はてなキーワード: 職業的とは
https://lady-joker.hatenadiary.jp/entry/2020/03/21/072217
はじめにいっておくが、私もワニの拙速な売らんかな主義は気に入らない。それはおそらく「お人形だと思っていた異性に性器が生えていた」ショックと似たようなもので、私の気質以上の理由はないのだと思う。
そういう意味では
そこで「金」と答えられるのは、私の価値観では嫌だ
には同意する。
だがそこ以外はすべて同意できない。
私は物語の力を信じている。フィクションが人を支え、鼓舞し、規範となり、揺さぶり、人生に決定的な何かをもたらす効力があると本気で考えている。
この言葉に嘘はないのだろう。
そして嘘がないゆえに過っている。
キャラクター(の死)を現実の人間(の死)と等価に扱うのは内心の自由であり、それはいい。
ならばなぜ、「キャラクターを現実の人間のように思いやること」をやれているのに「現実の人間そのものを思いやること」はできないのだろう。
作者はワニが死のうがなんだろうが何ら痛みを感じておらず、飯の種、名声へのステップくらいにしか思っていないでしょう、そこがもうヘドが出るくらい嫌だ。
恐れながらきくち先生がそのような趣旨の発言をどこかでなさったのでしょうか。きくち先生にしろ「広告代理店の連中」にしろ「要はフィクションを信じていない、フィクションによって支えられていない人間」だとする根拠は?
むしろ、フィクションを信じていないとああいう物語を100篇描いて毎日投稿するなどできないのでは? 人の人生は物語ではないし、それをやさしく見守る読者のような天使も実在しない。読者の反応を受けとめつつ、テーマにそった物語を書く。それも命に関係にする話を。それはまさに「フィクションを信じる」以外のなにものであるだろうか。
「広告代理店の連中」に関しての不信感は正直共感する。だが、世間に流布しているイメージそのままに彼らを悪魔化することはすなわち「現実の人間をフィクションのキャラクターのように扱っている」ことにならないだろうか。
フィクションのキャラクターは世間でのイメージと実際に接したときのイメージが一致する(というか、それらの差がない)。しかし実際の人間はそのシンプルな原理がなかなか通用しない。
特に「職業的なイメージ」で語られるときほど実際とズレることはない。
なぜ現実の人間には内心や人格がないと思いこんでいるのだろうか? フィクションと現実の区別がついていないから?
作者が、自らがクリエイションしたキャラクターに思い入れ、その死と向き合い、自然と湧き上がってくる弔意とのバランスを取りながら物語を紡いでいるのが伝わってくるのなら私はすごく共感
繰り返しになるが、作者が「自らがクリエイションしたキャラクターに思い入れ、その死と向き合い、自然と湧き上がってくる弔意とのバランスを取りながら物語を紡いで」いないとなぜ断言できるのか。
100日目の「死者への敬意のない」扱いを見ればわかる?
それはあくまで外形的に現れる事象を見てあなたが”そう”感じたにすぎない。
描かき方が下手、売出し方が下手、それらはすべて技術の問題だ。
なぜ他人のせいにするんだろう。
単に「起こっている現象が気に食わない」なら、それが気に入らない自分と向き合えばいいだけだ。なのに、いや作者が公式が人格的に最悪だからという問題に持っていってしまう。
クレーマー気質のオタクにありがちなのだが、起こっている出来事から勝手に作者(芸能人とかでもいいよ)のお気持ちを推測して、その自分が作り出した仮想のお気持ちをあたかも現実のように捉えて勝手に涙したり怒ったりする。
なんなんだ。
怖いよ。
言語化にこだわるあまり、人間として捉えるべきはずの対象を悪魔に変えてしまう。
なんでも殺せるようになるから。
蛇足。
トーチとか毎日開いているリイド社の熱心なフォロワー諸君なら、きくち先生がその才気に比していかに不遇をかこってきたかはおわかりのことと思う。
私は『スーパーどうぶつ―ズ』がミリもおもしろいと思ったことはないけれど、ああいう誰もベットしないようなポジションから有馬記念の一番人気にハネあがったのは、なんだかいいなあと思います。
それもまた物語ではないですか。
それ聞いたときはあ〜?って思ったよ。
私そのとき将棋なんて1ミリも知らんかったからね。職業的にはプロ棋士よりAIの方が親近感わいてた。
そのあと会社の先輩が酒の席で将棋を教えてくれて最近ずっと将棋やってる。
羽生さんの懐疑的っていうのは多分わかってないんだけど、一つ分かったのは将棋って本当面白いんだよね。
例えば野球で200キロだすピッチングマシーンとそれを場外まで持ってくバッティングマシーンが出来たとしたらめちゃめちゃ楽しい。楽しいけど、それ全然別の競技じゃん。正直そんなに楽しくないんだよ。すごい機械だなってなっちゃう。
人と人の将棋、めちゃめちゃすごいよ。
100メートルでビビるくらい早いやつとか、とんでもない筋肉のボディービルダーとか、人間じゃない動きするフィギュアスケート選手とか、そんな感じ。
あ、あと今のAIも奨励会が作ったようなもんだと思うんだ。作った人から怒られそうだけど…
それからね、AIで勉強すれば勝てるとみんな思うと思うけど、AIで勉強するってことがもはや希少な才能かも。手を読むとき、何百何千パターンあるんだよ。私のiPhone、ヒントだすために2秒かかるからね。あんな簡単な仕組みのゲームで2秒だよ。それを人間が計算できるわけないよ。
思うに、そのiPhoneの2秒を我々の2秒に変換してきたのが将棋の達人たちだったんだと思うんだよ。
その思考の方がよっぽど大変じゃない?限られたリソースでどう処理するか。
私のYouTube同期はプロ棋士いとしんの嫁ぴーだ。最近ピヨ将棋で一番弱いやつに勝てたらしい。私は勝てたぞ。毎日やってるからな!無職の特権じゃ。
ネット発で独特な低めの視点から発言を繰り返し、単著を出したらネット上ではわりと時の人扱いになって、本人もわりとその気になっているらしい感じなのだが、プロの物書きとして身を立てていこうとするにつれて、どんどんつまらなくなってしまっている書き手がいる。
どうしてこうなってしまったのだろうか。この人の創造性が痩せ細っていく過程を他山の石として考えてみたい。
自らを繊細で、あいまいで、弱いが、やわらかい知性があり独特の視点をもった書き手として売り出していくことは、諸刃の剣なんだろう。
その人の発言が書籍化されて、広い範囲の人々の共感を得るにつれて、書き手はもう弱者ではなくなってしまう。
自分の発言の根拠を自分で掘り崩してしまうというか、読者から共感を得ていた理由を自分自身で消去してしまう。受けていた鉄板ネタがなくなってしまう。書くことがなくなってしまう。
そのことを自分でも気づいており、年を取るにつれて独自の視点が失われてしまうので、これまで何者でもなかった自分というあいまいな状態を脱却して、プロの作家として身を立てようと、クリエイティブなクラスタとの付き合いに移行する。
そうすると、自分を書き手たらしめていたある種のアマチュアリズムがますます失われてしまうので、自己イメージとしては作家であろうとしても、書くことはもうない。
自分のコンテンツが痩せ細っていることは自覚していながらも、自己意識としてはすでに作家なので、イベントをしきりにやったり、書いたものにペイウォールを設けて読み手に課金させようとするが、周囲の人間は興ざめしてしまって離れていく。
創造性とは、予期していないときに突然与えられる恩寵のようなものなのだろう。
さまざまなものを吸収していながら、それを外に出そう、売りに出そうと思っておらず、暇になったときに、不意に面白いものができることがある。
そんなふうに、泉が静かに満ちて滴り落ちるような瞬間を待つことができないのなら、もう覚悟を決めて、職業的に、自分を毎日油種のようにして絞り上げて、書くしかない。
どちらもできず、自分はオリジナリティがある、自分はほかの人がない物を持っている、と思って、クリエイティブな人と付き合って、自分もクリエイターになった気持ちになっているだけでは、なにも生み出すことができない。
僕は早川聖来が嫌いだ。正確には苦手だ。タイトルでインパクトを与えるためにすこし盛りました。気を悪くされた方、すみません。
僕は早川聖来についてほぼ知らない。彼女についてはブログを何本か読んだり、乃木中で何度かみたくらい。そんな僕は乃木どこ乃木中を毎週見てるくらいの、握手会には行ったことがなく、ライブも数回だけという「にわか」と言われてもおかしくない存在。でも、どうしても彼女のブログを読んで違和感を感じたので、彼女のことを分析してなぜ違和感を感じたのか、苦手なのか書いていきます。ファンの方は気を悪くされるかもしれないので見ないことをオススメします。ただ一方的に薄っぺらいことを言うのはただのアンチなので、逆の意見も考えて、()の中に書きました。なので読んでて違和感あるかもしれませんがご了承を。あ、あと「苦手ならブログ読むなよ」ってのは本当にその通りなんで何も言えないです。
それでは箇条書きで書いていきます。
・なんかブログの言ってることが嘘くさい。
良いアイドルを目指そうとしすぎて信用できない。言わなくていいことまで言っちゃってて、良い子アピールがきつい。そして媚びへつらってる感じが無理。というか媚の売り方があからさますぎ!表面上ただ好かれたいんじゃないかと思ってしまう。もっと本性表わせよ。って2919.02.04の重いかな?のくだりよんで思いました。
(でもファンの人に好かれたい、多くの人に愛されたいって思うのはアイドルの職業的にしかたないのかも)
・多くを語りすぎ!
つべこべ言わずまずはやれや!努力見せんな!まだ何にも成し遂げてないのにアピールが多すぎ!努力は成し遂げてから少し見せろ!努力と今の自分の見え方(私が目についたTVで見た限り)があってない!意識が高すぎる!アイドルに意識の高さはいらん!かわいさだけでいい(主観です、持っててもいいけど出されるときつい)!
(謙虚だから自分がやったことを多くは語らない性格だとしたらごめんなさい。何を考えているかも大事だけど、それだけだと重すぎるから何をしたのかも語ってくれるとライト層も理解しやすい。というか勿体ないからもっと発信してほしいよね伝わらんから。もしやってるなら。)
・成長したい、頑張らなきゃ言いすぎ
どんだけ上目指してんだよ。今の自分受け入れなさいよ。それが今の実力だよ。何、私もっとやれば努力すればできます感出してんだよ。今の実力まず受け入れろよ。そうじゃないと応援してくれてるファンに失礼だろうよ。
(でも焦りあったりアイドルという世界じゃ今の自分のままではダメだと思うのも仕方ないのかも)
1期生の生駒ちゃんが卒業後に『メレンゲの気持ち』で、『自分の命をかけても守りたい人達ができた』といっていた。その言葉に泣いた。行動がともなってるから。
でもそんな私からしたら、4期生の子が先輩よりも熱く、乃木坂側で乃木坂のことを語ってほしくないって2019.1.13のブログを読んで思いました。久保ちゃん、矢久保ちゃんみたいにファン側から乃木坂愛を語る分には全然いい。むしろファンと同じ気持ちになってくれてて嬉しい。そうじゃなく、薄っぺらい(舞台やライブみてないので私の見る限りです、すみません)経験で、乃木坂側で乃木坂については少しも語ってほしくないです。そんな安っぽいもんじゃない。自分のために語ってるようにしか見えない。その自分語りに私の大好きな乃木坂を利用してほしくない。
(自分の好きなものを語り、熱くなって客観的じゃなくなるのも分かるけど)
あとわざとらしい関西弁が無理とか、顔がなんか無理ってのは主観的なのでとりあえず排除します。それはどうしようもないので。ファンの方本当にごめんなさい。
ただ、全部が苦手ってわけじゃなく、乃木中のヒット祈願で登山をした際に、バナナマンに頂上の空気を持ち帰ってプレゼントしたのは、良い子だなって思ったし。(これはアピールじゃないと何故か感じた)良いところもあると思うんです。
箇条書きで書いてきましたが、以上をまとめると、
そこまでして愛を見せないと好かれないと思って、頑張ろうとしている姿が過剰で腹が立つ。
あれ?なんでそんな姿をみて腹が立つんだろって思うと、あれですね、おそらく過去の自分をみているようで腹が立つんでしょうね。
僕は人の顔色伺って常に誰かに嫌われないように、人の正解にあわせて生きてきました。(今では本当に人の目なんてどーでもいいです。だから批判覚悟でこのブログ書きました。匿名ですけど)
なので、そんな過去の自分のような彼女に、もっと嫌われてもいいって思えよ!覚悟決めてアイドルやれよ!と思ってしまうんでしょうね。
結局のところ、過去の自分を受け入れられない今の自分の弱さが、原因なのかもしれません。っていう結論になりました。なんだこれ。
(アート)
【おめがばーす】
Omegaverse
男性・女性の他にそれぞれアルファ・ベータ・オメガという三種類の性がある世界設定。
これにより、計6種類の性別が存在することになる(アルファ女性とオメガ男性は両性具有)。
正式名は「alpha/beta/omega dynamics」。
狼などの群れを作る動物の行動や社会を人間社会に当てはめたものがベースとされている。
数が少なく、生まれながらのエリートでリーダー・ボス的な気質を持つ。社会的地位や職業的地位の高い者が多い。
アルファ女性には精巣と勃起すると陰茎状にまで変化する陰核があり、他の女性やオメガ男性を妊娠させることが出来る。
最も人口が多い性。
オメガ男性は子宮と同じ機能がある生殖器があり、 発情期にアルファやベータなどの他の男性やオメガ女性と性交し妊娠することが出来る。
確かにそれはそうだし、そうなってくるとやっぱり彼らを搾取せずに十分な給料を出し、職業的な受け口となるなら社会貢献にもなるわけで、そうするためにはアマゾンは配送費をきちんと捻出せねばならず、そしてアマゾンの利用客は配送料やお急ぎ便に対してアマゾンがそれを捻出できるだけの対価を払わなければならず、結局のところより安いものを求める利用客が一番の悪の枢軸であるので、金は相応に払うので末端の配送員に対しても搾取をやめろさもなくばアマゾンで買い物しないという表明をすることが一番の解決策なのではないか。それをせずアマゾンの利用客であり続けるのは搾取構造に加担していることになるのではないだろうか。俺は加担し続けるけど。
これからの人生を考えると仕事しなきゃ。って思うのに、求人見て情報収集してやった気になってる。
外に、人前に出れない、接客業とかそういう事じゃなくて、面接で既にハードル高い。職業的には何がしたいのかがわからない、なにに向いてるかもわからない。でも何かしなきゃと思う。
とりあえず、昔でいうところのヘルパー2級はもってるから介護系なら。と思うけど…。自分なんかが役に立つのか。とか、どうせすぐまたちょっとした事にパニックおこして辞めてしまうんだろうな。という気持ちになる。
あと、介護の仕事は介護側の人間が好きじゃない。利用者に対して対等であるべきなのに、だいたいどの施設も利用者を、自分より弱いものを見下してる。仕事中は元気に振る舞うけど、私だってどちらかと言えば介護される側の人間に近い精神状態なわけで、それがバレたら哀れまれて、優しいオブラートで包んだマウントをとられるのかと思ってしまう。
貰える限りずっとなまぽにすがっててもいいけど、それはそれで日々生きる価値を探してしまう。
やりたい事とか、好きなこととかもない。したいことがホントにない。強いていえば、減量。色んな数値やドクターの話的に。でも、自分の中で痩せることは、マストではない。醜いよ。そりゃ痩せた方が自信もつくだろう。カラダも調子よくなるだろう。でも、「痩せなきゃ」というスイッチも入らない。
「どうせ無理」というのが先にくる。実に生けるクズだと思う。
遺伝的に知能が高かったりすると中卒人生に向いていないのかもしれない。
ヤンキーで進学する気がない
などを筆頭に、親が宗教にハマッっていたり人格障害で荒れていたりすると小学校すらちゃんと通えていなかったりもする。
成人してある程度自由を得ることで、やっと人並みの努力ができる状況になる人もいる。そんな人はとりあえず根性がある。
根っから性格が破綻していなければ、常識がなくても世間に揉まれて最低限身につくし、コミュニケーションだって人並みに取れるようになる。
そこまで行って軌道修正できた後におかしな方向に進む人もいる。バランス感覚を身に付けることが出来なかったタイプ。
経験と知識が著しくアンバランスなのが自然体で、それを自覚する機会と縁の薄い生き方をしている。
学歴コンプを原動力とした知識欲なのか、あれこれインプットしては物事を拡大解釈する。その先には自己完結。
そして、それを仮説にとどめるブレーキが緩い。
学歴コンプがなければ、知識を糧にしようと背伸びして人と摩擦を起こしたとしても、「頭がおかしい」のような事を言われるだけだと見えない評価の予想ができるけど
学歴コンプが強いことで「中卒であることを馬鹿にされている」と受け止める部分があり、反発心と妄執で更に知識を求める。
知識欲が自己啓発やスピリチュアル、心理学に向かうと手が付けられなくなったりする。
「それらは多くの人が年頃に一度は興味を持ったりするもの」という観点が無いのか、救いを求めて手を出しているからか特別視していたりする。当人は特別視はしていないつもりで。
そういったものの危険な面を表面的に理解しつつも、経験が伴っていないため安全装置的なカンが鈍く深みにはまる。
学歴コンプを跳ね除けるべく努力した先が、頭でっかちの理想家。
ボキャブラリや見聞きしただけの観点ばかり増えてしまい、いわゆる『自分の考え』はほぼ空論
社会や他人の問題に対して、知的な振る舞いで問題視することが趣味になり、そうして自身の負い目を間接的に慰める。
「言う側」に立つことで精神の安定を保っているのかもしれない、エゴが肥大することを代償にして。
不都合な実態を他人の目から隠しても、自身はそれと常に付き合っている。
そうして、言行不一致による矛盾が増えては誤魔化すことを繰り返し、普通なら感じる限界の先に行くと巧妙な開き直りを思いついてしまう。
それは麻薬中毒者が幻覚の規則性を見抜いた錯覚のようなものだけど、乏しい経験に加わる「発見という経験」は正解に感じやすい。
そんな狂った感性を生産的な方法で昇華する手段、職業的なモノサシでも持っていないと、次のステージに進んだことにも気づけない。
良かれと積み重たものは、妄執に振り回されて行った一夜漬け的な努力の塊で、そこから生み出されるエピソードが
名誉職のグレードだけ部長とかではなくって、本当にラインの部長。
私のポストは、だいたいどこの会社でも執行役員を兼ねる部長がやるポストですが、残念ながら私は役員にはまだなってません。
上場ゴールみたいな会社ではなくて、時価総額だと相当上位に入る、誰もが知る大企業です。
で、さて、誰にも言えないんだけど、私は次に書くようなことをやってます。
どれも間違いなく職業的にはアウトなんだけど、一番どれがヤバいと思いますか?
ブックマークかリプで教えてください。
(1)株式の個別銘柄で資産運用してます。総額だいたい5000万くらい。
インサイダー取引はしていませんが、会社的には個別銘柄での運用は禁止されてます。
(2)ツイッターでぶっちゃけ話をしています。フォロワーはだいがい5000人くらい。
会社の機密情報は漏らしていませんが、口外してはいけないくらいの話はかなりしてます。
経費の流用とかはしていませんが、毎月30万円はデートとお手当に使っています。
はじめて匿名記事を書く。身バレ防止のためフェイクが入っているが、僕の悩みを聞いてほしい。本当に困っている。
自分は最近ある業界に興味を持ち、その業界でも結構有名な企業の会社説明会に行くことにした。
偶然、その企業には自分の知り合いが働いていた。その知り合いとは1年前くらいに知り合った。最初は普通に連絡を取っていたが、最近は疎遠になっていた。
最近たまたまその知り合いのSNSを見たところ、何と僕の悪口が書かれていたのだ。
「しょうもない人間のくせに。面白くないのにしゃしゃり出てくるな」
「図々しくて大嫌いだ」
等々。
自分からの応募メールを見て、他のスタッフの前で僕をこき下ろした様子が書かれていた。
僕はビックリしたし、とても悲しくなった。僕はその知り合いを友達だと思っていたし、好きだった。
だが、少し経つと不信感でいっぱいになり、やはりそのようなことを社内の人間に話すのはおかしいと思った。思うのは勝手だが、誰でも見える形で書いている事も不快だった。残念なことに「嫌いだ」と言った時にウケたとも書いていた。
僕は色々考えた結果、その会社へこの件を報告することにしたのだ。
まずは、その部署のトップへ連絡しようと思い、トップの人へ直接メールした。
メールの内容は、知り合いがSNSに記載していた内容と行動についてどう思うかだ。その知り合いの名前は出していないし、SNSのアドレス等も記載していない。僕の身分は明かした上で送った。
その会社は特殊な事を売りにしており、人の個性を大切にしている印象だった。だからトップが、ある意味人の個性をこき下ろすようなことを言う人間についてどう思うのか知りたかった。
しかし、困ったことに返事が来ない。見た様子もない、忙しいのはわかっているが段々と辛くなってきた。更に上に報告するか迷っている。
もうその会社と関わらない方が良いとも思うが、自分の職業的になかなか難しい。しかも、その会社はわりと大手だ。(知り合いはバイトのようだが…)
会社説明会の応募は済んでいるし、断られてもいない。今は行くかすら迷っている。ただ、行って直に見てみたい気もする。
この記事を見た方、もし良ければ知恵を貸して欲しい。本当に困っている。
青山を批判する人権派()な方々が多いけど、実際自分のとこにきたら嫌だろ?別に物理的に脱走が出たりモンペが近所で暴れたりとかそういうことを懸念しているんじゃない。
エリアとして「ここはこういう建物があっていい場所なんだ」ってなるのが嫌なわけで、オウム真理教のビルみたいな偶発的な事故とはわけが違う。
社会の暗部を受け入れる施設があることによってなんとなくエリア全体のイメージが変わってていきどんどん経済的・職業的・その他諸々エリアのハイコンテクストだと思っているものが
変遷するのが嫌だ、ってのはそんなに叩かれることかね。最近なんでもかんでも自由とか人権の名のもとに社会の成り立ちをないがしろにしすぎなんだよ。
芦屋にパチンコ屋が一軒もないとか武蔵小杉に住民が殺到とか白金高輪のドンキがオシャレな装いにしているとか、そういうのとせいぜい同レベルの話なのに、
なぜ児相×青山の組み合わせがこんなに叩かれているのか。流れてくる住民の言動にも問題はあるが、結局ポリコレが行き過ぎて持たざる者が「持つ者とはこうあるべきだ」みたいな
勝手な理想を押し付けているだけで、実際住民を叩いている奴らも児相にどちらかというとマイナスのイメージを持っているんじゃないの?んで
「でもそれを受け入れる余裕のある社会!かっけー!そうしない奴らは時代遅れ!」みたいに生き急いで、Windowsアプデみたいにどんなに中身がクソでも価値観アップデートしないと死んじゃう病にかかってるんじゃないの?
そんな価値観のアップデートを必要としない人にとっては関係ない人から色々言われるのはただのノイズなわけで、別に今何も困っていないし今の雰囲気込みでこのエリアが気に入っているのに古い人種wとか貶されても知らんわ、っていう。
叩いている人はもっと自分の人生を経済的・精神的に余裕あるようにして生きることに必要な情報以外はノイズとして相手にしない生き方をしないと、莫迦にしているような青山住民にすらなれず妄言を垂れ流す機械になっちゃうよ。
あれは女子が取り分けることを禁止したいわけじゃなくて、女子が取り分けるべきという暗黙の空気みたいなものをなくしたいのではないかな。
この『空気』を禁止せよ!って、一部の人達が好きなんだけど。どうやって禁止するんですか?と。内心の干渉をバリバリやりたがっているんだよね。
セクハラの判断とかもそういう内心への禁止が入ってきちゃっててヤバいと思うんだけれど。セクハラに当たるような意思表示をして、相手が拒否した時に職業的な力関係を背景にした陰に陽に脅しをするのはダメだけれど。先回って意思表示自体を出来なくしようとする意見が多いのが怖い。「その時拒否しなくても、相手がセクハラと感じたらセクハラ!」みたいな被害者の心の救済と、罰を与えようとする動きがゴチャゴチャになっている。
弱い女がやるんだから…って曖昧歓迎しているけど。全くその時は拒否していなかった人に、後から振り返って告白すれば罰を与える事を可能にする事に賛成する人が多いのは怖い。
新幹線の中でこの旅行記を書いて、ふと現在位置をチェックすると、もう九州に入っていた。
乗車時間については聞いていたが、やはり驚くべき速さで、下関も関門海峡も気付かずに通り過ぎてしまった。
また、速さ以外の感じるのは乗り心地の良さだ。
高速バスはもちろんのこと、国内線の航空機を比較対象に含めても、この余裕と安心感は飛び抜けている。
北海道新幹線は時間と費用で航空機と勝負になるのかという議論があるが、新幹線に乗っての感触は「札幌まで延伸すれば、これは勝負になる。
13:27
人生で初めての九州、博多駅 新幹線の到着ホームは空気が暖かかった。
同じ日本でも、ここまで南に来ればやはり気温が少し違うらしい。
博多の駅を降り、駅ビルを歩いていると目に飛び込んでくる福岡ソフトバンクホークスのタイアップキャンペーン。
昨日まで、水族館ですら広島カープ関連の掲示をたびたび見てきたので、日本シリーズのタイムリーさもあって面白かった。
それにしても、駅ビルから繋がるフードコートで、すでに豚骨スープの匂いがする。
フードコートを前にしているから当然なのだが、なんだか「ほれ、食ってけ食ってけ」という食べ物の圧が強い。
美味い。
民泊自体初めてだったし、宿泊施設から離れた事務所でチェックインの手続きをするのも初めてなので「施設や手続きでハードコアな面がある宿だったらどうしよう」と少し不安になる。
少しだけ所在に迷った末にたどり着いたチェックイン事務所は、想像していたような「マンションの一室で鍵を渡される」という怪しげなものではなく、スマホ用アイテム売り場の様な今風のスペースで、20代前半と思しきスタッフがPC画面やスマホを覗いてチェックイン手続きについて説明するライトな雰囲気だった。
重苦しさもない代わりに重厚さも感じられない空間に、逆の意味で不安になる。
チェックインについて説明してくれたのは、小柄でマッシュな金髪の青年だった。
ホテルマンの職業的柔和さのカケラもない伏し目がちの説明に「大丈夫かな?」と一瞬訝しんだが、説明に不明瞭な点はなかった。
と、自分のすぐ隣で、別の宿泊客に対して、スタッフが早口の韓国語で宿泊システムを捲し立てている(様に聞こえる)。
ネイティヴでないとあり得ない流暢さだ。
民泊の宿は外国人に人気の様だが、そうか、この宿は運営も韓国人スタッフによるものなのかもしれない。
金髪の彼も実は韓国人であるというなら、日本語の説明に職業的ニュアンスがなくても何となく納得だ。本当のところはわからないが。
ともかくこれ以上は宿に行ってみないとわからない。
スマホで決済を済ませた後、彼から鍵の扱い方や諸々の注意をきき「はい、よろしくお願いします」という別に意図したわけではないが実に日本的な挨拶をして部屋に向かった。
宿に到着し、実物をみて驚いた。
事務所での説明で聞いてはいたが、部屋はロフト付きワンルームで、バストイレ別、キッチンや洗濯機まである。
1泊当たりは9,500円ほど。
昨夜の宿に比べれば2.8倍ほどのお値段だが、貸与された空間は5倍はあり、リラックス感については比較にならない。
いや、前の宿が悪いというより、今まで体験した全ての宿泊施設の中でも次元が違う気楽さと安心感だ。
民泊について色々法的な難しさもあり、ここもそう言ったところにクリアなのかどうかは分からないが、この宿泊スタイルの需要の存在については確信めいた感覚を持った。
17:00
宿でシャワーを浴びた後、食事をする為に最寄りの繁華街、天神に向かう。
宿泊施設とはいえ民家なので住宅街にあり、駅までやや遠いのだが、全く問題は感じない。
降り立った天神駅前は、仕事帰りのOLやビジネスマン、学生で賑わっていた。
天神では、BRUTUS 2018 7/15号 「福岡の正解」のレコメンドに従って、魚定食の「味の正福」で夕食を取ることにした。
少し探した後にたどり着いたそこは、写真では厳粛な料亭の如き写りようだったが、実際は素朴で親しみやすい小ぢんまりとした店だった。
写真にまさに写っていたカウンターに案内され、「銀だらみりん定食」を頼む。
広島、博多では「機会あらば食ってやる」という気持ちで旅立ったが、地域名物巡りでありがちな炭水化物攻勢にやや疲れてもいた為、柔らかで滋味深い魚定食は有り難かった。
と、しばらく銀だらを突いていると、カウンターのなかで忙しく動き回る大将が、女性客の料理の味に関する素朴な疑問に、料理工程のコツを講釈する形で答え始めた。
曰く、だし巻き玉子は水分を入れすぎると調理が難しくなること、ふんわり仕上げる為に弱火はほぼ使わない事、返す時に卵の破れを防ぐ為に火を止めるなり遠ざけるなりした方が確実である事。
いい事を聞いてしまった。
今後活用していこう。
味の正福を出て、夜の天神の街でもう少しグルメを探そうかとも一瞬思ったが、まだ19:00前とはいえ魚定食で丁度いい具合に腹も膨らんだし、初日のバス移動で悪化させたのか以前に痛打した肘が痛んできたので、ドトールで少しだけ甘いものを食べながらこの旅行記を書いた後、宿に戻ることにした。
半端な時間なので、夜遅くにまた腹が空きそうではあったが、コンビニによってカップ麺でも買えば大丈夫だろう。
旅行にいってホテルでカップ麺を食べるというのはどうも侘しい感じがしないでもないのだが、何故かそれが行われるのがワンルームの部屋だと、むしろ癒しのリラックスタイムの様に思える。
ひととき緊張感からも解放されて、明日また、思う様 福岡の姿をこの目で確かめよう。