はてなキーワード: ももちとは
幼いころの記憶は、2歳ぐらいから残っている。初めて乗った三輪車、初めていった遊園地でのヒーローショー、流行に乗って買ってもらったローラースケート、ファミリーコンピュータ。皆覚えている。
幼稚園の頃には、既に自分が他者とは異なる存在であることを認識していた。
幼稚園でやることは何もかもが退屈だった。何度同じことを教えてもらっても文字を読めない、たとえひらがなであっても自分の名前を書けない。そんな同い年の園児達に辟易していたし、先生の言うことも最終的に言いたい・結論の読める、そんな通り一辺倒の話しばかりで、毎朝幼稚園に通うバスに乗る時には苦痛を感じていた。
ある日、そんな苦痛の発生源から「近所の公園で落ち葉拾いをして、その落ち葉でちぎり絵を作りましょう!」と言われた。他の園児たちは落ち葉をかなり細かくちぎって、造形でギリギリ判別できるかどうかの「おさかなさん!」「おはな!」「おかあさん!」といったの作品を作って先生に持って行っていたが、俺は「いやいや、落ち葉で作るんだから落ち葉である事を活かせよ」と思い、少し捻くれた形をしたカエデの落ち葉を1枚と、他にも大量の落ち葉を拾って、「人喰いおおかみをやっつけた人が、その証としておおかみの右手をバイクに積んで村に戻っているところ」という作品を作った。
作ったちぎり絵を先生に見せた時、「これは・・・バイク?・・・と・・・手?」という反応をされたので、それは人の手では無く、怖くて悪い人喰い狼だと説明した。その際に俺は「これは他の人間にも説明が必要だな」と何故かひとり勝手に確信し、画用紙に黒のクレヨンで物語を描き始めた。最初は延々と文字だけで説明していたが、文字だけだと寂しいので、余白に挿絵もつけた。
「悪くて怖い人喰い狼が現れて困っている村人たちのところに、腕利きの猟師がやって来て・・・」という、何とも陳腐な筋書きではあるが、画用紙を10枚以上使ったと記憶している。
俺のちぎり絵と物語は幼稚園で話題になり、その年のお遊戯発表会の題材にもなった。先生は「やっぱり主役の猟師役は増田君がやるべき」と言ってくれたが、主役はガキ大将のS君に決まった。かけっこなどの身体を使う類いのことはからっきしだったので、俺はそれで良いと思った。
発表会は結構うまくいったようで、いつの間にか俺の「作品」達は、「画用紙に書いた物語と一緒に区役所に飾ろう」という話まで出て来ていた。
その事で幼稚園側と区役所側の担当者が何度か話し合いを持ったようだが、結局絵だけ飾る事になった。
区役所に絵を飾る事になるまでの一連の話を幼稚園から説明された両親は、たいそう喜んでくれた。
両親は平凡だった。見合いで結婚し、中庸であることを良しとし、毎日を善良に暮らし、一人息子である俺にもしっかりと愛情を注いでくれる。そんな両親だった。
ただ、そんな両親が、幼稚園側が区役所の絵画の話を交えつつ、「増田君は本当に優秀です。才能があります。小学校は是非とも私立を考えられては・・・?」と強く推した途端、「いえ、結構です。ウチは公立の小学校に行かせます」と、頑として譲らなかった。理由はわからない。金銭的な問題だったのかもしれないし、中庸を良しとする生き方に反していると考えたからかも知れない。
俺は単に「人間関係をリセットして、見知らぬ土地でまたイチからやり直すのは苦痛である」などとぼんやり考えており、小学校は地元の公立のほうが良いように思えた。
幼稚園の中に友達と呼べるような存在はいなかったと思うし、毎朝の通園バスも苦痛ではあったが、それでも何とか周囲の人間の為人を把握して対応方法をほぼほぼ確立していた矢先の話だった。小学校とやらに行く事になれば、公立でも私立でも「周囲の人間の数」は増えるのだろうが、私立でゼロから再構築するよりは公立のほうが幾分マシだろうと思っていた俺は、そのように両親に伝えた。
両親と俺の希望が一致していたので、当然小学校は地元の公立小学校に入学することになった。
小学校に入っても、特に俺自身の変化はなかった。小学校に入ると本格的に「勉強」というカリキュラムがはじまったが、先生が言っている事を聞いて、板書をして、家に帰ってから宿題を済ませた後に復習・予習をしていれば、テストの点数は取れた。
この頃になると、自分の状態を客観的に捉えた上で、自身についての考察ができるようになっていた。
俺は結論として、「俺は天才である」と考えた。井の中の蛙どころの騒ぎではない。加えて、空の青さも知らないとなればもはや滑稽を通り越して害悪であるが、俺の周囲には俺より優れた学力を持つ者も、俺を諫めようとする者もいなかった。
言い訳がましいが、物差しが少ない小学生の時分である。「学力」という物差ししか持っていなかった俺は増長し、慢心し、周囲を哄笑した。将来は俺のような人間が、東京大学のような「賢い一流の大学」に入って、「でっかい一流の会社」に入社して、いずれは社長になって世の中を動かしていくと、本気で思っていた。
何より、公立の小学校は毎日がヒマだった。普段から見下している同級生とは、恐ろしいぐらいに会話がかみ合わなかった。俺にコミュニケーションスキルがあれば、「会話をあわせに行く」「自分の会話ができる場を作る」といった芸当も可能だったかも知れないが、ご多分に漏れず俺はコミュ障だったし、そもそも会話を合わせるという発想もなかった。
「名のある企業に入れる」「いずれは社長になる」などと思いこんでいるような人間がコミュ障というのは、その時点でもう既に色々と破綻しているような気がしないでもない。
ともあれ、この頃の俺は毎日退屈な授業とかみ合わない会話をする為だけに、日帰りの監獄に通っていた。全国の小学生がこの地獄を味わっているとするなら、文部省は滅ぼさなければならないと本気で思っていた。その為に文部省に入って俺がこの国を変えてやるんだと、鼻息だけが荒い小学生だったと思う。
─────「良い会社」に入るには「良い大学」に行かないといけないらしい。
─────日本一の大学は東京大学というところらしいが、真の天才であるならば京都大学に行くらしい。
そんな情報を入手したのは、忘れもしない、小学4年生の秋頃である。いかにも小学生が摂取しそうな、狭い世界のテキトーな話である。だが俺は何故か純真無垢にその与太話を信じた。つまり、「将来は絶対に京都大学に入ろう」と思った。
そこから俺は色々と京都大学の情報を収集しはじめた。「学部」など、小学生の俺の辞書には登録されていない概念に触れる度に興奮しつつ、どうやったら京都大学に入れるのか?という情報を求めて方々に聞いて回った。まず一番初めに、俺にとってもっとも身近な「大人」である両親に「どうやったら京大に入れるのか?」と尋ねたところ、「知らん」と言われて会話を打ち切られてしまった。仕方なく学校の先生などに尋ねたりしていたが、小学生の調査能力などたかが知れており、当時はまだインターネットなども普及していなかったので、俺の京都大学情報収集はかなり早い段階で終止符を打たれることになってしまった。
しかし、京都大学に入れたとしても、大学入学までは今からでも約8年かかる。京都大学に入る方法とは別に、一刻も早くこの日帰り監獄から抜け出す方法はないものか・・・と模索していたところ、どうやら「私立中学」というところに通えば俺の退屈な生活におさらばできるようだという情報を得た。
日帰り監獄の看守たる先生も、たいそう熱心に「増田君は灘中学か東大寺学園に行かせるべきです。」と言ってくれた。特に小学6年生時の担当看守だったK先生は熱心で、何度も両親と懇談して、俺を私立に行かせようとしてくれた。
だが、ここでも両親は「ウチはあまり裕福ではなくて・・・。本人は成績も良いので、公立中学から北野高校にでも行ってくれたらいいと思っておりまして・・・。」と、俺を私立中学に進学させることは明確に拒否した。
看守は
「経済的に難しいと思っておられるなら、公立中学以下、なんなら増田君の学力ならおそらく無料で通える」
などと食い下がったが、両親は「もう公立に決めてますので・・・」と固辞した。
この頃になると、小学生の俺でもさすがに両親の言動に疑問を覚えるようになった。両親は「経済的に困窮しているから私立は行けない」の一点張りだったが、看守は「困窮していても通えます」という。イヤさすがにそれはちょっとヘンだろ、矛盾してるだろと思っていたが、当時の俺はそこまで頑なな両親を説き伏せてまで日帰り監獄から抜け出したいとまでの強い意志は持ちえなかったし、天才・秀才・英傑達と机を並べて学びたいという願望も希薄だったし、それらの一連の俺の態度が招くであろう結果も、特に深くは考えてはいなかった。
当時の両親の真意が奈辺にあったのか、今となっては分からない。草葉の陰から、声は聞こえない。
そうして地元の公立中学校に入学した俺は、特に変わり映えのしない日帰り監獄生活を送っていた。そんな俺だったが、中学生活の半ばに差し掛かろうという頃・・・具体的に言うと全国模試を受けたあたりで、「んん?あれ?・・・どうも俺って天才じゃないな、これは・・・」と薄々感づき始めた。全国模試の偏差値が出るからである。
そりゃもちろん、俺の偏差値は全国平均より遥か上には位置しているのだが、自分なりに努力をしてみても、偏差値的に灘高校にも東大寺学園高等部にも届かないという事実を突きつけられた。これは結構俺にとってはショックで、小学校の頃は「余裕で入れる」と言われた灘にも東大寺にも入れないという事実は俺に重くのしかかった。「このレベルの高校が無理なら、こりゃ京大や東大なんて夢のまた夢だろ、どうしよう・・・俺の人生、どうなるんだろう」と、本気で思い悩んだ。
悩みぬいた俺は中学2年の夏、両親に「塾に行きたい」と言ってみた。しかし結果はやはりというか順当というか、頑強に拒まれた。曰く
「成績がいいのに何故」
「塾はお金がかかる」
「家でも勉強はできる」
小学生の頃の俺なら諦めていただろうが、中学生になっていた俺は己の目標を達成する為に食い下がった。模試の結果を伝え、行きたい大学がある事、だが自分の今の成績ではそこに至ることができない事、自宅での自己学習には限界がある事などを説明した。
また、塾が無理なら定性的定量的に評価が可能な代替案の提示をせまった。塾の代金は高校に行ったら必ずバイトして返す、なんなら今から新聞配達をして払うと、土下座までして塾に行かせてくれとせがんだ。
半年ほど前に未亡人となった母はなんだかやつれて見えたが、当時の俺は塾に行けることが嬉しくて嬉しくてしょうがなくって、あまり母親のことを注意深く見ることはできなかった。今思えば、当時の母は様々な事に疲れ切って倦んでいたのだと思う。塾に行く許可も、根負けというよりかは思考放棄といったように俺には映った。
そんな母を尻目に意気揚々と進学塾に入った俺は、成績順のクラス分けで上から2番目のクラスに入れられた。正直、体が震えた。自分よりはるかに勉強ができる人間が、天才が、焦がれる存在が、今まさにすぐひとつ上のクラスにいるとリアルに感じられるのである。そして、その人間たちと同じ程度の授業を、自分も受けることができるのである。これがアニメだったら俄然燃えるBGMが聞こえてくるようだった。実際、あの時の俺には、何かが聴こえていたのだろう。俺は一心不乱に机に噛り付いた。机に歯形があるんじゃないのってぐらいには噛り付いていたと思う。
その甲斐あってか、入塾後すぐのクラス替えで、あっさりと一番上のクラスになれた。ここで俺は生まれて初めて、圧倒的な勉学の才能をもった人間、すなわち「天才」と直に出会った。それも一人や二人ではない。そんな輝ける才能がひとつの教室に雨後のタケノコのようにポコポコと存在している、そんな環境で学べるという喜びにも出会った。
毎日がただ楽しかった。自分は天才ではないのかも知れないけど、努力すればちゃんと数字が、成績がついてきてくれた。
幼少の頃、毎朝幼稚園に行くバスの中で感じていた苦痛や、小学生の頃に感じていた疎外感は、もう無かった。
高校は公立の北野高校というところに入った。維新の橋下弁護士とか、日本マクドナルドの創業者の藤田田(ふじたた、ではなく、ふじた・でん)とか、漫画家の岡田あーみんとかが通っていた高校である。
本当は東大寺学園に行きたかった。学力や模試の偏差値は足りていたと思う。赤本の自己採点でも余裕で合格圏内だった。だが、中学3年時に入塾した際に母親と交わした「高校は絶対に公立高校にする事」という約束を守った。その約束をした時点では「受験までにどうやって説得するか・・・」などと考えたりもしていたが、塾での公立中学では考えられない授業スピードについていけたことや、並み居る才能たちと交わした会話の中で、「公立高校からでも京都大学は狙える」という感触を、俺は確かに掴んでいた。
中学の頃はあまりよく理解していなかった奨学金制度は、高校に入ると同時に申請した。家計を理由に俺の私立進学を拒んだ母親は、中学時代に俺の奨学金を申請していないこともその時に知った。俺はそんな母親を信用せず、奨学金の申請手続きを自分自身で済ませた。
北野高校の授業の質は高いと思った。だが俺は油断せず、予備校にも通うことにした。私立中学入学組の連中は、少なくても俺より3年は早く走り出している。そいつらに追い付くには、そいつらと同等、いやそれ以上の勉強が必要であると思ったからだ。
俺は詐欺師丸出しの口調で「高校の学費が浮いたんだから、もともと払うつもりだった学費は予備校に回してほしい。予備校とバイトを完全両立させるのは時間的に難しい。学力的に、俺は中学までの借金がある状態。プラスに転じるには積み上げるしかない」などと母親に申し入れたところ、すんなりと受け入れられた。
この頃になると、奨学金の申請だけでなく、家の中の一通りの事は全て俺がやっていた。
「自分でできるようになったから」というのももちろん理由としてはあるが、母親が炊事・選択の家事全般を筆頭に、日常生活の様々な事をほぼ全て放棄してしまっている事のほうが、より比重の大きい理由だった。母親が予備校行きを認めたのも、「認めた」というよりは「俺が『予備校に行きますよ』と報告した」といった表現のほうが正しいように思う。
俺が小学生や中学生の頃には確かに存在していた、「理由なぞはよくわからないがとにかく自己の主張を持って論陣を張る頑強な”母”たる人間」は、もういなかった。朝起きて、TVをつけて、ご飯を食べて、夜眠るだけの人間がそこにはいた。
家計はほぼほぼ俺が全部見ていた。入ってくるカネと出ていくカネを計算して大幅なマイナスにならないと言う事だけを気にしていたので、一般的な家計管理よりはラクだった。現に、今つけている家計簿よりは簡単だったように思う。父親の遺した資産が多少あったので、その管理も俺がしていた。
高校生活は楽しかった。学力差のある人間を十把一絡げにして地域ごとに押し込める日帰り監獄では味わえない切磋琢磨がそこにはあった。同程度の学力を持つ者同士が集まった結果としてのシナジーがあった。今までは暗い色で塗りつぶされていた「学校での生活」に色が付き始めた。毎日学校に行く事が楽しかった。対照的に、毎日家に帰るのが億劫になり、やがてそれは苦痛に変わり、それに伴い、家の中が暗い色で塗り潰されていった。
昔、母を名乗っていた人間は炊事もしないので、学校帰りは毎日スーパーに寄り、食材を買い、俺が晩ご飯を作った。予備校のない日は二人で食事をするようにしていたが、食事中に会話のようなものはなく、TVから流れるバラエティー番組の下らないやりとりだけがBGMだった。ご飯の味はしなかった。たぶん、母だった人も、ご飯の味はしていなかったと思う。
もしかすると、家から目を逸らそうとして、無理に高校での生活が輝いていたんだ、良かったんだと自分自身に言い聞かせているだけなのかも知れない。我が事ながら、この頃の記憶は妙に混濁している。
大学入試は当然のように京都大学一本にした。学力も模試結果も問題無いと判断したし、何より俺には京都大学以外の大学に通う価値を見出せなかった。入学できるまでは何浪でもするつもりだったが、幸いにも現役で合格することができた。
ひとり身になったから身軽だったし、しばらく大阪から京都大学に通ってみたものの、さすがに京都の外れまで毎日通うのはちょっと辛いなと思った。何より、暗い色で塗り潰された、大阪のあの家に帰るのは嫌だった。もうTVの音は聞こえなくなったけど、あの家で目をつぶって眠るのが、怖かった。
大阪での様々な残務を片付けると、それらの結果や、これからの事、感謝の気持ちなどを両親の墓前に報告して、俺は京都に移り住んだ。
後編に続く
アイドル現場で女オタオタなんて言葉が流行っているけど自分は男オタオタかもしれない。
好みは若いピンチケくんよりも、大人しそうな優良オタって感じのおじさん。(30-40代くらい)
こう言うと絶対ネカマとか釣りとか思われるかもしれないけどガチで女オタです。
推しメンのことももちろん大好きだけど好きのカテゴライズが違う。推しメンには尊さとか愛おしさ、純粋な応援したい気持ち。
男性には恋愛感情とか性的欲求とか、そういったもっと不純な気持ち。
男オタオタ目的で通ってるわけではもちろんないけれど、優しくて推し事に真っ直ぐな男性を見ると急に心がときめいてしまう。仲良くなったら飲みに誘ってそのまま持ち帰られるのが定例パターン。普段はあんなに優しそうな害のないオタクなのにベッドでガツガツ求められると興奮しちゃう。変な性癖だよね。
とは言ったものの関係を持った男オタの数はまだ数える程度。割り切った関係であることを前提にしてるので、現場での空気が悪くなることは多分ない。複数現場掛け持ちなので、同一の現場もしくはコミュニティのなかで穴兄弟は作らないようにするつもり。
クソビッチと言われればそれまでなんですが、まだ20代だし彼氏いないし遊びたい盛りなのは許して欲しい…。
同じような女オタさんが密かにいてくれたりしないかなと思って書いてみました。寝る前に書いたしめちゃくちゃな文章ですがお許しを。そういうわけで明日は1番オキニのおじさんに抱かれてきまーす!おやすみ!
デジタル庁のトップは女性がいいらしいので、ニュージーランドにおけるセクハラについて書く。デジタル庁ってなんだ?
セクハラについてどう思うだろうか?セクハラという単語を聞いたときにパット思い浮かべる構図はなんだろうか?男性が女性にやる?上司が部下にやる?やってる側の風貌は?年齢や見た目は?やられている側は?ちょっと思い浮かべてみてほしい。
ニュージーランドでも当然セクハラは起きている。いくらジェンダーギャップ世界6位といえども起きるものは起きる。だが、セクハラはきちんと定義されている。
まず、男女平等の思想が浸透しているニュージーランドでは、被害者の性別には関係なく被害者として対応される。加害者についても加害者として扱われる。
つまり、セクハラという単語を聞いても特定の構図が頭に浮かばないようになっている。特定の構図が浮かべばそれはすでに差別となるからだ。ニュージーランドにでは、ステレオタイプな考えは差別として取り扱われる。
まず、わかりやすいのは、加害者が被害者に対して相手の意向も考えずに、執拗に性的なアプローチをかける場合だ。これはわかりやすい。そして違法だ。
次に少しわかりにくいケースがある。これについてはおそらくニュージーランドで働く人々は研修を受けるのではないだろうか。
女性の上司が男性の部下に悪ふざけでボディタッチをするのはセクハラだろうか?
このような状況で、されている側がやめてほしい、と言ってすぐに謝罪してやめたとしてもセクハラだろうか?
このようなことがあったあとに、ポジションの降格や減給があった場合、セクハラだろうか?
答えから言うと、あからさまではないが後でセクハラで揉める可能性がある、と言うことだ。いつか?降格や減給があったときだ。このときに、セクハラだと騒がれる可能性がある。
セクハラで騒がれるとかなりめんどくさいので、あまり親密なアプローチはかけないようにというのが研修の内容だ。セクハラが差別だとか重要なトピックももちろんある。
つまり、実質的な不利益が発生した場合に、これらがセクハラとみなされる可能性がある、と言うことだ。上司が「こっちの申し出を素直に受けない報復にあなたを降格します」などというわけも無ければ、「この間のこととは関係なしにこの結果となりました」と言われてはいそうですかと素直に受け入れるということも無い。
そして、ニュージーランドは男女平等の思想が浸透しており、セクハラの加害者になる人も、被害者になる人も、男女問わずいる。
だが、加害者には男性が多く、被害者に女性が多い、と言うことはみんな知っており、ニュージーランドのメディアでは、被害にあった男性や、加害者に回った女性の話はあまり報道されない。このあたりがどうしてかはよくわからない。
政界、特に自民党は言わずもがな、民間企業の役員も総じて責任を取らない。
日本語に責任なんて言葉が存在しているのが不思議になるほどだ。
戦時中も責任ある立場の人間が失敗しまくって誰も責任取らずに逃げ回ってたんだっけ。
日本人のこの異常なまでに責任取らない気質はDNAレベルで存在している。
権限を人を持たせたら多くの選択肢と可能性が生まれる。つまり、より優秀な人にこそ、この権限を与える必要がある。
でもさあ、責任取る気概のない人間がどうやって質の高い仕事ができるって言うんだい?
その結果、安倍政権を例にあげると、政策も失敗に失敗を重ねて、やることっていったら増税くらいだ。まあバカを民主主義で選んでるんだから日本人の「責任」でもあるけど。
この場合、否が応でも国民は責任を取らされてるんだよね、皮肉にも。
この社会的持続可能性の消し飛んだ日本で海外逃亡できなきゃ、この国で生きていくしか選択肢がないんだ。
でもさあ、度重なる増税と保証の削減、年金も期待できないから既に2000万貯めろだの宣言されているわけで、今の50代で貯金ない人達さあ(さらに若い人ももちろん含めて)、あんたら死ぬまで働くことを覚悟したほうがいいよ、でもしょうがないよね、民主主義で利権と保身にしか興味のない愛国心ゼロの自民党を選び続けているんだから。
責任を痛感してるって100回以上発言してたけど、一度も取ったことないよな。あそこまでバカだと責任って言葉すら知らないんじゃないかと疑ってるけど。
今更少子化対策しようとしてるけど、移民をいくら入れたって、出生率が改善したって、回復可能性の臨界点はとっくに過ぎてしまいどうあがいても改善は不可能。そんなになるまで利権、利権へと税金をばらまいてたわけだ、自民党は。
もし責任を取れるんだったら取ってほしいよ。
リクスゼロで政治家やってるから、やりたい放題。責任取らないで政治家やってたら国も崩壊するわ、民間企業だって日産や東芝みたいに潰れそうになるわ。
二次創作歴1年。
描くものは恋愛要素なし全年齢作品。基本的に一枚絵ばかり描いてる。
今までにないくらい好きな作品とキャラクターと出会えて、幸せで。彼女たちの豊かな表情や幸せそうな笑顔、何気ないけれど掛け替えのない日常を、自分でも描きたくなって、安易に「二次創作」というものを始めてしまった。
最初は観てもらえるのが嬉しくて、好きを共有できるのが幸せだった。でも、ずっと見て見ぬふりをしてきたことが、いよいよ辛くなってきて、毎日吐きそうになっている。
なぜ全年齢コンテンツで、他人作った創作物(キャラクター)を使って、成人向けの作品を描ける人や、キャラの情事やセクシャリティについて決めつけて発言する人があんなにたくさん、当たり前のようにいるのだろう。脳内の構造がどうなってるのか全くわからない。
キャラクターたちは未成年で、彼女たちがセックスする様子を描いているのは(基本的に)大人という構図がグロい。和姦だろうがなんだろうが、最近はどんな成人向け作品でも、キャラクターの人権を無視したAVにしか見えない。「二次創作(幻覚/妄想)」「コンテンツやキャラが好き(愛ゆえ)」だからという言い訳も、私は受け入れられない。
作中で性的指向を明言されていないキャラやキャラの振る舞いに対して「このキャラは(振る舞いは)レズ」と悪気無く当たり前のように発言も私は嫌だ。そういう発言をする多くの人はきっと「私は同性愛に理解がある」ってスタンスだと思うけど、本当に理解があるなら他人(キャラ)の大切な部分を決めつけたりしないのではないだろうか。
そしてキャラクターの向こうには、彼女たちを演じてくれる生身の人がいる。
トークイベントに参加していた二次創作者が、公式のツイートに反応もしているアカウントでイベントの感想に交えて「●と●の●姦見たい」といった趣旨の発言をしてるのを見かけたときは、殴られたような気持ちになった。生身の人を見て、その上でそういう発言ができるの、普通じゃないと思うのは私だけなのだろうか。
でも散々言っておいて、私もその「二次創作」の界隈のくくりの中にいる。辛い。でも彼女たちを描くのを辞められない。私が描いてるものだって、自分では毒にも薬にもならないと思っているけれど、キャラクターや演者さんを損ねている可能性だって十分にあるわけで。自分が正しいだなんて思っていない。
ただただ「二次創作」をする人たち、見る人たちの「当たり前」が、ずっとずっと、足を踏み入れたときからわからない。理解できないし受け入れたくない。
この回のMVPは船木さん,竹内さんの2人。ともに初披露曲も含めて高いレベルのパフォーマンスを披露していた。特に船木さんの『もらい泣き』には本当に驚いた。
次いで岸本さん,宮本さん。岸本さんは『大阪で生まれた女』の謎のイロモノ感がなければ船木さん竹内さんに匹敵。宮本さんはとにかく全ての楽曲を「宮本佳林色」に染める能力が半端なく高い。
私は身体は男で女の人を好きになることが多いです。
幼い頃から女の人の身体のラインの特に曲線が美しいなと思っています。
そこから、男の人の身体のラインも素敵だと思うようになりました。
痩せていても太っていても曲線ってのはあるもので、それなりに美しいものです。
おっぱいとかくびれとかお尻とか脚線美とかよく言われるところももちろん好きなのですが、
もう大人になってなんでもどこでも好きになってしまっています。
例えば手首の細いところとかふくらはぎから足首のラインとか首筋のうなじのラインとかもいいですし、
爪とかも綺麗だなって思います。
この前はちょっとフェチっぽいんですが、パンプスを履いた女性が椅子に座ってちょっと踏ん張るような感じになった時に、
パンプスの中に土踏まずのラインがたまたま見えてしまって、すごく綺麗だしなにか靴の中で秘められた物のような尊さを感じ、
「ジェンダーフリー」的な価値観と、「LGBTフレンドリー」的な価値観は、少なくとも表面的には対立することに気づいて欲しいんだよな。
もちろん、背後にある哲学は共通している、と纏め上げることは可能だけど。それは放っておけば勝手に纏まるものではなく、纏めようとしなければ纏まらないことに気づいて欲しいんだよな。
同性愛者が同性を好きになるとき、「男も女も関係ない」から同性を好きになるわけじゃない。「同性だから」好きになるわけで、男か女か関係あるに決まってるんだよな。
トランスジェンダーの苦悩というのは、「心の性と身体の性が違ってもいいじゃん」では済まないんだよな。「あるはずのものがない」「ないはずのものがある」から苦しいわけで、「なくてもいいじゃん」「あってもいいじゃん」で救われる人ももちろんいるが、それはあくまで個人的な思想の話であって、トランスに対する本質的な救いとは位相が異なるんだよな。
「嫌ジェンダーフリーで時代遅れ」とレッテルを貼られた人々が、実際には「親LGBTで先進的」な側面もあることに、気づいて欲しいんだよな。
(まあ、当の彼ら自身がそのことに気づいてない場面も多々あるけど。)
個人的な補足です
この騒動はIP一致以外はすべて可能性や疑惑という表現になります
5chの76→Cottage疑惑・アイドル部炎上→ドルアンec騒動・ゴースティング疑惑
前所属運営に虐げられた結果独立し麻雀界から支持されつつ人気を得たVTuberのシンデレラストーリー(アイドル部炎上)の主役が
独立後5chの前運営アンチスレで本人age共演者sageをしていた書き込みとnoteのIPが一致し(ドルアンec騒動詳細なwikiあり)
時系列的にアイドル部炎上が独立又は移籍を前提としてファンを取り込むために計画された動きだった可能性(Cottage疑惑・5chの76)がもちあがっています
また、麻雀で相手の手を読む能力に長けていた理由としてゴースティング(相手の配信画面を見て手の内を把握していた)疑惑がもちあがっています
元々前運営には熱心(厄介)なファン(又はアンチ)が居て彼らが交流していたのが5chのアンチスレです
その彼らに前運営や所属メンバーを公の場で批判する「正義」を与えたのがアイドル部炎上でした
その後彼らは個人勢化したメンバーや彼女と仲の良いCottageを応援することとなります
彼女は彼らの応援、麻雀界隈の後押しや人気VTuberとの共演の効果もあって大人気!
それから数か月ある日彼女が自殺した友人を揶揄するような配信をしたそうでその「正義」が彼女に向かうこととなりました
彼らが色々調べた結果自分たちが交流しているアンチスレで彼女本人ではないかと長く疑われていた
書き込みのIPと彼女のnoteのIPがある方の発見で一致しさらに調べていった結果その他疑惑ももちあがったのです
爆笑問題の田中とおぎやはぎの矢作のコロナ陽性を受けて、先々週からTBSラジオの深夜枠JUNKのパーソナリティがピンチヒッター続きである。
火曜深夜の爆笑問題カウボーイは、田中の代打が、ウエストランド、アンガールズときて今週は伊集院光で、まぁどの回も面白かったが伊集院光の回がやっぱりすごく面白かった。代打が出たことでいつもと違う番組になるのだが、違うけれど同じ、同じだけど新鮮、太田さんはアンコントロールではあるけど実はそうじゃないなぁ、そして伊集院さんはやっぱりすごい。やっぱり、すごいよ。
しゃべり芸、それもラジオのしゃべり芸のすごさを改めて感じた。前日の朝も、深夜もやって、その数時間後の朝もやって、どんだけ喋るんだ、それもどの回もきちんと面白かった。すごい。普段と少し違うゆるさがあった太田さんを聞けたのも良かった。あとはアンガールズ山根がやっぱりすごくよかったなー。
木曜、昨日のおぎやはぎのメガネびいきは、小木が病気療養中に加え矢作がコロナ陽性のちの陰性になった、という謎の状況で二人ともいなくなるということで、冒頭は二人とも電話での出演、そののちは今一番面白いラジオ(増田私見)をやってるハライチがピンチヒッターだった。
これももちろん面白かったんだが、その一方で、若い二人(それほどもう若くはないが)が通常コーナーをやったりすることで、おぎやはぎの独特の臭みが目立ったなぁという印象も持った。おぎやはぎは独特の臭みが魅力なタレントではあるが、個人的にはあんまりなぁ…と思う部分でもあったので、少ししょんぼりもしたり。ハライチのターンのイメージでわくわくしてたんだけど、勝手にこっちがワクワクしといて申し訳ないが、なんかハライチのターンとちがって軽やかさが無かったなぁ、もちろんそもそも違う番組なんだし、当日の突然のピンチヒッターだったからしょうがないだろう。でも少しだけ。
JUNKちょっと高齢化しすぎ問題は、もう昔から言われているわけだが、何ていうんだ最長老の二人(太田、伊集院)があれだけ老練に面白いトークの応酬を繰り広げた一方で、おぎやはぎの中年さをハライチを通じて感じてしまったりと、なんかね、ラジオ面白いなーほんと。おぎやも早く二人とも復帰できるといいね。あとハライチのターンは永遠に続いてほしい。でも永遠は無理だな笑
皆様こんにちは。
やめたければ辞めればええやん!って言われるのは百も承知なんです。つまるところただの愚痴ってことです。
職種はエンジニア系の会社で機械の修理や据え付けを行っています。汚い環境や、怖い先輩、全くない休日が俺を苦しめています。
特に休日がないのがしんどい。この前の休みが8/15。その前は7月でした。もう疲れが溜まってしまってヘトヘトです。しかも何が恐ろしいって従業員や常駐業者がそれを望んで働いているっていうところですね。毎日休みなく働くことが美徳という文化がまだこの会社には根付いています。
俺も精一杯働いています。いや、働いているつもりです。つもりなんですが、どうもそういう評価ではないみたいなんです。
疲れたら休みたいと言うのですが、毎度親とは口論になります。忙しいのに何事か!仕事が一番の用事だろ!ともう本当に飽き飽きする言葉の応酬です。俺はただ、一ヶ月働いたから一日ぐらい休みをくれないかと言っているだけなんですが‥。
親に育てて貰った恩。仕事を覚えさせてもらった恩。資格を取得させてもらった恩。大学に行かせてもらった恩。色んな恩があり、仕事で知りあった様々な人々などとの関係ももちろんあります。
それがなくなったり収入が減ったりと辞めても生活面ではデメリットだらけなのは分かっているんですが、なんだかもうすごい疲れちゃったんですね。
本当に元気が出なくてしんどいです。
辞めるって言っちゃったらもう終わりな気がして怖いです。
出てこなくなっちゃった、数日前に見たんだけど年収1000万の男と年収500万の女が結婚しようとしてて、男の方が女に仕事を辞めさせたくてなんか….ものすごい人格否定をする増田を読んだ……😭
え〜〜〜〜〜〜嫌いだから言ってんじゃないってそれ嫌いな人相手でも言わない
よ〜〜〜〜〜〜〜〜😭!!!!!
お前の会社は将来性がなくてお前自身エンジニアの才能ないんだからとっとと家庭に入って子ども育てろみたいな…なんかそういうやつ
結婚するつもりの人にそんなことよく言えるね!?ってのももちろん気持ちとしてはあるんだけど、年収500万もあったら結婚なんて人生のプラスアルファでしかないじゃん! 全然1人でも生きてける人がお前と一緒に生きていきたいと思ってくれてんだぞ〜〜!!!???というか…いや住む世界が全然違うから生活にかかる金も全然違うのかな?わかんなくなっちゃった
私がクジゴジのOLさんというやつで年収がだいたい400万ちょいくらい、件の彼女より100万!100万年収低くてもまあまあ楽しく暮らせてるし貯金もできてるし、ちょこっと投資でもしてみよっかな〜とかもう、1人でワクワク生きていく気満々だったところのこれ、青天の霹靂だったというか…もし友達が私年収500万ある!って言ってたらもう手放しですごーい!!!!!(ワンチャン養ってくんね〜かな〜)とか褒め称えまくっちゃうところだったから……本当にびっくりしました…………。ということを黙ってらんなくて書いちゃったて訳。
世界の新型コロナウイルス感染症の陽性者数は 累計 2860万人
日本で季節性インフルエンザに感染し、症状が出る数は 1年で 2000万人
こんなものを未だに怖がってる人は、もう怖がることを楽しんでるんかな?
患者(?)が3000万人近くいるのにまだ「未知がー」って言い続ける?いったい何人の症状サンプルがあれば満足するの?
いつまで「未だ知らない病気」なの?
こういうことを書くとコロナ脳さんに「お前みたいなのがクラスター感染の元凶」とか言われちゃうけど
仮にそうなったとして、どうだというんだって言ってんだよ
インフルエンザで学級閉鎖が起きたとして、最初に休んだ子に「お前がクラスター感染を引き起こしたんだ!!」とか言うの?言わんだろ?
ウイルスなんかそこらじゅうにあるんだから、どこからもらったかなんてどうでもいいだろ
もう騒ぐのはやめて、感染症のことなんか考えず普通に生きようよ
いや、傷つくはあるよ。嘘や自己陶酔なんかじゃない。
この元増田は感情に対する反射神経みたいなのが瞬発力あるんだろうね。だから「ムカつく」という言わば感情の違和感に目星をつけて速攻ぶっ叩く事で傷になることを回避できてるのかもしれない。
でも、感情の違和感がすごい量と絶え間ない速度で降りかかればやはりただ怒りやムカつきだけではすまない。処理しきれないと言うか。感情の違和感を一個一個処理しきれなければやはりフリーズやオーバーヒートが起こるしそれは心や脳にはダメージだろう。
例えば虐待やいじめ、日常的な差別はいちいちムカつく!ってぶっ叩いて潰していけるほどの量や速度ではないと思う。
そのときに処理できない感情ってのはやっぱり後悔ってのに繋がりやすい。
一発の弾丸で死ぬ人間ももちろんいる。そしてマシンガンで狙い撃ちにされて無傷の人間はそういない。
傷ついた心を嘘呼ばわりは狭量だと思う。
つい最近起こった出来事ですらもよく知らないことがほとんどだろう。
例えばウイグル自治区でほんとにナチスドイツのやったような虐殺は行われているのだろうか?
遺体焼却用らしき『電気炉』の話をする、なんとか協会のウイグル人副理事をyoutube動画で見たけど、証拠は一切ない。話をよく聞いているとどうも噂レベルの話のようである。
私個人はウイグル人の弾圧はあっても、大量虐殺などはどうも胡散臭くて信じがたいと思っている。
そもそも中国共産党にウイグル人虐殺をする理由がない。とは言え、事実はまるでよく見えてこない。
最近の事象ですらこうなのだから、昔のことになればなおさらだと思う。
私でももちろん知らないことはいっぱいある。私などは不勉強すぎて、日本の戦時中の話ですらどうなっていたのかまるでよく知らない。
だから、はてな民のような平均的ネット民に比べれば多少はリテラシーのある人達でもホロコーストのことをよく知らないという事実は、過剰な期待をはてな民にしてはいけないという意味で、ある程度は致し方ないことだと思う。
記事の中にさえきっちり書いてあるのに、何が「ドイツ」なんだろうか?
id:haru-k 自国の辛い歴史を正面から見切るドイツに敬意。
id:kanose 『アウシュビッツ 死者たちの告白』の書き起こし。番組を見たけど、地中に埋められていたメモが発掘、しかし解読不能だったのが、やっと解読できて、内容がわかってきたというドイツの執念がすごかった
この人達が、アウシュヴィッツ(博物館)がドイツではなくポーランドにあるという事実を知らないのも恥ずかしい話だが、もっと恥ずかしいのはこの2つのブコメにスターがたくさん集まっていることである。
それを知らなくてもアウシュビッツ強制収容所がドイツにあると誤解しているのは珍しくもないので別にしょうがないとは思うけど、記事の中に書いてあるだろ、
とはっきりと、しかも冒頭近くに。研究してる人も下記の通りである。
「ゾンダーコマンドに関する公式資料は、実は一切残っていません。ナチスは大量虐殺の目撃者だった彼らの存在を知られたくなかったからです」(アウシュビッツ博物館 資料部部長 ヴォイチェフ・プウォサ)
アウシュヴィッツ・ビルケナウ強制収容所・絶滅収容所は、アッパーシレジアと呼ばれるポーランドの南、スロバキアとの国境近くにある。行った人なら知ってるかと思うけど、結構遠くて辺鄙なところにある。
元々はポーランド軍の兵舎だったところで、1939年9月1日にナチスドイツがポーランドに侵攻して始まった第二次世界大戦で、要するにポーランド軍を追い出したのである。
そしてこのアウシュヴィッツ・ビルケナウ収容所がこれほどまでに有名になったのは、戦争期の後半にはビルケナウこそがユダヤ人虐殺絶滅政策の要になった収容所だからだ。
戦後すぐから冷戦末期まで、旧ソ連が適当な推計計算を行ったがために四百万人のユダヤ人が虐殺されたとされていた。ビルケナウの遺体焼却炉の火葬率を大幅に過大に評価したためである。ちなみに、冷戦時代からそれはあまりに多すぎると西側研究者は言っていた。だって、ユダヤ人移送記録からかけ離れているし、精度の高いユダヤ人人口計算から言ってもアウシュヴィッツだけが突出して多いために計算が合わなくなるからである。
しかしそれでも、百万人も工業的にユダヤ人を虐殺し得たのはビルケナウしかなかった。
アウシュヴィッツ以前は、ソビボル、ベウジェツ、トレブリンカ、ヘウムノといった絶滅専用収容所でユダヤ人工業虐殺をやっていたが、こっちの方は、もう一つある絶滅収容所の機能を持つマイダネク以外、全てナチスは破壊処分して証拠隠滅されて残っていないのである。なお、アウシュヴィッツ以外の絶滅専用収容所トータルでざっと二百万人のユダヤ人が虐殺されている。
何故か。極秘裏にユダヤ人虐殺をやったからである。またポーランドは鉄道網が発達していて、効率的なユダヤ人大量輸送を行うことが可能だったのである。
ナチス親衛隊は、ユダヤ人虐殺を徹底的に隠蔽し、「ガス室」や「処刑」といった言葉ですらも文書記録にほぼ残さずにやったのだ。
ナチス親衛隊のトップ、全国指導者であったヒムラーは、部下にヤバい言葉の訂正まで命じている。
あのユダヤ人問題最終解決を話し合った有名な身内以外いないヴァンゼー会議ですらも、処刑だの虐殺だのという言葉は使わずせいぜいが「適切な処置」だの「特別な処置」というような曖昧な言葉しか議事録には残さなかった。
殺される側のユダヤ人にしても「シャワー室に入れ」である。ガス室の周りには「消毒はあちらへ」などの騙すための看板まで掲げられていた。
こうした徹底的な隠蔽工作(つっても、完全な隠蔽は無理で、虐殺を明示的に示す文書はたくさん残っているが)は、戦後の否認論者に付け入るすきを与えてしまったのである。否認論者に取っちゃ証言など「信用できない」で一蹴できるので、どんなに膨大な証言記録があっても全部ウソにされるからね。
『否定と肯定』という映画を見た人も多いと思うが、あのデヴィッド・アーヴィングの背後に一体何人の歴史修正主義者・否認論者がいると思うだろうか? もちろん推測でしかないが、アーヴィングの応援者は何万人もいたに違いない。
アーヴィングの主張にしたところで、彼が否認に用いた主張のほとんど全ては、お仲間の否認論者のものばかりである。フォーリソンであったり、バッツであったり、ロイヒターであったり。
彼ら否認論者の主張は、知っている人にとっては噴飯ものでしかないのだけれど、無知な人を騙すことにかけては絶大な高価を発揮するとてつもなく狡猾な主張である。
例えば、マルコポーロ事件でおなじみの日本の代表的な否認論者である西岡昌紀が一番良く使う否認論を紹介しよう。
さて、これを言われてあなたはどう思うだろうか? 答えは敢えて言わないでおくが、この懐疑論に即座にきちんと答えられる人はきっと少ないに違いない。あるいは、こんなのはどうであろうか?
といちいち上げていったらほんとにきりがないほどの細かい否認論がある。これらもいちいち回答は言わない。問題は、無知な人はこうした否認論に容易に騙されかねないということであり、実際に大勢騙されているという現実である。
未だに、あのクソみたいな西岡論文を信じている奇特な人たちも存在するのである。
ちゃんと教えといてあげるわ、ユダヤ人人口は当時、ポーランドはドイツの大まかに言ってざっと十倍はいたんだよ。
追記:
ほんとに何も知らない人が多いなぁ。
id:deep_one ガス室の謎の一つに「チクロンBでは毒性が低すぎる」っていうのがあるのだが、ガスの種類は明記してあるのだろうか?別のガスを使ったんじゃないのか。一酸化炭素中毒の方が簡単って話もある。
まさかチクロンBの毒性を疑う?(普通の否認論者は毒性が強すぎるという疑問を言うのだが……)HCNって化学式なんだけど、知らないのかな? 「青酸」とも言われる猛毒だよ。当時は広くシラミ退治用に使ってたんだ。シラミは不衛生な上に当時大流行していたチフスを媒介してしまうからね。だけど、人の場合シラミより遥かに低濃度かつ短時間で殺害可能なんだよ。チクロンBっていうのは珪藻土に青酸を染み込ませてあるわけよ。これが空気に触れて26度以上になるとガスを放出する仕組みなんだ。ガス室に裸にした人間をぎゅうぎゅうつめに押し込めて、壁の上や天井からチクロンBの缶を開けて、その珪藻土の粒を部屋に落とすんだ。ぎゅうぎゅう詰めだから26度なんて超えてるしね。あっという間さ。阿鼻叫喚の中10分程度で死んだそうだ。
別の場所では一酸化炭素も使ってたよ。アインザッツグルッペンは現地でガス車を使ってたし、T4作戦でも使われた。ソビブルやヘウムノなどの絶滅収容所でも使われたよ。
ロシア語の固有名詞、カタカナで書くときに色々表記揺れがあって紛らわしいよね! 表記揺れが起きる原因をまとめといたから、参考にしてね!
これは純粋に日本語内部の問題だから一番わかりやすいね! БладимирВладимирを「ウラジーミル」と書くか「ヴラジーミル」と書くか、Иванを「イヴァン」と書くか「イワン」と書くか、という単純な話だから、好みに合う方を選んでね!
強勢の置かれた母音は長く強く読まれるんだけど、この母音を棒引き(ー)で表現するか否かが問題だね! これはだいたい慣用によって決まっているけど(「イワーン」じゃなくて「イワン」、「ウラジミル」じゃなくて「ウラジーミル」)、別に慣用じゃない表記を使うことは自由だし見慣れない語だとフィーリングで決めたりするから表記揺れが生じる余地があるよ!
ыは日本語では書き表せない音なんだ! でもどうしてもカタカナにしないといけないときがあるよね! そういうときに表記が揺れちゃうんだね! Кадыровは「カディロフ」でも「カドィロフ」でも間違ってないよ! どのみち正確な日本語表記は無理なんだし! でも「カドイロフ」はさすがにどうかと思うな! めんどくさいのが形容詞の語尾で-ныйみたいな形になってるときだね! 「~ヌィ」だと語末のйを無視してるみたいで居心地が悪いし、「~ヌィイ」だと煩雑だし、「~ヌイ」だとなんかыっぽくないよね! こういうときは多少正確さを犠牲にしても日本人にとって一番簡単な表記を選んでおくのがいいよ! だからВерныйは「ヴェールヌイ」でСовременныйは「ソヴレメンヌイ」なんだね! でも別に「ヴェールヌィイ」でも間違いじゃないよ!
ロシア語では強勢の置かれないоは「ア」みたいに発音されるよ! Москваは実際には「マスクヴァー」みたいに聞こえるけど、日本語では綴り通りの「モスクワ」で定着してるよ! っていうか日本語表記では反映しないのが慣用になってるね! Достоевскийは「ダスタイェーフスキー」じゃなくて「ドストエフスキー」、Чеховは「チェーハフ」じゃなくて「チェーホフ」って書くことになってるね! ただし例外的に、Спасибоは「スパシーボ」じゃなくて「スパシーバ」、Хорошоは「ホロショー」じゃなくて「ハラショー」で定着してるよ! でももちろん発音を優先して「ア」って書いてもいいよ!
ロシア語のеは「エ」というより「イェ」であって、теは「テ」というより「チェ」、деは「デ」というより「ジェ」のように聞こえるよ! 強勢があると特に! 逆に強勢がないときは母音が弱く読まれて「チ」みたいに聞こえたりするよ! だからЕкатеринаを「エカテリーナ」とするか「エカチェリーナ」とするかで揺れるよ! まあ実際に聞いてみると「イカチリーナ」みたいに聞こえるような気がするんだけどそんなふうに書くわけにもいかないからね!
еと同じで、тиは「ティ」じゃなくて「チ」、диは「ディ」じゃなくて「ジ」みたいに発音されるよ! なんなら由来を重視して「ヂ」でもいいよ! だからПутинは「プティン」じゃなくて「プーチン」なんだね! БладимирВладимирが「ウラディミル」じゃなくて「ウラジーミル」なのもそういうことだね! まあ別に「ヴラヂーミル」でもいいんだけど! ただ「ティ」や「ディ」に聞こえなくもないところがややこしいところかな! でもやっぱり基本的には「チ」や「ジ」って書いとくのがいいと思うよ!
шは日本語のシャ行の子音で、чはチャ行の子音なんだけど、後ろに母音を伴わないときになんて表記するかが問題だね! 「シュ」と書くか「シ」と書くか、「チュ」と書くか「チ」と書くかってことだね! Эйзенштейнは「エイゼンシュテイン」と「エイゼンシテイン」のどっちでも間違ってないよ! なんなら「エイゼンシチェイン」でも間違いじゃないよ! もう理屈はわかるよね!
語末だと濁る子音の濁りが消えたりするよ! でも表記するときには反映されないね! Петербургは「ペテルブルク」じゃなくて「ペテルブルグ」って書くことになってるよ! ドイツ語の地名は「アウクスブルクハンブルク」みたいに書くことになってるのに不思議だね! たまに「ペテルブルク」って書いちゃう人がいるけどあんま好ましくないね! なんでかというと上で書いたような発音の法則があるから実際の発音に即して書こうとすると「ピチルブールク」みたいな表記になっちゃうんだよね! 「ペテルブルク」だと中途半端なんだね! 発音に忠実に書くのはめんどくさいから綴り通りに日本語にした方がマシだね!
ёは形の上ではеに似てるけど、読み方は「ヨー」だから全然違うね! でも、大人のロシア人は読み書きするときにいちいちёとеを書き分けたりしないんだ! 日本人が「これははんこです」を正しく発音できるのと一緒だね! Аксеновを「アクセノフ」って書いた新聞社があったけど、もちろん正しい綴りはАксёновだから「アクショーノフ」だね! このへん、慣れれば「これってёじゃね?」という目星をつけられるようになるよ!
そして、この文字が表記揺れを引き起こすこともあるんだ! Фёдорは「フョードル」って読むんだけど、たまに「ヒョードル」って書かれたりするよ! もちろん「フョードル」の方が正確なんだけど、「フョ」は日本人には発音が難しいから「ヒョードル」でも構わないと思うよ!
ロシア語のьは軟音符っていうんだよ! この文字自体は発音しないんだ! じゃあ何に使うかというと、前に置かれた硬い子音を軟らかい子音にする(口蓋化する)ために使うよ! 日本の慣用表記だと、軟らかくなった子音はイ段で表記されることが多いんだ! たとえばл「ル」に軟音符がついてльになると「リ」になるんだね! そしてこの文字は、ほとんどすべてのローマ字表記法で’の記号を当てることになってるんだ! でも、論文とかじゃなくて新聞とかの通俗的な表記だと、この’が落とされちゃうことがすごい多いんだよね!
たとえば、большевикиっていう単語をきちんとローマ字にしようと思ったらbol’shevikiになるはずなんだけど、実際はbolshevikiって書かれることがすごく多いんだよね! ロシア語を読める人なら「ボリシェヴィキ」って書くのが正しいってわかるんだけど、ロシア語を知らない人は「ボルシェヴィキ」って書きたくなっちゃうかもしれないね!
そしてこれが語末や子音の前に来ると表記揺れを引き起こすことがあるんだ! -ньという綴りが語末や子音の前に来ると、「ン」と「ニ」の中間っぽく聞こえるよ! だからКазаньは「カザン」とも「カザニ」とも書かれるんだね! ポーランド語のGdańskが「グダンスク」とも「グダニスク」とも書かれるのと同じ理屈だよ!
хは喉の奥から出す「フ」の音だよ! 日本語のハ行とは発音の仕方が違うけど、どの行に聞こえるかと言われるとハ行が一番適切なんじゃないかな? 袴田茂樹先生の妹さんはИрина Хакамадаだし! でもこれ、日本でよく使われるローマ字表記だとkhになるんだ! それに引きずられてカ行で表記されちゃうことがあるけど、間違いだね! ハ行で表記しようね!
яって文字はよく見るけど、何て読むか知ってるかな? そうだね、「ヤー」って読むんだね! でも、これをローマ字に直そうとしたらどうなるかな? 実は、ロシア語のローマ字表記にはいくつかの種類があるんだけど、それらの表記によってяをどう表記するかが違うんだね! イギリスでよく使われるローマ字表記だとyaだけど、アメリカの議会図書館式だとiaになり、そして国際式表記だとjaになるんだ! そうだね、ロシア語を知らない日本人がローマ字表記だけ見ると読み方を間違える余地があるんだね!
たとえば、Настяっていう女の子の愛称は「ナースチャ」って読むんだけど、議会図書館式でローマ字に直すとNastiaになるんだよね! ロシア語を知らない人からすると「ナスティア」にしか見えないよね! 綴りの後半部分はti-aじゃなくてt-iaで切れてるんだけど、そんなの普通わかんないよね! Надяは「ナージャ」って読むんだけど、ローマ字でNadiaって書かれると「ナディア」って表記したくなっちゃうよね! 違うアニメになっちゃうね!
さらにさらに、ローマ字に直すときにяの表記が誤魔化されちゃうことがあるよ! この文字は女の人の名前の語尾によく使われるんだ! たとえば英語の「メアリ」に当たるロシア語の名前はМарияで、日本語だと「マリヤ」って書かれることが多いね! でも、ローマ字にするときにMariaって書かれることがすごい多いんだ! たぶんMariiaやMarijaやMariyaだとわかりづらいと思ったんだろうね! けどMariaって書かれるとロシア語を知らない人は「マリア」って書いちゃうんだよね! Лидияも本当は「リージヤ」なんだけど、Lidiaってローマ字表記に引きずられて「リディア」って書かれることが多いね!
複数の間違いが組み合わさることが多いのがТатьянаだよ! これは女の子の名前で、素直に読み下せば「タチヤナ」になるよ! 議会図書館式に忠実に転写するならTat’ianaになるんだ! 真ん中の部分はt’-iaで切れるんだね! ’がついたことでtが軟音化して「チ」、iaで「ヤー」だね! でも’が省略されていると、iaが「ヤー」だと知らない人は、Tatianaを「タチアナ」って書いちゃうんだ! ひどい場合には「タティアナ」なんて表記されたりするね! そうだね、ti-aで切れると勘違いしてるんだね!
Литвякを「リトヴァク」って書いてある本があるんだけどさすがにちょっと許せないかな! どうやれば「リトヴァク」になるのかな!? もちろん「リトヴャク」が正しいよ! 「ヴャ」は発音しにくいっていうなら「リトビャク」って書いておくといいよ! 「何百」を発音できない日本人はいないよね!
じゃあみんな、юはなんて読むか知ってるかな? そうだね、「ユー」だね! でもこれもяと同じで、yuとかiuとかjuとか色んなやり方でローマ字表記されるよ! だからたまにiuっていうローマ字に引きずられて「イウ」と書いちゃう人がいるんだ! 気をつけようね!
ロシア語は強勢の位置がすごい大事なんだけど、間違えて書かれることがあるんだ! БладимирВладимирは「ウラジーミル」なんだけど、「ウラジミール」って書く人がたまにいるね! チェコ語ならVladimírだから「ウラジミール」でいいんだけどね! 父称のВладимировнаも「ウラジミーロヴナ」じゃなくて「ウラジーミロヴナ」だからね!
たまにロシア風のキャラクタの名前として「イゴール」っていうのを見かけるけど、これは複数の間違いの複合だね! Игорьはロシアの男の人の名前だけど、厳密にローマ字に直すとIgor’になるんだ! そこから’を抜いてIgorにした上で強勢の位置を間違えると「イゴール」になるんだね! もちろん「イーゴリ」が正しいよ!
いくつかの理由があるよ!
これ、つまるところ英語の名詞をカタカナで書こうとするときの苦労と一緒だね! そういえば英語も「発音に忠実な表記を諦めて綴り通りに表記することにしている」場合がすごく多いよね! Bostonは「バッスン」じゃなくて「ボストン」、Donaldは「ダナー」じゃなくて「ドナルド」って書かれるよね! そういう意味では英語とロシア語って似てるね! オラ英語に親近感湧いてきたぞ!
Fateのサーヴァントとか、あんまりメジャーじゃない方の表記ゆれ名使ったりしてる印象があるが、検索避けみたいなこと一応気にしてんのかなと思ったりする。
奈須きのこそこまで考えてないと思うよ!
ま……マジだ! めっちゃ恥ずかしい! ごめん! 気づかなかった! 訂正しといた! 教えてくれてありがとう! Владимировнаの部分は正しく書いてたからそれで許して!
言い訳すると、ローマ字対応のキーボードでキリル文字打ってるから、ボーッとしてるとつい目の前のBってキーを押しちゃうんだ! でもそれを押すとБが出てきちゃうんだ! 稀によくある!
アウクスブルクは煩雑な発音とつづりとの中間点・妥協案的表記であるので,その直後に「ペテルブルクは中途半端でダメ」とか言われれると増田お前自己矛盾してんぞって顔になった。
ごめんね! 正直「~ブルク」ってつく地名なら何でも良かっただけなんだ! よく知らない言語について迂闊なこと言うもんじゃないね! 「ハンブルク」に直してみたけど、これならどうかな?