はてなキーワード: 最愛とは
自分と妻は大学時代の同級生で、学生時代からお付き合いし紆余曲折あったが20代半ばで結婚した。
現在はお互い30代半ばを過ぎている。
で、コロナ禍で在宅勤務をしていたらふとしたきっかけで妻が不倫をしていることに気がついてしまった。
問いただした結果、浮気相手と再婚したいから離婚してくれと言われている。
自分にとって妻は最愛の人だ。今までも大切にしていたし、これからもずっとそのつもりだ。
しかし妻からすると俺の日頃の行いが積りに積もって気持ちが離れて行き、結果として浮気そして離婚に繋がるのだと言う。
浮気された上に自業自得だと言われ、端的に言って気が狂いそうだ。
次に離婚という結論を相談もなく突き付けられたことに狼狽している。
何もかもが変わってしまうし、何よりも子供達はどうなるのかと聞くと、
彼女の持論として以下のことを言われる
・子供達にとってのパパとママの関係はこれまで通り続けていけば大丈夫
・親が離婚をしても子供が不幸になるとは限らない。離婚した後にどうするかが重要。
俺としては、最終的に子供が幸せになるかどうかは親が離婚しているかどうかとは関係がないというところについては同意だが、
それ以前に母親が浮気をして離婚するという事実に自分の小さな子供が傷つくということがそもそも許容できない。
妻と話していると、離婚することが子供に精神的な苦痛を与えることになるということをリアルに想定できていないのではないかと感じる。
離婚で子供が傷ついたらどうなるのかという事象はすっ飛ばして、傷ついてもそのあとのケアが重要だから大丈夫だと、傷つける側の立場の人が言っているのが怖くて仕方がない。
結局は自分の欲望が優先で、子供のことを軽んじているのではないかと思ってしまう。このことについては憤りを感じる。
妻が家を出て行った原因を最後に話したい。
離婚を切り出したのは妻であるが、妻はいわゆる有責配偶者なので妻から離婚をすることはできない。
そのことが妻にとってストレスになっている。
妻からすると、
・妻が子供の親権をとって新しい夫と暮らすのが本当は最善だと思っているが、そうはしないであげてるのに同意しないのはおかしい
・結局何を話しても離婚に同意しないでいつまでも私を解放しないつもりなんだろう。いつまで苦しめるつもりなんだ。
ということになっている。
それでついつい、お前も確かに苦しいのかもしれないけど、俺はずっと苦しいし死にたいよ。なんでずっと被害者面なんだよ。一番の被害者は子供達だろ。みたいなことを言ってしまった。逆効果で、もう耐えられないと言って一人で出て行ってしまった。
不倫相手の男はアメリカ人で投資会社に勤めている多分金持ちで、コロナの影響で妻とはずっと会えないでいる。コロナ前は日本企業への投資活動の一環で月イチくらいの頻度で来日していたようだ。俺たち夫婦に子供が出来てから育児で妻が疲弊したり、それと同時期に仕事面でも妻の責任が重くなったりしてなかなか精神的な余裕がなかったのはその通りだと思う。なので俺も積極的に育児に参加しているし、妻はそれは評価してくれている(離婚してもパパとママの関係は続けていくべき、と言ってくれている)。少なくとも育児の面は俺が多くをカバーし、妻にはなるべく仕事に集中してもらったり仕事以外でもなるべく自由な時間をとってストレス発散してもらえればと思って、休日は子供二人と俺の三人で出かけることが多くなった。別に、子供は超絶可愛くて面白くて良い子だから一緒に過ごして全然俺は嫌じゃないんだけど、妻が定期的に行く海外出張の時のワンオペ育児のときはちょっと心がくじけそうになることもあった。
で、妻は俺たち三人が過ごしている隙に浮気してた。海外出張先でも浮気していた。離婚は俺の自業自得で、離婚出来ないストレッサーも俺なのか?相手のアメリカ人の素性はネットで晒したりしたらダメなのかな。はぁ〜最後に、と言いながら余計なことを書いてしまった。
猫を飼っていた。
我が家の可愛いペット、チョコ(仮)は21年前、生まれてすぐ動物病院の前で捨てられていたらしい。
里親を探していたのでペットを飼ったことがなかったうちが名乗りを上げた。
毛並みが茶色いことから、母がチョコと名付けた(本当は違う名前だけど、名づけはまぁこんな感じ)
最初は全く懐かなかったが、年月を重ねるごとに漸く膝の上に乗ってくるまでにはなった。
大きな病気はしなかったが、だんだん食事量が減り痩せていった。
21回目の誕生月を迎えた頃、怪我をしてしまったので動物病院に連れて行った。
そこで栄養注射も打ってもらった。猫の21年は人間で言う100歳超えらしい…と知ってますます愛しくなった。
さすがに老猫になり落ち着いてきたが、まだまだ元気でいてくれると思っていた。
今年も暑いらしいけど、一緒に頑張って乗り越えようね、っとチョコに言った。チョコはナーンと鳴いた。
それからケガの治療も終わり、今月に入ったころ急にご飯を食べなくなった。
色んなキャットフードを買い与えてみたが食べて2口…みるみるうちに痩せていき歩けなくなっていた。
動物病院に連れて行き栄養注射をしてもらうことも考えたが、以前注射をした時にものすごく嫌がったのと歳も歳だからついに覚悟をしないといけない時がきた、と我々家族も悟った。
栄養注射をすればもう少し生きたかもしれないが、恐らく数日延びるくらいだろう。
人間でいえばもう100歳超え、家族で話し合って精一杯世話をして看取ろうということになった。
が、人生の半分以上チョコと生きてきた私にとってはチョコの死を受け入れられる自信がなかった。
けど、食事量も段々減り最終的には摂らず、水も飲まなくなり…苦しそうには感じなかったが、多分数日間は意識がなかっただろうな。
息を引き取る前日の夜、ほぼ動かないチョコに「おやすみ、私達の為に頑張ってくれてありがとう。ずっと大好きだよ」と声をかけたらしっぽが動いた。
聞こえていたのかはわからないけど、その後1、2時間後に息を引き取ったと思われる(朝起きたら硬直が始まっていたのでそう推測)
昨日の夜、優しく沢山触れておいてよかった。お礼と好きを伝えておいてよかった(毎日言ってたけど)
覚悟はしていたけど、いざいなくなると穴が開いたみたいな状態で、これが俗にいうペットロスか…と初めて味わった。
見る度に泣いてしまうが、チョコが使っていたクッション、エサの容器やトイレはまだそのままにしてある。
もう声も聞けない、動いてる姿を見る事もない。膝の上に乗ってくることもない…。
朝は「行ってくるね」と帰ったら「ただいま、チョコ」と声をかけて撫でていたけど、もうそれも言えない。
別れは悲しいけど、チョコと出逢えて、21年間一緒に過ごせてよかったと心から思う。
21年、よく頑張ってくれた最愛のチョコ、うちの子になってくれてありがとう。
トイレをしたら鳴いて知らせてと言ったらその後必ず鳴いて知らせるようになった賢いチョコ。
ゲ○を吐いた後何故か隠れるチョコ(我が家では吐き逃げと言っていた)
手を近づけるといつもにおいまくってしつこいくらい舐めてきたチョコ。
約10日間、しんどかったね。安らかに眠ってね。
チョコの写真はいっぱい撮ってるけど、自分と一緒に写ってる写真が全くないんで(私が写真嫌いだから)
やっぱり少しくらいは一緒に写しておくべきだったな…とそれだけが後悔。
全く本気で。
パワハラ野郎どもが社会的制裁を受けずに我が世の春を謳歌している、そんな事例はこの世の中にウンザリするほどありふれてる。
つまり、日本という国が、日本という社会が、パワハラ等の悪行を社会的制裁を受けて然るべき事柄としては現状扱っていないことがよくわかる。
あくまで建前的に許されていないということになっているだけで、実際のところ、この社会はパワハラ等の悪行を、誰が被害者か?どういう状況か?によって、条件付きで不問に付しているということ。
法治国家でありながらも法にもとる行いが許されちゃっている←こういう不完全・不徹底があって、その穴をつく限りにおいては悪行もまあOK♪という歪んだ状態。
そんななかで、被害者だけがお行儀の良さを求められるのはおかしい。
気狂いになるか死ぬかの瀬戸際に追い込まれるような、理不尽極まる悪辣なパワハラ事例においては、
被害者が法律など度外視でめちゃくちゃにやらないのは非合理的としか思えない。
例えば、
パワハラ加害者の最愛の子供が入園式を迎える日まで待って、満を持してなぶ りゴ ロしにする、
なんて凶行であろうとも合理性は失われないのではないかと思う。
当人をころすとしたら大して苦しまないで因果応報が終わりになっちゃうじゃん。加害者本人の人生が終わるってだけで。
子供は親の因果を背負ってるし、そんな最低の親の遺伝子を受け継いでるし、少なくとも幼い頃はそんな最低の親のことを無条件で慕ってるだろうし。
親の悪行を考えたら、このくらいの悲劇や凶行でも釣り合いは取れる。
自業自得で最愛の子供に復讐の矛先が向けられたとなると、さすがに自分の行いに思いを馳せて気が狂うほど悩み、苦しみ続けるでしょ。釣り合いは取れてる)。
お天道さまは、そうした凶行に及んだ被害者を許すか、あるいは、被害者も加害者もどちらも裁くかだよ。
被害者だけが一方的に傷を負って、加害者は人生を楽しんでいる、というアンバランスな酷い状況を考えてみてほしい。
お天道さまの裁定がどっちのパターンになろうとも今よりもマシだろう。
ここまでの立場になって理不尽を強いられてる、社会公認サンドバッグのパワハラ被害者の発達障害者が社会常識やルールと照らし合わせてこれまで強いられた損害をチャラにできずにいるのはアホくさい。
強姦被害を黙って一生涯自分の責任として反省し続けるくらい馬鹿げてる。
今頃ネタバレもないだろ 知識がほとんどなくネットで調べながらやったから間違ってるところあったら指摘してほしい
シロディールというタムリエル大陸の中央に位置する地域はアイレイドというエルフ族が治めていた。
そこでは人間は完全に家畜扱いだったのでそれを哀れんだアカトシュ(多分主神?)がアイレイドの支配に負けないように
を与えてドラゴンボーン(皇帝)がアミュレットを携えルビーの玉座に座り、アイレイドの本拠地白金の塔を堕とすことでアイレイドの支配から解放された。
何代目の皇帝「ヴァレン」はドラゴンボーンじゃなかったのでコンプこじらせる。
4人の仲間と共にドラゴンボーンになれるという秘術を実行するも、エルフ族の仲間「マニマルコ」に裏切られ、ドラゴンボーンになるどころかデイドラ(邪神)の一人モラグ・バルの領域「コールドハーバー(地獄A)」と次元融合してしまう。デイドラの軍勢がニルン(惑星)に容易に攻めたり、いろいろできるようになってしまう。
モラグ・バルは支配とかそういう概念を司るのでニルンの奴ら全員支配したいと思って準備を進める。
ヴァレンは超ショックだったのでエルダースクロール(星霜の書)を読むために僧侶になる。そしてエルダースクロールを読んで無事失明する。
リリス:バカで素直で情に厚い 巨人の娘と呼ばれるほど背の高い女性(実際巨人の血が混ざってるらしい)
アブナー:思慮深い冷血漢 自分が大事というより自分の身内とか家柄が大事 ある意味一番わかり易い人間
主人公とヴァレンの仲間「リリス」はなぜかコールドハーバーに捉えられていた。
なぜかそこにはヴァレンも捉えられていた。シロディールは皇帝を失ったからか三国の戦争地になっている。
リリスに助けてもらう主人公。コールドハーバーを脱出するため進むと捉えられてるヴァレンを見つける。
リリスはヴァレンを逃がす代わりに囚われの身になる。ヴァレンは自分がコンプこじらせて皆に迷惑かけたことを後悔しており主人公に助けを乞う。
また次元融合を終わらせるために王者のアミュレットを使いもう一度同じ儀式をしたいが王者のアミュレットがないからそれも探してほしいという。
まずはリリスを解放することとするために主人公は今一度コールドハーバーに向かう。
リリスは対魔忍のように様々な精神干渉を受けたためまるっきりかわっていた。
主人公はリリスに自信を取り戻させるためにコールドハーバーを進む。
サイが王者のアミュレットもっていったような気がするので次はサイを探し出そうとするがサイはどうやらマニマルコにアミュレットの居場所を吐くように拷問受けている。
リリスを無事解放した主人公にヴァレンは「次、サイな まぁサイのことだから拷問でゲロっちゃうことないやろ」とかいう。
サイが囚われているところは検討がつかないのでアブナーに接触して教えてもらおうとする。
アブナーに会うがアブナーは総合的にロジカルしたところマニマルコについたほうがよさそうなのでマニマルコに付いてるだけでヴァレンがやるなら俺もやるでと寝返る。
リリスはそれが気に食わない。アブナーもリリスみたいな脳筋美少女を許せないので悪態付きまくる。俺は「お似合いですね」と思ってみてたけどアブナーが相当お年を召しているのでやっぱなしだ(てかリリスが明らかに他の四人と比べて若い)
アブナーは総合的にロジカルするとサイはここにいると推測する。見事的中。
マニマルコとサイのプレイを見ながら救出するがサイはリリスにホの字の様子。リリスもまんざらではない。
アブナーは気に入らないのでずっと嫌味言ってる、拗ねんなよ。
王者のアミュレットの隠し場所に向かうとマニマルコ(幻影)の姿が!マニマルコは「王者のアミュレット手に入れた暁にはモラグ・バルなんて余裕で倒せる。倒したらモラグ・バルに成り代わりマニマルコがおまえらの支配の概念となる。」「こんなのバレたらモラグ・バルの配下人生終わるナリ…そうだ!サイがはったデイドラ不干渉の結界で企みをかき消すナリ!」とか思い上がりべらべら喋ってしまう。
モラグ・バルは当然そんなのお見通しで「マ、マニマルコくんどうしたんだ、いきなり大声出して」とマニマルコを捕まえて一生拷問することにする。
そんなことをよそ目に主人公は王者のアミュレットを手に入れる。
主人公はコールドハーバーに攻め込んでモラグ・バルを倒すだけとなるが、それにはコールドハーバーを攻め込む人手が必要。
そこで3国に話をつけて軍を各国からだしてもらう会議をする事を魔術師ギルド(全国魔法使い組合)の長の協力を経て達成する。
だが当然3国は「モラグ・バル?しるか。俺にとってはシロディールが一番優先!」とかいい出して会議が纏まらない。
そこにモラグ・バルが現れて「俺のこと無視すんなカス」と喧嘩を売りに来る。各国の代表もその恐ろしさを目の当たりにするがそれでも「いやぁでもな…」という様子。
魔術師ギルドの長と戦士ギルド(全国傭兵組合)のそこそこ腕の立つ奴は「じゃぁもう組合でいくから」と主人公についてコールドハーバーについてきてくれることに。
ホロウシティという拠点の管理人に「アイレイド王と魔術師ギルドの長を連れてきてついでにこの街復興せんことにはモラグ・バルとか無理wあとメリディアの光ってしってる?メリディア様のありがたい光。それを手に入れなさい定命の者」とかいい出すので各地を走り回り探し回りなんとか連れてくる。
アイレイド王は統率者のいない戦士ギルドの連中を集め見事にまとめあげる。
魔術師ギルドはわりとデイドラ空間になれているのかいろいろ推察して次元融合でニルンを攻撃している兵器を探り当てて壊すことに。
モラグ・バルも当然気づいていたが時既に遅し、兵器は壊されるわ、管理人は実はメリディア(邪神だけど不浄とか嫌い モラグ・バルと犬猿の中)で邪魔されるわで散々。もー、おこ!
アブナー「ワシが儀式の方法しってるけど 総合的にロジカルするとヴァレンかリリスかサイを生贄にせんといかん」
主人公「俺とおまえは?」
アブナー「ワシは儀式せんといかんから無理だろロジカル的に考えて… 主人公は魂ないから無理」
ヴァレン「元はと言えば全部俺が原因 俺にけじめつかせてくれ」
リリス「私は死んでもソブンガルデ(※)にいくだけ だから私でいい」
という感じの話をして「主人公が選べ、な?」と圧をかけられる。これなんかのハラスメントでしょ。
※ソブンガルデ…リリスの種族「ノルド(北欧人)」が信じている死後行く世界。勇気があるノルドだけが行ける。逆にノルド以外や他の邪神の祝福を受けたものは例外(直に干渉してくるもの)を除き一切受け入れない。概念とか死の救済とかじゃなく実在する。
コールドハーバーについた主人公一味 なんやかんやあって拷問されてるマニマルコを見つける
「まぁワイらの仲間やし…まぁでも主人公が解放したいっていうんならなー(チラッ」と主人公に決めさせる。こいつら主人公に重い決断させすぎだろ。決断ハラスメント(ケツハラ)だぞ。
ちょうどいいところをみつけたので儀式を執り行う。
俺は選べなかったのでくじ引きサイトに名前いれてやったところリリスが選ばれる。まぁリリスは死んでもソブンガルデいくだけだし…。
サイはドMだが最愛のリリスが死んでご褒美をいただけなかったことで主人公を恨む。やっぱドMを崩すときはドMに親しい人間を責めるに限る。
リリスの生贄のおかげでスーパーパワーを得た主人公はバッタバッタと敵をなぎ倒しモラグ・バルも圧倒する。
モラグ・バルもこりゃたまらんとなり「まぁ、今日のところは引き分けな。ちょっとしばらくニルン攻めるのやめるわ。ちげーって重傷負ったとかじゃねーって、おまえに敬意を評してだって」というところをメリディアが笑いにくるので涙目敗走する。
かなり楽しかった。
DMM版の日本語吹き替えでやったので声優も豪華だったしストーリーも王道でわかりやすい。
仲間の4人も性格がわかりやすい。自分はアブナー推し。人間らしさというか英雄らしくない(人間離れしていない)ところがかなり好き。
多分現代にいたらTwitterでクソリプ一つ一つに「はい論破」と言わん勢いでリプ返しつつ引用RTで人を小馬鹿にしてそう。
当方いわゆるロリコン。艦これのリベッチオが最愛の嫁であり娘である。
いやね、これが大人の女ならさ、いくらキモい思いをしてくれた所で対等な関係なわけじゃん。大人同士。腐ェミニストもキモいし、俺もキモい。キモいもん同士、まあ共生していこうや、と。
だがこれ相手が小児となると話が違う気がしてくるんよ。大人の女に喧嘩を見せるのは別にいいけど、子供に見せたら虐待みたいなもんで、子供型ラブドールが存在していることに「キモい、怖い」と思わせてしまうのは、たぶんかなり良くないことなんじゃないか、と
人生で一度だけ死のうとした時がある。
もともと母親には鼻血が出るまで顔を叩かれることも、アザができるまで蹴られることも日常だった
高校生になって体が大きくなると
分かりやすい暴力よりも言葉や、陰湿な嫌がらせを毎日毎日されるようになった。
妹には朝ごはんが用意されていて、私の朝ごはんはいつも前夜の残り物が一緒くたに混ぜて器に盛られていた
学校から帰ってくるとカゴの中から自分の洗濯物だけ選別されて捨てられていて
酔って家に帰ってきては、こんなブスに生まれて可哀想とケラケラ笑われた
優しい祖母が買ってくれた洋服は、一週間くらいするとなくなった
「最近は節約のためにあなたの服を売ったお金でコーヒーを飲むことにしてるの!今日は120円で売れた!」と楽しそうに言われた
夜中、怒鳴り声をあげて寝ている部屋に押し入ってくることもあった
首をしめられて、それ以来怖くて毎晩箪笥をドアの前に移動させて寝ていた
そんな毎日だったけど、私は母のことが大好きだった
16歳にとって、ほんの数年前まで優しくて笑顔だった母親が忘れられず
毎日「頼むから死んでくれ」「10秒以内に死んで」と怒鳴り散らす母親に
母のことが大好きで
母を笑顔にしたいのに、自分が生きているせいで母は不幸なんだと
その日、箪笥をどけて部屋を出ると
ついに私の朝ごはんは用意されていなかった
「食費の節約」とのことだった
その日は何も感じなかった
そのまま学校に行ってぼんやりと1時間目の授業を受けているときに
「あ、死ねばいいんだ」
と思った瞬間、心の中が晴れ渡り、うきうきして興奮した
そうだ死ねばいいんだ!こんな素敵なアイディア、知ってたはずなのになんでもっと早く思いつかなかったんだろう!
私は私の大好きな母親を喜ばせてあげる方法を知ってる、私は私を苦しみから解放できる方法を知ってる!
そうだ死ねばいいんだ!
興奮して、ものすごく素晴らしいアイディアを思いついた気持ちになって、体は軽やかだった
授業が終わってすぐにうわばきを履いたまま、最近祖母に買ってもらった新品のダウンジャケットを手にとって学校を出た
最寄り駅まで行って、電車に飛び込もう
なんでもっと早く死ななかったんだろう!
あぁ、でもこのダウンジャケット
せっかくおばあちゃんが買ってくれたのに、3回しか着なかったな
悲しむかな?
そう思った瞬間、正気に戻った
私がどんな目に逢おうと見て見ぬふりをする妹と父と
度々電話をしてくれて、ご飯を作って食べさせてくれて、服を買ってくれる祖母が私にはいたのを思い出した
その後は、死のうと学校を飛び出すところまで行動してしまったこととか
心が苦しくて悲しくて涙が出たけど、同時に「死にたくない」とも思った
苦しいはずなのに苦しさを感じなくなった時
死ぬ事がとても素晴らしい救済に思える時
どうか、そうなる前に誰かに助けを求めてほしい
今思い出しても、あれはとても恐ろしい経験だったと思う
脳がバグを起こしてしまうというのか、限界の末に自分を守る方法を思考してしまうのか
死ぬことがとても楽しい素晴らしいことに思えて、その目標を達成するのに今まで無気力だった体が突然元気になって、死ぬために走って行動するたびにワクワクして多幸感に包まれる
そこから、手に持っていたダウンジャケットが脳を正常な状態に戻してくれた
あの時、学校に着て行ったのが別のコートだったら、あのまま電車に飛び込んでいたかもしれない
30歳を迎えることも
できなかった
もうそのダウンは羽が抜けてぺしゃんこになってるけど
まだ捨ててない
母は、今はどこに住んでるのかもわからないけど
どこかで別の人の奥さんをやっているらしい
私の場合は、耐え抜いて、大人になって家を出て名前も変わって結果オーライ。
でも、負った傷が深すぎて未だに思い出して苦しくなる
どうか明日も生きて
カプコンのアクションゲームに胸を熱くさせ、任天堂で育った人間だ。
それでもまだまだ新作PVを見ては心ときめかせて、今はFF7Rを少しずつ進めている。
歳のせいか、リメイク版ではクラウドが可愛くて仕方ない。そんなゲーマーだ。
格闘ゲームを初めて触ったのは、ストリートファイター2だ。
幼少期、友達の家でわちゃわちゃ騒ぎながら対戦した。
波動拳を打つことができるTくんが猛威を振るったが、友達同士の対戦は無性に楽しかった。
負けるたびにコントローラーを交代して、みんなで打倒Tくんと、一丸となった。
キングオブファイターズ、ギルティギア、鉄拳やバーチャファイターなど、
ただ、どれもひとりで遊んだことはない。
友達の家や、ゲームセンター。あくまでも、その場で遊ぶだけの対戦ツールとしての楽しみ方だ。
だから、ひとりでうまくなるために一生懸命努力したことはなかった。
昔から勉強も、授業を聞いているだけでそれなりにテストの点は取れたから、
きっと、似たような感覚だったのかもしれない。
もちろん新作が出ると手を出して、オンラインで対戦したこともあったけれど、
画面の向こうの誰かの存在を感じることができず、
「昔遊んだ格闘ゲームとは、なんだか違うゲームだな」と首を傾げたりして、
それよりデビルメイクライでお手軽簡単なかっこいいコンボを試したり、
無双シリーズでバッタバッタとザコ敵を薙ぎ払うほうが、遥かに楽しくて、気持ちよかったのだ。
そんな折、『グランブルーファンタジーヴァーサス』という格闘ゲームが発売した。
ソシャゲのグラブルを題材にした、2D格闘ゲームだ。(ストリートファイター2みたいなやつだ)
格闘ゲームは自分にとって敷居の高いものだと思っていた私だが、
グランブルーファンタジーヴァーサス(以下GBVS)については、ちょっと手を出してみようかな、と思った。
理由は3点。
ひとつはネット上の付き合いのある友達が、何人かプレイすること。
近年はDiscordなどのボイチャ環境が整ってきたため、小学校の時のあの間隔を味わえるのではないか、と淡い期待を抱いたのだ。
これなら格ゲーの浅瀬をちゃぷちゃぷしていた自分でも、そこそこ戦いを楽しむことができるのではないだろうか。
3点目。これが大事だった。そもそもグラブルをやっていた自分にとって、
あのかわいいキャラを操ることができるのは、非常に楽しそうだったのだ。
ジータちゃんが最初から使えないことには憤慨したものの、それはじゅうぶん手を出すに足る理由だった。
プレイするたびにすぐ辞めるのが、いつもの私の格ゲーにおけるパターンだ。
今回もそうなるんだろうな、という予想が、どこかにあった。
ともあれ「またすぐ辞めてるw」と友達に冷やかされるのも、悔しいので、
続けるための努力はするべきだろう。
さて、始めるとなれば、キャラ選びだ。
これが大事であるということは、今まで数多くの格ゲーに挫折していた私は痛いほど知っている。
まるで永遠の伴侶を決めるかのように、慎重になるべきだった。
私はペルソナ4が大好きで、その格ゲーが出るということで、狂喜乱舞したことがある。
その際は、最愛の伴侶として千枝ちゃんを選んだ。千枝ちゃんと添い遂げようと思ったのだ。
けれど……私は、挫折した。
キャラ愛だけではどうしようもならない壁が、そこにはあった。
私は千枝ちゃんを愛することができなかったのだ。
その反省から、今回は好きなキャラにこだわるのはやめよう、と思った。
できるだけ気楽にお付き合いができるような、そんな人だ。
私は『カタリナ』という女騎士を選んだ。
本家グラブルにおいて、カタリナさんはそれほど人気の高いキャラではない。
女性キャラとしてはむしろネタ枠で、グラブル内で連載されている4コマ漫画でも散々弄り倒されている。
私自身も、ヴィーラさんは好きだったけれど、カタリナさん自身にはいい印象も悪い印象も、なにも抱いていなかった。
なので「まあ、ジータちゃんが追加されるまで、お付き合いをお願いします」という気分で、彼女の手を取った。
彼女はこんな不誠実な私にも、「よろしくな」と微笑んでくれた。
交際を始めると、カタリナさんは確かに動かしやすいキャラだった。
必要なパーツはなにもかも揃っている。炊事も洗濯も掃除もできて、さらに素直な性格だ。
実際、カタリナさんはどのプレイヤーからも「強いキャラ」と言われていて、
自分がうまくなればなるほど、誰にだって勝てるポテンシャルを秘めているらしかった。
一緒にゲームを始めた、格ゲーに詳しい友人は「君がカタリナを選んでほっとした」と言ってくれた。
間もなく、格ゲーにおいて、操作が簡単である、ということの重要性を私は初めて思い知ることとなる。
少し話は変わるけれど、
誰もがグー、チョキ、パー以外に、
ギョス、メランダ、ポポポチーノ、アラモ、ショポーリ、スイギョー(適当)などなど、
30個ぐらいの手をもっている。
スイギョー、ショボーリ、パー、ニャフ、など4つの手に勝てる。他の24個の手とはあいこだ。
こういったことを、毎瞬毎瞬、頭の中で考えながら、試合を進めていくゲームだ。
難しいのだ。
複雑なルールが覚えられない私にとって、カタリナさんは救世主だった。
カタリナさんは、グー、チョキ、パーの三つさえ覚えれば、だいたいなんでもできた。
他キャラが30個の手を使いこなしてくる中、カタリナさんの手は三つで足りた。
初めて見る相手に、「えっ、なにその技!? どうやって対応すればいいの!?」と度肝を抜かれる攻撃をされても、
自分で調べてみれば、「なるほど、これは実はチョキで勝てる手だったのか……」とすぐに答えが用意されている。
対戦して、一方的にやられて、自分で調べ物をして、そしてまた対戦をする。
すると今度は、相手のゾゾゾジゾという手に勝てるチョキを用意した私が優勢に戦える。
対戦相手も私がチョキを連発するようになると、そのチョキに勝つ手を用意してくる。
これを繰り返していくと、私はいつの間にか、さっきまで手も足も出なかった相手と五分に渡り合えるようになった。
楽しい。
楽しくて、毎日GBVSをやった。
昨日あれほどボコボコにされたフェリに対して、一晩練習しただけで、それなりに勝てるようになるなんて。
すごい。
どんなに強い相手でも、カタリナさんがいれば「いずれは勝てるようになるかも」という希望を抱いた。
今まで私は格闘ゲームを誤解していたんだ、と気づいた。
私は格闘ゲームはゲームの上手い人がやるゲーム、という認識でいた。
バイオハザードでゾンビに一度も捕まらないようにスイスイとプレイする人が遊ぶものだと思っていたのだ。
けれど、違った。
格闘ゲームというのは、非常に複雑なジャンケンで、相手の行動に対してこれをすれば勝てる、という手を用意しておくゲームなのだ。
こんなにシンプルなゲームだったのか……と目からウロコが落ちた。
もちろん、それを教えてくれたのは、カタリナさんだった。
「カタリナさん、本当に強いね」
「なあに、私を上手に操ってくれる、キミがいてこそだよ」
カタリナさん……。
いつの間にか、私にとって彼女はかけがえのない大切な存在になっていた。
よくよく見れば、顔もめちゃくちゃ美人だった。
(余談だが、先日本家グラブルにおいて開催された水古戦場においてカタリナさんが使えて嬉しかった)
私はカタリナさんとともに、反復練習、そして調べ物を続けた。
負けては調べ、負けては勝てる手を考える。
少しずつ成長していった。
共に初めた友人はSSランクというメジャーリーグみたいな場所に旅立っていったけれど、
私もAランクというマイナーリーグでそこそこ戦えるようになっていった。
なによりも、自分が徐々にうまくなっていくのが楽しかったのだ。
私の実力があがると、カタリナさんはますますその力を発揮し、期待に応えてくれた。
いや、違う。私がカタリナさんの期待に応えれるようになったのが、嬉しかったのだ。
私のそばでは「キミは日々強くなっていくな」とカタリナさんが微笑んでくれていた。
彼女は出会った頃よりわずかに……いや、明らかに綺麗になった。(私は強めの幻覚を見るようになった)
途中のバージョンアップでもともとの本命であるジータちゃんが追加されても、
私はカタリナさんのまま、GBVSを続けていった。
「本当に、私でいいのか……?」と恥じらうカタリナに、私は大きくうなずいた。
「当たり前だよ。私にとって、カタリナさんがグラブルなんだ」
社会人ゲーマーになると、とにかくゲームの時間を捻出するのが大変だ。
積みゲーもたくさん増えてきた。
そんな中、回転寿司のように、次々と新しいゲームに手を出してはクリアーしていくのが、私の最近のスタイルだった。
ストーリーのないゲームに時間をかけるのは、無駄だと思いこんでいた。
けれど、GBVSは違った。
それだけ多くの時間、私はカタリナさんと共に過ごした。
そして、4月28日。
バージョンアップの日がやってきた。
先に言っておくと、カタリナさんは確かに強かった。
「仕方ないさ。格闘ゲームというものは、バランスが大事なんだ」とカタリナさんは寂しそうに微笑んでいた。
だから、ある程度の弱体化が入ることについては、私も納得していた。
「しょうがないよね。調整ってよくある話だし」
といっても、これは『頭で』納得していた、というだけの話だ。
よく格ゲーでは「修正しろ」だの「弱体化はよ」だの、声が多く上がる。
実際に私も、スマブラDXで友人のフォックスに宇宙の果てまで蹴り飛ばされた際には「修正しろ!」と叫んでいた。
だけど、私は本当の意味での『修正』という言葉を知らなかったのだ。
なぜなら今まで、本気で格闘ゲームに向き合ったことなどなかったからだ。
カタリナさんが弱体化された。
私の顔はたちまち青ざめた。
唖然とした。
メインで使用する近Bがなによりも、破格の弱さになっていたのだ。
近Bという技は、どんな状況でも万能に使える最強のチョキであった。
多くの手に勝つことができて、コンボでも重要な役割を担う、カタリナさんの愛刀であった。
なによりもモーションがかっこいい。レイピアを高速で振り下ろすと、空気を切り裂くようにそのしなりが見て取れる。
カタリナさんの力強さ、そして剣に懸ける想いがこれでもかと伝わってくる、袈裟斬り。それが近Bだ。
その近Bが、死んでいた。
『硬直を増やしました』『認識間合いを狭くしました』というそのたったふたつの言葉で、
カタリナさんの手触りはまったく変わっていた。
私は震える声で問いかける。
「カタリナさん、カタリナさん、大丈夫……?」
するとカタリナさんは笑顔でこう言うのだ。
そう、気づいた。
たったひとつの技が弱くなったそれだけで、カタリナさんは、
私が2000試合も共に歩んできたカタリナさんは、
まったくの別物になってしまったのだ。
私の結婚したカタリナさんは、もうどこにもいない。
これからは近Lという、漫才のツッコミみたいに手の甲をぺちっと突き出して柄で殴る技を、メインに使わなければならない。
「近Bか? しかしあの技は、使ったところで仕方ないだろう」
このカタリナは苦笑いをする。
「ガードされて1フレーム不利だ。立ち回りで振るような技じゃない。私はそういう戦い方はしないんだ」
違う。私のカタリナさんはそういう戦い方をする人だった。
私のカタリナさんはどこにいったの?
ちょっとずつヒット確認ができるようになっていった遠Cが弱体化されたことなんて、どうだっていい。
色んな所からヘイトを集めているJUなんて、削除してくれたって構わない。
だから、近Bを、近Bを返してくれ。
せめて微不利じゃなくて、五分にしてくれ。
私のカタリナさんは、2000試合で少なくとも近Bを2万回以上は振り回した。
その技が、処刑されたのだ。
格闘ゲームの『調整』がどれほど恐ろしいものなのか、私は初めて味わった。
セーブデータが消えるんじゃない。自分が今まで積み上げてきた『努力』が無かったことにされるのだ。
ただ受け入れることしかできない突然の交通事故に遭ったような気分だ。
有名プロゲーマーが「なによりも調整を恐れている」という発言をした際に、私は「そういうものか」と思っていた。
弱くなったキャラを捨てて、すぐに強いキャラばっかり使う人のことを「キャラに愛着がないんだなあ」と思っていた。
バカだった。
私のカタリナさんは、間違いなく近Bを主軸に攻め込むカタリナさんだった。
だけどもう、そのカタリナさんはどこにもいない。
別物だ。
「でもどうせ弱体化されるんだろう」という想いを抱いて、遊んでいくのだろうか?
ただ、ひとつだけ言わせてほしい。
ありがとう、カタリナさん。
あなたのおかげで私は、強くなるために努力することの大切さを知りました。
あなたのおかげで私は、格闘ゲームの楽しさを初めて知ることができました。
あなたがいなくなったグラブルを愛せるかどうかは、まだわかりません。
もしかしたら別の恋人を見つけて、恥知らずにグラブルを続けるのかもしれません。
ありがとう、カタリナさん。あちらへいっても、元気に近Bを振り回してください。
まあいうて、新しいカタリナさんでも、それなりに戦えそうではあるんだけどね……。
操作感が変わる調整は、やっぱつれぇわ…………。
MacBook Pro 16インチモデルを買った
tmuxでペインを分割しまくっても一行に表示できる文字が多い
キーボードの話をしたい
そう、シザーだ
Appleも誇らしげに16インチモデルはシザーキーボードだと喧伝している
僕以外のみんなはこれまでの「バタフライキーボード」が大嫌いだったようだ
最初のモデルはタイプが安定しなかったし、現モデルですら壊れやすい
嫌われるのも当然だ
だが僕はそんなバタフライキーボードの「いくつか」の欠点に目をつむっていた
一日中キーボードを叩き続ける仕事と趣味を持っているので、指や手首にはできるだけ負担をかけたくない
いまでは1mmでも深すぎると感じる
公称値はないが、MBPのバタフライキーボードのストロークは0.5mm前後だという
すばらしい
こんなに疲れないキーボードは始めてだった
いまは君がいなくなって寂しいし、つらい
世の中のキーボードにこだわりのあるみなさんは、どうも深いストロークやメカニカルキーボードのようなしっかりとした打感が好きらしい
これはもう完全に好みの問題だからなにも文句は言えないが、僕が好きだったバタフライキーボードみたいな浅くて指にレスポンスがあるかどうかギリギリなキーボードももっと増えてほしいと思う
三島由紀夫のエッセイで読んだんですが、我々の人生は薄氷の上で踊っているようなもので、いつ予想外にも氷が割れるか分からない、みたいな話。
そういう災厄は、成功者にも敗残者にもその他の中間層にも一定の確率で平等に降り注ぐのです。
具体例を出して申し訳ないんですが、学歴と仕事の出世では日本一だった農水省の事務次官は家庭が崩壊したし、某農水大臣は汚職を抱え込まされて首を吊ったし、美貌と学歴に恵まれた高橋まつりさんは(穿った見方をすれば、高すぎるプライドが仇となって)悲惨な死に方をしました。
才能とか頭脳とかに恵まれた成功者でも哀れな人生の末路を辿ってしまう人がいる一方で、けして裕福でも突出した能力があるわけでもないから、話題性が無いので表には出ないけど、最愛の人と結婚出来て家庭生活が幸せでしょうがないみたいな人々もたまによくいます。(ソースは増田)
池袋で88歳の男性が起こした痛ましい事故が起きた。当初はブレーキが効かなかったと証言をしていたが、実際はアクセルとブレーキの踏み間違いだったらしい。結果として、尊い2名の命が失われ10名の負傷者が出た。
私はこの事件のネットでの扱いが気にいらなかった。実名が報道されない。実名が報道されても容疑者ではなく「さん」という敬称がついている。逮捕されない。そのようないくつかの理由が重なってか「上級国民」が起こした事故はメディアや警察が忖度し、容疑者を庇っている。そんな世論がネットにはあった。
私はこの事故は本当に気の毒だと思う。それは被害者、加害者両方がだ。被害者はいうまでもないだろう。最愛の妻と娘を交通事故で失った。これほど悲しいことは無い。しかし、容疑者もまた人である。
明確な殺意を持って行う殺人行為ではない。これはいうならば事故なのだ。無論、容疑者側にも問題はあった。判断力の低下や高齢であることから、運転をやめるべきだった。そんなことはわかりきっているし、それでもなお車の運転を行ったのは、加害者が悪いのだろう。しかし、容疑者は88歳の身にもなって背負うのである、2人を殺し、10人に怪我をさせたという事実を。
観測している限りでは容疑者はボロクソに叩かれていた。加害者を叩きたくなる気持ちもわかる。しかし、それは本当に正しい行為なのだろうか。己は事故の関係者ではない。被害を被っているわけでもない。そんな人たちが徒党を組んで加害者を叩き、私刑に処している。見ていて気持ち悪いという感情しかわいてこない。そこには建設的な意見なんて一つも無い。容疑者を死刑にしろだの、感情的な言葉ばかりだ。いつからこんな社会になってしまったのだろうか。加害者の家族も同様に叩かれているのだろう。それを当たり前と感じるようになったのはいつからなのだろうか。加害者の家族は事故とは一切関係ない。それでもなお、加害者の家族に牙を向けるものは一体何を考えているのだろうか。
また、今回の事故の被害者が、誤解を恐れずに言うとそこら辺にいる浮浪者だったら、こんなに大きな話題になっていなかったのではないだろうか。当然、被害者の遺族がかわいそうなのはわかる。私に妻子は居ないが想像するだけで胸が締め付けられれそうになる。ただ、だからといって私刑の矛先に向けてはいけないのだ。日本は法治国家なのだから、加害者は法の下に裁かれる。我々はその結果を見守ることしかできない。また、刑が求刑され刑務所に入ることで、罪は帳消しにしなければならない。それが法治国家なのだから。いつまでも私刑を繰り返す人間は幼稚だ。感情だけでしか物事が考えられていない。上流国民なら逮捕されないんじゃないのか? 実名報道されないんじゃないのか? どうした? 実際は逮捕もされているし、書類送検もされている。これから待っているのは裁判だ。その風雪を流布していた人たちは謝罪をしたのか。いい加減なことばかりを言って、加害者を責め立てるだけ責め立てて、間違っていたことを行っていても反省すらしない。そんな奴らがこの世にうじゃうじゃ居ると思うと、気持ちが悪い。
かねてより体調がすぐれていなかったため、5日前に動物病院へ連れて行き、ビタミン剤を処方されたばかりだったのだが、今度は目を痒そうにしていたので再度診てもらうことにしたのだ。
田舎に住んでいるので、動物病院へは30分ほど車を飛ばさなくてはならない。
通る道はでこぼこで、予想外に揺れた。
それが悪かったのだと思う。
点滴を入れてもらうことになったのだが、苦しそうに嫌がっているのに看護師さんに押さえられ、細い針を刺し込まれるハムスターは本当に可哀想だった。
帰りの車の中でふとハムスターに手をやると、体が冷たくなっていたので慌てて手の上に乗せた。
息はあったのだが、それもか細く、目は虚ろで死にかけという状態だった。
もう死んでしまうのだと悟った。
できるだけ体温を下げないようにと両手で包んだ。
何とか家に帰る時まで生きてくれたのだが、間もなく死んでしまった。
私は酷く後悔している。
動物病院に連れて行かなければ、もっと安らかに最期を迎えられたのではないかと思うと、やるせない。
家で静かに看取ってあげればよかったと思う。
私は今まで「病院に連れて行って治らなかったとしても、飼い主としてやれるだけのことはやったのだからきっと後悔しないはずだ」と考えていたのだが、今回のことでそうではないのだと思うようになった。
ハムスターが最期に見せた苦しそうな姿を思い出すと胸が苦しくなる。
本当に取り返しのつかないことをしてしまった。
この記事(https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/17/062700244/?ST=m_news)を読んで犬が本当に怖くなってしまった…
以前までは、知り合いの家に犬がいた時など、
かわいいな〜、こいつめ〜(´∀`)
というようににっこにこしながらもふもふしてたんだけど、この記事を読んでから同じように犬を見れなくなってしまった。
愛情を込められて育った犬が飼い主をパックンチョしてしまうなんて絶望しかない…
犬に対して持っていた良いイメージがガラガラと崩れてしまった。
飼い主に忠実で、仮に飼い主が死んでも尚寄り添って離れずに一緒に朽ち果てていくようなことを思ってたんです。というかそうであって欲しかった。
犬も本当は不自由を感じていて恨んでいたのかな
それともやはり動物が人間のようにときには悲しみときには喜ぶなんてことは無いんだろうか。
家を出たい。
就職した姉が逃げるように家を出て行ってから早一年が経とうとするが、日に日に増す気持ち:家を出たい。
じゃあ今すぐにでも出ろ自立しろ と言われてもそこまでの勇気も金も無い。
酒に酔った父親の母に対する、私に対する様々なハラスメント発言を聞き流し、エリート銀行員から出産によりパートへ転落した母親の愚痴を聞き流し。
たまに聞かれる親と縁を切った姉に対する文句と心配の言葉に相槌を打つ。
最愛だったはずの元彼はただ私の家庭事情を知ったかぶりで踏み散らかしていったので、二度と家庭事情を男に話して「俺が助ける」といった安易なヒーロー面に付き合いたくはない。
セフレを作ったのも、夜にバイトを入れまくるのも、飲みの予定を入れ続けるのも、
何食わぬ顔で週一でしか親と食卓を囲んでいない日々を過ごしている。
家を出たい。
私はこの家に縛られず、何も言われないのならセフレをいくらでも作れてしまうと気付いた日には、過去の純愛をしていた頃の自分が哀れで泣いてしまう。
それでも家を出たい。
設定詰め込みまくりは良いんだよ、映画の短い時間でも充分すぎるくらい説明あったし
青春部分は一行さんがどうして直美を好きになったのかという理由付けが粗くて感情移入しにくかったけど、つまらなさの本質ではない
もしかしたらナオミが救われることが我慢ならないのかもしれない
背中を焼き右足を潰すといった身体的な罰と、最愛の人に拒絶されるという精神的な罰は受けたのだろうが、それで神の視点から人格を弄んだ罪が贖われていいんだろうか?
直美はナオミを一発ぶん殴ってスッキリしたみたいだが、それでいいのか?
結局狐面がわらわら出てきた時点で構造的には許されてしまったが、それこそ殺人より酷いことをやってしまっている気がする
あ、エピローグの意味がわかってない。ナオミは雷に撃たれて脳死になったわけではないよな?
大切な人を救おうとする過程でなんか脳死になっちゃったんだよな?そのあたりがわからない…
あと演出と設定はめちゃくちゃ好きな感じだった
メチャクチャな色を使って時空間すらもあやふやな世界のはざまを描いたシーンとか、宇宙の中に新しい宇宙を作るというそれこそSFみたいなシーンとか
いろいろな作品をリスペクトしてたのはちょっと安っぽかったけど
全体として上手くまとまっていたとは思うんだが、やっぱりめでたしめでたしで終わ…ったのか?みたいなもやもや感を感じさせる作品だった
途方もなくめんどくさいし、どこまでいってもこれがモデルケースだよ!ちゃんとやんなくちゃダメだよ!って言われそうで。
誰かと一生懸命に向き合いたくない。向き合えば向き合うほど裏切られるし、自分も思い通りにできない。
でも、仕事だけして一人で生きていくのもいや。
そんな人生虚しすぎる。というか、休日が暇すぎて寂しすぎて死ねる。
かといって仕事に向かいすぎて仕事人間になってもウザがられて、そんなん誰も望んでないよって言われて社会から放り出されそうな気がする。
本当のこと言うと、一人でいると40〜50になった時、寂しすぎて狂うと思う。
なんかみんなは器用に人生生きててちゃーんと家族作って幸せそうにやってそうで。
というか実際そうなって来てる。
あとそれだけじゃなくて、金がとにかくない。
社会人6年目なのにまとまった金が全然ない。貯まらない。それどころかちょいと借金。
税金もどんどん増えてくみたいだし、老人もどんどん増えてくみたいだし、国自体もお先真っ暗。
どうやって生きていけばいいのこれ。
でも、なんとなくわかってる。
ちゃんとやれるんだ本当は。
投げ出しさえせずにきちんとマジメに一個一個折り合いつけてやっていけば。
形は完璧じゃなくてもそれなりにやれるんだよ。
でも、それなりじゃ嫌なんだよなあ。
それなりでなんとなく窮屈に諦めて生きたくないんだよなあ。
愛し合ってる人と最愛の子どもを生んで、やりがいのある仕事をしてみんなから認められて、そんでお金もいっぱいもらって何不自由ない暮らしがしたい。
親の面倒も見たいし、子どもも大学まで育て上げたいし、奥さんと死ぬまでイチャイチャしたい。
どうすりゃいいんだよこれ。
真面目に生きようと思えば思うほど無理ゲーすぎることに気づいていくよ。
死にたくもなるよなこれじゃ。
でも生きていたいよ。希望持ちたいよ。
泣いちゃいそう。
(追記)
たくさんブクマとトラバありがとう😂😂😂コメント全部読んでるよ〜〜(アイドルスマイル)(※オッさん)😂😂😂
これを読んだ人が周りの妊婦や子供、体が不自由な人やご老人、疲れたサラリーマンとOL、ネコ、とにかくすべての生き物に優しくしてくれたらオレは嬉しい🥺✨生き物に😂サンキュー😂😂😂!!!!!
オレは新卒でカタイ会社に入って10年以上仕事ツマンネ😂状態だったんだけど、起業したトモダチに誘われて、えーッすっごい楽しそうだけどオレの新婚生活どうなっちゃうの〜〜〜ッ⁉️ってなってた時に「やりたいことやりな、アタイがいる👍」と背中をプッシュしてくれたカッケェ奥さんなの🥺(自慢)
片付けはチョット苦手だけど、賢くて寛容でキュートなステキな3Kの奥さんなんだ😂😂😂だからワーパパ(って言う?)がんばるね😂✨😂✨😂みんなラブだよ〜〜〜😉🥺😂💕
--------
奥さんの妊娠が判明し、ハ、ハ、ハ、ハッピーすぎる😂😂😂😂オレ、コドモ、スキ。オクサン、メチャ、スキ。アベの生命の尊み…………🙏
産むのは奥さん!つわりできついのも奥さん!……身体が色々しんどいのも奥さんで、食事もままならなくなるのも奥さん………。…………。こればっかりは本当ごめんねありがとね🙏🙏🙏でもそのケアと、産まれてからはパパがんばんで!ってことで育休明けたら時短勤務にするんです。おじさんは友達の作った会社で働いてるんで、直談判したらあっさりOK、前例はなければ作ればいいじゃないの精神。もう、好きになっちゃうゾ😉❣️
奥さんは短い育休の後にフルで復帰します。なぜならうちの奥さんは仕事がメチャ好きで、オレの2倍以上稼ぐネ申なのである!オレだって別に……そこそこの稼ぎ……の、はずなんだけど、奥さんには歯が立ちましぇん😂その代わり、家のことは任せろーーーッッッッ!!!!いや協力してがんばっていこ😂
オレと奥さんはこの分担にめちゃめちゃ合意しているんだが、なぜかオレの親が納得しないんだが???え😂???なんでなんで〜〜〜😂😂😂……否!なんとなくそんな気はしていました!
オレが新卒で入った会社を辞めてベンチャーを選んだ時も見たこともない怒り方したし、あの人たち特に母親は、オレが男として成功(?)して周囲に尊敬されていないと許せない(?)らしくって(???)
転職の件がやっと落ち着いたと思ったらこれよ。だってだって奥さんの方がハイお賃金なんたもん😂って言ったらマジで唖然よ。え……アタシ……言ってなかった……😂?まあ確かに年収の話はしてないカモ??でもおTIN金の問題じゃないんだと😂
男を立てずに仕事して、夫の収入超えたって威張ってるような女(威張ってない)には孫を産んでほしくないんだって😂え??マジでどういうイミ??もしかして、男を立てずに仕事して、夫の収入超えたって威張ってる女には孫を産んでほしくないって意味???え?改めてどういうコト???😂😂😂
おかんが「女の尻にしかれる息子なんか見たくなかった」と泣き出して(しかれてない)、ボクは【無】に……。ムーニーマン……。奥さんを連れてこなくてよかったなぁと、南アルプスに思いを馳せていた…………。
と、いうわけで奥さんには出産までは絶対会わせらんないし、出産後も普通にキビィっスヮ😂😂😂無理寄りの無理です😂😂😂
今更ながらいーちゃんの本名が気になってちょっと考えてみた(前編)
の続き。
「名前をローマ字で表記した場合の、母音の数と子音の数を教えてください」……きみはこの質問に口頭で即答できる自信はある?
ぼくにはちょっと難しいな。自分の名前をローマ字にした綴りもその音数もパッと頭に浮かべられる内容じゃない。一度紙に書き出して指で数えたい。
普段書き慣れてる表記で何文字ですかって言われたら即答できるけど、ローマ字表記なんて日常的に使ってないから頭切り替えてかないと難しい。
頭の中で数えられるっていう奴はそれこそいーちゃん並に頭の回転が速い奴なんだろうな。
ところでこんな話知ってる?バイリンガルやトライリンガルって苦もなく複数の言語を使い分けてるように見えるけど、実際はぼくらが考えるより頭の切り替えって大変らしいよ。
母語で会話してる時にいきなり別の言語で話しかけられると頭の切り替えが間に合わなくて固まったりすることがあるんだ。一度切り替えた後は流暢に喋るんだけど。
日本人のくせに英語で寝言を言うような人ですらそうみたいなんだ。世界中のバイリンガルやトライリンガルと知り合いなわけじゃないから、全員がそうかは知らないけどね。
だからいーちゃんもさ、この時頭の切り替えをした可能性はあるよね。
普段の思考に使ってるネイティブな日本語から、アメリカ留学時代に使っていた英語脳に。
ローマ字表記の名前を書く機会は日本暮らしより在米中の方が圧倒的に多いだろう。
日本に帰ってきてからは英語もローマ字表記も使う機会が激減してるだろうから、思い出すのにちょっぴり手間取るかもしれないね。
「えーと、当時は名前はどう書いてたっけ……そうだそうだ、これだ。『I am Ichizu Yi.』だ」
「I am Ichizu Yi Qing」だとさ、数えてみると母音7子音8になるんだよね。答えにだいぶ近付く。
「I am」は名前じゃねーだろ!ってツッコミは妥当ではあるけど、母語で書き慣れた自分の名前ですらうっかり別の文字と書き間違えることもあるじゃん。久々に思い出す言語表記を頭の中だけでこねくり回してたらうっかり勘違いしちゃうこともあるんじゃない?
ぼくはとても留学経験者と張れるほど英語には通じていないしバイリンガルの気持ちも分からない、だから絶対ありえないとは言い切れない。
あ、ところでさ、母音と子音って逆に覚えてる人けっこう多くない?
ぼくもうっかりすると間違いかねないからこの文章を書いてる途中でググって確認したよ。
でもすぐに調べられない状況だったら、うろ覚えのまま押し通して間違っちゃうこともあるかもしれないなあ。
仮にいーちゃんが母音と子音を勘違いしていて、その上でパッと頭に浮かんだ英語表記を精査せずに数えたとしたら……逆転して「母音が八、子音が七」を正答と勘違いしちゃう可能性は、十分にありうるんじゃないか?
だってあいつ、有能な時は有能だけど抜けてる時はむちゃくちゃ抜けてるだろ。
まあ彼は両利きだから利き腕がひとつしかない人間の常識で測っちゃいけないんだろうけど。
でもいーちゃんに限らずどんな人間でもうっかりすることはあるものだから、だからカッコつけずにちゃんと紙に書いて指で数えておけばこんな馬鹿みたいなミスを疑われないですんだだろうに。
まあその場合ペンを動かす手の動作から子荻ちゃんに情報を与えかねないから、どんなに難しくても頭の中で数えざるを得なかったのかもしれないけど。
そもそもアレ子荻ちゃんが姫ちゃんに気付かないようにするための時間稼ぎだから、ゆっくり考えて退屈した子荻ちゃんが何気なく窓の外に目を向けでもしたらその時点でアウトだからね。極力ノータイムで答える必要があった。時間制限有のハードモードってわけで、初見ノーミスクリアはなかなかちょっと厳しい要求だろう。
というわけで仮に「イチズ・イー・チャン」というのがいーちゃんの想定した正解だとしたら、
「名前をローマ字で表記した場合の、母音の数と子音の数を教えてください」
「《あ》を《1》、《い》を《2》、《う》を《3》……そして《ん》を《46》として、あなたの名前を数字に置き換えます。その総和は?」
この三つの質問で引き出せる情報に加えていーちゃんの性格・性質を考慮に入れることで、正解に辿り着けるということになる。
ぼくは初読から10年以上かかったけど、そこはあの策師・萩原子荻だ。彼女の頭脳と観察力をもってすればその場で辿り着くことなどわけないのだろう。きっとそうだ。たぶん。そのはず。
ぼくが何故こんな強引にこの根拠に乏しい名前を推してきたかというと、理由はただひとつ。
どうでもいいけどエモいのエモってエモーショナルの略なんだってね。
ぼくはてっきり「えもいわれぬ」の省略語だとばかり思い込んでてつい先日恥をかいた。
でもえもいわれぬでも間違いではなくない?「言い表すことも出来ないほど優れている」って意味だよ?エモいと本質的には同じ言葉といって差し支えないだろ?
閑話休題(もう何度目だコレ)。
「イチズ・イー・チャン」
ずーっとカタカナ表記で通してきたこの名前を一度漢字表記にしてみよう。
「一途一青」となるね。
横書きだと伝わりづらいだろうから、一度縦書きにしてみようか。
一
途
一
青
「一途《いちず》」「一《いー》」まではおそらくいーちゃんは他人にいくらでも名乗っている。
でもその先、いーちゃんの本当の名前……余人には明かさぬ最深部の象徴たる「青」にまでたどり着いた者は、決して生きて帰ってこれない。
この二つ目の線は、そう、「踏み越えると必ず死に至る、デッドライン」なのさ。
「死線の蒼《デッドブルー》」
この通り名はきっと「死線を越えて戻ってきた存在」という意味。
しかし「越えてはならない死線」は玖渚友、本人を意味しているのではない。
どんな目的でも、どんな手段を取ろうと、誰であろうと、彼の心の深淵に立ち入ることは許されない。
……どうかな。エモくない?そうでもない?
うーん、あいつもあんなかわいいなりしてなかなか口が悪いものだからなあ。
もう少し穏便な表現にしておけばいーちゃんにも伝わりやすかっただろうにね。
死線とか物騒な言い方してはいるけど、要するに誰も見せてもらえないいーちゃんの心を覗けたのはこの世界で自分だけ!って意味の名前を電子世界で大暴れまでして全世界に轟かせてるんだからねあの子。
すごいよね。
そんなまわりくどいことしないでもはっきり言えばいいのに。
「離れていても、いつもあなたの心の一番近くにいます。あなたの隣にいられるなら死すらも怖くない」って。
天才の行動ってなにがどうなってそうなってんのか理解に苦しむもんだからなあ。
でもたとえば「僕様ちゃん」って謎の一人称とか、常軌を逸した玖渚の行動は丹念に理由を紐解いていけばぜーんぶいーちゃんへの執着/愛情の二要素だけで構成されてるんじゃないのか?電子の世界と同じ二進法。
友の奇矯な行動なんていちいち挙げてたらキリがないからやらないけど。
あとさ、いーちゃんはいーちゃんで14歳の時点では「どのツラ下げて」だった「一途」の名前も原作完結時点では名は体を表す、似合いの名前になってるんだよね。
だってあいつ玖渚と結婚したんでしょ?してるよね?ブルセラ趣味の玖渚だって、さすがに結婚する気もないのに表紙でウエディングドレス着たりしないよね?
この世界で青といえば玖渚友。
彼女とはティーンエイジャーの頃からの知り合いで、他の女の子とは付き合ったりせずずっと一途に想い、とうとう結ばれました。
いーちゃんの詳しい過去を知らない人にそう自己紹介したら信じるでしょ。
「一途一青」、完全に名は体を表す名でしょ。
エモくない?えもいわれぬ感ない?そうでもない?
ぼくら読者は彼が出会う女の子出会う女の子みんなにうっすら好意を抱いていたこと知ってるから「嘘つくなよ」って言えちゃうけど、普通は目の前で話してる相手の心の中なんて見えないから大丈夫大丈夫。
「《嘘も百回言えば真実になる、ただし八百回目で嘘八百》みたいなっ!」
……こういうの下手げにやってると原作でやったのと被りそうで怖いな……さすがに巫女子ちゃんの出番はばらけすぎててチェックしきれねえ……。
ところでここまできて本当に今更なんだけど、いーちゃんが日本人だという確たる証拠を原作から見つけてしまった。
クビキリサイクルの40頁目上段、地の文で「純粋な日本人」ってはっきり明言している。
マジかこんなに書いちゃったのに全ボツかよ……と正直だいぶ打ちひしがれたんだけども、よくよく考えるとこの申告ちょっと不自然じゃないかなあ。
この付近、ワールドワイドな視点で語ってるせいか「純粋な日本人」ってワードが頻発してて惑わされちゃうんだけど、自分のことをわざわざ「純粋な日本人」って主張する日本人って、見たことある?
少なくともぼくはそんな自己主張したことないなあ。みんな顔と名前を見て勝手に日本人と判断するから、わざわざ自分から強調しなきゃならない状況になったことはたぶんない。
とはいえ何度も言っているようにぼくにはいーちゃんのように多様な民族が共存するサラダボウルのような国で何年も過ごした経験なんてないから、ぼくの常識がいーちゃんの常識と同じとは限らない。
アメリカで何年も暮らした日本人はみなそういう習慣が付くのかもしれないし、そうでなくとも必要があって連呼してた「純粋な日本人」ってのが妙に口に馴染んじゃって必要ないところにまで飛び火しただけかもしれない。あいつ気を抜くとすぐうっかりする奴だから。
ただ、なくはないよね、可能性としては。
黙ってりゃバレないようなことをわざわざ自分から言って「語るに落ちる」ってことはさ。
いーちゃんに誰にも知られたくない秘密があるとしても、そんなに必死になって隠すようなことは知らんぷりしておいてあげた方がいいんだろう。
気付いていようがいまいが誰も口に出さない、出す必要もない、どうでもいいことなんだからね。
いやでもいーちゃんは別に秘密にしてないって可能性もあんだよな……。
「昔は中国人でしたけど、今は帰化したから純粋な日本人です。何か問題でも?」って真顔で言ったりして。
あいつ言葉の定義にうるさいんだかうるさくないんだか分かんないとこあるからなあ。
でも「心は純粋な日本人です」って真面目に言ってる人を嘘つきって責めて傷付けでもしたら、こっちが人非人だもんな。
まあどっちにしろ、表から見た情報だけじゃ本当のことはそう簡単に分からない。
実は痛いのをなんともないフリしてる腹ならなおさら、そっとしといてやらないと。
そっとしとくと決めたところでそろそろ終わりにすることにしよう。
それにしても長くなってしまった。あまりにも長くなってしまった。
休みの暇潰しに気軽に綴るつもりが、こんな文章量になるとはお釈迦様でも思うまい。
ここまで読んでくれたきみがぼくの考えに賛同しようが、反対しようが、肯定しようが、否定しようが、面白がろうが、こき下ろそうが、どうしようとぼくは一向にかまわない。
だから小説を読んだ時と同じように、楽しむも腐すも好きにしてくれればいい。
半可通の与太話だからきっとツッコミどころだって大量にあるだろうしね。
ああ、そうだそうだ。こんな時にぴったりな言葉があるじゃないか。
じゃあこのシリーズのファンらしくその言葉を借りて締めることにしよう。
マスメディアによる犯罪被害者への取材に対する批判を受け、いかなる事情があっても報道機関が犯罪被害者およびその遺族に接触することを禁止する法改正である。国会では一部の野党を中心として「報道の自由」の侵害であるという反発が起きたものの、ネット上でのマスメディア批判の高まりのなか、賛成多数により改正案は可決された。
ある大臣のセクハラ発言が世間を賑わしていた。高い支持率を背景に大臣は謝罪を拒否し、国会前では女性団体を中心とする抗議集会が開かれていた。その集会のさなか、一人の男性が乱入し、周囲にガソリンをまいて火をつけた。屋外での出来事ではあったが、火の勢いは強く、加害者の男性のほか、6名の女性が命を落とす大惨事となった。
この事件の背景は次のようなものであった。加害者の男性は、被害者のうちの一人とかつての職場の同僚であった。加害者によるストーカー行為から逃れるため、被害者は退職したものの、その後も加害者につきまとい、事件前に被害者は何度も警察に相談していた。しかし警察は、被害者の訴えに真摯に耳を傾けなかったばかりか、事件の発生後に問題発覚を恐れて関係書類の廃棄すらしていた。
事件発生後、被害者やその遺族に接触できないマスメディアの関心は加害者側に集中することになった。そこで大きく報道されたのが、警察の家宅捜索によって発見された加害者の日記である。
PCに残されていたその日記は、加害者による妄想の産物であった。同じ職場であったころ、被害者がいかに加害者に対して「気のある素振り」をみせていたのか、なのに「手ひどく裏切った」のか、事あるごとに加害者に「嫌がらせ」をしてきたのか等々が書き連ねられていた。
その日記の内容が発表されると、世の中の雰囲気が大きく変わった。まるで被害者の側に落ち度があるかのようなムードが醸成されていったのである。
そうしたムードに拍車をかけたのが、被害者の一人が運用していたツイッター・アカウントの発見であった。そのアカウントで被害者は人気アニメの性描写を厳しく批判していた。
人気の大臣によるセクハラ発言への抗議、加害者男性の日記から発見された「被害の訴え」、そしてアニメの性描写に対する批判。それらは被害者側がネット上でパブリック・エネミーとして認定される条件としては十分すぎた。
被害者遺族の自宅が特定され、さまざまな嫌がらせが相次いだ。しかし、被害者遺族が遺族である以上、マスメディアは接触できない。最愛の妻や娘を奪われた悲しみを誰も伝えることができない。被害者が警察に何度も相談していたことも、「加害者の訴え」が一方的な思い込みに過ぎないことも報道されない。その間も、ネット上では被害者に対する根拠のない誹謗中傷が積み重ねられていく。