はてなキーワード: スポーツ科学とは
20年前くらいは毎回必ず一回は大ブレーキが起きていた気がする。
それで、カメラがトップから最下位近くを走っている泣きそうな顔をしているブレーキの選手を大画面で映して、テレビのアナウンサーが本当に嬉しそうに三文芝居としか思えない精神論や根性論を下品にがなり立てて、本当に微笑ましくて面白かった。
それがここ10年くらいほぼない。
結局のところ昔は精神論や根性論が幅を利かせていて、スポーツ科学が無視されていて、無茶が横行していたのだろうな。
今はしっかりと選手の体調とかも管理されて、そんな根性論唱えていた監督もパージされて、選手たちに無茶をさせずに走っている……。
きっとそんなところなんだろう。
スポーツ科学不在の、このカネ儲けと浪花節と集団主義的運動部活動を眺めていつも思うのは
独仏は参考にならなかったので英国や米国の学校内運動部方式を参考にした。
あくまで仕組みを参考にしただけで、英国のエリート養成学校のいわゆる嗜みとしてのスポーツという精神や、米国のスポーツ参加の平等性や公正性は無視された。
戦後の高度成長時期からは、学校の運動部活動は、一部私学のマーケティングとして利用され、公立学校では非行防止の一環と位置付けられた。
しかしそういった真の目的はウラの話としてささやかれるだけだったため、合理的で科学的なスポーツ環境は育つことはなかった。
十年以上前から、国民のスポーツする権利を保障するため、地域スポーツの強化が国の計画で打ち出され、ヨーロッパ型の地域総合型スポーツクラブを推進されてきたがうまくいかなかった。
そこに教員の労働時間短縮をカネをかけずにやり過ごしたい国が、教員の代わりに地域に押し付けようとという発想で生まれたのが、今回の運動部の地域移行である。
地域移行にあたっては、国民の健康や文化的な生活向上にスポーツを活かすという本当も目的がお題目として掲げられる。だが、真の目的が不純だからだ。
本当に地域移行しようとするなら、
本気でスポーツを国民に根付かせ健康や文化的な生活向上につなげたいなら、
まずは大学や実業団の運動部を廃止することから始めないといけない。
大学や大企業では、もっぱら一部の者だけが利用するために、体育施設や運動場が整備されている。
それらは、新法をつくり、無償で地方自治体に贈与させたらいい。
大学の運動部も結成自体は結社の自由があるから設立や活動自体は自由であるが、彼らのために特別な優遇措置を図る必要はない。いわゆる文化系サークルと同様の扱いをしておけばよいだろう。
私学にも国の助成金で運営されているのだから、運動部活動優遇措置を継続させたい私学には、助成金ゼロにしたうえで、固定資産税はじめ高額の税を課せばよい。
大学一般教養の体育の授業で利用するためだけなら体育施設の整備は認められようが、せいぜい大学共同利用施設として整備されれば十分だろう。
もっとも一般教養で実技としての体育の授業をすること自体に大いに疑義がある。なぜなら同年代の大学進学をしていない者は、年に24コマの体育をする権利が保障されておらず、大学生と職業人との間でスポーツ権に差が生じるからである。
大学で実技体育を必修科目とするなら、労働関係法を改正して雇用者に対して従業員のスポーツする時間を有給保障させる義務を負わせるべきであろう。
中学校の運動部活動は、中学校が義務教育機関であるため、大学や高校とは異なる視点が必要だろう。
12~15歳の者にとって、推奨されるべき運動量が、授業の体育だけで十分なのかは科学的に検証すべきであって、授業時間だけで不足するなら、それはやはり学校教育の場で対応するのがよいだろう。それも、運動部活動の形態を取るべきではないのは言うまでもない。
そして、推奨運動時間を超える部分は、学校が行うべきではなく、他の行政機関が社会体育として実施するべきものであろう。
高校や中学の運動部は無料で利用できたが、地域移行により保護者負担が増加することや、地域移行の受け皿に企業が進出することを懸念する声もある。
しかし、学習塾や進学塾にはカネを出すが、必要以上のスポーツ活動にカネを出さないのは理屈が通らないので、そういう声は無視すればよい。
企業進出については現状やむを得ないだろうが、企業と利用者(生徒・学生の保護者)が直接契約するのでなく、あくまで自治体の教育委員会社会教育部門が業務内容を決定し、それを企業に委託し、利用者は教育委員会に申込む、というスキームにすべきだろう。
そして、十年以上かけて、徐々に地域スポーツ指導員を育成し、市の正職員として雇用するなり、自治体出資のスポーツ振興事業団職員として採用するなりしていけばよい。
まあ、いままで無償で教員に押し付けていたものを、他のスキームでやるのだから膨大なカネがかかる。
そこはビッグデータやAIを活用して、国民の健康力がアップして医療費総額が何兆円減りますと計算させればよいし、米軍思いやり予算をゼロにして軍事費をGDP1%程度のままにしておけば何とか財源は確保できるだろう。
バイエルン・ミュンヘン時代に1日の練習が終わった時、ある選手がペップ・グアルディオラのところへとやってきた。息を切らしながら選手は、やる気に溢れた表情で指揮官に尋ねた。
宇佐美貴史が「常に気を張っていなければついていけない」、「スピードが、何段階も違う」と語ったように、バイエルン・ミュンヘンの練習は想像を絶するほどに厳しい。その練習後に「更に、追加で練習をしたい」と申し出ることは並の選手では不可能だろう。日本であれば、「練習熱心で、スタミナに優れた選手だ」と監督の評価が上がってもおかしくない行動だ。しかし、ペップ・グアルディオラは彼の言葉を聞くとクスクスと笑った。
「君は、スポーツ科学を何も知らないのか?君の身体にとって害になる以外に、練習後に長い距離を走ることに意味があるのか?」
このエピソードを記者に語り終えると、彼は笑いながらこう続けたという。「それは、プラシーボ効果*でしかない。選手は15分走って練習を終えたことにより、とても辛い練習をやり切ったと思い込みたいだけなのだ」
ワイの一番好きなペップのエピソードや。
居残り錬や自主練してる奴のことを見て「普段の練習で手を抜いて体力を余らせるからそういうことをしたくなる」って言ってたって話も好き。
誰かな。
組織委理事約20人 開会式の中止か簡素化を要望していた…武藤事務総長に記者会見で説明要望も開かれず(スポーツ報知) - Yahoo!ニュース
人間を男と女、はっきり二分できるものでないことは科学的にも明らかで、世界に男と女しかいない前提の制度の運用を続けるのも人権上問題が大きい。
スポーツで女が男に勝てるわけがないというのはそれこそ固定観念、偏見というもので、軽量級の男子が重量級の女子に勝てないことは当然にあり得ることだろう。
つまり男女関係なく体重や筋肉量などフィジカルの客観的な数値で階級を分けて競技させるよう制度を改善すればいいのだ。
結果的に軽量級の大半が女子が占めるとしても異性を排除するという理屈がそこに働かない以上そこに性差別が介入する余地はない。
また一般的な女性よりも素質的に並外れて筋肉量の多い女性は男性が多く占める階級で競うことになり競争の公平性も担保される。
いま仮に体重と筋肉量といったが現代のスポーツ科学であればもっと細かく競争の優劣に影響するフィジカルの能力値を測定して適切な階級を設定することもできるだろう。
男性よりも肉体的に劣っているに決まっている女性でもメダルが取れるように女流枠を儲けるなどそれこそ性差別の産物だ。
必要なのは公平な競争をするための階級制度であって、劣っている方の性に花をもたせるための差別的な区分けではない。
人々が公平な競争に真摯に向き合い、レギュレーションを詰める煩瑣を厭わないのであれば、パラリンピックを廃止して、障害者も1つのオリンピックで健常者とともに競い合うことができるだろう。
人類はもう誰もが同じ場所で競い合うことができる。必要なのは公平に競う合うための仕組みだけとそれを作ろうとする意思だけだ。
力を合わせて頑張りましょうしか言わない
アプリもある
あの局の良いところはテレビ以外の情報伝達手段を追求するところ
災害放送が見れるのに、普段受信料を払ってないような人が見れていいの?
今回はみんな避難所に逃げたらしいけどそこのテレビは自治体が受信料を払ったテレビだよ
俺はいらないとかじゃないんだよ
教育系の番組はいらないって言うけど、子どもは楽しそうに見てる
文化系の番組はいらないって言うけど、民放で組めないようなマイナーな学問の番組ができる
紅白はいらないって言うけど、中継や合成の技術はすごいし高画質放送なども大々的に披露してる
(バラエティとして見ると面白くないのは同意できるからうたコンやのど自慢くらいの気持ちでやってほしいけど)
オリンピックのたびにスポーツ科学を扱った番組を最新鋭のGoProカメラやCGを使って作ってくれる
いらないの一言であの局をなくすのって2位じゃダメなんですかの精神とあまり変わらない気がする
それでも変えたいならあの局が持つ災害放送以外の役割もちゃんと考えて発言してほしい