初代ガンダムの映画とZの映画とF91の映画と逆襲のシャアとリーンの翼を見た。
基本的にどれも面白かった(面白くなきゃこんなに見ない)んだけど、全体を貫く家族観というか男女観というかがどうも納得できない。
そして、軽くググったんだがその辺をうまく言語化してくれてる考察記事なんかも見当たらないので書く。
まず基本的に私は、男女に本質的差異はない……というか、あるかもしれないが、文化と科学の力でそれは限りなく縮小していくべきだと考えている。
男女に差異はあるかもしれないが認めるべきでない、というのが正確か。
生まれた時に定められる性別などというものがついて回るのは人間にとって不幸だと思うからだ。
時折SF作品などで描写される、無性で生まれ、ある程度成長したら本人の意思で性別を決定できるとかそもそも性別の概念がないので決定もしないとか、そういう世界が好ましいし美しいし幸福だと考えている。
また、家族制度もなくてよい。個人として生きるのに、家族がついて回るのは恐ろしい。
強い反出生主義ではないが、性別や家族の檻から抜け出すのが困難な現状での生殖は、あまり喜ばしいことだとは思えないので複雑な表情になる。
そして富野アニメなのだが、性別の差異を強調しているような描写があるかと思えば性差に無頓着な描写もある。
女性性を持ち上げたりしたあとに、逆に所詮女子供と馬鹿にしているような言動を主人公格が言ったりする。
家族についても、家族や血筋は呪いだというニュアンスと、家族って大事だよな!みたいなニュアンスが混在している。
そして性愛や生殖についてはなぜか妙に生々しく描かれている……基本的には肯定的だと思うのだが、美化というよりとにかく生々しい。
これがもし一貫して「男女は別物、家族は大事、ヘテロ恋愛して生殖バンバンしようぜ」みたいなことを語る作家であれば、私も「性別概念に魂を縛られた古い人間め」と見切りをつけるのが簡単なのだが、見た限りの富野アニメはそうとも言い切れない。
もちろん、そもそも作家性がなくその場に応じたエンタメを作ってるだけなので考える必要がないとかそいういうクリエイターでもなさそうだ。
識者からすると、富野由悠季の性別観、家族観、生殖観というのはどのように整理されているのだろうか?
私にとっては大雑把に言えば不快な場面が多いのだが、ただ不快だとは言い切れない部分もあり(だからこんなに見たのだ)、なんとも落ち着かないのだ。
16日の18時頃追記/
トラバを見て、少し整理できた。
富野作品には厭世観や人間不信が感じられるので、生殖や恋愛への否定を予想して見ることになるのだが、いつの間にか性愛への肯定描写がされていて、そこがうまく繋がらないのだ。
下世話に言えば、アムロもカミーユも機能不全家庭育ちで恋愛や家庭への不信をこじらせ幼なじみにも冷たい非モテっぽいのに、ララァやフォウとは出会って即スマートにいい感じになるのはNTの共感を踏まえても納得できないってこと。
これは富野自身が結婚し子供を作っていることへの「こんな作品作ってて家族持ちなの!? だから子孫肯定なのかもしれんけどよく結婚する気になったな!?」という戸惑いとも近い。
宗教作品じゃないんだから、作品内でいろんな志向が語られる方がリアルっぽいだろ。 現実だって性差に無頓着な場面と強調されるような場面があるし、家族は呪いである側面も、家族...
富野アニメなるものを全く知らんけど 女性性を持ち上げたりしたあとに、逆に所詮女子供と馬鹿にしているような言動を主人公格が言ったりする。 これは矛盾しないだろ。特に高齢の...
富野と言うのは空を飛べなかった人なんですよ。富野は両親を嫌っていますが、その両親がいなければ今の富野が生まれ得なかったというのは本人の弁です。監督という仕事をやるよう...
なかなか頷けるコメントありがとう。 でもスッキリしないのが、「今という時に地に足を付けて考えてみれば、子孫を残す為に男と女がセックスをして女性が子を宿し、家族を形成して...
そりゃ子孫を残さない限り遺伝子は受け継がれないから。 新しい在り方をした人類が出てきてもその遺伝子が残らないのであれば、結局それは一過性の偶然で終わって人類は古い生き方...
エゥーゴは一応反体制って言っていいのでは 結局勝ったらそいつも紛れもない体制側になっちゃったってだけでさ
敢えて雑に論評するけど今の世の中で幸せに楽しく暮らしてる人はお前みたいな男女感とか家族感にはなりえんのよ、今の世の中で幸せなんだもん お前は色々うまく行ってないからそう...
私が人生うまく行ってないから価値観が普通じゃないというのはその通り。 我ながら機能不全家庭育ちのオタクが性別や家族へ不信感持つパターンの典型だと思うし。 でも富野もアムロ...
描写の技巧不足とアニメによる時間制限で深く描けていないだけじゃない?と思うけどちがうんかな 後者はニュータイプ同士だからて色々説明つけれちやうんじゃない?だめ?
個人的には、富野作品には「生命賛歌」のような思想が共通してあるように思う。 命のすばらしさとそれがあっという間に消え失せるリアルな儚さとでもいうのかな。 で、「生命賛歌...
貴様ほど急ぎすぎもしなければ、人類に絶望もしちゃいない!
それってほんとに富野の主義の話か? 富野はキャラクター没入型の作品作りをしないから一つの作品に強い女だったり昭和の少年だったり多様な人物像が混在して描かれることが多いと...
分かりやすくなるようにアムロというキャラクターに着目した表現をしたけど、アムロなりシロッコなりカロッゾなり、個のキャラクターだけを見て「はいこいつの言動はモラル違反~...
よくわからんがこんなヤツもいるよねくらいのキャラクターもでてくるんじゃないか? 出てくるキャラクターが全て作者の代弁者だったらおかしい
全然詳しくないけどアムロってガンダムをすぐ乗りこなせたんだっけ? 初めて接近するもの(=異性)とすんなり波長を合わせられるタイプなんじゃね 的外れだったらすまん
Gのレコンギスタも見るんだ最終話にご夫婦揃って少しだけ出演されてるぞ
ブレンパワードを見るといいんじゃないかな。あれを見ると富野の女性観(母親観)が感じられるかもしれない。同時に家族論みたいなところもあるし、登場人物みんな機能不全家庭の出身...
性別が変わらないのは人間が生まれた時からの性を生涯維持するしかない高機能な生物だからだよ 局面に応じて生物としての在り方を変化させる必要があるほど過酷な環境で それまでの...
富野作品には厭世観や人間不信が感じられるので、生殖や恋愛への否定を予想して見ることになるのだが、いつの間にか性愛への肯定描写がされていて、そこがうまく繋がらないのだ。...