はてなキーワード: ももちとは
クラシック畑育ちの私がハロプロの存在を意識するようになったのは、一昨年の夏だった。Twitterでロッキンのモーニング女。のステージが話題になった時。炎天下の中、汗で前髪がしめりきっても、激しく歌い踊り続ける彼女達に圧倒されたのである。
それから、YouTubeで違法アップロードされているLive動画やオーディションの様子等を見るようになった。(いけない事だし、彼女達の為にならないから今はしてません。ごめんなさい。)
何より驚いたのは、彼女達の歌唱力の高さである。好きな歌手でも、Mステや紅白などLiveだと音程が安定しないのが嫌であまり聴くことがないのだが、ハロプロのみんなは音程を外す事が殆ど無い。その上でパワフルに歌い、更にはダンスまで見事にこなすのである。
彼女達は、全員がもともと歌が上手だった訳では無い。(もちろん圧倒的歌唱力をもって加入したメンバーもいるが)オーディションではあまり歌が上手かったメンバーが、卒業する頃には歌割が増えたり、卒業コンサートで1人で堂々と歌う姿には励まされる。しかし残念な事に、私がハマった人の殆どが卒業してるのである。
随分前に芸能界を引退された、あややこと松浦亜弥さんや、TVをあまり見ない私でも知っていたももちさん、そしてももちさんが所属していたBuono。どれも過去の栄光であり、今は活動されてないので応援しても彼女達にあまり貢献できない。
話は変わる。世間で今1番話題となってるアイドルは虹プロだろう。1万人のオーディションから選ばれた女の子達が、合宿等を通し更に磨きをかけ、その合宿のメンバーから更に絞りデビューするらしい(あってるかな?)
まさに今からの時代を駆け抜けるアイドルなのだ。今ハマれば彼女達に貢ぐ事ができる。厳しいオーディションから勝ち抜いた女の子達、自分が好きになる要素しかない。
周りの子はみんな虹プロにハマっている。私も手を出さばいいのに。リアルタイムで楽しめる喜びは今しかないのに。とっても惜しい事をしているのはわかっている。しかし私は「今は」虹プロに手を出すことはできないのだ。
一晩ずっと考えてしまったので、少し吐き出してみる。といっても三浦春馬とはほとんど関係ない自分語りです
だれかも書いていたけど、自殺は自分で自分を救う方法のひとつ。
周りにいた人間はきっと無意識に彼が辛かった姿を認識していたと思う。
少し救われた部分と、残されたものとして、なぜ救えなかったかという永遠の呪いがある。
父が同じ7月の後半に自殺した。最後に交わした言葉は数年前まで覚えてていたが、今は思い出せない。
とてもひどい言葉を父にむけたことだけは覚えている。自分にとって都合悪いことを忘れるってほんとだな。
今でも、命日が覚えられず(頭が拒否しているようだ)、遺影も一度も飾ったことがない。
ただ、母は父が自殺した部屋を自分の寝室にして、もうかれこれ20年以上寝ている、第一発見者でもある母が。
父は出張先で同僚がホテルの同室で自殺した、という経験をしていた。
ヨーロッパのどこかの国のホテルで警察にも事情聴取されたと聞いた。多分今の私と同じくらいの年齢だ。
とてもじゃないか、冷静でいられないと思う。
自殺した当人ももちろんだが、父もきっと想像もつかない苦しく辛い日々を送ったに違いない。
そんなときに怪我をし、腰を悪くし、仕事がままならずうつ病になり自死に至った。
そして、子供二人と残された母の辛さは想像を絶する。しかも半年後に母は乳がんの疑いが見つかった。
全くもって想像を絶する。結局癌ではなかったが、気が気ではなかったであろう。
書いてて初めて認識したけど、母だけでなく、
なんか、ここだけみると壮絶な夫婦だな。
おそらく45すぎたら、とてつもない孤独や肩身の狭い思いをすることになるだろうとは思っている
職場でその世代で独身女性が二人自殺している(男もいれたらもっといるけど)
父が自殺したときは、自分もそっちにいくなんて微塵も思っていなかったが、
当時なんとなしに身内が自殺した人の統計をみたら、子が自殺する割合は高かった
こうやって自殺で動揺すると、父や近い人の自殺を思い出してしまう。
一人暮らしで、コロナもあって全く気が紛れなないのもあるんだろうな。
三浦春馬の新作を二度とみることができないのがただただ残念。
すばらしい俳優さん。踊って歌っている姿をもっともっと観たかった。
一つの演目が終わった後の、あの言葉では表せない満足感、多幸感、本当にありがとう。
五右衛門ロック、罪と罰、星の大地に降る涙、怪盗セブン、どれも
ありがとうございました。
30過ぎても、推しの舞台やファンイベのために、チケット代より高い交通費を払って上京する。
…いや、していた。
新型コロナ、というものが中国で流行り始めた、日本に入ってくるのも時間の問題だ、という程度のぼんやりとした情報しかなかった頃、推しの舞台に行けなくなったTwitterのフォロワーさんからチケットを買い取り、追い観劇などしていた。
あと2公演見られるぞ、次はオペラグラスで推しだけを追うか、などと考えていたところ、
その公演は千秋楽を迎えることなく中断、そのまま打ち切られた。
私の手元には、2枚のチケットが残り、そして所定の手続きを踏んで払い戻した。
複雑な気持ちだった。
ぼんやりしているうちに、推しもリモートイベントや映像配信などをやり始めた。
それにももちろん参加した。自分用に、バカみたいにスクショした。顔がいい。
けれどなんだろう。このぽっかりと心に空いた穴は。
某イケメン人狼の直前、少しずつ、対策をしながら舞台を再開する動きが出てきていた。政府の、イベントの人数も緩和されたし。
でもそれも、某イケメン人狼の件でぐちゃぐちゃになった。シアターモリエールは完全に巻き込まれ事故だったと思う。いや、詳しいこと知らんけど。
私は、7月から始まる次の舞台に行く気満々だった。FC先行で取っていたチケットは一度払い戻しになり、客席の数を絞って、ほぼ倍値になったチケットを、もう一度抽選かけて一枚確保していた。
やっと舞台が見られる。
劇場に直行直帰、余計な寄り道はしない。都内で食事もしない、など、思いつく限りの自衛をして行くつもりだった。
しかし、日に日に東京で増えていく感染者。認めたくないが、第2波としか言いようがない。さすがの私も怯んできた。
「事前登録制」になったのだ。
誰か、いつ、どの席で観たか控えられるのだ。
それまで私が想定していた『自分が感染するかしないか』の2択が、『カンパニー、スタッフ、そして同じ日に観劇した客と一蓮托生になる』ことが確定した。発症者が出れば、濃厚接触者としてリストアップされて保健所に情報が行く。
地方遠征組の私にとって、「社会的な死」(大げさに表現したが、このご時世に東京に遊びに行った、なんて田舎で知られたらどんなことになるか…)を迎えるリスクが光の速さで上がりやがった。これはもう無理だ。はい詰みー。
ちなみに、公式としては素晴らしいリスクマネジメントだと思う。今回は、主催が大手なので、そこまで手を打ったのだろう。
ここまですることは、大変だろうに。
もう、しばらく生で推しを見ることは叶わないんだな、と半ば諦めのように思う。
もし私が23区住みなら、行っただろうか。いや、働いてたらやっぱり劇場には行けない。
Twitterのオタク仲間たちと、「早くまた現場でお会いしたいですね」などと言っていた。いつか、ワクチンとか薬が実用化されれば。それまでの辛抱だと思った。
「推し、ちゃんとごはん食べてますかねww」なんて言いながら。
そしたら、三浦春馬が亡くなった。
「…は?」
しか出なかった。意味がわからない。え、ドラマやるっしょ?NHKのレギュラーもあるっしょ?え、キンキーブーツ再演あるなら観たかったんだけど。
本当に、その人たちには、とにかく生きろ、としか言えない。
男女問わず、アイドルを推してると大体引退したり結婚したり干されたりたまに逮捕されたりする。
我々もまた、ライフステージによっては、推しより優先しなければならないものを抱える可能性もある。現場に行けない時期だってある。それでも、ファンである気持ちは変わらない。推しがいるだけで、人生は明るくなる。
仮定してもいなかった。
私たちオタクが、推しに生かされていることは、奇跡なのかもしれない。
推しにだって心がある。キラキラした面だけでなく、一人の人間であることに変わりはない。
そもそも、明日、私が交通事故で死ぬことだってある。(パソコンはHDごと叩き壊してください。グッズは、Twitterのフォロワーに形見分けしてくださいよろしくお願いします)
今はこの言葉が、尊く、そして、重い。
乱文失礼しました。
もしあなたの知っている誰かが亡くなって、その悲しみを周りと分かち合えないという状況だった時、これを読んで少しでも「同じ気持ちの人がいるんだな」と思ってもらえたらいいと思う。
知っている人の訃報を聞くと、ふつう悲しくなる。知らない人の訃報は、「へー」で終わってしまうこともある。
その人のことを知っていてもよく知らなくても、自殺の報は気分が沈む。それも普通とは少し違う風に。
有名人の自殺を通して、私は過去の夏に自殺した友人を見ている。
いや、自殺かは分からない。かの有名人だって本当に自殺かは分からない。誰も死に目を見ていないのだから。しかし、状況から見て自殺としか思えない。
そうなると、心は混乱する。重い悩みを抱えていたんだろう、どうして気づけなかったのか、と思う一方で、もしかしたら突然の心臓麻痺かもしれない、ひょっとすると自殺に見せかけた殺人かもしれない、などと突拍子もないことを思いついてしまう。そんなはずがなくても、その人が死を選ぶ程の悩みを抱えていたということや、自分や周りがそれに気づけなかったということを否定したくなる。
後を追うことは考えなかった。もし私が死んだら、私の友人は今の私と同じ気持ちになるのかと思うと、できなかった。
もし身近な人や好きな有名人が亡くなって、少しでも後追いを考えてしまっている人がいるなら、絶対にやめてほしい。
亡くなった人は、それを望んでいない。断言する。
訳あって、私は周囲の人間より少しだけ先に友人の死を知った。そして、そのことは発表されるまで誰にも言わないようにと言われた。
これがメチャクチャきつかった。周囲の人は、突然姿を表さなくなった友人について様々な噂話をする。死んだ?死んでない?何が原因?病気?いじめ?
半笑いでそんなことを話す奴はもちろん許せない、ぶっ飛ばしてやりたいが、真剣な顔で話している人もとにかく嫌だった。友人とろくに話したこともないくせに、何も知らないくせにと思っていた。でも、友人のことを何も分かっていなかったのは私も同じなのだ。だから友人は死んだ。誰にも言わずに一人で死んだ。私は不安な気持ちが拭えず、様々な不確かな憶測をめぐらせた。そいつの悩みは私が思いつくそのどれでもないかもしれないのに。所詮噂話をする無関係の奴らと一緒だった。葬式にも行けなかった。
今ならこう思う。友人のことを知らない人は、知らないなりに不安だったのだ。そして私ももちろん不安だった。大切な人が亡くなったときの状況や、心情を知りたいと思うのは自然な感情だ。だからそのことについて色々考えてしまうし、ネットで自殺者の心情や方法なんかについて調べてしまう。だがそういう情報に触れすぎると心は疲弊する。一種の自傷だ。だからそういうときは、テレビやネットに触れず、美味しいご飯食べて、風呂入って、好きな音楽聴きながら寝よう。
あの人はあんなに苦しんだのにそんな脳天気な生活してていいのか、とかそんなの考える必要は全くない。私のあの行動も自殺に追い込む一因になってしまったのではないか、とかも考えなくていい。メンタルが参っている時は、とにかく自分に優しくしろ。何も我慢するな。色々考えるのは落ち着いてからでいい。
自分がその人の死を止めれたんじゃないかとか、考えなくていい。あなたはその友人に冷たく接しただろうか?暴力をふるっただろうか?心無い言葉を浴びせただろうか?心当たりがないなら、それはあなたのせいじゃない。あなたの知らないところで、もしかしたらその人は苦しんでいたかもしれないが、それに気づけなかったのはただ運が悪かったのだ。だって気づいていたのならば、実際にはできなかったとしてもあなたはなにか行動しようとしていただろう。だからその人の死を悲しんでいるんだろう。
なんとも沈んだ気持ちのとき、静かな自分の部屋に一人でいると、今なら死ねそう、と頭に浮かんでしまうのだ。
鬱だ、死にたい……ではなく、なんとなく軽い気持ちで、あ、今なんか苦しまずに死ねる気がする、と思ってしまう。
そういう思考に変な思い切りの良さが加わると、人は息をするのをやめてしまう。
個人的な意見だが、人生はギャンブルのようなものだと思う。負けていてもずっと続けていればいつかは勝てるかもしれないし、今のツキが良いならその後の負けを恐れて降りたくなるかもしれない。この先アタリがくるかもわからない低迷の中にいて、私の友人は勝負を降りてしまった。
友人が亡くなった直後でも、1週間後でも、1ヶ月後でも、1年後でも、その後も、なんやかんやで世界は回るし、友人に影響を受けたはずの私も普通に生活できてしまうのだ。大切な人が死んでも、意外と生きていける。その事がショックだ。
ただ、私は友人の年齢を追い越してしまったし、友人は今伝染病で世界がものすごいことになっていることも、オリンピックが延期になったことも知らないんだなあと思う。
人が死ぬと、その人は異常に美化されるようになる。
たしかに素晴らしい人だった、だったけど、より美化されるようになる。みんな、あんなにいい人だったのにと急に言い始める。それを見ていると、なんだか死んでからじゃないと周囲から褒めてもらえないんじゃないかという気になる。
あちこちとっちらかった文だけど、要するに私は誰にも死んでほしくない。自殺は何も解決しない。苦しみから解き放たれるかもしれないが、それは楽になるということじゃない。ただ遺された人が本物のその人を忘れ、過度に美化された幻影を崇拝し続けるだけだ。死んだ方も、死なれた方も、得はしないと思う。
幻影でもその人のことを思い起こすことが無意味であるとは言わない。ただ、できるならみんな、生きているその人を見ていたかっただろうと思う。
繰り返す。なにも、あなたのせいじゃない。
ポリコレポリコレ言ってる人たちは「LGBTのパイが少ないからLGBTの役はLGBTの役者にやらせろ」とは言うけど、「LGBTの医者が少ないからLGBTの医者の数を増やせ」とは言わないんだよな。(LGBTは黒色人種でも黄色人種でもマイノリティなら何でもいい)
なぜかって、数合わせのために医者にしたやつがとんだヤブで人が死ぬと困るからだろう。
医者に必要な要素は、LBGTではなく、人種でもなく、適切な診断や治療法を考えられる頭脳だから。
でもそれなら、役者に必要なのは当事者性じゃなくて演技力と、役に合った外見じゃないの?(美しければいいとかではなく、運動神経抜群の設定の人物の外見がデブだったら違和感を感じるし、逆にデブだからいじめられてる設定の人物の外見がほっそりした美形だったら違和感を感じるという話)
LGBTだろうがなかろうが棒読みの素人だったら見るに堪えないし、LGBTであるかのように振舞えるなら、本人の性的志向とかどうでもいいと思う。もちろん、当事者の方が、演じている人物の苦悩がわかるから、リアリティのある演技ができる可能性はある。でも、当事者なら絶対にリアリティがあるというわけではないだろうし、それ以外の演技力が劣っている可能性ももちろんある。当事者性はリアリティのある演技をするために貢献するかもしれないが、本当に評価されているのは当事者性ではなく、リアリティのある演技ができるかどうかであるのではないか、と思う。
医者の子供は小さいころから親の仕事を見て、一般人より医学的な知識が多いかもしれない。でも、医者の子供だということを評価されて国家試験に合格したのではなく、医学的な知識を評価されて国家試験に合格したのだ。
実力以外で選ばれた人間が医者になったら医学のクオリティが下がり私が死ぬからそれはダメ。
でも役者なら実力以外で選ばれてドラマなり映画なりのクオリティが下がっても構わない。なぜなら私に害はないから。
って考えだとしたら、ずいぶん舐められてるなぁと、芸術関連に明るくない自分でも思う。
もしもLGBTの役者が演技力は十分なのに、偏見のため選ばれないのが問題ならオーディションでの評価を透明化するとか、そっちを変えるべきなんじゃないの?
オーディションを平等化するのは今は困難であり、平等化するための方法は試行錯誤中だ。いずれ平等に評価できるようにするから、それまでの次善の策として、LGBTに特権を付与している。という話ならまだ納得がいくけど、平等化するためにどういう方策を頑張っているみたいな話は聞かない。
そうなると、いつ次善の策から最善の策に変わるのかなど大した指標もなく、次善の策だけがなあなあでズルズルと続きそうな気がする。
ついでに言うなら今デモが起こってる理由の半分くらいはコロナの不安とかイライラとかをぶつけたい人たちが的を見つけたんだろうなと思っている。
常に差別問題に悩んでいる人もいないとは言わないが、過激化したのはコロナのせいだと思う。
まあ当事者から差別されたことがないからわからないんだ人でなしと言われれば、LGBT差別を受けたことがないのはその通りだし甘受するしかないが、当事者でもないポリコレ翼賛会の一員からなんか言われるとLGBTの問題はLGBTが言うべきでは? 文化盗用では? とか言いたくなってしまうな。
一度価値観が合わず別れたが、また付き合い結婚しようという話し合いをしているけれど、向こうが小学生みたいなところがあって常識感も合わず、結婚に不安がある。
たとえば、この前家の近くで屋台を作りテイクアウトをしている店があって、お店の人が後ろにテイクアウトの備品や在庫などをキャビネットにしまっていた。
ある日たまたまそこを通りかかって、その日雨でお店の人がいなくて、「今日はやってないみたいだねー」と私が言ったら、いきなり一緒にいた彼氏がお店の備品のキャビネットのストッパーを外して、中を覗きはじめた。「何でそんなことするの!?お店の人嫌がるよ」と言ったら、「ごめん、人いなかったし、何が入ってるか気になった」と。
もしそこにテイクアウトの食料が入ってたら、お店の人来たら泥棒と間違えられてもおかしくないし、その辺の"開けてみよう"、と思う心境が全く理解不能だった。細かいことかもしれないけど、普通の常識のある大人がすることじゃないと感じモヤモヤが残った。
また、ある日、日中心細くなったので電話をしたいと深く考えずに言ったら(お互い在宅勤務、私は正確には転職活動中、コロナのせいかあまり結果がよくなく不安)、「運動したいから散歩したい。そしたら電話しなくても直接話せる」、と言い「明日の朝、家から離れた公園に自転車で集合して、小雨決行」と言われ、実際翌日に小雨の中、家から離れた公園に集合した。
散歩しながら話すのが目的だったみたいですが、正直こちらは電話で話せれば十分だったし、小雨の中カッパを着て30過ぎの女が自転車で彼氏に会いに長距離を疾走してるの、なんかものすごく滑稽な気がして情けなくなってきた。
小学生の遊ぶ約束じゃないし、どうして普通に落ち着いて電話で話をきくとかにならないのだろうと、無念でずっとキレていました。
ただ、その他はアル中ということもなく、借金などもなく、性格も穏やかで優しめ、それなので自分がこれらのことに不満を持つこと自体、婚期を遅らせてしまうのかと迷うのですが(暴力を振るわないなど、好きなところももちろんあります)、いくら優しくても一緒に人生を乗り越えていけるほど向こうの社会性に安心感を感じられなくて不安を感じる。
あと、仕事があまり得意じゃないので、向こうは将来は投資や株だけで食べていきたい、とも言っています。
世代の友人の旦那さんや恋人はもっとしっかりした人が多い気がして、このまま結婚してうまくいくか考えるほどはげそうなほど悩んでしまい、ここに書きました。。
片付け、物を捨てることを迫られる状況下にいる。
「もっと減らせ、物を持つな置くな。」
ふと気づいたら、小学生の時に、古本屋をめぐって一生懸命集めた大事な本を手放していた。
自分が大学への進路を決めたような重要な本だったのに。(直接ではないが、間接的にはそうだ)
本棚がスッキリするだろうということで、家族にあおられまくった結果がこれだ
なにやってんだろう。と今になって呆然とした
確かに最終決断したのは自分で自己責任だが、あおられたらまともな判断が出来なくなるんだな、とも今となっては思える。
あの本を捨てた、それが数ヶ月前。
その後、片付ける気力が失われた。
やたら眠い。休日も動けない、平日はフルで仕事、しかもコロナのせいで出勤者は少ない。在宅のやつの尻拭いもしないとならない。
疲れが酷かった。
それでも鞭打つように「なぜもっと早く片付けないんだ」と、家族からあおられる
かたづけた。
大学の時につきあっていた人との手紙も刻んだ。捨てた。当時の自分が嫌な人間にみえて未熟さがいやだなと、捨てた。
自分で仕分けて捨てて、いつまでももっているわけにいかないから、という理由ですてていっているが、こんなことしていくと本当に心が死ぬ。
けれどそれを一旦捨ててしまったら
本当に
もう
二度と手にすることは
絶対に
出来ない
それなのに、捨てなきゃいけないの?
俺の居場所どこにもないわけ?
「ねーよ」
という書き込みがくることを期待する
こんなに片付けてももっと減らせって、俺いらなくない?
「いらねーよ」
って言われるんだと思う
俺に消えろといっているんだろうな
薄々うちは毒親じゃないかと思っていたがここ数年それに拍車がかかってる
去年看護の専門学校(一応住んでる県では偏差値トップ)に入学して、今2年次なんだけど、専門学校に入学してからが本当に気が狂いそう
まず父親が去年家を出て行って、家からバスで20分くらいのところに住み始めた
母親は嬉しそうだったけど、私は複雑だった
もともと公共料金支払い能力のない人で、父親が家にいる時から電気が止まるのは当たり前で一回水道も止まってびっくりした
そんな状況でも父親に「払って!」って迫れないのは、父親が怖いから
手をあげないだけマシ そう思っても、お金の話を出した途端立ち上がって自分の書斎に行って、気分が悪ければ何日も私たちと顔を合わせない生活を続けるような父親の機嫌を取らなければいけなかったから
父親が出て行ってから機嫌をとることはなくなったけど、学費の催促もできなくなったし母親がパートのお金で生活費を賄うようになり、私たち姉妹にお金をせびったり八つ当たりするようになった
私ももう学校辞めたい 父親は学費払ってくれないし、車社会の今住んでる県で免許ないと生活できないのに自動車学校のお金も誰も出してくれないし、奨学金は母親のカードの返済に使われるし、私は何のために生きてるんだろうってなる
私ももちろんバイトしてるけど、母親の生活費の補填したり父親が払ってくれない学費の補填したり、自学の金を一括で出せるようなお金はない
お金で苦労したくなくて看護師になろうと思ったし、実際看護師の勉強は楽しいのに、私の周りは誰もそれを助けてはくれないんだね
みんなやってる前撮りも母親に「いらないよね?」って言われたら撮りたくても「うん」としかいえなかった
母親は父親にLINEブロックされてて催促できないくせに私に「なんでもっと学費の催促しないの?」って怒ってくるし
本当にリスカしそう
今まで頑張って理性でとどめてきたけど死ぬくらいならリスカくらいしてもいいかもってなってきた
本当に馬鹿みたいだ
早く死にたい
後悔するような人たちだったら今頃こんな仕打ち私にしてないと思うけど
ただ、「どこに投票するかは自分で考えろ」という態度で、闇雲に「選挙に行こう」と言う人が理解できない
なぜなら、その行為は多数決である選挙を誰も望まないものにする行為だと思うからだ
昔から多数決において、必ずどこかに票を入れなければいけないというシステムが気に食わなかった
例えば、修学旅行で北海道か沖縄のどっちに旅行に行くか、議論を尽くし最後に投票で決めるケースを考える
「北海道(沖縄)が良い」と強い意志と考えを持って投票する人もいれば
「旅行先なんてどうでも良い」という軽い気持ちで投票する人ももちろんいる
するとどういったことが起こるか
北海道派が6人、沖縄派が4人、どこでもいい派が90人いるケースだと
多数を占めるどこでもいい派が、その場の気分で北海道か沖縄のどちらに傾くかで結果が決まる
北海道(沖縄)派から見ても、運で旅行先が決まることは望まないし
どこでもいい派から見ても、自分達のその場の気分で旅行先が決まることは
真剣に考えている北海道(沖縄)派に対して申し訳ないと思うだろう
自分達の未来や日本社会の未来を真剣に考えている人の一票の価値を薄める行為であり
「選挙に行こう」という人は、せめて「どこに投票するべきか」を説明しなければいけない
それによって、投票したいと思わせることができれば、その一票は意義のある一票になるだろう
実際の選挙に関しては、そういったどうでもいい派の浮動票はランダム化ではなく固定化(自民党)を招くと個人的には思う
どちらにしろ、選挙に真剣な人の票が薄まる効果があるので妨害行為だろう
組織票は選挙に興味のない人の一票よりかは、だれかの思いが反映された意義ある一票だと思う
間違った方向に進むかもしれないが、ランダム化・固定化よりもマシで
そうやって紆余曲折しながら、正しさを追求していくのが選挙の本来あるべき姿だろう
組織票には組織票で戦うべきで、どこに投票するべきかということを多くの人と議論して自陣営を増やしてほしい
給料の100%を毎月使い切る「金の貯まらないオタク」のテンプレだった人間が1月1日から貯金を始めて、今日までに起こった心境の変化など。
どうしても当てたいライブツアーが発表されたのが昨年末。最初はツアーに余裕を持って参加できるであろう20万を春までに貯めようという計画を立てた。1〜4月に出るお給料で、毎月5万貯めればクリアできる計算だった。
●使い道の無くなった貯金
ところが3月末にはすでに20万ちょっと溜まっていた。というのも、すでに決まってたイベントの返金が相次いで5万ほど返ってきたり、「そろそろ申し込みスタートかな?」と思っていた時期にライブツアー延期のお知らせがあったり。手元には使い道を失った20万が残った。
●目標を50万に変更
3ヶ月間の貯金生活は、意外にも負担がなかった。単に貯金計画を圧迫する現場がなかっただけなんだけど、しばらくエンタメ業界に投資する機会もないだろうし、もうすこし貯金を続けてみることにした。
私がしていた貯金は給料から毎月6万を先に抜くというもので、順調にいけば6月末で50万に到達する計算だったので、目標を50万にした。
はずだったんだけど、趣味に全力だったころの後遺症(クレカの引き落とし)のために実際は平均4〜5万くらいだったと思う。給付金とボーナスを合わせて無事に6/30で50万+に到達した。
①将来について考えられるようになった
毎月給料を使い切っていた頃は、とにかく目先の快楽を追い求めていて、「今」幸せになりたくて仕方なかった。
実家暮らしなので精神面でも経済的にも楽な暮らしをしているとは思う。でも奨学金とマイカーローンという借金を、大卒と同時に背負ったのは私には十分に重かった。絶対に仕事辞められないんだなって初めての返済月に覚悟せざるを得なかった。どちらも自分の意思で借りたお金ではあったけれど、今ははやいとこ一括返済できるように実家暮らしをとことん利用してやろうと思ってる。
マイカーローンを返し終わったら家を出てもそれなりに貯金できるようになる計算なので、ひとまずマイカーローン用の貯金計画を進めている。オタ活のための貯金だったのに、こんな風に路線変更するなんて半年前まで想像もしてなかった。
どうして毎月十数万も使ってしまっていたのか。結論は簡単で、学生時代の反動。これしかない。
大学4年間は一人暮らしをしてたけど、親からの仕送りがなかったので、奨学金とバイト代で最低限の暮らしをしていた。常に赤字だったので、家計を見直す意味を感じる瞬間もなく、とにかく毎月ギリギリの暮らしをしてた。
就職を機に家に帰ってきていろんな意味で楽になった私は、学生時代に我慢してた買い物と美容と旅行にお金を使いまくった。学生の頃には逆立ちしても買えないものを買えるようになった自分が嬉しくて、ものすごくテンションが上がった。
浪費を浪費と自覚していたから、お金を使った瞬間は楽しくても後から後悔することももちろんあった。でも使うことをやめられなかったのは、学生の頃に感じた「お金を使わないのは惨めな暮らし」という気持ちが強すぎたからだと思う。
でも、いま思うのは「限界まで出費を抑えること」と「不要なものを買わないように自分を抑えること」とは全然違ってた。欲しいものは、ちゃんとお小遣いの範囲で買ってもいいよってルールを作ったら、お買い物がちゃんと楽しくなったし、好きなものしか手元に残らなくなった。
浪費を止めるきっかけがあって、本当によかったと思う。推しに最大級の感謝。
●お給料の使い道について
貯金→6万
という感じで、平和な暮らしを維持できるようにいろいろ試行錯誤してこの配分に行き着いた。
やりくり費の5千円は、楽しいものにしか使わないようにしている。たとえばグッズとかCDとかスイーツとか。5千円を超える楽しい買い物に関しては、自分の気持ちと何度も相談をして、後悔しないと思った時にだけカードで買って翌月の貯金額を減らすようにしている。
カードを使うのは毎月の貯金額が減ることよりも、いま貯まってるお金を崩すことに抵抗があるからだけど、追々はクレカも手放したい。
7月のお給料からは「使える貯金」を20万貯めて行こうと思っている。いつでもオタ活ができる心の余裕にしたいなあと。延期になってるライブ参加費もこの枠の中でやりくりして、いま貯めてる50万には触らないつもり。真剣に本来の目的を見失ってるんだよなあ……。
キャッシュレス全盛期に前時代的なアナログ貯金をしているけど、半年いろいろチャレンジしてこれが自分なりのベストだと思ってる。
以上おわり。
日本の正規雇用の年収中央値が430であるのに対して非正規を含める360である。月額の給与に換算すると30であり、手取りだと24前後。
こんな中でコロナだの増税だのレジ袋有料だの物価のデフレ施策だのを考えたらそりゃぁ貧困率も高くなる。
この政権では夢も希望ももちろんないし、お金がなければ電車を使用する場所にあるような投票所に行く気力もわかないだろう。若者には現政権をどうすることもできないのだ。
こういった状況を鑑みると家からでなくて済みそうでかつ高単価が得られそうなYouTuberやITエンジニアを目指す若者がでるのは納得がいく。
この記事は『ツイステッドワンダーランド』の新イベント、『ゴーストマリッジ』について偏った目線から書いた感想のような怪文書でございます。
イベントストーリーの他、ストーリーのネタバレを含んでおりますので「ツイステ気になってるんだよね~」という方の閲覧はおすすめしません。
メインストーリー(特に3章)はできるだけネタバレ見ずにプレイしてほしい…!
同担拒否の方はウィンドウ(タブ)をそっ閉じ、もしくはブラウザバックすることをおすすめします。
また、この文章はあくまで思考の整理であり、誰かに向けたものではございません。
(誰もこんな文読まないだろうけど予防線を張っておく)
まず、私個人の感想を申し上げますと「大草原不可避」。この一言に尽きます。
当初自然回復分でブーケを集めて少しずつ読んでいこうと思っていたのをやめ、かけらを少々砕いてどんどん読んでいったぐらいにはストーリーが楽しかったです。
でも、アズールの出番をざっくり拾うと、
2年寮長ズで勉強会してたら追い出される→運動場で監督生を気にかけるような発言(社交辞令の可能性あり)→『オペレーション・プロポーズ』に案外乗り気→先に玉砕したリーチ兄弟のことを詫びつつ自分も花婿候補として名乗りを挙げる→(「薔薇の花束を捧げて、高らかに愛を歌い上げ」る→)イライザちゃんビンタ→第2陣組でひときわ悔しがる(※個人の見解です)→イデアにボドゲ部のよしみで助けを求められるも切り捨てる…とよく考えたら夢女的にアウトになりかねない要素が普通にあるんですよね…
多分他作品の推しで「演技とはいえある程度ノリノリで異性に告白→玉砕」の流れがあったらブチギレる。きっとお気持ち長文書いちゃう。最悪他界する。
そして大変恥ずかしい話ではあるのですが、わたくし、推しの扱いにあまりにも納得がいかなくてその作品から距離置いたり他界したりなんかした経験があるめんどくさいオタクであるという自覚があります。
冒頭でゆるーい夢女などと申しましたが、鍵掛けずに推し×夢主アイコンにしているような夢女子(夢男子)さんがはっきり言って地雷なめんどくさい夢女です。(もちろん見かけても絡んだりはしませんし、自分の推し関連以外はそこまで嫌ってない)
それなのに、なぜ今回は笑っていられるのか…
平気だった理由として考えられるのが、「監督生に対しての台詞があったから」「推しだけじゃなくて他のキャラも同じような目にあっているから」「コントのような雰囲気だから」「花嫁が求婚を突っぱねたから」…
ストーリー自体から挙げられるのはざっとこんなところでしょうか。
「◯◯さんも、ご無事でなによりです」ですって…!
公開されないからへーきへーき、と少々恥を忍びつつ主人公の名前を本名(世界観に合わせてカタカナ)に設定していた私は不意討ちを食らうこととなりました。宇宙猫状態。
アズールの性格を考えると何度も言いますが社交辞令である可能性は十分にあります。
ですが、なんであれ監督生を気遣うような発言をしたのは事実です。
そして、ライターさんの解説でもない限りこの発言の真意が明かされることはないと思っていいでしょう。
そうです。せっかくだから都合よく解釈したろ!ということです。
他人に自分のそれを押し付けない限りはどう解釈しようが自由です。なので私はアズールのあの発言は本心からと思うことにしますね。
これはシンプルながら個人的にはわりと馬鹿にできない理由です。
後半どうなるかは不明ですが、現時点でレオナ、ヴィル、ジャック、セベク、トレイ、リーチ兄弟、リリア、デュース、ケイト、そしてアズールと半数近くのキャラがプロポーズチャレンジからのビンタ(紅葉の刻印)を食らっています。
やっぱりなんだかんだ言って「みんなそうだから」っていうのは強い。
推し一人だけがひどい目にあっていたら怒りたくもなりますがこれだけの人数が同じ目にあっていればちょっとした平等さすら感じます。
あんな人数の多種多様なイケメンが順番にビンタを食らう流れに笑わずにはいられませんでした。
似たような感想をすでに多数目にしましたが、イライザ姫の「却下!」からのビンタからにじみ出る「笑ってはいけないシリーズ」臭…
次から次へと挑んでは玉砕する彼らに笑いが止まらず、推しがぽっと出の女性キャラに求婚して惨敗していることにショックを受けるどころではなかったのです。
花嫁側がプロポーズを受ける様子が全くなく、バッサリだったのも個人的にショックを軽減する要因だったように思えます。
あそこで少しでも「素敵♡」みたいな反応を見せていたら私も絶望の淵に立たされていたことでしょう。
ここまでがストーリーそのものから考えられる理由、ここからは幻覚も交えていきます。
ナニソレ、イミワカンナイ!って感じかと思われますが、はしょった結果なので仕方ないね。
でもアズールが何にでも努力するからこそ、ショックが少ないのです。
ぱっと思い出せるだけで少なくとも、
過去100年の出題範囲からテスト対策ノートの作成(3章)、ユニーク魔法の習得(3章)、ハッピービーンズデーに向けて1年前から準備、サイコロの目を狙って出す練習をする(制服パソスト)、などが挙げられますし、そして何より自分を良く見せるための努力が随所から伺えます。
あの場でイライザさんに例の指輪渡すことができたらスゲー、ってなるでしょうし、そりゃアズールも名乗りを挙げるし全力で花婿になりきるよね。
妄想マシマシ、まさかまさかの5つ目。なんか嫌な予感がする文ですね。
ええ、どうも私にはアレが自分を良く見せる努力の一環、つまり打算的な行動にしか見えなかったのです(結果はお察しだけど)。
ここで例の台詞の話に戻る…という訳だ。
『オペレーション・プロポーズ』を成功させれば周りからの評価が良くなる→でしゃばるのも無理はない…
ですが、逃げてきた運動場で監督生を気遣う発言をしたところでアズールに何らかの得があるとは思えないんですよね。
だって監督生、美しい声もなければ一国の跡継ぎでもない普通の人間、おまけに小汚い雑巾ですしおすし。
あんな対価要求マンが得るものがないのに人を気遣うって一周回って本心からの発言しかあり得ないんだよねってこと。パンドラの箱、開けちゃったんだよね。
…話を戻すと、要は「監督生のことは素で気遣ってくれた(と思ってる)けど、あのプロポーズは本心からのものではない(と思ってる)ので痛くもかゆくもありません」ということです。(言ってることが)ヤバいですね☆
…と、まぁ自分でも着地点がわからなくなってきましたが、これら5つの要素が地雷原をお花畑に変えてくれたのだろうなと思います。
えらく雑なまとめ方だな…
ここまでピンピンしている私ですが、ショックなことももちろんありました。
比較的監督生と行動を共にすることも多い、デュースのプロポーズの様子から、監督生の性別が男であることがほぼ確定してしまったみたいなのです。
いや、NRCは男子校だから何もおかしくないんですけど。むしろ女である方がおかしいんですけど。
でも魔法士養成学校に魔法使えない人間が入学した時点でイレギュラーなんだから、男子校に女がいるというイレギュラーを重ねたっていいじゃんアゼルバイジャン。
しかし、紅一点だからといって逆ハーは私の好みではないです、あくまで男子いっぱいの中からたった一人にだけ恋愛感情を向けたいし向けられたいのです。うわキモ
まぁこれ書いてる奴はレオナより少し年上だから監督生=自分としてプレイは無理あったんだけどね!
自分の分身を何だと思ってプレイしたらいいのだろうか、男装女子か、はたまた男の娘か…
一体どうしたらいいんだ、脳内で『ツイステッドワンダーランド~イケメン♂パラダイス~』とかいって『イケナイ太陽』でも流しておけばいいのかな…
推し関連ではショック少なかったものの、こっちではなかなか大きなダメージを負ったかもしれない。
いい感じにオチがついた()ところで私のお気持ち表明は以上となります。
読んでくださる方がいるかはわかりませんが、ここまでお付き合いいただき、本当にありがとうございます。
普段は見なかったことにしてしまいがちな同担夢女子(夢男子)さん(いる?)も、ありがとうございます!相互不干渉(私はひっそり暮らしているので関わることはほぼないと思います)でお互い強く生きていこうな!
皆さんは夜寝る前に何を考えますか。
私は、私の性的嗜好がいつ、なぜ、どのように形成・構築されてきたか考えることがあります。
私は脚フェチなのですが、例えばこれはいかなる理由で発現したのか。
もちろん遺伝子のゆりかごで旧石器時代くらいから運ばれてきた何かが作用しているのでしょう。
ただ、その遺伝子を揺り動かした経験があるはずだ。と考えるわけです。
うーんと色々考えた結果、『地獄先生ぬ〜べ〜』のゆきめちゃんのせいじゃないかと思いつく。
で、考えを進めていく。ミニスカート的な衣装の女の子キャラなんていくらでもいるわけで、なぜ『ぬ〜べ〜』のゆきめなのか。
幼き頃の私は、現代人が着る服で、ミニスカートを着用している場合、パンツを履いていることを知っている。
ミニスカートという装束があることももちろん知っている。その先にはパンツがある。
ところが、ゆきめちゃんの股の部分がどうなっているのか、これがよくわからない。この点がフェチを発動させてしまったのだろう。
和服で裾の短い装束の場合、下着は着用するのだろうか。しているもしなくても、とにかくわからない。
おそらくこうして私は、ゆきめちゃんの脚ばかり見てその先を考えられず、だが脚は綺麗なわけで、脚フェチになってしまったのだろう。
それも、ゆきめちゃんは靴下的なものを着用しておらず、裸足でわらじみたいなのを履いているから、足フェチも同時に発動してしまったと考えられる。
こうした状況証拠から、私の性的嗜好にゆきめちゃんが大きな役割を果たしたという可能性を見いだせるのである。
このあと、ほぼ時を同じくして藤崎竜『封神演義』の王貴人が続く。
私はかれこれ小学生くらいからずっとディズニーが嫌いだった。関東圏に住みながら中高6年間ディズニーに行かなかったし、ディズニーのグッズもほぼ持っていなかった。
最近になって結構知り合いからディズニー行こうと誘われることが多くなったのでディズニー嫌いの呪縛から解き放たれるためにここに吐き出されてもらう。
幼稚園から小学校5年生まで、私はディズニーが嫌いということは無かった。むしろどちらかといえば好きだった。ディズニーランドにも年1くらいで行ったしトイストーリーとか好きだったし、平均的にディズニーを摂取する家庭だったと思う。
それが嫌いに変わったのは小学校6年生の時、一人の女のせいで私はディズニーが嫌いになった。
私が通っていた小学校では2年に一回クラス替えがあり、その女とは5年生の時に同じクラスになった。そいつはディズニーの年パスを持っていて、持ち物全てがディズニーグッズという完全なDガチ勢だった。(このレベルじゃ全然ガチ勢じゃないかもしれないけど、当時の私はD界隈は良く知らないのでガチ勢だと感じた。)仮にそいつの名前をMとする。
Mはとにかくいけ好かない女だった。心が通っていて真っ直ぐで、真面目だった。悪くいえば頑固者で融通が聞かないタイプだった。今Mのような人が身近にいたらかっこいいなあと思うが、やんちゃを極めた小学生の私はMのことが苦手だった。
私は表に出して言わなかったもののMのことを敵対視していたし、いつか蹴落としてやろうと憎悪に似た執着を抱いていた。
Mのいけ好かないエピソードは沢山あるが、本題と逸れるので紹介は一つだけにしておく。
Mは結構多趣味で、本を沢山読む女だった。私も本は読むほうだったがMとはジャンルが違った。私はらくだい魔女とか黒魔女さんとか小学生向けの娯楽本を読むのが好きだが、Mは純文学が好きだった。それだけなら方向性の違いってことで割り切れるのだが、Mは純文学以外の本のことを小馬鹿にしてきたのだ。「そんな本、なにが面白いのか分かんない。読むわけないじゃん」って具合に。さらに、私を含めそういった本を読む女子たちも同じように馬鹿にした。今思えばお互いクソほど幼稚だったな〜ってなるが、当時は(私はMより馬鹿じゃなかったのに)Mに馬鹿にされるのが嫌だったし読んでる本で人格を決めつけられるのが嫌だったのでMは人間のクズだと思っていた。(要するにお前の趣味こっちに押し付けるな、人の趣味バカにするなってこと)
まあ、そんなこんなで5年生で1年間接し6年生になる頃には完全なるMアンチbot私が完成していた。このまま卒業したらただのM大嫌い人間で終われたのだが、この後のMの行動ひとつで私はMアンチbotからディズニーアンチbotに転向する。
私の通っていた小学校のある地区ではほとんどの生徒が中学受験をする。Mや私ももちろん受験する側だった(ちなみに私はMと校舎は違うが同じ塾だったので自分がMより頭がいいことを知っていた)。
私のクラスではクラス皆がほぼ受験するという暗黙の了解があったので、受験が終わるまで遊びに行った話はしない・遊びに誘わないというルールのようなものが存在した。それをMが破った。
きっかけはMのランドセルに入っていた去年までの年パスの亡骸(?)だった。
「わぁ〜、Mちゃん毎年ディズニーの年パス買ってるんだね〜」とMと仲のいい子。
「そうなの、今年も買ったんだけど受験だからあんまり行けてなくて……。でも今度の日曜日、お父さんが連れて行ってくれるんだって!」
たぶんMにとっては他愛ない会話の一部だったんだろう。会話に参加してた子も「へえ、いいな〜」くらいで終わったし。
でもM嫌いの私にはMが自慢をしているようにしか聞こえなかった。あなた達は受験に一生懸命だけれど私はディズニーに行く余裕もあるのよ、と言われているような気持ちだった。
すげぇ嫌だった。死ねばいいと思った。
私だってディズニーに行きたかった。乗り物に乗りたかった。ファストパス取れるようなやつしか乗ったこと無かったからもっと他のも乗りたかった。ハニーハント乗りたかった。パレードだってずっと止まって見た事なかったから見たかった。ディズニーのホテル泊まりたかった。ディズニーに行って沢山楽しみたかった。でも受験だからって我慢してたのに。なんでお前だけ、ってお門違いな恨みぶつけて。
Mに対抗心を抱いた私はディズニーなんかなくても生きていけるしなんて馬鹿な趣味を持った女なんだとMのことをバカにすることで嫉妬を抑えることに成功した。そしてディズニー嫌いになり、Mにこれ以上妬みを抱かないようにして生きることにした。
これが私がディズニーが嫌いになったいきさつだ。
振り返ってみると過去の自分ぶん殴りてえ。だって心底軽蔑してたMの「趣味で人を判断する」って行いとほぼおなじ「人で趣味を判断する」って行いをしてしまったから。
Mが嫌いをMが好きなディズニーが嫌いにすり替えて生きていたのだ。敵の味方は敵みたいな??
くそ、死にてぇ……。
この件について、Dオタの皆様には完全に言い逃れできないので思う存分刺してください……。反省してます。
ちなみに今はもう吹っ切れたのでディズニー嫌いじゃないんですけど、吹っ切れたきっかけがMの年賀状だったんですよね。
Mとは卒業後も年賀状のやり取りだけ続いていて、前年度私が喪中で出せなかったのでことしは出しておくかあ(去年貰ったし)ってノリで出した。まあどうせMの年賀状は自分がディズニー行ってきた自慢(ディズニーで撮った写真+ディズニーの年賀状)なので特に期待せず待っていた。そしたら送られてきたのはディズニーじゃなかった。
自分で描いた絵だった。
しかも上手い。それでもう、どうでも良くなった。
今日の朝起きたらニュースで熊本県の球磨川が大雨で氾濫して周辺が大変なことになってるのを知った。
一戸建ての家が多く二階の半分ぐらいまで水に浸かっている家が多いように思われた。水が引いて掃除が住むまで家にすぐには帰れない人が出る。
そういった人たちは家の復旧までどこで寝起きするのか?ホテル、知人の家、避難所だ。
災害で避難したことがある人もない人もテレビの映像等で避難所がどんな様子か知っているだろう。
しかし、避難所ではしっかりした作りの区切りがあることすら稀で、大半は雑魚寝だ。
このような他者と空間を共有しなければならない条件では、他人の体を触るといった性的暴行や、人気のない簡易トイレで強姦するといったことが、平常時より容易に行える環境に思われる。
性犯罪は平常時でさえ被害者が責められがちであったり「まさかあの人がそんなことしないよ」と信じられにくかったりするが、ましてや多くの人が財産を失った避難所では性犯罪被害が無視されがちだと思われる。実際に、避難所での性犯罪は報道されている。
被害にあうのは誰か?平均的に男より体格が小さく力の弱い女だ。小学校低学年の男児かもしれない。
性的欲求を満たそうと性犯罪を犯す奴ももちろんいるが、うっぷん晴らしに弱者を痛めつける奴もいる。
「うちの家族に若い女はいないから大丈夫」「私はもう年だから狙われない」ではないということを知っていてほしい。
実際、50歳の母親が性暴力に遭ったとして言い出せるだろうか?言い出せたとして周囲や警察は若い女の被害者同様に心配するだろうか?
7歳の男児が女性あるいは男性に性器を触られたとして、家族は周囲や警察に訴え出れるだろうか?
災害後すぐに立派で安全な避難所を建設するのは無理だ。しかし、避難所の内部を男と女で区切るだけならすぐにできる。
東日本大震災の時は男女別で仕切るよう訴えた女性を避難所のリーダーが退けた話があるが、女性なら自分を守るために、男性なら自分の家族・知人を守るために避難所を男女別で区切るよう主張してくれ。
あなたが避難していたとして、避難所を男女別で区切るよう訴えている人がいたら賛同してくれ。
豪雨の季節だ。大震災時とまではいかなくとも、数週間の避難所生活を送る事態は誰にでも起こりうる。
避難することになったお前らが男女別で区切った避難所を実現すれば、日本の男女別で区切る避難所が当たり前になり災害時の安全が今までよりも保障されるようになる。
なので、私も積年のお気持ちを書いてみたいと思う。
私はそこそこ同人歴の長い腐女子で、イベントにも積極的に参加していた。
同人友達はいる。長い付き合いの人だと、五年以上ではなかろうか。
彼女たちとはジャンルが異なってもご飯を食べたり、作業通話をしたりする。
出会った当時は同じカプだったとしても、ジャンルを違え、再び同じジャンルにハマった時、カプが違うのだ。
いわゆる身内なので趣味の傾向は似ている。だが、ジカプは違うのだ。
私は逆でもおいしく食べられることが多いタイプだし、身内の話は面白いので、ジカプが違ったとしても会話は弾む。
むしろハマっているものについて話すよりも、私生活や、原稿の苦しみについての話題の方が多いかもしれない。
それを前提としても、しくしくと痛む心があるのだ。
まずできない。
これは私の性格の悪さかもしれないし、運の悪さかもしれない。
コミュ障の自覚がある私は、新しく好きなジャンルができるとリストで気になった人を観察する。
フォローなんてとんでもない。フォローするにしても、しばらく観察して人となりを把握し、失礼がないようにしたいからだ。
私は作者の私生活も大好きだ。どうやって生きればあんな素晴らしい作品ができるのだろう、とわくわくした気持ちで見る。
今日はなにを食べた、仕事が大変だ、眠い。なんでもいい。すべてのツイートを、読みたい。
だが、たびたび私は絶望する。
いつしか、萌え目的のリストがこの人は大丈夫かどうかの判断リストになってしまう。
DEは◯◯だけど、ABは◯◯だから良いよね、などの比較する発言。
こういう発言をしている人が、たくさんいる。
こういうのを見ていると、私はジカプで出来上がっているコミュニティに参加したくない。
私は元々逆もカプによるが見るタイプなので、逆カプも観察している場合がある。
逆カプにはそういう発言がない。
少なくとも、検索して引っかかるようなことはない。
私は、そういうことをしないコミュに属したい。
そういうことをしない友達が欲しい。
結果、私だけがABで他の人はBAという場所によくお邪魔させていただいている。
これはこれで楽しい。
キャラの話もできるし、ジカプを他カプを比較したり、心ないことを言う人がいない。
たのしい。
仲の良いBAの人が主催のもくりのメンバーを、今日も確認する。逆がいけるかどうか。固定じゃないか。
私が入室することによって、固定派の人が嫌な思いをするのは避けたい。
気兼ねなくABの話がしたい。友達が、ほしい。
なぜ話が合いそうなジカプの人を探さないのか、探せばいるだろう、そう思われるだろう。
私もそう思っていた。
探した。たくさん探したよ。
ずっと張り付いて、検索して、新しい人が来るたびに大喜びしていた。
でも、みんな、なぜか…
なぜ…
私が自衛すれば良い話である。え、ジカプをミュートするんですか?
もうやだよ〜〜〜ふつうのひとと友達になりたいだけなんだよ〜〜〜〜〜!!!!!
でもわくわくしながらジカプを検索して、他を下げたりしてるのを見るとゲンナリしません?
なぜ他者を攻撃してジカプを上げようとする? そんなことのためにジカプを使わないでくれ。私にはジカプを侮辱しているようにしか見えない。
そんなことをしなくたって、ジカプは最高だ。
次のジャンルではがんばりたいな。
贅沢な話であることは理解している。私には身内と呼べる友達が何人もいる。
ただ、ジカプのコミュに属せないさびしさは、それで癒えるわけではない。
いつも「友達がほしい…」と言っている気がする。
私だってジカプで騒ぎたい。毎日夜遅くまで通話したい。企画だってしたい。
怨念を込めて作品をつくっているので、そこそこ反応はいただいている。
でもジカプ友達は…いないんですよね…。
逆カプの人も良い人で楽しいよ。
でも、でも、でも〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!!
あと、ジカプとの解釈違いもすごいです。
大体オンリーワン。俺は俺の道をいく。
以上、散漫な愚痴でした。
聞いてくれてありがとう。
私がこれを書こうと思ったきっかけは、Twitterで流れてきたある漫画だった。それは、神字書きに触発され自分でもそのカプを書こう!となりその神や神の相互に心を掻き乱されまくるという話である(トレンドにも入っていたので、目にした方は多いんじゃないかと思う)。オチもないし読み返しても何が言いたかったのかわからないので、時間のない方はスルーするのをオススメする。こういうことがあったよーという経験談であることを了承した上で読んでいただきたい。
私は、出戻りし再ハマりしたジャンル(以下某ジャンル)にて自カプ(以下AB)にどハマりしていた。ここで隙自語させていただくが、自分はめちゃくちゃ、めちゃくちゃ飽き性である。熱しやすく冷めやすいタイプである。それを前提にこの文章を読んでもらうと、憐みが増すと思う。
その話は置いておくが、私はABを検索している中神を知った。神は、可愛い絵を描く絵師だった。まだ駆け出しだったし、おそらく公開垢で同人活動するのは初めてのようで、フォロワーも全くいなかった。私は神の絵に惚れ込み、誰からも送られてなかったマシュマロに長文の感想(というか1枚しか絵を上げていなかったので、ほぼ好き!!という告白)を送った。すごく喜んでくれた。それから、自分もABで同人活動を始めよう。そう思った。
自分には死ぬほど絵の才能がなかった。なので文章を書くことに挑戦した。某ジャンルに初めてハマった時に、一度だけ文章を書いたきりであったが、頑張ってSSを書き、そして神をフォローした。私など神にとっては虫けらのようなものだったが、神は私の1つのSSだけで、フォロバをしてくれた。その時既に、私は神と自分より2週間前に繋がった相互(以下Xさん)がいることを知っていた。そして、私もXさんと相互だった。
Xさんは、絵を描くのは初といった感じの人で、沢山のジャンルにハマってきた歴戦の兵士だった。正直、Xさんの絵は上手いと言われればそうではなかったと思うし、ABへの熱だけで絵をあげている人だった。いい人だった。でも、だからといって、私にはXさんと繋がる理由はない。ということは、今思い返してみても私は心の奥底で2人が仲良くしてるところに混ざりたい、という醜い欲望があったのだと思う。
私は、神がアカウントを作ってからずっと見てきた。Xさんが繋がる前に神があげ、消した絵ももちろん見てきた。神と繋がった時に、「以前あげていた〇〇のABがメチャクチャ好きでした!!」と送ったら、「そこから見てくださってたんですね!ありがとうございます!」と返信してくれた。私には神をずっと見てきているという傲りがあった。そして、神はそれをすごく喜んでくれ、そこから約3ヶ月後のイベントに参加するなら、会いませんか?と言ってくれた。もちろん会います!!!!と食い気味に返信した。
私は神とお近づきになりたいと思っていた浅はかな人間で、あわよくば通話とかもしたいな〜なんて思っていた(自分はコミュ障なのでこちらから話しかけることはできないタイプだった)。そこで、神とXさんが通話アプリで通話し始めたのを知った。私もその通話アプリで2人とフレンドだったから、アプリの通知で2人が話していることも知っていた。ツイッターでも毎週◯曜日の深夜に話しましょう!と話しているのも見かけた。そのアプリは、そのメンバーとフレンドだったら勝手に話しているところに入っていけるシステムだった。しかし、私には入っていく勇気がなかった。
それから、数週間たった。彼女らは、タメで話していた。そして、その通話アプリで最近話していないなと思っていたら、LINEを交換してLINE通話をしていた。それが堪らなく嫌で嫌で死にたくなった。なんだか全体的に冷めてしまった。萎えた。今思えば私から歩み寄りをしていなかっただけだったが、私はABの生産量が足りないから神と話せないんだ、と思い込みABをすごい勢いで生産していった。かなり反応も貰えるようになり、ありがたいことにフォローしてくれる人も増えてきた。
しかし、ここで、スキル:飽き性が発揮された。まず、私はハマったカプは1ヶ月も持たないのだ。アカウントを作り同人活動を始めたことを本当に後悔した。そして、ここでABに対する自分の価値観と、ABに対する大衆の価値観が違うことに思い知らされる。ABは、公式が提示してくれて、しかもハッピーエンド万歳という雰囲気のカプだった。カプの傾向を左右する何人かの大手絵師もハッピーエンド万歳傾向にあったし、ほとんどの二次創作作品が、幸せで溢れていた。しかし、私の生み出す作品は薄暗くて、あまりに浮いていた。そこから、自分はABについて何もわからなくなった。アカウントを消せばよかったのだが、せっかく神と繋がれて、約3ヶ月後のイベントで会う約束をした以上、とりあえずイベントまでは頑張ろう、そう思って苦しみながらABを生産し続けた。
イベントも約1ヶ月後!とみんなが浮かれている中、私は某ジャンルにもABにも疲れ果てていた。某ジャンルは離れ、別のソシャゲをしていたし、ABなのかBAなのかわからなくなって、解釈に悩みすぎて終いにはA、B、2人のカプが見れなくなってしまった。今すぐ消えてしまいたかった。それでも、私は神をイベントで一目見たかった。
そして日数が過ぎイベントの前日、神はXさんと遊んでいた。私は何をやっているんだろうと思った。謎の嫉妬と焦燥感に襲われて、死にたくなりながら寝た。ABのスペースがたくさんあるイベントなんて面倒くさくて行きたくなかった。
当日、私はずっと仲の良いリア友兼オタ友とイベントに行った。もう好きじゃなくなってしまったABのスペースをてきとうに巡回し、神に送った「会場にいるなら会いませんか」というDMへの返信を待ち続けた。神から「ABのスペースらへんにいます」という返信が来た。私はダッシュで神のところへ向かった(会場で走っちゃダメです)。
神はめちゃくちゃ可愛かった。そして、すごく優しくて親切でいい人だった。性格が悪くて毎日鬱で死んでいる自分とは対称的な人だった。神は一緒にABのスペースを巡回してくれ、初めて直接話してAB以外の話でも盛り上がり、LINEを交換してくれた。もっと神と話したかったし、自分にも連れがいたもののご飯の予定でも立てられないかななんて思っていた。
神は、私をXさんのところへ連れて行った。神はXさんと慣れ親しんだ感じで電話しながら、落ち合った。Xさんもいい人だった。目の前で、神とXさんが話しているのを見て初めてああ、圧倒的に"足りない"と思った。ABに対する情熱も、過ごした時間も。本当に死にたくなった。その後、3分足らずで解散し、大好きなリア友と帰りカラオケに行った。同じタイミングで、神とXさんが同じくカラオケに行きABの歌を歌っているのをツイートしていた。神は遠征組だったので、帰ってしまった。ああ、もう神と2度と会うことはないだろうなと思った。
イベントに行ったからと言って、ABがまた好きになるわけではなかった。自分が書いた文章を読み返して吐き気がした。本当に、何もかもが嫌になって、TLを見るのをやめた。私は神とのLINEを途中で無視した。
それから約5ヶ月がたった。完全に某ジャンルからは離れ、ABも読めなくなった。久々にアカウントにログインし、TLを見たら、みんなはまだABが大好きだった。ずっとABを生産し続けていた。アカウントを消すのも億劫だった。LINEは未だに無視している。最低だ。5ヶ月何もツイートもせず作品をあげることもせず、LINEも返さない私の存在なんて忘れているに違いないし、別にそれでよかった。そして、今もこの状態が続いている。
あそこで、同人活動を始めなければ解釈が難しくなって、ABを嫌いになったりなんかしなかったのだろうか。イベントに行く前に、ABを生産できなくなった時点で、アカウントを消すべきだったのだろうか。理不尽にLINEを無視されている神は当然悪くないし、Xさんも悪くない。悪いのは一時的な興奮で神に踏み込みたいと思ってしまった私である。
それでも私は、イベントで神が私と話して嬉しそうにしてくれた時のことを思い出して、この一連の思い出が良かったのか悪かったのか、それを決められないでいる。
(追記)
身バレすると思い上の文章では書かなかったが、実は私は高校生だ。ちなみに神も高校生だったし(イベントで知った)、Xさんは成人済みの方だった。いい年した大人がこんなゴミみたいなことしてるわけではないです。すまん。いやまあ高校生でも恥ずかしいけど。
(追記)
というか何が最低かってネット上の知らん人間に嫉妬したのもそうだけど、神はイベントで私と話が盛り上がって、しかも年齢層高めの中で神と私は年齢低めで近くて、っていうのでイベント後からLINEもくれたし通話もしましょう!って言ってくれたのにABを拗らせすぎて嫌いになってしまったという至極どうでもいい個人的な都合で神から差し伸べてくれた手を振り払って無視してるのはこちらなんですよね!!それが最低…
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200702/k10012492951000.html
サイトカインストームが起きると間質性肺疾患状態になって酸素を取り込みにくくなるんでしょ。
熱ももちろん辛いけど息が苦しいのは本当に怖い。
吸っても吸っても息ができないなんて無間地獄すぎやしない?
あ〜かかりたくない!!!
どーすれば回避できるのか……
東京アラートは単なるパフォーマンスだったとか批判なんだか愚痴なんだか言ってみても
普段はふつーに「そうは言っても出来ることは手洗い消毒マスク外出自粛くらいですよね」みたいなよく訓練された大人の態度してるけど
やなもんはやだし怖いもんはこわーい!
ヤダヤダヤダ〜!
つらいの苦しいの絶対やだー!
遊びに行った人を責める世の中もやだ!
気兼ねなく遊びに行きたいよう!(別に夜の店ではない)
使い勝手とか稼動時間とかお客さんからいろいろ仕様変更の要望が来るけど、基本的に追加のお金をもらわなきゃ対応しない。
送信ボタンの位置をちょっと変えるだけでももちろん仕様変更扱い。
そんなふうに仕事してるから、自分が趣味でやってるソシャゲがしょっちゅう「軽微な改善をしました」のお知らせを載せることにびっくりしてる。しかも全然軽微じゃない。
うちのとこで「軽微な改善」って言ったらさっき例に挙げたみたいなボタンの位置変更。
でもソシャゲは放置プレイ箇所をskipボタンで全部飛ばせるようにするとかを「軽微な改善」っていう。
マジで?うちだったら1人月くらいの見積もりだして仕様変更契約結んでやっと取り掛かるよ?
ソシャゲのああいう仕様変更がどんな流れで行われるのかわからないけど、運営=SEだった場合は片っ端から仕様変更してるわけ?嘘でしょ?マジで尊敬する。