はてなキーワード: 代議士とは
第三十九条〔標章の使用〕 標章は、権限のある軍当局の指示に基き、衛生機関が使用する旗、腕章及びすべての材料に表示しなければならない。
第四十条〔要員の識別〕 第二十四条、第二十六条及び第二十七条に掲げる要員は特殊標章を付した防水性の腕章で軍当局が発給し、且つ、その印章を押したものを左腕につけなければならない。
第四十二条〔衛生部隊及び衛生施設の表示〕 この条約で定める特殊の旗は、この条約に基いて尊重される権利を有する衛生部隊及び衛生施設で軍当局の同意を得たものに限り、掲揚するものとする。
第四十四条〔標章の使用制限〕 本条の次項以下の項に掲げる場合を除く外、白地に赤十字の標章及び「赤十字」又は「ジュネーヴ十字」という語は、平時であると戦時であるとを問わず、この条約及びこの条約と同様な事項について定める他の条約によって保護される衛生部隊、衛生施設、要員及び材料を表示し、又は保護するためでなければ、使用してはならない。第三十八条第二項に掲げる標章に関しても、それらを使用する国に対しては同様である。各国赤十字社及び第二十六条に掲げるその他の団体は、この条約の保護を与える特殊標章を本項の範囲内でのみ使用する権利を有する。
第一条 白地に赤十字、赤新月若しくは赤のライオン及び太陽の標章若しくは赤十字、ジュネーブ十字、赤新月若しくは赤のライオン及び太陽の名称又はこれらに類似する記章若しくは名称は、みだりにこれを用いてはならない。
>>漫画やイラストやコスプレAVで赤十字マークを描くことが禁止されていると理解されている<< してねーよバーカ。林檎のやつはそのもの「記章」だからモロアウトなの。漫画にはバリクソ描かれてるよ
この文章のどこに椎名林檎の文字がある? どこに椎名林檎の案件を想起させるような表現がある? この文章のどこをどう読めば「『椎名林檎のグッズは問題ない』と増田は主張している」という結論が導かれる? 日本語読解力/Zeroか? 「書いてあることをそのまま読む」というだけのことがなぜできないんだ?
ちなみに、AVのナースキャップにモザイクがかかってたり(https://togetter.com/li/1505415)、赤十字マークを使ったVTuberの配信が消えたりしてるからな(http://doujinsokuhou45.com/archives/6962156.html)。作品中で赤十字マークを使った同人作家に注意して修正させたやつの話も聞いたことあるぞ。そういう勘違いバカは実際に存在するってことだよ。そういう状況を問題視してるの。おわかり?
"職業・身分・所属などを示すために帽子や衣服などにつけるしるし。 バッジ。" 法律の中での「記章」の定義がわからないけどAVの帽子は普通にアウトじゃない?コスプレだから制服じゃないと言い張るのに近いと思う
刑事ドラマかなんかで弁護士資格持ってない役者が弁護士バッジの模造品つけて「弁護士の○○ですが」って名乗ったら職業詐称になるって思っちゃう世界観の人?
ドラマの中で政治家ではない役者に議員バッジの模造品つけさせて「俺は代議士だぞ」って言わせたら議員を詐称したってことで捕まると思ってる頭が残念な人かな?
現代劇やそれに類する話において赤十字に関する話なら、むしろ描くべきだろうが、そうでないなら禁止されたものを描くのはリアリティがない。SF やファンタジーなら好きにすればよろしい。
そういう理屈はわかる。ただ、「それリアリティがない描写ですよ」と指摘するならともかく「それ違法だから消した方がいいですよ」と指摘して消させたり修正させたりするやつがいるのが問題なので(前者の指摘は「銃の持ち方がなっとらん」とかと同レベルなので好きにすればいいと思うけど、後者は脅迫に近いので悪質)。そういうやつらが死に絶えるまで「いや赤十字の標章は漫画に描いていいです。表現の自由です」と言い続けていかないとな。
弁護士とかの記章は、ドラマの中で使うときに「これはフィクションであり…」といれたり俳優名出したりして誤解を避ける努力してるんじゃないかな。警察とか自衛隊の制服は少し違わせるとか。
だったらなおさら同人誌だのコスプレAVだのは許されるべきじゃない??? どう考えても法廷もののTVドラマより現実感薄いでしょ……
「カルト教」のやっているクソ行為を擁護する気は微塵もないが、
碌に投票にもいかない「ふつうの人」より投票に行く「カルト教信者」の方が有権者としてよほど真っ当なのは否定しようのない事実だ。
何故カルト教が現状のようになるまで日本の政治に食い込んだのか?
代議士が「カルト教」の汚れた票をみっともなくかき集めないと政治家になれないからだ。
最終責任者たる有権者がその責任に背を向け続ける限り、自民党に限らず日本のすべての政党は腐り続けるし、
今問題になっている「カルト教」を叩き潰しても、別のクソ団体が取って代わるだけだ。
有権者の半分くを占めている「お客様根性の有権者」が自身の責任と向き合わない限り何も変わらない。
ということは、日本という国がもっと痛い目を見るまで何も変わらないということでもある。
腐った政治家を挿げ替える有権者が居なくなった時に民主主義国家の腐敗が始まる。
後世に託す国をこんなにしてしまった中年の一人として申し訳なく思うが、
低きに流れる濁流の中で一人抗っても何も変わらないんだ。
若者は大変だろうが、俺たちの世代も国に見捨てられ続けてきたので大目に見てほしい。
俺たちより上の世代にはどんどん噛み付いていいよ。
まず、「カルト」という言葉は「反社会宗教団体」を意味します。良い暴力団が存在しないのと同じように、良いカルトは存在せず、カルトを排除する際に理由は不要です。
もちろん暴対法による元構成員の社会復帰困難性のような、運用面の問題に対する批判はありえます。しかし、「暴力団を排除するのは不当」という議論は成立しません。
反社会性を前提としない場合、カルトではなく「新興宗教」と呼びます。これも「うさん臭い連中」といったニュアンスで使われがちの言葉ですが、字義的には批難を含まない、ニュートラルな呼称です。
では新興宗教に帰依していることを理由に採用を拒否することは可能か? あるいは、従業員の信仰する宗教を調査することは許されるか?
これは一律に回答できるようなものではなく、究極的には裁判で最高裁まで戦うようなお題になりますが、
雇用契約自由の原則に従って採用を拒否することは理由の如何を問わず可能、と主張することもできるし、
実務能力ではなく宗教団体への所属を理由に採用を拒否するのは不当かつ違法、と主張することもできそうです。
現実的には、不採用あるいは解雇の際に理由の開示が不要であるから、信教を理由とした採用拒否/解雇とそれ以外を弁別することが困難なので、それを防止することもまた困難であるとは思います。
では雇用契約ではなく、カルトに所属する代議士を罷免できるか? というと、これは無理です。政教分離というのはそういうことではありません。これについては安倍晋三氏が答弁を出していますので引用します。
現在自民党と連立政権を組み、政府と一体となっている公明党と、その支持母体である創価学会との関係は、政教分離の原則に照らして適切なものであるか。公明党と創価学会は「政教一致」の関係にあるか。
(略)一般論として申し上げれば、憲法の定める政教分離の原則は、(略)宗教団体等が政治的活動をすることをも排除している趣旨ではなく、また、憲法第二十条第一項後段の規定は、宗教団体が国又は地方公共団体から統治的能力の一部を授けられてこれを行使することを禁止している趣旨であって、特定の宗教団体が支援する政党に所属する者が公職に就任して国政を担当するに至ったとしても、当該宗教団体と国政を担当することとなった者とは法律的に別個の存在であり、宗教団体が「政治上の権力」を行使していることにはならないから、同項後段違反の問題は生じないと解しているところである。
(衆議院議員鈴木貴子君提出我が国における政教分離の原則に係る内閣官房参与の発言に関する質問に対する答弁書 2014年6月24日 内閣総理大臣安倍晋三)
要は代議士が統一教会の指示に従って動いていたとしても、それは統一教会が統一教会として権力を行使しているわけではないので、政教一致にはあたらない、ということです。カルト代議士を排除するには、贈収賄などの犯罪行為として立件するか、あるいは自民党自身が統一教会との決別を決意し関係者を排除(除名)する必要があります。後者の場合、党から除名されても議員資格は失わないので、統一教会新党ができることになりますね。
9600bpsのモデムが100万円をきって、購入の稟議書が常務決裁で良くなったころから。 https://t.co/JtHatCYbrn— 河野太郎 (@konotarogomame) October 7, 2019
いや別に「政治家という公人がSNSアカウントから情報発信するなら国民をブロックするな」という主張には一定の理があるとは評価している。
もちろん国民には代議士を評価する権利があるわけだし、どのような言葉で評価しても良いとは思う。
代議士としての資質、大臣としての資質を問うのも良いと思う。国民の権利であり当然だ。
でも流石に河野太郎へブロック担当相という揶揄は一定以上のITリテラシーがあれば出来ない揶揄だ。
何故ならブロック担当相という揶揄はどう評価しても揶揄した本人のITリテラシーは低いですと宣言しているようなものだからである。
恥ずかしすぎて普通はできない。
往年のインターネットには「パソコンの大先生」というミームがあったけれど、河野太郎へブロック担当相という揶揄する連中のITリテラシーを表現するなら「Twitterの大先生」だろう。
スマホが使えて、ググって調べものが出来、Youtubeを楽しみ、タッチ決済して、SNSを炎上しないように運用し、COCOAでコロナ対策していますみたいなITリテラシーレベルの連中が、河野太郎へブロック担当相と揶揄しているわけだから、そんな連中には「Twitterの大先生」という称号を贈呈したくなる。
河野太郎は勘ではなく正しい知識でこれへ対して回答してくるという信用があるけれど、Twitterの大先生たちは2が何かわかるだろうか?なんなら3や4や5も河野太郎は答えてくるだろう。
河野太郎へはネットワークという言葉も、プロトコルという言葉も、キャラクターという言葉も、入出力という言葉も、様々なITの基礎的な言葉も説明しなくたって伝わる人である。
もちろんITであっても触れてこなかった言葉や新語は知らないだろう。しかし近似した知識や概念、理論を既に知っているので「○○みたいな感じかな?」と直ぐに理解してくれるだろうなという安心感がある。
やっと日本国のデジタル担当相にそんな安心感がある人が就いたのである。
ちなみにこの問題は本当に初歩的なものであり、一定以上のITリテラシーがある人であれば「は?バカにしてんのか?」とか怒り始めたり「いや可能性としては・・・」などと曲解をはじめたくなるような初歩中の初歩の問題である。答えはシンプルで良い。
この問題を即答できなければお前のITリテラシーは河野太郎以下だ。
多くのIT有識者は「そんなことはわかっている」と言うだろうが待って欲しい。極ひと握りの河野太郎以下のITリテラシーしか持っていない連中へ説明してあげないといけないだろう。我慢してくれ。
まずIT分野には3種の人材が居る。それは「実務者」「研究者」「利用者」だ。
実務者とはいわゆるプログラマーのことだと思っておけば良い。
プログラミングを通してシステムなどを開発する人である。
オードリー・タンはここに属する人材。実績から言ってもオードリー・タンはハッカーだと評価しても差し支えない。
研究者とは新しいシステムや開発手法などを考え提唱する人。
わかりやすい例を挙げればビットコインなどのブロックチェーンを提唱した謎の人物サトシ・ナカモトもこの枠組みで良いだろう。
URLやHTTP、HTMLを開発したティム・バーナーズ=リーもここの枠組み。
そして最後の利用者は上記の2つを利用する人だ。
消費者もここの枠組みへ入れても間違いはないが、IT分野で何かを駆動させようとするときの利用者とは消費者というよりも、わかりやすく例を出せばスティーブ・ジョブズのように実務者や研究者と共に何かを始めたり維持したりする人のことだ。
そして河野太郎はここの枠組みの人なのである。
流石に河野太郎とスティーブ・ジョブズを比較するのはアレだが、枠組みとしては同種のポジションであり、実務者のオードリー・タンと比較するよりかはかなりマシな比較だと多くのIT有識者は賛同してくれることだろう。
まったく別分野で例えると変な誤解が生まれるかも知れないのでしたくはないが、理解が追いつかない人に例え話をするとオードリー・タンと河野太郎は寿司職人と寿司を食いに来た客くらい違う。
そもそものポジション、役割がまったく違う。
ITリテラシーの低いTwitterの大先生からするとIT分野に居る人材はITに関することなら何でも出来る知っていると誤解しやすい。
そして、そう誤解するのも無理はないなと個人的にも思う。
何故ならIT分野に居る人材は一定レベルを超えると3種の能力を相互に持ちがちだからである。
つまり、実務者であっても理論を提唱し、研究者であってもシステムを構築し、利用者であってもプログラミングしたり理論を知っていたりするからだ。
例えばイーロン・マスクなどは良い例だろう。彼は実務者から利用者へ転向した代表例と言って良い。
そして河野太郎もまた一定レベルを超えたITリテラシーを持った人物であり、河野太郎を利用者として評価するならば昔懐かしい「パワーユーザー」と表現するのが最も実像的であると考えている。
河野太郎はパワーユーザーだ。そしてパワーユーザーが日本のデジタル担当相になったのだ。
ブロック担当相などという揶揄はITリテラシーの低いTwitterの大先生が、自身の理解が及ぶ、自身が得意分野だと考えるSNSの使い方という枠組みまで矮小化してやっと出てくる言葉なんだよ。
「ITは小難しくてわかんないけどぉTwitterならわかるからTwitterで批判しよwww」と批判対象の能力を考慮しないバカとしか言いようがない思考を伴わないとできない発想。
真っ当に河野太郎デジタル担当相を批判するなら「河野太郎は利用者であるからオードリー・タンのような実務者的言動を取ったときに批判する」べきなんだよ。
オードリー・タンは凄い人だよハッカーだよ、だからこそ河野太郎も真似したくなるだろう。
それを防げ!河野太郎がオードリー・タンのモノマネを始めた時に必死で止めろ!!!!!
河野太郎がオードリー・タンのモノマネを始めた行く末は間違いなくメテオフォール型開発であり日本の将来へ最悪の禍根を残すことになる。
パワーユーザーたる河野太郎デジタル担当相だけが今のところできることは旗振り役だろう。
「旗振り役なんて誰でも出来るじゃん?」なんて思うかも知れないが、やはり時代が進んでいく方向という概念はあり、せめてマシな方向へ進んで行って欲しいというのが人情であり、IT分野であればITを知る人がマシな方向を選んで欲しいではないか。
ITのことを全く知らんのであれば置き物であって欲しいが、大臣が何も言わないのもそれはそれで問題であり、だからこそ何か言わなきゃならないのだがITのことを全く知らんヤツが口走ったことに付き合わされる省庁やIT業界のことを考えてみろ、可哀想だろうが。
最後にオマケとして河野太郎およびデジタル庁の動きへ対して取るべきリアクション一覧を置いておくので参考にして欲しい。
オードリー・タンのモノマネをした | 徹底的に非難する |
非IT系人材を登用した | 非難気味に注視する |
IT系人材からレクチャーを受けた | 肯定気味に注視する |
金融系のWeb3を推進し始めた | 徹底的に非難する |
学術系のWeb 3.0を検討し始めた | 注視する |
マイナンバーの改良を検討した | 注視する |
マイナンバーと金融情報の紐付けを検討した | 非難気味に注視する |
マイナンバーに分散型ID(DIDs)の応用を検討した | 肯定気味に注視する |
国家行政発行資格証の統合を検討した | 肯定気味に注視する |
中央・地方の行政システムの統合を検討した | 非難気味に注視する |
オープンデータを拡大した | 肯定する |
議会システムの更新を検討し始めた | 肯定気味に注視する |
https://anond.hatelabo.jp/20220623080117
1969年5月生まれ、男性、生まれた時からずっと福岡市中央区赤坂(けやき通りの裏手)に住んでいる。近所の人が見たら推定されるかも知れないが。
私は、経済政策は「大きな政府」「福祉主義」指示で、社会政策は「同性愛婚賛成」「男女別姓賛成」のリベラルで、外交・安保政策は「反共主義」「反韓国」「反北朝鮮」「反中国」のタカ派だ。必然的に合致する政党が無い。一番近いのは実は共産党だが、私は再軍備論者で改憲論者なので、そこでも相容れない。
旧政党で一番、理念が近いのは民社党で、今ならば国民民主党だろうが、国民民主党も政策があやふやなので合致しているかどうかもよく分からない。その、生まれついての政党孤児の私が、特に国政選挙でどう言う投票行動をとってきたかを書くので、参考になる部分があったら参考にしてほしい。
福岡市は県庁が郊外に移転したため、現在の小選挙区で言えば、都心選挙区は福岡2区になる。東京で例えるなら、都庁が江戸川区にあって、江戸川区が東京1区、秋葉原や銀座のあたりが東京2区になるみたいな感じだ。私は福岡2区の住民だ。
1994年、小選挙区制が導入されるまではここは旧福岡1区だった。定数は6人。
私が初めて投票したのは1989年7月の参院選挙で、この選挙では、自民党が大きく議席を落とし、社会党が議席68に急増して、野党が過半数を大きく制した。当時の社会党、土井たか子委員長が「山が動いた」と評し、開けて首相指名では、参議院では土井たか子が指名されることになった。私は、外交安保が不安なので、政権を社会党に委ねたいとまでは思っていなかったが、自民党の腐敗もあり、国内政策でリベラル寄りになって貰いたい思いもあり、社会党に投票した。候補は後に参院副議長の小野明氏(日教組系だ)だったと思う。
基本は、「社会党が政権を獲らない範囲内で野党に入れる」のを投票行動にしてきた。
そんな中で、迷いに迷ったのが翌年の衆院選だ。
自民党が、親子セックスの山崎拓、「(レイプを評して)元気があってよろしい」の太田誠一、野党系が同和ヤクザの松本龍、国会の爆弾男の楢崎弥之助、創価学会新人(後に公明党代表)の神崎武法だ。神崎が一番まともに見えるっていうのはどういうことだ? 福岡はかつて、玄洋社を生み出し、戦前の日本政界を大混乱に陥れた。その罰が福岡市民に与えられているのかも知れない、と思った。
あれが今まで一番苦悩した選挙だった。名前も忘れたが、仕方なく共産党の候補に投票した(その人は落選した)。
その次の衆院選は楽だった。定数が1人多くなり、先に名を挙げた人たちは全員当選したうえで、ぶっちぎりでトップ当選したのが日本新党の山崎広太郎だった。私のような投票先を探している人達の票を広太郎氏が吸引したに違いない。広太郎氏はその後、福岡市長を務めた。
その次の衆院選からは小選挙区制になり、私は基本、「民主党系」の候補に投票するのだが、つくづく福岡1区の住民でなくて良かったと思った。福岡1区の民主党代議士は松本龍だったからだ。もし私が東区の住人だったら、泣く泣く自民党の候補に投票していただろう。ここからも分かるように、「誰がまだマシか」「嫌な奴を当選させないためには誰にいれるのが一番効果的か」で投票すればいいと思う。
ツイッターやはてブを見てると、間接的民主主義がどれだけ偉大であるかということがよくわかる。
ふわっとした主張で固まっていても各々が好き勝手に話し合うと、Aはこう言ったがBはこうだったぞと互いの揚げ足取りで収拾が全く付かず議論にもならない。そこで意見の代表者を立てて、主張を整理することで譲れるライン、譲れないラインが見えてきて主張を通すための道しるべになる。
フェミ側の意見を代表する代議士は多数いるのだからオタク側も意見を代表する代議士を立てるのは民主主義としては正当な手続きでありむしろ互いにメリットしかないと思うが、相容れないからといって代議士を攻撃する自称リベルは民主主義を何だと思っているのだろうか。その意見は自分の主張を代弁してくれる代議士へ伝えるべきだろう
前編https://anond.hatelabo.jp/20220327224432
3/21
友達「アメリカは今でもウランをロシアから買っている。ロシアの軍事力をある意味認めているのだ」
増田「それが軍事力を認めたってことになるの? ただウランが取れるってだけじゃない?」
友達「そうだね」
増田「(何を納得したんだろう)」
3/20
増田「(……)」
増田「(あーなるほど、モンゴル帝国は中東を版図に収めてたこともあるのね)」
友達「他にはあまり覚えていない。露土戦争や最近のシリアの内戦くらいだ」
友達「同じロシアでも文化が違うからなんともいえない。なにしろ広い。
シベリアはいつも東側だった。ずっとモンゴルや中国などアジアとは密接な関係にある」
友達「tribute to what?」
増田「(してないようだな)」
友達「シベリアの歴史の半分はSiberian khanateだ」
増田「そう(シビル・ハン国っていうんだ。へえ、地域名の由来もモンゴルなのね)」(注:増田は世界史あんまり知らない)
友達「その後シベリアはコサックでいっぱいになった。ただいつも中国とは関わりが深かった」
増田「そう」
友達「日本がシベリアを征服しようとしたこともある。シベリア出兵だ」
友達「ロシアで内戦が起こっている隙に日本がシベリアを奪って緩衝地帯にしようとした。
これでシベリアの経済は崩壊し、日本は孤立した。今のロシアのように」
友達「シベリアはそれでもロシアの一部だったし、赤軍が内戦に勝ったときはシベリアを多少は良くしようとしていた」
増田「そう」
増田「ロシアの人の下の名前って全部決まってて新しく作らないんだね」
友達「そうだ」
友達「ああ」
増田「日本だとこうじゃないからさ。歴史上の人物とか見ててもかぶる名前の人はあまりいない」
友達「そうか」
友達「ロシアの名前のうちいくつかは時代遅れになったり、古すぎて新しい言葉に馴染まなくなったりした」
友達「たとえばadolfなどだ」
増田「高貴なる狼。意味も音も字の見た目もカッコよくて好きだなあ。とはいえこういうカッコよさの感覚は私と別の言語圏に住む●●さんでは違うんだろうな」(注:言語圏以前に個人差もあるのは見逃してほしい)
増田「いつか復活する日はくるのかな」
友達「来ない」
増田「断言するのね」
友達「する」
友達「Adolf Freidbergというロシアの作家は戦後Arkadiy Davidovichに改名せざるを得なかった」
増田「ああ…」
増田「ВладимирとВолодимирは見たところ同じ名前だよね?」
友達「そうだ」
増田「プーチンとゼレンスキーの名前が同じなのはちょっと感じ入るところがある。今後どういう扱いになるのかなあ(聖と邪をあわせもつなんかすごい名前とか?)」
友達「これはごくありふれた名前だから特に何もならないだろう。adolfは多少珍しかった」
増田「そうか」
増田「(なるほど、なるほどね……。これをつまらないと思うのはローマで剣闘士を見て楽しんでいた市民と同じ心性なんだろう)」
増田「(そういえば民主主義と独裁とは理論上は相容れない物ではないというか…代議士が1人しかいなくて任期も長い民主主義というのはありうる。それは別に独裁じゃないけど。どうせ大衆心理が1人の英雄を追い求めてしまうものならば、最初から独裁に似せておけばむしろ本物の独裁になりにくかったりしないだろうか)」
増田「(……)」
友達「ウクライナ人の一部は馬鹿なロシア人と同じだ。日本人のことを『ジャップ野郎』『目が細い奴ら』と呼んでいた」
増田「ゼレンスキーは核兵器には触れたんだよ? 核兵器を知ってて広島長崎を知らない政治家がどこにいるっていうの? いや、いるだろうけど」
友達「惑わされないでくれ。ウクライナ人とロシア人に大した違いはない。彼らも人種差別者になりうる。今回は彼らが被害者だというだけだ」
(これのことかhttps://jp.reuters.com/article/ukraine-discrimination-students-idJPKBN2L40H8 )」
友達「それでも私はウクライナの人々の悲劇に心を痛めている。この無価値な戦争は誰も幸せにしていない」
増田「文化も血もすごく近い国の人たちの性格がそんなに違うわけない」
友達「ウクライナ人は彼ら自身をロシア人と区別しようとしている。『ウクライナはロシアじゃない、我々は兄弟じゃない、ロシア人はすべて切り刻まれるべきだ』と。
ウクライナにも西洋にももう幻想は抱いていない。小さい頃はアメリカは世界一素晴らしい国だと思っていたが幻滅するばかりだ。アジア人は正直者だ」
友達「全体的な傾向のことを言っている」
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増田「悪魔みたいなジャケット着てみたいけど多分似合わないだろうな」
友達「誰に?」
友達「そうみたいだ」
増田「(よう道徳最小人間。ところであれは『国土は最大なのに道徳は最小』だからなんか面白くなるけど仮に『国土も最小だし道徳も最小』だったら他の面積が小さい国々から嫌がられそうなの非対称だ)
うん。ていうか●●さん演説聞いてたんだ。あいつ原爆についても空襲についても何も言わなかったよね?」
友達「ゼレンスキーはNATOを戦争に引き入れたがっている。つまり第三次世界大戦だ」
増田「そうみたいだね」
友達「NATOも馬鹿ではないからそれはわかっている。 プーチンはNATOが参戦を決めたら核を撃つと言った」
増田「それがゼレンスキーが原爆についても空襲についても何も言わなかったことになんか関係あるの?」
友達「かもしれない。ゼレンスキーの発言はどれも同じような内容だから最近は聞いていない。いつもNATOに飛行禁止区域と武器供与を求めている」
増田「そういえば聞いてわかるの? 日本語にはそういう言語ないんだよね」
友達「ウクライナ語は聞けば8割か9割くらい理解できる。ロシア語話者はみんなウクライナ語がなんとなくわかるし、なんならポーランド語もちょっとはわかる」
増田「そう。日本語圏ネットはゼレンスキーの演説でもちきりだよ」
友達「正直なところゼレンスキーはどう見ても西洋の駒だからあまり興味がない。言動も運命も知ったことか。
それよりもウクライナとロシアの一般市民の身を心配している。ただ早く戦争が終わってほしい」
増田「●●さんがゼレンスキーに興味がないのはわかったけど喋らせてよ本当に腹が立ったんだ。
これはわかる。宣戦布告なしで攻撃を仕掛けるのは国際法違反だからその真珠湾の怒りを思い出してくれというのはよくわかるさ(日本軍はほかにもいろいろやらかしてるし)」
友達「ゼレンスキーはNATOを参戦させるためならなんでも言うだろう」
増田「でも民間人を襲った原爆や空襲だって国際法違反だ。どうして『原爆を思い出せ』『広島と長崎を思い出せ』がないんだよ。これじゃ不公平だ」
友達「ウクライナ人も、そして多分西洋人もそれのことを大して気にしていない。彼らがした他の戦争犯罪と同じように考えているのだろう。歴史は勝者によって書かれる」
増田「これがもし仮に日本の落ち度を批判してきたなら納得したんだよ。日本政府は北方領土を取り返そうと20年くらい無駄な援助を重ねてきた前科がある。
そこを糾弾して強く改心と協力を求めてきたなら空襲や原爆に触れなくてもきっと納得してた。なんでだろうね?
(そういえばドイツ人だって大量にソ連に移送される被害を受けたことがあるんだからこちらに言及することもできたのにあくまでドイツの加害のことを言ったんだった)
でもゼレンスキーは日本をおだてて持ち上げてずっと友好的な態度だったにもかかわらず触れなかったんだ。それがすごく侮辱的で軽んじてると思った。口先でお世辞は言って、日本人への赤い血がしたたるような感情は見せてくれなかった」
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友達「制裁が終わらないと日本に行けないことに今気がついた。銀行に一定の残高がないとビザが作れないのに銀行が制裁にあっているからできない」
増田「ああ(制裁と銀行とカードは複雑すぎてなにがなんだかよくわからない)」
友達「どこもロシア人を求めていない。カザフすら国境を閉じてしまった」
増田「あれ? 私がどうやっても無理な感じ?」
友達「いくつかの企業は従業員を国外に脱出させる手助けをしている」
増田「じゃあ私がそっちに行くのは」
3/24
3/24
増田「ウクライナの人々はロシアがどういう扱いを受けることを望んでいるか気になっている。人々というか政府というか」
増田「疑問点は2つある。一つは国民同士の関わりが深いこと。●●さんにもウクライナ人の友達がいるだろう」
増田「ロシア人が全員死ぬボタンがあったとして●●さんの友達は押すだろうか」
増田「なんでそう言い切れる」
増田「(しまったこの人は命の価値は誰でも一緒とか言ってるんだった。私としては『ロシア人の家族や友人や恋人がいるウクライナ人はロシア人全体が嫌われるのを望まないだろう』……『友達は私を殺したくないからボタンは押さないだろう』の意味で言ったけど●●さんは多分『友達は人を殺したくないからボタンは押さないだろう』の意味で言ってて話が通じてない)
二つ目はロシア人とウクライナ人が似ていることだ。日本人と中国人と韓国人がよく海外でごっちゃにされてるようにロシア人とウクライナ人の区別もつかないだろう。ロシア人が嫌われるとウクライナ人がとばっちりを食らいかねない」
友達「だからそのボタンを押すウクライナ人はそこそこいるだろう」
増田「なるほど(中途半端に殺すと民族対立になるが全員殺してしまえば丸く収まるのはアメリカの黒人とネイティブアメリカン――全員は殺されてないが――を見ればすぐにわかることだ)」
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増田「そう」
例をあげるならば、ロシアの政治指導部は、きわめて当然のことながら、外国の勢力、さらには具体的にどのような組織、個人がロシアの弱体化を狙って行動しているかに、関心を持った。この問題に関する正しい答えを出すことはきわめて重要である。EISは、この問題について詳細な調査と分析を行ない、「現在のところ、米国及びその他の先進西側諸国の国家政策にはそのような方針を示すデータはない」と政治指導部に報告した。(「クレムリンの5000日」エヴゲニー・プリマコフ著 鈴木康雄訳)
西側諸国のロシアへの方針について恐らく世界で最も詳しかった人のひとりでしょう。ただ本当のことを書いているかどうかは私には判断できかねます。
この時代の他の国家の状況についての情報も知るべきでしょうが、さきほども書いた通りこの回顧録すら読み終えられていません。
増田「国葬もやってたみたいだけどなんで今まで死んでたこと知らなかったの?」
友達「そうでもない。普通のロシア人は政府なんかに興味がない。
テレビで最後に見た国葬はエリツィンので、最後に見た普通の葬式はマイケル・ジャクソンのだ」
増田「(うちの学校では今のマイケル・ジャクソンは96代目とかいう噂が流れてたなあ)
そうなんだ。なんでエリツィンのは報道されたのにプリマコフのはされなかったんだろう」
友達「エリツィンは大統領だったがプリマコフは首相だった。それにプーチンはプリマコフを好きではなかった」
増田「なんで嫌いだったと思うの?」
友達「プーチンはパラノイアだ。あの長いテーブルは知っているか?」
増田「知ってる知ってる。なら国葬したり銅像建てたりしてるのは見せかけのポーズなのかな?」
増田「そうなんだ」
とはいえ友達はほとんどテレビを見ないらしいのでテレビに関する情報は怪しいと思っています。
BBCでもロイターでもついでにNHKでも、ロシア国外のニュースをいくらでも読んでいる人なので恐らくたまたまでしょう。
メディア規制については確実に私より詳しいので安心してください。
(1)友達の話を聞くに相当小さい頃からずっと英語でロシア国外のニュースを見ていたらしいので多分プーチン万歳と思ったことがほぼなさそうです。
(2)もし友達がその方法を知っていたら、聞かなくても教えてくれているでしょう。
1)答えではありませんが、エロや同性愛のイラストが普通に載っているのを不思議に思っています。あれ匿名ですらないのに。
前編にも書いた通り、彼はロシア人はウォッカもビールも飲むものだと思っているようです。
友達「いい」
増田「『英語など外国文化を知らないようなロシア人はあまり謝らない傾向がある』と聞いたんだけど本当にそんなことがあるの?答えたくなければ答えなくてもいいよ」
友達「まともに教育を受けていなかったりしつけられていなかったりするロシア人は謝らない。外国文化とは無関係だ」
増田「ふーん 他の国と大して変わらないだろうということでいい?」
友達「変わらない。russians are the same as everyone else」
増田「そう」
友達は英語話せるやつではないやつたちとも接点が多いようです。
ただし在露邦人のあなたのほうが信頼性が高いかもしれませんね。私にはわかりません。
スラブ民族がどうこうとか正教会がどうこうとかについては友達からは何も言われていません。
「オルブライト? へー初めて聞いた」と思っていたら亡くなりました。
指定校推薦使う人って小さい頃にDSのポケモンでチート使って心の底から楽しめてたタイプの人種?
https://twitter.com/anokoronomirai/status/1492714346535092225
イフオ@anokoronomirai
先日、このツイートを読む機会があった。せっかく学生課の職員という仕事をしているので、ちょっと解説してみようと思う。
結論はタイトルのとおりだ。大学にとって、指定校推薦は優れた制度である。一般入試で入ってくる学生よりも、指定校推薦で入ってくる方が優れている。
指定校推薦というのは、大学と高校と生徒にとって三方好しである。高校生が指定校推薦による利を得たい場合は、在学中にたくさん勉強して、学校行事に多く参加し、部活動や社会教育活動やボランティアに精を出さねばならない。
大学としては、新入生としてはできれば安牌が欲しいと考えているし、高校側も特に推薦したい生徒がいる場合がほとんどである。重ねて申しあげるが、一般的な高校生が指定校推薦を活用するためには、その学校にとっての模範的な生徒である必要がある。
私が勤めている大学は、世間的には上流とされている。私立大学の総合力を図るランキングがあったとすると、国内上位3校に必ず入る。
これまで十数年に渡り、百人以上の高校生・大学生の面談面接又は評価活動を行ってきた。その経験に照らして、一般入試と比べた場合の指定校推薦の優位性を説明する。
※公募推薦やスポーツ推薦や帰国子女入試はそれに準ずる扱いとしている。いずれも一般入試の学生よりも優れていると幣学では結論している。
これが最大のメリットだ。幣学から「〇人の推薦枠があるので出願をお願いします」という通知を受け取った各高等学校が、それぞれ選りすぐりの生徒を受験させる。受験者は概ね、以下の性質を一つ以上は有している。
・評定平均が概ね4.5以上
(推薦要綱に4.5以上とあっても、双方の合意で4.4以下の子が受けることは可能)
・特殊な才能に恵まれ、若くして成果を挙げている(スポーツ、文化芸術、学会、芸能界その他での活躍)
幣学は毎年、上記の性質の3つ以上を有した学生を手に入れることができている。ほぼ必ず、将来大器と思われる人材を得ることができている。募集要綱での評定平均が足りていない子はけっこういるが、それらは裁量でどうにかなる。
いい子に入学してもらい、学生生活では多くの人と交わることで自分を磨いてもらい、卒業後は社会で活躍できる人材に育つことが学校としての至上目的だ。
具体例をひとつ挙げる。
4年ほど前のことだ。府中の辺りにあった私の日常通いのマクドナルドで、ある女子高生が働いていた。私と彼女は、レジでたまに世間話をする関係だった。その子が新人だった時の話をする。
夕方だったろうか、外国人サラリーマン2人組(大柄な白人と中肉中背のアジア系だったと思う)がその子のレジに並んだ。私はそのひとつ後ろに並んでいた。
そのうち1人が、店員に対して英語で話し始めた。併せてジェスチャーを行い、干飯ハンバーガーを注文しようとしていた。
さて、彼が欲しかったものは、「チキンフィレオのセット×1+チキンフィレオの単品」だった。その子も身振り手振りで話を聞き終え、「千何百円になります~」と言ったところ、「No」と白人リーマンは言うのだった。「チキンフィレオのセット×2」としてしまったのだろう。
その高校生は、もう一度メニューを見ながら、手指や視線を動かして、彼の顔も見て――今度は正解を当てることができた。白人リーマンは、「glad」と言って隣のアジア風の男性に注文を譲った。
その子は、アジア風の男性からも英語で注文を聞き取っていたが、今度はミスなく注文に応えることができた。身振り手振りだけの、上手なコミュニケーションだった。サイドメニューのサラダ単品と、ナゲット×2とジンジャーエールだった気がする。
この間、彼女は一切英語を話していない。労働経験も少ないだろうに、外国人に即応したのだ。言葉を交わすことなく注文に応えてしまった。緊張した様子もなく、終始ニコニコだった。
才覚を感じた。私が学生の頃は、あの子のような接客は絶対にできない。せいぜい、しどろもどろになって社員を呼んでいたことだろう。彼女については後述する。
指定校推薦の話に戻る。
幣学では、彼女のようなレベルに達している人間がぜひ欲しいと思っている。幣学だけではない。ほかの大学だって喉から手が出るほど欲しいだろう。残念ながら、その子が通っている高校には幣学の指定校推薦枠がなかった。が、その他の推薦入試であれば可能性がある。私が入試事務局で彼女の願書を審査するメンバーだったら、一次選考は確実に通しただろう。
ここまでお読みいただいた増田民への情報提供を兼ねて、推薦入試の際に最も重視される評価基準を説明する。
『自助努力』
以上だ。
評定平均が4.0以上など、指定校推薦では成績優秀な学生を求めている印象があるが、この際だから正直に言ってしまう。合格順位の点数付けの過程で、評定平均はほぼ見られない。あれは受験者を少なくするために振るいにかけているだけであって、本当に見られるのは上記3要素だ。
例えば、推薦入試の募集要綱には、「全体の評定平均が4.0以上であること」などと書いてあるだろう。実務上の対応としては、それ未満の評定平均でも出願すること自体はできる。むしろ出願して欲しいほどの人財がいる場合は、当高校に対して個別に依頼と訪問を行い、その生徒を推薦してもらう。これは幣学でもそうだし、他の名門大学でも変わりはない。それくらい、上記3要素を有した高校生はこの世界に少ない。喉から手が出るほどほしい。
なお、自己推薦制度を採用する大学の場合は、評定平均が足りないと学校長からの推薦書がもらえないので注意しよう。すなわち出願ができない。学校を通した推薦入試の場合は、評定平均が少し足りないくらいであれば双方が話をする。やり取りの例はこんなところだ。
パターンⒶ
高「評定平均は3.8である。貴学の示す4.0には少し足りないが、在学中に難関試験である〇〇に合格している。性格は朗らかであり、リーダーシップもある。貴学の学風に相応しい生徒かと思われる。出願は可能か」
パターンⒷ
高「評定平均は3.0未満である。この子は1年生からインターハイに出場している。推薦入試の受付開始時点でインターハイに上位入賞しているなどの場合は、出願することは可能か」
大「協議して回答するので、出せる範囲で資料をいただきたい。出願できる可能性はある」
どんな大学にも救いようのない学生はいるものだ。箇条書きにしてみよう。
‐①
講義中に先生に当てられても、何も答えない。ずっとだんまりだ。人として生きる力に欠けているというか。私が幣学で学んでいた頃もいたし、ずっと前から一定数いるのだろう。わかっていようといまいと、とにかく答えない。黙っている。こういう人間は大学生になってはいけない。行動が大人のレベルに達していない。社会の進歩と同時に、こういった人罪が増えるのは致し方ない面がある。大昔であれば、こういった人間は厳しい修行の中で開眼するか、できなければ間引きされていたに違いない。
‐②
学生に一般貸出している施設の鍵を個人がずっと持っていて、サークルや部活動の団体が使用できなかったにもかかわらず、詫びの一言もなく鍵を返却して済まそうとした女子学生。口頭での注意及び一定期間の施設使用禁止を命じた。後日、ほかの利用者が鍵を開けて使用するタイミングでこっそり利用していたことが判明し、正式な処分を行うこととなった。
‐③
ある警備員が、大学が閉まる時間になっても遊んでいる学生を出て行かせようとしたところ、逆切れして「警備員ごときが偉そうに!」と文句を言った男子学生(譴責処分とした)。彼のような場合、親が地元有力者や代議士経験者といった名士であることが多い。肉親や親類縁者が多くの人から崇められているため、それが自分の力であると勘違いしているのだ。大学としても、譴責以上の処分を与えるのは難しい案件であるため、厳しい対処はできない。
・明確な不法行為をする者
‐①
学外私生活でトラブルを起こし、警察沙汰になる者。アルバイト先など関係者からのクレームの電話が年に10件以上はある。あの学生に家族を侮辱された、彼は替玉入試だから調査しろ、あいつはコンビニで万引きをしていたなど。明らかな証拠がある場合に限って調査をする。証拠がなければ何もしない。当人を呼び出すこともしない。杞憂なく学生生活を過ごしてほしい思いがある。
‐②
不埒な行為を目的とするサークル活動。ゴシップ雑誌やニュースサイトで、泥酔した学生十数人が路面で倒れて~といった報道が稀になされる。本当ならば、路面に倒れるよりも前に個室に連れて行きたかったのだろう。誠に遺憾だが、そういった行為を目的とするサークルはある。ネット検索でもヒットする。近年だとミスコン運営委員会の事件が記憶に新しい。
現代社会では到底許される余地のない連中だが、昭和の時代から存在している伝統的なサークルが多い。既得権というか、潰すに潰せない事情がある。
ここでいったん、関連するトピックに逸れる。
京都教育大学集団準強姦容疑事件に関しての京都地裁判決に対する緊急声明
https://wan.or.jp/article/show/2038
覚えている人もおられるだろう。
2009年2月、京都教育大学の体育会で追い出しコンパがあった。その居酒屋の空き個室で、当時19才の泥酔した女子学生に対し、6人+見張り3人が代わる代わる性行為を行ったという。数か月後、女子学生の親が大学の対応を信用できなくなり、刑事告訴に踏み切った。
この事件当時、文部科学省から事件関係の通知(指導)文が何件も送られていたのを思い出す。掻い摘んで述べると、「大学の活動の一環として行われる行事は大学側にも責任が生じるおそれがあるため、このような事案が決して起こらないよう、学内団体の監視及び指導、事前対策を徹底すべし」といった文面だった。
幣学でも、遠く離れた京都であったこの事件を対岸の火事と見ず、リスクマネジメントの観点から積極的な議論を行い、事前事後の対応策を決めた。
当時、若手職員だった私には疑問だった。なぜ偏差値的に優れている、勉強を頑張ることができる人間がこんな事件を起こすのか? と考えていた。今ではわかる。偏差値と人格は何の関係もないのだ。こんな当たり前のことを理解するまでに相当の年月をかけてしまった。恥ずかしい限りだ。
それから十数年。幣学でも、そういった事案が年に数件は上がる。どれもこれも、いい大人がこの程度のことがなぜわからないのかというほどレベルの低い案件だ。その度に、慎重に慎重に慎重に、最大限の注意をもって被害学生の心に寄り添い、謝意とフォローを示さねばならない。
こういった事案の多くは、一般入試で入ってきた人間が起こしている。ほぼ同率2位がスポーツ推薦だ。公募推薦や指定校推薦や帰国子女入試の学生は、こういったレベルの低い問題事案を起こす確率は少ない。明らかにそういう傾向がある。
‐③
幣学には、はるか以前から、警護が付くレベルの皇族の子女が何人も通っている。数年前、とある男子学生が、講義棟から出てきたばかりの女子学生にいきなり近づき、「一緒に写真を撮ってもいいですか」と尋ねたという。女子学生の反応は想像に難くない。警戒心で強張っていたと推察する。
男子学生は、その子の肩を抱くようにして一緒に携帯で写真を取ろうとした。すぐに警護の人が物理的にシャットアウトしたのだが、その様子を男子学生の仲間が遠巻きに笑って眺めていたという。学生課に抗議にきたのは、その女子学生ではなく友人だった。女子学生は、どちらかというと穏便に済ませたいとの意見だった。こういった案件がある度に、偏差値と人格に関係がないことを思い知らされる。この顛末は【後述】する。
さて、どうして私がこのような考えに至ったのか? 統計を取ったからだ。
大学職員になって十年ほどが経った頃、問題を起こす学生の傾向について、上の人間から指示を受けてデータ化を進めていた時、ある傾向に気が付いた。
過去に問題行為のあった学生約200人を無作為抽出し、データベース化した。そして、その入試制度別の発生割合を調べたところ、
指定校推薦<その他入試制度(帰国子女含)<一般入試<スポーツ(一芸)推薦(※1)
という関係が成り立った。
この時、私は――社会で実績を挙げる人間には反対の傾向が当てはまるのではないかと考えた。実際、正しかった。学生の卒業後追跡調査の結果を独自分析し、卒業後の進路ごとに1点~5点(※2)を付けて入試制度別に平均点を並べたところ、
指定校推薦>その他入試制度(帰国子女含)>スポーツ(一芸)推薦>一般入試
と、おおよそ対称的な結果を得た。これにより、私の考えが確信に変わった。
知能テストで図ることができる要素よりも――それ以外での、高校在学中の部活動その他の社会的交流や、自らを高めるための活動にどれだけ勤しんだかに重点を置いて入試制度を運営する方がよりよい結果を得ることができるということだ。
※1…一芸とは、AO入試やスポーツ以外の特殊技能により入学した者を示す
※2…国際公共機関やそれに準ずるNPOや世界的企業を5点、一般企業や一般公務員は3点、フリーターや無業者や所在不明者は1点とした。4点と2点はその間を基準として点数を付けた。
ここからは【後述】の内容になる。女子学生に写真撮影を求めた学生は、一般入試だった。それまでに何度も事件を起こし、3回の学内処分を受けていた。
ゼミの担当教授にも参考意見を伺ったところ、やはり人格的素養を欠く言動を繰り返しているようだった。犯罪に達している行為もあった。
事務局側の責任者に彼の処分内容を協議したところ、「遺憾だが、処分内容は考える必要がある。考えたうえであれば~~そちら側に委任する」という答えがあった。これは、その人なりのサインだ。自らの手を汚すことをしたくないから、処罰される人間に明白な忌避行為がない限りは、こうした答え方をする。意図を汲み取る必要があった。
数日後、彼との面談で、私達は「自主退学」を求めた。はっきりと「あなたは本学にふさわしくない」旨を告げたうえで、自ら退学願いを出すのであれば、こちらから退学処分を行うことはないと宣言した。これは半分以上がブラフだ。実際、この程度で退学処分を行うことは難しい。ただ、学校としては、品位を落とす学生には退学してもらいたい。それだけだ。
そのうえで、あの時、彼の周りで笑っていた連中にも釘を刺している。個別に呼び出しをした。「学生だからといって、社会で許されないことをしたら、彼のようにキッチリ落とし前をつけさせるぞ」と。はっきり宣言した。
苦しいが、仕方がないのだ。危険の芽は摘み取っておく必要がある。こうした学生を放っておくことで、上の京都教育大学のような重大事案に繋がってしまう。問題事案が起こる可能性は、費用をかけたとしてもゼロに近づける。リスクマネジメントの基本だ。これは、どんな学校でも同じことだと思う。
私は本学を愛している。高校生の時もそうだったし、大学生の時もそうだったし、大学職員になった今でもそうだ。事案が生じることで、本学を世間の目に晒したくない。
お目汚しを失礼した。
基本はロム専だが、どうしても一度、増田に投稿してみたかった。
そんな時、冒頭のツイートが流れてきた次第だ。暇な時間を費やすだけの価値があったなら幸いだ。
イフオ@anokoronomirai様、この度は拙作を投稿する機会をお与えくださりありがとうございます。重ねて感謝申しあげます。