はてなキーワード: リードとは
まず前提として、私はお酒が好きで、量は飲まないけど割となんでも飲めるし、お酒抜きの夜の外食はあまり考えたことがない。
一方彼氏はお酒を一滴も飲まず、基本的には食事がメインのお店にしか行かない。
デートの時に彼がお店を選んでくれるんだけど炭水化物がある店しか行かない。
これは彼に店選びを任せきりにしている訳ではなく、デートはリードしたいという彼の要望で、店選び込でデートコースの提案を任せている。
本当は熟成肉と赤ワインの美味しいお店とか、産地直送の魚介類と日本酒が楽しめるお店に行きたい。マティーニの美味しいオーセンティックバーで落ち着いて飲んだりもしたい。
でも彼はそんな店には行かないから知らないし、そもそも行く気がない。
質と量で言えば迷わず量をとる人間だから、そもそも少しでも客単価の高い店には行かない。
べつにそういう人達が悪いと言いたい訳ではなく、たまたま彼がそういう人だったと言うだけだ。
高い店じゃなくたっていい。赤提灯も遠征するほど好きなので、立石とかではしごして飲みたい。
私にとって外食ってとても大切で、ハズレの店には行きたくないし、本当に美味しいものを食べるためなら多少高いお金を払ってもその価値があると思う。
が、彼は大学生の行くようなチェーンの居酒屋でも美味しいのだと言う。
彼はアラフォーで、私はアラサーで、平均よりお互いに多く稼いでいるのに、たまのデートでまわりが若い人ばかりのガヤガヤした炭水化物メインの飲食店しか行かないのはちょっと嫌だ。
というか外食してお金払うなら美味しい店に行きたい。歳も歳だから炭水化物メインの食事がそもそも抵抗ある。
話の背景はURLご参照 http://dic.nicovideo.jp/id/5540338 耳コピを動画サイトに投稿していたアカウントが、ある時過去動画を全消去 しばらくして、機械音声ボーカル入りの楽曲、映像作品を投稿 同じアカウントだし、おそらく同じ投稿者だろう(以下こっちは「Yさん」) この曲中の音形と歌詞が、別の投稿者さんを暗示していた(以下こっちは「??さん」) 知る限り、問題は次の四点 1) ??さんは過去に、自分の名前を出さないことを望んで消えた 2) 1)のエピソードが、Yさんの歌詞のテーマになっている 3) Yさんは動画中に謎解き要素を散りばめ、演出も凝ったことをやった 4) Yさん自身も、投稿動画を批判されて削除した過去がある そこでYさんは??さん(または近い人物)なのではないか? あるいは、下手に触るとYさんも消えて、次作が聴けなくなるのでは?とファンは戦々恐々 ??さんのファンは、Yさんが別人なら、本人を間接的に害する存在なのではと心配している これは、3)4)が目くらましになっているのであって、 虚心坦懐に創作に目耳を注げば何か分かるかもしれない 過去の類似事例 https://ja.wikipedia.org/?curid=421575 以下、最初の作品「.」に絞って気付いたことを書いてみる
曲には、この二人が別人であることをサポートする材料がある a) ミックスの質が違う b) 方針が違う 一聴して分かるのはa)で、比較するとYさんの曲はミックスの質が高くなっている イヤフォンでも、高級スピーカーでも、スマホの内臓スピーカーでもきちんと同じように聞こえる ただ、これは誰か他の人間に頼んだのかもしれない b)は曖昧だけど力の入れどころがなんとなく違って聴こえる Yさんの曲は、音素材の作り込みにメリハリがあり、ダイナミクスもはっきりしている 例えば、4小節目の一番高いミの音(シンセリード)にビブラートがかかっていて これから歌う曲はエモーショナルな内容だということを予見させるなど、 細部まで素材を磨いて、ここぞというタイミングで聴かせてくる また、単に引用をしつつ自然に聴ける別の曲にすること自体、高度な技術を要すると考えられる これらの特徴と、Yさんの耳コピ動画の内容#を鑑みると、 楽器を演奏しそうな人が作った曲で、プロっぽい、という印象がある #人の話し声などの不協和を含む音を読み取り、コード進行、ピアノとドラムの伴奏を付けるという超絶技巧 「バークリーから来た変態」という印象だった
「クリエイターは誰しも、繊細で傷つきやすい心を持っている。しかし、絶えず批評、ダメ出し、注文をつけられる。」(SHIROBAKO 16話) でおなじみのテーマで、才能に引き寄せられた凡人への恨みを滔々と歌う「..」に比べると、 「.」はより深いレベルで??さんのエピソードが下敷きになっている 歌詞は、「本人によるモノローグ」の体で次のように歌う (引用)
(Aメロ)
フタを開けてみて
空っぽだったはずなのに
淡い光が漏れていたので
いたずらに覗いたら
デンチが腐っていた
掌から滑り落ち
叩きつけられて
やむ終えず覗いたら
画面が割れていました
(サビ1)
たわむれに書いた傘の中
ひとりでに骨が折れ
心地よい音 頭蓋の中
湿って砕けました
(Bメロ)
湧き出た光る水を
飲んでみたくなり
空っぽだったはずなのに
ひとくち含んでみたら
甘すぎて吐き出したよ
漏れ出た黒い液が
怖くてたまらないのに
指先が触れてしまい
血液と混ざりました
(サビ2)
心地よい音 頭蓋の中
ひとりでに骨が折れ
たわむれに書いた傘の中
AメロBメロの歌詞の解釈 (Aメロ) しばらく時間が経ってから創作意欲(またはファンのさんざめき?)が戻ったように感じたけれど そのエネルギーはマイナス方向のものだった (Bメロ) ファンもアンチも自分の創作を汚す 「..」と同じテーマに見える 比べてサビは抽象的でよくわからない 「たわむれに〜」と「心地よい〜」の順番が1番と2番で入れ替わっていて 折れた「骨」は傘の骨ではないし、「描いた」傘でもない ところで、??さんの曲は歌詞に海洋生物が出てきていた 「..」はナメクジが申し訳程度にいるが、この「.」には生き物は不在 ??さんの最後の曲、同じタイトルの「.」に出てくるクラゲが共通して出てくるとしたら? 「傘」がクラゲの傘なら、筋が通るかも 最後の曲「クラゲ」を戯れに書いた後に悲劇は来た クラゲの傘=頭蓋の中で音が骨と共に砕けた クラゲの傘と骨の頭蓋が対比されていて、筋が通りそう (あとで調べたら、??さんの「クラゲ」の歌詞にも既に類似の表現があった) 高度な作詞術(たぶん)で、これもプロっぽさを感じさせる さらに、クラゲの頭蓋を??さん、骨の頭蓋をYさんとみることもできる。 クラゲの傘の中で生まれた湿った音が… それを聴く私の頭蓋の中で… ということであれば、非常に強い感情移入や同情があるように思えてならない(「砂の惑星」の歌詞に近い) ??さんへのメッセージソングなのであればモールス信号や「あなたの所為」の意味も変わってくる 「.」はクラゲの「あなた」へ 「..」はファンとアンチの『あなた』へ だから二曲必要だった
簡単に言えば、曲と、特に歌詞のクオリティに差がありすぎるて、才能ある別人あるいは複数人の創作であろうということ また、モノローグの形で対象に没入し感情移入する/させるという方針の作品であり、これ語ることが他者を傷つけることにならないこと (むしろキッズは反省しろ、と「..」は言っている) 以上の二点から、もっと「.」の話をオープンにしても良いと思っている アングラ感と謎解きに浸っていたい人なら別だけど 過去の人が成長を遂げてこのクオリティを実現したのかもしれないけど、 もしそうなら恐るべき天才の出現だからみんなハッピー この議論が魅惑的なのは、テーマが「才能」と「凡人」だからに違いない 過去の事例 https://ja.wikipedia.org/?curid=1548884 あまちゅあが書いているので、話半分でお願いしますね
単純に嫌いって人もいれば、なんらかのトラウマが原因で苦手って人もいるだろう
俺は3歳くらいの頃に犬に散々追いかけられた経験から、犬が苦手だ
公園でリードを離した状態で走り回っていた犬に追いかけられ、パニックを起こして蹴っ飛ばしてしまい、飼い主とトラブルになった事もある
飼い主側はじゃれていただけだと言っていたが、怖いものは怖い
今はなんとか慣れたが、昔は犬の写真やリアルな絵を見たくないという時期もあった
おっぱいドーンなラノベの表紙に、昔の俺が犬の写真や絵を見て感じたのと同じような感覚を持つ人が居てもおかしくはないと思う
ただ、なんでラノベの表紙だけ配慮せにゃならんの? って気もする
例えば犬嫌いの人が「愛犬家は犬嫌いに配慮しろ! 犬の絵や写真は規制しろ! 散歩をゾーニングしろ!」って主張したとする
多分、ならない
犬嫌いの権利よりも、愛犬家の権利の方が優先される傾向は確実にある
でもおっぱいドーンな絵を嫌う人の権利は、それを好む人よりも優先されると考える人がたくさんいる
この差ってなんなんだろう
犬嫌いが少数派だからなんだろうか?
ということは「多数派である規制賛成派に、少数派である規制反対派(≒オタク)は配慮しろ!」って話だったのだろうか?
それとも数の多寡は関係なくて、一人でも不快に思う人が居たら配慮すべきという話なんだろうか?
俺はなんとか克服……まではいかないけど、なんとか慣れた
でも世の中探せば、俺よりも深刻なら犬絡みのトラウマを抱えている人がいると思う
犬に限らず、猫だって馬だって、飛行機や車、様々な道具、色んなものがある人にとってのトラウマの象徴となる事はあり得ると思う
http://www.garbagenews.net/archives/1845122.html
1980年代まではお見合いが結構大きかった。友人経由の紹介なんかも含めるとそれなりに。
1989年にセクハラが流行語大賞になった。職場で上司が紹介する、職場で女性が結婚相手を探すのがタブーになった。
1990年代から、お見合いは急速に減った。当時の記憶だけど、お見合いはダサい、みたいな意見が多かった。恋愛至上主義みたいな。
で、まぁ恋愛をリードする役割は男性に期待されるわけなんだけど、当時は結構、期待が高いというか、男性がこなさなければならないタスク( 美味しいお店のリサーチ、金銭的な出費、衣類にかけるお金、車の維持費、楽しい会話のためのスキルなどなど )は結構大変だった。 それを乗り越えた人は、まぁ結婚してる( 離婚も増えたけど )
「男はモテなければならない」みたいなプレッシャーは強かった。ただ大変なんで、そういう結婚のためのレースに参加しない男性も徐々に増えていった。この辺が2000年代。
「やっぱり女は紙かjpgに限る」なコピーが出たのが2008年? この頃には男性は自由になってしまっていた。
「婚活」時代( 山田昌弘, 白河桃子 )が同じ年2008年に出版。 この辺から婚活時代が始まり、女性が主体的に結婚活動をしないといけない時代になった( それまでは男性が主体的にうごくべし、という時代でした )
あと、婚活してる人が増えるのはしょうがない。検索してみると面白いけど、結婚によって男女ともに、それぞれ幸福度があがる調査が多い( うまくいかなかったら、子供がいなければ離婚もしやすくなったし ) 例えば友達が幸せそうにしてたら結婚したくなるよね。
研究員に対する「まだそんな研究していたのか」発言は、研究機関では多々見られます。これは、不器用な期待表現の一つと思われます。一般に企業研究の場合、研究テーマは事業部門からの委託によるものが多く、将来の事業創出につながるブレークスルーの研究は誰がやっているんだという指摘があります。現場の研究者からすると事業部門からの要請があるのだから何が悪いという意識もあり、事業部からの委託研究は金科玉条的免罪符となりがちです。研究所の幹部には、会社経営トップから、事業部門からの要請のみを行う研究所は不要という指摘もあり、苦悩は並大抵ではありません。もちろん研究投資は、現状の事業ニーズに基づく明日のテーマと現状ニーズの延長上にない明後日のテーマをポートフォリオ上に位置づけられるべきです。現状の事業ニーズに応える研究者は必要であり、「まだそんな研究していたのか」発言は、人格やテーマの重要性を否定するものではありません。現状事業ニーズに基づいた今今の研究投資は事業部門が行うべきという考えによるものだと思われます。事業部門は、自部門の損益確保のため開発投資を抑制して、研究所の投資を活用したいという想いがあります。その発言は、研究所責任者としては無理からぬ意見と思います。そのテーマを継続したければ事業部門でやってほしい、大きな期待をかける研究者にはもっと大きな飛躍につながるテーマをやってほしいという意味と理解すべきでしょう。
研究と事業ビジョンの関係は、具体的に経営者やCTOが示すべきかもしれませんが、専門性の高い研究テーマの事業ビジョンは、現場の研究者がある程度示さざるを得ません。それができなければCTOではないという指摘もありうるかもしれませんが、CTOとしては、できるだけ将来のビジョンを示して、そこにつながる研究を現場の研究者に考えてほしいという想いがあります。その結果、最高給のブロガーと揶揄される批判を甘んじて享受して発信を続けます。そんな批判に耐えて情報発信する経営幹部は、稀有ではないでしょうか。その内容は、もしかすると共感する読者からみて最高級といっても過言ではないかもしれません。もちろん、読み手によっては、薬にも毒にもならないビッグワードの垂れ流しの評論で、具体的な行動や指示ではないと感じる方もいるでしょう。それは読み手の解釈であり、自身の研究テーマでファンドを得るために彼のブログの内容を活用してやろうと思う研究者にとっては宝の山に見えます。したたかな研究者にとっては、彼のブログは予算獲得のための親切なヒントであり、金科玉条的指針となります。つまるところ、CTOは自身の立場をキャピタリストとして位置づけたのではないでしょうか。そのCTOは、研究予算を獲得して何が何でもこの研究をやりたいという研究者をフィルタリングして、キャピタリストを納得させる研究提案を提示させるというフレームワークを確立したようです。そのフレームワークを機能させるために、研究投資の指針やヒントをブログにを垂れ流し、そのブログを薬や毒にするのも研究者次第というスタンスだと思います。
人事
個人的には、CTOがキャピタリストみたく受動的でいいのかなと感じます。あまりに他人事過ぎて研究に対する熱さがない冷徹なマネージメントとなりがちです。研究所長やCTOたる者には、スティーブジョブズや本田宗一郎のような熱いリーダーシップを期待したくなります。しかしながら、研究の中身がわかってリーダーシップを発揮できる分野は、一個人だと限界があります。したがって、分野ごとに任せる存在が必要になります。そのあたりは、高度な信頼関係に基づく極めて難しいマネージメントになります。その役割は、理事とやらが担うのかもしれません。一般に、現場の研究者のことを考え自ら具体的に行動して指示してきた方が、成功するかどうかは、その仕事を任せるCTO次第です。失敗を部下の責任とすること(成功と認めないこと)もよくある話です。CTOにもの言う方であれば、なおさらありそうな事です。そのあたりは、幹部や当事者でないとわからないので、表面的に論評するのは控えたほうが良いかもしれません。
最後に
個人の努力が報われるかどうか、個人の努力だけではどうしようもないことがあります。ただし、研究者として生きていくためには、研究ファンドの獲得(キャピタリストの信頼獲得)は、不可欠です。プロの研究者として、ご自身をどのように位置づけるか、つまりキャピタリストに自分を適応させるのか自分に投資するキャピタリストを見つけるのか、どちらかにチャレンジしければなりません。おそらく、CTOも現場の研究者に自分を適応させるのか、自分の方針に従う研究者を集めるのか、苦悩の上決断してチャレンジしているのでしょう。そんな苦労もなく好きな研究に没頭できるのは、恵まれた方だと思います。遅かれ早かれ、誰もが経験するチャレンジです。今までの経験を踏まえて、技術立国日本をリードするプロの研究者としてご活躍されることを祈念しております。
今年の全米オープンは酷暑に見舞われてリタイア続出だったんだけど、
女子決勝が行われた日の外気温は22度だった。
なのにアーサーアッシュスタジアムの屋根は閉じられていたため、
その前の大阪なおみとの試合では、セレナはなおみたんに負けている。
第1セット、序盤からセレナらしくないミスを連発し、なおみたんにリードを許すセレナ。(注1)
セット終了時に、選手席のコーチからアドバイスを受けたとしてセレナがコーチングの警告を受ける。
セレナは「私はそんな卑怯な事は今まで一度もやったことはない」と抗議。
それに対して主審はほぼ何も言わないので、セレナは自分の主張が認められたと考えていた。
普通だったらここで「私もそう思うけど運悪くそう見えざるを得ない状況だったので、仕事柄警告しないわけにはいかない」とでも言っておけば
セレナは矛を収めた筈なのだけど、主審はなんのリアクションもしなかった。(注2)
第2セット、サービスをブレークされセレナがラケットを折って警告(これは妥当な警告)
コーチングの警告とラケット折りで累計二つの警告となり、セレナはポイントペナルティーとなる。
ペナルティーをとられたゲームが終わった後で、コーチングの警告が撤回されたとばかり思っていたセレナは
コーチングの警告に対してまた訴える。
朝日の新聞記事だとポイントペナルティーに怒ったように書いてあるけれど、
セレナは徹頭徹尾「コーチングなどというチートなことを私はしない!」と言って怒っていた。
セレナ「私がそんなことしない人間だと、あなた知ってるでしょ」
主審 無言
主審 無言
主審 無言
ゲームが再開され両選手立ち上がったところで主審はセレナに対してゲームペナルティーを宣告。(注3)
「うそつき」に対しての警告で、累計3回の警告でゲームペナルティーになったらしい。
これで第2セット3-4が5-3になる。既にワンゲームダウンだったセレナは貴重なブレークチャンスを失う。
これには場内騒然。
セレナはレフェリーを呼んで、暫し訴えた後、納得はしていないが従うと述べて試合復帰。
このあとセレナは、この状況から考えればかなり良いプレーをし自分のサービスゲームはきちんと守ったものの、
(注1)
確かにセレナは調子が悪かった。新聞記事にも、ペナルティーがなくてもセレナが負けていたという観客の声が載っている。
でもどんな不調でも、微かな契機を掴んで調子を戻し逆転勝利に持ち込めるのがトップ選手。
もしペナルティーでここまでこじれなかったら、フルセットにもつれ込んで歴史に残る名勝負になった可能性もあった。
(注2)
それに対して主審は何故その判断に至ったかをきちんと説明している。
少なくとも私が観てきた試合ではそうだった。
ごねるけれど、審判は選手を試合に復帰させるべくすかしたり脅したりと、あの手この手で選手を言いくるめている。
(注3)
これが今回最大の争点ではと思う。
更に警告を出すとき、主審はその前に「警告だすよ」と口頭で脅しをかける。
たまに突然警告を出す場合もあるけれど、それはその前に散々言い聞かせ、「警告を出す」といっていたのに
その時は、選手が納得せずとも観客がこれならやむを得ないと納得するのだが、今回この流れで出たゲームペナルティーを納得した観客がいたのだろうか。
私がこの試合をみて思った事。
この試合について直後から差別だという非難があって、私もそう思う。
この試合の障害は主審と選手のコーチングへの認識の相違であり選手そのものではない。
主審は相違の溝を埋めようとしたのだろうか。それをせずいきなり選手の排除に動いたように私にはみえる。
決勝で男子選手にゲームペナルティーを科して試合の結果を決められるのかと。
セレナが大人しく従っていたらよかったのではとは私は思わない。
セレナは過去にも、コートサイドの愚痴を(コート内で言ったわけではない)わざわざマイクで拾われ、
それに対して大々的な批判をされた。
この時も当然ながら「男子はもっとひどい事を言っているのに騒がれないのは何故か?」という声がでた。
命に関わる病気(血栓症)のために着ていたウェアを「品位にそぐわない」として禁止した全仏のキャットスーツ騒動も記憶に新しい
。
何度も何度も、あげつらわれ嘲笑され、人格を否定されてきた経験の積み重ねだったセレナに、そうでなかった人と同じ態度を求めるのはフェアではないと思う。
そしてセレナが騒いできたからこそ、テニス界の差別が少しはよくなって、錦織や大阪が過去の東洋人選手よりは活躍できるようになったとも言える。
忘れてはならないのは、セレナは抗議はしたが最終的にはペナルティーに従い、なおかつ表彰式では鳴り止まないブーイングを制止し
会場をコントロールすることで女王の貫禄をみせつけた。短気で怒ったわけではないのはこれをみてもあきらか。
「自身の立ち居振る舞いが恥ずかしいと気づいたのか」などと書いた新聞記者は恥を知れと言いたい。
ユーゴスラビア紛争の真っ最中に彗星の如く現れた、セルビアのモニカ・セレシュは試合中に出す声が大きいと散々揶揄され、
アメリ・モレスモはレズビアンであったためか、試合に勝つ度に「本当に女なのか」「検査しろ」などなど、デリケートに扱うべき問題をあげつらわれた。
これらに誰も何もいわなかったら、今のテニス界はどうなっていただろう。モレスモはマレーのコーチを務めていただろうか?
抗議することは重要だと思う。
https://digital.asahi.com/articles/ASL9944QGL99UTQP01G.html
平成24年度 犬猫殺処分数:161,847
平成24年度 人工中絶件数:196,639
▼クソ飼い主候補、ペットを飼いたがる
クソ飼い主候補 「ないです」
ペットショップ 「じゃあ稼いで来てください 」
↓
▼クソ親候補、子どもを持ちたがる(完全に一致)
クソ親候補 「ないです」
▼ペットを飼いクソ飼い主になる
クソ飼い主「そうする!!」
近所の人 「お宅のペットがいつでもどこでもうるさい。ノーリードが怖い」
クソ飼い主「あ?ウチのペットがうるさい?生き物がうるさいのは当たり前だし!ウチの子は噛んだりしないし!神経過ぎ!しつけ?虐待コワー」
↓
▼子を持ちクソ親になる(完全に一致)
クソ親「頼むわ!!」
近所の人 「お宅の子どもがいつでもどこでもうるさい。道路で遊んでいる、我が家の前でボール遊びしているのが、危なくて怖い」
クソ親「あ?ウチの子がうるさい?子がうるさいのは当たり前だし!ウチの子は車が通らない道路で遊んでるし!窓を割らないように気を付けてるし!神経過ぎ!しつけ?虐待コワー」
▼クソ飼い主愚痴る/後悔をする
クソ飼い主 「病気になった!!金ない!!」
名無し「じゃあせめて最後まで付き添ってやれ。良い環境を用意してやるのが一番だが、愛情受けて最後まで過ごせるならガス処分されるよりは良い最後だろう」
クソ飼い主 「仕事だし!!そもそも付き添ってたら俺はいつ遊んだらいいの?!俺の人生はないの?」
クソ飼い主「出来の悪いペットなんかいらなかった、俺の人生はペットのせいで散々だ」
↓
▼クソ親愚痴る/後悔をする(完全に一致)
クソ親 「不登校/学習進度についていけない になった!!サポートする金ない!!」
名無し「じゃあせめて学習に付き添ってやれ。良い環境を用意してやるのが一番だが、愛情受けて過ごせるなら自己肯定感の欠如は起きないはずだ」
クソ親 「仕事だし!!俺のキャリアはどうなるの?そもそも付き添ってたら俺はいつ遊んだらいいの?!俺の人生はないの?」
クソ親「出来の悪い子どもなんかいらなかった、俺の人生は子どものせいで散々だ」
児童虐待があった53の家庭で飼われていたペットの60%で動物虐待が行われていた。
その内37%は子供自体が虐待に関わっていた。子供は自分が虐待に接してきたことで、
今度は自分が暴力が振るえるペットを対象にしていたわけである。
これらの事実は、青少年たちが動物虐待を実際に行った場合は、その青少年自身も
何らかの虐待の犠牲者であることも我々に知らせてくれるひとつの症例である。
24人の兄弟がパピーミルを経営している養父母から虐待を受けているという電話があった。養父母は不要になった多くの動物を射殺し、子どもたちに埋めるための墓穴を掘らせた。さらには子どもたちにも命じて射殺させた。それに従わないと、「それならおまえたちが射ち殺されて、その墓穴に入ることになるのだ。」と言ったという。養父母は、鞭、その他手にしたあらゆるもので子どもたちを殴った。また、子どもたちの多くは具合が悪くても病院に連れて行ってもらえなかった。養父母は州から支給されている子どもたちの医療費を着服していたからだ。
動物虐待と暴力の関連性は、十分に実証されている。1997年、マサチューセッツ動物虐待防止協会と米国のノースイースタン大学の研究によると、動物虐待者は、動物虐待歴のない人に比べ、人に対する暴力犯罪を犯す確率が5倍高く、また窃盗罪を犯す可能性は4倍高いということだ。
サマータイム(Summertime)は米国のヒップホップデュオ、DJジャジー・ジェフ&フレッシュ・プリンス
(DJ Jazzy Jeff & The Fresh Prince)の楽曲。
4枚目のアルバムHomebaseからのリードシングルとして1991年5月20日にリリースされた。
米ホットR&B/ヒップホップソングチャートで1位を獲得、米ビルボード総合シングルチャートでも4位に達した。
また、1992年のグラミー賞で最優秀ラップ・パフォーマンス賞デュオまたはグループ部門に選出された。
https://en.wikipedia.org/wiki/Summertime_(DJ_Jazzy_Jeff_%26_The_Fresh_Prince_song)
DJ Jazzy Jeff & The Fresh Prince - Summertime
すかいらーく プラスチック製ストロー全廃へ 国内初 | NHKニュース
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180817/k10011579951000.html
偉いね、こういう事考えられてるのは。
外食産業なんて成長性のないものこそ、こうやって健全性アピールを拠り所して生き残って欲しいね。
レジ横にストロー置いておいて、欲しい人が勝手に取ってくようにすれば良いじゃない。
もちろん一気に取られるといけないからそこは1本1本出るような容器に入れてって工夫してさ。
というのもマックはそれやってんだよね。
ただし欧米で。
この違いはなくすべきだと思うな。
欧米だと、客は注文用のドデカイスマホみたいな端末で支払いまで済ます。
だから店員は基本的に客としゃべることもなく作って渡すだけの単純作業。
バイト経験が評価されてしまう程度には店員のスキルに依存したシステムになってる。
日本人の特性に合わせたつもりかも知れないが、それは誤ったカルチャライズだよ。
ねぇ!ガキじゃねぇんだからさ!
男って甘やかしたりちょっとリードしてあげるとブスでも簡単にイケメン捕まえられる
イキってるヤンキーっぽい男は別だろうけど、それ以外の普通の男って十中八九甘えん坊だよね
結局のところ男って女の人に甘えたいんでしょ?
女性が男性にリードしてもらいたいと思ってるからしょうもない店に連れて行かれるとがっかりしちゃうんだよね。
店選びに文句言うくらいなら女性が店を決めた方が物事はスムーズだ。
しかし男性が乗り気、女性はまぁお試し、くらいだと男性が奢るか多目に払うもんだから女性が店を決めるのは難しいかもしれない。
↓
・デートにはコードがあるのでそれをきちんと守れないと嘲笑の対象です。
↓
↓
どれだけハードルあるの?って思うよ。
1「異性と意志の疎通が取れる・相手のことを考えて行動出来る」という人でも
2「デートコードを踏まえてスマートなエスコートが出来る」で引っ掛かるって人が少なくない数居る。
バルだのなんだの自分が普段行きもしない店を調べて予約するという嘘くさいツクリをするのも限界がある。
食事なんて気の置けない男同士の雑談か仕事の会食しかしたことないのに
ほぼ初対面の異性をエスコートして話を繋げなんていきなり言われても無理に決まってるし
それを80点以上でこなせなければ相手に内心失望嘲笑されて意地が悪ければ吹聴される。
無理だ。
そもそもとして
その文化圏に属してない非モテからすると実はあんまり同意出来ない。
けれども世間の人は2を大事にして2で威嚇してマウンティングして参入障壁敷いて
その結果相当数のスマートでない男を交流の場から排除したし機会は毀損されたと思う。
言い方は悪いけど田舎のなんとか風土の人達がみんな結婚してるのは
デートの行き先に選択肢が少ないので定番や相場が完全に固定していて
拡張性は乏しい代わりに相場さえ守ってれば馬鹿にされないからではないか。
都心部に住んでいてある程度収入や選択肢があるとかえってデートコードは難解になる。
自分の周りは30代後半に入り半分が結婚してるけど半分はもう結構しなさそう。
結婚できた奴はコミケで知り合ったとか出会いが先にあって相手が厳しくデートコードを要求しないでくれたケースばっかり。
死ね!
みんな何度も失敗するんだよ。何十年経っても時折思い出しては「うがー!」と奇声をあげるような失敗をね。だけどそれは赤の他人と寄り添い共に歩んで行くためには必要な学びなんだ。 11 clicks
ああ、こういうしばき上げ主義ね
非婚少子化が問題なのはわかるけどちょっと待ってくれと言いたい。結婚すべきでない人間が周りの空気や圧力により結婚してしまうという不幸もあるだろうし社会全体より個人を重視した場合その不幸の方が問題だと思う
わかります
都市部(というか東京)なら、シティホテルのランチで問題ないと思うのだが、なんかまずいのかな。ニューオータニのサツキでカツカレー食べながら、安倍首相を退陣させなければならない理由を二時間話せばバッチリ。
冗談はともかく最近はいきなり政治の話振ってくる人が多くてびびる 俺がノンポリじゃなかったらどうする気なんだ
これは友達というより自分の話をするけどそもそも飯屋に興味が無い人間もいる
バブル期のアッシー君、ミツグ君等が加速させ、バブル崩壊以降「失敗が許されない」雰囲気で、より厳しくなった感がある。「女性の我が儘全部叶えろ」的な? 低コスト女性がいいんだが、そんなものはいないw
こういうのは脳の社会性を司る部位である前頭葉が大きく発達する思春期に、トライ&エラーをして経験値を積むのが一番だと個人的には思うんで、
死ね!
ねー
そういうのいっぱいあったのになかった風にいうのずるいよねー
4℃って何かすらわかんないけど
もんじゃや居酒屋は払うお金に対するお料理のクオリティが低いと思うことが多くて余り楽しめない、トイアンナ氏と正反対な自分。フレンチはコスパいいとこがいいよ
自分も友達もわりとお金は余裕があるコスパは何でもいいんだけどこういう個々人のこだわりでひそかに不満ポイントためられてると思うとどこまでもめんどくさい
こういう増田にはそういうこと書く人ばっかり集まってくるけどさー
失敗したら終わりみたいな空気やメンタルのほうが問題な気がする。恋愛強者とされる人も最初は全員初心者。失敗以上の教科書ない。人間関係全般同じで相手が異性かは関係ないと思う。
なんでデートが出来ないっていうと人格的な説教されなきゃいけないんだろうね
あーこの人下手に出るとすかさずマウントする人だなとかそういうのはちゃんと見る
はあ いいですね
目的に出来るほどデートに興味ある人は普通にデートするんじゃ無いかな
サイゼリヤでも松屋でも会話が楽しかったらまた会いたいと思う。流行りのバルなんかは会話がつまんなくても内装と盛付けで間が持つのはあるかも。
面白い会話がしたいなら友達に会うか、趣味なんかで新しい誰かを開拓して会うしさ
私は五右衛門でもサイゼでも吉野家でも何ならコンビニでおにぎりとお茶買って立ち話でも問題ないよ。34歳非正規雇用女だけどね…
34歳非正規は全然かまわないんだけどなんかあんたもしんどそうだね
お互い頑張ろうな
失敗に学べと言うけど、チャンスそのものが少ない(努力によって増やせない)人間にとっては「今の1回」をどうしても失敗したくないんだよな。
もっとカスで申し訳ないけどそこまで興味が無いジャンルで何度も失敗して学べって言われるのはしんどい
仕事とか趣味ならいくらでも苦労も努力もするけど興味もなくルールもよくわからない世界はしんどい
ほんこれ
礼節を持って好きな相手と好きなところに行って、縁の有無を判断すればOK。デートコードなんてものはないし、それで評価する人間を相手にする必要はない
「礼節を持って」←わかる 「好きな相手と好きなところに行って」←どうやって?
まあそれは同感
よっぽど高負担か非常時なコードでもない限り、叩いてる人は嫉妬してんのかやらない自分を正当化してんのかよくわからないのばっかりだったと記憶してるが。あれに怯んで作らない、って本当にいるのか?
よっ お貴族様
辛いよね
どんだけ「バカにされる」ということを恐れてるんだよ…。自分が、そういうデートコードがどうこうとか言うの読んだだけで、行きたいとこ聞くことすら出来てないのに相手を馬鹿にしてるからそんな発想になるんだろ
あなたがバカにされても応えない人で、すぐ「相手を馬鹿にしてるからそんなんだ」と気軽に人を攻撃できる一なのだけはわかった
強くてうらやましい
異性に求めるデートコードとかデートに対する文句は守ろうとするとロクなことがない。異性(特に女)のアドバイスは聞くべきじゃない。
そこまでなってくると何がなにやら
「相手に聞け」「聞くとろくな事がない」
ちょっと特別感を出すぐらいでちょうどいいから、普段使う食事+1000円くらいの客単価の店に行けばまあいいんじゃね。普段松屋なら五右衛門カプリチョーザでドンピシャだ
えー 居酒屋?
私みたいに悪い方の百戦錬磨になると、逆にスマートなエスコートができる人は地雷なのでNGってなってくる。小手先の技術に惑わされちゃいかん。男女問わず好きな人とデートをするなら、単純に相手を思いやればいい。
こういうのって一見いいこと言ってる風のとこからワンステップで「お前らは相手を思いやることが出来ない」みたいに言って来るから身構えるよね
多かれ少なかれ接待じゃない?
今思ったけど営業の人は仕事の感覚でやればいいだけなんだろうな
どこ行きたい?何食べたい?って聞いちゃう。答えにこまってる相手は、そもそも「オレというオトコと一緒に行動したいとは思っていない」んだろうなと、基本諦めたよ。
真面目にかっけー
そうかなあ
そもそもの疑問で、デートって初対面の人とするの? 好きな人とするんじゃないの? 好きな人なら喜ばせたいし相手の好みに合わせたくならないの?
それなんだけどさ、
「喜ばせたい」と「俺との飯に誘う」って根本的に矛盾してない?
うん
アスペまでいかんでも「そんなこといわれてもなあ」って人は結構いっぱい居ると思う
(俺の周囲に似たのが固まり過ぎてるだけか?)
そういうのを真に受けるような人間が「お金がないと結婚できない」も真に受けてる傾向はあるのである意味真かなあ。作られた消費慣例を真に受けて地獄の餓鬼になった人達を見ると価値観を委ねる事の恐ろしさがわかる
自分は普段そういうの気にかけてなくても、相手が居ることはねえ
結局は、どうすれば相手が喜んでくれるかを考えれるしかない。それが相手のお気に召さないのであれば、そりゃご縁がなかったんだ。
具体的には?
デートコードというより抽象的にいうとマスコミやネットメディア筆頭に無価値感や恐怖感を煽る情報が多く流通して、失敗・リスクを感じさせて心理的ハードルを上げまくってる面がないとはいわない。
そういうのはずっとあったよね
女に恥をかかせちゃいけないけど男は恥かいて成長しなきゃならないのね。なるほどね。
しんどいよね
『デートコード』が何たるものかが分からないのは、男も女も同じやと思うで。むしろそうした『典型的な恋愛像』みたいなものが衰退したことが非婚化を進めたんじゃないのかな。
ね
こういう話すると「お前らは特殊事例」って感じで鼻息荒くマウントしてくる人が必ず要るけど
そんなこと気にする人に会ったことないので実際どのくらい存在するのか疑問……と思ったが「好きな作家が百田尚樹だったらその時点で無理」みたいな人は複数思い当たるので文化圏の違いか
百田尚樹なんて読んだことないけど好きあらば政治の話する人嫌い
リアルでも増えてる気がするんだよなあこういう人
俺が反対陣営だったらどうする気なんだ
僕のぬえのような表情を勝手に「こいつは同陣営に違いないな」と読み取ってるのか
ね
うちの嫁はすき家とかラーメン屋とか行ったことないので連れてくと喜んでたよ。そういうローコストな女を探せ、と言いたいところだが、いい店行き飽きてるのでここぞというところでハッタリ効かなくて寂しい。
なぷさくさんの隙あらば自分語り嫌いじゃないよ
リアルでも上機嫌で自慢話する人って実は付き合いやすいんだよね
人の話ばっかするよりいい人なこと多い
なんかそれはそれでやらしい話になって行くよね…
私、人間て自由恋愛捨てて生きるのが一つの生存戦略だったんじゃないかと思ってるわ。自由恋愛には闘争が付き物だから身内で殺し合わない様に恋愛をしなくなったんじゃないかって。
関係ないよ。結婚する気があるかないかだけだよw デートをたくさんしている男女の方が婚期をのがして、根気がなくなると、結婚したくてもできないんだなぁw 結婚したいなら、先に結婚顔しておけば?w
どんな顔だよ
相手に気に入られようとするんじゃなくて自分のデートコースで「ええやん」ってなってくれる女に出会えるといいよね、私ももんじゃ焼きとか居酒屋派だからフレンチとか初デートだとビクつく。
ケッ
性淘汰ってやつ
それ言い出したらそもそもデートの必要あるのけ? って前から疑問なんだよなあ
そういう人が居たとして、自分の企画したデートという物に自分の人格は反映されてないと思うので
それを喜んでくれた相手というのは付け焼刃を喜んでくれた人なわけで
まあ別にそこに異存や不満は無いんだけど
正直人の好みって物にそこまで価値を見出せないのはある
だよね
アプローチの初手でとりあえず食事に誘えとか言ってる連中は本当にゴミなんだよなあ。洒落た店には気の置けない相手と行きたい。お見合いみたいな空気出してるテーブルとか痛すぎて視界に入れたくない
割とハイアークラスの女性の方々、自分のコミュニティ以外の出会いの場だと少々のミスや違いでも許さんよ。普通の階層の方だとそれなりに許容してくれるけど。
まあハイアークラスの女性に興味があるわけじゃないんですけどね
デートコードとやらに文句言ってる人は実際にコードで弾かれた経験をしたのではなくネット記事を見て恐れおののいてるだけだろう。誰だってデートでの失敗の1つや2つあるのに完璧なデートをしなきゃと思い込んでる。
ああうんざり
消しました
フレックスがきちんと運用されているので遅刻・早退・休みの時も「ちょっと家の用事で」「保育園迎えに行くので」とチャットに一言入れるだけで済む。(休みは後日社内のシステムに登録しなきゃだけど)
災害の可能性があれば「早く帰れ」「出社するな」と指示が出るし各種休暇などの制度もちゃんとしている。
出張にも一人ひとりの家族環境とかを考慮してくれる。(赤ちゃん小さいからなるべく減らしてやろう、とか)
顔を合わせたほうが円滑に進む仕事なのでなるべく出社した方がいいけれど、自宅からリモートワークでもいい。
ああ、ライフ・ワーク・バランス。人間らしい生活!少ない労働時間バンザイ!と謳歌していた時期もあった。
各種休みやフレックスをフル活用しても、たびたび開催される仕事帰りの飲み会に一切参加しなくてもなんらマイナスの扱いは受けない。
すばらしきホワイト企業。
しかしある時に気づいたのだ。余裕のある働き方を許されていると言ってもそれは不利に扱われないというだけだということに。自分が休んでる間にどんどん先に進む人がいる。彼らが進むことで相対的にはこちらの評価は低くなる。彼ら出世しこちらはそのまま。社内だけではない、仕事場でも自宅でも社外勉強会でもなんでもいいが長時間仕事や勉強をしている人たちが業界をリードしていく。自分は置いて行かれていると感じた。
結局は何かを犠牲にしたり、誰かに犠牲になってもらわないとダメなのかもしれないと思った。
のんびり余裕が欲しい、カネより家族との時間が欲しい、体調等の問題で融通の効く働き方がいいというニーズに応えるのは大事だけど、全員がそれでいいわけではない。
時間のある働きかたで家族は喜んでいる。しかしそれは長期的な昇給などと引き換えにした喜びなのだ。スキルアップを怠れば5年後には職を失うことだってあるだろう。家族のためには、家族を犠牲にしてもっとバリバリやるべきなのかもしれない。
選択肢があるというのは大変にホワイトですばらしいことなのだが、それなりの成長、それなりの昇給・昇進、将来的にも通用する仕事スキルなどを維持しようと思うなら結局はマッチョに生きるしかないのかもしれない。整理してしまえば当たり前の結論になった。結局は頑張り続けるしかないんだな。。。
要約を最下部に載せています。全文読んでない方は要約も見て下さい。
A)そもそも日本は古来から同性愛に寛容だが、欧米は同性愛者が迫害されてきた。社会構造が違うのに、欧米的な多様性を容認していく流れを見習うべきという論調が目立つ。
B)多様性に寛容になり様々な性的指向を認めていくと際限がなくなる。「常識」や「普通であること」を見失うと秩序が保てない。
C)多様性に肯定的な報道はそれを助長することになりかねない。
以上が主な主張だ。反論は下記。
a)日本はLGBTに寛容という点は、男色の文化があるし同意できる部分もあるが、杉田氏自身が示した朝日新聞の記事( https://digital.asahi.com/articles/ASL3K32F4L3KUBQU002.html )に「『周りの人の多くは性的少数者に偏見を持っていると思う』と回答したのは、性的少数者層の当事者の48%に上った。」「性的指向や性自認に関する言葉の嫌がらせを受けたことがあるのは、非当事者の10%に対し当事者は29%。」とある。これで、寛容といえるのだろうか。
b)際限がなくなる危惧は理解するが、現状では際限をなくしたい訳ではない。いままで「常識」や「普通であること」の外にいる人も包摂した社会にしたい。それまで中にいた人にとっては苦痛だろうが、心の中まで犯そうとは思っていない。男と男が手をつないでいて違和感を感じたとしても、その違和感自体は否定しない(違和感がないことは理想だが)。ただ、その人たちも同じ日本に暮らす仲間として受け入れ、そういうパートナーシップがあることを理解し、異性愛者と同様の社会制度を作って欲しい。
c)肯定的報道が際限のない多様性に拍車をかけているという因果関係を具体的に示していないので、報道云々の箇所は論拠を示して下さいとしか言えない。(そもそも、多様性は既に現に「ある」のに、どう広げるというのだ)
以上。
この文章が置かれている文脈では、議論が右往左往しているので掴みにくいが、概ね下記の主張だろう。
→親は自分の子供が同性愛者だと孫ができないのでショックを受ける
→親の無理解がクリアできれば、だいぶ「生きづらさ」は解決する
→そもそも社会は「生きづらい」のにリベラルなメディアは社会制度のせいにする
→しかし、LGBTは子供をつくらないのに税金を投入すべきか疑問だ
たしかに、少子化対策の枠でLGBT支援をするのは難がある。だが、全ての予算は「子供をつくる」ためにある訳ではない。「生産性」を広い意味で捉えたとしても、すべての税金の使いみちが「生産性」を追い求めるべきなのか。であるなら、クールジャパンファンドの赤字を、ぜひとも批判してほしい。
なお、エッセイ後半の多様性容認のくだりをみるに、彼女が指す「LGBT」支援とは、カップルに関することだけではなく、学校においてトランスセクシャル向けのトイレや制服を作ることも含まれていると思わる。性的マイノリティが暮らしやすく、「自分らしい」生き方ができる社会を整備することは充分に税金の効果はあると思うが、そうした整備にも税金を使うことが躊躇われるようだ。
それは同性愛者だったということであり、「これでいいんだ」と思えたなら、素晴らしいことではないか。
同性愛になるか異性愛になるかは、人にどうこう言われて変わるものではない。
杉田氏は『成長するにつれ男性と恋愛して、普通に結婚していった』と述べてる。つまり、異性と恋愛せず結婚しない同性愛者は「普通ではない」というのだ。
一方、エッセイの最後で『「常識」や「普通であること」を見失っていく社会は「秩序」がなくなり、いずれ崩壊していく』とも書いてある。
『「普通であること」を見失っていく』の主語が社会と捉えるにせよ、その発端は「普通でない」同性愛者である。
杉田氏は、同性愛者に対して「あなたの存在は秩序を崩壊させる」と言っているのだ。
これが差別以外のなんなのか。
文科省は通知を出していて「好きな性別のトイレを使っていい」という指針にはなっていない。
トイレは多目的トイレや職員用トイレ、更衣は保健室や多目的トイレを利用することを推奨している。
http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/28/04/__icsFiles/afieldfile/2016/04/01/1369211_01.pdf
私はLGBT当事者ではない。同性とセックスすることはあるが、あくまで性欲に紐づくものであって、愛に紐づくものではない。なので、基本的にはストレートだと自認している。
従来の「ふつう」以外も認めて欲しい。そして、「ふつう」以外の人も包摂する社会制度を再設計したい。
もちろん、いままでの「ふつう」を崩すとどこまで崩すのか、と不安になる気持ちは理解できる。
私は、他人に深刻な不利益をもたらさない限りで、かつ、従来の根本的枠組(人の定義etc.)の延長で、最大限の多様性を許容する社会制度。
また、「同性を好きになったり、同性とセックスするヤツは気持ち悪い」と思うのを止めたい訳ではない。思うのは無意識化だから仕方がないことだ。
それを個人的な感情にも関わらず「ふつう」という、さも一般化した言葉に置き換えるのをやめて欲しい。
杉田氏や反LGBTの人も含めた、すべての人が最大限の幸福を得られる社会になってほしいと心から願っている。
・LGBTで各新聞をキーワード検索したところ、朝日新聞・毎日新聞の記事数が多い傾向があった。この2紙はリベラル系でありLGBTの権利を認めて支援する動きを報道することが好きなようだが、違和感がある。背後には権利を守ることに加えて、LGBTへの差別をなくし、その生きづらさを解消してあげよう、そして多様な生き方を認めてあげようという考え方が伺える。
・しかし、LGBTだからといって実際に差別されているか疑問だ。私は自分の友人が同性愛者でも気にしないし、職場でも仕事さえできれば問題ない。多くの日本人も同様ではないか。
・キリスト教・イスラム教の社会は、教義によって迫害されたり命に関わる問題にもなっていた。一方で、日本には同性愛者を「非国民だ!」という風潮はないし、迫害の歴史もない。むしろ寛容な社会だった。欧米と日本では社会構造が違うのに、日本のマスメディアは欧米を見習うべきという論調が目立つ。
・LGBTの当事者から聞くと、親に理解してもらえないことの方が社会的な差別よりつらいという。親は自分の子供が自分と同じように結婚して、子供をもうけてくれると信じているから、それができない同性愛者だと分かるとショックを受ける。LGBTの両親が受け入れてくれれば、日本はかなり生きやすい社会になるのではないか。しかし、これは制度を変えれば解決できるものではない。
・リベラルなメディアは「生きづらさ」を社会制度のせいにする。しかし、そもそも世の中は生きづらく、理不尽である。これを自分の力で乗り越える力をつけさせることが教育の目的のはずだ。「生きづらさ」を行政が解決するのが悪いことではないが、動くには税金が必要である。
・例えば、子育て支援や子供ができなカップルへの不妊治療に税金を使うというのであれば、少子化対策のためにお金を使うという大義名分がある。しかし、LGBTのカップルのために税金を使うことに賛同が得られるものなのか。彼ら彼女らは子供を作らない、つまり「生産性」がない。そこに税金を投入することが果たしていいことなのか。にもかかわらず、行政がLGBTに関する条例や要項を発表するたびにもてはやすマスコミがいるから、政治家が人気とり政策になると勘違いしてしまうのです。
・ここまでLGBTという表現を使ってきたがLGBと、Tは分けるべきだ。トランスジェンダーは「性同一性障害」とい障害であり、自分の脳が認識している性と自分の体が一致しないというのは辛いだろう。政治家として、医療行為を充実させることは考えていいことかもしれない。
・私は中高一貫の女子校出身だ。女子校では、同性の同級生や先輩が疑似恋愛の対象となるが、それは一過性で、成長するにつれ男性と恋愛して、普通に結婚していった。しかし、マスメディアが「多様性の時代だから同性を好きになってもいい」と報道したら、普通に恋愛して結婚できる人まで、「これ(同性愛)でいいんだ」と、不幸な人を増やすことにつながりかねない。
・朝日新聞の調査でLGBTが281人、自分が男女いずれでもないと感じるXジェンダーが508人、性自認や性的指向が定まっていないQ(uestioning)が、214人いた。合わせて1003人にもなる。LGBTと世間が騒ぐから「男か女かわかりません」という高校生が出てくる。また、思春期だから、社会の枠組みへの抵抗もあるだろう。(記事:https://digital.asahi.com/articles/ASL3K32F4L3KUBQU002.html)
・多様な性に対応するために、自分の認識している性にあわせて自由に制服が選択できることに肯定的な報道をよく目にする。例えば朝日の記事で「多様性、選べる制服」。また、オバマ政権下では公立学校において、自分の認識した性に応じて更衣室を使えるように通達を出した。果たして、それはいいことなのか。Tに適用されたら、LやGにも適用される可能性だってある。自分の好きな性別のトイレに誰もが入れるようになったら、世の中は大混乱する。(記事:https://withnews.jp/article/f0180330006qq000000000000000G00110601qq000017068A)
・最近はLGBTに加えて、QやIやPなど訳が分からない。なぜ、男と女の2つではいけないのか。パスポートの性別欄に男でも女でもない「X」と記載できる国がある。タイでは18種類の性別があるというし、Facebookでは58種類の性別が用意されている。冗談のようなことが本当に起きているのだ。
・様々な性的指向も認めたら、同性婚の容認だけにとどまらず、例えば兄弟婚や親子婚、はたまた、ペット婚、機械と結婚させろという声が出てくるかもしれない。どんどん例外を認めると、歯止めが効かなくなる。
・「LGBT」を取り上げる報道は、こうした傾向を助長させることにもなりかねない。朝日新聞が「LGBT」は、冷静に批判してしかるべきではないかと思う。「常識」や「普通であること」を見失っていく社会は「秩序」がなくなり、いずれ崩壊していく。私は日本をそうした社会にしたくない。
18年目にしてついにここまで来た。みんな、プログラマにも夢があるぞ!
詳細ぼかしつつキャリアアップ遍歴書いていく。こうやって並べると出来すぎていてまるで嘘のようだ。質問があれば答えられる範囲で答えていきたい。
【1社目】
大手 SIer、四大卒後に新卒入社。400万円/年→450万円/年。
【2社目】
Web ベンチャー。一人目の正社員プログラマ→開発部長。400万円/年→650万円/年。
【3社目】
小規模受託開発。完全成果連動。いちプログラマ→東京オフィス技術責任者。700万円/年→850万円/年。
【4社目】
国内大手 IT サービス。新規プロジェクト技術責任者。900万円/年→1050万円/年。
【5社目】