はてなキーワード: 小説版とは
これは女性向けジャンルで二次創作の小説を書いているオタクによる、ただのお気持ち長文だ。
よく「消さないで」とか「消されてしまって残念だ」とかいったつぶやきは見かけるので、消す側の理由について残しておこうと思う。
もちろん、これはあくまで私自身の理由で、他の消した誰かと同じだとは思っていない。
結論から言えば、ピクシブがノットフォーミーのサービスになったから、という一言に尽きる。
原因はサイトそのものについてと、利用者(と取り巻く環境)について。
大きくこの二つに分けられる。
まずはサイトについて。
度重なるUIの改修により、ピクシブはとても「美しい」サイトになったと思う。
アクセスしたい情報はトップページからは隠され、管理画面に羅列されるのは個人的には不要な情報ばかり。
懐古厨と言えばそれまでだが、使いづらいというのが率直な感想だ。
もちろん、評価できる部分もある。投稿ファイルの種類をプルダウンから選べるようになった点、表紙の種類を追加し、タイトルを自動入力できるようにした点。
小説も主要サービスと認識されているのだとわかるのは嬉しい限りだった。(そもそも、イラスト投稿サイトで小説が投稿できるだけでも十分ありがたい話だとは思っているのだが…)
これらの改修を受けて、ピクシブがどの方向へ行こうとしているのか個人的にも察する部分があった。
サイト全体としては、プロのイラストレーターやその卵とその顧客をつなぐ役割に思える。だからおしゃれなサイトに、素晴らしい画力の作品を掲載し、ショウウインドウのように見せている。
では小説についてはどうだろうか。
オリジナル作品はコンテストを開催したり良作のピックアップをしたり、力を入れている。
小説版のトップページを見れば、かなり良い位置にそれらの企画が配置されていることからもわかる。自分で項目の表示順を変えられる機能は失われたので、見たい項目がそれらより下にある場合は必ず目を通すことになるからだ。
基本的な方針はイラストと変わらないのだろう。筆力のある創作者の囲い込み(とまでは現状では難しいだろうが)をしたいのだと感じる。
良い面もある。好きに書いていい。
だが率直な印象として、総閲覧数や総作品数を増やすための「だし」に使われている気がしてならない。
特に旬や覇権と言われるジャンル以外でほそぼそと書いている、つまり、私のような人間は。
ピクシブ側に求められている創作者ではないのだと、そう思うようになった。
わざわざ機能改善について問い合わせるまでもない、なんとなく「あ、もうここのお客さんじゃなくなったんだな、じゃあしかたないね」という感覚の話だ。
なので、どちらかというとより深刻に思ったのは、利用者側の問題だった。
ジャンルを問わず二次創作に触れるオタクなら、毎日のように何かしらの問題が発生しているのはご存知なのではないだろうか。
トレパクに焼きマシュマロ、欲しい物リストや投げ銭機能の是非。
舞台はおおよそピクシブではなくツイッターだが、おそらく、いわゆる学級会が開催されていない日はない。
絵師の問題だと高をくくっていたトレパクが小説でも設定文章丸パクリ、という形で発見されたツイートを見た時などめまいがした。
どんなに良いサービスでも、利用者がおらず収入が入らなければ長続きはしない。
だが、利用者が増えたことで、同人や二次創作の知識が浅い人、マナーを理解できない人、モラルがない人が増えたのも事実だと思う。
自分が書いた小説には愛着がある。世界で誰より自分が一番自分の小説のファンだと思っている。
プロはまた少し話が違うのだろうが、趣味で書いているだけのオタクなのだから、読者を選ぶ権利はあるはずだ。
問題を起こす人、そしてその人を支持する人。
そういう火種にくべられ、何かあった時に「この問題児が好きな人はこっちの小説も好きだから、こっちも警戒した方がいいかも」となるのが怖い。
しかし心が折れた。
小説をいくつか投稿し、幸いなことにコメントをいただいたこともある。
ピクシブの作品ページもそうだが、ツイッターでエゴサして見つけた時は本当に嬉しく、次も頑張って書こうという気になった。
なった、のだが、心を折ったのもまたコメントだった。
その理由となった例を二つ紹介して、終わりとしようと思う。
これから書く内容は、自分でも僻みが混ざっていると感じるという点は先に伝えておきたい。
一つ目は「『ジャンル名/CP名』は○○さんの小説が一番おもしろい、他の人のを読んでも物足りなく思うようになった」というコメント。
○○さんではないので、それならもう投稿しなくてもいいし投稿していたものも消して問題ないか、と思った。
オタクに限らず、何かを褒める時にどうしても無意識に他を下げる人はいる。
「○○しか勝たん」とかの言い回しも、同じように感じる人もいるかもしれない。
せめてジャンルやCP名は伏せて発言した方が、結果として好きなジャンルやCPの作品数は増える、ないしは維持されると思う。
書いた時点で満足できるので、このコメントでわざわざ他の人に見せる必要性を今一度考える原因になった。
二つ目は、問題を起こした人の作品をべた褒めしているコメント。
それだけであれば関わりたくないとミュートするだけなのだが、自分の作品に熱心なコメントを残してくれる人だと気づいて反射的にブロックした。
関わりたくない以上に、そういった作品を読んで褒めるような人に読んでもらいたくないと思ってしまった。
その人が起こした問題を何も知らず、作品を純粋に楽しんでいるだけなのだとしても許容できない。ましてや、全て知った上で「作品と作者は別だから」という人なら余計に近づきたくない。
繰り返すが、これは二次創作の話だ。書き手はほとんどがプロではなく、仮にプロやそれに近い技術を持つ人であったとしても、完全に自己と作品を切り離して制作する人はまずいないと思っている。
なぜなら、趣味で、好きなように書くものだから。二次創作とは、そういうものだから。
読んでもらいたくない人がいるのに、ネットに大々的に公開する意味なんてあるのか。
ある、と答えるだけの論拠は、持っていなかった。
そういうわけで、小説は全て消した。復活させる予定もない。
マナーを守って楽しんでくれた人には悪いのだが、それよりも恐怖や嫌悪感が勝った。
また、これらはあくまで投稿者目線の話で、閲覧者としては今後も利用する心づもりでいる。
今後は小説を書いたとしても、一人でひっそり楽しむつもりだ。もう二度と、どこにも出したくない。
様々な人がBTSの魅力や人気を集めた理由を語っているが、俺と同じ切り口で論を進めているものがないように思ったのでn=1の感想を書いておく。
BTSの魅力としてよく挙げられるのは曲や高度なパフォーマンスなどだが、俺はやはり、根本にあるのは高いエンタメ性だと思う。
そもそも、彼らのプロデューサーであるパン・シヒョクは日本のアニメ、マンガ等のサブカルチャーに造詣が深い。新海誠の「彼女と彼女の猫」「君の名は。」虚淵玄「魔法少女 まどか☆マギカ」などに対する感想を本人のTwitterで呟くほどだ。
そんな彼が発展途上の少年達をプロデュースしたらどうなるか? 簡単である。
これは俺が語るよりも実物を見た方が早いので一度見てみてほしい。最初は誰が誰だか分からないと思うが、全体の雰囲気だけ感じてくれたらそれでいい。歌詞は英語字幕をつけられる。
一言でいえば「無力で無鉄砲な少年たちが若さだけを武器にわちゃわちゃするmv」だ。
「Dynamite」の堂々たるスター感とはほど遠く、顔つきも体つきもまだ幼い。それもそうだ、冒頭で水に潜っているテヒョン(BTSでの活動名はV)はまだ19歳、最年少のジョングク(活動名はJung kook)は17歳だ。若い……!
この世界観は「花様年華」という彼らの一大コンセプトだ。「RUN」だけでなく、様々な曲で共有されている。全然関係ないが同タイトルの台湾映画も面白いのでオススメ。
BTSの花様年華はトラウマを持つ弱い少年たちが出会い、交流を深めることによって傷を癒していくというストーリーだ。完全にフィクションの世界観だが、メンバーはそれぞれの本名で役を演じている。
それぞれの役も、ナルレコプシー、代理ミュンヒハウゼン症候群(おそらく)、親殺しなど、往年の葉鍵ヒロインのような重い家庭事情のもとで育っている。
そんな彼らのトラウマを描写した映像作品として「Wings short film」シリーズがある。一本が3分ほどで、メンバーが7人なので7本ある。どれも面白いが、特にお気に入りの一作を貼っておく。ティムバートンとかシャフトとかの悪夢っぽい世界観が好きならおすすめだ。
Short film jimin
林檎、マリア像、風景画、烏の刺青など複数のメンバーの映像で共通する小道具も多く、#7のソクジンの回まで通して見れば、ちょっとした達成感を抱ける。
この辺りまで見れば、少しずつメンバーが見分けられるようになっているのではないだろうか。
見分け方は他の方のブログに詳しく書いてあると思うが、花様年華に限って書くと、ガソスタにいたらナムジュン(活動名はRM)、車を運転していたらソクジン(活動名はJIN)、火を見ていたらユンギ(活動名はSUGA)、寝てたらホソク(活動名はJ-HOPE)、溺れてたらジミン(活動名はJIMIN)、血を浴びてたらテヒョン、殴ったり殴られてたらジョングクだ。見てれば慣れる。
例えば「I NEED U」は花様年華シリーズ第一作の自己紹介的ソングだ。登場人物が何に悩みどう生きているのかが分かりやすい。本当はこれを一本目に勧めるべきなんだが、俺はRUNの荒々しさや青さやスピード感が好きなので。
他のブログを読めば詳しく知れるが、この曲はBTS がスターダムの第一歩を踏み出したきっかけになったらしい。こちらのmvはVの怪演が光っている。今の19歳ってあんな感じなのかな? 怖いな。
下の動画なんて、12分の動画のうちドラマパートが8分あり、エンドロールでようやく曲が流れる。曲を売る気があるのか。
ドラマパートはスタンドバイミーとかが好きなら気に入ると思う。歳をとったからか、最近こういう一瞬の青春みたいなやつに弱い。そしてこの動画を見れば、やけに意味深な描写が多いことに気づくのではないだろうか。
『Butterfly』 official mv(花様年華prologue)
そう、この花様年華、ただのボーイミーツボーイではない。タイムリープものだ。
花様年華シリーズは様々なメディアミックスがされている。主なものは小説とマンガだ。(CGアニメや実写ドラマ化などが進行中らしいが詳しくは知らん)余談だが、この辺りパン・シヒョクPDはとても商売がうまい。MVで意味深なストーリーをチラ見せし、全貌が見たければ小説を買わせる。ようつべで聞ける曲ばかりが収録されたCDを買うのはよほどのファンだけかもしれないが、小説なら比較的敷居が低い。よく出来た予告映像を見てつい劇場アニメを観てしまうようなものである。
さて、マンガ/小説版 花様年華のストーリーは以下のようなものだ。
トラウマを持つ少年たちが学校で出会い、仲を深めるが、様々な理由で軋轢が生まれ、海に行ったある日、決定的な仲違いをし、離れ離れになってしまう。3年後、留学に行っていたソクジンが韓国に帰ってくると、かつての友人は死んだり、人殺しで捕まったり、シンプルに困窮していたりで、めちゃめちゃに不幸になっている。ソクジンはタイムリープを繰り返し、彼らを救おうとする。
葉鍵であり、シュタゲ要素もある。盛りだくさんだ。ちなみにマンガ版はLINEマンガというアプリで無料で読めるが、ただでさえ見分けがつきにくい少年たちがさらに絵で描かれている。俺は読み進めるのに根気がいったが、顔認識能力が高い人はいけると思う。
さっきメンバー紹介のところでわざわざ、アルファベットの活動名とカタカナの本名を併記したのは、このマンガではキャラクター名が全て本名で表されているからだ。
本名ではジミン、ジョングクなどJがつく名前がやたら多いのに、J-HOPEの本名はホソクである。なんでだよ。一番Jであるべきだろ……!
マンガは興味ない、ただただエモい映像が見たいという人にはこっちを見て欲しい。
バラード曲。「八月でも(あなたに会えないなら)冬だ」という一節が印象的。RUNで後先考えずにその辺を散らかしまくった彼らがパーティの後始末をしていて、青春は永遠に続くものではないことを描いている。全体的に褪せた雰囲気で、オレンジと青が強い独特の色味のpvになっている。安全ピンでピアスホールを開けてあげるシーンがあるのだが、国が違ってもエモ仕草は変わらないんだなと感心した。
比較的新しいmvなので、みんなスタイリングも服も普通なのに、めちゃめちゃ垢抜けている。幼さや青さというより、思春期を越えた7人が二度とは戻らない日々を愛おしむ話。撮影してるの明らかに真冬なのに、半袖のアロハ着せられてる子がいてかわいそう。
花様年華、面白い。確かにストーリー展開自体は王道で、言ってしまえばどこかで見たことがあるようなものばかりかもしれない。彼らの演技も、本業ではないから当たり前だが、全員が素晴らしいというわけではない。ぎこちなかったり、ムラがあったりする。だが、その未完成さが、若さが、今の俺には一番眩しい。
2019年に「天気の子」、2021年に「シン・エヴァンゲリオン」が上映され、かつての「セカイ系」作家たちは次々と己の世界観にピリオドを打っている。さらに、まどマギやピンドラなど、壮大な世界観でファンを魅了したアニメも新作の公開が決定した。
2021年、俺たちが愛したあの頃の「セカイ系」はもうどこにもないのかもしれない。
そんな中で、かつて俺たちと同じようにアニメやゲームを愛したオタクが、革命前夜の少年たちを巻き込んで、今も続くストーリーを紡いでいるというのは、なにかとても尊いことのように思える。
タイトルの花様年華、これは「人生で一番美しい瞬間」という意味らしい。BTSのこのプロジェクトは間違いなく、俺にとっての花様年華を思い出させてくれた。
どうでもいいがこのテンションのままボン・ボヤージュ(メンバーたちによるゆるい旅番組)を見ると、辛い展開に耐えられないオタクが作った日常系同人誌っぽくて面白い。こっちもおすすめ。
ですが良いオーストラリアもあるはずです。
そこで雁屋哲に良いオーストラリアを伝えるべく、各界の著名人にお越しいただきました。
スタジオぬえかは知らんが、富野小説版に出てない設定は全部ここが作ってる気がする。
設定を作るもの同士、どっちが上手く作れているかの戦いになるが、鼻血を出すのはSF考証として明らかに劣っているため雁屋哲側が劣勢。
石井マークの必殺技Gは自慰のGで孤独な独身生活もイチコロだ。
このあの子を思い出す榎本温子と、虐められたことを思い出す雁屋哲は背反する関係にある。
西の空に明けの明星が輝く頃ひとつの光が宇宙へ飛んでゆく。それが遠い夜空に光る小さな星なので、庵野秀明さんも大満足です。
宮村優子オフィシャルブログ「Skidamarink a dink a dink ~オーストラリアで子育て~」だから。
「こちとらには一万二千回の庵野への気持ち悪いと、あかほりさとるへの感謝があるんだからっ」です。(ラムネの新作小説連載開始だよ)
みやむー大好き改め坂本真綾大好きおよび鈴村健一憎しみ監督は、好きの気持ちと憎しみの気持ちを両立してエヴァを完結させたので、美味しんぼを放置している人間とは格が違う。
X星人に操られてシドニーを襲撃する怪獣。必殺技はハイジャンプキック[14][17]。
劇中前半でシドニー・タワーを破壊し、街を壊滅させる[14]。ンゴね。
チェックのスカート似合ってる。
雁屋哲にロマンとマロンは大違いだと諭すミニモニが面白いと思いました。
何度も勝ち抜いてるから殿堂入り。多分乗る人によってはCランクにもなると思うけど。
S+:アイドル、大烏
飛行能力持ち。アイドルは接近戦で強すぎるし溶解液を流せる杭を打ち込むヒットアンドアウェイが強い。下位の機体に一方的に勝てる。
遠距離特化のジャベリンや、杭を打ち込むために近づかないと行けないのでアラクネ2やハムバグ、孔雀あたりはちょっとやりにくそう。
大烏は早くはないけれど搭載している艦載機による攻撃で一方的に攻撃できる。遠距離特化してるジャベリンや風車が対抗できるくらいか。
ハムバグと孔雀は近接戦闘に滅法強い。孔雀は描写的にハムバグの上位互換くらいの強さ。
接近戦に持ち込んでコックピットに直接攻撃できるってだけで相当強いし、触手もかなりの強度と数を持っている。
ジャベリンは超長距離射撃と音速を超える速度での移動が可能なのが強い。最悪逃げ回って引き分けにも持ち込める。
どちらも体当たりをして攻撃するタイプかつ飛行能力持ちなので、上位の機体と比べてリスクはあるがある程度一方的に攻撃できる。
補足されない速度で動けるのは強いんだけど、コックピットむき出しなので通り過ぎた直後にレーザーで倒せそうではあるバヨネット。
フォートレスは単純に二足歩行の武器持ちの機体を2体同時に使えるっていうのが強い。
C:エニグマ、アラクネ2、白ジアース(ウシロ戦)、キングダム、リドル、マスタング、猿人、白猿、弦月
ここらへんはシンプルに二足歩行して戦う面々がほとんど。これと言った強みもないけれど、かと言って弱みもないシンプルな機体。
アラクネ2は数少ないアイドルに対抗できそうな機体ではあるけど、攻撃形態に移行したら動けなくなるのが難しい所。
変形できる白猿やジアースに近い戦い方出来る白ジアースがちょっと有利かな?
D:アラクネ、キャンサー1・2、ビースト、イグルー、孔雀(アンコ戦)、蜘蛛、岩亀、風車
ここらへんは四足歩行だったり、攻撃手段がいまいちだったり、序盤に倒されて強みがあんまり見えてこなかった機体。
アラクネ系の蜘蛛機体はどの作品でも序盤や引き継ぎ戦に出てきたけどポピュラーな機体なんだろうか。
風車はレーザーによる攻撃特化だけど懐に入られるとそんなでもないからこの位置に。転倒させられたらおしまいでしょこいつ。
最弱候補と言われてるドラムだけど、このくらいの位置に来ると思う。というかこれより下の機体がクソ弱い。
気になるのがドラムの回転をゴンタや洋梨は止めれるんだろうか。ジアースに抑え込まれても回転する描写あるけど、万力のゴンタだと完全に封じられるのか、逆に回転して破壊できるのか。
ゴンタや洋梨は相手を挟んで潰したり溶解液をかける機体だけど、弱点むき出しな上に動きが遅いから挟み込むまでがまず無理そう。
F:フィッグ、スクイド、溶解液(コモ戦)、水母
問題児連中。フィッグとスクイドはどちらもチズ戦の機体なんだけどなんか理由あるんだろうか。(一応上の洋梨もチズ戦(元々はワクだった気がする))
フィッグはジャンプして踏み潰すスタンプ攻撃しか出来ない、スクイドはノコギリだけど側面ががら空きすぎる。溶解液のヤツは街の協力がないとなにも出来なかったし、水母はミクがあの様でも勝てないとか基本性能に難がありそう。
G:灯台
この機体の戦法は多分風車に近いのかなと思ってたけど、小説での描写だとそれ以下かも知れない。多分動けないし。
動けず装甲を剥ぐ事もできない電撃を飛ばして攻撃するってもう滅亡確定したようなものでは。
?:紅蠅、ハインド
謎。紅蠅は幻覚を見せるだけではあるけど、カンジが突破できたのはマーヤっていう異常な存在が居たからで、ただでさえこの戦闘で精神が消耗している中で幸せな幻覚見せられたら飲み込まれそうではある。
でも幻覚突破されたら何も出来ない可能性があるのはちょっと……。
ハインドは戦闘開始直後に自ら装甲を剥がして自殺した機体。形状的に二足歩行タイプなのでCくらいはあるかも知れない。
左右非対称なアンバランスな形状でまともに二足歩行で格闘できるのかは疑問だけど。
疑問
各機体の強さはパイロットの生命力に比例していて、小説版だとチズの赤ちゃんやカナが操縦すると桁違いに強くて、ミクは異常に弱かった。
年齢に比例するのだろうかと思ってたんだけど、100歳超えてピンピンしてるようなじいちゃんばあちゃんは下手な中年よりも強そうだけどどうなんだろう。
確保したのは下記エロゲが入ってた6冊
・姦染1、2セット
・SWANSONG
・ホワイトブレスパーフェクトエディション
でも多分やらないんだろうなあ・・・
SWANSONGだけはいつかやると思うけど
でももうSWANSONG2週したんだよなあ
CARNIVALもキラキラも2週してどんだけ瀬戸口好きなんだよっていう
もう売っちゃったけどCARNIVAL小説版も持ってて読んだしな
なんと奇跡的にamazonで新品を買えたんだぜ普通の本と同じように
もう10年以上前だけどな
でも好き好きいっても新作のMUSICUSまだおわってないんだけどね
1ヶ月前にも同じマンガ倉庫でエロゲつきのテックジャイアンを4冊かったけど当然なにも してねーしな
とじ込みの紙の封筒っぽいケースだと傷つきそうだし
かといって透明ケースだと日光にあたってよくなさそうだし
不織布のファイルみたいになってるケースがいいのかなあ
富野作品には厭世観や人間不信が感じられるので、生殖や恋愛への否定を予想して見ることになるのだが、いつの間にか性愛への肯定描写がされていて、そこがうまく繋がらないのだ。
下世話に言えば、アムロもカミーユも機能不全家庭育ちで恋愛や家庭への不信をこじらせ幼なじみにも冷たい非モテっぽいのに、ララァやフォウとは出会って即スマートにいい感じになるのはNTの共感を踏まえても納得できないってこと。
これは富野自身が結婚し子供を作っていることへの「こんな作品作ってて家族持ちなの!? だから子孫肯定なのかもしれんけどよく結婚する気になったな!?」という戸惑いとも近い。
アムロもカミーユも家庭を省みず仕事にのめり込んだり不倫する両親を軽蔑していたし同時にそんな親に愛されたかったけど叶わなかった
そこで「あの両親を見て恋愛なんかする気が起きる訳ないだろう!」とはならず気になる女を見かけたらすぐに口説いて親密になろうとしてしまう
その理由は簡単で、単純にあの二人は性欲が強くその上で自分の欲望にとても正直なので、両親という最悪のケースを知っていても性愛を肯定出来てしまう
アニメだと生々しすぎて描かれなかったけど、小説版ではあの二人が戦争に巻き込まれる前頻繁に自慰を行っていた事や女性を性的な目で見ていた事が明かされている
アムロはセイラさんと寝たり親父のPCでエロ画像見ていたり、カミーユはファの体操着の写真を性的なオカズにしていた事が匂わされていた
他人と一緒になっても良い事なんてある訳が無いだろう…って諦観と、それでも異性とやりたくて仕方ない…という本能の肯定が同じ作品で描かれるのが富野作品の生々しさなのかもしれない
鬼滅最終巻が出版されて、大人も子供もお姉さんもみんな鬼滅鬼滅言ってるけど、あかんでしょ。
面白いか面白くないかとか、そんな下らないことはどうでもいい。
つまるところ、「漫画なんて下らないもの読んでないで勉強しなさい!」という台詞を言わないといけない。
でも、本当は「こんなものが売れてるなんてだめだなあ」という危機感を持たなければいけない。
「漫画なんていいからこの小説読みなさい」が個人的には一番望ましいかな。鬼滅って小説版どうせ出てるでしょ?それでもいいと思う。
中身に関わらず、水を差さないといけない。
楽しんでたら、大人に水を差されるまでが漫画を読むという行為なんだ。
俺は子供の頃漫画ばかり読みがちだったが、水を差してくれた親には感謝してる。
某ブコメで気になってググって見てみた
1時間20分は長かったなあ
ルイスキャミーが終始すごく気を使ってて、
小説版の小梅けいとは木尾士目が好きだから決まったとかそれくらいかなあ・・・
あとスターウォーズの大作同人誌出したってのは読みたいって思った
このご時世だから多分オンライン対談だったんだろうけどそれもつまらなさにつながってたきがする
やっぱ対面で相手を見ながら、資料をみながらあーだこーだ語るからこそ生まれる間とか空気感があると思ったわ
対談ってね
顔見えないからすごく手探りで言葉のキャッチボールしてる感じがしてて聞いてるのがすごくしんどかった
ただでさえ聞くときに次元の壁がひとつあるのに、話してる側の時点で次元の壁があると、2つの違和感を飲み込んで聞かないといけないからすんごくしんどいんだということがわかった
「新機動戦記ガンダムW」という作品がある
1995年から1996年まで放送された、従来の「宇宙世紀」の世界観を一新し新たな世界観を構築・定着させた「機動武闘伝Gガンダム」に続く、まったく新たな視点から《ガンダムワールド》を描く新世代ガンダムの二作目である
人類がコロニーに住むようになって百数十年。地球を巣立った人類は、宇宙コロニーでの生活に新たな希望を求めていた。しかし、《地球圏統一連合》は宇宙での権益を確保するため、非武装を解く指導者を暗殺。正義と平和の名の下に、圧倒的な軍事力をもって各コロニーを制圧していった。アフターコロニー195年。作戦名オペレーション・メテオ。連合に反目する一部のコロニー居住者たちは、流星に偽装した新兵器を地球に送り込む行動に出た。それは、五体の最新型モビルスーツ「ガンダム」。そして、それらを操る五人の少年…戦闘のプロフェッショナル…彼らこそが、コロニーから送り込まれたエージェントだった。というあらすじだけど、Gに負けず劣らずこちらも非常に斬新だと思う。
僕はこの作品の存在を視聴する前から知っていた。ゲーム作品によく登場していたからだ。ガンダムWは放送中は勿論の事、放送が終わってからも非常に高い人気を誇り、長い間ロボットが登場するゲームには引っ張りだこだった。
そこで僕はこのガンダムWという作品に一目惚れをした。「こんなに美しいロボットが居るのか!?こんなに主題歌がカッコいいのか!?このヒイロって主人公クールすぎるだろ!」ともう好きになる要素しか無かった。何もかも好みだった。
厳密に言えばその作品は「Endless Waltz」というWの続編だったけど、事情をよく知らない僕はこういうサブタイトルなんだろうなと勘違いしていた。「ビーストウォーズ」の「超生命体トランスフォーマー」のような副題だと思っていた。
ガンダムシリーズを取り扱ったゲーム作品において、このガンダムWの人気の絶大だった。どの作品にも五人の少年と五機のガンダム達は登場していた。その中にTV版を取り扱った物もあったので、そこでやっと僕は勘違いに気付いた。
ガンダムWの主題歌はどれもカッコ良かった。「JUST COMMUNICATION」も、「RHYTHM EMOTION」も、「WHITE REFLECTION」も、そして「LAST IMPRESSION」も。原曲の良さがゲームのアレンジ曲から伝わってきた。
そして、本編もカッコ良かった。「お前を殺す」「死ぬほど痛いぞ」などWを視聴する前から知っていた有名な台詞を実際に聞く事が出来た。「50階建てのビルから飛び降りても骨折するだけで死なない」「骨折を自力で治す」「鉄格子を素手で握り潰す」などあまりにも有名な主人公ヒイロの逸話も全て真実だった。まさかGガンダムの後とはいえガンダムでこんな事を出来るキャラクター達が登場するとは。宇宙世紀の強化人間でもここまで人間離れしてない気がする。
Wといえばカトキハジメ氏が手掛けた数々のMSも忘れられない。古くからのガンダムファンの中には「GとWはガンダムとして認められない」と否定的な人間も昔は少なからず居たらしい。そんな人でもMS「トールギス」のデザインに関しては唸らずにいられなかったそうな。デュアルアイや特徴的なV字アンテナなど所謂「ガンダム」的な記号は無いのに、あれほどまでにヒロイックな印象を放つMSはそう無いと僕も思う。非ガンダムライバル機の頂点の一つではないだろうか。
ゲーム作品ではあまり出番の無いヒロイン「リリーナ・ドーリアン」の動向も気になった。序盤で父親を殺された彼女は父を殺した犯人への復讐を目論んだり、物心付く前に生き別れた兄と再会したり、とある王国の王女として国家再興のため学園を経営する事になったり、その国が攻められ再び滅びたと思ったら今度は世界国家の元首に祭り上げられた後すぐに辞めさせられたり。MSにも乗らないというのに何と波乱万丈な人生だろう。Wって4クールの話なのに。
設定記録集に抜粋された放送開始前の企画書によると「新機動戦記ガンダムW」という番組の最大の特色は、息をもつかせぬドラマ展開らしい。確かに、主人公達の立ち位置も倒すべき相手も次々に移り変わるガンダムWという作品は非常に目まぐるしくスピーディーな展開だった。勢力図の複雑さは歴代ガンダムNO.1と言っても良いと思う。Zガンダムにも同じ事が言えるけど、一度見ただけでストーリーを把握出来た人はきっと居ないんじゃないだろうか…?
物語の終盤、遂にコロニー側革命軍ホワイトファングと地球側世界統一国家軍は激突する。ガンダムのパイロット達は、どちらにも与さず双方を否定した。未来とは強者の支配によって訪れる物ではない、自分達の手で掴む物だと。
このガンダムWの終盤の展開は本当に熱い。それまで世界各地で戦っていたガンダムのパイロット達が、遂に5人全員肩を並べて戦うのだ。全49話のアニメでチームが結成されたのが44話目だと言うのだから堪らない。待ちかねたぞ、ガンダム!後期OPもラスト10話でようやく解禁された!その後期OPの映像が完成したのは何とラスト2話!最終回のTVシリーズとは思えない超絶作画といいガンダムWという作品のクライマックスは最高に面白かった!!傑作だ!
そしてこの「新機動戦記ガンダムW」という作品は前述したように非常に人気が高かった。宇宙世紀でない所謂「アナザーガンダム」であったにも拘らず翌年にはOVAが製作され、後にOVAを一本に纏めた劇場版も公開された。
僕はTV版を見終えた後すぐにこのOVA作品「Endless Waltz」を見た。この作品に僕が初めて「ガンダムW」の存在を知った時から恋い焦がれていた。ここまで長かった。そして…冒頭の戦闘シーンから度肝を抜かれてしまった。
「何だこの超絶作画は!?量産機の動きがTV版と全然違う!しかもこのMSの描き込み!!あ、ガンダムのデザインもEW版になってる!スゲー!!」とTV版から圧倒的に向上したOVAクオリティにもうテンションが上がった。
舞台はTVシリーズから1年後。地球と宇宙の戦いが終わり平和になった世界で突如何者かに誘拐されたリリーナを連れ戻すために、世間はクリスマスだというのにヒイロ達がまた働くはめになるという内容だった。いかにも続編物らしい。
何と言っても超絶美麗な作画が特徴で、90年代OVA作品としては「ガンダム0083」や「マクロスプラス」と同じくセル画ロボットアニメの極致の一つだと言えるかもしれない。その美麗な作画でカトキハジメ氏が新たにデザインを描き下ろしたガンダム達が戦う。この所謂「EW版」の機体はガンダムファンから絶大な人気を得ており、一時ガンダムWのガンダムといえばこの「EW版」を指す事もあった。現在でも定期的に新商品が出続けている。何という人気だろうか。
Endless Waltzでは最終的に『平和と自由』を自らの手で掴み取るために立ち上がる民衆の姿が描かれる。弱者たちの代弁者として戦っていたガンダムのパイロットは役割を終え愛機を爆破した。彼らは自分の道を歩いていった。
こうして、ガンダムWというお話は綺麗に終わった。TV版で完全平和への道を模索し様々な人達が戦った。EW版でその平和を維持するためには一部の人間が戦うだけでは駄目なのだと民衆が立ち上がり声をあげる姿が描かれた。
TV版では描き切れなかった問題とその解決までを描いた見事な続編だと思う。「Endless Waltz」の数十年後の世界を描いた「Frozen Teardrop」という作品もあってこちらでも何らかの事件は起きているらしいが、僕は恒久平和の実現は非常に難しいと考えているのでそういう続編があっても良いと思う。まだ最初の方しか読んでいないけど結構自分好みだったので僕は好きだ。古くからのガンダムWファンにはあまり評判が良くないなので人には薦めないけど…。
この「新機動戦記ガンダムW」という作品は非常に個性的で面白い。キャラクターのエキセントリックな言動や行動からギャグアニメという人も居るけど、平和と戦いについてキャラが哲学を続ける内容は硬派である、と高い人気がある。
ここからが本題なんだけど…実は「ガンダムW」という作品の結末は企画当初に予定されていた物から変更されたらしい。これは「ガンダム」に限らずどんな作品で起こりうる事なので悪い事ではない。変更した結果面白くなる事も多い。
TVアニメではラストに亡き父と同じ外務次官の任についたリリーナがヒイロから贈られた手紙とぬいぐるみを発見し、その手紙をヒイロの前で破り捨る所で話が終わる。1話でヒイロはリリーナからの手紙を破り捨てたのでお相子だろうか。
一方小説版とコミックボンボンでときた洸一先生が連載していた漫画版では微妙に異なる結末が描かれる。TV版ではヒイロ達5人の少年の顛末は描かれずその後幾つかの外伝を経て「Endless Waltz」に繋がるのだが、この二作ではヒイロ達は火星地球化計画に参加し開拓者として火星へ向かう事となる。ガンダムWで火星が舞台となるのは「Frozen Teardrop」なので、大分先取りしている事になる。というよりEWが無ければ即FTが始まるのだろうか。
これは完全に僕個人の好みなので良い悪いの話ではないけど、僕はTV版のラストより小説版やボンボン版で採用された企画当初に考えられていた終わり方の方が好きだ。ガンダムWという作品でTV版だけでは「ヒイロ達はこの戦いの後何をするんだろう?」という疑問が残るけど、当初の構想では彼らは火星に赴くと断言されている。また小説版でヒイロは《戦いしか知らない俺たちは今の世界にはすぐには適応できないだろう。俺は戦いの中に身を置く事に慣れきってしまったのかもしれない。赤い惑星には俺たちの戦いが待っている。俺は再び戦いの中に身を投じるつもりだ。だが、今度の戦いは死への戦いではない。生きるための戦いだ。俺は必ず生きてみせる》と語っている。幼い頃からエージェントとして戦闘訓練を受けてきた彼らが日常生活にすぐ適応できるかは分からない。実際で「Endless Waltz」においてガンダムのパイロットの一人であった「張五飛」は平和な世界で無用な存在であると切り捨てられた兵士のために立ち上がり、自らが「悪」になる覚悟でヒイロ達と戦った。ベトナム戦争でPTSDを負いどうしても平和な生活に馴染めなかった「ランボー」のような兵士がきっとあの世界にも沢山居たんだと思う。ヒイロも、トラウマに苦しめられていた。
僕がこの終わり方が好きなのはヒイロ達の戦いがまだまだ続く所にもあると思う。ヒイロはTV版で《地球圏統一連合》を裏から操る秘密結社「OZ」の企みにより地球と宇宙の和平を望む平和論者であり連合軍最高司令官でもある《ノベンタ元帥》を殺害してしまう。ヒイロは己の犯した過ちの審判を仰ぐため、元帥の一族すべてに面会する旅に出る。己の罪を告白した後相手に拳銃を手渡し「ご家族の怒りと無念だった元帥の魂が引き金で静まる事」を願う。
ノベンタ元帥の孫娘・シルビアは「こんな事させて自分だけ楽になろうなんて!!卑怯だわ!」とヒイロに怒る。僕も少しそう思う。僕は続編でヒイロが生きている事を知っているので、彼が元帥のご遺族に殺されない事を知っている。
「命なんて安いものだ。特にオレのはな…」という台詞にあるように、ヒイロ・ユイという主人公はとても自分の命を安く見ている。1話で民間人に顔を見られて早速自害しようとしたが死ねなかった。2話でも機密保持のために自殺じみた行為を行ったが死ねなかった。3話では飛び降り自殺を図ったが死ねなかった。10話ではガンダムをOZに渡さないために機体を自爆させたが死ねなかった。物語の序盤でこれだけ自殺を図った主人公は他に絶望先生くらいだろうか。
そんな死にたがりの彼にいきなり拳銃を手渡されて「貴方のご家族を私が殺しました。許せなければ撃ってください」と言われても大半の人は困惑すると思う。怒った相手に殺されたとしても死にたいヒイロからすれば願ったりだろうし。
そのヒイロが、最終回でついに「俺は死なないっ!!」と生きる意思を見せるシーンは感動だ。これまで手にかけた相手の事で内心ずっと悔やんでいたヒイロが、EWの終盤戦いを終え「オレはもう誰も殺さない…」と呟くシーンも良い!
つまり自分の行いを悔やんでいるヒイロには、火星開拓への従事という初期の終わり方は前向きな贖罪になったんじゃないだろうか?と僕は思うんだけど…その終わり方だと「Endless Waltz」という作品は生まれなかったろうな…。
続編の製作が決まる事で現在進行中の物語の結末が変わる事はきっとよくあるんだろうけど、それはつまりその作品の続編が生まれるという事だから良い事だ!と僕は思う。ガンダムW、今年で放送終了25周年らしいです!
Zがテレビ版と劇場版で結末が違い、テレビ版の続きであるZZ以降と繋がりがなくなってしまった。
ただ逆シャアも劇場版と小説版で若干の違いがあり、逆シャアの続きで今度劇場版が公開される閃光のハサウェイがどっちから続くのかなどが最近の話題(でもないか・・・)。
「血界戦線」という作品がある。内藤泰弘先生の描くSF伝奇アクション漫画だ。
2008年にパイロット版が「ジャンプスクエア」に掲載され、翌2009年の短期集中連載を経た更に翌年にはジャンプスクエアの姉妹誌「ジャンプSQ.19」で連載が始まった。2015年にはアニメ化され、人気を博した事は記憶に新しい。
古から生き続ける吸血鬼「血界の種族(ブラッドブリード)」と吸血鬼を追いかけるハンターの組織「牙狩り」の戦いを「何も考えないで見て楽しめる」というコンセプトで描かれた内藤先生曰く「技名を叫んでから殴る漫画」だ。
2008年頃、僕はOVA作品もリリースされていた吸血鬼アクション漫画「ヘルシング」の影響で吸血鬼物に目が無く、この血界戦線にもいっぺんに惚れてしまった。しかも内藤先生といえばあのヘルシングも連載している雑誌「ヤングキングアワーズ」で名作と名高いガンアクション漫画「トライガン」を描かれた人でもあるじゃないか!僕は血界戦線を初めて読んだ時トライガンにまだ触れた事が無かったので、即刻読み始めた。おお…こちらも面白い!内容はとても重い!
やはり読者からの人気も高かったらしく、翌年に短期集中連載としてまたSQにやってきた!この予告イラストのキャラはどっちも読み切りには居なかったが誰だ!?浅黒い男の方は如何にも悪役っぽいな!と非常にワクワクしていた。
読み切り版は「クラウス・ラインヘルツ」という強面の紳士が主人公だったが、短期連載版では平凡そうな少年「レオナルド・ウォッチ」を主人公に、異界と現世が交わる街「ヘルサレムズ・ロット」を舞台に物語は進行する。
今回は吸血鬼も直接登場せず、どちらかというと異界と現世が交わる都市で世界の均衡を保つため暗躍する秘密結社「ライブラ」の戦いと、ライブラの戦いに巻き込まれたレオ君の成長物語がメインな感じだったかな。吸血鬼と目される人物は居たしクラウスさんも登場したので読み切り版から世界観は繋がっているんだろうけど…ところでこの日記を書くためにパイロット版を読み返したら、設定的に本編とはパラレルの関係らしい事に12年経って初めて気付いた…。
その後、翌年新たに創刊されたSQの姉妹誌で定期連載が開始され、キッチリと年2冊のペースで単行本も刊行された。僕は掲載誌を購読するほど熱心では無かったが、単行本は新刊が出ればすぐ買うくらいには好きな作品だった。
僕は血界戦線を「吸血鬼と吸血鬼ハンターの戦いが中心の作品」だと読み切りから思っていたので、連載版だと敵役の吸血鬼が2冊に1話くらいの頻度でしか出て来ないのは正直物足りないとも思っていたけど、ヘルサレムズ・ロットで繰り広げられる世界の命運を賭けた戦いや日常話は吸血鬼が絡まなくても大変面白い物だったので「これはこれで全然有り!」と楽しんでいた。定期的に出て来ては牙狩りと死闘を繰り広げるからタイトル詐欺じゃない!多分…。
そんな訳でこの作品と6年ほど付き合った頃、アニメ化決定の報が耳に入った。SQ作品は連載1~2年でアニメ化が決定する事も多かったので、やっとか~という思いが強かった。ようやくアニメ化の機会が回ってきた!と嬉しくもあった。そして2015年、とうとうアニメが放送された。事前に発表されていたキャスティングもアニメに疎い僕でも聞いた事のある豪華な声優さんばかりで、これは本気で作っていそうだぞ!と伝わってきた。何と宮本充さんがレギュラーですよ!
このアニメ化は大成功で、血界戦線は大人気作品になった。「技名を叫んでから殴る漫画」のアニメ化としては本当にこれ以上無い出来だったと思う。あの技の名前がドォン!と出てくる演出は非常にカッコいい!このOPバンプっぽいな…と思ったら本当にバンプだったり、キャラクター達が「シュガーソングとビターステップ」に合わせて賑やかに踊るあのEDは大量のパロディを生んだ。「アニメは見た事が無いけどEDは知っている」という人も沢山居るんじゃないかなと思う。
一説によるとアニメ化で原作の売上は10倍以上に跳ね上がったと耳にした事があるし、そうだとしても全く驚かないくらいあのアニメ化は良かった。アニメオリジナルのキャラクターにブラックとホワイトという双子の兄妹が居るのだけど、アニメから血界戦線を好きになった人がその二人が原作には居ない事を知るとほぼ間違いなく驚くそうな。それほど違和感なく「血界戦線」の世界観に馴染んだアニメオリジナルキャラであり、「血界戦線」への理解度の高いアニメ化だった。
アニメ血界戦線が終了してから2年後、今度は二期が放送された。こちらも一期と同じく評判が良く、原作の最終回までアニメ化された。原作は現在セカンドシーズンにあたる「血界戦線 Back 2 Back」が連載中で、ファンはこちらがアニメ化される事も待ち望んでいる。また、血界戦線はアニメの一期と二期に合わせて小説版も発売された。作者は何とあの「魔術士オーフェンはぐれ旅」の秋田禎信先生!「トライガン」の内藤泰弘先生と、「オーフェン」の秋田禎信先生のコラボレーションという一体どこに接点があったのか分からないけどとにかく名前を聞いただけで凄いと分かる作品だ!こちらの作品もキャラクターへの理解度が非常に深く、原作ファンからは高い評価を得ているそうな。読みたいな。
そういう訳でアニメ化以降「血界戦線」は人気が爆発し、作品にとってもファンにとっても嬉しい事が続いた。アニメ終了後に発売された公式ファンブックにはパイロット版も収録され、以前から読みたかった原作ファンにも有り難かった。
恵みの雨ならぬ恵みのアニメと呼ぶに相応しい喜ばしい出来事だったけど…ここからが本題で、僕はこのアニメ化以降どうも自分の中の「血界戦線」への熱が冷めたような気がしている。嫌いになった、という訳では無くて…熱が冷めた。
実を言うと僕はアニメ化前まで血界戦線について誰かと意見を交換出来た事がなく、自分以外に好きな人を見かけた事もあまり無かった。積極的に探そうとしていた訳では無かったし、間違いなく人気は高かったので偶然だとも思う。
自分一人だけの解釈を作品を楽しんでいて、他の人がどう思っているのかはさっぱり知らなかった。僕は今でも漫画やアニメの感想を他の人と交換する事はあまり無いし、意見が合わないとつらくなるのでそれでも良いかな…と思ってる。
2015年にアニメ化された時、沢山の人が血界戦線について語っていた。アニメから見始めたという人も沢山居たし、僕がこれまであまり目にする事も無かった原作が好きな人達も沢山見かけた。トライガンは好きだけど内藤先生が新作が連載していた事を知らずに驚いていた人達も居た。いつの間にか新作が連載されていて自分はそれを知らない事って本当に良くありますね…ジャンプSQ.19って影が薄めな季刊誌だったもんなあ…SQが濃いかは置いといて…。
様々な意見があった。「面白い」「原作をよく纏めた」という声があれば「改変が駄目だ」「カットしすぎだ」という声もあった。僕は「原作3話分の話をよく1話に纏めたね!必殺技の演出も最高にカッコ良かった!でもかなりカットされてたね…あのアニオリ必要だったかな?」とどっち付かずな感じだった。まだ1話だしそれで良いと思っていたけど、良いか悪いか白黒を付けたい人は結構居るみたいだった。原作を好きな人同士が解釈で喧嘩しているのを見るのはつらかった。
2話も3話も同じように賛否両論で原作ファンは喧嘩していた。僕も1話と同じように「ここは好きだな」と思う所もあれば「ここは合わないな」と思う所もあった。そう思った所が賛側とも否側とも違ったので、両方に怒られた気がする。
これは作品の良し悪しじゃなくて僕の好みの関係だけど、原作の血界戦線はレオ君が主人公の話とクラウスさんが主人公の話が交互にある印象だったけど、アニメではレオ君が主人公として再構成されていた記憶がある。これは尺の都合でどうしてもクラウスさんが主役の話を何話かカットせざるを得なくて、それならレオ君を主役として描いた方が綺麗に纏まるし話も見やすいだろうという考えがあったのかもしれない。実際アニメはレオ君主役の話として見やすかった。
アニオリキャラクターのブラック・ホワイト兄妹がレオ君と絡みがあったのも理由の一つで、特に妹のホワイトちゃんはレオ君ととても親しくなり友達以上の関係として描かれていた。レオ君は原作だと女性キャラとの絡みも比較的少なく、ライブラで働く同僚の「チェイン・皇さん」と「K・Kさん」という二人のお姉さんを除くと、他は父親と一緒に飲食店を経営する「ビビアンさん」くらいしか異性と接点が無くもし脈があるとすればこの人かなあ…と勝手に思っていた。特に恋愛描写は無いけど。そういう訳でアニメでホワイトちゃんとレオ君の仲が急速に縮まっていくのを見て「ああ~…そっちかあ~…」と何とも言えない気持ちになっていた。そっちも何も原作だとレオ君は特に誰かと恋愛する描写は無いというのに。
ちなみにこのビビアンさんというキャラクターをトライガンの登場人物で例えると、トライガン・マキシマムの1・2話に登場したリィズという女の子くらいの立ち位置じゃないかな?と僕は思っている。うん、影薄いな!でも何か似てる気がする!
血界戦線はアニメ化されて以降どのキャラクター同士がくっ付くとお似合いか?という話題もよく目にするようになった。女性のレギュラーキャラが2名で男性キャラクターが多めな作品なので、男性キャラクターが好きな人達にも受けた。
まあ今なら何故そういう話題が受けたかも分かるけどね!ライブラ男性陣の声優さんが阪口さん、小山さん、中井さん、宮本さん、緑川さんで皆良い男だもんね!当時はよく分からなかったけど人気が出たのも理解は出来るよ!
作品自体に好きな所と合わない所がある、毎回放送される度に作品についてファン同士が喧嘩している、よく分からないネタで盛り上がっている人達も居る、と幾つか要因が重なってその時僕は疲れていた。これならもう他人の意見は見なくても良いかな…とも思っていたけど、アニメ血界戦線は原作ファンは賛否で揉めながらも、前述した通り良い作品だったのでとても人気が高く盛り上がっていた。なので無理に避けようと意識しなければ目の入る状況だったと思う。
そこで「11話は原作にない完全アニメオリジナルエピソード」と「最終話の放送延期」という二つの出来事があった。とても人気が高く盛り上がっていただけに、そういう事もあったからか一時アニメ血界戦線の話題はとても荒れてしまった。
それと関係あるかは分からないけど、僕はアニメ放送開始と数日違いで発売された原作の最終巻を読んで「とても綺麗に終わったな…」と思っていた。7年付き合った作品の最終話がこれで良かった!と思える素晴らしい出来だった。
僕はアニメを11話まで見て「これは原作とは少し違うけどこれはこれで一つの作品になっている」と思っていたし、しばらく経ってから放送された最終回もアニメがオリジナルで描いてきたストーリーを締めるに相応しい纏まった内容だった。
その時から僕の中では「血界戦線は綺麗に完結した作品」という認識になったのか、あまり作品への強い熱量を感じなくなっていた。半年の間に漫画とアニメでそれぞれ別の良い最終回を見たのでまあそうなるかな…と今では思える。
2017年に放送された二期も全話見たしクラウスさんに仕える執事「ギルベルトさん」が車で大暴れする回などアニメで是非見て見たかったし、実際にアニメで大暴れした回は「スッゲー!内藤泰弘作品のアクションってここまで原作再現してアニメ化出来るんだ!スッゲーー!!」と滅茶苦茶感動してしまった!本当にあの回を見られただけで天にも昇る気持ちだったし、二期で原作の最終巻まで原作エピソードをやりきってくれたお陰でとてもスッキリした気分になれた。
こうやって自分の思った事や感じた事を纏めて文章にすると、僕は「他の人の感想に慣れなくて驚いてしまった」のが理由ではなく、「作品の完結」を二度経験した事で一旦作品に関して満足したのが熱が冷めた原因だと思えてくる。
何度も言うようにアニメは良い作品なのでアニメのお陰で原作の面白さはとても広まったし、アニメを見て「血界戦線って面白い!」と思った人はそのまま原作を読んでもきっと違和感なく楽しめる。あんなに良いアニメ化も珍しいと思う。
今後何かの切っ掛けがあれば自分の中の作品への熱が再燃しそうな気がするし、その時は続編のB2Bや秋田先生の小説版も読めそうな気がする。それにしても…12年って、過ぎてみると結構あっと言う間だという感じもしますね。
【追記】
ちなみに血界戦線ファンの間では今でも「アニメの一期はどうだったか」という話題が時々挙がる事はある
僕の中では「原作とは少し違うけどアニメはアニメ単品でも良い作品だったし、漫画原作のアニメ化作品としてもとても出来がいい作品」だったという事で一旦落ち着いている。
なので、他の人がアニメと原作のどっちの方が良いとか話をしていると「もうそういう話は一切目に入れたくないな…」と強く感じる。作品を取り巻く空気の影響で好きな作品から離れてしまうってこういう事なんだろうか、と思った。
【追記2】
僕は内藤泰弘先生とその作品に関しては新規のファンだと自覚している
けれど血界戦線に関してだけは自分は最初から応援していたとそこは堂々と言える
アニメ化以降何か熱が冷めたのは大人気作品になって爆発的にファンが増えた事で「自分はこの作品のファンなんだ」と言いづらくなった事もあるのかもしれない。自分は大勢の内の一人である事に気付いたというか
同じ事は「機動戦士ガンダム閃光のハサウェイ」が劇場公開された後にも起こりそうな気がする…自分は作品の無数のファンの一人なんだとアニメ化するとどうしても強く意識しちゃうのかな…今の僕には理解出来るよ。
【追記3】
こんなにも書きたい事があるなんて自分でも驚いてしまった。やっぱり僕はこの作品が好きなんだろうな。
アニメ版血界戦線は原作と少し男性キャラの描かれ方が違うような気がしていた。原作だと情けない姿も見せるキャラのカッコいい所を強調して映しているような。尺の関係もあるので、それは仕方ないと思う。ただ、主人公でもあるレオナルド君が僕とアニメでは大分解釈が違った。彼はアニメのEDで最後に目を見開きながら笑うのだが、僕の中ではレオ君はそういう事をしないような印象があった。彼の目は妹の視力と引き換えに得た物なので、レオ君はその事をずっと引き摺っていた。原作でも目を開けながら笑うシーンはあまり無かった…と思う。そんな事を言っても作品を否定する側の人間だと肯定する側の人間に思われるだろうから言えなかったし、僕は賛否両論のどっちつかずで居たかった。
作品が綺麗に終わったのが間違いなく大きいけど、やっぱりファン同士の論争があまりに激しくて疲れていた…というのが僕が血界戦線という作品から離れた大きな要因だったのかもしれない…と結論なのかも。
でソレスタルビーイングとアンドレイについて僕が思っていた事は結構書けた。僕が00についてこんな思っていた事を書き出すのはこれが初めてだと思う。まだまだこの作品について書きたい事はあるかもしれない。
沙慈・クロスロードというキャラクターが居る。三大国家群の一つ「ユニオン」に属する経済特区・日本で両親の遺してくれた保険金などを頼りに姉と二人で暮らす工学部の学生で、日本に引っ越してきた刹那のお隣さんでもあった。
彼にはルイス・ハレヴィという仲の良いガールフレンドが居た。スペインからの留学生であり、沙慈は彼女のお母さんから公認を受けお付き合いをしていた。沙慈とルイスとお母さんのやり取りは、00の本編には珍しく底抜けに明るい。
視聴者目線の平凡な立ち位置のキャラクターなのかな?と思いきや、ルイスが何か事故に巻き込まれたと聞くや否や居ても立ってもいられず単身日本からスペインまで飛ぶなど行動派である。ペアリングを渡して愛の告白もする。
ルイスはソレスタルビーイングの実働部隊である「チームトリニティ」の襲撃により両親と親戚を失い、自身も左手首から先を失った。ガンダムのビーム兵器に含まれる毒性により、再生医療も受けられない程の障害を肉体に負った。
報道機関に勤務する沙慈の姉であり唯一の肉親「絹江・クロスロード」は、ソレスタルビーイングとその創設者「イオリア・シュヘンベルグ」の謎を追いイオリアの追跡取材をする内に真実へ近づいてしまい、傭兵サーシェスに殺害される。
この二つの事件が立て続けに起こった事から、沙慈はそれまであくまでその存在を疑問視するだけだったソレスタルビーイングという組織に対して明確な悪意を持つようになる。プトレマイオスチームが直接の犯人という訳では無いけど…。
二期でも彼はメインキャラクターとして登場する。日本を離れスペースコロニーで若き技術者として働いていた彼は、地球連邦政府の保安局に反政府勢力に加担している嫌疑をかけられある日突然逮捕された。お、Zガンダムみたい。
沙慈は囚人を収容するコロニーで反連邦政府勢力を専門に対応する特殊部隊「アロウズ」の囚人掃討作戦に巻き込まれ、対人兵器ロボットにもう殺される!という危うい所で刹那に救出される。刹那、生身でロボット倒したよ!
刹那に救出された後、沙慈はプトレマイオスに保護されるのだが…刹那がソレスタルビーイングのガンダムマイスターであり、5年前から武力介入を行っていた事を知り沙慈は怒る。沙慈の関係者を傷付けたのがプトレマイオスチームではないにしても、同じ組織に属していた相手だからしょうがないと思う。一期でロックオンも自分の家族を殺した仇と同じ組織に属していた、というだけで自爆テロとは直接関わりない刹那に怒ったので、これはもう感情の問題だと思う。
沙慈は刹那の同僚であり生まれ付いてのガンダムマイスターである「ティエリア・アーデ」に「君は現実を知らなすぎる」と叱られる。プトレマイオスチームで沙慈を叱る事が出来るのがティエリアだけだったのは、彼が沙慈とは真逆に戦いの中で生きてきた戦いしか知らない人間だった事もあるんだと思う。他のメンバーは沙慈のように平和な日常の中で生きてきた経験もあるので、大切な人と日常を奪われて怒る沙慈を本気で叱る事は出来なかったんだろうか…?と思った。
ソレスタルビーイングの武力介入とその影響で大切な人間を失った遺族の立場から、沙慈はソレスタルビーイングに辛辣な言葉をぶつける。ソレスタルビーイングが掲げる「紛争根絶」という理念とは全く関わりのない事で親しい人間が傷付いたのだから、当然だと思う。ソレスタルビーイングのメンバーもそんな沙慈に「わかってもらおうとは思わない。恨んでくれても構わない」という態度しか取れない。ここら辺はWのヒイロとノベンタ元帥のお孫さんの話を少し思い出すな…。
ところがある時沙慈の立ち位置が変わる。ソレスタルビーイングから反政府勢力「カタロン」の施設に預けられた彼は、脱走を決意する。元々沙慈はカタロンの構成員だと誤解されて死にかけたのだから良い感情なんてある訳がない。
カタロンの構成員に嘘をつき上手く脱走に成功した沙慈は連邦軍に見つかり、カタロン関係者だと思われ連行される。そこで連邦軍屈指の人格者セルゲイ大佐に、自分にかかった嫌疑を解いてもらうためこれまでのいきさつを話した。
そこからカタロンの地下施設の情報が漏れ、アロウズの攻撃を受けたカタロンに数えきれない犠牲者が出てしまう。沙慈はこの時、自分がこれまで非難してきたソレスタルビーイングと同じ加害者側になってしまった。間接的にだけど。
これ以降沙慈は自分を責めるようになり、被害者としてソレスタルビーイングを責める事を控えるようになった。それどころか人員不足のプトレマイオスの戦力を補うために、ダブルオーガンダムの支援戦闘機「オーライザー」のパイロットを務めるようにもなる。一期で戦いを傍観する第三者だったキャラが、二期では自分も戦いに加わる当事者になった。これはソレスタルビーイングの起こした変革であり、戦いは誰にとっても他人事では有り得ないというメッセージだと思う。
…けれど。沙慈の複雑なところは当人も勿論ソレスタルビーイングの活動による犠牲者なんだけど、一期でソレスタルビーイングの出した名もない犠牲者達の代弁者でもあった事だと僕は思っている。沙慈以外に「自分達は武力行使なんかしていなかったのに貴方達の活動の犠牲になった!」とソレスタルビーイングに怒りをぶつけるキャラクターが00には居なかった。ガンダムだから出てくるのはどうしても軍人ばかりで、そういう意味でも沙慈みたいなキャラは珍しかった。
その沙慈がソレスタルビーイングに与するようになったので、機動戦士ガンダム00には「ソレスタルビーイングの犠牲者」という立ち位置の存在が居なくなってしまった。勿論プトレマイオスのメンバー達は自分達の行動が多数の犠牲者を生み出している事を重々承知して、戦術予報士の「スメラギ・李・ノリエガ」が半ばアルコール依存症になっているのはそういう理由から、だと僕は思っている。軽く見返すとスメラギさんはいつでも酒を飲んでる気がする…作戦後とか。
ただ沙慈がオーライザーに乗った事で救われた人間はあの世界に多く存在するし、黒幕の策略でアロウズ側に付いてしまったルイスが最後には沙慈と結ばれたのも沙慈が「ルイスを取り戻すために」刹那達と力を合わせて戦ったからだ。
二期での戦いを終えた後、沙慈はソレスタルビーイングを離れ軌道エレベーターの整備士として働いている。アロウズと戦うソレスタルビーイングの活躍を称える新政権のプロパガンダ映画にも沙慈に相当する人物は出て来なかった。
これは機動戦士ガンダム00という作品において「沙慈はソレスタルビーイングと共に戦った」けど「沙慈はソレスタルビーイングの一員ではない」という表現だったんだろうか?と今になって気付いた。沙慈は戦いをする人ではなかった。
この日記を書くために00を軽く見返していて、「ソレスタルビーイングのメンバーには守る物が無い」事が共通点としてあるのかもしれない…と思った。二期の沙慈は姉を亡くしルイスとも離れ離れでもう失う物がないから命懸けで戦えた。劇場版の沙慈はルイスという大切な人を取り戻せたので戦いから離れた。アレルヤはマリーという大切な人と再会出来たので一時プトレマイオスを降りた。と考えると何だか僕の中では腑に落ちるような気がする…全く根拠はないけど。
グラハム・エーカーというキャラクターが居た。1話でAEUのスペシャルで2000回で模擬戦なエースを倒した主人公刹那を2話のラストで襲う相手で、ガンダム00でアリー・アル・サーシェスと並んで人気が高かった敵役の一人だと思う。
MSに乗らない1話から「失礼!」と断りを入れながら本当に失礼な事をする愉快な人だった。僕は00を視聴する前からこのグラハムという人が人気である事を知っていたし、実際に本編を見てなんと魅力的なキャラだ!と惚れ込んだ。
このグラハムは三つの超大国家群の一つ「ユニオン」の軍隊、ユニオン直属米軍第一航空戦術飛行隊通称MSWADに所属する軍人で、ユニオンの最新鋭MS「ユニオンフラッグ」を与えられたエースパイロットであり、操縦技術も高い。
00に登場したキャラクターの中でも最もガンダムと交戦した回数が多いパイロットだろうし、その度にちゃんと生還しているので操縦技術だけでなく判断力が優れている事が分かる。登場回は大体善戦してるし流石ですグラハム中尉!
この人は幾度となくガンダムと戦いながら一度も仕留めるに至らず、また共にフラッグを駆る「フラッグファイター」であった部下や愛機を改修してくれた恩人ガンダムとの戦いで失った事から、戦う内にガンダムに対して恨みを抱くようになる。同時にMSという兵器を扱うパイロットとして「ガンダム」の圧倒的な性能に心奪われ、魅了された。ガンダムの性能は作中に出てきた台詞から三大陣営の最新鋭機の6倍以上の性能があるらしく、夢中になっても仕方がないとも思う。
ガンダムに対して歪んた愛憎を持ち一期の最期で主役機「ガンダムエクシア」へ襲い掛かる彼を主人公刹那は歪んでいると見なし、断ち切る事を決意した。グラハムは自分を歪ませたのはガンダムの存在だ、と主張した。正しく愛だね。
結局一期最後の戦いはエクシアとフラッグの相討ちという形で終わる。グラハムは亡くなった二人の部下の仇を取れたと満足し、エクシアとフラッグは大破した。中の人はどちらも生きてたけど、二期で出番があるからこんな所で死ねない。
二期で再登場したグラハムは周囲から「ミスター・ブシドー」と呼ばれ刹那の駆るガンダムと戦い決着をつける事にのみ執着する面白いけど歪んだ人物になっていた。一期で生き延びた後他に生きる意義を見つけられなかったんだと思う。
結局グラハムは刹那との決闘に敗れ、刹那に自分のトドメを刺すように求めるが刹那は「生きて明日を掴む事が自分にとっての戦いである」と言い、グラハムにも「生きて戦え」と告げた。グラハムは一期でも二期でも死ねなかったけど、劇場版まで生き延びられて本当に良かったと思う。グラハムは地球連邦軍に復帰し、フラッグの後継機でもある可変MS「ブレイヴ」を駆る強襲部隊ソルブレイヴスの隊長に就任し大活躍する。劇場版はグラハムファン必見だと思う!
グラハムは劇場版で二期の自分の行いを愚行と呼び、ガンダムではなく刹那を超えたいと言う。そして地球外生命体「ELS」との決戦で刹那の通り道を作るために華々しい最期を遂げた。刹那と対になる主人公のような気がしてくる。
ここからが本題で…グラハムだけでなく沙慈もそうなんだけど、一期の戦いでソレスタルビーイングに恨みを持った人間は二期でソレスタルビーイング寄りの立ち位置になっている気がする。そういう段階は二期で終わったからだろうけどね。
機動戦士ガンダム00では対話と相互理解の重要性が何度も訴えられる。今は敵対していても相手と話し合って分かり合おうと努力した人は何らかの形で努力が実っている。宇宙世紀でニュータイプ達が目指していた物だと思う。
ところで小説版00によると刹那が量子ジャンプを行ってから地球に帰還するまでの50年の間も「世界各地から争いの火は消えなかった。」「大戦に発展しかけた事もある。」とマリナが述懐している。グラハムが主演を務める00の続編もその時代が舞台になると言われている。ELSが平和の象徴である花になっても争いは無くならなかった。コロニー公社と労働者のような問題はELSが居てもどうにもならないだろうし仕方ないのかもしれない。突如現れ地球でも暴走したELSのような存在を人類が受け入れるのも難しかったと思う。その気になれば人間を触れるだけで殺せる存在が、地球全土から集められた軍事力の大半を壊滅させた後何か友好の意思を示してきたとしても、怖いだけだと思うし…。
地球連邦軍の損失率は戦いが終わった後には50%を超えていたと思われる。ELSとの戦いで親族を亡くした遺族は、果たしてELSという存在を許せるだろうか。ELSとは関係なく7年前にソレスタルビーイングが紛争根絶を掲げ武力介入を行っていた時それが原因で親しい相手を亡くした人間はまだ恨みを抱えていたかもしれない。対話や相互理解なんて絶対にごめんだ、という人もひょっとしたら居たかもしれない。作中には出て来ないので僕の想像だけど。
サーシェスやリボンズのように相手と分かり合う気がなく争いをやめる気もない人物は世界から排除される。僕は「劇場版の後だとそういう人は最終的に殺されてしまうんだろうな」と00が好きな人の前で言ってしまった事がある。その時は「どうせ00観てないで言ってるんだろうけど」と相手を怒らせてしまった。確かに劇場版にそういう人物は出ていないから勝手な想像だし、怒らせてしまったこっちの言い方が悪かった。話に水を差してると受け取られても仕方がないと思う。
グラハムが主演が務める続編では、ガンダムマイスターとしてソレスタルビーイングに加わったグラハムがエクシアの改修機に乗り「空白の50年」を戦うと予想されている。ああやっぱり00の続編早く見たいですね!もう楽しみで仕方ない。
【追記】
ソレスタルビーイングは「人類がやがて宇宙に飛び立った時に宇宙で火種にならないように」というイオリアの壮大な願いを実現するための組織…と考えてもいいのかな。実は本編前から結構怖い事もやっていて、ガンダムに搭載するためのGNドライヴは一期が始まる90年くらい前に完成していたんだけど、木星圏で20年以上かけてGNドライヴを作り上げた技術者達を機密保持を理由に皆殺していたり…08MS小隊のギニアス兄さんもやってたけど、悪役っぽいかな。
ところで僕はガンダム00の悪役だとチームトリニティの長男「ヨハン・トリニティ」とイオリアの計画を捻じ曲げていた黒幕「リボンズ・アルマーク」が好きだ。この二人は計画の一部としてやがて死ぬ事が決定されていた。ヨハンは任務以外の何にも興味を示さず狂暴な弟や妹をろくに諫めない人だったけど、ガンダムマイスターとして与えられた使命には誰よりも忠実でストイックな人だったしあの最期にはどうしても同情を禁じえない。リボンズはイオリアの計画を円滑に進めるために生み出された人造人間だけど、使い捨ての駒として終わるのが嫌だったから計画を乗っ取って自分が支配者側になる事を目指すという…冷ややかな性格に見えて実は創造主への反骨心が原動力だったって所がとても良いと思う。
ソレスタルビーイングの計画って人類全体の事を考えてはいても個人の事は全く考えてないんだろうなと思うから…GNドライヴの製作に携わった人達もチームトリニティもプトレマイオスチームもイノベイドも死んで人類のためになってねって扱いなのは正直怖い。だから使われるのではなく自分が使う側になってやるんだってリボンズは悪役だけど「ただ計画に従うだけで終わってたまるか!」ってガッツを感じるのが好きなのかな…と書いていて思った。やってる事は悪役だけど。
ところで機動戦士ガンダム00には「in those days」というキャラクター原案を担当された高河ゆん先生による各キャラクターの内面について掘り下げられた漫画作品があるけれど、僕はこの漫画で描かれたリボンズの解釈が大好きだ。ソレスタルビーイングのスポンサーでもある国連大使「アレハンドロ・コーナー」の小姓をリボンズは結構楽しんでやっていて大使が亡くなった事を本当は少し残念に思っていたり、計画がどんどんズレて次々修整せざるを得ない状況に内心殆ど余裕がなかったり、実は親であるイオリアが人間ばかりを見て子供である自分の方を見ず愛してくれなかった事に大変なコンプレックスを持っていたり…アニメの冷ややかな悪役という雰囲気も良いけど、この漫画の実はとても繊細な内面で打たれ弱いリボンズは人間臭くて「これはこれでとても良い!」と僕は思う。アニメの世界でもリボンズが改心すればまた彼は肉体を作り直して復活できるのだろうか?実際にグラハムは復活したので少しだけ期待しても良いかな。
もしかしてイオリアという人は大切に思える誰か特定個人が居なかったからあんな壮大な計画を思い付き実行出来たのかな?と少し思う。もし居たとしても「世界を良い方向に変革したい」という使命感が勝ったのかもしれないけど。
00の感想を書いている内にやっぱり僕は00が好きなんじゃないだろうか、という気がしてくる。「やっぱり好きな方なんだろうなあ」というこの距離感で00とは末永く付き合っていきたいなあ。
2015年に一期が始まり、2017年に分割で放送された二期が完結した、まあ色々と賛否両論な作品で放送終了から3年経った今でも話題になる事が多いタイトルである
正直に言うと僕はこの作品の一期が好きではなかった。主人公の三日月・オーガスを始めとした主役組織鉄華団の面々が好きではなく、逆に悪役である治安維持組織ギャラルホルンの側に肩入れしていたのが原因だと思う。
三日月はそれまでのガンダムにも中々居ない割り切ったドライな性格で、敵兵士を無表情で射殺する、初対面の相手を絞殺しかける、戦う事への迷いや敵への容赦が殆ど無いガンダムには比較的珍しいタイプの主人公だった。
鉄血のオルフェンズの一期はその三日月くんの所属する民間軍事組織「鉄華団」が、地球の植民地である火星の貧困問題解決を求めるクーデリアお嬢様を貿易交渉のために地球に送り届けるための護衛を務める話だったのだが、
鉄華団は保有するMS三機と、彼らの後ろ盾である木星圏のマフィア「テイワズ」から派遣してもらったMS二機を合わせた計MS五機の戦力で、ギャラルホルンを統べる七大氏族の一人「イズナリオ・ファリド公」が動かせる私兵と、地球軌道上に接近した勢力から地球を防衛する艦隊「地球外縁軌道統制統合艦隊」から差し向けられたMSを撃退し、ついにクーデリアを火星を分割統治する地球の経済圏の一つ「アーブラウ」へ無事送り届ける事に成功する。
それは良い。00のように一度主役達が敗れてからまた再結成、という展開にでもならないと主役組織が物語半ばで体制に敗れて壊滅する展開なんて中々描けない。負けてたまるか、と鉄華団の少年達は大人達に勝利した。
気になるのは、鉄華団のような極小規模な武装組織が、あの世界における唯一の軍隊であるギャラルホルンに正面から戦いを仕掛け、勝利するにしてもそのために払った犠牲が戦いの規模に割にあまりにも少ない気がする事だった。
地球外縁軌道統制統合艦隊との戦いで鉄華団は組織の古株であり参謀を務めていたビスケット・グリフォンを失った。名もない多くの団員達も戦いの中で散った。だが、作中で鉄華団が勝利と引き換えに失った物はそれだけ。
最後まで戦い抜いた五機のMSのパイロットも、鉄華団に所属する名前のある団員も、ビスケット一人を除いて誰一人として失われなかった。最終回もグッドエンドのような流れだったし、一期は完全勝利だったと考えても良いと思う。
ギャラルホルンは鉄華団との戦いに投入された多くの兵士の命と、七大氏族の党首が一人、七大氏族の後継ぎが一人、そして300年間揺らぐ事が無かった治安維持組織としての面子を失った。
アイン・ダルトンという一人の兵士が居た。彼は恩人と慕っていた上司を三日月に殺害され、その怨恨から鉄華団との戦いに志願し、戦いの中で半身を失った。その後非人道的な処置を受け、MSと完全に融合した異形の姿で蘇る。
そして最後の敵として三日月の前に立ち塞がるのだが…彼の活躍は思ったよりしょっぱい。瞬く間に鉄華団のMSを三機倒し衝撃的な登場を果たした…かと思いきや、その撃墜したMSのパイロットは怪我を負っただけで無事だった。
アインは主人公三日月を上回る圧倒的な反応速度で主役機ガンダム・バルバトスを苦戦させるのだが、彼がバルバトスに与えた損傷は片方のアンテナを折った事くらいだった。バルバトスが追加装甲を付けていたとはいえ、辛い。
逆に彼は機体の性能でもパイロットの反応速度でも勝っていた筈の三日月が親友オルガ・イツカの激励により本領を発揮した途端に圧倒され、辞世の言葉を言い切る間もなくコクピットを潰されて今度こそ本当に死んでしまった。
鉄華団は主役だから勝つにしても、これではあまりに双方の戦果と被害に差がありすぎじゃないか?と僕は思った。勿論これを言うと、鉄華団の勝利を喜んでいたファンからは作品のアンチ扱いされた。水を差してるから仕方ないけど。
こういう事があって僕は正直鉄血のオルフェンズに良い印象を持っていなかったし、嫌いになってもいたけど、そういう気持ちを吐き出せる場所もなかった。僕のこの作品の評価が変わったのは半年後の二期が始まってからだった。
鉄血のオルフェンズ二期の舞台は一期から2年後。鉄華団という小規模な武装勢力がMSという戦力を有効に扱い、ギャラルホルンという巨大な組織に土をつけた事で社会情勢に様々な変化が訪れた世界だった
鉄華団の活躍により少年兵とMSの有用性が広まり人身売買は益々横行し、MSを所有する犯罪組織も増えた。一応秩序の番人であった治安維持組織の権威が地に落ちた結果、各地で犯罪行為や暴動も増える事になった。
火星は経済的に一期より少し豊かになり、鉄華団はテイワズに正式な直系組織として認められ急速に組織の規模を拡大。アーブラウの代表と強い繋がりを持つ事で地球に支部も設立し、順風満帆に会社経営は進んでいた。
組織が大きくなった弊害として同じ組織の先輩に睨まれたり、政争を繰り広げる偉い人達に目を付けられて敵視されたり利用されたり、組織が請け負える以上の規模の仕事を受けてしまって会社の経営が傾いてしまうんだけど
僕は二期のこういう展開が「ああ、本当にありそう…」と思えて大好きである。一期が若者達の夢のある栄光の物語だとすると、二期は現実は辛い所を見せられる転落の物語なんだろうか?栄光と転落は大体セットだけど。
結局鉄華団はギャラルホルン内の権力闘争に巻き込まれて地球支部の経営に失敗し、テイワズのNo.2に睨まれた結果組織を追い出され後ろ盾を失い、失脚したイズナリオ公に変わりファリド家を継いだ「マクギリス・ファリド准将」に肩入れし、ギャラルホルンでも最大最強の戦力を誇る大規模艦隊「月外縁軌道統合艦隊アリアンロッド」と矛を交えた結果大敗し、組織のNo.1とNo.2であったオルガと三日月が死亡した事で壊滅してしまった。
この二期を通してじわじわ、じわじわと一期で鉄華団が積み重ねた成功が崩れていく様は本当に凄いと思う。成功物語ならよくあるけど、その成功からの破滅を描いたアニメはあんまり見ない…無い事も無いんだろうけど、多分少ない。
主人公が敗北し、死亡する所まで描いた長編ガンダムも閃光のハサウェイ以来じゃないだろうか。パラレルが有りならファーストとゼータも小説版では…だけど、映像作品のTVシリーズでは間違いなくこれが初めてだと思う。
僕はこの二期の顛末にとても興奮した。完全勝利すぎて好きじゃないな…と思っていた一期の結末が、二期のこの完全敗北な結末に至るまでの逆算から描かれた物だったのだ、と勝手に思った。成功した人間はいつか破滅する。
ところが、一期の結末を大絶賛していた人達はこの結末を「雑すぎる」などと批判する。二期の結末が好きな僕が一期の結末が気に入らなかったように、一期の結末が好きだった人達は二期の結末が気に入らないようだった。
「鉄血は一期は良かったが、二期は…」という人もよく見かけるけど、じゃあ何故貴方達は一期でシノやラフタやアジーさんが不自然に生き残った事には文句を言わなかったんですか?と言いたくなる。言ったら喧嘩になるけど。
僕は鉄血のオルフェンズの一期に色々と不満があり嫌いだったけど二期で好きになった。逆に二期に色々と不満があって嫌いになったけど今でも一期は好きな人もきっと居る。どちらもこの作品が好きだった事に変わりはないと思う。
完結してから3年経って好きな気持ちも嫌いな気持ちももう大分薄れていた気がしたけど、結構作品について書いてしまった。悪く言われている所を嫌な気持ちになるし、きっと僕は今でもこの作品の事を好きなんだろうな。
鉄血のオルフェンズの次回作であるビルドダイバーズとその続編リライズは今のところ特に内容で荒れる事は無く、平和に語られている。逆にこの作品は今でも最新作であるかのように叩かれているし、話題に挙がるとよく荒れる。
この作品の話題が荒れる事で人が集まって新作の話題で荒れる事が少なくなるのなら、それはそれで良い事なのかもしれないな、と思った。今でも叩かれてるのを見るとつらいけど、きっといつかは落ち着いて語れる日が来ると良いな。
【追記】
僕は鉄華団の面々が好きでなくギャラルホルンに肩入れしていたので一期は好きではなかった、と言ったけれど鉄華団に好きなキャラクターが居なかった訳では無い。パイロットなら天才肌のミカより努力家の明弘の方が好きだったかな?
テイワズから鉄華団に監査役として派遣された「メリビット・ステープルトン」という医術の心得のあるキャラクターが僕は好きだった。少しオルガと良い雰囲気になっていた?ような気もするけど、二期を見る分にはどうも勘繰りだったみたい。
彼女は団員が負傷した際に応急医療が出来る医療要員が鉄華団に居ない事について団長であるオルガを諫める事が出来たし、ビスケットが戦死した際血気に逸りギャラルホルンを皆殺しにしてやると猛る団員達を前に「こんな事は間違っている、ビスケット君はこんな事を望んでいない」と涙ながらに訴えた事もあった。大人の目線から危なっかしい子供達を見守る、ビスケット亡き後の鉄華団のブレーキ役を務める存在だったような気がしている。
結局一期はメリビットさんが諫めるまでもなく鉄華団は勝利したので彼女の心配は杞憂に終わったのだけど、二期の末路を見ると…戦いから抜け出せない鉄華団は戦いの果てに滅びる事が決まっていたのかもしれないな、と思った。