はてなキーワード: 春休みとは
忘れそうだからどっかに残しておきたかったんだけど、どこもしっくり来なくてここに書き散らす。
震災の話を書くので苦手な人は読まないでね。
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家には父(無職)と犬(デカいけどビビり)と自分(高3。卒業式も終わって春休み中)
そもそも宮城は地震が多くて、震度5〜6も数えるくらいだけど体験してた。最初はいつもの感じかなーと思ってたんだけどなんか長くて、ヤバさを感じたからとりあえず犬を抱えた。犬は震えながらテーブルの下にいた(避難訓練やってたんか?)。ちなみに父はテレビ押さえてた。
そしたら揺れが大きくなって台所の食器棚が倒れて皿が割れるデカい音と砂煙が舞って(マジかよ〜)って気持ちになった。多分正常性バイアス。
家にいるのも危ないのか?と思い犬を抱えたまま外に出ると大人がたくさんいた。近くの一軒家のブロック塀が崩れてて(本当に崩れるんだ)と思う。
母は出勤してたので出迎えも兼ねてたんだけど、場所が悪くてすれ違いになり「どこいるの?」とメールが来る。空にはガァガァ鳴いて飛んでる白鳥の群れと雪がチラついててなんだか絶望的な気持ちになった。
(家の近くで白鳥は飛ばないので、普段と違う様子の怖さと寒さのせいだと思う。それと人間が大変なことになっても変わらず雪は降るのか…っていう無力感)
家に戻ると母が割れた食器を片付けてた。割れた食器の中に神戸旅行で買ったレトロなお皿もあった。勿体無いから使わずに取っておいてたんだけど使わないまま割れてしまった。
確かその時は電気が通っててテレビが付いてた気がする。緊急事態の時の縁が青い画面で、右下に被災地域の地図と沿岸に赤いライン。確か津波来るから逃げてくださいって言ってた気がする。
こんな地震でも電気来るなら大丈夫かなって思ったけど夕方?くらい?には電気も止まった。
家にいるのも危ない気がしたので近所の中学校の体育館に避難する。父は犬と家に残った。
体育館には結構人がいて、ストーブが炊いてあった。ストーブ囲って近くの知らない大人とちょっと話した。携帯でニュースを見るけどイマイチ状況がわからない。充電もなくなるので寝た。
朝、体育館の入り口に河北新報だか朝日新聞の号外が貼ってて、デカデカと気仙沼?石巻?松島?の火事の写真が載ってた。
えーここに住んでる人どうしたんだろう…と思う。
家にいても学校にいても同じなので、次の日からは家で寝ることにした。
この後の記憶はなんとなく時系列順に箇条書きするけど順番間違ってるかもしれん。
・こういう時ってご飯どうするんだろうって思ってたけど、うちはお歳暮のお菓子(マドレーヌとか)があったのでそれで食い繋いでた。元々少食だけど不思議な事にお腹はそこまで減らなかった。
・ライフライン全部止まってるのでトイレは2回したらちょっと流す でやりくりした。ご飯も水も最小限だったのでトイレ自体あんまり行かなくならなかった気がする。
・近所の集会場の水道が出るって話を誰かから聞いて、バケツとかペットボトル持って並んだ。並んでたら夜になって星がめちゃくちゃ綺麗で、こんなに星見えるんだ と思った。
・タバコ屋のじいちゃんがやってる自販機も開けて飲み物売ってくれてたらしいけどコーヒーしかなかった、と父が言ってた。(買って来てたかは覚えてない)
・コンビニはロープ張って立ち入り禁止になってた(スナック菓子とか売って欲しいなと思ったけど従業員も被災者だからな…と諦める)
・ヨークベニマルが食品を売ってくれるらしいという噂を親が仕入れて来たので行ってみる。駐車場一帯を大きく円を描くように人が並んでた。(こんな時でもちゃんと並んでてエラい と思う)店舗の前で長机に電卓でお会計してる店員さん、カート運んで並んでる人に商品選ばせてくれる店員さん、みんな家族がいて自分も被災者なのにありがたいなぁと思う。
・なんか父親ががっくりしてる日があった。何かと思ったら津波で被害を受けた地域が祖母宅がある場所だったらしい。具体的にいうと陸前高田。祖母と連絡が取れない日が続く。ラジオではずっと同じニュース。
・とうとう電気が復旧してくる気配を感じる。マンションから夜外を見てると市役所がある方が明るい。数日に1度?電気が付いてる区画が広がる。母と明日かな?明日かな?と言い合う。電気が戻ったときは歓声がわいた。ガスと水はまだなので2,3週間くらいお風呂に入ってない。
・大学の入学式は予定通りやると連絡が来た(進学先はあまり被害がなかったらしい)。この3週間風呂に入ってない、しっとりツヤツヤヘアで入学式出ろと!??と驚いた。っていうかそもそも出席できなくね?2,3日後、式は1ヶ月後にやると連絡が来た。電気も戻るまで3週間かかったのに1ヶ月後に入学式出れるのか???と思う。(結局出れた)
・ガスか水道が戻る前に高速バスが復旧した。進学先の他県にアパートは借りてるので食料調達兼入浴に出かけた。びっくりドンキーでほぼ1ヶ月ぶりくらいにちゃんとしたご飯を食べる。食べたら秒で腹壊してトイレに駆け込む。固形物ほとんど食べてなかったから胃がビックリしたんだと思う。勿体ない…。そのままアパートか温泉かに入り、まだ電気開通前の部屋で凍えながら寝た。(引越し前なので布団もないからフローリングにそのまま)
これ以降は更に時系列があやふや。入学式は普通に出れた。また父がグッタリしてる日があって母に聞くと震災で亡くなった方の特集を見てたら高校の後輩?が出てたらしい。
震災1ヶ月後くらいやっと落ち着いた時にまた5強?とか来て片付けたものがまた落ちたり倒れたりして地球氏ねって思った。
余震は死ぬほど来てたので震度4くらいじゃビックリしなくなった。
祖母とも連絡取れたらしい。家にそこまで被害はなかったけど壁が壊れたとかでGWに父と高田に行く。
車に乗っててそろそろ近くまで来たな〜と思ってるとなんか訳わからない丘に漁業船が乗ってる。
こんなんあったっけ?と思ってると瓦礫まみれになって行く。
でも場所がわからないので元々瓦礫まみれの土地なのか、津波でこうなったのかわからない。道も当たり前に変わってるので検討がつかない。
えーどこなんだろうここ、そろそろ祖母宅着いてもいい頃なんだけどって思ってたら見覚えのあるアパートが建ってた。
そこで今瓦礫まみれの場所が帰省の時使ってた道だった事に気づく。
コメリは?隣にあったスーパー(名前なんだっけ わかる人いたら教えて欲しい)は?お食事処のキリンの看板は?過去にあそこですれ違ったはずの人たちは?
突然の事でボーッとしてしまう。唯一残ってたアパートもよく見たら窓が割れてて、勿論誰も住んでなかった。
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とりあえずここまで。読んでくれた人ありがとう。その後の話はまた別で書きます。
【追加】
時折、ふと思い立ってPCの画像を見返してると大きさ240x320の画像群がずらりと並んだフォルダを見つけて開いてみたら自作のアナログ絵をブツ撮りした画像が並んでて羞恥に塗れたリア厨時代の痛々しいネト活の記憶が光の速度でAMSから逆流するように蘇り心臓バクバクさせながらフクロテナガザルのケイジくんみたいな奇声を上げてイキュラスキュオライキュラスキュオラキュラスキュオラ!することってあるじゃないですか。ありますよね。あるんですよ。
私も昨日、昔撮ったきゃわいいきゃわいい飼い猫の写真を久々に見ようかと古い順に画像をソートしたら見ちゃいましてね……中学生の時に愛していた絵師様に向けて描いたキモすぎるラブレター的なアレとかアレとかアレとかをさ。
もうサムネ見た瞬間ビクッとなったんですけど、じゃあはよ消せよって話なんですけど、そんなんでも色々思い出が詰まってるんですよね。キモさの中にも美しさがある、痛さの中にも気持ちよさがある、親しき中にもレズがあり、みたいな。
そんな中学時代の汚らしくも輝かしい青春の記憶を今、絶妙に嘘松を交えながら赤裸々にここに綴る。
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私が絵を描き始めたのはそれこそ物心ついたときからで、母に聞かされた話によると同じ保育園に通ってたお隣の子が上手なおジャ魔女どれみの絵を描いて私に自慢しに来たのが始まりらしく、対抗心を燃やした私は連日おジャ魔女どれみを描きまくっていたらしい。その傾向は小学生になっても変わらず学校の休み時間はひたすら自由帳に絵を描き、帰宅しても夜まで絵を描き、休日は画用紙と絵の具を使ってカラー絵を描くという毎日を送っていた。
そして小学3~4年頃に美術館で観たアンドリュー・ワイエス展に衝撃を受け西洋美術に関心を持つようになり、本格的に勉強したいと思うようになるのだけど…。
5年生になった頃には私の身長は170cmを超え、親にも親戚にも「アンタそんな立派な体してるんだから何か運動したら」と事あるごとに言われるようになり、当人らは特に他意無く適当にそう言ってたんだろうけど、言い返せない、断れない性格の私にはその一言が重くのしかかり、渋々陸上部に入部する。
さすがに身長の高さゆえか男子女子問わずほとんどの部員より足が速かったためそれなりに記録を残すことができ充実感もあったのだけど、やっぱり勉強以外の時間は絵を描きたいし、特に休日に大会があるときなんかは切実に辞めたいと思った。でも親は陸上頑張ってて偉いね、なんて言うもんだから。別に親は悪くないんですけど。
そんな調子で2年間を過ごし、卒業まであと3ヶ月という頃にはすっかり絵を描くこともなくなってこの世で一番アンドリュー・ワイエスから縁遠そうな、カリカリに日焼けした野暮ったい私がそこにいた。そして中学進学に向けて色々と準備をするなか親に渡された携帯電話、これが私の人生を良くも悪くも大きく変えてくれたのだった。
当時インターネットなんて全くわからなかった私は、漫画誌に載ってたフォレストページの小さな特集を頼りに、検索でたどり着いたイラストサイトのリンクやランキングサイト経由でその手のサイトを読み漁っていた。そういえば私絵描くの好きだったなとか思いながら。そして、ある絵描きさんの作品に一目惚れし、その方のサイトの掲示板に初カキコ…ども…してしまう。そのHPは0zeroというドメインで、一番画像を綺麗に貼れるとかで絵描きに好まれていたとかなんとか。
コピックエアブラシで描かれた色鮮やかな夕焼けと少女、油絵の具の力強いマチエールの上に描かれた少女、鉛筆で描かれた量感溢れる少女の裸体、どれも本当に素晴らしかった。何で全部少女の絵なんだろ?と思ったけど。
もう一生懸命考えて思いつく限りの称賛を書いた長文を投稿した瞬間からドキドキですよ。もう興奮で夕飯も喉を通らない有様でF5アタックみたいに更新しまくってひたすら返信を待ち続けたのだけど、最初に貰ったのは社交辞令的な一行返信だった。がっかり…。が、後日めげずにこの絵はどんな方法で描いたんですか?それってどんな画材ですかなんて引き続き書いてみると丁寧にコメント返してくれて、油絵の具ってそんなに高いんですか!?私のお小遣い月1000円だからとてもじゃないけど手が出ませんね、なんて言ってみると「あなた何歳?」って。んで11歳です、と。すると、「じゃあ私の持ってる絵の具あげるよ、今度会お?」と言われて。
しばらく固まった。どう返信していいかわからなかった。それで母親にそのことを相談したら最初は「馬鹿な子だねそんな知らない人とやり取りして」そう怒られたけどどうしても油絵の具が欲しくて、最終的に私書箱経由で絵師さんが電話番号を教えてくれて、絵師さんと母が直接電話をし、母同伴で絵師さんと会うことが決まった。そんときリアルにジャンプしてガッツーズしましたよ。
そして絵師さんは隣府県に住むとても礼儀正しい芸大1年のお姉さんで、母としては好印象だったらしい。実際、母も当日たくさんお土産渡されて即堕ちしてたし。
春休みを迎える頃には私はすっかりお姉さんのサイトに入り浸り、連日絵を投稿しては色々アドバイスしてもらったりキャピキャピ雑談して大学生の世界を教えてもらったりと楽しい日々を送っており、さらにはお姉さんの通う芸大の卒展に連れて行ってもらったりして私はすっかり美術の世界に舞い戻り、既にお姉さんのことが好きになっていた。本当にお姉ちゃんが出来たみたいだった。そして両親に東京の美大に行きたいと言ったらすげえイヤな顔された。そりゃ確かに、費用がね…。
そして中学最初の夏休み、一緒に宿題を片付けて合間に絵を教えてもらうという名目でお姉さん宅に長期のお泊りをすることになるのだが、これがあかんかった。まああかんかったよ。
隣府県の郊外にある2Kのアパート、そこがお姉さんの住処であり創作の現場だった。部屋中に飾られた素描や水彩画、見たこともない大きなカルトン、イーゼルに立てられた描きかけのよくわからないけどかっこいいのはわかる油絵、全部を束ねればお姉さんの腰くらいになりそうな大量の絵筆と少しだけ錆びついたナイフが並んだテーブルに乱雑に置かれた混沌色に染まったパレット。そして棚に並べられた大量の本とCD。
やべ、カッコよすぎて漏らしそう。でも同時にいつもどおりの田舎臭いガキ臭い格好をしてこの部屋に足を踏み入れた自分が凄く恥ずかしくなった。
ただ、テーブルの上に飾られた「スーパードルフィー」なる人形だけは正直キモイと思ってしまった。学生服を着た二体の少女人形がお互い腰に手を回して座りポースを取っているのだが、その光景に何か変態的なものを感じたというかのちに私の勘は完全に正しかったのだと判明する。
うん、確かに宿題はすごい勢いで片付くし、特に苦手な数学は私が完全に理解するまで根気強く教えてくれて本当にありがたいし、絵は美大予備校でやるレベルのことを丁寧に惜しみなく教えてくれる。家事も一緒にやって料理もそのときにちょっとだけ覚えたし、お姉さんが影響されたっていうオノ・ナツメの漫画とかミギーのイラストとか、他にもボナールとかセザンヌとかいろんな画家の画集を見せてくれてカッケー洋楽を教えてくれたり一緒にビデオを借りに行って映画もたくさん見せてくれるという、いたれりつくせりの家庭教師っぷり。おお、私の田舎臭が浄化されていく…。
ただね、この人近いんすよ、距離が…。
ちゃぶ台に座って宿題やってるときはお互いの肩が密着するくらいくっついて耳に息がかかるくらいの距離で喋り、計算間違いしたり誤字ったりすると足裏をくすぐってきたり、考え込んでると腰に手を回して太ももを撫でてきたり、絵を描いてるときはまたも背中にピッタリ身体を押し付けて色々助言しつつも肩から肘までねっとり撫で下ろしたりしてきて、上手に描き終わったときは思い切り後ろから抱きしめて私を褒めながら脇腹をくすぐってきたりして、とにかくボディタッチが激しい。
で、私がくすぐったがるとお姉さんもケラケラ笑って冗談っぽい雰囲気になるので正直イヤなんだけど拒否しずらいというか私もちょっとくすぐり返したりしてるうちにお互い距離感も縮まり、遠慮がなくなってきてタメ口で喋れるようになったのもあっていつの間にかすっかりお姉さんのボディタッチを受け入れてたんですよね…。
そうこうしてるうちに2週間が過ぎ、翌日は待ちに待ったコミケに連れてってくれるというのでもう我は有頂天である。私はね、去年から流行ってたボカロが気になって気になってどうしてもCDが欲しかったのだよ。しかも事前に宿を取ってくれていて二日目も参戦できるという。そんなん友達に自慢しまくるしかないやん!!!!
その日の昼には車で東京に向けて出発し夜にはホテルにチェックインしました。
そして念願の初コミケ1日目はお姉さんのサイトに常駐している何人もの神絵師さんと会場で初対面し手描きイラストを沢山プレゼントしてもらい号泣しちゃったり、(特にSAINTさんという鳥居、紅葉、月夜と和服の女性をモチーフに厚塗りリアルタッチの作品を描いてる絵師さんが好きで、その人に貰った絵はその日一日中眺めてました。しかもクソイケメンだった)35度の炎天下で水分補給を怠った結果熱中症でゲロ吐いてぶっ倒れたりと惨憺たる有様でしたが、二日目には「ねんがんのSupercellのCDをてにいれたぞ!」したり恥ずかしながら寄せ書きコーナーでミクを描かせてもらったりと最高の一日になった…はずでした。その夜の出来事を除けば。
結果的に言うとその日の夜お姉さんに犯された。ホテルでシャワー浴びてるときにお姉さんが風呂に突撃してきて、私の身体を洗いながら今までにない冗談抜きのマジ顔で全身くすぐりまくってきて、特に脇腹と胸を執拗に愛撫されてイかされた。抑えきれない全身の痙攣に襲われ貧血でぶっ倒れたときみたいな状態になって何の抵抗も出来なくなったらベッドに連れてかれて体感的には一晩中乳首いじられながらクンニされて涙流しながら喉が枯れるほど叫んで何度も何度もイかされ続けた。ちなみにそのときの私は性的欲求なんて皆無だったしオナニーすらしたこともない。そりゃ12歳だしね。
そして帰りの車で初めて会ったときから私を性的な対象として見ていた、卒展で再開したときには実行するかはともかくこの計画を立てていた、そしてこの夏に私の日焼けした肌を見て、直接触ってみて欲求を抑えきれなくなったとの供述をし始めた。曰く私はくすぐりに対しての反応が非常によく、沢山くすぐって何度も乳首にタッチした日は洗濯物に出した私のパンツにしっかりヌルヌルしたものが付着していたので、着実に性感開発されててこれはいけると確信したと。
帰路はずっと涙が止まらなくて、でもお姉さんは自分は今で言うとこの性的マイノリティだとか言いつつ潜在的に君はレズだからこの経験は後に良いものになる、私のこともホントは嫌いじゃないはずとかぬかしやがってさ…。確かにまだ嫌いではないよバカ野郎。お前にされたことが予想外かつショックすぎて泣いてるだけだよ。んで家に帰ったらもっかい同じことするから嫌なら蹴るなり殴るなり親や警察に通報すればいいとか言い出しやがって。
で、その日の夜またお姉さんに風呂で全身くすぐられて乳首いじられながら玩具使いつつクンニされまくってイきまくった。俺は今度こそ限界だと思った。その頃にはマジで気持ちよくて、ていうか他人に逆らうのが苦手な気質のせいかお姉さんに反抗する気持ちが湧かなくなってたので。
その日以来、私はしばらくネットを止めてお姉さんとの連絡も断っていたのだけど疲れからか不幸にもお姉さんのサイトにアクセスし私書箱から久々の連絡をしてしまう。私もうすぐ冬休みです、と。
そしてサイトの掲示板ではクリスマスに皆でパーティーしようかという話にいつの間にかなってて、新しくサイトの一員になった秋間(かずひさんだっけ?もう名前忘れたごめん)さんというパステル画の達人も加わり互いの絵を持ち寄って見せ合おうという話になる。
大阪のカラオケボックスに集結したお姉さんに一生さんとかSAINTさんとか秋間さんとか特定されないよう他1名と記すけど5人の美大芸大ガチうま絵師さんたちの生イラストを観て立ち直らねば、あの日覚えた行為の名をググって知って自慰行為も知っちゃったけどやっぱ真剣に絵を描かねばという気持ちになるわけですけど、解散後にまたお姉さんに誘われていつものアレをされて、もう全部が台無しよ。
そして図々しくも来年の夏休みもまた一緒に過ごそ?とか言われて。まあ結局そうなるわけですけど。
でも翌年の夏休みは他の絵師さんにも事前に連絡を取り付けてお姉さんの住所を教えてたおかげで日中はセクハラされず夜限定になったわけですけど。そして夜にはお姉さんの所有する大人の玩具がつよつよすぎてまた屈してしまうというかそれ耐えるの絶対無理ってなって中2のときは毎週のように逢って電マの威力に屈服させられたりしてたわけですけどさすがにお姉さんも4年になると私を相手してる余裕が無くなったらしく卒業と就職の準備に時間を割き始めて私はお姉さんより3歳年上のSAINTさんと蜜月になって、彼は愛知住みだけど何度かデートしてたらお姉さんの耳にその情報が入ってしまい、また自宅に呼び出される。
SAINTさんは紳士すぎて何もしてくれないので久しぶりのお姉さんの責めに期待してたら駅前で対面即泣かれて、よくよくその理由を聞いてみたら「あなたホントは私のこと好きなのに男と付き合ってどうすんの思春期の一時の感情に惑わされないで絶対後悔するよそれはそうとしてまたあのときの快感を思い出させてあげる」とか言われてお姉さん宅連れて行かれたわけですけど、連れ込まれた先はいつものあの部屋とは思えない綺麗に片付いた状態で「私東京に就職に行くけど貴方は来れないよね」なんて言われてまた泣きつかれて。親には聞いてないけど多分無理でしょと答えたら今までにない本当にあたたかい感触でギュッと抱きしめられて「好きだよ…」と言われた。今だから言えるけど私もお姉さんのことが部分的には嫌だったけどやっぱり大好きだった。そしてもう今までのように会えないんだなって、その時悟って泣いた。
でもお姉さんに教わったことはずっと忘れないし、私は必ず絵の道に進むしそのとき必ずまた会えるよって言ったらお姉さんはコミケ帰りの私みたいにぎゃあぎゃあ泣き喚いてて、その姿が可愛くてギュッと彼女を抱きしめた。これが私達には一番心強くて、私達の絆を感じる行為だってわかってたから。そして携帯を取り出してお姉さんのサイトを開いて「私はいつもここにいるから、寂しくないよ、みんな一緒だよ」って。
その日はお姉さん家に泊まってずっと抱き合って一緒のベッドの上で寝てた。SAINTさんとの浮気をチクチク糾弾されながら。
その後、私が3度目の夏を迎えた頃にはお姉さんのサイトはすっかり過疎っていて、連絡しても一月に一回程度、たまに返してくれるくらいの頻度になり、絵を描きつつもバンド活動にハマってお姉さんにそのことを報告しようとしたら去年東京で結婚したとの書き込みを期に更新が途絶えていて。私もこのサイトのことは忘れよう、あの頃のことは忘れようとなってtwitterやpixivに活動の場を移すうち、いつの間にかお姉さんのHPは(0zeroからecacoへとドメインを変えて必死に延命していたらしいけど)サービスもろとも綺麗サッパリ無くなっていました。
大変だなあと思うから急な子供の発熱も学校行事にも快く送り出していたんだけど。
もうダメだ。
というか、もう嫌になった。
ずっと、本当ーーーーーにずっと、週の半分以上は遅刻、 中抜け、早退。
それも当日に。
いや、仕方ないんだよ。仕方ないんでしょ。
病気は当たり前に子供全員移る、何なら親も感染して、卒業式だ、入学準備だ、面談、送迎、春休みだからお昼は長めに取りまーす、明日は入学式でーと、びっくりするほど業務時間内に来ない。
当然、その人の仕事はこっちに降りかかる。
話し合いの場にそもそも来ないのに、あとからノコノコやってきて「あの件どうなりました〜?」と始まる。
議事録読めと突っ返したこともあったが、読ませても何かと質問してくるのは変わらないのでやめた。
なので配偶者にバトンタッチしてから仕事の続きをするらしいけど、ドシンプルにそんなのフルタイムならやって当たり前なので、わあ夜中に頑張ったのえらいすごいありがとー、とは全く思わない。
当然、夜中でもやっといてくれれば良い事務処理だとか、一人で勝手に進められるような雑な仕事しか任せられなくなる。
じゃこっちは?というと、自分の仕事だけじゃなく、その人を頭数に入れられない分もやるしかない。
そのうえ、会議にいないワーママワーパパ社員に情報連携するために、わざわざ丁寧な補足を議事録に書き足すだとか、口頭でちゃちゃっと話して合意を取りたいのにいちいち個別でメールで聞かないとだとか、地味なコストまで降り積もってく。
いない間の決定事項を教えてる最中に「あ、ごめんちょっと電話が!」と走り去って行ったとき、自分の中で何か目が覚めたような気分になった。
作業再開した自分の元へ、ごめんごめん続きお願い〜と言いながら駆け寄ってこられた時、自分はワーママだとかワーパパだとかいう人間に搾取される側だと自覚したのが臨界点だった。
仮にあったとしても、他人の子供が育つまで長時間労働するのは無理だ。
経営陣からは、いつの間にか部署代表は自分ということにされていた。
全員平なのに、育児中社員への期待値をしれっとこっちにスライドしてきやがったなという感想を持った。
そういう制度にした会社が悪い?無能は会社と上司?ワーママワーパパに言うのは間違い?
そりゃそうだ。会社が悪いよ。
だから辞めることにした。
本人には何も言ってねえよ。
先週だって、Xくん入園式だったんすねー写真見してくださいよーうわ制服可愛い大きくなったすねーとかお世辞言って、最後までニコニコ応じたよ。
去り際、退職理由として会社には文句の一つでも言ってから出ていこうと思ったけど、言ったところで変わらないし、幸い知り合いの会社にツテもあるしでさっさと退職届を出した。
何も言わない増田が悪いって俺がいつ経営陣に現場の不満として一度も文句言ったことないなんて書いた??
それこそずっと言ってたわ。変わってたら辞めてない。
俺だってガキの頃は毎月熱出したし、親というその人を責めても仕方ないからそうはしないってだけ。
ただ、もっと工夫して効率化してくれとか、調子に乗んなとは心のどこかでずっと思ってたんだろうな。
例えば夏休み期間、子供の昼飯ごときのために毎日2時間3時間、本当に使う必要あるのか?前の日にカレー作っとけば1時間で帰ってこれるんじゃ?とか、それこそ電話が鳴るたびに電話優先すんのやめろとは思ってた。こっちの話終わってから掛け直すじゃダメなん?親だからって仕事適当にしていいわけじゃない。
でもそんなん俺たち外野が言っちゃいけない世の中になってんじゃん。
家庭ごとに事情があんだろ、育児にはとっくに創意工夫こらしてんだろ、その結果たどり着いた仕事との両立方法が「会社の風潮にズブズブに甘えて仕事に穴作りまくっても気にしない」なんだろ。
お察しの通り有給ははちゃめちゃに余ってるから、辞めることは消化開始日ギリに育児中社員に伝えてやった。
今まで我慢してきた分、ここだけは明確に悪意を向けさせてもらった。
頑張ってるワーママは沢山いるとか、お前もいつか分かるよとか、社会全体で子育てしようとか、他人の綺麗事は何も聞きたくない。
あの「うちの子が〜」と言われたら何もかも許さなきゃいけない感じ、もう全部嫌だ。
増田に本音書くことすら「ブラック企業容認、子持ちを生きづらくさせるメッセージ」と叩くなら、それこそ「俺にどうにもできない無理難題の責任転嫁すんな、俺の口を塞いで子持ちを生きやすくさせることばっか考えてるから子無しを生きづらくさせてんだろ」と俺は言い返す。
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こんなんバズったのか。
俺が責任感強いからダメ、フォローしないで仕事コケさせろ、もっと手抜いてやらないと〜とか言ってる人。給料下がるの俺だから黙って。
残業代の違法性説いてる人、訴えろと言ってる人、俺疲れたから代わりにやってくれ。
全ての子持ちを一緒にするな分断するなって人。そんなこと俺書いてないけど大丈夫そ?
俺の効率が悪い、会議録画しといて見させれば良いじゃん、子持ちのフォローも増田の仕事なんだからやれよって人。ド正論ごちそうサマデース。じゃあお前が会議録画できるよう経営陣の説得、予算獲得、社内システム構築してマニュアル作成してツールの使い方を全社員に丁寧に教え頭の固い経営層にガンガン申し入れしお前が説明責任負って、お前の考えた最強の組織に改革してくれ。あ、もちろんワーママとワーパパのフォローも手抜くなよ、だってお前の仕事なんだから。
夏休みにカレーは食中毒が心配で作り置きは無理〜!とか例え話通じない人、笑いをありがとう。
自分に読解力が無いだけなのに俺の論理破綻だと思い込んでドヤってる人、サポートが必要そうだから当該の箇所に補足したよ。そうそう、こういう作業で俺は疲弊したんだよなってほっこりしたわ。
子持ちだけどあの手この手で穴作らないように自分は頑張ってるよって人。俺はあんたみたいな人のことは今でも応援してるよ。
最後に退職祝ってくれた人、俺の幸せを願ってくれた人、どうもありがとう。
全人類お互いお疲れ。
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誰も興味無いだろうけど報告しとくな。
何かしら事情のある人、子供がいたり持病があったりはもちろんいるが、だからと言って組織や他人に甘ったれる人もいないし、甘やかす経営者もいない。
子供が熱を出せばスパッと休むし、休んだのだから仕事になってない、だから評価は上がらない。全員それでいいと思っている。
正直、たったそれだけでストレスフリーになるとは思わなかった。俺、例の育児中社員のことけっこう嫌いだったんだな。
仕事自体は簡単じゃないが、やれることもやり甲斐もあり、何より集中して働けるのがデカい。
俺が辞めたのが損失になってそう、とまで言ってもらってたようで有り難い。
損失かどうかは向こうが決めることだが、現場の悲鳴は正直漏れ聞こえているので、役に立ってたとは実感してるよ。
転職して忙しくしてるうちに、育児中社員のことなどどうでも良くなり、俺の中でこの件は終わったので、これを最後とする。
全人類お互いお疲れ。
数ヶ月このサイト使ってみたけど、やめた方がいいな。
稀にちょっと面白い投稿がバズって流れてくるから興味を持ったけど、蓋を開ければ判で押したような男女論、床屋政談、鬱病日誌ばかりだ。
怨嗟の文章も迫力があれば良いというものだけど、それもどこかで見たような借り物の言葉ばかりだし。
はてなブックマークの反応を覗けば、それこそクソリプの見本市だし。クソリプというかクソ引用かな。
Twitterで言う所のヘンな自撮りがアイコンのおっさん、歴史的仮名遣い風で文章を書く奴、bioが「おもしろき〜」みたいな関わってはいけない系の奴らが勢揃いしている感じ。
罵り合うのが趣味なのか。匿名の喧嘩のしすぎでとっくに狂ってしまっているのか。なんにせよ、真っ当な態度で人に構ってもらう方法を持ち合わせない人達なんだろう。
気に入らない存在をおもんないあだ名で呼び続ける老人がいる。例えが思いつかない(つきたくもない)けど、嫌いな政治家をしつこく○○ちゃんって呼ぶような感じの。ここの人らの錆びついた暴言って、それに似たような感じ。
ブックマークの方も相当だけど。
トンチンカンなコメントばかりが上位に来ていて具合悪なる。稀に真っ当なのもあるけど、そういうのに限って隅に追いやられてる。
文章を読めてないのか読んでいないのか。そう書いとるがなという内容を「それはこういう事だぞ」と、なぜかウエメセでリピートしたり。
別にかくあるべし!と声高に演説している訳でもなく、私はこう思いますと書いてあるだけの文章を勝手にそう読み替える。それで勝手にイラついてか、「バカって言う方がバカなんだゾ!」といったレベルの道徳の説教を垂れたり。
まあ他人の考えが何か気に入らないけど粗探しをする頭もない時、コイツがバカで拗らせてるだけ、と切断すれば楽ですからね。
理で批判的な事を言うことができないから、知性あるオレがそうだと言うからお前はバカなんだ!としか言えない。
文章読めてない癖に主観と客観と区別だの論理性だのを一丁前に語る奴もいる。投稿内容の話の立て方は感情論でも何でもないのに、そういう言葉を並べ立てる奴は少なくないね。
ネットで見聞きした論破ワードを使っておけば、何か言った気になれるのかもね。
なんというか、独自の視点から独自な事を言わないといけないみたいな考えに囚われてるんじゃないかって思う。その癖知識が無ければ頭も悪くユーモアもないから、的外れな事かおもんない茶々を入れる事しかできない。
まあテレビに向かってブツクサ呟く人間のインターネット版の話は置いても、面白い投稿なんて待てどくらせどそうそう出てこないし、もうやめ時だな。
みたいに先回りしておくと反応が来なくて面白い。中学生みたいな単細胞逆張りだから。
長いから読んでないわ、みたいなのも多いね。興味がない人間が興味のない旨を嬉々として報告しますか?
という所まで先に言われたらどうなるのかな。いつもみたいにうるさいお前はバカだ!かな?
少子化の話題になるといつも、仕事と子育ての両立が大変すぎるという意見がたくさん出てくる。そんな意見ばかり聞いてると子供を持つことに前向きになれないだろうから、そんな人ばかりでないことをこれからの若い人たちに知ってほしくてこのエントリを書く。
うちは正社員フルタイム共働きで未就学児&小学生の子が3人(9歳7歳4歳)いるけど、毎日余裕があり健康的な生活を送れていると感じるし、独身の友達からも、「子持ちの友人は皆とても大変そうに見えるが、増田は全然大変そうではないね(笑)」なんて言われたりするので、理由を考えてみた。
「実家の近くに住んでいて、何かあったらジジババが助けてくれます🎶」なんて言わないから安心してほしい。実家は両方ともそこそこ遠くて、普段の日常生活で助けてもらうことは皆無。
早速本題に入る。
私の考える、両立余裕ッス!な理由を順番に挙げていく。
①職場が近い
私も夫も、会社は違うが、職場が車で10分程度の距離。その上、夫はほとんどリモートワークでたまに出勤する程度。そりゃ楽だ。子供が小さい間はありがちな時短勤務も不要。
夫はホワイトカラーの頭脳労働でストレスは溜まるが肉体的には目の疲れや肩こり腰痛ぐらい。私はブルーカラーだがデスクワークが多い仕事。帰宅して家事する力が残ってない…というようなことはほとんどない。
妻もDIYや車のメンテをするし、夫も子供の弁当作りやPTAの委員をやる
気付いた方・得意な方がやる方式でうまくいってるのはラッキーだと思う。
④親子ともに障害がない
親子ともに健康で、身体的障害・精神的障害・発達障害がないのはハッキリ言って、それだけで恵まれていると思う。
子供達は主張が激しいので兄弟喧嘩が多く、聞き分けが悪く、性格的にはあまり育てやすい子達とは思わないが、頭も良く、能力的?には育てやすい方だと感じる。
⑤家の近くに手頃な値段の病児保育がある
子供が風邪を引いたり熱を出しても、医師の診察を受けた上で病児保育に預ければ30分の遅刻だけで済む。コロナでない限りは、仕事を休む必要がない。行政の補助金がジャブジャブ入ってるので、費用も一日2500円と格安。赤ちゃんの頃は本当に助かった。看護師さんが診てくれるので安心。
うちの自治体は基本は18時30分まで、延長利用だと19時まで預かってもらえるのだが、他の自治体に住む友人は、小学校の学童の預かり時間は17時までで延長もないから、小学校に入ったら仕事と両立できるかなぁと悩んでいた。
平日は毎日7時に起床(春休みなどの弁当作りがあれば6時半に起床)、用意して、子供を送り、仕事行って、子供を迎え、帰ってきて、晩御飯食べて、風呂に入って、22時〜23時ぐらいに家族皆で寝ている。子供の寝る時間遅すぎ!って思う人多いだろうけど、うちの子たちは皆宵っ張りなんだよなぁ…
職場が遠い友達なんかは、時短勤務しつつ毎日21時には子供と一緒に寝て、朝4時半に起きてると言ってた。
夫も私も、コロナ前は交代で月に1〜2回は飲み会に行ってたので、会社の人との付き合いもそこそこ楽しんでいる。
うちの事例とは逆に、職場が遠かったり、パートナーが家事分担してくれなかったり、子供が発達障害でこだわりが強かったり、だったら仕事と育児の両立は大変だろうことは想像に難くないし、うちがラッキーなだけというのは承知しています。
できれば職場の近くに住め
春休み長くてよろしなー☺️
春休み長くてよろしなー☺️
部活の練習中に膝を痛めた。病院で検査をして、前十字靭帯が切れたのだと分かった。
特定を避けるために競技は書かないが、春の全国大会に団体メンバーとして行くはずだった。でも、行けないと医師に言われた。
おそらく手術が要るとのことで春休みにディズニーに行こうって人と約束していたのも全てだめになった。体育も今年度はできないだろう。
周りの人が気遣ってくれる優しさが痛い。部活の人に怪我の詳しい話をしたくない。残念だねって言われたくない。
これまで漫画が好きで沢山読んでいたけど、怪我してからは登場人物が元気に動いてるのにすら嫉妬してしまうし、上位大会を目指す、みたいなのを見ると「行けるはずだったのに」という気持ちが湧き上がって苦しくて読む手が止まるようになってしまった。スポーツ漫画に限らずなんでも運動するシーンがあると自分の脚を思い出して大好きな物語も楽しめなくなった。
今まで凹んだことがあっても上手くいかないことがあっても推しが頑張っているんだから自分も頑張ろうって思えたのに、物理的に頑張れなくなったらどうすればいいんだろう。
じゃあ勉強すればってさ…そっちもしなきゃだってテスト近いって分かってるけどこんな状況で切り替えられるかよ。無理だよ。なんで今なんだよ。
○ご飯
。(ビジーデライトのフットロング(二つ切り)、パンはウィート(トーストしない)、有料トッピングはなし、野菜は全て多め、アクセント野菜はなし、ドレッシングはバジル。ツナのパンはホワイト(トーストする)、有料トッピングはツナ、野菜は全て多め、アクセント野菜はなし、ドレッシングはマヨネーズ。)
○調子
医大生の少女リサが、春休みを利用して母親の死を、離婚して長らくあっていない父親に伝えにかつて暮らしていたグイムル諸島に向かう。
そこで幼い頃は理解していなかったが父親がマフィアであることを知り、彼女自身もその道を歩むことになる。
株式会社オレンジのロマンティックミステリーシリーズの第二弾だけど繋がりは特になく、女性主人公のサスペンスもので、ほんのり男女の恋愛もあるという物語の構成が似ているだけ。
今作も短くも丁寧にまとまっていて、限られた工数の中でしっかり面白いものを提供するプロの確かな腕を体験できた。
今作の見所はなんと言っても、普通の医大生の少女リサが急遽マフィアとして活動するところだ。
主人公が犯罪組織で高い地位にいるため、違法行為有り有り倫理観なしの捜査パートが面白かった。
最初の頃は普通の女の子なので場の雰囲気に怖気付いたり、攻略対象のボディーガードの男性を頼るシーンも多いが、マフィアとしての慣れが生まれ出してからは、風格が出てくるのも良き。
捜査パートを終えたらそこで集めた証拠や証言を使って犯人候補を追い詰めるADVではお馴染みのボス戦。
ここではリサの冴えた推理力は勿論のことながら、相手する犯人候補がマフィアのボスであっても引かずに論理と物証で攻める度胸が格好いい。
リサの格好いいシーンがあるからこそ、攻略対象であるルイスが紳士的に女性として扱ってくれるシーンが際立つ。
ルイスはマフィアのボディーガードで言葉数は少ないが根は優しいすごく良い人。
特に食に関してはとても親切で、早朝から行列のパン屋に並んでくれたり、有名な野菜農家に直接野菜を買いに行ったり、主人公の好物のぶどうジュースをちゃんと覚えてくれてご馳走してくれたり、寝付けなさそうな夜はカモミールティーを用意してくれたりと、餌付けかな? と思わなくもないが、こういうシーンがとても良かった。
もちろん、それだけでなく、物語の縦筋にしっかり食い込んでるストーリー性のあるキャラ。
タイトルにもなっている「黄金島」の意味がわかるところは、予定調和ではあるものの感動のシーン。
(遊びながら僕の心の中の詩女たちが「ベリンTUEEEEEE! 詩女で最強だろこれ!」と言い出したのには参ったが)
そんな格好いいリサと優しいルイスのパートは文句なしに楽しかった。
プレイ時間的にも十数クリックほどの文量で、ルートというよりはバッドエンドの亜種みたいな感じだ。
特に全てを諦め「モノ」になるライアンルートは、本編では自立した女性であるリサの分岐としては寂しかった。
とはいえこれも工数からの割り切りなのだろう、オマケながら一枚絵もあるし、妄想の羽を羽ばたかせるのもよいかもだ。
大学1〜2年くらいのとき、たしか春休みに帰省して、暇だったからちょっと散歩に出た
中学くらいからずっとインドア派だったから地元を歩くのは久しぶりで、なんだったら未就学児のときぶりに歩くようなところを歩いた
当時好きだった公園に行ってみようと思い立って、記憶をたどって歩いてたら、思ってたところにはたどり着かず、でも桜がたくさん咲いているいい感じの広場に出た
まあ、言っても大したことはないし、桜だって別に満開ではなく、だから花見の客もいなかったんだけど、それはつまりその場には俺しかいなかったということで、広い空間と桜を独り占めしている形だった
正直痺れた 素直に良いところだなあ、と思った
春そのものみたいな気候で、まばらな雲の向こうで青空が綺麗だった 花の匂いがしていた
豊中市の都市緑化植物園に行こうってことで、彼女と電車に乗って行った
曽根にからあげが気になる店があったんで、そこに寄ってから行こうぜ、ということで、曽根で降りて、からあげを食って、2〜3キロ歩いたような気がする
歩きたくて歩いたというよりは、バス代を節約したいという動機の方が強かったんだけど、豊中市街はすごく良かったな
なんというか、いかにも住宅街という感じで、高級住宅街というほど気取っておらず、かといってゴミゴミしている感じはしなくて、非常にちょうどよかった まあ実際のところ多少は高級住宅街なんだと思うけど、それをそこまでハッキリとは感じさせないところが素敵だった
道中にいい感じのカフェがあって、アラいいわねという話をしていたら、急に強い風が吹いて、立て看板(黒板みたいなやつ)が倒れた
間近で目撃してしまったので、なんとなく放っておくのも悪い気がして、彼女と一緒に立て直していたら、店の中から店主さんが出てきて、お礼を言われた
それでコーヒーを奢ってもらってたりすると非常にエピソードとしてイイんだけど、まあさすがにそこまでのことをしたわけではないし、普通にお礼を言われ、普通にいえいえと言ってその場を離れた 確かそうだった
あとからGoogleマップを見たら、ケーキと紅茶のセットなんかが結構うまそうで、植物園の帰り道、なんだったら寄ってもいいかもね!という話も出たんだけど、結局近くにあったロイヤルホストに寄って帰った
ロイヤルホストも悪くなかったけどね
仕事を始めて1ヶ月少し経ったところで、たしかコロナ関係の急な対応をする必要が出て、職場のみんなで日曜日に出勤した
対応は緊急性があるだけで内容自体は大したことなく、総出でやればすぐに終わって、解散は12時前だった
そのまま帰るのもなんだかな、と思って、職場の近くのスーパーに併設の饅頭屋で饅頭を買って、これまた近くの川沿いに行って、ひとりで座って食べた
たしか5月で、暑くも寒くもない、ただ日向にずっといると暑くなってくるような気候だった
川沿いはガッツリ日向だったから、少し暑かったけど、仕事終わりの解放感も手伝って全然不快感はなく、けっこう長いことその場にいた
川を渡る橋を電車が通っていく音だったり、鳥の鳴き声だったり、川のせせらぎだったり、そういうものが聞こえて、手に持ったビニール袋の中には家に帰ってから食う用の饅頭があって、なんというか満ち足りた時間だったな
スポーツ科学不在の、このカネ儲けと浪花節と集団主義的運動部活動を眺めていつも思うのは
独仏は参考にならなかったので英国や米国の学校内運動部方式を参考にした。
あくまで仕組みを参考にしただけで、英国のエリート養成学校のいわゆる嗜みとしてのスポーツという精神や、米国のスポーツ参加の平等性や公正性は無視された。
戦後の高度成長時期からは、学校の運動部活動は、一部私学のマーケティングとして利用され、公立学校では非行防止の一環と位置付けられた。
しかしそういった真の目的はウラの話としてささやかれるだけだったため、合理的で科学的なスポーツ環境は育つことはなかった。
十年以上前から、国民のスポーツする権利を保障するため、地域スポーツの強化が国の計画で打ち出され、ヨーロッパ型の地域総合型スポーツクラブを推進されてきたがうまくいかなかった。
そこに教員の労働時間短縮をカネをかけずにやり過ごしたい国が、教員の代わりに地域に押し付けようとという発想で生まれたのが、今回の運動部の地域移行である。
地域移行にあたっては、国民の健康や文化的な生活向上にスポーツを活かすという本当も目的がお題目として掲げられる。だが、真の目的が不純だからだ。
本当に地域移行しようとするなら、
本気でスポーツを国民に根付かせ健康や文化的な生活向上につなげたいなら、
まずは大学や実業団の運動部を廃止することから始めないといけない。
大学や大企業では、もっぱら一部の者だけが利用するために、体育施設や運動場が整備されている。
それらは、新法をつくり、無償で地方自治体に贈与させたらいい。
大学の運動部も結成自体は結社の自由があるから設立や活動自体は自由であるが、彼らのために特別な優遇措置を図る必要はない。いわゆる文化系サークルと同様の扱いをしておけばよいだろう。
私学にも国の助成金で運営されているのだから、運動部活動優遇措置を継続させたい私学には、助成金ゼロにしたうえで、固定資産税はじめ高額の税を課せばよい。
大学一般教養の体育の授業で利用するためだけなら体育施設の整備は認められようが、せいぜい大学共同利用施設として整備されれば十分だろう。
もっとも一般教養で実技としての体育の授業をすること自体に大いに疑義がある。なぜなら同年代の大学進学をしていない者は、年に24コマの体育をする権利が保障されておらず、大学生と職業人との間でスポーツ権に差が生じるからである。
大学で実技体育を必修科目とするなら、労働関係法を改正して雇用者に対して従業員のスポーツする時間を有給保障させる義務を負わせるべきであろう。
中学校の運動部活動は、中学校が義務教育機関であるため、大学や高校とは異なる視点が必要だろう。
12~15歳の者にとって、推奨されるべき運動量が、授業の体育だけで十分なのかは科学的に検証すべきであって、授業時間だけで不足するなら、それはやはり学校教育の場で対応するのがよいだろう。それも、運動部活動の形態を取るべきではないのは言うまでもない。
そして、推奨運動時間を超える部分は、学校が行うべきではなく、他の行政機関が社会体育として実施するべきものであろう。
高校や中学の運動部は無料で利用できたが、地域移行により保護者負担が増加することや、地域移行の受け皿に企業が進出することを懸念する声もある。
しかし、学習塾や進学塾にはカネを出すが、必要以上のスポーツ活動にカネを出さないのは理屈が通らないので、そういう声は無視すればよい。
企業進出については現状やむを得ないだろうが、企業と利用者(生徒・学生の保護者)が直接契約するのでなく、あくまで自治体の教育委員会社会教育部門が業務内容を決定し、それを企業に委託し、利用者は教育委員会に申込む、というスキームにすべきだろう。
そして、十年以上かけて、徐々に地域スポーツ指導員を育成し、市の正職員として雇用するなり、自治体出資のスポーツ振興事業団職員として採用するなりしていけばよい。
まあ、いままで無償で教員に押し付けていたものを、他のスキームでやるのだから膨大なカネがかかる。
そこはビッグデータやAIを活用して、国民の健康力がアップして医療費総額が何兆円減りますと計算させればよいし、米軍思いやり予算をゼロにして軍事費をGDP1%程度のままにしておけば何とか財源は確保できるだろう。
「田舎出身」かつ「親族に東大卒、東大生はいない」かつ「母子家庭」から東京大学工学部計数工学科を卒業し、情報理工学系研究科にて修士課程を修了した。今はただのサラリーマン。親ガチャや教育格差についての一般例に対する個別一事例として。
両親は歯科医だったが俺が3歳の頃に離婚し、中国地方から東海地方の母の実家へ。家族構成は母、俺、祖父、祖母の4人。祖父も叔父も歯科医で歯科医院を営んでおり、離婚後の母もそこで働いていた。祖母は教員だったが俺が生まれた時には定年済だったため、平日は祖母に育てられたようなもの。祖母や母はそんなに勉強にうるさくなく「学校の宿題と公文のプリントだけしっかりやればあとは自由」だった。家に帰って学校と公文の宿題を済ませばいくらでも遊べたしゲームもできた。
家族の学歴的には祖父は戦前の歯学専門学校、叔父と母は私立の歯学部、祖母は駅弁大学になる直前の師範学校女子部卒。東大や帝国大卒は親族含め誰もいない。
県庁所在地まで電車や車で1時間以上かかる田んぼしかない町で育ったため、習い事や塾はなく公文のみ。幼稚園、小学校、中学校ともに地元の町立。小学校は毎日遊び、中学は毎日部活。高校受験で初めて本格的に勉強して県庁所在地の県立高校に電車で1時間かけて通学した。高校でも毎日部活。勉強は英単語や古文の暗記と学校の課題のみ。高2と高3の春休みから学校の近くの大手予備校に通い始め、現役で東大理科一類に合格した。
高校の長時間通学はきつかったし、県庁所在地付近で育ち小さい頃から塾に通ってた友達や駅弁附属の小中から入ってきた友達との学力差を感じることもあったが、受験期には差がなかったと思う。大学でもそこまで灘や開成出身との差は感じず普通に仲良くなれたので、結局は環境とかではなく本人のやる気や性格次第な気がしなくもない。