はてなキーワード: 即断とは
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「二次創作」の愛国教育は、戦後社会に見られるひとつの伝統芸であり、サブカルチャーであり、この分野に詳しい者にとっては見なれたものである。
「戦前っぽいもの」のパッケージは、戦後長らくつづいた保革対立のなかで形成されたものである。
保守勢力(自民党文教族、文部省など)は、教育の荒廃が叫ばれると、かならず国旗掲揚、国歌斉唱、「教育勅語」の再評価、修身の復活などを主張してきた。
国旗国歌問題に火をつけた第三次吉田茂内閣の天野貞祐文相は、その嚆矢である。内藤誉三郎(文部事務次官→参議院議員→第一次大平正芳内閣の文相)のように、「天壌無窮の神勅」を学校で教えるべきだと主張した例もある。
教育機関で国民国家の歴史や意義を教えることは必要である。国民国家は、現在の国際政治の基本的な単位だ。これを否定するつもりはない。
グローバリズムの時代、国民国家というシステムをいかに無理なく保守・管理・運用していくか。政府への盲従や排外主義などの欠陥は認識しつつも、こうした問題に取り組んでいくことは欠かせない。
パッケージを丸呑みするかいなかの二者択一は、あまりに単純すぎる。
ナショナリズムはいつどこで芽生えるか →戦争で負けている側である。
あるいは学歴を誇る人間はいつ登場するか。→落ちぶれてそこしか砦がなくなった時である
東大卒のりょーすけさんなどは、もう道具として使う。ふつうはそういうものだ。
東大生かくあるべし、みたいなことを言い出すのはかなり痛い
今日ほど「君が代」に関する議論が劣化した時代はほかにないだろう。
「君が代」を歌うか、歌わないか。問題はあまりに単純に二分化され、歌えば保守・愛国であり、歌わなければ左翼・反日であると即断される。そしてこの単純な白黒図式に基づき、「愛国者」を自任する者たちが、気に入らない相手に食って掛かるしかも、驚くべきことに、この「愛国者」を自任する者たちの多くは、「君が代」の歴史や意味をロクに知らないのだ。「君が代」は、敵と味方を判別し、敵を吊るし上げるための単なる「踏み絵」と化している
「ネットモブ」が「ネット右翼」と呼ばれたために、その主張も「保守」や「右翼」のものと勘違いされてしまった。この結果、昨今のナショナリズムの「再評価」とあいまって、歴史的な経緯に詳らかではないネットユーザーのなかで、劣化した議論が急速に肥大化してしまった。
1890年2月、帝国議会の開会を直前に控え、地方の治安維持をつかさどる県知事(内務官僚)たちは、「文明と云ふことにのみに酔ひ、国家あるを打忘れた」自由民権運動を抑制するため、「真の日本人」を育成する国民道徳の樹立を求めた。
→とはいえ、当初の「教育勅語」の内容は、後世の文書などにくらべて、意外にも慎ましいものだった。
「日本は神の国であり、世界を指導する権利がある」などという大それた神国思想は、「教育勅語」のなかに見られない。これは、『国体の本義』(1937年)や『臣民の道』(1941年)などで、教育界に広められたものである。
むしろ「教育勅語」の内容はかなり抑え気味だった。たしかに、「我カ皇祖皇宗国ヲ肇ムルコト宏遠ニ」「天壌無窮ノ皇運」など神話にもとづく記述もあった。だが、そこに掲げられた個々の徳目は現実的で、日常的な振る舞いに関するものが多くを占めた。
日本が日清戦争や日露戦争に勝利し、帝国主義列強の一角を占めるにいたって、かえって問題が指摘されるようになった。大国日本の国民道徳として、「教育勅語」はあまりに物足りないのではないかと注文がつきはじめた
→君主たるもの、特定の政治的、宗教的、思想的、哲学的立場に肩入れする言葉を使うべきではなく、またその訓戒も「大海の水」のごとくあるべきで消極的な否定の言葉を使うべきではない
また、井上は帝国憲法の起草者として立憲主義を尊重し、「君主は臣民の良心の自由に干渉せず」と述べて、「勅語」を軍令のように考える山県の構想も牽制した。
もちろん、自由民権運動対策が念頭にあったこともあり、独立自治などにつながる徳目が慎重に排除されていることは見逃せない。その一方で、その内容は、神国思想や軍国主義の権化のごとき過激なものでもなかった。
追加修正
西園寺公望は、明治天皇の内諾を得て、「第二の教育勅語」の起草に着手した。
1919年、『勅語衍義』の執筆者・井上哲次郎によって「教育勅語に修正を加へよ」という論考が発表された
この提言の背景には、同年に朝鮮で起きた三・一独立運動の衝撃があった。
結果的に、「教育勅語」の不足分は、ほかの詔勅の発布で補うかたちが取られた。1908年発布の「戊申詔書」、1939年発布の「青少年学徒ニ賜ハリタル勅語」などがそれにあたる。
1948年6月の衆参両院の決議では、「教育勅語等」として「教育勅語」だけではなく「軍人勅諭」「戊申詔書」「青少年学徒ニ賜ハリタル勅語」などがセットで排除および失効確認されている。これらの詔勅が一体的に理解されていた証左だ
「教育勅語」は、狂信的な神国思想の権化ではないが、普遍的に通用する内容でもなく、およそ完全無欠とはいえない、一個の歴史的な文書にすぎない。その限界は、戦前においてすでに認識されていた。
Aちゃんに連れられて、とあるビルの中にあるラウンジなるところへ連れて行かれた。
担当の方はとても落ち着いたにこやかな方で、好印象だった。
そこで、肌のことなどいろいろ聞かれる。
………30万!!!!
ちらりとAちゃんを見ると、「機能を考えると安いくらいだよ、一生モノだから」と。
えっと…テクノロジーは日々進化して行く時代、きっと美容業界も進化しているはず。
ちなみにAちゃんは10年ほど前に購入したそうだ。
いつの時代のテクノロジーを使って作られたかわからないけど、時代遅れの美顔器なのか?
軽く混乱しつつ、一応すごーい的な感じを装う。
そして「ではお手入れしましょうか」ってことで、洗顔してから個室ブースのようなところへ案内される。
そこには家庭用プリンターのようなどっしりした機械があり、観音開きのような感じで開くと、棒状の機械などが入っている。
中央からスチーマーが出てきて、それを浴びながら、スタッフさんがガラス管のようなもので私の頰を撫でる。
この美顔器を使って日々3分のお手入れを続けると、徐々に美肌になるらしい。
そしてメイクをしてもらい、お手入れ終了。
ちなみにAちゃんも体験の時には毛穴洗浄できず、肌の調子が整ってからしばらくして自分の美顔器でできたそうな。
…それ、初めに言ってよね。
そして美顔器の種類など聞いて、この日は終了。
即断るのもねぇ。
Aちゃんは帰る道中も熱く語ってくれ、それに一応乗っかっておいた。
疑問と言うか、感じたり思ったこと。
① スタッフの方はにこやかで前向きで朗らかなのに、スタッフ間でガン無視したり、険悪な感じがあったりした。
そんなことはつゆ知らず、他のスタッフの方に挨拶したら露骨に無視された。
② Aちゃんは常に私の側にして、私を誉めちぎり、美顔器を褒めちぎり、会話にちょいちょい美顔器を購入する利点を挟んでくる。
それにスタッフさんが乗って、まことしやかに美顔器は正義的なトークを繰り広げる。
こんなトークに引っかかる人がいるんだろうか。
男性が男性に告白されて恐怖を感じるのは、「突っ込まれる」ことへの恐怖だ。人生において突っ込まれる可能性の恐怖を感じたことがないのに、初めてその可能性に直面したわけだ。以前あった痴漢論議において、女性が男性から痴漢被害を受ける恐怖は、男性がより屈強な男性から痴漢被害を受ける恐怖と等しい、とあったように。
ずいぶん以前、メディアでの「オネエ」の扱いや、BLなどの創作におけるゲイ男性の扱いについて、性的少数者から「セックスモンスター扱いはやめろ」という声をネットでよく見かけた。男性はあまりご覧になっていないかもしれない。
性的少数者は、いまだに性的に逸脱した存在だと見られがちだ。逸脱した存在は容易に「普通ではないおかしな人」=「異常者」に置き換えられる。異常性愛者と見なされると、彼/彼女は「性的な存在」カテゴリに置かれてしまう。「あいつは性的におかしい。(あまたある事象の中で特に)性に関係する存在だ。きっと性のことばかり考えて、しかもそれが異常なのだ。頭がおかしい奴だ。何をするかわからない、性的妄執を抱えたモンスターだ」というわけだ。
言うまでもなく、性的少数派は、性の指向が多数派と異なるだけだ。性指向以外については、性的多数派において多様な嗜好が存在するのと変わらない。わたしたち誰もが、恋人や配偶者と過ごす時間もあれば、仕事をしたり、自転車に乗ったり、映画を見たりするのと同じ。
ついでに言えば、これも多くの人が言うことの繰り返しになるけれども、同性愛者の好みだって人それぞれだし、サラリーマン的な社会生活を営む同性愛者の場合、過剰に性的な言動をしない人が多いだろう(リサーチ数が少ないので断定はしない)。あなたは会社でも過剰に異性に対して性的な言動をするのか?(そういう男性がいることは知っている。そういう人が見ている同性愛者は自身の鏡だ)
始めに戻ると、なぜ男性は同性に告白されたときに、過剰な恐れを抱いてしまうのか。それは「突っ込まれる」のではないかという恐怖だ。性欲をはらんだ視線だ。自分を害する可能性をはらんだ、性的な視線だ。(自分はアナニー上位者なので大丈夫とかいう戯れ言には、もちろんそういう性的嗜好の人もいるだろう、多数派にも少数派にもとお答えしておく)
ところでどんなに不細工であっても、女性はそれなりに性的視線にさらされて成長する。実体験で申し上げると、不細工側の体験しか披露できなくて申し訳ないが、たとえば品定めしたうえの侮蔑とか、品定めしたうえで「お前程度なら」という軽視、顔も見えない満員電車での痴漢などなど。そこに「突っ込まれる」恐怖は、自覚するにせよしないにせよ、幼い頃から常に存在している。でも、女性が女性から告白されたときに、即座に「突っ込まれる」恐怖は感じにくいよね。
喜ぶか、驚くか、嫌悪感を抱くか、そこは人それぞれ、ケースバイケースだと思うけど、「セックスモンスターが近づいてきやがった!」という恐怖は感じにくい。だってついてないものね、あの棒が。
あなたに告白してきた相手が、性欲むき出しで「いますぐやらせろ」というセックスモンスターならば、告白されたのは欲望でしかないから、願ったり叶ったりという人以外は速やかに逃げるがいい。
あなたへの告白が、まずはお付き合いしたいという甘酸っぱい愛の告白ならば、熟慮もしくは即断でお返事すればいい。もうこれは、胸を焦がすようなフィクションから、増田の隅の日記まで、参考には事欠かないだろう。
あなたへの告白が、堪えきれない懊悩の告白ならば、あなたが抱えられる範囲で耳を傾ければいいし、無理ならプロに任せればいい。ただし悩みや問題には、天才的な助言で万事解決するものばかりではなく、誰の手にも負えない、厄介なものもあるし誰にも救えないこともある。プロがいないこともあるし、災難を招くこともある。だからもしも仮に、あなたがここから口をつぐんで逃げたとしても、それは仕方のないことかもしれない。
ネタバレ注意。
・突っ込みどころ多いけど全体的には良かった。とても良かった
とても面白いアニメだったと思う。自分の中では今期の中でもかなり上位に入る。
ただ、話の展開の仕方や突っ込みどころ多い設定など、非常にもったいない点が多かった。
中盤以降での艦長、しろちゃんの成長っぷりは見てて感動だったし、戦闘シーンも迫力あって良かった。
終わり方もなあなあに終わらせるのでなく、武蔵を助けてハッピーエンドで終わったのは非常に良い。
登場人物が一人ひとりかわいい。艦橋メンバー以外はそんなに描写されないかと思ったら、所々でちゃんとスポット当たっているのは良かった。麻侖ちゃんと美波さんが特に可愛い。万里小路さんは出てくるだけで面白い。
そして、回を重ねるに連れて艦長やしろちゃんが成長していくのが見えて良かった。5話6話の意見無視単独突撃から、7話で艦橋からしろちゃんを見守る立場になってようやく艦長が艦長らしくなったのは良かった。そこから比叡、シュペーとの連戦に繋がるし、艦長として成長してるのが見えたのは本当によかった。9話でスキッパーに乗る時にしろちゃんに帽子預けるシーンとか、まさにこれが見たかったんだよって感じ。
しろちゃんも艦長の良き相棒って感じで良かった。しろちゃん優秀だけどリーダーになると判断遅くて脆い、ってところがまた良いと思う(海難救助時にあたふたしていたり、シュペー戦で艦を任されたら判断遅くて被弾したり)。暴走しがちだけど即断できる艦長と相性いいじゃん。完璧だ
個人的にくろちゃんは離反するんじゃないかと途中思っていた。艦長の単独突撃にものすごい批判的だったり、「宗谷さんが艦長だったらよかったのに」とか言うし。結局は宗谷さんLOVEなだけだったけどね
1話2話で猿島やシュペーがなぜ攻撃してきたのか、その説明が遅い。ネズミの登場は4話だったけど、もっと早くにそれを匂わせた方が良かったと感じた。3話でミーちゃんが「シュペーの皆が命令を聞かなくなった」とは言ってたけど、船員全員が何者かに操られているとはこの時点では気付かないと思う。あと潜水艦は結局良くわからなかった
3話までの感想は「日常パートと戦闘パートがごっちゃになっていて話が進んでいない」だった。結局その後もシリアスシーンと日常シーンごちゃまぜにして緊張感あるのかないのか分からないように描写していたし、戦闘シーンとかに呑気なBGM流してたけど、脚本や監督はこのアニメで何を伝えたいんだ。どこをオススメしたいんだ。これじゃ分かりづらいよ
4話以降からネズミ云々の話が進むけど、ネズミの話ももう少しなんとかならなかったのかと。はいふりがバトル寄りのアニメだったらネズミを作ったような悪役がいてもおかしくないよなーと思う。実験艦が事故って海底に沈み、火山活動で浮き上がってきたら謎の生物兵器ネズミが誕生、というのはちょっと無理やりすぎるかと。
その反動か、中盤以降は展開がとても良かった。海難救助、比叡とシュペーとの連戦は熱い展開だった。艦長も立派に成長したし、万里小路さんとマッチが完全にネタキャラと化していて面白かった。突入はもう二人と美波さんだけでいいじゃん。竹の水鉄砲は何だったんだ。最終話かわいかったけどさぁ
艦長の成長物語なのでその辺目をつぶるべきなんだろうけど、1話から3話で晴風乗員を守るために戦ったのに5話でスキッパー単独突撃はどういうことなの。しろちゃんの言う通り晴風乗員よりもかちゃんが大事ってなる描写がちょっと弱い(もかちゃん優先になる理由を納得できるエピソードがない)。
そして、スキッパー単独突撃をちゃんと反省していないことがもっと良くない。6話の機雷でも艦長が副長の意見無視するし、そりゃあ気まずくなるよ。乗員の意見聞かず自分の判断で単独行動しまくりなんだもの
あと11話で艦長が戦闘不能になった描写も気になった。8話9話あたりでは何故平然としてたんだろう。もっと早くに気付くべきでしょう。比叡だってシュペーだって一撃当たれば轟沈するのに。武蔵とは危険性そんなに変わらないだろうに。
ただ、11話で艦長が戦闘不能になるのは9話10話から伏線引っ張ってるので、突然戦闘不能にならないだけ良いとは思う。9話で晴風はボロボロになり、10話で皆と仲良くなって信頼関係築けて、そうしたら失うのも怖くなるよね。それ以前に皆を何度も危険に晒しているのはもう突っ込まないぞ
ネズミの扱いが最初から最後まで雑。最終話でも拾われなかった。もう少しなんとかならんかったのかな。設定自体は結構練られてたと思うんだけどなぁ
はいふりが第二のガルパンになりそこなった、みたいな意見をちらほら聞くけど目指すところが違うからなりそこなうも何もないと思う。比較対象として間違ってる。スタッフが一部同じとか似たようなミリタリーものってだけで比べてる人が多い印象。
ガルパンは「スポ根もの+ミリタリー」だし、戦車道はスポーツだから人は死なないし血も流れない。
はいふりは「成長ドラマ+ミリタリー」だし、砲撃されたら死んでもおかしくない設定だ(シュペー戦MVPはエアバッグ)。
ガルパンは最初から「戦車道の大会で優勝する」ことが目的として掲げられている。
はいふりは最初から明確な目的はない。攻撃されたから戦うし、近くで暴走している船が見つかったから戦闘不能にさせようと頑張るし、もかちゃんが助けを求めているのが分かったから武蔵相手に無茶する。
あと、はいふりは成長ドラマだ。正直、西住殿は最初から完璧すぎる指揮官だ。成長の要素がほとんどないレベル100の存在なんだよ。成長してレベル上がっていく艦長と比べるのは酷だよ
ということで再度結論。
・突っ込みどころ多いけど全体的には良かった。とても良かった
あれこれ突っ込みどころに触れたけど、もっと面白くなる余地があったのにもったいないなと思って書いた。
でも、最終回までの持って行き方と最後の展開は本当に良かった。しいて言うなら最終回でもっとミーちゃん出してほしかった。あんなに一緒にいた家族なのに……。
あと、最後に晴風が沈んで終わるのは良かった。乗員だけじゃなくて、晴風も一緒に戦っていたんだな、と
。本当にお疲れさま。
本当に良いアニメだった。OP、EDも良かったけど本編だって良かったよ。
追記:二期があるなら嬉しいし見たいと思うけれど、終わり方的に続かなさそうなのは少し残念。
でも、とても良い終わり方だったから、無理に続編作ってほしくはないなぁ……
追記その二:竹鉄砲について。海水がウイルスに効くのは覚えてました。「マッチは性能良さそうな水鉄砲使ってるのに、竹鉄砲でいいの?」という事を言いたかった。言葉が足りなかった
逮捕された時点で当番弁護士呼んで聞くという方法も一応あるけどね。
>勾留期間が長すぎる
22日が通常というわけでもないと思う。
それと、勾留は取り調べ時間を確保するために行われるわけではない。
罪証隠滅や逃亡を防ぐために行われる。
前者の例としては、飲食店の店員への暴行であれば、被害者を脅して被害届を取り下げさせたり、供述を変えさせたりするおそれや、同席した知り合いと口裏を合わせるおそれなどが一般論としてはあり得る。
後者については、定職の有無や家族関係、犯罪の軽重などが考慮される。
逆に言えば、これらのおそれがなければ勾留されない。
期間が必要以上に長いかは一概には言えないが、事件数が多い上に、日本の警察は比較的軽微な事件でもかなり丁寧に捜査しているので、そんなに日数いらないとは即断できない。
海外の事情はよく知らないが、司法取引があったり、「ラフジャスティス」と言われる部分があったりするので、単純には比較できないと思う。
起訴前の勾留期間だけ短くても、起訴後の勾留が長ければあまり意味はない。
逃亡のおそれなどがない人については、元増田のいうとおり、勾留による身柄の拘束をせずに、取り調べごとに呼び出して取り調べが行われる。
元増田は、呼び出されたらきちんと行くつもりだったのかもしれないけど、世の中には、釈然されたとたんに連絡がとれなくなったりする人がいるわけで、勾留という制度が必要になってくる。
地域によるのかもしれないけど、普通は午前と午後にわけているはず。
>外部との連絡
>トイレ(大)
ただ、面会中に、外国語で被害者をおどす相談をされても困るわけで、難しい部分はあると思う。
終わりに
単に極端に勾留のハードルをあげるだけだと、証拠隠滅や逃亡を防げない。
勾留期間を短くしたり、延長のハードルをあげたとしても、同じことが起きるか無理矢理起訴される事態が生じる可能性もある。
ただ、同時に、理想論ではあるが、無罪推定の考えが広まって、逮捕勾留だけでは社会的評価に傷がつかず、周囲も不起訴ならあたたかく対応する社会になってほしいと思う。
http://anond.hatelabo.jp/20160602154923
追記
元増田へのブクマで一番人気のコメントに「裁判なしで11日間も~」とあるが、これは間違い。
公判がされていない、という意味で言っているのであれば間違いではない。
以下ブコメへの応答
>一般的に、高い認知度が有っても在宅に切り替えるのは稀ではないかな?と思うやつです(個人の信用はその程度の物)。言い方が悪いですが、些末な案件かの方が重要ではないかと。
有名人とかの話かな?
社会的地位があることは逃亡のおそれを認めない方向に働くかもね。
>元増田的には酒の上でくらいの認識あるのかもしれんけど、客観的に見れば粗暴犯で他人に危害を加えてるわけでな。そりゃ在宅ってわけにもいかんだろう。
>ところどころ「もっともだと思う」だけで済ましてるところが気になる。自分としてはあんまりもっともだと思えないのだか…
具体的にききたい。
>体にGPS発信機を取り付けるetc.で「逃亡のおそれ」を防ぐことは可能だし、取調べの全面録画も技術的に無問題になった以上、勾留(というか代用監獄)の運用改善は「やらない理由」を見つける方が難しいとも思う。
体に埋め込まないと捨てられると思うけど、3日以内にその手術までやるのは大変そう。
>店員ぶんなぐっちゃってる訳で無罪推定も糞もないと思うのだけど・・・。酒飲んでたら仕方ないなんて理由にならないし、頭冷やすのに丁度いい期間に思う。市民としては再犯されないことが一番大事だし。
みんな元増田のケースをきっかけに勾留一般の問題を論じてるんだと思うよ。
勾留は頭を冷やすためとか再犯を防止するためにするわけではない。
犯罪をしたことが確定していない人にそんなことはできない。
30代、童貞、デブ。容姿性格ともにお世辞にも優良とは言えず、この年まで女性付き合いは全くない。女性に限らずそもそも他人とコミュニケーションを取る事が全くなく、限られた一部の友人としか会話が出来ない。そんな人間が何かの気まぐれで生まれてはじめて風俗に行った。しかも飛田新地。
詳細な説明を行っているサイトが多数あるため概要だけに留めるが、まず飛田新地とは、大阪にある遊郭で、美女が並んで座って微笑みかけてくるので、セックスしたい子を見つけたら近づいてお金を払う事でセックスが出来る空間である。
念のため補足しておくと、あくまで飛田新地にあるのは「料亭」であり、大義名分としては「料亭に入ったら、店の女の子と愛が芽生え、性行為にまで発展した」というような感じになっている。
料金は15分11000円、20分16000円、延長は1分1000円と決して安くはない。ただ、皆それで納得しているという事は、飛田というブランド価値にお金を払っているのではないか、その価値があるならば有象無象の風俗に頼るよりはずっと良いのではないか、という考えに至った。
さて、飛田新地という概念が存在する事は以前から知っており、断片的な情報だけでもその異様さに興味をひかれていた。俺自身は性に無関心なわけでも二次元でしか抜けないわけでもなく、街を歩いている女性の乳や足や尻につい目を向けてしまうので、それが遊郭だった場合好みの子を見つけたら即セックス出来るというのは凄いブレイクスルーがあるのではないかという思いがあった。AVと比べて自分のチンポに自信が無い気持ちはあるので、風俗でチンコを見せるのに抵抗感があり今まで行かなかったが、ここまで来て恥だのなんだのは無いだろう。
飛田新地に向かったのは夜だった。駅を出て、やや閑散としたアーケードを抜けた瞬間空気が変わるのを感じた。人の波があり、熱気があり、どこかふわふわとした異質な空間に入り込んだという認識があった。旅行で来たと思しき男性、知人同士で来たのだろう話しながら歩いている集団、仕事帰りのようなツナギの男たちなどなど、色々な人が居たが歩いているのは男性ばっかりで、一様に料亭の中の女性たちを覗き込んでは通り過ぎていく。俗世からの浮遊感があった。
居並ぶ料亭から、客引きのおばちゃんが声をかけてくる。声の方向を振り向くと、様々な美女がこちらを笑顔で見てくる。女の子の衣装は様々で、水着や露出の激しいコスプレ(バニーやナース)のような、いかにもこれからセックスするぞという風体の物から、浴衣やスーツ、ブレザー、ユニフォーム等の日常のワンシーンを切り取ったものもあった。
色々な服装の、しかも非常に秀麗な容姿の子ばかりが、すぐにセックス出来る状態で居並んでいる。かなり異常な光景だと思った。飛田の空気にあてられて、手は震えだすし、足元はふらふらするし、顔に張り付いた笑顔は取れないし、結構大変な感じになった。
個人的には、トレーナーのような「ちょっとコンビニに買い物にでも行こうかな」みたいな普段着っぽい凄く私生活感の出ている子がただジッとセックスするのを待っている様子が特にツボだったらしく、そういう子を見るとがくっと下半身の力が抜けて、目が釘付けになったりもした。
それと、セーラー服を着るのはNGらしいという話をネットで見かけていたのだが、実際にセーラー服のような服のコスプレをしている子はちらほら居たもののセーラー服を着ていた人は今回一人もいなかった。女子高生然とした若い女性とセックスしたい気持ちはあるものの、あまり学校に良い思い出がなく、記号としてのセーラー服にはあまり興味がわかないので俺には大きな問題ではなかった。
飛田で女の子を選ぶ時は、即断即決が是とされている。優柔不断に決めかねて、この子凄くいいんだけど別の所を見て後でまた戻ってこよう、という動きをするともうお客さんが付いて居なくなっている事がほとんどの場合で起こる。かく言う俺もその事象が起こった。目移りはするし、なにぶん俺は童貞なので急に選べと言われても全く自分のカンがあてにならない。
凄く良い子が居り、この子にしようと思いつつも念の為一周するという甘えた動きをしたら当然次に来た時には居なくなっており心底辛い気持ちになった。違う子を選ぶか……と思いつつももう二周ほど決めあぐねる素人ムーブでうろうろしていたら、都合よくその子が戻ってきていた為、迷わず料亭に入り込んだ。決めた理由はコスチュームだった。
初めてなんです、などという簡単な挨拶を交わしたのち、靴を脱いで2階に上がるように指示される。先んじて上っていたら後ろから嬢に腹を揉まれた(繰り返すが、俺はひどいデブである)。恐らくサービス精神のようなものだと思ったのだが、ボディタッチに対してどういうリアクションをすれば良いのか窮してしまい、とりあえず「うわーびっくりしたー」などと言った。
部屋に上がると時間と料金を説明され、20分のコースを選択した。お金を渡すと、「準備してくるから服を脱いで待っててね」と言われ、部屋に取り残された。飛田は撮影がご法度で、カメラなど持ってうろついていたら怖いお兄さんが飛んでくるという話なのだが、なるほど、飛田の料亭を撮影している人たちはこの瞬間に撮影しているのか、と納得が行く程度の時間の余裕はあった。というか、これから始まる事に気を巡らせすぎているのか、非常に長い時間に感じられた。
嬢が戻ってきた際、すでに嬢も半分脱いでおり、そのままお互い全裸になった。あぁそうか脱ぐんだよな。そりゃそうだ。この時点でコスチュームで選んだのを若干後悔した。全裸になってしまったらコスの意味はないのでは。コス物AVで全裸になるのに憤っていたのになぜ気が巡らなかったのか。これなら私服などの方が全裸になるという記号的な性質の変遷にときめいたのではないか。次があったらそのように配慮したいと思う。この辺りで諦観みたいな物が生まれてきて、飛田の通りを歩いていた時の熱に浮かされる様子はすっかりなりを潜め、晩飯食った後そのまま来たから息がくせぇなとか、一日歩き通しだったから足を初めとして体中くせぇなとか考えていた。
さておき、布団に横になるように言われ、行為が始まった。最初に嬢が寒さと緊張で萎縮しきった俺のチンコを手で弄り始め、その間どこを見れば良いのかわからなかったので壁を眺めていた。とりあえず勃起しないとゲームが始まらないと思った為、相当な回数抜いた個人的クリーンヒットなエロ動画を詳細に思い出して勃起の幇助を行う。少し勃った辺りで感触が変わったので嬢を見てみたら、俺のチンコにゴムを被せて口にくわえていた。なるほどこれがフェラか、と思った。特に気持ち良いとかはなく、何か、なるほど、という感じだった。
すっかり勃起した辺りで、嬢が「体位はどうする? 正常位? バック?」と聞いてきたけれど完全にわからないのでわかりやすい奴を頼んだら騎乗位になった。じゃあ入れるね……などと言いチンコがマンコに入ったと思うのだがこれも特に感慨とかはなく、納得感。こうやって入るのかという感じ。
この辺りから緊張で針が振り切れたのか、自分が置かれている状況と、やっている事を可能な限り詳細に見ていたのではないか。胸を触って良いのか訪ねたら乳くらい触ってええよ、と言われ、手を添えられて胸を揉ませて貰ったが、小ぶりな胸だったからか、自分の脂肪を触る感じとあまり変わらないなとか、俺の方が胸が大きいなとか(再三になるが、俺はひどいデブである)の感想を得た。体の色々な所を触ってみたが感動するような感触はなく、これらも全てある種の納得、合点、理解のようなものを得ていった。他方、お尻の触り心地は結構良かった。恥骨に体重を掛けられると痛かった。
一通り触るのに満足した辺りで、次は視線の問題が出てきた。どこを見れば良いのかわからず、とりあえず嬢の顔を見てみたがぴったり貼り付けた笑顔でこっちを見てくるので、怖くなってすぐに視線を外した。結合部を見てみたいと思ったが騎乗位だと自分の腹でよくわからなかった。結局なんとなく胸の辺りや壁などを見る事にしたのだけれど、どうにも居心地が良くない。これは実生活においても同じで、人の顔を連続して見ることが出来ず、よく視線を外して机の傷や壁の模様などを見ているたちなのでその延長線上にあるものかもしれない。
嬢が「体位を変えてみる?」と言ったので正常位を試してみる事にした。よくエロマンガで「入れる穴がわからない……」というようなカットがあるが、俺も案の定そういう感じになった。嬢に誘導される形でとりあえず入れる事は出来たものの、すぐ抜けてしまう。何とか腰を振れる段階になったものの、デブ特有の下半身の肉圧で正常位の姿勢を作るのがとても辛く、無理に挿入の姿勢を作ったら足がつったのでそれを誤魔化しつつ、あと正常位自体が難しいので後背位に移ってもらう事にした。
後背位でもピストンをしようとしたらチンコが抜ける事がしばしばあり、俺のチンコが小さいのではないかと嬢にたずねたら「サイズではなく角度の問題」と返答され、なるほど角度の問題というのもあるのか、と思ったが、それはそれとして、自分のチンコのサイズについて一般的な水準に比べてどうなのかくらいは尋ねておいても良かったかもしれない。今回唯一やり残した事と言えよう。嬢の背中には小さなシミがあった。
色々な体位を試したが射精するという感じは全く無かった。試した感じ、後背位は人の顔を見なくていいし、お尻の触り心地は存外良く、お尻を撫ぜながら腰を振っていると凄く間抜けな感じはしたもののこれが一番気持ち良い感じがして、悪くはないかもなと思った。思ったが、普通にチンコは萎え、俗に言う中折れという状態か、なるほど、と思っていたらちょうど時間が終わった。
途中から20分で絶頂に達するのは完全に無理だろうなという確信があったので色々な事を確認してみようという気持ちに切り替わって、焦りなどは無かった。嬢も「はじめての人なら良くある事」と言っていたので、まぁよくあるんだろうなと納得した。色々な知見があったし、実際に行為は発生したわけなので射精できなくて16000円損したとは思わなかった。期待していたような人生のブレイクスルーは無かったが、もしかしたら知らない所で結構変わっている可能性もある。
ほかに気になった事としては、ピストンをしたタイミングに合わせて嬢が「あん……あん……」と言うので、エロFLASHのようだな、と思った事が挙げられるくらいだろうか。セックスは初だったので嬢に対して誠実であろうと心がけたが、行為の最中に「気持ち良い?」と聞かれた時だけは「うっ! うう~! 気持ち良いです!」等と心にも無い事を言ってしまった。
1 名前:1投稿日:02/04/05 02:29 ID:YZVneEEk
そして週に1回~2回くらいセクースするんですが、ひとつ気になる事があるんです・・。
でも彼女が絶頂に達してくると「ああ、ああ~!! ああ~~~!!!
なるほどなるほど!!!ああ、ああ~~~~!!!なるほどーーーー!!!!!」
と言っていくんです。
これは笑い話として語り継がれているものの、俺は勝手に妙な共感を抱いてしまった。チンコを入れたり、体を触ったり、腰を振ったりするという行為に様々な納得があって、「なるほど……」という気持ちが体中に張り巡らされ続けていた中で、このコピペが思い起こされた。
飛田は通りを歩いて、嬢を選ぶのに代金の大半が含まれているのではないかな、という認識も得た。風俗そのものはまだ俺には難しいと思ったが(一般的な時間の長い性サービスならまた感想は変わるかもしれないが)、あの体験は得がたい非日常性があり、その経験が新鮮であるうちに、2度3度と大阪に通いたい。
俺は自分自身が医者で、治らないものを治ると謳う(またはそのように錯覚させる)代替医療は、本当に嫌いなんだけども。
効果的な治療法がない状態で、苦痛緩和などの可能なことはしているなら、慰みに無害な何とかエキスを飲むくらいのことは、目くじら立てるべきじゃないとも思っている。
川島なお美さんについては、細かいことはよく知らないが報道を見る限り、その目くじら立てるべきじゃない条件が揃っているように思うので、とやかく言う気にならない。
以前、この辺の心理を増田にちょろちょろ書いたんで、張り直しとく。自己顕示欲丸出しでアレだけど、できれば色んな人に読んでもらいたいんだ。
http://anond.hatelabo.jp/20140717143416
※ 後から出てきた情報見ると、やるべき治療もやってなかったのかもしれないと思えてきた。その場合はまた話が違う。
ただ、彼女が民間療法で本当に癌が消えると信じていたかは、分からないと思う。闘病する心構えができるまでの「つなぎ」だったかもしれない。
悪性度の高い病気だと言われて呆然としている状態で、さらにすぐ手術を即断できる人は多くない。いきなり敵に襲われて、咄嗟に崖を飛び降りるか判断を迫られるようなものだ。
そうするためには、知識に加えて普段からこのような状況に対する心理的シミュレーションが必要だが、彼女ほどの女優なら忙しくてそれどころではないだろう。
加えて、俺のような無名人に比べて有名人には、善意悪意両面から怪しい民間医療が寄ってきやすいのだと思う。
それを振り払うのに必要な労力は、きっと俺が費やすのの何十倍もあるのではないだろうか。
「癌が治る」と謳う民間療法は全く以て滅びてほしいが、実際にそれを全て排除するのは本当に大変で難しいことで、簡単に「そんなのに騙されるなよ!」なんて言えないのだ。
だからこそ、普段からトンデモのやり口、トンデモの何が悪いのか、ブログなどで啓蒙している先生方には頭が下がります。これだって本当に大変なことだから。
完全に門外漢の意見だが、同人は仕事じゃなく趣味ベースであることに最大の意義があると思って見ている。
だから、若者が慣れ慣れしいノリでテキトー&カジュアルに絡んでくるケースがあり得る――
それくらいまでに同人文化が進展していることを少しでも「よきかな」と思うなら、雑な頼み方をしてくる人間の存在もある程度看過してやることが必要だと思う。
その上で、ゲンナリすると自分が感じるなら即断ればいいだけのことだ。
未熟な者に合わせて柔軟な対応をする気概がなくなってきたなら、自分はハードルを上げ新参を阻む老害化しているのかもという視点も必要だろう。
もしそう自覚できてしまったなら、ヘタにストレスのたまることを敢行するより、分別のついた人で固めた内輪だけで活動する宣言をしておいた方が良い。
ただのアンソロ依頼方法の話でここまで推測して広げるのは大仰かもしれないが、これはオタク像の変遷に関連していると思う。
いわゆる古き良きネクラな「オタク」は、それらしい神経質さや慎重さも備えている。
けれど今のアニメマンガに熱中する若者は、どちらかというとヤンキーに近い気質をもっている。
それは時代のカウンターとして「オタク」的ダサさを克服しようとした結果にも思える。
意外にオシャレであったり、良くも悪くも照れがなく、考えるよりまずやってみる、深く読むよりまず形から、という所がある。
彼女らとて自分らの未熟さに開き直っているわけではなく、大抵叱れば素直に反省して聞いてくれる。
その過程に巻き込まれたとき、ただ嫌悪感を募らすのではなく、好意的に導いてやることも先輩として一興ではないかと思う。
某所で「デモに参加しているようなやつは就職できない」とかいう言説があって、そんなケツの穴の小さいやつなんぞ、こっちからお断りだ、と実際思う。そういう上から目線のやつとか、気持ち悪くて仕方ない。
ただ、それに対抗する言説として、「デモに参加しているひと、自分の意見をしっかり持っている人」というのもあって、これもこれでどうかと思う。
実は、一度だけ10年くらい前にノリでとあるデモに参加したことがある。実際に参加してみると、言っていることはしっちゃかめっちゃかで、実際にデモをしてどんな効果があるかを確認しているようには思えなかった。自己満足といえば、その通り。なので、二度とこういう活動には参加しないと決めた。
また、年上の、老人の知人が最近デモに参加して、その人のFBにはいわゆる「デモ友達」がコメントをするのだけど、いつも馬鹿の一つ覚えみたいなコメントばかりで、ちょっと呆れている。
中心できちんと企画を立てている人たちはともかく、その周辺にいるような人たちは、どっちかといえば付和雷同で参加している印象が拭えず、自分の意見を持っていて扱いにくいどころか、ポイントさえ押さえれば、却って御し易いとも言える(ぶっちゃけイスラム教徒だったらISの兵隊になっちゃうような人たち)。
なので、「デモに参加しているから有能」と即断するのには抵抗を覚えるし、個人の質がすごくバラついているのだと思っている。その中で有能なのはごく一握り。その一握りを「デモに参加している」というだけで就業させないのは、相当問題があると思うけど、その他はおそらくソルジャー仕事に向いているとしか言えないでしょう。
とよたのシャチョーさんは未だに豊田さんでした。 OK トヨタ半端ないってよ。
まぁ、どう考えても、麻薬を意図的に服用するとは思えない、女性役員。
反論はできないですね。そら。法的ににトッテーも危険ですから、健康的にじゃないですよ、法的にね。
残業は人生を粉々にしないと言われる、ニホンコクでそれアウトーです。
イスラムの酒と一緒デース。グローバル グローバル ジャパーン ジャパン イケナイね
女性役員っていっても、クリティカルな人事じゃなかったんでしょう。
別に女性登用とか、海外も一緒ですよ。本気でクリティカルな人事でのし上がるような敵をなぎ倒すような人は
チリの女性大統領のようにすぐに失脚します。ティモシェンコ、ウクライナ首相のように嫌われます。
それぐらい強い女性じゃないとのし上がれないのは世界共通です。
日本であろうが世界であろうが、仕事を上る上で女性という性別は不利なので、それを下駄をはかすのは
しょうがない。見てくれの女性登用、そして、外人登用。それにそぐうぐらい女性人材もいないんでしょう。
それでも、、、このトヨータ社長がトヨータのためにトヨータの女性人事(みてくれのグローバル化)
を速攻で反故にしたのはショウチョウ的ですねw
トヨータ自動車のシャッチョーさん自体が二世議員なのにw そこそこ無能なのに、即断即効で失脚させたw
トヨータも別に困ってない金持ちけんかせず社長でよかったということの裏返しかもしれません
カルロス・ゴーンをヘッドに添えるぐらいのヤバさがないのはいいことです
それにしてもTOYOTAの社長が未だに、トヨタさんってwwww ワロタw グローバル関係ないw
天ぷら大名ですねww いいんじゃないでしょうか。シャッチョー
id:masara092 による珍カスブクマ。おつ
昨日、何でも否定したがる人ってタイトルで何か書いたんだが、今回はその進化形。
http://anond.hatelabo.jp/20140627044857
何でも条件反射的に即断する人っていうのもいる。否定するのもその一環である。条件反射で否定する。
日本語は一番重要なところを最後に持ってくるので、最後まで聞かなければ内容は理解できないはずなんだが…
「こういうことはしてはいけないんですよね?」と聞いたら、「こういうことはするな!!何で分からないんだ!!」と、まるでそれをやったかのように怒り出す。
最後まで聞かないと分からんのが日本語、つまり日本語を理解できない。
あと、文章なんかは上っ面だけ読んで判断する。読む速度は異常に速い。フォトリーディング並みである。
また、悪口に敏感である。
バカやアホなどと出てきたら、その部分だけを抽出し、内容など全く理解してないくせに、内容を否定する。
その言い分としては「聞かなくてもor読まなくても分かる」に尽きる。
自分を全知全能の神だと勘違いしているんだろう。だから何でも分かるし、知っている(つもりになっている)。
差別やイジメなんて単語を聞いたら、それだけで気でも狂ったかのように怒りだす。
これらは確かに良くないことだが、それぞれ事情もあるだろうし、頭ごなしに怒るのは低俗である。
差別・イジメ→する奴は極悪人、という単純明快な論理が頭の中で確立されている。
それはただの条件反射であって、実はいい人でもなんでもなかったりする。
そして、こういう人に目を付けられたらめんどうなことになる。
他人にレッテルを貼るのが大好きだから、一度バカだと思われたら終わり、その思い込みを覆すことはほぼ不可能である。
何をやってもバカだと思われ、それ相応の扱いを受ける。
根拠もないのに、バカと決めつけるのは、こいつらの嫌いな差別・イジメに該当するのではないか?やっていることが矛盾している。
まあ、こういう奴らの言い分は自分勝手な思い込みであることが多く、議論に値しないというか、しようとしてもできない。
何を言ってもこちらの言い分は伝わらない。まず日本語を勉強するところから始めてもらわないと。
なんかこういうこと書くと、はてな民のことを言ってるように聞こえる…そんなつもりは全くないんだが…
我が社は社員60名。うち、幹部と呼ばれる人々は6名ほど。
その大半が社運を賭けたプロジェクト、というよりは
社運なんか賭けるつもりはなかったけど結果的に社運と社長の命がかかってしまった
プロジェクトで野戦昇進した人間たちである。それ以前の創業期の幹部は社長以外誰も残らなかったそうだ。
つまり我が社は何度か、社員の過半数が辞職する事態から立ち直って来ている。
故に幹部連中は、即断即決を尊びただひたすらに気が荒い。
怒鳴る、叫ぶ、ぶっ壊すは日常茶飯事であり、会議はと言えば凄惨の一言に尽きる。
議事録に「そいつをクビしろ」「もう二度と来なくて良い」「死ね」が残る始末だ。
では、儲かっていないか?と言えばそれはノーで、我が社の給与は高い。
幹部連中は驚くほどの給与を貰っているし、私の給与も安くはない。
そして、幹部連中はただひたすらに怒鳴りあっているように見せて、きちんと利益は出している。
つまり、これは一種の企業カルチャーであり、彼らの中でこれは正義なのだ。
実際、会議でこいつらいずれ殺しあうのではないか?と思うほど罵りあった後で、
プロジェクトが一服すると幹部たちは連れ立って遊びに行く。海外が多い。
仲が悪いわけではないのだ。彼らは野戦で育った故に、それ以外の文化を知らないのだ。
この野戦カルチャーを適切な企業文化に切り替え、人材の兌換を可能とし流動化を図れとの指示だ。
無論、幹部たちも理解はしているが納得はしていない。なぜなら、彼らは怒鳴る叫ぶぶっ壊すのコミュニケーションが大好きなのだ。
これまでずっとそうやって来たから、他のやり方があるということにもピンと来ないし
また他のやり方が必要だとも思っていない。実際、彼らは少数精鋭でやりたいし新人なんて必要だとは思っていない。
しかし、社長は事業を拡大したいし安定企業にして上場ゴールにたどり着きたい。
ゆえに、とりあえずは新規採用者の定着率を上げて欲しいということである。
これまでに入社した新人の過半数は、野戦将校たちにすり潰されて退職していったそうだ。当たり前だ。
そこで私の登場なわけだが。正直、こんなのどうしろと言うんだ感満点である。
何よりまずいのは、この会社のカルチャーを変化させることが利益を上げる上で正しいかどうか私には確信が持てない。
頑張るしかないんだろう。頑張れるとこまで…。
個人的には、段階的にこの野戦将校達には会社を去ってもらう他ないだろうと思うが
それは利益の源泉を失うことを意味する。属人的能力をメソッド化して共有していくしかない。
利益を生み出すシステムが個人の能力の依存しすぎているため、そんなことが出来るのかと言われれば
頑張るとしか答えられない。
★ネット社会、SNS社会になって、商品購入の「勝ち馬心理」が加速していると思う。
要は、「楽天の売れ筋ベスト10、アマゾンの売れ筋ベスト10に入った商品は、より加速して売れる」
「Google先生検索結果でベスト10以内のサイトは、より注目されるが、それ以下は閲覧されなくなる」
という現象。
これが、より社会のいろんな消費行動、あるいは政治行動に影響していると思う。
★例えば、「国内旅行でどこに行くか?」
以前にも増して、人気観光地(東京、京都、北海道、沖縄)の寡占が強まり、
そうでない観光地(例:四国など)は「より厳しい戦いを強いられる」ことになりそう。
★心理学的に、人間が選択肢として許容できる数は、せいぜい5~6つらしい。
「メニューの選択肢を5~6個に絞ったお店の方が、選択肢が20も30もある商店より、売行きはいい」らしい。
となると、旅行サイトとかで、「より消費者に旅行に出かけてもらう」には、
「国内の有力な旅行先候補地の中で、サイト運営サイドで、第一候補地を5~6つに絞っておくのがいい」となる。
こうなると、東京、関西、北海道、沖縄、九州で5つ。あとは東北とか信州が入って6~7つ。
中国地方とか四国地方は、「運営者側の予選に選ばれない」ので、余計に訪問者が減ることになる。
※勿論、四国とかの選択肢を、旅行会社側が「用意しない」のではない。
「用意はするが、目立たないところ、トップページじゃなく2頁目の掲載」になってしまう、ということ。
四国のガイドブックも書棚に並んでいて、それなりに手に取る人は多かったと思う。
書棚に「並んでいさえすれば」、気付いて手に取る⇒興味をもって出かける、という可能性はあった。
しかし、今では「トップページは東京京都北海道沖縄」しか存在せず、「四国は2頁目」なので、
「2頁目まで捜しに行く、アクティブ旅行者」だけしか、四国を旅行先候補にしなくなる。
★そして、この傾向が、旅行先のみならず、「大学選び」「就職先選び」「住宅選び」
そして「政党選び」にまで波及していっているのでは?
昨今の自民党の圧倒的強さは、こういう時勢を反映している気がする
★住宅選びの場合、ネット時代になってから、明白に「徒歩10分」と「徒歩11分」のマンションに
売れ行きの差が顕著になったらしい。
これは「徒歩10分以内」のラジオボタンで検索し、その結果で家さがしする人が増えたため、と言われている。
(逆に言えば、徒歩11分のマンションは「お買い得」ともいえる。資産価値は兎も角。)
★別の言い方をすれば、「スマホ時代になって、人々は即断即決、3秒で決めたがる」ので、
予選エントリー(例:Google1ページ目表示)までが勝負になっている、ということか。
声優の名前を覚えたりするのは、その人の声が好きだから。また聴きたいから。
1作品の中では聴ける量が限られてるので、他の作品でも聴きたい。そのためには名前を知らなきゃググれない。だから名前と声を紐付けて覚えて、他作品を見て楽しんだり、他にもないかな、もっと活躍してほしいなと願ったりする。
逆もある。嫌いな声の人がいたら、その声の人が出る作品は逆の意味でチェック。作品を見ること自体を避けたり、音声OFFにしてでも見るかどうか悩んだりする。できれば聴きたくないから、事前に作品情報を調べて嫌いな声優の名前があったらあらかじめ見るのをやめる選択ができる。
脚本家や監督の名前覚えたりするのは、つまんない作品のために何時間も奪われたくないから。
過去に、つまんない作品のために何時間も奪われたことがあるから。一回や二回つまんなかっただけでコイツの書くものはつまらないと即断するわけじゃないけど、三度、四度と続けばいいかげん名前を覚えて傾向としてレッテルを貼る。自分の使える時間は限られているので、せっかく使える時間のうち毎週30分程度とはいえ作品を鑑賞したけど、最終回まで見続けたけど胸糞悪い気持ちしか残らなかった、ってなるのが嫌。そういう経験が何度か続いたので、「この脚本家が書く作品を見るのはやめておこう」と学習した。
作品を見始めるにあたって
「この脚本家が書いた作品は以前、好みに合わなかったな。今回の作品も同じ気持ちになるかもしれない。やめておこう」
「この脚本家が書いた作品は以前、とっても面白いものが多かった。今回も面白いと思えるものかどうかはわからないが、面白いものだといいな。見てみよう」
「この脚本家が書いた作品は見たことがないな。面白いものかつまらないものかわからないが、とりあえず見てみよう、これも経験だ」
そういうアタリをつけること自体必要なくて、どんなものでも面白いって思って見れるなら名前を覚える必要はないんじゃないかな。
自分はもう胸糞悪い思いしたくないんで、仮にその過去に胸糞悪くなった作品の作家が今後作る作品がものすごく面白いものかもしれない可能性があったとしても、その可能性を信じて時間を費やすことは怖くてできないし、万が一面白かったとしても、過去にこいつにはすげー胸糞悪い思いさせられたんだよなってのを思い出しちゃうんで、レッテル貼って忌避するよ。
人格否定って当然のことだと思うよ。その人の人格が作り出したものに対して好きとか嫌いとか思うんだから、好きになれなかった場合は否定するし見たくもないよ。死ねとまでは思わないけどさ。
「好きだから名前を覚えるのがあたりまえ」なんじゃなくて、「嫌いな作品に連続してぶちあたったことがあると名前覚えるのはあたりまえ」、俺としてはこんなかんじ。
お前は好きなら二次創作してあたりまえかもしれないが、別に好きならみんな二次創作してあたりまえってわけじゃないし、誰もお前に薀蓄を貯めるのと二次創作するのとのどちらかを選べとか言ったりしないよ。
えーなになに?そんな方へ話をずらして行って逃げるの?
そんなこと言ったらあんたの言ってる発言穴ありすぎだよぉ
でもそれなら、まず自分がしっかりしないとね☆
存在するよ。法治国家はそれが「アタリマエ」だよ!それが法治国家の基本だよ!
ん?運用する側も「ルール」を守るためだけに適用することもあるよね☆死刑とかだってやりたくなくてもやるよね!ルールはルールできっちり守るよね!
それすら、「ルールを守らないと自分が危うくなるから」って話になると、もう何がルールなんだかわからなくなるよね!
そしてその多くは争おうとする側に益があるときにそのルールが持ち出されるのであって、ルールに反したから即断罪、という形では世の中は動いていない。
ルールに反してるのが明らかになってる場合は断罪するよ!面倒だってのは、それを証明したりすることでしょ?断罪することそのものが面倒なんじゃないよ!
すぐに罰せれるなら罰するよ!そうしないとルール守らないあなたみたいな、咎められなければ何やってもいいんだ、っておばかちゃんが沢山でてきちゃようよ!
例えば、情状酌量とか、そういうのはある意味できちんとしたルールだよね?面倒だから見逃す、ってのもその範囲でのローカルルールだよね?
全てルールに従ってるよ!そこからうまく外れてやってる人は、うまーくルール違反をしてなかったり、見えづらくしたりしてるだけだよ!おばかちゃんはルール違反するとすぐ捕まっちゃいそうだから辞めたほうが良いよ!
おばーかちゃんがんばって!!
会社帰りの駅で50代位のおばさんが声をかけてきて
おばさん「すみません、この辺りの漫画喫茶を探しているのですが」
俺「あぁ、漫喫でしたら...」
おばさん「泊まりたいので2,000円ほど貸してもらえませんか?」
俺「...は?」
いや、見ず知らずの人に金貸してと言われて貸すやつなんかいねぇだろ
もちろん即断った
するとおばさんが「そうですよね、すみませんでした」とため息交じりに謝りながら去って行き、
その日の俺は心がずっともやもやしたまんまだった
なんでこっちが悪くもないのに変な罪悪感みたいなの感じなきゃならねぇんだよ!
しかも仮にお金を貸してあげてたとしても、偽善的に感じて結局もやもやしてるだろうし
どうしてりゃよかったんだよ、クソが
こんなん思うのは俺だけか?
実際命乞いを許して天下の座から転がり落ちた武家の一門の話がある以上、実例として挙げている話題自体は「教育上良くない」と即断しかねる内容ですが、まぁそれは別の話として……
「規則でこう決まっているから教育上よくない」という発言自体が幼児教育上あまりよろしくないように感じるのですが。たぶんお子さんはCEROの対象とする17歳以上ではないでしょうし、こういうことをやる奥さんもCEROが対象としている17歳以上ではないような気がしますが、「ダメなものはダメ、規則で決まっているんだから」という理由しか提示できない元増田もCEROが対象としている17歳以上ではないように思えます。
昨日のyahoo記事の「暴排条例に対する一問一答」は面白かった。本当の人格までは即断しないが、少なくとも一問一答に表れたところの篠田組長の言語表現は正確であり、教養に満ちている。これでは国の政治家や官僚程度の理性というか自制心はあり、こういう組長に支配されている暴力団であれば安心であるということは分かる。
ただし、ただいま現在の篠田組長の人格自体には一抹の不安がよぎる。というのも、時世柄、口ではいいことを言っていてもやっていることは悪質化している可能性があるからだ。たしかに同組長の言辞には酔わせるところがあるが、実際に何をやっているかまでは分からない。国家組織であればいくら悪に染まってもいちおう法律や常識による自制があるが、暴力団の場合、悪いことをしようと思ったとき、武器を用いた犯罪に走ることは容易である。
また、いくらトップがいいことを言っていても、末端の組員には下劣で悪質な犯罪者が多数おり、銃などを用いて一般市民を恐怖に陥れているという現実はやはり許しがたい。暴力団自体が自己統制をしていると言い張っても、警察ほどの信用性はないし、暴力団が心理的に一般人を抑圧している事実がある以上、ヤクザがひとでなしと思われたり、暴排条例が施行されても文句が言えないのは当然ではないか。
4/2夕方に判明して4/3に通告というのは遅いのか?ほとんど即断に近いと思うが。君の言い方だと谷垣ならこれ以上捻出出来たってことか?
別に連絡するだけなんだから谷垣でなくたってできたと思うが。自治体や周辺国への連絡にいったい何時間かかると思ってるの?別に船や飛行機で直接行くわけでも一人でやるわけでもないんだよ。あなたが書いたように農水省とやり取りすると厄介だから地元漁協は事後連絡でいいやみたいなことだったらなおさら批判されて当然と思うが。
誰があんなのと比べてるんだよ。比較対象はスリーマイルやJCO。あの危機管理に長けたアメリカですらスリーマイルは大混乱に見舞われ何が起こったか報告がまとまるのに数日を要し、もちろん外国への情報公開どころの騒ぎじゃなかった。JCOなんて社員が決死で収束しないと一つ間違えると滅茶苦茶やばい状況だったのに、政府対応はお粗末どころではなく心底何もしなかった。
JCOは自衛隊や米軍を必要とする規模でもないし大量の放射性物質を放出したわけでもないから外国への公開にそこまでの速報性は必要なかったし、今のように情報公開が不十分だと外国が文句を言うこともなかった。
やることがないと言ってるんじゃなくて、政府が協力していないと批判を受けている話をしてるんだよ
あなたが「そして今まさに君だって保安院以外に何かあると思ってるよね」「基本的に政府の原発関連は保安院と安全委しかない」とかいうから他と連携してるだろと突っ込みを入れたんだが。
ここ3日、部屋の片づけをしてみた。
先の震災の際、机の上や本棚の書類がほぼ全て、いや、全て落ちた。
床の上に、足の踏み場などない。
もうやだ。
なにこれ。
文字どおり、の放置プレイ。
だけど、思い直して片付けてみたのよ。
凄い埃だ。考えてみれば10年ぶりくらいかな。こんだけ本格的な片付け。
この10年、凄い速くて、10年の意味も重みもかすんじゃってて、つい最近のことが実はずっと昔に思えたり、その逆もあり。
さてと。
そろそろ本題に入ろうか。
書類、冊子などのペーパーメディアなら、内容の判別も短時間で終了する。
捨てるべきものかどうか即断できるほど、優れた判断力はないのだが。
しかし、ここで非常に困ったのは、CD,DVDなどのデジタルメディアだ。
こいつら捨てようとしても、具体的な中身がわからない。
確かにラベルは読めるんだが、中身は重複ファイルあり、全くのシングルセッションあり、
一時避難だったり、保存版だったり、
予想も出来ないし、開いたところで完全に把握できないだろうと思われる。
いっそのこと、全て捨てても問題ないだろ、と思ってしまう一方で、全て残しても場所とらないだろ、という意見のせめぎあい。
世の中どっちが多数派なんだ、と思ってしまう。
HDDのサイズが大きくなっても、テラバイト単位の割りに動画が多かったりして、重要性は低い。
なくなって困るデータなんて、たいしたサイズにもならないよな。
昔は、っていうと、ひとつのファイルが小さくて、CD一枚にぎっしり情報が詰まってたんだな、と思った。
これが本題ね。
捨てにくいのはCD、DVD、MOなどの従来型の光学メディアだけじゃない。
むしろ、HDDやUSBメモリなどの現行メインの記録媒体の方がはるかに記録密度が高いし、書き込みが容易。
捨てるかどうか保留したまま年月が過ぎて、
「これ何が入ってるの」
という時期になったとき、みんなどうやって判断するんだろうね。
そしたら、
こんな本買ってたのか。昔も今も片づけが苦手。そのうちに読もう。
会津に観光旅行に行った。会津地方で観光客が激減しているというニュースを月曜日にみて、折よく暇だったため翌日朝一の電車に飛び乗り2泊3日の観光旅行、昨日7日夜東京の自宅に帰り着いた。せっかくなので、一観光客が見聞きした会津の現状や観光したうえで感じたことを書きたい。無計画性が災いして時間が足りず磐梯には行っていないので、会津若松と喜多方のみの話となります。
# # #
1.地震の被害
会津若松駅前の地下道が冠水、未だに復旧せず通行止めであったり、マンホールが隆起していたり、蔵の土壁が壊れていたりと、地盤のよい会津地方も少なからぬ被害を受けており、極一部の観光スポットが休業している。とは言えその数は少なくまた有名どころはたいてい営業しているし、会津内での交通インフラも問題ないので、観光への影響は少ない。
2.原発の直接的影響
大気中の放射線測定値についてはさすがに東京より高く毎時0.2マイクロ・シーベルトあたり(健康には問題のないレベル)だが、野菜や水からはほとんど検出されていない。
http://www.city.aizuwakamatsu.fukushima.jp/index_php/info_hazard/view.php
ちなみに、現地の某ラーメン屋に入ったら使用している野菜の原産地をしるす貼り紙があったんだけど、そのなかに福島産の文字がない。つまり暗に福島産は使ってないですよと言うアピールをしていて、なんかすごい切ない気持になった。
3.観光産業の現状
機会があればなるべく現地の人と話すようにしていたんだけど、異口同音さっぱりお客さんが来ないとのこと。前年比で95パーセント減と具体的に数字を挙げてくれた方もいた。これから景気は悪くなるだろうし、外国人観光客も減るだろうから、地震前に戻るというのは何年たっても無理かもしれないが、さすがにこの減り方は異常事態。しかもゴールデンウィークの予約もキャンセルが相次いでいるということもあり、その異常事態のおわりが見えないことが怖い。しばらく続くとバタバタとお店が倒れてしまうかもしれない。
4.今観光すべきなのか?
しかし、このような惨状を見聞きしながらも、会津を助けるために今すぐ観光すべしと人に強く勧める気に僕はなれない。理由はふたつ。今一番困っているのは被災民なのだから、観光する暇と金があるならボランティアしろよ寄付しろよという正論がそのひとつ。そして会津地方は避難民を多く受け入れているというのがもうひとつの理由。関係ない所で自粛だの不謹慎だのと言うのはバカらしいが、さすがに避難民の目の前で呑気に観光と言うのは気がひける。じゃあどうすればいいのか? 現地の人にいろいろ話を聞いてみて思ったのは、今観光客が激減していることよりも、その異常事態のおわりが見えないというところに不安を感じている様子だった。ならば、被災者避難民に配慮しつつ、会津人の不安を解消するには、この異常事態には終わりがあるんだよというメッセージを送ればいいのではないかと思う。それにはちょっと先、例えばゴールデンウィークのホテルの予約を入れるというのがいいんじゃなかろうか。先が見えれば会津の人も安心すると思う。もちろんそこまで被災者避難民に配慮する必要はないよと言う人は、空いている今が好機だと思うので、どんどん行った方がいい。じっくり見学ができるし、スタッフさんと話し込むことができるし、サービスしてくれる店もあったし、写真も撮りやすいし。酒造りはほとんど終わっており、桜はまだと言うことでオフシーズンなのが残念ではあるが。
5.アクセス
東北新幹線・東北本線が運転見合わせで、東部鉄道だと時間がかかり、高速バスはキャパが少ないということを考えると、現状では車で行くのがベターかなという印象。車がなければバスにするか、新幹線・東北本線の復旧待ち。郡山・会津間を結ぶ磐越西線も現在間引き運転中。まあゴールデンウィークまでには意地でも復旧するでしょう。
# # #
以下蛇足。ガイドブックではそれほど注目されてないが印象に残ったところをいくつか、ご旅行のご参考までに。
A.さざえ堂(会津若松)
平面六角形の木造二重螺旋建築。前々から見に行きたいと思っていたもので、今回会津旅行を即断したのもこれがあったから。世界に類をみない奇妙な建築物でありながら、中を廻れるというのが魅力。ずいぶん痛んでいるが、昔から多くの人が入ったという証左であり、歴史の重みを感じる。10年くらい思いを熟成させかなりハードルが上がっていたが、それをはるかに上回る感銘を受けた。
B.長床(喜多方)
新宮熊野神社の拝殿。イメージとしては木造のパルテノン神殿(ただし規模は劣る)といった感じの、壁のない建物。70年代に解体修理復元工事をしており、建材は再利用しているものの建物自体は古くはない。しかし、中にのぼれるという魅力には抗しがたいものがある。また木造の大鳥居も時代がついていていい。
蔵座敷で有名な甲斐本家だけど、注目は売店のなかにある螺旋状の吊階段。彎曲した側桁が一枚で、しかも曲げたのではなく削り出したのだという贅沢なつくり。店主が話好きのおじさんで、面白い話が聞けた。
名物輪箱飯(わっぱめし)の元祖。値段は高いが当然のようにうまい。カウンターの隣には、とある形をした黒塗りの木造が鎮座ましましている。珍妙なことに、その木造には色々な国の紙幣が貼ってあった。訊くと、賽銭感覚で外国人観光客が貼っていったものらしい。ちなみに、2泊3日の旅行中外国人を一人も見かけなかった。