はてなキーワード: ファッション雑誌とは
「君の名は。」で口噛み酒のシーンが気持ち悪いと言う話になっている。
http://togetter.com/li/1029154
口噛み酒自体は新海監督のある種のフェティシズムの発露であるというのはインタビューでも言っていたのでまぁ気持ち悪く感じる人がいるのもわからなくはない。
本来性癖は人によって千差万別でかなり慎重に扱うべきものだからだ。
一方でエロは万人にほぼほぼ普遍的に存在するものなのである程度の公約数的な部分を確保してしまえば多くの人間にフックするという強みもある。
新海誠監督は今まで過去作においてエロティックな場面をほとんど描いてこなかった。
その理由は私にはわからないがある種の特徴の一つでもあったと思う。
そういった点がこじらせた「童貞」臭さと言われる一端でもあった。
※ちなみに新海監督は童貞臭いと言われることを一定程度評価している旨をラジオ番組で発言している。
おそらく童貞臭いという評価に内在する純粋さ・ピュアさが新海監督がターゲットにしている思春期の男女にまさにクリティカルにHITする部分だと思っているからだろう。
今回はそこから一歩踏み出し、フェティシズムや一定程度健全なエロさを作中に含ませようと考えたのは恐らく言の葉の庭の足フェチ描写が観客に評価されたからであると思う。
ということに気づいたのだと思われる。
東宝に出した最初の企画書の時点で三葉の胸を揉む描写が既にあったことが見て取れる。
一方で性欲を丸出しにしてしまうと下品すぎて観客が引いてしまうことは恐らく既に把握していて、言の葉の庭では足を触る描写をエロティックだが徹底的に崇高かつ審美的に描き下品さをかき消すと言う手法を使った。
それに対して今回使った手法はベタベタと言っているように定型的で既に出来上がった文脈の手法をそのまま持ってきた形だ。
つまり笑いを使うことでエロさに健全さをくっ付けることで観客が引くことを回避させようと言う手法である。
つまり観客にこのシーンを見て笑ってもいいんだぜ?
というわけだ。
最近エロの手法を取り入れたにしてはこの辺の技巧に非常にしびれたし、単純にうまいなと思わされた。
なんとなくこの辺で瀧君を「ちょっとエッチな東京から来たイケメン」という卑近さを生み出すの成功しているような気がする。
股間に手を出すのはアウトだが、胸ならギリギリという非常に危ういラインだ(瀧が三葉の状態でトイレに行く描写がないのはそういうことだろう。三葉in瀧ではあるのに)。
その他こまごました部分を含めてその辺の舵取りはかなりきっちり詰めたのだろう。
お見事でした。
しかし、この入れ替わりシーンは置いておくとして問題になっているのは口噛み酒のシーンである。
と言うシーンである。
ここにオタク男性的感性をどうしても感じてしまうと言う点である。
四葉が女性の性的価値を少女でありながら感じていることに違和感を感じると言うことだろう。
しかし、正直この点に男性性をいきなり感じてしまうというのは少々飛躍しすぎではないだろうか。
実は作中に少女向けのファッション雑誌が部屋に転がっていると言うカットが存在する。
つまり、四葉はそういう点にわりと自覚的であるのではないかというエクスキューズをわざわざ用意してあるのだ。
あるいは三葉の言うとおり「思春期前のお子様」であるのでそういった視線に知識はあるものの無頓着である。
という解釈もできるかもしれない。
いずれせよ、安易に一方的な男性性を見出すには少々待ったをかける必要はあるはずだ。
ネット上の論評をいくつか見て回って、少し思ったことがある。
思ったのは新海誠が男性であるからといった点が論評において強く作用しているのではないかという点だ。
もちろん秒速5センチメートルが強い男性目線からの作品であったのは事実だと思うし、実際作中のモノローグの量はタカキの物が大半だ。その様な作品で男性性を強く見出すのはわかる。
しかし、だからといって一足飛びに「君の名は。」をすぐに男性的であると決め付けすぎるのはすこし早すぎる気がする。
もちろん過去作の文脈をまるごと無視するというのはさすがに無理があると思うが、言の葉の庭における雪野の描写や彼女と彼女の猫が女性主人公であるという点を無視しすぎである。
一方で日本では従来の男性ファンがあまりにも多すぎた気来がある。
そのせいかどうも、評論すら男性的目線から見たものが多すぎる気がする(特に上白石萌音が秒速でどちらかというとコスモナウトに感情移入したというのは示唆的だ。ネット上であまりその視点から言及した記事を見たことがない。)
女性が自分の性的価値を認識していないというのは少々一方的過ぎるだろう。
女性受けを狙ってアイドルをやっている人もいるという説明もまぁそういう人もいるだろうが、皆男性からの目線を意識していないなどというのは少し純粋性を女性に求めすぎだ。
特に三葉が口噛み酒販売に対して斜め上の回答をしたのはまともに回答するのが恥ずかしいからであり、それは三葉に対するジェンダー的抑圧の強さを示している部分でもあると思うし、「イケメン男子にしてください」という台詞にもつながる。
わりと重要な部分だと思うので安易に監督の男性性に固執するのは危険だと思う。
勅使河原の口噛み酒の部分もあれは作品のメッセージではなく勅使河原の認識とみなすのが相応だろう。
同じ縁故に縛られた立場として土着にまつわる行為を否定されることにある種のシンパシーからの擁護であるとも取れる。
※つまり、必死こいて神事を行ってるのに友人まで否定するのは酷ではないかという同情的心理。縛られていることに息苦しさを覚えていながら糸守に愛着があるという描写を事前に行っているのはその辺の示唆なのではないか。三葉がどう思うかは別である。
女目線として女キャラに違和感を抱く、または共感できないことの一つとして変な髪型がある。
髪型など一度気になってしまうと、中盤近くにならないと「アニメだから」と割り切れない。
しかし最初からその違和感が無ければいいのにと思う。アニメに含まれる『嘘』成分が多すぎて食傷する時がある。
トンチキ例
首傾くって
ドレッドヘアでもない。縄か。怖い
ほどける。まず結べない。
あの髪型をしようと思うと先に透明ゴムでまとめてピンを差し込んで櫛を通しワックスで固めないといけないだろう。相当女子力あるし時間もある。
ただ勿論リボンをほどいたところで髪の毛はほどけない。
あれはカチューシャにリボンの装飾がついたやつを曲解してしまったんだろうか…。
わざわざ十字に交差してピンをつけてるのに、まるで役目を果たしてない。
正直これはもう見慣れた!けど、高校生以下のキャラまでじゃないだろうか。
アンダーでツインテールは「髪の毛は結べ」という校則のある学校だとよく見る光景。もう少し下で結んでくれないか。
色気あるキャラとして描かれてる時があるが、だらしがないだけではないだろうか。
多分まだまだある。そして口うるせぇなと思われるかもしれない。
でもこんなのファッション雑誌(コンサバ系~モード系)を見ても見当たらないと思う。
キャラデザをする人たちには、ファッション雑誌を是非読んでほしいと思うのだ…(服も昭和で止まってるデザインとかあるんで)
批判するだけでアイディアを出さないのもどうかと思うので、リアルによく見かける個性的な髪型でアニメに反映してほしいものを書く。
上の方でお団子を作ってぱかっと割る。結構簡単にできるしJKでよく見る。
ゴムが見えない+華やかな印象になる。応用におだんごの周りを三つ編み。
細い編みこみはほぼ見ない。最近はもうゆる~い編みこみ。「無造作」感が流行している。
前髪を作って編みこんでいるキャラをよく見かける。悪くは無いけど、実際は前髪が邪魔で編みこむ人が多いと思う
お団子とかロングとか。リボンをつけるんじゃなくて自髪でリボンにする。パーティーで時々みる。
花かんむり風ってのもある。
リボンを織り込むやつ。既にアニメで使われてる気がするけど、もっとリアルっぽくして、個性的キャラにどうですか
リボンや花やキャラのピン止めばかりみるけど、ピン止めはもっといろいろある。ヘアアクセはもっと研究してほしい分野。
髪周辺ってことでこれも。流行って随分たつけどアニメじゃあまり見ない。
と、まだまだ止まらないと思うのでこの辺で。
最近は女性作家漫画のアニメ化も増えているのでセンス問題も相当分かりやすくなってると思います。
Orangeとか「そんな服で男の前行くとかびっちだな!」と思うくらいで、髪型とかアレンジとか凄い可愛いし。そこで性格も見える。
赤髪の白雪姫とか、ファンタジー世界に馴染んでいるけど(原作の)白雪やキキのヘアアクセとか、実際に存在する形のアクセで可愛い。
思えば少女時代に見てたカードキャプターさくらも、毎回作れるんだろうなというアクセや衣装が登場してた。そこにも少女たちは恋してた(故の最近のグッズ展開なのだろう)。
個人的にはガングロのヤマンバ系ファッションってのはすごく評価してる。いや、好き嫌いで言えば嫌いだし、魅力なんて一片も感じないんだけど、でもだからこそ評価してる。
どういうことかというと、当時(いまもそうだと思うけれど)あの奇抜で威嚇的なファッションに好意的な男性って、ほぼいなかったんじゃないかと思うからだ。少数いたかもしれないけれど、それってニッチなゲテモノ好きであって、男性視点で商品価値なんてなかった。でもだからこそ、ヤマンバ系ファッションってのは彼女たちの彼女たち自身の内発的価値観としては尊重されるべきだったと思うのだ。言い換えると、「男性にモテるためにやってたわけじゃない」ところが尊い。
翻ると、いまの女性のファッションとか、ライフスタイルって、なんかこう男性にかなり都合がいいのではないか? いやオレ個人は男性なので受益者(?)側なのだが、AKB的な黒髪+制服系ファッションにしろ、女性誌に見られるコーディネートにしろ、露出がだんだんと増えていくここ20年間のトレンドにしろ、男性視点で見て概ね歓迎できる。女の子どんどん可愛くなっていくねーという老人的感想もあるし、もうちょっというと、深夜アニメのヒロイン的なファッションセンスがどんどん現実世界で受容されてきている気がする。
それに対して女性側もたいして抗議してるわけでもなくむしろ自発的に自由の権利として堂々とそれをやっているので、別にどこの誰からも文句の出る筋合いはないし、この記事も文句ではないのだ。が、その一方で、なんかスルスルとそっち方向にいっちゃっていいのかよ? とも思うのだ。
たとえば、フェミのひとも良識派政治家も「エロ雑誌は子供の教育に悪いです!」「性の商品化NO!」「女性を身体で評価するのは不謹慎です!」とはいうのだが、当の若い女性たちは、むしろ「胸の大きさとそのアピールは自分を幸せにする戦略として有効です!」とでも言わんばかりのファッションだし、ファッション雑誌も、価値観もそれを支援している。彼女たちのいう「カワイイ」が男性的視点(で発生する性市場)に迎合的になっているように思える。
なんだろうなあ。
将来が明るく感じられない今の日本において、おっぱい押し付けていい感じの高収入イケメンを入手するのは、生存戦略として優れてるっていう話なのか? そういえば5年位前から「キャバクラに努めているという女性」が妙に市民権を得たようにも思う。俺は別に構わないのだが、なんというか、女性の多数とか、フェミの人は、それで良いのか? なんかキミらgdgdじゃね? と思うのだ。
俺は、どーも『イケメンになるために』ファッション雑誌を見てしまっていた。
いやいや、イケメンになるにも才能がいる。
雰囲気イケメンならなれるというが、雰囲気イケメンってイケメンのコスプレだろ?
コスプレとしての完成度が高いブスのコスプレイヤーがいくらでも居るのに何いってるんだって話だよ。
で、「ファッション雑誌いくら視てもイケメンになれないじゃないか!」と思って俺は何度も挫折してきた。
美容院に行って、ジャストサイズでシンプルな服そろえて。それでも一向に不細工。
でも、生理のように、一定周期で、「今度こそイケメンになって、馬鹿にしてきたリア充どもをぎゃふんといわせたい!美少女をイケメンみたいに言いなりにさせて中出しして中絶させてやりたい!失われた青春を取り戻すように俺を馬鹿にしてたような女を風俗に落としてその金でソープいってやりたい!」みたいなどす黒い欲求が出てきて。
それで、また狂ったようにファッション雑誌やビジュアル系雑誌を読んでは服を買ったりメイクを覚えたり。うまく行かないと女叩きのアンチフェミ記事を書いて。
そういうことをやっていた。
だが、つい今日気づいた。
俺はキントレ雑誌を読むけど、果たしてそこに乗っている筋肉マンになりたいだろうか?
俺はキントレ雑誌の理論を学んで、キントレしてるけど、筋肉マン目指してるか?
違う。
俺は、格闘技やってたからそのための筋肉。ケンカになってもビビラないっていう自己承認のための筋力。あるいは、普通の一般人より卓越してるんだっていう優越感。もしくは純粋にキントレによるストレス解消。
そういうもののためにやってる。
じゃあ、ファッション雑誌はどうだ。俺はイケメンになりたいか?
違うだろう。ブサメンが、理論を学んで服屋で実践するのがいいんだろう。
せめて、普通の人に。髪がボサボサで一本だけ長いのがタラーってゴミのように伸びてたりだと浮浪者みたいだと避けられるから、髪を切りそろえるために。
ぐしゃぐしゃのパジャマやジャージみたいな服装だと異常だと思われるから、シンプルで見た目にも奇抜じゃなくて他人とのコミュニケーションを阻害しないような服を。
まずはその程度からだろう。
というか、元が不細工だとその程度にしかならない。特に、俺はハゲとチビも抱えているから、どう頑張ってもイケメンにはならない。元々10点くらいだから、頑張って50点。
でも、そりゃそれでいいんだよ。知的障害なら、高校卒業できるだけでもいいじゃん。世の中での高卒の扱いどうこう関係無いよ。そういうもん。
そうなんだよな。
だが、キントレとかファッションとかは、教科書は少しだけで、基本は雑誌で学ぶことになっている。
これって、物凄く学びにくい。
学問と違って論文検索とか無いし。雑誌で個々の研究を読んでも、イマイチ主張が分からない。
「今流行り!」「モードvsカジュアル」「○○君が着ている!」というのはどういう説得力なんだろうか。論理性が無さすぎるし主張の仕方も意味不明。前提条件として何があるのかも分からない。
そう、足りないのは、「先行研究」じゃなかろうか。
俺は医者で、医学しか知らないけどさ。医者は具体的なエビデンスや統計解釈を求めるし、先行研究も求める。
だが、キントレは先行研究とか統計をなかなか出さない。「○○選手のトレーニング方法はこれだ!」って言われても、その人に効果があった理由とかは完全に主観。
ファッションにいたっては、一定の研究成果の積み重ねすら無い状態での個人的感想のオンパレード。デブ対象の100人が着て、他人からの印象を比較とかそういうのすら無い。科学的な解釈がまったく入らない。
これは、物凄く学びにくいんだけど。なぜだろう。
というか、いまだに、「イケメンvsブサメンで服の印象の違い」すら統計なりデータなりが取られてい無いというのがビックリする。
ファッション業界って研究とか何やってるんだろうか。このくらいの基礎的なエビデンスくらい重ねないとナカナカ研究も難しいと感じるんだけど。
というか、ファッション雑誌にいたっては、昔はなぜ読むのか理解に苦しんだ。
だって、ファッション雑誌って要するにファッション業界の広告でしょ?広告がひたすら並んでるものを買って、消費を煽られてるって、なんか脳みそに電極突っ込まれたネズミじゃねーかって感じがした。
いやー消費するために消費欲求だけ煽られるのって本末転倒じゃん!って感じがしていたし。広告をありがたがる意味が分からなかった。テレビで言えばCM飛ばすようなもので、できれば見なきゃいいじゃん。って思っていた。
だけど、違うらしい。一応この形式で学ぶことがデフォルトらしい。
余りにも、学問と違いすぎて、なぜこの形式なのかがいまだに理解できていない。
あと、美容院で眉毛そったり平気でするけど、それ医学的に禁忌なんだよなあ。救急で眉毛そったらダメだって教えられるもんなんだけど。
当たり前だけどおしゃれな人、というか人に見られることを気にしている人はおしゃれじゃなかったりする人とかみ合わないよなぁと感じた。
自分はまったくおしゃれじゃない。というよりも、服やファッション関係に関して本当にわからないタイプである。
わからない時って自分で調べようとする。けど、本当にわからない時って「何」を「どう」調べていいかわからない。
ファッション雑誌というジャンルは知ってる。けどそれを読もうと思っても何を言ってるのかがさっぱりだ。
仮になんとなく検索して当たったサイトとかに見ると、「自分のしたいファッションを考えればよい」とか書いてあることがあるのだけれど、まず最低ラインに立ててない自覚がある人が「これがしたい!」って考えつかない。
ほかにも「他人が見ていいなと思った服の真似をしよう」とか書いてあったりすることがあるが、まずおしゃれ感覚に自信がないからそれすら疑う。「いいな」と思うことに自信が持てない。
またこれは自分だけだと思うんだけど、小奇麗やおしゃれになろうとしている自分を俯瞰で見て嘲笑してしまうことが多い。何をこんなブサイクがやっているのだ、服だけ変わっただけで自分は変わってないくせに、と。
そこをクリアできる(できた)人だけが、普通に過ごせたり服を買うのがある程度好きだったりするんだろうなと最近本当に思う。
今世には色々後悔はあるけれど、人生をやり直すんだったらおしゃれ感覚みたいなことをある程度わかるようにしたいなと悔しく思うのである。
ぼくは灰原哀が誰だかは知らないが、落とせない女性などはいないと思っている、所謂恋愛強者だ。
一般的に強者が弱者の力になることで社会の停滞は終わりを告げるとされる。
社会の為にも、灰原哀を落としたいあなたの力になってあげるべきだとぼくは思った。
灰原哀をネット調べてみると、wikipediaに項目があった。
なに、有名人だとしても恐れることはない。
灰原哀のwikipediaを開くと予想以上にごちゃごちゃ書かれていた。
ぼくは長い文章が苦手だ。
長いwikipediaの記事を読んでいると眠たくなってくる。
・灰原哀の嗜好
このふたつのオブジェクトを並列に記す点から推理する限り、好きな女性雑誌とはananみたいな情報誌ではなく、VOGUEやHarper’s BAZAARあたりのモード系ファッション誌とみて間違いはないだろう。
VOGUE以外のファッション雑誌において「よく買う」はありうるが、「好む一面」と第三者に見られるような行動は取るような状況は一般的に考え難いからだ。
ならば簡単だ。
こまめにセンスの高いブランド物をプレゼントして、彼女の審美眼を、センスを褒め続ければいい。
……待てよ?
なにか引っかかりを感じた。
なにが引っかかっているのか。
すると、そいつは姿を現した。
ビンゴ! よーし良い子だ。
灰原哀はブランド物や女性雑誌が好きなのに、おしゃれではなかった。
それを示す画像が次々に表示された。
ブランド物と、女性雑誌を好むとする女性がなぜこんなにも女子アナみたいな(夏目三久を除く)コンサバティブなスタイルを採択しているのだろうか。
なにか理由があるに違いない。
なるほど、そうだったのか灰原哀。
わかったぞ灰原哀。
ぼくは思い出す。
彼女は言っていた。
「結局男ウケするにはコンサバなのよ」
そうなのだ。
つまり、灰原哀はこのお局さまと同じく、「本当はモードファッションでガン攻めたいけれども、男ウケを考えてコンサバに抑えている」。
従って灰原哀とはお局様同様、「彼氏募集中」だし、男に飢えている餓狼状態なのだ。
これは追い風。
いま、あなたはセンスを問われるブランド品のプレゼントを買う必要もなくなった。
なぜならば彼女は「いい男いねーかなー」よりもやや自信の低い「誰でも良いから付き合いてーなー」という状態だからだ。
ストーカーにならない距離感で、まめに存在をアピールしていれば、焦り始めるクリスマス前やバレンタイン前に落ちる。
逆に吉野家に連れて行くとかでも落ちる。
ちなみに、お局様はというと、今年のバレンタインの後、モードファッションに戻った。
バレンタインの夜は、ぼくと池袋でも一番安い「ホテル ショコラ」というラブホテルで過ごしたのだが、その後会社で会ってもLINEでもよそよそしくされている。
でもまあ、クリスマスごろにはきっと向こうからなんらかのアクションがあるだろう。そういうものだ。
ああ、いや、ぼくのことはいいんだ。
あなたが灰原哀を落として、社会の停滞に終わりを告げてくれることがいまのぼくにとっては楽しみだ。
頼んだぞ。
あまり自己肯定感が高くはないタイプの人間で,それにあまり要領もよくない人間だったから,その分ちゃんと頑張って生きようと思ってよりよい人生を送るためのささやかな努力――自堕落な生活を送らないための自制心や忍耐,日常生活におけるPDCA――をいつもやってきたはずなんだけど,ここ一ヶ月くらいもうそれらが全部どうでもよくなっちゃって,全部だめになっちゃった。
たとえば早起きずっと苦手だった,だから,ありとあらゆる試行錯誤をして,負担少なく無理なく続けられるやり方を考え出そうとした。まず,睡眠時間の記録を何ヶ月も続けてとって自分の睡眠傾向の現状を調査をした。また帰宅後の自分の時間の使い方を手帳に逐一しばらく記録して,いったい何にどのくらい時間を費やしているのか調べた(たとえば風呂にはいつも30分かかる,とか)。それらの記録を元に予定を組み替えて,早く寝れるよう時間を捻出してみたりした。目覚ましのおき場所も工夫して。テレビやラジオのオンタイマーを活用して。そしたら早起きが無事できるようになった。やったね!朝ごはんをきちんと食べれることの幸せを得ることができた日々は本当に幸せだった。
たとえばファッションセンスが激ダサだった。アラサーなのに高校生みたいな服を着てた。クローゼットの中身は一朝一夕ではどうにもならない。なので三カ年計画でクローゼットを改革することにした。ファッション雑誌や指南本をいくつか読んで基礎を勉強した。不要な服を廃棄し,シーズン毎に手堅い定番品を買い足した。所有している服は全て写真を撮ってクラウド管理。すると自ずと次に買うべきものがわかってくる。以前に比べて服装に自信が持てたし,服屋のセールを眺めるが楽しくなった。道行くひとを眺めることでさえ勉強になる。ファッションはとても奥が深くて面白い。
たとえば暮らしが貧乏だった。手取り十数万で一人暮らし。奨学金の返済もあるし,年に一回は片道1万円かかる実家に帰省しなきゃならない。当然家計簿はつける。月ごとに自前のエクセルで集計して分析。各種定期的な支出は積み立てをする。趣味も整理して無理なく出費を続けれるように支出を調整。給料日の幸福感は減ったけど,自分の家計の不透明さは減った。数年内に転職はしなきゃならないけど,家計簿のお陰でなんとか今もまあまあ楽しくはやれている。
全部やれてたし,それなりに全部楽しくやれてたはずなんだけどな。
どれもささいなことだけど,がんばったんだよ。自分なりには,がんばったんだと思う。
でもなんかもう全部どうでもよくなってしまった。
少しずつでも歩き続ければ今よりももっと素晴らしい自分になれると思ってた。今でも多少はそう思ってるけど,でもなあ,あんまり信じられない。1x2=2だけど,0.1x2=0.2なわけでさ。同じ「x2」の努力をしたところで,もともとのものが少なければ一歩前進できたところでそれは微々たる物なんだよね。そんなの当たり前で,だからこそ少しずつ進んでいくしかないんだけど。だけどさ。ものすごくがんばって,それでようやく人並みになれて,それって何が残るんだろう。
それにさあ,どんなに努力のやり方を考えて工夫しても,結局そのやり方を遂行するにはそのための,なんていうか,精神的体力みたいなのがさ,必要で。それって努力ではどうにもならないんじゃないかなあって最近よく思う。がんばっても精神的体力は回復しない。精神的体力をうまく回復させる方法を考えるけど,考えることで精神的体力が消費されて結局意味がない。
もっとパワフルな人間になりたいと思う。どうしたらなれるだろう。どうやったらなれるだろう。考えるけど,考えるだけでうんざりする。がんばってもがんばっても,わたしはわたしにしかなれないので,よりよい人生というのも幻なんじゃないかと思えてならない。でも向上心を全部なくしてしまったら,今以上に今後がよくならないなら,今すぐ死んでしまうのが最も合理的だっていう結論に辿り着いてしまう。死にたくない。でもやっぱり生きるのはつらい。
こういう生きるのがつらい系記事増田に最近ちょくちょく書いてるけど,仮にホッテントリ入りしたところで釣り認定されるんだろうか。まあ釣り認定は増田の華なので別にいいけど。でもいつも思うんだけど,はてブってよくライフハック記事があがってくるじゃない。みんなあれを実践しててつらくならないのかなあ。それとも世の中の大多数の人間は,自分よりも格段にパワフルなひとばかりなんだろうか。
トラバはまだしもブクマで主旨を理解できてない理系特有のアスペが多いので反論しておく。
ファッション雑誌においてファッションの視覚的効果が対人関係においてどういう心理学的作用を及ぼすかが全く言及されてないというのを問題にしているんだ。
例えば「赤は光線のなかで最も熱量の高い光線であるがゆえに暖かみのある人間性を演出できる。ゆえにさみしがり屋の男性に効果的」という理論を無視して「ぽかぽかふんわり赤で彼氏のハートを癒しちゃお!」としか書かないバカ記者がおかしいといってるんだ。
しかもそのなんの根拠もないふざけた感想であれはダサい、これはおしゃれ、と断ずる異常性は昨今の前衛芸術並みに気違いだ
最もおかしい代表例はファッション界における「合わせ色」と呼ばれる着こなしテクニックである。帽子とブーツの色を揃えているからおしゃれ。帽子とブーツの色があってないからダサい。全く意味がわからない。
「こなれ感」も意味不明。
一番キチガイなのは「ハードすぎるレザーファッションにふんわり小物でバランス感を」である。バランスがあるからなんなんだ?バランスが大事ならそもそもハードすぎるファッションを着なければいいのでは?
なんでそんなに上から目線なんだよ。
真っ白なキャンパスを見てこれは現代社会の虚無的ニヒリズムを表象した名作であり~とか言ってるアホ前衛芸術評論家と変わらん。
①かわいく無い女の魅力を「捏造」する
かわいい女は、無理だ。
なので、かわいくない女の魅力をなんとか見つける努力をする。
姫系ファッションの女とか、バンギャの女は相手されないので、コレ系統のファッション雑誌で知識入れまくったり。
工場勤務や、保育士系の生活やサイト、ブログで知識入れまくる。
とにかく、他の男に無い魅力を示さなければならないので、一点集中でかわいくない女のタイプを掘り下げる。
ブログやらで手に入れた『その女達が集まりそうな場所』に積極的に行け。俺はビジュアル系のライブに男1人、あと全部女っていう環境でもガンガン行ってる。
とにかく、他の男がいないんだから、狩場なんだよ。
素で行っても無理だ。化粧しろ。シークレットブーツを履け。体を鍛える。
③金を使う
金でしか勝ちようが無い。
女も、こういうのは目ざといから、金かかってるのは伝わるから。
金さえ使ってれば、強いんだよ。課金ゲーだよ。
④体に触れるのが最初のゴール
体に触れないとダメだ。
手を握るでもいい、肩を抱くでもいい。ノリでもなんでもいい。
これがNGされたら、芽は無い。その女はブサメン無理なんだよ。
次いけ次。
ちなみに、ライブ会場だと、手をつなぐとか普通にあるからいけるぞ。
クラブも、リズムとって踊って、相手の女がリズムに乗り返してきたら、肩組め。きょひられたら次だ次。
⑤ラインは、期間空いても平気でやれ
切れたと思っても、2週間に1回送れ。
『なぜ俺は恋愛で勝てないのか』
http://anond.hatelabo.jp/20150930000017
素直に気持ちの通り書いた。
で、いろいろ意見もらって、考えてみた。
①勝利条件が何なんだよ
おれは、「彼女いない歴=年齢」だから、恋愛で負けていると思った。
勝つってのは、俺の感覚でいうと、「彼女ができる」ってのがファーストステップだと感じている。
そのための条件として、相手の女性には、ほぼハードル設けていない。誰でもいいから、って条件でやってる。
魚釣りでいうと誰でも連れるダボハゼでもいいから、釣りたい。みたいな。
だって、柔道で一回試合で勝ってみたいとか、その程度の気持ちだし。そういう動機でトレーニングするのは、スポーツ漫画なり、料理漫画なりで常識じゃん。
②恋愛に勝った負けたは無い
ゲーム実況者のつわはすだって人が、明らかブサメンでも彼女いる上で堕胎させたとか。
ビジュアル系バンドに貢ぐために風俗嬢や援交女が量産されてるとか
実際、こいつらのお払い箱で満足してる男は惨めだと思うし、そいつらにたいして、こいつらは勝ってると感じる。
で、それに次ぐ存在が、ツイッターとかでかなり居るナンパ師っていう、声かけてセックスしまくれてますよーみたいな人達。
先ほどつわはすって名前だしたけど、ツイッターナンパ師の中の上位層には、つわはすに負けないブサメン結構いる。実際何人か見てる。
こいつらも、勝ち組だと思う。
あとは、リアルで周りに居るイケメン。高校は男子校だから知らないが、小中ではモテル奴は見てきた。ってか俺の弟がファッション雑誌でも一番イケメンになるくらいのガチイケメンでクッソモテテルのを端で見ている。
こういうのも、かなり勝ち組だと思う。
中位層ってのは、俺の周りのイケテルやつら。話聞くと、彼女や妻いながら、セフレが2~3人いて、「かわいい性格いい女と付き合いてえわ~、都合のいい奴いねーのかねー」って言ってる奴ら。
俺の周り、こういう奴が多いし、俺は1ランクくらいこいつらより下の階層だなってのは感じる。
こいつらよりちょっと上くらいが、上位10%くらいだと思うので、そこを目指して、上位20%くらいに入りたいなと思っている。
さらに下位ってなると、俺みたいな奴ら。
彼女、作れそうで作れない。イケメンとも普通に何人か友達になれてるのに、みたいな。
俺らより下っていうと、こりゃ、オタサー団体みたいな、高校生クイズで童貞丸出しみたいな。
実は、麻雀は、一応相当上位まで行った。
④性格が悪い
こういう相手と競う系やってると、「エンジョイ勢は、技術っつーか、フォームレベルで、強くなるチャンスを逃している」と考える。
やってること、無茶苦茶で、そりゃー強くなれないよと思う。そして、強くなれる技術は公開されてるのに、なぜ学ばないか不思議。
10年やって、まったく変わらない人とかザラ。
こう考えてると、「じゃあ、たいていの人は勉強しないんだから、たいていの分野では、学べば中級くらいまでは無双できるんじゃね?」って思い出す。
で、恋愛って競技も、釣りとかと一緒で、一応なんか、トレーニングや思考でなんとかなるんじゃねって思う。
だから、性格なんて、関係なく、上っ面で技術だけで勝てるんじゃねーの?って思った。
だけど、どーも勝てないってのが『皆』の持論らしい。
でも、『皆』って、学ばない中級がほとんどな気もするし。
前述した、つわはす君なり、ビジュアル系のバンドマンやホストが性格いいとは絶対思えない。
(自分もホストやったことあるんだけど、彼らの性格や脳みそはチンパンジーとしか思わない)
性格悪くても勝ってるじゃん。って思う。
性格じゃなくね?
その通りだと思う。だが一方で、
彼女作ってみて、女が気に入る話題や会話方法なりセックスなりを学ばないと厳しいと感じる。
だから、彼女を作るために、肉体改造と、化粧水などや、歯のホワイトニング、服のブランド勉強しての服屋めぐりとかしてる。
最近、
ビジュアルな服とか、
鼻毛カッターとか買った。
爪も綺麗にしてるし、ヒゲなどもそってる。
ダイエットもしてる。
大学生向けのファッション雑誌に出てくるスキンケアとか、ヘアケアとかも少しずつ取り入れている。
リズリサだの、ベイビーだの、お笑いだの、興味もないけど、女性用ファッションや話題も勉強してる、会話あわせるために
彼女作るのは、モテのステップの通過点で必要なステップだと思ってる。なので、一応恋愛ってのも勉強している。
⑥二村ひとし嫁
実は、ちょうど読んでるw
実践できることはできるだけやろうと思って読んでいる。
⑦美容師キレテルじゃん、そういうのクソ
普通、金もらってやって売ってるものの妥当性を質問するのは当たり前だし。
モテのためにやる人も多いし、弱点を補強するのが強くなる確実なやり方だから聞いてみるのは論理的に当たり前。
感情論で答えを出せないなら、そりゃ美容師の脳みそを疑う。これは正当な論理。感情的にキレるほうがおかしい。
塾の講師やってて、「できない子の伸ばし方を教えてほしいのに、できる子相手のモデルばっかり見せるのはおかしいじゃん」みたいに言われたら、ちゃんと答えられない塾講師はおかしいと思う。ってか、答えられる人でないと、ダメでしょ。
⑧恋愛を見下すのは当たり前だと思う
たとえば、スポーツなら、相手の能力をせめても、人格を攻めることは無い。ラグビーだか、アメフトは、試合が終わったらノーサイド。人格叩きは無しだ。
しかし、恋愛の場合は、偉そうに、「キモチ悪い」とか、「性格が」と言い出す。こんなこと、ルール違反だと思うが、それもOKなんだろう。能力でなく、人間性をたたき出すのがOKなら、そりゃ見下す。
その上で勝たなきゃいけないから、感情論抜きで、表面的な人格で勝負できることで勝負したいし、実際それで勝ってる奴らが大勢いるんだから、いけるような気もしている。
というか、俺個人の人間性とか、人格とかってのは、図書館でホコリ被ってる文学小説みたいな、誰も見向きがしないけどすばらしいものと分かりきってるものなので、他人との共有とかいらない。そんな、そこらの人が評価できるほど安いものじゃない。
そういう、俺の本当の人間性とか抜きで、表面的な社会性とか人間性でモテたいとしか思っていない。
だって、普通の人、『我輩はネコである』も読まないで死ぬんだろ?そんな人達が人間性とか言い出すのはおかしいよ流石に、本当の人間性なんかに興味ないのバレバレだよ。それで偉そうに人格叩かれても、流石にハイハイワロスだな。
やたら恋愛で人格叩く人いるけど。人格って、そんなその場で考えましたとかじゃなく、それまで生きてきた中で、ホコリ被った文学でも読むみたいな、他人の目とか関係無い人格レベルでの話しなので、これまでテキトウに流されて生きてた奴らがとやかく言えるもんじゃないんだよ。
努力しないブスが嫌いだ。
自分のことをブスとわかっていて、何も努力しないブスが大嫌いだ。
私が自分のことをブスだと気付いたのは高校生になった頃だった。
それまで親族から可愛い可愛いと言われ育て上げられ、すっかり自分は可愛いのだと刷り込まれた脳ミソが、ある日やっと、鏡に映った自分をどうしようもないブスだと認識したのである。
その時のショックは忘れようとしても忘れられない。
自分が今まで生きてきた世界を自分で否定してしまったのだから。
周りの同級生はバレない程度に化粧を施し、可愛く髪をアレンジしている子もいた。
そうじゃない子もちゃんと肌のケアをして、最低限、眉毛を整えていた。
そんな中、私はそれまでの十数年間、化粧水の使い方一つも知らなかった。
アンタはまだ若いから早い、親にそう言われたのを間に受けてなんのケアもしてこなかったのである。
時は思春期、度重なるニキビ軍の猛攻によって肌はボロボロだった。
こんな状態でロクにケアもしないと、顔面が荒れに荒れた戦場地帯となるのはサルでもわかる。
長年自覚のないブスだった私が、ようやく美容に手を出した瞬間だった。
それからというものの自分のお小遣い(月3000円、バイトは禁止されていた)の中でファッション雑誌や化粧品を少しずつ集め始めた。
私は筋金入りの腐女子だったため、化粧品代は同人関係にお金を割く中でのごく一部であったが、そのごく一部の範囲でなるべく良い物を買おう、と@cosme等に張り付くことが多くなった。それに比例して化粧品の知識も増えていった。
途中途中でサボったこともあったが、つけまつげを付けれるようになったり、コンタクトを入れれるようになったり、一重を二重にすることができたり。
自分のできることが増えていくにつれて、自分が少し可愛くなれたような気がして嬉しかった。
と同時に、垢抜け切れない自分に腹が立っていた。
大学に入ってしばらくした頃、自分の顔をきちんと鏡で見ることを心がけた。
今までは、自分の顔があまりにも嫌いすぎて、見るのもイヤだと目を背け続けていたからだ。
こうなりたい!という顔を決め、その顔と自分は何が違うのか、どうすれば近づけるのかを徹底して研究した。
私がなりたい顔は平行二重にぱっちりと開いた大きな目、ぷっくりとした涙袋に高く小さな鼻、薄い唇、シュッとした輪郭の俗にいうドール顔。
対して私は重い一重に開ききらない瞼、小粒で蒙古ひだの厚い目、涙袋は皆無で正面から穴が見える低い鼻、分厚い唇に面長丸顔かつ老け顔。
全く違う。そもそもパーツが違いすぎる。
再び向き合った現実に嫌気がさしながら、来る日も来る日も空いた時間でメイクを練習した。
どうやれば鼻が高く見えるのか、どういう髪型にすれば輪郭がマシに見えるのか……。
涙袋の書き方を覚えた日、鏡の中には、すっぴんの私とは違う人が座っていた。
ようやく一人前に化粧ができるようになってから、街中で声をかけられることが多くなった。
以前は全くされなかったナンパやスカウトも、鬱陶しいくらいにされるようになった。
すれ違った後に可愛いと言われることが現実に起きるなんて、昔の私は信じないだろう。
元の顔が大きなコンプレックスなだけに、今、容姿を褒められることが何よりも嬉しい。
冒頭に戻るが、私はブスが嫌いなわけじゃない。ブスを自覚してなおかつ何の努力もせず、「私ブスだからな〜」「〇〇ちゃんは可愛いから羨ましい」と言ってくるようなブスが大嫌いだ。
本当に脱ブスしたいのなら体毛を処理するところからでも始めればいいのに、と思う。
皮膚が弱いから化粧品使えないという主張も嫌と言うほどに聞いてきたが、正直、何もしないことへの言い訳としか思えない。
肌が弱い人向けの化粧品なんか今の時代はたくさん出ているし、それすら使えないほど弱くてもボサボサの眉毛くらいはなんとかできるはずだ。
元の顔がどんなにブスでも、努力さえすればマシにはなれる。
私の元の顔より恵まれたパーツや配置、輪郭を持った人達がブスに甘んじているのを見ると、私と顔を交換してよ、と無性にイライラしてしまう。
少なくとも、上位10%になるのには、そこらに出てる本を読めば十分なれる。
が、恋愛は同じように努力しても、下位20%すら抜け出せない。
ハッキリいって、どんな分野でも、中位層までは、何も考えてないから、技術で追い抜けるんだよ。
もちろん、ムキ不向きはあるだろうが。スポーツですら、上位20%くらいまでは、「楽勝」である。ってか、エンジョイ勢がそんくらいだから、ちょっとガチればたいていはそんなもん。
誰だって、そういうのは感じてると思う。
たとえば、ファッション雑誌。これを学んでも、ファッションは平均にすら行かない。
ってか、勉強のために読むのに、「できない人向けの弱点教科」っていう本が少ない。「できる子がさらにできるようになるための勉強法」みたいな本が多い。
一回、美容師に聞いたことがある。「ブサメンをイケメンに見せないと効果が分からなくない?なんで、イケメンを切って、イケメンですねーってやるの?勉強もできない子をできるようにさせるのが教育でしょ?」。したら、美容師キレて、「そんなことないです、誰でも格好良くなります」と。
強くなりたいのに、強くなる方法が公開されない。
あるいは、医学なら、論文や教科書やガイドラインで、どうやって治療するのか、どういう病気なのかは毎年、解析結果が本になる。それを学べば治療できるし、医者としての腕も上がる仕組みになっている。
格闘技も、適切に技術を学んで、自分にあったやりかたで戦略や技術を磨けば、障碍者だとか、老人で無い限り、まず上位30%には入れる。
俺は、非常に疑っている。
だから、アル一定以上の容姿に生まれた奴向けの本しかないんじゃないか。
中の上を上の上に持っていくことはできても。
中の下が上の中に持っていくことはできないんじゃないか?ましてや、下の中を上の下にもっていくこともできないと。
雰囲気イケメンというが、雰囲気イケメンになろうとしてるブサ面での成功例を俺は見たことが無い。
つまり、本当に、才能だってのを暗に認めちゃってるんじゃないの???
女なら、クッソブスが化粧やダイエットでよくなるが、男だと、どうなんだ。
確かに、中の中が、上の下になるのは良く見る。
しかし、それ以下が浮上したのを見たことは無い。
ググッタぞー。婚活支援も分かるんだけどさ。恋愛したこともないのに、婚活とかって、ちょっとね。って普通考えるよねえ。
恋愛→いいじゃん→結婚でもしますー?って流れじゃなく、イキナリ結婚しましょうは、ちょっとね。あと、そういう対策系の奴って、国が小子化だからーっておなざりにやってるだけだよ。ジョブカフェとかと同じ、天下り。
努力ってほどじゃないが、気が向いたら服買ったり。
あとは毎日ヒゲそったり化粧水、ワックス、月1美容院、夜だけ炭水化物抜きダイエットくらいはしてるぞ。
あとは、ファッション雑誌とか、女用に話題仕入れるためにananとかは読むぞ。
まったく意味ないがなwそれ以上って何があんだろうなあ。努力の方向が間違ってるのかもしれんなw
ってか、この程度じゃねーかな、普通のモテない男の努力って。これ以上頑張って、109が似合う程度までレベルアゲって流石に無理w
金も、ビームスとか、そんなのに使うくらいなら、そりゃエロゲーや、時間もxvideosアサリにかけちゃうでしょうね。
俺がやってる以上の努力を求めるなら、そりゃ恋愛のコスパ悪すぎるわwオワコンもしょうがないな。
ちょっと待ってほしい。
勉強しようって時に、「初めから頭が良くてできる子をモデルとした勉強を教えます!!!」みたいな参考書、買うだろうか?
普通は、できない子のために、弱点を一つ一つうめます。とか、漏れなく網羅的な問題集なりを使う。
しかし、ファッションサイトや、ファッション雑誌を見ると、イケメンばかりだ。
あれはなんでだろう。
もしかして、いくつかイケメンのタイプなんてのがあって。自分にあったイケメンのタイプを見つけてねとかそういうことだろうか。
普通の勉強で高学歴になったものから見ると、ファッションサイトってのが、どーも学習効率の悪い低学歴の方法に思えてしまう。
スポーツでも、できないことはあまり時間を注がず、できることを伸ばしつつ、致命的な部分をなくそうねっていうアプローチが多いと思う。
ファッションはじゃあ、どういう風にステップアップするのか。その勉強方法が分からない。
格闘技の雑誌なら、キッチリ技解説するのに、ファッションの解説は、どーもいっちゃ悪いが低学歴な感じがする。
ファッションも格闘技も、技術や、技術を鍛えるフィジカルのゲームなんだろ?だったら、強者特有のテクだろうが、基本から教えられるはずだ。
格闘技も、強い奴ばっかり乗せるけど、強い奴の技術も基本からキッチリ積み上げたことをちゃんと説明できるものばかりだ。なぜファッションはそれができないんだろう。
ファッション雑誌、という、よく分からないものでほら勉強しろと言われても分からない。
まず、ファッション雑誌が何をテーマとしてて、どういう学習層に売ってるのかを明確にしてもらわないと分からない。
それとも、あれか?もしかして、絵とかと同じで、作品発表会ってこと?
服のデザイナーの満足のために、ファッションモデルにイケメン使いましたとかそういうこと?
でも、服の値段とか書いてるってことは、売ろうってことじゃないのかなー。
う~ん。分からない。
ブサメンをモデルに使って、「こういう服でほら、ね?」って感じとか。
最低でも、フツメン用意して、「ほら、雰囲気イケメンっぽいでしょ?イケメンのコスプレってこうやるんですよ」くらいまでだろ。せいぜい。
格闘技でも、初心者用のレッスンとか、基本技術を網羅してる本とか、そういうのを売ろうとするんだよ普通。
ってかもしかして。
ブサメンをフツメンにするのとか、フツメンを雰囲気イケメンにするのって、物凄く大変で、採算合わないから、ってこと?
つまり、ファッション雑誌が提供する情報よりはるかに金とか時間とかをプロ以上にかけて、そうしないと無理なくらい、学習難易度高いの?
しかもペアコーデ。
トップスはお嬢様風ながら胸を盛りつつ透け感のあるベージュのブラウス。
高めにはいたフレアースカートは足の長さを強調しつつ、下着が見えそうな期待を感じさせる。
そこにさらに高さある白いハイヒールを加えて、これでもかと股下を高く見せている。
まるでファッション雑誌の一コマをそのまま切り抜いたかのような二人組。
しかしながらどちらも非常に健康的なぽっちゃり肉体美、超安産型。
へちゃむくれた顔をメイクで無理やり際立たせようとしてまるで舞台女優並。
さらに5メートル後ろを歩いていても鼻を刺すようなつけすぎのフレグランス。
いわゆるモテコーデが万人に当てはまるわけではない代表的な一例。
正確には完全には消えてないが、ほぼ意識しないレベルに消えた。
ってのも、にちゃんのなんかのスレを見ていたら、
「生まれるときに、顔か金持ちの親に生まれるか選ぶとしたら、金持ちの親に決まってるだろ」ってレスを見たから。
かなり納得した。
このレスを見たとき、「俺なら金持ちの親より頭の良さを選ぶな」と思った。
俺は高学歴で同世代の5倍くらい稼いでる高収入だが、ブサメン。そのことで、特に悩んでなかったんだけど、
3年くらい前から、いない歴=童貞ということでちょっと焦ってしまった。
それまでは、「馬鹿で低学歴で何もできない家畜の豚みたいな人生送ってる奴とか哀れすぎ。それで金も無いなら人間に生まれた意味ないなそいつ」くらいに思っていた。
リアル女性よりも、AVや二次元のほうがはるかにいいじゃんとしか思ってなかった。
しかし、仕事も落ち着いてくると、いない歴=童貞はヤバイ。子孫残せないじゃん。「子供残せないとか遺伝子の死だろ?遺伝子のセキトリゲームに負けてるんじゃん。俺負け組みじゃん」って思った。
焦ったので、モテル方法だの、恋愛術だの、ファッション雑誌だの、ファッション系の友達だのと声をかけて色々やったが。
まったく彼女はできなかった。
コンプが始まりだすと、にちゃんまとめとかでも、女は見た目しかみてない、※ただしイケメンにかぎる、夫はATM。などの言葉が真にせまって聞こえた。
うんうん、その通りだと、女叩き系のスレを読み漁り。がーるずちゃんねるだのの男叩きしまくってるレスを見ては女への失望を増やしていった。
高級風俗やキャバクラなども覚えて、女の見た目にも飽きてしまい。セックスよりオナホールやエネマグラーが最強だと確信を深めていた。
女に対して、まったく興味がなくなり。
単に女を攻略するっていうそういうゲームをやりこんでいる気分だった。ドラクエのレベル上げのように、装備を整え(ファッション、髪)、呪文を覚え(トーク)、能力値を上げ(ダイエットや筋トレ、日サロやカラコン)、ボスごとの特性を覚えて(女性ファッション誌や若い女との話題つくり)みたいなゲームを続けていた。
余りにもクソゲーすぎて、受験やスポーツなどの高尚なものに比べて余りにも中身の無いゲームすぎて。こんなもんで規定されてる恋愛ゲームはなんてクソなんだろうと思った。
俺は、生まれるときに、顔より金より頭が大事だと思っている。性格なんてのも、顔の次も次5の次6の次。
俺が自分の子供に選ばせて上げられるなら、シコメでもブサメンでもいいから、頭がいいのを選べと教えるだろう。
なら、結婚相手はブスで頭いい女が望ましいなと思った。
頭いい女は俺になびかないだろうが、じゃあ次は資産家の娘だなと思った、だって次は金だから。
ここまで考えて、ようやくわかった。俺は間違っていたかもしれないと。
「雰囲気イケメンだのナンパだので付いていく女は三流」と女はよく言うが、「イケメンに囲われるのはかわいい娘ばっかりだからwブス女の嫉妬乙w中身が無いと叩かれるバンギャは美少女クッソ多いからw」と思っていたが、本当だったんだな。
三流女捕まえてもなんもうれしくない。だって、金があれば見た目だけなら風俗でいくらでも買えるから。ってか、イケメンスカウトが必死こいて二束三文の給料で頑張って美女を風俗だのに持ってきて、俺みたいな金持ちはコスパ最強でいいとこ取りしてるわけだから。いうなれば、豚を狩りする労力ゼロで豚を食える消費者が最強みたいな。
だから、見た目で女に飽きて、見た目で女に興味持てなくて、見た目がまったく興味そそられないから女を叩くっていう、俺の女叩きの根幹部分がおかしいと気づいた。
俺は、これまで女の頭の良さにまったく興味を持てなかった。
だって、女が頭がいいと言っても、男のほうがトップ層は上だし。と。正直、受験で勝った自分を肯定したかったし、頭の良さとIQの高さだけが俺のプライドで、俺は発達障害で他人とナチュラルな付き合いをするのは無理だから、そこにこだわってたんだと思う。
頭が良くないと自分はカスだと思ってるし、ユダヤ人なんかも、頭がよくないと人種としての価値は無いから必死になってるあたり、俺の意識の持ち方はある意味肯定されていると確信しているし、今もしている。そしてユダヤ人のように、劣等感と差別意識もキッチリある。
しかし、子供のことを考えると、女の頭の良さも十分大切じゃんと思った。したら、女の頭のよさを考えることも意味が普通にあった。
女は、高学歴高収入のブサメンを「ATM」としてみてるし、若い内の価値がある部分をイケメンやヤリチンとさんざん遊んで、廃品回収でブサメンに残飯処理させるのはどうなの?って思ってた。女は男の中身=頭を見てないから、女の頭を叩いてもいいじゃんと思ってた。やられたんだから、やってもいいだろって思ってた。
しかし、違った。女の頭が男より劣ってるとか、そういう話は意味がなかった。
女は女枠での頭のよさが試されてるし。それはスポーツで女枠の中で女が試されるのと同じで。男女での比較は意味が無いと。
お互い様やな、どんなサービスか言われずに、何か言われてもな。
俺らCPUとクロックだけで生きているわけじゃなくて、その下には数学も物理も、それこそ人間工学もある。
あえて、アドバイスするなら、説明すればわかると思われる人間に成ってくれ。
不遜ないいかたで、上から目線ですまんな。
本当にすまんな。
ようするに、そういうことがよくあるという事だ。増田じゃないかもな。
必要な知識が、たとえば2年分 3年分あるなかで、そういうのが全くない人が、 俺にわかるように説明しろ
というのがよくあるのよ。
上司や、客じゃなかったら、わかるように説明して欲しければ 大学行って 勉強してきてくれみたいなな。
できるけれども 中学校レベルの数学ができない人間に、大学レベルの微分・積分を使う問題を説明するのは とてつもなく困難。できるけどな。
ニュアンス伝わるかな?
ごめんな。あやまればいいってもんじゃないけど、どうせつめいしたらいいのか、わからない。
変な言い方だけど、ナメられないようにしてくれというのは
理系的なナメられないは 地位や金じゃなくて 最後の最後は 知識の蓄積量 なのよね。