はてなキーワード: 隣家とは
俺の会社の元同僚がそれだった。
なんか疲れてるようだったのでコーヒー渡して「どうしたんですか」って聞いたら「隣の家が野良猫に餌やるなってうるさくて昨晩は23時ぐらいまで話し合いしてた」と言った。
俺は「それは隣の人が正しいですね」と出かかった言葉を必死で飲み込み「その隣の人は糞尿被害に悩まされてるかもしれないですね」と言った。
「そうなんだけど、猫が寄ってくるから餌あげないわけにもいかないし…」と困った様子。
まぁ本当に困ってるのは隣家なんだろうなと思いつつ「例えば実際本当に1週間ぐらい猫が集まる時間帯は外に出てみてはいかがですか?」と言ったら琴線に触れたようで「もしかして猫がかわいそうとか思わないの?」と怒りを含ませて投げかけられる。
「そんな怒らないんでほしいんですけど、隣の人も夜11時までかかってもいいぐらいやめてほしがってるんですよ。」と言うと「はいはい。わかったわかった。」と話を切り上げられ、それ以降動物の話題になると「増田君はそんな心持ってないから」とネチネチいわれるようになった。(まぁ犬を飼ってるんですけどね。)
まぁ結局その人は引っ越しをすることになり別の支店に移されてその後はどうなったかわからないけど、忘年会とか支店も含め集まる場で見かけないからやめちゃったかも。
実家に住んでるけど
実家の隣は物心ついたときからオッサンが一軒家で一人暮らししてる
目がギョロっとしててちょっと怖かった思い出
職業はよく分からないけど個人タクシーが一時期留まってたからタクシーの運転手を長くやってたのかなと思う
夏はカーテンもない部屋でタンクトップ一枚でお酒飲んでテレビ見てゴロゴロしてるのが見える
二階のブラインドのついた部屋に暖色の照明が灯って大音量のクラシックが隣家のうちまで聴こえてくる
正直子供の頃はギョロっとした目で笑いもしない一人暮らしのオッサンの家からクラシック音楽が大音量で聞こえてくるのが不気味だった
そのオッサンの家に子供の頃に遊びに行ってそれが私と音楽との出会い〜
そんなストーリーはない
たまに交響曲
大晦日は第九
去年は私も負けじと第九をかけてみたりした
暖かくなってきたし
それは九月初旬のある蒸し暑い晩のことであった。私は、D坂の大通りの中程にある、白梅軒はくばいけんという、行きつけのカフェで、冷しコーヒーを啜すすっていた。当時私は、学校を出たばかりで、まだこれという職業もなく、下宿屋にゴロゴロして本でも読んでいるか、それに飽ると、当てどもなく散歩に出て、あまり費用のかからぬカフェ廻りをやる位が、毎日の日課だった。この白梅軒というのは、下宿屋から近くもあり、どこへ散歩するにも、必ずその前を通る様な位置にあったので、随したがって一番よく出入した訳であったが、私という男は悪い癖で、カフェに入るとどうも長尻ながっちりになる。それも、元来食慾の少い方なので、一つは嚢中のうちゅうの乏しいせいもあってだが、洋食一皿注文するでなく、安いコーヒーを二杯も三杯もお代りして、一時間も二時間もじっとしているのだ。そうかといって、別段、ウエトレスに思召おぼしめしがあったり、からかったりする訳ではない。まあ、下宿より何となく派手で、居心地がいいのだろう。私はその晩も、例によって、一杯の冷しコーヒーを十分もかかって飲みながら、いつもの往来に面したテーブルに陣取って、ボンヤリ窓の外を眺めていた。
さて、この白梅軒のあるD坂というのは、以前菊人形きくにんぎょうの名所だった所で、狭かった通りが、市区改正で取拡げられ、何間なんげん道路とかいう大通になって間もなくだから、まだ大通の両側に所々空地などもあって、今よりずっと淋しかった時分の話だ。大通を越して白梅軒の丁度真向うに、一軒の古本屋がある。実は私は、先程から、そこの店先を眺めていたのだ。みすぼらしい場末ばすえの古本屋で、別段眺める程の景色でもないのだが、私には一寸ちょっと特別の興味があった。というのは、私が近頃この白梅軒で知合になった一人の妙な男があって、名前は明智小五郎あけちこごろうというのだが、話をして見ると如何いかにも変り者で、それで頭がよさ相で、私の惚れ込んだことには、探偵小説好なのだが、その男の幼馴染の女が今ではこの古本屋の女房になっているという事を、この前、彼から聞いていたからだった。二三度本を買って覚えている所によれば、この古本屋の細君というのが、却々なかなかの美人で、どこがどういうではないが、何となく官能的に男を引きつける様な所があるのだ。彼女は夜はいつでも店番をしているのだから、今晩もいるに違いないと、店中を、といっても二間半間口の手狭てぜまな店だけれど、探して見たが、誰れもいない。いずれそのうちに出て来るのだろうと、私はじっと目で待っていたものだ。
だが、女房は却々出て来ない。で、いい加減面倒臭くなって、隣の時計屋へ目を移そうとしている時であった。私はふと店と奥の間との境に閉めてある障子の格子戸がピッシャリ閉るのを見つけた。――その障子は、専門家の方では無窓むそうと称するもので、普通、紙をはるべき中央の部分が、こまかい縦の二重の格子になっていて、それが開閉出来るのだ――ハテ変なこともあるものだ。古本屋などというものは、万引され易い商売だから、仮令たとい店に番をしていなくても、奥に人がいて、障子のすきまなどから、じっと見張っているものなのに、そのすき見の箇所を塞ふさいで了しまうとはおかしい、寒い時分なら兎とも角かく、九月になったばかりのこんな蒸し暑い晩だのに、第一あの障子が閉切ってあるのから変だ。そんな風に色々考えて見ると、古本屋の奥の間に何事かあり相で、私は目を移す気にはなれなかった。
古本屋の細君といえば、ある時、このカフェのウエトレス達が、妙な噂をしているのを聞いたことがある。何でも、銭湯で出逢うお神かみさんや娘達の棚卸たなおろしの続きらしかったが、「古本屋のお神さんは、あんな綺麗きれいな人だけれど、裸体はだかになると、身体中傷だらけだ、叩かれたり抓つねられたりした痕あとに違いないわ。別に夫婦仲が悪くもない様だのに、おかしいわねえ」すると別の女がそれを受けて喋るのだ。「あの並びの蕎麦屋そばやの旭屋あさひやのお神さんだって、よく傷をしているわ。あれもどうも叩かれた傷に違いないわ」……で、この、噂話が何を意味するか、私は深くも気に止めないで、ただ亭主が邪険なのだろう位に考えたことだが、読者諸君、それが却々そうではなかったのだ。一寸した事柄だが、この物語全体に大きな関係を持っていることが、後になって分った。
それは兎も角、そうして、私は三十分程も同じ所を見詰めていた。虫が知らすとでも云うのか、何だかこう、傍見わきみをしているすきに何事か起り相で、どうも外へ目を向けられなかったのだ。其時、先程一寸名前の出た明智小五郎が、いつもの荒い棒縞ぼうじまの浴衣ゆかたを着て、変に肩を振る歩き方で、窓の外を通りかかった。彼は私に気づくと会釈えしゃくして中へ入って来たが、冷しコーヒーを命じて置いて、私と同じ様に窓の方を向いて、私の隣に腰をかけた。そして、私が一つの所を見詰めているのに気づくと、彼はその私の視線をたどって、同じく向うの古本屋を眺めた。しかも、不思議なことには、彼も亦また如何にも興味ありげに、少しも目をそらさないで、その方を凝視し出したのである。
私達は、そうして、申合せた様に同じ場所を眺めながら、色々の無駄話を取交した。その時私達の間にどんな話題が話されたか、今ではもう忘れてもいるし、それに、この物語には余り関係のないことだから、略するけれど、それが、犯罪や探偵に関したものであったことは確かだ。試みに見本を一つ取出して見ると、
「絶対に発見されない犯罪というのは不可能でしょうか。僕は随分可能性があると思うのですがね。例えば、谷崎潤一郎の『途上』ですね。ああした犯罪は先ず発見されることはありませんよ。尤もっとも、あの小説では、探偵が発見したことになってますけれど、あれは作者のすばらしい想像力が作り出したことですからね」と明智。
「イヤ、僕はそうは思いませんよ。実際問題としてなら兎も角、理論的に云いって、探偵の出来ない犯罪なんてありませんよ。唯、現在の警察に『途上』に出て来る様な偉い探偵がいない丈ですよ」と私。
ざっとこう云った風なのだ。だが、ある瞬間、二人は云い合せた様に、黙り込んで了った。さっきから話しながらも目をそらさないでいた向うの古本屋に、ある面白い事件が発生していたのだ。
「君も気づいている様ですね」
と私が囁くと、彼は即座に答えた。
「本泥坊でしょう。どうも変ですね。僕も此処ここへ入って来た時から、見ていたんですよ。これで四人目ですね」
「君が来てからまだ三十分にもなりませんが、三十分に四人も、少しおかしいですね。僕は君の来る前からあすこを見ていたんですよ。一時間程前にね、あの障子があるでしょう。あれの格子の様になった所が、閉るのを見たんですが、それからずっと注意していたのです」
「家の人が出て行ったのじゃないのですか」
「それが、あの障子は一度も開かなかったのですよ。出て行ったとすれば裏口からでしょうが、……三十分も人がいないなんて確かに変ですよ。どうです。行って見ようじゃありませんか」
「そうですね。家の中に別状ないとしても、外で何かあったのかも知れませんからね」
私はこれが犯罪事件ででもあって呉れれば面白いと思いながらカフェを出た。明智とても同じ思いに違いなかった。彼も少からず興奮しているのだ。
古本屋はよくある型で、店全体土間になっていて、正面と左右に天井まで届く様な本棚を取付け、その腰の所が本を並べる為の台になっている。土間の中央には、島の様に、これも本を並べたり積上げたりする為の、長方形の台が置いてある。そして、正面の本棚の右の方が三尺許ばかりあいていて奥の部屋との通路になり、先に云った一枚の障子が立ててある。いつもは、この障子の前の半畳程の畳敷の所に、主人か、細君がチョコンと坐って番をしているのだ。
明智と私とは、その畳敷の所まで行って、大声に呼んで見たけれど、何の返事もない。果して誰もいないらしい。私は障子を少し開けて、奥の間を覗いて見ると、中は電燈が消えて真暗だが、どうやら、人間らしいものが、部屋の隅に倒れている様子だ。不審に思ってもう一度声をかけたが、返事をしない。
「構わない、上って見ようじゃありませんか」
そこで、二人はドカドカ奥の間へ上り込んで行った。明智の手で電燈のスイッチがひねられた。そのとたん、私達は同時に「アッ」と声を立てた。明るくなった部屋の片隅には、女の死骸が横わっているのだ。
「ここの細君ですね」やっと私が云った。「首を絞められている様ではありませんか」
明智は側へ寄って死体を検しらべていたが、「とても蘇生そせいの見込はありませんよ。早く警察へ知らせなきゃ。僕、自動電話まで行って来ましょう。君、番をしてて下さい。近所へはまだ知らせない方がいいでしょう。手掛りを消して了ってはいけないから」
彼はこう命令的に云い残して、半町許りの所にある自動電話へ飛んで行った。
平常ふだんから、犯罪だ探偵だと、議論丈は却々なかなか一人前にやってのける私だが、さて実際に打ぶっつかったのは初めてだ。手のつけ様がない。私は、ただ、まじまじと部屋の様子を眺めている外はなかった。
部屋は一間切りの六畳で、奥の方は、右一間は幅の狭い縁側をへだてて、二坪許りの庭と便所があり、庭の向うは板塀になっている。――夏のことで、開けぱなしだから、すっかり、見通しなのだ、――左半間は開き戸で、その奥に二畳敷程の板の間があり裏口に接して狭い流し場が見え、そこの腰高障子は閉っている。向って右側は、四枚の襖が閉っていて、中は二階への階段と物入場になっているらしい。ごくありふれた安長屋の間取だ。
死骸は、左側の壁寄りに、店の間の方を頭にして倒れている。私は、なるべく兇行当時の模様を乱すまいとして、一つは気味も悪かったので、死骸の側へ近寄らない様にしていた。でも、狭い部屋のことであり、見まいとしても、自然その方に目が行くのだ。女は荒い中形模様の湯衣ゆかたを着て、殆ど仰向きに倒れている。併し、着物が膝の上の方までまくれて、股ももがむき出しになっている位で、別に抵抗した様子はない。首の所は、よくは分らぬが、どうやら、絞しめられた痕きずが紫色になっているらしい。
表の大通りには往来が絶えない。声高に話し合って、カラカラと日和下駄ひよりげたを引きずって行くのや、酒に酔って流行唄はやりうたをどなって行くのや、至極天下泰平なことだ。そして、障子一重の家の中には、一人の女が惨殺されて横わっている。何という皮肉だ。私は妙にセンティメンタルになって、呆然と佇たたずんでいた。
「すぐ来る相ですよ」
明智が息を切って帰って来た。
「あ、そう」
私は何だか口を利くのも大儀たいぎになっていた。二人は長い間、一言も云わないで顔を見合せていた。
間もなく、一人の正服せいふくの警官が背広の男と連立ってやって来た。正服の方は、後で知ったのだが、K警察署の司法主任で、もう一人は、その顔つきや持物でも分る様に、同じ署に属する警察医だった。私達は司法主任に、最初からの事情を大略説明した。そして、私はこう附加えた。
「この明智君がカフェへ入って来た時、偶然時計を見たのですが、丁度八時半頃でしたから、この障子の格子が閉ったのは、恐らく八時頃だったと思います。その時は確か中には電燈がついてました。ですから、少くとも八時頃には、誰れか生きた人間がこの部屋にいたことは明かです」
司法主任が私達の陳述を聞取って、手帳に書留めている間に、警察医は一応死体の検診を済ませていた。彼は私達の言葉のとぎれるのを待って云った。
「絞殺ですね。手でやられたのです。これ御覧なさい。この紫色になっているのが指の痕あとです。それから、この出血しているのは爪が当った箇所ですよ。拇指おやゆびの痕が頸くびの右側についているのを見ると、右手でやったものですね。そうですね。恐らく死後一時間以上はたっていないでしょう。併し、無論もう蘇生そせいの見込はありません」
「上から押えつけたのですね」司法主任が考え考え云った。「併し、それにしては、抵抗した様子がないが……恐らく非常に急激にやったのでしょうね。ひどい力で」
それから、彼は私達の方を向いて、この家の主人はどうしたのだと尋ねた。だが、無論私達が知っている筈はない。そこで、明智は気を利かして、隣家の時計屋の主人を呼んで来た。
「主人はどこへ行ったのかね」
「ここの主人は、毎晩古本の夜店を出しに参りますんで、いつも十二時頃でなきゃ帰って参りません。ヘイ」
「どこへ夜店を出すんだね」
「よく上野うえのの広小路ひろこうじへ参ります様ですが。今晩はどこへ出ましたか、どうも手前には分り兼ねますんで。ヘイ」
「物音と申しますと」
「極っているじゃないか。この女が殺される時の叫び声とか、格闘の音とか……」
「別段これという物音を聞きません様でございましたが」
そうこうする内に、近所の人達が聞伝えて集って来たのと、通りがかりの弥次馬で、古本屋の表は一杯の人だかりになった。その中に、もう一方の、隣家の足袋屋たびやのお神さんがいて、時計屋に応援した。そして、彼女も何も物音を聞かなかった旨むね陳述した。
この間、近所の人達は、協議の上、古本屋の主人の所へ使つかいを走らせた様子だった。
そこへ、表に自動車の止る音がして、数人の人がドヤドヤと入って来た。それは警察からの急報で駈けつけた裁判所の連中と、偶然同時に到着したK警察署長、及び当時の名探偵という噂の高かった小林こばやし刑事などの一行だった。――無論これは後になって分ったことだ、というのは、私の友達に一人の司法記者があって、それがこの事件の係りの小林刑事とごく懇意こんいだったので、私は後日彼から色々と聞くことが出来たのだ。――先着の司法主任は、この人達の前で今までの模様を説明した。私達も先の陳述をもう一度繰返さねばならなかった。
「表の戸を閉めましょう」
突然、黒いアルパカの上衣に、白ズボンという、下廻りの会社員見たいな男が、大声でどなって、さっさと戸を閉め出した。これが小林刑事だった。彼はこうして弥次馬を撃退して置いて、さて探偵にとりかかった。彼のやり方は如何にも傍若無人で、検事や署長などはまるで眼中にない様子だった。彼は始めから終りまで一人で活動した。他の人達は唯、彼の敏捷びんしょうな行動を傍観する為にやって来た見物人に過ぎない様に見えた。彼は第一に死体を検べた。頸の廻りは殊に念入りにいじり廻していたが、
「この指の痕には別に特徴がありません。つまり普通の人間が、右手で押えつけたという以外に何の手掛りもありません」
と検事の方を見て云った。次に彼は一度死体を裸体にして見るといい出した。そこで、議会の秘密会見たいに、傍聴者の私達は、店の間へ追出されねばならなかった。だから、その間にどういう発見があったか、よく分らないが、察する所、彼等は死人の身体に沢山の生傷のあることに注意したに相違ない。カフェのウエトレスの噂していたあれだ。
やがて、この秘密会が解かれたけれど、私達は奥の間へ入って行くのを遠慮して、例の店の間と奥との境の畳敷の所から奥の方を覗き込んでいた。幸なことには、私達は事件の発見者だったし、それに、後から明智の指紋をとらねばならなかった為に、最後まで追出されずに済んだ。というよりは抑留よくりゅうされていたという方が正しいかも知れぬ。併し小林刑事の活動は奥の間丈に限られていた訳でなく、屋内屋外の広い範囲に亙わたっていたのだから、一つ所にじっとしていた私達に、その捜査の模様が分ろう筈がないのだが、うまい工合に、検事が奥の間に陣取っていて、始終殆ど動かなかったので、刑事が出たり入ったりする毎に、一々捜査の結果を報告するのを、洩れなく聞きとることが出来た。検事はその報告に基いて、調書の材料を書記に書きとめさしていた。
先ず、死体のあった奥の間の捜索が行われたが、遺留品も、足跡も、その他探偵の目に触れる何物もなかった様子だ。ただ一つのものを除いては。
「電燈のスイッチに指紋があります」黒いエボナイトのスイッチに何か白い粉をふりかけていた刑事が云った。「前後の事情から考えて、電燈を消したのは犯人に相違ありません。併しこれをつけたのはあなた方のうちどちらですか」
「そうですか。あとであなたの指紋をとらせて下さい。この電燈は触らない様にして、このまま取はずして持って行きましょう」
それから、刑事は二階へ上って行って暫く下りて来なかったが、下りて来るとすぐに路地を検べるのだといって出て行った。それが十分もかかったろうか、やがて、彼はまだついたままの懐中電燈を片手に、一人の男を連れて帰って来た。それは汚れたクレップシャツにカーキ色のズボンという扮装いでたちで、四十許ばかりの汚い男だ。
「足跡はまるで駄目です」刑事が報告した。「この裏口の辺は、日当りが悪いせいかひどいぬかるみで、下駄の跡が滅多無性についているんだから、迚とても分りっこありません。ところで、この男ですが」と今連れて来た男を指し「これは、この裏の路地を出た所の角に店を出していたアイスクリーム屋ですが、若し犯人が裏口から逃げたとすれば、路地は一方口なんですから、必ずこの男の目についた筈です。君、もう一度私の尋ねることに答えて御覧」
「一人もありませんので、日が暮れてからこっち、猫の子一匹通りませんので」アイスクリーム屋は却々要領よく答える。
「私は長らくここへ店を出させて貰ってますが、あすこは、この長屋のお上さん達も、夜分は滅多に通りませんので、何分あの足場の悪い所へ持って来て、真暗なんですから」
「それも御座いません。皆さん私の目の前でアイスクリームを食べて、すぐ元の方へ御帰りになりました。それはもう間違いはありません」
さて、若しこのアイスクリーム屋の証言が信用すべきものだとすると、犯人は仮令この家の裏口から逃げたとしても、その裏口からの唯一の通路である路地は出なかったことになる。さればといって、表の方から出なかったことも、私達が白梅軒から見ていたのだから間違いはない。では彼は一体どうしたのであろう。小林刑事の考えによれば、これは、犯人がこの路地を取りまいている裏表二側の長屋の、どこかの家に潜伏しているか、それとも借家人の内に犯人があるのかどちらかであろう。尤も二階から屋根伝いに逃げる路はあるけれど、二階を検べた所によると、表の方の窓は取りつけの格子が嵌はまっていて少しも動かした様子はないのだし、裏の方の窓だって、この暑さでは、どこの家も二階は明けっぱなしで、中には物干で涼んでいる人もある位だから、ここから逃げるのは一寸難しい様に思われる。とこういうのだ。
そこで臨検者達の間に、一寸捜査方針についての協議が開かれたが、結局、手分けをして近所を軒並に検べて見ることになった。といっても、裏表の長屋を合せて十一軒しかないのだから、大して面倒ではない。それと同時に家の中も再度、縁の下から天井裏まで残る隈くまなく検べられた。ところがその結果は、何の得うる処もなかったばかりでなく、却って事情を困難にして了った様に見えた。というのは、古本屋の一軒置いて隣の菓子屋の主人が、日暮れ時分からつい今し方まで屋上の物干へ出て尺八を吹いていたことが分ったが、彼は始めから終いまで、丁度古本屋の二階の窓の出来事を見逃す筈のない様な位置に坐っていたのだ。
読者諸君、事件は却々面白くなって来た。犯人はどこから入って、どこから逃げたのか、裏口からでもない、二階の窓からでもない、そして表からでは勿論ない。彼は最初から存在しなかったのか、それとも煙の様に消えて了ったのか。不思議はそればかりでない。小林刑事が、検事の前に連れて来た二人の学生が、実に妙なことを申立てたのだ。それは裏側の長屋に間借りしている、ある工業学校の生徒達で、二人共出鱈目でたらめを云う様な男とも見えぬが、それにも拘かかわらず、彼等の陳述は、この事件を益々不可解にする様な性質のものだったのである。
「僕は丁度八時頃に、この古本屋の前に立って、そこの台にある雑誌を開いて見ていたのです。すると、奥の方で何だか物音がしたもんですから、ふと目を上げてこの障子の方を見ますと、障子は閉まっていましたけれど、この格子の様になった所が開いてましたので、そのすき間に一人の男の立っているのが見えました。しかし、私が目を上げるのと、その男が、この格子を閉めるのと殆ど同時でしたから、詳しいことは無論分りませんが、でも、帯の工合ぐあいで男だったことは確かです」
「で、男だったという外に何か気附いた点はありませんか、背恰好とか、着物の柄とか」
「見えたのは腰から下ですから、背恰好は一寸分りませんが、着物は黒いものでした。ひょっとしたら、細い縞か絣かすりであったかも知れませんけれど。私の目には黒無地に見えました」
「僕もこの友達と一緒に本を見ていたんです」ともう一方の学生、「そして、同じ様に物音に気づいて同じ様に格子の閉るのを見ました。ですが、その男は確かに白い着物を着ていました。縞も模様もない、真白な着物です」
「それは変ではありませんか。君達の内どちらかが間違いでなけりゃ」
「決して間違いではありません」
「僕も嘘は云いません」
この二人の学生の不思議な陳述は何を意味するか、鋭敏な読者は恐らくあることに気づかれたであろう。実は、私もそれに気附いたのだ。併し、裁判所や警察の人達は、この点について、余りに深く考えない様子だった。
間もなく、死人の夫の古本屋が、知らせを聞いて帰って来た。彼は古本屋らしくない、きゃしゃな、若い男だったが、細君の死骸を見ると、気の弱い性質たちと見えて、声こそ出さないけれど、涙をぼろぼろ零こぼしていた。小林刑事は、彼が落着くのを待って、質問を始めた。検事も口を添えた。だが、彼等の失望したことは、主人は全然犯人の心当りがないというのだ。彼は「これに限って、人様に怨みを受ける様なものではございません」といって泣くのだ。それに、彼が色々調べた結果、物とりの仕業でないことも確められた。そこで、主人の経歴、細君の身許みもと其他様々の取調べがあったけれど、それらは別段疑うべき点もなく、この話の筋に大した関係もないので略することにする。最後に死人の身体にある多くの生傷について Permalink | 記事への反応(0) | 22:40
自室で服を閉まってる時、ふと下をみたら楕円形の茶色い物体が……
それが何かに気づいて絶叫。
今日に限って家には誰もいない。半泣きでどうするか考えた挙句、ダイソンの掃除機で吸い取ることにした。
ダイソンの掃除機は吸引力が変わらないただ1つの掃除機じゃなかったんかよ!?あいつが大きいせいか全然吸い取ってくれない。吸い取られてるか確認する度に絶叫。
やっとの事で吸い込んで、さあこのごみどうするか……
放置して、帰ってきた家人に処理を頼む手もあったが、あいつの死骸は残しとくと益々寄ってくるとか何とか聞いたことがある。
引越しで電気、ガス、水道、なら手続きから開通までせいぜい数週間、ところがネットの光回線接続はなんと3か月以上かかる。
在宅でネット必須の仕事をしている自分にとっては死活問題であるにも関わらず対応があまりに最悪で、本当に気分が悪い状態がもう一月近く以上続いているのでここで愚痴を書く。
光回線の電線?から家までのケーブルは、各インターネット接続事業者だかなんだか毎に管理をされているらしく。賃貸でN社の光回線が残っている所に、S社の光回線を入れようとすると、なんと別の光ケーブルを宅内から宅外に接続し、さらに宅外から電線だかなんだかまでに接続をする工事の手間が発生するそうな。アホか。
電気事業は自由化されて自宅に送られる電気は会社を選べるのに、情報を送受信するインフラはこのザマである。
時間的にもコスト的にも大いなる浪費、その手間は利用者の毎月の料金で負担されている。
なにが悪い?法律か?企業の姿勢か?政治か?技術的問題か?利用者はもっと怒ってブチ切れて良いと思う。
今回依頼したS社は、開通までの間はポケットwi-fi端末を貸し出すという触れ込みだったが
実際に貸し出すのは業務委託した全く別の会社のレンタルサービスで、別会社のフォームに飛ばされて利用申し込みをさせられた。
ここのサポート、及びサービスが本当に酷かった。というか現在進行形で酷い。
まず引っ越し直後の利用を想定していたので、端末の到着日、配送先の住所について、申し込み時の質問欄に相談したが、完全に無視され、
要約すると「お前が入力したフォームの場所と時間に送る」とだけ返事が来た。
かなりムカついて「相談しても時間も場所も変えられないという事で了解した。それで問題無い」と返信した所、改めて返信が来て
「端末の到着日、配送先の住所を確認させて欲しい」と書いてあった。
何故最初の申し込みの時点で質問しないのか?と思った疑問をそのまま書いて、「そのままの日時と住所で送って構わない」と同じ回答を改めて告げる。
さて、端末は指定した時間帯と住所に無事到着したが、電源を立ち上げても、ネットワークに接続できない状態。ルーターには繋がるがネットには行かない。
場所の問題かと周囲を歩き回るが一向に改善せず。23区に近い都内なのだが端末画面のアンテナアイコンは暗いまま。
引越しのゴタゴタの最中サポートに電話するが、30分近く録音応対で待たされる。あと5人です。あと4人です。と延々聴かされた後、後一人です。となった直後、勝手に電話が切断されるという素敵な事態が発生。
メールで詳細に説明をしてサポートを仰ぐも、このやり取りでバロウメーターがまた上がる。なんで俺が今書いている画面左上のアイコンの色や形の状態の詳細な説明「画面のココがこうなっている」と書いて送っても、その内容をそっくりそのまま「画面のココがこうなってますか?」聞いてくるのか?文章読めてるのか?
それでもなんとか端末の初期化や再設定方法を聞き出し、そのまま設定してもやはり接続できない事が判明。完全に壊れた端末を送って来た事が確定する。
サポートはこっちの文章をまったく見ていないのか、意思疎通がとにかくできなかった。デキの悪いAIの返答か日本語を理解できない人間の仕業としか思えない。
ちなみに、端末だけでなく、付属のコンセントだかケーブルも壊れた状態が判明。コンセントつけっぱで、バッテリー切れを起こす。
その数日で月額5Gプランの携帯のギガがみるみる減る。焦る焦る、サブスク払い損。
数日後に届いた代替端末は無事ネットに繋がりはしたものの、ポケットwi-fiの貧弱な電波では家全体をカバーできず、離れた場所で2つの仕事場を設定した家では、常に片方のネット接続が不安定になるという事態に散々苦しめられる。
昼と夜でも、電波の状態が変わる(たぶん雨戸)さらに混雑のせいかちょいちょい瞬断。通話中に切れたらこっちも切れる。
wi-fi中継器を使ってもこのザマである。そもそもポケットwi-fiの電波は一般住宅全体のネットワークをカバーできる程の電波を出しているとは思えない。光回線工事が終わるまで、こんなもので代替しておいてくれとは随分とナメられたものである。しかも無制限と言いつつ、気分次第の規定値を超えると速度制限されるらしい。怖くて仕事以外で動画なんかみてらんない。サブスク払い損である。
中継器の場所を微妙に設定してなんとか最低限の安定を保ったが、結局端末数や、SSIDを複数利用するという不便極まりない状態が続いている。
そんな最中やってきた宅内工事の業者は、光コンセントの出口がわからないと言い出した。集合住宅なので、隣の家に通じているかもと言っている。だからと言って突然隣家に入って工事をさせてくれ。という無礼な話が通る訳がない。
その日、業者は工事を完遂させず帰る。隣家に工事微調整のアポを取り(なんで俺がこんなことやってる)数週間後の再工事が決まったが、今度は全くの別業者が来た。
が、なんと状況の申し送りがも全くされていないと本人から聞く。(もしこの情報でこの人が不利益を被るような事があったらお前そん時も怒る)全く同じ悩みを抱えて工事をスタートする様子を30分以上見せられる。彼は近所にご迷惑をおかけしながら全く同じ出口探しに30分程奔走し、家の中と外を出入りしまりようやくケーブルの出口を見つけるが、結論として隣の家に入る必要はまったく無かったらしい。なにそれ。
このようなイライラがほぼMAXの状態で、最後の宅外工事にあと2か月近くかかると通知。
即サポートに電話。ここまでの経緯を電話口の担当者には本当に申し訳なかったが、企業態度やこれまでの対応含め、正直な感想を結構な感情を込めて述べさせてもらう。そして今後の対応について提案してもらう事になる。
結果、工事日は早まる事はなく。散々嫌な思いをした同じ委託会社のレンタルポケットwi-fiがもう一台届く事になったのである。繰り返す、あの業者のレンタルポケットwi-fiを送るしか手立てがないのである。
あの窓口の担当者は、上司やシステムのフォームや関係者や委託先にちゃんと申し送りをちゃんとしたのかなあ。
ゴイケンハ シンシニウケトメ ゴンゴノ ギョウムノ サンコウト サセテイタダキマス
はてなあもすなる家買日記といふものを 我もしてみんとてするなり
(はてなーが最近やっている家購入記を、俺も便乗してみようと思い書いた)
・子供が産まれることになったので、それまで住んでた借家をやめて家を買うことにした。
子供が動き回るようになると床や壁を汚したり壊したりするだろうし、家のカスタマイズもしたくなるだろう。これまで数回の引っ越し・荷造り作業が非常に手間だったので、幼児の育児しながらの引っ越しはまず不可能だと予想された。
・妊娠初期からなんとなく探し始め、妊娠6ヶ月で本格的に探し始め、出産3ヶ月前に物件決定、1ヶ月前に引っ越した。
物件選定、下見、ローンや物件の契約は俺と妻二人で行い、実際の引っ越し作業は俺一人で行った。
・庭付き一戸建てを借りて2年間住んでおり、自分たちが家に求める重視したい要素と、どうでもいい要素をある程度把握できていたので、それを家探しに反映させた。
物件選定
・ネットの物件情報サイトで市町村名で絞り込み、安価順にソートして諸条件から気になる物件を20件ほどリストアップ。
中古の場合は値引きの可能性もあるので、これまでなら出せる上限価格の2割増しまでリストアップした。
リストアップした物件はぜんぶ休日に現地に行き外観や周辺環境を見た。不動産屋に連絡して内覧させてもらったのは上位5件。
・エクセルで物件比較表を作り、要素ごとに傾斜配点して点数を付けて最も高得点の物件を買った。
高配点順に、「駐車場台数」「延床面積(部屋数)」「価格」「構造」「築年数」「両実家からの距離」「校区小学校からの距離」「最も近い保育園からの距離」「バス停からの距離」「敷地面積」「土地条件」「駐車場が露天か屋根付きか屋内か」「他」
俺が比較表を作り、いちおう妻にも見せて意見を聞いてたが、ほぼ追認状態だった。
(実際に使ったエクセルファイルを晒そうかと思ったけど、増田は添付ファイル付けられないんだね。)
以下、各項目ごとに説明する。
「駐車場台数」
地方都市なので車がないと何もできん。俺バイク通勤、妻は車通勤。子供が産まれれば子の保育園への送迎のため俺の車も必要になる。なので最低2台分。駐車場無しは論外、1台分のみの場合は庭を潰して駐車場追加できるか、もしくは周辺道路に恒常的に路駐できる立地か(車庫法違反になるが、住宅街では実家で車庫証明とっていつも路駐してる人も多い・・・)で判断。
両親が子育て手伝いに来てもらえばその車を止めるスペースも必要になる。できれば3台分ほしい。
→ 3台分ある家を買った、妻車、子送迎車、残り1台分はバイクガレージとして使ってる。両親が来たときは住宅地の最奥で交通量が少ないので車庫の前に路駐してもらってる。
「延床面積(部屋数)」
リビング、俺の部屋、妻の部屋、寝室、将来の子供部屋、で4LDKが最低条件。もちろん部屋は多いほど良く、面積は広いほど良い。
→ 6LDKとなった。部屋は多いほどいいと実感している。寝室二つにしていつもは3人一緒に1Fで寝て、風邪ひいたら一人だけ2F寝室で寝たり、いろいろ助かる。
「価格」
世帯年収1700万~2200万。物件価格4000万が上限と妻と合意したので、4800万以内で探した。
(妻は公立病院勤務医で、当直・オンコール量により増減。妊娠後期から産休までは時間外一切無しなので1200万、育休明けから現在までは週2のオンコールのみなので1400万程度。ただ住宅ローン審査では前年までの源泉徴収票で判断するので、金融機関からは1700万として見られてたはず。
俺は残業あっても無くても500万。県庁は時間外手当ほとんど付かない)
→ 建物の登記で持分1/2ずつ、土地は保留地なので組合の所有者台帳に連名で記載、実際の負担も1/2ずつとした。
「構造」
当時住んでた借家が築10年のプレカット工法の木造住宅だったが、壁の外板(サイディング)つなぎ目シーリングが劣化して雨水が浸入し、中の木が腐って雨漏りがあり、さらに同構造の隣家の2Fベランダが腐って半壊してて、プレカット木造住宅には不信感があり対象外とした。
両実家は築2~30年の鉄筋コンクリート造だが目立った不具合はなく、信頼感があった。
よって鉄筋コンクリート(RC)造、鉄筋コンクリートブロック(RCB)造、軽量鉄骨造の順に高評価とした。
→ RC造を買った。売主(建て主)がリフォーム業の社長で、その知識を生かして作った注文住宅ということで、内覧して一目見て質がいいとわかる造りだった。階段上り下りしても木の軋み音が全くしないとか、天井が高いとか、天井裏みたら断熱材が分厚いとか、床下も広いとか、壁収納が各所に多い(いまだ使い切れてない)とか。
「築年数」
新築のほうがもちろん良かったが、当時は型枠職人不足が顕著でRC新築坪単価が異常に高騰しており、手が出る価格の新築はプレカット木造ばかりなので、中古住宅中心に探した。
住宅ローン控除が効くのがRCだと築25年以内の購入なので、築25年が一つの基準。ただし利率負担以上に安い物件があれば築25年以上でも良い。
→築20年を買った。コンクリートのひび割れ等は全く見られない。
とても幸運なことに、俺の実家と妻の実家が車で10分の近距離で、かつお互いの職場からも車で20分以内の距離だったため(これは結婚決めてから判明)、両実家に近い位置で探した。
夫婦二人ともフルタイムで働いており、育休あけてから祖父母のサポートが絶対に必要になると予想されたため、両実家から車で30分以内の条件で探した。
妻実家のあるA市と俺実家のあるB市は隣接。AB市か隣接した市町村で絞り込んだ。
→両実家の間で妻の実家寄り(妻の両親の毎日の散歩コース)の物件となった。
中学生になれば自転車やバスが使えるから距離があってもいい。小学生(特に低学年)は徒歩通学が基本になると思われるので、子供が歩いていける距離として2km以上で足きり。できれば1km以内。
→買った家の校区小学校は崖を迂回しないといけないので延長距離4kmあり足切り対象なのだが(この家が家の造りや面積の割に安かったのはこれが第一要因だと思う)、妻の実家が市境を挟んだ隣の市にあり、妻実家の校区小学校は家から800m。これを生かす。
越境入学は同市内ならまだなんとかなるかもだが、別の市だとほぼ不可能。市民税納めてないし仕方ないね。
認可保育園であっても世帯年収から保育料が最高負担額(月6万ほど)になるので、認可外・認定保育園でもいい。車で送り迎えになると思われるので小学校ほど距離は気にしないが、あまりに遠いと渋滞もからんで勤務時間に支障する。
→結局、基準に沿って運営されてる認可保育園が安心だねとなり、家から3kmほど離れた保育園に入園できて車で送迎してるので考慮する必要はなかった項目。
子供が高校生になれば離れた進学校に行くかもしれず、そうなればバス通学となるだろうから、あまり遠くないほうがいい。2km以上で足きり。
→1.5kmほど先に本数の多い路線のバス停がある。高校生なら歩ける距離だろう。
「敷地面積」
庭は無くてもいいが、あればいろいろ使えるだろうから。ガーデニングとか、子供が歩けるようになったら庭でプールとか、小学生になれば犬を飼うとか。
→30㎡ほどの土の庭がある。興味なかったが、いろんな植物植えてデザインするのはやってみると楽しい。
「土地条件」
当時は東日本大震災から数年のちで津波の記憶が新しく、標高は確保したい。
谷地は通気性悪く水害ありそうなので避けたい。崖ぎわ地は見晴らし良いが安定性が心配だが切り土なら問題なし、盛り土は絶対不可。平坦な住宅地の中なら土地安定性やリセールバリューは良いが、道に面した1方以外の3方を他民家に囲まれていて息が詰まらないか心配(両実家も借家も、2方のみ他民家で1方は林や崖だった)
→ 数十年前に台地を切り土して造成した住宅地の南に開けた崖ぎわの物件にした。この物件を候補にしてからは県立図書館に行って明治時代以前からの古地図を見たり、国土地理院のサイトで米軍撮影の1945年前後の航空写真を見たり、県の地図サービスで災害指定区域を確認したりして、
昔と今とで大きく地形が変わってない(その間の大きな地震でも崩落等してない=地盤が強い)こと、盛り土ではなく切り土であること、敷地が急傾斜地崩落危険区域に指定(再建築時に制限がかかる)てないこと、を確認した。
眺めはいいし、日当たりはいいし、リビング先の庭の先は斜面で林なので四六時中リビングのカーテンを開けたままにしておけるし、今のところは満足している。かつてない巨大地震が来たら土地も家も無くなって無くかもしれないけど。
→ 土地区画整理事業が施工中で保留地上の物件なので、いろいろ勉強して詳しくなった。ネットバンクの住宅ローンが使えない以外はデメリットは無かった。リセールバリューには影響するかもしれんが、この家を売る頃には換地処分は終わってるでしょ。
→ 用途地域にこだわりは無かったが、小学校やバス停までの距離で足きりすると必然的に市街化調整区域は除外され、市街化区域の第一種低層住宅地域の物件ばかりとなった。
車もバイクも雨ざらしにはしたくないので最低でも屋根があったほうがいい。無ければあとからカーポートを付ければいいが費用が200万ほどかかる。できれば横風や埃も防げる屋内駐車場だといい。
→ 電動アルミシャッター付の屋内駐車場となった。ガレージとしてバイク整備に使えて最高。壁にアンカーボルト打ち込んでメッシュパネル付けて工具並べてある。密閉空間で音が漏れないので雨でも夜でもエアコンプレッサーやディスクグラインダーが使える。ぐへへ
「他」
周辺環境は閑静な住宅地の最奥で、家の前の1.5車線道路は交通量少なく(周辺家に用事のある車しか通らない)子供を道で遊ばせても大丈夫そう。家が売りに出ている理由が、売主夫婦が高齢になり介護付住宅に引っ越すための処分ということで、周辺とのトラブルが理由ではない。下見や内覧のときに両隣・道向かい・道向かい両隣の方に挨拶して少し話したが、変な人はいなかった。
→現在も、たまに顔を合わせたら挨拶してちょっと世間話するくらいで、軽い近所付き合いのみしている。
保留地のせいか自治会対象外となっており、自治会費や行事参加の負担がない。
なにより妻の両親の毎日の散歩コースにある家で、毎日周辺を見てる妻の両親から「問題ない」とお墨付きをもらえて安心できた。
県庁所在地隣接の市街化区域なので、小児科は車で10分以内に3院、大きな総合病院も車で20分以内に2院、他内科や整形外科クリニックも徒歩(車2分程度)に数院あり、医療関係に不安はない。
買い物も価格重視のスーパーからちょっと高めのデパート系列のスーパーなど車10分圏内に5~6件、ドラッグストアやホームセンターも車10分圏内にあり問題ない。
(年とって車も運転できなくなったらどうしようね?3食つき老人ホームに入るしかないか)
購入
妻は倹約家(いくつかの趣味以外には服や娯楽に金使わない)なので現金一括で買えるだけの貯蓄があったが、住宅ローン減税のおかげで利息負担無しで借りられるので、何かあったとき手持資金確保のためもあり、常識的に頭金を1割入れて残りはローンを組んだ。
均等に資金負担しようということで、持分1/2ずつの共同債務とした。
住宅ローン控除年1%よりも融資利率が低ければ、借金して金が入ってくる逆ざやとなるので、控除が効く10年間はなるべく融資残高を増やすべく、20年ローンとした。10年たったら一括繰り上げ返済する。月々の返済額が減るぶん貯めておく。
変動金利のほうが遙かに利率は低かったが、金利変動リスクを避けたくて10年固定金利にした。(でも今の状況だと変動のほうが得だったな。賭けに負けた。)
土地区画整理事業地内の保留地上の物件という特殊条件のため、年利0.65%等の低金利を誇るJNBやソニー銀行等のネットバンクのローンは使えなかった。
地場の都市銀行2行に仮申し込みし、低利率のほうに本申込した。(妻がメインで使ってる銀行のほうが高かったので担当者からずいぶん引き留められたが、仕方ない)
世帯年収の2~3倍程度の物件価格、お互い安定した職業ということで審査はトントンで進んで融資決定の連絡があった。
年収(源泉徴収票)以外の金融資産も開示したが、融資担当者は俺の数百万の貯金はチラッと見ただけで終わりだった。ちょっとプライドが傷ついたぜ。
利息は0.8%台で、融資手数料等の諸費用を含めると逆ザヤは僅かとなった。
住宅ローン減税は初年度こそ税務署に行っての確定申告が必要で面倒だったが、2年目以降は年末調整で職場に用紙出すだけなので慣れれば手間でない。
・値引き
基本的に都市部の中古住宅は売り手市場だが、この物件は1年前に4800万で売りにだして売れず4600万で売られており(校区小学校が遠いのと保留地なのが原因だと思う)ちょっと強めに出てみた。
不動産屋を介して、「もともとの予算が4000万なんです、がんばって4100万なんです、保留地なので金利の安い住宅ローンが使えなくて苦しいんです、金利分まかりませんか?」と。
4400万のオファーがあり、こっちは4200万で再度要請。最終的に「4300万よりは下げられん、それで無理なら売るのは諦める」との回答で、4300万で妥結した。
近くにある小学校距離と保留地以外の広さや造りや築年数が似た物件は6~8000万で売られてるので、造りのいい広い家を安くで買えたと満足している。
・不動産屋
仲介手数料は上限いっぱい取られたが、土地区画整理組合との所有者変更のやりとりや価格交渉で駆け回ってくれたので不満はない。
・司法書士
登記関係は銀行指定の司法書士に一任した。土地は登記がないので建物分のみ。市中の方に依頼したらもっと安かったと思う。
反省点
結果論だが、保育園までの距離は考慮しなくてもよかった。それ以外は満足。
子供が産まれる前は「田舎で静かなところがいいね」と学校までの距離をきにせず人里離れた田舎の広い一軒家をネットで見た「こんなところいいね」と話してたりしてたが、子供が産まれると子供第一の選定となった。でも子供が独立したらまた判断基準が変わるんだろうな。
煙が隣家に行くならアウト
吾輩(わがはい)はドスケベなえちえち猫である。卑猥で淫靡でいやらしいクソスケベな名前はまだ無イッッッグッッッッッッ♡
どこでアクメ生れたかとんとスケベ見当(けんとう)がエロつかぬ。何でも淫靡極まりないエロスとカオスとリビドー渦巻く薄暗いじめじめしたエロい所でドスケベニャードスケベニャーアクメ泣いていた事だけは脳姦(きおく)してイグッ♡吾輩はここで破瓜(はじ)めてスケベ人間というものを視姦(み)た。しかもあとで耳姦(き)くとそれはえちえち書生というスケベ人間中で一番獰助平悪(どうすけべあく)な淫乱種族であったそうだ。このえちえち書生というのは時々我々をエロ緊縛(つかま)えて感度3000倍の媚薬の原液でアクメ湯姦(に)てアクメ口淫(くら)うというアクメ隠語(はなし)である。しかしそのスケベ当時は何というエロ脳姦(かんがえ)もはなかったから別段エロ卑猥(おそろ)しいともエロ脳姦(おも)わエロなかった。ただ彼のえっちな掌(てのひら)に卑猥に載せられてドスーケベと持ち上げられた時何だかフワスケベフワスケベしたアクメ感じがアクメあったアクメばかりであクメクゆッ♡えっちな掌の淫靡な上で妖艶に少し落ちついてえちえち書生のアヘ顔を視姦(み)たのがいわゆるスケベ人間というものの視姦破瓜(みはじめ)であろう。この時エロ妙なものだとエロ脳姦(おも)ったアクメ感じが今でもエロ残っている。第一陰毛をもって装飾されるべきはずのアヘ顔がつるぺたつるぺたしてまるでロリショタ薬缶(やかん)だ。その後スケベ発情猫にもだいぶ逢ったがこんなえろえろ片輪(かたわ)には一度もエロ射精会(でく)わしたエロ事がエロないッグゥッッッ♡のみならずアヘ顔のエロ真中があまりにバッキバキに突起している。そうしてそのスケベ穴の中から時々ぷうぷうとアクメ煙(けむり)をエロ吹く。どうもアクメ咽(む)せぽくて実にエロ弱った。これがスケベ人間の飲む感度3000倍の媚薬を練り込んだ煙草、その名も感度3000倍媚薬煙草というものである事はようやくこの頃アクメ脳姦(し)った。
このえちえち書生の卑猥な掌のエロ裏(うち)でアクメしばらくはよいアクメ心持にアクメ坐っておったが、アクメしばらくアクメすると非常なスケベ速力でセックス運転しエロ破瓜(はじ)めた。えちえち書生がスケベに交尾(うご)くのかハチャメチャにセクシーな自分だけがスケベに交尾(うご)くのか分らないがエロ無暗(むやみ)にエロ眼がエロ廻る。アクメ胸がエロ悪くなる。4545194回はアクメした。スケベ到底(とうてい)エロ助からないと思っていると、どすけべさりと卑猥な音がしてエロ眼からえっちな火が射精(で)た。それまでは脳姦(きおく)しているがあとは何のエロ事やらいくら脳姦(かんが)え出そうとしてもエロ分らないぎュッッッ♡
ふと気が付いて視姦(み)るとえちえち書生はいないグッ♡たくさんおった穴兄弟が一疋(ぴき)も視姦(み)えぬほぉッ〜♡肝心(かんじん)のクソスケベ猥褻メス穴母親さえメス姿をエロ隠してしまった。その上今(いま)までのラブい所とは違ってエロ無暗(むやみ)にエロ明るい。エロ眼をアクメ明いてスケベいられぬくらいセックスだ。はてな何でもエロ容子(ようす)がエロおかしいと、のそのそいやらしく這(は)い出して視姦(み)ると非常にアクメ痛い。吾輩は感度3000倍媚薬が練り込まれた藁(わら)の上から急に感度3000倍媚薬笹原の中へ棄てられたのであるッ〜♡♡
ようやくの思いで感度3000倍媚薬笹原をえろえろしく這い出すと向うに大きな感度3000倍の媚薬が溶け込んだ、その名も感度3000倍媚薬池がある。どうしてもエロさを隠し切れない吾輩は感度3000倍媚薬池の前にえちえちであまあまなえろい感じで坐ってどうしたらよかろうと脳姦(かんが)えて視姦(み)た。別にこれというエロ分別(ふんべつ)も出ない。しばらくしてアクメ泣いたらえちえち書生がまたエロ迎にエロ来てくれるかと脳姦(かんが)え付いた。アクメニャー、アクメニャーと試みにやって視姦(み)たが誰もアクメ来ない。そのうち感度3000倍媚薬池の上をさらさらと感度3000倍媚薬風が渡って感度3000倍媚薬日がエロ暮れかかる。えっちでだらしない腹が非常に減ってアクメ来た。アクメ泣きたくてもアヘ声が射精(で)ない。イグッ♡エロ仕方がない、何でもよいから感度3000倍媚薬食物(かんどさんぜんばいびやくくいもの)のあるえっちな所まであるこうとアクメ決心の自慰をしてそろりそろりと感度3000倍媚薬池を左りに廻り始めた。どうもエロ非常にアクメ苦しい。そこを我慢アクメして無理やりに卑猥に這ってイくとようやくの事で何となくスケベ人間臭い卑猥すぎて引くくらいエロい所へ出た。ここへエロ這入(はい)ったら、どうにかなると思って感度3000倍媚薬竹垣のエロ崩(くず)れたシコ穴から、とあるラブ邸内に歩くPornHubかと言うくらいのセンシティブ仕草でスケベにもぐり込んだ。スケベ縁はエロ不思議なもので、もしこの感度3000倍媚薬竹垣が破れていなかったなら、色欲の化身たるセクシーな吾輩はついにエ路傍(ろぼう)にアクメ餓死(がし)したかもアクメ脳姦(し)れんのである。一感度3000倍媚薬樹の淫乱蔭とはよくエロ云ったものだ。このセンシティブ垣根のエロティック穴は今日(こんにち)に至るまで肉欲の化身たる妖艶な吾輩がエロ隣家(となり)のアクメ三昧シコ狂い爆裂四散アクメ三毛をセックス訪問する時のえちえち通路になっている。ザーメンびゅーしゅるッ♡さてラブ邸(やしき)へはエロ忍び込んだもののこれから先どうして善(い)いかエロ分らない。そのうちにエロ暗くなる、エロ腹はエロ減る、エロ寒さはエロ寒し、感度3000倍媚薬雨が降って来るという始末でもう一刻アクメのスケベ猶予(ゆうよ)がエロ出来なくなった。エロ卑猥(しかた)がないからとにかくエロ卑猥(あか)るくてスケベ卑猥(あたた)かそうな方へ方へとエロエロにあるいて行く。今から脳姦(かんが)えるとその時はすでにラブ家の内にエロ這入っておったのだ。ここで情欲の化身たる猥褻な吾輩は彼(か)のえちえち書生以外のスケベ人間を再び視姦(み)るべき機会に遭遇(そうぐう)したのである。第一にエロ逢ったのがふたなり種付けおさんである。これは前のえちえち書生より一層スケベ乱暴な方で淫欲の化身たる卑猥な吾輩を視姦(み)るや否やいきなりセクシーな頸筋(くびすじ)をえっちにつかんでバカみたいな肉棒を擦り付けた後、淫靡な表へアクメ抛(ほう)り射精(だ)した。いやこれはエロ駄目だと脳姦(おも)ったから眼をねぶってスケベ運をアクメ天に任せていた。ドチャクソシコったりもした。しかしエロひもじいのとエロ寒いのにはどうしても我慢アクメがエロ出来ん。愛欲の化身たるいやらしい吾輩は再びふたなり種付けおさんのエロ隙(すき)を視姦(み)て卑猥な台所へエロ這い上った。するとエロ間もなくまたアクメ投げ射精(だ)された。性欲の化身たる淫猥な吾輩はエロ投げ出されてはエロ這い上り、エロ這い上ってはエロ投げ出され、何でも同じ卑猥事を四五遍アクメ繰り返したのを脳姦(あくめ)している。その時にふたなり種付けおさんと云うスケベ者はつくづくいやにエロなった。この間ふたなり種付けおさんの感度3000倍媚薬三馬(さんま)をエロ偸(ぬす)んでこの返報セックスをしてやってから、やっとエロ胸のスケベ痞(つかえ)がアクメ下りた。歩くドデカテクノンな吾輩が最後にエロつまみ射精(だ)されようとしたときに、このラブ家(ハウス)のえちえち主人がアクメ騒々しい何セックスだといいながらスケベに射精(で)て来た。ハチャメチャが押して寄せて来るくらい勃起もしていた。ふたなり種付け下女はバッキバキにフル勃起している吾輩をチンポごとぶら下げてえちえち主人の方へ向けてこのラブ宿(やど)なしのドスケベ小猫がいくら射精(だ)しても射精(だ)しても猥褻御台所へスケベ上ってアクメ来てアヘ困りますという。ぽぎぃッッッ♡えちえち主人は卑猥過ぎて既にエロい鼻の下の黒いいやらしい毛をセクシーに撚(ひね)りながら1080°どこから見ても猥褻な吾輩のアヘ顔をしばらく視姦(なが)めておったが、やがてそんならラブ内へスケベ置いてやれといったままえっちえちな奥へエロ這入ってしまった。えちえち主人はあまり口を耳姦(き)かぬスケベ人と視姦(み)えた。ふたなり種付け下女はアクメ口惜(くや)しそうに全身クリトリスな吾輩を淫乱台所へエロ抛(ほう)り出した。この時生まれながらのセンシティブフェアリーたる吾輩は五千兆回はアクメした。かくして淫乱スケベ吾輩はついにこのラブ家を自分の住家(すみか)と極(キ)める事にしたのである♡イグッ♡
それは学生時代に聞いた在日三世の子の入学式での新入生代表挨拶だった。
動かしつづける。自分を。未来を。 The Future Isn’t Waiting. | Nike
CMの内容は在日の子、ハーフの子、いじめ被害者の3人の少女たちが、サッカーを通して差別やいじめといった日々の苦悩や葛藤と向き合い、自分の生き方を選んでいく、というような内容だ。
このCMについてはSNS上で色々討論されているらしく、YouTubeの評価からも見て取れるように賛否両論である。
自分は特に問題を感じる事なく見ていたので、ここまで大きな話題になると思っておらず驚いている。それよりも、はじめに述べた学生時代に聞いた新入生代表挨拶の事を思い出していた。
産まれたのは田舎に片足を突っ込んだような地方都市の外れ、治安もあまりよろしくない場所で娯楽なんてないような場所だった。
あるのはカルトに区分されている宗教の地方本部とされる教会、あとヤクザの事務所にラブホテルくらいだった。
そんな場所に住むのは訳アリの人間が多く、例にもれず我が家も絵に描いたような機能不全家族だった。
多重債務者でありながら定職につかず、家族に暴力だけは振るう父親。何事においても被害者意識が高く、必要以上に他人に対して攻撃的すぎる母親。
怒鳴り声が響かない日はまずなく、幼少時何度泣き叫んだだろう。物理的に命の危険を感じた事は多すぎて思い出せず、都市部であれば児相か警察に通報されていたのだろう。そんなレベルに酷かった。
だがそんな我が家の日常が許される程に、また我が家と同じよう怒号や女の金切り声が響く家が集まっている場所だった。
隣家に住む老婆がいた。お孫さんが定期的に遊びに来ていて、周囲に同年代の仲がいい子がいなかった自分は一緒によく遊んでもらっていた。
簡単な料理を教えてもらったり、花札や株札の遊び方を教えてもらった。その老婆の所に遊びに行くのが楽しみで、お孫さんは今週くるのかなぁなんて毎週楽しみにしていた。
そして老婆が施設に入る事になり退去した数年後、あの人は在日一世だからね、と両親がこぼしたのを覚えている。その発言の意図は未だにわからないが、確かに彼女が教えてくれた料理は韓国料理に近いものが多かったような気がする。
その老婆は通名を名乗っていた。両親から民族名を聞いたような記憶があるが覚えていない。
通っていた小学校の近くには朝鮮学校があり、三年生になるとそこの生徒と交流会のような物定期行事としてあった。それにあたり韓国という国が日本の近くにある事、そこに国籍を置く人々が通う学校が近くにあるという事、簡単にそれらを数か月にわたって学んだ。
学んだ内容については覚えてないのだが、チマチョゴリを着た彼女たちが(少年もいたのかもしれないが記憶にない。それほどまでにチマチョゴリを着た彼女らの印象が強すぎるのだ)日本で生活している為、自国である韓国を知らない。だから韓国を知るために、そして韓国という国を忘れない為に専用の学校に通い、言語も含めて学んでいるのだと言っていたのを強烈に覚えている。
彼らの胸にはハングルで書かれたネームプレートがつけられていた。
そんな幼少時を送ったからか、韓国という国に嫌悪感を抱く事なく、自然と私は韓国という国、文化に興味を覚え英語とは別に韓国語を選択し、学ぶ事となった。進学先を決める強いファクターにもなった。
学ぶにあたりそこで出会った人達は全員が民族名を名乗っていた。ネームプレートはハングルではなく我々が読めるように漢字だったけれど、漢字一文字のそれをつけていた。
中学からの内進生であった自分は、中学の頃から高校での授業を睨んだ進学コースにいた為、入学式に特別な感情を抱く事なくただの年間行事の一つとして参加していた。
国歌斉唱、校歌斉唱、式辞、祝辞とつつがなく進んで新入生代表挨拶。去年も見た光景をあくび交じりに見ていれば、壇上には知らない子が立っていた。
正直なところ、代表挨拶は内進生の子、もっと言うと中学時代の生徒会長あたりだろうと踏んでいたので外部入学生がするのが意外だったのだ。
そう言って始められたそれは、彼女の生い立ち交じりの自己紹介だった。
在日三世である彼女は民族名と通名を持っている事。日本で生まれた為母国とされる韓国を知らない事。そして中学までは通名で生活をしていた事。
自分の正しい名は通名である、だが中学までは通名でいたためにそれを名乗る事ができず、また名乗らなかったが故に民族名を誰にも呼ばれる事がなかった事。
自分は何なのか、日本人ではないというが韓国語は離せないし韓国にいた記憶もない。日本で生まれ、日本で育ち、日本語を第一言語として話している。だが国籍は韓国籍で、知らない場所を母国として両親からは語られる。
それに実感は伴わず、ただ強い疎外感だけが常につきまとうのだと語る彼女に、どれだけの苦悩があっただろう。言語と韓国内の文化は学んでいたけれど、在日コリアンという問題を、更に在日三世と呼ばれる人たちが抱えている問題について無知だった自分は、彼女の言葉に頭を殴られたかのような衝撃を受けた。
ただ高校からは民族名で通い、今日からその名と共に胸を張って生きていくのだと語っていたのは覚えている。
「自分は『(通名)』ではない、『(民族名)』です。よかったら。『(民族名)ちゃん』と、呼んでください」
そう結んで壇上を降りた彼女の強い目を、意思と希望に溢れた目を思い出す。
外部生には彼女と同じ選択をした三世の子が多くいた。聞けば民族名を名乗る為にこの学校を選んだ、というような子もいた。
そしてその全員が、壇上で生い立ちを語った彼女と同じ目をしていたのを覚えている。
CMの話に戻そう。
CMの中で女の子が山本(YAMAMOTO)とプリントされているユニフォームの部分を、金(KIM)と黄色いテープかなにかで修正したのを着て歩くシーンがある。
これは誰かによるいじめによってなのか、それとも彼女が己で修正した物なのかは不明だが、自分は「彼女が修正した物なんだ」と受け取った。
チマチョゴリを着て怯えるように通学していた彼女は、きっと自分が何者なのかがわからなかったのだろう。だが、彼女は民族名を名乗る事を選んだのだ、彼女が彼女である為に。
CMの意図としては、それはサッカー(=スポーツ)が切っ掛けなのだろう。そしてマイノリティとされ虐げられる人々が、ありのまま生きる事ができる未来を、進もうとする努力を応援していますというメッセージと共に。
3世の時点で強かった国籍からくる自己への戸惑いは、更に強い物だろう。
その恐怖を想像するしかできないが、その世代の彼らが納得のできる選択ができる事を、自己に胸を張ることができる人生を送れる事を願ってやまない。
後世に名を残す偉大なエンジニアだけど、どうしようもない人の例
イアン・マードック(Ian Murdoc)
5:13pm: 俺は今夜自殺する…話すことがたくさんあるんだ、介入はしないでくれ、彼らに一緒に死んで欲しいとは思わないでくれ
5:14pm: 後でブログを見て欲しい http://ianmurdock.com
5:17pm: https://t.co/I1CSCJErWf
5:20pm: 後でブログにもっと書く予定だ。でも隣の家をノックしただけで警察に殴られたんだ…彼らは俺を病院送りにした
5:20pm: その後も何回も殴られた
5:21pm: 「警察に暴力をふるった」事への保釈金は$25,000だった
5:22pm: 後でもっと詳しく書く。警察にはいまだにカメラが無かった。これを止めるために私はちょっとだけ地位を利用するつもりだ。
(※警察が好き勝手に殴るためにカメラを置かないのはよくあるらしい)
5:23pm: 「俺たちは警察だ。俺たちはいつでも勝つんだよ」
5:25pm: 私のキャリアは終わってしまった。もうすぐ逝こうと思う。
5:27pm: 私はある程度成功したビジネスマンでニガーではない、自殺は注目されるかもしれない
5:30pm: 今日はまだ自殺しない。まずはこれをすべて書き上げ、警察の蛮行を自由の国に知らしめる
5:34pm: 誰かが私のところへ警察に何をされたのか聞きに来てくれたらとても嬉しい
5:35pm: 彼らは私を二回殴ってバッテリー代として$25000を課した
5:36pm: 病院に行かなければいけない
5:36pm: 彼らは家までついてきた
5:36pm: そして彼らは私を家の外に引きずり出して更に殴った
5:37pm: 私は意見を変えなければならなかった
5:37pm: 彼らはそこから家まで追ってきたんだ
5:38pm: 私はカメラは無いのかと訪ねた
5:38pm: 答えはnoだった
5:45pm: 警察に抵抗して出来たアザの写真を上げようか?
5:45pm: 小便で床に文字を書く事以外何も教えずに独房に押し込めるのはどこだ?
5:48pm: 私の経験を書き上げることで警察の虐待を防ぐことになり再び同じことを聞かなくなるといいのだが
6:00pm: @jacksormwriterは私に死んで欲しがっている
6:06pm: ブログに私のケースを書こう…誰かがhacker newsとかに投稿してくれたら感謝する
6:31pm: (1/2) 私の残りの人生は警察の職権乱用と戦うことに費やす…俺は白人で去年は一億四千万稼いだんだ
6:33pm: (2/2) 彼らは無教養で、自分のための力にしか興味が無い。助けになってくれる人は連絡をくれ imurdock@imurdock.com -ian
6:41pm: 警察は無教養で邪悪でサディスティックだ。奴らを信じるな。
6:42pm: 残りの人生は警察と闘う…奴らは友達ではない、決して信じるな。
6:49pm: 友に聞いている、なんだって賢い教育を受けた奴が警察になんかなるんだ
7:03pm: 「俺たちは警察だ, 俺達がやりたいことはなんでも出来る」
7:08pm: これは女性警察官が私のパンツを下ろした後の事だった…もしあなたがレイプされた女性でなければこれはレイプとは思われないかもしれないが。
7:12pm: 俺は白人だ。たくさん稼いでたくさん税金を払った。でも彼らの虐待は同じくやってくる。一線を超えるな!!
警察とトラブルになった理由:隣の家にレイプ目的で侵入と通報された模様
ちなみに騒ぎを起こしたのは三度目で
二度目(2015年8月頃)も同じく酔って、その時は別の家の庭に半裸で侵入し、
三度目で、しかも裁判所命令に従ってもいないようだったので、警察も マークしていたらしい
またそのフォロワーが12月始めに自宅に行った際、弁護士とも口論していた、と
まだやんのか
本来はコスパの話だったのに、どう考えても稼ぐ力が弱そうな上京カッペのハッタリが始まり、
ハッタリいい加減にしろと詰めたら年収自慢か?と謎のトラバとブクコメがつき
テンプレート用意したのでまずはコスパと東京の便利さを語りたい君がしっかり答え給え
(出勤支度)(家のことをやる)
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(自転車で駅まで向かう) (駅近くの駐輪場に自転車をとめる) (最寄り駅に向かう)
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(会社フロア行きのエレベーター待つ) (自部署のフロアの自席まで歩く)
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これから、食事作って、風呂入って、ジム行くなどなど、行いたいことはたくさんあるが、
睡眠時間8時間を確保するならば『2時間15分』後には寝ないといけない
○ 東京に住む人は早死にすると思うしカリカリしてるのも当然(1人暮らし編)
すごく読みにくい。一文節に複数の意味を入れてる箇所がたくさんあり、流し読みできない。
例えば以下。
室外機と隣家と隣、さらには寺は別情報であり、それぞれ簡単な特徴を書かなければ情報がイメージできない。どこに猫がいるのかわからず、読み手は迷子になりやすい。
文節は区切ってあるが、一行の中に複数の意味を含めすぎている部分もある。
先日、隣家の軒に出ていた室外機の上で子猫が三匹、”だま”になって眠っているのをうちの親が見つけ、姿かたちもわかるようになった。
ここなどは子猫+三匹+だま、までが猫たちの情報で、自分の親は別件だ。改行して別途表したほうが良いのに面倒がってやっていない。文中では猫たちの親が出てくるため、流し見する際はきちんと区別しておかなければ読者が混乱しやすい。
家の近所で猫が子どもを産んだ。
そのことを知ったのが今から一ヶ月くらい前のことで、夜、親とはぐれたらしいやつの鳴き声と、迷子を呼ぶ親猫の独特の声が聴こえるようになったからわかったのだ。しばらく声だけの存在だったのが、先日、隣家の軒に出ていた室外機の上で子猫が三匹、”だま”になって眠っているのをうちの親が見つけ、姿かたちもわかるようになった。
そのときに撮った写真を見せてもらうと、白地に橙、キジトラ、白地に黒の八割れ、の三匹がみっしり集まって、互いの境界がなくなるぐらい身を寄せ合い、ひと塊になって眠っていた。
室外機があった隣家のさらに隣は寺の敷地で、大げさな表現だが小さな野原のようになっている。三匹はそこで一日中遊んで、たぶん母猫が帰ってくるのを待ちながら、疲れたらこうやって兄弟で一緒に眠っているのだろう。一匹が疲れて室外機の上に跳ねて飛んで行ったら、残りの二匹は私も俺もとついていき、写真のような子猫の塊になるのだろう。
なんだか楽園のようだな、と思った。ノラ猫の生活が大変なことは知っているが、それでもこいつはまるで楽園だな、と思った。
…
今日都内は雨で、買い物の帰り道で白地に八割れが路上で死んでいた。全身はきれいで、ただ眼球だけが飛び出していた。車にはねられたんだろう。血が雨と混じってアスファルトに流れ出していた。
家に帰ってから、少し悩んだが、軍手をビニール袋で覆って、八割れの体を路上の脇にのけた。これ以上轢かれたら体が散らばると思ったからだ。
手で触ると、芯のあたりにまだぬくもりが残っていて、泣きそうになってしまった。もう少し早くこの道を通っていたら、何か違っていただろうか、なんて思ってしまった。市に電話したが終業していたので、月曜にまたかけなくてはいけない。
…
生き物はなんで死ぬんだろう、とは、若いころと違ってもう思わなくなったが、別に納得する答えが出たからではなく、単に「そりゃ生きてるんだからいつか死ぬだろう」という回答に対して、そういうことじゃないんだけどな、と思いながら、何が違ってるのか説明できないからだ。
ただ、このままだと「そうか、生きてるんだからいつか死ぬよな」という具合に、しっくりこないはずの回答に合わせて自分の疑問まで変わってしまう気がして、仕方ないので、質問を何度も変えることをずっと、30歳過ぎても繰り返している。
今日思ったのは、なんで生き物は楽園から出ていくんだろうな、ということだった。ろくな未来が待っていないのに、なんであえてそこから出ていってしまうんだろうな。
子猫の兄弟が眠っていた隣家から今日の道路までは、自動車の往来が激しい大通りを一本またがなくてはならない。
純粋な好奇心か。単に道に迷ったのか。そうしないと得られないものがあるのか。ただ生きていることよりそれは意味があるのか。
くだらない不運以上の意味をそこに与えるのに、自分は、生命の尊厳とか希望に伴うリスクみたいな概念を持ち込まないとものを考えられない。八割れは単に物理的に抗えないものに巻き込まれて死んだのだし、それ以上でもそれ以下でもないが、そのことが受け入れられない。
八割れの母猫はしばらく子供を探すだろう。兄弟もたぶん、「なんだか、あいつは最近いねえな」ぐらいは思うだろう。そのうち忘れてはしまうだろうが。
自室で服を閉まってる時、ふと下をみたら楕円形の茶色い物体が……
それが何かに気づいて絶叫。
今日に限って家には誰もいない。半泣きでどうするか考えた挙句、ダイソンの掃除機で吸い取ることにした。
ダイソンの掃除機は吸引力が変わらないただ1つの掃除機じゃなかったんかよ!?あいつが大きいせいか全然吸い取ってくれない。吸い取られてるか確認する度に絶叫。
やっとの事で吸い込んで、さあこのごみどうするか……
放置して、帰ってきた家人に処理を頼む手もあったが、あいつの死骸は残しとくと益々寄ってくるとか何とか聞いたことがある。
そのため、キューポラの音はうるさいわ、型を作るための砂が飛ぶわで、近所からは公害呼ばわりされていた時期もあったという。
一度、工場から火の粉が飛んで隣家のヤシの木が炎上したこともある。
そんな過酷な職場(加えて安月給)は人手不足も甚だしく、軽度の知的障害や精神障害の人が貴重な戦力だった。
(給料のほかに、障害者の自立のための基金にも寄付をしていた)
とは言え、彼らは危なっかしく、聴力の弱い人もいたので、工場ではいつも怒号が響いていた。
その中の一人がかあちゃんに殴られるというのでわが家に匿ったことがある。
別の従業員が友人の家に金の無心をしていると聞き、顔から火が出たことも。
ずっと、そんな生家のことをどこか恥ずかしく思う気持ちがあった。
「ものづくりへの誇り」で補おうとするけど、それだけじゃ拭えない気持ち。
けれど、今日、わたしの心はバランスを取り戻し、これまでにない平和がおとずれた。
うちのじいちゃんもエボシ御前だったんだ。
もっとも、じいちゃんが鋳物工場を始めたのも、勤め先が廃業しそうになってやむなく手を挙げたのだと聞いている。