2024-08-11

増田さんですよね?

ある人から聞いた話です。

品川駅21時43分発の急行。その人は金曜の夜いつもそれに乗って帰っていたらしいです。

それで、その日も駅前の大きな横断歩道信号が変わるのを待っていたんです。

飲みに繰り出す会社員グループホテルに向かう外国人、塾帰りの子どもたち。

対岸の歩道に見えるそういう人達の中に、一人だけ目立つ女がいたらしいんです。

ただ、具体的に何がおかしかったと言うのは難しく、

焦げ茶に染めたボブヘアや服装肩に下げたブランド物のバッグそれぞれの、

微妙なシルエットや質感の組み合わせが、なにか絶妙にチグハグな印象を受けたとか。

田舎から出てきた垢抜けない女”

その人はそう思うことにして、しかしなぜか引き寄せられる視線を前に向けるよう意識しながら、

一斉に動き出す人並みに合わせて、青に変わった横断歩道渡り始めました。

「あの…増田さんですよね?」

その声を後ろに聞いたのは、ちょうど中央を過ぎたあたりでした。

無論、その人は増田という名前ではありません。

ですが、カクテルパーティ効果というやつでしょうか、それが明らかに自分に向けて発せられた声であることは分かったそうです。

振り返るとそこにいたのは先程の女。

大体1mほど離れた位置で、向こうもこちらを見ています。満面の笑みで。

知り合いかと思って必死に思い出そうとしました。しかし全く覚えがありません。

しろよく見るほどに肌の質感や服の皺に至るまで言い様のない気味悪さを感じ、とっさに目を背けてしまったんだそうです。

目線を戻すと、もうその女は遠ざかっていました。

点滅する信号機に人並みから取り残されたことに気付き、慌てて横断歩道渡り終えて振り返ると、女はさっきまで自分が立っていたあたりの人混みへ去っていったそうです。

…まあ話を聞くだけでは、ただの人間違いだったんじゃないの?って印象ですが、

その人が言うには人混みの中へ見えなくなっていく女の姿というのも、輪郭が揺らめいて人々や建物の中に溶けていくような…そんな奇妙な印象だったそうで、

うその次からは早めに帰るか、逆に時間を潰して遅い電車に乗るかというくらい怖がっていたみたいです。

それでその後女を見かけることはなかったそうなのですが、問題はそこからでした。

休日スーパー銭湯へ行くためにバスに乗ったその人は、目的バス停に着く直前に声をかけられました。

そう、「増田さんですよね?」と。

とっさに乗客確認しようとしましたが、運転手から離れてくださーいとアナウンス

バスが停まったのに扉の近くに立っていたためセンサー作動していたのです。

慌てて立ち位置を直して降りると、バスはすぐに出ていてしまい、声の主は分からずじまいでした。

それだけではありません。

家電量販店入口で、繁華街の往来で、帰省した地元道の駅で、さらには旅行で行ったミュンヘンナイトクラブで、

時にはハッキリと特定人物から、時にはどこからともなく、「増田さんですよね?」と声をかけられたというのです。

しかし、姿が見えたその声の主追おうとしても、いつもすぐに人混みへと”溶け消えて”しまう…

その話を新宿の某メキシコ料理店のボックス席で聞かされた私はどう答えていいかからず、

冗談めかして心療内科受診を勧めましたが、苦笑いもしてくれなかったので、そそくさと仕事の話に入りました。

その日も喫茶店の入っているビル入口で声を聞いたというその人は、

会計を終えて駅前解散という段になって、こう言いました。

「ところで、あの、1ついいですか」

かにすがるような声音でそう言ったその人の視線は、私ではなく、背後のドコモタワーでもなく、何処か別の場所へと向けられていたように思います

あなたもしかして増田さんなのでは…」

自信なさげなその声を聞いて、なにか卑近嫌悪感を覚えた私は、

「違いますけど…」

と、ぶっきらぼうに即答してしまったのです。

その人は一瞬面食らったような表情を見せましたが、すぐに調子を戻して別れの挨拶を交わしました。

地下街へと続く階段を下っていくその後ろ姿はどこか覇気がなく、しかカーブを曲がって姿が見えなくなるまでハッキリと輪郭を保っていました。

もちろんそれから私に何らかの異変が起きるようなこともありません。

ちなみにインターネットには疎いそうなので、ここのことは知らないと思われます

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