http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2016/10/post-6110.php
によせて。
日本のマスコミや論者は二大政党制度を何か良い思想のように扱うけれど、AorBではどちらの選択肢も選びたくない場合やそういう層がいるというのが、今回のサンダース&トランプ現象の本質だったのでは?
経済や世界情勢が複雑化する中で、様々な論点があって、その多種の論点をAorBの2つの選択肢に集約するっていうのは無理がある状況って有るんじゃないのかな。日本だって同じで、例えば憲法問題において自民党はイマイチだよなあと思っている有権者がいたとしても、経済政策なんかを考えれば民進党に票を入れるのはそれはそれでダメぽよという気持ちになることも有るでしょう? 幾つもの制作方向性を強引に2種パッケージにまとめれば、それぞれの整合性が失われて自縄自縛になることは想像に難くない訳で。
そりゃまあ、大半の有権者にとっては選択肢が多くても、敷居が高くなって難しくなるだけかもしれないけれど、しかしそれでは選択肢そのものが陳腐化してしまうっていうのが、現在の世界状況なのではないかな。
日本のマスコミや論者は二大政党制度を何か良い思想のように扱うけれど、それはただ単に主に新聞系メディアが、反与党的なキャンペーンをするために持ち出した、日本特有の幻想なのではないかと思える。あるいは、選択肢が一つしかない状況よりはふたつのほうがまだマシというだけのはなしであって、政治において二大政党というのが何か堅持すべき神聖なナニカであるかのような考え(つまり冒頭の記事に透けて見えるそれ)って、欧米崇拝以上のものを感じない。
旧民主党のとき「これからは二大政党時代」「日本にもやっと政治の夜明けが!」みたいな煽りをマスコミはさんざんしていて、実はその予熱みたいなものを時たま見かけるわけだけど「二大政党」になったからといって、それらの政党の出す政策がましになるという保障はどこにもない。うんこ味カレーvsカレー味うんこみたいな結末は、十分にありえるわけだ。
むしろ二大政党(あるいは大統領予備選のような二大候補)になった時点で、「国民の多くが抱えている問題意識とどう向き合うか?」という政治的誠実を武器にするよりも、相手のスキャンダルを叫び立てるdis合戦をしたほうが「勝負」としては合理的になるのではないかな。戦略としてはそのほうが有効で、それを愚直にやるほうが勝つ――そういう現実が今回の教訓なのでは? (決して好きではなかったけれど)舛添旧都知事を都民が事実上更迭したのも結局はそれで、政策というよりはスキャンダルだった。「選択肢をしぼってわかりやすくする」という発想は、政策論争や選挙から、国益の判断を奪ってスキャンダル合戦だけを肥大化させてしまうんじゃなかろうか?