はてなキーワード: 被害者意識とは
自分は駄目な人間だった。小学校の高学年のとき、心因性頻尿になって外に出られなくなった。
金曜の、ピアノ教室の直前だった。その日突然トイレが近くなって、結局家の周りをぐるぐる車で回った挙句に帰った。
それからの日々は地獄だった。家から出ることすらできなかった。私自身自分に何が起こったのか理解できなかった。
学校は、授業は嫌いだったけど友達は好きだった。学年みんな友達だと思っていた。みんなの名前と顔を覚えていた。
学校に行けなくなった。
学歴主義で権威主義の父は、私のことを人間じゃない何かを見る目で見ていた。
私は当時の記憶があまりない。ただ、下手くそに隠された不登校に関する解説本や、
リビングで両親が自分について語り合ってるのを察するのがつらかった。
そのあと数ヶ月してから学校に復帰したけど、結局私は中学校も不登校になって、高校も退学した。
大学受験は当然するものだと思っていたので、高校退学前に高認を取って、
中退後は勉強のやる気が出るまで少し時間をもらった。結果的には一浪という形で
MARCHの少し下くらいの大学に通うことになった。みんなが最初に受験をしていた年は、何も勉強していなかったが。
大学に行き始めて数ヶ月でやっぱり行けなくなって、2年ほど休学した。
自分は何故生きているんだろうとよく思った。死ぬ勇気は無く、事故で死なないかな、と妄想していた。
復学後は配慮申請をして、出られなかった授業のプリントを貰ったりしていた。
私の時代は不登校や発達障害は時代の最先端の社会問題で、まだ数が少なく、学校や大学側も対応に苦慮していた。
体調が悪くなりやすいので、保健室を使う許可をもらい、授業の隙間はベッドで寝るようにしていた。
大学は地獄だった。面白い授業もあったと思うが、何の目的もなく社会学を勉強し、
ヴェーバーやデュルケム、フーコー、マクルーハンなどを習った。個人的にはヴェーバーが好きだった。
大学時代、地元に帰ったときに暇で仕方なく、日経ネットワークの初心者用のTCP/IP解説本を買った。たまたま立ち読みして面白そうだったからだ。
それから何冊か自分でネットワークに関する本を読んだ。面白かったし憧れたが、
自分は文系だし人生に夢も希望もなかったので、これはただの遠い憧れだな、と思いながら過ごした。
しばらくして、最初に買った日経ネットワークの本以外ほとんど捨ててしまった。読んでも意味がないと感じていた。
大学も結局中退した。3年にやっと上がれるという冬の試験で、起き上がれなくなった。
毎日天井を見て過ごした。今日は○○の試験だったのに…と思って、泣きながら過ごした。
ここで単位を落としたことで、卒業まで想定より1年だか2年かかりそうだなと自分で計算し、心が折れた。
何度目の挫折か数えるのも嫌になっていた。
画家さんの絵の手伝いに行ったり、フォトコンに応募したりしていた。絵と写真だけが、自分が唯一続けてきたものだった。
それも当然上手くいかず、暫くして、父から障害年金と手帳をとるように言われた。父には逆らえなかった。
父に逆らえる人は家族の中で誰もいなかった。とても怖い人だったから。
父は節税になる!と喜び勇んで説明し、私は、やっぱり自分は道具なのだなと思いながら、そのまま手帳と年金を取得した。
初めて自由に使えるお金を手にした。20代後半で、初めて自分で家具を買っていいことに気づいた。
家の中を、好きだった祖父母の家を模すような感じに作り変えた。
友人が美術館のバイトを紹介してくれたので、小さな美術館で週3日のバイトをすることになった。
が、その直後にコロナ禍になって、半年ほど美術館は閉鎖することになった。
休業補償?だか何だかで、一応もらえた。その年の秋から再開した美術館のスタッフを少しやって、年末年始は地元に帰った。
両親に、戻ってくるように言われた。
父の会社が上手くいっておらず、母方の祖父母から大変な額の借金をしていた。
利益なんて10年ほど出ていなかったらしい。元々何をしているのかわからない
人に説明するのが困難な父の会社だったが、父はとにかく経営センスがなかったらしく、酷いことになっていた。
私は一度地元に戻る決意をしたが、やはり怖くて直前になって無理だと母の前で泣いた。
地元に戻っても居場所はないと感じていた。東京にもなかったけど…。
すぐに次のバイトを探したが、それも2ヶ月しか続かなかった。秋からまたバイトを始めた。
小さめの不動産会社で事務をしていた。年始にまた、今度は以前より強めに、帰ってくるよう説得された。
私はすぐに市の生活相談窓口に駆け込んで、就労移行支援やギリギリ間に合ったコロナ関連の貸付金を紹介してもらった。
非課税世帯なので、返済する必要はないから安心して、説明された。
自分の決断は、生活保護になってでも東京にい続けるというものだった。コロナの貸付金で一時的に数十万のお金が手に入ったので、
それを使い生活保護でもやっていける物件に引っ越しをした。不動産も一人で回ったし、引越しの手配も手続きも全て一人でやった。
就労移行支援は少し通ったが、この時間でバイトをした方がマシに思え、すぐに辞めてバイトを探した。
並行して勉強を進め、基本情報技術者試験に合格した。その後障害者雇用で小さなコンサル会社で資料作りのバイトをし、
その間にMOSのExcel Expertを取った。お金をかなり切り詰め、貯金を始めた。結局生活保護にはならなかった。
翌年バイトが契約終了になったので、ネットワークの仕事にチャレンジすることにした。
人生で初めてのフルタイムのバイトだった。倒れる前提で、駄目元でやってみることにした。
昔柄谷行人の『探究』で読んだ、暗闇の跳躍だか飛躍だかを思い出した。
価値は、価値がついたあとにしかその意味を読み取れない。価値がつくには暗闇を跳ばなきゃいけない。
薄給の上に業務量がえげつなくて、人がすぐに辞めていく環境だった。
ある程度初心者ができるように自動化されていたので、1ヶ月を過ぎる頃には一通りの業務を覚えていた。
毎日現地作業員と電話を繋げながら、色々な試験をし、NWを開通した。たまに撤去もあった。
障害を隠して仕事をしていたが、ある日電話中にパニック発作が出て、電話を保留にした後しばらくトイレにこもって薬を飲んで休んでいた。
ここでもこうなるのか…、とトイレの中で泣いた。結局その職場も居づらくなって辞めてしまった。
諦めきれずに、次の仕事を探した。ベンチャー企業で、またネットワークの仕事をやることになった。
今度は客先常駐。仕事に出る前に第一級陸上特殊無線技師の資格を取った。
高校数学は赤点だったので、選抜試験も養成講座も地獄だった。何年振りかの座学だった。
そのあと1時間半ほどかかる場所で夜勤をすることになり、私はすぐに壊れた。
夜勤明け、ふらふらになりながら漫喫に入ってひたすら寝続けた。またパニック発作が出て、帰ることができなくなっていた。
大手IT企業の子会社で、採用の仕事をした。面接時はいずれITの仕事を回してくれると言っていたが、
一向に果たされる気配がなく、半年で辞めた。ここまでの失敗で辞めた後に空白期間があるとメンタルに来ることはわかっていたので、次の仕事はすでに探してあった。
障害者雇用の契約社員として、またIT系企業に入った。1ヶ月の待機期間の間にCCNAを取って、
今はそこで仕事を続けている。何故かPython人員になってしまったので、毎日ツールを作っている。
ChatGPTのおかげでなんとか仕事ができている。
今の案件は年内で終了するらしい。
数週間前に正社員登用の話があり、面接を受けた。周りからは多分行けるんじゃないかと言われている。
貯金はやっと130万ほど貯まった。将来は…できれば健常者として生きていきたいが、まだ暫くは難しそうだ。
まだ何も安心できない。実家の父母は離婚問題でめちゃくちゃになっているし、
リモートだから仕事ができているのでは?という懐疑が常にあって、次の案件でどうなるかわからないと思っている。
私は障害について色々思うところがあるが、30ぐらいの時にはっきりと
「自分は才能が無いのだから、せめてコミュ力を伸ばそう。自分は一人で生きていけると思えない。
だから、人から助けてもらえる、助けようと思ってもらえる人間になろう」とずっと考えてきた。
今の時代は障害者健常者に関わらず、みんなにとってつらい時代だと思う。
何かを抱えているのはみんな同じだと思っている。そんな時代に、
マイノリティが自分を救ってくれ!と叫ぶことはとても怖いことだと思っている。
社会に余裕がなくなれば、一番最初に切り捨てられるのは自分たちじゃないだろうか。
今までたくさん人に迷惑をかけたけど、少しでもそうでない自分になりたい。生きていていい自分になりたい…。
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私は今もたくさんの問題を抱えているし、色々上手くいっていない。
人生を呪っているし、楽しくはない。たまに楽しいこともあるが。まあしかし、こうやって足掻いている人間もいるよ、と思って書いてみた。
特定されようが、もうプライドなんて無いからどうでもいいのだ。
私を見下して、自信をみんな持って欲しい。こんな見苦しくみっともなく足掻いてる人間もいるのだから。
…まあ今後どうなるかはまだわからんけど。
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思ったより反響があって驚きました。
タイトルは自分の人生を象徴するような言葉ですが、実際そういう境遇にある人間がどのように生きていくのだろう?という
素朴な疑問から読んでくださった方がいるのかなと思います。あるいは下層にいる人間の惨めな人生を期待した方もいるでしょう。
励ましの言葉やアドバイス、叱咤を下さった方、それぞれありがとうございます。全部読んでます。
わーっと書いてしまったのでちょっと読みにくかったかもしれませんね。申し訳ないです。
障害については一応ASD…ということになってます。診断が下りたのは大学生のときでした。
ご存じの方も多いと思いますが、当時はアスペルガーと呼ばれていて、空気が読めない・人の感情がわからないだとか、まあ散々なことが書いてありました。
カサンドラ症候群の話もありますし、今でもややADHDよりASDの方がイメージは悪いのかも、と思うところはあります。
高校生の頃にWAIS-Ⅲを受けた際には、言語性IQと動作性IQに結構な隔たりがありました。
当時の記録だと言語理解111、知覚統合99、作動記憶105、処理速度84。PARSの結果は幼児期が25点、思春期成人期が34点です。
一昨年だかにWAIS-Ⅳを受けたときは色々マシになっていて、言語理解119、知覚推理107、ワーキングメモリー117、処理速度111という結果でした。
今は人からは障害を持っているようには見えないとよく言われます。体力がないのは相変わらずですが…。
慢性疲労症候群の診断も下りていて、当時医師からは「あなたは将来生活保護か専業主婦でしか生きていけないと思います」という
大変メンタルに来る言葉をいただいていました。それから一気に体調が悪くなり、何も自信が持てなくなった後に
自分はそんな未来を信じないし、絶対にあの言葉を覆してやると決め、もう一度立ち上がりました。
大学でも発達障害で中退した人たちの予後が悪い、まともに働けていないという話を聞かされていたので
これについても、だったら最初の一人になってやる、と思った記憶があります。
自分は女ですが、文章が怖いと言われることもあったので、その辺も徹底的に直しました。
人を観察して、絵文字や顔文字をちゃんと使って明るく取っつきやすいイメージを持ってもらえるよう修正し、
見た目もパーマをかけたりと柔和な雰囲気を心掛けました。そういう仮面は、今は自分の皮膚のようになって
人の気持ちがわからない、共感性がないという部分については、周囲から指摘はそこまでなかったのですが
とにかくできるだけ人のことを想像するようにしました。自分を取り巻く多くの人たちや、ニュースになっているゴシップやエッセイなどからたくさんのことを学べたと思います。
お金があっても、賢くても、健康な体を持っていても、それでもみんな裏では色々あるのだな、と。つらいのは自分だけではないと言い聞かせてきました。
恵まれて見える他者が、実は苦しんでいるという話をちゃんと覚えておくようにしていました。
人生が大変だと、どうしても被害者意識が強くなってしまうものですが
そのように思う瞬間はあっても、絶対に客観性を失わないようにしようと常に思っています。
同時に、自分自身をあまり障害者として扱い過ぎないようにも心掛けました。単純に、心がすり減るので。
今日という日、日本のインターネッツでは左右ともに国を憂う人々で溢れかえっている。
いや、これ自体が最近よく言われる「フィルターバブル」だの「エコーチェンバー」だの、言わば「目に見える情報・見たい情報しか手元にない」ことによる認知の歪みかもしれない。YouTube Liveに目をやれば、大手事務所から転生したVTuberのデビュー配信の同接が、その他あらゆる政治系その他の配信を凌駕している点からしてもそんな感じがする(個人的に事務所時代の彼女は推しの1人だったので複雑だが)。それに、そもそも「左右」の二元的視点で政治を見ることへの危険性だってある。
そういう話はともかくとしても、ここ最近は選挙の度に国を憂う、正確に言えば「対立する政治思想の候補者・それを支持する者の罵倒」でネットの海は溢れかえる。
でも、これも必然かもしれない。勝手に分析系記事を垂れ流している私のこのブログを含め、各個人がOwn Mediaを持つ現代。国家による徹底した情報統制がない以上、極端な言葉がネットの海に散乱する状態であっても、ほとんど野放しになっている(侮辱や権利侵害といった"規約違反"でしょっ引かれることはあってもそういった事例はほんの一握りにすぎない)。それがこの10数年のインターネッツの内実だと思う。とりわけ政治方面でいえば、日本でのSNS普及が例の民主党政権→第2次安倍政権発足あたりと時を同じくしている点から、なんとなしに右派現政権vs左派野党の対立構造に帰着している。
正直言って、現下の日本のインターネッツ・それも政治方面においては、左右両翼とも一般庶民の仮面を被りながら政治家ないしは外部勢力の息のかかったインフルエンサーが複数存在すると私は確信している(そんなニュースあったよね)。何を言っても「拡散」される土壌があるなら倫理上どうであれ使わない手はないだろう。第一、「民主主義」と言えば聞こえはいいが、ネアリーイコール「人気投票」のようなものだ。
それに、ここ最近は迷惑系YouTuberよろしく「見られたもん勝ち」と言わんばかりの過激な政治主張が目につく。その市場を追い風にしてか、陰謀や暴力・排外主義を堂々と主張する人達が現れ、そのまま政治家となった者がいる。今年の都知事選なんて特にそう。これまたXで拾った話だが、ある英字の投稿で「候補者のほとんどが民主主義を嘲笑っている」と書かれる始末だ。まったく左右に関わらず酷い為体だ。
そんな中で迎えた衆院選。ハッキリ言って今回は過去イチ酷く映った。結果をわざわざここで書くつもりもないが、色んな意味で「あぁ、そんなもんなんだな」と思わされた。
(ここは筆者のプロフ・ポジの紹介なので読み飛ばして頂いて結構。28歳独身男会社員。Z世代のハシリあたり。給料は低くはないが見渡せばもっと高給もいる。こんな書き方見りゃキャラの陽陰区別つくっしょ← よくつべに上がってる昔のテレビを見漁ったり。罵倒ばかりの言論界隈にウンザリ。よって裏金はどっちかといえば「そう喚くあなたは?」な立場。それと手取り・安保の観点で今回比例は国民に入れた)
これはもう風水的言いがかりでしかないが、バブル崩壊・阪神/東北震災・コロナと、国全体が苦境に立たされた場面では必ず政治的混乱がセットにあったように思う。ホント、台湾有事やら南海トラフやらどうすんだよ…。
特に台湾侵攻。あるウクライナのジャーナリストが言っていたが、「民主主義陣営がカンカンガクガクしているうちに専制主義陣営に行動を起こされてしまう」…これまさに、今のNATOとロシア・ウクライナ。ならば台湾・中国の傍でカンカンガクガク真っ最中の日本、それにアメリカって…西側ブルーチームのいう「ならず者国家」の思う壺じゃないの?
まぁ、「にわとり-たまご」的な話で、そういう混乱に至る史実があったからこそ政治も混乱せざるを得ない状態だったと言われるかもしれないが、とにかく「今の政治体制なら困難を乗り切れる」と思えた試しがない。それに…待てよ、振り返ってみると「政治への"信頼を善しとせず"」みたいな風潮が続いているのかもしれない。「常に疑え」と言わんばかりに。そうでしょマスコミの皆様方。
今はもうネットに限らず、既存の大手メディアさえ信じる/信じないの篩のかけ方がものをいう時代。冒頭の話に戻るが、Own Mediaの氾濫する今、「何を信じる/信じない」がその人の社会・世間に対する認識を半ば不可逆的に決めてしまう。かくいう私だってそうかもしれない。説明が難しいが、あらゆるものに対する漠然とした不信感の中で「これなら信じられる」と思ったものに傾倒してしまう。これ、昔はオウム真理教、今はインターネッツの左右急先鋒による陰謀と安倍暗殺をはじめフィジカルに訴える連中、はたまた「闇バイト」と、日本のあらゆる社会問題の根本にある気がする。そのうえ、世界を見渡せば目下宗教を巡る戦禍が中東で継続中だったり。コミュニティを作ることで生き残ってきた人間の生物的・本能的弱みで、昔から何度も言われてきた事だろうが、時折その脆さを嫌と言うほど思い知らされる。
そう、「何を信じる」の話で言えば、現役世代の我々がよく言われる/私自身も自己暗示的に復唱してしまう言葉がある。
「社会や環境がどうであれ、いま自分が出来ることに集中しよう」
会社員である私を含め、一定の組織の括りで動いている者にとって、こういう発想は少なくとも間違いではないと思う。そりゃ「仕事に邁進する」に文句のつけようもあるまい。が、時折こんな事も思う。
「それを言い訳に、もっと目を向けなければいけない重要な問題から逃げてないか?」と。
政治に関心を持たない人達、はたまた選挙で投票しない人達の理由の1つに「それより私が今抱えている仕事(タスク)をやるのに精一杯」なんて文句がある。ああ、国として今何をしなければならないか、そういう事を考える余裕は「ニュースを見る時間のある」人にしかないのだろうか。はたまた、そのニュース記事を作っている人達も、ひょっとして「もっと伝えたい事があるのに、仕事としてやらなきゃいけないから…」なんて思っていたりしてないかしら?
恐らく少子化も「こんなしんどいのに結婚子育てなんて出来ない、それよりも今の自分がやるべきことを」の積み重ねから来る話だと思うし、とりわけ筆者はこういう目線で安全保障の話を積極的にしなければならないと思う。ノーベル平和賞取った被団協の方々には土下座ものだが、リアルに核の恐喝が罷り通ってる今、9条信奉のようなユートピアニズムは文字通りの「無力」だ。特に政権を担う政治家にはリアリストであって欲しいと私は強く願う。
地震と戦争、片方は人の手で起きるとはいえ、今やどっちも「いつ起こるかわからない/いつ起きてもおかしくない」と思いさえする。「自分1人で何も出来ないくせに考えすぎだ」と人に言われるが、少なくとも国の意思決定を左右する政治家の先生方にはこの手の話をしっかり真面目に考えて頂きたい。
そしてこの際もう1つ、過去の歴史や目下の国内外の情勢を見渡していて、文明社会をゆっくりと衰退させているものが何となく分かった気がしたので、ここで書き留めておく。
「被害者意識」。
無論、現にいじめや差別その他ハラスメント、あるいは災害を被っている人々に対して、その心痛を突っぱねる意図はないし、適切な保護をするべきだと思う。が、現代はその「被害者」たることを訴える主張が拡声器のように周囲の音響を支配し、それを基準に社会が目まぐるしく動かされている気がする。で、そうして変わった社会が全体最適となるような良い結果をもたらすか…と言われるとクエスチョンが残る事もある。
例えば「働き方改革」。やり甲斐の有無にかかわらず身柄を拘束され、なりふり構わぬ檄を喰らう辛さは、自分だって現役世代、大いに同情する。が、それに対応した結果起きたのが「物流2024年問題」であり、運送コスト上昇は今の物価高の一因となっている。それに、逆にハラスメントを訴えられるリスクと待遇の不釣り合いを嫌ってか管理職志望の社員が減り、少子化も相まって人手不足倒産が増加中とか(環境変化に適応できなかった会社が悪いという見方もある)。
もう1つは「ダイバーシティ」。差別や偏見をなくし、多種多様な人々の「違い」を受け入れる…理屈は結構な話。だが、それで今揉めているのが「移民」問題。一度異文化を受容したはいいけど、かえってその痛みを訴える人は地域や職種を問わず跡を絶たない。ヨーロッパなんて極右が台頭する始末だから…
つまり、「しんどい」「つらい」という主張ゆえ、先述の通りむやみに突っぱねる事は出来ない(それどころか、理解を示さなければ当人がより破滅的な行動を起こすことだってある)。同時に、その被害者意識と醸成に至るまでの背景には本人なりの因果関係・論理があるし、訴えを一読すれば、同情する/しないは別としても少なくとも一定のつながりを見出すことができる。が、我々は得てしてその時の感情につられて「加害者とされた側」の論理を見落としてしまう。決してこれは危害を加えている人を擁護する目的で言っている事ではないが、要は「論理は1つだけではない」ことを机上の理屈としては理解したつもりでも、感情では「真理」を追い求め、「悪者」を特定・はたまた無理矢理にでも作りにかかってしまう。ここに怖さがある。
これが、現代の言論空間で跋扈する陰謀論、あるいは紛争当事国で現に起きている。戦争なんて酷いものだよ。どっちも「自衛のため」っていうんだから。
まぁ「被害者意識」と仰々しく言っているが、噛み砕いていえば、「こんなにしんどい思いをしているのに報われないのはおかしい!/こんな仕打ちをしてくるなんてひどい!」、さらに端折っていえば「私の苦しみを理解してくれ!」といった、悲鳴・慟哭・喚きの一種である。これまたコミュニティを作ることでしか生存できない人間の「動物的本能」の一部なのかもしれない。それゆえ、今後も色んな場面で目にすると思うが、それにどう反応し、対処していくかは、高等動物として会得した知識と理性にしたがって冷静に判断したいところ。
・・・と、ここまで選挙を機に自分なりに考えた今の社会・世界の歪みをつらつらと綴ってきた。「自由選挙」が出来る民主主義は恵まれているようで、分断やレッテルの張り合い、そして今はノイジーマイノリティといった弱点が露呈している。だけど、野田さんがいう「不完全」な状態でありながらも、こう徒然なるままに憂国の情を書けることは、やっぱり恵まれた国なのかもしれない。でも、そんな国を取り巻く環境はやっぱり厳しいし、向いてる方向は違ってもそこは日本人みな理解してるんじゃないかな。
もう1回言う。私も有権者の1人として政治に参加させてもらいましたので、政治家の先生方は他人の足を引っ張ったり悪者を作ったりしてないで、真剣に国について議論してください。
最後に、ここまで書いた私の文章も、究極的には一個人の稚拙な雑感に過ぎず、共感する/しないは個々人の価値観次第であることを付け加えておきます。というか、こう書くことさえ「主語を大きくしておきながら"個人の感想です"とか言って責任から逃げやがって」とか「善人ぶるな」という自己批判が出来てしまうな…やはりインターネッツはもとよりメディアに毒されすぎたか。
まぁ、仮にも「自由の民主主義の国」の一員として生をうけた者として、そこは(節度をもって)大いに論議してください。気の済むまで。
当方既婚選択的子無しの立場なので元増田とは若干違うものの同じ子なしとして子育て支援に文句があるわけないしそこに腹を立ててる増田が全く理解できない
子育てが「エラい」と言う場合の「エラい」は社会の身分が高いという意味の「エラい」ではなく子育てが「苦痛で金がかかる」ということだろ
「苦痛で金がかかる」ことをしている人を支援するのになんでそんな被害者意識を募らせるのかわからんし身体障害者の支援を羨むような愚にしか思えない
子無しが資産や時間を自由に使って人生を謳歌している間に子ありが時間や金を使ってヒィヒィ子育てをしているんだから支援くらいしてやりゃいいじゃん
というか結局増田の問題は自分の人生を謳歌してないことなんだなたぶん
ペットを飼ってる人にペット応援資金が出てるくらいの妬み感覚でいるんかね 子育てはペットじゃねえんだぞ いややってないから知らんけど
いまは賛成派
既婚者で夫の姓に変えた妻である。
反対派だったけど年月とともに考えが変わった。
明確にいつからとか分かんないけど、一つは時代が別姓容認したほうがよくね?の空気になったので流された。
あとは、歳をとって反対したくなる自分の気持ちに整理がついたし、反対してる自分が痛い人に思えてきたから。
反対するための理由を述べようとすればするほど選択性だから誰もお前の話はしてないし、社会規範や同調圧力を勝手に内面化して他人にもその同調圧力を押し付けて自己の肥大化から目を逸らしているに過ぎないのではという感覚から逃れられなくなった。
反対してた理由、端的に言ってただただ悔しかったしバカにされてると思ったから。
周りが結婚すべきという空気だったから何も疑問を持たず周りに合わせて婚活して、結婚して、そういうものだから何も疑わずに姓を変えた。
何も考えなかったけど、姓を変えてあげたから結婚式でやりたいことを夫に交渉できると思ってた。
落ち着いて考えればほぼ一生ものの姓を変えるということをしなければ一生のうちで一瞬の出来事に過ぎない結婚式すら自分の希望を通せない、その交渉ができないと思ってる時点で夫と対等ではない。
姓を変えて当たり前だと思っていた。もし変えたくないなんて言ったら変な女扱いされて最悪結婚もないものになるという恐れもあったと思う。
同調圧力に屈したというよりはみんなと同じ選択をするのが当たり前なのにそうしない人(DINKSとか独身とか)は卑屈になってるかわいそうな人と心の内で思って下に見ていたと思う。そうならないためにとにかく「普通の選択」を選ぶことしか考えてなかった。
別姓を訴えている夫婦やカップルは少なくとも私と夫とは違ってちゃんとそういう会話ができる関係なんだというのが感じられて、それすらできなくて当たり前と思ってた自分の浅はかさを言い当てられてるみたいで悔しかった。
自ら進んで対等ではない関係になりにいってるバカだと言われてるみたいな、自分の中の被害者意識を一人で扱いきれなかった。
だから「マイナンバーかなんかでクレカやら銀行やらなんやら一気に変えれるようになればいいだけの話でしょ?なんで文句言ってんの?めんどくせえ〜」みたいなことツイッターに書いてた。恥ずかしすぎて検索して削除した。
歴史を遡れば女性の参政権だとか、ズボンを履くとか、正社員として働くとか、学校に行くとか、セクハラやめろとか、そういうのを訴えて選択肢として勝ち取ってきた女性たちがいる。
もし今「女が勉強するな」とか「女の選挙権剥奪しろ」とか言うやついたらドン引きだと思うんだけどたぶんその議論が出はじめた当時は
「私ぜんぜん夫を信頼してるので働けず学もなく選挙権もなくて大丈夫なんですけど?」みたいないわゆる名誉男性仕草で叩く女もいただろうと思う。
いまそれやったらあまりに痛すぎる。
社会が別姓を容認すべきでは?みたいな空気になってく中で自分がその痛い側の人間になっているように感じられて、それと同時に自分がろくに社会性も持たず、自分を客観視することもできないまま「みんながそうだから私もそうしなきゃ幸せな人として見られない」という価値観を内面化して周囲にも押し付けることで自分はバカじゃないと安心していた。
そういう同調圧力を押し付けられてきたこと、そういう社会のあり方を内面化させられてきたことに怒りをぶつけるのではなく、そういう同調圧力に屈しない人に対して寝た子を起こすな、みたいな、奴隷の鎖自慢みたいな状況に引きずり込もうとしていた。
年取ってなんかいろいろどうでもよくなってきてのもあって、そういう自分のアホな部分も受け入れられるようになった。
年を取るって良いな。
いや、うちの夫の被害者意識ヤバすぎやろ。
「明日は行き先も出発時間も帰宅時間も決めてないが兎に角、子供を遊びにつれていく」
と言われていたので、朝早くから朝食と着替えを済ませて日課の学習もすませて、ついでに夫がやるといっていた洗濯物や洗い物などの家事も片しておいて、それでも夫がグースカ寝てたので、子供達にはAmazonプライムの映画を観せながらオヤツを食べさせてゆっくり待っていた。
夫が起きてきてパソコンをいじり始めてしばらくして突然、「誰も俺に協力しない!勤労感謝の日なのに感謝しない!なんで映画とか観るんだよ!おやつとか食べさせるんだよ!ふざけるな!」とか言い出して、暴れ始めた。
「じゃあいいよ、一人で遊びにいったらいいんじゃない?今日は私が子供達をみるからさぁ、休んだら?」
といったら
「違うだろ!まずは『ありがとう』だろ!!」
だと。
因みに私はもうすぐ臨月で休職中、夫が子供を望んだわけだから、感謝されるべきは私の方でもあるのだが。
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追記。
どうやら夫も子供もご機嫌なようだ。
もうこの件はなかったことにした方が良さそう。
私のオチ度0と思ってたが、
夫の被害者意識を刺激する行動があったようだ。
とはいえ、
夫は10時に起きてきたので、
子供たちが「早くしろ!」と夫から強く叱られるのが目に見えているので、
私が片付けないルートはなかったとおもう。
なので、
次回似たようなことがあれば、
「すぐに出られるように一通りすませておいたよ〜」
「あとはお願いね〜」
「いつもありがとね〜」
という。
「お母さんが動いてもし今早産してもお父さんのせいには絶対しないから安心してね〜」
といった方がいいかは迷う線ではあるが、
夫の被害者意識の強さを考えると煽りととられる可能性があるのでこれは止めとする。
あと勤労感謝の日じゃなかったらしい、
「1123(いいニーサンは)働いている」で覚えておく。
同僚に子どもが生まれた。しばらくは子どもがかわいいと浮かれていたが、ここのところは愚痴っている。思ってたんと違って嫁の親が孫の面倒をあまり見てくれない、と。
そんで嫁の親はおかしいのだろうか? 関わってみるといい人だが癖が強いようにも思えるのだが、なんて同僚は言う。嫁が出産入院している間、同僚宅に泊まり込みで家事をしてくれたというお義母さんに対してその言い草だ。
同僚は平時から被害者意識が強く、こいつにかかればどんな人でもちょっとした失敗や性格の瑕疵などのために悪人とされてしまう。なので同僚に真正面から物を言うと面倒臭い事にしかならんから、同僚の言うお義母さんの悪口、同僚の嫁が同僚にこぼしたお義母さんの悪口を、自分はふーん、それはやだねぇ、なんてゆるふわに流すに留めたが、おそらくそういう自分にとっては当たり障りない対応も同僚には気分次第で冷たい奴だなんだと悪く取られていることだろう。
ともあれ、自分が思うに同僚のお義母さんはわりとふつーだ。シンプルにもう年だから疲れてんだよ。赤ん坊の面倒みれるほど体力有り余ってねえの。
世の中の人達は軽率に子育てするのに親を頼れっていうが。それは自分自身がまだ10代や20代前半の若くて未熟な時ならば通用するけれど、三十路を超えたら通用し難い。自分がそれなり歳を重ねていると同時に親ももういい歳である。時代が時代なら子供夫婦に生活の保障をしてもらって、盆栽とかお茶とか体力の要らない遊びをしてのんびり暮らす歳だ。
そういうじーさんばーさんに今から孫の面倒お願い! っていうのはなかなか酷なことだぞ。たとえて言うなら既に一度退役した老兵を少年兵のサポートをするためにまた戦地に送り込むようなもの。倫理的にも微妙だ。だってじーさんばーさんは若い頃に頑張ったんだから。それ以上頑張れっていうのか。いつまで頑張り続ければいけないのか。
という訳だから。今時はじーさんばーさんも気持ち的には孫の面倒を見るとか可愛い娘息子のために色々してやりたいと思ってるらしいし言うけど、いざ実行しようとするとどう頑張っても体力が追いつかんなんてことになる。
それでも孫の面倒を見てもらっている現役父母というのはいるものだが、老いてますますバリバリ元気なスーパーおじいちゃんおばあちゃんに恵まれたのでない限り、内情はエンタメとしての「孫育て」という名のアクティビティを楽しんで貰う為に下準備や根回しを用意周到にしてやっと実現させているのではないだろうか。おじいちゃんおばあちゃんに孫を見てもらったおかげで束の間の休息を得たり多忙なスケジュールを何とか乗り越えることが出来た。けど、すっごい疲れたナー。とか思ったりなどして。
自分が二十代の終わりくらいの時、久しぶりに自分の両親や昔よくしてくれた親戚のおじおばや近所の年寄りに会う度にちょっとびっくりさせられたことがある。昔は自分の話をうんうんと何でも聴いてくれた大人達が、今となってはこっちが会話をリードしてくれるのを笑顔だがずーっと待っている。みんなそうするのだ。その時自分はもう甘える様な歳じゃなくて、この人たちを支えて行かなきゃいけないんだとしみじみ思った。
思考の幼さ的におそらく高校生か大学1-2年生くらいだと思うが、大真面目に回答するね
・あくまで選択的だから同姓にしたい人に迷惑かけないって本当?
経団連とかが非効率的だからやめろとか言ってるんでしょ?同姓を選ぶ人間は非効率的で会社に迷惑な無駄な休みを取りたがる阿呆として吊し上げる気満々じゃん。同姓希望者に迷惑をかけないって嘘だよね?
まず「阿呆として吊し上げる気満々じゃん」からして根拠がない。賛成派の大半は、その賛成の理屈から明らかなように「私達は勝手にやるから貴方達も勝手にすれば」という考えで生きているので、同姓希望者がどんな人間なのかに興味はない。そして、(同姓選択者ではなく) 選択的別姓反対派のことを内心で馬鹿にすることは確かにあるかもしれないが、それをもって「迷惑をかけられている」とするのは誇張された被害者意識というもの。ここでいう「迷惑をかけない」とはもっと現実的な生活への影響をもたらさないことを指しているのであって、反対派のお気持ちケアはそれには含まれていない。
・子供の姓どうするの?
多数派ではないのかもしれないけど「お互い親の姓を守りたいから」という理由で夫婦別姓を待ちつつ事実婚に留めてる夫婦も少なからずいると聞く。子供が二人いれば按分できるかもしれないけど片方死んだらどうするの?残った子どもの姓をどっちにするか奪い合うの?もう一人産むの?でも長子と次子とで区別はするんでしょ?長子をどっちの姓にするかどうせ揉めるんじゃないの?
もちろん中にはそういう夫婦がいるかもしれないし、残念なことに片方が夭折して揉めることもあるかもしれない。しかしそうではないケースも沢山あるだろうから、その分だけ救われる人がいると言えるだろう。かつ、そういった残念なケースの場合でも、最初から選択肢を用意しないほうが良いなどと考える合理的な理由は全くない。長子と次子で揉めるだの何だのはもはや個別の家庭の事情であって、立法を論じる際に考慮する意味はない。
女が男の姓になるのが大半、という現状はわかる。それを選択的夫婦別姓で切り崩すの?どっちの姓にするかは夫婦それぞれ、てなった方が問題を先送りにするだけの夫婦別姓より男尊女卑が遠のくと思う。
いまいちポイントレスな問題提起なので回答しづらいが、もし元増田が「別姓選択可よりも同姓強制のほうが男女平等だ」と考えているならば、はっきり言って意味不明なので、その理路を説明してほしい。現状すでに「どっちの姓にするかは夫婦それぞれ」であり、その現状が男尊女卑と叫ばれているわけで、選択的別姓がその男尊女卑をさらに強いものにするロジックが全く思いつかない。どう考えても別姓可のほうがイーブンでしょ?
・なんで結婚したいの?
婚姻関係にないと与えられない権利とかあるのはわかるんだけど、じゃあその権利をパートナー制度とか作って保証できるようにした方がよくない?
そんな新しい制度をもりもり作ったり変更したり面倒なことをするよりも、婚姻という制度ひとつだけを変えてしまうほうがよくない?
姓の変更に伴う手続きが雑多だという愚痴は多い。けど、それを簡単にできるような施策は走ってるわけで、そっちには触れないどころかないことにしてるのよくわからない。
姓の変更手続きだけでなく、姓が変わること自体が面倒という意見が多数なのでは?そのカウンターとしての通称使え論があるわけで。マイナカードで便利になってくれたらそれは嬉しいけれども、議論の次元が違うかなと。
・むしろ姓にこだわってアインデンティティをそこに求めてる人たちなの?
それでも別にいいんだけど、選択的夫婦別姓賛成派の人たちは「そこにこだわりはない」と言い張るけど、とてもそうとは思えない。別にそれでいいんだけど、そうなると「伝統とか言ってるけど、姓ができたのは明治からです」と整合性が取れない。
「とてもそうとは思えない」などと断じる相手とは議論したくない・できないと思うよ賛成派も。色々な人がいるに決まってるよね?君の想像力や視野は世間一般と比べてかなり弱い・狭いほうなので、あまり他人や物事について断定するような思考は意識的に控えたほうが良いと思うよ。ついでに言うと、明治からできた姓というものにアイデンティティを求めることの何が非整合的なのか説明してくれる?
連続強姦事件の加害者はカウンセリングをしないと何も進まないことがあるように被害者意識を抱えていることがある
「男性が性加害者になるのは、幼児期に女性から性加害を受けたのが原因だ」という言説を唱えている方がいらして、私は、素朴に疑問を感じる。
女性の多くが性被害にあっているが、加害者になる女性は少数だ。
むろん、その被害はキモイと言われ続けたり、無視されたり、ばい菌と扱われたり、学級裁判を開かれることで、一般的には性加害とは言わない
だが、これらの行為を負の性欲と行使と考えれば性加害になるという考え方があってね
ナンパ師界隈で強姦してる人は過去にキモいと言われ、それを努力して直した人がちらほらいる
あと、アメリカの研究で連続強姦事件の加害者は女性からいじめられてるケースが多いと言われている
なので、女性が悪いんだよ
だから、その時点で同罪さ
投票権を放棄したことのある奴は被選挙権を失くすとか公職選挙法に書いてあるか?投票だけが政治参加の唯一のやり方だと思ってるからこんな寝言が出てくるんだよな
「政治について考えられる奴がマトモな大人」という選民意識だけは一丁前に拗らせている(ただ周りのそういう風潮に流されているだけなんだろうが)くせに、自分がこれといった政治に対する確固たる視座を持ち合わせていないことを勝手に後ろめたく感じてたまに「選挙に行った」という事実だけを拠り所にしている怠惰な暇人の言説
人の目ばかり伺うバカのくせにアリバイ作りのためだけに選挙に行くな。てめえがそれで安心するなら行ってもいいけど選挙に行かない奴を見下すな
追:俺は直近数年の投票機会は全て使っている。でも投票してないやつも言いたいことが有るやつは政治の議論に参加していいに決まってるだろ
言いたいことがない、議論の下地がないのになんかイイコトを言おうとして「選挙に行かない奴は~」みたいなことを言い出す奴は単なる議論の妨害勢力なのよ
こんな要らない予防線張らないと会話にならない連中が居ることが我慢ならないの。分かるだろ
まあ何も行動を起こさずに被害者意識だけ高い奴をキモがっちゃうのは真っ当な感性だと思うよ。てめえがそいつとの議論を拒否するのは自由。でもキモいからって「資格ない」まで飛躍しちゃう奴には俺は趣味が悪い、議論の素養が無いと言いたいね
じゃあ、身もふたもない話をするわ
キモイだと余計な被害者意識だけ抱いてNOということが通じねえんだよ
世の中、察しのいい人間ばかりと思うなよ
だから、はっきりNOといったほうがいい
そのほうがまだ伝わる
なんかたくさんブクマとコメを貰ったのですが、一部誤認されている方も多いので言っておきますと、すでに彼女達とは別れています。
一部の方々に強い賛同をもらえて嬉しいです。特に「増田はこの考えに至るまでにとても多くの時間を使ったんじゃないかな。彼女さんはどれだけ時間使ってくれてたんだろうね」と言ってくれた方、とても嬉しかったです。
お気づきのとおり、彼女は自分の気持ちを知って欲しいだけなので、相手側の立場に立って考えるということをしません。
少なくとも私は誠実に相手を理解するために、たくさんの時間を使いました。それこそ、一部の方々から粘着と揶揄される程度には、きっちりと相手を見ていたし、それに対する自分自身の反応も分析してきました。そのうえで、やはりこのコミュニケーションは駄目だと思います。詩への昇華や転嫁は自己解決の手段として使う事は出来ますが、それを使っても相手との関係値は深まることがなく、永遠に平行線が続くだけです。そうするしか選択肢がなくて追いやられた結果なら悲しいことですしそうするしかないのかもしれませんが、最初から相手と向き合うつもりがなく自分の精神的世界に引きこもって独り遊びをするのは、単に子どもで卑怯なだけです。
誠実なパートナーとして相手を信頼できるかどうかは、何か大きい障害や問題が起きたときでも、この人となら一緒に解決していけるという自信や確信が持てること。彼女たちの多くは、自分自身を理解されたがってはいましたが、自分の方が相手を理解しようとしたり相手とテーブルについて、同じ土俵で擦り合わせをする能力に欠けています。促しても教えても、受動的である限りこちらが相手をリードするしかない。それは見方を変えるとコントロールであり、立ち位置が変わればモラハラと表裏一体です。
私は彼女を支配下に置きたくはなかったし、コントロールするのもされるのも嫌でした。
私は自分が彼女に対してモラハラをしないため、自分を守るために彼女から離れるという決断をしました。
故に、私はモラハラでもパワハラでもないと自信をもって言う事ができます。
昔、私とのすれ違いか何かで彼女が詩か何かを作って投稿したのを見てた事があって、その詩が私が原因で落ち込んだ事と、その落ち込んだ自分の気持ちを詩で昇華してる事が傍目から見て私にはわかったんだけど、そのとき滅茶苦茶モヤモヤしたのを覚えている。別にそのすれ違いはすぐにでも解消可能なものなのに、勝手に落ち込んで勝手に詩を作ってsnsに投稿して反応もらって慰めてもらっている一連の状況が、私からすると私との関係性においてなにひとつ自分から努力も行動もしないのに、気持ちだけは慰めを欲して周りにぶつけているようにしか見えなかったからだ。本人が見えるところにそれを投稿することも含めて、語彙力を極限まで薄めて誰にでもわかりやすい言い方をすると「すごい嫌な感じ」だ。寂しさもすれ違いも、相手ときちんと向き合って自分で解決すればいいのに、それを詩に昇華して間接的に周囲から同調を買ったりこちらに訴えてくるやり方に、とにかくひたすらモヤモヤした。
もちろん私はその事を本人に直接伝えた。
ものすごくモヤモヤする投稿で、あなたは気持ち良いだろうが私は嫌な気持ちだ、と。
結局、彼女は投稿自体を削除するわけだが、そのときに「ここでは詩は投稿しない」(後に短歌も作らないということになった)という風に彼女は言ってくる。
今考えると、これは戦略的な無知だったのではないだろうか、と思う。
私がモヤモヤしたのは、仮にも交際している相手との間で起こったことをネタに詩を作って本人の見えるところで投稿し、自分自身にも改善することやできる事があるはずなのに、それをせずに投稿から同情や共感を買ってる姿に腹が立ったのであり、創作そのものを否定したことはない。そもそも論、創作自体苦手な彼女だったので、詩も短歌ももともとライフワークではなく、たまたま私が短歌を趣味としていたので向こうも関心をもって作るようになったという部分があるなかで、これみよがしに不安や不満を詩にして頑張ってる自分への応援みたいな形で出される事が、私にはあてつけのような行為にしか見えなかった。互いの間にすれ違いがあるなら、互いの間でシンプルに解決すればいいしそれが可能なのに、それが出来ない自分自身を見つめ直すことも相手と向き合うこともせずに、突然始めた創作にそれをぶつけて見えるところに置いておくというのが、たまらなく私には嫌なことであった。
そして何よりも嫌なのが「詩を作ること」をやめる、という解決手段を彼女がとったことだった。問題は、二人の間のすれ違いそのものと向き合わずに、外側にそれを向けて共感を買ったり同情を得ている姿にあるのに、根本的問題を「詩を作ったこと」にすり替えていた。そうすることで、「彼氏は私が詩を作る事を嫌がる」という認識のすり替えを起こし、まるで「詩を作る事を制限されている」かのように認識をバグらせていた。そうすることで、何か異常な要求を自分がされているような状態を引き起こし、それでも相手に合わせている自分という構図をマッチポンプのように作り出して、被害者意識を拗らせた上で自分の深層心理を守っている様子がまざまざとこちらからは見えた。それは自分自身が行った陰湿なコミュニケーションへの罪悪感から目を逸らすための行動だったし、恣意的に相手の発言に対してストローマンを作って詭弁を使って相手からの批判や否定を封じるための行動だった。
こういう戦略的な無知や詭弁は、相手とのコミュニケーションを破壊する。
自分にとって都合が良いときにボケて何もかも分からないふりをする老人のように、自分と向き合っている人の尊厳やあり方に対して、低いところからジリジリと行われる攻撃だ。
カヴァート・アグレッションの特徴は①はぐらかす ②問題をすりかえる ③真相を隠す ④被害者を演じる ⑤無知・混乱を装う ⑤人のせいにする といったところに現れる。当時は、それが隠れた攻撃性だとは認識していなかった。いま冷静になって分析すると、こういう見えない攻撃をたくさん受けていたなと思う。何故、かつて自分が付き合っていた人たちが、エネルギーバンパイアと化してしまったのか、それはどのようなところに現れていたのか。こうして形にして整理することは、未来の自分のために必要なことだと思った。彼女達はこういうコミュニケーションを取ることで、隠れた攻撃性を向けていたし、それを通して私をコントロールしようとしていたのだなという気づきが私にとっては大きな学びだった。
何故か運気がどんどん下がっていた理由は、こういうところに原因があったのだと思う。エネルギーバンパイヤの定義を調べたときに、彼女たちに対して抱いている認識とは異なる印象を持っていて、自分の中で彼女たちがエネルギーバンパイヤであるという確信を持たないでいたが、自分自身に起こった現象や状態はエネルギーバンパイヤと一緒にいるときとまったく同じだった。多分、意識していないだけで、本当はもっとあるんじゃないかと思う。ひとつひとつ向き合って見つけて、彼女達との関係性の中で受けてきた傷や絡まった糸を解いていこうと思う。
男の子を育てていると、女の子の方が大人しいし落ち着いているし
その批判も浅すぎるというか本当の問題をきちんと洞察できてないというか。
さわ🦕🦕🦕
@sawaaaaaaiii
男の子を育てていると、女の子の方が大人しいし落ち着いているし周りと調和も取れていて生物的に優れてない?ってどうしても思ってしまうんだけれど…
社会に出ると偉い人の男性比率は高いし、本当になんで??って首を傾げたくなる
この🦖がいつかは人間になるんですかね…
発端の発言はこれ。
これは見た瞬間、発言内容を貫通して
「なんだこの発言?」 「この発言の意図や動機は?」 「発言者の立場は?」
はてブの反応はそこまで行かず、
発言に批判的なコメントにしてもただ「短絡だヘイトだ差別だ」って言ってて
もちろんそれもあるけどそこだけじゃないのよ。
じゃあ何なのか。
わかる人間はもうこれ見た瞬間にピンとくる、「あ、これ媚びだな、お追従だな」って。
これはなんかしんねえけど文字見た瞬間パッとわかる。
主体的なヘイトなのか、誰か別のヘイターへの媚びなのか。このママは後者。
「さわ🦕🦕🦕」
これ何だと思う?
これは恐竜三匹、
キッショイよねえ。
いまはデカい枠組みの話をしてる。
つまり、こうやってなんかしらんけど子供の性別とか年齢とか「基礎情報」的なものを
アカウントやプロフィールの目立つとこに全開示して交流するっていう
この人はそのルールに従ってるわけ。
ごめんもう性差別するわ。
男女の優劣って話に乗るならば、
すぐこういう無駄に細かくて本質的でもないみみっちいゴミルール無限に作って
そこに従わない奴をネチネチいじめて揃えさせていくゴミそのものな非生産的界隈を作りがち
って言うその一点で個人的には女って男より生物的に下だと思う。
しかも女は自分らのそういう不味いとこをせめて自覚や自戒してるならまだしも、
実際には逆にそんなくっだらねえ有害無益なことを「落ち着き」 とか 「周りとの調和」 とか表現して女同士で悦に入っちゃってるわけ。
んでそういう女のゴミなとこを指摘して笑ってやる人が現れると頭おかしくなったみたいにヒスるか黙り込んで泣くでしょ?
そういうコアな批判に反論していくなり指摘を受け入れて改善するなりという事は決してなく、楽ちんで甘美な”被害者”に逃げ込むっしょ?
女同士ですらわりと陰湿で加害的な振る舞いをするのに、それを言われるとひたすら被害者ぶって耳塞ぐ。
だから個人的には女って言葉すら通じねえから適当に調子合せるしかない低能どもだなと思う。心底思う。
うんうんそうだねって合わせてやって、あまり調子に乗るなら怖い顔になってわからせるっていう頭悪いガキの躾みたいに対応するのが一番合理的。
でね、このさわママはそういう女の下劣面たるルール志向やいじめ趣味・差別娯楽にいま苦しめられてる人だと思うんだわ。
昨今、ネット中毒のキチガイ女の界隈内で猛烈な男児叩きの風潮があるわけ。
男児に性加害を受けたというおばさん達の報告がネット上にたくさん上がっててちょっとしたブーム。
その”被害報告”はすげーよ。
道で見知らぬ小学生に迫られキスを要求された子持ちのアラフォーおばさん(小学生は「奥さん」 と呼ばわって口説いてきたそう)だの、
銭湯の女湯でママに連れられた3歳男児に性加害を受けたうえ暴れる3歳児を取り押さえられず脅威を感じた成人女性だの。
まあもう一読して話者の知能やメンタルを疑ってしまうレベルの荒唐無稽な嘘松なんだけど
そういうのが女性に大バズリして5万いいねとかつくようになってるの。
女の界隈の娯楽が行くところまで行ってしまったなという末路に見える。
従来はキモオタとかをダシに使ってたんだけど近年は猛烈に反撃されて怖い思いするようになったので
殴り返してこない男児がターゲットになってきたんじゃないかって言われてる。
で、これを我々は笑ってられるけど
そうではなくて、
ネットに基礎情報(このママの場合は男児ばっか3人育成)開示して社交をしているママが
近年のネットの女界隈での異様な男児叩きとヘイトの空気に恐れをなして
男児叩きに追従しながら「私は”わかっている側”ですから見逃してください」
と言うものだと思う。
マジで。
恐ろしい話でしょ?
「性差別的発言してまでそんなもんに追従するぐらいならくだらんネットを絶てよ」って意見もあると思うけど
人によってはネットが社会であり世間だし、基礎情報開示するぐらいネットがリアルである人ならネットのリンチの空気には委縮して追い詰められるよね。
そういう視点でママのログやら昨今の男児叩きの盛り上がりやら裏取ってみてほしい。
家族を守るために先に家族内で処罰を加えて「「この通りです」と社会にアピールする、
そういうエピソードって本とかでは読んだけどさ。
あっ本当にやってる!
愚劣なリンチもそれから逃れるための適応力行動も本当に人類のリアルなんだ!
っていうのを近年のネットのあの界隈は見せてくれるんだよね。
はてブでよくあるみたいに雑に撫でて吊るす前に
まで見てみてほしい。
おわり。
「みんながヘイター扱いしたこのお母さんは(表面的な言辞とは別に内的動機として)ヘイターではなく、ヘイターの脅威で言動が変になってる気の毒な人なんじゃないの、
っていう話をしたんだけどさ。
この程度にいりくんだ話だとマジで読めね~いつものアレが、「今から性差別しまーす」って書き方で書いておいた部分のみにくいついて「あ!こいつは性差別者だ!僕の知り合いの女性はお前みたいな差別主義者より上等でちゅ!」
とか言いに来てるわけ。
お前らはさ、
誰かより上等な理性とか高い見識のような、
「平均より優れたなにか」を持ってるんじゃないのよ。
そういうことをほとんど読めないわけ。
構造的に少し入り組むと全く読めなくなる。悪口とかじゃなくマジで。
お前らにとってこのエントリのほとんどは脳に入ってこない、お前らのそういう困難さを俺はもうお前らよりもよく把握してる。
そんな平均よりやや読解や思考が苦手なお前らが
それでも大声で「議論参加」をするために編み出したのが、
「いーけないんだ!」
ってやる精神活動なわけじゃん。
なにか治療法やその糸口はあるのか、生得的限界なのか、どっちなんだろね。
別のひでーのにバトンタッチしやがった
見た瞬間、発言内容を貫通して変な匂いがする(太字)。わかる人間はもうこれ見た瞬間にピンとくる、「あ、これ媚びだな、お追従だな」って(太字)。なんかしんねえけど文字見た瞬間パッとわかる。/暇空とか好きそう
2024/10/15
→暇空とか好きそう!暇アノンだ!
内容よくわかんねえ、
だから表層や断片から「こいつはきっとこうなんだ!」って非難する。
「部落だ!」とか「在日だ!」とかが「暇アノンだ!」になっただけ。
事実や論理はどうでもよくて「相手は劣った忌まわしい奴なんだ!」って吠えるスタイル。
これより上等な処理をするスペックが脳にない。
これさあ、
俺に対してとかじゃなくてずっとこんな感じの処理しか出来ないIDがかなりの割合でいるし、
ここはそういうのがちょくちょく支持の星を集めて上位になってる。
バカにした感じで書いたけど
お前らよりも率直にお前らの困難を計れてると思う。