結局家族制がある限り「他人より有利に子育てしたい」って願望は消えないじゃん?
正社員になって十分な福利厚生の恩恵にあずかりたいという欲望、夫婦2人十分な収入を得た状態で子育てスタートさせたいという欲望、子供の競争を有利に導く形質(容姿や頭脳)を遺伝させたいという欲望、子供に潤沢な文化資本を与えたいという欲望、保育園併設のタワマンに住みたい、幼稚舎受験させたい、etc……
こういう欲望を前提として恋愛自由主義という名の優生思想が回ってる(自由恋愛自体が優生論の文脈で日本に持ち込まれたことに関してちくまから本が出ている)以上、いったん人間から子育てを取り上げないことにはルッキズム・メリトクラシー敗者の男女にはどうやっても挽回の目がないと思うのね(まぁ、キモカネ女性は子育てに巻き込まれないほうがもしかしたら幸福度が高いかもしれず、似たような境遇の男女間にある「救済しろ」という声の大きさの互いにはそれが関わっているかもしれないが……)
これらの欲望自体は社会によって規定されている部分があるから、ある程度は再配分によって是正されるかもしれないが、かと言って社会構造がすこし変わったところで結局「競争に有利とされる形質」がすこし変わるだけで競争自体の生み出す苦しみは避けられないと思うのね
子育てが、生存が、競争だから苦しいのよ(それを調整するのが修正資本主義の政府の役目だとは思うが、まぁ、現状はご覧の有り様で……)
特に男性の言う「生きやすさ」に「子孫の残しやすさ」が含まれてるとしたら、たぶんただ再配分するだけで救済されるとも思えないよね、ただ多少金を持たせて「選ばれやすくする」ということしかできないんだから(そしてこちらを選択すると相対的に女性が貧しくなり、男性へ、家へ、子供へと縛り付けられていき以下素敵な無限ループ)
そんなことをつらつら考えてみて、あてがえ論とか女性の自由意志の尊重とか、そんなことでヤイヤイやり合ってもあんまり芯を食ってる気がしないなぁってずっと思ってんのよ
家族制ドリブン、子育てドリブンの欲望が、つらい競争とその結果の格差を生んでるんじゃないの?
まぁこの辺はもうすでにマルクス主義で通った議論ではあるし、かなり赤い主義主張であることは否定しないんだけどさ……
たとえば国民は求められたら卵子や精子を提供する義務があるだけで、子供は国が勝手にAIで多様性を保持しながらマッチングして作って、知らないところで職業的に子育てや教育に従事する人々が育てて労働人口として送り出す
整形当たり前だったり、バーチャル空間で望みのVアバター纏って生活するのであったり、方法は問わないけど、生まれ持った見た目や能力を問われない世界であれば、ただパートナーとして共に生きていくことを選択するハードルは「友達になる」程度には大きく下がるんじゃないか?(この辺は希望的観測であり、コミュ力はどうしても必要になるだろうからなんか自分で言ってても厳しいような気がするが……)
こうなってくると過去のSF文豪たちがディストピアとして警告した世界そのものではあるんだが、労働人口を確保せざるを得ない以上、競争による過度な苦しみは避けるにはこうなっていくしかないと思うのよね
個人的に、どうやっても「今生きてる人間のために次の世代の人間が労働してくれることが必要な世界」では、この選択は俺は別に悪くないと思う
いつかこの苦しみの連鎖を技術が止めてくれることを願ってる(が、多分資本主義の世界からはその技術は生まれないだろうと思う)