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はてなキーワード: 職業的とは

2021-04-15

anond:20210415202626

男女の経済的職業的格差問題是正するのはいいよ。

でも女性経済力が今以上に増えた段階において、本当に経済力の少ない男性結婚してくれるの?

女性社会進出改革に、イマイチ賛同できない理由はそれだ。

2021-04-11

結局家族制度が一番の癌なんじゃね?

結局家族制がある限り「他人より有利に子育てしたい」って願望は消えないじゃん?

正社員になって十分な福利厚生恩恵にあずかりたいという欲望夫婦2人十分な収入を得た状態子育てスタートさせたいという欲望子供競争を有利に導く形質(容姿頭脳)を遺伝させたいという欲望子供に潤沢な文化資本を与えたいという欲望保育園併設のタワマンに住みたい、幼稚舎受験させたい、etc……

こういう欲望を前提として恋愛自由主義という名の優生思想が回ってる(自由恋愛自体優生論の文脈日本に持ち込まれたことに関してちくまから本が出ている)以上、いったん人間から子育てを取り上げないことにはルッキズムメリトクラシー敗者の男女にはどうやっても挽回の目がないと思うのね(まぁ、キモカネ女性子育てに巻き込まれないほうがもしかしたら幸福度が高いかもしれず、似たような境遇の男女間にある「救済しろ」という声の大きさの互いにはそれが関わっているかもしれないが……)

これらの欲望自体社会によって規定されている部分があるから、ある程度は再配分によって是正されるかもしれないが、かと言って社会構造がすこし変わったところで結局「競争に有利とされる形質」がすこし変わるだけで競争自体の生み出す苦しみは避けられないと思うのね

子育てが、生存が、競争から苦しいのよ(それを調整するのが修正資本主義政府の役目だとは思うが、まぁ、現状はご覧の有り様で……)

特に男性の言う「生きやすさ」に「子孫の残しやすさ」が含まれてるとしたら、たぶんただ再配分するだけで救済されるとも思えないよね、ただ多少金を持たせて「選ばれやすくする」ということしかできないんだから(そしてこちらを選択すると相対的女性が貧しくなり、男性へ、家へ、子供へと縛り付けられていき以下素敵な無限ループ)

そんなことをつらつら考えてみて、あてがえ論とか女性自由意志尊重とか、そんなことでヤイヤイやり合ってもあんまり芯を食ってる気がしないなぁってずっと思ってんのよ

家族制リブン、子育てリブンの欲望が、つらい競争とその結果の格差を生んでるんじゃないの?

まぁこの辺はもうすでにマルクス主義で通った議論ではあるし、かなり赤い主義主張であることは否定しないんだけどさ……

たとえば国民は求められたら卵子精子提供する義務があるだけで、子供は国が勝手AI多様性を保持しながらマッチングして作って、知らないところで職業的子育て教育従事する人々が育てて労働人口として送り出す

整形当たり前だったり、バーチャル空間で望みのVアバター纏って生活するのであったり、方法は問わないけど、生まれ持った見た目や能力を問われない世界であれば、ただパートナーとして共に生きていくことを選択するハードルは「友達になる」程度には大きく下がるんじゃないか?(この辺は希望的観測であり、コミュ力はどうしても必要になるだろうからなんか自分で言ってても厳しいような気がするが……)

こうなってくると過去SF文豪たちがディストピアとして警告した世界のものではあるんだが、労働人口を確保せざるを得ない以上、競争による過度な苦しみは避けるにはこうなっていくしかないと思うのよね

幸せかどうかは知らん、ただ、苦しみだけが少ない世界

個人的に、どうやっても「今生きてる人間のために次の世代人間労働してくれることが必要世界」では、この選択は俺は別に悪くないと思う

つかこの苦しみの連鎖技術が止めてくれることを願ってる(が、多分資本主義世界からはその技術は生まれないだろうと思う)

資本主義の終わりより、世界の終わりを想像する方が容易い。

うーん、弥勒菩薩が来るほうが早いかな……

2021-04-04

anond:20210404013035

弱者男性も性欲はあるし風俗でも満たされないような異性から承認もほしいと思っている。

でも、そこは自己責任である弱者男性自身一種の諦念があるので、そこに社会福祉を期待してはいない人がほとんどではないかな。

社会が変わってほしいのは、パートナーがいない男性は劣った存在であり、キモいなどと誹謗中傷してもかまわない(努力していない本人が悪い)という風潮。それから何かの被害を受けたときに、もし被害者が女性だった場合そうするように被害者が弱者男性だった場合でも先入観なしに話をちゃんと聞いてくれるくらいのフェアネスがほしい。

あとは、男性場合職業的スキルが高いと収入も高くなり異性から評価も高くなるので、非モテ問題と低スキル男性生活問題混同されがちというのもある。

2021-02-22

元増田より、古典を義務教育で扱う理由について

元増田です。はてなでは定期的に出る話題であり、この仕事をしていれば生徒に必ず聞かれることでもありますね。すでに質問増田氏への反応でかなりの部分が議論されていると思います国語先生ごとに考えが多少異なるとは思いますが、現場にいる者として、同じことを生徒に聞かれたと思って、自分なりに誠実にお答えしたいと思います

以下、常体で失礼。


・まず、この疑問への論点はたくさん含まれていると思う。自分なりに整理してみると

日本という国家義務教育で(貴重な時間を割いて、他の教育されない分野を差し置いて)古典を扱う理由教育制度論)

上記の上で、古典選択科目ではない(または高校教育現場で「選択させられている」)理由

学校における古典学習時間は適切な長さであるのか?

学校における古典学習内容は適切なものであるのか?

古典を学ぶことは何かの役に立つのか?(個人レベルでのメリットはあるのか?)

……などなど。


しかし、増田氏の質問古典は、なぜ義務教育の科目なの?」に対して、学習指導要領等を引き合いに出しながら上記のぜんぶに答えても増田氏は納得しないように思う。なぜかと言うと、それ以前の「義務教育(および後期中等教育)とはそもそも何か?」「義務教育に求められているもの本来どのようなものか?」という重要命題増田氏は考えていない(もしくは適切な答えを持っていない)と思えるからだ。


質問増田氏に足りていない視点は「教育とは多様性を前提にしている」ということだ。学校にはあらゆる子供が来る。子供たちは、あらゆる適性・資質長所性質個性能力を持って、学校へやってくる。その多様な子供たちに国から一律のシステムとして授けられるのが義務教育である

子供たちの多様性、というのは学校に勤務していると本当に感じるところであるが、それでなくても、皆さん小中学校にいたクラスメイト、同じ学校にいた児童生徒の「多様性」というものに思いをはせていただければある程度イメージできると思う。

この多様な子供たちに、一律に与える教育が「義務教育普通教育)」というものだ。これは「全国民共通の、一般的・基礎的な、職業的・専門的でない教育」を指す。この時点で、小中学校とは原理的に「個人個人資質能力に合わせた教育を行う」場ではないということが(その是非はともかく)わかると思う。程度の差はあれ、後期中等教育高校教育)も同じようなものである


・そして、ここで注意すべきポイントは「教育経済的効率という尺度はなじまない」ということである

これについて(はてなでは評判悪いが)内田樹がわかりやす説明しているので一部引用してみる。


教育アウトカム単位時間を区切って計ること(つまり効率」を論じること)には何の意味もない。教育を受けたその直後にきわだった成果を示す人もいるし、同じ教育を受けたのだが、その成果が現れたのが卒後50年してからという人もいる。死の床において来し方を振り返ってはじめて「私の人生がこのように豊かなものであったのは、小学校ときに受けた教育のおかげだ」ということに不意に気づくということだってある。 

(中略)

これほどに学びの機会が多様であるのは、「自分が何を学んだか」についての決定権が最終的には個人に属しているかである。同じ教師に同じ教科を同じ教室で学んでも、それによって震えるような感動を覚える生徒もいるし、何も感じない生徒もいる。そのときは何も感じなかったが、何年も経ってから電撃的にそのとき教師言葉意味がわかるということがある。人間はそのつどの成長レベルに従って、自分経験の全体を「私をこのようなものにならしめた要素の必然的連続」として再編集する。必ずそうする。過去出来事意味現在自分状態に基づいて、そのつど改訂されるのである

(中略)

自分が何を学んだかを決定するのは私自である。そして、「誰も同じその人から私と同じことを学ばなかった」という事実こそが私たちひとりひとりの代替不能性、唯一無二性、この世界に私が生まれなければならなかった当の理由形成している。

http://blog.tatsuru.com/2012/03/10_1013.html


そもそも、これだけ多様な生徒に対して同一の教育を与えるのならば、それは最大公約数的なものにならざるを得ない。けれど一方で、そういった最大公約数的なものをどれだけ集めても、一部の児童生徒にとって「役に立たないもの」は、多様性に対して共通教育提供する限り必然的に発生してしまう。そして、「~の勉強は役に立った」「~の勉強は役に立たなかった」という『後付けの、結果論的な』評価もまた、その生徒児童によって異なってくる。例えば元増田にとって数学は役だっても、国語教員の私の役にはあまり立っていない。逆も然りで、古典を学んで僕は役立っているが、元増田の役には立たなかったのかもしれない(けれど、今後の人生で役に立つ機会が訪れる可能性もゼロではないよね?)。「役に立った/立たなかった」という言葉は、それぞれの人生の差、多様性が生み出した、結果論的な、後付けの評価しかない。


・まとめると、その教育が役に立ったかどうかは、後付けでしか評価できないが、多様な生徒全員に「役立つ」教育はごく一部の基本的ものに限られる。よって、多様性を前提にした普通教育は「役に立つかどうか」を基準とすべきではない、という前提が、義務教育を考える際には必要である


・では上記を踏まえ、改めて、義務教育とは何か考えてみたい。おそらくたくさんの学者先生議論されていることだと思うけれど、自分なりの表現をさせていただければ「児童生徒たち(と国全体)への、将来のための、大規模な投資であると思う。(もちろん、これは上記の前提を踏まえた、ある種の比喩表現であることに注意していただきたい)


・前述の通り、ある生徒にとって何が「役に立つ」かは分からないし、卒業後であってもそれぞれの人生様相が変わればその評価も変わりうる。どの教科がいつどのような形でリターンとなるのか(または全くならないのか)わからない、ということだ。

言い換えれば、義務教育の内容選定にはあらかじめ「(ある生徒には)役に立たないかもしれないが、それでもやるべきなので、やる」という前提が入っているし、その前提があるために「全員の直接の役には立たなくても、間接的には多くの生徒の役に立つようになるといいな」という思想が入ってくる。また、「それを扱わないということは、全員に機会損失リスクを与える」という側面もある。

から、リターンがどれだけあるかわからないにせよ、限られたリソースの中で、できるだけ多くのリターンが生徒に(ひいては国全体に)返ってくるような投資を考える、という設計思想になってゆく。


・このような条件を満たす科目としては様々に考えられるが、特に古典思考根本たる母国語に密接に関わっているという点は大きいと思う。そして質問増田氏含め多くの増田議論で指摘してくれていたように、古典は以下のような理由上記の条件を多く満たしている。


・「自国の古の言葉から国民として学ぶべき」「愛国心の育成」(国家というアイデンティティ形成

・「文化の発展」のため(「春はあげぽよ」で笑いを一つ作るのも文化の発展の一つの形)

歌舞伎などの歴史ある文化和歌集などは誇れる文化である

人文学研究の基礎体力として(研究者は国家必要で、大学等で研究を進める際に古典ゼロからだと困る。)(たとえ研究しなくとも、国民知的レベルを上げられる。ちょっとググりたいとき学校で学んだ知識があると有用なことも多いし、知らないことは検索もできない)

学習すべき内容が時代によって大きく変わらない(日進月歩学習内容の変遷が激しい分野は義務教育には不適)

現代日本語に繋がる、語学学習として。(現代語をより豊かに用いるため)

・「故きを温ねて新しきを知る」、長年読み継がれてきたものを読む(教育において、精神論の何がいけないんだろう?)

古典籍という膨大な一次情報に各個人アクセスできる(源氏物語などに顕著だが、現代語訳がすべてのニュアンスを残せているわけではない。また、現代語訳のないマイナー古典籍が例えば古い災害の記録になっていることもある)

・「論理的な推測」を学べる(「~の気持ちを答えよ」問題はよく槍玉にあがるが、大抵は本文に論理的な推測の範囲で心情が書いてあるので、読解問題であるそもそも言語を扱うという行為じたい「論理的な推測」を行う行為なので、よほどひどいものでない限り、最近のものは全文をきちんと読めば適切な出題だと思う)

教養(あるいは常識)を学べる



・あとは、自分にとって古典がどのように「役に立つ」のか(あるいは現時点で役に立っていないのか)、各個人評価をそれぞれにすればいい。そして今度は、より大きな視点に立ったうえで、改めて教育の中の古典位置づけやあり方、内容を考え直すということを考えてしかるべき、そんな時代であると思う。もちろん、法律情報処理の勉強大事なのは言うまでもない(ただし、プログラミング教育導入される方向でどんどん進んでいるし、現行の公民分野にも法律はそれなりに入っているはず)。他にも様々なことが教育には要求されていると思うし、その中での取捨選択優先順位の付け方は、きっと社会全体でなされるべきなんだろう。けれど、それは「役に立つ」という価値観に縛られるべきではないということは強調しておきたい。

あえてここでポジショントークをするならば、古典学校で扱うべき理由は、先ほどの条件を満たしていることに加えて、「千年単位で変わらない本質的事柄」とは何かを生徒に示唆してくれ、時間的なスケール感の大きさに思いを馳せる時間を持てるという点だと思っている。(そう思って前の共通テスト古典分析を書いていました。授業でもよく言うんだけど、千年前に妻を亡くした人間が、現代人とおんなじようなこと考えてるって、結構安心しないですか?)


・これが生徒に対してなら、上記の話はやや難しく話が長すぎる。自分担任をした生徒(物事意味について考えようとする人物だった)には、例えばこう話したことがある。

「今あなた意味を感じていない世界史を、例えば学ばなかったとしましょう。(あなたにとって何が意味を持つのかは今の時点では分からないので、それもあなた自由ではあります。)そしてそのまま大人になります。その時、あなた世界史の知識を元とした発想やアイデアを失うだけでなく、その発想を失ったことそのものにさえ気づけないことになります。つまり自分可能性が狭まっていることにさえ気づけないでしょう。あなたなら、その怖さってわかるんじゃないですか」

(いちおう、この話をしたこの生徒は、世界史の勉強について、成績は別にしてもこの生徒なりに考えてくれたようではある。後から他の先生にこの言葉意味について話していたらしい。)

これが古典なら、別な増田が言っていたように「矛盾語源を知らない」ことの機会損失について話すことになるだろうか(矛盾故事は中一の教科書に載っている)


・おそらく質問増田氏にとって(多くの生徒と同じように)古典は役に立ちもしなければ面白くもない科目だったのだろうと思います自分はなるべく古典面白さやエッセンシャルな部分を伝えるべく授業で努力をしていますが、もちろんそうでない先生もいます。また、今回は触れなかったけれど「入試対策」という四文字が実際の古典学習に与える影響は計り知れず、本質から外れた苦行的な暗記学習パターン学習が強くなってしまっている現実には自分ジレンマを感じないわけではないです。古典という科目が抱えた問題点や古典嫌いを生むこの構造的な病理は、なかなかに根深ものがあるのもまた事実最初に挙げた①~④の論点あたりにはかなり課題もあるでしょう。

(少し話題はそれますが、前回の共通テストエントリを書いてから他教科の同僚と話していて至った結論は「共通テストはより学問エッセンシャルな部分に近づけられている」というものでした。大学入試が変われば高校進学校勉強も変わるので、これは良い兆しです。共通テストには今回のような学問エッセンスを込めた入試問題を作り続けていただきたいと思います。)


・ただ、今回の質問増田氏のような生徒に対して自分が感じるのは、もっと広い視野物事を見て欲しいという気持ちです。綺麗事かもしれないけれど、自分にとって意味がないものに見えても他人にとって意味があるものもあります。もしかしたら自分にとって後々意味が出てくるかもしれません。けれど、そのように意味をとらえなおすことができなければ、いつまでも古典仮想敵のままでしょう。国語教員である自分がどれだけ古典の魅力をここで語っても、それはやはりポジショントークに過ぎません。意味というのはやはり自分で見つけるものだし、見つからないことだって往々にあるでしょうから、それを受け入れることや合理化することだって大事な「勉強」です。

(今回の話題に関連して、最近読んだ本だと、SF作家森博嗣が出した「勉強価値」(幻冬舎新書)が、ツッコミどころも多いながら興味深かったのでオススメ。)

それに、自分にとって意味が無いと思っていたものがこんなに深く豊かな世界内包していたんだと気づければ、それは素敵なことです。少なくとも、それを認めることが多様性をはぐくむ態度であると思います


P.S.

これを読んでいる生徒の皆さんへ(元生徒さんでもいいです。笑)。


自分にとってイヤだったり不得意だったりしてもいいし、つまらないと感じることもいいです(わからない・つまらないは教育する側の問題なので、どんどん声をあげてください)。けれど、だからといって排除することは、自分可能性が消えるという別な問題を生みます自分がイヤだったものをイヤなまんまで自分の中に置いておくのもしんどいことだろうなと思うので、ちょっとだけ面白ものを紹介しておきます

からでも、古典に関する自分評価を変える機会になればいいなと思います。頼めそうなら、複数の生徒で担当先生もっと面白ものを扱ってもらえるようにお願いしてみるのもいいかも。先生は案外、そういう授業に飢えています


https://kawadeshobo-blog.tumblr.com/post/129340109097/町田康訳奇怪な鬼に瘤を除去される宇治拾遺物語より

↑これを読んで


https://www.koten.net/uji/gen/003/

https://www.koten.net/uji/yaku/003/

↑その後、これと見比べる。これだけでも立派な古典勉強です。

2021-02-21

先日、増田(会社員)が、取引先の会社員電話で打合せをしてた時に、話が雑談に流れて相手が「これでワクチン打てば俺は無敵だなー、年度明けまでにはワクチン打ちたいなー」と言い出した。

その人は特に医療従事者だったりエッセンシャルワーク業態でもない、ホワイトカラー会社員であるコロナ後は週1、2回程度出勤のリモートワーク体制継続しており、飲み会などは禁止令が出ているらしい。年齢は40代、既往症があるという話も聞いていないし、家族も妻子(確か中学生)だけで高齢同居者がいる話も聞いたことがない。

自分も似たような境遇だが、正直、今年中に順番が回ってくることもないだろうと考えていた。ワクチンの数も足りていないようだし、五輪何だかんだでやる気らしいから、その期間はワクチン接種体制は鈍化するかストップするかが関の山だろうと思っていたので、ずいぶん楽観的だなと思って、いやー我々中年に回ってくるのは相当先じゃないですか、と思わずから出てしまった。

しまった、話の腰を折ってしまたかと思ったが口から出たものは仕方ない。早く順番が来てほしいですよね、それまで頑張りましょう、と適当に話を〆ようと思ったが、相手は、話の腰を折られて怒るというよりも、がぜんガッカリの色が濃くなった。あんた、それだけ生物的・職業的に恵まれ場所にいてどんだけ図々しいんだ。

憎悪クリエイター」です。遊郭タイトル炎上はご迷惑おかけしました。でも、日本人も悪いんですよ

どうも。皆様はじめまして

自分は、副業で「憎悪クリエイター」をしている者です。

具体的にはWEB、紙雑誌ライティング仕事、たまーに版下記事を丸っと任せていただきDTPの真似事や簡単デザイン関係お仕事もしています

簡単に言うと、記事ライターというやつです。特定されないよう文体を変えているので、文章に変なところがあってもご容赦を。(金とるわけでもない文ですし)

だと認識いただければ大丈夫です。

憎悪クリエイター」って何やねん?と思われたでしょうが、先日増田で見かけた単語がいいなあ、と思ったので使わせてもらいました。

簡単に言うと、今回タイトル文に使った「遊郭編のタイトル炎上」だとか、「LGBT問題」だとか、「男女差別問題」だとか、「政治屋への批判」だとか、ジャンルわず、『分断と憎しみを煽る記事』を作っています

ちょっとジャンキーな言い換えをすると、「レスバトルの火種になる記事」のクリエイターです。人と人の憎しみを増幅させることで昼飯を食べています

私を含めた、そういう人達のことを、私は勝手憎悪クリエイター定義させていただきました。

(まあ、皆様なんとなーく、我々の存在を感じ取っていたとは思うのですが…)

貴方イラっとした記事や、ジェンダー問題環境問題とか、正解がないのにも関わらずSNS上での議論が紛糾した問題を思い浮かべてください。

あいうのを煽っているのが私達になります

簡単に言うと、情報をある程度恣意的に切り取り、意図的SNS炎上するように仕向けた記事を沢山書いて出荷しています

何故憎悪クリエイターになったのか

人の憎しみを煽るのが楽しいから…ではありません。

その方が金がいいから…ではありません。

広告代理店に指示されたから…ではありません。

己の政治主張を通すため…でもありません。

私は元々、ペットのお役立ち情報とか、ネコインコ記事をメインに書くためにこの副業を始めました。

しかし、いつの間にかネコちゃんインコ可愛い!という記事よりも、

「アイツがやらかした」だとか「こういう差別問題になっている!」という記事の方の仕事をいただくことが多くなり、段々そちらがメインになりました。

以上です。

要するに、「需要が多かったから」です。

私は過去妊婦問題貧困問題なんかを、さぞ苦しんでいる人々がいるように書きました。

しかしながら、別に私自身は子育てに苦しんでいる人を救済したいとかないですし、逆に苦しめばいいとかもありません。

AT運転ダサいという声が」といった記事を書けば、勝手SNS議論になって盛り上がる、と言えばわかりやすいでしょうか。

炎上したら、しめたものです。閲覧数の多い記事が書ければ、次のお仕事につながるからです。

あと、謝ります

遊郭編についての記事は書いてません。単に興味がある人が多いだろうから適当に使わせていただきました。悪しからず。

まあ遊郭編についても同じことです。自分もああいタイプ記事を作ります動機需要があるからです。

元の漫画だとか、子供教育をこうしたい、とかはありません。結果は求めていません。

ただ燃えることは求めています

例えば我々憎悪クリエイターが「ネトウヨブサヨのここがおかしい!」などという記事を書いたとして、実際に政治主張が左向きや右向きかと言われると違います

憎悪クリエイターの仕組み

第一目標「閲覧数を増やす」→ここで金を産む

第二目標他人リアクションさせる」

これが我々の目的になります

まり、閲覧数そのもの目的なのです。どんな記事だろうと、読んでもらえなければ意味がありません。

誤解されることが多いのですが、第一目標は読まれることです。

別に炎上の結果企業が叩かれようが、世界が正しい方向に向かおうが、政治家が引退しようが、関係ありません。

炎上を目指すのは、炎上すると閲覧数が増えるからです。

偏った報道をして、報道サイドが叩かれるのも思惑の通りです。

人が記事引用してリアクションすると、勝手拡散してくれて結果的第一目標の「閲覧数を増やす」というのが達成される確率が高い。

それだけの話です。リアクションの内容はどうでもいい。賛同でも、否定でもいい。

では何故、「憎悪クリエイト」が多く行われるのか?需要があるからです。

win-winなのです。

どうせ、多くの人は記事の中身まで読みません。勝手タイトルから「こういうことを言おう!」と決めてくれます

最初の方と最後の一文だけ読む人はまだマシな部類です。

不快感とか罪悪感はないの?

あります

憎悪クリエイトを行う時に重要なのは、「なにが嫌なのか理解すること」です。

からこそ私のような人間は多くのコミュニティに参加しています

漫画だのアニメだのゲームだの作品感想を楽しく言う場所だとか、ガールズがちゃんねるしている場所だとか、他にも海外掲示板だとか。一例ですが。

皆様が何を楽しみ、何にイラっとするのか。わからないと正しく憎しみを煽れないので、ちゃんコミュニティに合わせた感性を忘れないようにしています

我々が皆様にわざと勘違いさせていることなのですが、メディア貴方ユーザーと同じようにメディアを閲覧することができ、同じ感情を持つことができます

からこそ、世界から憎悪クリエイターは無くならないのです。

なにが好きなのかわからないと、その好きなものをけなせない。勘所がわからないのです。

論理破綻させ、倫理を捻じ曲げる。上手くそれをやることが憎悪クリエイターの腕の見せ所です。

一般的感性というものはとても大事にしています

憎悪クリエイター」に利用されないためにはどうしたらいいのか?

・最強のA案

「見ない、反応しない」

これが答えです。

憎悪を煽るような記事は見ない、そして「取り上げている対象」を叩かない、「記事のもの」も叩かない。

対象が悪だろうが正義だろうが関係ありません。

例えば森氏の失言問題においては、森氏の記事のものを見ない、森氏の家族陰湿に叩くメディアを見ないということです。

貴方たちが見た時点で我々の実績になりますアクセス数が伸びれば、当然ながら同じような記事を書きます

メディアは人の心がないか加害者家族を追うのではなく、人の心がわかるからこそ加害者家族を追跡するのだということを認識するべきです。

政治税金が絡むので市民監視者になる必要があるというお題目がありますが、そういうお題目を最大限利用するのが我々憎悪クリエイターです。政治だろうが芸能だろうが教育だろうが、同じことです。

閲覧とリアクション。それを得られるならば、できることはやります

例えば児童が読むもの遊郭編とつけるのはいかがなものか、とか。

火種意見がなければ作ります

倫理正義、正しさなどというものは我々にとって利用価値の高い道具です。

とはいえ、皆様には何かを叩く権利があります義務ではありませんが。

犯罪行為や反倫理行為を叩く行為は、運営警察カバーしきれないネットワークにおいては必要暴力機能でしょう。

・B案「好感度の高いものを叩く」

まあ例えば売り出し中の役者漫画アニメでも。

100日後に死ぬ爬虫類の叩きについては、某社のアレとかでご理解されているように、我々職業的憎悪クリエイターからは離れた案件になります

まり、「感情面と経済的合理性から叩く意味がないもの」を叩く行為を行えば、それは我々憎悪クリエイターの手から離れた叩き行為です。

ネット上でものすごく愛されているものを叩いてみてはどうでしょうか?

利害関係的に誰もが損をする。そういう対象を叩けば、最初のうちは我々の意表をつく行為です。叩く対象がなんでもよいのであれば、そちらを推奨します。

憎悪クリエイター利用者は多くの場合、怒りをぶつける相手が欲しいだけです。

憎悪のもの目的であり、その結果としての改善を望んでいる人などほとんどいません。

手段はとっくに目的化しているのだから、良いと思うのですが。

この記事は何を伝えたかったのか?

貴方達が議論している「すぐに解決しない問題」は我々の昼飯代程度の金のために作られた問題だということです。

色んな記事を書いてきました。

女性差別を失くそうという記事フェミニストがウザいという記事ヴィーガンになろうという記事ヴィーガンがウザいという記事ナチスは正しいという記事ナチスにならないためにはどうしたらいいのかという記事

アニメ漫画規制を促す記事漫画アニメーターの保護を訴える記事弱者を守るための記事弱者を利用する記事

全て、憎悪を煽るためです。憎悪構造上、金を産みやすいのです。

巨悪がいて、情報を統制している、などというファンタジー世界存在しません。

貴方達の需要に応え、私達憎悪クリエイターによって安い金で作られているのが貴方達が社会問題命題だと思っていることです。

(あ、でも某広告代理店が「年金受給者」と「若者」の対立を煽ろうとしていたのはガチです。長期目的は知りませんが、かなりの予算が動いていました)

何故憎悪クリエイターが生まれるのか?需要があるからです。貴方達が私達を産んでいるのです。

貴方達は自分スタンスポリシー理解がない人間を叩くことを常に望んでいます

論理破綻を見つけるのが嬉しくてたまらない、知識をひけらしたくてたまらないのが貴方達です。

我々を消す方法は、「見ない、反応しない」です。そして皆様にそれができないのは、私達が一番知っています

私は、少し疲れました。私の言いたいことが皆様に伝わり、この記事が誰にもリアクションされず、誰にも見られなければ私の勝利でしょう。

しかし、私はきっと勝てないでしょう。

以上、高校一年生の男子が書いた日記でした。

2021-02-09

anond:20210209091632

元増田だが、大学生のころに1か月ほど放浪の旅してる間にヒゲ伸ばした(剃ってなかったので伸びた)ときは割と似合ってたし周りの評判も悪くなかったけど、

今は職業的に伸ばしづらい(職場の周りで伸ばしてる人は一人もいない)のと、妻や家族からの受けが悪いので伸ばせないんだよね。

剃るとすぐに青ヒゲヅラになってすごく嫌なの

2021-01-17

anond:20210116205156

給料が安い理由として、「権力のあるオジサン世代が保育の職業的価値理解していないから」が多いが、気持ちはわかるけど少し的外れ

(1)これまで保育士になってきた人たちの社会階層は、それにつかなかったら専業主婦スーパーパートをやっている女性だった。エリート就活生は見向きもしない。こうした人たちにとっては、月手取り13万でも決して安くは感じられない。また、保育を家庭の中で「無償」で行っている専業主婦も依然として少数ではない。

(2)かつての保育士公務員で、かなりの高待遇だったが、不況増税反対の世論による財政逼迫、公務員バッシングなどを背景に、保育施設の拡大において民営中心方式採用された。しかし、民営だと当然ながら経営難事業破綻を恐れるので、現在は余裕があったとしてても人件費にはおいそれとは回せない。また経営者が過度な報酬を得ていても、公務員だった時とは違って、メディア批判がしずらくなっている。

(3)安倍政権2019年10月から当事者現場が切に求めている待機児童対策保育士待遇改善を後回しにして、無償措置に踏み切ってしまった。これはたださえ疲弊していた現場負担を激増させ、退職者を増やしている。今振り返っても天下の愚策だと思う。

2021-01-14

はてサって受動攻撃パーソナリティ障害じゃん



— アメリカ精神医学会精神障害の診断と統計マニュアルIV-TR

やっぱ病気やったんやね

2021-01-01

anond:20201231040911

おつー!

年始から初詣、鬼滅映画風俗にオッパプと楽しんでくるねー

お前は薄い給料で命削って尽くせ

それが職業的義務

誉められようなんて思うなよ

当然なんだから

2020-12-15

しろ観光産業・性産業廃業をさせ、インフラ業界の安定化を推進す

anond:20200714213523

以前こちらにて「今後のことを考えるならGotoキャンペーン中止だけではなく、観光産業自体もなくすべき理由」を書かせて頂いた者だ

案の定感染拡大が最初緊急事態宣言よりも悪化した

これはGotoをやったことが諸悪の根源でなければならない

もちろんGotoを失敗にさせるよう合法的方法において仕向けてきたが

そうでなくとも 冬というのは

ウイルス蔓延するには好都合な時期だった

ただ今年の方が インフルエンザが減少したとも聞く

まりだ、コロナ蔓延する前というのは

散々、我々はずっと毎年多数の感染者を出していた

インフルエンザ蔓延していた時に営業を強いられたというわけだ

よくこんな状態にさせてまで経済を動かされていたってわけだ

環境問題無視してまでだ

で、Goto一時停止を決めたとか言っているが

遅すぎるどころか最初からそんな政策はやるべきではなかった

そんで、営業休止や営業短縮で協力金だかやって

少しでも存続をさせようってか

違うな やるべきことは

観光ありきの経済政策はやめて

観光業をなくすべき

オリンピックも中止にさせるにも長期の緊急事態宣言を出して

解除されないような状況にすべき

ワクチン開発はたしか大事かもしれないだろうが、

副作用を一切出されない状況になるまでは

拙速ワクチン投与には大反対だ

もちろんオリンピックに間に合われても困るが

「食」なんてのも

自分で作って自分で食べろ

自分で作らず、他人につくってもらったものを食べてるという行為

他力本願もいいところだ

ポテサラ」論争があったのもつい前の出来事だったのを忘れた奴も多いが

反応が他力本願な奴らで萎え

ジジイ自体はそこまでは考えてはなかっただろうが

とにかく食に関するもの飲食店はなくしてスーパーだけでいい

素材買って調理したらそれでいいだろう

提供する店なんてわざわざ人間の本性を暴いて酷い時は事件を起こすもの提供するのも

なぜ存続させる必要があるか?

産業は論外

暴力肯定するようなもの経済を動かすな

太田啓子弁護士石川さんや小砂さんをはじめとした活動者には頑張ってもらいたい)

自粛警察も、一時自粛を求めるのではなく

これらの廃業政府に対して訴えろ

人が必要なのはしろ人々の暮らしを賄うインフラ

医者も不足していると聞く

なのになんだ、職業的にも「遊ぶ」ことばかりしか考えない奴らは

あるブログで衝撃的なグラフを見せられた時は

これは駄目だとしか考えられなかった

深刻だとしか言いようがない

言いたいことは他にもあるが

機会があればまた書いてやる

2020-12-08

anond:20201208081952

ドリームハラスメント(=「夢を持て=職業的経済的自立せよ」という押し付け)ってやつ?

命をつなぐ。子供をのこすこと。幸せに生きていること、生きているだけで素晴らしい

40すぎて体衰えてから急に子供のこしたくなる人沢山いる

せっかく続けてた仕事やめちゃう人もいる

男性はまだ年の差婚という飛び道具があるけど女性は…

2020-11-27

「この世の一番暗い場所で誰かと誰かが邂逅する」シーンが好き

 暗い場所、なんか精神世界みたいな場所で誰かと誰かが邂逅するシーンが好き。以下、ネタバレを含みつつそれらのシーンを解説していく。

 エヴァ最終話近辺も似たような感じのシーンあるけど、あの辺は演出としてかっちりし過ぎているのでそこまで好きではない。


輪るピングドラム

 物語終盤において、主人公兄弟である高倉冠葉と高倉晶馬は、真っ暗な空間において隣り合う二つの独房にそれぞれ入れられている。飲み水も食べ物も見当たらないその場所で、二人は飢えていく。なお、二人の姿は物語中の青年の姿ではなく幼少期の頃の姿を取っており、したがってこのシーンが、現実ではない抽象化された世界出来事であることが示唆されている。

 お互いに独房から励まし合いつつも、飢えてかつえていく二人であったが、やがて兄である冠葉が叫ぶ。

「あった!」と。

「何が?」と晶馬が疲れ切った声で問うと、冠葉は「林檎があった。今まで気付かなかったけれど、独房の隅に落ちてた」と晶馬に伝える。「晶馬の方にも落ちているかもしれない、探してみろよ!」

 暫くの間晶馬は林檎自分独房で探すものの、そこに林檎はない。やがて諦めを含んだ声で晶馬は言う。「僕の方には無かったよ。おめでとう、冠葉は選ばれたんだ」

 この「林檎」はこの場合、「両親から愛情」のメタファーである。晶馬は幼少期において様々な事情により、母性愛情が欠落した生活を送っていたのである。冠葉はその乾き切った晶馬の言葉愕然とするのだけれど、自らの手で林檎を二つに断ち割り、そしてその一方を、独房鉄格子越しに、晶馬の方へと差し出すのであった。

 先程、愛情の例えになっていると説明した林檎であるが、同時にこの林檎は、旧約聖書における「善と悪の知識の実」のメタファーにもなっている。

 ピングドラムにおけるキャッチコピー複数あり、その内の一つが「僕の愛も、君の罰も、すべて分け合うんだ」である。愛と罪を共有する、というテーマが、この暗闇のシーンにおいては描かれているのである

「『列車』はまた来るさ」


リトルバスターズ!

 飼い猫「レノン」の後を追って、寮が併設されている学校敷地内を走る主人公。その主人公の目の前に、幼い頃の主人公の心の支えとなり、今もなお親友として日常を共有する棗恭介が現れる。夜の暗い中庭において、恭介はレノンを腕に抱えていた。これまで、レノンは度々メッセンジャーとして主人公翻弄していた。その尻尾に結び付けられた何者かのメッセージが、時に主人公を誘ない、時には誰も知りようのない個人的秘密示唆しもしたのである

 そしてその夜、いつものように主人公の理樹を誘なったレノンが最終的に辿り着いたのは、親友である恭介の元へであった。それを追ってやって来た理樹は、これまでレノンを介して自身メッセージを与え、様々な示唆を与えてきた人物が恭介だったことを悟るのである。恭介はこれまで理樹に対して、「この世界には秘密がある」とレノンを介して度々伝えてきた。そのメッセージを目にした理樹は半信半疑ながらも、示唆に従い様々な問題解決などを手伝う羽目となっていたのである

 全ては恭介の悪戯であったと悟った理樹は、「結局世界秘密とは何だったのか」と冗談めかして尋ねるのだが、「世界秘密は本当にあるんだ」という思いもしなかった答えに直面する。

「それは形而上学的に存在していたとされる世界のことか何かなの?」「そんなもの存在しないよ。この世界には秘密なんてない」そう困惑しながら言葉を返す理樹に対して、恭介は笑いながら身を翻し、闇の中へと消えていく。結論から言うと、恭介の言った言葉は本当であった。彼の言う世界秘密とは、恭介を含めた理樹の友人の一切は全て故人だったというものである。その事実に直面することで、主人公精神的に廃人となってしまうことを避けるために、超自然的な力を用いて恭介は理樹に対して幻影を見せ続けていたのだ。


ワンパンマン

「私はブラストヒーロー活動をしている者だ」

 原作ワンパンマン第106話、類稀なるエスパーとしての才能を見出され、施設に半ば幽閉されることとなったタツマキは心の調子を崩し、超能力の発揮を躊躇するようになる。その結果研究員たちによって部屋に監禁されるタツマキであったが、やがて研究施設飼育されていた実験動物暴走事故が発生し、あわやタツマキもその犠牲になろうとしていた。

 そんな時やって来たのが、後にヒーロー界を席巻することになる「ブラストであるブラストは危なげなく暴走中の実験動物抹殺すると、タツマキに対して自身趣味ヒーロー活動をしていると告げる。普段は働いているのだけれど、これはあくま趣味なのだと。

 とは言えブラストの強さは圧倒的である。彼はタツマキに「何故能力を使わなかった?」と問いかける。当時十歳の幼児だったタツマキは、一時的に心身の不調で能力が使えなくなったと釈明するも、ブラストはその言葉が嘘であり、自身根本的に人間扱いしてくれない施設研究員に対する、自己主張の一環であることを看破していた。「今後の君のために一つだけ教えておくよ」

「いざという時に誰かが助けに来てくれると思ってはいけない」

 ブラストヒーローであり、誰かを助ける側の人間ではあるものの、自らが異常者であることを自覚していた。つまり普通ならば、人は人を助けなどしないのであるタツマキは幼いながらにその事実を突きつけられ、やがて自身職業的ヒーローの道へと進むことを決意するようになる。誰も人を助けようとしないのであれば、自らが助ける側に回るしかないという事を彼女は悟ったのである


などなど

 他にもるろうに剣心追憶編の、剣心が巴を手に掛けるシーンで、巴の墓前の幻影を見る剣心のシーンとかも好き。

 そのシーンに至るまでに、巴のこれまでの記憶が暗闇の中でリフレインするシーンとかもかなり好きである

 これらのシーンに限らず、「暗闇の中での邂逅」は多くの場合その作品におけるハイライトと直結している場合が多い。凝縮された幻影とも言うべき、強烈なシーンとして、これらの暗闇は描かれるのである。恐らく、これらのシーンを描く作家の、作家性の極地が、これらのシーンには反映されていると言っても過言ではないとも思われる。

2020-11-04

鬼滅の刃は何故面白いのか=作品感想自分で考える時代は終わった→そして起きること

鬼滅の刃面白い!」

これは間違いないのだが、俺=新世代=SNS世代作品鑑賞方法発見したことがある。

というか別に鬼滅に限った話じゃないのだが、キャッチーから例としてタイトルを使わせてもらった。

俺がこの項目でしたいのは1つの事実確認と、1つの反論だ。

まず前提として、俺は20代後半。インターネット中毒タイプ人間だ。

小学校のころからネットに入り浸ってた。

具体的には2ch個人の感想サイト、それにまとめサイトだ。年齢を重ねてからTwitterなんかも始めた。

真面目に、親の顔よりおそらくPCの画面の方を長く見て生きてきた。

「アホが何か言ってる」と思っていただいて結構だが、一応偏差値はそこそこ高かったし、読書感想文では県で賞も取った程度の知力はある。

まず、結論を書こう。

「もう作品感想自分で考える時代は終わった」

まり

作品に感動したかどうかを決めるのは自分ではなくなった」のだ。

そういう時代が来た。ないしは来る。

要するに、鬼滅という作品を読む・観るなりして、泣く、キャラを好きになる、続きが気になる、技がカッコイイと思う。

これらの感情を、コンテンツを楽しんだ本人ではなく、最早他人が決めているということだ。

作品評価自分で決める能力が、「俺=新世代=SNS世代」にはもうないのだ。

「なるほど、水の呼吸というのはカッコいいんだな」「なるほど、煉獄さんの死のシーンは泣けるんだな」「義勇としのぶさんの関係エモいんだな」

作品を読む前、もしくは後にSNSサイト情報を取り入れて、上のような感想自分の中から「発掘」し「言語化」する。

そして、自分の中の感情というものを整理し、「俺はこう思ったのだ」と認識する。

これが、現代人が作品を鑑賞し、心中で行われている工程である

「いや流石に作品でよく描かれる、家族の愛とか……そういうのはわかるだろ?」とツッコまれるかもしれない。

それが残念ながら、わからないのだ。最早家族愛は、感情共感の最小単位ではないのだ。

今の世代なら、きっと俺の言葉を少なから理解してくれる。

俺は鬼滅の刃を見て泣いた。煉獄さんの母が出てくるシーンでそれはもう泣いた。

だが、その感情は俺以外の誰かが発露した感情を取り入れて、これは泣けるシーンだと認識たから泣いたのだ。

上の現象、俺だけのことかと思っていた。だが、どうやら違う。現職で小さな子供と触れることが多いのだが、同じことが起きている。

若年期からSNSなどに触れていると、みんなそうなっていくのだ。

(俺はまとめサイト2ch、俺より若い世代TwitterLINE、という違いはあるが)

何故こうなるのか、答えは簡単だ。

俺がどう思ったのかを考える前に、SNSネットにはわかりやす言語化された感想文章映像になって落ちているからだ。

自分でどう感じたか、考える必要が俺達の世代にはない。


まあ、俺達の世代だけの話ではない。

「へーこのシーンってこういう意味があったんだ!」とか、「へーこのシーンの演出ってこういう意図だったのか!」

と思ったことはないだろうか。それが極大化しただけの話だ。

監督インタビュー評論家テキストを見て、みんなやっていたことだ。

作品に対する解釈の補助というのは、評論家という人間に職がある時点で過去から必要とされていたのは確かだろう。

だが、おそらく今、俺達の上の世代が考えているよりも、ずっと事態は進行している。

以上が、1つの事実確認だ。

まり、俺にとって「鬼滅の刃」が面白い理由、それは「俺の視界内の人が面白いと言っているから」だ。

序盤の文章に戻る、1つの反論をこれから行う。

「俺はこの作品が好きだから好きな人意見だけを集める」「俺はこの作品が嫌いだから嫌いな人の意見だけ集める」

といったエコーチェーンバー現象というやつへの反論だ。

新世代は、このエコーチェンバー現象の影響を受けないのではないのか、というのが俺の考えだ。

まりこういうことだ。

「視界内の人間が好きだと言っているか作品を好きになる」のであり、「視界内の人間が嫌いだと言っているか作品を嫌いになる」

エコーチェーンバーの逆であるこちらが、正しい順序なのだ

では、今後何が起きるのか、これが一番重要なことだ。心して聞いてほしい。

おそらく、「作品に対してどう思うか」の感情を先導する人間が今後、より重要視される。

今、SNSでは作品感想を呟いている人間がいるだろう。

まとめサイトでは、匿名掲示板で行われた、作品への感想が打ち込まれているだろう。

おそらく、この流れがもっと明確に商業化され、工業化されていくのではないかと思う。

まり

感情の先導者」が職業的に生まれるのではないか、と俺は考えている。

現在存在する、評論家レビュワーといったものではない。もっとプリミティブな感情の先導者だ。

「○○が可愛かった」「○○がかっこよかった」「アレは面白い」「アレはつまらない」といった感情を、これから代表者綴り

俺達は彼らが思うように、思う。

そういう時代が来るのではないだろうかと考えている。

いや、もしかしたら、もうとっくにそういう時代なのかもしれない。

貴方のお子さんが「何か」に対して抱いている感想、それがYoutuberのものではないと思えるだろうか。

まり、「作品を見て単独で何かを想うこと」が出来る人間が、おそらくは特別存在になっていく。

これが俺の未来への予言だ。

追記

ここからは少し話がズレる。

上の話、最早漫画作品だの、アニメ作品だのに限られた話ではなくなってくんじゃないか

まり、親子の愛から政治、飯の味、天気……事象に対するあらゆる感情を「発露」し「言語化」するための専門職が設けられるのではないかと思う。

俺達は、おそらく他人を愛する、という感想を、他人を憎む、という感想を、他人に考えてもらう日が来るのだ。

いや、もしかしたらもう来ているのかもしれない。世界ITで繋がった。

情報量は爆発した。

もう、人間の脳が処理できる総量を超えているはずだ。

ならば、本当に人は、自分感情自分から発せられたものであると思えるだろうか。

我思う故に我あり。

なんて言葉事実だとするなら、

俺達は最早「我」を投げ捨てながら生きている。

まり存在を自ら捨てていくのだろう。

怖いとは思わない。来たのだ。自分を捨て、他人感情というスープと同質化する日が。

2020-10-22

anond:20201022080221

金払ってやってるのにもかかわらず身体サービス要求しないでやっている善人の俺と増田が思ってるからこその工場行ってみたらへのムカつきなんだろうな。  

増田だってまずは工場、くらい言うと思うよ

最初工場NG理由付きで説明をしたとしても、他人仕事に向かう体力の把握なんてかなり難しいよ。みゆさんは職業的に鬱に詳しい人なのか?    

知識や訓練を習得済みのプロではなく若くてきれいで不躾じゃないを基準に選んでおいてあまりに都合良く望みすぎじゃないの?

2020-10-21

関西人ぶる父親が嫌い

とあるこどに「俺は九州男児から」というくせに、「関西人の俺としては」とかも言う。

そして「これだから九州男児じゃない男は」とか「エセ関西人は」が結論になる。


とにかく俺の感覚が正しいらしい。


他にも「俺は田舎育ちだから~、だから都会育ちのやつはダメだ」「俺は部活一所懸命してきたから~、だから運動もしてないやつは人としてダメだ」等々。


永遠に俺だけがすごいんだぞって話をしてくる。顔を合わせている時は永遠に

いや、父親よ、職業的にも性格的にも人生的にもなにも全然すごくないじゃん。

まあ、そんな性格から出世はできなかったんだろうな。


そんななか、しっかし育ててくれてありがとう反面教師にして頑張るよ。

2020-09-24

anond:20200924163943

職業的ペルソナは生身が見えている上で演じるものから、見る側も演ずる側もその人の容姿の印象に引きずられる。

一方、VRアバターも、ネトゲアバターも、SNSネット掲示板上も、まったく別の姿かアイコンかあるいはそれすら存在しない状態から個性を一から構築できる。

普通の人はそれほど「自分からかけ離れた表現をしようとしないから気づかないだけで、この2次元的な性質ものすごく強力で可能性があるもの

これを従来の「自分」的なものを持たない、そもそも常時オンラインゆえに「自分」が希薄デジタルネイティブ世代が操るようになると、良くも悪くもめちゃくちゃ面白い世の中になりそうだなって話だよ。

アバターを操ることを半ばビジネスにしている人たちを見ていくと、一般人想像を絶するほどストイックにやっている人が多いことに気づくだろう。誰に言われるでもなく。それは、それが理想からなんだよ。俺の理想じゃない。誰かの理想でもない。たぶんミームがそうさせている。でもリアルバーチャルの間に致命的な歪みは生まれない気がしている。吸収して昇華していけるたくましさがあるに違いないと思うんだよ。SFで描かれる世界に首を突っ込みつつあるね。ホロ外装技術が完成したらますます現実バーチャル浸食されるだろう。2045年キズナアイが1億人くらいに増殖してても不思議はない。今ネット2ch語なんJ語をみんなが使うようなノリで、キズナアイの姿と声と思考パターンを借り、ワイに扮するようにアイに扮する人が溢れてもおかしくはない。

anond:20200924162147

2次元的なペルソナは、自分の中に溜まっていく現実的で生々しいドロドロ部分をあえて理性で隠して、ないものとして、抑圧するでもなく不可視化して、アニメ的ないい子として振る舞う理想的知性的な好かれる振る舞いを、キャラというブーストを乗せることで「作る」ことが可能になる、という点が異なる。そして見ている側も、「作っている」ことは理解の上で、その「作ろう」とすることに敬意を払う。そういう世界観

高級店のクレーム担当とかがそうじゃん

次元的なペルソナって言ってるけど目新しいものじゃなくて、ただの職業的ペルソナでしょ

タレントなんかの職業的ペルソナもそれに近いだろ、求められるキャラクターを演じてるし、それを尊重して楽しむって合意があるわけじゃん

 

まあ、妄想を真面目ぶった文章で書くだけのちょい変な面白い人だったんな、増田とかだとガチ勢が混じってるからガチ勢だと思っちゃったわすまんな。

2020-09-20

タピオカミルクティーをやめる店が増えてきた

一時期はどこもかしこもという状態だったのに。

やっとそろそろ一度は飲んでみようかなあと思ったらどこにも売ってないし。

結局よくあるはやりすたりだったのか。

職業的プライドとかそういうのはないのだろうか?

2020-09-02

早口相手を倒そうとする(多様な)人たちに疲れた

はてなブックマークトップページ毎日のように見ていると、いろいろな立場から当事者として意見を表明したり、そうでない人も加わって多様性に関する論争が行われているのをよく見かける。政治的立場人種性的指向ジェンダーアイデンティティ発達障害難病、等々。

多様な立場の人たちがいて、さまざまなニーズがあり、周囲の人々は配慮必要としている。そういうことがわかるのは、おそらく、いやきっといいことなのだ。多様な立場の人々がお互いを配慮しながら共存できるようになればなるほど、社会は強くなっていくはずだから

それは頭ではわかっているつもりでいる。でも最近は、ちょっと疲れてしまった。

多様な立場の人たちが、自分のことについて、相手のことについて、意見を表明する自由はある。

だがそれは、相手完膚なきまでに叩きのめそうという情念をもって、口汚く相手を罵っていいということをただちに意味しないはずだ。

職業的ライターでもやっていない限り、インターネット上に人が書き綴るもの編集を経ていない。情念に任せて書き綴った攻撃的な文章直ちに放出され、拡散され、読んだ人を直撃する。

はてなブックマークトップページには多様な意見が出てきていると思う(左翼的偏向があるという指摘はさておき)。それはおそらく価値のあることなのだと思う。

問題は、編集を経ていない攻撃的なテキストを、こちらの意思では思うように避けられないことだ。

いかにも早口で喋っていそうな、情念に駆られた人の語り口そのもので、論争相手を口汚く罵るテキストが目に入ってしまい、なんというか、疲れる。

暴力的テキストを見かけて、そっ閉じする前に、一定フィルタリングができるようになりたい。

はてなブックマーク自体を見ない方がよいのだろうか。

2020-07-24

anond:20200724174530

いちおう職業的

カロリーを誤認するので、栄養失調で倒れやすくなる。太るよりも、痩せるほうが健康は怖い。

低血糖でぶっ倒れることがあるので、断り書きのない人工甘味料殺人だと思えといいたいが、それすらも、ノウハウなのでいえないよのなかが悲しい。

なぜ人工甘味料健康被害を引き起こすかとかいくらになるかわからんからなきちんと説明できると

 

もともと人工甘味料効果は、カロリーを誤認させて、痩せるというものだが ということは必要カロリーを下回る場合があり(味覚で判断する人生が長いと)

低血糖運転中に、意識が混濁した場合最悪他人を巻き込んで事故が起きるので人工甘味料の表示は、かなりはでにやらないと危険

 

このはなしでも、カネになる話を言うなよっていわれるから、なんかやだよね

2020-07-22

自分職業的に得るものあるかなと思って、商業的な成功例として覇権になってるツイステを遊んでみたけど

増田ではマイナス話題でよく出されるゲームだが、普通に大人気で覇権から何が面白いのか知りたくて興味本位で遊んでみた。

男なので元々ターゲット層外ということでその辺はあしからず

ストーリーをよくよく読み込んでみると、やはり主要人物が全員悪役由来だから

ガチャも回してもらえる愛されるキャラクター」と「ヴィランとしてもヒール行為をさせる」ヘイト管理の両立バランスが難しいのか、

どの章もガランと何か大切な穴が空いたみたいな印象を受ける。章ごとに起こる事件最後解決するが、実質的には何も解決していないのだ。

可哀想と思ってもらうために章ごとに用意された可哀想要員のキャラクターたちは可哀想になったままというか…

また、教訓や寓話理解してる現代人にとっては、どれもただただ自業自得すぎるお話に見えてしまうというか。

でも女性だけ向けのアプリゲームとしては演出がお洒落で丁寧であるし(ディズニー様様かもしれない)、

キャラの中でもラスボスめいたマレウスの登場の仕方を始めストーリー中で個々のキャラクターを知る過程は楽しめた。

でも総評を考えると、ストーリー(というかプロット)がそんなに…となる。

このゲームが大好きで、毎日このゲームを考えてるプレイヤーはどういう部分にのめり込んでいるんだろうといろいろ考えてみた。

ストーリーは未熟だが、キャラクターはどれも親しみやすい設定と突飛な設定が融和して魅力的に思えるし、キャスティングに驚く(こんな声だったのか、という)キャラクターもいた。

題材が題材だし、読める空白や行間が多くていわゆる「考察」が容易なんだろうが、それがこのゲームを楽しんでる人たちが一番好きな要素なのかと推察した。

要はキャラクタービジネスなんだな…キャラクターがよくないと売れないんだろう。(ディズニーでありかつ枢先生を起用してる時点で売れる要素があるのはともかくとして…)

あとはお洒落なところも大事だと思う。そういう趣味でもあるかと思われそうだが、このゲーム流行る前に覇権だと教えてもらった魔法使い約束かい女性向けソシャゲ遊んだが、

衣装がとにかくモードさがあるというか、流行をうまく取り入れてかつリッチに仕上がった服飾ばかりだった。

ツイステの枢先生はその辺に関しても評価が高い漫画家だったろうこともあるし、とにかく小洒落デザインが凝ったものは売れるんだろうな

2020-06-19

放送大学最近聞いてる、精神病現代人の抱える問題についていろんな視点からアプローチしてる話を聞いてると、ネトウヨとかパヨクってのは、思春期に抱えた問題を解消できないままおとなになった人なんじゃないかと思うようになってきた。

認知の歪みや受動攻撃性の説明で、ネトウヨパヨクの行動が大体説明出来る気がした。

DSM4の基準

1,日常的な社会的及び職業的課題を達成することに受動的に抵抗する。

2,他人から誤解されており適切に評価されていない不満を述べる。

3,不機嫌で論争を吹っかける。

4,権威のある人物を不合理に批判軽蔑する。

5,明らかに自分より幸運な人に対して、羨望と憤りを表現する。

6,個人的な不運に対する愚痴を誇張して口にし続ける。

7,敵意に満ちた反抗と悔恨の間を揺れ動く。

らしい、攻撃性の高い増田やツイフェミアンチフェミ等含めて当てはまる人間匿名フィールドに多いように思える。

2020-06-12

教師なのにギャルゲーにハマった

非モテだったので、今はダメでもカタい職業に就けば30歳ぐらいまでに結婚とかできるぞ、と思って、結局なんだかんだ成り行きもあって教員になった。

女性も多い環境職場婚は年数軒必ずあるが、根暗陰キャ運動音痴で悪目立ちばかりするコミュ障仕事バリバリ出来るわけでもないので相変わらずモテないままもうすぐ30歳になる。

既に窓際族予備軍でさえある自分コロナ休校で暇になってしまったので、暇つぶしになんかゲームでもやろうかとなんとなくギャルゲーに手を出したらハマってしまった。もう現実世界女性とは選択肢なしでは話せなくなりそうだ。

高校生同士がパコパコするなんて職業的には超アウトな話なのにギャルゲーだとエモい。つらい。

このまま自分がどこに向かうのか分からなくて不安になってきた。

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