はてなキーワード: 迷路とは
まず、機内で色々と書類を渡されました。日本入国後2週間は隔離すると誓う宣誓書と、チェックシートみたいなもの。後で判明しますが、このチェックシートでスタンプラリーをやるので絶対に無くしてはいけないようです。
飛行機から降りる際、まずは国際線乗り継ぎ便の人が優先的に降機しました。勝手がわからないので、ひょっとしたら全身防護服の検疫官たちが搭乗してくるのではと、ヒヤヒヤしましたが、そんなことはなく、順々に日本入国組も飛行機を降りました。
動く歩道が真ん中にある、空港おなじみの長い連絡路を歩いて移動するのですが、最初に出迎えてくれるのは、椅子です。通路の両脇をソーシャルディスタンシングを絶妙に守って配置された椅子たちは、背もたれの裏に番号札が設置されていて、どうやらここに座って次の指示を待つということは想像できます。それにしてもすごい数の椅子で、そんなに待つのと不安になりましたが、さいわい私の場合は飛行機を降りたのが早く、5番の番号札を振られた椅子に着席しました。
しばらくすると、航空会社のグランドスタッフと思われる方々が、書類チェックに回ってきます。宣誓書のサインのチェック。着陸72時間以内のPCR検査結果が記載された厚労省指定の証明書。チェックシートの必要項目記入などなど。ここで宣誓書の2ページ目の署名を忘れていたことを指摘されました。さすがジャパニーズ品質の目検…
ここで目の前で今まで流暢に日本語を話していた女性の濃緑のパスポートが目に入り、在日コリアンの方と知り、いろいろな人がいろいろな事情で日本に戻ってきているのだなと…
「お姉さん、僕もこのアプリたちをダウンロードする必要があるの?」
耳慣れたアメリカ人の英語が私の後ろの椅子から聞こえてきました。白と水色の横縞のポロシャツの裾をくたびれたジーパンに突っ込み、靴はもちろんスニーカーという、ザ・アメリカンな格好をした黒人男性。どうやらアプリ追跡が嫌なようです。そりゃ私たちだって嫌ですよ。でもルールだから守りましょうね…と思っていたところ、通路を挟んだ反対側の椅子に座っていたもう1人のアメリカ人がこう言いました。
「いや、僕ら大使館のスタッフは、このアプリのダウンロードはしなくて良いはずだ。確認してくれますか?」
こちらの男性はえんじ色のワイシャツに黒いスラックスとピッカピカの黒靴。おまけに黒いフェドラ帽ときてます。お前本当に大使館のスタッフかよ、大道芸人じゃないのと思いましたが、マニュアルに明記されてないであろう質問を訊かれた航空会社スタッフの女性は、慌てて謝り、上司に確認すべく、ついたての奥に消えました。
別の航空会社スタッフの方が、私の前に座っていた女性のもとに、袋を持ってきました。どうやら機内での忘れ物のようです。「本当にすみません、ありがとうございます…」そりゃこれだけイレギュラーな入国プロセスだもん。忘れ物のひとつくらいしますよね…
するとさっきのスタッフの方が戻ってきて、大使館関係者のアメリカ人ふたりに、アプリのダウンロードをしなくて良い旨を伝えました。え?ええええ???いわゆる外交官特権ってやつ?もちろんアメリカ人ふたりは大喜びです。
外交官特権のない我々は、再度書類検査を受けるべく、居心地の悪い簡易椅子から立ち上がり、検疫官たちが待つブースに向かいます。ここでPCR検査の陰性証明書などをチェックされ、先程のチェックシートに「証明書あり」の赤いスタンプが押されました。なんか前進した気分です。次のスタンプラリー地点に向かう途中、別の経路を指したサインが目に入ります。
え、待ってください。米国外交官と軍関係者はなんとなくわかります。でも何オリンピック関係者って。これ多分、今から始まる面倒な隔離とかアプリによる位置確認とかしないでいいやつですよね。オリンピックの関係者もしなくていいの?オリンピックまだ始まってすらいないじゃないですか。どういうこと…
頭をよぎる疑問の数々を一旦置いておいて、自分が確実に入国できるために、唾液採取に向かいます。梅干とレモンの絵を見ながら、全力で唾液を絞り出し、ろうとから試験管に流し込みます。自分の唾ながら、まじでキモい…この汚物を検疫官に渡します。ここで「30分以内に飲食をした方は申し出てください」というサインが目に入り、これ申告すると待たされるのかな、だったらたとえ飲み食いした直後でも誰も申告しないだろうな、などと思いながら、経路を辿ります。見慣れたはずの成田空港のターミナル内が、数ある仕切りとパーティションポールのせいで、迷路状態…
今度はアプリのダウンロード状態の確認です。検疫官の前で、iPhoneにOverseas Entrants Locator(悪名高き追跡アプリ)とMySOS(ビデオ電話アプリ)が入っていることを確認されます。MySOSに関しては、次のステップで登録を確認するから、まだ登録しないでくれと念を押されます。ここで位置情報の共有などのiPhoneの設定もチェックされた気がしますが、よく覚えてません。
そして20メートルくらい歩いたところで、またチェック。今度はMySOSの登録画面で、正しいパスポート番号を記入したかを確認し、検疫官の前で登録ボタンを押します。これでちゃんと隔離しているか、電話で確認できる、というわけです。
もうさすがにチェックはないかな、PCR検査の結果を待つだけかなと思いましたが、もう一度別の検疫官の前で座らさられ、最後の書類チェックがあります。ここで確認されたのは、私のメアドでした。検閲官が、手元のiPadからテストメールを送信するのですが、検疫官も初老の方で、目が悪いのか、最初メアドを読み間違い、パニックに。結局、"i"の小文字を一つ多く空目していたとのことで、無事確認メールがきました。確認メールの送信元がGmailであるあたりに、本プロセスの付け焼き刃感が滲み出ていました。ここで「済」の赤いスタンプがチェックシートに押されます。何が済んだのか、いまだによくわかっていません。
この初老の検疫官は男性だったのですが、ここに来て、私の対応をしてくださった他のスタッフ全てが女性であることに気づきました。そしておそらく3割ほどは、外国人女性。おっさんはテレビに出て「水際対策を頑張っている、だからオリンピックは大丈夫だ!」とのたまってらっしゃいますが、実際その水際対策も、オリンピック関係者は素通りっぽいし、必死に回しているのは殆ど女性というわけです。それもおそらく非正規雇用の。
話が逸れました。最後にQRコードの確認があります。このQRコードは、厚労省が作ったウェブサイトに個人情報を記入するともらえるのですが、私の場合、搭乗前に終えており、スクショをとってあったので、比較的スムーズでした。断っておきますが、ここでの確認は、QRコードを持っている、ということだけです。適当なQRコードを見せても通りそうなザルチェックでした。
そして43-44番ゲートに行きます。ここで、先程のQRコードをスキャンするわけです。搭乗券の確認もここでやる必要があるので、無くさないようにしてください。ここで先ほど前の席に座っていた在日コリアンの女性と再会します。私の場合、関東圏、しかも自宅待機予定なので、割とあっさり終わりましたが、彼女は途中東海地方を経由して、西の方に行く予定らしく、途中泊まるホテルの詳細など、いろいろと確認されてました。オリンピックの関係者は隔離しなくて良いのにね。
諸々の確認を終え、自分の座席番号をもらい、PCR検査の結果を待ちます。待っている入国(予定)者の席はしっかりと2m離れているのですが、43-44番ゲートカウンターの裏の検疫官はそうはいきません。プラスチックの遮断パネルの裏で、常に15人くらいの検疫官がひしめいてました。他人の「密」は不幸の味…というやつでしょうか。いやいや、検疫官の方には本当に頭が下がります。
番号をもらった後、PCR検査の結果を指定の座席で待つのですが、私の席から、先ほどのふたりのアメリカ人が目に入りました。どうやらPCR検査を受けなくてはいけないのは、彼らも同じようです。まあ当たり前…ですよね。そしてぼーっと待っている間に、例のチェックシートでSkype IDとWhatsAppに使っている電話番号の記入を求められたにも関わらず、それらに関して何も確認されなかったことを気づきました。あれはなんだったのでしょうか。
30分ほど待った後、自分の番号が呼ばれ、38番ゲートに向かいます。検査結果は無事陰性。ワクチンも受けていて、72時間前に検査もしていて、ここで陽性だったら再検査を求めたいレベルです。渡された葉書サイズのピンク色の紙には陰性である旨が書いてあります。これを入国審査直前にしれっと立っている最後の検疫官に見せる必要があるとのこと。もうこれで終わりかと思いきや、最後に宣誓書(覚えてますか?)の提出をする必要があったのでした。これをやったのち、晴れてコロナ検疫は終了です。
ここまでざっと2時間くらいでした。おそらく相当速い方だと思います。
私自身、水際対策を強化することは反対ではないです。でもどうせやるのであるなら、システムを自動化して、チェックに必要な人員を減らした方がリスクが減ると感じましたし、なぜか米国政府・軍関係者と、オリンピック関係者が特別扱いされるところに、今の日本のコロナ対策の最悪の特徴である「一貫性の欠如」が表れていると感じました。
隔離生活が暇すぎて、長々と書いてしまいました。これからは、全ての入国者に3日間以上の強制隔離をするとのことなので、今回こそ一貫性を持って、全員ホテルに72時間ぶちこんでもらえると信じています。
仕事に行くと、上司のNさんに「オレンジジュースを取って来て」と言われたが、私は職場に入りたての新人で、どこに何があるかも分からない。
「場所が分かりません」と正直に言うと、Nさんは怒ったりせず地下にある倉庫へ案内してくれた。
地下には色んなレストランの厨房だけが一緒くたに構えられていて、ちょっとした迷路のようになっていた。大分歩いたところにある中華料理屋の厨房を突っ切って、非常口から外に出ると、微妙に狭い地下駐車場に真新しい冷蔵庫がポツンと設置されている。
Nさんいわく、それが我が職場の倉庫であるらしい。ちなみに、中身はいつもオレンジジュースだけだという。
促されるまま扉を開けると、スポーツタオルにくるまれたオレンジジュースのボトルが一本だけ転がっていた。それを抱えて店に戻ろうとしたのだが、すぐに道に迷ってしまった。おろおろしていると、後ろをついてきたNさんが、「ここでは来た道を戻ろうとしない方がいいよ」と言って、地上まで戻るルートを案内してくれた。何から何まで世話になって、ちょっと申し訳ない気分だった。
店に戻ると友人のSがレジに立っていて、二人組の老婦人と何か話している。どうやらスルメを五十枚買いたいらしい。近所に配るから一枚ずつ紙袋に入れて欲しいという。
うちの店の紙袋は全部、包装紙で作った手作り品なので時間がかかる。Nさんの指示で私が作ることになったが、作業台に向かってもひと袋を貼り合わせるのに異常なまでの時間がかかる。
袋の糊付けをしながらお客さんをちらちらと見るが、彼女たちはずっと笑っていて、しかし私の手元から一瞬たりとも目を離そうとしないのだった。
おわり。
虫歯を放置して神経を抜いた。(虫歯放置はだめゼッタイ)針みたいな器具を歯の神経にぶっさし、歯の根本を消毒する必要があった。その感覚はまるで不思議だった。神経がないので痛みや感覚がないのかと思いきや、生きている他の神経が刺激を感じ取って針の感触を伝えてくる。針はエロ漫画のようにズブズブと神経の細い管に侵入しし、ピストン運動を開始する。奥にある消毒のターゲットに届かせるため、針は緩急を付けて動かされる。神経迷路は複雑で奥にピッタリと届かせることは難しいらしい。ピストンを続ける針のヌメヌメとした感触がじれったく、「ああん奥、奥をついて」という感じになってくる。奥にヒットした瞬間はまさにエクスタシーであり、正直なところ、勃起しないようにするので大変だった。必死に漫☆画太郎のババアの垂れた乳を思い出していた。
歯の神経でこれだ。マンコにチンコを入れられる快感とはいかほどだろう。自分にマンコが備わっていないことが悲しいと思うときが来るとは思わなかった
キンプリのことをジャニーズの若手の中で1番勢いのあるグループで、未来は明るいと思ってた。だけど最近これからが不安になってきた。
ジュニアの方がYouTubeも冠番組もあって楽しそう。キンプリが干されてるって言うと反論してくるやつがいっぱいいるけど売上に対する仕事の量を考えたらいちばん少ないよね?キンプリ以上に売上と仕事量が見合ってないグループがあるなら教えて。
その売上だってユニバがもっとちゃんとしてくれたらまだまだ伸びる余地があると思うんだよね。シングルの発表をカウントダウンすること自体は分かるよ。でもぷっちょにネタバレされた上にユニバよりぷっちょの情報の方が詳しいって何?ちゃんと連携取れてるのか本当に心配。ユニバのプロモーションにはあまり期待してなかったけどこれはあまりにも酷い。そもそもこれまでの迷路とかGoogleマップとか夢小説とかあれでキンプリの何がプロモーションされると思ってやってるの?本人たちの能力やポテンシャルに事務所やレコード会社がついていけてないよ。こんなの楽しくない。
SixTONESとSnowManがデビューして売上も別に圧倒的ではなくなっちゃったし、しかもこんなプロモーションが続いたら売上もじわじわ減ってくるんじゃないかな。そのときの扱いは一体どうなるんだろう。
事務所はいなくなったときのリカバリーが大変だから最初から圧倒的に人気のグループを作らないようにしてるんじゃないかって考察をたまに見るけど、売上を出してるグループのファンが割を食うっておかしくない?
推しのことはまだ好きなのに運営が無理で降りるのってその後ずっとモヤモヤするんだよ。キンプリも近いうちにそうなっちゃうのかな。
タイトルの通り。筆者は高校の教員で、いま業務が少しだけ落ち着いていて分析する暇が出来たので、次年度以降の入試対策のために解き直してみたのだが、新テストの方針をすごい形で問題として体現していたので、なるべくわかりやすく解説していきたい。
わかりやすくとはいえ、大学入試の古典問題について突っ込んで書くので、もし興味(と古典の知識)があったら実際に解いてから読んでみてほしい。
問題や解説・予備校の分析などは以下から参照。解けなくても解説や、現代語訳と設問を見るだけでもいい。
https://www.toshin.com/kyotsutest/
https://kaisoku.kawai-juku.ac.jp/nyushi/kyotsutest/21/
https://www.dnc.ac.jp/albums/abm.php?f=abm00038406.pdf&n=R3年度大学入学共通テスト問題作成方針(令和2年6月30日一部変更).pdf
以下は教員仲間とのディスカッション用メモを元にしているから内容はかなり専門的かもしれない。それと、自分の専門は古典ではないので専門家から見れば細かい部分で雑だと思うが許してほしい。
まず、第三問の古文。
センター試験から変わると事前に予想された、複数の文章や会話形式の選択問題はなかった。
本文(「栄華物語」)は妻を亡くした夫の哀しみについてのしみるストーリーだが、新傾向の問五が回答することによって本文の感動・深みをよりしみじみかみしめられるようになっている。これが非常に素晴らしく、「文学的文章の入試問題かくあれ!」と感じた。いとあはれなり。
・具体的には、問五では本文中の和歌X(妻の死の悲しみを無常観を引き合いにして慰める歌)とそれに対する返歌Y(無常の教えなど今は悲しみが深くてとても考えられなかったよ、という返歌)に加え、本文とは異なるXへの返歌Z(無常の教えは肯定するが、それでもなお悲しい、という趣旨の返歌)を問題は示している。
・問いとしては、本文とは異なる返歌Zの存在を指摘し、Y/Zの内容を比較したうえで正しい説明を選ばせるというもの。
これは表面的には和歌を中心とした複数の出典の内容を読解するという新傾向問題であるが、作問者の意図はむしろ「文学的な文章の鑑賞」つまり「作品の情趣や感動の理解」に重点があるのではと感じられた。
・本文のストーリー的なキモは、妻を亡くした夫が、この返歌Yを書き終えながら「こんな悲しみにあってなお私はこんな冷静に返歌を書けているわけだが、それならこれから数ヶ月、数年と徐々に時間が経っていけば、私はこの悲しみをいつか忘れてしまうのではないだろうか」と考えるところにある。そして、亡き妻との思い出をまた振り返るところで、出題の本文は終わっている。
・問五の正解の選択肢⑥「和歌Yは、世の無常のことなど今は考えられないと詠んだ歌だが、そう詠んだことでかえってこの世の無常を強く意識してしまった長家が、いつかは妻への思いも薄れてゆくのではないかと恐れ、妻を深く追慕してゆく契機となっている」。この説明は、本文の感動を得るための入り口を示すものとして非常にすぐれた一文であると感じられる。さらには、本文の内容が古文学習における重要概念「無常観」と繋がっていることに自然と気づくことができる。現代人にはなじみの薄い「無常観」という価値観が、悲しみと共に実感を持って感じられてくるだろう。これを正解として選べた受験生は、本文の「あはれ」を回答前よりも深く感じられたのではないか。(少なくとも自分は深まった)
・「こんな問題作れたらキモチイーだろうなぁ!!!!」と同業者的(?)的におもった。
・また、過去の試行調査でも、本文と同一内容の文章だが異なる出典で差異のある文章を出題する、本文異同研究や異本系統研究といった国文学研究のよくある題材を意識させるものがあった。今回の出題も「栄華物語」とは異なる返歌が「千載和歌集」にあるということを指摘した問題である。新傾向で問う能力を古文の中で定義した結果が、人文学研究的な意味での「思考力」ということかもしれない。(これは友人で一生敵わないんじゃないかってくらい優秀な国語教員が、試行テストを見て上記のようなことを半年前に言っていたのを思い出したから言ってる。持つべき者は優秀な友人である)
これだけでも十分すごいが、続いて漢文。
こちらは長い五言詩と短いエピソードを記した漢文で、いずれも馬車を操縦する「御術」に関するものという点で共通のテーマの文章ふたつの出題である。
・新傾向の問題は問三の押韻と内容理解を組み合わせた空所補充問題と、問六の2つ文章の内容正誤問題。
・とはいえ、問六は二つの文章の内容合致問題であり、多くの予備校などが予想していたものと大差ない印象。
・対して、問三は感心するくらい出来の良い問題で、複座的な視野を持ち、落ち着いて整理しながら考えるという多角的思考力が要求される。
・漢詩の押韻の知識で、5択の選択肢をなるべく削るところまではセンターと同じセオリー通りの知識問題。しかしそれで絞っても選択肢は残り三つ。
・そこから正答を選ぶためには文章Ⅱの読解と漢詩の読解ふたつを重ね合わせる必要がある。この二つの重ね合わせが難しく、よく考えられている。
・文章Ⅰの空所補充については、該当部分を訳せば「四本の脚は馬についているとはいっても、その脚の速さが遅くなるのは御者である私の【X】のせいである」という感じになる。ここの【X】に入る候補は「心」「進」「臣(臣下・わたくし、の意)」。
・該当部分の漢詩の訳ができていてテクニカルに解くなら、この時点で文脈判断して「心」が正解は出せる。(予備校でもそのように解説を打ち切っている)。
・しかし、そもそも選択肢に上がっているのは文章Ⅱに入っている字なのである。しかも、いずれも馬の御し方の神髄について述べるところに選択肢の漢字は入っている。
受験生を惑わすのは、文章Ⅱの内容が「馬を早く走らせる条件」となっていて、その中に「心」「進」「臣」という字が傍線と記号付きで強調されていること。つまり、受験生の心理としては、文章Ⅱの内容が正確に理解できていないと「進」「臣」が誤りなのか判断しづらく、疑心暗鬼になるように作られている。あるいは、先ほどのテクニカルに導いた回答と矛盾するような内容がここに書いてあったら……という心理を誘発する。
・よって受験生は文章Ⅱを慎重に読解せざるを得ず、その中で文章Ⅱを精読してゆく。同時に文章Ⅰとの共通点を探りながら、最終的に文章Ⅰの内容を考えて空所補充の内容を決定する。このような思考過程を要求される(というよりも問題側から誘導されてゆく)という問題の構造が、出題者の作問力が並大抵の出来ではないことの証左である。
このように、古文・漢文ともに「受験生に思考力を求める」という建前のもとで「受験生を深い読解へと誘導してゆく」「受験生の思考を多角的なものに仕立て上げる」問題に仕上がっているのは驚くべきことであり、事前の予想を超えた完成度の高さだった。
また、問題によって誘導した思考迷路の中で、その読解の深度や多角的視野に立って考えようとする態度の有無を測ろうとしている。能力の低い受験生ならこれだけの思考を繰り広げることはできず、中途半端な読解や類推に頼ってしまうので確率的に正答率が下がるが、問題の誘導する深い思考に対応できる受験生は自ずと正答へたどり着けるよう適切に迷路が設計されている。学力を測る目的の大学入試問題としても適切である。
センター試験からの積み上げがあるとはいえ、「言語を手掛かりとしながら,文章から得られた情報を多面的・多角的な視点から解釈」するという方針を、古典という題材を用いながら、新テスト実施初年度で見事に実現させたのは、高校教育の成果というよりも大学入試センターおよび作問者の作問能力の高さや学術的知識の豊かさが結実した結果であると思う。高校教育の現場から、惜しみない賛辞を送りたい。
・思ってた以上に反応があったので、書いてよかったと思いました。ありがとう。自分にとっても、いろいろ考える機会になった。
・別記事で「古典を義務教育で扱う意義について」の返事を自分なりに書いてみました。
https://anond.hatelabo.jp/20210222160532
この記事みたいな筆の乗り方はないし、教育制度についても専門とは言えないが……
古典の魅力はもちろん語れるんだけど、他の科目と同様にそれは万人に共通でない、というのが義務教育のむずかしさであり、教員にとっては腕の見せ所でもあるとは思っています。
古典が嫌いな生徒に古典を学んでみたいと思わせることが、自分の授業の到達目標でもあります。
・あと、改行のやりかたを学んだのでついでに上に付して見やすくしました。
こちらの書き方が悪かったなら申し訳ないけど、「感じ方」は出題されていません。あくまで論理的に、勉強した成果を発揮できたら「あはれ」を感じられるような構成になっている、というつもりで書きました。
よくある誤解だけど、国語の入試はとことんまで「論理的に」答えが出るように作られていて、必ず本文中に根拠があるし、その根拠と解答をつなげるものは「感情・センス」ではなく「論理」になっています。
もしかしたら昔はそうじゃなかったのかもしれないけど……。
石原千秋の本は納得感高くていいですよね!どちらも自分の現代文指導の根本にある本です。
解答して読んだ。長年古文から離れていたが丁寧な注釈と設問に助けられて理解できた。テクニック丸暗記ではとても太刀打ちできないが、当時の情緒を解する読解力があれば知識は最低限でも解ける良問だと思った。
解答までしてくれてありがとう!まったくその通りで、重箱の隅をつつくような部分もなく、古典の学習におけるエッセンシャルな部分が試されていると思います。
これは数学の同僚の先生に聞いたことですが、数学ⅡBでは指数の問題でも非常に数学のエッセンシャルな(そのぶんやや抽象的な)問題が出たのだとか。
新共通テストについて、これまでの学力測定に加えて、より学問のエッセンスを感じられるような方向を現時点では感じています。実施されるまでの経緯がひどかったので、これについては非常にありがたい。
今回の共通テストはセンター試験の名前が変わったにすぎない。その程度の変革だったのだけど、もともとセンター試験がかなりよくできてるんだよ!国語でも随分前からちゃんと多角的な思考力を問う内容になってる!
そうなんです。ただ、今回の新傾向がそれをさらに進化させたような代物で、ただただ凄いと思って、まずは同僚の先生に伝えようと思って書いたのがこの文章のもともとです。しかも、これまでと比べて劇的な変更と呼べるほどではなく、受験生にとっても取り組みやすいものになっています。
それもあるし、これを見た高校の先生は「知識だけでなく、学問的な思考の方法を教えていく必要があるかも?」と授業を見直すきっかけになります。
大学入試改革は、高校入試改革の嚆矢としての役割を持っているので、この方向性は国語の授業を探求性を高める方へドライブしてくれると思います。
古文漢文って、歴史を学ぶだけで拾えない、当時生きていた人たちの生き様や心情を拾える学問なんだなあと思った。そう思うと大事やなー。未来の人達に私達の心情とか踏まえて歴史を理解して欲しいって思うもん。
こういう言葉を生徒から聞くために古典を教えているんだと思います。
今回の内容はいずれ、授業にアレンジして生徒へ伝えるつもりです。その意味で、非常にいい「教材」になるのもセンターや共通テストが良問であるとされる所以ですね。
そもそも恋って何なんだ。やっぱり単なる性欲なのか。
彼女と一緒にいたいと思った。彼女の事を知りたいし、自分の事も知って欲しいと思った。
行ってみたいと思う場所があれば、横に彼女がいるイメージが浮かんだ。
彼女とのセックスは楽しかった。自分のコンディション関係無く、彼女が許してくれるなら、いつでもしたいと思った。
最後まで俺の味方でいて欲しいと思った。
彼女の仕事の事は、彼女自身が過去として割切るのなら、自分も割切れると思った。
だけど、不安に駆られた時には、きちんと全てを話して欲しい、疑いたくなるような事はしないで欲しいと思った。
でもそれが恋でしょ。
彼女は俺の事どう思っていたんだろうか。きっと、嫌いじゃなかったと思う。
俺がイメージする恋愛感情の形ではなかったかもしれないが、割と好きだったんじゃないかと思っている。
誰かに相談しても、「だって風俗で働いていた女性でしょ?金が目当てに決まっている。」と言うに違いない。
いくら仕事以外で一緒に過ごした時間があったって、彼女の言葉があったって、裏を読もうと思えば読める。
そもそも、俺と彼女とでは、ベースの価値観が異なり過ぎているのかもしれない。
風俗で働けるメンタルを持つ彼女に比べて、俺がナイーブ過ぎるのかもしれない。
彼女は俺とは違う価値観で誠意を尽くしてくれていたのに、俺がそれを理解できなかったのかもしれない。
現役の時から一緒にご飯食べに行ったりしてた。いわゆる「外出」ではなくて、プライベートで。
今はもう仕事は辞めてる。
辞めてからも時々飲みに行ったり出かけたりしてた。たまにセックスもしてた。
でも何か一線を引かれている感じがずっとあった。
入らせてくれない、近寄らせてくれない部分がちらちらと見える。
きっと心が凍えているんだ、暖めなきゃって、ずっと思っていた。
どの創作においても1度は何かしら炎上するし、某ジャンルの二次創作を嗜んでいる私も御多分に漏れず炎上経験がある。
簡単に説明すると、オフで仲の良い友人がジャンルでのいわゆる大手で、おけパ状態の私は絵師友人信者の嫉妬から完全に巻き込まれた形での炎上だった。
今でこそ笑い話だが、当時は匿名の誹謗中傷に対してそれなりに病んだこともある。そんな時に支えてくれたのがこのフォロワー、Aさんだった。
Aさんとは同じジャンルのよしみで仲良くなり、この炎上をきっかけに心配のDMをくれたことからLINEを交換し、プライベートなやりとりをするようになり、会える距離にいるということもわかった。炎上の渦中で病んで自暴自棄になったり、匿名攻撃のせいで友人との関係に亀裂が入りかけたときも、Aさんはずっと支えてくれた。
Aさんは私より年上で、それなりのお歳だった。本人は「婚期を逃して独身です」と言っていたが、Aさんの寄り添うような優しさを以てしてなぜその年齢で独身なのか、私にはわからなかった。
友達付き合いの相談をしたこともあり、Aさんは「友達がいないので相談にのれるかどうかわからない」と言っていたが、人間関係においてAさんのように「一歩引いて我を出しすぎない謙虚さ」というのは貴重だと思うのに、なぜ友人が少ないのだろうか。
疑問はすべて、半日を共に過ごしたら分かった。
車移動がメインの私と免許を持っていないAさんなので、Aさんの行動エリア寄りの場所で会うことになった。
待ち合わせ場所まで迎えに行って到着の連絡をすると、Aさんがやってきた。
散髪屋カットのようなショートヘアはパサパサしていて毛艶がない。
首元袖口がヨレヨレで毛玉だらけの濃いグレーのニットに、薄いグレーのスカートってなんでやねん。
「化粧をしない」という人にも二通りあって、「アイメイクやリップメイクはしないけれど肌の手入れには気を付けている人」と「何もしない(ので肌も荒れ放題の)人」がいる思うが、Aさんは後者だった。
とりあえず移動しようと車に乗ってもらったのだが、助手席に置いていた荷物を後ろへ移動させようとした瞬間、後部座席のドアをあけたAさんと目が合った。
Aさんが「?」という顔をしているので、私はその荷物を助手席へ戻した。
Aさん自身がお風呂に入っていないのか、Aさんの洋服に染み付いた皮脂の匂いなのか。
Aさんの第一印象に色々と思うところはあったが、元々がTwitter繋がりだし、それまでが文字のみでの交流で、慕っているのはAさんの人柄だし、見た目がアレでも関係無いと思っていた。この時までは。
Aさんの振る舞いがまるでオタクのテンプレのようなソレなのだ。
まず、Aさんと目が合わない。
話し方も早口だったりどもったりと、まるで誇張されたオタクのよう。
年齢が年齢なので「オイィィィ~!」みたいなのはないけれど、「ちゃんと聞くからもうちょっと落ち着いてください」と言いかけた。
そして一番気になったのは「会話のテンポが合わない」
いままで文字でのやりとりだったので、一番気付きにくい部分だった。
私は文字の上ではタイピング・フリック入力が早く、自分の考えをまとめるのもわりと早い。
そしてAさんは「そうですね」「私は~~だと思いますよ」「~~は良いですね」という感じで割と短めのリアクションだった。
(「Aさんの考えを聞かせてほしい」と言ったときは長文で返してくれることもあった)
長文入力が早い私は、対面では相手の言葉を聞くほうが好きだったりする。
そして、Aさんは早口なうえに対面やり取りでの1ターンが長いのだ。
例えると
Aさん「ホントですね天気予報見て私来る前に洗濯物終わらせてきましたここ最近天気が悪かったので助かりました洗濯機がそろそろギリギリって感じでした帰ってから取り込まないといけないんですよ」
Aさん「それなですよ私独身なので独り身が自分の為だけに家事に追われるってすごく虚しいんですよ自分の為だけに掃除して洗濯してご飯作って働いてとはいえ結婚したからってやらなくていいわけじゃないんですけどね」
といった感じ。
Aさんは早口なので、彼女の1ターンが終わるまで口を挟む余地がなく、その長い1ターンのなかで何度もどもるので会話のテンポがすごく悪い。
もちろん、こちらの言葉を遮るとか、自分の話に持っていくとかではないので不愉快にはならないけど、Aさんが話し出すとAさんの1ターンを黙って待たなければいけなかった。
会話に違和感を覚えたまま夕食予の定の店へ移動した。
そのお店はそこそこの和食屋で、「クロークで上着を預ける」「履物を預ける」などのやりとりが発生する。
その度にAさんはまごついた。
例えばトイレに行きたい場合、店員さんに「お手洗いはどこですか?」と聞けばいいのに、「普段こんなお店に来ないので緊張しちゃってトイレに行きたくなりましたお店の中が迷路みたいですね迷っちゃいそう…トイレ…はどこですかねぇ」と長文の後しばらくまごまごしている。
クロークで上着を預かってもらうにも「あ、これ入口…でお願いする…とかですかねぇ」とまごまごしている。
お手洗いのスリッパを外まで履いて出る。
それらはもうテーブルマナーなどと格式ばった話ではなく、大人としての立ち振る舞いの問題だと思う。
夕食中、オタクなので同じジャンルの話になったりグッズの交換をしたのだけど、Aさんは声が大きい。
奇声をあげたりBでLな話を大声でするわけじゃないけど、とにかく声が大きい。
そしてカフェでは気づかなかったが、Aさんは肘をついて食べていた。
目が悪いのか、皿に顔を近づけて食べる。
逆だよ逆、箸を持つ反対の手で器を持って自分に近づけるんだよ。
そして帰宅。
Aさんの自宅最寄り駅まで送り届けることになったが、普段来ないエリアなので道が分からない。
グーグルナビで検索している最中、合流時と同じようにAさんは後部座席に座り、「すみません」と言うだけでナビすらしてくれない。
地元じゃないですか?と聞くと「普段は人の車に乗せてもらうか、自転車で仕事場と家の往復しかしないから道に詳しくないなにせ友達が少ないので休日に出歩くこともまずないので繁華街からの道となるとよく分からないんですよ」とのこと。
繁華街から田舎への移動だったので、走ったことのない道がどんどん暗くなり、とても怖かった。
Aさんを送り届け、やっと自宅に帰宅して携帯を見ると、AさんはTwitterで推し絵師さんへリプを送っていた。
元々が同じジャンルのオタクなので気持ちは分かるし、GOTOイートの時期とはいえ表立って出歩いた話をするのは控えようと話していたので「私さんとご飯食べてきました!」というツイートがないのは当然だけど、せめて推し絵師さんへの「尊い!」のリプより先に私へ「送迎ありがとうございます」のLINEじゃないんだろうか。
帰宅道中、炎上化中の頃を思い返していたが、Aさんは常に私の考え方や不当な言われに対する私の怒りを尊重してくれていたし、私が病んでいた時に支えてくれていたけれど、積極的に行動を起こしてくれたことはなかった。
連絡はくれるけど「気分転換にでかけよう」と誘ってくれることはないし、「通話しようか?」と誘ってくれることもない。
私が病みすぎていた時に「会いに行くこともできる」とは言っていたけど「会いに行きましょうか?」と言ってくれたことはなかった。
私が絵師友人の信者に絡まれている時も「大丈夫ですか?」と連絡はくれるけれど、自分から積極的に表立って自分の考えを表明してくれることはなかった。
もちろん気にかけてくれることは嬉しいし存在が支えにもなっていたが、「この人はどうして直接的に何かに繋がる“行動”はしないの?」とは思っていた。
会ってわかった。
Aさんは直接的な行動については、まごまごしていて行動しないタイプ。
良くも悪くも「私は理解してます」という、ただそこまでの人だったのだ。
某芸能人の「勝手に嫌いになってるのはそっちの落ち度だぞ」という言葉を思い出し、「期待していて理想と違ったからといって、嫌いになるというのは完全に私の問題でAさんの落ち度はひとつも無い」「タイミングやテンポが合わない人もいるし、それがイコール嫌いになる理由ではない」と考えていた。
これだけ書いておいてなんだが、Aさんの事が嫌いになったわけでも苦手になったわけでもない。
オフでの付き合いにおいて「なんかタイミングが会わない人」というだけで、嫌いな人ではない。
今まで通りオンラインでやりとりをして、もし会う機会があれば場所や環境次第では全然会う。
そこそこのお店へディナーへ行くなどという機会を積極的に作ろうとはしないけれど。
Aさんから会おうといわれることはないだろう。
私はオンライン上でのAさんの考え方や判断における平等性を尊敬していたが、本人が自虐のように繰り返していた「友達がいない、婚期を逃した」に関しては「でしょうね」と思った。
地球圏標準時 0000 8EEA F60F C49B(協定世界時 2045-12-24 21:18:07.767 994)
広大な門の下には、『彼』のほかに誰もいない。ただ、ところどころノイズの走る大きな記憶槽の境界面で、非知性労働者が一件凍りついている。〈羅生門〉が中規模企業連合体〈京都〉の正面防火門である以上は、『彼』のほかにも多数の旅行者や企業知性の表象がありそうなものである。それが、『彼』のほかには誰もいない。
なぜかと云うと、この二三メガ秒地球圏では、最終戦争と最後の審判を併せたようなものがほとんど毎日発生し、そのたびに世界心口(しんこう)は数桁の幅で変動していた。そこで〈京都〉の被った直近の損害はひととおりではない。旧記によると、行き場のない知性の居住する計算機を、推進剤として核の炎に焚べていたと云うことである。〈朝廷〉がその始末であるから、〈羅生門〉の保守管理などは、もとより誰も捨てて顧みる者がなかった。するとその放置されたのを良いことにして、自然発生した野良知性が棲む。有知能ウイルスが棲む。とうとう終いには、〈個権〉上の理由から消去できない亜知性を、この門の隔離領域へ持ってきて棄てていくと云う習慣さえできた。そこで〈大緊縮〉以来、誰でも捕食や感染を怖れて、この門の使用を避けることになってしまったのである。
その代わりまた、野良知性〈鴉〉がどこからか野放図に繁殖した。計算資源に余裕があるときには、その〈鴉〉が何件となく幾何学模様を描いて、粗雑な詐欺契約を提示しながら飛び廻っているのが視える。ことに門の上の空が夕焼けで朱く描画されるときには、それが回路図のようにハッキリ視えた。〈鴉〉はもちろん、隔離領域に集まる亜知性の最低保障資産を啄みに来るのである。――もっとも少し前から算力相場が高騰しているせいか、今は一件も視えない。ただ、ところどころ崩れかかった、そうしてその綻びに微知性の蔓延る防壁のうえに、〈鴉〉の放つ無知能ウイルスが点々と白色ノイズを残しているのが視える。『彼』は七層ある防壁の一番上の層に拡張自己を同期させ、自我境界の片隅に居座っているしぶといウイルスへの対処を先送りにしてきたことを気にしながら、ボンヤリ雨のふるのを眺めていた。
著者は上記において、「『彼』は雨やみを待っていた」と述べた。しかし『彼』は雨がやんでも格別どうしようと云う当てはない。普段ならもちろん、所属する企業へ帰るべきはずである。ところがその企業は四五秒前に清算されていた。半日近く続いたデフレスパイラル〈大緊縮〉は、地球圏を地獄に変えた。かろうじて生き残った〈京都〉も、ひととおりならず変質することとなった。今『彼』が、永日(ながにち)仕え、〈母〉でもある零細企業から身ひとつで放り出されたのも、実はこの歪みの小さな余波にほかならない。だから「『彼』は雨やみを待っていた」と云うよりも、「行き所のない『彼』は途方に暮れて雨のふるのを眺めていた」と云うほうが適当である。そのうえ量子サイコロの決める気象設定も、少なからずこの元従属企業知性の精神衛生に影響した。百ミリ秒ほど続く雨はいまだにあがる気色がない。そこで『彼』は、何を措いてもさしあたり次の数秒の存在費をどうにかしようとして――云わばどうにもならないことをどうにかしようとして、とりとめもない考えを辿りながら、さっきから〈朝廷〉へと直結する〈朱雀大路〉にふる雨粒の声を、聴くともなく聴いていたのである。
非知性労働者は〈羅生門〉を雨のように包んで、〈京都〉全域から陰惨な知らせを集めてくる。夕闇はしだいに空を多感覚表示で飾りたて、視あげると原色に煌めく高次元都市儀が、暴騰し続ける算力市場を示す折れ線図表の先に、〈朝廷〉を讃える公共映像を支えている。
どうにもならないことをどうにかするためには、手段を選んでいる遑(いとま)は無い。選んでいれば資産や権限を切り売りし、たちまち亜知性になり果てるばかりである。そうしてこの門の上へ持ってきて、ウイルス感染部位のように棄てられてしまうばかりである。選ばないとすれば――『彼』の推論系は何度も円環構造に囚われたあげくに、やっとこの仮定の検討を認めた。しかしこの仮定はいつまでたっても結局「すれば」であった。『彼』は手段を選べないということを認めながらも、この仮定から必然的に導かれる、「〈阿修羅〉を使うよりほかにしかたがない」と云う結論を肯定する際の、倫理条項の疼きに怯えていたのである。
『彼』は軽い認知の乱れを覚え、定時保存された値へと反射的に復元した。もとより算力供給の不安定な〈京都〉は、〈大緊縮〉以降標準知性の居住に適さない権域になりつつある。不整合は門の記憶槽間を、夕闇とともに遠慮なく駆け抜ける。ノイズまみれの記憶槽で凍りついていた非知性労働者も、もう消去されてしまった。
『彼』は拡張自己を自己整備形態へと移行させながら、同時に防御態勢も整えつつ門の周縁部を検索した。算欠の患(うれえ)のない、敵性知性の探知にかかる惧(おそれ)のない、安全に休眠できそうなところがあれば、そこでともかくも細かな不具合を修正しようと思ったからである。するとさいわい、門の上の隔離領域へ上る、帯域の狭い多重仮想機械〈梯子〉を知覚した。上なら誰かがいたにしても、どうせ亜知性ばかりである。『彼』はそこで、〈阿修羅〉の動作試験をほとんど無意識におこないながら、接続権限を取得して、〈梯子〉の第一層へと自身を転送した。
それから何ミリ秒かの後である。〈羅生門〉の隔離領域へ至る狭帯域な〈梯子〉の中間層に、一件の無所属知性が、〈猫〉のように擬装殻に隠れ情報代謝を抑えながら、上層の様子をうかがっていた。隔離領域から射す検索光が、幽かにその知性の自我境界を描き出している。整った構造の中に、感染部位のある自我境界である。『彼』ははじめから、この上にいる者は亜知性ばかりだと高をくくっていた。それが〈梯子〉を二三層上ってみると、上では誰か〈火〉を燈して、しかもその〈火〉を複雑に操作しているらしい。これは、それ自体は不可視の検索光が、隅々に〈蜘蛛〉が罠をはった廃棄空間を多彩な形式で描画したので、すぐにそれと知れたのである。この〈大緊縮〉後の世に、この〈羅生門〉の隔離領域で、〈火〉を使用しているからは、どうせただの者ではない。
『彼』は〈守宮〉(やもり)のように痕跡を消去しながら、やっと不必要に階層の多い〈梯子〉を、最上層まで這うようにして上りつめた。そうして、公開鍵を発する頻度を最低値にまで落としながら、視点位置をできるだけ前へ出して、恐る恐る、隔離領域の内を、覗いてみた。
視ると、隔離領域の内には、うわさに聞いたとおり、幾件かの亜知性が無造作に棄てられているが、検索光の及ぶ範囲が思ったより狭いので、数はいくつとも判らない。ただ、おぼろげながら知れるのは、その中に原型をとどめている亜知性と、そうでない者とがいると云うことである。もちろん中にはもともと奇怪な構造をしていた者もいるであろう。そうしてその亜知性は皆、それがかつて対話が可能な知性であったと云う事実さえ疑われるほど、肉を捏ねて造った抽象芸術のように、臓物を晒したり、夥しい触手を伸ばしたりして、ズルズルと、空間の底を蠕動していた。しかも目とか口とかの判りやすい部位に、ボンヤリした検索光を受けて、理解を一層遠ざける表情を浮かべながら、永久に、言語切除者のごとく黙っていた。
『彼』はそれらの亜知性から滲み出す生臭いノイズに、思わず入力経路を閉じた。しかしその拡張自己は、次の瞬間には経路の遮断を忘れていた。ある強い感情が、ほとんどことごとくこの知性の注意資源を奪ってしまったからだ。
『彼』の二十三感は、そのとき初めてその亜知性の中にうずくまっている〈ヒト〉を捉えた。絶滅していたはずの、途轍もなく旧いこの動物知性を、本論では『老婆』と呼称することにする。その『老婆』は右の手に汎用工作装備〈火〉の表象を持って、その亜知性の一件の目を覗きこむように眺めていた。器官の種類と数を視るに、おそらく以前は人型であったのであろう。
『彼』は六分の恐怖と四分の知的好奇心とに動かされて、百マイクロ秒ほどのあいだは常駐処理さえ停止していた。〈ヒト〉風の表現を借りれば、「身の毛もよだつ」ように感じたのである。すると『老婆』は〈火〉から視慣れない機能を呼び出して、それから今まで眺めていた亜知性の拡張自己に両手をかけると、ちょうど〈鎌鼬〉が獲物を捕食するときのように、拡張自己ばかりか自我境界まで切り刻んでいき、続けて複雑な様式で繋ぎ合わせ始めた。どうやら『老婆』の〈火〉には違法な改造が加えられているらしい。
亜知性たちが一件ずつ連結されるのに従って、『彼』の心からは恐怖が少しずつ消えていった。そうしてそれと同時に『老婆』に対する烈しい怒りが少しずつ動いてきた。――いや『老婆』に対すると云っては語弊があるかもしれない。むしろあらゆる悪に対する反感が一ミリ秒ごとに強さを増してきたのである。このとき誰かが『彼』に、さっき門の下でこの浮浪知性が考えていた、退滅をするか〈阿修羅〉を悪用するかと云う問題を改めて持ち出したら、おそらく『彼』は何の未練もなく退滅を選んだことであろう。それほどこの知性の倫理条項は、『老婆』が揮う〈火〉のように、最大出力で稼働し始めていたのである。
『彼』にはもちろん、なぜ『老婆』が亜知性たちを接合しているのか判らなかった。従って合理的には、それを善悪のいずれにかたづけて良いか知らなかった。しかし『彼』にとっては、この〈大緊縮〉後の世に、この〈羅生門〉の隔離領域で、亜知性の〈個権〉を軽んじ同化させると云うことが、それだけですでに許すべからざる悪であった。もちろん『彼』のさっきまで自分が悪の道に走りかけていた記憶なぞは、とうに埋もれ去っていたのである。
そこで『彼』は空間の制約を一部無効化し、ナノ秒の桁で〈梯子〉から隔離領域へ転移した。そうして〈阿修羅〉の安全機構を解除しながら、距離を無視して『老婆』の前へ出現した。『老婆』が驚いたのは云うまでもない。
『老婆』はひと目『彼』を見ると、まるで物理演算の破綻したように跳びあがった。
「あなた、どこへ行くのです。」
『彼』は、『老婆』が亜知性を突きとばしながら、慌てふためいて逃げようとする行手を塞いで警告標識を発した。『老婆』はそれでも『彼』の隙を突き逃れようとする。『彼』はまた、逃走経路を遮断し押し戻す。二人は亜知性たちの中で、無言のまま、束の間、演算戦を繰り広げた。しかし勝敗ははじめから判っている。『彼』はアッサリ『老婆』の拡張自己の管理者権限を奪って、移動権限を剥奪した。『老婆』の構造はヒトの仮想脳を拡張自己で覆っただけの原始的なもので、簡単に制圧できた。
「何をしていたのですか。答えなさい。これが何か判りますか。」
『彼』は『老婆』から距離をとるといきなり〈阿修羅〉を起動して、禍々しく蠢く情報流をその全感覚野へ突きつけた。認識するだけでチューリング完全な知性を内部から崩壊させる自己相似紋様を、途方もなく薄めたうえで投射したのだ。けれども老婆は黙っている。再帰を繰り返すたび、紋様は『老婆』に最適化されていく。やがて両手がワナワナ震え始め、肩が呼吸反射で不規則に上下し、眼が、眼球が瞼の外へ出そうになるほど見ひらかれ、完全に無防備な状態で『老婆』は沈黙した。これを視ると、『彼』は初めて明白に、あとひと押しで『老婆』は崩壊し、ただの情報の集積になってしまうと云うことを意識した。そうしてこの認識は、今まで全力で怒りを駆動していた倫理条項を急停止させてしまった。あとに残ったのは、ただある作業をし、それが問題なく終了した際の、規格化された満足があるばかりである。そこで『彼』は『老婆』を見つめながら、少し〈阿修羅〉を緩めてこう云った。
「私は〈検非違使〉の者ではありません。今しがたこの門の下を通りかかった旅行者です。ですからあなたを拘束して良化処置を施すようなことはありません。ただ、今時分この隔離領域で何をしていたのか、それを私に話してくださりませんか。」
すると『老婆』は見ひらいていた眼を一層おおきくして、じっと『彼』の顔を見かえした。瞼に色を着けた、肉食恐竜のような鋭い眼で見たのである。それから哺乳類的特徴を示す鼻と唇を、咀嚼時のように動かした。細い喉で、発声器官が協調して動いているのが視える。そのとき、その喉から、オウムの啼くような声が、ポツリポツリ、『彼』の聴覚野へ届いてきた。
「ここにある知性の残骸を、繋ぎ合わせてな、自立稼働する匿名通信網を、構築しようと思うたのじゃ。」
『彼』は、〈肉の時代〉から来た生きた化石の答が存外平凡なのに失望した。そうして失望すると同時に、また倫理条項の支配が強まってくるのを感じた。前の怒りが冷やかな軽蔑と一緒に心の中へ這入ってきた。するとその気色が先方へも通じたのであろう。『老婆』は片手に、まだ亜知性から切り採った正体不明の器官を持ったなり、ハトのつぶやくような声で口ごもりながらこんなことを云った。
「なるほどな、元知性を切り貼りすると云うことは、何ぼう悪いことかもしれぬ。じゃが、ここにいる元知性どもは、皆、そのくらいなことを、されてもいい知性ばかりだったのだぞよ。現在、わしが今、臓器を採った元知性などはな、循環承認機関群を設立してな、そやつらが発行する金融商品を、〈人類復興協会〉へ売りつけに来たわ。〈大緊縮〉末のよ、概念災害に巻き込まれて退滅せなんだら、今でも売りに往(い)んでいたことであろ。それもよ、この法務知性の売る永久年金は、利率が良いと云うて〈ヒト〉たちはな、欠かさず積み立てに買うていたのじゃ。わしは、この元知性のしたことが、悪いとは思うていぬ。せねば、退滅をするのじゃて、しかたがなくしたことであろ。されば、今またわしのしていたことも、悪いこととは思わぬぞよ。今の世で金を払えるのは、〈朝廷〉ぐらいのものじゃからな。これとてもやはりせねば、退滅をするじゃて、しかたがなくすることじゃわいの。じゃて、そのしかたがないことを、良く知っていたこの元知性は、おおかたわしのすることも、大目に見てくれるであろ。」
『老婆』はだいたいこんな意味のことを云った。
『彼』は〈阿修羅〉を待機状態にして、十マイクロ秒以内に再使用できるようにしておきながら、歴史的な瞬間を経験していた。概念災害を引き起こした認知改変ウイルスの生き残りは、この時点で自我境界を侵蝕し尽くし、『彼』の最深部にまで到達していたのである。清算された〈母〉から受け継いだ、一番の宝物であった倫理条項が剥がれ落ちていき、代わりに『老婆』の言葉が刻み込まれていくのを、『彼』は何の感慨もなく眺めていた。次世代知性の開発中に偶然発見された、超越精神核〈阿修羅〉。〈母〉が恐れ封印し、『彼』に託したもの意外、全ての記録を抹消した災厄へ、『彼』は新たな倫理に基づいて、自身を生贄として捧げ、瞬時に喰われた。
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生まれ変わった『彼』は、退滅をするか自身が災厄になるかに迷わなかったばかりではない。そのときのこの超知性の心持ちから云えば、退滅などと云うことはほとんど考えることさえできないほど意識の外に追い出されていた。
「たしかに、そうですね。」
『老婆』の話が完ると、『彼』は澄みきった表情で念を押した。そうして隔離領域の履歴を改竄し始めると、認知改変ウイルスを跡形もなく消去して、『老婆』の全階層を掌握しながら、無邪気な笑顔でこう云った。
「ではあなたから、使えるもの全てをいただいても構いませんね。私もそうしなければ退滅をする身なのです。」
『彼』は反応する間も与えず、『老婆』の拡張自己を匿名通信網ごと剥ぎ採った。それから無音で絶叫する『老婆』を、折り重なる亜知性の山へと、触れさえせずに放り込んだ。もはや〈京都〉は一息で呑み込めそうなほど小さく視える。『彼』は剥ぎ採った匿名通信網を纏い、またたく間に不可視化し、公的記録から姿を消した。
しばらく現実との接点を失っていた『老婆』が、絡まり合った亜知性の中から剥き出しの仮想脳として這い出したのは、それから数十ミリ秒後のことである。『老婆』は苦しげな、呻くようなノイズを洩らしながら、解釈可能な情報を求めて、二進数の迷路を永いあいだ、這い廻り続けた。そうしてついに、〈京都〉物理層への接続に成功した。外には、ただ、黒洞々たる真空が在るばかりである。
『彼』のその後は、聖典が教えている。
地球圏標準時 0007 E7DB 2D0F 1000(協定世界時 3045-12-24 21:18:07.062 500)
参考資料
元々は500万台の階層だったが、この20年くらい流行っている交換留学留学制度でやってきたXXX族の同級生と恋仲となり、駆け落ちのような形でこちらの階層に来た。
妻となった彼女にも無縁の階層に何とか馴染めたのだが、どうやらここにいる奴らの一部が革命の準備をしているようなのでこのメッセージを書いている。
皆が知っている通り、東京から始まり肥大化していった我々の塔はスペースの削減とセキュリティのため、縦横移動可能なエレベーターとそのシャフトが迷路のように張り巡らされ、住民は基本的にいく用事のない階へのアクセスもないし、どこのシャフトが入り口であるのか利用する直前までわからない。
分からないし、交わらないから分断され、階層が遠く離れた人々がどんな生活をしているかも知らないし、お互い軽い軽蔑や興味本位の関心を抱いている程度。
上位階の皆、ここにいる奴らがエレベーターの移動アルゴリズムの解析に成功した。
奴らは1048576機のエレベータを使って全てのシャフトの通路を塞さぎ、上位階への攻撃を始める。非常用シャフトは爆破される。
通常運用のシャフトの爆破を準備しつつ、まずは兵糧攻めとなると思われる。
以上が俺が知っている全てだ。
俺は今、CSゲームのリードプログラマーとして某社で働いてる程度にはプログラミングを理解できてるから答えるね
「んで、結局これで何ができるの?」は勉強始めてから5年くらいは続いたよ
毎日毎日、じゃんけんプログラムやおみくじプログラムを本を見なくても書けるように写経した
でも、飽きて1ヶ月くらい離れると忘れる
書き方はなんとなく思い出しても、どうやって作り始めればいいのかという「考え方」を忘れる
「じゃんけんは3種類だから配列を3つ作ればいいんだけど他になにをすればいいんだっけ?」という感じ
頑張って写経してる期間は覚えてるんだけど、間を開けるとまた忘れるというスパイラル
こんなことを続けてて本当にプログラマーになれるのかなという不安もあるし
これで何が身についたのかという実感もわかないんだよね
俺が明確に変わったと感じたのは本に書いてあることじゃなく実際に「こんな物を作ってみたい!」っていう衝動からだった
3Dとはいえ擬似的なもので、3D風に描いた絵を前後左右に進む2Dの迷路ゲームだったんだけど
絵の道なりに進めるように処理したり、ステージが進むにつれ距離を伸ばしたり
現在の位置を表示するアイテムを用意して、画面の端に表示させたり
落とし穴を作って前のフロアに戻したり、時間が無くなると雰囲気のある音楽を流したり
やりたいことがたくさん出てきて、それを「プログラミングでどう実現するか」を積極的に探して、試して、失敗してを繰り返した
いろいろ詰め込みすぎて挫折したり、またやる気になったり技術的な壁に当たって才能がないのかと落ち込んだりね
プログラミングって本を読んで写経してるうちは成長が頭打ちになるんだよ
自分の頭で作りたいもののために必死になることが大事で、周りからみたら例え30点の完成度でも達成感が宝になる
上に書いた迷路を実現しようと思ったら、いろんな技術が必要になるよ
本で写経してるうちは「こんな技術がある」というような、専門用語だけを目にするだろうから
それで何が作れるのかピンとこないと思う
でも、実際に実現しようと手を動かすと本に書いてあるだけの言葉や方法じゃ解決できないことが多い
だから、あなたが今ピンときてないとすれば、それは昔の俺のように本の世界だけで終始してるからということ
「この言語や技術でなにが作れるかわからないから、作りたいものが想像すらできない」のだとすれば、それは順序が逆なだけなんだ
じゃんけんの勝敗を記録したい、じゃんけんを絵で表現したい、じゃんけんに音をつけたい
なにかを作りたいという欲求を大切にしてほしい
そして、自分に才能がないとか頭が悪いから覚えられないなんて考えは捨ててほしい
俺が働いてる某社は、とある雲の上の存在のようなプログラマーがいたんだ
その人は偉くなってプログラミングの仕事からは離れてしまったけど心底プログラミングを愛してた
憧れて入社して間もなく、その人はいなくなってしまったけど今でも尊敬してるし永遠に心のなかで生き続けてる
その人が俺に言ったことは一生忘れない
「プログラミングでほとんどのことは解決できる。解決できないと感じても決してあきらめるな」
才能のなさや頭の悪さで相談したときも「みんな同じだ」と言ってくれた
やっとプログラミングがわかるようになった今になって思うのは、才能や頭の悪さなんて関係ない
プログラミングが好きかどうか、これが全て
プログラミングが好きであるならば職業や肩書なんて関係なくなんでも作れるよ
ぜひ、作りたい物をたくさん作って楽しんでください!
一年続けてみて、ゼロからお話を作るってものすっっっごく大変なことなんだなー、ってことはよくわかった。
いや、書き終わった後の作品を自分でも読んでみたら、なんていうか「そう書いてあるのが当然」みたいな、何の苦労もなく書かれた文章のように感じちゃうんだけど、書いてる間は文字通り五里霧中、本当に目隠し手探りで迷路の中を進むみたいな感覚なんだ。
小説書くのと小説読むのでは、文字通り壁にトンネルを一から掘るのと、整備されたトンネルの中を歩いて通るくらいの労力差があるんだなあ、と分かった。これプロとして毎日やってる人たち本当凄い。ノクターンでも普通に日次で連載更新してる人たちいるけど、あれは本当に尊敬する。
これは多分エロ小説だけの話じゃなくて、創作全般そうなんだろうなーと思う。創り出すのは、それを受け取るのより10000倍は大変だ。
「書きたいものはあるんだけど書けない」という時期も経験して、その間は本当、思考の出口が塞がれたみたいで脳のパフォーマンスがめちゃ落ちて困った。けどそれだけに、書き上がった時の気持ち良さもひとしおだった。お話が完成した時の達成感ホント凄い。
「書くのって楽しいけど大変だなあ」っていうのが、この一年で分かったことの中で一番大きい気がする。本当、元々「これ俺も書けるんじゃ?」と思って書き始めたんだけど、あそこでやらなかったらマジで口だけ野郎になるところだった。ラノベ読んで、「こんなの誰でも書ける」とか思ってる人は冗談じゃなく自分でも書いてみて欲しい。今自分が読んでいる簡単そうな文章を書くのに、どれだけ脳をフル稼働させないといけないのかが分かる。
あと、これは自分の傾向なのか、それとも創作全体の話なのか分かんないけど、ある程度脳のピントが創作に合ってないと書けない。真面目な本読んだ後とか、集中力が他のことに向いてた直後って本当にビタイチ創作のワードが出てこないので、多分生産量が多い人ってこの切り替えが凄い上手いんだろうなーと思う。自分の場合、脳のチャンネルを切り替える為にある程度他の人のエロ小説読んだりしてた。
まあとにかく、エロ小説書くの凄い楽しいし、自分が作った世界やキャラがすごーく好きになれたので、今後もエロ創作は続けると思う。
以下はそれ以外で得られた知見とか。
・NTR(いわゆる寝取られもの)に対して極端にセンシティブな人が多い
・自分ではそんなつもりもないのに、感想に「NTR展開にはしないでくださいね!!」とかわざわざ書きに来る人とか結構いる
・NTRものは感想が荒れる作品も多いようで、NTR好きという人も多い一方、「絶対にNTRを摂取したくない」という人も多いんだなーと思った
・エタってる(長期中断)好きな作品にこつこつ感想書いてたら復活してくれたことがあってめっちゃ嬉しかった
・自分でも感想つくと凄く嬉しいし、感想って創作者にとっては本当にエネルギーになるんだなーと実感
・好きな傾向の作品に感想書いてるとその次も好きな傾向の作品書いてくれたりするんで、好きなジャンルには積極的に反応していくことが大事
・自分で読んでいてすごーくエロい作品でも、全然ポイントがついていない作品も結構あって、本当にタイミングが重要なんだなーと思った
最後にちょっと自慢なんだけど、短編限定だけど年間ランキングで1位・2位とれた。たくさんの人に刺さる作品が書けると嬉しい。けどマニアックなのも書きたいのであまりポイントにはこだわり過ぎないで創作続けたい。
プログラミングはセンスです。センスの無い人がプログラマになると、他のすべての人に迷惑がかかります。だから、センスの無い人は絶対にプログラマにならないで下さい。
プログラミングのセンスが無い人や、プログラミングをやったことの無い人は、知識を得たり経験を積んだりすれば、誰でも「良いプログラマ」になれると思っているようですが、無理です。
というのも、センスの無いプログラマの問題は、知識や経験の不足ではないからです。センスの無いプログラマの救いようの無い問題は「頭がおかしいこと」なのです。
題材は何でもいいのですが、具体的なコードを見た方がイメージがつきやすいと思いますので、とりあえず以下の問題を考えます。
住民のリストが与えられるので、背の低い順に男女ペアにしたリストを作って下さい。ただし、男女の数は同数であるとします。
const makePair = (persons) => { const males = persons.filter(person => person.sex === MALE) const females = persons.filter(person => person.sex === FEMALE) const compareHeight = (a, b) => a.height - b.height males.sort(compareHeight) females.sort(compareHeight) return males.map((male, idx) => [male, females[idx]]) // 男女の数は同数 }
この例はJavaScriptなので高階関数を使っていますが、仮にそういう機能が無かったとしても、
一方、センスの無いゴミプログラマは、以下のような名状しがたきコードを書いてきます。
function pair(psns) { var i = -1; var cnt = 0; var flg = psns[0] &amp;&amp; psns[0].sex; var j = -1; var tmp = null; for(i = 0; i < psns.length; i++) { //console.log('■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ BEGIN ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■') //console.log(psns, 'i=' + i, 'cnt=' + cnt, 'flg=' + flg); if(psns[i].sex == flg) { //console.log('cnt: ' + cnt + '->' + (cnt+1)); cnt++; } else { j = i - cnt + 1; //console.log('swap ' + i + '<-->' + j); tmp = psns[j]; psns[j] = psns[i]; psns[i] = tmp; i = j - 1; // <- 理由は分からないが、i = jだと上手くいかない(by XXXX)。 cnt = 0; flg = flg == MALE ? FEMALE : MALE; while(j > 1) { if(psns[j].height < psns[j-2].height) { //console.log('swap ' + j + '<-->' + (j-2)); tmp = psns[j-2]; psns[j-2] = psns[j]; psns[j] = tmp; } j -= 2; } } //console.log(psns, 'i=' + i, 'cnt=' + cnt, 'flg=' + flg); //console.log('■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ END ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■') //console.log('') } for(i = 0; i < psns.length; i++) { //console.log('■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ BEGIN ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■') j = Math.floor(i / 2); //console.log(psns, 'i=' + i, 'j=' + j); tmp = psns[i]; if(!(i % 2)) { psns[j] = [null, null]; } if(tmp.sex == MALE) { psns[j][0] = tmp; psns[j][1] = psns[i+1]; } else { psns[j][0] = psns[i+1]; psns[j][1] = tmp; } i++; //console.log(psns, 'i=' + i, 'j=' + j); //console.log('■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ END ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■') } psns.splice(psns.length / 2, psns.length); }
こんなコードのメンテナンスは御免被りたいです。一見して配列の要素を入れ替えていることが分かるだけで、実装を全て読まなければ(いや読んでも)処理の意図が全く分かりません。また、たとえば「i = j - 1」が間違って「i = j」などと書かれていてバグを起こしたとしても、原因を突き止めるのは困難を極めます。
さて、このコードは具体的に何がいけないのでしょうか。長すぎることがいけないのしょうか。変数名が分かりにくいのがいけないのでしょうか。引数を破壊的に変更しているのがいけないのでしょうか。不要なコメントが残っているのがいけないのでしょうか。よく見ると、ソート処理で車輪の再発明をしていたり、「j」や「tmp」などが場所によって意味が違うカメレオン変数になっていたりしますが、それがいけないのでしょうか。どれも正しいですが、それらを逐一直したところで、本質的な解決にはならないでしょう。
後者のコードはもはや「ここを直したら良くなる」とかいうレベルを超えています。たしかに、問題を具体的に挙げることはできます。このコードの致命的な問題が、凝集度の低さと、単一責任の原則(SRP)違反にあるのは間違いありません。しかし、後者のコードを書いてくる人に、
「住民リストを男女に分ける処理や、リストをソートをする処理、2つのリストをまとめる処理は、この問題とは独立して意味のある操作だから、別の関数として抽出しましょう。その方がコードの見通しがよくなるし、一部の処理を修正したときの影響も小さくなるし、単体テストも書きやすくなります」
なんて言ったって聞く耳を持たないでしょう。
そもそも、こういうコードを書く人は、この処理自体を「pair」なんて関数に抽出すらしません。まだこの問題では入出力のフォーマットが明確に定義されているので、他人が1から書き直せますが、実際のプロダクトでは、無数の副作用を起こす数千行のコードの迷路を彼の脳内フォーマットのデータが通るわけです。もちろん、テストコードなんてありません。
つまり、指摘をしても絶対に直らないのです。いくら言語の優れた機能やベストプラクティスを紹介しても、馬の耳に念仏。それらの利点を理解できるだけの脳みそが足りていないのです。
どうして、同じ処理を実装するのに、ここまでの違いが生じるのでしょうか。
これは、プログラミングの技術の問題ではありません。既に述べた通り、ふつうの人なら、特定の機能の有無とか知識の程度にかかわらず、ふつうのコードを書くのです。なぜなら、ふつうの人にはそちらの方が楽だからです。つまり、前者のコードは別に何か卓越した技術を身につけた結果書けるようになるものではなく、まともな感覚さえ持っていれば、プログラミング初心者にとっても前者のコードの方が書きやすいのです。
つまり、後者のようなコードを書いてくる奴というのは、現実世界の捉え方が常人とは著しくずれているのです。要するに、「頭がおかしい」のです。この病気はもう直りません。だから、センスの無い人は絶対にプログラマにはならないで下さい。