はてなキーワード: 勝敗とは
結構、貯まってきたので見出しをカテゴリ化した。割とライブ感強めで書いているで、これを後で見返すほどのことはないのだが、増田で他のものを書いて編集するとき探すの面倒だしね。
今回は裏サンデー
或いはテレパシー的なものかもしれないが、ふきだしは普通だし、やっぱりそのまま会話しているのかね。
まあ、そこらへん細かく言い出したら、そもそもゲームでは狼状態とか関係なく基本的にリンク喋らないから、どういうのが正解だとは言い切れないが。
さて、本編の内容だが、ミドナと協力するまでの掛け合いだけだから、話としてはそこまで進んでないね。
ただ、ミドナの行動には、何かの大きい理由があるのだろうというのを匂わせる描写があったので、導入部分としては割と重要。
wiiで出た当時に一回クリアしただけだから記憶が曖昧だが、そこらへんはオリジナル描写かな。
ミドナって結構受け手がムっとするような言動をよくするので、それを緩和するためにここで先に描いておくのはアリだと思う。
主人公が吸血鬼と戦う力を得るためにどうしたかっていうのが簡単に語られて、中盤すぐに戻ってきてホッとした。
このタイミングで、過去話を長々とやられたらテンポよくないしね。
主人公は人間規模で見た場合、明らかに異質な強さだったのだが、かなり過酷な背景だったようだな。
それ位しないと、単純なスペックで勝る吸血鬼とは戦えなかったと。
間接的に、吸血鬼の格を下げない描写にもなるから、こういう説得力の補填は大事だな。
それにしても、美形のオネエキャラはもう完全にテンプレ化した気がするなあ。
出てこない方が珍しいレベル。
奴隷制反対派の一人が登場。
反対派となったきっかけ、理由が個人的なあたりが、かえってリアリティがあっていいね。
同じ派閥であっても、そこに属する理由や個の価値観が同じとは限らないわけだから。
中盤の、むまにの行動力は子供ならではの純粋さと短絡さが混在しててすごいな。
仮に国王を殺せたとしても、それで奴隷がなくなったり、問題が解決するかっていうのは別の話なのに。
それにしても、むまにの勘と運がよすぎる上、途中で出会う人物との運命的な出会いはご都合主義すぎるだろ(笑)。
このあたりの相関関係もう少しゴタゴタ描写するのかと思ってたのに、展開早いなあ。
いや、「ヤバイ、ヤられるー!」の例えは極端というか不適切だぞ、おい。
ただ、恋愛対象ではない、性的に興味のない相手から、突発的に直接的なアプローチをかけられたらヒくっていうのは分かる。
スーパー銭湯で、初対面にも関わらずやたらと下半身を触ってくる人に出くわしたことがある身としては理解できる。
そういう拒絶の心って、もう理屈の外を越えるんだよね。
先生の割り切り方はアサシンには納得できないし、言い分も分からなくはない。
けれども、だからといって先生側からすればアサシンに怒られる筋合いはないわけで。
さて、現状の関係に結構メンドーなヒビが入ってしまった状態なわけだけれども、ここからどう修復するのやら。
ダメージの蓄積では勝っているけれども、サーパイン必殺の頭突きが一発でも入れば話は別。
このままでは不利と零も思ったのか、どうやら相手の命に関わるかもしれないレベルの技を使う模様。
手札的にまだまだ底が知れない感じで、サーパインが勝つのは厳しそうだが、この漫画は主人公以外の試合はマジで勝敗分からんからなあ。
海外から帰ってきて、空港に到着したとき、飛行機の扉がひらいて乗客がゾロゾロと出てきて列を作った。どこまでも続くと思われる廊下をさっきまで乗っていた飛行機を横目に見ながら進むと、そこで列は2つにわかれるのだった。片方の列は日本のパスポートを持つ人、もう一方は持たない人。普段意識をしないものの、不意にこのときばかりは自分が日本人なのだなと思い知らされる。空港では様々なパスポートの色や図柄がかいてあるのを見つけるなかで、自分のパスポートには「日本国」と書いてあることが自分が日本人であることに対する、まるで唯一のよりどころに思われた。
灼熱のアスファルトをトボトボと歩き、やっと公民館の投票所へつくと汗はダラダラと吹き出していた。入り口に掛けられた蚊取り線香からかすかな香りを感じながら廊下を歩くと、老若男女とすれ違うことによって国民の誰もが選挙権を持っていることに気付かされる。整理券と引き換えにもらった小さな紙と、銀色の台に置かれた鉛筆、それからひんやりとして鎮座する投票箱。これが民主主義とやらを支えているのかと思うたびに、なんとローテクなのだろうと思いつつ、民主主義という人類の発明に思いを馳せるのだった。
「どうせ自分が選挙に行ってもなにも変わらない」という意見がある。それには全く同意だ。なぜなら、自分の意志で選挙の結果(当落)を左右できるひとは、大量の動員ができるごく限られた人たちだけだからだ。きっと自分の入れた一票は死票になる。それでも、自分はついつい選挙に足を運んでしまう。ふと隣国に目を向けると、日本とは異なった選挙のない(あるいはほとんどない)政治システムで動いていることがわかるし、世界の歴史を振り返れば普通選挙が始まったのは「つい最近」のことだった。例えばアメリカでは1970年代になってやっと黒人の多数が選挙に行くことができるようになったことが示すように普通選挙は歴史・地理的に見てそれほど普遍的なものではないと思う。選挙にいけば、教科書で見た間接民主制が目の前にある。たしかに、いま自分は間接民主制を採用する国に生きているんだなあ、というのを実感するために選挙に行っている。
今日の夜は一杯呑みながら、選挙結果を聞いて楽しむことにする。オヤジが贔屓の野球チームの勝敗に一喜一憂するように、自分は選挙速報を見ながらリラックスしたひとときを楽しむことにする。どうせ無駄とわかっていながらも投票してしまったがゆえに、その一票がどうなるのか気になって仕方がないのだ。
道具を揃えるのに比較的お金が必要で、物が残るもので、経験になるもの。
そうすると、サンドに突っ込む1000円の重みが突然変わるから。
今まで気軽に使えていた1万円が、趣味のためにものを買うときは比べ物にならないくらい重いものになる。
1万円払って思っていたものと違う道具を買ってしまった時の後悔は、パチスロのそれとは比べ物にならない。
そういう趣味に出会えると、今までなんであんなに気軽にサンドにお金を入れられたのか不思議でしょうがなくなるから。
そういう趣味は仕事に役立つし、新しい人間関係も作ってくれる。つまり人生に役立つ場合がほとんど。
今で言うと、カメラ、自転車、ゴルフ、バイク、本格的なランニング、サバゲー、ボルタリング、読書(活字がコスパよし)。これからはesportsなんてのも投資のしがいがあるんじゃないかな。
逆にダメなのはソシャゲー、風俗、ギャンブル全般、短期証部の株・FX、グルメ食べあるき、ブランド品買い集め、グッズ収集とか。
これらは比較的お金でアドレナリンを買っているだけなもので、投資というよりは浪費になりやすいから。
ブログで収益とか、本当に周囲に認められるほど突き抜けられるなら別だけど。
パチンコやパチスロに行ってしまう一番の理由は、使う目的のない時間とお金がそこにあること。
それがある以上お店に足を運んでしまうし、逆を返すとそこでお金と時間を使わせることで他の趣味に興味を持てない状況に貶めようという狙いがある。
ついでに言うと、ソシャゲーが間髪をいれずに色々なイベントを送り込んでくるのもそれ。
常に頭の上位に行動の選択肢として入り続けることで、別の趣味に逃がさないようにしている。
大体ギャンブルにのめり込む人間の大半は、劣等感が強くて無趣味で真面目だけど退屈な人生を送ってきた人。
そういう人が刺激を求めて足を突っ込んで、数時間で5千枚とか手にしてやめられなくなる。
未だかつて誰も満たしてくれなかった自己重要感(=1日で10万円相当を稼げる能力)が、こんなにも簡単に手に入ってしまうだもの。
だったら貯金箱にひたすらお金を入れ続けて10万溜まった時に開けたほうがよっぽど損はないはずなんだけど、それはあくまで自分のお金であって、ギャンブルの面白いところは相手から奪った感覚が気持ちいいっていうところにあるんだよね。
自分で頑張って10万円貯めた。より、パチンコ店(で負けた誰か)から10万円相当を勝ち取った。のほうが数倍もきもちいということ。
現実社会では大した結果を出せない人間が、人よりちょっとお金をつかうだけでトップランカーになれちゃう。人を見下す気持ちよさを覚えてしまう。
でも、これこそがのめり込みを止めるのが難しい原因。
だっていくら業界に圧力をかけたって、のめり込む原因はその人の積み重ねてきた人生の中に埋もれてて、さらにそれが人によってすべて異なるんだもの。
話は戻るけど、大抵パチスロをやめられない人に共通するのは趣味がない、趣味が持てない人。
他人と比較されることを劣等感が許さなくて趣味を始められない人も多いと思うので、まずは一人でコツコツとはじめられる趣味がいいと思います。
そうして人生がちょっとずつ充実(金銭的という意味ではなく)してくれば、自然とやめられるし、やめなくてもうまく付き合えるようになるんじゃないかな。
つまりは、パチンコもソシャゲーもある意味ではアドレナリンをブーストしてくれる麻薬と同じと言っていいよね。
そういうユーザーに頼る営業が健全であるわけがないのだから、人生が豊かになる生き方と寄り添えるような業界になっていかないと本当に滅びてしまうと思います。
以上、中の人でした。
1 まず最初に断言しておこうか。
パチスロを(習慣的に)「打つ」ことと「打たない」ことを比較したら、
「打たない」方がより良い。
そんなことはわかっている?
うん、そうだろう。
そんな義務はない。
道徳的にも、法律的にもパチスロを打ってはいけない義務があるとは思えない。
誰も決して打つなと俺に強制していない。
3 パチンコ、パチスロを打たない人が打つ人に対して言うセリフの代表的なもの。
「パチンコ、パチスロは必ず客が負けるようになっている。わざわざ金を失いにいくようなものだ。
打ちに行っているやつはバカだ。」
これ自体は確かに正しい主張ではある。
だが、これをスロ打ちの人間への批判の論拠にする奴は救いようの無いバカだ(俺もお前も思ってるよな?)。
「必ず客が負ける」というのはあくまでも最終的な収支の話だ。
一回一回の勝負では当然勝つこともある。
たとえ設定が1であったとしてもだ。
そして俺自身を含めスロを打つやつのほとんどは直前の勝負の勝敗しか頭に無い。
パチスロを打つかどうかは、「打ってはいけない」という決まりを守るかどうかと言う問題じゃない。
勝つ可能性も負ける可能性もあるが、「打つ」と「打たない」どちらを選ぶかの「選択」の問題だ。
曲がり角を左に行くか、右に行くかという選択と同じだ。
打たない方が良い理由は、「どんなに勝っても意味がない」こと。
スロで勝ちまくって、あぶく銭が増えまくっても俺自身を取り巻く現実はほとんど変わらない。
パチスロでどんなに勝ちまくったとしても、結局手に入るのは金だけ。
それも「あぶく銭」、重みを感じられない金だ。
だが、それが何だろう。
出来ることは物を買うことだけだ。
自分自身の人格、周囲の人間の人格、嫌な社会、自分の過去、未来、職業を直接変えられない。
クソみたいな現実を変える力は、自分自身の行動にはあるが、スロで得るあぶく銭にはない。
あぶく銭は現実を変えない。変えてくれない。
5 お前はスロット打ちの習慣を断ち切ることができるはずだ。
お前は過去にスロットを打ってはやめる、また打つを繰り返してきた。
年単位で打たなかったこともあれば、数ヶ月だけのこともあった。
やめるために重要なことは今日一日、その日一日だけに着目することだ。
明日、あさって、来月、来年、スロを打つかどうかはその時期が来た時に自分にしか「選択」できない。
とりあえず今日だけは打たないを積み重ねれば良い、というかそれしか出来んやろ。
パチスロという博打に対する自分自身の感情、考え方をもっともっと理解すれば、
より楽にやめられるだろう。
6 パチスロを打ちたがっている自分へするべき問いかけは「負けたらどうするの?」もしくは「負けるかもしれないぞ?」
ではない。
「勝ったとしてメリットがあるか?」、「あぶく銭を得る必要があるか?」だ。
あぶく銭を得て、それを使って買いたいと思っているものの価値を見極めることだ。
俺自身を含め博打をする人間は往々にして、本当は必要ないものを得ることを博打をすることの言い訳にする。
理由があるからパチスロを打つのではなく、パチスロを打ちたいから無理やりあぶく銭を得なければならない理由をでっち上げ、
自分を納得させようとする。
7 「勝ったとして、このクソみたいな現実が少しでも直接変わるだろうか?」でも良い。
今現在の自分はもう既に必要なものを十分に持っていることを思い出せるはずだ。
8 矛盾しているように聞こえるかもしれないが、
「パチスロを打つことをしないようにしよう、我慢しよう」という考え方をしてはいけない。
「しないようにしよう」と考えているつもりでも、結局パチスロという博打に意識を向けている。
最初は距離を置くために考えていたつもりが、結局打つべき理由を考えてしまう。
当たり前だ。
パチスロをやめても、今までパチスロで埋めてきた「暇な時間」というものは消えない。
何らかのことでそこは埋めなけれならない。
ほぼ一年中、さらに一日中営業しているパチンコ屋は手っ取り早くその暇を埋めさせてくれる。
そこが罠なのだ。
「パチスロをやめる」=パチスロを「しない」ではなく、パチスロ以外のことを「する」ということに意識を向けなければならない。
これは必ずしも言うほど簡単じゃない。
パチスロ打ちにとって、パチスロは色鮮やかで華やかな映像で映し出され、パチスロ以外のことは灰色で塗りつぶされた廃墟の映像に映る。
機械の前で延々とボタンを押しながら不毛な博打をする自分は理想じゃない。
それこそが、パチスロをやめるべき理由の最たるものかもしれない。
やっぱりゲームの面白さって人間の適正力に大きく左右されると思うのよね
そのジャンルにはそのジャンルに適した人間のスペックが本来あるはずなんだよ
例えば格闘ゲームに関して言えば最低限の反射神経は必要だが重要なのは反復する練習ができるかどうか読みができるかどうかというのが非常に重要
レーシングゲームも対戦は相手との駆け引きが発生するから読み合いが必要だしミスしない胆力と取り返そうとする心の強さも必要
RTSは全体の大局観というマクロ的能力と実際の戦闘の勝敗を分けるミクロ的能力の総合力が求められてさながら一人で軍師と将軍をする必要がある
独創性の求められるマインクラフトのようなシティ系のゲームでは発想力が求められて自分がいかにして目標設定できるかが鍵となる
モバゲーや艦これ系は課金要素を自分の領域内でどれだけ効率よく活用して自分の欲求を満たせるかを問われる
カードゲームはメタや戦略や対策されにくいデッキ構築、運の要素に対してどれだけ調整することができるか構築力と判断力が求められる
FPSはAIM能力や反射神経、戦況を把握する能力、コミュニケーションスキルが求められ単体での戦闘力とチームとしての作戦行動力が必要
MMOは資金調達の効率化やレアアイテム取得のための手段模索、目当ての武器調達までの最短ルート模索、条件下での最適解を探す、情報交換能力など探求心を求められる
その他色々
なのにゲームはゲームっていうジャンルで一般人からひとくくりにされてしまってるせいで
適正力があり楽しむこともできる潜在的ゲーマーが埋もれてしまい
実際プレイしてる自称ゲーマーは上手くも無いし適正もないのに下手な横好きで遊んでるやつが大半だと思うのよね
もちろん下手でも楽しめてる内はそれでいいけど自分が適正力がないのを
他人のせいにしはじめるケースが1つや2つどころじゃなくて沢山あるので
もっと実際のスポーツみたいにゲームにも向き不向きがあるということを啓蒙させていきたい
何が言いたいのかと言うと才能ないやつはゲームすんな
今となっては昔のことだから、もし関係者が見てても見逃して欲しい。歌舞伎町の小さなハコでディーラーをしていた時、店ぐるみのイカサマをしていた。
そこはバカラ1台しかない小さな店で、サクラが3人常勤していた。いつも同じサクラじゃ怪しまれるので、交代で外出していた。サクラじゃない常連もそれなりにいたので、そんなに怪しまれない程度にメンツを変えることができた。普段はバカラ台に座ってだべっていて、客が来た途端さもゲーム中だったかのように演技をする。イカサマはいつもしてるわけではない。イカサマしなくても大抵の客は負けて帰るし、たまには勝ってもらわないと客が長続きしないからだ。といっても大勝されたり常連じゃない客に勝たれたりすると商売上がったりなので、イカサマが入ることになる。
やり方はいくつかあったけど、代表的なのは予め組んだカードがあって、客がトイレに行ってる間にすり替える。組み方は例えば最後が赤いカード(♥か♦)で終われば次はプレーヤーの価値で、黒いカード(♠か♣)で終わればバンカーの勝ちとか。色を逆にしたり偶数奇数にしたりバリエーションはいくらでも出来る。本物の客にカットされた場合は仕込みがずれた状態で始まるけど、数ゲームで収束して仕込み通りになる。バカラはプレーヤーとバンカーのバランスが取れてないと店は受けない、という建前なのでサクラが勝つ方に賭ければ客は負ける方しか賭けれなくなる。さらに、各ゲームの1枚目と二枚目を入れ替えると勝敗が逆になるように仕込んでおいて、客の賭けた目が逆の場合はシューターからカードを出すときにさらっと2枚目から出して勝敗を変える事も出来る。
カードを客の前でシャッフルする場合でも油断できない。新品のカードであれば1枚ずつ交互にシャッフルする事ができるので、事前に練習しておけば次のカードがわかる。簡略化のために10枚で1デッキだとする。
♠1♠2♠3♠4♠5♥1♥2♥3♥4♥5
これを2つに割って1枚ずつシャッフル
♠1♥1♠2♥2♠3♥3♠4♥4♠5♥5
もう一回2つに割って1枚ずつシャッフル
♠1♥3♥1♠4♠2♥4♥2♠5♠3♥5
これを覚えておいて、後は何度も同じようにシャッフル出来るように練習すれば良い。言うのは簡単だけど実際うまくやるのは難しくて適性がいる。こういうことをやるのは一部のディーラーに限られていた。口が軽いやつもいるので、信用できるようになるまではこういう話はしない。よその店では特殊塗料をカードに塗って赤外線監視カメラで見て黒服がサイン出すとかも聞いたことがある。検索すると確かにそういう情報もあるけど見たことは無い。
シャッフルではなく、カードを伏せたまま台にばらまいて混ぜる方法を通称「やきそば」と言うんだけど(ローカル呼称かもしれない)、これでもある程度コントロールすることができた。これ今まで誰にも言ってなかったんだけど、池袋で大バカラを撒いてた時、赤4青4の計8デッキを使って前述の方法で1-3,10,J,Q,K(バカラでは絵札は0)のローカード、4-9のハイカードに分けておいて赤ローと青ハイ、赤ハイと青ローで分けて焼きそばしていた。カードを伏せたまま出した状態にして「ベットどうぞー」と呼びかける。これが赤ロー青ハイの部分で
プレーヤー赤赤
バンカー青青
となっていればプレーヤーは00や01などの低い点数である確率が高く、シューターの表面に見えてる次のカードが赤ならほぼバンカーの勝ちだ。もちろん確実じゃないので外れることも多々あるんだけど、勝率7割でもまる一日多少ハウスが有利になるようにカットしてればそれなりに勝てた。勝ち分の1%をボーナスとして支給するっていうから頑張ってたんだけど、割合としてはすごく少ないし、この制度始まって二ヶ月目にはガサ入れにあって美味しい思いはしていない。これやると片側に絵札絵札絵札の0点が出まくるので客にはよく怪しまれたよ。つーかボーナス1%って少なすぎでしょ!月間2千万勝ったのに20万円て。
歌舞伎町の店は看板出して客が来るのを待つ店だったからまだ良心的だけど、マンションバカラとか呼ばれてた本当にアングラなバカラハウスもあった。あらかじめVIPなターゲットがいて、その客以外は全員サクラというやつ。これは短期決戦なのでえげつなくて一人の客から一晩で数百万、ディーラーの取り分は50%で一晩で200万もらったっていうやつがいた。俺もそんな仕事がしたかった。他に黒服が何人もいるのにディーラーが50%ってことはなんかあったら責任とらされるって事かな。きっとそうだろうな。ちなみに闇社会では仕事の内容に関わらず利益折半が基本らしい。まあ難易度とか貢献度とかの違いで取り分で揉めても表に出れないし、常に折半としておけば一番平和かもしれない。
カジノから離れて10年以上たってから、mixiにカジノのコミュニティがあって、そこで知り合ったA宮に一緒にカジノに行こうと誘われたことがあった。場所は新宿風林会館の近く。イカサマにハメる気かなあと思って疑ってたんだけど、誘ってきた彼は人懐っこくていい人っぽかったので一緒に行ってしまった。最近は警察がうるさいから看板は出してないって言ってて、店の前で携帯で電話して、防火扉開けてもらって店に入った。もうこの瞬間に「仕込みだ」って思った。防火扉開ける前はどうせだべってエロ話してたんだろ。俺もディーラーやってたからカジノの雰囲気はわかる。客だって話好きのやつもいれば無口な奴もいる。ところがこの店は皆一様にものわかりのいいサラリーマン風だ。騒いで大事にするのも嫌だし10万円両替して溶けた後はおとなしく見てた。A宮はもうちょっと粘ったけど、俺がやる気ないのを見ると一緒に店を出ることになった。この時はまだA宮も騙されてるんじゃないかなとちょっと思ってた。彼はそれくらい演技が自然だった。しかし今は確信している。A宮、いや、アマミヤ!お前もグルだろ(どうせ仮名だろうけど
この文章を書くにあたっていろいろ昔の事を思い出したりしたけれど、次回で最終回にします。というわけで、今回はここまで
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結局、やること1つしかないんだよなあ。
明確な勝利条件があってバランスとかメタとか必要な情報そろって来たらあとワンパターンなんだよな。
予測できない時点で負けてるわけで。
勝つと予想通りで面白くない。
勝つことが目的のゲームで勝つために注力すればするほど未知の感動が失われていく。
セックスに幻想を抱いていた童貞が致すと、急に悟った風になるアレを繰り返す。
飽きるわ。
追伸:
弱キャラ使うにしても対策されてなさすぎて勝ちやすいとかそういうのなら分かる。
単にハードルあげてオナニーしてるだけならもっと他のジャンルのほうが自由度高いし対人ゲームでやる必要無し。
私は共産趣味者だ。歳は20代。共産主義のシンパではあるし、社会主義者ではあるかも知れないが、共産主義者ではないと自己規定している。
共産趣味にもいろいろある。私はソ連の音楽が好きだが、映画やポスターやスローガンに惹かれる人もいるし、ミリタリー方面が中心の人もいる。地域についても、東ドイツはじめ東欧諸国やユーゴスラビア、東南アジア、南米などの東側諸国だけではなく、日本や西欧などの西側諸国で見られた共産主義の関わる文化活動に惹かれる人など様々だ。
ソ連の音楽や社会主義者の音楽の何が私を惹きつけるのだろうか、と思ったので書いてみる。多少ガチの共産主義者っぽい部分もあるかも知れないし、不勉強なので思想の細かいところは間違っているかも。
世界の半分で、少なくともその当初は熱狂的に支持された思想であり、いくつかの分野では一時とはいえ西側を圧倒する成果を生み出しもした。つまり強かった。
ブルジョアの打倒、プロレタリアートによる平等と平和の建設!惹かれないわけがない。
対する資本主義陣営も自由と民主主義を掲げて戦ったし、これも強力な思想だが、その登場はあくまで共産主義に対するカウンターでしかなかった。資本主義陣営の根幹にある思想はあくまで資本主義の維持だったからだ。戦う相手は社会主義陣営というよりは資本主義陣営の労働者階級だった。社会主義陣営が実際に自由と民主主義を侵していたからこそ、この主張には効果があった。
プロパガンダ的な作品には共産主義社会への魅力が詰め込まれているのだ。私はプロパガンダに乗せられていると言っても良い。乗せられやすい性格なのだ。
ソ連中央テレビジョンのソ連国歌と一緒に流れるビデオ (https://www.youtube.com/watch?v=rHomETco0MI) なんかは最高で、労働者たる人民が労働の喜びに溢れている様子が流れ、十月革命の労働者の怒り、ブルジョワジーの打倒の精神が示され、人民の力で支える連邦の強大さが示され、レーニンの党と人民の力が我々を共産主義へと導く!という具合でひょいひょいと感情を揺すられてしまう。
お馴染みのインターナショナル (Интернационал, The Internationale, https://www.youtube.com/watch?v=t8EMx7Y16Vo)、国際学連の歌 (日本語、https://www.youtube.com/watch?v=SCdlGH6RhBw) なんかは私の中ではこういう類の歌だ。
こういうこと言うとクラシック畑の人には笑われそうだが、ショスタコーヴィチの5番や11番も大好きだ。
音楽ではないし、およそ普通の意味ではプロパガンダでもないが、ソウル五輪の体操女子団体のメダル授与式 (https://www.youtube.com/watch?v=l7lAZ89Pu_c) がもう最高である。彼女らがステート・アマで国家に大変な恩義があるというのは確かであるにしても、私の目に映る、エレーナ・シュシュノヴァ選手が赤旗を見上げながら国歌の「我らを共産主義への勝利へと導く」という歌詞を口ずさんでいる姿は、紛れもなく共産主義への希望と勝利への確信に溢れたソビエト連邦人民の姿なわけですよ。こんなに晴れ晴れとしたことはないじゃないですか。
正直私はかなり危ないと思う。実際に共産主義に走った連中もこんな奴らだったのかも知れない。この先本当に扇情的なプロパガンダが私に向けられたときに私は正気で居られるだろうか。
もっともプロパガンダが全てではない。90年代のロシアのポップスには体制の変革と自由を喜ぶような歌も多く、味わい深い。こちらは「作り物」ではなく本物だと思う。Комбинация の American Boy (https://www.youtube.com/watch?v=W7hAo28NCXc) とか Наташа Королева の Жёлтые тюльпаны (黄色いチューリップ、https://www.youtube.com/watch?v=E57T8XYa7OM) とか。
理想的にはこれを一番の理由に挙げるべきだと思う。ロシアの旋律は情緒があっていい。アコーディオンやバラライカの音色、ロシア語自体の響きによく合う。
ウクライナの Розпрягайте коней, хлопці (若者よ馬の軛を外せ、https://www.youtube.com/watch?v=MCuqR4Jz9DU) なんかは民族的でよい。
ただしそれでも一切忌避しないと言うわけにはいかない。まさに現代、冷戦の構造がそのままここにあって、新左翼の連中が日本で革命を起こそうとしていたら(しているが)、私は反対する。マルクスの主張するように暴力革命によって社会を変革するべきだとは、革命権を行使すべき状況にならない限りは思わない。共産主義建設の名のもとに数千万の命が失われたことは紛れもない事実だし、少なくとも過去のソ連型社会主義国家の遺産を消費して楽しむ上でここを批判せずにいることは危険すぎる。
東側陣営はなぜ冷戦に敗北したか?計画経済は市場経済に比べ資源配分の効率が悪かったので人民の生活を維持しつつ経済の発展を続けることができなかったからだ。
西側陣営の掲げた自由と民主主義は本当に勝利したのか?東側陣営との対決のために自らもまた市民の自由を制限し、アメリカはドミノ理論を振りかざして世界中に開発独裁の政権を打ち立て、現地の市民を抑圧した。21世紀の紛争の種を撒いたのは紛れもない事実だ。結局のところ西側陣営が実際に対抗勢力に対して振るった武器は自由と民主主義ではなく資本主義だった。
共産主義にしても、本来は人民を抑圧し民主主義を否定する思想ではない。
これをもって社会主義は喧嘩に負けて勝負に勝ったのだなどと言うつもりはないが、思想的に決着が付いたとは言えないと思う。競争相手がいなくなったから勝敗という言葉が使えなくなっただけで、今我々のいる陣営もまた行き詰まってしまったというのは確かなことではないか?
テニスの錦織って人の試合結果とか、あとちょっと前なら女子サッカーとか、
よくニュースとか朝の番組でもやってるけど、試合内容とか見せられてもどっちもすげーなーって感じでよくわかんないし、
かといって自分で調べるほど興味もないから、勝った時だけ勝ったんだスゲーねって世間話のタネにする程度なのでさっさと勝敗を教えて欲しいんだけど、
試合展開をまとめたVTRが割とじっくり流れててなかなか知りたい情報にたどり着かないことが多くてもどかしい思いをしてきた。
ところが最近、勝ったときはもうはじめから右上あたりに「○○に勝利」「ベスト4進出!」とか書いてあることに気付いて、
「王者を相手に奮戦」とか書いてある時は「あー負けたんだな」とすぐ思えるようになってきた。
今までは、勝敗をかくしておいてVTR内で試合が終わったあたりで右上の文字も変化させて勝利を祝福するぜ的な演出パターンがあるのかと思って
ずっとドキドキしながらVTRを見守ってたんだけど、そんなパターンに全然出くわさないから、単に負けたことの言い方を柔らかく報道してるだけなんだろう。
さっさと勝敗が知りたいという欲求は一瞥するだけで判別可能になったことで叶えられたけれど、
勝敗がわからなくてええい結果はどうなったんだとドキドキしながらVTRを見てた純粋さみたいなものを失った感じがしてちょっとさびしい。
地方を出て何年か余り、出勤前にゲーセンに寄って、退勤後にもゲーセンに寄るような生活からしばらく経ち、ふと地元に戻ってきて最初に思った事はそれだった。
学生の頃は貪欲に外で遊べるビデオゲームを求めていた。自転車で片道1時間くらいの範囲は、ゲームをする為に毎日でも通える距離だった。休日はもっと遠くのゲーセンに行っていた。
近所のスーパーのゲームコーナーは、面積が数分の一になり、わずかなガチャガチャとほこりを被ったようなよくわからないキャラクター物が景品のクレーンゲームだけが残っていた、この景品数年前にも見たような気がするけど気のせいだろうか。
郊外の大型激安スーパーの隅の子供向けゲームコーナーに放置されていた変なゲームをやる為にずっと通っていた時期もあったが、もうメダルゲーム(大型筐体ではなく、小さい筐体の、ジャンケンマンとかペン太みたいなタイプの奴(たとえが古くてスマン))ばっかりになっていた。ちょっとやってみたけれどコインを入れた瞬間に勝敗が確定しているかと思うと余りやる気が起こらなかった。
バッティングセンターの隅にあるようなゲームコーナーも全て見て回った。当時は化石のようなゲームが時代の流れに逆行するかのように残されていたが、今ではエアホッケーのようなゲームと、ボールを打ち出すゲーム(スマートボールの亜種? 詳しくない)ばかりになっていた。寂れたボウリング場の隅にあるゲームコーナーもなくなっていた。いつも建物全体の明かりが落ちていて、俺が行くとたった一人のために建物のライトを付けてもらって気の毒だった。
パチ屋の敷地に小さなゲームセンターがあるのも見つけたが、いつしか無くなっていた。古い旅館にゲームコーナーが無いか、泊まりもしない旅館やホテルを幾つも出入りした。学生の頃ずっと通っていた近場のゲームセンターそのものは全て潰れたか、プライズやスロットばかりになったか(プライズゲームやパチスロを否定するわけではないが、ビデオゲームがやりたくて仕方なかった)、とにかく俺が思っている「ゲームセンター」という言葉のイメージからは遠くなったなと思った。
田舎には何もないのか。何をおっしゃるウサギさん、コンビニは増えたし、ゲオだって出来た。大きなカラオケボックスも、流行のカフェチェーンもある。それなりに広い敷地を誇るショッピングモールも出来ている。ただ外でビデオゲームを遊ぶ事だけが困難になっていた。俺は時間の潰し方をゲーセン以外知らずに育ってきたからわからないけど、今は外で時間を潰したり、あるいは没頭する趣味にゲーセンって時代遅れなのかもしれないなと思った。ゲームがやりたいだけなら家庭用でもPCでもスマホでも一生かけても遊びきれないゲームが激安で手に入るし、たとえ外での暇つぶしを求めててもスマホを開けば世界中の人とすぐに会話出来るし、一緒にゲームを遊ぶ事だって出来ちゃうし、1回ゲームを遊ぶのにわざわざゲームセンターまで行って何十円とか何百円とか掛けたりするのってバカらしいよな。
地元にいた当時は徐々に変化を受け入れていただけだったんだろう。アーケードゲームという大ブームが去り、家庭用ゲーム機がアーケード機にスペック面でほぼ劣らなくなり、消費税が上がり、大型筐体が続々とリリースされ、様々な何かが起こる度に中小規模のゲーセンという業務形態の存続は危ぶまれ、実際に少しずつその煽りを受けていたんだと思う、ビデオゲームがないゲーセンなんてゲーセンじゃないみたいな思い上がった事を昔の俺はよく言ってたけど、ビデオゲームや専用筐体のゲームが田舎の回転スピードでどれだけのインカムを確保出来てるって言うんだろうか、どれだけのゲーセンがプライズやパチスロのインカムに頼る形で専用筐体や採算の取りようがない最新ゲームの基板を購入してきたんだろうか(って、客の目線から店舗経営の話をするのは実情に即してないだろうし、おこがましいだろうけど)。JR東日本の倍近くの高い電車賃を払ってでも何度も通った繁華街や都市部の方のゲーセンも次々と閉店の話が聞こえてくる。都会にいる間興味を持っていなかった地元の事象が、戻ってきた瞬間にまとめて襲いかかってくる。浦島太郎の気持ちってこういう感じだったんだろうか。そりゃ鶴になりたくもなるよ。
ボクシングとか柔道みたいに勝敗を争っている感じが全くしない。
台本があるとか無いとか聞くが実際のところどうなのか知らない。
台本があるとしたら、誰がどんな技で勝つとかが決まってんのかな。
プロレスの技はお互いの合意がないと決まるはずがないと聞いたことがある。
ロープに投げられて、わざわざ技をかけられに戻ってきたり、
バックドロップをかけてもらいたくて、一緒に飛んだり、
ロープ上からのジャンプキックを受かるために、リング中央でわざわざ寝ていたりする。
あと、チャンピオンってなんなんだろう。
台本作る時点で入札みたいなのがあって、より安い値段をつけたレスラーが選ばれる?
いろんな技を出せたり、どんな技をかけられたりしてもダメージ喰らわなかったりすればなれるの?
それとも、こんなエキサイティングな台本作ったのすげーなー、こいつがチャンピオンになったってことは今度はあいつが怪我して、また別のアイツが引退するという流れかな・・・なんてところを見てるの?
連続ドラマを見ている感じ?
便乗と言われたくないので増田に書く
今回のFの対応にはガッカリした。あのような氏らしくもないつまらない敗北宣言をしてしまったことは非常に残念でならない。
彼は自分でも言うようにゲスと、下品と自虐をネタにした芸風だったがこれまでは無意味に他人を貶し攻撃することはなかった筈である。それが最近は何を言おうと賛同するブックマーカー達が下手に集まるものだから、それをいい事に味を占め目に付くところに片っ端から攻撃を仕掛けているのが目に余っていた。ダークサイドに魅せられたブロガーには破滅の未来しかない。Sは今回確かに脇が甘かったのは否めないが言ってることは真っ当、Sがやらなくても誰が批判しただろう。
Fは批判を恐れないスタンスでやってきたのだろうしそのこと自体はどうでもいい。しかし受けた批判に対して「勝ち負けに興味はない」など問題を勝敗にすり替え「エンタメ的に面白くない」と明後日のマウンティング、書いてあることは禿や熊の受け売り、「謝罪記事を書いたり記事の修正削除はするな」という謎の勝利宣言、さらにTwitter上での人格攻撃。そんなに底の浅い人間だとは思っていなかっただけに本当に残念だ。批判にまともに応える能力がないのならそんなものは無視してこれまで通りエンタメ的に面白いものを書いて頂きたい。
かなり皮肉や嫌味にまみれた屈辱的な内容となっている。はてなポツダム宣言とでも呼ぶべきであろうか。
もちろんフミコフミオ氏は本心でこんなことは思っていない可能性は高い。しかし、勝敗が決しているからこそこういうことが書ける。 劣勢でこんなことを書いたら間抜けだが、優勢の状態で書けば寛大な対応と解釈される。今はこれを書いてもいいくらい圧倒的な差が付いてしまった。しっきーを応援しているブコメは無能な味方ばかりでありまるで戦力になってないどころか逆効果である。フミコフミオ陣営は、フミコフミオは本当に性格が悪いなあと笑いながらコメントする人が多数いるほどの余裕ぶりである。力関係において米帝様と資源がなくなった後の小さな島国くらいの差だができた。
現時点で、フミコフミオは対しっきー戦において脳内では勝利を確定させている。ここからはフミコフミオさんは黙っていればしっきー氏があがけばあがくほど戦局がどんどん有利に働く。フミコフミオは自分が不利な状況であれば何も記事を書かずに知らんぷりをするか、もっとちゃんとした文章を書いていただろう。「その必要がない」圧倒的に有利な状態だからこそ、こういう言葉を使っている。
今はそういう状態。ここで表面的な皮肉に噛み付いたところで負け犬の遠吠えであり、しっきー氏の戦況の読めなさが際立つだけである。戦局が判断できるなら余計なあがきはやめることだ。
スタートは間違えていなかった。しっきー氏の攻撃のタイミングは良かった。米帝にかすかに見えたスキ。千載一遇の機会と大義名分を得たはずだった。このタイミングを逃さず小国による一刺しを目指したのは間違いではない。しかし現場指揮官がその重要性を理解せず、肝心なタイミングでふざけた行動をとったせいで初手の真珠湾攻撃からすでに躓くこととなった。 現場における攻撃の非徹底ぶりはこの戦いの重要性やリスクを理解していない愚か者のソレだった。会社で働いたことがないと、目上の人間と戦うことの怖さがわからないのかもしれないが、これは勝つか、あるいは死の勝負だったのだ。にも関わらずそういう緊迫感がまるでなかった。状況をあまりに舐めすぎていた。
フミコフミオ氏にも付け入るスキはあったのだが、しっきー氏の敵失により、フミコフミオ氏は自分の記事について何かを述べる必要がなくなり、しっきーの態度を責めるだけでよい余裕の状態になった。
この時点で戦局はしっきー氏に大幅に不利になった。それでもこの時点ではまだ手仕舞いして仕切り直しを狙うチャンスはあった。米帝はまだ動いていなかったからだ。ちゃんと戦局が判断できていたなら不利を悟って手をひくことは可能だった。彼が何かを言う前に自分の態度がまずかった点を述べ、その上で一点突破を目指す。そういうやり方はできたはず。 しかし、ここでしっきー氏は大きく判断を誤った。本来ただの道具にすぎなかったはずの大義名分を守ろうとして戦局の誤りを認められず、体制を立て直すこと無く突撃を行った。「俺の言ってることは正しいはずだ。これで負けるなら世界が間違っているのだ」と。精神論に陥り、戦略的思考を放棄してしまった。 この時点でもうあとはジリ貧だっただろう。 皮肉交じりの無条件降伏の勧告が情けと感じられるほどに。
最後の展開が待たれる。しっきー氏はまだギリギリなんとかなるところではある。プライドが傷ついて引くに引けなくなっているのかもしれないが、なんとか意識を切り替えてもらいたい。それができないならもう暫くの間ファイターとしての復帰は不可能だろう。この後の対処によってしっきー氏の評価は大きく変わる。これほど有望な人材が一度の失敗で取り返しがつかなくなるというのももったいない話だ。 譲れるところは譲って、なんとか生き延びて欲しいところだ。
なぜブコメや他のネットウォッチャーブログの方々はこの2人の勝敗ばかり語っているのだろう。
しっきー氏は最初の投稿で、フミコフミオ氏の記事内容を拡大解釈したり、ふざけたりした点はあった。さらに言うならその後の記事でもブコメにも批判対象を広げたり至らない点はあったと思う。というかそもそも彼もネットバトルが好きだとか言ってる。
だから最初から、この一連の話はブロガー2人の争いという展開になってしまう運命にはあったのかもしれない。だが、ここではそうしたもろもろのことはいったんおいておく。
しっきー氏の言いたいことは、当初から、フミコフミオ氏の最初の記事内容に、道徳的に良くない点があったのではないかというものではなかったか。
率直に言うと個人的には、この部分に関してはひどいと思った。それは筆者にどんなバックボーンがあってもだ。少なくとも、会ったことも無い、話したことも無い、「興味も無い」相手に対して言う言葉ではないと思った。
しかしこの投稿についていたブコメは、概して好意的なものが多かった。これは自分の感覚が世間とずれているからなのかは分からない。
しっきー氏の数々の至らない点の影響で、周囲の注目はこの2人のブログを通した争いそのものに向いてしまった。
結果自分の明確な意見を表明しないままどちらかの立場に立って、この争いを語る、あるいはそれによって溜飲を下げているかのようなブコメも見受けられる。
道徳的な話はナシね。
【日本】軍と外務省に勝手な行動を許してはならない。あと、強いやつとは戦わないメソッドを徹底するべき。
【イタリア】強いやつ同士が戦ってる時は、勝敗が決定的になるまで手を出すべきではない。
【フランス】隣の国より強くならなければならない。
【イギリス】ヤバそうな奴は強くなる前に叩かなければならない。
【アメリカ】10倍やそこらの戦力差では戦争を抑止できないようなので、もっと一方的に強くなる必要がある。あと開戦はこっちから仕掛けるべき。
こうしてみるとフランス以外はちゃんと反省を生かすことに成功しているが、
それで平和が近づくかどうかは別の話という気もする。
第1期叡王戦を勝ち抜いた山崎隆之叡王と、第3回電王トーナメント優勝ソフト「PONANZA」による2番勝負、「第1期電王戦」の第1局が一週間後の4月9日・10日に行われるので、勝敗予想を書いてみた。
2014年の第3回電王戦から、ソフトの事前貸出・改良修正不可・マシン統一などが義務化された。このルールは今回の電王戦までずっと変わらない。
ではこのハンディ有りルールでのプロ棋士と将棋ソフトとのレーティング差はどのくらいか?
プロ棋士の発言をもとに結構てきとーに計算してみた。
年月日 | ソフト推定レート | 前年との差 |
---|---|---|
2013.4.6 | 1650 | - |
2013.11.11 | 1735 | +85 |
2014.12.7 | 1800~1850 | +65~115 |
2015.12.23 | ? | ? |
年月日 | ソフト推定レート | 前年との差 |
---|---|---|
2013.11.11 | 2020以上 | - |
2014.12.7 | 2100以上 | +80 |
2015.12.23 | ? | ? |
だいたい1年につき、プロ棋士側から見てソフトがR80~100程度上昇している、と言えそう。
また、先手番と後手番では事前に研究しなければならないゲームツリーの量が大幅に違うことから、勝率がかなり変わるようである。
永瀬六段の発言を真に受けるとすると、本来勝率約52%の先手番と後手番の差が約80%(R300)もの差になっている。
昨年(2014.12.7)の時点でAperyとSeleneがプロ棋士先手でR1825くらいとして、昨年の時点でPonanzaが半年分リードしていて+40~50、この一年で+80~100と考えると、
今年のPONANZA(2015.12.23ver)は先手番でR1945~1975程度、後手番は+300としてR2245~2275ぐらいなのではないだろうか。
使用されるPCが去年より弱体化(5960x→6700k,メモリ64GB→32GB)しているが、それでもせいぜいR30くらい下がる程度だろう。
プロ棋士側の現在のレーティングは山崎叡王がR1766。(ちなみに羽生四冠はR1923)
数字の上では山崎叡王の先手番期待勝率は約23~26%、後手番は約5~6%。なので山崎叡王が後手番である第1局については、どうも勝てる確率は絶望的に低いと思われる。
一方で先手番の第2局については一発入る可能性も否定出来ない。
しかし、二日制になり局面誘導の練習がやりずらくなったこと、PONANZAはSelene等他ソフトに比べて事前研究対策が上手であること、
今回のPONANZAが相当強いという情報があることなどを考えると、すんなりと勝たせてはもらえないだろう。
もちろんソフト側にバグや、かなり有効なハメ手が存在すればもっと差は縮まると思われるが、山崎叡王の発言から推察するに、今回のPONANZAにはそれもなさそう。
以上を踏まえて
本命 山崎叡王 0-2 PONANZA
対抗 山崎叡王 1-1 PONANZA
と予想する。
個人的には、事前貸出有りで、かつ先手で勝利したとしても、それは駒落ちしてさらに下手側が先手になるようなものだと思っているので、別に感動したりはしなさそうだなぁ。
まあそれでも山崎叡王が1勝でもすれば、あまり深く考えない将棋ファンは喜ぶだろうし、興行としてはありかもね。
日本将棋連盟とドワンゴは、一般人が平等でないと気付いてしまいそうなルール(駒落ち、森下ルール、持ち時間に差をつけるetc…)を避ける傾向にあるようなので、
これ以上プロ棋士側に有利なルールを制定するとなると、使用するPCのスペックをさらに下げるしかないだろう。
しかし、例えばCPUをXeon4個から6700k1個に変えても、一般人にはスペックダウンしたことがよくわからないが、
デスクトップPCから、ノートPCやタブレットに変わるとさすがにハンディがあるという印象を拭えない。
また、スポンサーであり対局PCを提供しているガレリアは一応ハイスペックPCが売りのブランドなので、
これ以上スペックを落とすことはブランドイメージに傷がつきかねないだろう。
よって、「プロ棋士は将棋ソフトにもう勝てないのか」という問いについては
「『多くの一般人から見て公平に見えるルール』で七番勝負を行う場合、名人でさえも(バグやかなり有効なハメ手等を見つけないかぎり)勝ち越すことはかなり難しい」
と言えそう。
ちなみに、事前貸出なし(レート+400以上、角落ちくらい?)、PCのスペック制限をしない(クラスタ化でレート+400)と仮定すると、1945+800=R2745となる。
2013年の第2回電王戦ルールでは、もはや1勝も出来ないだろう。
・ぷよぷよが大好きな個人(れそ、レソリューション)がおそらくRTM業務でお金を稼いだ
という流れです。
レソリューションはおよそ成功する見込みのないぷよぷよの発展に個人の資産を相当につぎこんでいます。
ここに「源資金がおそらくRMTによるものである」以外の一切の問題は存在しません。
ではなぜぷよぷよ通の普及にパクリゲームを作る必要があるのかぷよぷよの現状について詳しくない方向けにまとめると
2011年にぷよぷよ20周年記念作品が、2014年にぷよぷよテトリスが発売
その後「ぷよ」にちなんだ24周年記念も期待されたが音沙汰なく次回作の気配がない
・現在公式ソフトでネット対戦できるのは3DS盤20th、ぷよぷよテトリスである
(1) 3DSは一般的には配信・録画などができず、宣伝・普及には不向き
1.ぷよぷよのみでのランダムマッチが存在しない(フレンドコードで特定の相手と連戦は可能)
2.勝敗のカウント機能が無い(30本先取を行おうとすれば正の字を書くなどしてカウントが必要)
何らかの対戦ゲームをやったことのある方にはこのひどさが理解できるでしょう
一方プレーヤー達は普及や存続のための活動を長く、熱心に続けてきました
http://1st.geocities.jp/mattulwan/puyo_simulator/tokopuyo.html
http://muumu.whyi.org/puyolab/ppsim.html
・超超超多数のイベント開催
最強決定リーグ戦 http://puyo.in/league_s2015/ http://www46.atwiki.jp/puyotetodannisen/pages/22.html http://pyclleague.web.fc2.com/index.html
日韓交流戦 http://www.nicovideo.jp/watch/sm1430026
多数のゲームセンター・大学サークルでのイベント・大会 などなど
これらの活動、そしてぷよぷよというゲームが持つ競技性・楽しさが評価されたのかレッドブル主催大会に2012年から選出されています http://ultrasupernew.com/ja/portfolio/red-bull-5g-2012/
いままでの努力を無駄にしないため、そしてさらなる普及のためにまともな対戦環境が必要だったのです
PC版でオンライン対戦が可能であれば海外に広まっていくことも十分に考えられます
企業が採算を理由に挑戦できないことにぷよぷよの熱烈なファンである個人(れそ)が挑戦しているのです
もちろんRMTによって得たと思われる資産によって行われることには強烈な非難があるべきでしょう
221の 6両に
おお JR
発車メロディが 無い故に
ゆけゆけそれ行け 西日本
〈闘魂こめての替え歌〉
汚魂こめて〜お金で巻き上げ〜
自選(ドラフトで獲った選手)は育たぬー
他選(金で巻き上げた選手)の寄せ集めー
汚汚〜邪嫌ん子
今年もセリーグ優勝か(面白くない)
お金に合った活躍を
邪嫌ん子、邪嫌ん子
逝け、逝け嘘人軍、汚人軍〜— (格)オシダリ (@1027_SHINOBI) 2015年6月20日
Oh、Oh、 邪異暗津!
邪異暗津、邪異暗津、
逝け、逝け、それ逝け
ナベツネ軍
博打の負けを 重ねつつ
球は呼ぶ呼ぶ 取り立てヤクザ
おお ジャイアンツ
その名を低く いや低く
下げるナインの 情けなさ
くたばれ くたばれ 巨人軍
将棋が劣ってるというだけの話に人格決めつけてくるゴミは自己投影してるんだろーなー
あんまり明確なライバルを持って勝敗を競ってきたことがない自分を将棋で補完できた気分になっちゃうような、生産性のないゴミが顔真っ赤になってんのかな?笑
なんか恐い
奨励会に落ちたとかそういう闇を抱えてる人なんだろうか
相手の嫌がることをやるってのは基本的に勝敗のある競技全般で存在するもの。
サッカーや野球、格闘技などのスポーツでもそうだし、将棋以外の古くからあるゲーム系だと麻雀や囲碁だってそうだ。
テレビゲームでだってポケモンや格ゲー、スプラトゥーンなど対人があるものは基本そうだ。
もっと言えば、商売だって相手の嫌がる手を打って商売敵に差をつける手法はある。価格競争とかその最たるもの。
歴史的に見れば戦争なんか相手の嫌がることをするのがもう基本だ。
なので、元増田が将棋に対して何を体感して思ったのか知らないけど、彼(彼女?)はあんまり明確なライバルを持って勝敗を競ってきたことがないんじゃないかなと読み取れた。