はてなキーワード: 日本国憲法とは
それに対して誰の許可も要らない
日本国憲法 第18条
何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない。又、犯罪に因る処罰の場合を除いては、その意に反する苦役に服させられない
日本国憲法 第22条
何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有する。
民法 第627条
当事者が雇用の期間を定めなかったときは、各当事者は、いつでも解約の申入れをすることができる。この場合において、雇用は、解約の申入れの日から2週間を経過することによって終了する。
お題目のブラックかどうかは事業者があからさまに法律無視していなくてちゃんと給与払っている場合、
自分のためになるかどうかですの。それ以外で量る術はありませんわ
元増田の内容は他の増田(https://anond.hatelabo.jp/20240101135723#)が書いてくれたみたいだけど、
育ちを紐解けばこう言う誰ともうまくいかない極端に軽薄な人を製造しないで済むし、
親に多少でも愛着があれば、親の名誉のために、極端に軽薄な振る舞いをしないようになるのでは?
ただまぁ、子どもは親の遺伝子と親の教育通りにしかならないので、
増田(anond:20240101135523)や元増田(anond:20240101113249)がすべきことは
子の特性にあった養育をしなかった親の体面を慮ることではなくて、タイトルに書いた通り、毒親との和解なんですよね
この遺伝子でこの親の教育だったから今があると受容し、どうしようもない親を自分の一部として認め受け入れることだ
これには多くの困難が伴うけど (親がガチ犯罪者・重度の精神疾患・既に故人等)、
社会活動に重大な影響を与えるレベルの鬱病・強迫観念の寛解だけを意味しており、
経済的に成功しても、パートナーを得ても、子どもを作っても、永遠に穴が空いたバケツのまま
親が愛してくれなかった・まともな養育をしてくれなかった怒りは、なにを得ても永遠に過去のものにならないし、
助けてくれなかった世界のあらゆるものを羨み、バカに出来そうなら攻撃する
自分自身のこの特性は嫌悪する親そのものと認知することもなく、ひたすらドン引くような言葉を使った家族の悪口を書き、
これが人の親になっちゃうからな、虐待の連鎖ってマジでこういうこと。単純に殴る・蹴る・怒鳴る・ネグレクトするとかそういう話ではない
しかし、親ガチャって言われている世の中で、親の責任を無視したがる・極端に軽視したがる勢ってマジなんなんでしょうね?
ペットのクローンですら同一の存在になり得ないのに遺伝子に責任全振りしているのマジであたおか
じゃあもうお前は教育やめろ!って思ったら、いちおう環境がどうのって言ってくるけど、まさかの親よりも友達ガー学校ガー
義務教育とは親が子どもに社会で自立して生きていけるよう教育を施すことです。学校は親の教育権を補完するものとして存在しているだけ
親は子どもに教育を受けさせるだけでなく、その内容や方法についても自分自身で責任を持ち、人格形成や生涯学習の基礎を培う重要な役割を果たすべき
国からの社会的な要請ですし、それ以前に自分の子でしょ?自分の子どもと過ごすのが楽しくないの?なんで世間様に全投げ?って話なんですよ、どうして子ども作ったの?
日本国憲法第26条第2項:すべて国民は,法律の定めるところにより,その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は,これを無償とする。
教育基本法第4条:国民は,その保護する子女に,九年の普通教育を受けさせる義務を負う。国又は地方公共団体の設置する学校における義務教育については,授業料は,これを徴収しない。
教育基本法第10条:父母その他の保護者は,子の教育について第一義的責任を有するものであって,生活のために必要な習慣を身に付けさせるとともに,自立心を育成し,心身の調和のとれた発達を図るよう努めるものとする。
https://anond.hatelabo.jp/20231227082825
この増田でも親のせいじゃないもんってブチ切れたし、しかもそう言うのほどポコポコ子作りしたがるし、案の定無責任なこと再び言っている(ブクマカ)
これ落としちゃう子ども製造してるの親以外の誰に責任ありますの?
義務教育とは親が子どもに社会で自立して生きていけるよう教育を施すことです。学校は親の教育権を補完するものとして存在しているだけ
親は子どもに教育を受けさせるだけでなく、その内容や方法についても自分自身で責任を持ち、人格形成や生涯学習の基礎を培う重要な役割を果たすべき
国からの社会的な要請ですし、それ以前に自分の子でしょ?自分の子どもと過ごすのが楽しくないの?って話なんですよ、どうして子ども作ったの?
日本国憲法第26条第2項:すべて国民は,法律の定めるところにより,その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は,これを無償とする。
教育基本法第4条:国民は,その保護する子女に,九年の普通教育を受けさせる義務を負う。国又は地方公共団体の設置する学校における義務教育については,授業料は,これを徴収しない。
教育基本法第10条:父母その他の保護者は,子の教育について第一義的責任を有するものであって,生活のために必要な習慣を身に付けさせるとともに,自立心を育成し,心身の調和のとれた発達を図るよう努めるものとする。
恐らく真っ当な人生を送る諸氏にとっては「内容証明を書いて郵送する」なんて作業をする事は無いだろうしこの増田が有益なものになる保証は無い。だもんでハウツーとしてよりもザ・ノンフィクション的な底辺ドキュメンタリーとして読んで頂ければありがたい。
事の発端は今年の初め、世間を騒がせた例の芸能事務所に対するスキャンダル。俺は告発する側に対してちょいと違和感を感じたのだ。どうも何か言ってる事やってる事ちぐはぐしてねぇか?と。こらちょっと追及"されてる側に"問いたい。問い詰めたい。小1時間問い詰めたい。即ち日本国憲法第21条「国民の知る権利」は俺も保証されてる筈だから?粛々と行使するまでなのである。
とは言え何の肩書も持たない中年無職が物申した所で単なるモンスタークレーマーとして扱われるのがオチだ。どうしたもんかと悶々としつつYouTubeで2chのスカッとした話をゆっくり音声でまとめた奴(ほら、アレだよアレ、碌にソースも貼らないアレ)を垂れ流して聞いてたら
と来た。
ふと思った。あれって誰でも送れるもんなの?弁護士抜きで?
疑問に思ったら目の前の端末に例の先生がいるぢゃあないか。「内容証明」と伺うとすぐサジェストで「書き方」と出てくる、一番真上にはご丁寧に日本郵政の公式ページが出ると来た。流石先生見事なお手前。
俺「それで先生、内容証明とはどのように書けば宜しいのですか」
先生「なら話は早い、その作文に使う用紙を持っておいで」
作文用紙なんて百均で売ってるもんかなぁと思ってたがそこは子供部屋おじさん、ひょっとしたらまだ部屋に余ってんじゃねぇかと引き出しを開けたら、あったよヲイ、偉いぞ昔の俺。埃をかぶった用紙を掃い、見よう見まねで手書きであくせくと書いてみる。「こんなもん(作文用紙)大人になったら使うのかよ」餓鬼の時分には思っていたが案外使うもんだねぇ。途中タワシみたいにぐちゃぐちゃっと書き損じたり我ながら字の汚さに呆れながらもようやく書き上げた内容証明を茶封筒に入れる。
次に資金調達である。流石に「お母さーん、内容証明送るからお金頂戴」なんて恥ずかしくて言えないからそこは適当に誤魔化した。公式HPには「一枚480円」とあるが余裕を持ってその倍は欲しい。
ワイ「あ、あの、マッマ……その、履歴書を……」
マッマ「ん?何処に送るんだい?」
ワイ「そ、その……職安に……」
マッマ「まあいいわ、2000円渡しとくから、無駄遣いしないでね」
嘘をついてる事に後ろめたさは感じた。だがわざわざ人格否定される為に受かりもしない履歴書書くくらいならこっちのがマシだと気持ちを切り替えた。
なけなしの二千円を握りしめいざ郵便局へ。途中、原本の外に複製、つまりコピーが二枚必要だとの事なのでコンビニに寄り刷ってきた。今時のコピー機ってプレビュー機能が付いてんのかと妙に感心してしまった。
話が逸れた。郵便局に着いた、は良いものの長きに渡る引きこもり生活が、只でさえコミュ障をより拗らせてしまい窓口の前で固まってしまった。一応、不審者と思われたくないので台の上で何か書いてる風を装いながら十数分、意を決して局員に尋ねる。
ワイ「あ、あの、内容証明を……」
局員「少々お待ちください……お客様すみません当局では取り扱っておりません」
ワイ「ぇ、え……」
局員「内容証明の送付でしたら当局よりも大きな局へお求めください、こちら出てこれこれこの道順にございます」
ワイ「ぁ、わかりまし……」
局員に言われるがまま俺はその大きな別の郵便局まで足を運んだ。局員も仕事でやってるし間違った道順なんて教えないと信じた。
道中言い聞かせたよ自分に。
何も剃刀送る訳じゃなければ爆破予告する訳でもない。
適切な料金を支払ってサービスを受けるだけだ。
俺は客だ、堂々としてろ、と。
ワイ「あ、あの、内容証明です……」
局員「内容証明、かしこまりました。少々お時間をください……えっとですね、内容証明ですと局員が二人確認致しますので少々お待ちください」
言われるがまま待つ。送り先が送り先だけに馬鹿にされてんじゃねぇかと考えてしまい卑屈になる。今度は男性の局員が来た。
ワイ「え(やっぱダメか……?)」
局員「えっとですね、書き損じが三点ございましてですね、印鑑お持ちですか?」
ワイ「あ、はい」
局員「ではですね、上の方に●行目一字訂正と書いて頂きまして、それから訂正した部分にも捺印お願いします」
ワイ「三枚とも、ですか?」
マジか、ちょっと書き間違えただけでハンコ必要なのか、でも念のため持ってきて正解だった。
んで、言われてその通り記入してハンコ押して再度待つ。あんな汚い字で書いた駄文にもここまで真摯に対応してくれた局員に心の中でほっとして感謝した。
局員「ではですね、こちら郵送するのが原本になります、あとこちら(複製)がお客様の控え、残り(複製)が当局でお控えさせて頂きます」
ワイ「はい」
局員「ではお会計が内容証明と書留郵便で税込みで合計995円になります」
後で知ったが九月"まで"は995円だが十月以降は1080円に値上げしてた。ハガキも値上がりすると言うし今後さらに値上がりするかも知れない。値上げの波はこんな所にまで来てたのか……。
その後、説明を聞けば何でも内容証明郵便には保険がかけられていて、万一破損などした場合、俺は十万円ほど賠償金を受け取れるとの事だ。不謹慎ながら「途中で事故らねぇかなぁ」と思ってしまった、配達員さん申し訳ない。
受け取ったコピーには「〇〇郵便局第××号内容証明郵便」と捺印されていた。無職の書いた落書きが法律的に効力のある文章に変わった瞬間だ。
帰り際、コピーを刷ったコンビニに再度立ち寄り、百円のコーヒーを頼んだ。
店先でほっとしながら思った。
午前中、必要な書類を作成し、昼休憩をはさんで午後、得意先に向かい提出する。
要はそのルーティンを複雑化したのが「オシゴト」って奴だろ。
結局内容証明は五通、送ったのかな。後の方になったら慣れたもんだから訂正なし、ノー印鑑で提出出来るまでになった。
まぁ残念ながら何の成果も!!得られませんでした!!どこ送っても音沙汰無し!
世の中甘くないよ。でもその甘くない結果出せたのは、今年四十の無職の俺にとって大きな一歩だよ。
最後に。オチと言うか愚痴と言うか、告発を持ってこの増田を締めくくる。
てめェーだよ てめェー
吉田豪よ、アンタにも一通、内容証明を送った筈だが12月28日現在音沙汰無しってどう言うこった?いや正確には新宿のロフトプラスワンに送ったのだが、だって本人に直接送る先知らねぇんだものしょうがねぇじゃん代わりに馴染の所送るしか。
ってぇかロフトのスタッフから話来てねぇか?「吉田さん、何かこんなの来てるんですけど」って。新宿ロフトワンのスタッフの連中は40代の引きニートにも呆れられるほど「ホウ・レン・ソウ」が出来無ぇ間抜けの集まりかよ?
そっちがしらばっくれてもな、こちとら送った証拠ってもんがあるんだ。それに内容証明は郵便局にも五年は文面が保存されるから知らぬ存ぜぬは通用しねぇぞ?プロインタビュアーだか何だか知らねぇがアンタの1080円と俺の1080円じゃ訳が違うんだ、誠意ってもんが無ぇのか?え?
TRAに混じってトランスという盾を使って女性を叩きたいミソジニー男が多数存在するというのがまず1つ。
彼らはトランスがいかに女性の脅威となるかこちらがどれだけ訴えてもそれを無視し続けることによって自らのミソジニーを正当化している。
そして結論をはっきりさせておくよ。女性には「差別する権利」が本来存在する。そしてそれが家父長制社会によって抑圧されているのだ。
女性は男たちがオナニーしながら夢想するような心の綺麗な美しい存在ではない。そんなものを否定するのがフェミニズムだ。
ホモソーシャルの構成員たちは伝統的な「娼婦か従順な妻」の枠に閉じ込めて「女性はそんな汚いことをしちゃやだやだ!」と駄々をこねているだけなのだ。
女性にとっては、MtFのトランスジェンダーという生き物の実存そのもの、やつらが息をして日々女性の安心できる領域を侵犯しようとしていること自体が女性差別なのだ。
単に安心できる領域を侵犯しようとしているというからダメだということにとどまらない。繰り返すが「トランスジェンダーという実存」そのものが女性性への侵犯であり加害だ。
英語圏のフェミニズムでは”Sex is Binary"というスローガンがある。性分化疾患などの病気を抱えている方々でも彼ら彼女らは最初からはっきりとした性自認を持っていることは常識だ。
トランスジェンダリズムの名のもとに跋扈する変態たちはその原則に違反してエゴを膨らませたモンスターなのだ。
生物学はあなたのご機嫌をとらない。女性の領域は高貴で神聖なものであり、何人たりともそれを犯してはならない。
私達は、その尊厳を守る限りにおいて、私達の神聖な女性性を侵犯する獣を「差別する」権利がある。
ミソジニー社会では、差別するのは男の特権、女たちは男に仕えるか、聖人のように振る舞ってろという規範に縛られていた。これこそ家父長制の呪いだ。
もっとぶっちゃけて言っちゃうけど、私達は「マイノリティ」の中ではパワフルな存在だ。私達に聖人であれと要求するような規範などこの世にない。
どんなフェミニズムのテキストにも「どんな卑しい臭い生き物でも差別しちゃだめだよ!」などと書かれてない。
フェミニズムは抑圧された女性たちのための権利運動だ。汚い化け物に気を使ってやる必要もないし、そいつらのママでもなんでもない。
そしてなによりも女性にも言論の自由があることを忘れた?表現の自由、言論の自由はアニメ絵で自慰行為をしながら死んでいく男たちの特権ではないんだけど。
という前提で話をしている事が多いですね。
吉本興業などに様々な口実で金を出しているんですね。
東京スカイツリーでも約400億円なのに高すぎると
できるのですが、日本人には金を出さず、留学生とか難民とか言えば
海外には金をばらまく。
反日政権はありません。ほんの少し前までは
今は似たようなものです。
持ち上げる者がツイッター(X)などでは目につくけれど
百田も安倍崇拝者、その次は河野太郎などと発言している人物です。
というのはおかしな事ですよ。駄目な点を全てそのまま受け継ぐのだから。
対立は茶番で、ネットで持ち上げられてるのは全員工作員くらいに
思っておかないと危ないです。
山本太郎は移民推進派なので、実際は移民優遇の自民党と変わりません。
「参政党は駄目と分かったから百田保守党」と3パターンくらいで絶賛するのだ
と思われます。
志位さんの事はよく言わず、小池と交代すべきなどと言う事が多いです。
ところが、池田大作は母親が池(チ)姓で父親は成(ソン)姓だ、
ソン・テヂャクだという話があるんですね。(リチャード・コシミズ説。2008年頃には
統一教会と創価学会とオウム真理教のつながりの危険性などを指摘。)
小池百合子とか、小池晃もそういう人物ではないかと思われます。
晃という字も、日本人より在日の方が多く使ってるように見受けます。
そういう風でないと持ち上げられないように見受けます。
バズってる所に乗っかればよいと思ってると危ないかと。
まず、保守政党のバラ撒く情報はデマだと思ってないと危ういです。
工作員は、まるで革新政党がパチンコ推進してるみたいに言いますが
推進してるのは保守政党ですよ。共産党などは批判しているのです。
加担してないのが共産党なのです。
隠れ社民です。それで「野党共闘」の中心になっているわけです。
「オール与党」と「野党共闘」するようになる方がおかしいわけです。
そういった話を知らない初心者の方は、
変質する前のリチャード・コシミズさんの動画を
食い入るように見ておいた方がよいと思います。
コシミズさんも日韓併合賛成派なので
そうは言いませんけれど。
なかなか見かけません。皆無です。
日本国憲法はファシズムを抑止し日本人の人権を守る憲法なので。
北朝鮮と同じ事ですよ。
朝鮮民主主義人民共和国です。
中国の人は、中国政府は共産主義の政党じゃないと批判したりもします。
たまに産経などもうっかりそのまま報道してくれる事もあります。
「共産主義は悪」を盲信すると危ないのです。
本当の共産主義を実現してるのは
それはまぁ日本人にはどちらでもよい事で
当たり前の事をやってくれればそれで十分なのです。
小池晃などの一部をのぞけば、一番野心とか私欲のないのは
やらせてみてファシストが集まって来たら支持者が離れるだけです。
戻そうと必死なわけですから、共産党などたいした危険はありません。
長期的に見ると自民党と同じなのです。
そこが問題なのです。
皇室がどうのこうの言う方は
目が覚めるかなと思います。
幻想を見ていたいとかでなく
護憲政党は思想・信条の自由とか基本的人権を無くそうとはしていません。
改憲しようとしてる保守政党こそが、今の日本国憲法を無くそうとしている
「党内の人間をどう扱うか?」などというのは、実際
東京五輪誘致に官房機密費を使ったと事実を語ると問題にされるとか
一般の日本人には有害なだけで、いかに自己中心的に利権を図るか
政党政治では、党の方針に沿わない者は他の党へ行ってくださいは仕方ないのでは?
もちろん議論の過程で、不当に正論が切り捨てられるのはよくないですが
その辺はどこの党でもそんなものかと。
平気でデマを流しますが、パチンコ推進議員連盟で検索してみてください。
問題にしているのだと見えます。同和利権政党を「オール与党」と
批判していた共産党が「野党共闘」をはじめる方がむしろ問題なのですが
中心にいるのは小池晃です。
小池晃は「世界連邦」でも保守政党やエセ革新などとつながります。
日本国憲法第20条第1項の後段「いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない」を引き合いに、宗教団体が政治活動をしたら政教分離にならないのではないかという議論があるようですが、大変な誤解です。
この規定は、国から特権を受ける宗教を禁止し、国家の宗教的中立性を明示したものです。
憲法学の立場では「政治上の権力」とは「統治的権力」を意味します。
政治活動そのものではなく、法律を作ったり、人を裁いたり、税金を徴収したり、公務員を任免する「公権力」を意味しているのです。
現代の我が国においては「統治的権力」はすべて国や公共団体に独占されています。よってこの議論は最初から成り立たないのです。
池田大作戦関連のニュースでいくつか見かけたコメントとその感想について
>政教分離を生み出したのはローマ帝国時代のキリスト教なので、政教分離を語る時、実に我々はキリスト教を信じていることになる。ニーチェが言うように人権、博愛、ダイバーシティと人権の全てがキリスト教なのよ
意味不明。日本人がそれを語るときは、判例に基づく理解か、「政教分離」という用語に対する自分なりの適当なイメージ・理解で語るはずで、そこに一々キリスト教への信仰が関わってくるとは想像し難い
根拠不明(「宗教を大げさに排斥したがる」というのと「マルクス主義の影響」)。
>きっちり引用元を提示してて素晴らしい増田。サヨクの俺解釈では普通に考えて信教の自由とバッティングすることすら理解が及ばない馬鹿サヨクが多すぎる。あれこそ反知性主義
根拠不明(「馬鹿サヨクが多すぎる」「反知性主義」と断ずるためのコメント並びに根拠が見当たらない)。何らかの妄想に基づいてコメントしていたり、「反知性主義」の用語について理解していない可能性がある
>例えばドイツだとメルケル元首相の政党が「キリスト教民主同盟」だし、宗教が政治に関わるのは民主主義という観点から何ら問題ないのよね。
「民主主義」という言葉にもその社会ごとの理解(社会通念)があるので、一概に問題なしとは言えない。日本の問題に対してドイツの例を挙げることが必ずしも適切であるとも言えない
>憲法学の教科書を一冊も読んだことのない人が最高裁判例だけ読んで政教分離(特に何を禁止していないか)を理解するのは相当難しそうだが…(ブコメの感想)
「特に何を禁止していないか」というのが意味不明。こういう質問をするあたり、少なくともこの人と同調者にとっては言っても理解できないんだと思う。
>民主主義である限り大勢が信じている宗教に偏る危険性は避けられないわけで、それがおかしいなら民主主義を止めるの?参政権を剥奪するの?って話よね。公権力の行使のみを制限するのは妥当だと思う。
>連立する政党の支持母体のお偉いさんに弔意を表するのが国として特権を与えたことにならないのは明らかなことのように思うよ
多分最高裁が違憲とは言わないだろう、そもそも訴訟の対象になりえないだろうから、この意味では明らかだろう。ただし、批判の対象にはなりえる
>ルール上していいかどうかと、本当にするべきかどうかは別の話なんだけど、区別がついていない人の多いことよ。ルール上はOKだよ、っていうとその行為を称賛してるととらえる人も。
ルールがその行為を認めるかどうか、とその行為の合理性や当否は別の話
>間違った政教分離の解釈見るたびに『ドイツで大々的にキリスト教名乗る政党が普通に議席取りまくって活動してるやん』というツッコミしたくなるところはある
ドイツの例を持ち出してくると、日本国憲法がどうにかなるのだろうか?意味不明なツッコミだ
>民主主義国家である以上何らかの組織を構成する個人は選挙権という政治的な力を持っているので、政治的な力を持たない組織や集団というのがまず存在し得ないんだよな。
憲法の規定それ自体の曖昧さにそもそも問題があるのかもしれない
>どの宗教のトップだったら首相として公式に哀悼の意を表するのだろう。その基準があるならば知りたいところ。あまり他に見たことはないけれど。
国家元首でもなく、世界宗教のトップでもない人に対して、内閣総理大臣として弔意を示す合理性ってなんだろうね
>ないわー。欧州の一部や米国のような国教になっているような国ならともかく、現状の日本でカルト新興宗教に対して総理大臣が声明を出すのはありえない
アメリカ合衆国は憲法修正1条で国教を樹立してはならないと定めているので、この人が「国教」に対する理解を誤っている可能性がある
言うほどギリギリか?かすりもしないのでは?
>素人目にはこれに突っかかるのはどうかなと思う。人が死んだら公の場では(公人なら尚更)悲しみを表明すべきだし、言葉も『尽力・重要な役割・足跡』と、事実を述べるにとどまるものを選んでいるように読める。
ところで、大先生に対して日本政府が叙勲しないのはなぜなんでしょうね。内閣総理大臣が態々弔意を表す程なのだから、きっと国民栄誉賞、文化勲章や旭日大綬章程度の勲章はとっくの昔にもらっているかと思ったが
>いやはや。創価学会は公称800万世帯を擁する日本最大の宗教団体で社会的影響力も極めて大きい。そのトップの逝去に哀悼の意を表するのは社会的儀礼の範囲だろう。政教分離原則の目的効果基準にも反しないのは明らか。
その理屈だと、他の宗派(例えば真宗)のトップに対して一々哀悼の意を示さないのは不公平ということになる。ことさら大先生に対してのみ弔意を示す合理性は見いだせない。俺が知らないだけで、歴代の内閣総理大臣は哀悼の意を示しているのかもしれないが。そして、この考え方だと、歴代の会長が亡くなった際には、一々内閣総理大臣が弔意を示さなければならなくなってしまうのでは
>生きてたのか。空海と同じく、このまま120歳とかこえても、生きてる設定で神に近くなっていくと思っていた。/今日(11/18)は創価学会創立記念日らしい。あえて、発表を18日にしたんかな。
>トップブコメたちがトップブコメがどうこう言ってるけどどれがどれを指してるのか分からんくてカオス
>公明党は創価学会の指示の元動いてるのに、公明党が政府にいるの「宗教団体が、政治上の権力を行使すること」に当たらないのがよくわからない。票欲しさの屁理屈だよな。トプコメ批判してるブクマカは学会員だろ。
>憲法第二十条 信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。 いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。/コレが日本国憲法における政教分離。
>「憲法の名宛人は国家である」。例えば国民の三大義務が憲法に書かれているが、あれは国民に憲法上の義務があることを意味しない。国民は憲法違反できないし、宗教団体も憲法違反できない。
それは私人間効力を認めるか否か(憲法の条文それ自体には「憲法の名宛人は国家である」とは書かれてない)で変わってくるので、一概にそうであるともないとも言えないのでは。まあ、直接に適用することはないけどね
好きにしろよ
>浅はかな rub73 のための説明: "「政治上の権力」とは立法権・課税権などの統治的権力のこと。政治活動そのものではない。" (芦部信喜「憲法」) ※憲法学の教科書読め https://anond.hatelabo.jp/20231118203326
「憲法学の教科書」という言い方だと玉石混交の中から石を探り当ててしまう可能性があるから、最新の憲法判例百選+最近の判例を読んだ方が適切な気もする
>トップブコメを浅はかな知識で指摘してる奴にスターつけてる奴はやばい。憲法20条の1項後段では、「宗教団体が、国から特別優遇措置を受けること」と「宗教団体が、政治上の権力を行使すること」を禁止している。
これだけだとわからないよ
>政教分離を理解してない人、はてなでもこんなに多いんだね。欧州で連立政権の一角によく「キリスト教○○党」みたいなのが入ってるのさえ知らないのかねえ。
日本国憲法とその運用の例に対して、欧州を持ち出してくると、どうにかなるのだろうか?頭がパーンとなるとか?
>トップコメも勘違いしてるけど政教分離は国家が特定の宗教を優遇や弾圧するなってことであって宗教者の政治参加は否定してないからね(棒読)/建前論だけど戦中宗教団体を政府が好き放題弾圧した反省って奴がある訳
だから誰に対して言ってるんだ
>トップブコメとスター押してるやつは、政教分離を勘違いしてる。恥ずかしいぞ。宗教が政治に関与するのを排除するのではなく、政治が宗教に影響与えないという原則。統一教会解散命令の方が原則に抵触してる
だから誰に対して言ってるんだ
言いたいことはタイトルで全て書いたので、以下補足にゃーん
まずは、国と宗教団体の関係について日本国憲法第20条第1項後段には次のように規定されている。
これを誤解 (または曲解) して宗教団体が政治活動することにイチャモンを付けてる人が多いが、「政治上の権力」は政治活動ではなく国や地方公共団体の機能としての統治的権力を指すのが通説である。これは勝手に言ってるわけではなく、憲法学者が書いたまともな本であれば同じように解説してある。念のため、図書館に寄って調べてきたので以下に引用する。
「政治上の権力」とは本来国が行うべき統治権力をいい、たとえば課税権の行使や、江戸時代の宗門改帳 (現在の戸籍にあたるもの) の作成のような職務を分担することが禁止される。
また、これは憲法制定時にも触れられており、金森徳次郎 (国務大臣) は以下の答弁をして特に異論は出ていない。つまり、この解釈は制定当時から何ら変わっていない。
○松澤(兼)委員 其の次に「いかなる宗教團體も…政治上の權力を行使してはならない。」と書いてあるのであります、是は外國によくありますやうに、國教と云ふやうな制度を我が國に於ては認めない、斯う云ふ趣旨の規定でありまして、寺院や或は神社關係者が、特定の政黨に加はり、政治上の權利を行使すると云ふことは差支へがないと了解するのでありますが如何でございますか
○金森國務大臣 宗教團體其のものが政黨に加はると云ふことがあり得るかどうかは遽かに斷言出來ませぬけれども、政黨として其の關係者が政治上の行動をすると云ふことを禁止する趣旨ではございませぬ
○松澤(兼)委員 我が國に於きましてはさう云ふ例はございませぬが、例へば「カトリック」黨と云ふやうな黨が出來まして、是が政治上の權力を行使すると云ふやうな場合は此の規定に該當しないと了解して宜しうございますか
○金森國務大臣 此の權力を行使すると云ふのは、政治上の運動をすることを直接に止めた意味ではないと思ひます、國から授けられて正式な意味に於て政治上の權力を行使してはならぬ、斯う云ふ風に思つて居ります
1990年代初頭に起きたバブル経済の崩壊とは一体何だったのかを、ずっと考えてきた。
ようやく到達した結論として、あれは「女性の社会進出潰し」だったのではないかと思っている。
戦後の日本の歴史は、一貫して女性が権利を獲得していく歴史でもあった。
1946年に公布された日本国憲法で女性の人権が明記され、女性の国会議員が初めて誕生した。
60年代の学生運動、70年代のウーマンリブ、80年代の男女雇用機会均等法成立と、ここまでは順調に女性の権利獲得は進んできた。
1984年の男女雇用機会均等法成立によって女性労働者(もっと言えば総合職女性)が増えていく流れになるはずが、バブル崩壊後の平成大不況によってこの層の女性たちが深刻な就職難に襲われてしまったのだ。
学生運動・ウーマンリブ運動は団塊の世代の女性たちが担ってきたものであるが、その土台の上に、次の世代となる団塊ジュニア世代の女性たちが社会を動かす指導者的な地位を目指す流れは完全に破綻した。
平成大不況が落ち着いた2003~2004年にかけて当時の小泉政権は「女性管理職の増加」を政策の一つとして掲げたが、その時点で各企業・役所には幹部候補となりえる団塊ジュニア世代の女性が全くいない状況になっていたのだ。
結果論かもしれないが、バブル崩壊と平成大不況によって女性の社会進出の流れは完全に断ち切られ破綻したのではないか。
その後の第二次安倍政権の2020年までに女性管理職30パーセントを目指す2030問題も結局実現しなかった。
バブル崩壊によって当時の男性側も深刻なダメージを受けたが、女性の社会進出を阻止するための自爆攻撃みたいなものだったと理解している。
(事実関係)
○最高裁判事の枠や各団体(裁判所・弁護士・検察官)からの一名を推薦し、内閣はそれに従うという慣例が成立したのはここ50年ほどで、法的根拠はない。
○慣例ができるまでは内閣も最高裁も各団体も枠にとらわれず、内閣の任命権は実質的なものであった。
○現行の慣行については賛否がある。(利権ではないか/バランスが取れている)
(所感)
○そもそも最高裁判事の任命権は三権分立の趣旨からすると内閣から最高裁への牽制機能であり、それが形骸化していることは制度の趣旨に反するのではないか。
以下の記事のブコメにおいて、「最高裁判事の任命を慣例に従って日弁連の推薦の通りとしなかったのは間違っている」という前提のブコメが大半を占める。
安倍内閣が崩した最高裁判事選びの「慣例」 6年経て「元通り」に:朝日新聞デジタル
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.asahi.com/articles/ASRC65HZXRC2UTIL03S.html
○このレベルのことが6年かかる。公文書改ざん、不誠実な答弁などのモラル崩壊や倫理欠如が「彼」以前のレベルに戻るまでどのくらいかかるのか
○本当に本当に酷い政権だった。「無能による社会の衰退」より更にタチの悪い「卑劣さによる社会の破壊」が続いた。まだ与党内にその残滓は残っている。
○法学的な顕著な実績もない加計学園学園関係の弁護士が最高裁の裁判官になったり、安部政権はめちゃくちゃだったよね。亡くなって本当によかった https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%A8%E6%BE%A4%E5%85%8B%E4%B9%8B 典型的お友達人事
○今でもできないはずなのだが、ペナルティがないのが問題。政治が司法に干渉できる余地が絶対ないように、干渉が犯罪化できるように法律を整備しなおすべき。
○幼稚で未熟な政権がおよそ10年続いた事を考えれば司法の失われた10年はあまりにも長かった訳だ。
○どこが元通りなんだ。何の反省も改善もない。つぎはぎを当てただけ。また別の悪が現れたらすぐ崩される。
○「人事によって政権の意に沿う方向に物事を動かすのは安倍・菅義偉政権の特徴だった」司法だけでなく、教育機関や公共放送・日銀・内閣法制局など、独立性が重視される機関で尽くやった。
だが、それは果たして正しいのだろうか。条文を見ていこう。
(日本国憲法)
第六条(略)
2 天皇は、内閣の指名に基いて、最高裁判所の長たる裁判官を任命する。
第七十九条 最高裁判所は、その長たる裁判官及び法律の定める員数のその他の裁判官でこれを構成し、その長たる裁判官以外の裁判官は、内閣でこれを任命する。
(略)
なるほど、6条2項からは、最高裁の長官の指名は内閣に権限があり、天皇の任命権は形式的なものと理解できる。
そして、79条1項から最高裁裁判官の任命権は内閣にあることが一目瞭然だが、この任命権が6条2項の天皇による任命権のように形式的なものなのか、それとも指名権まで含む実質的なものなのかは実はどこにも規定されていない。
最高裁裁判官は、現在概ね裁判官出身者6名、弁護士出身者4名、学識経験者(学者や行政官など。検察官もここに入る。)5名で構成されている。
そして、退任者が出た場合、退任者と同じ出身母体(裁判官/日弁連/検察庁)が自分の枠に誰を当てはめるかを内閣に推薦する。
内閣は最高裁長官の意見を聴取した上で決定するとされているが、出身母体からの推薦は一名であり、最高裁はその推薦を尊重し、内閣はその通りに任命している。
1970年代はじめ頃までは推薦された者について内閣と最高裁で議論が交わされ、内閣が最高裁に従わないこともあった。
更に、検察庁と日弁連両方から別の者が推薦され、内閣で判断することすらあった(例えば日弁連から4名、検察庁から2名の推薦があり、内閣で1名を決定するなど)。
それ以降は、各団体は枠を意識して推薦するようになり、内閣は各団体からの推薦のとおりに任命するようになっていった。
実はこれは一切根拠がない。元々戦後5:5:5でスタートし、その後5:4:6となったり4:5:6となったり5:3:7となったり様々だ(前述の通り複数の枠からそれぞれ推薦されることもあったので、内閣の判断で枠が動くこともあった)。
しかし、概ね1970年代はじめから、ある枠の後任者は当然にその出身母体から推薦するという慣例が取られるようになった。また、推薦される者が一名に限定されたのもこのころで、内閣の任命権が形骸化されたと言って良いだろう。
そして、この枠については二通りの評価がある。なお、これらの意見は安倍内閣による任命への評価を避けるために00年代以前のものとしている。
「最高裁長官の意見を聞くかは内閣の自由だが、この習慣は是非続けて欲しい」(最高裁長官 裁判官出身 矢口洪一)
「既得権益。秘密裡に行われ、少数の人のみによって進められる。」(朝日新聞記者 野村二郎)
以下は私見だが、宮川判事の「特殊日本的な状況」という意見が非常に興味深い。宮川判事は肯定的な意見としてこれを述べているが、「出身母体間や推薦者間に軋轢を生じさせないために事前に調整している」という意味合い(実に日本的だ!)だろうから、今となっては肯定的に受けとるのは難しいのではないかと思う。
別の論点として、三権分立の制度趣旨としてこの任命権がどういうものか見ておきたい。
三権分立の説明において、最高裁から内閣への牽制機能として違法性の審査があり、内閣から最高裁への牽制機能として最高裁長官の指名と最高裁判事の任命がある。
ここからは再度私見となるが、最高裁判事の任命権が形式的なものであるならば牽制機能としては意味がない(小学校のときに習った三権分立の図が誤り!)ため、制度上は(天皇による各種任命権と違って)実質的なものととらえるべきだと考える。
また、上述の矢口長官も「最高裁長官の意見を聞くかは内閣の自由」と述べているように、少なくとも当時の関係者は既得権益などではなく単なる慣例であり、実質的な任命権は内閣にあると考えていたようだ。
従って、最高裁判事の任命権は実質的にも内閣にあり、安倍内閣の行った慣例破りが正しいかどうかはその人選が適切であったかどうかで判断されるべきではないだろうか。
弁護士枠の判事は、まず日弁連が候補者の推薦リストをまとめ、最高裁がその中から数人を選んだ上で、最終決定権を持つ内閣が決めるのが近年の慣例だった。
(2023.11.1 決議)
『風呂は性器の見た目で決める』法、是非作ってみてほしい。でも、それってかなり筋の悪い立法で新たな争いが見れそう。
そら、ほとんどのトランス女性は法律ができたら従順に従って女湯に入らないだろうけど、
「ワイ、トランス女性。銭湯で女湯に入ったらペニス付きという理由で追い出される。ワイの戸籍は女性なんやけど? これ法的にワイは女性という意味なんやが。同じ女性なのに生まれつきの女性には当然ある女湯に入る権利がワイには無いんか? ワイは差別される二級市民か何かか? 『風呂は性器の見た目で決める』法って日本国憲法の『法の下の平等』に反してない? 知りたいから裁判起こすわ。ワイを追い出した銭湯さんは裁判が続いてる間ずっと『差別主義者』と叩かれ続けるやろうけど我慢して付き合ってや。ワイ小金持ちの暇な一般人やから最高裁まで争うやで。対戦よろしくやで」
義務教育とは親が子どもに社会で自立して生きていけるよう教育を施すことです。学校は親の教育権を補完するものとして存在しているだけ
親は子どもに教育を受けさせるだけでなく、その内容や方法についても自分自身で責任を持ち、人格形成や生涯学習の基礎を培う重要な役割を果たすべき
国からの社会的な要請ですし、それ以前に自分の子でしょ?自分の子どもと過ごすのが楽しくないの?って話なんですよ、どうして子ども作ったの?
日本国憲法第26条第2項:すべて国民は,法律の定めるところにより,その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は,これを無償とする。
教育基本法第4条:国民は,その保護する子女に,九年の普通教育を受けさせる義務を負う。国又は地方公共団体の設置する学校における義務教育については,授業料は,これを徴収しない。
教育基本法第10条:父母その他の保護者は,子の教育について第一義的責任を有するものであって,生活のために必要な習慣を身に付けさせるとともに,自立心を育成し,心身の調和のとれた発達を図るよう努めるものとする。
あと、DQN親ってはてブは出来るのに、ChatGPTほかAIを使えない理由、CheckMath(https://www.checkmath.net/ja)などの丸付けアプリ使えない理由、
もっともそんなんはどーでもよく、まずは生きる力を身につけさせることだと思いますけどね
砂の上に家を立ててどうするんだ?って話です
親と子供に丸投げが過ぎると思うけど、仕方ないのかなぁ…
小1から勉強の癖つけさせずに親任せは真面目な親の負担大きいだろうなあとは思う。
これ書けるのマジであたおか
こういう人たちって学歴(高等教育)とか機会均等とか以前の問題だと思うの
さすがコロナの時も家に子どもがいると大変ってわめいてただけある
宿題が無くなるなんてとか丸付けがーとかコメントしてる自称子持ちブクマカおよび兼ねてそうな増田みんな頭がおかしい
たぶん、低所得か毒親育ちだと思うんだけど見事に負の再生産がされそう
義務教育とは親が子どもに社会で自立して生きていけるよう教育を施すことです。学校は親の教育権を補完するものとして存在しているだけ
親は子どもに教育を受けさせるだけでなく、その内容や方法についても自分自身で責任を持ち、人格形成や生涯学習の基礎を培う重要な役割を果たすべき
国からの社会的な要請ですし、それ以前に自分の子でしょ?自分の子どもと過ごすのが楽しくないの?って話なんですよ、どうして子ども作ったの?
日本国憲法第26条第2項:すべて国民は,法律の定めるところにより,その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は,これを無償とする。
教育基本法第4条:国民は,その保護する子女に,九年の普通教育を受けさせる義務を負う。国又は地方公共団体の設置する学校における義務教育については,授業料は,これを徴収しない。
教育基本法第10条:父母その他の保護者は,子の教育について第一義的責任を有するものであって,生活のために必要な習慣を身に付けさせるとともに,自立心を育成し,心身の調和のとれた発達を図るよう努めるものとする。
あと、DQN親ってはてブは出来るのに、ChatGPTほかAIを使えない理由、CheckMath(https://www.checkmath.net/ja)などの丸付けアプリ使えない理由、
もっともそんなんはどーでもよく、まずは生きる力を身につけさせることだと思いますけどね
砂の上に家を立ててどーすんだ?って話です。学力・学歴以前の土台がどーにもなってなきゃ、お勉強出来ても、事故や病気のトラブルがなくても、高学歴無職かワープーですよ
こういうのって、極端に頭が悪くて楽な方に流れた軽薄なDQNを毒親が放置した結果、
毒親に自己肯定感をバッキバキに折られたために『自分にはなんとする力がある』って経験を子どもが積めなかった結果だってことを自覚してどうぞ
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20231029203433