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2024-04-25

映画 陰陽師0見てきた感想。博雅が博雅だった

原作はとびとびで読んでる。

萬斎版も見てます

以下、過剰な表現感想はしないようにするため、多少感想は回りくどくなる。

先に言っておくが感想賛否であれば賛だ。

もともと今回の映画は期待してなかった。

実際問題として映画の出来は70点届かないくらいかなと。68とか69とか。

シネフィルぶった感じで★5の評価をつけるとするなら★3.6、もしかしたらもっと低くつける人もいるかもしれない。

かといって酷いわけではなく「GW家族で見に行く」のは超おすすめだし、なんか見るもんないしコナンも見たしなぁーって人がふらっと入っても楽しめると思う。

丁寧で難しくもないし、子供向けでもない。でも子供も多分いい経験になるだろうし、大人シニア世代も懐かしいなとか、美術的にも彩色豊かなので萬斎版と違った新しさは感じられるだろう。

原作過激派はネトフリのアニメだって受け入れられないんだろうし映画は見るなと言いたいが、原作ライト層なら楽しめると思う。

厳密に言うと設定は原作からちょっと変更してると思う。

しか原作ではまだ描かれてない部分であるし、原作者もがっつり監修している(監督原作指名である)。原作で二人の出会いが描かれるときは違うものとなるらしいが、それはエンタメ的、商売的な観点ということのようだ。

設定は変わっている。でも好感度は高かったのはなぜか。

世界観」と「主要キャラ関係性」が大きく変わらなかったことだ。

陰陽師という作品は晴明と博雅のシャーロックワトソンコンビで成立する作品だ。

から時代が変わってもこの二人がいれば夢枕獏陰陽師だと認識できる。映画にはちゃんと居た。

ただ今回、原作よりも若い頃の二人という設定なので安倍晴明キャラが少し違うように思う。青く泥臭く、また甘い。

しかしそこに染谷将太が「どうも原作から来た博雅です〜」って感じでやってくる。

まだ博雅を知らない晴明はツンケンしているのだが、映画が進むに連れ博雅を知ることで「原作の博雅を知った晴明です」って顔になってきて、ああこいつ成長したらちゃん原作の晴明になると感じられるのが楽しいのだ。

展開も原作でありそうなものだ。まあこのへんが夢枕獏呪術ワールドでもあり幻想映画にしてしまう部分でもあるので多少分かりにくくなるのだが…大体呪術廻戦の領域展開だと思えばいい。

最初にこの映画は中評価認定した。

しか映画とは作品としての出来を1歩引いた目線で見て総合評価するものではないと常日頃思っている。

この映画はバディ誕生物であり、昨今の話題作だと「ゲゲゲの謎」や「ヴァチカンエクソシスト」と同じ楽しみ方をしていいものだと思う。

ゲ謎やヴァチクソ(ええんかこの略称)は大傑作というよりは色んな前提を知っている人がキャラの二人を見るのを楽しむ感じで、カルト映画のような人気を博している。

陰陽師0にも確かにそれはあるので好きな人多いと思う。

違う点は先に書いたように「子供を含めて家族と見れる」という点だ。どんな因習のある村に住んでいようが陰陽師0は見れる。なんか久しぶりにそういう映画コナン以外で見た。懐かしさ…。

というわけで個人日記帳としてつける★の数は5点満点の5。ちなみにこの日記帳には1と5しかありません!

2024-04-10

はてブロよりはて匿がアクセス集めるの、危機感つべきでは?

普通に考えたらおかしいだろ

信頼性の亻すらない日記帳だぞ

テック企業って

便利にするしようとするけど利益も追求しなきゃいけないかドンドン機能劣化するよな

吉業重工が去年アトレakibaでイベントしてたなと思ったけど

Twitterから検索できなくてGoogleとかで"サイバーパンク 電脳 女性 ファッション"とか最初に入れて

そしてサイバーパンクファッション記事さがしてブランド名と人の名前いれてやっと見つけだした

Google検索に対して対象企業に金払えば良いのかも知れんがそれは稼ぎ頭つぶしから無理そうだな

Instagram検索が貧弱というかCMが多く見られるようなアルゴリズムになってしまってタダの日記帳に成り下がってるし

検索でいいなあと思えるのがニコニコ動画だったなと思ったのは俺が年寄りからだな

機能劣化が稼ぎに影響するってのは広告ビジネス限界かも知れんがそんなにお金ポンポン出せないからなあ

ArchiveBoxを自前で用意してブックマークするように保存していかないと無理かな

2024-03-02

チンパンジーライダー共へ。

前編

anond:20240301101812

よう、また会えたなチンパンジーども

俺はこの、増田という日記帳に書き込んだのは実は昨日が初めてなんだ。

パンジーの教えに「新しいコミュニティじゃ半年ROMりゃなあかん」というものがある。

それを忠実に守り、温めていた文章投稿させてもらった。

それがここまで多くの人に読んでもらえるとは思いもせず

交通安全啓発の一助となったのならチンパンジー冥利に尽きるというものだ。

(実際15年くらい2chやらSNSから離れていて頭チンパンジー


主題は、ニンゲンたちのコメントの中で

kuborie ライダー編も書け、いや、書いてくださいよろしくお願いいたします。

このように書かれており、ニンゲン従順チンパンジーの一匹である俺は従わざるを得なかった。

また勢いに任せて書いてしまたこともあり、色々と指摘もあったのでドライバー編にも後日修正を行う。

とはいえバイクのことは何もわからないチンパンジー

パンジーには幼少より口を酸っぱくして

チンパンジーバイクは乗れないの、諦めなさい」

こう言われて育ってきたため、レンタルキックボードくらいの経験しかない。

幼少の頃より憧れはあったものの、運転には才能と訓練が必要らしい。

ニンゲン小説だか漫画かにとある種類のバイクスポットライトを当てたものがあった気がするが

その中で、チャラチャラしたチンパンジーが通りがかりのニンゲンの女ライダー

パンクも直せないのならバイクに乗るな、とボコボコに殴られるような描写があったのを思い出した。

かにバイクツーリングする場合山道など自然の多い場所に出掛けている人も多い。

ある程度は自分対応する力も求められるのかもしれない。

さて、バイククルマの大きな違いはなにか

統計的には、クルマバイク事故の発生頻度はそれほど変わらないらしい。

ただ、万が一事故に遭ってしまった場合の、肉体へのダメージが大きいということは容易に想像できる。

これは考えてみれば当たり前で、バイクは生身の体が飛び出しているわけだ。

ヘルメットだけでなく、グローブや肘・膝・胸部プロテクターなど最大限の安全装備を整えろ。

分かったな、間違ってもTシャツサンダルでブロロロするんじゃないぞ、そこのチンパンジー

近所だからいいとか、田舎からいいとか、そういう気の緩みが事故の元なんだ。

俺が死ぬだけなんだから放っておけ?

仮にお前の装備が不十分だったために、亡くならないまでも、一生残る傷を抱えてしまったら?

もちろん、轢いた方が悪いのはそうだが、その人に一生消えない後悔の念を残すことになる。

そういったところまできちんと考えて鉄の馬を操作しろ

冬は寒いし夏は暑い

外気に長時間さらされるということは、当然疲れるということだ。

適宜、パーキングコンビニに立ち寄り、休憩を取れ。

最近では、道の駅が全国に増えているようだ。

そういったところでお土産を買うのもツーリングの楽しみ方のひとつだろう。

自転パンジーキックボードパンジーたちは、とにかくイキがるな

かに免許は高い。高いが、免許を取ることは自衛もつながるから

財布と相談して時間と金があるなら取得を目指してくれ。

近所に子供を乗せながら、傘を差しながら、電話をしながら運転しているチンパンジーを偶に見かけるが

マジで交通ルール勉強してくれ。

分かった、せめて学科試験だけでも義務教育に含めてくれ。

中学三年生に交通という科目を設定してくれ。頼む。お願いだ。

ライダー編ここまで。詳しい人教えてください。
以下、ドライバー編で抜けていたところとやや上級

睡眠時間を確保しろ

アルコールの項目に書くべきところだったが、これも重要だ。

まりに少ない睡眠時間だと、アルコールで酔っ払ったのと同じくらいの脳の反応速度になるらしい。

増田ばかり見てないでいますぐ寝ろ。

お前が営業外回りをしていたとしても、うとうとしたのなら仮眠を取れ。

最近じゃ、俺たちチンパンジー運転の様子を記録する会社もあるらしい。

そんなもの関係あるか、問答無用で寝ろ。

「お前、なんかアイドリング時間多くないか…?」

「うるせえ!!!!!」

命と仕事、どっちが大事だ。俺は命を取る。

とはいえ自家用車にもドライブレコーダーは付けておけ

眩しいと眠くなる

これは俺だけかもしれないが、眩しいと眠くなる気がする。

サングラスを用意しておけ。

夜、見づらくなるやつは、昼夜兼用ドライビングサングラスのようなものがあったような気がするから

そういうのを試してみるのもいい。

運転計画を立てることと、紳パンとしての気遣い

特に時間運転するとき計画を立てろ。

どことどことどこのPAまたは道の駅またはコンビニに寄るかきちんと考えておけ。

お前は漏らしてもいいかもしれないが、トイレが近いパンジーもいる。

それを恥ずかしがって言い出せないパンジーもいる。

冷房温度にも気を使え。お前は毛深いから寒くないかもしれないが、同乗者は寒いと感じているかもしれない。

ブランケットも用意しておけ。

別にドラマの如くドアまで開けて、頭をぶつけないよう手をかざせと言っているわけではない。

だが肉体的な性差への配慮をこっそり行うのは紳パンジーの責務だ。紳パンたれ。

そもそもあれってどうなんだ、どこまでお姫様扱いだ?

ドアくらい自分で開けれるだろうが。バカにしてるのか?

ニンゲン世界は果てしなく分からない。

とにかく車間を空けろ

500mでも1,000mでもいい、とにかく車間を空けろ。とにかくチンパンジーだ。

お前はクルマを完全停止させるのにどれだけの距離必要だか把握しているのか?

俺はしていない。そんなことはニンゲンに任せておけばいい。

俺たちは、とにかく車間を空けておけばいい。

50mでも100mでもいい、ちょっと空け過ぎかな?あれ、後ろに煽られてる?

そのくらいで丁度いい。

イキったチンパンジーが痺れを切らして左車線から追い抜いてくる、その程度で丁度いい。

そもそも左車線を走れ。

最近職場で与えられたクルマは、よく分からないが勝手に前の車を追随し車間も保ってくれる。

三段階で車間を設定できるのだが、その車間でさえ、イキリチンポンジーあおり散らかして左からその車間に収まってくる。

高速道路運転するときバックミラーを見ないくらいの王者の風格を見せつけろ。

ベテランドライバーバックミラー10~20秒に1回くらい見るそうです。ちゃんと見ましょう。

チンパンジー視野は狭い

お前も、車校ベテランドライバーチンパンジー視野比較映像を見せられたことがあるだろう。

チンパンジーは目の前のクルマしか視界に捉えていない。

例えば数台前のクルマや、隣や後ろを走るクルマや、はたまたコンビニ駐車場から出そうなクルマなどに

ベテランドライバーはしっかりと目を向けている。

反対車線に停まるトラックの影からハイチンパンジー

公園脇でトイレ休憩するタクシーの影からハイチンパンジー

こういったあらゆるモノの影からびっくりチンパンジー!の可能性を常に考えている。

いきなりチンパンジー、またもやチンパンジー、あたかチンパンジー、ココカチンパンジーというわけだ。

チンパンジーはいない"だろう"運転から

チンパンジーがいる"かもしれない"運転

そしてチンパンジーは"絶対にいる"運転へとアップデートしていけ。

そして伝説へ。

逢魔が時狒々が闇の深淵より現れる

まず気をつけなければならないのが、逢魔が時

夕方の薄暗くなった時間帯のことを指すらしい。なんと詩的な表現なんだ。

チンパンジーは扱ってはいけないかのような言葉に思えてしま

それはさておき、なぜこの時間帯がそう言われるのか。

これは、暗順応という眼の機能関係しているとか関係していないとか、俺にはよく分からない。

からないが、警察庁公表しているとおり、

https://www.npa.go.jp/bureau/traffic/anzen/hakubo.html

日の入り時刻と重なる17時台から19時台に多く発生していること

実際にこういう統計が出ているようだ。

そう、別に俺たちは原理なんか分かってなくていい。

とにかく、夕暮れ時には気をつける。それでいい。お上の言うことは素直に聞いておけ。

例えば、お前が仕事を終えて17時頃にクルマで帰社するとする。

当然お前は疲れているから、注意散漫になっている。

ドラマが始まっちゃうから早く帰らなきゃ?お前はいつの時代チンパンジーだ。

コンビニに少し停めてコーヒーでもエナジードリンクでもいいかカフェインを入れろ。

すると今度は夜眠れなくなるのでほどほどにな。

夜の運転

睡眠時間を確保しろ、というのは前段に書いた通りだ。

ハイビームを使いこなせ。

田舎で鍛えられたチンパンジー野生動物との邂逅が日常茶飯事だろうから癖づいているはずだが

最近コンクリートジャンクルで産まれ、一度も森に触れることなくその生涯を終えるチンパンジーもいるという。

さらに都会の夜は酔っパンジーも多い。

道路に寝転がっている酔っ払いをお前が轢いたとしても、お前の責任が半分になることもある。

昼間より気をつけて、ゆっくり走れ。

流れに乗れ

車間は空けろと言ったものの、流れに乗るのも大切なことだ。

チンパン社会と同じだ。空気を読んで周りと同じくらいの速度を出せ。

ただし赤信号みんなで渡れば怖くない、みたいなチンパンは辞めておけ。

みんなで作る、平和交通社会だ。お前だってインドのようなクラクション地獄は嫌だろう。

特徴のあるクルマに近づかない

前回のトラックの後ろをなるべく走らないという話にも繋がってくるが

黒塗りスモーク、見たことないエンブレム(高そう)、○ル○。○、若葉マークもみじマーク、教習車、わ・れナンバー、他県ナンバー

挙げればキリがないし、多少なり差別的思想になってしまうので

みなまで言わないが、なるべくなら近づくな。

ただしBaby in the car. このステッカーだけはマジで意味不明。だからどうしたオブザセンチュリー

ここから蛇足自分語りも入るので飛ばしていい

これを書いた動機やら経緯やら

俺は人生でなんと5回も交通事故に遭っている生粋ADHDパンジーだ。

身バレを防ぐために、多少盛ったり控えめにしている

なお俺は森の王者チンパンジー。一度も骨折したことはない。野生動物最大のアドバンテージが出たな。


ドライバーとしては齢30そこらでやっとゴールデンチンパンジー

幸いにして運転者としては無事故で、昨年ようやくゴールデンチンパンジーに相成ったところだ

こんなチンパンジー運転をするな?

チンパンジーからこそ運転しないと商売にならないことだってある。

からこれから運転しなくちゃならない。

お前たちだってそうだろう?求パン票にも、普通自動車免許が条件の会社も多い。

ただこうした経験があるからこそ、自らへの戒めとして今回筆を執ったまで。

警察官でも教習所職員でもない、一介の野良ADHDパンジーとしてキーキー喚こうと思っただけで

啓蒙活動として書くつもりもなかった。

ただ仕事KY活動というものに慣れ親しんでいることもあり、

このふざけた文章にたくさんのコメントブックマークがあることには大変嬉しく思う。

ウッキウキである


ただこの逆噴射構文(コメントで初めて知った)というか、チンパンジー構文は書くのに非常にエネルギーを要する。

動物に例えるの分かりづらいという声もあったし

自分でも書いているうちに思考チンパン化していく気もするし

たまにチンパンジー運転しているのを想像してニヤニヤしながら書いていて気持ち悪いし

書く方も読む方も次第に飽きてしまうような気もしている。

ただ、他にいい書き方が思い浮かばない。

あえてチンパンジーとすることで、書く側も読む側もストレスが少ないようなそんな気はしている。

バーチャル化というか、少し耳の痛いことでも頭に入りやすいというか。うまく言えないが。

これから試行錯誤していきたいが、チン権の保護を訴える団体が現れたら削除を検討する。


かにチンパンジー構文で書こうと考えている題材は

上京投資節約虚弱体質が実践する健康習慣、ADHD

このあたりか。途中で飽きたら悪いな。

安全に!

2024-02-25

[] 2024-02-25

最近SNS断ちをしていますTwitterFacebook、Bluesky、Mastodonなどを使わないようにしているのです。

それだけではなく、スマホにはブラウザさえ入れていません。これは、オフラインアクティティもっと充実させた方が良いと思ったからです。

そしてSNSには舌の罪が付きまといます。もちろん匿名ダイアリーもそうですが、特に短文投稿型のマイクロブログ軽率発言が増えてしまうのです。

箴言には舌の罪についていくつかの教訓があります。以下はその一部です・

1. 偽りを言う舌:主が憎むものとして「偽りを言う舌」が挙げられる。

2. 悪口を言う舌:「そしりを口に出す者は愚かな者である」と述べられている。

3. 制御できない舌:「言葉が多ければ、とがを免れない、自分くちびるを制する者は知恵がある」と述べられる。

4. 乱暴言葉:「優しい舌は命の木である乱暴言葉は魂を傷つける」と述べられる。

また、愚か者も何も言わなければ賢いと思われるとか、愚か者理解よりも意見を発することを好むとも書かれています

箴言の「愚か者」について学ぶたびに、完全に愚かさを排除した人は「精神的なスーパーマン」だとさえ思います

ソロモン自体が「しくじり先生」で、一時期忌み嫌われる偶像崇拝をしたらしいです。

よく日本人アニメの中で神の存在を「白髭の生えた老人」を描きますが、そうやって神を特定の形として表すことが偶像化であり、罪なのです。

さて、SNSを使う際に舌の罪を犯さないためにはどうするべきでしょうか。

まず真実を言うべきです。情報や誤解を招く可能性のある情報を共有しないようにします。情報を共有する前に、その情報が正確であることを確認すべきです。

そして攻撃的または侮辱的な言葉遣いは避け、尊重理解を示す言葉を選ぶべきです。他人プライバシー尊重し、許可なく個人的情報を共有しないようにすることも重要です。

建設的なフィードバック提供し、他人サポートし、肯定的な会話を促進するべきです。フィードバックを得たら、自分投稿他人にどのような影響を与えるかを定期的に反省し、必要に応じて修正するべきでしょう。

といっても無理に発言する必要はありません。最も良いのは、発言をしないことなのです。

私も匿名ダイアリー発言しなくてもいいように、紙の日記帳を買いました。それなのにこうやって発言してしまっているのは、まったくネット中毒というのは厄介だと思いますが、休日にしたいと思うアクティティがまだ見つかっていないのです。

両親は私に「結婚しろ」と言いますが、本当に結婚をするべきでしょうか。統合失調症の私の遺伝子を残して、子供が苦労するだけではないでしょうか。

最近英会話教室に行くのもやめてしまいました。節約のためです。

趣味のためにお金必要であるという発想が嫌なのです。お金を使わずにできる趣味が、今の私には必要です。

そしてその趣味は、善悪という点から見て善の側である必要がありますオンラインで発信するというのは、どちらかと言えば悪の側だと思うわけです。

そうですね...休日図書館勉強をするとか、部屋の中でヨガをやるとか、散歩をするとかが良いかもしれません。

積読結構あるので、図書館勉強すれば捗るに違いありません。

2024-02-17

ボー、恐れるな 俺がついてる【ネタバレだらけ】

ボーはおそれているを見た

  

本当ははてな匿名ダイアリーに書こうと思ったのだが、初の試みすぎてどこからいけば入力ホームに飛べるのかも分からなかったので、こうして一旦自分エディタに向かって書く。ちくしょうめ。

お前たちがこれを見ているのなら、どうにかうまいこと投稿できたんだろう。

  

あのミッドサマーを作った、嫌な人間関係を描くことでお馴染みの男アリ・アスター作品だ。

彼の妙に女側の鬱憤描写に自信がありそうな感じは、まあきっと他の人が論じることだろう。

  

以下は、ボーと同じく母子関係問題のある増田がどのようにボーと旅をしたか備忘録である

もちろんネタバレたっぷりだ、各々で注意してくれ。

物語は、ボーが母親誕生日パーティドタキャンしたことから始まる。

ボーはいつも恐れていた、母親の機嫌を損ねることを。傷つけることを。

わかるぞ、ボー。

女手一つで息子を育てるというのは、どんなに大変なことか。

大人になればなるほど、それが途方もない献身の末にあったことが身に染みるようになる。

そんな彼女気持ちを裏切るのは、いつも最悪な気分になった(これは増田の話)

  

それにボーは、母親経済的援助の元にある(はっきり書かれてはいないが、増田はボーのカード母親名義のものだと推測している)

自立できればよかったのだが、母親がアレだもの

就職先とか全部潰されてきたりしたのだろう。

  

アパートで鍵を奪われたりしたのは、なんだったんだろうな。

母親誕生日パーティドタキャンを受ける前から、ボーに試練を与えるつもりだったのか。

それとも、母親の一味の中にボーに害意を持つ者が個別にいたのだろうか。

あるいは、「お前はこれで終わりだ(うろ覚え)」と語りかけてきた男は、ボー自身破滅願望だったのか?

  

ともかくここからボーの辛い旅が始まる。

家にたどり着くまでのやつは割愛しよう。

あれはほとんど昔話で言う「三回正しい行動をしたものけが生き残れる」みたいなお約束パートに見えた。

その中でも、医者の妻や森の痩せた男など、ボーに同情的な人々は少し居た。

彼らはどんな気持ちであの寸劇をやっていたのだろうか。

あの医者の家の娘、その気の毒さ。

突然やってきたボロボロ中年男性に、居場所を奪われるのは苦しかっただろう。

もしかしてあのペンキを急に飲んだのは、ボー母から内密な指令だったのかもしれない。

例えば誰も逆らいようのないボー母から「ボーと恋人関係になれ」などと命令されたなら(もちろんもし従ったところで、きっとボー母は彼女を始末しただろう。ボーにセックス禁止呪いをかけていたわけだし。つまり彼女が本気でボーを誘ってボーがそれをちゃんと断るところを見たかった。試したのだ)、あのヤケクソも理解できる。

ティーンエイジャーがそんなことを強いられれば、死にたくなったって仕方がない。

追記最初の推測は上の通りだが、よく考えて「ボーを本当の息子として扱え」が命令だったのかも)

  

個人的な推測をさらに進めるなら、ボーの母は彼を裁くに足る証拠を集めたかったのだろう。だから彼が罪を犯すチャンスをたくさん与えた。

そういえばボーの居住地区の治安が終わってるのも、母の采配なのだろう。

から離れた罰が、非常に明瞭に存在している。

彼女はボーが自分を愛していないことを、確認たかったのかもしれない。

    

ペン自殺きっかけに、ボーは次のステージへと追い立てられる。

ここでの話はよく分からん割愛しよう。

舞台の筋を書いたのは母親だろうから、母の愛(鎖)を断ち切ったところで幸せにはなれないという話だったのだろうか。

結構序盤からボーの妄想劇場っぽかったから、あれは単に彼の内心の探索だった説の方が強そうだが。

そういうお母さんの話(舞台)を途中から流すようなところが、母をイライラさせていた可能性はある。でもあのお母さんイライラ範囲デカいからな…。

    

その後、また追い立てられて舞台は最終決戦の葬儀場(家)へ。

セレモニーが終わってみんな帰った後っぽかったのは、フェイクだったからだろう。元々死んでない葬式なうえ、目的はボーのリアクションを確かめることだ。

弔問客がいっぱいいたってノイズになるばかり。

  

クルーズ出会ったあの子(たぶんボー母がセックスに至る前に追い出した)が、葬式に現れる。

彼女はボーと可及的速やかにベッドインするし、死んだ母親アクセサリーとかもいじくり回す。

正直、これが母親殺害意思を固めたんじゃないかと少し思う。

絶対このタイプの女、ボー母は嫌いだもんな。明らかに遺産目当てだし。

あのおっかない母親が死んだ今、ボー一人を籠絡するのは楽勝だと思って現れたのだろう。

でもこういう金目当て女に易々とハマるのは、ボー母の責任だ思う。

お前がボーに恋愛セックス)を禁じて、免疫を得るチャンスを与えなかったから……

そしてボーは母親に言外にしかし固く禁じられていた射精を、彼女の中で果たした。

ボーが母親に決定的な不信感を覚えた瞬間だと思う。

それはそのまま同時に、母親がボーを殺す理由だったのだろう。

  

口論の末、ボーは屋根裏で「本当の父」と対面させられる。

察するにボーの父親普通に浮気者だったのだろう。

あの外観を与えたのはボー母であるし、自分の中で射精した瞬間死んだみたいなエピソードもそれっぽい。

ボーを宿したあの瞬間までで夫の物語を止めて仕舞えば、美しい話で終われる。

隙を見せたお前が悪いので自分語りをするが、私も過去浮気をされたことがあり、ボー母のこの気持ちはよくわかる。

ある一瞬以降の「あいつ」を死んだことにしてしまえれば、どんなによかっただろうか。

ここに関しては、ボー母は自分のやりたいようになったことだろうから、少し羨ましくもある。

アリ・アスター監督は女のこう言う感傷部分への理解が異様に深い。

私も無限の金があったなら、昔の男のことは好きなだけボロボロにした上に殺したと思う。

ボー母の不幸は、それができてしまう力があったことだ。

なんでもできるが故に、諦められない。

彼女にとってどうしようもできないのは、人の心だ。

父親の心も、ボーの心も彼女は全く思い通りにできなかったのだろう。

  

一度、彼女の側に立ってみてボーを見る。

多分父親に似ていたのだろう。

今度こそ自分一心に愛する男に育てようと心を砕いたのに、ボーは何度でも「私」を裏切る。

友達と一緒に自分を貶め、自分以外の若く美しい女と寝ようとする。

自分に愛しているという口で、カウンセラーには不満や憎しみを言い募る(聞いてる母が悪いのだが)。

愛しても愛しても(少なくともそのように認識していても)、男は決して満足のいく愛を返してくれはしない。

可愛さ余って憎さ100倍ということわざが向こうにもあるのかは分からないが、そんな心境だったろう。

  

父と息子を混同するの、やめた方がいいよ。

  

ともかくそんな感じの母は、ボーに向かって死刑を宣告する。

「私」をとうとう完全に裏切った「あなた」なら、安心して殺せるから

  

正直言って母の父への憎しみはわかるものの、「子供」としての増田はボーと共にある。

経済的援助を受けていたやましさ。

日記帳を覗かれていたおぞましさ。

母を拒否した時の、たとえようもない罪悪感。

他にも色々あるが、ボーにシンパシーを受けるのはこの辺の過去があるからだ。

私の母は経済的援助についてはもちろん恩を感じるべきだというし、

日記帳に関しては母の愛だったのだから、私が許すべきだと主張する。

そして彼女の様々な誘いを拒否すると、哀れっぽく嘆いて見せるのだった。

これは、このタイプの母を持つ人間しかからない強制力だろう。

ボーよ、私はお前の気持ち結構わかるぞ。

特にお前が母親に「自分あなたの死を悲しんでた、超泣いたし」みたいな言い訳してるとこすごい分かったぞ。

自分でも嘘なことはわかってるんだけど、悲しめない自分に罪悪感もすごいしそれが母にバレた日にはすごいことになるから、とりあえず口先だけで母親想いをやるんだよな。

  

昔は金と罪悪感のコンボで割とコントロールされていたものの、最近すっかり距離を取るようになった。

物理的に距離を開けたのもあるし、一念発起して母に直接様々なわだかまりを伝えたからもある。

まあ全然分かってはもらえなかったのだが、幸いにして私の母には100人の狂った部下はいないし、経済的自立も今のところ果たせている。

このままボートには乗らず、本物の葬式しか近づかないつもりだ。

  

ボーよ、お前には全然選択しなかったと思うけど、こういうオチもあったよ。

次のお母さんは異常金持ち女性じゃないといいな。

  

映画自体は徹底的にバッドエンドだったし、スタッフロール中にも転覆したボートを延々映し続けて終わる最悪さだったが、その後のことは私が勝手想像してもいいだろう。

  

ボーはあの後、きっとボートの中にあった空気で助かって、うまいこと脱出できた。

観客席のみんながはけた後、最後に残った私のところにボロボロで泳ぎついて、私は「よく頑張ったなあ」ってボーの手を掴んで引き上げる。

そのあとは小汚いボーを連れてその辺でホットドッグとか買って齧って、公園で「いやお母さんやばいね」みたいな話をして、話も尽きたし寒いから私は普通に家に帰る。

ボーはお母さんの手から逃げることはできないだろうけど、まあなんとかトボト暮らしてお母さんが死んだら、遺産とかもらって急に派手な暮らししたらいいよ。頑張ってお母さんより長生きしな。

人より苦しい時間は多かったかもだけど、もしかすると本当にもしかすると、その苦労に見合った価値のある時間がいつかくるかもしれない。

そういうのって、生き残ってみなきゃわかんないから。

  

ボー、恐れるな。

もついてるし、意外と似たような境遇のやついっぱいいるからさ。

な、しぶとく行こう。

2024-02-14

anond:20240213213040

鍵垢に引きこもれば…?

もしくは紙の日記帳

2024-02-11

anond:20240211062444

目立ちたくないけど

日記帳に書くには

すこしモチベーションが足りないみたいな

2023-12-31

クラスで一番の嫌われ者だった彼が地方公務員になって無双するお話 part.7/7

前 https://anond.hatelabo.jp/20231231221405

最後パートだ。F君の真相綴りたい。俺個人の想いだけど、結構長い。

F君が5年目になって、福祉課員の信頼をすっかり得た頃に飲みに行くことがあった。「そういえば俺、中学で一緒だったけど覚えてるよな?」と言ったら、「憶えてる。一緒に7円玉(※)作ったよな」と言ってた。サラッとした言い方だった。

2人ともあまりお酒は呑まなかったけど、でも、いろいろと聞けた。F君の人間性タイプが見えてきた。

この時、話したことといえば、F君が高校生の時に親が離婚した話とか、家族介護の話とか、結婚しようとしてたけど相手が亡くなったとか、重たい話もいろいろあった。

※7円玉……電車のレールに5円玉1円玉を数枚乗せて、電車が通った時にプレスしてもらうと合体硬貨ができる。そういう遊びだ。違法なので絶対やらないように。F君は66円玉(硬貨4枚分)を作ろうと躍起になっていた。

彼は、仕事より大事ものがあるタイプ職員だった。実は、この飲みの前にそれが何なのかはわかっていた。

イラスト』だ。ある日の残業中、F君が離席している時にパソコン画面を見てしまった。そこには、彼のpixivアカウントがあって、ログインした後の画面だった。

「勤務中じゃん!」というツッコミはなしだ。当市では甲子園の時期になると、野球経験者が市が支給したパソコンで実況中継を見ている。勤務時間中だけど文句を言う人はいない。そういう文化だった。

F君はイラストを描くのが好きだった。実際、それに魂をかけていた。飲みの場でそれとなく聞いてみたのだが、彼が言うには、「公務員お金を稼ぐための仕事だとしたら、それとは別に『たましいの仕事』と言えるものがある」「公務員副業としてやってる」と言ってた。

そうか、だからだったんだな。職場の皆とのつながりを大事にしないのは。人間関係優先順位が低いんだ。「税金給料をもらってるのに」というツッコミはあるだろうが、F君だったらそんな倫理の壁は突破するだろう。

F君が初心者の頃、仕事で型通りでないやり方とか、強引なやり方とか、人に怒られそうなやり方をあえて選んだりしてたのは、高い評価を得たくない――昇進したくないからだ。

でも、仕事人としての意識はあるから一般市民とか出入り業者とか、ほかのステークホルダーには誠心誠意対応する。窓口に来た市民とか、業者の人からクレームが出てなかったのは、あの人達がF君を直接査定する立場の人じゃなかったからだ。だから、素のF君のままで対応してた。

F君は、人生設計についての正しい行動を考え抜いてた。将来、自分がどんな人間になりたいのか? そこから逆算して職場を決めた。結果、彼は民間企業から地方公務員転職しようと考えたし、どれだけみんなに嫌われようがどこ吹く風でやってこれた。信じるものがあったから。

自分にとっての『信仰』とでもいうのかな。そういうのだ。たぶん。俺はヤツのことを羨ましいと感じたことがあった。それはやっぱり、F君が自分意志自分のやりたいようにやろうとしてたからだ。戦ってたからだ。そういうスタイルって、普通社会人は持てないだろ。だから羨ましかった。

これで合点がいった。数年来の疑問が解けた気分だった。



そんなF君だって公務員仕事を何年もやってれば好きになってくる。実際、F君は才能があったから、俺が市役所を辞めてフリマアプリ会社転職する頃には高評価人材になっていた。

福祉施設の維持管理がメイン業務だったけど、そういう守りの仕事を超えて、10単位での施設管理計画を作ったりして、彼の上司もそのまま採用していた。

「F君がいい奴か?」と問われれば、そうじゃないと思う。公務員としては悪い奴だ。基本マイルールだし、法律常識を気にしないし、「公務員副業としてやってる」発言などは特に地方公務員法にストレートに引っかかる(服務の宣誓)。

でも、俺はヤツが戦い続けてきたことを知ってる。「この仕事に向いてないんじゃないか」という葛藤を抱えながら、じわじわ仕事に取り組んで、結果を出せるように努力してきたのを知ってる。足掻き続けていた。

そういう姿を見ると、僅かばかりだが応援したくなる。直接ガンバレとはならないが、できることは協力してやりたくなる。

この日記は、お盆休み地元に帰ってる時に書こうと思った。取り掛かりが遅くなってしまい、もう12月になっている。最後ちょっと推敲しようか。

帰省した時に聞いた情報だと、F君は何とかうまくやっているらしい。市役所の同期仲間と食事会をした時に聞いたのだが、なんでも県の本庁への出向を打診されたのだが……断ったらしい。普通だったら受ける人が多い。名誉なことだから。でも、F君の場合だと、出向したら生活リズムが狂うし、イラスト仕事も請けてるし、家族介護もあるから難しいんだろうな。

かくいう俺は、転職して3年目になる。30代が板に付いている。

カスタマーサポート部門で働いてるけど、市役所にいた時の接客経験が活きてる。コロナ禍の頃に転職たから、マスク騒動とかあっていきなり大変だった。

うん。まあ、最近普通に苦しいんだけどさ。難しい課題が多くて。メンタルが弱って、腕に蕁麻疹とか出てる。やっぱり、民間企業は難しかたかな。でも、何とか挽回してみせるよ。

あの頃が懐かしくなってきた。今は実家に帰っている。たった今、当時の日記帳を閉じた。後は、パソコンシャットダウンして床につくところだ。明日から2024年だ。人生ってあっという間だな。

この増田日記を書いてる最中あの日々の記憶脳裏に蘇ってきた。あれはキツかったな。冗談抜きで。いや、マジで

けど、どういう理由かはわからないけど、厳しかった頃の思い出に限って、楽しく思い出せるんだから皮肉だよな。

2023-12-30

anond:20231230232948

うるせーよ

ここは俺の日記帳だぞ好きにさせろや

2023-12-26

anond:20231225234348

ワイはさっき2023冬のFANZA GAMES FESTIVALの本日ピックアップタイトルになっとったかアライアンスセージってのを始めてみたんやが

普段やっとるタイトルとは打って変わって絵柄がちょい下品で驚いたわ

いや立ち絵とかはそこまで下品な方でもないんやが

敵がお乳丸出しだったり寝室シーンで顔がアヘっとったりとソフト下品な感じやな

ワイが定着しやすいのは寝室シーンが純愛多めで感動シナリオの見た目ちゃんとした今風のやつが大半なんや

これはUIとかの作りがなんというか10年前のソシャゲっぽい感じやな

ただ絵柄はちょっと垢抜けない絵師のも混じっとるもの特に画風が古いわけではなく

コンセプトさえ趣味に合えば実用圏内に入るくらいのやつやな

まあゲームとしては全然おもろないし育成とかも悪い意味で複雑そうで時間無駄やな

でも時間無駄にしたいときってあるやん?

なかったら増田なんかには来んわけよ

こーんなクソゲーやっとる暇があったら原神やらのなんか腰が重くて進められてないメインシナリオとかを

ちゃきちゃき進めにかかったりした方が100倍、いや1000倍は面白いのは分かりきっとるんやが

こう楽しみを後回し後回しにして追い詰められていく感じがわりと好きかもしれん

昨日までやっとったスタレのフォフォちゃんイベントラスト2日で一気に終わらせたんやで

いやアレ凝りすぎやろ録画しながらで10時間以上かかったわ

今回も金人港のに引き続き素裳ちゃん一挙一動が可愛すぎたし

フォフォの幼少期のスチルは萌え死しそうになったわ

それはともかくガークリの今日始まったイベのEXTRAボス仕様なんなん?

硬すぎる上に自動回復持ち、しかもEX1からそんな状況で進めんし悔しすぎへんか?

廃課金者以外倒せる気がせんし対処法も分からんで5chみたらステージ端への押し出しで勝てるらしい

いつからワイは相撲ゲーをやらされとったんや

ハァーもうええわ推しのドナテッロちゃんXmasガチャの当たりのくせにズリやったし

ダブルピックアップのそんなに好きではないピンクナルシストっ子は210連しても出てくてくれへんし

気を取り直して3rdのメイン進めてグレーシュちゃんを眺めてくるやで

2023年のサイカキャラクター大人グレーシュちゃんで決まり

何の話やったっけ?ここはワイの日記帳しまあええか

2023-12-18

クソコメ鳩指示滅びろよ

動画制作配信をしている人間は誰かに文句を言われたり叩かれるために作ってるんじゃない。

誰かが作った何かを見てツッコミが入れたくなったら親しい人と話すだけにしろ

それができないなら日記帳にでも書いてろ。

皆が感動したり楽しんでる所にズカズカ入って行って文句を言うな。私は面白くないなんて意見は心の中にしまっておけ。水を差すな。

正義でいい気分になってるのは自分だけではたからみたらただのつまら寒いやつだよ。

腹が立つと思ったら口をつぐんで動画を閉じろ

別に作った人間はお前に見て欲しいと思ってないから。

お前らみたいなやつがコンテンツを腐らせて面白ものをつまらなくさせる。

良かれと思ってが枕詞につく行動はだいたい他人にとっては迷惑だ。

他人についての情報でその本人が知らない内容をわざわざ言いに行くな。

教えてあげる気持ちよさを得るために他人を利用するな。

教えは頼まれた時でいい。

求めていないアドバイスを得意顔でつらつら横でされた時に腹が立たないか?それがお前だよ

自分が知っているというアドバンテージが得たいがために、感謝されたいがために他人を道具にするのはやめろ。

コンテンツをつまらなくさせるクソコメ鳩指示滅びろよ。

2023-11-22

ネトゲ友達はやっぱり作れないかもな

親愛なる日記帳

 

今日もなんだかんだで、友達を作ることについて考えてみたりして。なんか、ネット友達を作るって難しいらしいんだよね。

そんで、ネトゲおすすめって言われたから、ff14を試してみることにしたんだけど、なんかLinuxでやるのって面倒くさいんだよね。

 

普段仕事ブラウジングしかPCを使わないから、新しいPCを手に入れてWindowsを入れてみようかと思っているんだ。

でも、それにしてもラップトップデスクトップで悩んでる。デスクトップってなんか壊れたときの処理が大変そうで、正直嫌だなぁ。

それに比べてラップトップコンパクトで使いやすい感じがするんだよね。

 

でもね、そもそもff14友達ってできるのかしら?以前、ちょっとだけやってみたんだけど、ストーリーが進むのに忙しくてなかなか他のプレイヤー交流する時間がなかったんだ。

それに、なんかフリーカンパニーとかっていうところは、社会構造があるみたいで、なんか嫌な感じがするんだよね。そういうところで友達を作るのは、ちょっと苦手かもしれないな。

 

から、考えてみると、やっぱり俺にはネトゲは合わないのかなって思ったり。でもさ、インターネット上で親密な友達を見つけて、いつも一緒にいられるような人が欲しいんだよね。

できればオフラインでも会えるし、距離的にも近いほうがいいな。

 

そんな感じで、今はWin-Win関係で、お互いが同じように友達を作りたいって感じが一番理想的かもしれないねジモティとかで探してみるのも一つの手かもしれないけど、どうなんだろうね。

 

とにかく、今はそんな風に考えてみてるんだ。新しい友達ができることを期待して、明日もがんばろう!

 

愛をこめて、増田

2023-11-09

から疑問なんだけどさ

なんで、はてなブックマークって、他人がつけたスターを削除したり、他人からスターをつけられることを拒否できないの?

 

 

だってさ、嫌いなやつや、こいつ馬鹿だなと思ってるやつにつけられても嫌じゃない?できれば予め拒否しておきたいじゃない?

万が一「注目コメント」入りなんかしちゃったら、恥ずかしかったり、晒し者にされてる気分になるじゃない?

残念、お前のその「特別お気持ち」とやらは、俺にとっては嫌がらせに過ぎない、という場合だってありうるわけじゃない?

まあ、俺のこうした考えは措くにしても、なんで、好意?(スターとやらが好意とは俺は別に思ってないが)の押し付けは当然許されてるわけ?

 

 

ツイッターだかXだかは、他人から閲覧されること自体ブロックできるわけじゃん。なんではてなにはそれができないの?技術力がないの?

実質に嫌がらせする自由は認めるくせに、なんで、他人から嫌がらせや目立ったりすること、集団的いじめ(というと古参ユーザーは何かを想像してしまうかもしれないが俺は新参なので詳しくは知らん。)を予め回避する自由はないわけ?

はてな運営の「自由」に対する考え方が狭いの?

 

 

 

 

お互いの時間感情エネルギー節約するために予め言っておくが、

ここはお前の日記帳じゃねえ!」、「批判を受けない自由はない!」、「教えて君死ね!」、「いや、運営メールしろや!」とか

訳知り顔で偉そうに説教してくるのはやめてくれ。

そういう説教はお前らの得意技かもしれんが、この際、俺にとっては何の役にもたたない。

 

ここは匿名ダイアリー。つまり、俺の日記帳でもあるわけだ。

俺は好きに日記を書きます名前を隠して楽しく日記を書きます(この記事については別に楽しくもないが)。

 

あと、俺は批判を受けたくないと言ってるんじゃない。

しろそれが合理的根拠に基づくと認められるものならばバンバン受けます

しかし、例えば侮辱的だったり、明らかに不快になるようなものは、この限りではないが。)

スターをいらない、他人様の好意とやらの押しつけは謝絶したい、というのが趣旨であるから

批判を受けない自由はない!」というような答えはズレてる。

 

そして、この問題については、俺がいくら考えてもわからんし、

正攻法運営メール送ったところで、あいつらからまともに回答が返ってくるとは思えないか

ここでこうして問いかけてるわけだ。

 

 

まあ、運営じゃなくても良い。何か気の利いた回答や説得的・合理的な回答でもあれば、それで俺の心は慰められるかもしれない。

(例えば、スター機能が現行のままであることによって、はてなにおける特殊世界観価値観が維持・助長等されることを説得的に説明してくれるものとか。)

 

真面目に、誰か教えてくれると助かる。

(但し、侮辱的だったり、明らかに不快になるような内容は勘弁してくれ。あと、特定ユーザー言及するものも勘弁な。)

 

 

2023-10-25

中学受験をしてない人生経験してみたかった

docomo配信サービス配信されている、とあるアイドルオーディションサバイバル番組にどハマりしてずっと見ている。過去シリーズまで追って、そこからデビューしたアイドルを推すほどハマっている。

そんな番組出会ってしまたことをきっかけに、自分人生について、過去に無いくらい考えて悔やんで分析して、を繰り返している。

両親のことは大好きだ。

奨学金なんて必要いくらいの収入があった父親専業主婦毎日「おかえり」と言ってくれる母親、3食おいしいご飯、たまの家族旅行、何一つ不自由なく育ててもらった。

中学入って以降は、私のやりたいことが私の成長に繋がるのならばと、できる限りを尽くしてやらせてもらった。

ガチャかい言葉だって必要ないほど恵まれ環境で育った。


でも、自分のことはびっくりするほど好きじゃない。

顔とかスタイルとか容姿ではなくて、人としての中身の問題だ。

根暗で、卑屈で、俯瞰してて、ひねくれていて、粘着質で、冷めていて、僻みがちな中身の問題だ。

絶対に生まれた時からこんなんだったわけじゃない。

少なくともまだ年齢の数字が1桁だったときは、明るくてよくしゃべる、放課後毎日遊びに行くような友達の多い子だったと思う。

それなのに変わってしまったのは自分の中で明確なターニングポイントがあって、それが「中学受験」だったと思っている。

身バレしたらしたで仕方ない。

ずっと抱えてきた贅沢な息苦しさを誰かに聞いてほしい。

から話す私の生い立ちがとんでもなく恵まれていることなんてわかってる。今から話す全てがとんでもなく甘いことなんてわかってる。無いものねだりの高望だってことだってわかってる。だから、この長くてまとまりのない文章をもし読んでくれるのであれば、この親不孝ものが、甘ったれが、クズが、って、思う存分バカにして反面教師にして笑ってほしい。


物心ついたときから、歌ったり踊ったり楽器演奏したりするのが大好きだった。

私の通っていた郊外幼稚園にはたしか必須クラブ活動があって、年少さんのときは親の意向で「お作法クラブ」に入れられた。お着物を着てお茶の飲み方を教わったり毛筆書道を並んで書いたり、素敵なことなんだけれど、3歳の私は幼いながらにかなり堅苦しさを感じていた。

クラスで一番仲の良かったおともだちがバレエクラブに入っているのがとても羨ましかった。ことあるごとに私もバレエクラブがいい、来年は変えて!と主張し続け、年中になった時には晴れてバレエクラブに入れてもらえたが、年長に上がった段階ではなぜかもとのお作法クラブに戻されていた。

幼稚園の3年間はクラブ活動とは別で習い事をしていた。英会話教室と、今は無きn田チャイルドアカデミー(n=7)だ。英会話教室は5歳になっても何のために何をやっているのかわからなかったのと、言葉先生に通じないのとでかなりストレスを感じていたと思う。

n田は、英会話教室なんかよりもはるかに何のために何をやっているのかわからなかったのと、毎日課される難解な宿題プリントと、自分習い事をどういうふうにおともだちに説明すれば伝わるのかがわからなさすぎて、何が何だかよくわからないまま終えた。

ピアノバレエを習っているおともだちがそれはそれは羨ましかった。


小学校に上がるタイミング関東の割と都会な地域引っ越した。その地域から無理なく通える範囲に高偏差値私立中高一貫校が2つもあり(以下A中学•B中学、A中学のほうがレベルが高い)、どうやら親はその学区の良さに惹かれてその地域に引っ越すことを決めたようだった。

n田の難解な宿題プリントはなぜか小学生に上がってからも続いた。学校宿題とは別で、毎日ノルマを課されていた。新しい学校で持ち前の明るさを発揮し、近所に友達もたくさんできて、遊びたい盛りだった低学年の私には、異常に難しい問題を怒られながら泣きながらこなすのは相当な苦行だった。

小学2年生になってからは、年に2,3回、大手中学受験塾のオープンテストを受けるようになった。気づいたら申し込まれていて、気づいたら受験票があって、気づいたら当日その塾に連れて行かれて謎のテストを解いている、そんな状態だった。n田の毎日プリントのおかげか、成績は相当良かった。

あなたはこれからA中学を目指すのよ、みんなと同じ隣の中学校にはいけないの。地元中学校に行くのはちょっとばかなのよ。と言われる(刷り込まれる)ようになる。

地域お祭りに行った時にステージで見た、小学生ダンスチームの発表がとてもかっこよく見えて、釘付けになった。家に帰ってから親にそのことを話し、「私もダンスやってみたい、習い事したい」とお願いをしたら、「5年生くらいになったらいいよ」と言われ、私はその言葉を信じて3年待ってみることにした。

風呂オリジナルの歌を歌ってみたり、適当な踊りを作ってみたり、自分カリスマアイドルとしてデビューするような妄想をしていたのもこの時期だったと思う。

小学3年生になってもオープンテストは言われるがままに受け続け、2月には「新4年生」としてついに入塾していた。ちょうどこの頃、近くの高校中高一貫ではない、以下C高校)の合唱部が私の小学校演奏会をしに来てくれて、その演奏の素晴らしさに感動し、ほのかにC高校に行きたい!という思いが芽生えた。


4年生になり、中学受験がはじまった。目標はA中学県内屈指の進学校を目指して塾通いが始まった。事前の数年間のオープンテストの結果、クラスは一番上になり、受験が終わるまでクラスが落ちることは一回も無かった。

自体はとても楽しかった。10数年経った今でも連絡を取り合うような大事な仲間もできたし、なにより当時は小学生にして他校に友達がいるという事実が誇らしかった。


常になにがなんだかわからないままテストを受け続けてついに始まった中学受験生活だったが、私の意識は常に「親に怒られるから仕方なく勉強している」だった。

今までは存在しなかった授業ごとの予習•復習の行程、難しい問題で躓き、とくに算数強敵だった。ほんとうに難しかった。

からなくて、理解できなくて、私の勉強のあまりの進度の遅さに怒られ、毎日のように殴られ、教科書を破られ、ノートを破られ、こっそり楽しんでいたニンテンドーDSliteは見つかって真っ二つに折られ、悔しさと意味のわからなさに泣き叫び、近所から苦情が入り、さらに怒られ、テストの点が悪いとため息をつかれ、そんな日々が3年間続いた。

受験直前にはもう燃え尽きていて、自習と嘘をついてショッピングモールに出かけたりもしていた。当然バレて、さらに怒られた。口も悪くなったし、このあたりから私も何かあるとすぐキレてしまうような難しい性格になった。


学校環境も少し問題だった。

小学4年生ともなるとだんだん人間味を帯びてくる。ヒソヒソ話や悪口友達グループ化が激化する。塾に行くようになってからは遊びに行くことも減り、放課後も付き合いがあるような友達も減った。

塾に行くようになったことで、授業中の発言普段言動に対して「いい子ぶってんじゃねーよ」「頭いいからって偉そうにしないでくれる?」と言われるようになった。

自分問題があるんだと思い、明るかったのが嘘のようにあまりさな子どもになった。実際何かしら偉そうに聞こえるような言動はあったんだと思う。

5,6年生のときクラス3分の1が中学受験をしている子たちだった。

学年の受験生がほぼ固められているにもかかわらず、次の担任中学受験に対する理解がまるで無かったので、日記帳を1日見開き1ページ書くという宿題毎日出た。

大体の日はそれにプラスしてワークなどがあった。当然、学校宿題の量と塾の与復習の両立に苦戦した。家ではそれが原因でさらに怒られた。

周りの受験生も学校宿題が大変と愚痴をこぼしていたので、私だけじゃないと知って安心した。

クラスで私を仲間はずれにした女子のことを陰で女王様揶揄っていたら、誰かにそれを担任にチクられ、授業をひとつ潰してまで説教された。

泣いて謝り許しを乞うまで説教は終わらなかった。世の中には私の味方なんていないんだと思った。

そういえば、2年生だったあのときから待ちに待っていた5年生になったので、めちゃくちゃダメ元で親に「ダンス、習わせてくれるんだよね…?」と聞いたら、何わけわかんないこと言ってんの勉強に集中しなさいと一蹴された。

中学受験中にダンスなんてやってる場合じゃないのはわかってはいたけど、それはそれでつらかった。

頭打ちの成績、勉強に対するやる気の無さ、新しいクラスでできた友達とも遊びたい、そんないろいろな要因が重なって、家庭内でも勉強をしたがらない私に対する怒鳴り声は常に飛んでいた。

怒られない日の方が珍しかった。

自分の気力、体力、学力には到底合わない高いレベルの内容には正直ついていけていなかった。

当然勉強は嫌いになった。少し理解できない問題が続くとなんでそんなにできないのと怒られ顔を引っ叩かれ毎日泣いて、ある日勇気を出して「受験をやめたい」と言ってみた。

親にはA中学B中学に行くとこんなにいいことがあるんだよお前の将来の選択肢が広がっていい大学にもいけるしいいところに就職できるんだよ、それはみんなは高校受験競争率が高い中やることだから中学のうちにやっておいた方がいいんだぞ、それでもお前は受験をやめるのかと言われたが、私はある日にはC高校に行きたいと自分意思で思ったんだから高校受験でそこを目指したいんだと強い意志を持って受験をやめる選択をした。

地元中学に行く奴はバカと言われて育って来たので少しプライドが許せなさそうだったが、それよりもこの受験生活が、「私のため」の名のもとに暴言暴力の飛び交うこの異常な家庭が嫌だったので、受験をやめる決断をできたことにほっとしていた。

後日優しい口調の親に丸めまれ、なぜか受験は続行することとなった。正直どうしてこうなったのか何も覚えていない。

結局中学受験は完遂し、A中学は落ち、B中学そもそも受験せず、家からは少し遠い第3志望のD中学入学することになった。

B中学よりはレベルの高い進学校だったので、A中学に落ちたことによってプライドが傷つくこともそこまでなかった。

中学に上がり、かねてより部活というものに、特に運動部に憧れがあったので、そのまま運動系部活に入った。

チアリーディング部はあったが、正直ヒップホップ系ダンスがやりたかったのと、小学生の時にあてられた記憶女子集団が完全に苦手になってしまったので、チアリーディング部には入らなかった。

これが「初めて自分で何かを選択できた瞬間」だった。

毎日練習が楽しくてヘトヘトになって帰ると、勉強する体力とやる気なんて残っていなかった。

最初地頭で乗り切っていた定期試験だんだん順位が落ちていき、高校に上がってから留年スレスレ彷徨うこととなった。

中学受験で完全に捻くれた性格が災いし、人間関係の構築は部活以外では皆無であった。

内向的になりかけていた自分性格さら内向的になり、何重にも殻に閉じこもるようになった。

順調に過ごす周りの同級生を見て、どうしてこの子達は同じ壮絶な受験経験しているはずなのにこんなに真っ直ぐで明るいのだろうと疑問に思っていた。

中高一貫校性質上、入学早々にやらかすとそこから卒業までは取り返しがつかなかったので、本当に部活の仲間以外の友達はいないに等しかった。

進学校勉強についていけないことと友達のいないストレスが相まって、学校の授業は休んだり遅刻したりすることが多かった。それでも部活時間には必ず練習場に行って、毎日練習には参加した。その甲斐あって、部活の方は最終的には目標だった県の上位層に食い込むことができた。

家庭では大学受験を見据えろとか勉強しろとかは一切言われなくなった。

流石に留年が危ぶまれた時は進級できるくらいにはなってくれとは言われたが、それくらいだった。希望ではないもの進学校に入れることができた満足と、あと妹の中学受験が始まっていたのも一因だったと思う。

結果的に妹は黙々と学習を重ね国内トップレベル中学入学したし、私は大学受験勉強を相当サボりつつも、運良く上位校と呼ばれるような私立大学のよくわからない学部に現役で合格した。

私の中学受験生活が酷すぎたぶん、妹には重い重い期待がかかっていてプレッシャーだったと思う。妹は妹で家庭でもあまり感情を出さずおとなしくして親の言うことを素直に聞いているように見えた。

姉のふり見て我がふり直せ、だったんだろう。

申し訳ないことをしたと思っているし、やはり我が家中学受験なんて向いてない家庭だと思っている。


半年に一回くらい、ボイストレーニング無料体験に申し込んで、無料体験レッスンだけ受講したことが何回かあった。ボーカリストオーディションとか受けてみたいなと思い調べることもあったが、一回も応募したことはなかった。



そして今、私は大学生をしている。

持ち前の勉強嫌いを発揮していくつかの単位を落としながら、中高でやっていた運動は続けながら、アカペラサークルミュージカルサークル所属してステージに立ってみたこともあった。

お金が想定よりかかったり、思ったよりも本気で音楽に向き合う人がいないいわゆる形だけのサークルだったりで、どちらもすぐ辞めてしまった。

そして、とある前世持ち練習生の存在きっかけに、冒頭に書いた某アイドルオーディションサバイバル番組配信に辿りついた。

が、その番組や前シリーズやそこからデビューしたグループを見ていくうちに、自分と同年代の子達がデビューに向けて取り組むのを見ていくうちに、何か動悸がするような、焦るような気持ちが抑えられなくなっていた。

大きいステージに立っているアイドルを見ていると涙が出てくる。

私もそっちに行きたいって。

アイドルを目指していたなんて言えるほどの努力は一切していないけど、ステージ表現して人の心を掴むということに対する強い憧れはずっと持っていて、悔しさがこみ上げてきて。

私の好きなアイドル10年を超えるダンス歴で、とにかくいろんなステージに立っていろんなオーディションを受けて大きな挫折も味わって、そんな長い下積みの末やっとデビューした。

その人が「小学生の時にダンスを習い始めて、そのおかげで内気だったのが明るい性格になった」とたびたび話していて、でもそれを聞くたびにすこし胸が苦しくなる。


中学受験じゃなくて、ダンスだったら?

私は音楽が好きで、自分で何かを表現たかったという気持ち絶対にずっとあって、それを無理に抑えてこなかったら?

中学受験の時のあの地獄のような家庭環境が無かったら、ダンスというずっとやりたかたことで自己表現ができていたら、もっとまっすぐな明るい子だったのではないか

小学校からダンスや歌を本格的にやらせてもらっていたら、私もあの番組ステージに立てたのではないか

私の勉強嫌いは完全に中学受験からきているわけで、それが無かったら別に高校受験からでもこの大学に入ることはできたんじゃなかろうか。勉強自発的にできるようになって、もっと良いところに行けてた可能性もあったんじゃなかろうか。逆も然りだけど。

今考えたらあの習い事クラブ活動も全部親の決めたもので、私の意思なんてこれっぽっちもなくて、全てが勉強につながるようなもので、だから今の私は勉強がとてもとでも嫌いだし、大学生になった今でも勉強自分のためではなくて新卒大卒獲得のためにやらされるものだと心の底では思っている。

中学受験の時の生活は今考えたら虐待だったね本当にごめんねと親は言ってくるけれども、明るかった小学3年生以前の私の性格はもう帰ってこない。

元の形の記憶を失うほどにねじれて拗れてズタズタになってしまったあの時の私から変われる気配なんてない。今から明るく優しい子になんてなれない。

家庭内でたまに言い方がきついと怒られそれがきっかけで大きな喧嘩になることもあるけれど、あの多感な時期に毎日怒られ怒鳴られ殴られ続けて親の口調が移らないわけない。私の口調と親の口調はびっくりするほどそっくりだ。


全部、中学受験のせいだと思ってしまう。


私のために全力でサポートしてくれたんだと思う。でも別に中学受験させてくれなんて頼んでなかった。あんな怒鳴り声と泣き叫ぶ声と暴力の絶えない家にしてくれなんて頼んでなかった。あんなんなるなら、地元中学でもよかった。


やりたいことなんて何もできなかったし私の話なんて微塵も聞いてくれなかったなと思ってしまう。


それでも、ここまで育ててくれて、私のことを考えて人生設計の手助けをしてくれて、中高大10年間の私立学費を惜しみなく出してくれた親には本当に感謝している。本当に恵まれた家庭で何ひとつ不自由なく育ったと思う。


それに、本当にダンスや歌がやりたかったなら、中学に上がったタイミング部活に入らずに、今度こそダンスを習わせてほしいボイトレに通いたいと親を説得することだってできたはずだ。そうしなかった段階でそこまで本気じゃなかったんだと思う。このことに気づいて、初めてあ

中学受験をしてない人生経験してみたかった

docomo配信サービス配信されている、とあるアイドルオーディションサバイバル番組にどハマりしてずっと見ている。過去シリーズまで追って、そこからデビューしたアイドルを推すほどハマっている。

そんな番組出会ってしまたことをきっかけに、自分人生について、過去に無いくらい考えて悔やんで分析して、を繰り返している。

両親のことは大好きだ。

奨学金なんて必要いくらいの収入があった父親専業主婦毎日「おかえり」と言ってくれる母親、3食おいしいご飯、たまの家族旅行、何一つ不自由なく育ててもらった。

中学入って以降は、私のやりたいことが私の成長に繋がるのならばと、できる限りを尽くしてやらせてもらった。

ガチャかい言葉だって必要ないほど恵まれ環境で育った。


でも、自分のことはびっくりするほど好きじゃない。

顔とかスタイルとか容姿ではなくて、人としての中身の問題だ。

根暗で、卑屈で、俯瞰してて、ひねくれていて、粘着質で、冷めていて、僻みがちな中身の問題だ。

絶対に生まれた時からこんなんだったわけじゃない。

少なくともまだ年齢の数字が1桁だったときは、明るくてよくしゃべる、放課後毎日遊びに行くような友達の多い子だったと思う。

それなのに変わってしまったのは自分の中で明確なターニングポイントがあって、それが「中学受験」だったと思っている。

身バレしたらしたで仕方ない。

ずっと抱えてきた贅沢な息苦しさを誰かに聞いてほしい。

から話す私の生い立ちがとんでもなく恵まれていることなんてわかってる。今から話す全てがとんでもなく甘いことなんてわかってる。無いものねだりの高望だってことだってわかってる。だから、この長くてまとまりのない文章をもし読んでくれるのであれば、この親不孝ものが、甘ったれが、クズが、って、思う存分バカにして反面教師にして笑ってほしい。


物心ついたときから、歌ったり踊ったり楽器演奏したりするのが大好きだった。

私の通っていた郊外幼稚園にはたしか必須クラブ活動があって、年少さんのときは親の意向で「お作法クラブ」に入れられた。お着物を着てお茶の飲み方を教わったり毛筆書道を並んで書いたり、素敵なことなんだけれど、3歳の私は幼いながらにかなり堅苦しさを感じていた。

クラスで一番仲の良かったおともだちがバレエクラブに入っているのがとても羨ましかった。ことあるごとに私もバレエクラブがいい、来年は変えて!と主張し続け、年中になった時には晴れてバレエクラブに入れてもらえたが、年長に上がった段階ではなぜかもとのお作法クラブに戻されていた。

幼稚園の3年間はクラブ活動とは別で習い事をしていた。英会話教室と、今は無きn田チャイルドアカデミー(n=7)だ。英会話教室は5歳になっても何のために何をやっているのかわからなかったのと、言葉先生に通じないのとでかなりストレスを感じていたと思う。

n田は、英会話教室なんかよりもはるかに何のために何をやっているのかわからなかったのと、毎日課される難解な宿題プリントと、自分習い事をどういうふうにおともだちに説明すれば伝わるのかがわからなさすぎて、何が何だかよくわからないまま終えた。

ピアノバレエを習っているおともだちがそれはそれは羨ましかった。


小学校に上がるタイミング関東の割と都会な地域引っ越した。その地域から無理なく通える範囲に高偏差値私立中高一貫校が2つもあり(以下A中学•B中学、A中学のほうがレベルが高い)、どうやら親はその学区の良さに惹かれてその地域に引っ越すことを決めたようだった。

n田の難解な宿題プリントはなぜか小学生に上がってからも続いた。学校宿題とは別で、毎日ノルマを課されていた。新しい学校で持ち前の明るさを発揮し、近所に友達もたくさんできて、遊びたい盛りだった低学年の私には、異常に難しい問題を怒られながら泣きながらこなすのは相当な苦行だった。

小学2年生になってからは、年に2,3回、大手中学受験塾のオープンテストを受けるようになった。気づいたら申し込まれていて、気づいたら受験票があって、気づいたら当日その塾に連れて行かれて謎のテストを解いている、そんな状態だった。n田の毎日プリントのおかげか、成績は相当良かった。

あなたはこれからA中学を目指すのよ、みんなと同じ隣の中学校にはいけないの。地元中学校に行くのはちょっとばかなのよ。と言われる(刷り込まれる)ようになる。

地域お祭りに行った時にステージで見た、小学生ダンスチームの発表がとてもかっこよく見えて、釘付けになった。家に帰ってから親にそのことを話し、「私もダンスやってみたい、習い事したい」とお願いをしたら、「5年生くらいになったらいいよ」と言われ、私はその言葉を信じて3年待ってみることにした。

風呂オリジナルの歌を歌ってみたり、適当な踊りを作ってみたり、自分カリスマアイドルとしてデビューするような妄想をしていたのもこの時期だったと思う。

小学3年生になってもオープンテストは言われるがままに受け続け、2月には「新4年生」としてついに入塾していた。ちょうどこの頃、近くの高校中高一貫ではない、以下C高校)の合唱部が私の小学校演奏会をしに来てくれて、その演奏の素晴らしさに感動し、ほのかにC高校に行きたい!という思いが芽生えた。


4年生になり、中学受験がはじまった。目標はA中学県内屈指の進学校を目指して塾通いが始まった。事前の数年間のオープンテストの結果、クラスは一番上になり、受験が終わるまでクラスが落ちることは一回も無かった。

自体はとても楽しかった。10数年経った今でも連絡を取り合うような大事な仲間もできたし、なにより当時は小学生にして他校に友達がいるという事実が誇らしかった。


常になにがなんだかわからないままテストを受け続けてついに始まった中学受験生活だったが、私の意識は常に「親に怒られるから仕方なく勉強している」だった。

今までは存在しなかった授業ごとの予習•復習の行程、難しい問題で躓き、とくに算数強敵だった。ほんとうに難しかった。

からなくて、理解できなくて、私の勉強のあまりの進度の遅さに怒られ、毎日のように殴られ、教科書を破られ、ノートを破られ、こっそり楽しんでいたニンテンドーDSliteは見つかって真っ二つに折られ、悔しさと意味のわからなさに泣き叫び、近所から苦情が入り、さらに怒られ、テストの点が悪いとため息をつかれ、そんな日々が3年間続いた。

受験直前にはもう燃え尽きていて、自習と嘘をついてショッピングモールに出かけたりもしていた。当然バレて、さらに怒られた。口も悪くなったし、このあたりから私も何かあるとすぐキレてしまうような難しい性格になった。


学校環境も少し問題だった。

小学4年生ともなるとだんだん人間味を帯びてくる。ヒソヒソ話や悪口友達グループ化が激化する。塾に行くようになってからは遊びに行くことも減り、放課後も付き合いがあるような友達も減った。

塾に行くようになったことで、授業中の発言普段言動に対して「いい子ぶってんじゃねーよ」「頭いいからって偉そうにしないでくれる?」と言われるようになった。

自分問題があるんだと思い、明るかったのが嘘のようにあまりさな子どもになった。実際何かしら偉そうに聞こえるような言動はあったんだと思う。

5,6年生のときクラス3分の1が中学受験をしている子たちだった。

学年の受験生がほぼ固められているにもかかわらず、次の担任中学受験に対する理解がまるで無かったので、日記帳を1日見開き1ページ書くという宿題毎日出た。

大体の日はそれにプラスしてワークなどがあった。当然、学校宿題の量と塾の与復習の両立に苦戦した。家ではそれが原因でさらに怒られた。

周りの受験生も学校宿題が大変と愚痴をこぼしていたので、私だけじゃないと知って安心した。

クラスで私を仲間はずれにした女子のことを陰で女王様揶揄っていたら、誰かにそれを担任にチクられ、授業をひとつ潰してまで説教された。

泣いて謝り許しを乞うまで説教は終わらなかった。世の中には私の味方なんていないんだと思った。

そういえば、2年生だったあのときから待ちに待っていた5年生になったので、めちゃくちゃダメ元で親に「ダンス、習わせてくれるんだよね…?」と聞いたら、何わけわかんないこと言ってんの勉強に集中しなさいと一蹴された。

中学受験中にダンスなんてやってる場合じゃないのはわかってはいたけど、それはそれでつらかった。

頭打ちの成績、勉強に対するやる気の無さ、新しいクラスでできた友達とも遊びたい、そんないろいろな要因が重なって、家庭内でも勉強をしたがらない私に対する怒鳴り声は常に飛んでいた。

怒られない日の方が珍しかった。

自分の気力、体力、学力には到底合わない高いレベルの内容には正直ついていけていなかった。

当然勉強は嫌いになった。少し理解できない問題が続くとなんでそんなにできないのと怒られ顔を引っ叩かれ毎日泣いて、ある日勇気を出して「受験をやめたい」と言ってみた。

親にはA中学B中学に行くとこんなにいいことがあるんだよお前の将来の選択肢が広がっていい大学にもいけるしいいところに就職できるんだよ、それはみんなは高校受験競争率が高い中やることだから中学のうちにやっておいた方がいいんだぞ、それでもお前は受験をやめるのかと言われたが、私はある日にはC高校に行きたいと自分意思で思ったんだから高校受験でそこを目指したいんだと強い意志を持って受験をやめる選択をした。

地元中学に行く奴はバカと言われて育って来たので少しプライドが許せなさそうだったが、それよりもこの受験生活が、「私のため」の名のもとに暴言暴力の飛び交うこの異常な家庭が嫌だったので、受験をやめる決断をできたことにほっとしていた。

後日優しい口調の親に丸めまれ、なぜか受験は続行することとなった。正直どうしてこうなったのか何も覚えていない。

結局中学受験は完遂し、A中学は落ち、B中学そもそも受験せず、家からは少し遠い第3志望のD中学入学することになった。

B中学よりはレベルの高い進学校だったので、A中学に落ちたことによってプライドが傷つくこともそこまでなかった。

中学に上がり、かねてより部活というものに、特に運動部に憧れがあったので、そのまま運動系部活に入った。

チアリーディング部はあったが、正直ヒップホップ系ダンスがやりたかったのと、小学生の時にあてられた記憶女子集団が完全に苦手になってしまったので、チアリーディング部には入らなかった。

これが「初めて自分で何かを選択できた瞬間」だった。

毎日練習が楽しくてヘトヘトになって帰ると、勉強する体力とやる気なんて残っていなかった。

最初地頭で乗り切っていた定期試験だんだん順位が落ちていき、高校に上がってから留年スレスレ彷徨うこととなった。

中学受験で完全に捻くれた性格が災いし、人間関係の構築は部活以外では皆無であった。

内向的になりかけていた自分性格さら内向的になり、何重にも殻に閉じこもるようになった。

順調に過ごす周りの同級生を見て、どうしてこの子達は同じ壮絶な受験経験しているはずなのにこんなに真っ直ぐで明るいのだろうと疑問に思っていた。

中高一貫校性質上、入学早々にやらかすとそこから卒業までは取り返しがつかなかったので、本当に部活の仲間以外の友達はいないに等しかった。

進学校勉強についていけないことと友達のいないストレスが相まって、学校の授業は休んだり遅刻したりすることが多かった。それでも部活時間には必ず練習場に行って、毎日練習には参加した。その甲斐あって、部活の方は最終的には目標だった県の上位層に食い込むことができた。

家庭では大学受験を見据えろとか勉強しろとかは一切言われなくなった。

流石に留年が危ぶまれた時は進級できるくらいにはなってくれとは言われたが、それくらいだった。希望ではないもの進学校に入れることができた満足と、あと妹の中学受験が始まっていたのも一因だったと思う。

結果的に妹は黙々と学習を重ね国内トップレベル中学入学したし、私は大学受験勉強を相当サボりつつも、運良く上位校と呼ばれるような私立大学のよくわからない学部に現役で合格した。

私の中学受験生活が酷すぎたぶん、妹には重い重い期待がかかっていてプレッシャーだったと思う。妹は妹で家庭でもあまり感情を出さずおとなしくして親の言うことを素直に聞いているように見えた。

姉のふり見て我がふり直せ、だったんだろう。

申し訳ないことをしたと思っているし、やはり我が家中学受験なんて向いてない家庭だと思っている。


半年に一回くらい、ボイストレーニング無料体験に申し込んで、無料体験レッスンだけ受講したことが何回かあった。ボーカリストオーディションとか受けてみたいなと思い調べることもあったが、一回も応募したことはなかった。



そして今、私は大学生をしている。

持ち前の勉強嫌いを発揮していくつかの単位を落としながら、中高でやっていた運動は続けながら、アカペラサークルミュージカルサークル所属してステージに立ってみたこともあった。

お金が想定よりかかったり、思ったよりも本気で音楽に向き合う人がいないいわゆる形だけのサークルだったりで、どちらもすぐ辞めてしまった。

そして、とある前世持ち練習生の存在きっかけに、冒頭に書いた某アイドルオーディションサバイバル番組配信に辿りついた。

が、その番組や前シリーズやそこからデビューしたグループを見ていくうちに、自分と同年代の子達がデビューに向けて取り組むのを見ていくうちに、何か動悸がするような、焦るような気持ちが抑えられなくなっていた。

大きいステージに立っているアイドルを見ていると涙が出てくる。

私もそっちに行きたいって。

アイドルを目指していたなんて言えるほどの努力は一切していないけど、ステージ表現して人の心を掴むということに対する強い憧れはずっと持っていて、悔しさがこみ上げてきて。

私の好きなアイドル10年を超えるダンス歴で、とにかくいろんなステージに立っていろんなオーディションを受けて大きな挫折も味わって、そんな長い下積みの末やっとデビューした。

その人が「小学生の時にダンスを習い始めて、そのおかげで内気だったのが明るい性格になった」とたびたび話していて、でもそれを聞くたびにすこし胸が苦しくなる。


中学受験じゃなくて、ダンスだったら?

私は音楽が好きで、自分で何かを表現たかったという気持ち絶対にずっとあって、それを無理に抑えてこなかったら?

中学受験の時のあの地獄のような家庭環境が無かったら、ダンスというずっとやりたかたことで自己表現ができていたら、もっとまっすぐな明るい子だったのではないか

小学校からダンスや歌を本格的にやらせてもらっていたら、私もあの番組ステージに立てたのではないか

私の勉強嫌いは完全に中学受験からきているわけで、それが無かったら別に高校受験からでもこの大学に入ることはできたんじゃなかろうか。勉強自発的にできるようになって、もっと良いところに行けてた可能性もあったんじゃなかろうか。逆も然りだけど。

今考えたらあの習い事クラブ活動も全部親の決めたもので、私の意思なんてこれっぽっちもなくて、全てが勉強につながるようなもので、だから今の私は勉強がとてもとでも嫌いだし、大学生になった今でも勉強自分のためではなくて新卒大卒獲得のためにやらされるものだと心の底では思っている。

中学受験の時の生活は今考えたら虐待だったね本当にごめんねと親は言ってくるけれども、明るかった小学3年生以前の私の性格はもう帰ってこない。

元の形の記憶を失うほどにねじれて拗れてズタズタになってしまったあの時の私から変われる気配なんてない。今から明るく優しい子になんてなれない。

家庭内でたまに言い方がきついと怒られそれがきっかけで大きな喧嘩になることもあるけれど、あの多感な時期に毎日怒られ怒鳴られ殴られ続けて親の口調が移らないわけない。私の口調と親の口調はびっくりするほどそっくりだ。


全部、中学受験のせいだと思ってしまう。


私のために全力でサポートしてくれたんだと思う。でも別に中学受験させてくれなんて頼んでなかった。あんな怒鳴り声と泣き叫ぶ声と暴力の絶えない家にしてくれなんて頼んでなかった。あんなんなるなら、地元中学でもよかった。


やりたいことなんて何もできなかったし私の話なんて微塵も聞いてくれなかったなと思ってしまう。


それでも、ここまで育ててくれて、私のことを考えて人生設計の手助けをしてくれて、中高大10年間の私立学費を惜しみなく出してくれた親には本当に感謝している。本当に恵まれた家庭で何ひとつ不自由なく育ったと思う。


それに、本当にダンスや歌がやりたかったなら、中学に上がったタイミング部活に入らずに、今度こそダンスを習わせてほしいボイトレに通いたいと親を説得することだってできたはずだ。そうしなかった段階でそこまで本気じゃなかったんだと思う。このことに気づいて、初めてあ

2023-10-19

anond:20231019123140

俺は暇アノンより公金チューチューの方がキャッチーだと思う!って言われても…日記帳にでも僕の好きな造語ランキングでも書いてたら?

2023-09-12

今日の事はどこかに書き記して、そして忘れたかたから、この日記帳に記して捨てるつもりだ。

 

昨日、初めて限界を超えて酒を飲んでいた。

自分は酒を好む性格ではなく、ましてや日常的に飲むことはない。

アルコール分の苦さがどうにも好きになれないからだ。

3%の酒くらいが関の山で、それでも2,3本飲めば終わりしておく。

その先に何があるかもわからないし、知りたくもなかったから。

しかし、昨日は家で1本、それも5%のアルコール摂取した。

理由は単純でむしゃくしゃしていたから。

その原因はもっと単純で、計画中の旅行の代金をもっと安くできたはずなのに、それを選ばなかった事を後悔したこと

そして、その後悔を覆すためのキャンセルができないと知ったことだった。

 

休学中の私は、時間があるのでバイトをしている。

そこでの月の収入10万程度。

しようと思えばもっとできるのかもしれないが、そうしたならば折角の休学中の身分を活かしきれないと思っている。

それに何より、休学後、つまり来年度の内定先の月収を超えてしまうのは、何となく来年から仕事に身が入らなさそうで嫌だったのだ。

そんな我が儘による月10万程度の稼ぎ。

それを優に超える出費というのは、慎重に選ばなければいけなかった。

それなのに、キャンセル不可。ついでに変更不可。

もっと安くする手段があったはずなのに、慣れていないという理由から友人に全てを任せてしまって、いろいろと決められた時には手遅れだった。

 

数万単位の金は戻ってこない。やり場のない感情だったから、愚痴を言うほかは無かった。

私は母に対し、愚痴を言った。

母がよくそうするように。

私はもう解決しないことを愚痴って、気持ちの整理を付けようとしたのかもしれない。

から解決なぞ、ないことは端から知っているのである

もっと働いて金稼げとか、過ぎた事なんだからしょうがない、とか、そんなありきたりの回答は欲しくなかった。

ただ、同情が欲しかっただけなのである

しかし、愚痴を聞いた母の回答は私の予想以上のものではなかった。

もっと働いて金稼げとか、過ぎた事なんだからしょうがない、とか、そんなありきたりの回答をくれた。

私はその回答を予想していた。母はその通りに答えた。だから最初から、濃いめの酒を私は準備していたのだろう。

それでは足りなかった。

 

いつもは母が愚痴を言う方で、それが逆転した希少な状況。

そして、私の愚痴の原因は、数万円程度の失敗。取り返そうと思えば、いつでも取り返せる額だ。

から、私を面白おかしくいじろうとする意図が見て取れた。例えそうでなくとも、私はそう感じた。

私はすぐに酒を飲み干し、買い物に行くと言って外に飛び出した。

そして、コンビニで濃いめの酒を数本買った。

 

外は幸いにも涼しく、天気が良かった。

日はすっかり沈んでいて辺りは暗く、住宅街を抜けた先の河川敷に移動してしまえば、辺りの暗さは一層に増している。

私は住宅街の街頭から零れ落ちる光を背に、酒をあおった。

まらなかった。

すぐに酔いは回らない。酔いが回っても楽しくもない。自分を責める声だけが自分の口から漏れ出していく。

から見ればきっとこれは、小さな失敗だろう。

だけれど、その大小を決めるのは私である

フラフラと立ち上がっては、千鳥足で足を進める。

途中で何人もの人々とすれ違ったはずだ。

自転車ヘッドライトペットの光る首輪ランニングする人々。

誰も私を気に留めない。

私は道を外れ、多分、草野球場であろう場所に寝っ転がった。

発狂した。

 

私は人に気を遣うタイプ人間である

ゆえに、他人の顔色を窺いやすく、主張の弱いタイプである

から、いろいろ上手くいったこともあるし、だからこそ、上手くいかなったこともある。

休学の理由もそうだ。

研究室という閉鎖空間において、パワハラ気質教授という最悪な人間にあたってしまったが、それでも魅力的な研究をしていると思っていたから、ついていこうと頑張ってきた。

だが、そんなもので人を見るべきではなかった。

研究という科学的なプロセスにおいても、科学事実よりも人格という感情論を優先して上に立つ者を選ぶべきだったのである

幸いにも私は、その環境を脱し、色々な苦労を経て、就職先とバイト先を見つけることができた。

ただ、私の性格というものは、どうにも変わり切れていなかった。

 

私は家族にさえも気を遣ってしまっていたのだ。

今は実家に戻っていて、いわば、居候のような状況で、居心地が良いとは言い難い。

から度々、客観的には帰りの遅くなる母を思いやって、主観的には居心地の悪さを緩和するために、そして、小言を言われないように、家事を手伝った。

そして、度々、私は母の愚痴を聞いてやるのだった。

それが私なりの気遣いであるはずだった。

 

さて、発狂した私の話に戻そう。

私は発狂のあと、酷くなる頭痛を治めるために水を買いにコンビニに行った。

水のペットボトル、酒の缶。

それを買って、再び、河川敷に戻る。

はずだったが、途中の神社で座り込んでしまった。

空を仰ぎ、水を飲む。頭痛はずっと続き、私を苦しめる。

だが、この頭痛もまた、私のせいなのだった。

旅行計画に失敗し、多額の金を払うのは自分のせい。

酒を飲みすぎて、頭痛が酷いのは自分のせい。

自分が何もかもの原因で、自分のせいであり、自分が悪いんだと、私は自覚した。

 

その時、自転車が通り過ぎた。

座り込んでいる私に一瞥もくれずに。

 

私は買って来た酒の缶を地面に叩きつけた。

噴水みたいに酒があふれ出す。

私の心の中のように。

 

気が付けば時刻は夜11時を回っていた。

既に4時間程度、経っていたことになる。

私のスマートフォンは、何の通知も受け取っていなかった。

 

それからどうしたか

膨大な数のラインを母に送った覚えはある。それを受けてから、掛かってきた母の電話に出る気は無かった。

私は、私がどこにも存在しないことを、知ってしまった。

これからの私も、これまでの私も、今の私も、他人の事を思いやるくらいはできると思っていた。

他人もそうであると信じていた。

傲慢だったらしい。

 

結局、今の私には実家しか帰る場所が無いので、帰った。

帰ってみれば、母は寝る準備を済ませていた。

私は一言だけ、たぶん「ただいま」とかいう当たり障りのない言葉を取りあえず投げつけて、ベットの上で、床で、風呂で、眠れない時間を過ごした。

一度だけ、母が目を覚ましていたような気がするが、あれは気のせいだったということにしておく。

 

そして、朝日が昇った。

私はまだ痛む頭を抱えながら、外に出た。

 

清々しい朝だった。

私の気分も晴れ晴れとしていた。

 

心の枷が外れたような気がした。

自分他人の事を見すぎていた。

どうせ、他人自分のことを見ていない。

そのことに気づいただけでも、十分だった。

 

他人他人しかなく、私には誰も興味はない。

私だけが私であり、これは私の人生だ。

思いやりは、最小限で十分だと気が付けた。

2023-08-30

>それでは対話にならないよ

ここは日記帳だしなあ

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