はてなキーワード: ももちとは
全然違う話を書く。長い。
遺伝的特徴とは、「遺伝的特徴通りに生きなければいけない」ものではない。イレギュラーな個体を含みつつ、たまたま多数派が繁栄している「状況」にすぎない。
イレギュラーな個体の方が有利な環境であれば当初イレギュラーだった特徴が多数派になるだけだ。
ある生物種の遺伝的特徴がたまたま環境に適応していれば次世代が残っていく。ヒト種の繁殖は、妊娠と出産の他に子育てが必須であり、社会環境に大きく左右される。
繁殖はリスクがあるので個体の快適な生存と引き換えな面がある。基本的には雄も雌もまず、自個体の快適な生存を追求している。
ヒトの幼体は弱く、育てる個体は絶対に必要なので、種として存続「したいならば」育てる個体である雄や雌が個体として追求する快適な生存環境を整えることが大事だろう。
快適な生存環境を放棄してまで種の存続にエネルギーを注げるか?他の生物種にはそういうのもいるだろうが、ヒトは脳が発達しちゃって考えちゃうので生存欲が勝ってもおかしくない。でかい脳という身体を持っちゃった。それはイレギュラーとも思えるし、ヒト種に普遍的な特徴とも思える。
で、イレギュラーかどうかはおいといて、他の動物と違う特徴がヒトにはある。
ヒトは自力で環境を変えられる(ビーバーとか蜂とかもそうじゃんと言われそうだがまぁ変える力が段違いってことにしておく)。
自然環境は(限定的ではあるが)衣服や家や冷暖房や灌漑で変えた。
社会環境はそもそもヒトが作り出したものだ。ヒトはそのときどきで狩猟や牧畜や農耕や工業化、ムラからクニへ、政治体制や社会保障制度などで社会環境を変えた。
雌が子育てを担い食糧調達は雄が担う社会もあった(のかな?雰囲気で書いてる)。そのような社会では雌は行動を制限され雄は死の危険があったかもしれない。ただそれはたまたまだと思う。種の存続はたまたまその社会がうまくいった結果にすぎない。
社会は変わる。ヒトは個体としてもっと快適な環境を求めて工夫してきて、社会環境は徐々に変わってきた。
ヒトの雌の身体的特徴が、18〜25歳が妊娠出産に最適かは知らんけど、現状子育ては金がいるし自分も快適に暮らしたいし、そういう環境の中で個体の快適を求めてんのが今の少子化なんだろう。うまく環境を変えられたら種は存続するし、失敗したら存続しないだけのこと。
個体の利益と種の存続がうまくバランスする仕組みが欲しいねぇ。男が過労死や自殺しないで済む社会、女が妊娠出産しても自活できる社会、子育てコストを一部の人がかぶって苦しまなくて良い社会。妊娠出産だけじゃヒトの次世代は絶対に残らないんで…。
まあ、残らなくてもいいよ〜、という考えももちろんある。
まとまらないまま、オワリ。
日記てす。
色々読んでると、心配してるのは
・女が倒れて周りには男しかいない、
・あるいは女は協力してくれなくて、
・親切でAEDを使うため(あるいは使おうとして)胸を露出させた)
・のに大したことなくて、
・病気じゃないのになぜ胸を出したのか、おかしいじゃないか、悪意だろう…という訴訟になる
…というあたりだろうか。
以下、AED講習を受けた人が救助に当たるという前提で想像してみた。AED講習を受けてない人が、いきなりAEDを使うのは、能力的には不可能ではないが心理的には訴訟リスクがなくても難しいと思うからだ。講習を受けてないからと言って、見捨てるよ勝手に死ぬなら死ね、とまでは思わないだろうが、AEDを使うの?えっ、ムリ、できない、どうしようとオロオロするのは自然だ。
・女が倒れて周りには男しかいない→あり得る。男性率の高い学校や趣味の集まりなど
・あるいは女は協力してくれなくて→あり得る。「えっ私はムリ、ムリムリムリ」とか言う人は(講習を受けていても)いる。
ここまでの所、男性が周囲の協力を得られないことはあり得ると思う。電車で倒れた人を自分しか助けなかったような体験談も見かけた。
誰も協力しない、あるいは誰も助けようとしない状況はあるが、それは何だか倒れた人の性別とはあまり関係ないような気もする。(大勢の人がいて、ある者は倒れた人が女だから助けず、ある者は誰であろうと助けないと判断したということももちろんあり得る)
・親切でAEDを使うため(あるいは使おうとして)胸を露出させた)→当然胸を露出させるのだが、AEDは誰がどこから持ってくるのだろうか?AEDを使う局面になっているということは、これ以降の想定では要救助者と助ける人とAEDを持ってくる人、セオリー通りなら119通報する人などの協力者もいるはず。(もちろんたまたま人通りがないAED収納場所の目の前で女が倒れ、スマホの電波も届かず、二人切りという状況が絶無かと聞かれたら絶無ではなかろう)
・のに大したことなくて、→セオリー通りならまず大声で「大丈夫ですか」と声をかけるのだが、そのときには目覚めなかったが大丈夫だったということはあり得る。
・病気じゃないのになぜ胸を出したのか、おかしいじゃないか、悪意だろう→AEDの電極が胸に貼ってあり、119とつながっていて、自分は意識がなかった状況ではなかなかそうはならないだろうが、混乱していて理解力が落ち、言いがかりをつけられることはありそう。119と通話がつながっていれば悪意でないことは証明しやすいが、運悪く二人きりで通話もない状況で救助をしていたら、証明できなくて困るだろう。
救助する人が困る状況がわかってきた。
人助けをしても困らないためには、次のようにすればいいのではないか。
人通りのある場所では周りに協力を求め、声掛け、119、AEDを手分けする。(あと野次馬対策や胸をタオル等で隠すなどの対策)
人通りのない、電波の入らない場所では、目の前にAEDがあっても人を呼んだ方がいいかもしれない。少なくとも119するために電波のある所へ行き、できるだけ人に協力を求めるのが良さそうだ。
これは倒れたのが男性でも同様だろう。大したことなくてすぐ意識を取り戻したとしても、倒れた人は病院にかかった方がいいから119通報は必要だと思う。また、意識を回復した時の混乱で強盗などに間違われないとも限らない。119でリスクを少しでも減らしておくに越したことはない。
寒い→何か暖かいもの、身体にやさしいものを食べたい→調理技術がない、予算がない、時間がない→詰み
という課題を抱えている在宅勤務後の同志に捧げたいのが、意識低い系リゾットだ。
これは賃労働者の乏しい資源を最大限に活かす要請に応えるべく開発されたものだ。
こんなものリゾットじゃねえという異論はあるだろう。むしろ、もっと簡単にリゾットらしいものが作れるなら教えてほしいと思っている。
晩秋の夕方、すでに日は落ちている。賃労働者にとっての料理は、通勤電車を降りた瞬間から始まっている。
今日もようやく殺伐としたオフィスでの勤務が終わり(在宅勤務の穏やかな日々は遠い記憶の彼方だ)、朝まで少しだけの自分の時間が残っている。この時間を有効活用すべく、最適な調理を行いたい。できれば乏しい給与事情が問題にならない、安価で栄養価の高い、温かい料理がよい。
食材を調達する場所は、強いていえばどこでもよい。賃労働者向けの、駅前の格安スーパーなどもよいだろう。
店に入ったらまず青果コーナーで、秋らしいキノコを手に取ってほしい。これは好みでよい。一応のおすすめはエリンギだ。
次に精肉コーナーで、ひき肉の小分けパックを手に取ってほしい。牛豚のあいびきならコクが出る。あっさりしたものが食べたければ、鶏肉をカットしたものでもよい。
肉でなくシーフードが欲しければ、代わりに鮮魚コーナーに行こう。鱈などの白身魚が切り身で売っている。これをひとつかごに入れよう。むき身のエビやアサリなども小さいパックで置いてあれば、好みで入れてもいい。ここで重要なのは殻付きのものを買わないことだ。
冷凍食品コーナーに着いたか。それでは冷蔵庫の扉を開け、冷凍のミックス野菜を手に取り、かごに入れることだ。グリーンピースとかコーンが入った細切れの野菜ではなく、ブロッコリーやニンジンの大きめのカット野菜が入っている袋にしよう。これで野菜を買ってきて、洗い、切るという手間はなくなる。鬱で料理ができない人にもおすすめだ。
ここまでのプロセスが終わったら、ソース等の棚がある場所に行ってほしい。探すのはトマトソースだ。ここで重要なのは、調理済みのトマトソースを選ぶことだ。デルモンテでも、カゴメでもいい。注意すべきなのは、トマトピューレでもカットトマトでもないことだ。調理済みの、トマト以外に材料が入っているトマトソースをかごに入れるのだ。
次に米などの穀物が置いてあるコーナーに行こう。ここでの目当てはパックご飯だ。繰り返す。パックご飯だ。普通はレンジでチンするやつだ。できれば、100gずつの小分けパックが2つになっているものがよいだろう。理由は後でわかる。
最後にこれは任意だが、酒類のコーナーに行き、適当なワインを入手しよう。さきほど肉をかごに入れたなら赤ワインを、魚介類をかごに入れたなら白ワインだ。銘柄?一番安いメルシャンの小瓶でいい。飲むために買うのではないからだ。
家に油がないなら、オリーブオイルも買っておこう。ふだんそんなにオリーブオイルを使わないなら、サラダ油でもいい。いい感じのものを買おう。
買い物を終えて帰宅したらまず手洗いうがい。それがすんだら、肉(魚介類)のパックを開けて、塩コショウを振っておこう。分量? いい感じの量でいい。
次にキノコを適当に切る。いい感じのサイズであれば切り方は何でもいい。
もし家に電子レンジがあれば、冷凍のミックス野菜を適当な器に開けて、解凍しておこう。家に電子レンジがなければこのステップは不要だ。
次に適当な鍋かフライパンを出して、火をつけよう(IH調理器でももちろん可能だ)。鍋が温まってきたら油を引こう。
油がいい感じに温まってきたら、肉(魚介類)を入れて軽く炒めよう。火加減は、いい感じにだ。
いい感じになったら、ワインを少しだけ追加しよう。分量は、いい感じにだ。
ワインのアルコール分が飛んで、肉(魚介類)に火が通ったら、ミックス野菜を投入して、水分を軽く飛ばすくらいな感じで温める。電子レンジでミックス野菜を解凍しなかった場合は、ここで解凍してそのまま温めればいい。
野菜が温まってきたらキノコを入れよう。いい感じに火を通して、しんなりしてきたら頃合いだ。
次にトマトソースを開けて鍋に投入する。水も少し加える。分量? いい感じにだ。見当がつかなければ、ちょっとずつ足していけばいい。
再び鍋の中身が煮立ってきたら、パックご飯の封を開けよう。ご飯は事前に温める必要はない。パックから出してそのまま鍋に入れる。この際に隠し味としてコカ・コーラを入れる選択肢もあるがこれは任意だ。
ご飯の分量だが、ハーフサイズのパック1つ分くらいでよい。フルサイズのパックを入れると、ごはんが多くて、加熱を続けると糊のようになってしまうからだ。
味見をして、いい感じかどうか確かめよう。もうすこし塩気が欲しければ塩を足そう。
ご飯がいい感じにゆるゆるしてきたら、火を止めるか、保温用のとろ火にしよう(この際に焦げ付きに注意だ。保温する場合は適宜水を足すのがよいかもしれない)。
レードルで鍋の中身を器によそったら、意識低い系リゾットの出来上がりだ。好みでコショウなどを追加しながら食べよう。
他に何かもう1、2品用意したければ作ってもいいし、買ってきたものを開けてもよい。他に何もなくても心配ない。今作ったもので一食分食べた感じのする満腹感は得られるはずだ。
あまり深く考えず、買ってきたものをいい感じに鍋に放り込んで温めただけだが、それなりに自分で作った感のある、温かい、身体にやさしい料理が食べられるはずだ。
食べ終わったら面倒臭くなる前に食器と鍋を洗おう。キッチンをいい感じに片付ければ、すでに何かを成し遂げた気になるはずだ。こうして賃労働者の夜は更ける。温かいものを食べて、ゆっくり寝て、穏やかな朝を迎えてみてほしい。お疲れ様。
確かに多いと思うよ。
当事者的にも覚えきれないし、ほとんどの当事者は気にもしていないけどね。
当事者として自己確立してしまえば、どんな言葉で自己定義するとかどうでもよくなるから。
どっちか言うと運動家や研究者(必ずしもLGBTではない)が使っていることが多いと思う。
「わからないもの」をわかろうと四苦八苦してるときに新語って量産される傾向があるし、
LGBT自身というよりその周囲の人が理解するための道具って印象。
あと、自己確立する前の、セクシャリティで悩んでいる人(含むメンヘラ)が使っているかな。
増えすぎの原因には、言葉を作った人間が注目を集められるってのももちろんある。
論文で提案した言葉がバズれば、被引用がっぽり稼げてインパクトファクター上がるし。
一時期レインボートイレみたいな当事者が迷惑がって反対するような提案が自治体の施策として取り上げられたりしたり
あんまり質の良くない、LGBTに詳しいと自称するコンサルタントの活動がずいぶん目立ったし。
ただまあ、それだけ言葉がなかったってのも大きいと思う。
性ってのは主観的な目に見えない部分が多いから、どうしても客観的な言葉にしにくい。
『奇跡の人』のサリバン先生も「言葉は心にとって光以上のもの」って言ってるけれど、言葉がないとどうしてもうまく悩めないのよ。
自分自身の心を見つめるにしろ、人に相談するにしろ、言葉不足は足を思い切り引っ張るから。
最悪LGBTってほどじゃないのに、その言葉しかなかったせいで、自分のこと考えるときに言葉に引っ張られてこの道に迷いこんじゃう人も出る。
10代20代の「自分がよくわからない」モヤモヤを抱えた子が自己確立する上では
もしくは、LGBTじゃない人たちがLGBTを理解する上では有益な面もあるから、一概に新語を否定もしたくないかな。
悩みを通り抜けて自己確立してしまえば、もうそんな言葉は不要になるけれど。
(増田の提案は自己確立済ましてることが前提だから、実は当事者にはあんまり意味ない)
ざっくりとした見積りだけどDVの慰謝料は良くて50として不倫の慰謝料は300+200くらいと圧倒的に高いのである
年月とか程度によってももちろん変わるんだけど大体不倫の方が高い傾向ではあるみたい
最初はDVのが痛いし怖いししんどいのに損だよなぁなんて思ってたけどそんなもんなんですね
んでDV受けたのがめちゃくそショックで絶対別れたろ!って感じだったので浮気の証拠とれたらラッキーじゃん!と思ってたんだけど本当に証拠がとれるとショックだったりするのね
こいつ本当に裏切ってたんだなってねーもうねー困ったね!
地方在住者は東京の自動車事情舐めてるし、東京在住者も地方の自動車事情舐めている。両方住んだことある身として、今後上京して車維持したいと思っている人にも参考になれば。
簡単に言えば東京とは「車を買う」という選択肢を取る際に強い意志や理由が必要な街。
地方といっても関西のベッドタウン出身。車ないと死ぬっていうような地域ではないがまぁみんな車持ってたよね。感覚的には一家に1.5台。大学生で自分個人の車も買い与えられていたタイプ。上京後は千代田区・港区・渋谷区で通勤/在住をしてる。
東京の家は高い、と同時に駐車場ももちろん高い。千代田区・港区・渋谷区あたりだと月4〜5万前後。つまり年間50万は駐車場。ローン払い終わろうが、親からタダで車を貰おうが保険・税金・ガソリン代・修理費以外にこれがかかりつけるということ。この駐車場代でやっすい車置く気にならないよね。もちろん、世田谷区、目黒区とすこしずつ安いけど、それでも3〜4.5万でしょうね。
マンション居住者用の駐車場でも別に安くはならない。というか、そもそも駐車場がついてるマンションを探すのがかなり苦労すると思う。賃貸だとかなりすくないし、駐車場があるマンションなんて家賃自体結構なお値段だと思う。そしてマンションの駐車場より外の駐車場の方が安いから結局、外に借りたり。ちなみに賃貸だと自転車駐輪場すらないことも多い。歩け。
一軒家、という選択肢もあるけどこのあたりのエリアじゃ新築で基本1億円前後だし、それでもガレージがついてないか1Fはガレージと階段だけの狭小住宅になりがち。
まず、でかい商業ビル(デパートとか)ならもちろん駐車場がついてることは多い。でも、そのほかのお店で駐車場がついていることはコンビニ含めて稀。地方のロードサイドみたいに、コンビニ、花屋、歯科なんかに駐車場なんてない。近場のパーキングに停めるしかないわけだけど、これがまた高い。参考までに西麻布だと15分300円。つまり1時間1200円。そしてだいたいの最大料金が12時間2000円代とかか。
ただ意外と商業施設のパーキングは普通に5000円買い物したら2時間無料とかなので、車に乗るとミッドタウンとか行きがち。
東京であればそこかしらにカーシェアステーションがあるので、タイムズやらオリックスやら契約しておけば日頃の買い物もこまらない。平日乗らないなら金の面ではこれ一択。なんせ駐車場月4万以上するんだから、月4万カーシェア使ってもコスパはいいってことになる。ただし、もちろん趣味性は皆無。
結局、東京はすべて電車で事足りる&タクシーがいくらでもいる&カーシェア多い。だから、基本は「車いらない街」なのはそのとおり。地方みたいに、「無いとやばい」とか「なくてもなんとかなるけどあったほうがいい」なんてレベルには到底ない。保育園の送り迎えが〜みたいな話もでるけど、年収1000万前後が当たり前の街じゃみんな自転車送迎。車もてようが持てなかろうが会社は電車でいくしね。
結局は「趣味性」の話だと思う。一つはもちろん車自体への趣味。こだわった車乗りたい、ステータスとして見せつけたい、とか。あとは別の趣味のために意味あるパターン。ゴルフ、サーフィン、キャンプここらへんは趣味費として選択できる。あとは子育てでももっと広い世界見てほしいみたいなので、いろんなところに連れていきたい人。
もちろんこれは超都心ど真ん中パターンで、北区やら荒川区やら江東区とかぜんぜん違うだろうし、世田谷区や目黒区品川区なら自動車フレンドリーで駐車場があるお店も少し増える。まぁご参考までに〜。
漫画は読まないし特に興味もなくて、鬼滅の刃ももちろん一切読んだことがないんだけど
そんな俺でもTwitterとかに流れてくる情報でなんとなくあらすじを言える程度に流行ってるから国民のほとんどが知ってるレベルに流行ってるんだと思う
その売れ行きからいろんな業界から神と崇め奉られてるらしく読者や業者の心をガッチリ掴んだこれほどのコンテンツは何ぶりになるんだろう
なんで?ってくらい好いてくれる、私たちのこと。
ありがとうって言いたい。
そんなに好きになってくれるの犬くらい。
本当にありがとう。
まず朝起きる。起こされることもあるけど。
そしたら寝てる間は会ってなかった計算になるらしく、「久しぶり〜!!」と大喜び。
止めるまでずっと顔舐めてくる。
それからごはん?って聞いたら「その言葉を待ってました〜!!」と走り出す。
ごはん食べる場所まで走るけど、追い越してもすぐ戻ってきて、ごはんいれた器持って運んでる間はずっと足にまとわりつくので転ぶかと思う。
食べたらまぁ散歩に行く方もいらっしゃる。犬の全てが散歩好きなわけではないので、嫌がる方もいらっしゃる。
それはまぁ犬の皆さんと健康についてご相談しながら両者の間で散歩の頻度は決めてほしい。
散歩中も定期的にこちらを見上げて「これからどうする?」って聞いてくる。
どの道通る?とかどれくらいで帰る?とか楽しんでる?とかそばにいる?とかそういう意味で見てくれる。
仲良くなるとだいたい表情や仕草で言いたいことわかるので、「次で曲がろっか」とか「いるよ〜」とか答えて楽しく歩く。
私だとわかったら喜びが溢れて飛び起きて玄関でずっと尻尾振って待ってるらしい。ありがたい。
お家帰ったらだいたい寝る。小さい頃は元気の塊なのであんまり寝ないかも。どちらにせよかわいい。
犬はだいたい一日で12時間くらい寝てると思う。成犬で12~15時間くらいらしい。
歳を重ねるごとに長く寝るようになるから、起きている時間を大切に、寝ている犬も大切に。
でも犬は寝ててもいつも私のこと気にしてくれてる。ちょっと歩いたら目閉じてても動いてるな〜って音で判断してるし、近付いたら「来たの〜!」ってしっぽ振ってくれる。
もっと近付いたら「いいよ〜」ってお腹出して撫でさせてくれる。別に撫でに近付いたわけじゃなくて通り道だっただけなんですけど、わざわざ出してくださったんだからこちらとしては撫でさせて頂く選択肢しかない。
ちなみに遠くにいても犬と目があったら「いいよ〜」ってお腹出してくれる。遠くにいるので大変ですがもちろん用事は置いといて撫でに行きます。
「いいよ」ってなに?いつも撫でたいと思ってるのなんでバレてるんだろう……。
世の中のことも私のこともお見通しですね、天才犬。
遊びたい時はおもちゃ持ってきて押し付けてくる。グイグイって結構な力なので笑う。強引なとこもかわいい。
散歩好きの犬はリードと首輪自分で持ってくるらしい。かわいいね。
やりたいことがあればこちらをじっと見て伝えるし、ドア開けてほしければこっち見て、目があった瞬間にドアを引っかいて開けてアピールをする。
吠えてる時は外で他の犬が吠えてたり、家の裏でなにかの音がしたり、敷地内で人の話し声がしてたり、宅急便が来てたりする。
けど人間は犬よりずっと耳が悪いので、犬が鳴いてる上記の理由がわからずにトンチンカンなこと言って犬を怒ってしまう。
その他の理由でももちろん吠える。けど吠えるのは全部理由がある。犬と心を通わせればわかる。
だいたいのことは人間が悪い。
犬はすごいこわがりなので雷や花火の音がこわい。そんなん理由がわからなかったり人間でも怖いよね。
雷の音を聞くと小刻みに震えたり、家族がいない時は怖すぎてどこかに逃げ込んだりする。大きい音がこの世からなくなればいい。
犬は寝る時もかわいい。
体温が高くて夏は暑い。めちゃ暑い。犬も暑いらしくて最初はくっついて寝ようとするけどすぐ「無理w」って足元の開いてるところに避難。
冬はゆたんぽ。ふとんの中にいてくれるとハチャメチャあったかい。
犬はいつも枕を求めている生き物なので、人間の枕に頭を載せて寝たりする。
布団に入ってきて、腕に頭を載せたら「ふぅぅ」って大きく満足溜め息を吐いて、私のことじっと見てくる。暗闇で見つめてくる犬、愛感じる……。
それから近寄って散々口舐めて来ることもあれば、そのまま静かに寝ることもある。
週明けから会社のなかでけっこうすごいごたごたが起こっている。
朝から責任者の怒号が響き渡り、夕には社会不適合者・土下座・クビなどのワードが飛び出すしまつで、原因のクレーム案件を作ってしまった社員は一日中泣きどおし、帰りには嗚咽をもらすほどの状態になっていた。
上席のいないタイミングでこっそり声をかけたりしてみたけど、何のなぐさめにもなってないだろうな、むしろ負担に感じてるかも……と思うと申し訳なく、己の無力さを痛感した。
この案件にかかわっていない私ですらもなんだかずっと胃が重たく、一日中謎のだるさと、ストレスを感じたときに無意識に出る歯の食いしばりが止まらないながらも、なんとか仕事を終えた。
夫が夜勤でいないときはいつもお惣菜なんだけど、今日ももちろんお惣菜、ていうか今日こんな日こそお惣菜っ…! と意気込み、いつものスーパー寄って買い物、レジで係員にポイントカード渡した瞬間、「なんだか今日お顔がいつもと違う……大丈夫ですか?」と言われた。
思わず「いやあちょっと会社でいろいろありまして……」とつるりと打ち明けると、「やっぱりい、いつもとお顔が全然違いますもの」と彼女はたたみかけてくる。
いつもだって、必ず仕事終わりのタイミングで、そんなに生き生きした顔はしてないはずなんだから、今日はよほどやばい顔してたんだなと思うと同時に、これから家族のいない家に帰る私のマスクの下の表情を読み取り、心配して声をかけてくれたことがうれしくて、無性に泣けた。
なんだろう、そもそも私の顔を覚えていてくれたなんて。
毎月、ポイントの当月失効分を気にかけてくれる彼女。心配されないように失効するポイントをつかおうとしたら、今日はポイント5倍デーだから次の機会にしたほうがいいとアドバイスをくれる彼女。いつも親切な店員さんだなと思っていたあの彼女が私のことしっていてくれたなんて……。
たとえそれが、こいつ半額の総菜しか買わない客だなという認識であったとしても全然うれしい。
そして、こんなにもしんどいときに、思いがけずこんなに優しい言葉をかけてくれたのがなによりうれしかった。
家にかえる道々、相手が熟女じゃなかったらこれはもう恋に落ちてるなと思ったんだけど、よく考えたら別に熟女でもどんとこいっていうか、向こうさえよければもうなんだろう、今の状態で全然恋愛したい、こんなに人の機微をさっしてくれる人と恋ができたらどんなにか……今度ご飯とか誘いたい、と心底思ったんだけど、気持ち悪いだろうし何より迷惑だろうからやめておく。
私は彼女にとってあまたいる客のひとりにしかすぎないことを肝に銘じなければならない。
ところで小学校低学年のころ、朝の登校中に、二学年上の意地悪な人に顔にかさをぶつけられた。
私は当時、今にもましてものすごくぼんやりした子どもで、「あ、ごめーんわざとじゃないから!」と言われたのをそのまま受け取り、そっか、わざとじゃないならいいや、とそのまま学校に行ってふつうに一日をすごした。
家に帰ると、玄関先まで出迎えにきてくれた母は、私の顔を見るなり、「どうしたん、そんなにしょんぼりして! 学校でいやなことあったん?」といった。
そうきかれてはじめて私は、朝、顔にかさをぶつけられたことがものすごく気にかかっていたんだと気づいて、わんわん泣いた。
そのときのことを思うと、何気ない表情をの変化を察してくれたレジの彼女はのことを、お母さんみたいだとも思う。
私は彼女の数多いる客の一人にすぎず、彼女にも家庭があることは百も承知だが、できることなら、健在だが遠方に住む実母にかわって、この地での私のお母さんになってほしい。
そもそも私は筋金入りのマザコンで、セフレもなんかちょっともちっとした感じでママみを感じる体型をしており、男性ではあるのだが、時々「お母さん」とよばわって抱きつかせてもらっている。
総合すると、私は多分母親の要素を感じる人と恋愛がしたいのではないか。
仕事がえりのつかれた会社員にちょっと声をかけただけで、ここまでいろいろ思われてるなんて、レジ係の人も災難だなあと今書きながら思った。気の毒すぎる……。
持っている中で一番よく使うのは金のしおり。薄い金属できれいなやつ。金のしおりとググると出てくる。昔はマットな感じの黒いしおりも売っていたけれど今は分からない。
大きさと厚みが文庫本にちょうどよく紐がしっかりしていて、本から落ちにくい気がする。(たまに落ちるけど)
貰い物なので当時の値段は分からないが今楽天で見たら440円くらいから買える。
種類によって大きさが違うので自分が挟む予定の本をイメージして買ったほうがいい。ミュシャのデザインはデカかった。自分の持っている気球デザインは文庫にちょうどよい。
紙に跡が付くのは気になったことがない。
トラバにある平等院鳳凰堂しおりは多分これと同じところが作っている。
金属製パート2。土産物屋でよく売っている、長方形のオーソドックス型でなんかステンドグラス風のもの。
地域の有名なものが描かれていて、その名前が下にローマ字で書かれている。「kokeshi」とか。
多分色々な観光地で同じしおりが売っている。可愛いからオッケー。
学生時代、友達からこのしおりをお土産で貰った。私のしおり好きはここが原点である。
とても気に入って使っていたがなくしてしまった。数年後に本の間から発掘されたが劣化してメッキがハゲてきていたので泣く泣く捨てた。
その後似たようなしおりを自分でも買ったしおみやげでも貰ったのだが、どうもしっくりこない。大きさや紐の長さによって使い勝手が変わる。
ありとあらゆる観光地で売っている薄くて細長い竹に絵が描いてあるもの。紐は2色のピロピロしたものが付いている。
ひこにゃんと箱根のかまぼこ柄を持っている。絵以外は全部同じ作り。
観光地の土産物屋でしおりを探すと大抵これが売っている。ひとつ持っていれば充分だと思われる。
私は本から紐が長く出るのが嫌なタイプなので、文庫本には使わぬ。もっぱら漫画やハードカバーに使う。少し大きめサイズの漫画にはちょうどいい。ハードカバーは本に紐が付いているものあるので、紐があれば紐を使う。
青森の土産屋で買った。薄い木できていてリンゴの形がくりぬかれている。装飾はそれだけで木の優しさと紐の赤さが可愛いくてよい。買った当初は木のいい香りがした。
私は本を並行で数冊読むタイプで、自分の中で3番目くらいの立ち位置。3冊目にこれを使うくらいの感じ。
高村光太郎記念館で買った。
革なので厚みがあり、挟んだまま数日放置すると跡がつかないか気になるので長期間の使用や持ち歩きの本には向かない。
光の文字が箔押ししてある。
この文字は光太郎が住んでいたオンボロ小屋にある便所の扉の明かり取りとしてくり抜いたもの。
中尊寺で買った。けまんという仏具?の形をしたありがたいしおり。
紐が軟弱。仏具っぽい装飾が綺麗だが、そのぶん頼りない感じで、本から落ちやすい気がする。
仏具としても使えます、と書いてあったので仏具が欲しい人にもおすすめ。
いい感じの紙にいい感じの言葉といい感じの花が印刷してあるものが8枚セットで売っていたので買った。
本屋でくれるしおりを太らせたくらいの大きさ。紙のしおりが好きな人には良さそう。
スカイツリーなんかにある食品サンプルの店に売っている。ベーコンや生ハム、スライスチーズなどがある。
https://www.ganso-sample.com/item/
(オリジナル小物の項目を横にピョコピョコすると見られる)
面白いし可愛いけれど厚みがありでこぼこしているので実用的かと言われるとあまり……。しかしつい人に自慢したくなる一品。
主張が激しく挟んだページがすぐに分かるので、例えば漫画など、すぐに続きを読む際に使うのに適している。逆に挟んだまま本棚にしまう等すると跡がつくと思う。
お土産で生ハムを貰って使っていた。生ハムが好きなので見ているだけで笑顔になるしおりだった。しかし紛失した。多分本に挟んだまま古本屋に売り払ってしまった。
悲しかったのでスカイツリーに行って焼きベーコンを買い直した。ちなみに焼いていないベーコンも売っている。
凝りすぎた形、大きさが使いづらいものは持っていても使わなくなる。
色々なしおりを使って思うのは、その人の使い方や好みによっておすすめのしおりは本当に違ってくる。私は紐が出ない方が好きだけど、出る方が好きな人ももちろんいる。
自分がよく読むサイズの本を想定して、どんな使いかたをするのかをシミュレートして買うと失敗が少ない。
A5のワイドサイズの漫画なんかに使うなら大きめがいいし、文庫に使うなら文庫と同じ長さみたいなのはちょいと使いづらい。
ちょっと挟んでトイレに行くくらいなら厚いほうが挟んだページが分かりやすくて使いやすい。挟んだまま数日持ち歩くようならそんなに厚みがないほうがいい。
好きなシーンに付箋をはりつけたまま数年放置したら貼ったところがペタペタになったので、付箋を栞代わりにする場合、数日で剥がし、放置はやめたほうがいい。
旅先で買うのもおすすめ。かさばるものでもないので持ち帰りがしやすく自分へのお土産によい。
ちなみに文庫本の持ち歩きについて。
布製のブックカバーを買ったことがあるが、表紙を守れてもサイドがノーガードなので汚れる。鞄の中でページの間にペットボトルが挟まって開き癖がついたり、ペットボトルに付いた水滴が小口なんかについたり、あまりよくなかった。
厚みを調節できないカバーも持っていたが、表紙と裏表紙をカバーに差し込むのが下手くそで、やはり本を傷めた。
昔CDショップで貰ったフライヤーに折り線が書いてあり、そのとおりに折るとCDジャケット柄の紙の文庫カバーになるものがあって、おしゃれで気に入っていた。使い回すうちにボロになってしまったので世の中のフライヤーすべてが文庫カバー仕様になればいいのにと思っていた。
今はCDショップでCDを買ったりフライヤーをもらう時代ではなくなってしまった。
10数年くらい前に角川文庫で2冊買って応募すると文庫ポーチをが必ず送られてくるキャンペーンがあった。
文庫ぴったりサイズで上に紐が付いていて巾着みたいなもの。シャカシャカした素材で、生地と生地の間に綿?が入っているのか、ちょっとふんわりしていて本の持ち歩きにはとても良かった。
しかし10年くらい使い続けてへたってしまい、今はファスナーで閉じられる文庫カバー(Amazonで600円くらいで買った)を文庫ケースがわりに使っている。カバーとしては使わず、紙のカバーをつけた本を包む道具として優秀。
女性か痴漢にあっても捕まえないのって、恐怖心ももちろんあるだろうが、同じ痴漢によって被害者が増えることなんてどうでもいいと言った、自分だけ良ければそれでいいという側面があるからだと思う
2020/10/16
続きを書きました。
https://anond.hatelabo.jp/20201016194549
妻は今育休中。仕事復帰も近いうちに考えていて、子どもは日中保育園に預け始めたところ。
妻はもともと完璧主義で細かいところを気にすぎるタイプで、一人で抱え込んでやり遂げようとする癖がある。
なにかうまくいかなくなったりトラブルがあったりすると、まずイライラが言動に現れる。
さらに度が進むと、感情があふれ出てきて泣いて寝込んでしまう。
ここ1カ月間、感情のオーバーフローのしきい値がすごく低くて、些細なことで泣き寝込んでしまう。
自分で床に傷をつけてしまったとか、トイレの電気がつけっぱなしとか(←これは私が悪い)、
子どものおむつかぶれの様子が少し悪化してそうとか、スーパーでエコバッグなくしたとか、冷凍庫に物が入らないとか、
そんなに怒ったり落ち込むことではないだろうと思うことで、半日まともに話せない状態になってしまうことが複数回続いている。
少し落ち着いた時に話を聞いてみた。
どうしてこうなってしまうかわからないし、何も考えられない状態になってしまうという。
ものにあたったり、攻撃的な口調になるのはやめたいと思っていると言っている。
さらに、そんな自分に嫌気がさしてさらに落ち込んでしまうらしい。
人生の先輩として、最近の自分の親に相談しようとしたら、心配されるのが嫌だと、また泣き喚かれた。
ちなみに、両親はどちらも遠距離におり、簡単に実家には帰れない。
子どもの朝の離乳食とおむつ替え、夜のお風呂、洗濯物畳み、ごみまとめ、週末の掃除と買い出しはやっている。
家事で負担になってることや、自分にやってほしいことはないかと聞くと、妻は「ない、十分やってもらっている」と答える。
妻の完璧主義・抱え込む癖と、育児家事のストレスと、仕事復帰の不安で、悪いスパイラルにはまってしまっているのだろうか。
産後うつで検索して出てくる情報を伝えて、こころの電話相談窓口を紹介したところ、妻は電話をかけたようだ。
話した内容等はあまり教えてくれなかったが、少し気持ちは落ち着いたようだった。
これは一度病院にかかったほうがいいと思い、近くの心療内科を調べて電話をかけてみた。
しかし、近くの2件とも、初診の予約は数週間待ちということだった。みんな心病んでるのかな…
とりあえずは予約したが、病院に行けるのはまだまだ先だ。
そんな感じで、解決できないまま時が過ぎている。
どうしたらいいものだろうか。
男性向けと女性向け双方で壁サークルをしたことがある増田だよ。
男オタクと女オタクのマナーが云々を見たけどどちらもマナーが悪いなんて事はない。列は守るしお金も普通に払う、挨拶もする。喋れば言葉は通じる。男オタクの方が初対面でタメ口で喋ってくることは多いけど……まあマナーと言うにはそんなもん。
ただマナーとかじゃなくて、単なる「頭おかしい人」は明らかに男オタクの方が多い。
スペースに勝手に入ってくる、無い本を出せとゴネる、スケブに文句をつける、初対面で本も買わずに突然ガンダムの話をし続ける、政治の話を永遠にしてくる、見本を読んで評論をし始める…とか。
こういう人も並ぶ、順番を守る、なんてことはちゃんとできるのだ。そういう意味ではマナーは一応ある。
もちろん女オタクにも頭おかしい人は居る。ただものすごくすくない。女はすぐに噂が広まって排除されるからだろうか?全然いないとは全く言わない。
これをマナーというほどかはわからないけど男オタクの方が読んだ見本誌を乱雑に置いて行ったり無言で本を指差してきたりお金を適当に投げて去っていく率は多い。これももちろん女にも居る。
もちろんほとんどの人は善良で会話ができて楽しい気持ちにさせてくれる。
増田はきっとみんな善良で会話のできる人間ばかりだろうけど実際即売会にくるレベルのオタクには不思議な人が多いと思うよ。日常を普通に過ごしていてはまず出会えないような人種がいっぱいいるんだよ。これは本当に。
炉に投入される熱量は炉に投入した物の加熱にすべてが使われるわけではない
不勉強で当時の断熱材の技術レベルを知らないが(石綿を使っていたのかな?基本は耐火レンガだと思われる(写真をみると上部はレンガ))
炉の表面はそれなりの温度になっていただろう
炉の表面からは輻射と対流によって熱が逃げていく(構造によっては地面への伝熱もあるかもしれない)
さらにコークス炉ということなのでコークスに空気を吹き込んで燃やして熱にしている
当然、二酸化炭素が発生するし、空気中の窒素も無意味に加熱される
これらは留めておけないので排気ガスとして炉外に捨てられる
(三連になっているのは高温の排ガスを利用して遺体を乾燥させるためか?)
遺体から出る水蒸気や二酸化炭素も同じく外部に逃さなければならない
(さらに最初に炉を高温にするときには炉の断熱材を温めるために莫大な熱が要るが
ずっと稼働していたのならそこはあまり考えなくてもよい)
なおマッフル炉は熱源と投入物との間を(主に)ステンレス鋼で仕切っている構造なので
これらを考えれば投入された熱量のなかで遺体の加熱に費やされる熱量はごく一部であり
遺体が三倍ならコークスが三倍なんて計算にならないことは直ぐにわかる
ずいぶん変な議論をしているな
私も元増田と同じような感じで、レズよりのバイでタチ。男性とも付き合った事がある。
性的には女の子の方が好きだと思う。支配欲もあるし、上に立たれるのが絶対に嫌な性格。
例えば金銭。割り勘にはしない。自分が全部払う。もちろん収入も多い。
プレゼントもこちらから高価なものを買い与えたりすることがほとんど。彼女からはご飯を作ってもらったりする。
荷物を持ったり、PCの設定をしてあげたり、お店では率先して自分が対話して彼女は後ろで静かにしている。
寝る時は腕枕をしてあげる。腕が痛い。悪夢を見る。
セックスももちろんそう。基本自分がするばかりでしてもらうような動作はほぼない。特に気持ちよくはない。
それに対して女の子から得られる心地よさも沢山ある。可愛い。言いなり。従順。甘やかせる。怒れる。
しかし特に私は男になりたい訳では無く、あくまで女のタチでしかないので徐々に疲労した。
その時実感したのは、私は女なんだなあという事と、男の人って大変なんだなあという事だった。
どうも男の役割をしていると、甘やかすことばかりで甘えるという図式が見つけられなかった。
男性と付き合っている時は仕事に失敗したら慰めてもらう、相談に乗ってもらうのような図式があったものの、
女の子とタチとして付き合っている時には許されない気がした。いつでも強い人間で、弱みを見せてはいけない気がしたのだ。
なので落ち込むような事があった時には彼女を無視したり、あるいは叱ったり、突然怒ったり、まあとにかく申し訳ないような事をするしかなかった。
先述した通り私は男になりたい訳では無く、根っからの女なので、これは女からみた男像の再現でしかないのだろう。
それにしても男の人は甘えられないし、弱みを見せられないし、男っぽくあることを強要されているんだなあとその時感じた。
そりゃ男の人だって守られたいに決まっている。つらいときには甘やかされたいよなあ。これはとってもしんどいことなのは確かだ。それでこれが軋みを生み出している事も。
女視点の男像がどこまで正しいか、どこまで男の男らしい事に影響を及ぼしているかはわからないけど、男の人も守られるような時代になればもうちょっと平和なんだろうなと思う。
幼いころの記憶は、2歳ぐらいから残っている。初めて乗った三輪車、初めていった遊園地でのヒーローショー、流行に乗って買ってもらったローラースケート、ファミリーコンピュータ。皆覚えている。
幼稚園の頃には、既に自分が他者とは異なる存在であることを認識していた。
幼稚園でやることは何もかもが退屈だった。何度同じことを教えてもらっても文字を読めない、たとえひらがなであっても自分の名前を書けない。そんな同い年の園児達に辟易していたし、先生の言うことも最終的に言いたい・結論の読める、そんな通り一辺倒の話しばかりで、毎朝幼稚園に通うバスに乗る時には苦痛を感じていた。
ある日、そんな苦痛の発生源から「近所の公園で落ち葉拾いをして、その落ち葉でちぎり絵を作りましょう!」と言われた。他の園児たちは落ち葉をかなり細かくちぎって、造形でギリギリ判別できるかどうかの「おさかなさん!」「おはな!」「おかあさん!」といったの作品を作って先生に持って行っていたが、俺は「いやいや、落ち葉で作るんだから落ち葉である事を活かせよ」と思い、少し捻くれた形をしたカエデの落ち葉を1枚と、他にも大量の落ち葉を拾って、「人喰いおおかみをやっつけた人が、その証としておおかみの右手をバイクに積んで村に戻っているところ」という作品を作った。
作ったちぎり絵を先生に見せた時、「これは・・・バイク?・・・と・・・手?」という反応をされたので、それは人の手では無く、怖くて悪い人喰い狼だと説明した。その際に俺は「これは他の人間にも説明が必要だな」と何故かひとり勝手に確信し、画用紙に黒のクレヨンで物語を描き始めた。最初は延々と文字だけで説明していたが、文字だけだと寂しいので、余白に挿絵もつけた。
「悪くて怖い人喰い狼が現れて困っている村人たちのところに、腕利きの猟師がやって来て・・・」という、何とも陳腐な筋書きではあるが、画用紙を10枚以上使ったと記憶している。
俺のちぎり絵と物語は幼稚園で話題になり、その年のお遊戯発表会の題材にもなった。先生は「やっぱり主役の猟師役は増田君がやるべき」と言ってくれたが、主役はガキ大将のS君に決まった。かけっこなどの身体を使う類いのことはからっきしだったので、俺はそれで良いと思った。
発表会は結構うまくいったようで、いつの間にか俺の「作品」達は、「画用紙に書いた物語と一緒に区役所に飾ろう」という話まで出て来ていた。
その事で幼稚園側と区役所側の担当者が何度か話し合いを持ったようだが、結局絵だけ飾る事になった。
区役所に絵を飾る事になるまでの一連の話を幼稚園から説明された両親は、たいそう喜んでくれた。
両親は平凡だった。見合いで結婚し、中庸であることを良しとし、毎日を善良に暮らし、一人息子である俺にもしっかりと愛情を注いでくれる。そんな両親だった。
ただ、そんな両親が、幼稚園側が区役所の絵画の話を交えつつ、「増田君は本当に優秀です。才能があります。小学校は是非とも私立を考えられては・・・?」と強く推した途端、「いえ、結構です。ウチは公立の小学校に行かせます」と、頑として譲らなかった。理由はわからない。金銭的な問題だったのかもしれないし、中庸を良しとする生き方に反していると考えたからかも知れない。
俺は単に「人間関係をリセットして、見知らぬ土地でまたイチからやり直すのは苦痛である」などとぼんやり考えており、小学校は地元の公立のほうが良いように思えた。
幼稚園の中に友達と呼べるような存在はいなかったと思うし、毎朝の通園バスも苦痛ではあったが、それでも何とか周囲の人間の為人を把握して対応方法をほぼほぼ確立していた矢先の話だった。小学校とやらに行く事になれば、公立でも私立でも「周囲の人間の数」は増えるのだろうが、私立でゼロから再構築するよりは公立のほうが幾分マシだろうと思っていた俺は、そのように両親に伝えた。
両親と俺の希望が一致していたので、当然小学校は地元の公立小学校に入学することになった。
小学校に入っても、特に俺自身の変化はなかった。小学校に入ると本格的に「勉強」というカリキュラムがはじまったが、先生が言っている事を聞いて、板書をして、家に帰ってから宿題を済ませた後に復習・予習をしていれば、テストの点数は取れた。
この頃になると、自分の状態を客観的に捉えた上で、自身についての考察ができるようになっていた。
俺は結論として、「俺は天才である」と考えた。井の中の蛙どころの騒ぎではない。加えて、空の青さも知らないとなればもはや滑稽を通り越して害悪であるが、俺の周囲には俺より優れた学力を持つ者も、俺を諫めようとする者もいなかった。
言い訳がましいが、物差しが少ない小学生の時分である。「学力」という物差ししか持っていなかった俺は増長し、慢心し、周囲を哄笑した。将来は俺のような人間が、東京大学のような「賢い一流の大学」に入って、「でっかい一流の会社」に入社して、いずれは社長になって世の中を動かしていくと、本気で思っていた。
何より、公立の小学校は毎日がヒマだった。普段から見下している同級生とは、恐ろしいぐらいに会話がかみ合わなかった。俺にコミュニケーションスキルがあれば、「会話をあわせに行く」「自分の会話ができる場を作る」といった芸当も可能だったかも知れないが、ご多分に漏れず俺はコミュ障だったし、そもそも会話を合わせるという発想もなかった。
「名のある企業に入れる」「いずれは社長になる」などと思いこんでいるような人間がコミュ障というのは、その時点でもう既に色々と破綻しているような気がしないでもない。
ともあれ、この頃の俺は毎日退屈な授業とかみ合わない会話をする為だけに、日帰りの監獄に通っていた。全国の小学生がこの地獄を味わっているとするなら、文部省は滅ぼさなければならないと本気で思っていた。その為に文部省に入って俺がこの国を変えてやるんだと、鼻息だけが荒い小学生だったと思う。
─────「良い会社」に入るには「良い大学」に行かないといけないらしい。
─────日本一の大学は東京大学というところらしいが、真の天才であるならば京都大学に行くらしい。
そんな情報を入手したのは、忘れもしない、小学4年生の秋頃である。いかにも小学生が摂取しそうな、狭い世界のテキトーな話である。だが俺は何故か純真無垢にその与太話を信じた。つまり、「将来は絶対に京都大学に入ろう」と思った。
そこから俺は色々と京都大学の情報を収集しはじめた。「学部」など、小学生の俺の辞書には登録されていない概念に触れる度に興奮しつつ、どうやったら京都大学に入れるのか?という情報を求めて方々に聞いて回った。まず一番初めに、俺にとってもっとも身近な「大人」である両親に「どうやったら京大に入れるのか?」と尋ねたところ、「知らん」と言われて会話を打ち切られてしまった。仕方なく学校の先生などに尋ねたりしていたが、小学生の調査能力などたかが知れており、当時はまだインターネットなども普及していなかったので、俺の京都大学情報収集はかなり早い段階で終止符を打たれることになってしまった。
しかし、京都大学に入れたとしても、大学入学までは今からでも約8年かかる。京都大学に入る方法とは別に、一刻も早くこの日帰り監獄から抜け出す方法はないものか・・・と模索していたところ、どうやら「私立中学」というところに通えば俺の退屈な生活におさらばできるようだという情報を得た。
日帰り監獄の看守たる先生も、たいそう熱心に「増田君は灘中学か東大寺学園に行かせるべきです。」と言ってくれた。特に小学6年生時の担当看守だったK先生は熱心で、何度も両親と懇談して、俺を私立に行かせようとしてくれた。
だが、ここでも両親は「ウチはあまり裕福ではなくて・・・。本人は成績も良いので、公立中学から北野高校にでも行ってくれたらいいと思っておりまして・・・。」と、俺を私立中学に進学させることは明確に拒否した。
看守は
「経済的に難しいと思っておられるなら、公立中学以下、なんなら増田君の学力ならおそらく無料で通える」
などと食い下がったが、両親は「もう公立に決めてますので・・・」と固辞した。
この頃になると、小学生の俺でもさすがに両親の言動に疑問を覚えるようになった。両親は「経済的に困窮しているから私立は行けない」の一点張りだったが、看守は「困窮していても通えます」という。イヤさすがにそれはちょっとヘンだろ、矛盾してるだろと思っていたが、当時の俺はそこまで頑なな両親を説き伏せてまで日帰り監獄から抜け出したいとまでの強い意志は持ちえなかったし、天才・秀才・英傑達と机を並べて学びたいという願望も希薄だったし、それらの一連の俺の態度が招くであろう結果も、特に深くは考えてはいなかった。
当時の両親の真意が奈辺にあったのか、今となっては分からない。草葉の陰から、声は聞こえない。
そうして地元の公立中学校に入学した俺は、特に変わり映えのしない日帰り監獄生活を送っていた。そんな俺だったが、中学生活の半ばに差し掛かろうという頃・・・具体的に言うと全国模試を受けたあたりで、「んん?あれ?・・・どうも俺って天才じゃないな、これは・・・」と薄々感づき始めた。全国模試の偏差値が出るからである。
そりゃもちろん、俺の偏差値は全国平均より遥か上には位置しているのだが、自分なりに努力をしてみても、偏差値的に灘高校にも東大寺学園高等部にも届かないという事実を突きつけられた。これは結構俺にとってはショックで、小学校の頃は「余裕で入れる」と言われた灘にも東大寺にも入れないという事実は俺に重くのしかかった。「このレベルの高校が無理なら、こりゃ京大や東大なんて夢のまた夢だろ、どうしよう・・・俺の人生、どうなるんだろう」と、本気で思い悩んだ。
悩みぬいた俺は中学2年の夏、両親に「塾に行きたい」と言ってみた。しかし結果はやはりというか順当というか、頑強に拒まれた。曰く
「成績がいいのに何故」
「塾はお金がかかる」
「家でも勉強はできる」
小学生の頃の俺なら諦めていただろうが、中学生になっていた俺は己の目標を達成する為に食い下がった。模試の結果を伝え、行きたい大学がある事、だが自分の今の成績ではそこに至ることができない事、自宅での自己学習には限界がある事などを説明した。
また、塾が無理なら定性的定量的に評価が可能な代替案の提示をせまった。塾の代金は高校に行ったら必ずバイトして返す、なんなら今から新聞配達をして払うと、土下座までして塾に行かせてくれとせがんだ。
半年ほど前に未亡人となった母はなんだかやつれて見えたが、当時の俺は塾に行けることが嬉しくて嬉しくてしょうがなくって、あまり母親のことを注意深く見ることはできなかった。今思えば、当時の母は様々な事に疲れ切って倦んでいたのだと思う。塾に行く許可も、根負けというよりかは思考放棄といったように俺には映った。
そんな母を尻目に意気揚々と進学塾に入った俺は、成績順のクラス分けで上から2番目のクラスに入れられた。正直、体が震えた。自分よりはるかに勉強ができる人間が、天才が、焦がれる存在が、今まさにすぐひとつ上のクラスにいるとリアルに感じられるのである。そして、その人間たちと同じ程度の授業を、自分も受けることができるのである。これがアニメだったら俄然燃えるBGMが聞こえてくるようだった。実際、あの時の俺には、何かが聴こえていたのだろう。俺は一心不乱に机に噛り付いた。机に歯形があるんじゃないのってぐらいには噛り付いていたと思う。
その甲斐あってか、入塾後すぐのクラス替えで、あっさりと一番上のクラスになれた。ここで俺は生まれて初めて、圧倒的な勉学の才能をもった人間、すなわち「天才」と直に出会った。それも一人や二人ではない。そんな輝ける才能がひとつの教室に雨後のタケノコのようにポコポコと存在している、そんな環境で学べるという喜びにも出会った。
毎日がただ楽しかった。自分は天才ではないのかも知れないけど、努力すればちゃんと数字が、成績がついてきてくれた。
幼少の頃、毎朝幼稚園に行くバスの中で感じていた苦痛や、小学生の頃に感じていた疎外感は、もう無かった。
高校は公立の北野高校というところに入った。維新の橋下弁護士とか、日本マクドナルドの創業者の藤田田(ふじたた、ではなく、ふじた・でん)とか、漫画家の岡田あーみんとかが通っていた高校である。
本当は東大寺学園に行きたかった。学力や模試の偏差値は足りていたと思う。赤本の自己採点でも余裕で合格圏内だった。だが、中学3年時に入塾した際に母親と交わした「高校は絶対に公立高校にする事」という約束を守った。その約束をした時点では「受験までにどうやって説得するか・・・」などと考えたりもしていたが、塾での公立中学では考えられない授業スピードについていけたことや、並み居る才能たちと交わした会話の中で、「公立高校からでも京都大学は狙える」という感触を、俺は確かに掴んでいた。
中学の頃はあまりよく理解していなかった奨学金制度は、高校に入ると同時に申請した。家計を理由に俺の私立進学を拒んだ母親は、中学時代に俺の奨学金を申請していないこともその時に知った。俺はそんな母親を信用せず、奨学金の申請手続きを自分自身で済ませた。
北野高校の授業の質は高いと思った。だが俺は油断せず、予備校にも通うことにした。私立中学入学組の連中は、少なくても俺より3年は早く走り出している。そいつらに追い付くには、そいつらと同等、いやそれ以上の勉強が必要であると思ったからだ。
俺は詐欺師丸出しの口調で「高校の学費が浮いたんだから、もともと払うつもりだった学費は予備校に回してほしい。予備校とバイトを完全両立させるのは時間的に難しい。学力的に、俺は中学までの借金がある状態。プラスに転じるには積み上げるしかない」などと母親に申し入れたところ、すんなりと受け入れられた。
この頃になると、奨学金の申請だけでなく、家の中の一通りの事は全て俺がやっていた。
「自分でできるようになったから」というのももちろん理由としてはあるが、母親が炊事・選択の家事全般を筆頭に、日常生活の様々な事をほぼ全て放棄してしまっている事のほうが、より比重の大きい理由だった。母親が予備校行きを認めたのも、「認めた」というよりは「俺が『予備校に行きますよ』と報告した」といった表現のほうが正しいように思う。
俺が小学生や中学生の頃には確かに存在していた、「理由なぞはよくわからないがとにかく自己の主張を持って論陣を張る頑強な”母”たる人間」は、もういなかった。朝起きて、TVをつけて、ご飯を食べて、夜眠るだけの人間がそこにはいた。
家計はほぼほぼ俺が全部見ていた。入ってくるカネと出ていくカネを計算して大幅なマイナスにならないと言う事だけを気にしていたので、一般的な家計管理よりはラクだった。現に、今つけている家計簿よりは簡単だったように思う。父親の遺した資産が多少あったので、その管理も俺がしていた。
高校生活は楽しかった。学力差のある人間を十把一絡げにして地域ごとに押し込める日帰り監獄では味わえない切磋琢磨がそこにはあった。同程度の学力を持つ者同士が集まった結果としてのシナジーがあった。今までは暗い色で塗りつぶされていた「学校での生活」に色が付き始めた。毎日学校に行く事が楽しかった。対照的に、毎日家に帰るのが億劫になり、やがてそれは苦痛に変わり、それに伴い、家の中が暗い色で塗り潰されていった。
昔、母を名乗っていた人間は炊事もしないので、学校帰りは毎日スーパーに寄り、食材を買い、俺が晩ご飯を作った。予備校のない日は二人で食事をするようにしていたが、食事中に会話のようなものはなく、TVから流れるバラエティー番組の下らないやりとりだけがBGMだった。ご飯の味はしなかった。たぶん、母だった人も、ご飯の味はしていなかったと思う。
もしかすると、家から目を逸らそうとして、無理に高校での生活が輝いていたんだ、良かったんだと自分自身に言い聞かせているだけなのかも知れない。我が事ながら、この頃の記憶は妙に混濁している。
大学入試は当然のように京都大学一本にした。学力も模試結果も問題無いと判断したし、何より俺には京都大学以外の大学に通う価値を見出せなかった。入学できるまでは何浪でもするつもりだったが、幸いにも現役で合格することができた。
ひとり身になったから身軽だったし、しばらく大阪から京都大学に通ってみたものの、さすがに京都の外れまで毎日通うのはちょっと辛いなと思った。何より、暗い色で塗り潰された、大阪のあの家に帰るのは嫌だった。もうTVの音は聞こえなくなったけど、あの家で目をつぶって眠るのが、怖かった。
大阪での様々な残務を片付けると、それらの結果や、これからの事、感謝の気持ちなどを両親の墓前に報告して、俺は京都に移り住んだ。
後編に続く