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はてなキーワード: レッドアローとは

2023-05-25

帰りの電車で酒を飲むのはアウトか

山手線アウト
中央総武線緩行アウト
中央快速アウト
中央快速(藤野駅以遠)セーフ
西武線アウト
西武線(所沢以遠)セーフ
西武線(レッドアロー)セーフ
東急東横線アウト
東急田園都市線アウト
東急田園都市線(つきみ野以遠)セーフ
東急目蒲線セーフ
東急池上線セーフ
小田急線アウト
小田急線(六会以遠)セーフ
小田急線(新松田以遠)セーフ
東武セーフ
東海道線アウト
東海道線(国府津以遠)セーフ
東海道線(特急湘南)セーフ
常磐線各停セーフ
常磐線普通セーフ
常磐線快速セーフ

2020-04-22

3歳の息子が電車にハマってしまいことあるごとに電車を見たいとせがむようになったので、朝夕2回散歩がてら電車を見にいっている

幸いなことに我が家西武新宿線沿線にあり、歩いて8分ほどのところに踏切があるのでここが毎日観測ポイントとなっている

以前は通過する電車を見るだけで満足していたのだが、息子が日に日に面倒くさい要求を出すようになってきた

最近は4種類の車両全てを見るまで帰ろうとしない(銀色に青と白のライン銀色に青と緑のライン黄色車両レッドアローの4種類)

運が良いときには10分ほどで全ての車両が通過してくれるのだが、その日は運悪く通過するのは黄色車両ばかり

そうするうちに息子と喧嘩になり息子が泣き出してしまったので、「じゃあ駅員さんに聞いてみよう」と息子を宥めて駅へ向かうことにした

駅員さんに聞いてもどんな車両がいつ通過するかは分かるわけもないが、これで息子が納得するだろうと思って駅へ行き、改札の駅員さんに

質問してみたところ、「西武鉄道HPからアプリダウンロードしてもらえば車両の種類が分かりますよ」との回答

帰宅アプリインストールしてみると、どの種類の車両がどこを走行しているかひと目で把握できる素晴らしいものであった

以降我が家では踏切まで散歩に行くことはなくなり、息子は毎日じっとipad西武線アプリを眺めている

2018-08-30

今まで知らなかった・・・

西武池袋線新宿線特急電車であるレッドアロー」なんだけど、このレッドとは共産主義のことを表現していたらしい。

今まで30年以上生きていて、初めて知ったよ。

西武鉄道一族の中に共産主義者の人がいたことが根拠になっている。

更に、西武池袋線新宿線沿線には公団住宅が多く、共産主義社会主義の票田にもなっているらしい。

そう言われてみると、練馬石神井公園とかはそんな雰囲気がする。

2017-07-22

厄年

業スーからの帰り。明日のお昼用に冷凍ミラノドリア2個入り320円を買った。

足らないと言われたら1個78円のコーンピザを付けてやろう。

そんなことを考えながら自転車家路を急いでいたら、パトカー数台に消防車道路を封鎖していた。

目の前の八高線踏切に、電車が立ち往生していた。

近寄ると、救急車が丁度こちらに向かって発車した。

あ、これは。事故だな。

救急車を避けるように更に左側に寄って踏切に近付く。ここを通らないと家に行けないのだが。

電車内の人達雑談しているのが見えるくらい近くに行くと、踏切を通れず同じく足止めされている自転車に乗ったおばさん達がいた。

犬の散歩をしている人もいた。

夫婦旦那さんがおばさんに聞く。

「何かあったんですか?」

「それがねぇ」

聞かない。聞こえない。

「どれくらい動いてないんですか?」

「もうだいぶ…かれこれ20分は動いてないわねぇ」

猛暑の中、そんなに待ってるのか。自分はまっぴらごめんだ。ミラノドリアが溶けちまう。

踏切の横に逸れ、まるひろの先にあるもう一つの踏切を目指してペダルを漕ぐ。

ふいに民家から何故か線香の香りがした。それを胸いっぱいに吸い込んだ。

嫌な感じだ。

遠い三原という駅の近くにある踏切そばに小さな祠があり、どれだけ朝早くてもいつも線香に火が灯されていたのを思い出す。

自分にとって踏切はいつも線香のにおいがしていた。

一つ先の踏切自由に通り抜け出来るようだった。駅からアナウンスが聞こえる。

『ただいま運転を見合わせております。お急ぎのお客様におかれましては大変ご迷惑をおかけしております。発車まで暫くお待ち下さい…』

こんなことが去年にもあった。

忘れもしない9月末日。帰省してクタクタだったのでレッドアローに乗った。

旦那のために駅弁を買って、指定席についてLINEを送る。

『19時前には帰るよ』

時刻は18時過ぎくらい。駅ビルで寄り道したって約束時間には帰れる筈だった。

突然、足元に大量の缶を踏み潰したような衝撃があった。音も凄かった。

電車に乗ってるのに床を凝視したのは後にも先にもあの時だけだ。

少しして、レッドアローが止まった。

あ、これは。ただごとではないな。

車内がざわついてきた。アナウンスは、異物と衝突したので確認の為しばらく停車するといった内容だったと思う。

あとひと駅なのに、最後最後で足止めを食らうとは。帰省の疲れもどっと出る。

背もたれに凭れて、旦那電車が動かないので遅れるとLINEした。

窓を見ると外は真っ暗だ。時折駅員のような人達が行き来していた。この暗い中、見えるのだろうか?

作業は難航しているようで、電車は一時間以上動かなかった。

辺りをキョロキョロ窺っていると、隣の席のおばさんがワクワクを隠しきれない様子で話しかけてきた。

自転車よね、あの感じ」

ああ、自転車。なるほど、言われてみればそうだ。ならばやはりこれは、人身事故なのだろうと思った。

去年。前厄だった。

レッドアローは30分に一本走っているので、ひとつ見送っておけば遭遇しなくてもいい出来事だった。

なぜ、よりによって。

親に初めて人身事故に遭ったと言ったらネックレスをつけとけと言われた。現在、そういえば全くつけてない。

珊瑚数珠リュックにしのばせて肌身離さず持ち歩いているのだが。

今回もソシャゲの体力使いきるのに一時間かかり、買い物がその分遅れたのが原因のように思う。

また何かあったらここに書きなぐりに来る。

2016-10-27

ほぼ30年ぶりに西武特急秩父に行ったら

数年前の話。

あの花の影響で、明らかに地元民じゃない若者(=聖地巡礼者)がやたらいっぱいいたことより、秩父鉄道とつながっていたことより、東急車両が走っていることより、都内が高架複々線化されていたことよりも何よりも、飯能まで複線になっていたことが凄まじい驚きだった。

「もうすぐ飯能かあ…直前の信号所から単線になって、いよいよ都会を離れてしまった感が出てくるんだよな…って、あれ?複線のまま右手から単線が…え、飯能?え?複線化されてた!?マジ?うそでしょ!?」

文章化すると実に頭の悪い感想で恐縮だが、一人でパニクって言葉を失った。


実に30年ぶりに乗るまで、自分にとっての西武線小学校上がる前の記憶で止まっていたので、そりゃもう心底驚愕した。

一応あの花秩父鉄道東急・高架複々線の話は情報として知っていたので、そんな大きな驚きはなかったけど、それ以上新しい情報なんて無いと思っていたのが間違いだった。

そんな筆者の幼少の記憶に必ず出てくるのは、5000系レッドアローである。でも何故か行きしか使わなくて、帰りは黄色普通電車だった。

まさに行きはよいよい帰りは…を地で行く行旅で、帰りは山間単線で延々揺られるのが超退屈で嫌だった。

でも飯能からちょっと行って複線になると、ようやく都会に戻ってきた→家が近い!と少しだけホッとした。

から単線→複線という儀式(?)は、忘れたくても忘れられない記憶になってしまった。

ちなみに30年前を最後秩父行きで西武線を使わなくなったのは、熊谷から荒川沿いのアプローチ秩父に行くようになったから。

更に、今世紀に入ってから秩父行きそのものがご無沙汰になっていたと。


いや、幼心にすごく不思議だったんだよね。

飯能から池袋方面に出発する時は単線なのに、隣の元加治に着いた時は複線。なんで???という感じ。

それで一回、子供だったら必ずやる、かぶりつき前面展望をやってみて謎が解けた。

駅も何もない所にポイントが有って、そこで複線になるんだ!!

信号所などという存在を知らない当時の自分にとって、これまた「いつの間にか複線」を上回る衝撃だった。

この時点で一生忘れられない記憶として確定したと言っていい。


それなのに、飯能まで複線になっていた。

都会が更に伸びた!くらいのインパクトだった(飯能市の人ごめんなさい)。

それで帰宅して早速調べてみたら、こういうことだった。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%A0%E7%B8%AB%E4%BF%A1%E5%8F%B7%E6%89%80

なんと、敵は八高線だったのだ!

絵本で、単線非電化ローカル線ガーターの下を黄色西武電車がくぐる絵があったけど、それか!!

あの本、なんて本だったか全く覚えてないけど、wikipedia読んだらその絵だけ記憶から蘇ってきたとか、一体どうなってんだ。

ということで、3度目の衝撃を飯能から受けた。


余談その1

10000系の2代目レッドアロー個人的にかなり微妙

初代5000系の美化された記憶込みだけど、あんまり魅力的には思えなかった。

まあ、新幹線東京から近くなったことだし、なるべく早く富山まで乗りに行こうと思っている。


余談その2

秩父は第二の故郷だけど、上に書いた経緯から飯能にもお世話になっている。

なのでお礼に天覧山には登るつもり。

ヤマノススメで登場した時は別の意味でびっくりした。


余談その3

敵と書いてしまったが、八高線高崎高麗川の車窓は最高である

実際に乗って感動したあの日から十年以上経ってしまったけど、またそのうち乗りたい。

 
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