はてなキーワード: 修羅場とは
東西冷戦末期、1989年ベルリン。「壁」崩壊前夜のこの街で西側諸国のスパイ情報がKGBの手に渡ってしまう。それを奪還すべく、ロンドンから一人の凄腕女スパイが世界史に残る大イベントを迎えんとする狂騒の街へと送り込まれた――。
と、『アトミックブロンド』はベルリンでの任務から帰還した女スパイ(シャーリーズ・セロン)が上司のMI6幹部から事の顛末を尋問される形で進行する回想劇なのだが、タバコを吸いながらふてぶてしい態度で語られる女スパイの武勇伝のまぁド派手なこと。
まずベルリンに到着して数分でドンパチ(出会って4秒で合体かよ)。
その後も次々と修羅場が訪れるも、複数人で襲いかかってくる男どもをタマキン蹴り上げながら、ほとんど素手でバッタバッタとやっつける女スパイ。
まるで軽快さのない痛々しいアクションシーンに顔を歪めつつ、次第に慣れてきた観客は気づき始める。「ははーん、シャーリーズ・セロンが男のタマキンを蹴り上げたいだけの映画だな」
そんな男には容赦のないセロンもカワイコチャンにはめっぽう弱い。夜の盛り場で出会ったキュートなフランス娘に「これは即ハメボンバーですわ」とメロメロのセロン。辛抱たまらずクラブのトイレで濃厚キス。「スパイの用心深さはどこにいったんだ」と呆れる観客を尻目に滞在中のホテルにお持ち帰りして、「ほな、お先にアタイらのベルリンの壁、崩壊しますわ」とばかりに濃厚レズセックスを繰り広げる。
男に対してはあんなに厳しいのに女同士だとここまで激甘なのかとばかりのネットリ系プレイで、観ているだけで糖尿病になりそう。これにはMI6幹部も「その話kwsk」と身を乗り出し尋問に熱が入る。「さすが紳士の国」と観客は心のなかで日英同盟即日発効。
その後も「モブ厳」ならぬ「タマキン厳」シーンは続く。西ベルリンから東ベルリンへと潜入した女スパイ、入国直後に尾行され(スパイのくせに気づかれすぎだろ)、とっさに入った映画館で尾行を撒こうとする。非常ベルを押して混乱がおきた隙に逃げ込んだ先は、映写幕の裏。
映画が投影された映写幕をバックに格闘を繰り広げる女スパイ。タマキン蹴り上げノルマをきっちりとこなしつつ、「あの映写幕に突っ込むんやろなぁ」という観客の予感にキッチリと応え、頭から突っ込んで映写幕をブチ破る女スパイ。
これには私たち観客も阿吽の呼吸で「そのためのヤシの木かよ」と自分たちの観ている映写幕にツッコミを入れないわけにはいかない。
※参考資料:そのためのヤシの木とは (ソノタメノヤシノキとは) [単語記事] - ニコニコ大百科
その後も、次々と襲い掛かってくる男どもの顔面にタマキンに攻撃をくわえ、奪い取った銃で頭をぶっ放し、弾が切れたら銃のグリップで頭を殴りつけ、タマキンを蹴り上げる。
「そんなのないよあり得ない」と思いながらも、激動のど真ん中にある東西ベルリンを舞台にしていることもあって「それがありえるかも」と思わせる力技で物語は進み、緊張感を保ったまま最後まで持っていく。
とまあ基本的にはご都合主義なんだけど、いちおうは男女のパワー差を考慮して、女スパイがエレガントに軽く一撃でやっつけるということはしない。普通に反撃を食らって、顔に大きなアザを作り、脳震盪を起こしてフラフラになりながらも戦い続ける姿は悲壮感すら漂ってくる。(それでも「素手で何人もの男をやっつける時点でご都合主義だろ」と言ってしまえばそれまでなんだけど)
それに、キュートな女性を目の前にしてスパイ失格レベルで知能を低下させている様を描いており、「男と変わんねぇじゃねえか」と観客に突っ込ませる余地も与えてくれている。
とにかく非現実的な「完璧な女性像」を作り上げて観客をシラけさせるということはしていないので、そのあたりは良くできていると思った。
ともあれ、モラハラ上司や元カレなど身近にいる男のタマキンを蹴り上げたい! と日々ストレスを抱えて生きている女性は「ぷいきゅあがんばえー!」のノリでシャーリーズ・セロンを応援できるし、心の日英同盟締結済みの紳士諸君(同士よ!)にも十分楽しめる映画となっている。ヘテロ男はお呼びでない。
【以下蛇足】
今まであまり映画を見てこなかったけど、最近にわかに映画欲が湧き出し、映画館に足繁く通うようになった。
それで思ったのは、「アメリカ人はいつまでソ連に怯えているんだろう」ということだ。
『ドリーム』は、「ソ連がミサイル撃ってくるの?」と怖がる3人の娘に「だいじょうぶ、母ちゃんNASAでがんばるからね」となだめて寝かしつけるも、ソ連の前にまず自国の差別と戦わないといけない黒人シングルマザー細うで繁盛記だし、
『バリー・シール』は「ソ連はこんなヒドい国なんですよ!」と国際社会にアピールするためにもっとヒドいことをするアメリカと、そんな母国に利用される小悪党パイロット(元トップガン)という話だ。
そして『アトミックブロンド』も言ってしまえば、西側のスパイ情報がKGBの手に渡り「ソ連に殺される……!」と怯える人たちの話であり、結局アメリカ人は冷戦が終わって何年経とうと「ソ連こわい」映画をこれからも作り続けるんだろうな。
ちょっと前に観た『ダンケルク』もナチスに怯えるヨーロッパの映画だし、日本人は「悲惨な戦争に翻弄される庶民」映画を、中国人は「我らの大陸を土足で踏みにじった野蛮な日帝」映画を作り続けることだろうし、やっぱり戦争ってよくないな(なんだそのまとめ)。
とにかく、劇場で映画を観るのはとても楽しい。単にデカい画面と音というだけでなく、何というか「体験している」という感じがあって良い。しばらくは映画館通いの日々が続きそうだ。みんなのオススメ最新映画を教えてくれ。
何か書くべきですか先生。
恋愛については、恋というのがなんなのか、いまだにわからない自分なので。恋の定義については言及しない。
恋愛に限らず人付き合いというのは基本的に、相手を傷つけない、自分もできれば傷つかないというのが基本。
考え方の違う相手とは、相手に合わせるか、話し合って落としどころを探ることになるのだと思う。
・燃えるような恋がしたい。燃えるような性行為もしてみたいと思ったりはする。
・でも、まず自分が燃えるような感情に耐えられる強さがない。自分は脆い。
・したがって、自分のルールとしては、基本的に軽いノリの付きあいをして、時折(それが許される相手と)熱い恋をするデートやプレイのようなものをするか、最初から最後までそこそこ軽い付き合いで済ませるかの二択。ずっと重い付き合いをするのは自分にも相手にもよくない。
・日本では互いに寄り添うものではなく一方が一方を支える形なために、例えば男が女を見捨てたような重い認識になる。
・二人の世界をつくるという約束をした以上は。ちょっと別の女の子にデレデレしてみて、「何ほかの子に見とれてるねんオラア!」と怒り出すという、いや程度の差はあれど、目移りしてしまうこともそれに怒りを覚えることくらいは受け入れて、ガチで浮気をするなら話し合え、ということになるんじゃないかなぁ。と理屈の上では思うけど、それだと多分修羅場になると予想するから何も言わずにいつの間にか浮気っていう形が多いんだよね。うーん。
そうだなぁ、自分は、確かによくいわれるオタクほどではないけど好きな応援するキャラがころころ変わったりはするかなぁ。でも実際は架空の相手なのでそこに罪悪感は持たなくていいかなという気がする。
声優さんに惚れることもあるけど、それはもう現実的にファンという立場を超えることは不可能だし深入りするのは相手も自分も困るので、進むとしても熱心なファンくらいの位置でいたいと思う。
あーと、そうですね。もしも自分が恋愛するのなら、お互いに気が楽になるような形を相手に提示したいと思います。
とりとめもなくてワケわかんねーなごめん。
約1年くらい付き合った彼氏と別れた。
いっぱいケンカしたし、付き合ってくうちにドンドン体調崩していったし。周りからも散々「別れたほうがいい」って言われてたけど、いざ別れるととても辛い。
仲良くなり始めてから1ヵ月位で付き合った。
若いのに礼儀正しいし、朗らかでよく笑うし いい子だなって思ってた。
私のこともいっぱい「好き」「かわいい」って言ってくれる貴重な人だった。将来のことも色々考えてくれてた(と思う)し、趣味の世界で会ったからレジャーやデートの行き先もあまり困らなかった。
自分で書いててもめちゃくちゃいい人だなって思うけど、当たり前だけどいいことばっかりではない。
なまじ人当たりが良いから知らず知らずのうちに他の子をその気にさせてしまい、それを私が指摘しても気に止めず修羅場になってしまったことがある。
その割に私と仲のいい男性には嫉妬し、一切連絡をとるな(sns含み)と言われてそれまでの人間関係を制限されたり
趣味の延長でパリピっぽいイベントにたまに参加するのだがそれを禁止されたり(私は自衛はしているし彼氏を連れて行ってもいいと思ってる位)
あとは単純に乙女心を理解して貰えなかったり(デートの行き先くらいは決めて欲しい、1人の時だけじゃなく私とも美味しいご飯食べに行ってほしい、誕生日くらいはちょっといいものをプレゼントし合いたいetc)
彼はどちらかというとネットの友達が多くて広く浅く、私はリアルでご飯やカラオケに行く狭く深くのタイプだったので お互いの友人に対しての付き合い方に価値観の相違があったり
彼は自分の中で納得して反省すれば、意識して直そうとはしてくれてたと思う。
上記の、修羅場になってしまった女の子とは一切絡まなくなったし
私が不安がれば自分のコミュニティにも紹介してくれたり、デートで「ちょっと美味しいもの食べに行こう」って言って探してくれたりもするようにはなった。
じゃあなぜ別れたのかというと、
・話しても聞いてないことや、聞いてないのに相槌だけ打って内容わかってない(忘れる)ことが多すぎる。
上記の3つが酷かったから。
日本語が通じない、というのは例えば
私が顔を合わせたくないからうちにある荷物は送るって言ったら、俺の顔見なければ良いじゃんって言ったり
そういう事じゃない、ていうのが多くて話してて疲れてしまう。
あとは、この行動をしてしまったのは悪いけど、変な意図があった訳じゃないんだ
という言い方を毎回する。
私が「例えば、万引きも毎回間違って、とかたまたまポケットに物が入ってしまって、とか何度も言ってたら信用されなくなるよね?」という例え方をすると
「その例え方はちょっと酷いんじゃない?心外だな」と言われる。
こういうことがいっぱいあって、遂にキレてしまって別れた。
ある程度事情を知ってる人からは、お疲れ様、とか良かったんじゃない?と言われるけど
あんなに好き好き可愛いって言ってくれて、普通にしてたら話も趣味も合う人ともう一緒にいられないのだと思うと
自分が決めた事なのに苦しくなる。
中1の時の学校祭の日に他所の学校の生徒と会ったんだけど有志発表の衣装で制服の女装してたが普通に話をしてメアドの交換をした
そして2週間程メールを続けて電話も何度かしたある日に電話で告白された、ビビった
男だよっていうと傷つくと思いやんわり断ったがメールの内容は普通に男同士でするような会話だったのに恋愛フラグ?も立ってない状況で脈絡なく告白するその男子の根性にもビビった
当時中1の俺の声は親でも姉と間違えることもザラだったので声で気付かないのも納得できるっちゃ出来るがそれでも気づけよ、とも思った
急に連絡断つと怪しまれる(友達経由でバレる)と思って返事を遅らせる作戦にでたが姉に見つかり男に告白されたと言いふらすぞと脅されて姉貴同伴で女装した状態で一度だけその男子とデートをした
ゲーセン・カラオケ(バレたくないので歌わなかったけど)・ボウリングはしごしてキチンと告白断って帰ったがこんなしょうもない話が人生で一番の修羅場なのが悲しい
(以下追記)
予想以上の反響でビビるけど人生で二度と話す機会無いだろうから今ココで話し尽くす
・すげー可愛い?
→当時の女装姿が可愛いかどうか分からないけど、女装(化粧も)された自分を見て正直すげー可愛いじゃないかと心の中で自画自賛してた
・姉にバレたキッカケ
→姉にバレたキッカケはメールの頻度が増えたことを彼女が出来たと勘違いした姉が携帯を確認→発覚、「彼女じゃなくて彼氏できたの?彼氏できたの!?」ってめちゃくちゃ笑ってた
・今はどんな感じ?
→今でも中性的って言われることあるし、男子トイレ入った時に一瞬ビックリされたりも偶にあるけど「パッと見たら女子に見える時がある」程度だと思う
髪も長くて薄眉にしてるので男らしい見た目ではないが声は普通に男声
・姉は楽しんでたか
→めちゃくちゃ楽しんでた、姉の指示で行動してたんだけど段々悪ノリして色々恥ずかしいこともさせられた
姉は今でもちょいちょいこの時の話するし当時デートした事をネタに姉に良いように遊ばれてた次期すらある
・男だからこそ惚れられた?
→相手の男子は男子っぽい会話が出来たからこそ俺を好きになったのかもしれないがデートした後はあらゆる事をべた褒めしたメールが送られてきたので何処に惚れたかは知らない
→女子勘違いしてたのは会話の内容から確定してるので女装は見破られてないと思う、名前は本名を名乗ってた
・お疲れ様
→正直デート事態は結構楽しかった、チヤホヤされているとお姫様にでもなった気持ちになっていかんね
デートの日に撮ったプリクラを2枚発見したが俺と男子の二人だけで撮った2枚目は俺が身体寄せたり肩くんだりハグしてたりと完璧に悪ノリしてて自分でビビった
そう言えば姉と離れた時を見計らってせがまれて撮ったの忘れてた
そしてプリクラみて思い出したけど胸を結構盛ってる(姉のキャミソールにパッド数枚貼り付けてた)ので相手は巨乳好きだったのかもしれない
失敗しない恋愛なんてありえない~の増田ですが、実はうちの両親も離婚しています。
実家の雰囲気は常に悪く、両親が嫌いで家が嫌いで、高校出たときに実家を飛び出して祖母のうちに厄介になることにしたくらいだった。
正直、失敗するたびに、こんなふたりに育てられた自分はもしかしたら一生パートナーなど望むべくもないのかもしれないと思ったことはなんどもある。
今は社会に出て親元離れて一人暮らし。嫌悪や憎悪すら抱いていた両親とも別々にではあれど飯にいくようになった。
しゃべってみると両親は美点も汚点もある普通のまっとうな人間だった。当たり前だが。
ふたりのなれそめや、なんで破たんしたかの思いなども聞いたりした。
それを聞いて、自分は同じ轍は踏まないと誓った。
1997年に結成した彼らは、00年代V系シーンにおいて、その重厚なサウンドと自他への憎悪や怨念、そして寂寞の篭ったような世界観という強烈な個性から、多くのファンを獲得し邁進してきた。
そしてその世界観を自ら打破し、ロックやテクノ、メタル等の様々な音楽要素を取り込むなど、新たな個性として「多様性」を得た結果、今やファンも老若男女様々な層が増え、20周年の今年は日本武道館2days公演を納めただけでなく、更に年末にもう一度玉ねぎの下で大規模な主催イベントを控え、その日に向けて日夜怒涛のツアーやイベントに勤しんでいる。
私は、ファン歴で言えば中堅どころにあたると自負している。
もう十余年もムックの音楽に浸り、彼らのライブサウンドに酔い、最早生き甲斐やライフサイクルの一環として「次のライブに行くために、また彼らの音楽を生で楽しむために」と社畜生活に従事する日々。
長らく夢烏(=ムックのファンの呼称。ムッカーと読む)を続けてきて、もちろん不満に思う事や上がろう(=ファンを卒業しよう、追っかけをやめよう)と思った事も多々あった。
しかし彼らの最大の魅力は良くも悪くも「変化し続ける事」と「ファンを裏切る事」である。
何だかんだと文句を垂れ、貶しては「やっぱりムックは最高だ」と舌を巻く羽目になるからこそ、次の良い裏切りを期待して離れられずに、盲目的に好きであり続けている。
そして自身の周りの夢烏仲間も「だせぇwww」「無いわwww」「新アー写ぶっさwww」等と貶しては、生のパフォーマンスを拝んだり、新しい歌詞を読んで「やっぱムックいいわ…好き…かっこよすぎ…」と滂沱と溢れる涙を拭い、感涙に咽びながら新しい告知に躊躇無くクレジットカードを切っていた。
2008年夏にリリースされた19枚目のシングル、「アゲハ」。
このリリースをきっかけに、あるバンドのファンが怒涛のようにムックに流れ込んできた。
ムックと同じ事務所に所属する大御所バンド、L'Arc〜en〜Cielのファンである。
このシングルにはラルクのギタリスト、Kenが楽曲のプロデューサーとして参加している。
日頃ラルクの活動の無さに飢えているファンが、ラルクの片鱗を求めてムックの音楽に興味を持ったのだ。
ムックは元々、リーダーであるギタリスト、ミヤのワンマンバンドである。
幼い頃より音楽を嗜み、プロデュース、作曲、編曲等々多方面のマネジメントを行うミヤに対し、音楽のド素人から始まった他メンバー。技術的な部分から何から、3人はミヤに首を垂れ従い続けるのが常であった。
「メンバーもファンもひたすらミヤのご機嫌取りに徹するバンド」等とも称される事もあったし、夢烏を自認する私も事実そういうバンドだと自覚する。
なお余談だが、興味のある方は是非今年リリースされた「M」というインタビュー本をご一読頂けるといいだろう。
リーダーから何故出来ない、お前に期待しているのに、というスパルタ虐待親よろしく高いスキルを要求され、心身に支障を来たす者もいれば、トラブルを起こす者もいた、解散しなかったのが不思議でならないかつての殺伐としたムックが。
そして20年という歳月を経て、ようやく分かり合おうとし、ほんの少し分かり合えるようになってきた彼らの、ありのままの成長の軌跡が綴られている。
さて、そんなムックが、よそのアーティストにプロデュースを頼むだなんて。
当初は「は?ムックのサウンドが好きなのによそにプロデュースされるとか無いわ」という気持ちと「あのとんでもワンマンバンドがよそに力を借りるなんて、少しは丸くなったんだなぁ」という気持ちを抱いていた。
実際楽曲そのものは、これまでのムックには無かった新しいテイストが組み込まれ、彼らの「多様性」に新たな1ページが加わったなぁと感慨深かった。満足であった。
しかしそのシングル曲が含まれるアルバムツアーから、ライブ公演に違和感を覚えるようになった。
「アゲハ」と、同アルバム収録のもう1曲のKenプロデュース曲「空と糸」のイントロで、何故か、黄色い悲鳴が上がる。
V系というジャンル柄、ファンは盲目的に思い入れを持つ曲が各々あったりする。また歴史を重ねるごとに、昔の音源はだんだん演奏頻度が下がる。
そうした中で、たまにいわゆるレア曲を演奏したりすると、イントロの時点で泣き出したり、歓喜の絶叫を上げるファンは沢山居た。
何ならこのツアー中は100%演奏するし、シングル曲故に今後もセットリストに組み込まれる可能性は非常に高い。
私はただたた首を傾げる事しか出来なかったし、周りの夢烏友達もそうであった。
その正体に気付いた時には、奴らはすっかりムックに居座っていた。
あれは忘れもしない、某年の恵比寿リキッドルームでのライブ。
早めに着いた私は、グッズ販売の待機列で友人を待っていると、数人程前にやたら声の大きい2人組が和気藹々と歓談していた。
V系のファン=バンギャもある種のキモオタなので、声が大きいのもよくある事だと、会話をBGMにTwitterを眺める私の耳に、信じがたい台詞が飛び込んできた。
「ムックはチケ代が安いから、ラルク待ってる間の暇潰しにはコスパがいいよね」
「Kenちゃん、ゲストで来てくれないかな。Kenちゃん見たい」
先の台詞は百歩譲って許そう。
いくら盲目に、宗教的にバンドを愛するバンギャと言えども、複数のバンドのファンを掛け持ちする事はザラだ。
特に本命バンドの活動が乏しい場合、あの爆音の非日常空間が恋しいあまり、他のバンドに手を出す事はしばしばある。
そして本命バンドと比較して、やっぱり本命バンドが一番好きだという実感を改める事は私も多々ある。
ムックが一番好きな人達ばかりのアウェイ環境で、よくもまあ大声でそんな事がしゃあしゃあと抜かせるものだと少しイラつきはしたものの、気持ちは分からなくもない。
しかし猫も杓子も二言目だ。
そう言うのならばKenソロのライブに行けと。公演が無いならばDVDでも観ていろと。チケットに書かれた出演者をよく観ろと。貴様の目は節穴かと。ムックにラルクの片鱗のみを求めているのかと。
音楽シーンにおいて特に興衰の激しいヴィジュアル系というジャンルでは、新たなリスナーの獲得が今後の生死を左右する。だから、新しいファンが、殊に音源やグッズを購入し、ライブにまで足を運んでくれる存在が増えるのは大歓迎だ。
それでもムックの純粋なファンではなく、ムックを通して結局ラルクしか観ていない。カードだけ剥ぎ取られて、開封もせずに捨てられるプロ野球チップスのようだと感じられる、ムックが本命バンドの自分からすれば侮辱としか思えない発言だった。
気持ちは分からんでもない。ただせめてこの場においては、まっすぐにムックを観てくれないものか。とにかく不愉快で悲しくて仕方が無かった。
しかしムックは、みるみるそれらのファンを増やし、固定させていった。
その後もKenのプロデュースの機会も増え、ラルクメンバー絡みのイベントに参加し、オールナイトイベントなんかにも出るようになり。いつかの2人組が望んだ通り、ワンマンライブにゲストで現れるようにもなり。
気付けば、スタンディングのライブで友達とはぐれた時、自分の周りにいる人間は知らない空気を纏っていた。
先述の通り、私はファンが増える事は喜ばしく、歓迎すべき事だと思っている。
以前はモッシュピットに棒立ちで、ぶつかられ露骨に嫌そうな顔をしながらも近くで見たいからと動かない、危なっかしい新規ファンも居たが、最近はムックのノリに慣れたのかそんな人間も見かけなくなった。
ムックそのものをちゃんと観に来ているファンが増えた実感もある。
しかし、あれからずっと変わらずKenプロデュース曲で上がる黄色い悲鳴。
チケットのファンクラブ先行受付がある度に、既存の夢烏同士の規模を圧倒的に上回る人脈での人海戦術で、人数の何倍も申し込んでは、ひたすら身内に、余れば興味の薄い人間にまで回されるチケット。
「ムックは昔から、皆仲が本当に良い」「ボーカルさん可愛い、女の子みたい」「リーダーさんが人を殴るなんてありえない」という、誤解を超えて定着してしまった新しい解釈。
そして何だかんだ言っても結局、Kenが関わる話題が上がっては「Kenちゃん来ないかな」。対盤で未発表枠が告知されては条件反射で聞こえる「絶対ラルクでしょ」。
何より許しがたい、「今のムックの動員や売り上げは、ラルクに支えられているようなものでしょ」という、あまりにも乱暴で横柄な認識。
そして自分達が総意であり真実であるかのように振る舞う。いつしか私も、仲の良かった旧来の友人達も、周りを念入りに警戒してから遠慮がちに感想をぼやくようになった。
もちろん、いいファンと悪いファンがいるのは重々承知しているし、それは旧来の夢烏にも言える事だ。
それでも、メンバー間のトラブルや修羅場があったからこそ生み出された過去の楽曲やパフォーマンス。そして背景としてそれらがあったからこそ、紆余曲折と凄まじい努力を経たからこその「今の彼ら」が在るのに、「今の彼ら」しか切り抜かれていないようで悲しく思えてならない。
V系における2ちゃんねるのような某掲示板で、貢ぎやセフレ要員として簡単に繋がりを持てると、繋がり入門麺とまで称されたメンバーに対して、手放しで可愛いだの聖母だの褒めちぎる。
バンドの運営をほぼ全て自分を中心に回し、ステージでミスしたメンバーや段取りの悪いスタッフを一切の遠慮なく睨み付け、手や足を出す事もザラだった、田舎のヤンキー気質の抜けないワンマンリーダーを、優しいだのと聖人君子のように捉える。
先述のメンバー程よろしくなかなか女関係が汚く、今やすっかりほうれい線の強い老け顔に対してただただ馬鹿のひとつ覚えのようにかっこいいを連呼する。気持ち悪さが売りであり、コールアンドレスポンスとして罵声が求められるパフォーマンスに対してきゃー可愛いなどと場違いな歓声を上げる。
元よりお馬鹿キャラではあったものの、立派な一人の成人男性としてオフショットでは煙草を吸ったり、平均的な態度振る舞いである事は容易に見て取れるのに、そうであると押し付けんばかりにひたすらバカわいいなどと称する。
昔の楽曲も好きだけれど、暗いから最近の曲の方が好きだなどと抜かす。
汚い部分もひっくるめてのムックは今時のファンの中では息絶え、やがてムックの中でも無かった事にされるのだろうかと、一抹の寂しさを抱いた。
ファンの在り方は様々だ。貶し愛と呼ばれる、極端なツンデレのような愛し方をする者もいる。ガチ恋と呼ばれる、本気で結婚したいと考え必死に札レターを贈る者もいる。アイドルのように無条件に可愛いかっこいいと愛でる者もいる。
ムックが本命バンドの人間もいれば、他のバンドが本命だという人間もいる。
必死な人もいれば、緩く追っている人もいる。
十人十色、千差万別。色んな愛し方があって当然だし、「多様性」を強みとするバンドならばファンも多様であっていいと思う。だからこそムックは、色んなものを身につけ、色んなものを培い、色んなものを味方につけて、色んな道を歩んできた。
とりあえず、これからもムックに金を落とし続けてくれればそれで結構なので、頼むからせめてダイブする時は柔らかい靴で・アクセサリー類は外す・髪は括る・ステージにもフロアにも余計なアピールをせずさっさと転がって降りるの4点くらいは徹底をお願いしたい。
それと人海戦術チケ確保も程々にして頂きたい。激戦チケットとの交換カード用に、自分にとっては余計なチケットを申し込んで転売するのもほんとに勘弁して下さい。
あーあ、やっぱりラルクソ居なくなって欲しいな。何だかんだ言ったけど、やっぱ存在が無条件にただただムカつくし気持ち悪いわ。
さん付けとかたつえちゃん呼びもきしょいし、下手くそな小学生の夏休みの工作以下のお手製土産(笑)を「声かけて下さい!」とか拡散してるのも本当にきしょい。
それもラルクソの文化?男性アイドル追っかけてる夢女子腐女子のオタ中学生みたいですね。
ガチ恋も増えた臭いけど、やってる事だけじゃなくて身なりもオタ中学生みたいな糞ダサデブスだし、見た目も繋がるためのお金も何の努力もしてないから本当に見苦しい。
せめてまず痩せろよ。1人で2人分くらいスペース取ってるデブ本当に殺意沸く。
何食ったらそんなデブになるの?何処かの相撲部屋に所属してるの?ちゃんこが美味しいのは仕方ないだろうけど、ここは土俵じゃないんですよ。
万が一にも動員落ちたら1人でチケ20枚くらいは買い支える気持ちでいるから、ここらで一発ムックには炎上してみて欲しい。
にこやかに用事を頼む妻の様子のどこにこんなことが読み取れるんだよ
>お母さんは夫に対する思いやりも敬意も持ってなさそうなキャラ
いや、私だったら夫があんなに陰鬱な顔をしてるのににこやかに用事を頼むことなんてできない。心配になるし、気を遣う。
だから、最初のカットだけでお父さんをコマかなんかみたいにしか思ってなさそうだと思ったし、思いやりも敬意も持ってなさそうだと思ったよ。お父さんの都合も聞かずに自分のお願いだけしてるし。
落ち着いた口調で苦言を言ってるだけの妻の様子のどこが「修羅場」「怒る怒る」なんだよ
いや、落ち着いた口調って言ってるけどあれはあきれた感情が入った声だし、怒っているのは火を見るより明らかじゃね?というか、もし増田があの様子のお母さんを見て怒ってないと判断するんだったら、そっちの方が怖いんだけど。
>風呂上がりのお父さんはお母さんに謝り、お母さんもなぜかそれだけで許してしまい
パパのイレギュラーな行動により結果として起こったことは「子供の誕生日のお祝いがが1,2時間遅れた」これだけだ。
朝の様子、「家族思いのパパ」という表現、帰宅時の怒りのトーンから見ても普段の夫婦関係が悪いなんてことはどこにも示唆されていないし
陰鬱なお父さんに笑顔で用事を頼むお母さんという朝の様子は、お母さんの思いやりも見えないしお父さんも楽しくなさそうでこれだけで夫婦関係が悪いと一発で思うし、「家族思いのパパ」という表現はお母さんのお父さんに対する評価ではなくお父さんの自己評価である上お父さんはそういう自分に納得してなさそうな様子が見て取れるし、帰宅時の怒りのトーンが低く見えるらしいが普通相手を怒らせた時点でアウトだろう。お母さんが声を抑えてくれていても、それに甘えて「あ、あんまり怒ってない」って判断する増田の価値観、怖すぎなんですが。
子供の誕生日のお祝いが1,2時間遅れただけっていっても、その理由が交通トラブルとかだったら一言謝罪すれば済むと思うけど、飲み会で家族よりも他人を優先しました、という理由ではちょっと一言で許してもらえると思うのは虫が良すぎない?
増田は私が明後日の解釈をしているというけれど、私から増田の主張を見ると、増田は対人関係の感覚がマヒしているとしか思えない。
お父さんが陰鬱な顔をしていても、お母さんが笑顔ならその関係は良好に見えますか?良好な関係というのは両者ともに笑顔でいられる関係でしょう?
それに、普通は人を怒らせることってないじゃん。だからこそ、人が怒ったときは誠意をもって接することが必要でしょう?それなのに、お母さんは声を抑えているからあまり怒っていないと判断して、子供のお祝いが1,2時間遅れただけだから一言謝ればセーフって思ってるのは正直怖いよ。そういう考えこそ、普段から人を怒らせ慣れている上に人の怒りにまともに取り合わない人の考えにしか思えない。
そして、お母さんがすぐに夫を許してしまうところからすると、そういう人の怒りを軽く見ている人がこの脚本を書いたのかもしれないと思わさせられる。どんなによく解釈しても、お母さんはお父さんを許したのではなく今は子供のお祝いのために怒りを押し殺しているだけだよ。
勝手に自分の家族関係を投影するなっていうけどさ、私が今いる世界から見るとこの家の家族関係は怖いとしか思えない。うちはもっと平穏だよ。
もしかしたらこういう家が普通なのかもしれないし、この家族にとってはこの一件は大した話じゃなしに石鹸で洗い流せる程度の出来事なのかもしれない。
でも、私は妻の立場だけど、朝から暗い顔をしているお父さんに笑顔でものを頼んでしまうお母さんは決して笑顔通りの朗らかさには見えない。頼みごとをするのにも気を遣えない人なのだろうと思うし実際使ってないと思う。お父さんも、例え後輩のためという大名義分があって飲み会に行ったとしても、飲み会中のお母さんからの電話を無視する理由まではないよ。そのあとの一言謝るだけの行動も家族と向き合う姿勢が全く見えなくて幼稚だと思うし。
というわけで、件のウェブCM見てみました。ちなみに見た時点ではどの批評も感想も読んでないです。
で、見てみたのですが、あまりにも居心地の悪いCMでびっくりしました。
出社前に暗い顔でゴミ捨てに行くお父さん。そんなお父さんに、何かのもののついでのようにケーキやらプレゼントやらを頼むお母さん。お父さんをコマかなんかみたいにしか思ってなさそうなお母さんの姿をみて、この時点で相当居心地悪い。
で、子供のケーキやプレゼントを持っているのに飲みに行ってしまうお父さん。これも見てて後の修羅場を想像してしまい、陰鬱な気持ちになる。お母さんもあれだけどお父さんもあれだな、って感じ。
で、想像通りお母さんは怒る怒る。で、お父さんはお風呂に逃げてしまう。
そしてお父さんはお風呂で、洗い流そうと一言。風呂上がりのお父さんはお母さんに謝り、お母さんもなぜかそれだけで許してしまい、息子も招いて一家団欒が始まる。
……、いや、意味不明。
どの登場人物に共感すればいいのかわからなかったし、そもそもこれがイメージ広告として世に出てること自体に疑問がわく。
お父さんが自分と自分の父を対比させているところも意味がわからなかった。
でも、中途半端でもある。お母さんは夫に対する思いやりも敬意も持ってなさそうなキャラで、この点ではお父さんに同情心が湧く。
けれども、だからと言ってお母さんとのコミュニケーションを諦めてしまっているお父さんにも、子供が拗ねているだけでしかない印象しか持てない。
主要登場人物の二人のどちらにも共感できないまま、お父さんは洗い流すという逃げの一手を打ちますます共感できなくなり、その逃げの一手でしかない謝罪で夫を許すお母さんの心情も全くわからなくなる。
そして最後にはこれの何がポジティブなイメージを連想させるのかという点において広告としての価値すら行方不明になっていく。
で、軽くこのCMの批判記事と擁護記事を見て回ってきて、どちらの派閥のいうこともそういう見方もできるという程度にはわかるものの、批判派の女性VS擁護派の男性のような構造になっているところは理解できない。
というわけで個人的には、このCMはどうにも稚拙な作であり、これを使って男女論社会論などを語ろうとは思えない、というのが結論となります。
いろいろなご意見ありがとうございます。
女性、男性、未婚、既婚、未経験者、経験者、それぞれのご意見が
入り混じって、年齢によるタイムラインのイメージが頭の中に思い浮かびました。
共感できないとか、クズとかちんぽとかのご意見は、女性か若年なのだろうと
思いました。
女性は男の合理性について、本能的に共感できないのではと思います。
女性にとって、不倫男はどんな理由であれ、一途を貫けなかったという意味で
不幸の温床であり、忌むべき存在なのでしょう。
男性からは、冷静な分析、わかるという共感、それでもお前はバカだ、というご意見、
すべて頷けるご意見です。
女は身ごもる子供を育てるために浮気は許容できないし、男は種を広げるという本能から、
ひとりの女に固執しなくなるという、またかと言われそうですがDNAの司令があります。
男女の存在は競争の中にあり、男はいい女を取り合い、女は優秀な男を取り合う。
それは、本能というOSが、理性を押しのけて司令する。
今回のことで、それが自分の中にあることをひしひしと感じました。
しかし、人生でなにに価値を置くのか? 果たして自分の気持ちを押し殺して
品行方正に生きることで死ぬ前になって満足できるのか? という思いはあります。
それですべての個人はほんとうに満足できるのか? ということです。
生きることは一度きりで、死んだら生き返りません。
高齢の人へのアンケートで、「したことより、しなかったことに後悔した」という
ネットではサッカーの試合のように人のミスに平気でブーイングするが、
愛情の薄れた奥さんより、ほんとうに好きだと思った人をなぜ取らないのか?
ということです。
いずれにせよ、人は遭遇する出来事に試行錯誤しながら生きるしかなく、
自分も女との一期一会の出会いにいろいろ考えた末、行動した結果が、
修羅場だったということです。
判断が甘かったね、というのであればそうなのでしょう。
以下ご意見への返答ですが、冒頭文と分けて書いたので、
あなたが境界性人格障害にしたのではないか? という意見であればそれは的外れ。
最初に関係を持ったときに、リストカットの後だけでなく、全身のいたるところに自傷の傷があり、
いわゆるメンヘラだということがわかった。
障害者手帳を持っていていることもその後わかった。
つきあっているうち、被害妄想的なので調べたら、統合失調症らしいと思った。
ただ、精神障害だとしても、できるだけ普通の人として接しようと思いながらつきあっていた。
その後、気にいると男とすぐ寝るなど問題行動が多いので、
性格の傾向を調べていたら、境界性人格障害に多くの共通項があった。
境界性人格障害は、統合失調症と不安症の境界にいる例ということからの名称で、
まさにその症状だということがわかった。
それはあるかもしれない。
奥さんがいたので、しばらくは誘いを断っていた。
自分自身も限りある人生だからこういう経験をしてもいいかもしれない、
という思いがあり、関係に至った。
自分はどちらかというと蛋白で、仕事と趣味に没頭していればそれで
ただ、女の、すべてを捧げてもいい、死んでもいいというほどの猛烈な求愛は
初めての経験で、それほどまでなら・・・という揺らぎが起こった。
こちらのそっけない素振りにも関わらず毎日連絡してきて、話せば
明るく努めようとし、プレゼントなど尽くし方もハンパでなく、
単なる性欲ではなく、ものすごい「愛」をそこで感じた。
今思えば、それも病気のなせる技だったのかもしれないが、
相手のことを気遣い、できるだけ察してどうにかしてあげようという行動をよくしたことを
そう表現したのだけど、「甘い」「優柔不断なだけ」というご意見には賛同する。
知り合いからも甘いだけと言われている。
奥さんのことを含めれば、世間的に優しい男ではなかった。
奥さんにとっていい夫でありたいとも思っていたが、ひとりの男としての
アイデンティティを考えたとき、こういう道もあるのではないかという思いもあった。
全くそのとおりだと思う。
ただ、人間は非合理と合理の合わさったもので、男はどちらかというと理性的で、
女はどちらかというと感情的で、どちらが優勢かというだけに過ぎない。
ただ不倫の問題解決についての判断は、あくまで状況を統合するという理性が働いていたということ。
もちろんそれはある。
世の中には自分のようにリスクを取らず、死ぬまで誠実な人もいるだろう。
しかし、あなたが男であるなら、私と同じ本能が脳に組み込まれていることを忘れないで欲しい。
ただ機会が今までなかっただけで、あなたの中にも生物の本能は組み込まれている。
特に奥さんに対して悪いと思っている。
女に対しては、お互い様だと思う。
自分が誘いの乗らなければ誰も傷つかなかっただろうと思う。
誰の得にもならなかった。
全員が傷ついてしまった。
被害者とは思っていない。
女のことは自分も好きだった。
尽くしてくれる姿に本当の愛を感じた。
奥さんにバレてもそれは変わらなかったし、今でも会ったら気持ちが揺れると思う。
完全に接触を断つことで、もう思い出さなくなってきている。
ただ、もう会うことはないだろう。
別の形で出会っていたらと思う。
リスクを取ったことで、結果的に奥さんと女を傷つけたことを反省している。
ただ、単純に「だから不倫はやめましょう」という結論では、世の中の不倫問題が解決するとは思えない。
日本の結婚システムは、恋愛感情がいずれ薄まるということを考慮に入れていない。
残り2/3も、結婚システムにやむなく従っているところもあるだろう。
金持ちほど損をし、貧乏人ほど簡単に別れられるシステムになっている。
もちろん、恋愛感情がなくなっても、淡々と一緒に暮らす人もいる。
しかし40代の女性の浮気経験は7割以上、といったデータもあるように、
男女の行動傾向に結婚システムが合わず、不幸が生み出されている現実がある。
某エンジニアが40代の過渡期に、学生時代の修羅場みたいなことをしていて草なのだが、お金と、妻子があるだけ、余計厄介。
社会的制裁とか、どうでもよいので、不倫に至らないための方法を教える。
年下の慕ってくれる女性ができたら、娘だと、思えば良い。
某氏は完全にちんぽに負けているわけだが、ちんぽに負けないための理性をどうやって保つか。
してはいけないと、倫理観を高めると、ちんぽとの戦いになってしまうので、如何にちんぽと戦わない土俵に持ち込むか。
娘と思って接すれば、彼女候補に、安心感を与えつつ、自分を安全圏に保ちつつ、自分の虚栄心を満たすことができる。
セックスもしなくていい(もちろんある程度あると思うが)
パパ活にまとめてほしくないが、大学教授(私立文系)の叔父も、学生を娘と呼んで可愛がっていた。(学生宅に泊まったり、現代ではできない逸話をよく聞く)
女性にとってのパパであれば、いずれ自立しなければいけないことを自覚しつつ、自立に向けた英気をやしなうことができる。
パパになれば、安心感を与えてあげれば、女性を満足させてあげることができる。満足させてあげれれば、自身も満足感を得ることができる。
不安定な女性は精神的な支えを求めてしまうので、2人の関係だけになればなるだけまずいし。
というか、メンヘラな女性が増えているのって、明らかに精神的な支えになってくれる人が欠けてるからだろう。
周りにバレて修羅場になって家庭崩壊、というところまでは、それはやったことの当然の報いなのに
当然の報いを避けようとして泥沼にはまってるだけじゃん
自分は彼ほど知名度はないし、著書があったり、有名な会社の役員をしたりなどの社会的成功はないが。
よく女の相談に乗ったり、優しく対応していたら身体の関係を求めてきて、自分にも人生を楽しもうという思いもあり、
30代で結婚したあと、40代に入ると、離婚、不倫は当たり前のように友人知人は体験している。
40代に入ると、多くの人に似たようなパターンのことが起きるらしい。
恋愛の幸福物質(セロトニン)は、最長で4年しかもたず、それ以降は惰性の生活になってしまうことが多いようだ。
例の境界性人格障害の女は、境界性人格障害は性格だと言うが、ああいう犯罪まがいのことをするような性格が、
自分が体験した女は、ブログを作ったり、ツイッターで執拗につぶやいたりと脅迫のようなことまではしなかったが、
不倫をバラされることがやはり怖くて、優しくせざるをえない状況になる。
今はSNSがあるので、奥さんに連絡を取ることは容易だ。
結局、自分は関係を奥さんにバラされ、修羅場を迎えることになった。
女は、最初はバレないでこの関係が続くだけでいいと言いながら、結局は本妻になりたいと言い出し、離婚を迫りだす。
また、今すぐ会いたい、奥さんにお金を使うなら私にもお金を使って欲しい、毎日電話したい、
LINEしたいなどのリクエストがだんだん激しくなってくるが、それに答えざるを得ないので、生活に支障をきたしてくる。
境界性人格障害は、
・頭がよく回る。知的な面がある
・容姿がそれなりによい
・人の迷惑を顧みない
・他人をどんどん巻き込んでいく
・要求が性急になってくる
といった共通項がある。
LINEのやりとりでもあったように、細かなことですぐ機嫌が悪くなる。
それに何時間もかけて機嫌を取ることになり、生活に支障をきたす。
セックスは男の急所であり、目の前に容姿端麗で「あなたとしたい」という女がいれば、その欲求に抗うのは至難。
これはDNAに刻まれたもので、自分でも思いもよらない精神状態になる。
頭の中から女を思い出せという司令が数分おきにやってきて、仕事がままならなくなる。
奥さんとの板挟みになり、罪悪感も出てくる。
これが長期にわたると、例のCTOのように体調を崩すことになる。
解決したくてもできない問題を抱え、さらには無理難題を押し付けられ、重い決断を迫られることになる。
そして、境界性人格障害の女と一緒になることは果たして正しい選択なのか? という疑問も頭を支配する。
恋愛物質が消えてからの消極的な結婚生活であれど、奥さんにはなんの非もなく、そうした善良な人を傷つけるのは、
相当なパワーがいる。
たとえ自分の中で合理的であれど、自分の欲求のために人を傷つけるのは、まともな人間なら相当重い行為になる。
善良な人間として育てられた普通の人なら、奥さんを裏切るのは、相当なパワーが必要になる。
奥さんと離婚してもいいと思っていても、藤沢数希氏の本にもあるように、離婚で財産の50%を持っていかれ、
奥さんが弁護士にそそのかされれば婚姻費用という、離婚までの生活費を払うことになり、離婚を引き伸ばされ、
2~10年引っ張られる。
さらに離婚を早めたいと思えば、支払う予定の婚姻費用を一気に支払うことになり、集百万は出ていく。
バレたことが前提なら、慰謝料を100~200万は払うことになる(これは不倫相手も要求される)。
40代近くになり、奥さんとの関係もマンネリだったに違いない。
愛情も薄れていたであろう。
惰性の結婚生活を解消して別の人生を歩もうという選択肢も、なかったわけではないだろう。
自分もそうだった。
最初は、セックスができるならと軽い気持ちで一線を超えたかもしれないし、人生を楽しもうという気持ちから、
そういう関係を持つことに飛び込んだかもしれない。
ただ、女を傷つけたくないし、一心に愛してくれる女を愛おしく思わないわけではない。
それは嘘ではない。
できれば幸せになって欲しいと思うし、自分が幸せにしたいとも思う。
しかし既婚者は二度目の結婚をできないし、今の日本の社会文化では奥さんともそれを前提とした付き合いをしていない。
今の日本では両方は取れない。
奥さんを裏切るのにもパワーがいるし、女を捨てるのも「バラしカード」をちらつかされ、板挟みになる。
離婚は金銭面についてもダメージはあるし、裏切りは自分への嘘で、不倫がバレてキャリアを傷つけることは男に
メリットとデメリットを考えれば、不倫相手と別れる、おとなしく別れてもらうことが最良の判断にならざるをえない。
女のように気持ちが優先しない。
しかし、境界性人格障害の女相手では説得は難しく、結果どこかで爆発が起こり、修羅場に突入することになる。
状況は女によって展開を強制される。
嫌われることをしながら、それでも自分のもとに来てほしいという矛盾がわからない。
女は今すぐ結果を得られないと「もうどうでもいい」という一時的な感情で、突飛なことをはじめる。
リストカット、自殺未遂、奥さんへの連絡、ブログやツイッターでの暴露。
不倫相手が普通の女性であれば、身を引くことを考えたり、粘り強く関係を続けてくれるかもしれない。
しかし「自分だけを選んで欲しい」という女の欲求も、DNAに刻まれたものであり、
たとえ境界性人格障害でなくても、いずれどちらかを選ぶことを迫られる。
もしあなたが不倫をしたい、人生をもっと楽しみたいと思うなら、相手をちゃんと見極めたほうがいい。
不倫は、奥さんの了承がなければ、自分に不利なカードを渡すことに違いない。
今、インスタグラムってすごく出会いやすいと思う。私も加齢で体型がゆるんできたので、憧れの人を見つけたくてインスタグラムでボディメイク系のアカウントを探してしばらく使ってたんだけど、すごく無防備な世界でびっくりしている。
出会いたい人にはすごいツールだし、そういうのちょっと…という人は気をつけて。その判断は任せる。
で、ここからの流れは推測だけど、
私はそういうの興味ないので出会い系サイトとか使ったことないんだけど、無料で使えるめちゃくちゃ普及しているアプリで、ここまで性的に好みな相手へのリーチができるのって、今までのSNSになかったと思う。で、びっくりしている。
私のような既婚子持ちって明記してあるアカウントにもいっぱい出会い系メッセージが来たので、そっ閉じして、今は鍵付きで女性同士でひっそりやってる。
ジムとかサーフィン行ってたりする、いわゆるパリピな人たちには当たり前の出来事なのかもしれないけど、ずっとネット民を静かにやってきたインドア系おばちゃんはとても驚いたよ。
私はネットでの出会いには特にいいとも悪いとも思ってなく、今の旦那はTwitterで知り合って「このひとの言葉と感性好きだなー」って見てて、数年後に実際会って、さらに数年経って結婚したから誰のことも何も言えないんだけど、やっぱりTwitterで知り合うには強烈なクラスタ属性(というか共通の趣味というか)か、文章力がないと、なかなかそこまで至らないんじゃないか。毎日自撮りアップしてる子とかを除けばね。
それに比べてインスタは視覚で「おお、好み!」って思う人が、先方のアルゴリズムでサジェストされてくるのよね。インスタはどうしたいんだ?出会わせたいのか?これはおばちゃんだからスルーできたけど、若い女の子たちが一番使う情報収集ツールがインスタらしいし、ちょっと心配だ。大人はさ、好きにやってくれたらいいんだけどさ。不倫で修羅場化したって自分のしたことだし…
で、オチは特にないんだけど。ひとまず思ったこととしては、自分の子供に対しては表現やツールに制限をかけるんじゃなくて、こういうことがあるよ、で、嫌な人はこう対処しよう、っていうのを教えようと思った。
http://anond.hatelabo.jp/20170609163945
人生で一度だけ、あれが本当の殺気を感じたんだろうな、という経験がある。
学生の頃、深夜に家に帰ろうとして、人気のない公園内で、ちょっとした坂道を歩いてた。
金縛りにあったように、顔を上げることができなくなった。
歩き続けてはいるけど。
で、「坂道の向こうから、何かが来る」ってことだけはひしひしと伝わってきた。
顔が上げられないから、見ることはできないけど。
こちらは顔を上げることができないまま、その男に近づいていく。
その男も、歩みを止めずに近づいてくる。
相変わらず、全身の鳥肌は止まらない。顔を上げることがなぜかできない。
ちなみに、当時は剣道二段、大学に入って別の格闘技を始めてた時代。
そこそこ修羅場はくぐってると思ってた。
なのに、顔を上げることすらできない。
そして、歩みを止めることもできない。
そして、その男とすれ違った。
何事もなくすれ違って、ほっとした。
が、その男はすれ違った後、3歩歩いたところで歩みを止め、
こちらを振り返った。
見ることもできなかったが、そいつがこちらを凝視していたことだけははっきりとわかった。
心底ビビって、そのまま歩き続けた。
で、5~6歩歩いたところで、
男の興味がこちらからそれたのか、そいつも歩き始め、去って行った。
その直後、金縛りが解け、顔を上げることができた。
だが、振り返ろうとはつゆほども思わなかった。
もう二十年ぐらい前の出来事だが、未だに忘れることができない。
奴が歩みを止めたとき、振り返ることができたなら、
確実に殺されていたと思う。
友人の娘がバイト先の先輩からデートに誘われたという話を聞いた。
私も同じ年の娘がいるので、興味津々で聞いたらとんでもなかった(汗)
私「で、一緒に出かけたの?」
友人「ただのバイト先の先輩だし、何喋っていいかわからなかったから、断わったんだって」
私「ふーん、そうなんだ。ところでその先輩はフリー?」
友人「いや、彼女いる」
私「え!、彼女いるのに誘ってきたの?」
友人「うん」
私「デート断わってよかったじゃん。彼女にバレて修羅場になるよりいいと思うけど」
友人「でも、ウチの娘、男慣れしてないから、慣れるためにデートぐらいいいと思うんだよねー」
私「???」
私「慣れるために好きでもない相手と二人っきりでデート?しかも彼女持ちの男とー?」
私「私は絶対無理。娘がそんな男にちょっかい出されたら、彼女と別れてから出直してこいって言うわ。」
友人「でも、この先いろんな男性と出会うかもしれないから、いろいろ経験しないと~」
私「いや、普通の恋愛だけで十分。経験するために自ら飛び込むなんてありえん」
一部では内々定がではじめており焦っている人もいると思う。
わたしは某業界で新卒の採用面接を10年担当してきたおっさんなので、
幸いにも書類を通過し、集団・個人面接まですすめた人にアドバイスをしてあげたいと思う。
何かのヒントになる人もいるのではないかと思う。
留学してきた人(だいたい短期だ)、TOEICが850点ある人、インターナショナルスクールに行っていた人。
もうそんな人は掃いて捨てるほど面接に来る時代だ。さらに、社内にもネイティブや社内通訳など
英語の「プロ」がいることが多い。なので若者たちの「英語力を活かして御社の○○にお役になりたい」
「国際的に活躍している御社で……」といっても、何もひびかないのでやめた方がよい。
ここはじっとがまんして、「英語のアピールをしない」ことをおすすめする。
面接官があなたのスキルに食いついてきた時にこそ、アピールすれば良い。
ここでも「ビジネス英語は分かっていませんので仕事では使い物にならない」
2)簡潔に話をまとめる
わかるけど長くアピるほど印象は悪くなる。簡潔に相手に伝えられる能力はビジネスでは重要だから。
どうしても話したいことがいくつかある場合は、
順番にいいたいことを言うのがよい。3つめはなんだろうとおっさんたちは期待しているから、
そこでうまく「オチをつける」ようになればなおよい。
3)勤務地は限定しない
これはどうしても地元でしか働きたくないというのなら、そういった転勤の無い会社を選ぶべき。
そこそこ規模の会社の場合、異動は当然あると思っていた方がよい。
「勤務地はどこでも大丈夫です」
うそでもそう言おう。
4)希望について
これには「もちろん御社が第1志望です。」
と即レスしよう。
「うちが第1志望じゃない」ことぐらいは目の前のおっさん達も分かっている。
「とっさに平然と嘘がつける」かを見ているのだ。
もちろん、本当に第1志望なら猛烈アピールした方が印象は良くなる。
これは意外と顔に出る人が多く、また気がつきにくいので、鏡の前や動画で撮影して訓練した方がよい。
「わたしがローテを組んで云々」
もう面接に来る人全員が「バイトリーダー」と思っていいだろう。
ではどこでアピールするか。
それは「バイトの内容」かなと思う。
「カフェの接客を3年やってまして、最後にはリーダーとしてシフトを組んで云々」もうこれだけで聞く気がしない。
「実は探偵のアルバイトやってまして……いろいろと修羅場をかいぐくってきました!」
「中高ではテニスを、大学からはサークルですが、、、サークルといっても真面目にやるサークルでして
もう、このアレンジばかり聞かされる。
どいつもこいつも、サッカー、テニスなど大好き野郎・女子ばかりだ。
これは5)のバイトリーダーの応用で、少しは変わったスポーツをやっていることにしたほうがよい。
「ボルダリング」「カバディ」「エキストリームアイロニング」など。
とりあえず思いついたところかいた。
またなにかあればつけたす。
学歴について一部で盛り上がっていたので,職場のまわりの人を出身大学別にまとめてみた。先入観満載で。
前提として,私の職場は某メーカー。非研究職で,設計開発の職場。
# 東京大学 (サンプル数4くらい)。確かに頭がいい。ただし,仕事ができるとは限らない。良くも悪くも別格感を強調したがる。研究職に受からず(または研究職から異動させられて)今の職場に配属されている感じなので劣等感的な感情が垣間見える。正直,今の職場では持て余す感じ。
# 東工大 (サンプル数3くらい)。頭がいい。メンタルが強い。きっと修羅場を耐えてきたんだと思う。それ故,他人にも厳しい。
# 慶応大学 (サンプル数7くらい)。きっとうちの会社に来る人は,慶応の下の方の人に違いない。サンプル7のうち,優・良が2人,可が1人,あと4人は不可って感じ。精神的に弱い。不可の4人はメンタルを病んでる感じ。
# 早稲田大学 (サンプル数3くらい?)。人数はいるはずだけど,あまり早稲田出身の人を思い出せない。慶応みたいに群れないってことかも。1人は優,1人は可,1人は不可(チャラくてすぐやめた)
# 地方国立大学 (サンプル多数)。総じてまじめ。メンタルも強い。学力は大学のレベルに概ね比例するけどMARCHレベルを下回るのは稀な印象。変なプライドはないけど,地方によっては(なんとなく)田舎っぽさが抜けない。
# その他,都内の私大。もちろんある程度の幅はあるけど凡庸な感じ。量産型。変な気負いもなくて良い感じ。ちなみにここでの私大は,上智,理科大,中央あたり。明治,青学,法政,学習院は周辺にはいない。