はてなキーワード: 肥大化とは
まずは朋花、誕生日おめでとう。これからも一緒にがんばっていこうな。
という訳で、天空橋朋花さんの誕生日を記念して、僕の中の「天空橋朋花観」について、長々と意味もなく綴っていこうと思います。
はてなで、というかツイッター以外でネットに文章を書くのが初めてなので、読みづらいとかそういうのは勘弁してください。
まず軽く自分語りをします(興味の無い方や急いでる方は飛ばしてもらって大丈夫だと思います)。
この文章を書くに至った経緯です。僕はリアル、ネットどちらにおいてもあまり知り合いが多いほうではないです。その中でアイドルマスターに関心があり、更に「〇〇観」みたいなこじらせた、深い話をできる相手って本当にわずかなんです。ていうか多分1人か2人しかいない。
なので、公式に与えられたテキストと自分の解釈だけでアイドルの像を創ってきたんですが、最近それが怖くなってきたんです。
佐久間まゆさん担当のプロデュンヌさんの話とかあったじゃないですか。あれ、このまま突き進んでいったら僕にも起きうるな、と思って、ならいっそ匿名で思いの限りを書き殴って、ガッツリ批判でもしてもらって、ガス抜きでもしようと思った訳です。
なのでこの文章を読んだ方、是非URLつきツイートをしてほしいです。読みづらいとか長いとか気持ち悪いとか全然天空橋朋花をわかってないとか、批判的な内容で全然構わないので。とにかくこの文章の存在意義は、多くの人の目に止まってもらい、感想をもらって、ある種の答え合わせをすることなのです。
初めにちょっと天海春香の話をします。かなり前の話になりますが、「天海春香は神格化された」って話を聞きました。多分ムビマスの「私は、天海春香だから。」ってセリフで、天海春香はアイドルマスターの象徴として一つ上に登って、そこに初期の等身大の女の子はもういない、みたいな話だったと思います。僕はアニマスからのPなのであんまりそこらへん詳しくないんですが。これ、ちょっと朋花の聖母としての在り方に似てるなと思いました。天海春香はどちらかと言えば作品世界外の話、朋花は作品世界内の話なのでそこはちょっと違いますけど。
ミリオンライブの世界において、彼女は自らを「聖母」と称しています。迷える子豚ちゃんを導くのが彼女の使命なんだそうです。
初めて彼女に出会ったとき、ちょっとした恐怖を感じました。だってこの子15歳ですよ?そんな1人の女の子が、自己を完全に殺して、大衆のための存在となる。そんなことができるのか、あっていいのかと思いました。ここらへんはMaria trapをそこそこ聴いてくれれば言ってることがわかると思います。
それでしばらくこの子のことを知っていくうちに、今度は疑いのような物が浮かんできました。
「天性のシスター」や「楽しいイルカショー」、「幸せな空の夢」辺りのカードを見ていて、この子は本当はまだ自分を殺せてはいないのではないか、必死で「聖母」を演じているが、まだ心の内に15歳のただの女の子「天空橋朋花」をもっているんじゃないか、そしてそんな不安定、不確定な状態の彼女を、僕が「聖母」として売り出していくのかは本当に正しいことなのか、なんて考えに変わってきたのです。まぁもちろん本人が聖母であることに苦痛を感じているわけではないと思うんですが、それによって失うものを、彼女は諦めきれているのか?って話ですね。
そして今日の誕生日のセリフが来るわけですよ。彼女は彼女の誕生日を祝福する子豚ちゃんを前に、「これからも聖母として、永遠に君臨し続ける」と宣言したのです。鳥肌が立ちました。
冒頭で触れた「天海春香の神格化」は、恐らくはアイドルマスターというコンテンツの肥大化によって、天海春香の考えとは無関係に起きてしまった、あるいは起きるべくして起きた現象なんですが、天空橋朋花は、自らの意思で、自らの選択で他人のための自分、「天空橋朋花の聖母化」を決めたわけです。これがどれほどの覚悟なのか、僕には正直想像もつかないです。(表現が結構アレですがさすがにここまで読んだくれた方の中で「二次元のキャラクターの意思ってなんだよ」みたいな考えの方はいないと想定してそのままにします。)多分、とっくの昔に覚悟は決まってたんだと思います。
朋花がどのような経緯で「聖母」になったのかは分かりません。その起因は、彼女をプロデュースする上でそれほど重要なものとは思ってないのであんまり考えてないんですが、きっとその時に彼女は死ぬほど悩んで、泣いて、怒って、その上で「聖母」となる覚悟を決めたんだと思います。
そんな彼女の覚悟を、アイドルとなった彼女しか知らない僕が揺らすのは無粋だと思いました。なので僕はこれからも「聖母・天空橋朋花」を僕の全力を持ってプロデュースし、聖母としての彼女の願いを叶えるお手伝いをしようと思います。例え朋花が僕に対して特別な何かを伝えようとしても、僕はそれをはぐらかすか、はっきりと「今は答えることは出来ない。」と拒絶するかのどちらかしかできません。それが今回の誕生日セリフを見て僕が決めた覚悟であり、僕の考える最善のプロデュースなのです。
それでもいつか聖母でいる必要がなくなった時(それがアイドルを引退した時か、はたまた世界中の子豚ちゃんが救われ、聖母の存在が必要なくなった時かわかりませんが)が来たなら、15歳だった天空橋朋花が何を考えていたか、聖母になることを決めたときの天空橋朋花がどんな葛藤をしたのか、話を聞いてみたいものですね。その時なら、僕もきっと「天空橋朋花」の言葉に対して、正面に立って答えられると思います。
ここまで読んでいただきありがとうございました。プロットなしで迸る衝動だけで書いたので、誤脱とか、叙述ミスとか、読みづらいとか色々あると思います。それでも、今日という祝うべき日に、これまでの自分の天空橋朋花観を記録して、他人に見てもらいたいという思いが強くありました。
TA01がゴミとか、まえのりで言ってた子豚ちゃん以下なんて表現は有り得ないとか言いたいことはまぁまぁあるんですが、とりあえずここらで一旦筆を置こうと思います。
最後にもう一度だけ、ここまで読んだくれた方、是非URLつきツイートしてください。よければ感想もください。自分は無名Pで、拡散力は毛ほどもないんですが、それでもこの文章はできるだけ多くの人に読んでもらい、できれば考えや感想をなんらかの形で頂き、そして願わくばより多くの人に天空橋朋花の魅力を知って頂くために書いたものなので、まずは人の目に触れなければ意味がなくなってしまうのです。
追記
追追記
やっと読んで欲しかった方々に読んでいただくことができ、同意だったり批判だったり様々な意見を聞くことが出来ました。ツイッターで拡散してくれた方、本当にありがとうございました。この文章がその意義を果たせたのはあなたのおかげです。
そうです、僕は僕が今日まで築いてきた天空橋朋花観しか持ち合わせがありません、よければ皆さんの中の天空橋朋花のお話も是非聞きたいなぁと思っております、まずはお友達からよろしくお願いします(匿名ブログを使いながら
http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2016/10/post-6110.php
によせて。
日本のマスコミや論者は二大政党制度を何か良い思想のように扱うけれど、AorBではどちらの選択肢も選びたくない場合やそういう層がいるというのが、今回のサンダース&トランプ現象の本質だったのでは?
経済や世界情勢が複雑化する中で、様々な論点があって、その多種の論点をAorBの2つの選択肢に集約するっていうのは無理がある状況って有るんじゃないのかな。日本だって同じで、例えば憲法問題において自民党はイマイチだよなあと思っている有権者がいたとしても、経済政策なんかを考えれば民進党に票を入れるのはそれはそれでダメぽよという気持ちになることも有るでしょう? 幾つもの制作方向性を強引に2種パッケージにまとめれば、それぞれの整合性が失われて自縄自縛になることは想像に難くない訳で。
そりゃまあ、大半の有権者にとっては選択肢が多くても、敷居が高くなって難しくなるだけかもしれないけれど、しかしそれでは選択肢そのものが陳腐化してしまうっていうのが、現在の世界状況なのではないかな。
日本のマスコミや論者は二大政党制度を何か良い思想のように扱うけれど、それはただ単に主に新聞系メディアが、反与党的なキャンペーンをするために持ち出した、日本特有の幻想なのではないかと思える。あるいは、選択肢が一つしかない状況よりはふたつのほうがまだマシというだけのはなしであって、政治において二大政党というのが何か堅持すべき神聖なナニカであるかのような考え(つまり冒頭の記事に透けて見えるそれ)って、欧米崇拝以上のものを感じない。
旧民主党のとき「これからは二大政党時代」「日本にもやっと政治の夜明けが!」みたいな煽りをマスコミはさんざんしていて、実はその予熱みたいなものを時たま見かけるわけだけど「二大政党」になったからといって、それらの政党の出す政策がましになるという保障はどこにもない。うんこ味カレーvsカレー味うんこみたいな結末は、十分にありえるわけだ。
むしろ二大政党(あるいは大統領予備選のような二大候補)になった時点で、「国民の多くが抱えている問題意識とどう向き合うか?」という政治的誠実を武器にするよりも、相手のスキャンダルを叫び立てるdis合戦をしたほうが「勝負」としては合理的になるのではないかな。戦略としてはそのほうが有効で、それを愚直にやるほうが勝つ――そういう現実が今回の教訓なのでは? (決して好きではなかったけれど)舛添旧都知事を都民が事実上更迭したのも結局はそれで、政策というよりはスキャンダルだった。「選択肢をしぼってわかりやすくする」という発想は、政策論争や選挙から、国益の判断を奪ってスキャンダル合戦だけを肥大化させてしまうんじゃなかろうか?
「性の喜びを知りやがって」発言の一般人男性が盗撮されネット上で玩具にされている事について
http://togetter.com/li/1039729
これ、ツイッターでも散々話題になってるけど、やれ「自分がされたらどう思うのか」とか「なぜ野放しになっているのか」とかね。いやいや、いい子ぶらないでくださいよwww
みんな大好きでしょ、テレビや週刊誌。これは、「ゴシップ」ですよ。
自由な市民の撮影は盗撮だの言われるのに、相手が芸能人や政治家になればプライバシーをどれだけ侵されても「そういうものだから」で憤りを覚えたりしないでしょ?週刊誌がやれば「スクープ」だって言って、ニュースとしてさも当たり前のように受け入れるでしょ?
そもそもこの構造が異常なんですよ。人権なんてない、営利目的のいじめ。有名税とかいう虚構の処刑場。
これが単に、「平等に」市民もできるようになった、っていうだけなんですね。週刊誌がやっていいなら私達もやっていいじゃん。当たり前ですよね。
一般人だからってのが問題なんですか?有名人の人権なんてないけど俺らと地続きの人間は嫌だって?
「性の喜びを知りやがって」の動画観ましたか?統合失調症の人のは?あるいは恒心教が奉ってる人は?様々な迷惑行為をネットで自慢した人は?みんな、晒されるだけの理由があるんですよ。
その人がコンテンツ化するかは、発行部数、視聴率、ページビュー、再生数などの、著しく民主主義的な数字によって制御されています。いやむしろ、企業によって権力が独占されていない、ネットのほうが言論が自由なことはここ読んでる時点で疑わないでしょ?
理性無く肥大化した権力となったメディアに対抗する手段として、市民一人ひとりがスマホを持って同じことができるようになるってのはすごく重要なことでしょ。
アメリカ合衆国憲法の権利章典修正第2条にも「規律ある民兵は、自由な国家の安全にとって必要であるから、人民が武器を保有し、また携帯する権利は、これを侵してはならない。」とありますしね。これは表現の自由という暴力を皆が持つことによって自由主義の存在を確立する構造なんですよ。アメリカで銃規制が不可能なのと同じ。
え?個人の自由が侵害されるって?そもそも自由主義で自由が守られるわけ無いでしょwww
ちなみに自分はネットで晒されるような行為をする予定はありません。不慮の事態でなるかもしれないって?それ、テレビや雑誌も一緒では?貴方や貴方の関係者がなにか問題に巻き込まれたとき、マスメディアの人たちは真実や貴方の個人情報の保護なんてどうでもよく利益追求のために好き勝手書くって知ってるでしょ?やってもやんなくても変わんないですよ。じゃあ貴方の隣人がやってもいいよね。
え?訴えられる?逮捕される?いやいや、今時tor browserくらいみんなパソコンに入れてるでしょ?スマホでも匿名通信できる時代だよ?そこらじゅうにフリーWi-Fiが飛んでるんだよ?
長い長い、永遠とも感じる不況により、日本は超少子化・超高齢化からさらなる東京一極集中が進みそうだ。
このままの状況だと、日本は緩やかにアフリカ化していくかもしれないと思っている。
まぁ、多分そうはならないとも思うが。
アフリカ、と一緒くたに語ることはもちろんできないが、大雑把にアフリカ諸国の問題を見てみよう。問題は複雑極まるが。なるべく単純化して。
1.アフリカは近代以前にまともな国家がなかった。あるいは植民地化によって政治がリセットされた。これにより、国家の基本である、「国民の大多数を占める農民から税を取り、それを基本収入とする」という段階が存在しなかった。大雑把に言えば、「行政が全く行き届いていない状態」だった。
2.独立国家となった後の収入は、地下資源と他国からの援助である。これが、「行政を国民に行き届ける」必要性を失わせた。つまり、国に遍在する農業を生業とする国民たちを無視しても何ら問題ない状態のまま、「国家」が成立してしまった。
3.国民の大部分は、生きようが死のうがどうでもいい存在である。税が取れないから。取ろうとしなかったから。取らなくても別にいいから。取る苦労なんてゴメンだ。援助が降ってくるし、黙ってても地下資源が金を稼ぐ。
4.政府が国民(農業民)を守る意味が完全になくなった。むしろ、邪魔な存在となった。農業民から上がってくる税金や作物は極小。むしろ税や作物を取り立てるコストのほうが馬鹿でかい。
5.こうして、行政の行き届かない地域に軍閥が跋扈する。応仁の乱以降の戦国時代と同じ状態。地方の顔役、豪族、長老が行政の代わりに台頭してくる。そして、彼らはもちろん、鉱山などを制圧する。農業民は金を持ってないから。支配する意味がないから。
6.そして、虐殺が始まる。鉱山などを維持できるだけの人数がいれば、あとの人間は無駄に飯を食うだけの邪魔者となる。「儲けるために人手が必要」なのでなく、「儲けるためには人間を削減しなければならない」から。
7.こうして地方軍閥は肥大化し、政府にそれを止めるインセンティブはなく(軍閥から上がりを受け取ればいいだけ)、国民は死に続ける。
改善されてきている国や、最初からうまく行った国ももちろんある。しかし、多くのアフリカの国は、まさに今が戦国時代のどまんなかである。刀や弓でなく、AK47でやる戦国時代だ。
秀吉の刀狩りは、軍閥を解体しつつ農民の必要性を大幅に上げ、「農民が国家財政の柱である」と明確に打ち出したものすごく重要な政策なのだが、あんまりこういう評価はされてないな。
ホットエントリなんかのブコメを見ていると、地方と東京の対立をよく目にする。まぁ以前からあったんだろうが。
お馴染みの野菜瞑想運動バカなんかは愚かにも「地方は切り捨てないとダメだ」なんて言ってるが、上記のアフリカの状況を見りゃ「地方を無意味にすることの恐ろしさ」はわかるよな?こないだの新潟知事選、自民党の広告がひどい、と話題になったが(政府とのパイプを維持します、みたいな)、あれは一定の真理はあるんだぞ。まぁ俺は自民をことさら支持するわけじゃないし、あの文言はダメだろと思うが。
日本の場合、地方に行政が行き届かなくなると、そこの領主が軍閥となる。昔で言えば国司や守護だな。現代はもちろん知事だ。まぁ現代日本では私兵は持てんから軍閥とは言わんだろうが。
「地方政治の腐り具合」というのはすなわち、「地方の軍閥度」だ。
行政が地方を切り捨てたら、軍閥は必ずできる。そしてそこにいる人々は軍閥に期待する。せざるを得ない。生きるために。
だから何としても政府は、地方へ行政を行き渡らせなければならない。これは国家の義務であり、存在意義であり、生き残るために必要なことだ。
まぁ結論としては、地方を切り捨てると内乱が起き、一度起きたらそうそう止まらないぞということだよ。
当たり障りのない結論になったが。
世の中には、気持ちよく反論をする、あるいはよどみなく自説を述べることで自分をより論理的(な風)に見せるという目的のために、批判対象の議論を勝手に矮小化し単純化する輩がいる。
「冷房はつけっぱが良い」という話は、ただ「つけっぱの方が電気代が安くなった」という話だけでなく(諸条件によってはこれもありうるが)、「変に我慢して暑さが頂点に達するまで待っても、暑くなったところから一気に冷やすためには涼しい時間帯からゆるゆるとつけとくのと『同じくらい』電気を使う」(我慢するだけ損/不健康)とか「さらにその場合最高出力を全世帯で同時刻にかけることになり『ピーク電力』が上がる」とかのデメリットも勘案しての話であり、詳細は自分の状況に応じて考えようという程度の「提案」である。
しかるにこれら議論を全て捨象して単純に「エアコンつけっぱで電気代が安くなるわけないだろ」などと言い捨てて得意げな奴らが大量に発生した。
似たような事象は数年前「朝バナナダイエット」に注目が集まった時にも見られた。
これは本来「カロリーコントロールをすべきだ/したい」という目的意識と意欲があるものの、「では具体的にどこから手を付けよう」というところがわからない、もしくはそこを研究している時間がないという「意識は高いが忙しい層」に向けて、朝食をバナナに置き換えると「総カロリーの抑制」「朝食は抜かず、一日の活動に支障がない」さらに「食物繊維も取れてなお良し」ですよという考え方のヒントを与えたものに過ぎない。
「バナナを食べれば食べるだけ痩せる」なんて話はどこの誰もしていないのに、勝手にそのようなものの様に決めつけて「反論」し、気持ちよくなっている猿が雨後の筍のように現れたものである。
節電やカロリーコントロールといった生活の知恵に限らず、大抵の知識やテクニックとはこういうものである。
絵描きに「どうすれば絵がうまくなりますか」と質問すると、「デッサンをすると良い」とか「模写をする方が早い」とかいろんな答が返って来る。
結局は人の数だけやり方はあるという事だが、一点だけ誰が何を挙げている場合にも共通する前提がある。「それら練習を通して、自分の絵を客観的に反省し、描きたいもののイメージを鮮明に思い浮かべられるようにしろ」ということである。それをいちいち言葉にしないのは、それこそが「絵を描く」ということに他ならないからである。「絵を描く」ことをしたいと望む人間が、その時点での自分の技術的問題点を認識し「こういうところをもっとうまく描きたい」という問題意識を持って『いない』とか、「構想段階でもっと良いアイデアがポンポン出て来ると良いのに」という野心を持って『いない』とかいう事は、そもそも想定する必要すら意識に上らないからである。
にも拘らずこの場合もまた、現れるのである。その程度の常識的な問題意識も持たず、「デッサンをやってもうまくなんてならないぞ!詐欺だ!」なんてことを言い出す連中が…
おおよそ全てのアドバイスやティップスと呼ばれるものは、「問題意識」が相手にある事を前提に、その「問題意識」に取り組むとっかかりのヒントを与えるだけのものであって、問題意識の有無に係らず万人に適用可能な、ただああしろこうしろという指示のままにエスカレーターに乗っていれば勝手に問題が解決されていてくれるような、甘ったれにありがたい『完全な答』を教えてくれるような神様仏様はこの世に存在しないのである。
しかるにその程度のことも、人生十数年か何十年か生きてるのか知らないが、理解できないくそったれの甘ったれが世には溢れている。
あまつさえ、そうやって自分に問題意識がないだけのことを逆に笠に着て、問題意識のない自分にもすぐにご利益を与えてくれるドラえもんとはなれないアドバイザーをかように「論破」してみせたり無能呼ばわりしたりする。
自分では「頭の良い俺が不完全な証明を喝破してやった」なんて悦に入っているが、何の事はないただ自分の中に問題意識が足りなかったために相手が役に立つ話をしているのが何も理解できなかっただけである。
「やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、 ほめてやらねば、人は動かじ」とはよく言ったものだ。
実際は、動かないどころか、そんな自分を正当化し、あまつさえ相手より有能な人間かなにかの様に錯覚し出す。そうして誰にも「論破」されない全能感を、何も『しない』ことで肥大化させ続けるというアクロバティックを通り越してもはや永久機関的ですらある自己完結に至るのが真に無能な輩の生態なのである。
考える脳味噌のない連中ほど、自分の頭が良いものか何かのように思い込み、考える脳味噌がないゆえにその状態の矛盾にも気づかずますます確信を深めていく。
自分から動き、問題意識を蓄え、種々の知識がその問題意識を解決しうるものかという観点のみをもって議論し評価する、ということが出来ないのはただの前提条件に達してすらいない無能中の無能なのである、ということを、この永久機関の中に引きこもった連中が理解する日は来るのだろうか。
『経済政策で人は死ぬか?: 公衆衛生学から見た不況対策』https://www.amazon.co.jp/dp/4794220863
ぜひ増田にはこの本を読んでもらいたい。
この本には、財政再建をするという名目で医療費等の社会保障費を削る緊縮財政を行ったことろ、当然のように多くの人命が失われた上に、その惨劇が財政再建に資するどころか逆効果をもたらした(つまり悪化した)という悲惨な事実が書かれている。
著者の一人は医師で、医療現場の描写も多い。ギリシャにおける財政再建のための"医療改革"の犠牲者として、ある癌患者の事例が紹介されている。肥大化した腫瘍が皮膚を突き破り、体液が染み出すところまで癌が進行したところでやっと治療を受けることができたそうだ。担当医は「その場の誰もが涙を流しました。癌が進行するとこのような状態になることは皆知っていましたが、実際に目にするのは初めてでした。それまでは、ギリシャ国民なら誰もがもっと早い段階で治療を受けていましたから」と語っている。
そして問題は、こうした犠牲者を出した経済政策が、財政再建になんら役立たなかったどころか状況を悪化させたということだ。この癌患者はなんの意味もなく苦しみを味わったということだ。
この本を読めば、社会保障を削れば財政再建ができるという単純な理屈はただの思い込みに過ぎないこと、そして、人間の健康な生活を蔑ろにした緊縮財政が如何に愚かであるか理解できると思う。
そもそもバンドが神聖視され、カリスマ的な地位があったのは「金」によるものという大前提を認めない人間が多い。
過去に売れたバンドは漏れなく集客力があり、メディアでも取り上げられ、何をしても売れた。
それは経済効果が大きく、乗っかると美味しい思いをできる会社が多かったからどんどん優遇された。
それがさらなるチヤホヤを生み、カリスマ性を持たせ、音楽に補正をかけるという好循環を生んだ。
だが、今はそれが通用しない。
肥大化したレーベル会社、間に挟むたくさんの人間、それらを養っていけるほどのマージンは期待できない。
また、物珍しさも無くなり、どのバンドも過去のバンドの類似点という呪いから逃れられない。
音楽を聴いているものにとっては、似ていない音楽などほとんどない。
だから音楽以外の部分で抜きん出るしか無いという現場になりつつある。
バンドの設定だったり、背景だったり、マーケティング力の差がバンドの差を作り出すと言ってもいい。
ゴールデンボンバーがなぜ売れたのかを考えろ。彼らほどマーケティング力に長けたバンドはない。
今のバンドに言いたい。
売れたければお前らはマーケティングに力を注げ。
自分たちの音楽は至高で、わかるやつだけがわかるという思い上がりで飯を食える時代は終わった。
幼稚で未熟な時代は終わったんだ。今はもうみんなが冷静に物事を見ている。
「俺たちが求めてるのは金じゃ無い」という綺麗事の皮を被った、全能感を担保するための逃避は止めるんだ。
頭脳だ。
手下再登場という事もありチラシの裏として書いておく。
人に読ませる為に書いていないのでなるべくそっとしておいてほしい。
ちょっとでも考えてくれたら嬉しい。
年パスを持って一眼をひけらかしながら奇声をあげてパークを牛耳るディズニーオタクが嫌いだ。
15年前くらいまではパークで一眼を持ってショーやパレードを撮っているのは少し年のいった男性が多かった。
しかし今ではどうだろう、そんな人はごく少数で今やキャラクターのぬいぐるみバッジがたくさんついた鞄を担いで一眼を構える女性だらけだ。
ぬいバがたくさんついた鞄は人それぞれだし、一眼を持っていることも好きにしたらいいと思う。
大きな事を言えば、去年の手下である。
アメリカンウォーターフロントでの開園ダッシュからの地蔵。全員カメラを首からぶら下げてスマホをいじっている。
すぐそばのレストランを見れば女性の大行列。朝から奇声を聞かされる羽目になり不快だった。
フリーグリーティングの地蔵やストロボ、ショー中の手遊び不参加………キリがないのだ。
キャラクターが眩しがってしまったり、手遊び不参加で怒ったりしているのを見て「そんな〇〇もかわいい〜」としか言えないのには正直幻滅した。
申し訳なかったな、とか、次からカメラは置こうかな、とかそういう発想には至らないのだろうか。
確かに一般客だって開園ダッシュをするしシンデレラ城前で寝っ転がって写真を撮ったりマナーは最悪だ。
でも、それをディズニーオタクが罵る事が出来るほど自分たちはマナーは良いのだろうか?
マナーとはなんだ?それは昨今にみるオタクのテーマな気がする。
流行ジャンルの相次ぐ暴走、オーブン腐女子、ウェーイ系オタク。
母数が増えれば問題も沢山起こる、その通りではあると思う。でもあまりにも目に余る。
以前問題を起こした人がどんどん大きなジャンルへ移っていってどんどん肥大化しているようにも見える。
キャラクターのバッジやストラップ、グッズをつけて愛を主張する。でも一瞬考えてほしい。そのキャラクターが好きな事を外に主張することは、そのキャラクターの名前も背負っているのだと。
そのキャラクターを知らない、あまり興味を持っていない人から見て、ああ、この人はこのキャラクターが好きなんだな、と思われた瞬間から、そのキャラクターへの印象は自分の立ち振る舞いによって大きく左右されるんだと。
地域差別主義者id:gudachan(グダチャン@gudahcan)のツイート選
2014年頃ははてなブログでホッテントリを量産していたgudachanでしたが、
2015年半ばにははてな民に飽きられ、2016年初旬にアカウントを削除しはてなから撤退しました。
その後は主な活動の場をTwitterrに移し、鍵垢でTogetterにセルフまとめを量産、
批判はされたくないが自分の意見は聞いてほしい複雑な心境を垣間見せました。
しかしやはり批判コメントをすぐ削除する、同じことしか言えないなど生来の性質が災いし、
Togetter参入から半月も経たずにTogetter民にも飽きられ、
今では閲覧数3桁止まりのTogetterやスパムまがいのNAVERまとめを日々生産しています。
そんなgudachanの最近の振る舞いについて何点かピックアップしてお届けします。
@***** 羨ましいです。私は1989年生まれですがちゃらんぽらんではないのにいい仕事に就けないです。ゴーストライターってどうやったらなれるんですか?
@***** コネってどうやって作るんですか?やっぱり首都大学を出ているからいろいろ機会があるんですかね。私もゴーストライターになれるよう頑張ってみますね
@bonchacchanga 首都大かどうかではなくてコネがあるかどうかです。コネと大学は関係ないです。初対面の人に挨拶もせず「俺はあなたよりマトモなのに羨ましい、色々教えろ」と言外に伝えたりしない最低限の礼儀があるかどうかだと思います。
ゴーストライターを名乗る人物が通知欄に出て来たので食いつく作家志望のgudachanですが、
@***** でもさ通知欄にゴーストライターいたらびっくりするでしょ。普通そういう仕事の人って見かけないですからね。もちろんセックスに明け暮れる10代があってもいいと思いますしそういう友達もいますが、礼節とかで抜きに本当にそういうのにつなげられるの良いなって思い巻いた
@bonchacchanga 失礼なことをして失礼だと指摘されたらスミマセンと謝れるかどうかとかも重要だと思います。
@***** この度は失礼な対応をしてしまい、誠に失礼いたしました。本当にゴーストライターでもいいのでモノカキになってみたいです
謝罪の前に言い訳が出てくる態度を指摘されたため謝罪モードに入るも、
「ゴーストライターでもいいのでモノカキになってみたい」とまたしても失礼な言い回しをしてしまいます。
@bonchacchanga ゴーストライターでもいいとか言うのやめていただけますか。私はこの仕事が大好きですし、とても馬鹿にされていると感じます。あなたはむしろ自己肯定感を満たすのが先なのでは。
@***** そうはいいますが、感情だけでは何にもならないですよ。こういう世の中の現状マジでどうかしたいと思ってて、ボランティアとかいろいろやってたことがあったんです。でもどこも一過性のお祭り騒ぎしかない。みんなで楽しくやっていれば自己肯定感は満たされますが何も残らない
@bonchacchanga はいはいありがとうございました。もういいですかね。自分語り乙です。私はあなたに興味がないです。
@***** 「●●乙」って言い方はネットジャーゴンなのであまりしゃべらない方がいいと思います。そういうネット原住民のような煽りっぽいやり方の人が読者を感動させる文章を書けるこないはずなので、いつかあなたよりも立派な作家になりたいです。ありがとうございました
他者との会話で何かにつけて長々と自分語りを始めるのもgudachan流コミュニケーションの特徴です。
自分が批判されている側にも関わらず相手がネット用語を使うとみるやすかさず指摘し勝利宣言。
ttp://archive.is/JbQMc
リプライの会話の流れでスゴイ怒られちゃったんだけどやっぱり理不尽だと思わない?コネがあってなんでもできる人がいて、コネがなければなんにもできない世界があるとか、俺そういうのばっかりな国に生まれたくなかったんだよな
@***** なんでそんなに発言トゲトゲしてるんですか笑 初対面の人に人間的に好きじゃないって言われると傷つきませんかね。私は憎悪ばっかりの世の中にウンザリです。もっと多様性と寛容が欲しい。奥田さんはコネもなにもありませんが怒りを爆発させて有名になりました
@***** まあそう怒らずに!私は人を傷つけるのではなく喜ばせるような作家になりたいです。Sae Moritaさんのようなキャラもいていいでしょう。でも、冷笑主義者ばっかりの日本になったら怖いなといつも思ってます
自分が批判されると「無礼だ」と言い出すgudachanでも、自分の無礼な振る舞いについては相手に寛容を求めるようです。
ttp://archive.is/rzjUW
Sae Moritaさんは本当に23歳なんだろうか。こんなの2000年代前半のちゃねらーみたいじゃん。こういう人でもゴーストライターになれるんなら、俺はもっといろんな人にワクワクさせるような作家になりたいなー
ttp://archive.is/HXa1G
やっぱあれかー。憎悪本がベストセラーになったり、永遠のゼロみたいな作家がカリスマになるのが今の日本だから、こういう人しか作家になれないのかなー。それも別にありだと思うけど、ファミコン世代のネット原住民をそのまま移植したような若者見るとホント気が滅入るね。中学生でもいるけどね
ttp://archive.is/eS8vT
あと、これは何も作家に怒っているんじゃないんだぞ。社会的状況が許せないわけよ。たがだかSNS上で、あんな全力でマウント仕掛けてくる人が「溜めこんでいない」わけがないでしょ。で、それにこそこの世の中の抱える問題要因がある
なんというか不条理?を経験している人特有のものってあるんだと思うよ。いや、正直自分の過去を振りかえってるときにいきなり罵倒のリプがきたらちょっと凹んじゃったけど、まさにこれはそっくりなものがあった
ttp://archive.is/mVHw5
自分から絡みに行って態度を批判されたのに、いつの間にかいきなり罵倒されたことになってしまいました。
「日本死ね」の次は「地方出身民は地方へ帰れ」に注目集まる!東京一極集中は日本版移民問題だった - NAVER まとめ
6:21 AM - 1 Jul 2016
ttp://archive.is/xb4ni
@***** それが、こういう問題もあるんで、一体なんですよ "日本死ね"問題や一票の格差に拍車?自民党「東京一極集中打破議連」の暴言がひどすぎた! - NAVER まとめ
6:48 AM - 1 Jul 2016
@***** 東京の意見はこうですね #保育園落ちたの私だ 騒動で地方のムダ問題に批判殺到「リニアより保育園や奨学金」と奥田氏 - NAVER まとめ
ttp://archive.is/bRROl
津軽選挙を話題にしている人を見つけるや否や怒濤のNAVERまとめ攻勢をかけて、
全ての元凶は地方の人間だという持論を展開するgudachanですが、
別に地方に限った話じゃないだろと反論されてしまいます。
ttp://archive.is/tzlw2
ttp://archive.is/3kyYY
ttp://archive.is/ClQuz
さっきの23歳ゴーストライターといい、なんで冷笑系ってナチュラルにタメ語で煽り口調でマウントふっかけてくるんだよ。ここはTwitterだろ。2chじゃないんだぞ
ttp://archive.is/CbBdQ
@***** 何で地方人の分際でそんなに偉そうなんですか。身の程を考えた方がいいですよ
ttp://archive.is/C5MqU
@***** 土偶寺次郎さん。やっぱりため口で人を罵るような命令口調はナンセンスですよ。こんな人間、私の地元の湘南だったら誰も相手にしませんって。東京都内でも同じです。これが地方人の本性だと私は受け取りました
ttp://archive.is/cQZSQ
さっきのゴーストライターといい、見ず知らずの人に炊飯器にへばりついたコメみたいなねばついたようなタメ語で誹謗中傷するのは地方の作法なのか?ネット原住民的だとは思ったが、ちょっと引くよ。こういう人間、東京にはいないでしょ
ttp://archive.is/Xlyv4
@***** 何で地方人って論理ではなく、感情でやってくるんですかね。それにしたってハマっ子や江戸っ子だったらケンカの仕方ってもんがあるでしょう。こんなノリの人、私の地元にも東京にもいません。だからあなたたちは嫌われるんですよ
ttp://archive.is/TUQpD
@***** そんなことはないですよ。神奈川県の人間はもっとも礼儀正しく謙虚です。ですから、多くの人が移り住んでくるんです。問題は、社会構造にあるんです。自民党は極めて「地方社会」的な政治集団です。あなたたちが今の政府を支配しているのだから、私たち都市の側の不満は限界です
ttp://archive.is/v36Xj
ttp://archive.is/Iz25D
タメ口には異様に厳しいgudachan、とうとう我慢できずに「地方人の分際で」「田舎者が」などの罵倒が飛び出してしまいます。
このように、彼には自分の主張を批判された際にとにかく相手の態度を問題にして自分への批判を無効化しようとする習性があります。
@t_wak 驚かせてすみません。あれは先方がタメ口・ケンカ腰だったのでつい「なんだ・・・?」と思ってしまったものです。ただ、あのような一方的な煽り方をされれば相手は誰でも気分を害すると思います。意見の違う人同志が話し合う時にこそ礼節は必要だと思いました
ttp://archive.is/SHV8d
@t_wak 湘南も40年前までは漁村ですし私も先祖は東北人です。他意はありません。ただ、立場の違いがあると思うんです。そこをちゃんとと認識してほしかった。私も日本会議のような歴史修正主義には反対で、若林先生のご指摘は日ごろより本当にためになっています
ttp://archive.is/J3UYj
@t_wak まったく軍隊用語を知りませんでした。私は旧日本陸軍から何も学んでないこと、反省がないことが今の全体主義的な風潮の原因と考えています。先生の著書『戦う広告』は今こそ読むべき書だと思い、知り合いに薦めています。失礼しました
ttp://archive.is/Phd1M
運悪く先の発言が拡散され、自分が支持する著名人の目に入ってしまった模様。
あくまで相手の態度が問題だと主張するgudachanですが、「あなたの本を読んでる、知り合いにも薦めている」と機嫌を取ることも忘れません。
この人は何でこんなにケンカ腰なんだ。俺も親は地方出身者だし、友人もかなりの割合地方出身者で、論点はそこじゃないのに・・・
ttp://archive.is/4U9cb
「地方出身の友人がいる」「親は地方出身」が何らかのエクスキューズになると信じてやまないご様子。
ttp://archive.is/wMhqy
とのことなのでここまで会話の流れをだいたい並べてみましたが、どうでしょうか。
これ笑 フォローさえしてない外野が好き勝手いいすぎでしょ。こうゆうネタ消費できればなんでもありみたいなネット原住民文化、匿名空間だけでやってほしい。一般市民を巻き込むなよと。中年ほどネチケットなさすぎなんだよね
ttp://archive.is/QTzH5
他人に難癖つけたり、囃し立ててネタ消費したいだけの人たちや、それにつるんでる連中、人としてやばいよね。小学生がクラスメイトいじめてるようなもんじゃん。こんなことを平気でやるネチケットのない人間を減らすためにネット上の憎悪規制が必要だよ
ttp://archive.is/6xuSu
やっぱりこうしたものは、農耕民族の致命的愚かさなんだよ。江戸時代レベル。これが家父長主義につながり、やがて自民党になる。それが凝縮したのが田舎者。なぜこんなことさえわからないのか。こうした人間に文明の産物のインターネットは100年早い
ttp://archive.is/DtsmH
@CCCP1917 トロールって言葉知らないんですか?あなたみたいなネチケットなきアカウント、欧米なら反社会的存在ですよ 島国日本のネット原住民に攻撃される欧米マスメディア関係者…「トロール」問題に関心高まる - NAVER まとめ
ttp://archive.is/nd43A
なんで俺が見知らぬ人に「限界集落のクソ老人」って罵られなきゃいけないんだろう。このかた今横浜にやってきてるみたいだけど、横浜だったらこんな無礼な田舎者はクニに帰れって嫌われて当たり前にきまってんじゃん
ttp://archive.is/vzm88
ネット原住民はみんなこうなんだよ。他人の想像力がない。思いやりがない。一方的に決めつけて罵る。こんな不寛容を野放しにする世の中もうやめてよ!って叫びたい
ttp://archive.is/o0F0C
「想像力がない。思いやりがない。一方的に決めつけて罵る」のは確かに良くないですよね。
@***** 初対面の人に挨拶もなしに心無い発言をぶつけるなんて、いったい何様ですか?新潟県ではそのような振る舞いが普通なんですか?
@***** 画面の向こう側には他者がいます。コミュニケーションは、内面にある自意識の発露ではなく、相手を想像して行うもの。新潟県の事情は知りませんが、東京ではこれが常識です。次回より気をつけましょうね
ttp://archive.is/t7XPg
「新潟と世田谷は人口が同じなのに新潟の方がインフラが恵まれているのはおかしい」という主張に突っ込まれると「心無い発言」だと相手を批判。
新潟在住とみれば地方蔑視することも忘れません。
欧米からは先端的な技術や文化や常識を学び、アジアには「中国4000年の歴史」とか、インドの山奥で修業して提婆達多の魂宿しちゃうみたいな歴史の神秘的憧れがあったし、「日本凄い!」ってやっぱ異質だし狂ってるし、ファミコン世代の自閉性と卑屈なくせに肥大化した自己愛が元凶だろ
ttp://archive.is/ENL4m
「日本すごい」の流行はファミコン世代の自閉性と自己愛が元凶と喝破するgudachan。
「自閉性と卑屈なくせに肥大化した自己愛」は確かに色々な物事の元凶かもしれませんね。
クラスの片隅にいるキモイ奴がこっそりひっそりノートに書いたメチャクチャな「理想物語」があったとする。プロットの前提からして狂っていて、それがその人の思考の枠組みにとって都合よくストーリーが進む。そういう奴ってやっぱり小学生のうちにツブしておかないといけないんじゃないか
ttp://archive.is/PYj7D
安倍首相や官僚のような内向的で独りよがりな発想が国を動かしていると指摘するgudachan。
本人に都合良く進むメチャクチャな「理想物語」で物事を考える人間は小学生のうちにツブしておくべきだそうです。
そして、無自覚な偏りを持った人は、それを指摘されたり、それを自認するようなシチュエーションになると、途端に凶暴になる。自己を客観的に振り返ることをしないしできない。理想と現実のズレに常に葛藤し、自分は一切努力せずに理想を求める。ネトウヨやヘサヨにも多いと思う
ttp://archive.is/uDqsY
無自覚な偏りに気付かず自己を客観的に振り返ることができない人間には確かに問題がありますね。
@YSD0118 そうなんですね。安田さんのようになりたい。見解や主義主張は異なりますが、こうした方を見習いたいと常に思っておりいまリプライ欄でご本人様より連絡きまして指ふるえてる状態です
ttp://archive.is/wRVnH
シールズに否定的な著名人に対し意見するも反論され「見解や主義主張は異なるが見習いたいと思っている」と相手を讃えるgudachan。
ところが……
@hajimaru2 武田 肇記者。ツイートをお気に入りにするのは構いませんが、できれば会話の相手であった私のツイートも読んでほしいです。フォロワー1万人を超える大学の先生よりも声なき声に注目するのが本来新聞記者の役目でしょう
@hajimaru2 私はリベラルというわけではなく隙あらば日本会議の議員や産経新聞の記者とも談笑しちゃう人間ですが、あの程度の冷笑系考察はネットの吐いて捨てるような書き込みで、人生の時間の無駄です。新しい流れに関心もってください
ttp://archive.is/5hKKA
新聞記者が先ほどの相手の発言だけfavしたのが気に入らなかったのか、
「あの程度の冷笑系考察はネットの吐いて捨てるような書き込みで、人生の時間の無駄」と喝破し、
自分の意見を聞くべきだといつものように自分で作ったNAVERまとめのURLを送り付けています。
俺も知人の自民党員に「党大会に来い」「暇なら自分の地元で市議をやれ」って誘われてるんだけど、基本的に自民党の政策でも共産党の政策でも気に食わないことは批判するタイプだから無理だと思うぞ。ていうかどれだけ人材が集まらなくなっているんだろうって不安になる
ttp://archive.is/hceKc
時々「自民党から出馬を打診されたことがある」と自分の有能さをアピールすることも忘れません。
早稲田あたりをでて丸紅に入るようなエリートっていいよなあ。ぜってー悩みなんかないだろ。高学歴で高収入でたぶん財政破綻しても首にならないし、外資にヘッドハンティングされるはず。絶対に安泰で、過労死もないよね
ttp://archive.is/CvKdr
想像力を働かせエリートには悩みなんかないことを明らかにします。
おそらく、gudahcan本人は自分が差別的な思考をしていること、本人が批判しているネトウヨと同じ思考洋式であることに全く気付いていないのでしょう。
3年前から特に変わっていないことが確認できたのではないでしょうか。
彼自身に影響力はほぼないとは言え、時々Twitterで彼のまとめを肯定的に取り上げる人も見受けられるので、
彼を象徴する最近の振る舞いについてざっくりまとめてみました。
参考にどうぞ。
xevra先生が、高齢メンヘラカップルのブログに、薬が合ってないのか、とブコメされておられるが、
ブログを読む限り、主治医への相談が必要で薬を変えなければいけないほどのうつ症状がある感じはしない(あのブログの精神的リスカは通常営業だ)し、
そもそもパーソナリティ障害自体は、神経や脳器質などの生化学的なものというより、他人に迷惑になるレベルで著しく性格が悪い人、というだけのことなので、
薬じゃあ治らないし、根気よくカウンセリングなどを続けたところで、あまり効果がない(何しろ著しく性格が悪い人を相手にカウンセリングしなきゃいけないから)ことが多い。
パーソナリティ障害には多くの種類があるが、これは、様々なベクトルの性格の悪さを、大まかにカテゴリー分けしているだけ、という側面もある。
実体験数が少なく、それに反して情報量が多い今時の若者には、多かれ少なかれパーソナリティ障害的な心の動きが見られる人もいて、それほど珍しいことでもない。
まだ若い人であれば、良い友達や良いパートナーときちんと付き合っていくことで、カウンセリング的な効果を得て、成長と共に
「他人に迷惑になるレベルで著しく性格が悪い人」から、「ちょっと個性的だけど面白い子だよ」ぐらいまで改善することも少なくない。
まぁ、当該の高齢メンヘラカップルは、もう既にどっちも高齢者で、今までの道のりで見つけられたであろう性格の改善ヒントをすべてスルーしてきたという実績に加えて、
道端に落ちてたメンヘラを拾って隙間を埋めてみたけど合わなかったから捨てました、みたいな、
いい年した人間ならとっくに卒業したような(おまけにそれをSNSで告白したり、サブイボ級のポエムタッチなブログで公表したりの)破壊的な行動を繰り返している輩どもなので、
パーソナリティ障害に係る各種の「生きづらさ」の改善は、期待できないだろう。
「うつ」は心の風邪だから休養がいちばん、という例えに倣うなら(これは本当によくできている例えだと思う。複合原因または原因不明、放置・反復が過ぎると死を招くところまで特徴をよく表してる)、
パーソナリティ障害は「子供の頃からの生活習慣ですっかり太った精神的デブ」みたいな感じだと思っている。これは自分が勝手に定義していることではあるが。
彼らのような、パーソナリティ障害に苦しんでいる人たちの持つ共通の原因は「肥大化した自意識」。他者の存在を受け入れずに生きてきた結果「自」のフィールドだけが肥大化している。心の内臓脂肪が理由。
これは、遺伝的な体質ももちろんあるけれど、どちらかと言うと、生育環境なども含む生活習慣由来の問題なので、投薬やおざなりのカウンセリングなどでは、根本を改善するのは難しい。
例えば、長年の運動不足で肥満症から糖尿を発症した人に対して、糖尿への投薬治療はできるけれど、運動不足由来の肥満を解消させて原因を改善させるのが本当に大変なのと同じような感じ。
そして「適度に食べ、適度に運動し、人生を楽しむ」習慣が身に付けば、収まってしまう(糖尿発症しちゃうと収まっちゃうと簡単には言えないけど…)ようなものでもある。
パーソナリティ障害で精神科を受診すると抗うつ剤を処方されることがあるが、肥満が理由の糖尿と、メンヘラ理由のうつは、似ていると思う。
そして、肥大した自意識=過剰な内臓脂肪、と例えると、他者=筋肉量、という感じである。
上の方に記した「良い友達や良いパートナーときちんと付き合っていく」というのが、「適度に食べ、適度に運動し、人生を楽しむ」にあたる部分で、とても大切なことだったりする。
職業カウンセラーでは、そこまで対象者に踏み込み、「適切な距離を取った他者」であり続けるのは、時間的にも精神的にも難しいのが現実。
一方で、メンヘラではない多くの人は、自分の近くにいる人と適切にコミットしたいと願うのがふつうだ。その方が人生を楽しみやすいし人間関係の安全性を確保しやすいから。
ましてや、近づいた意図が友情や恋愛などの「好意」に基づくものであれば、時間や労力を厭わずに、その相手との適切なコミュニケーション、コミットメントの方法を模索しようと試みる。
「メンヘラ傾向があったが色々あって落ち着いた人」というのは、このような友情や愛情という機会を、きちんととらえることができた人。
若いうちのメンヘラは恋すれば治る、みたいな側面もあって、良い人と巡り合えば、ケロッと、それこそ憑き物が落ちたかのように普通になっていたりする。
一方で、当該の高齢メンヘラのブログを読むと、今まで、改善の可能性を感じる「他者」と向き合わうべきタイミングで常に逃避行動を取って生きてきたのだろうということが分かる。
な、著しく性格が悪いだろう。
ちなみに、他者と向き合わなくても、結婚だって離婚だって浮気だってセックスだって、するのは簡単。というか、むしろ他者ときちんと向き合わない方がどれも簡単だったりする。
相手のこと考えずにいる方が、照れや逡巡や羞恥心やプライドなんかの、恋愛やセックスにまつわる精神的なハードルは超えやすいから。
ただし、他者ときちんと向き合った付き合いの上で行う、結婚生活やセックスは、向き合わないまま行う結婚やセックスの何千倍も多幸感が強い。まぁ当然の話だが。
「彼ら・彼女ら」が、あれだけ行動的で、発信意欲が強くても、ちーとも幸せそうに見えないのは、これが理由。
パズルの合わないパーツを、手前勝手に合わせようとして癇癪起こしてる子供と一緒。
他者と向き合わず精神的な成長を否定して、というのは、大昔は「ピーターパンシンドローム」なんつって流行ったんだ。
まぁあれはあれで、この文章と同様に偏狭な側面が強いものではあったが(なんで男性に限定したんだろうなあれ、時代性だろうか)。
まぁ、そんな通俗心理本が出る程度には、一山幾らの、凡庸で特に特徴も魅力もないような、特に珍しくもないような、ただの性格の悪さでしかないんだよな。
ある日、長めの増田を書いた。
ブクマがたくさんついた。
ホッテントリに上がった。
そんなつもりじゃなかったとか、説明不足だったなという部分に指摘も入る。
思わず追記したくなるが、後出しでダラダラと補足や説明を書いても変に言い訳じみて見えるだけだろうと思いタブを閉じた。
誠実でありたい、誤解されたままでいたくないという気持ちは、この場に持ち込むには重すぎる自己保身に思えた。
なにより、そんなものでせっかくほどほどにまとまっている文章に追記を添えると、なんだか美しくなさそうな気がした。
説明不足は反省しよう。 回りくどい文章にならない塩梅はとても難しいけれど。
勘違いは、どうもゼロにはできなさそうだとわかってきたから、多くなさそうならあまり気にしないようにしよう。
その代わり、次はもっとわかりやすい文章を書こうと、いつも意識し続けよう。
そうし続けることができる程度には、何百もの人が自分の文章に目を通してくれたことを示す数字は、私にとって未知で刺激的だ。
ある日、短い増田を書いた。
疲れてグルグルする頭の熱を落ち着かせるために書き散らした、大変頭の悪そうなエントリだった。
何度見ても、グズグズに煮溶けた脳みそをそのままキーボードに叩きつけたような文章だ。
数日後、ブコメが1件ついていた。
どちらも、とてもありがたい。
もちろん読んでもらえるだけでとてもありがたいのだけれど、私は単純なので目に見えるとやはりうれしい。
そのくせ、他の皆のように輪に入ったり、舞台に踏み出す勇気は持てないでいる。
なんの反応も得られないのが当たり前だと保険をかけて、こんなところに住み着いている。
それでも今の私に、ここはとても居心地がいい。
最近になってMac版が公開されたようだが、まだまだ突っ込みどころがあるのでhttp://anond.hatelabo.jp/20151222085835に引き続きこき下ろす。
D社は最近になって(いつごろからかは不明)「純国産」ではなく「国産」と名乗るようになった。これならセーフである。しかし、過去に「純国産」と名乗ったことで、それを鵜呑みにしたニュースサイトがあるのは困ったものである。
前々回(http://anond.hatelabo.jp/20150508190512)、「純国産」は嘘でChromiumに対する冒涜だと書いたが、念のため補足する。ソフトウェアにおける「純国産」の明確な定義はないのだが、辞典で調べると
と書かれている。この定義に従うと、構成内容にChromiumが含まれているので、筆者は「嘘だ」と主張してきた。
さて、D社が修正した後も「純国産」と書いてしまったニュースサイトは、軽く調べただけだが少なくとも3サイト存在している。
http://ascii.jp/elem/000/001/178/1178737/
http://www.mdn.co.jp/di/newstopics/45615/
http://www.ossnews.jp/oss_info/article.html?oid=6547
この記事を書いたライターもライターだ。今回のバージョンアップとMac対応の記事で「純国産」と書かなかったところもあるが、純国産のまま記事を出すようなところは校正もろくにできないということだ。
トップページの「なぜオリジナルブラウザをつくったのか」のくだりに、
という文章があるが、「基本」とは何だろうか。Chromiumのうたい文句は「スピード、シンプル、セキュリティの 3 つに重点を置いて開発されたブラウザ」であり、この中に「基本」は全く登場していない。単純にChromiumのうたい文句を引用すればよいものを、言い換えて意味不明な文章になってしまっている。
出たー。パッと見て意味わからん横文字使う文章。ちょっと前までうたってた「エターナル青春系」に通じる「意識高い系」(俗称)の感じと似ているが、意味がないわけではない。ホスピタリティは一言でいえば「思いやり」「おもてなし」という意味で、サービス業の業界用語らしい。
前後の文脈で言いたいことはなんとなくわかるが、この文章を見てすぐに意味が通じた人はどれだけいるだろうか。
前回指摘した文章
ユーザーの許可なく送信されるスパイウェアやアドウェアの排除や、Kinzaと無関係なソフトウェアの追加インストールはしません
が、いまだに直っていない。この文面では「スパイウェアやアドウェアの排除はしません」とも取れる文章になっていることがまだわかっていない。誰も疑問に思っていないのだろうか?国産だから安心だと思い込んでいないだろうか?
やはり、D社にはホームページを校正できる人員はいないようである。それだけChromium派生ブラウザの開発が大変だということなのだろう。
これらはサポートコストやメンテナンスコストに見合わないということで、これからも登場することはなさそうだ。サポートをきっちりとやっているような印象を与えることには成功しているが、せっかく興味を持った潜在的なユーザーを逃している。サポートしないことを明記したうえで公開ぐらいしてもいいんじゃないかと思うが、D社はそうは思わないらしい。
Mac版が出ようが平常運転。ユーザーの意見により機能がますます肥大化し重量級になっていく道しかないこのブラウザは、どこに向かっているのだろうか。
「シンプルにして軽くしてほしい」と「もっと機能がほしい」という矛盾する意見が出てきたときにどう対応するのか。まだまだ行く末は気になる。
鎌倉時代初期、東国において政権を確立した源頼朝によって設けられた守護職は、軍事・警察的な権限を持つのみであり、地域統治の権限は依然として国司にあった。
後年、鎌倉幕府が滅び室町幕府が成立すると、室町幕府はその守護制度を踏襲する。
しかし守護は、次第に国司の権限をも包摂し、独自の領国支配を固めていくようになる。このようにして広域領主化した守護を「守護大名」といい、守護大名をトップとした地域支配体制を大名領国制と呼ぶ。
広域領主として実権を握った守護に対し、足利将軍家の影響力は薄れ、室町幕府は守護大名による連合政権の様相を呈していく。
さらに肥大化した守護大名たちは互いに自己の利益を追求して相争い、応仁の乱に代表されるような戦乱を巻き起こすようになった。
センチメンタルや感傷さえも消費されてゆく。SNSに書き込むと「いいね」がついてその数が評価になる(と錯覚してしまう。実際のところは街で配られてるティッシュを受け取るか受け取らないかくらいの差)。さみしいも死にたいもコンテンツ。消費されたところでお金がもらえるわけでもない。
下品な自意識と承認欲求だけが肥大化して現実の世界でますます生きづらくなる。
学校や職場ではなるべく人に踏み込まないようにして、自分にも踏み込ませない、絶対に。
そうしている間にまわりの人はうまく”踏み込ませても損害の少ない部分”だけを見極めて提示し、『深い人間関係』を築いている風。
そうやって真似すればいいのに、傷つくのが、裏切られるのが、怖いので、そんなことはできないし今までもやってこなかったので急にできるようになるわけがない。自分の実力と伴わない承認欲求のやり場はない。
わかってほしいとか受け入れてほしいとか、人間関係で1番大事にしているのはそういうい欲求だけでそれらを満たしてくれる相手なら誰だって別にいい。自分をわかってくれる人が好きだし友達だし恋人。わかってくれないのならいらない。
どうして相手はわたしをわかってくれないのかなんて考えたことがない。
わたしをわかってくれないひとは、わたしがわかろうとしなかったひと。
それが今まで一度も考えようとしなかった問いの答え。
人の気持ちや考えがわかるとかそんなのほとんど幻想なのにね。それなのにわかってほしい。わたしはわたしをわかってほしい。
ただ、そう思っているのは”踏み込ませても損害の少ない部分だけを見極めて提示し、『深い人間関係』を築いている風”の人たちだって同じ。