はてなキーワード: エアホッケーとは
性能が高いが発火する“炎のCPU”
形を自由に変えてどんなコネクターも受け入れられる“水の端子”
あらゆるものを凍りつかせるが発火するPCならちょうどよく冷やせる“氷の冷却装置”
異空間にデータをほぼ無限に保存しかつアクセス速度を高めることで主記憶装置と補助記憶装置に分ける必要がなくなった“時空のストレージ”
禁断のPCパーツの消費電力に耐えうる電源容量を持つ“雷の電源ユニット”
炎のCPUの内蔵GPUにより生み出された画像を描写できるが輝度が強すぎる“光のディスプレイ”
一見黒すぎるサングラスだが光のディスプレイの光を程よくカットする“闇のPCメガネ”
正しいタイトルは「某アーケード音楽ゲームを"アプデを追いかけるほど"やらなくなって1年経った」。
こんなどうでもいい誰かの事後報告を見るのは多分自分と同じ暇人だと思う。
なので覚えてる範囲でやり始めた経緯から辞めるまでの話、それからやらなくなってからの変化について身バレしない程度に書く
きっかけは高校1年のGW休み?かどっかの休み、本当に気まぐれで知ってる限りで一番大きいゲームセンター(ラウンド1には劣る)に行った時だったか
某社のタッチパネル式エアホッケーのポップさに惹かれてプレイした所「音楽ゲームってこんな感じなんだな」ぐらいのまったり具合で好きなゲーム入りした
最初こそセカオワの虹色の戦争とか、JPOPみたいな曲をやってたぐらいだったけど、ある曲のジャケット絵が偶然目に止まる
ジャケ絵が格好良いとかボス曲だったとかではないが、曲調が思い切りストレートヒットだった。
譜面とかいろいろ調べてる内にその曲が同社の別の音楽ゲームタイトルからの移植曲であることを知る。
そんなわけで移植元のタイトルの筐体がすぐ隣にあったこともあり、ギュイーンって感じのゲームをやるようになった。
エアホッケーとはシステムデザインやコンセプト、楽曲の傾向もまるで違っていたけど、もともとオタクだったのも合わさってこれまでにないくらいハマる。
これが始めた経緯。その後ボス曲を聞いてドチャクソ気に入ってしまった為に本気でプレーをしていくことになる。
それからはTwitterで同タイトルやってる人と繋がったり、オフ会したりしてそれなりに楽しんでいた。
でもそれだけじゃないよねって話を今からしていく。
読んで字の通りなのだが、音ゲー自体本気でやるのが初めてなのもあって成長は時間がかかった。
それこそ1週間や2週間ちょっとではなく、年単位で時間とクレジット数、運指練習を積み上げる。
この時期にTwitterで実際にフォロワー上級者さんに「音ゲーは1,000クレまでチュートリアル」と言われたのだがこれは実際そうだった。
当時の最高難易度に辿り着いたのが実際それくらいだったし、何なら今もそう思う。
そしてここが問題なのだが、音ゲーの成長はまっすぐ右肩上がりには絶対にならない。
ランカーみたいなのは話が別だが停滞して停滞して、いきなり伸びてみたいなことを一生繰り返し、止まっている間入れたクレジットは無に消える。
お上手な期間は本当に短い。その間は死ぬほど楽しいがそれ以外が地獄のようなエグさを感じる。
おまけに自分が成長しない期間の間に他の同ラインにいると感じていたフォロワーがお上手スコアを出してどこからか焦りを感じる。感じてた。
そうやって成長しない自分に嫌気を感じたり、自他共に認めるお上手スコアを出して承認欲求を満たしながら気がつけば5年くらいやってた。
今までの記述でなんとなく何のゲームをしていたのか察した人もいることだろう、何なら筆者が誰なのか察した人もいるかもしれない。
そういう人たちならこの話きっと分かってくれると信じている
が、分からない人からしたら分からんだろうので2015年〜2017年後半くらいまでの間の話を当時のゲームの雰囲気を思い出しながらそれっぽく書く。
始めた当初はシステムデザインや楽曲に惹かれて始めたのは前述の通りだが、ある程度の基準を感じさせる程度には質の良い譜面が多かった。個人的には。
その後しばらくして新しいナンバリングの後継作が発表された。
ゲームの本質とは関係がないが世間一般でいう「ガチャ」が登場し、最高レアが出るとゲーム内の演出としてキャラクターを出すことが出来るといった新しいコンテンツが発表され、バグがそこそこ散見されたが楽しめない訳ではなかった。
しかし実際に稼働が開始して半年?ほど経った時に状況は変わる。
1クレジットのプレーの最後にRPGゲームのようなHPを持った敵が出現し、攻撃(クレジット)を重ねてそいつを倒すことで楽曲が開放されるといったイベントが後出しで出てきた。
問題は倒す過程なのだが、先程言ったガチャでの最高レアを持っている場合特攻が効く。つまり持っている場合と持っていない場合で解禁スピードに差が発生するようにした、ということになる。
当然これには不満を持つプレイヤーが多かった。そりゃおまけ要素として出しておいて今更「解禁楽になりますよ」なんて通る話ではない。
ところがその次のアップデート
先程のイベントに新しい敵が4体+全員倒した先に1体で合計5体(つまり新曲5曲)出てきたのだが、これをガチャでの最高レアなしで解禁する場合概算で100クレジット、日本円換算で1万円かかるとかいう馬鹿げた話をマジでやりやがった。
「音ゲーでガチャゲー要素あるのなんて他にもあるじゃん」って言われれば現在はそうだが当時はこいつだけだったし、何より「解禁に絡めるなんて一切聞いてない」というのが大きすぎる。
ロケテ段階でノートに「ガチャを解禁に絡めないで」と書かれていたのにも関わらずやってのけた。この案件一生許す気は無いし後世に語り継いで行かなければならない。
これ以外にもいくつかシステム面に問題を感じていたのだが、譜面の質の低下も顕著だったように感じる。
出来る出来ないで譜面を判断する輩が一定数いるのは理解してるし、この書き方だと自分もそう思われても仕方ないとは思うけどそれでも適当な作りの譜面増えたのは感じてた
インフレさせとけばいい、むずい譜面出しときゃいいみたいなのはマジでやめてほしい
そんな感じのことがあって開発陣への不満や不信が募りつつ、また譜面の異常なインフレは無駄に加速する一方で追いかける側としても正直疲れを感じていた
それでも惰性と承認欲求で続けてたし、成長速度が遅くても頑張っていたので最後まで解禁に困ることはなかった
でも2017年後半くらいから譜面の難易度が明らかに急上昇すると共に精神的にも本気でキツくなってきてTwitterでの毒吐きがめっちゃ増えた。
Twitterでスコア報告するけど伸びてないからゴミだし、他みんな総じて上手いスコア出してたし、謎のプライドが許せなくてゲーセン向かう、の悪循環。
この時の自分は間違いなく「ゲームをやりに」行っているのではなく「スコアを出しに」行っていたように思う。
そんな中でなんとなく帰りがけに目に止まった某社のドラム式洗濯機ゲームをプレーして久々に"楽しい"ゲームができた気がした。楽しくて仕方なかった。
その時になってようやく、この時初めて「もう辛いし、スコア上がらなくてもいい」と思った。
そうして、このゲームをやる機会は次第に減っていき今では「いい感じの過去の曲がやりたくなったら」「自分の気分に全部合わせて」やるくらいになった。
ちなみに毒を吐いていた時のフォロワーはまだ自分のFFの中にいるし、頻繁ではないにしろ気軽に空リプする。この事も本当にラッキーだったと思う。ありがとうな
洗濯機はまだ続けてる。ただし「スコアを出しに行く」のではなく「音ゲーなんだから音楽を楽しむために」やるスタンスを徹底して貫く様にしている。
「ゲームしにいってるんだから楽しくないなら変に根性出さずに帰る」ことが大事。
それから、別の活動としてプログラミングを本格的にやるようになった。これは自分だけじゃなくてイベントで知り合った近い年代の人たちが居たから持続したんだと思う。
そのおかげか自分も行動を能動的に起こすようになり、かつては考えられなかった超大御所の会社からお話を頂けている。自分は本当にラッキーだった
音ゲーをするのもいいけど、やっぱ他の趣味が有るのと無いのでは全然違うんだと身をもって感じた。
こんなクソッタレた投稿で今更自分が人様にとやかく言う資格なんかないんだろうとは思うが、それでもこの3つは守ってほしい。
特に1つ目は本当に覚えておいてほしい。でないと自分と同じ間違いをしてしまう
2つ目だが、自分がたまたまコードを書くのが適していた(?)だけで別にプログラミングを趣味とする必要はない。
けれど、趣味が音ゲーだけだといつか辛い時期が来る。その中でも楽しく生きていくために趣味は多いに越したことはない。
3つ目だが、 よくある話だと捨てゲーは正直な所「やってる側が楽しくない」のが見え透いていて、外野から見る人間からしても見苦しい。
事情や目標はあるだろうがそれで周囲の人も自分も幸せになれないくらいなら、いっそスパっと諦めてしまうほうが精神衛生的にもよい。的な。
ここまで読んでくれてありがとうございました。
この前、彼女とデートした時、時間潰しにゲーセン立ち寄ったら、彼女が「これ欲しくない?」ってクッションみたいなぬいぐるみが景品のクレーンゲームを推してきたんだ。せっかくの提案を無下にするのも嫌だから、「とりあえず1プレイだけしてみよかー」って久々にクレーンゲームやってみたら、アームで景品をつかみはするものの取り出し口に向かう横移動の反動でぬいぐるみが落ちた。で、落ちはするものの取り出し口には近づいてるので何回かやれば確実にゲットできるんだろうけど、何回やればゲットできるか分からなかったので、「何円かかるかわかんないからやめよ?」って言ってそれはやめにした。
その後もコイン落としのお菓子版みたいな奴をやりたがったので、「これめちゃ難しいよ?」って話して彼女が1回やった後に自分もやって「やっぱタワーになってるお菓子はなかなか動かないでしょ?」って話して、またブラブラしたんだけどさ、それからなんとなく彼女の機嫌が悪かった気がするんだよ。
俺の言動が原価厨とか期待値厨みたいで不快にさせたのかなーと思ったし、彼女は景品を取ることが目的じゃなくてクレーンゲームで一喜一憂しながらワーキャー楽しみたかったのに俺のテンションが全然上がってなかったのでつまらなかったのかなーと思ったんだけど、景品がなかなか取れずに男のプライドだけが空回ってもう一回!を連発するのも嫌だし、その後の予定までの時間を潰す軽い気持ちで入ったからここで無駄に気分落として引きずるのは嫌だなーって考えもあったのよ。
でも、俺がやめよーって言ったゲームを別のカップルの男が何回かチャレンジしてぬいぐるみをゲットしてたりするのを見たら、やっぱ俺のサービス精神不足が原因な気がした。
ちなみに、俺が提案したゾンビを撃ち殺すゲームは彼女がホラー苦手なので却下、マリオカートも家にあるからいいじゃん?となって却下。
エアホッケーとかすればよかったんかなー?
わかんないわ。
自分は、体育の授業はもちろん、お遊びとして体を動かすこともすごく嫌い。
学校の授業を離れたところで、例えば友達とスポーツセンターでバドミントンや卓球とか、懇親目的でスポーツ大会をするとか、ダイエット目的でジムに行くとか経験したけれど、どれも全然楽しめなくて、苦痛だった。
体を動かすこと、特に体を動かして勝ち負けを競うことが、すごく醜くて野蛮に感じる。ワイワイ楽しそうにバスケをやっている人たちを見て、何でそんなに必死で争うの?仲良くしようよ、って、必死な人達を醜く感じる気持ちと、争いを悲しむ気持ちが湧き上がって、泣きそうになる。
ジムは、体を引き締めたくてわざわざお金を払って何回も行ったけど、やっぱり体を動かすことが嫌で、数回行ってやめてしまった。
友達と遊びでバドミントンなんかをやっていても、必死に体を動かす友達の様子を見るのが苦痛だし、自分も動きたくないから、場の空気を悪くしてしまう。ゲーセンのエアホッケーを友達がやり始めても、必死な人達を見ていられないから、参加しないどころかすぐその場を離れてしまう。
最近は、恋人とお遊びでスポーツ(スポセンとか、公園とかで)やってみたいな、と思うことがあるけど、実際にやり始めたら絶対自分は苦痛に感じて、恋人を嫌な気持ちにさせてしまうことが分かりきっているから、やらない方がいいんだろう。
地方を出て何年か余り、出勤前にゲーセンに寄って、退勤後にもゲーセンに寄るような生活からしばらく経ち、ふと地元に戻ってきて最初に思った事はそれだった。
学生の頃は貪欲に外で遊べるビデオゲームを求めていた。自転車で片道1時間くらいの範囲は、ゲームをする為に毎日でも通える距離だった。休日はもっと遠くのゲーセンに行っていた。
近所のスーパーのゲームコーナーは、面積が数分の一になり、わずかなガチャガチャとほこりを被ったようなよくわからないキャラクター物が景品のクレーンゲームだけが残っていた、この景品数年前にも見たような気がするけど気のせいだろうか。
郊外の大型激安スーパーの隅の子供向けゲームコーナーに放置されていた変なゲームをやる為にずっと通っていた時期もあったが、もうメダルゲーム(大型筐体ではなく、小さい筐体の、ジャンケンマンとかペン太みたいなタイプの奴(たとえが古くてスマン))ばっかりになっていた。ちょっとやってみたけれどコインを入れた瞬間に勝敗が確定しているかと思うと余りやる気が起こらなかった。
バッティングセンターの隅にあるようなゲームコーナーも全て見て回った。当時は化石のようなゲームが時代の流れに逆行するかのように残されていたが、今ではエアホッケーのようなゲームと、ボールを打ち出すゲーム(スマートボールの亜種? 詳しくない)ばかりになっていた。寂れたボウリング場の隅にあるゲームコーナーもなくなっていた。いつも建物全体の明かりが落ちていて、俺が行くとたった一人のために建物のライトを付けてもらって気の毒だった。
パチ屋の敷地に小さなゲームセンターがあるのも見つけたが、いつしか無くなっていた。古い旅館にゲームコーナーが無いか、泊まりもしない旅館やホテルを幾つも出入りした。学生の頃ずっと通っていた近場のゲームセンターそのものは全て潰れたか、プライズやスロットばかりになったか(プライズゲームやパチスロを否定するわけではないが、ビデオゲームがやりたくて仕方なかった)、とにかく俺が思っている「ゲームセンター」という言葉のイメージからは遠くなったなと思った。
田舎には何もないのか。何をおっしゃるウサギさん、コンビニは増えたし、ゲオだって出来た。大きなカラオケボックスも、流行のカフェチェーンもある。それなりに広い敷地を誇るショッピングモールも出来ている。ただ外でビデオゲームを遊ぶ事だけが困難になっていた。俺は時間の潰し方をゲーセン以外知らずに育ってきたからわからないけど、今は外で時間を潰したり、あるいは没頭する趣味にゲーセンって時代遅れなのかもしれないなと思った。ゲームがやりたいだけなら家庭用でもPCでもスマホでも一生かけても遊びきれないゲームが激安で手に入るし、たとえ外での暇つぶしを求めててもスマホを開けば世界中の人とすぐに会話出来るし、一緒にゲームを遊ぶ事だって出来ちゃうし、1回ゲームを遊ぶのにわざわざゲームセンターまで行って何十円とか何百円とか掛けたりするのってバカらしいよな。
地元にいた当時は徐々に変化を受け入れていただけだったんだろう。アーケードゲームという大ブームが去り、家庭用ゲーム機がアーケード機にスペック面でほぼ劣らなくなり、消費税が上がり、大型筐体が続々とリリースされ、様々な何かが起こる度に中小規模のゲーセンという業務形態の存続は危ぶまれ、実際に少しずつその煽りを受けていたんだと思う、ビデオゲームがないゲーセンなんてゲーセンじゃないみたいな思い上がった事を昔の俺はよく言ってたけど、ビデオゲームや専用筐体のゲームが田舎の回転スピードでどれだけのインカムを確保出来てるって言うんだろうか、どれだけのゲーセンがプライズやパチスロのインカムに頼る形で専用筐体や採算の取りようがない最新ゲームの基板を購入してきたんだろうか(って、客の目線から店舗経営の話をするのは実情に即してないだろうし、おこがましいだろうけど)。JR東日本の倍近くの高い電車賃を払ってでも何度も通った繁華街や都市部の方のゲーセンも次々と閉店の話が聞こえてくる。都会にいる間興味を持っていなかった地元の事象が、戻ってきた瞬間にまとめて襲いかかってくる。浦島太郎の気持ちってこういう感じだったんだろうか。そりゃ鶴になりたくもなるよ。