はてなキーワード: 隣家とは
ふわっとした大部分の印象では → 生育環境やそれぞれの事情もあるだろうし、同じ背景、状況だったら俺も同様のことをしたかもしらん、更生して幸せになってくれよな、みたいなことを思ってる。
ただ、じゃあこれが元受刑者が隣家に越してきた、さらには仮に俺に小さい子供がいたとして(いないが)、新しい隣人は幼児を暴行したことのある元性犯罪者でした、みたいなことになると相当緊張する。正直いて欲しくない。
あと高橋洋一。何言ってても、時計泥棒が生意気だな、お前は全国の日時計を盗む旅にでも出とけ、とか思ってしまう。
俺は都合のいい二枚舌野郎なんだろうか。少しだけだが、この調整のつかない感じが割と本当に苦しい。
曰く一匹床を這っていたから天井を見上げてみたら、すごい数のシロアリが歩いていたとか。
弟の部屋から繋がってる物置にも湧いてる。
光とか白い壁や布団にとくに寄ってくるっぽい。
15年くらい前にもこんなふうに大量発生してた。キモいと思いながら、ガムテープ片手に這い回る茶色いシロアリを潰しまくった記憶がおぼろげにある。
そのあとは大量発生することはなかった、と思う。
弟の部屋と物置に湧いてたのは、さっき母親と弟と私で掃除機ガムテゴキジェット装備して、その時目視できる分は退治して(100匹はいた)少し落ち着いたけど、時間がたつとぽつぽつ湧く。
ちなみに掃除機の紙パックを取り出してみたら軒並み息絶えてたようだったので、当座はこれでしのごうと思う。
父親は「いるもんはしょうがない」と電気消して寝た。それでも昭和生まれか?
一階のリビングにも降りてきてるのかちらほらいる。
とりあえずバルサンを買ってきて弟の部屋で焚こうと思ったが、少し調べるとそのへんにいるシロアリは何とかできてもおそらく湧いて出てくる大本には届かなさそうで、根本的な解決にはならないようだ。
隣家とは距離のある一軒家なので夜中に掃除機をかけるのに躊躇しなくてもいいのだけは救いだ。
ニ匹くっついてうぞうぞ歩いているのが多いので、キモい上にイライラする。最悪。生殖をやめろ。
この家デカい蜘蛛は山ほど見かけるけど、蜘蛛はシロアリ食べないのか?
天井から顔面に落ちてくるかもと思うと、とても眠る気分にならない。
どうせ寝れないので、書きかけのBL二次エロ小説の続きを徹夜で書いて、視界に入ったやつは適宜掃除機で吸うことにする。
もしかしてキモいシロアリも、かわいい推しカプに変換すればくっついて歩いてるのでかわいいのか? と思って想像してみたが、推しカプがショタ時代にくっついて汽車ごっこをする姿はマジで天使だが、シロアリはビジュアルがあまりにもキモすぎて無理。天使とはかけ離れた容貌。地獄の生き物はシロアリの姿をしてるまである。
地獄の生き物に失礼かもしれん…と思って「地獄の生き物」で画像検索したらまあまあキモい虫が出できたのでやっぱり地獄の生き物のほうが近い。家の木材も食べるみたいだし。天井裏にはマジの地獄が広がってそう。最悪。
なんで日曜の夜にこんなことになるんだ。攻めに虫とか使ったプレイしそう…って言った呪いか?
寒気が止まらない。誰か助けて
(センター試験で話題になったけど、全文読めるところが見つからなかったので)
底本:原民喜戦後全小説 下(講談社文芸文庫)1995年8月10日第1刷発行
I
私が魯迅の「孤独者」を読んだのは、一九三六年の夏のことであったが、あのなかの葬いの場面が不思議に心を離れなかった。不思議だといえば、あの本——岩波文庫の魯迅選集——に掲載してある作者の肖像が、まだ強く心に蟠(わだかま)るのであった。何ともいい知れぬ暗黒を予想さす年ではあったが、どこからともなく惻々として心に迫るものがあった。その夏がほぼ終ろうとする頃、残暑の火照りが漸く降りはじめた雨でかき消されてゆく、とある夜明け、私は茫とした状態で蚊帳のなかで目が覚めた。茫と目が覚めている私は、その時とらえどころのない、しかし、かなり烈しい自責を感じた。泳ぐような身振りで蚊帳の裾をくぐると、足許に匐っている薄暗い空気を手探りながら、向側に吊してある蚊帳の方へ、何か絶望的な、愬(うった)えごとをもって、私はふらふらと近づいて行った。すると、向側の蚊帳の中には、誰だか、はっきりしない人物が深い沈黙に鎖されたまま横わっている。その誰だか、はっきりしない黒い影は、夢が覚めてから後、私の老いた母親のように思えたり、魯迅の姿のように想えたりするのだった。この夢をみた翌日、私の郷里からハハキトクの電報が来た。それから魯迅の死を新聞で知ったのは恰度亡母の四十九忌の頃であった。
その頃から私はひどく意気銷沈して、落日の巷を行くの概(おもむき)があったし、ふと己の胸中に「孤独者」の嘲笑を見出すこともあったが、激変してゆく周囲のどこかに、もっと切実な「孤独者」が潜んでいはすまいかと、窃(ひそ)かに考えるようになった。私に最初「孤独者」の話をしかけたのは、岩井繁雄であった。もしかすると、彼もやはり「孤独者」であったのかもしれない。
彼と最初に出逢ったのは、その前の年の秋で、ある文学研究会の席上はじめてSから紹介されたのである。その夜の研究会は、古びたビルの一室で、しめやかに行われたのだが、まことにそこの空気に応(ふさ)わしいような、それでいて、いかにも研究会などにはあきあきしているような、独特の顔つきの痩形長身の青年が、はじめから終りまで、何度も席を離れたり戻って来たりするのであった。それが主催者の長広幸人であるらしいことは、はじめから想像できたが、会が終るとSも岩井繁雄も、その男に対って何か二こと三こと挨拶して引上げて行くのであった。さて、長広幸人の重々しい印象にひきかえて、岩井繁雄はいかにも伸々した、明快卒直な青年であった。長い間、未決にいて漸く執行猶予で最近釈放された彼は、娑婆に出て来たことが、何よりもまず愉快でたまらないらしく、それに文学上の抱負も、これから展望されようとする青春とともに大きかった。
岩井繁雄と私とは年齢は十歳も隔たってはいたが、折からパラつく時雨をついて、自動車を駆り、遅くまでSと三人で巷を呑み歩いたものであった。彼はSと私の両方に、絶えず文学の話を話掛けた。極く初歩的な問題から再出発する気組で——文章が粗雑だと、ある女流作家から注意されたので——今は志賀直哉のものをノートし、まず文体の研究をしているのだと、そういうことまで卒直に打明けるのであった。その夜の岩井繁雄はとにかく愉快そうな存在だったが、帰りの自動車の中で彼は私の方へ身を屈めながら、魯迅の「孤独者」を読んでいるかと訊ねた。私がまだ読んでいないと答えると話はそれきりになったが、ふとその時「孤独者」という題名で私は何となくその夜はじめて見た長広幸人のことが頭に閃いたのだった。
それから夜更の客も既に杜絶えたおでん屋の片隅で、あまり酒の飲めない彼は、ただその場の空気に酔っぱらったような、何か溢れるような顔つきで、——やはり何が一番愉しかったといっても、高校時代ほど生き甲斐のあったことはない、と、ひどく感慨にふけりだした。
私が二度目の岩井繁雄と逢ったのは一九三七年の春で、その時私と私の妻は上京して暫く友人の家に滞在していたが、やはりSを通じて二三度彼と出逢ったのである。彼はその時、新聞記者になったばかりであった。が、相変らず溢れるばかりのものを顔面に湛えて、すくすくと伸び上って行こうとする姿勢で、社会部に入社したばかりの岩井繁雄はすっかりその職業が気に入っているらしかった。恰度その頃紙面を賑わした、結婚直前に轢死(れきし)を遂げた花婿の事件があったが、それについて、岩井繁雄は、「あの主人公は実はそのアルマンスだよ」と語り、「それに面白いのは花婿の写真がどうしても手に入らないのだ」と、今もまだその写真を追求しているような顔つきであった。そうして、話の途中で手帳を繰り予定を書込んだり、何か行動に急きたてられているようなところがあった。かと思うと、私の妻に「一たい今頃所帯を持つとしたら、どれ位費用がかかるものでしょうか」と質問し、愛人が出来たことを愉しげに告白するのであった。いや、そればかりではない、もしかすると、その愛人と同棲した暁には、染料の会社を設立し、重役になるかもしれないと、とりとめもない抱負も語るのであった。二三度逢ったばかりで、私の妻が岩井繁雄の頼もしい人柄に惹きつけられたことは云うまでもない。私の妻はしばしば彼のことを口にし、たとえば、混みあうバスの乗降りにしても、岩井繁雄なら器用に婦人を助けることができるなどというのであった。私もまた時折彼の噂は聞いた。が、私たちはその後岩井繁雄とは遂に逢うことがなかったのである。
日華事変が勃発すると、まず岩井繁雄は巣鴨駅の構内で、筆舌に絶する光景を目撃したという、そんな断片的な噂が私のところにも聞えてきて、それから間もなく彼は召集されたのである。既にその頃、愛人と同居していた岩井繁雄は補充兵として留守隊で訓練されていたが、やがて除隊になると再び愛人の許に戻って来た。ところが、翌年また召集がかかり、その儘前線へ派遣されたのであった。ある日、私がSの許に立寄ると、Sは新聞の第一面、つまり雑誌や新刊書の広告が一杯掲載してある面だけを集めて、それを岩井繁雄の処へ送るのだと云って、「家内に何度依頼しても送ってくれないそうだから僕が引うけたのだ」とSは説明した。その説明は何か、しかし、暗然たるものを含んでいた。岩井繁雄が巣鴨駅で目撃した言語に絶する光景とはどんなことなのか私には詳しくは判らなかったが、とにかく、ぞっとするようなものがいたるところに感じられる時節であった。ある日、私の妻は小学校の講堂で傷病兵慰問の会を見に行って来ると、頻りに面白そうに余興のことなど語っていたが、その晩、わあわあと泣きだした。昼間は笑いながら見たものが、夢のなかでは堪らなく悲しいのだという。ある朝も、——それは青葉と雨の鬱陶しい空気が家のうちまで重苦しく立籠っている頃であったが——まだ目の覚めきらない顔にぞっとしたものを浮べて、「岩井さんが還って来た夢をみた。痩せて今にも斃れそうな真青な姿でした」と語る。妻はなおその夢の行衛を追うが如く、脅えた目を見すえていたが、「もしかすると、岩井さんはほんとに死ぬるのではないかしら」と嘆息をついた。それは私の妻が発病する前のことで、病的に鋭敏になった神経の前触れでもあったが、しかしこの夢は正夢であった。それから二三ヵ月して、岩井繁雄の死を私はSからきいた。戦地にやられると間もなく、彼は肺を犯され、一兵卒にすぎない彼は野戦病院で殆ど碌に看護も受けないで死に晒されたのであった。
岩井繁雄の内縁の妻は彼が戦地へ行った頃から新しい愛人をつくっていたそうだが、やがて恩賜金を受取るとさっさと老母を見捨てて岩井のところを立去ったのである。その後、岩井繁雄の知人の間では遺稿集——書簡は非常に面白いそうだ——を出す計画もあった。彼の文章が粗雑だと指摘した女流作家に、岩井繁雄は最初結婚を申込んだことがある。——そういうことも後になって誰かからきかされた。
たった一度見たばかりの長広幸人の風貌が、何か私に重々しい印象を与えていたことは既に述べた。一九三五年の秋以後、遂に私は彼を見る機会がなかった。が、時に雑誌に掲載される短かいものを読んだこともあるし、彼に対するそれとない関心は持続されていた。岩井繁雄が最初の召集を受けると、長広幸人は倉皇と満洲へ赴いた。当時は満洲へ行って官吏になりさえすれば、召集免除になるということであった。それから間もなく、長広幸人は新京で文化方面の役人になっているということをきいた。あの沈鬱なポーズは役人の服を着ても身に着くだろうと私は想像していた。それから暫く彼の消息はきかなかったが、岩井繁雄が戦病死した頃、長広幸人は結婚をしたということであった。それからまた暫く彼の消息はきかなかったが、長広幸人は北支で転地療法をしているということであった。そして、一九四二年、長広幸人は死んだ。
既に内地にいた頃から長広幸人は呼吸器を犯されていたらしかったが、病気の身で結婚生活に飛込んだのだった。ところが、その相手は資産目あての結婚であったため、死後彼のものは洗い浚(ざら)い里方に持って行かれたという。一身上のことは努めて隠蔽する癖のある、長広幸人について、私はこれだけしか知らないのである。
II
私は一九四四年の秋に妻を喪ったが、ごく少数の知己へ送った死亡通知のほかに、満洲にいる魚芳へも端書を差出しておいた。妻を喪った私は悔み状が来るたびに、丁寧に読み返し仏壇のほとりに供えておいた。紋切型の悔み状であっても、それにはそれでまた喪にいるものの心を鎮めてくれるものがあった。本土空襲も漸く切迫しかかった頃のことで、出した死亡通知に何の返事も来ないものもあった。出した筈の通知にまだ返信が来ないという些細なことも、私にとっては時折気に掛るのであったが、妻の死を知って、ほんとうに悲しみを頒ってくれるだろうとおもえた川瀬成吉からもどうしたものか、何の返事もなかった。
私は妻の遺骨を郷里の墓地に納めると、再び棲みなれた千葉の借家に立帰り、そこで四十九日を迎えた。輸送船の船長をしていた妻の義兄が台湾沖で沈んだということをきいたのもその頃である。サイレンはもう頻々と鳴り唸っていた。そうした、暗い、望みのない明け暮れにも、私は凝と蹲ったまま、妻と一緒にすごした月日を回想することが多かった。その年も暮れようとする、底冷えの重苦しい、曇った朝、一通の封書が私のところに舞込んだ。差出人は新潟県××郡××村×川瀬丈吉となっている。一目見て、魚芳の父親らしいことが分ったが、何気なく封を切ると、内味まで父親の筆跡で、息子の死を通知して来たものであった。私が満洲にいるとばかり思っていた川瀬成吉は、私の妻より五ヵ月前に既にこの世を去っていたのである。
私がはじめて魚芳を見たのは十二年前のことで、私達が千葉の借家へ移った時のことである。私たちがそこへ越した、その日、彼は早速顔をのぞけ、それからは殆ど毎日註文を取りに立寄った。大概朝のうち註文を取ってまわり、夕方自転車で魚を配達するのであったが、どうかすると何かの都合で、日に二三度顔を現わすこともあった。そういう時も彼は気軽に一里あまりの路を自転車で何度も往復した。私の妻は毎日顔を逢わせているので、時々、彼のことを私に語るのであったが、まだ私は何の興味も関心も持たなかったし、殆ど碌に顔も知っていなかった。
私がほんとうに魚芳の小僧を見たのは、それから一年後のことと云っていい。ある日、私達は隣家の細君と一緒にブラブラと千葉海岸の方へ散歩していた。すると、向の青々とした草原の径をゴムの長靴をひきずり、自転車を脇に押しやりながら、ぶらぶらやって来る青年があった。私達の姿を認めると、いかにも懐しげに帽子をとって、挨拶をした。
「魚芳さんはこの辺までやって来るの」と隣家の細君は訊ねた。
「ハア」と彼はこの一寸した逢遭を、いかにも愉しげにニコニコしているのであった。やがて、彼の姿が遠ざかって行くと、隣家の細君は、
「ほんとに、あの人は顔だけ見たら、まるで良家のお坊ちゃんのようですね」と嘆じた。その頃から私はかすかに魚芳に興味を持つようになっていた。
その頃——と云っても隣家の細君が魚芳をほめた時から、もう一年は隔っていたが、——私の家に宿なし犬が居ついて、表の露次でいつも寝そべっていた。褐色の毛並をした、その懶惰な雌犬は魚芳のゴム靴の音をきくと、のそのそと立上って、鼻さきを持上げながら自転車の後について歩く。何となく魚芳はその犬に対しても愛嬌を示すような身振であった。彼がやって来ると、この露次は急に賑やかになり、細君や子供たちが一頻り陽気に騒ぐのであったが、ふと、その騒ぎも少し鎮まった頃、窓の方から向を見ると、魚芳は木箱の中から魚の頭を取出して犬に与えているのであった。そこへ、もう一人雑魚(ざこ)売りの爺さんが天秤棒を担いでやって来る。魚芳のおとなしい物腰に対して、この爺さんの方は威勢のいい商人であった。そうするとまた露次は賑やかになり、爺さんの忙しげな庖丁の音や、魚芳の滑らかな声が暫くつづくのであった。——こうした、のんびりした情景はほとんど毎日繰返されていたし、ずっと続いてゆくもののようにおもわれた。だが、日華事変の頃から少しずつ変って行くのであった。
私の家は露次の方から三尺幅の空地を廻ると、台所に行かれるようになっていたが、そして、台所の前にもやはり三尺幅の空地があったが、そこへ毎日、八百屋、魚芳をはじめ、いろんな御用聞がやって来る。台所の障子一重を隔てた六畳が私の書斎になっていたので、御用聞と妻との話すことは手にとるように聞える。私はぼんやりと彼等の会話に耳をかたむけることがあった。ある日も、それは南風が吹き荒んでものを考えるには明るすぎる、散漫な午後であったが、米屋の小僧と魚芳と妻との三人が台所で賑やかに談笑していた。そのうちに彼等の話題は教練のことに移って行った。二人とも青年訓練所へ通っているらしく、その台所前の狭い空地で、魚芳たちは「になえつつ」の姿勢を実演して興じ合っているのであった。二人とも来年入営する筈であったので、兵隊の姿勢を身につけようとして陽気に騒ぎ合っているのだ。その恰好がおかしいので私の妻は笑いこけていた。だが、何か笑いきれないものが、目に見えないところに残されているようでもあった。台所へ姿を現していた御用聞のうちでは、八百屋がまず召集され、つづいて雑貨屋の小僧が、これは海軍志願兵になって行ってしまった。それから、豆腐屋の若衆がある日、赤襷をして、台所に立寄り忙しげに別れを告げて行った。
目に見えない憂鬱の影はだんだん濃くなっていたようだ。が、魚芳は相変らず元気で小豆(こまめ)に立働いた。妻が私の着古しのシャツなどを与えると、大喜びで彼はそんなものも早速身に着けるのであった。朝は暗いうちから市場へ行き、夜は皆が寝静まる時まで板場で働く、そんな内幕も妻に語るようになった。料理の骨(こつ)が憶えたくて堪らないので、教えを乞うと、親方は庖丁を使いながら彼の方を見やり、「黙って見ていろ」と、ただ、そう呟くのだそうだ。鞠躬如(きっきゅうじょ)として勤勉に立働く魚芳は、もしかすると、そこの家の養子にされるのではあるまいか、と私の妻は臆測もした。ある時も魚芳は私の妻に、——あなたとそっくりの写真がありますよ。それが主人のかみさんの妹なのですが、と大発見をしたように告げるのであった。
冬になると、魚芳は鵯(ひよどり)を持って来て呉れた。彼の店の裏に畑があって、そこへ毎朝沢山小鳥が集まるので、釣針に蚯蚓(みみず)を附けたものを木の枝に吊しておくと、小鳥は簡単に獲れる。餌は前の晩しつらえておくと、霜の朝、小鳥は木の枝に動かなくなっている——この手柄話を妻はひどく面白がったし、私も好きな小鳥が食べられるので喜んだ。すると、魚芳は殆ど毎日小鳥を獲ってはせっせと私のところへ持って来る。夕方になると台所に彼の弾んだ声がきこえるのだった。——この頃が彼にとっては一番愉しかった時代かもしれない。その後戦地へ赴いた彼に妻が思い出を書いてやると、「帰って来たら又幾羽でも鵯鳥を獲って差上げます」と何かまだ弾む気持をつたえるような返事であった。
翌年春、魚芳は入営し、やがて満洲の方から便りを寄越すようになった。その年の秋から私の妻は発病し療養生活を送るようになったが、妻は枕頭で女中を指図して慰問の小包を作らせ魚芳に送ったりした。温かそうな毛の帽子を着た軍服姿の写真が満洲から送って来た。きっと魚芳はみんなに可愛がられているに違いない。炊事も出来るし、あの気性では誰からも重宝がられるだろう、と妻は時折噂をした。妻の病気は二年三年と長びいていたが、そのうちに、魚芳は北支から便りを寄越すようになった。もう程なく除隊になるから帰ったらよろしくお願いする、とあった。魚芳はまた帰って来て魚屋が出来ると思っているのかしら……と病妻は心細げに嘆息した。一しきり台所を賑わしていた御用聞きたちの和やかな声ももう聞かれなかったし、世の中はいよいよ兇悪な貌を露出している頃であった。千葉名産の蛤の缶詰を送ってやると、大喜びで、千葉へ帰って来る日をたのしみにしている礼状が来た。年の暮、新潟の方から梨の箱が届いた。差出人は川瀬成吉とあった。それから間もなく除隊になった挨拶状が届いた。魚芳が千葉へ訪れて来たのは、その翌年であった。
その頃女中を傭えなかったので、妻は寝たり起きたりの身体で台所をやっていたが、ある日、台所の裏口へ軍服姿の川瀬成吉がふらりと現れたのだった。彼はきちんと立ったまま、ニコニコしていた。久振りではあるし、私も頻りに上ってゆっくりして行けとすすめたのだが、彼はかしこまったまま、台所のところの閾から一歩も内へ這入ろうとしないのであった。「何になったの」と、軍隊のことはよく分らない私達が訊ねると、「兵長になりました」と嬉しげに応え、これからまだ魚芳へ行くのだからと、倉皇として立去ったのである。
そして、それきり彼は訪ねて来なかった。あれほど千葉へ帰る日をたのしみにしていた彼はそれから間もなく満洲の方へ行ってしまった。だが、私は彼が千葉を立去る前に街の歯医者でちらとその姿を見たのであった。恰度私がそこで順番を待っていると、後から入って来た軍服の青年が歯医者に挨拶をした。「ほう、立派になったね」と老人の医者は懐しげに肯いた。やがて、私が治療室の方へ行きそこの椅子に腰を下すと、間もなく、後からやって来たその青年も助手の方の椅子に腰を下した。「これは仮りにこうしておきますから、また郷里の方でゆっくりお治しなさい」その青年の手当はすぐ終ったらしく、助手は「川瀬成吉さんでしたね」と、机のところのカードに彼の名を記入する様子であった。それまで何となく重苦しい気分に沈んでいた私はその名をきいて、はっとしたが、その時にはもう彼は階段を降りてゆくところだった。
それから二三ヵ月して、新京の方から便りが来た。川瀬成吉は満洲の吏員に就職したらしかった。あれほど内地を恋しがっていた魚芳も、一度帰ってみて、すっかり失望してしまったのであろう。私の妻は日々に募ってゆく生活難を書いてやった。すると満洲から返事が来た。「大根一本が五十銭、内地の暮しは何のことやらわかりません。おそろしいことですね」——こんな一節があった。しかしこれが最後の消息であった。その後私の妻の病気は悪化し、もう手紙を認(したた)めることも出来なかったが、満洲の方からも音沙汰なかった。
その文面によれば、彼は死ぬる一週間前に郷里に辿りついているのである。「兼て彼の地に於て病を得、五月一日帰郷、五月八日、永眠仕候」と、その手紙は悲痛を押つぶすような調子ではあるが、それだけに、佗しいものの姿が、一そう大きく浮び上って来る。
あんな気性では皆から可愛がられるだろうと、よく妻は云っていたが、善良なだけに、彼は周囲から過重な仕事を押つけられ、悪い環境や機構の中を堪え忍んで行ったのではあるまいか。親方から庖丁の使い方は教えて貰えなくても、辛棒した魚芳、久振りに訪ねて来ても、台所の閾から奥へは遠慮して這入ろうともしない魚芳。郷里から軍服を着て千葉を訪れ、晴れがましく顧客の歯医者で手当してもらう青年。そして、遂に病躯をかかえ、とぼとぼと遠国から帰って来る男。……ぎりぎりのところまで堪えて、郷里に死にに還った男。私は何となしに、また魯迅の作品の暗い翳を思い浮べるのであった。
何事も報いられぬこの世に……神も仏もない、血も涙もない、緑地も蜃気楼も求められない沙漠のような……カサカサに乾干びたこの巨大な空間に、自分の空想が生んだ虚構の事実を、唯一無上の天国と信じて、生命がけで抱き締めて来た彼女の心境を、小生等は繰り返し繰り返し憐れみ語り合っております。
その大切な大切な彼女の天国……小児が掻き抱いている綺麗なオモチャのような、貴重この上もない彼女の創作の天国を、アトカタもなくブチ毀され、タタキ付けられたために、とうとう自殺してしまったであろうミジメな彼女の気持を、姉も、妻も、涙を流して悲しんでおります。
隣家の田宮特高課長氏も、小生等の話を聞きまして、そんな風に考えて行けばこの世に罪人はない……と言って笑っておりましたが、事実、その通りだと思います。
彼女は罪人ではないのです。一個のスバラシイ創作家に過ぎないのです。
単に小生と同一の性格を持った白鷹先生……貴下に非ざる貴下をウッカリ創作したために……しかも、それが真に迫った傑作であったために、彼女は直ぐにも自殺しなければならないほどの恐怖観念に脅やかされつつ、その脅迫観念から救われたいばっかりに、次から次へと虚構の世界を拡大し、複雑化して行って、その中に自然と彼女自身の破局を構成して行ったのです。
しかるに小生等は、小生等自身の面目のために、真剣に、寄ってたかって彼女を、そうした破局のドン底に追いつめて行きました。そうしてギューギューと追い詰めたまま幻滅の世界へタタキ出してしまいました。
ですから彼女は実に、何でもない事に苦しんで、何でもない事に死んで行ったのです。
ただそれだけです。
いや、やはり知らなくても良い、話は幾らでも通ずる
それは、一にも二にもなく、「嘘」だと思う
得体の知れない、正体の分からない、手ごたえのない、暖簾に腕押しのような、気怠げなその雰囲気が本質である
この系統で、日本で最も人口に膾炙しているのは、間違いなく椎名林檎であろう
百色眼鏡を想起する方もいるだろうか
「私に、恋のこころが無くてもいいのでしょうか?」
と私は少し笑っておたずねしたら、師匠さんはまじめに、
「女のかたは、それでいいんです。女のひとは、ぼんやりしていて、いいんですよ」
とおっしゃいます。
このネットでは、虚構を振りまいて歩く“少女”を多く見つけることができる
彼女らは嬉々として自らの理想とする“虚構”を、思うままに追及し、それを公然と披露する
彼女たちの身命を賭して構築された“世界”には、容易には抗えない魔術的な引力が籠められている
そして、何よりも美しいのは、丹精込めたであろうそうした瞬間的芸術品を、ある瞬間から事も無げもなく、あいけらかんと放棄して、住所(address)も綺麗さっぱり消して、住処(Twitter)も更地にして、まるで白昼夢か、あるいは妖精かのように錯覚させるかの如くにしてしまう所にある
次から次へと棲所を変え、顔を変え、声を変え、そして勿論、名を変えて、移り変わって
そうした変貌が、我々を以ってして正体を暴こうとさせ、知りたいと思わせ、追いかけたくさせる
私にとっては、それが久遠千歳という名の“少女(虚構)”だった
危うげで気怠げな、“少女”であった
毎年、今くらいの時期になると家の敷地を猫が通るようになる。
隣家との間の垣根をすり抜け、塀を乗り越え、なんてことないような顔をしてフラリとやってくるのだ。
ヤツが外に放し飼いにされてる猫なのか野良猫なのかは知らない。目があったりするとサッと走り去っていくので首輪の有無もよく分からない。
ただ庭を横切っていくだけならどうでもいいが、放っておくと庭木の周りや花壇をトイレにされるので迷惑している。先日も知らない間に来ていたのか、庭の片隅にフンが転がっていた。
飼っている犬のフンを片付けることは苦にならないが、知りもしない猫のフンなど誰が好き好んで片付けるのか。うちの犬に対しては責任があるが、自分は猫の飼い主でも召し使いでもないのだ。
ヤツが飼われている猫なら無責任な飼い主が腹立たしいし、野良猫ならヤツが野良になった切欠であろう人間が恨めしい。
うちをトイレ代わりにする猫には心底うんざりするが、気付いたときに適当に追い払うくらいしかやらないし、それ以上のことも出来ないだろう。
https://news.livedoor.com/article/detail/17039073/
ヴィーガンの女性が隣家の迷惑行為を訴えたら、ネタで3000人規模のバーベキュー大会が企画された。
隣家の裏庭でバーベキューをして、魚まで焼くためにひどい臭いで自分の庭を楽しめない。
夜中もパティオの明かりをつけっぱなし
どれも日本のネットで叩かれる非常識だが、オーストラリアにおいては、これらは当然の権利で、訴えた方が非常識なのだ。
ネット世論でもそうらしく、嫌がらせをしてやろうと何千人もが面白がっていた。
自分の家の庭で迷惑行為をする権利と、隣家からの迷惑を受けない権利なら前者が強い、よく言えばおおらかな社会だけど、日本人が行ったら発狂しそう。
エネマグラを買った。なぜならそれを肛門に入れて自慰行為をしたかったからである。
肛門に何か物を入れて自慰行為をする快感を覚えたのは中学の頃だったと記憶している。動機は忘れたが、私は勉強熱心であり好奇心旺盛であるので、その矛先が肛門に向かうのは必然であったと言えるかもしれない。
大変に気持ちよかった。やばいよこれは。私は学校では成績優秀で真面目で通っていたので、まさか夜な夜なアナニーをしているなどとはゆめゆめ誰も思うまい。
大人になり、それなりに異性と経験した。私は異性愛者であり、同性には全く感心がない。持ち前の強運によって23歳の初体験からは恋人が途切れることはなく、なんなら全くバレずに浮気さえ可能なほどのフォーチューンクッキーが舞い降り続けていたので、私はあの刺激的なアナニーのことをすっかり忘れていた。ごめんねマイアス。
そしていま、大人になりすぎた。一度ものすごいメンヘラちゃんと同棲してしまったことによって婚期を逃したし、結婚は向いていないことがわかった。もはやただのおっさんである。ちょっとハゲてきているし、メタボってきている。自宅におっさん臭が漂っているような気がしたのでお香を炊いている。
恋人はいるものの、なんやかんや理由をつけられて性交渉には至らない日々が続いた。当該恋人はものすごく年上である。交際するには年上がよろしいが、性交渉をするのは年下が望ましい。ロリコンなんですかこれは。犯罪に手を染めるつもりはないので、チャットアプリでJKと日常会話をすることで発散している。
フリーランスという名の自立したニート生活も悠々自適でありながらストレスが溜まる。上記のフラストレーションも加勢し、私は再びアナニーに手を染めた。ただいまマイアス。私の肛門はそこで待ってくれていた。健気な奴だ。
肛門に挿入するものはボールペン、油性マジック、ドライバーの手で持つ方、などである。快感への探求は留まるところを知らない。もっと太く、もっと長いものをと溺れていくのは必然。トングは気持ちよかったが、痛かった。そして私はエネマグラに手を出す。昨日のことである。アマゾンお急ぎ便だ。
私は勉強熱心であり好奇心旺盛であるので、振動付きのものにした。快感への探求は留まるところを知らない。振動したら気持ちいいんだろうなぁ。百聞は一見にしかず。これは人体実験だ。ユリイカ!
子供の頃の夢は冒険家であった。しかし、自我が芽生えると共に内気にインドアに根暗になっていった。父は「冒険家になるなら自分に厳しくしなさい」と言っていたが、まさか自らの肛門に探究心を燃やし、アマゾンお急ぎ便でエネマグラを2種類同時購入する息子に育っているとはゆめゆめ思うまい。
長い前置きであった。お急ぎ便が届いた。本日夕刻のことである。夕焼けはいつも通りに美しかったし、隣家からはいつも通り豚肉を炒める香りがした。
到着したエネマグラを前にわくわくと戦慄が同居した。ついに着ちゃったよ。俺はまっとうな人間であり続けることができるのだろうか。酒だ、酒を持ってこい。とりあえずウイスキーをあおった。正座した。
深呼吸をし、アナルもののAVをエックスビデオで鑑賞し、気持ちを落ち着かせる。開封する。崇高なるエネマグラの前ではウイスキーをいくらあおっても酔えない。それが自分へのプレゼントとは言え、プレゼントを開封しないのは自分とエネマグラに失礼なのでいい加減に開封する。「おーこれかー」とひとりごちる。
肛門に異物を挿入することは手練れだったので、迷うことなく挿入する。今日の昼間からずっと興奮状態であった。エネマグラは人類の英知とメーカー様の努力によってその形状が最適化されている。当然ながらボールペンより、ドライバーやトングよりもしっくりくる挿入感であった。
バイブを起動する。はじめのうちは「振動している、ちょっとやばい」くらいであった。だけど、どうしても声は出ちゃう。気持ちを落ち着かせるためにあんあん言いながらタバコを吸う。誤解なきように改めて申し上げると、私はちょっとハゲてきたおっさんです。あん♡
AVを見ても、射精したいという感じではなかったのが意外であった。出したいというよりも、溺れたいという感じ。わかるかな?
そう言えば、ドライオーガズムというのがあったぞ、とここで思い出す。あんあん言いながらグーグルで調べる。前立腺を刺激することにより、射精しなくても射精した以上の快感が得られるという黒魔術のようである。よし、やるか。あんっ♡
まずはリラックスするのが良いらしい。そして、挿入後数十分経ってから快感が押し寄せるらしい。私は布団に横になった。いつもは布団を押入れに仕舞うが、本日はお急ぎ便がいつ到着するかわからなかったので、布団を敷きっぱなしにしておいた。準備万端。
バイブは鳴り続けている。前立腺とやらが何なのかさっぱり検討がつかないが、バイブが明滅するかのように「ブルッ、ブルルッ、」と振動すると「いまきもちぃ」という瞬間がある。
けれど、イキそうにはない。まーたしかに気持ちいいけどさー。仰向けになってリラックス、バイブに集中する。その時なんかLINEが来たが、返信できないほどには気持ちよかった。
スマホでさらに調べると、亀頭を刺激するといいと書いてある。裏筋は射精を誘発してしまうので、表の亀頭を手で刺激するといいよぉ。先人は偉大だ。性の先駆者のおかげで今の私がある。
仰向けになって右手で亀頭を刺激する。右利きである。すると、なんかとても気持ちよくなってくる。肛門の中ではエレクトリックエネマグラがヴヴヴヴと言っている。息遣いが荒くなる。溺れていく。AVで気持ちよすぎて白目向いちゃってる女の人がたまに散見されるが、そんな感じ。視線を集中できない。射精はAVを直視して果てるが、これは違うぞ。
亀頭を刺激しているとイキたくなってきた。そんなに激しく刺激していたわけではない。ドライオーガズムは射精しないで快感を得ると書いてある。でも。
やばい。出そう。
いく、でるぅ。
果たして、何も出なかった。いつもと同じ射精した感覚はあったが、何も出ていない。え? 何これ。しかし、たしかにイッた感覚はある。なんやこれ???
とりあえずバイブを止めた。息が荒い。私はいつも抱きまくらを抱きしめて眠っているが、抱きまくらをきつく抱いたまま放心であった。通常の射精であれば賢者モードが訪れるし、射精したものが不快なのですぐに起き上がって処理するところが、本日の絶頂はそうではない。しばらく抱きまくらを抱きしめていた。このまま眠りたいとさえ思った。布団の上で、んー♡とひとりごち続けたおっさんがそこにいた。
これがドライオーガズムなのだろうか。ドライオーガズムは射精の何倍も気持ちいいと聞いていたが、何倍も気持ちいいかは不明だ。通常の射精の感覚であった。しかし、何も出ていない。そして賢者モードが来ない。これがメスイキなのかどうかもわからない。気持ちよかったのは確かだけれど。
射精した後のぐったりした感じは全くなかった。いつもは体力を消耗しきってもう何もやる気が起きないという感じだが、このドライオーガズムはそうではない。そして、射精していないにも関わらず満足している。今日はもう自慰行為はしないだろう。
不思議な感覚であった。もう一度同じようにドライオーガズムとやらを体験できるかどうかわからない。だけど、バイブ付きエネマグラは私のものだ。いま充電している。肛門がちょっとヒリヒリする。私は真面目でクールで通っているので、今、私の肛門がエネマグラなる異物によってヒリヒリしているとはゆめゆめ誰も思うまい。
まとめると、エネマグラはとてもよかったよぉ♡
自分は話をまとめるのが苦手で、話したい話題があると2時間~4時間ほど喋ってしまいます。
だから長く見積もっても30分ほどしかない精神科の診察では言いたいことも言えないし、聞きたいことも聞けない。
精神科を受診して発達障害のテストを受ける要因となった悩みの数々は、依然として解決していないです。
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悩みについて具体的に書くと、下記のような感じです。
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・物忘れが激しい
予定を忘れたり、ひきこもりだから生活範囲は自室だけなのに、物をよく無くします。
通院時に携帯すべきものを忘れがちです(保冷剤入りのバッグとか)。
部屋が荒れているので掃除しようとするけど、ゴミ捨てできる曜日や、仕分けの状況を把握できなくなり断念してしまいます。もはや断捨離でしか片付けられない感じ。
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・短い単語なら聞き取れるが、会話になると相手の言っていることを把握できなくなる。自分が話しているときも同様の症状に見舞われる。
スカイプを利用した通話なら、内容を録音して後日書き起こしすれば内容を把握できます。だけど、電話口や外ではそんなことはできません。
発達障害のテストの結果には「言われた内容の中から重要なところに注目することが難しく、結果として話の本筋がわからないことに繋がっている」と書いてあります。
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縦書きなら普通に読めます。現在も電子書籍で「コンビニ人間」を読んでいます。
高認試験を受ける予定があるので勉強中なんだけど、とても困っています。
精神科医からは「定規を使って視覚情報を制限しろ」と言われたんだけど、他に方法はないですか?
高認試験の本番で定規の持ち込みが可能なのか不安なので、別の方法があるのならそちらも試したいです。
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・聴覚過敏
物音がとても苦手です。以前住んでいた家では、一階のトイレの音や隣家の生活音が気になって辛かったです。
遮音効果を期待して、2階の床に畳を並べて床板を厚くしたこともあります。
現在は街宣車と、暴走族と、エーコープの訪問販売と、雷と、犬の遠吠と、ほぼ毎日発生している両親の口論が辛いです。
精神科で「ストラテラ」を処方されて一週間ほどになります。効果が出るまで4~6週間ほどかかると知り、頭を抱えています。
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悩みについて書き出すときりがないんですが、近々のうちになんとかしたい問題は以上です。
この日記を見たかたでアドバイスをできるかたがいましたら、ぜひとも書き込んでいただきたいです。よろしくおねがいします。
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【追記】
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>>https://anond.hatelabo.jp/20190926130547
>>でも横書きの文章が読めないのによく増田利用しようと思ったよな。縦書き表示に変換するChromeのアドオンとかあるの?
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「横書きが全く読めない」ということではなく、「横書きの長文が読めない」あるいは「横書き+記入欄の混在が読めない」と言った感じです。
例えばですが、スマホから閲覧する場合は「文字のサイズを大きくすることで、一行あたりの文字数を減らして」対処しています。
一方で、教科書や契約書の場合は一行あたりの文字数を調整できないので、苦戦することになります。
高認試験の申し込み用紙などは「文字が小さい+文字数が多い+記入欄が存在する」に加えて、「手引書が読みにくい」だったため、母親に代筆をお願いしました。
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アノニマスダイアリーに書き込んだのは、「以前にも書き込んだことがあったこと」「ASDの症状について、不特定多数に相談する場所として勧められたこと」が理由となります。
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本当に悩んでいたので、こうして返信(アドバイス)をいただけてほっとしています。
皆さんありがとう。
今後おなじ被害の遭われた方の為の
参考としてあくまで
◎私はSNSをしていません。
なので文章の上手な方、
漫画の描ける方等、
とにかく今も停電の続いてる方や
今後同じく被災された方向けに、
【被災時の状況】
私は県外出身で旦那の出身の千葉県で24歳・妊娠8ヶ月の状態で里帰り出産の為単身滞在。
この時の家族構成は義父義母(60代半ば以降)と認知症の義祖母(91歳、この方は義父母の避難や生活において1つの課題になるので後述)と
【9月9日の午前4:00から停電被災〜11日午前8:30頃まで停電】。
●全て30~35度気温の日。晴れ、晴れ、雨(復旧日)のち晴れ。
●一軒家、停電開始が午前4:00からだった為エアコンが切れている事に違和感はあるがカーテンを開けていつも通り動いた為、最初停電に気がつかず。
→判明後は
少し今後の為の避難準備を開始する。
→水が出たので明るい内に洗浄する事でそれ以降は使用)
●信号がついていないのに外を車が走っている
●トイレは2つで1階が自動水洗な為機能しない。使用禁止の紙を貼る。
テレビ、冷蔵庫、携帯電話の充電、風呂が全滅で、最初はスマホで情報を得た。
→【①カーテンや窓が手で開けられる
※開けた所で蒸し風呂です。
【②コンロがガスで火がつく】
という条件だけで
精神面がきっとかなり違う。
加熱した物を後3日間
家では食べていない。
(ガスや食べ物を車移動をして
外に求める事にした為)
●家電関連で助かった事、
1500Wの日中のみ使用出来るソーラー発電パネルが家に乗っていた。初日は実働した事がない為不使用で、2日目の日中から義母の提案により使用。
→スマホの充電と冷蔵庫と扇風機が日中だけでも生き返る事により「電気のなくなる夜」への精神的な備えと安定をかなり得る。
★11:00頃
近所のセブンイレブンにておにぎりとパンのラックのみが全て空、食べられそうなサンドイッチや卵等を見つけたと思ったら
「3時間無冷蔵な商品は売れない」との規約の為売ってもらえず、
まず直面したのは食料確保。
「営業している同系列店の立地とエリア(例:千葉駅付近は営業している)」の情報を得る
●精神的にはまだ余裕がある。
★私自身の祖母がたまたま安否確認の為に家の固定電話に電話かけてきた為、固定電話が繋がる事が確認。
→スマホの連絡よりまずは被災地の固定電話が通じるか否かをまず身内は確認してください!
→「お見舞い申し上げます!」等のLINEは不要、淡々と終日空いている公民館や電力会社のサイト情報や「今電気が通っている県内地域」の情報を送ってください。
物凄く助かった。
「15秒で見られる被災者に関わる情報(通電地域の進捗や避難場所等)」しか不要です)
→★ただし被災地の方が弱音を吐いたりしたLINEがきた時等には、当事者としてはものすごく心の支えになるのでぜひ返信してください。
(①スマホの充電が刻々となくなっていく絶望感は凄いので、ニュースだけを得る機械として使用した方がいい。
③復旧地域の人の「千葉県●●町復旧しました」Twitterのつぶやきだけでかなり救われた。
→停電3日目には台風が過去の話となりニュースが入れ替わりホテルで見たテレビでバラエティーばかりがやっていてそれらの情報がかなり減ってしまう)
④夜は初日から蘇我地域が復旧していたので、車を出してみて、ショッピングモールで外食。
この時点では「翌日10日復旧予定」と出ていたので朝ごはんの時をしのいで昼以降はまた考えればいいと思っていた。
→帰路にて左右の町内は見事復旧していた為希望を持ったが、
最寄り駅を超えた瞬間、
徒歩数百メートル区間違うだけで「自分達の家が恐らく確実に復旧していない現実」に段々直面していく道中となり
さすがに常にプラス思考の姿勢を見せる義父母達も心にダメージを負っていた。
→★本格的な精神と身体的苦痛を感じたのは帰宅した18:00以降の真っ暗になった家に帰った夜から。
→真っ暗な風呂に懐中電灯をドア外に吊るす、最低限のシャワーとシャンプー等だけ入浴。
→認知症の義祖母は、風呂ではなく濡れタオルで拭いて着替える事になったが目を離すと浴槽の蓋をあけて浴室に入ったりし「いつも通り」の動きをするので静止する。
→実はこの日の正午に「辛うじて手に入ったセブンイレブンの片手分しかない人数分はないパンを、お腹がすいたのか正午になると時間通り触り出す」等
★認知症の方のこういう「1日の本来ならするはずの生活のいつも通り」の行動に、要介護者と初共存生活をする事になった妊婦の私は少し精神を削られる感覚がした。
→恐らく慣れている介護している方にも同じ様に心労が積もる。
→トイレはLEDのスタンドライトを常時設置した状態で、事前に案内したので認知症の義祖母も夜間きちんとそこで用足しをするが流せはしない。他の人が入った際気づいたら流す。
(せめての義父母の負担減になるよう寝られない私がメインでしていた)
→固定電話で旦那に連絡、非被災時の旦那には正確状況わからず、非被災地の友人達や親類のふとした一言や数秒で電話を切られる対応に傷つく。
泣きつつ現状の本音を1時間程話す。「頑張れ」と言われ精神的に持ち直す。
【2日目】
→前日夜間は自室にうちわと懐中電灯持ち込みはしたが到底寝られず、
肌に触れるベッドや布のシーツが全て気持ち悪く感じ、眠いのに横になっていられない。
基本的にうちわで仰ぎ、窓の外の景色を見て1:00~3:00位の時間位に気絶したのか寝られた。
→旦那が置いていった自家用車に充電ソケットを忘れたとLINEが来た。少し救われる。
→
暑さに耐えきれず、思いつき
4:45~5:00まで、
夫の置いていった自家用車の
充電もしてみる。
低速充電モードだったが、
最悪少しは出来るのかと確認。
→スマホのバッテリーは40%台になっている。今日で電池切れになる事を覚悟をする。
→朝5:00頃諦めて起床(ほぼ完徹)、
私は軽度の熱中症により
フローリングの上で辛うじてまだ冷えていた保冷剤をタオルで巻き、2時間ほど寝ていた。
「日中の晴れた時にしか使えないが、リアルタイムで発電する為ものすごく便利」なシステムだった。
※Twitterにて、
→
1500W以内の家電の組み合わせ
冷蔵庫は40W、
使わない、
使わない)で
【スマホ、冷蔵庫、扇風機】の組み合わせで朝10:00程まで過ごす。
→★特に扇風機を出してきて使える点とスマホの充電が満了できる点。
→旦那の車が
テレビ・ラジオ・クーラーの役割を果たす事をこの日の朝確認した為、ガソリンを満タンに入れに行く事は早朝に決めて義父母に伝達。義父にも全ての車の操作を教え、この車をメインで使う事を共有。
★ついでに市街を周回、
★そこの町内のコメダでは待合時に備考欄に「電源」という文字が客側の欄に書かれていて、
→被害を免れた各店が
「我が家は水の汲み上げが電気システムなので、水も止まっている」との事。同じ境遇の人たちと話す事で気は紛れた。
店内は皆その住宅の住人らしい。
(近くの公的施設が9:00-21:00までは解放されていると町内会長が自転車で連絡周りをしていたが、
義祖母の環境が違うことによるストレスになるとの事でそこには行かず行けず、
飲ませないといけない為、
この時点で4人中2人が2泊エアコン無し家での2夜目確定で危険)
→
★ホテルの空室確認をタウン誌で1番最初から義父母がしらみつぶしに電話をかけて行くが見事に全て埋まっている。
全て埋まり、
空いてない状況。
→部屋の価格
¥20,000(空室紹介時)
→¥17,000(停電避難をしたい旨を伝え可能ならもっと安価はないかと問い合せて結局この部屋)
お世話になりました。
→夜にホテル室内で
12万戸まで減らす」と
電話あり、
どうかその12万戸には入りたくないと
ただその件は義父には伝える。
■この時、53万戸停電
【3日目】
「昨夜言っていた
悪天雷雨のため立たず」の
まあ、だよね.......」と
義母が言っていたが、
この朝65歳の女性が同じく亡くなるニュースをみて「同い年だよ!」と戦慄する。
→
★徐々に刻一刻と
「自分の身近に自分達と似た状況の死亡者が増え出す」環境になる事を自覚する恐怖が増える。
どこがどれだけ復旧したのかを教えてくれ!」と私と義母。
①9日初日は
「翌日の10日には復旧予定、
入っていなかった為
明日には復旧すると思っていた)」、
②終日復旧せず、
2日目の10日夜には
「翌日の11日には
減らす事を目指す
「目指す」なので
期待は当然してない半々の気持ち
③11日の3日目朝は
「本日中の復旧の見通しは
立たない(断言)」と.......
→
★延期発表が「明日中(以降)復旧」を
繰り返しすぎて少し振り回される。
初日から2日目ですでに復旧予定が覆っている為、非情な内容でも
正確な情報が欲しい。
→
が重なると
はなから今どこをやっていて、
どこが復旧したのかだけ情報が欲しい。
→チェックアウト後の、
過ごし方までも当然覚悟した。
→8:30頃
「もう一泊部屋を確保出来るならするか(テレビがある、電源がある状況を確保する事はとても心強く感じたが、
義父が3日連続して義祖母と家滞在になる為、義母は帰って公民館とかを
利用しないといけないか)」と
義父より「電気復旧きました」と
電話連絡があった為。
少なくとも我が家の
停電状況はここで終わる。
【今回の教訓〜停電編〜】
●認知症の方や妊婦や幼児等がいたり、高齢者のみだったりすると途端に避難場所の選択肢や「我慢できる事」の範囲が狭くなる。
でも例えば20代妊婦の私だけだった場合はネカフェやカラオケ等やラブホまで視野に入れて宿泊可能施設として使えるが、
今回は私以外が全て
65歳以上の高齢者だった。
そうすると本当にそこらへんの
電話をかけ続ける事になり厳しい、等。
少なくとも水ガスが普段通りの
停電になった際においては、
不足していない】。
→長期に渡ると必要かもしれない。
→ただただ充電が出来ない事と
明かりがつかない事と
暑さ寒さがしんどいので、
ただひたすら
日中は車のある人は
とにかく店が空いている時間は
【外に出た】方がいい。
→★家の中にあった方がいいものや
防災グッズを揃えるというよりか、
「もはや蒸し風呂に
なっている家が不愉快と
夜だけはどうにもならないので
だが本当に体感が厳しいのは
店が空いていない夜21:00以降
どこから誰から情報が入ってくるかはわからない為本当に情報と人の伝達頼り。
かなり精神的な安定を得られた。
早く見つかり、
また楽だったと思う。
多少のお金を出してでも、
空調設備の下に
逃げ込んで欲しい。
ガス火はガスにするか
卓上ガスコンロ常備。
(追記)
反応ありがとうございました。
もう被害の日数とレベルが私が経験した物をはるかに超え援軍物資が必要な被害レベルになっている為停電対策にはならないあくまで実録として残し、復旧進捗をTwitterにてRT協力していきます。
どの道具を備えるか、どういう行動を取るかは個々人のその時の判断で正解はないと思います。
今後参考になる箇所のみ使用して頂ければ幸いです。
時間 | 記事数 | 文字数 | 文字数平均 | 文字数中央値 |
---|---|---|---|---|
00 | 138 | 15518 | 112.4 | 33.5 |
01 | 157 | 13100 | 83.4 | 39 |
02 | 54 | 5986 | 110.9 | 42 |
03 | 21 | 2028 | 96.6 | 51 |
04 | 21 | 2552 | 121.5 | 55 |
05 | 7 | 362 | 51.7 | 40 |
06 | 25 | 3462 | 138.5 | 84 |
07 | 33 | 4644 | 140.7 | 42 |
08 | 72 | 6520 | 90.6 | 40.5 |
09 | 86 | 10008 | 116.4 | 33 |
10 | 197 | 19841 | 100.7 | 44 |
11 | 184 | 17750 | 96.5 | 41 |
12 | 177 | 13644 | 77.1 | 40 |
13 | 150 | 18228 | 121.5 | 37.5 |
14 | 144 | 13110 | 91.0 | 38.5 |
15 | 252 | 17212 | 68.3 | 45 |
16 | 334 | 23995 | 71.8 | 34 |
17 | 242 | 15223 | 62.9 | 31.5 |
18 | 138 | 11371 | 82.4 | 34.5 |
19 | 126 | 13731 | 109.0 | 31 |
20 | 112 | 8131 | 72.6 | 35.5 |
21 | 137 | 17933 | 130.9 | 43 |
22 | 166 | 15902 | 95.8 | 40 |
23 | 141 | 12173 | 86.3 | 39 |
1日 | 3114 | 282424 | 90.7 | 38 |
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6504745(3868)
家のガラクタ置き場みたいな場所に生まれたばかりっぽい小さい猫二匹と親猫がいるようなんだけど
あれは別に世話をしなくても立派に育って出ていってくれるんだろうか
親猫はそこからどこにも行かずにずっと子猫と一緒にいるみたいなんだ
一応、日陰になってる場所だけど、暑い季節だし水なり餌なり何か与えたほうがいいのかな
でも猫に何か与えてるところを隣家の人に見られたら嫌な顔されそうだ
時間 | 記事数 | 文字数 | 文字数平均 | 文字数中央値 |
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00 | 97 | 14030 | 144.6 | 42 |
01 | 55 | 3746 | 68.1 | 41 |
02 | 23 | 5929 | 257.8 | 66 |
03 | 10 | 1540 | 154.0 | 41 |
04 | 8 | 491 | 61.4 | 41.5 |
05 | 6 | 566 | 94.3 | 34 |
06 | 49 | 6908 | 141.0 | 33 |
07 | 47 | 4629 | 98.5 | 45 |
08 | 43 | 4101 | 95.4 | 43 |
09 | 84 | 7610 | 90.6 | 26.5 |
10 | 100 | 11189 | 111.9 | 29.5 |
11 | 120 | 12788 | 106.6 | 32.5 |
12 | 118 | 11461 | 97.1 | 38.5 |
13 | 138 | 10202 | 73.9 | 34.5 |
14 | 135 | 11760 | 87.1 | 39 |
15 | 187 | 16742 | 89.5 | 29 |
16 | 129 | 14302 | 110.9 | 34 |
17 | 135 | 17318 | 128.3 | 41 |
18 | 185 | 17503 | 94.6 | 34 |
19 | 114 | 12426 | 109.0 | 31 |
20 | 105 | 10039 | 95.6 | 38 |
21 | 66 | 8283 | 125.5 | 35 |
22 | 99 | 16385 | 165.5 | 37 |
23 | 134 | 28432 | 212.2 | 41.5 |
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私が生まれる以前の話だ。
居酒屋、ラーメン屋などを数軒経営していた料理人の父が起こした失火によって、隣家の定食屋が燃えてしまい隣家のご家族に多大なる迷惑をかけたことがあった。
家と店が半焼しただけでなく、ご子息が大やけどを負ってしまい彼の人生に大きすぎる影を落としてしまった事で父は母が死ぬのではないかと思うほど憔悴していたらしい。それというのも、いつものように新製品開発の仕込みで寸胴に火をかけたまま外出をした結果おこった油断が招いた不幸な事故で、言い訳などしようもなく、父としては出来る限りの事をしたいと申し出たそうだ。父の言葉としては、こうなる結果はわかっていたはずなのに大丈夫だろうと油断をした。過失というにはあまりに重い、放火の様なものだというものであり、その気持ちは当然であると思う。火を放ったのだ。
昔の事でおおらかな時代だったこともあり、隣家のご主人は火災保険にも入っておらず傷害保険などにも入ってなかったそうで、父の希望は家の再建から、事業再建、ご子息の人生の節目節目など、折に触れて責任をもって補償をさせて欲しいという事だった。しかしながら、隣家のご主人には個人的な借金もあったらしく、一度にまとまった金額をと希望なさったそうだ。そこで弁護士を介して交渉し、法的拘束力をもつ証書を残す形で「実家と事業の再建、家財の損害賠償、負傷した子息への教育補助など込み」で、一軒の店の経営権と店舗家屋及び、半焼した家屋の建築費、当時の平均的な会社員の障害年収の半額を支払う事にしたそうだ。父が生涯かけて蓄えた資金の4割を手放したということだった。これで法的には、完全かつ最終的に決着したはずであった。
多額の資金と軌道に乗っていた店舗の経営権を得たことで、隣家のご主人は大きな成功をおさめ、一時は父が経営する会社に迫るほどの成長を見せたことを父は我がことのように喜んでいたし、これで自らが犯した罪の幾らかも償えたものと喜んでいた。
その後、両家が代替わりし私が経営する様になってから、少し話がおかしくなってきた。隣家のご子息は、あまり経営者としては適性がなかったようで、一時は上手くいっていた経営が傾き再び借金を抱える様になってしまった。そこでご子息は古い証文を私に持ち出してきたというわけだ。曰く「これには私に対する補助は明文化されているが、御父上の私に対する賠償は含まれていない。私には賠償を請求する権利がある」という。
しかし、私としてはかつて両家で、この話はこれで完全かつ最終的に終わりだよ、と法的に終わらせた話であり、まったく納得できる話ではない。
あまりにも強く不平をいうので、「であれば法廷で決着を」と返答期日を提案しても一向に乗ってくる事はなく、それどころか父がおかした罪について紙に書いて周辺に貼って回る状態でとても困っている。ご子息の要求は、会社が経営する一部店舗の経営権の譲渡と当時父が支払った金額に倍すると想定される賠償金の支払いで、応じることが可能な領域を大きく超えているため弁護士の先生に相談したところ
と。ひとたび交わした公的な約束を破る相手と、新たな約束を交わす意味を考えると暗澹とした思いである。隠居した父は、息子の人生を補償する道義的責任は私が持つと何度か言ったのにと言う呆れも、信頼を裏切られた怒りも手伝いなんとも言えない顔で目を白黒させているが、私は純然と頭にくるだけである。
京アニの犯人は近所でもトラブル起こしてたらしいけど統合失調症の家族もそんな感じだったなと思い出してる。
隣家の住人が自分の悪口を言っていると相談されて、それは家の中にいても聞こえるとかでそんなアホなと思ったのだが本人は真面目に悩んでいた。そんで隣家の人に会うとめちゃくちゃに罵倒していた。
そんな彼女もちゃんと病院に通って投薬治療しっかりやってたら症状がだいぶ軽くなった。隣家の人にもこれまでの非礼を謝ったらしい。
つまり適切な治療で統合失調症はかなりいいところまで治ると思うんだけど、やっぱり京アニの犯人には通院に付き添ってくれたり、話(妄想)を優しく聞いてくれたりするような長期的に支援してくれる人が周りに誰もいなかったのかね。ヘルパーさんにそこまでしてもらうのは求めすぎなのかな。