はてなキーワード: 松井茂記とは
言いたいことはタイトルで全て書いたので、以下補足にゃーん
まずは、国と宗教団体の関係について日本国憲法第20条第1項後段には次のように規定されている。
これを誤解 (または曲解) して宗教団体が政治活動することにイチャモンを付けてる人が多いが、「政治上の権力」は政治活動ではなく国や地方公共団体の機能としての統治的権力を指すのが通説である。これは勝手に言ってるわけではなく、憲法学者が書いたまともな本であれば同じように解説してある。念のため、図書館に寄って調べてきたので以下に引用する。
「政治上の権力」とは本来国が行うべき統治権力をいい、たとえば課税権の行使や、江戸時代の宗門改帳 (現在の戸籍にあたるもの) の作成のような職務を分担することが禁止される。
また、これは憲法制定時にも触れられており、金森徳次郎 (国務大臣) は以下の答弁をして特に異論は出ていない。つまり、この解釈は制定当時から何ら変わっていない。
○松澤(兼)委員 其の次に「いかなる宗教團體も…政治上の權力を行使してはならない。」と書いてあるのであります、是は外國によくありますやうに、國教と云ふやうな制度を我が國に於ては認めない、斯う云ふ趣旨の規定でありまして、寺院や或は神社關係者が、特定の政黨に加はり、政治上の權利を行使すると云ふことは差支へがないと了解するのでありますが如何でございますか
○金森國務大臣 宗教團體其のものが政黨に加はると云ふことがあり得るかどうかは遽かに斷言出來ませぬけれども、政黨として其の關係者が政治上の行動をすると云ふことを禁止する趣旨ではございませぬ
○松澤(兼)委員 我が國に於きましてはさう云ふ例はございませぬが、例へば「カトリック」黨と云ふやうな黨が出來まして、是が政治上の權力を行使すると云ふやうな場合は此の規定に該當しないと了解して宜しうございますか
○金森國務大臣 此の權力を行使すると云ふのは、政治上の運動をすることを直接に止めた意味ではないと思ひます、國から授けられて正式な意味に於て政治上の權力を行使してはならぬ、斯う云ふ風に思つて居ります
大阪駅の萌え絵ポスター、憲法解釈論では「問題なし」 平弁護士と考える「表現の自由」 - 弁護士ドットコムという記事にブクマが集まっているのだが、弁護士らしいよくできた詭弁だなと思った。
はてなーはいつから憲法の解釈で戦ってると思ってたの?と増田でも言っているが、他にもいろいろとおかしいところがある記事だと思った。
1. 大阪駅に掲示された麻雀ゲームのエロイラストは法的には問題ない
3. 国会議員には憲法尊重擁護義務があるので、広告などの表現への批判はするべきでない
記事はまず「今回の広告は「法的」に問題があるのか?」という記者(無記名なのでこの記者が誰なのかはわからない)の問いかけから始まるのだが、このような論点では誰も争っていない。確実に否定できる問いから始めて、自分の正しさを演出する典型的な詭弁術である。
裁判例結果詳細 | 裁判所 - Courts in Japan
市営地下鉄の列車内における商業宣伝放送は、業務放送の後に「次は○○前です。」又は「○○へお越しの方は次でお降りください。」という企業への降車駅案内を兼ね、一駅一回五秒を基準とする方式で行われ、一般乗客にそれ程の嫌悪感を与えるものではないなど原判示の事情の下においては、これを違法ということはできない。
記事は何度も「とらわれの聴衆」判決を引き合いに出して広告批判をするべきでないと主張するのだが、「とらわれの聴衆」判決で問題になったのは市営地下鉄の車内放送で「○○へお越しの方は次でお降りください」という広告を行うことである。駅の構内に性的なポスターを掲示することを同列に扱って議論をすることに意味があるのかは疑問だ。仮に市営地下鉄の車内放送で性的な広告が流れたとして、それについて裁判を行えば判決もまた違ったものになるのではないのだろうか。
ちなみに「とらわれの聴衆」判決は以下に引用するように商業宣伝が表現の自由の保障をうけるものであるかは明らかでないとしているのだが、記事はそれについてはふれていない。自説を展開するうえで都合が悪いからだろう。
およそ表現の自由が憲法上強い保障を受けるのは、受け手が多くの表現のうちから自由に特定の表現を選んで受けとることができ、また受けとりたくない表現を自己の意思で受けとることを拒むことのできる場を前提としていると考えられる(「思想表現の自由市場」といわれるのがそれである。)。したがつて、特定の表現のみが受け手に強制的に伝達されるところでは表現の自由の保障は典型的に機能するものではなく、その制約をうける範囲が大きいとされざるをえない。
本件商業宣伝放送が憲法上の表現の自由の保障をうけるものであるかどうかには問題があるが、これを経済的自由の行使とみるときはもとより、表現の自由の行使とみるとしても、右にみたように、一般の表現行為と異なる評価をうけると解される。もとより、このように解するからといつて、「とらわれの聞き手」への情報の伝達がプライバシーの利益に劣るものとして直ちに違法な侵害行為と判断されるものではない。しかし、このような聞き手の状況はプライバシーの利益との調整を考える場合に考慮される一つの要素となるというべきであり、本件の放送が一般の公共の場所においてプライバシーの侵害に当たらないとしても、それが本件のような「とらわれの聞き手」に対しては異なる評価をうけることもありうるのである。
記事はここまで一応は法律論にのっとって議論を展開してきたのだが、ここから内容は抽象的で曖昧なものになっていく。広告主に表現の自由があるのなら、国会議員にも表現の自由があるし、思想・両親の自由もある。広告を批判した内容についてではなく、批判したという事実そのものを非難するのは難癖としかいいようがない。記事で展開される論に従えば、国内の民間の活動は経済的自由はじめほぼすべてがなんらかの形で憲法によって保障されているのだから、国会議員は憲法尊重擁護義務のせいでいかなる民間の活動に対しても批判することはできないということになってしまうだろう。
記事は広告が法的に問題があるかというだれも気にしていない問題は取り上げるのだが、自主規制のあり方がどうあるべきかという本来の関心が集まっていた問題については驚くほど無関心である。
また、松井茂記教授(ブリティッシュ・コロンビア大学)は、ポルノによる性表現が女性の「人間性を傷つけ、その尊厳を損なう表現」だということで問題にするのであれば、「女性」の場合だけに限定すべき理由が乏しいことから、「およそ人間性を傷つけ、その尊厳を損なう表現はすべて禁止されうることになろう」とし、さらに「おそらく戦争の犠牲者やテロ行為の犠牲者の写真や映像も、公表できないことになろう」と解説しています(松井茂記『インターネットの憲法学 新版』(岩波書店/2014年)169頁)。
このように、「ジェンダー構造を再生産する」とか「女性の人間性を傷つけ、その尊厳を損なう表現」だといった理由で、表現の自由を制限する方向の議論を展開することは、表現の自由が広く制限されすぎてしまうことにつながりかねず、問題でしょう。
記事はこのように主張するのだが、「人間性を傷つけ、その尊厳を損なう」ような広告を鉄道の駅に掲示することは現在でも自主規制の対象になるだろうし、そのことについても社会的に広く異論はないはずである。性的な広告を鉄道駅に掲示することの是非は、その自主規制のラインをどこに引くべきであるのかという、より繊細な議論を必要とするのだが、記事はただ「規制は慎重であるべき」という何の役にも立たない一般論を述べているに過ぎない。
記事はわざとらしく「立憲」という言葉を繰り返し強調したり、以下のような文言をはさむなどしており、極めて強い党派性が感じられる。
なお、国会議員等が、与党の解釈改憲や検察庁法の改正問題を批判した際には、憲法学や法律学の通説あるいは多数説によるべきとしつつ、別の局面では少数説の立場に立つという態度は、結局のところ、憲法学や法律学の専門家の意見を尊重して判断をするというのではなく、自分たちの立場と意見が合致するのであれば、専門家を都合よく利用するといった態度である可能性が高いといわざるを得ないでしょう。
常に通説や多数説に従えというのはある種の見識なのかもしれないが、「とらわれの聴衆」判決から「広告表現は憲法で強く保障されている」という通常と真逆のメッセージを引き出す記事でそのように訴えられてもどう受け止めればいいのか困るというのが正直なところだ。
人民が情報を持たず、情報を入手する手段をもたないような人民の政府というのは、喜劇への序章か悲劇への序章か、あるいはおそらくその双方への序章であるにすぎない。
知識を持つ者が無知な者を永久に支配する。そしてみずからの支配者であらんとする人民は、知識が与える権力でもってみずからを武装しなければならない。
ジェームズ・マディスン(※1)
昨日我が国では民主党による新政権が発足した。前与党の自民党による置き土産の中で最も重要なものに「公文書管理法案」(公文書等の管理に関する法律)というものがある。これは公文書問題をライフワークとしている福田康夫が官房長官時代から懇談会を開くなどして(※2)取り組んでいたもので、首相になってからは有識者会議、公文書管理担当相ポストを新設しトップダウンでこの法案策定を押し進めていたものだ。(※3)
日本における公文書問題とは、国の機関による文書の作成、管理・保存、廃棄が適正に行われず、民主主義国家の運営に支障を来しているという問題である。重要文書が隠されていた薬害エイズ問題、記録が失われた年金記録問題、存在が否定されている沖縄返還交渉における密約などはよく知られた代表的な例である。
民主主義の根幹は、国民が正確な情報に自由にアクセスし、それに基づき正確な判断を行い、主権を行使することにある。国の活動や歴史的事実の正確な記録である「公文書」は、この根幹を支える基本的インフラであり、過去・歴史から教訓を学ぶとともに、未来に生きる国民に対する説明責任を果たすために必要不可欠な国民の貴重な共有財産である。
(※4)
日本でも2001年より情報公開法が施行されているが、文書の作成、廃棄の権限が行政機関自身にあるためにちゃんと機能していないのが実態である。情報公開法施行直前の官庁による文書大量廃棄や公文書→トイレットペーパーという話題などはよく知られているところである。そこで「真実が国民の目に触れないのは民主主義にとって問題がある」とこの公文書管理の向上に乗り出したのが前述の福田康夫である。
地元から依頼されて探していた終戦直後の群馬の写真が、訪米した際にアメリカの国立公文書館で簡単に手に入り驚いたという経験が、福田が公文書問題に関心を持つきっかけとなっている。(※5)福田が驚いたというアメリカ国立公文書館のWebページにアクセスしてみると「民主主義はここから始まる」という言葉が掲げられている。
Democracy Starts Here.
日本の国立公文書館の職員42人に対し、アメリカ国立公文書館の職員は約2500人である。(韓国約130人、中国約560人、カナダ約 660人)(平成15年時)(※6)かけられているコストが桁違いなのである。
さてこのように民主主義を支えるための重要な手続きに関して大きなコストがかかるという話が出ると、決まってそれを嫌う下記のような意見が出てくる。
(しかし文書管理にコストをかけていないため、年金記録問題や質問主意書残業問題などで他の余計なコストがかかっている事、逆に、文書を適切に作成・管理する事で業務の効率が上がる面もあるという事も忘れてはならない。)
これらは全て、住民が行政に対して「もっと正確に」「もっと公平に」「もっと透明に」を求めた結果なのだ。確かに正確も公平も透明も大事だけど、これじゃ「正確な仕事」ではなく「正確“が”仕事」だ。「仕事」の部分はもはやサブである。
ひょっとすると、人件費を減らすためには、住民がガミガミ言うのをやめるのが一番の策なんじゃないだろうか。
この方は役所でバイトをし、さらには公務員を目指しているらしいが、すでに我が国の行政において正確さ、公平さ、透明さが十分に確保されているとお考えのようだ。
はてなブックマークでの反応の一例。
- activecute アカウンタビリティ(笑)とでも書いておこう。日本に限った話でもないから[日本的なるもの]タグや[もうすぐこの国は滅ぶ]タグはつけない。でも、これで、世界の生産性は無駄に落ちている。 2009/09/16
- FTTH # |ω・)…… 適当なことを云ってみると、金融・証券系、一部上場、等の会社はみんなそうだと思うよ。それがコンプライアンス(笑)って奴。 2009/09/16
http://b.hatena.ne.jp/entry/anond.hatelabo.jp/20090916185052
このような人たちだけではなくマスコミの認識も似たようなレベルである。民主党が政策策定過程などを全面文書化し情報をオープンにしていこうと提案した事に対して。
「閣僚の指示すべて文書化します」民主党方針 公文書管理法先取り
民主党が、平成23年施行の公文書管理法を先取りし、閣僚や副大臣らの政策判断や指示などを原則として全面文書化し、公開する方針を固めたことが1日、分かった。
(略)
各省庁は文書化や文書管理などにより事務作業が増大し、「行政のスリム化」と矛盾が生じる可能性もある。
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/090802/plc0908020101000-n2.htm
やはりコストがかかる事を嫌うようだ。はてなブックマークでの反応の一例。
http://b.hatena.ne.jp/entry/sankei.jp.msn.com/politics/policy/090802/plc0908020101000-n1.htm
日本の民主主義(この人たちにとっては民主主義(笑)なのかもしれないが)を最低限機能させるためには記者クラブだけではなく、情報公開にコストをかける事を極端に嫌うこのような人たちとも根気強く戦っていかなくてはならない。
※2.http://www8.cao.go.jp/chosei/koubun/index_k.html
※3.http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/080229/plc0802291213003-n1.htm
※4.http://www.cas.go.jp/jp/seisaku/koubun/hokoku.pdf
※5.http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/080302/plc0803021842003-n1.htm
※6.http://www8.cao.go.jp/chosei/koubun/kenkyukai/tyousahoukoku/houkokusho0.pdf