふるい落とされる彼らは、

そうして見事生き残ってしまうのである。(もちろん修行から逃げてしまう子もいる)

もう一度言うが、発達障害の彼らをどうこう言う気は無い。

ただ彼らの能力的におそらく無理であろう、さらに寺の住職という少し特殊職業に就いてしまう、就かされてしまうそんな構造ヤバいと思う。

想像してみてほしい。自分家族や親戚が亡くなった時に来たお坊さんが、ほぼコミュニケーションが取れず、小さな声でボソボソと下手くそなお経を読んでいる光景を。

いや、そもそも予定を覚えられず来ないかもしれない。彼らにとっても、ご遺族にとっても最悪だと思う。

言い過ぎだろうと思う人もいるかもしれないが、彼らを見ると本当にあり得ると思う。

一般的仕事であれば、当然そんな人に需要はなくなるし、潰れて当然だろう。

この時代宗教なんて要らなくなるのかもしれない。

から冒頭のネット論調のように、坊主が嫌われてるのも分かるし、自分在家の生まれだったら不要と思うかもしれない。

でも自分は寺の生まれで、亡くなった先代に反抗してた時期はありつつも、結局継ぐことを選んでしまった。

まとまりも無く、長いこと書いたけど特に結論も無い。

これから宗教法人の行く末を不安に思っているだけで無力な一僧侶だ。

あえて言いたいことがあるとすれば、

住職としゃべってみてやばいと思ったら菩提寺を変えてみた方がいいかもしれない。

仏教のありかたをとして必要なことは現代でもきちんとあるし、それがきちんとこなせる方へ。


さて、自分世間からどういうお坊さんに映っているのだろうか。

2022-08-19

わざと斜陽産業入ってみる

田舎の小中から上京して慶應高校を経て慶應経済に在学という田舎金持ち次男大学生なんだけど、斜陽産業大企業がどうやって潰れてくのか見てみたいから、そういう業界狙って就活してみる。

潰れたりクビになっても親の脛齧ればいいし。

2022-08-14

三つ子次男虐待死させてしまった母親に対して減刑署名が集まったというニュースの紹介動画コメントにて。

母親にはこれだけの事情があったという説明している部分に対して、

「じゃあ生むなよ」「無責任だ」というコメントが多数あってドン引きした。

このコメントを残した人たちは一人でも三つ子でも負担が変わらないとでも思っているのだろうか?

中絶や命の選択を軽々しく考えていないだろうか?

大して考えていないのだろう。

からそんな軽々しく言えるのだ。

2022-07-28

anond:20220728034451

最初から枯れて生まれたのかー 

別にそういうのに違和感なく一生農業してお米おいしかったですって死んでいく次男坊(田を相続できない小作農)も昔はいっぱいいたんだと思う

2022-07-26

anond:20220726175703

どの宗教もそういってるでしょ

相対評価だとだれかが不幸になるのは通知表とおなじこと

瞑想」することで他人幸せ情報遮断し妬みを捨て神という絶対的幸福を追い求めろってどの教義もいってる

もはや前提だからわざわざ説明しなかっただけ

統一教会もそれ以外も一部には真理があるんだよ

妬み嫉み恨みの発生原因は相対評価

ただそれがダメからって夫も長男自殺次男が他殺しつかまった後も自分だけは「幸せ」でいられるのはね

回りの幸せ吸い取ってるとしかいいようがないカルト宗教バグなんよ

一応仏教もそういうとこあったけど(シッダールタ族の王子ゴウタマというインド人子供ウンコって名前つけたあと妻子捨てて出家して女性は救われないというびっくり宗教つくったし)

バグってない宗教も後代の指導者がなんとか教義を曲げて社会適応させてやったからだよ(社会適合できてないのがイスラム過激派とか北朝鮮とかやね)

結局女性なりAIなりが人間ケア孤独にしないようにしてやらないと人間は壊れる

女性奴隷にしないと子供を育てることさえできない

人間バグだよ

2022-07-21

自身犠牲にする事は人の為にならないって話1/2

私の家は母子家庭だった。父親の顔なんて覚えてない。

本当の父親は他の女と出て行ったらしい。

だが父親代わりに居候していた男がいた。あくま居候で、家に収入は入れていなかった。

起きていれば酒かネトゲタバコ臭いを常にまとう男だった。

からも同じような臭いがしており、私はそれがあまり好きではなかった。

たまに気が向いたり、私がミスをすれば怒鳴りつけられ、殴る蹴る、また踏みつけられたり罵ってきた末、

反省を促す名目ベランダ収集日に出すまで置いていたゴミ袋たちと一緒に立たされ、一晩中起き続けることを強要する男の何がいいのかと思っていた。

助けてくれない母に絶望するのは、早かった。

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私はあまり出来の良い子ではなかった。

兄が2人いたが、長男は心に病を抱え、次男は多様な才能に恵まれていた。

私は宙ぶらりんで、何にも興味を示せず、かといって何でも中程度は出来ていたつもりではあったが、

だが母は満足が出来なかった。

なまじ次男が多才なので、私は長男反面教師に、次男比較対象に、親たちから圧迫の日々を過ごした。

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たまに夜に2人の嬌声が聞こえるが、幼かった私は耳を塞ぎ、布団を頭から被って震えていた。

ある日母が妊娠し、妹が出来た。

そう、あのろくでなしの子である

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自分より初めての年下の存在

初めての保護対象

最初嫌悪しかなく、意味が分からぬままただ漠然と突きつけられただけ。

しばらく家から母が消え、戻ってから増えていた存在

の子を抱え、服を握られた時

何にも興味がなく、怠惰で愚暗な日々で、強いて言えば唯一取柄と言えることが惰弱さな自分に、何かが芽生えた。

そんな気がした。

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しばらく先、ある朝居候の男は酒におぼれ暴れ、母も荒れていた。

時折あった喧嘩ではない、尋常ではない音がした。

長男入院し、次男は他県の大学へ行っており、家には私と妹だけだった。

私は危険を感じ、幼い妹を抱き、裸足で近くの交番に行った。

騒動の後、男は家を出て行った。

妹は何が何かも分からず私の服の裾を赤子の頃のように掴んでいた。

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男は親権放棄し、実家に帰り、仕送りも無かったそうだ。

それ以来母はよく泣き、そして苛立ちを自分らに向け、

より一層の支配欲に飢え、私や妹にその矛先は向き、ヒステリーさが加速していた。

妹へ向かぬよう先立って私は母と対峙する日が増えていった。

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そしてまた時が流れ、私は高校卒業する時が来た。

大学へ進学するのだろうと漠然と思っていたが、ある問題が発生した。

である

母は次男大学費用の為に無理をして金を捻出しており、私の為の分はないそうだ。

実父から送られてくる毎月の養育費は、ほぼ次男の為だけに私の分まで使われていた。

何なら母のタバコと、ネトゲのオンゲ課金からネトゲ中に食べる菓子代に消えていた。

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大学へ行くのなら自費で生活費を稼ぎ、奨学金を借りながら独力で行け」

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母にそう言われ、私は推薦入学を受けようとしたが、悲しいかな私は求めていた大学への推薦は叶わなかった。

私は高校生ながらに様々な選択肢を考えた。

就職・通常の試験を受け希望大学を目指す・ランクをいくつか落とした大学への入学・実父へ直談判する・母に頭を下げ素直に支配され支援を受ける…そして果てには自殺まで。

本当に本当に思い悩み続けた。

だが、結局は進学をしようとなり、1年浪人期間を設け、貯金時間を作る事とした。

実家暮らしで1年の浪人をし、その間働いて大学の初年度費用と、当面の生活費を稼いでから進学しようと。

その話を母にし、母も了解したが、しかしその後続く母の言葉に目の前が真っ暗になった。

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「家に毎月5万は入れてくれるのよね?もちろん食費や衣服も自腹よね?

大学を目指したいと言うけれど働きながらなんでしょう?もちろん払ってくれるわよね?」

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足元が瓦解し、暗い穴に落ちる感覚に陥った。

呆れた、が正しいかもしれない。

怒り、とも違う、胃に何キロもの鉄アレイを捻じ込まれたかのような感覚だ。

ただの高校生上がりが、毎月5万家に入れて、食費を稼ぎ、参考書や塾、対策試験の受講、その他諸費を賄えるか。

計算したが、当時の最低賃金は今よりも低く、困難極まる事は火を見るより明らかだった。

うそならいっそ、自立した方が良いのではないか

そう考えるのも仕方のない事だったのかもしれない。

その頃の私は、母を母と思えず、嫌悪にまみれ、見るだけで憎悪が湧くようだった。

炊事、洗濯、寝具から衣服携帯代まで確かに当時自分バイト代である程度賄っていたが、

そこから更に家賃まで来るとは、一体どういう事なのか。

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その時、私は子供の浅慮な考えながら独り立ちを決意した。

長男から我慢できたけど、次男だったら即死だった

よくよく考えたらめちゃくちゃなモノローグだよな

なんだよ次男だったら即死だったって

次男即死だったら長男でも即死だろ

2022-07-20

我々はなぜ統一教会が嫌いなのか

近代合理主義者と化した保守

安倍晋三暗殺事件きっかけに統一教会世界平和統一家庭連合)に注目が集まっているが、保守系(反リベラル、反ポリコレ反中韓)に分類できる文化人のなかで、はっきりと統一教会批判を行なっているのが旧2ちゃんねる(5ちゃんねる)関係者ひろゆき山本一郎なのは興味深い

一説によれば、旧2ちゃんねるは一時期、統一教会に乗っ取られかけたという噂がある。この点を抜きにしても、基本的1970年代まれ以下の世代は、保守愛国を唱えていても頭の中は近代合理主義者で、土着的・伝統的な家族観とか道徳観はちっとも好きではないのだ。

無論、1970年代まれ以下の世代でも立場はさまざまだ。

東浩紀1971年生)は統一教会を「カルトかどうか判断できないだけ」と述べてひんしゅくを買った。ただ、これは統一教会擁護というより、スターリニズム連合赤軍のような原理主義的なドグマに陥ることを恐れるあまり、「二項対立に囚われないように判断保留する」というポストモダン思考原理主義的なドグマにしてしまった模様。

一方、三浦璃麗(1980年生)は、何やら統一教会利害関係があるらしい。

https://twitter.com/333_hill/status/1300961546693083137?s=12

http://japanhascomet.cocolog-nifty.com/blog/2020/09/post-e4d640.html

東や三浦はさておいても、高度経済成長期以降に育ち、冷戦体制崩壊後に成人した団塊ジュニア以降の世代は、基本的統一教会的なものが嫌いだろう。俺もな。

今では忘れ去られているが、2000~2006年ごろの2ちゃんねるでは、韓国中国民主党だけでなく、森喜朗代表される体育会系マッチョ価値観自民党重鎮も不人気で、平然と皇室コケにする書き込みだって多数あった。非合理的宗教団体は嫌われ、前近代的な家制度の束縛とかブラック企業的な上下関係肯定する主張は評判が悪かった。

かつて2ちゃんねるに大量にいたネトウヨことネット右翼は、なぜ韓国人や中国人を嫌悪したのか? 戦前戦中の日本に対する非難自分個人への非難のように思えた点に加えて、韓国人や中国人の振る舞い(声が大きい、言動が粗暴、上下関係がきびしい等)に「前近代」の臭いを感じ取っていたからではないか

ネットでは保守愛国を主張して戦前日本を賛美ながら、平然と「中国韓国儒教国家からダメだ」と言う人間が少なくない。お笑いである戦前までの日本だって支配階級の基本思想儒教だった。幕末尊王攘夷運動が起きたのは江戸時代朱子学が普及して、「幕府天皇から権力を奪っているのは忠義に反する」という考え方が広まった結果だ。明治維新後も、明治天皇教育係の元田永孚西洋嫌いの儒学者で、名君の教科書として唐代の『貞観政要』を読ませたし、教育勅語は儒教価値観産物だ。

だが、どうやら団塊ジュニア世代以下のネトウヨの頭の中にある理想日本は、最初から西洋価値観近代国家だったらしい。彼らには古代中世日本伝統価値観を本気で学ぶ気などなく、和歌能楽歌舞伎浄瑠璃より、漫画アニメゲームが好きなのが本音だろう。そういえば橋下徹も、平然と文楽予算を削減しようとしてたな。

保守愛国を唱えながら近代合理主義何が悪いの?」と言う人もいるだろう。世の中には、何も悪いことをしてない人間にも病や死や不幸が降りかかったり、不合理がいくらでもある。何でも理性で解決できると思い、現代から見れば非合理な考え方に従っていた古代中世人間を愚かとしか見なさないのは、思い上がりだ。そうして過去時代の人々という他者への想像力を持とうとせず、過去世代が積み重ねてきた道徳観への敬意がなくなると、経済的な損得ばかりが最優先の価値観になる。「皇室の維持は国費の無駄から天皇制反対」と言い出す者も出てくるかもしれない。

そうなれば、単に力(財力、権力情報発信力)がある奴が勝ちだ。日本でもドナルド・トランプのような男が国家元首になるかもしれない、トランプならまだ人物的に面白味があるが、竹中平蔵ワタミ大統領になったら本当にイヤだぞ。

共産主義統一教会環境産物

統一教会2015年世界平和統一家庭連合改名した。団体名に「家庭」とつくのがポイントだ。自民党による憲法改正案で、第24条に加筆された「家族は、互いに助け合わなければならない」という一文は、統一教会の主張と同じだといわれる。また、「こども庁」の名称が「こども家庭庁」となったのは統一教会の影響という説もある。

https://twitter.com/izumi_akashi/status/1548537253018103808

まり統一教会はとにかく家族の重視を唱える。彼らの教義は、俗流キリスト教と、家父長の権威先祖供養を重んじる東アジア的な儒教道徳の混合物で、教祖の故・文鮮明をお父様、その妻の韓鶴子をお母様と呼ぶ。このような教団組織という大きな家族への絶対服従を唱える思想が、皮肉にも結果的山上徹也個人の家庭を破壊した。

週刊文春7月21日号では、橘玲が「リベラル化した社会に敗れた男の”絶望”が暴発した」と題して、安倍晋三暗殺した山上徹也のことを論じている。現代は家制度の束縛などが機能しなくなった「自由」な社会だが、それゆえに自力自己実現できなかった孤立した人間が増えているといった内容で、その極端な暴発例に2008年秋葉原通り魔事件や、2019年京アニ放火事件を挙げている。指摘自体はおおむね間違ってないだろうが、なぜそのような世の中になったか説明が抜けている。

リベラル思想以前に、社会構造の変化がある。そもそも伝統的な家族観、家父長の権威とか、早く結婚して何人も子供を産むのが良いことだという考え方は、近代以前の農村社会が前提だ。農家個人経営で、家父長のもとで妻子が一緒に農作業し、働き手として子供の数は多い方が都合よいから多産が奨励された。そして、農地という生産手段継承するために血統の存続が重視され、先祖から連続性が意識されていた。漁村商家も同様に家族経営が基本で、船や商材を継承するため家制度が重視された。

ところが、産業革命期以降になると、農村の余剰人口都市に流れて工場労働者となり、先祖代々の土地と家から離れて生きるようになる。労働者はみんな家庭外で雇用され、子供家族から切り離され、父親母親子供も(昔は各国で児童労働が横行していた)ばらばらに働くようになり、自宅の窯でパンを焼いたり時間をかけて食事することもできなくなった(『世界歴史 第25巻』(中央公論社)270p)

統一教会のような反共主義者は、「左翼リベラル思想伝統的な家族観破壊した」と主張するが、この解釈因果関係が逆転している。共産主義は、工業が発達して伝統的な家庭を成立させる農村社会から切り離された都市労働者が世にあふれた結果からまれ思想だ。マルクスより先に、経済的利益のために伝統共同体解体して蒸気機関工場労働者を世に広めた資本家がいたのである

逆に、農村社会に戻れば前近代的な家父長制は復活するだろう。だったら、商工業全否定して国民農村強制移住させたポル・ポトカンボジアこそが理想かよ?

先進国では工業社会さらに進むと、世の中は第三次産業中心になり、庶民はみんな勤め人の都市生活者となっていった。これは産業社会要請によるものだ。以前も書いたが、(https://gaikichi.hatenablog.com/entry/20170522/p1高度経済成長期に中卒や高卒都市工場商店就職していった女性は、左翼リベラル思想に影響されて社会進出し勤め人は世襲家業ではないから、妻子が家に従属する必要はない。リベラル思想関係なく、前近代的な家制度の束縛が弱くなるのも当然だ。生まれた時からこういう環境に慣れきって育った世代が、家父長の強い権威やきびしい上下関係を嫌うのは必然だろう。

こう書いている自分も、会社員の家の次男坊で、実家従属する義理はないか上京以来ろくに親元に帰らない。長男長男だった兄まで、ついに生活のためやむなく父の墓がある土地を離れてしまった。先祖代々の土地家業を持ってるのではないのだから仕方ない。

統一教会のような保守派は、家族大事だと主張するけれど、口先の精神論ばかりで上記のような社会構造問題にまったく踏み込めていない。

信者にとってのカルト宗教の魅力とは何か?

困ったことに、農村社会や家制度のような伝統的な中間共同体が力を失うと、その代替物として、一足飛びなナショナリズムカルト団体帰属意識を求める者が増える。

エマニュエル・トッドは、『シャルリとは誰か? 人種差別と没落する西欧』(文春新書)で、宗教伝統が衰退すると代わりに排外的ナショナリズムが台頭すると述べていた。何でも、ドイツでは19世紀から1930年代昔ながらの教会を中心とした農村共同体が弱体化した代わりに反ユダヤ主義が台頭し、ナチス支持につながったという。

統一教会をめぐる報道で、山上徹也の母のように財産すべて差し出す信者気持ち理解できないという人は多い。しかしながら、外部から見ればいか狂信的な団体でも、内部の信者には何らかの「魅力」がある。

先に述べたように、世の中にはいくらでも非合理的なことがある。それまで合理主義者だった人間が、病や死のような自分の力に直面していきなりオカルト宗教に走った例は少なくない。帝国海軍の名参謀だった秋山真之や、アップルスティーブ・ジョブスのような英才も、最期近代医学に頼らず怪しげな方法に頼って病を治そうとして、かえって早死にした。こういう極端な思考に走らないためにも、世の中は理性で解決できないこともあると頭の片隅に置いて、合理的ものへの免疫をつけておくこと必要だ。

そこまで追い詰められなくても、「大きなものにつながりたい願望」を抱く人間は多い。人には何かに帰属することによって得られる充実感というものがある。これは左派陣営団体も同じだ。

こう書けば左翼リベラル派は激怒するだろうが、世の中には男尊女卑や家父長制に身をゆだねることに安心感を抱く者もいる(俺自身は嫌いだが)。いか社会制度近代化しても、誰もが自立した個人になれるわけではないのだ。

あの気持ち悪い集団結婚式にしても、なまじ自由恋愛の時代になると結局誰も選べずに結婚相手が決まらず、いっそ超越的な立場第三者一方的に決めてもらう方が安心、という人間も世の中には一定数いるのかもしれない。

これも以前に述べたが、カルト宗教などが行う洗脳とは、命令に従わせることではなく、被洗脳者が自発的洗脳する側に忖度するように”誘導”することであるhttps://gaikichi.hatenablog.com/entry/20121101/p1)。

その手段として「場の空気」の力がものを言う。場の空気を使った洗脳はじつに簡単だ。こんな話がある、皆さんはカップ入りアイスクリームを食べるとき、どこから食べるだろうか? たいてい最初カップの縁にスプーンを入れるだろう。あるとき数人の集団で、1人を除いた全員があらかじめ示し合わせて、みんなカップの真ん中にスプーンを入れて食べ、残った一人を「端っこから食べるなんてセコいなあ」と言ってからかった。仲間外れにされた1人は本気で、自分の方が異常で、アイスクリームは真ん中から食べるのが世間常識だと錯覚したという。

これと同じように、閉鎖的な教団内では容易に「みんな多額の献金をしてるんだから、そうしない自分の方がおかしい」と思い込むように仕向けられる。宗教団体も、ネットワークビジネスも、会員制オンラインサロン商法も同じだ。

信者教祖や教団幹部個人命令に従っているというより、信者集団の「場の空気」によって献金しなければならない気になっている。周囲にいる人間が競い合って同じことをしているのに、自分だけそれをやらないと自分の方が変だと思い込んでしまうのだ。そりゃ「空気を読む」ことが至上の美徳という価値観で育った日本人なら従ってしまうだろう。

思想だけで世の中は動かない

2022年現在の状況では、まだまだ自民党に対する統一教会の影響力は強そうだ。しかし、このまま上記に述べたような近代社会構造が続くのであれば、20~50年ぐらいの長期スパンで見た場合統一教会的なるもの――家父長制バンザイカルト宗教は徐々に人気を失っていくだろうと考えられる。

実際、100~200年ぐらいの視野で見れば、左翼リベラル陣営はずっと勝利し続けている。世の中は、近代的な商工業が発達すればするほど、上下関係は緩くなり、男女は平等に近づき、セクハラパワハラは嫌われ、体罰理不尽校則廃止される方向に進んできた。

ただし、それは必ずしも自由平等人権といったリベラルイデオロギーの魅力による勝利ではない。単に文明の発展によって、人間が図々しくなっただけだ。

近代以前はあらゆる労働が筋力中心だったから、無条件に成人男性が一番偉くて、女子供は成人男性に従うものだった。しかし、そのような価値観は、スマホコンビニAIドローンの普及と引き換えに後退しつつある。あるいは、汗臭い筋肉労働人件費の安い海外アウトソーシングしたり国内視野から消し去っただけだ。外国人技能実習生世界では、依然として日本相手なら許されないパワハラが横行している。

いか自由平等人権といったリベラルイデオロギー字面が美しくても、思想だけで世の中は動かない。民主主義古代ギリシャにもあったが、あらゆる労働が人力の時代だったから、ついぞ奴隷制廃止されなかった。19世紀に入るとイギリスアメリカ奴隷制廃止したが、それはリベラル人道主義者の主張より、奴隷を使うプランテーション農場比較して工場経営のほうが儲かると判断されるようになった影響が大きい。

統一教会による霊感商法、巨額の献金要求は許しがたい犯罪行為で、自分もこういうカルト宗教は大嫌いだ。ただ、統一教会的なもの嫌悪する自分たちは、たまたま土着的な農村社会崩壊して家制度の束縛が機能しなくなった時代に生まれ育ったから、統一教会的な家父長制価値観へのPermalink | 記事への反応(1) | 23:06

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