非常に長文です。読み辛ければ申し訳ない。
昨日、個人の意見や感想が身近な上に大量に見られる現代で、情報の取捨選択ができず、それらの大量の他人の意見に沈黙できないのは病的だ、と書いている人を見かけた。
はっとして、そしてまさに自分のことだ、と思った。
自分は、自身の考えを第三者の前で表明しないと自身が歪んでいくようだと思い込むようになって久しい。
表明する内容も、ジェンダー論や人間性の話など、答えの無い人それぞれ考え方が異なるものばかりだ。
そんなことを発表せずとも幸せに生きている人は多くいるにも関わらず、自信を省みるともはや強迫観念の域に達していると自分でも思える。
「あくまで自分は」を常套句に、ネットの海に放り込まれた誰へ向けるかも明確ではない見知らぬ人の呟きに対して「自分はこう思う」と表明し続けている。
今思うと、今まで表明してきても良い反応も悪い反応も帰ってこなかった。
周りの一生懸命に真っ当に生きて人生を楽しんでいる(ように見える、きっと苦労も経験してきている)人たちは、そんな表明をせずとも健全な精神を得ている。
自分は、交流があまり無い人や関係が続いている親しい人からは元気で親しみやすいと言われる。
場が沈黙するくらいならと、自分から話し始めることは当たり前。
一人での旅行は当然楽しめるし、初めてやる仕事の教えを乞いに上司に声をかけることもどんどんする。
そんな陰キャにしては歪で悩みの種の一因でもある自分の性格を形成する根底にあるものは、家庭環境が大きい。
両親が家にいる事は少なく、父親は仕事で別に住居を構えており、電話もメールも年に数回するかどうかだった。
母親は子育てをしながらも家事を全て一人でこなし、子供の手間が減ってからはパートタイム程度に留めていた仕事を夜勤有りのフルタイム勤務に切り替えた。
上のきょうだいが居るが、訳あって母を伴い施設や病院に行くことも多かった。
そして、五体満足な自分が一人。
自分は基本的に家では一人のことが多く、家に母親が居ても人を呼ぶ余裕など当然無い。
でも小学生の頃の自分は、記憶が曖昧ながらもそれらに悩んだ記憶はあまりない。
なぜならそんな自分には何も与えられなかったわけではなくて、小学生の頃にパソコンを買い与えられていたからだ。
みんなは携帯やスマホで家に帰ってからもゲームをし合っている。
撮った写真をすぐにSNSに載せて、それに反応をして笑っている。
中学生の自分は学校でそれらが行われているのを見ているしかなかったが、急いで家に帰ってパソコンを付ければその輪に自分も加わることができた。
そのためか多少不便を強いながらも自分をハブるような友人はおらず、楽しい生活を送ることができた。
関係がほとんど自然消滅していった今でも、当時の友人達には感謝が尽きない。
問題はその後だった。高校時代から陰りが見え始め、交友関係に失敗する経験をし始めるようになった。
高校生になってしばらくしてから電話機を買い与えられたため、問題はそこではなかった。
きょうだいは居ても、母親が居ない時は部屋が別なのもあり最低限の必要な会話しかしない。
誕生日も年齢も電話番号も覚えていないくらいに関係の薄い父親。
家族に話しかける機会があまりなく、また話しかけた時に相手が迷惑だと考えることを意識してしまい、最低限の会話しかしなくなった。
そしてそのうち、話さないことが当たり前になり、自分も家族への興味が失せてしまって、それ以降話すきっかけを取り戻せていないのを今でも明確に認識している。
家庭での居心地の悪さを自覚しているなら、中学生の頃のように自分から行動を起こせばよかったのに、その発想は頭に浮かばなかった。
家族であるにも関わらず、邪険にされない楽な方へと逃げて、結果的には家族を見捨てたようなものだ。
腹を痛めて産んだ実の子供を邪険にする母親がいるにも関わらず、自分の母親は素っ気ない実子が生きるためにとてつもない努力をしていた。
きょうだいとは喧嘩する事はあれ、きょうだい自身は普通のレールを歩めない体であるにも関わらず心の余裕を持ち、こちらを邪険にすることはなかった。
それらを見てきたのに、自分は自分自身した行動で残った事は、何も行動を起こさず逃げたという事実だけだった。
そんな流れで、学校以外で人と会話をする機会がほとんどなくなった。
家庭で静かに一人で失敗をして学ばず、その孤独感から本ばかり読んで人間関係を学んだ気になりそれを実践していた声の大きい自分は、学校の友人達はさぞ面倒な相手だったことだろう。
鈍感で距離を取られていることに気付かず近寄ってきて、意思のキャッチボールができず一方的に話すことを対話だと思い込んでいて、小説では省略されるリアルの付き合いで起こるやり取りが円滑にできない、そんな人間が煩わしく思われるのは当たり前のことだ。
それでも周りの人達は直接的な何かを言ってくるわけでもなく、それとなくいつものメンツからは省きながらも、さまざまなグループに属する人達がちらほらと自分と浅い付き合いを続けてくれていた。
10代の頃から、10代の頃でも、周りの人達は頭を使い、時にはぐっと我慢をして自分のような化物をいなしながらも人間関係の折衝をしていた。
自分はずっと気付けておらず、当時を振り返って自分の察しの悪さと無神経さを心から反省できるようになったのは社会人になってからだった。
こんな歳になってから自分の愚かさがわかったってどうすればいいんだよ、と思った。
一人で旅行をしても楽しめるのは、目的意識がありそれが一人である必要があるというわけではなくて、一人だと好き勝手できて気楽だから。
周りが緊張している中でも率先して話せるのは、他人の感情を軽視し興味を持てていない無神経さから来ている。
そして悩みに悩んで失敗し続けて今も絶賛落ち込んでいる人間関係の軋轢を作りがちな原因は、自分が人生の中で選択してきた間違いを間違っていると認めるどころか認識すらしてこなかった思い込みの強さと、視野の狭さと愚かさだ。
この日記の冗長さだって、きっと自己保身をしたい気持ちから来ている。
自分を形成しているものがこんなにも身勝手で出来上がっていること、自分自身ですら他人から煙たがられて当然だと感じていることに、今までの人生はなんだったんだと足元が崩れていくような感覚がしている。
自分の自己肯定感が薄く、でもそれをカバーするように間違いを疑わないほどの思い込みで自信を保ち、それを全世界に発信して非難を受けない事で認められたと思い込む。
初対面で自分のことを元気で親しみやすいと感じただろう人達が、その後親しくなっても半数以上に軋轢が生まれ険悪なまま別れることになるのは、相手が誰であれ、こちらのファーストインプレッションと異なる偏りすぎた二面性とそれを隠さなくなっていくことに幻滅したであろうことは確かだ。
家族ですら放り捨てるようなコミュニケーションの取り方、距離感を掴むのが上手くないのに一方的な形で距離感を操作しようとして不安にさせてくる行動、「あくまで自分は」と言って予防線を張りながら自分の偏った意見を非難されないように堂々と述べる。
これをされて、なぜ相手が親しみを感じて喜ぶと思うのか?
さらにそれだけではなく、ただ相手を不安にさせるに留まらず、それを行なった自分自身もそれらの行動に対し利点がほとんどなかった。
その場その場で一時的な自尊心は満たされても、継続しないから自分の立場は悪くはなれど良くはなっていかない。
本で見たような、親しい友達と特別な関係を持ち合い楽しく過ごしたいという自分の理想を得るための行動とあまりにも乖離していることにやっと気付いたのだ。
目標もなく結果も出ない行動は、本当に無益どころか無駄でしかない。
どうしたらいいのかわからなかったが、より落ち込むとしても今までの自分の行動とその意図と、それに対して起きた周りの反応を振り返った結果がこの日記だ。
自分がこのままではいけないと感じ、ではどうするべきかと散々自分の失敗を省みて出した結論は「努力して愚痴を控え、愚痴を言う原因になる交友関係は広く浅くに留め、自分の成果に数えられることに挑戦する」というとりあえずの目標を持つことにした。
これは周りに迷惑をかけず、また他人から自分のことを深く意識されることも減らし、「また自分が同じような失敗をして落ち込まないために自分自身を見つめる必要があるでしょ、またいずれ誰かと深く交流することもあるかもしれないでしょ」と自分に言い聞かせ、自分自身が認められるような形で自分の価値を上げ、自分に合っていそうなその過ごし方に慣れて、余裕のない自尊心の低さからくる失敗をする自分から離れるための挑戦だ。
自尊心が低く余裕がないと、自分を最優先で守ることに固執し、脇目も振らず逃げを選ぶことになって、手元に残るのは周りに不快をまき散らし逃げ回った自分だけだったのは結果が物語っている。
そして徒労をする度に落ち込み、自尊心はどんどん低くなっていくのだ。
孤独感は感じても、自分の言動が人と深く交流することに向いていないのであればその先は失敗しかない。
深い仲の人がいなくとも問題なく生きていける世の中で、それを利用して自分を見つめ直す事ができることを心からありがたいと思う。
もう遅いのではと感じても、生きていくのならば必ず自分のような意志を持った誰かと関わる必要があり、その際に失敗が減ることで友人関係を長く続けられるという経験はいずれ自分の心に余裕をくれることになるのではないだろうか。
「匿名でない自分自身が皆の前で堂々と考えを表明する」ことに固執していた一人の人間が自分の視野の狭さや醜さを認め、自分が変わる挑戦の最初の一歩として、匿名でここに残させてください。
がむしゃらに書き殴ってしまった長文にも関わらず、反応ありがとうございます。
自分はまさにこのような自分は〜だけどといった不必要な主張を、匿名でもない趣味のアカウントでしてしまっていたんですよね・・・自分のことを腫れ物だと考えている人はきっと多い。
自分のための会話ばかりして長文でお気持ちを吐いてしまう所は直したいと強く思っいます。
保身ばかりを考えた会話や主張をせずとも胸を張って生きられるように、この日記以降は吐き出す習慣を無くし、感化されやすい情報の多いSNSを見る時間を減らすなど少しずつ環境を変えていくつもりです。
コメントを読んで、慰めてくれる方や汚点をスルーして付き合いを続けてくれている人達をこれ以上幻滅させないよう意識していこうと思いました。
コメントでご意見をくださった方々、本当にありがとうございました。
長いけど嫌じゃない 正直な気持ちだからだろう
刺さる人には刺さる話なんじゃないかな。
基本的にジェンダーと政治絡む党派性にしかコメントしない弱者男性だが、今回はする 仮にお前がウザイとするとそれは長々と書く読み辛い長文のような物を突然発表したり開陳する事...
基本的にジェンダーと政治絡む党派性にしかコメントしない弱者男性 ここがあんまり底辺過ぎて噴いた
この弱者男性ミソジニーで自民党好きそう
リベラルとフェミニストは嫌いだし立憲共産党も嫌いだけど自民党に投票したことないよ あと女はイージーだと確かに思ってるよ
でもそういう人場に一人いると結構楽になるよ
がんばれ〜 うざがられてかもだけど嫌われてはなかったんじゃないかね
こういうかんじ? 「人と揉めたくない」「傷つきたくない」「でも自己主張したい」「皆から尊重されたい」という欲求を全て優先させた結果、人として一番ウザいところに着地してし...
非常に読みづらい。 偏った考え方の持ち主という自覚があるなら尚更事実と意見を区別して下さい。 増田が周囲から疎まれているという判断をした具体例もほとんど書かれてなくて、...
𓂸「よーく振ってからしまおうね」 𓂺「振り過ぎちゃったァ…♡」