はてなキーワード: 勝敗とは
来週から始まる全豪オープン、錦織には大変厳しい組合せとなった。
1回戦はコールシュライバー。ノーシード勢96人の中では最悪。
2回戦はさほど問題ではない。
4回戦、昨年負けたツォンガとペール。
そして準々決勝、ジョコビッチ。
妥当なら準々決勝敗退。ここまで行けばランキングポイントも落ちないし、
ジョコビッチなら仕方ないと言われる。
問題は準々決勝まで行けるかどうか。確率40%くらいではないか。
そうなると、テニスを知らない人達からの「錦織は終わった」という声がかなり増えるだろう。
まあ、今年は12回あるグランドスラムとマスターズで1回優勝できれば十分なのだが。
春にはランキングが二桁になるかもしれないが、秋にはまた再浮上するだろう。
他の生物を食べて生きたい、自分の居場所が欲しい、配偶者が欲しい、お金が欲しい、認められたい…等々。とにかく生きるために必ず備わっている欲求だ。この闘争欲求はもちろん人によって小さかったり大きかったりするだろう。大きい人間は上手く活用すれば大企業の社長になったり研究者や開発者として医者や政治家として活躍できるだろう。いかに優れているかを競い合うということは効率化や新たなる発展性を秘める魔法の行為だ。戦時下におけるコンピュータの発達など科学技術発展の背景には知る欲求だけではなくこの闘争欲求も大きく関与してきた。
しかし闘争欲求が大きいにも関わらずその昇華の仕方を知らずに大人になってしまった場合は最悪の不幸が訪れる。他者との優位性を競い合ったとしても感情のベクトルを最適化できなければわけのわからないデモに参加したり、様々な倫理性や論理性を見失い体と時間だけを浪費してしまうことになる。冷静になれ、怒りに身を任せるな。言葉にすれば極めて簡単に聞こえてしまうが、闘争欲求というじゃじゃ馬を乗りこなすにはクレバーになることが極めて重要でかつ困難なことである。
冷静になるということはどういうことか?それは第三者視点を(完全ではないにしてもできる範囲において)獲得することである。ここでいう第三者視点とはタロウさんハナコさんマスダさんのマスダさんのことではない。全てを俯瞰的に見つめる神の視点である。もちろん全てを見通す神の視点などどこにも存在しない。必ず未来には不測の事態がどこかに待ち構えている。現実には神の視点だと信じている第三者視点までしか形成されることはない。しかし2者間の対立構造においてこの第三者視点の精度こそが最も重要な勝敗を決する要素であり、また勝敗が決着した後でさえも重要な要素である。知るということは何よりも重要であり、知ることによって考えることができる。相手の意図や思惑を計算することができれば相手の好きさせることはないし、自分にとって一番効率の良い結果が出せる未来も思い描くことができる。しかし感情に任せての行動には目指す方向やそれを実現するために行われる手法が相手から丸わかりであり、わざわざ第三者視点を形成せずとも相手の意図や情報を一人称からでも考えることができる。正面から突撃しかしてこない騎兵が相手なら毎回弓で応戦したらいいだけだ。感情に任せての行動は戦う前から負けることが約束されている。闘争欲求が感情に任せて利用されると不利益しか生じないことは明らかだ。
闘争欲求が感情に任せて活用される場合、その当事者には成功者や人格者と大きく異なる部分がある。それは着地点が設定されていないということだ。もしくは非常にあやふやなものとして設定されている。何かと対決したり競う以上は勝敗という結果が産まれるが、その結果を正確に予測することはすなわち過程の予測も行われる。望むべき結果を生み出すためには計算をしなければならず計算は第三者視点を作成したうえで冷静でなければできない。具体的な着地点を設定しないということはつまりは過程である行動や手法が本当に実現させるために取るべき最適な答えなのかどうかを問われていないということだ。何が間違っていて何をするべきなのか、それを見極めることができない状態で活動している。このような行為を続けても決して冷静な敵対者に勝つことはできないが、不適当な闘争者はそれさえ気づかずにひた走り続け、決して満たされることのない闘争欲求はさらに活動し、狂い始める。同じような狂信者たちが集まればさらなる大きな狂いの渦を形成していく。数こそ力とは言うが、数が力になるときは同じ方向を向いた瞬間だけである。統率のない集まりがそれぞれ違う方向を向いていても何も動かすことはできない。
闘争欲求は何かを成就させるために不可欠な欲求であるにも関わらず、その昇華のさせ方を知らない者たちは現実と剥離した世界に逃げ込んだり、狂った人間やはた迷惑な団体へと変貌していく。彼らの本質そのものが高度な戦略化した社会における被害者であり弱者ではあるのがが、社会へもたらす不利益もその数だけ存在し、また是正する個人も組織も無いためどのような時代においても反知性主義団体を確認することができる。
かといって感情が必ずしも有害であるかというとそうではない。全ての行動原理は等しく感情という源泉に帰結する。我思うからこそ我あり。第一人称の持つ感情を原発としてそれを慰め、褒め称えるために理性によって実現可能な道を切り開いていくことが一番人間的であり好ましい形であろう。また感情を分解していくことで論理的にも自分個人の感情の形成パターンを分析化することもできる。なぜ怒ったのか?なぜ喜んだのか?それを自分に問うことでさらに自分の感情と欲求の求める結果を洗練させることができる。
感情的なことは悪いことではない。問題は見つめないこと、知らないこと、考えないことだ。感情的な人間でありたいのなら鏡で自分の顔を見るように、感情を理性で見つめるべきである。己を知りより深く自分の感情を愛するべきである。さもなくば感情を愛することもなく理性的ですらなく自分の意志で動いていると勘違いしてしまう感情だけの操り人形になってしまうだろう。1+1を計算できるのは感情だから?アイスクリーム屋でお金を出せばアイスを食べれるのは感情のおかげだろうか?理性がどれだけ感情を守っているかを見直すべきだ。
http://synodos.jp/society/15869
について、まぁすこし前に流行った弱者男性と同形の議論だよね基本は、そして弱者男性議論と同様に根本的に間違えてる部分がある。
これに対してコメントを見てみると
それ以前に当事者の運動すらないのに、「被抑圧下で権利主張を行うマイノリティ」に対して自分たち以外の権利獲得・保護まで一方的に背負わせるのは無理筋だと思います
LGBTが包含しにくい勢力をLGBTと同等の勢力と多数派が認めればいいだけでは。少数者はひと固まりになるべきてのは押し付けに過ぎない
分かるけど「お前らの運動は思想的に無矛盾じゃないからニセモノ!」って足引っ張るのはやめような。オタクはオタクで頑張れ。共闘はできなくても互いに応援はできるはず
考えてみれば当たり前だ、そもそも論理を貫き通せばそれでOKなら、差別そのものがとっくの昔にこの世にないはずだ。となれば必然、運動は論理を超えた、つまり矛盾を含むことになる。
論理的には山口氏は正解だろう。「性的少数者は守られるべきか?」「多様性は擁護されるべきか?」という直截な疑問にLGBT側の多くの人間は留保を付けずに「YES」と答えられないのではないか。そして留保を付けた途端、この教条の絶対性は揺らぎ、次なる理由を求められることになる「では、なぜLGBTだけが?」「その理由は?」
理由など無い、たまたま自分かあるいは近しいところにその当事者がいたとか、そういう理由ならあるだろうが。論理的な説明は無い。
こうした運動にとってロジックは「根拠」ではなく「道具」に過ぎない、ってことをわかってない。まず第一に「ある特定の差別解消」という恣意的な目標があり、ロジックは都合のいいものだけ後付けされる。そんなことはわかった上で、なのかもしれないが。
なぜ矛盾してもいいのか?
それはそもそも第一の目的が「論理性の追求」などではなく「ある特定の差別解消」だからだ、この目的のもとに、手段の(特に論理的)正当性は言ってしまえばどうでもいい。そもそも論理的であるべき(矛盾すべきでない)とする論理的な理由は無い。それは常に(他の場面でも)戦略的なものだ。
そう、戦略だ。ここに山口氏の主張をベタに受け取る上記の反論の未熟さが伺える。彼らも分かってるはずだ、ここにはコンスタティヴではない、パフォーマティヴな意図が隠されていると。
被差別者は矛盾してもいい、そのことには論理的な正当性すらあるが、一方で戦略的にはよろしくない。大半の人間は馬鹿だから「矛盾してもいい」ことを理解できないし、となると論理的矛盾は論理的ではなく戦略的な足かせになる。
彼らがやるべきは「その言い分は戦略的にまずい」とコンスタティヴに言ってしまうことではなく、山口氏と同様にパフォーマティヴな意味を獲得する論理ゲームに参加することだ。
彼らは勘違いしている。これは「論理的正当性」という称号を賭けたただのゲームなのだ。これを獲得すると「説得力」という全然論理的には役に立たないが戦略的に役立つものが手に入り、逆に負ければ論理的には全く問題ないにもかかわらず戦略的には大きなリスクを負うことになる。
彼らは文章の表層に表れる論理ゲームしか見えていない、その上空で展開されるメタ称号争奪の戦略ゲームが見えていない。彼らは「論理より戦略を考慮しないと」と言うわりに自らの戦略的位置・意味には驚くほど鈍感だ。正しいことを言ってればいいわけじゃない。
論理ゲームの勝敗が戦略ゲームの戦況に影響を与えるということ、この簡単な事実を前提とした意見は残念ながら今のところあまり見られない。
テレ朝でやってる水曜深夜のフリースタイルダンジョンがおもしろい。
頭良くて習慣として韻とか考えつづけてる人たちのガチ対決はすごい。
とはいえ、Rec4(収録4回目)になってダメなとこが見えてきた。
収録ごとに色々改善されている点もあって、スタッフの人たちはかなりの熱量で
やってるなと思いつつも、ダメなとこも顕在化しているので指摘する。
3ラウンド制で5人の審査員の多数決で勝敗が決まり、かつ5人全員のジャッジが同じだと
・次のラウンドが見たいからコッチにしたとか
審査員同士で勝負をコントロールしようとしているのは納得感がない
わかった感じになっているだけが多いことに気づいた。
言葉数は少なくても深い内容を評価する方向に変わっていくべきではないか
あと、相手をわざわざディスんなくてもいいんじゃないかなぁ
モンスターの出てくる順番は何順なの?
色々書いたけれど、焚巻の回は感動したし、
とうとう大手新聞にまで取り沙汰されたので何が違法かを解説する。
ただ、内容の性質上どうしても一般的ではない概念が必要になる。
そういう人は「整理して比較」の部分まで飛んでも差し支えはない。
1.通常時の玉の戻り
3.大当たり時(確変中も含む)の出玉の増加
この3つだ。
なぜなら、大当たり確率、確変突入率、平均連チャン回数などは店側が手を出せない予め決められている内容だからだ。(スロットは逆に大当たり確率が変更できる。ここで遠隔という人間はこれ以降を読んでも時間の無駄である。)
パチンコをやる人間なら気にするであろう「1000円でn回まわった」というのは、じつは1と2の要素によって決まっている。
例えば、250玉(1000円分)あたり50玉戻ってくる場合と、100玉戻ってくる場合では、最終的に打ち込める玉数が変わってくる。
当然多く戻ってくる方がお金の減りが少なくなるというわけだ。
例え玉が多く戻ってくる台を見つけたとしても、そもそも抽選しなければ大当たりはない。
どちらも1000円分打ち込んだとして、300玉打ち込んで18回抽選した場合と、350玉打ち込んでも17回しか抽選しない場合では、前者の方が優秀と言えるのだ。
(前者は100玉中の抽選回数が6回。後者は100玉中の抽選回数が約5回)
それは、それだけ大当たりまでの投資金額が少なくなるからにほかならない。
例えば大当たり確率1/240の機種を遊んだ場合、前者は平均して約13000円(240÷18回×1000円)で大当たりするのに対し、後者は約14000円(240÷17回×1000円)が必要になってしまうからだ。
1000円あたりの抽選回数は、普段の玉の戻りと、始動口回数によって決まるわけだ。
そうしてやっとのおもいで獲得した大当たり。
もし、大当たりまでの平均投資金額換算よりも、大当たり出玉が上回ればシメたものだ。
その台を打ち続ければ、出玉は増え続けるということを意味しているからだ。
逆に大当たり出玉が平均投資金額換算を下回る場合、大当たりを重ねる度に追加投資が必要になることを意味している。
この場合の大当たり出玉とは、大当たり一回の獲得玉数ではなく、平均連チャンを終えた時の一連の出玉を指している。
(1回の大当たり出玉×スペック上の平均連チャン回数+確変中の出玉増減)
この計算にも、先ほどの1000円あたりの抽選回数が関わってくる。
前者であれば3250玉(13000円÷4)を超えればよいのに対し、後者であれば3500玉(14000÷4)を超える必要がでてくることがわかる。
この点においても、前者の方が優れていることが証明されるわけだ。
少し乱暴な説明ではあるが、これがいわゆるボーダー理論を考える上での基本的な計算方法でもある。
今回の報道を要約するとこう書いてる。
「テストの状態よりも、始動口が開けられ、一般入賞口が締められていた。」
つまりこれは、先ほどの前者、後者を比較した状況になっていたといえる。
それぞれ、前者は一般入賞口が締められ始動口が開けられた状態であり、後者は一般入賞口が開けられ始動口が閉められた状態だ。
今回問題とされているのは、検定時に後者で認定を受けたにも関わらず、販売時には前者の状況で利用されていたということになる。
しかも、それをホール側の責任と調査を開始したにも関わらず、なんとメーカーがホールに販売する段階で行われていたというのだから驚きだ。
あまり知られていないことだが、パチンコの玉の打ち出しには制限がある。
それが1分間に100玉までということだ。
つまり、どれだけ頑張ろうとも1分間に100玉以上の玉を打ち出すことはできない。
打ち出すことのできる玉の上限が決まっていれば、時間あたりに投資できる金額が決まるからだ。
では大当たりまでの時間はどうだろう。
前者と後者とを比較した場合、1回の大当たりまでに必要な時間は、それぞれ前者は40分(大当たり確率240÷100玉あたりの入賞回数6)であり、後者は48分(大当たり確率240÷100玉あたりの入賞回数5)になる。
つまり前者の方が短時間で大当たりする=ギャンブル性が高いということになってしまうのだ。
ここで記事に戻ると10分間に数十個の入賞が求められるとされている。
仮に50個だとすると1分間に5個だ。
1回の入賞辺り払い出しが10玉だとした場合、1分間に50玉の払い戻しが必要になる計算になる。
つまり、1000円を投入すれば少なくとも375玉(250玉+2.5×50)が打ち込める必要があるということになる。
通常であればここにさらに始動口入賞の払い出しもあるので、おおよそ400~450玉の打ち込みが可能になる計算だ。
仮に450玉とした場合、この状態で先ほどの前者と同じボーダーに設定すると、1分間あたりの始動口入賞回数は4回(前者の1000円あたりの抽選18回:450玉あたりの抽選回数)になる。
つまり、同じボーダーに設定した場合でも、大当たり1回あたりに必要な時間は60分まで拡大するのだ。
ここまでの内容を整理してみる。
どちらも共通して1000円あたりの抽選回数が18回だった場合
1分間辺りの抽選回数6回、大当たりまでの平均時間40分、1時間に負けられる最大金額2万円、1日の平均初当たり回数約10回、獲得可能な平均出玉32500玉
1分間辺りの抽選回数4回、大当たりまでの平均時間60分、1時間に負けられる最大金額約1万3千円、1日の平均初当たり回数7.5回、獲得可能な平均出玉24375玉
これにより、Aのほうが圧倒的にギャンブル性が高いということがわかってもらえただろうか。
つまり、違法とされているのはギャンブル性が高くならないようにBで許可をしたにも関わらず、現実的にAで利用されていたことにあるのだ。
しかし、ホール側がそれほどまでに極端に釘を曲げていたかというとそれはノーだ。
盤面に対して概ね垂直に打たれるべき釘の状態でBだったから騒ぎが大きくなっているのだ。
そもそも検査の時はどうなっていたのかという疑問を残したままである。
今回問題視されているのは、あくまでギャンブル性が高いことにあるということをお忘れなく。
業界を擁護するつもりはないが、計算して比較したとおり勝敗という面において不利益があったわけではない。(負けやすくもあり勝ちやすくもある状態だった。)
しかし、昨今の業界を取り巻く問題に依存症問題がある以上、ギャンブル性が高い=刺激が高い状態を法を破ってまで保とうとしていたことは問題であり、それ故、早急の解決が求められているというわけだ。
http://anond.hatelabo.jp/20151217152521
のつづき。
「え、お金がもらえるんですか?」
パーティションが区切られて隣同士が干渉しないようにスペースが作られていた。
各地にこういったスペースがあってオンラインで繋がれており
独自のレーティングシステムによってオートマッチングされる仕組みという。
「あ、スマホは窓口で預けてね。タブレットとかノートパソコンとかも持ってたら預けて。」
女性が詳しい話を聞かせてくれた。
将棋好きの金持ちの道楽で、第二の羽生を発掘し育てるべく作られたシステムで
御存知の通り奨励会には年齢制限があり、規定に達せずに退会するものも多い。
しかし棋力のピークが奨励会の年齢制限よりも上になることもあるはず。
また才能がありながらも将棋一本でやっていくには不安があり、プロ棋士目指すのを諦めてしまう人もいる。
そんな人達を集めて第二の将棋連盟を作ろうとしているというのだ。
「これをリーダーに通してあとは対局するだけ。勝てば多く対局料をもらえるし負けてももらえる。ただし棋譜は都度解析されて不正ができないようになっているから。」
画面は独自のシステムを構築しているようで初めて見るものだった。
対局を開始する。オートマッチングなので少し待つと対局が始まった。
相手の名前は出ない。ということは向こうも誰と対局しているかはわからない仕組みのようだ。
入力された自分のレーティングがやや甘かったのか、初戦の相手には勝利。
いくらもらえるかが気になったので聞くと固定ではないという。
不正がないかをチェックされた後、筋の良い手、悪い手をチェックされてそれらに応じて金額が変わるという。
当然筋が良い手が多ければそれだけ金額が高くなるし負けてもそれら評価が高ければ金額に反映される。
解析には時間がかかるようですぐには結果がでなかったがしばらくすると
金額とともに解析結果が閲覧できた。金額は500円ほどだっただろうか。
解析結果はいわゆるソフトでの棋譜解析で最善手や悪手、筋など改善点が見やすく表示される。
なるほど、これはかなり良いシステムだと思った。これなら強くなりたいと思うし強くなる仕組みができている。
「それとここにも退会規定があるの。年齢ではないけどレートの動きや将来性などを評価して決めている。向上心がなければ退会になって対局できなくなるわ。がんばってね。」
ごもっともです。
その孫子以来の箴言を踏まえ、テロリズム研究にはそれなりの蓄積があります。
一般市民の中に紛れ込んだテロリストを、特定して、探し出すのは至難の業だし、どこに潜んでいるかも解らなければ、根本的な対策はほとんどできない。これと戦うって、本当に可能なんだろうか?
はご明察で、基本的に「戦う」のは無理、もしくは常にコスパの悪い勝負にしかならない、ということになっています。
非対称戦には須くそういう傾向がありますが、対テロ戦では特にそれが顕著です。
テロ制圧には膨大な情報戦、治安戦のリソースが必要で、そこで完封してやっと「引き分け」なので、勝敗で言えば最初から話にならないのです。
実を言えば先進国の公安部隊であれば、特定するのは「至難」と言うほどではないはずで、まずほとんどの組織員はマークできているでしょう。
ただ99%の補足率ではいつかは必ず国家当局は負けますし、ローンウルフのテロなんかは「事前に殺人犯を捕まえろ」みたいなこちらは至難な話になってしまうということです。
で、これにもある程度結論はあって「テロの原因となる社会的矛盾を解決する」が最良の戦術(というか戦略)なんですね。
治安強化、警備強化の方向では最上でも引き分けまでしか持ち込めない以上、どうしても「根本を叩く」ことが必要だからです。
一時的に膨大なリソースを注ぎ込んで100%の補足、あるいは軍事制圧による組織の壊滅を達成したとしても、その組織を生んだ社会的矛盾がある限り新規構成員が供給され続ける、あるいは新組織が生まれるだけで、結局いつかは綻びますので、そういう結論が出てくるわけです。
ただISILのような国外組織が相手の場合、実質的に唯一の勝利の手段であるこの方法が事実上使えないわけです。
最低でもシリア、イラク、できればISIL連帯組織のある5,6カ国を全て占領制圧した上で、その地域を統治して社会的矛盾を解決せよ、という話になりますので。
こういう闘争目的は必要無いのがテロリズムの所以です。むしろ(テロ組織としての戦略目標はともかく)テロにおける個別の作戦目標には、そもそも最初から「自己の利益」は含まれない方が(特に初期段階では)普通です。
・自己の組織/主張への一般市民からの注目(無視でないなら憎悪でもかまわない)
・「敵」社会における政府への不満(もっとテロを厳しく取り締まれ!と言う類でもいい)の蓄積
http://anond.hatelabo.jp/20151108234357
1)ゴール系球技
敵味方に分かれて、方形や円形に仕切られた空間にボールを通すことを目的にする球技。
たまに線上をボール保持した選手が通過しただけで点になるヤツもあるが、あれも元は「通過することでボールを通す権利を得る」ことだった。
ボールを通すことを妨害するために強力なコンタクトが発生するのが特徴で(例外として、相互コンタクトを一切禁止するゴール系球技も存在する。競技名は「玉入れ」という)、その派手さとチーム戦術のダイナミックさゆえに最も人気のある球技。
相手方の対応可能な範囲に、ボールを空中に浮かせて送り込み、それを相互に返し続けることを目的にする球技。
勝敗を絡める場合は、対応可能なボールを送れなかった、対応可能な範囲のボールを処理できなかった、一定の高さを越えられなかった(この定義のためにネットが競技場に存在する場合が多いが、例外として「羽子板」というネットの無いラリー系球技もある)、という失策に対するペナルティを得点として換算するので「相手に打たせない」ことが目的に見えるが、本質的にはラリーが続くことを理想状態とするのが、ゴール系球技との大きな差異である。また、1対1でも試合形式を行うことが可能で趣味として簡便だが、見世物としてはゴール系より若干地味。
ボールに対する操作をルールとして定義し、それを達成することに対して相応のポイントを獲得することを目的にする球技。
時に達成の定義として円形に仕切られた空間にボールを入れることを伴うが、手球へのコンタクトは競技者間で完全に独立してかつ止まった状態からの操作に限定され、ボールを争うことはなく、むしろ精密性が問われる、かなり地味な競技である。その他、ボールを当てる数のみを競うパターン、ボールを特定エリアに置く数を競うパターンなど競技バリエーションは割と多い。対人ルールで行われる際は、精密さと同時に駆け引きが重要となり、チェスに擬せられることもある。
傾向として(ラリー系競技とは逆に)ボールを転がすものが多いが、例えば大玉転がしのように浮かせるプロセスが入ったりゴルフのように長距離の場合はボールを飛翔させることもある。
相手方に対して狙撃としてボールを射出し、殲滅したり敵の数を減らしたところで旗を奪ったりすることを目的にする球技。
遊戯としては戦闘行為としてプリミティブなきらいがあるため、メジャー競技であることは少ないが、単純明快遊戯として子供を中心に楽しまれる。
ドッジボールと雪合戦が代表的だが、ある意味ペイントボール辺りも有資格者ではあるか。
これらの球技はある意味、鬼ごっこという余りボールと関係のない遊戯にラリー系球技の要素を付加したものとは言えよう。
しかし、上にラリー系球技の特徴として「相互に返し続ける」ことを目的にしていると書いたが、これらの競技では投球に対する打撃という形で、非対称な形態を取るので「ラリー」にはならない辺りが、根本的に逆行している。にもかかわらず、ある種の「打ち返せなかったペナルティ」としてのアウトや、「打球を処理できなかったペナルティ」としてのヒットにより試合が進むという点では、ラリー系球技の得点パターンを踏襲している面もあるのだ。
また、例えば校庭で女子中学生が輪を作ってバレーボールのトス上げたり、蹴鞠で貴族がボールを蹴り合ったりするようなものと近い感じで、野球ではキャッチボールなどが「ラリー的なもの」として基礎練習において尊重されるのは、こうしたラリー系の精神を引き継いだものではあるのだろう。
その意味では、広義のラリー系球技に野球は含まれるべきなのだが、一方で完全に「ラリー系球技の鬼子」と言うべき立場であるのが、特異性であるとは言える。
ただ、その特異性ゆえに、多くの球技において禁じ手となっているところの「手でボールを操作する」行為に対して非常に自由度が高いのも特徴であろう。この手のまだるっこしさを排除したスポーツとしてはアメリカンフットボールも相当に自由度が高いが、あれはあれで前パスは各ダウン1回しか出来ないし未登録レシーバーがダウンフィールドでボールを獲れないとか制約はあり、野球の自由度よりは低い。
その「投げる」自由さの代償として、その自由さを定義する中での競技者の関係の特殊性やルールの複雑さが存在する訳だが、ともかくも手という最も人間が頼りにする部位でボールを掴んでプレーしたりそれを相手に走り回ったりすることが、野球の「球技」としてのエッセンスではあろうな、とも。
四天王って、ある程度格の近しい者を四名集めて構成されると思うんだ。しかも正式な役職でなくて俗称的な。
そこまでボロクソにこき下ろすくらいなら、三名で構成して三人衆とか三天狗とか三面拳、名乗ればよかったやんけと思わなくもない。
しかし、一人だけ格の落ちるメンツを入れているならそれ相応の理由もあろう。
・
1.総合力では格が落ちない説
一般的に、表題の台詞を吐くのは悪の組織の四天王であって、およそ善性の高い敵に組織ごと滅ぼされるのが定石であろう。
組織の中にあって四天王はおよそ二番手から三番手くらいの地位にいるのだけれど、基本的に作中で敵との勝敗を決めるのは暴力であって、組織力や資金力、あるいは弁論能力ではない。しかし、組織である以上、本来は個人の腕力よりは組織マネジメントや金勘定を重要視する場面の方が多かろう。組織のボスとしては暴力馬鹿だけを幹部に就けていけば組織の運営に支障を来すことが目に見えている。
つまり、四天王の面汚しとは、平時にこそ辣腕を振るう人材なのではないか。
.
2.有望株に対して責任を持たせて成長を期待している説
世界でも有数の犯罪組織と言われる山口組では、三代目末期にそれまで存在しなかった若頭補佐というポジションを新たに設置し、有望株の育成を行ったというエピソードがある。
立場にふさわしい者を、との考え方ではなく、そもそも立場が人を成長させるのだという考え方で他には劣る者であっても責任ある立場に就かせてみたのかも知れない。
そうなると、他の立場に足る実力を持つ四天王は面白くないだろうから、そいつが失態を犯した時には「面汚しめ」とか罵るのだろう。「牛の糞にも段々があるんで」という心境で。
・
3.縁故採用説
組織の首領からすると、実力はあっても扱いにくい人材ばかりを幹部に並べると組織運営に支障を来す。
その場合、扱いやすい人材を幹部として取り立て、雑用はそいつに任せたりする。
・
三面拳なら来電が好きかな。
自国開催を4年後に控えたワールドカップ。サッカーファンが聞けば、1998年フランス大会を思い出すでしょう。なんかラグビーのワールドカップやってるっぽいな。ちょっと気になる。そんなあなたにラグビーに関するトリビアをいくつか。
・日本がワールドカップ初勝利をあげたのは1991年の第2回大会。相手はジンバブエ。フランス大会でジャマイカに負けたサッカー代表と異なり、きっちり勝利したのは偉い。ただし、ジンバブエはアパルトヘイトにより国際試合を禁止されていた南アフリカに代わってアフリカ代表として出場しただけの弱小国であり、サッカーのジャマイカ代表より遥かに弱かった。
・日本のワールドカップ2勝目が先日の南アフリカ戦。サッカーに例えるならグループリーグにおけるブラジルやドイツへの勝利に相当する。ただし、ラグビーの場合は自国リーグに所属する外国籍選手も登録できるので、Jリーグに所属する外国籍選手を5~6人起用した日本代表をイメージするのがより正確。
・かつて日本のラグビーは今より遥かに人気があった。早明戦では国立競技場が満杯になり、チケットを入手するのも困難だったほど。大学ラグビーの人気選手が次々と日本代表となり、強化を進めて世界の強豪国に近づこう、そんな空気感があった。それを打ち砕いたのは、1995年の第3回ワールドカップにおけるニュージーランドとの一戦。日本は次々にトライを決められ、17-145で敗れた。サッカーに例えると、1-9で大敗したようなもの。この一戦以降、日本のラグビーは急速に注目を失っていった。ドーハの悲劇で日本中の注目を集め、Jリーグブームに沸くサッカーとの人気差はどんどん開いていく。
・ラグビーワールドカップは5チームがグループリーグを戦い、上位2チームが決勝トーナメントに進出する。4チームで上位2席を争うサッカーよりトーナメント進出へのハードルは高い。
・ラグビーとサッカーは元々同じ競技のようなものが分化したと言われている。よって、発祥は共に英国。サッカーと同じく英国は地域毎の代表が認められている。イングランド、スコットランド、ウェールズ、アイルランド。サッカーと違って北アイルランド代表はない。ラグビーのアイルランド代表は国境を越え、アイルランド島としての代表を構成している。胸熱。また、サッカーと異なり英国の各代表はみんな強い。
・ラグビーの統括団体に加盟している国・地域数は約100であり、サッカーの約半数。
・強豪国は、ニュージーランド、オーストラリア、南アフリカの南半球旧英国植民地と、英国4協会、並びにフランス。アルゼンチンやオセアニアの島々も結構強い。
・英国では上流階級のスポーツとされ、下層階級が楽しむサッカーと区別されてきた歴史がある。そのため、ラグビーを生活の糧とするのを拒むアマチュアリズムの影響が大きく、サッカーのようにプロ化するのはかなり遅れた。よって、プロ選手の年棒もサッカーに比べるとかなり低い。
・ラグビー選手は紳士たれと教え込まれる。そのため、試合中にサッカーのように審判に対して抗議するシーンを見ることはない。私はラグビー部に入部したての頃、練習試合の判定にカッときて審判に抗議した途端、先輩達や顧問の先生に滅茶苦茶怒られた。
・得点方法は敵陣までボールを運んで地面にボールをつけるトライ(5点)が基本。トライ後にはトライした位置後方からのゴールキックが与えられ、成功(H型のバーを越え)すると2点。相手が反則を犯した位置からのペナルティゴールを決めると3点。これらが主たる得点方法だが、サッカー好きならドロップゴールにも注目してほしい。フィールド内どこからでも、ボールをワンバウンドさせてキックし、H型のバーを越えると3点入る。ボールが楕円形なうえ、失敗すると相手ボールになってしまうので、相手のプレッシャーがかかる場面で成功させることは非常に難しいが、実力が伯仲しているとドロップゴールが勝敗を分けることもある。
・そのドロップゴールの名手といえば、2003年のワールドカップでイングランドを初優勝に導いた、ジョニー・ウィルキンソン。あのベッカムと並ぶ国民的大スターだった。
・フランスにも、好きなスポーツ選手アンケートで1位になるようなセバスチャン・シャバルという国民的スター選手がいた。
・歴史上、もっともセンセーショナルであった選手はニュージーランドのジョナ・ロムーを置いて他にいない。196cm、119kgの巨体ながら100mを10秒5で駆け抜ける彼にトップスピードでボールを持たれたら成す術はなかった。
現在、イングランドで第8回大会が行われているわけですが、いよいよ4年後には日本で大会が開催されます。
日本代表の戦いも注目ですが、世界の強豪国同士の本気のぶつかり合いを生で見られるチャンスはこの機会しかないので、できるだけたくさん観戦に行きたいと考えています。
テロなんかしたって世の中は変わらない。でも選挙にいくよりはマシだと思う。
http://anond.hatelabo.jp/20150914225701
というエントリを書いた。
冗談のつもりで、
相撲で決着っていいよな。
若いほうが強いだろうし。
と書いてみたが、その三日後、委員長を囲んでスクラムとか、相撲より面白いことになった。
帝を奪って詔を出させた方の勝ちっていう源平合戦を想起させられざるを得なかった。
欧米型の民主主義なんかではなく、日本の風土に根ざした民主主義といった感じで素晴らしかった。
かねがね思っていた、公平でも中立でも効率的とも言えない多数決で選んだ議員で、これまた公平でも中立でも効率的とも言えない多数決をするっていう件からくるモヤモヤをうまく解決してくれた気がする。
うむ、民意を背負った議員たちが神聖な議会で源平合戦、詔をださせたほうの勝ち。
これぞマツリゴトではないか。
自分としては、これで満足なんだが、ブコメやトラックバックの感じだと、やっぱり選挙を大事にしたいと思っている人が多そうだ。
ならば、憲法改正以前に、一票の格差是正を進めたらどうだろうと思うんだが。
だいぶ合区は進めてもさ、それでもまだ違憲状態なわけじゃないですか。
違憲状態なのを置いておいて、憲法改正を次の選挙の争点にもってきたがってるのはどうしたもんだろうか。
だから、前のエントリで書いたように、10000人なんとかとっ捕まえて、支持政党を聞いて、その割合で議席割り振れば、一票の格差の問題なんてなくなると思うんだけどね。
そのね、デモとか言ってる連中は、安保とかチンポとか言ってる場合じゃなくね?
おらが町からも議員様を!ってわけで、過疎った田舎からも農家の票をあつめて議員を出せるのが自民の強みでさ、まあそれが違憲状態って言われてるわけじゃん。
あいつらも、どうせどうなったっていいと思ってるんだろ?
ほら、自分が応援しにいったって、微塵も勝敗に影響しないわけだけど、勝敗を決する瞬間のあの空気を共有したいってやつ。
だから、法案が成立したら大変な事になるっていっても、成立したら帰ったろ?
熱も醒めたろ?
W杯と一緒一緒。
ingressは基本自由なゲームなので、他人にプレイ方針を押し付けるような事は間違っている。その前提は判ってる。
でも言いたい。
P8を気軽に壊すバカへ。
お前らは別の場所でR8を気軽に補充できるから簡単に破壊するのかも知れないが、多くの人にとってはR8を出すP8は貴重なんだよ。
ウチの近所は破壊だけしてレゾ刺しさえしないような緑がたくさんいるので、常にレベルが低い感じだが水没している。
青の人口が多いので、P8まであと一歩ぐらいまでは結構サクサク行くんだが、そういう場所だけ緑が壊していく。
話によると、江東区の東側で仕切っている緑がいて、P8に近くなるポータルを見つけると他の人に破壊指令を出すらしい。
キチガイじゃねーの?
まず、壊すな。ウィルスでいいじゃねーかって思う。別に青のP8だろうが緑のP8だろうが、P8はP8なんだよ。その近所に住んでる人の貴重な補給源なの。緑にとっても青P8は補給源なんだよ。ウィルス使えばP8のまま緑の領地増えるだろ。何故使わない。
P8が無いということは、R8が無い。よって緑の「あまり頑張らない勢力」にR8が行き渡らない。
どうしてそれが判らないかね。
青だけじゃないんだよ。積極的に破壊活動をしない緑だっているんだよ。育てたいからわざと手を出さないっていうプレイヤーはとてもたくさんいると思う。
ポータルのレベルが高ければ、資源もたくさん手に入るし、グリフハックボーナスも多いし、いざアキバやら新宿池袋渋谷に行った時には無双が出来る。
緑のCOMMで我が物顔したクソ緑の仕切り屋が大声あげて「壊せ」指令してたら、そりゃ「せっかくのR8を残して欲しい」とか言えないだろ。そこを勘違いして「誰も不満言わない」「自分は選ばれしプレイヤー!」とか思ってるんじゃねぇよっていう。
---
領地がどうこうでP8を壊さないとって思ってるプレイヤーにも一応。
世界では日本を包み込むほどの大きさのフィールドは頻繁に発生している。ほとんどの場合、地域を青/緑に染め上げたところで、ingressというゲームの勝敗にはほとんど影響がない。
なので、日本に住んでて、普通のレベルのプレイをしていて、地域が水没/緑化してようが、ingress的にはどうでもいい。「お前の気分」が嫌になる、それだけ。
だからどこそこが水没してるとか言って気にしてしまい、無理に緑化させてしまうようなのは、大局が見れてない素人プレイヤーだと言っていい。
最初に断っておくのは、格差があればうまくいくわけではないということだ。
こういう書き方するとうちは格差がないのにうまくいってるみたいのがわらわら湧いてくるけど、あくまでそれが特例であって一般論ヅラしないように。
ここで言う格差というのは主に経済力や年齢のことだけどもちろんそれ以外の学力やコミュ力、ルックスなんてのにも置き換えられる。
要するになにが言いたいのかというと、夫婦間の勝ち負けがしっかり決まってない夫婦はうまくいかないということだ。
これが決まってない夫婦がなぜうまくいかないかの理由は単純で、意思決定に要するコストが大き過ぎるからだ。
ちなみにもう一つ断っておくが、今の時代の話をしているのでうちの両親ガーとかもご遠慮いただきたい。議論するだけ無駄です。
両親の時代と今とでどれだけの意思決定に対する量的違いがあるか考えればすぐにわかることですね。
違いがない、そんなに意思決定をしていないっていう人はスローライフと人生リタイヤの違いで増田でも書いてきてください。
夫婦生活をしばらく繰り返しているととにかく意思決定をしなくてはいけない場面が多すぎるということに気付く。
自分たちのことに関して言えば、住む場所はどこにするか。仕事はどうするか。保険はどうするか。
それ以外にも記念日、外食、旅行、休暇など、積極的に提案を求められることも多い。
そこに子供が加わるとさらに増える。出産はどの病院にするか。どんな設備の病院がいいか。
予防注射を受けるべきか、幼稚園、学校はどうするか。それにともなって住環境や収入の見直しも迫られてくる。
なにも増えているのは意思決定の数だけではない。
情報量に比例するように昔とは比べ物にならないほど選択肢も増えているのだ。
それ以外にもスマホの画面を開けばCMが飛び込んでくるぐらいに日々分刻みで欲求に対しての取捨選択を迫られている。
それら全てを対等な立場で協議するための時間的、精神的コストが膨大なものであることはいうまでもないことだ。
立場が対等であれば個人的な欲求の消化さえ協議にかけなくてはならない必要に迫られるのだ。
ここでさらに対等な立場であるのに独断でものごとを進めて失敗した時の責任の大きさを考えてみて欲しい。
そのことがどれだけ決定することを躊躇させるかは想像に難くない筈だ。
立場が対等な夫婦は、つまりとにかく揉め続けるか、決められない=行動できない夫婦になる。
現代において意思決定が停止することはつまり死と同意といっても過言ではない。
意思決定ができなくなった瞬間に取り残されてしまうような早さで世の中は進んでいるのだ。
とにかく格差さえあれば、決定権に対する明確な強弱がうまれるのだ。
結婚を臆するものは自分がどちらの立場になれるかを想像してみて欲しい。
もしどちらかにうまくはまれるイメージができたのであれば、その結婚はうまくいく。
ただ漠然と結婚を恐れるのではなく、ただ漠然と結婚を望むでのはなく、自分という立ち位置をうまくイメージできなければ結婚はうまくいかないということだ。
年も生活環境も近い似たもの同士といわれているカップルは、どちらも責任を負えない問題と直面したときに自分たちならどうするかを考えてみて欲しい。
そこで「お互いが納得できる答えが出るまで話し合う」と考えた人は、今一度その相手との結婚を見つめなおして欲しい。
名前だけ知っていた世界一の馬ジャスタウェイが、ジェンティルドンナという牝馬に負けた有馬記念。
結婚して、30歳になって、子どもが生まれる前にギャンブルのひとつでも覚えおいたほうが何かと都合が良いだろう、という打算もあり、レースが終わるとすぐ、友達に電話をして「来年から競馬を始めるから教えてほしい」と伝えた。
年明け、Amazonで幾つかの本を買い、本当に基本的な知識だけをアタマに入れ、向かった場外馬券場。
500倍の三連単に、2,000円1点買い。
当たれば100万円。
「万が一、もしかしたらビギナーズラックで当たってしまうかもしれない」
そう思うと胸が震えたが、もちろん馬券は外れた。
一着になったのは、「ブチコ」という名前のアイドルホースだった。
ルージュバックが圧倒的人気を集める中、岩田という騎手が、レース展開をスローペースに持ち込んで、強引に勝ちをもぎとった。
直前の第10レースでは、オッズも見ずにした簡単な予想が、1着2着3着すべて的中していたが、馬券は購入していなかった。
予想したなら買わなければならないことを肝にめいじ、オッズを見ると邪念が混じる自分の性格をあらためて自覚した。
馬券はずっと外してばかりだった。
500円が75,000円に化けた。
嬉しかった。金が手に入ったことよりも、自分の予想が当たったことが何よりも楽しかった。
そして、先週の宝塚記念。
2週間、時間をかけて入念に準備した。
上半期最後のG1は、今年に入ってから競馬を始めておれにとっても一つの区切だった。
過去の傾向から、人気の先行馬が1着2着に入ることが多いことがわかったので、ラブリーデイを軸馬。
レース展開は、予想通りに進んだ。
あの馬を除いて。
あの野郎。
レース後、おれは腹を抱えて笑った。
悔しさは無かった。
賭けた金が少ないこともあるだろう。
それでも、負けてなお、楽しくて仕方がない。
その通り。
予想をして、勝負をかける。
そして、見事に裏切られる。
きっと。
そうなんだろうか?
そうなのかもしれない。
それでも、おれには関係のないことだ。
日本ダービーのあと、儲けた金で、靴を買った。
おれは毎朝玄関で「この靴は、2015年のダービーで、万馬券を当てた金で買ったんだ」と思ってから会社に向かう。
畜生に金を預けて、勝った金で買った靴。
ひどい釣りもあったものだ。ファミコンのことを何もご存じない。
もちろん1人プレイの作品も多かったが、それだけじゃなかったぞ。
当時のガキンチョどもの間で人気だった『ダウンタウン熱血行進曲』というゲームがある。
1~4人で運動会風の競技を行い、優勝を争うというゲームで、今なお良作という評価を受けている。
例えば、選択可能な4つのチームの中で、「れいほう」だけが突出して強い。
研究の進んだ今ならともかく、当時のガキンチョが普通に遊ぶと、まず使った奴が圧勝するレベルだ。
あと、その辺に落ちているアイテムを拾うと得点が稼げるシステムになっており、
拾って投げてまた拾って……を繰り返すだけで、競技の勝敗に関係なく優勝できてしまう。
しかし、友人同士の遊びで「れいほう」を独占したり、そんな稼ぎをやったりすればリアルファイト不可避だ。
そこまでいかなくても確実に嫌われる。
言わばあの遊びは、ゲーム外の要素を抑止力にするという、素晴らしく狂ったバランスの下に成立していた。
かのシリーズは開発会社が潰れた後、版権が別の会社に引き継がれたが、
かつての人気は失われてしまっている。単純にクソリメイクが多いというのもあるが、
「リアルでのつながりがない相手には何してもいい」というネット時代に適応できない事情も逆風になっているように思う。
以上を踏まえると、仮にファミコンが少子化の原因になっているとした場合、
塗りまくるだけでも楽しいじゃなイカ?とイカ無いのが、スプラトゥーンの難しいトコロ。
どーも初心者から抜け出せない、ジャッジくんのアドバイスもイマイチだし……と感じる初心者の皆さんちょっとおいで。
(ガチマッチは、ガチ勢になってからで良いよ!だいぶゲーム性も違うしね)
ナワバリバトルでコレは超初心者枠なので、まずドンドン塗ろう!
ヤラれる→ジャンプ→すぐヤラれる……これを止める!
イカで潜って移動→ヒトで周りを塗る→イカで潜って移動……これを徹底する!
コレをしてみると、イカを体得できる。
まあまあ初心者枠。そろそろテキとミカタのルートを意識し始めて良い。
ぼちぼちマップを覚え始めて良い頃だ。
例えば、ハコフグ倉庫は、スタート地点から中央部広間に向かって
そして、中央部広間は、ハコの積んである中央広間と、左右の小広間から構成されている。
この場合、テキは真ん中と右からしか攻めてこないので、「守る場合」は、「ミカタから向かって右側の小広間」の優先度が高い。
右の道を単騎突入してくるテキがいたら「直接戦わなくても」右の細い通路を後ろから塗りつぶすだけで、退路を断てる。
これは逆に言えば、テキ陣地に突入しようとするなら、左側の小広間の制圧優先度が高い、ということでもある。
同じように、どのステージでも、激戦区や広間へのルートが幾つもあり、一方通行も多い。
「守る場合」なのか「攻める場合」なのかを考えて、キチンと塗りつぶすのが重要になる。
コレをしてみると、イカを体得できる。
そろそろ初心者卒業枠。積極的に「戦闘」したり、味方の「勝ち」を意識しよう。
それは、ミカタチームでの「役割分担」を意識し始めるってコトだ。
WiiUゲームパッドは、単なる地図じゃなくて非常に重要な情報端末だ。
塗られているトコロはテキが居る。前線でやりあってるなら、手薄な場所がある。
ミカタが自軍陣地を塗りつぶす作業をしているなら、自分が前線に出てみよう!
戦闘の基本は、「一方的にヤレる時だけ攻撃し、そうじゃなければ逃げる」だ。
基本的にヤラれないコトが重要であり、そのためには「攻撃されないこと」だ。
相手の横から攻撃する。ボムを投げて牽制する。バリアで押し上げる。
そして、「テキの退路を絶つ」「ミカタの退路を確保する」のも非常に重要だ。
戦闘がどうしてもニガテなら、逃げまわってスペシャルで援護するのも効果的だ。
何をすればチームを勝利に導くか自分でわかるようになったら、初心者脱出だ!
じゃ、イカよろしく!(シオカラ~ズ)
やあみんな、ウップンをインクにのせて塗りまくっているんじゃなイカ?
次のフェスが待ち遠しいところだが、ココで、第一回のフェスを大解説だ!
(なお自分は土曜夜から開始&日曜昼から再開したご飯派で、かなり待たされた方です)
まず簡単な振り返り。
イカ同士がペンキを塗りあって自軍面積を競うナワバリバトルを楽しめるのがスプラトゥーンだ。
これに、イカの前提がある。
これが、フェス期間中は
ボウシ、クツ、ブキセットは自由に選べるけど、他はかなり制限されてる状況
普段のハイカラシティ(オフラインのロビーのような場所)が少しづつ変わってきた。
フェスの投票とTシャツ配布が始まり、トラックが乗り付け、フェス準備が広場に見える。
みんな、フェスTシャツを着てみたり、広間に集まるイカ達もソワソワした感じが見えていた。
シオカラーズは広場で踊り、花火は打ち上がり、電飾看板がこれでもかと並ぶ。
普段は寝ている猫のジャッジくんもノリノリで踊り、全員フクはフェスTシャツに限定。
ご飯派と、パン派は分かれて広場で踊っているが、すごいお祭り感。
そして、皆が何かを期待していた2015/06/14の18:00。
あまりの落差に呆然となったヒトが多いということは、フェスがイカに特別だったかを自覚させる。
(フェス前準備はフェスへの気分を盛り上げるが、フェス後の祭りの後感をフェスに参加できなかったヒトが感じてしまうと残念に思うだろうから、この非対称性はさっぱりしていて良いことだと思う)
お題設定は適切だったか?が話題になったが、実は問題はソコには無い。
ご飯チームは57.3%、パンチーム42.7%と、投票自体は拮抗している。+7.3%は、偏りというほどでも無い。
むしろ、かなり具合良く半々に分かれている。
また実は「偏っても勝敗はどうにかなる」ようになってる。ココ先に解説する。
つまり、ご飯派とパン派とで、「総ナワバリバトル数」は当然同じになるのだ。
これ、もしも勝率が逆だったら、ご飯148(58+45x2) vs パン152(42+55x2)となり「パン派が勝利していた」のだ!
ちょっと計算するとわかるが、勝率に倍数を掛けると、偏りを調整できる。
偏りが10%以内なら2倍、20%以内なら4倍、とか増やしていくと
例えば、ご飯派89% vs パン派11%という凄まじい偏り(40%ズレ)でも、
ご飯449(89+45x8) vs パン451(11+55x8)となり、パン派は勝利できる事になる。
この倍率方式は、事前の投票をバトルで取り返せるよう、なかなか良く出来ている。
あんなにクソミソ言われてるフェスをココマデ擁護ヨリに書いてきたのだが、問題点はコッカラだ。
単純化するために、今回は、ご飯派60% vs パン派40%だったとする。
雑に10万人が遊んだと仮定すると、ご飯派6万人 vs パン派4万人だ。
最大限スムーズにマッチが進んだとして、ご飯派2万人は、常に対戦待ちになる。
(パン派4万人(4人x1万チーム) vs ご飯派4万人(4人x1万チーム)で、2万人(4人x5000チーム)余る)
母数が10万人なので、2万人という20%(全体の5人に1人/ご飯派3人に1人)も待ちイカが生まれることになる。
だいたい3分死闘+結果発表諸々合わせて、およそ1試合5分といったところ。1時間12試合。
これが、パンチームフル回転でも、ご飯チームの3人に1人は、待っていることになる。
つまり、完全に均一に割り振ってもらえて15分に1試合。1時間4試合だ。
対戦待ちは300秒(5分)くらいなので、3回に2回はパンチームが揃わず流れることになる。
5分ボーっと待って、バトルに入れないっていうのは、結構キツイ。これが3回に2回は入れない。
これはネット上にクソミソ書かれてしまうのは気持ちとしては判らんでも無い。
今回、自分はご飯派でソコまでガチでは無いので、全部で12時間ぐらいしか遊んでいないが、
おおよそ、1時間4試合という試算は(12時間で48マッチ)、平均すると感覚的にもあっている思う。
それでも、2回ほどご飯4人vsパン1人の対戦が発生した。(塗りが反映されないラグが4回程度発生、うち2回はエラーで落ちた)
数が少ないので試算としては弱いが、4%程度、孤高のパン派マッチが組まれていたとすると、これは当然勝率に影響する。
どんなに待ち時間が発生しても、マッチ出来ずにロビーに戻されても、4vs4だけは死守すべきだったと思う。
勝率の「ご飯55% vs パン45%」が、本来は51%vs49%だったのがミスで拡大したのだとしたら、残念だ。
報酬の落差(勝利したご飯派は、パン派の倍の報酬(スーパーサザエ)がもらえた)は、ソコまで本質的じゃない。
元々お祭りイベントであるフェスなので、イベントが終わった後の報酬は、まあ余録みたいなモンだ。
(発売前の体験イベントである「体験試射会」でも問題になったが)サーバー側の問題を、ゲーム内で知る方法が無い。
かろうじて、ミーバース(WiiU内SNS)に投稿された絵がフェス会場に反映されることで、「あー、サバ落ちしてんのかな」と判るくらいだ。
開始早々1~2時間程度は、TwitterやSNSで情報を拾ってこれない人たち、かなりツライ状態にあったと思う。
情報の少なさは、ソコココに現れる。
例えば、自分は朝食にパンもご飯も食べるので迷うが、まあご飯かな、程度だった。
事前に、パン派の投票が少ないとか、ご飯派が圧倒的、みたいなのがアレば、陣営変更していたかも知れない。
フェス期間中は、ポイントが貰え、ふつう→まこと(10)→スーパー(25)→カリスマ(50)→えいえん(99)と称号が変わっていくのだが、
ポイントMAXまで行くとカンストしてしまって、モチベーションが下がる。(他の遊べてない参加者にも遠慮するし)
これが、臨時ニュースという形で、途中経過の勝率を教えてくれるだけでも、パン派ガチ勢は気合が違ったと思う。
勝ってるか負けてるか判らないというのは、お祭り的なフェスとは言え、ちょっとキビシイ気がする。
また同じく「現在の平均待ち時間」を教えてくれるだけでも、結構違ったと思う。
「ただいまご飯派10分待ち」とか「ただいまご飯派かなり待ちます(15分以上)」とか。
フェス期間中はレギュラー&ガチ凍結は仕方ないとしても、情報無しで1時間に4マッチだけってのはキツイ。
待ち時間切れになった場合は、それ同士の「ご飯派練習マッチ」みたいなのを組んでくれないかなーとは思う。
(やっぱ、イカ登りゲー(待ち時間中のミニゲーム)は飽きる。自分は漫画を読みながらノンビリ待ち&リトライしてた)
夜空に花火として浮かび上がる「UDON派」とか「ゴパン一択」みたいなのには笑ったし、
シオカラーズにだけズームが効くとか、普段バラバラなイカ達がそろってフェスTシャツ着てるとか、
ブレード・ランナーもかくやという夜景は、終わった後のハイカラシティが色褪せて見えるほど、凄かった。
10分に1回とか15分に1回しか遊べない(しかもリトライは人力)ネット対戦とか、ゲームとして成立してない。
それでも、12時間も熱中して遊べてしまったというのは、スプラトゥーンのフェスがやっぱり特別だったということだと思う。
スプラトゥーンは、「カモン」と「ナイス」しか仲間内に連絡する手段がない。
これは、罵倒を防ぐとても良い仕様だと思う。ワリとナイスって言われると嬉しいし。
たぶん色んな声がスプラトゥーン運営には届くと思うんだけど、是非初心者に優しい間口の広い状態のママ、次のフェスも開催して貰えたらなと思う。