はてなキーワード: 墓地とは
オリンピック関連のホロコーストネタで盛り上がったが、個人的にはあまり興味はなかった。何せ、私はホロコーストそれ自体のことは実際詳しく知らないのだ。興味が偏っていて、関心があるのはいわゆる「ホロコースト否認論」だからである。否認論に詳しいのに、ホロコーストそれ自体のことをあまり知らないって変に思うかもしれないが、そりゃまぁ全然知らない人よりは遥かに詳しいけど、例えばワルシャワゲットー蜂起なんて言う有名な事件についてなどほとんど全然知らなかったりする。だもんで、話題になったホロコーストネタについては「へー」程度にしか思わなかった。興味が湧かないんだから仕方ない。
でも、ホロコーストへの興味が向く契機にはなる。最近は、ホロコースト否認に対する活動も停滞していたのだけど、Netflixで暇つぶしでもしようと思っていたら、たまたま目についた『シンドラーのリスト』。そう言えば、まだ二回しか見たことがない。その二回とも、ホロコースト否認やホロコーストそれ自体にすらほとんど知識がなかった頃の鑑賞だったので、ある程度知識のある今ならどんな感想を持つだろうと思って、鑑賞したのである。史実・原作通りではないこと程度は当然知ってる。例えば、映画の中の本当の主役であるアーモン・ゲート所長は、あのバルコニーから狙撃するのは実際には不可能だった、なんて話も知っている。プワシュフ収容所跡地はユダヤ人団体の反対により、当時使うことは出来ず、近所の採石場を使ったので、それに伴って原作の記述から変更したのである。
ともかく、映画は原作通りではなく、史実に基づき考証も経ているとはいえ、全体としてはフィクションである。そんなことは細かい話を知らなくとも映画を見てりゃ誰でも分かるはずなのだが、呆れたことにこのシンドラーのリストですら、ホロコースト否認論者たちは「事実ではない」と否認論に利用するのである。例えば以下のように。
この映画は、全く持って史実ではありません。その事を、私は、ニューヨーク・タイムズの2004年11月24日の記事で知りました。同紙が2004年11月24日に掲載した、エロン大学の歴史家であるデイヴィッド・M・クロウ(David M. Crowe)教授へのインタビューの内容は衝撃的な物です。クロウ教授に依ると、この映画が描く出来事が有ったとされる時期に、シンドラーは、収容所所長であったアモン・ゲートへの贈賄によって刑務所に入れられており、この映画が描く様な活動を出来た訳が無いのです。その他、多くの矛盾を同教授は指摘しており、この映画を「実話」と錯覚する事は全くの間違いなのです。(詳しくは、ニューヨーク・タイムズ2004年11月24日に掲載されたクロウ教授へのインタビューをお読み下さい。)
この映画が、イスラエルの墓地の場面で終はる事が、イスラエル建国の美化である事は余りにも明らかです。プロパガンダは感動的である事の一例です。皆さん、もっと、冷徹に物事を見てはいかがでしょうか。この映画が、オスロ協定に基ずく中東和平交渉とそれによって起こったイスラエル・ブームの時期に公開された事は、はたして偶然だったのでしょうか?私は、スピルバーグ監督が好きですが、同監督が、フィクションを史実と錯覚させるこの作品を作った事を本当に残念に思ひます。
http://blog.livedoor.jp/nishiokamasanori/archives/7074177.html
西岡は、マルコポーロ事件で一気にその界隈の知名度トップに上り詰める以前は、英字新聞の常連投稿者であったらしい。だからニューヨークタイムズも定期購読でもしていたのであろうか、そうした記事を見つけたのだろう。
さて、西岡の文章、後半のイスラエル云々は、ネットの一般否認者でも使う論理なので無視して良いと思うが、問題は前段である。西岡の書き方では、『シンドラーのリスト』全体が全くの嘘であるかのようにすら読めてしまう。もちろん、映画はフィクション性が強いと言っても全くのウソではない。オスカー・シンドラーは実際に約1000人のユダヤ人の命を救ったのである。トマス・キニーリーの原作は史実と見做されているし、映画は概ね原作に沿っている。では一体どう言うことなのであろうか?
西岡は、私自身とTwitterでやり合った時もそうであったが、参照文献の示し方が杜撰なことが多い。その時は、西岡は「国会図書館で読める!」と豪語しながら文献名すら示さないという呆れた態度すら取っていた(その後その文献をめぐってややこしいやり取りになったがここでは触れない)。今回もまた「ニューヨーク・タイムズ2004年11月24日に掲載されたクロウ教授へのインタビュー」である。あのね、そりゃそのニューヨークタイムズは探せばどっかにあると思うけど、常識的に考えて一般日本人が、ある特定の日のニューヨークタイムズなんてすぐに探せると思う? 「普通は」とはあんまり言いたくないけど、普通は他者の参照のし辛さを考えて、一部その記事を引用とかすると思う。それを「お読み下さい」って、いちいち図書館にでも行って調べろとでも言いたいのか?
というわけで、普通ならニューヨークタイムズなんか参照できないと諦め、西岡の言っていることを鵜呑みにするか、あるいは真偽不明として信じないか、だけだろう。ところが、今時の時代、ある程度ならなんでもググれば見つかる便利な時代であった。その記事とはこれのことである。
Book Adds Layers of Complexityto the Schindler Legend - The New York Times
ニューヨークタイムズの記事って、有料だとほとんど全部ネットで読めるそうだけど、まさかこれが無料で読めるとは意外だった。当該部分のみを翻訳して引用しよう。このニューヨークタイムズの記事自体、ちょっと書き方が悪い。
「シンドラーはリストとはほとんど無関係だった」と語るのは、ホロコースト史家でノースカロライナ州イーロン大学教授のデビッド・M・クロウ氏である。『The Untold Account of His Life, Wartime Activities and the True Story Behind the List(オスカー・シンドラーの人生、戦時中の活動、そしてリストの背後にある真実の物語)』を今秋、Westview Press社から出版した。
映画では、リーアム・ニーソン演じるシンドラーが、1944年にポーランドのクラクフにあるエナメルウェアと武器の工場のユダヤ人経営者に、比較的安全な現在のチェコ共和国に連れて行くべきユダヤ人労働者の名前を教える場面が描かれている。しかし、クロウ氏が電話インタビューで語ったところによると、当時シンドラーは、映画の中でラルフ・ファインズが演じた残忍な親衛隊の司令官アーモン・ゲートに賄賂を贈った罪で刑務所に入っていた。また、経営者のイツァーク・シュターン(ベン・キングズレー)は、当時シンドラーの下で働いているわけでもなかった。
クロウ氏によると、リストは9つあったという。最初の4つのリストは、主にマルセル・ゴールドバーグが作成したもので、彼は腐敗したユダヤ人保安警察官で、ユダヤ人輸送を担当するSS将校の補佐役だった。(ゴールドバーグは後に、賄賂を受け取ったことや、好意的な態度をとったことで非難された。)シンドラーは何人かの名前を提案したが、リストのほとんどの人を知らなかったとクロウ氏は言う。他の5つのリストの作成者は不明である。
「そもそも、「シンドラーのリスト」はなかった」だなんて、ほとんどの人が「えっ?」と驚くに違いない。タイムズ紙も妙な書き方をするものである。だが読み進めれば分かるとおり、映画で描かれたようなシュターンとシンドラーが二人してリストを作ったというようなことはなかった、とクロウ教授は言っているだけなのである。そして、記事に書いていない内容を記事から類推するに、シンドラーは刑務所から釈放後、ゴールドバーグらが作成したリストに何人かの名前を加えるよう提案した、としてリストに関わっており、何れにしてもリストは存在していたのである。実際、原作者のトマス・キニーリーが使ったとされるリストはオーストラリアで発見されている。
'Schindler's list' found in Sydney
ともかく、西岡の記事だけを読めば、シンドラーのリストの話自体が全部嘘のように読めてしまうが、事実は、単に映画には細かい相違があるというだけの話なのだ。こんなの余程うるさい人でもなければ「映画は事実ではなくウソである!」だなんて言わないレベルの話でしかない。ホロコースト否認論者ってどいつもこいつも常にこの調子で読み手を騙しにかかるので注意されたい。西岡の場合などは特に、イスラエルがどうたらこうたらと余計な印象操作まで含めているので、より悪質度は高い。ただし否認論者としては必須のはずの「スピルバーグはユダヤ人」を入れなかったのは否認論者としての自覚が足りないとは言える(笑)
最初に書いた通り、ホロコーストそれ自体の知識はあまりないので、どこが史実でどこが違うのかなどの細かい話は、Wikipediaレベルの知識しかない。その上で言えば、オスカー・シンドラーはリーアム・ニーソン演じたような人物ではなかったと思うけど、概ね的なレベルでは史実通りと見なして良いと思う。「所詮はフィクションだから」と言う人も多いけど、現代の基準から言えば、信じがたいレベルの惨劇が起きていたことは事実だし、映画ではそれを描き切れてなどいないとさえ言える。そもそも描き切るなど無理だろう。今年もホロコースト映画が何本も公開されていて、食傷気味だという意見も多いし私もそれら映画を見る気もないけど、『シンドラーのリスト』や『戦場のピアニスト』程度の代表作はぜひ見ておいて欲しいという気はする。
[B! 司法] 「国民の一般的な宗教的感情」を害したので有罪。孤立出産で死産したベトナム人技能実習生、地裁判決の中身(望月優大) - 個人 - Yahoo!ニュース
この件、既にブコメでも言われてるから敢えて書く必要はないかもしれないが、「国民の一般的な宗教的感情」が持ち出されるのは仕方ないと思う。
誤解無いように言えば技能実習生だったリンさんに対して下された判決そのものを妥当だと言ってるわけではない。「国民の一般的な宗教的感情」の中身や適用範囲には議論の余地があるが、「国民の一般的な宗教的感情」という概念自体はやむを得ないというお気持ち。
Q. 「国民の一般的な宗教感情」概念自体は仕方ないにしても有罪に導くロジックはおかしいのでは?
A. 実際のところ実務的な論点はそっちの方が重要だと思うよ!このエントリは死体遺棄罪の保護法益は「国民の一般的な宗教感情」としか言えないしそこはしゃーないって話しかしてないからね。「殺人罪の保護法益は『人命』です」ってエントリだけじゃ実際の事件に対して殺人か傷害致死か過失致死か、正当防衛か緊急避難か、手術の失敗みたいな仕方ない事案なのか、責任能力はあるのか、そもそも被疑者が犯人なのかetcなんて語れてないというのと同じです。
ベトナム人元技能実習生に逆転無罪判決 死産児遺棄の罪 最高裁 | NHK | 事件
最高裁で逆転無罪判決が出たようです。かなり珍しい形ではないでしょうか。難しい判断だったかと愚考しますが個人的には良かったと思います。NHKのこの記事は論点を網羅していて良い記事ですね。技能実習生に対する妊娠・出産に関しての不適切な言動について「出入国在留管理庁が去年初めて……実態調査を行った」レベルなのは今まで行われてなかったのかと愕然とするものがありますが…。
制度に関する有識者会議が現在開かれています。この事件を通して技能実習制度が孕む問題について真剣な社会的議論が行われることを切に望みます。技能実習制度の抜本的な改革が叫ばれてもう20年以上経ちました。その間に訴訟が起き労働者性が認められ、法が変わり労基法も適用されるようになりましたし、外国人技能実習機構という新しい組織がなんかできたりもしました。もちろん状況の改善がなかったとは言いません。しかし一方でずっと同じ問題が指摘され続けてもいます。そろそろこの問題に決着をつけてほしいと願うばかりです。
第188条
1 神祠し、仏堂、墓所その他の礼拝所に対し、公然と不敬な行為をした者は、六月以下の懲役若しくは禁錮又は十万円以下の罰金に処する。
2 説教、礼拝又は葬式を妨害した者は、一年以下の懲役若しくは禁錮又は十万円以下の罰金に処する。
第189条
墳墓を発掘した者は、二年以下の懲役に処する。
第190条
死体、遺骨、遺髪又は棺に納めてある物を損壊し、遺棄し、又は領得した者は、三年以下の懲役に処する。
第191条
第百八十九条の罪を犯して、死体、遺骨、遺髪又は棺に納めてある物を損壊し、遺棄し、又は領得した者は、三月以上五年以下の懲役に処する。
第192条
まず刑法の建て付けとして死体遺棄罪を含む死体損壊罪等(190条)は「礼拝所及び墳墓に関する罪」という章の中にあるんだよね。同じ章にある第188条は「礼拝所に対し、公然と不敬」をした人間を罰するもの(礼拝所不敬罪)だったり第189条は墳墓の発掘者を罰するもの(墳墓発掘罪)だったりで非常に宗教的な内容。なので190条も宗教的な項目だと見るのはそこまでおかしくない。もちろん猥褻関係の罪のように同じ章でも個人法益の保護と社会法益の保護と分かれてるものもあるので必ずしもというところではあるんだけど。実際192条は明らかに性質が違うので。
第1条
この法律は、墓地、納骨堂又は火葬場の管理及び埋葬等が、国民の宗教的感情に適合し、且つ公衆衛生その他公共の福祉の見地から、支障なく行われることを目的とする。
関連して墓地埋葬法では宗教的感情を理由に墓地や埋葬に関わる規制を行うと明示している。
しかし、それでも死体損壊罪等は宗教的側面から逃れられないだろう。と、その前に感情を保護法益にできるのかという話をしなければならない。
確かに刑法において感情を保護法益にするのはあまり好ましく思われていない。例えば侮辱罪について保護法益を名誉感情とする説もあるが人気はない。刑法は謙抑的でなければならないのに安易に感情を理由にした規制を認めれば際限なく広がりうるからだ。社会秩序としての「国民の一般的な宗教的感情」が云々と言った時も何とかして法益の最終地点を社会秩序とか宗教的風俗とかそういうところに落とし込もうという謎の努力が垣間見られる。
しかしはっきり言えば第188-191条は基本的に「宗教的感情」を保護法益とするものだと理解されることが多い。礼拝所不敬罪についての高裁の判例を見てみよう。
……思うに、同条は、国民の宗教的崇敬ないしは死者に対する尊敬の感情を害する行為を処罰するものであつて、そのいかなる行為がこれに該当するかは時代によつて同一ではないであろう。しかしながら、今日のわが国の公衆一般の感情としては、特に清浄を保つべき場所たる墓所の区画内において放尿するがごときはなお明らかに墓所の神聖を穢すものと観念されるのであつて、このことからさらに推して考えるならば、たとえ現実には放尿しなくとも、放尿するがごとき格好をすること自体、見る者をしてその墓所に対する崇敬の念に著しく相反する感を与えるものといわなければならない。……
いや、判例がそう言おうとも礼拝所不敬罪(188条1項)と説教等妨害罪(188条2項)についてはあくまで宗教的自由の保障なんだという意見はありえる。墳墓発掘罪(189条)についても確かにそう言えなくもない。これらは他者の宗教的行為に対して害をなしていると言う立論もできなくもないからだ。
しかし果たして死体遺棄や損壊は他人の宗教的行為に害をなしていると言えるのだろうか?やはり死者への崇敬の念という宗教的感情で説明せざるを得ないのではないか(通常189条に対してもこう説明される)。
これはつまりそもそも何故死体はここまで保護されるのだろうかという問題である。何故器物損壊罪では飽き足らず、死体損壊罪を特別に規定したのだろうか。感情を持ち出したくないなら死者の生前の人格権の延長と見なすという方法はある。それでも権利主体でもない死体が法益の帰属主体となりえるのかという疑問は湧く。しかもこれだと生前の火葬を拒否していた人間を火葬したら人格権の否定として死体損壊罪の構成要件に該当する可能性まで生まれてしまう。
実際のところ死体が敬意を伴って丁重に扱われ慰撫されるのは生きている我々でしかない。死体が傷つけられたのを生命への侮辱と見るのはそれこそ素朴な「宗教的感情」ではないか。無宗教を自認する人間の多い日本では宗教的感情と死者への敬虔を別と考えたくもなるかもしれない。ナイーブな気がするが、まあ宗教的でない普遍的な感情としてもやはり「感情」が保護法益であることを否定はできていない。「国民の一般的感情」としても問題は変わるわけではあるまい。
まあネットでは「お気持ち」カード切ればゲームに勝てる感じだしまあネット上の議論なんてそんなものでもいいのだが、現実を見るとそう簡単に割り切れるものでもない。今回は刑事なのでちょっと違うが民事の名誉毀損では「名誉”感情”」が保護されることになっている。「お気持ち」と法で言う「感情」は同じじゃないと言えるかもしれんが…本当にそうかなあ。実務的にはどういう感情というかお気持ちが保護されるべきかみたいな方が喫緊の課題なんじゃないかな。ネット上の議論はその辺り無視して話をできるからやりやすいですな。建設的になってるかは知らんけども。でもはてブのAPIも非建設的なコメントを建設的と認識してる気もするからまあヨシ。
「一般的」とか勝手に言うなというのは分かる。ところが刑法判例を見ると「普通人」だの「通常人」だのという言葉もそれなりに見る。
最高裁様が決めた悪名高き刑法175条「わいせつ」概念の定義を見てみよう。
「普通人」「正常な」ってなんだよ。そもそも羞恥心みたいな感情を害することを軽々と要件にしていいのか。何らなら「善良な性的道義」もよく分からないが、しかしまあこの定義は脈々と受け継がれている。ただ、正直に言えばこうした罪状はこういう言い方しかできない部分が無いではない。
もう少し言えば他の罪状でも「通常人」を持ち出すしかない部分はある。例えば過失の認定をするのに危険が発生することを予見できたのか、という思考実験を行わざるをえない時もある。その際に通常人から見て予見可能性はあったのかと考えるのである。そうでなければ、被疑者が「自分には危険は予期できなかった」と言えばそれに反する証拠を提出できなければ全て無罪になってしまう。過失犯は立証困難になり死ぬというわけだ。
それと実際上の問題としてわいせつ概念や死者への敬虔の発露の方法が時代や社会によって大きく異なることは留意せねばなるまい。わいせつに関しては女性の胸の扱いとか見ると分かる気がするんだけど、下着姿の女性が公然わいせつになったりというのはある時代ある社会ではありえないことだろう。今の日本では実際に逮捕されたりしてるけどね。死者の扱いもやはりその場所その時の習俗に大きく左右されるのは分かるだろう。だからこそ「一般」「普通人」みたいな限定をかけておいてあまりにも硬直的で時代遅れにならないようにしてる部分はある…のかは分からないんだけどたぶんそう。
ただまあ「一般」も「普通人」も「通常人」も裁判官の想像上の産物しかないので注意を向けなければならないのも確かではある。どうしても恣意的になるしそうなると罪刑法定主義からしてどうなんだって話にはなるし。今回の件も宗教的感情という言葉そのものよりそういうとこが問題なんじゃないかな。
これはもう労働法が妊娠による不利益取り扱いを禁じていて、その労働法が技能実習生に適用されるよう法改正した時点で自明なことなんだけど、何故か未だに妊娠禁止とか恋愛禁止とか決められてたりするんだよねえ…。技能実習生に対しては日本人労働者と同じ扱いしなくていいと思ってるのか、そういうヤバイ労働環境だから日本人が来なくて技能実習生で代替せざるをえないのか分からんけど。
裁判例としては最初期の2013年の地裁判決の内容を紹介しておく。
(事例)
中国人技能実習生の女性は中国の送り出し機関と妊娠禁止の規定を結んでいた。ところが来日し食品加工会社で働き始めてから6ヶ月後に妊娠が判明した。
すると日本の受け入れ団体(監理団体)は妊娠を理由に強制帰国させるべく抵抗する当該女性を拘束して空港に連行した。なおも女性は抵抗し空港で保護される。
こののち女性は流産。女性はこのことで記者会見を開いたため会社に解雇された。
(結論)
技能実習生に対しては非人道的な行為がわりと行われてたりするので法の限界事例みたいなのがしばしば起こる。会社所有の寮にカメラがあって盗撮されてたという事例なんかははてブでも話題になってたが実は日本の法体系の間隙を突いた問題なんだよね。迷惑防止条例は公共の場に限定してることが多いから会社所有の寮みたいな私的空間には適用できず、そういう時に拡張して使われる建造物侵入罪は所有者が被害届を出さないと適用できない。軽犯罪法の窃視の罪にはなりそうだけど、迷惑防止条例と拡大解釈した建造物侵入罪でとりあえず対応しておくという実務というかちゃんと法整備してないツケ。閉店した後の店とかも公共の場ではなくなるので実は真摯に議論する必要がある部分だと思うんだけど、まあこういうことが技能実習制度で分かるというのは平常人間が受けない仕打ちを技能実習が受けやすいということでもあるんだろうなあ。違法状態が常態化してるのおかしいですよ。
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https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/web/17/020800002/021400005/?P=2
「間違った心理学で、男性がこう、女性がこうとか、世の中ではよく言われていますね。例えば、男女の脳の違いとして、男性の方が左右の脳の連携がよくないとか。これには、元になった論文がありまして、1982年に『サイエンス』誌で発表されています(※)。男女それぞれ、脳梁の太さを測ったら、女性のほうが太かったと。でも、この論文のデータは男性9人、女性5人からしかとってないんです。それだけで、女性のほうが左右の脳の連絡がよくできてるっていう結果にしている。そもそも信頼性がないし、その後、いろいろな研究者が再現しようとしたんだけど、結局できてません。今さすがにこれを信じている脳科学者はあんまりいないんですよ」
現在の知見では、少なくとも形態上、男女の脳に違いはない、ということになっているそうだ。しかし、「男女の脳」「脳梁」といったキーワードで検索すると、驚くほどたくさんの結果がヒットして、「脳梁が太いから女性はおしゃべりで、感情的」みたいなことが平気で書いてある。
http://h-kishi.sakura.ne.jp/kokoro-736.htm
▼ 女丁持:庄内米歴史資料館
http://www.city.sakata.lg.jp/bunka/bunkazai/bunkazaishisetsu/syounaimai_siryoukan.html
イルクーツク国立研究技術大学(IRKUTSK NATIONAL RESEARCH TECHNICAL UNIVERSITY)の考古学者らが14世紀に住んでいた30歳~40歳の女性戦士の墓地を、
今夏にフブスグル県で発見した。オルドヒャル1号という発掘ゾーンから当時の女性より体格が大きく、つまり高さ180センチの女性戦士の墓が発見された。
女性を男性と同様に武器と共に葬っていた。調査団団長のアルトゥール・ハリンスキー教授は「モンゴルのアマゾンとも言えるこの女性の男性を勝ち抜ける力持ちだった」と話している。
大きな体格の女性をロングナイフと、斧、弓、銅のボール等の武器と一緒に葬っているのが非常に稀なケースだという。
戦士女性は戦争による負傷痕はなく、重症により死亡したのではと推定されている。女性の歯がほぼ全部落ちており、歯根に生じた穴が顎骨までに進んでいた痕がある。
考古学者らは骨盤と顎に形から女性だと予測し、遺伝調査により判定するという。
ロシアの考古学者らは女性戦士の墓のほか、オルドヒャル2号の発掘ゾーンからもう一つの富豪の女性の墓を発見した。
その女性の墓からヨーロッパ製のアクセサリーが見つかった。学者らは西ヨーロッパ戦争から帰ってきた夫から恋人に与えられた戦利品だった可能性が高いと、
ハリンスキー教授が結論付けている。今回の発掘調査にはモンゴル側からウランバートル大学の教員と学生のチームが参加した。
[MONTSAME] フブスグル県から女性戦士墓地、発見
https://montsame.mn/jp/read/221297
本当は蹴り飛ばして黙らせたいけど、流石にそこまで酷い人間じゃないからやらない。電車の中で遭遇すると音楽聴いてやり過ごすか車両を移動する。
恋人に話したが理解されず「俺は気にならない。訓練してイヤホンなしでも大丈夫になれば?てか電車の中で音楽聴かれると会話できなくてつまらないんだけど」と頓珍漢な回答をされた。試しに音楽聴かずに乗ったが結局イライラは消えず無駄な苦労をしただけだった。クソ
高校生の時、同居の祖母が死んだが悲しむどころか喜んでいた。年寄り独特の腐臭(?)もなくなるし、母が介護している姿を見るのもよろよろ歩く邪魔な姿も見なくて済む。祖母になにかしてもらった記憶はほとんどなく、正月にお年玉くれた事しか有り難みを感じたことはない。むしろ「女の子なんだから正座しなさい」とか面倒くさい事を言われたから嫌いだった。女だから〜とかうぜえって気持ちだけだった。
葬式も知らない親戚が沢山来るし観たいアニメが放送されるから出るのが滅茶苦茶嫌だった。しこたま怒られて渋々出たけど。ちなみに姉は泣いていた。泣くほど思い出あったか?と冷めた目で私は見ていた。
母方の祖父祖母が死んだ時も興味なかった。へー死んだんだ。それだけ。
街を歩いても自分の歩行を妨げるように広がって歩いてるババアの集団が許せないし、ジジイがのろのろ前を歩いてるせいで電車に乗り遅れたら呪いたくなる。
困ってる人を見ても助けたいとか思わない。呼ばれたらなんかするんだろうけど。
両親が死んだら我が家の墓は共同墓地なりに移そうと思ってる。やや遠方の墓まで行く足がないし何よりも面倒くさい。
どうせ結婚できないのはわかってるから私が死んだ時の事だけはしっかり考えようと思う。
我ながら人の心がないなーって思うけど、自覚したからって人の心を得られるものではないし別に当人を直接攻撃してるわけじゃない。そういう人間になってしまったから仕方ないよねって思ってる
仏「すばらしい日だわ。我らが共和国大統領がようやく痛い目に遭ったわよ」
仏「胸がすく思いね!日本はなぜスガの横っ面を引っ叩かないの?だから日本は遅れてるのよ!hihihi!
まあ冗談は置いといて、私はマクロンは大嫌いだけど、テロにも繋がる危険なアクシデントなので、手放しでは容認できないわね。
増「言いたいことはわかるよ」
仏「ところで日本のミュズルマンが土葬を請願したっていうニュースをあなたは知ってる?」
増「さあ」
「はえ~、そんなことがあるんやな。都道府県に1施設って随分欲張りね」
仏「気をつけてよ。モスクができるまで秒読みよ?」
増「まあ日本はラシスト(笑)だからミュズルマンだろうとそうでなかろうとまず突っぱねるだろうね」
仏「それは賢明ね。かれらは自分の宗教の要求は最大化させるし、キリスト教その他の文化は最小化させる。
メリークリスマスすら言えないのになぜブルカを容認しなくちゃいけないのか理解に苦しむわ。
増「・・・ま、まあポリティカル・コレクトネスの時代だしね」
仏「増田ね、これはポリティカル・コレクトネスではないの。宗教的正しさよ。
宗教的正しさは絶対だから、自分の宗教は最大化し、そうでない宗教は最小化させるの。
増「お、おう」
仏「まあジャポンは狭いからね、棺を入れるような墓場なんてつくるスペースないだろうけど」
増「そうか、土葬は火葬に比べて場所取るんだね。気づかなかったな」
仏「棺桶高いのよ」
仏「火葬ね。まあ衛生的で合理的だとは思うけど、ダンナの親戚の不幸で葬式に出たけど、あれは衝撃的だったなあ。
遺体と面会して、しばらくしたら灰と骨になってる。で、骨をバゲットで拾うわけ。随分酷いなと思ったよ」
増「そうか、酷いって感じるもんなんだな」
増「でもgoogleやヤフーのニュース見てたけど、そのニュースは目につかなかったな。
日本ではイスラム教の影響力はさほどでないってことじゃないかな」
仏「それが一番。もちろん宗教的差別は絶対に許してはいけないけど、
異郷の地で自分の流儀を100%押し通そうというのは異郷の文化へのリスペクトの欠如よ。
あとワクチンの話
仏「イギリスではワクチン接種率が順調に高まっているのに、感染はむしろ増えている。
フランスはイギリスの後追いをよくするので、我が国もいずれそうなるだろうね」
増「へえ。こないだ動画見せてもらったけど、ロックダウン解除とかワクチン普及とかグッドニュースがあるたび、
仏「それはそうだけど、そもそもワクチンの効果自体をもう少し疑った方が良いよ。
増「というと?」
増「ワクチン接種は増えてほしいけど、私は打ちたくないなあ」
仏「Très Bien。打ちたくないというのがまともな判断。ただ緊急事態に限ってまともな判断も再検討されて良いでしょう。
欧米は感染爆発したので、リスクを取ってでもワクチンを打つという選択肢は仕方がない側面はある。
私もフランスに居たら、家族のためにも打つ必要を検討したわね。
増「ん?」
仏「考えても見て。”ワクチンは副作用があります。でも安心して下さい。副作用の確率は限りなく低いです”
こう説明されるはずでしょ。
”コロナは感染力の強いウイルスです。でも重症化する確率は限りなく低いです”
コロナに罹るのはどうしようもない。でもワクチンは選択できる。選択できるなら、リスクを回避するのが当たり前でしょ?」
増「???ごめんよくわかんない」
仏「感染者数もコロナ死亡数も"他に比べて"(entre guillemets)圧倒的に低い日本では、リスクは均衡しているってことよ。
欧米では感染リスクの方が圧倒的に高いからワクチンを受け入れざるを得ない。
でも日本はコロナのリスクが”欧米に比べて”大したこと無いんだから、ワクチンのリスクを恐れて拒否することは当然の合理的な選択ということよ。
ワクチンを打ちたい人は打てばいい。でもワクチンにリスクが有ると思うのなら、そのリスクを回避するのは合理的でしょ」
増「そのりくつはおかしい。コロナが重症化するリスクは限りなく低いってことはないでしょ」
仏「だったらワクチン打ちなよ。コロナのリスクがワクチンのリスクより遥かに高いって判断するならね。
でも考えようによってはワクチンのリスクとコロナのリスクは同じか、むしろワクチンのリスクが高いって見方もあるでしょ?ってこと」
増「おぅ・・・」
仏「コロナのリスクがワクチンより高いならワクチンを打ちなよ。リスクがイーブンなら、感染症対策バッチリした上でのワクチン拒否も合理的。
でもコロナリスクよりワクチンリスクが高いならワクチンを打つ方がバカでしょ。増田はどう考える?」
ワクチン摂取増えろ増えろ、でも私はギリギリまで打たないぞー、ってスタンスだったからあんま考えてなかったや」
仏「合理的だろうと非合理的だろうと人にはそれぞれ考えがあるし、それは認める(Je le constate)。
でも私は理屈に合わない話を受け入れるつもりはないな」
増「なるほど」
mont-joie:マクロン襲撃者が言ったらしい言葉。解説聞いたけどよくわからんかった。
avoir failli~:危うく~するところだった
avoir pour objectif de:~する目的で
déficit:不足。manqueとどう違うんだろう。
cercueil:棺
crémation:火葬。incinérationとも言う。
constater:確認する、認める。同意ではないがその意図はわかる、的ニュアンス。
「 Je ne suis pas d’accord avec ce que vous dites, mais je me battrai jusqu’à la mort pour que vous ayez le droit de le dire」的なヤツ?
と聞いたらまあそんな感じかしらとのこと。
遺族の高齢化や疎遠化もあり台風などの災害のたびに損壊が進んでいる。
特に台風の後にはボランティアで墓石の見回りと清掃と素人に出来るだけの修復は行なっているがとにかく人手が少なく修復しきれない墓石も少なくない。
重機を出してくれるご近所の工務店さんはご高齢にも関わらず地域のためだからと手弁当で参加してくれる。
声をあげ口を出しお金を出すだけなら手を上げる人は沢山いる。
しかし災害時に時間を問わず駆けつけ、翌日以降も仕事が始まる前の早朝にわざわざ時間を作って毎日手伝ってくれるような現場で役に立とうとしてくれる人は本当に少ない。
インターネットで気持ちよく愛国談義を交わすのもよろしいが、少しばかり早起きして自分の手足を使いご近所や地域の役に立つのも愛国者たるものの使命ではございませんか?
海外ファンタジーに関する情報収集なんだけど、それ系の海外のブログを見るか
日本でも翻訳が出ている(出てない?)マークローレンス(Broken Empireとか。個人的にはBook of the Ancestorシリーズの方が好き)が主催している(?)らしいSPFBOという賞を探してみると自費出版系の作品を見つけやすい。
あと、よくよく考えたらイマイチの作品を紹介しても意味がないかもしれない。
ものすごく有名な作品(ロビンホブのアレとか)は入れてないです。
そもそも、なぜこんなまとめを書こうと思ったのか、いま思い出した。この本を紹介したかったのでした!!
Fatherと呼ばれる人物に集められた孤児たちは、彼の秘密の力を授けられる。
そのFatherが行方不明になり、Fatherの秘密が隠されたLibraryを狙って……
みたいな、あらすじとかどうでもいいから読んで。
主人公のCarolynは全ての言語、動物の言葉も含めて理解できる。
初っ端で出てくる登場人物の一人のDavidは血液と髪の毛を固めたヘルメットをかぶりチュチュを履いている殺し屋。
ダークだけど、最終的には昇華して終わる感じ。
ちなみに作者名で検索するとLinuxがどうのこうのとかApacheがみたいな本が出てくるけど、同一人物らしい。
「The Chathrand Voyage」シリーズの作者 Robert V.S. Redickの新シリーズ。まだ二冊しか出てない。しかし読んで損はしない。
一巻目の「Master Assassins」はカバーのエピックファンタジーっぽさもあって、ちょっとD&Dや剣と魔法ものと勘違いしちゃうんだけど、読んでみると全然違う。
内容には触れないけど、「殺し屋に間違われた二人組の逃走劇」と聞くと面白そうでしょ?
なぜなら、とんでもなく嫌な女(皇帝の子供3人のひとり)が登場して、主人公ヅラをするからだ。ちなみに、3人とも間違った決断ばかりします。
この人の「Night Angel」三部作は大好きだけど、これはいまひとつ入り込めなかった。最初からスケール大きすぎて、ちょっとリアリティを感じなかったせいかもしれない。
でも完全に好みの問題です。
「It has been generations since the Northlands have seen a hero worthy of the title. Many have made the claim, but few have lived to defend it. Timid, weak, and bullied, Wulfric is as unlikely a candidate as there could be. 」
よく考えたらComing Of Ageが好きなようだ。
まだ2巻までしか読んでなかった。
とても文章が達者な人だと思う。その分一生懸命読む必要があるような。
独特な世界観。読んでて辛くなるかもしれないので好き嫌いが分かれと思う。
ここ20年くらいは、かなり捻った世界観の小説が増えているようで嬉しい。
いちおう3冊で一通りの話は終わってるはずだけど、いま見たら続きが出ていた。
「A war fueled by the dark powers of forbidden sorcery is about to engulf the Ascendant Empire. Agerastian heretics, armed with black fire and fueled by bitter hatred, seek to sever the ancient portals that unite the empire - and in so doing destroy it.」
よくある光と闇の対決。
「暇があればどうぞ」にするか悩んだんだけど、こっちにした。
なぜなら設定はつまらなそうなのに、読んでみたらなぜか楽しい、そんな作品なので。
ちなみに、設定は「完璧なスーパーマンとして孤立した世界で育てられた男が、外の世界で大活躍する」というお話。案の定、この完璧な男は女性の気持ちが全くわからないという設定。とにかく女性関係以外は全て完璧なので、戦いで負けることはなく、むしろワンパンマン的な圧勝しかしない。その上、殺し屋ギルトや盗賊ギルトの長に簡単になってしまったりるする。すごいぞ、こいつ!
ファンタジーに入れていいんだろうか?現代物でミステリーなんだけどファンタジー要素もあり。
とある田舎町で人々が埋葬のため墓地に集まっていた。その近くで飛行機が墜落して消防隊が現場に向かうんだけど、途中で一人の男とすれ違う。男は記憶をなくしていた。
男は、さっき埋めたばかりの人間を助けるためにきた、らしい。
みたいな話。
達者だわ、が感想。
色々書くとネタバレになるけど、語り手は岩で、終始「Youは」って二人称で語りかける。ジャニーさんかな。小粒だけどなかなか。
とても評判の高いシリーズ。でも一巻でやめた。なんだかリアリティがないのである。やはり、ジュブナイルなのかな。
くだらない内容でも Will Wightの作品は楽しく読めるんだけど、何が違うんだろうね。
翻訳されていると思うので、入れなくていいのかもしれないけど読んだので入れた。
一巻はまあまあだと思う。2巻以降は耐えられなくなる。それが何かもう忘れてしまった。頑張って4巻まで読んだけど。徒労感だけが残った。
これも割と古き良き光と闇の戦い。
https://anond.hatelabo.jp/20210601142224 に触発されて。
このような考えの経営者が巷に溢れかえっているならそのとおりになるだろうし、元増田の言う時給1500円以下の仕事しかできない人が職にあぶれて困るという世界もありうるかもしれないが、まあそんなことは起こらないなと思うのでなぜそう思っているか説明する。
自分は自社経営しつつベンチャー何社かの経営に携わっている。業種はざっくりITとだけ。
"時給1500円の仕事"より高い仕事ができる人間を週に1時間だけお願いしますだとか、土日の暇な時間だけでいいんでとか、フリーランスな高給取りに少し相談させてくださいだとかで本来時給1500円以上の人間を1500円以下で雇おうとするハックはすでに発明されまくっている。例えば技術顧問料月1万円、週1回1時間相談に乗ってくれます。という契約でもなんだかんだと日々雑談の体でいろいろ質問し使い倒すことで結局月20時間ぐらい拘束していて、時給換算で500円くらいで働かされているケースというのはある。
元増田は最低時給が1500円になると生産性の高い人間の給与は下がるというが、基本給を下げるというのは並大抵のことではない。まぁ従業員に訴えられる覚悟の上かパワハラ地味た説得を伴えばいけると思うが、そこまでやるならいっそ一回会社畳んでしまったほうが楽である。なので既存の従業員の給与を下げるという方針はあまりないだろうが、残業代を払いたくないので残業するなと口酸っぱくなるか、無料残業しろと圧力をかけるかの二択になるので、無料残業を強いられた従業員がいれば即労基に行って会社を潰せ。
ベンチャーに限らず大企業であっても「この後の仕事につながるから」とか「実績作りだから」とかで人間を不当に安く使う方法はすでに存在し、十分に悪用されているので増田が心配するようなハイスキルな人間のえる金が減ってかわいそうになる、という事態はおそらくこない。先に上げたようなご相談がハイスキルな連中にどんどん舞い込むようになり、一時的にむしろ収入は増加する可能性すらある。ただし、自分にカードが回ってきた時は無言で墓地に入れたほうがよい。
自分の関わっているベンチャーでも「という感じでお知り合いの方に少し手伝ってもらうなどできませんか?」と聞いてくる役員・コンサルタント・クライアント・従業員はいるが、すべてに曖昧な笑顔で「うーん、自分はそんなに知り合いが多くないものでして」と断っている。まともな値段が提示できている場合のみ知人に話を振ってみる程度である。
企業は当然に正社員登用に対して消極的になる。正社員を解雇するのは大変なので、解雇したい時に解雇できる契約形態をできる限り取ろうとするだろう。
その状況こそを自分はまさに望んでおり、つまりは会社というのは簡単に首を切るものであって、首を切られたからといって人間的・人格的問題があるとイコールにならない世の中になってほしいと思っている。最低時給を保証できない企業が増え、倒産や解雇が続発すればするほど、解雇された側の瑕疵はあまり気にされなくなり、社会でよくある出来事のひとつになっていく。
元増田は簡単に転職しましょうと言うが、はっきり言って日本社会における転職の難易度は異常に高い。スキルの有無以前に「会社を辞めるやつ」という人間への経営者の憎悪が凄まじすぎる。経営者は概ね会社と自己を同一視しがちだが、日本企業の経営者のそれははっきりいって異常としか言いようがない。風邪を引いて会議を休んだ人間に対して「お前は会社を裏切っている」とか平気で言う経営者が出るのはおかしいことに気づいたほうが良い。最悪でも裏切られたのは予定をすっぽかされた経営者自身であり、会社への裏切り行為ではない。
面接で「転職歴が多いですね」と鬼の首を取ったように言う人事担当者に「ええ、仕事が片付いたので契約終了で離れました」と朗らかにいえる社会になってしまって、ぽんぽん転職していいという社会になってくれないと、人生最初に入った会社がブラックかどうかの2択でその後の人生まで破壊される、というような不幸な若者は減らない。とにかく退職履歴がより軽視されるようになってほしいし、そのためには企業が人を切るに足る理由が必要で、その最たるものに最低時給が上がった結果雇い続けることの出来ない会社が増えました、というロジックが成立するなら自分は万々歳である。
現在でもSIなどでありがちだが、働いているかぎり赤字になる社員というのは常にどこの会社にも存在し、そういう奴に投資できるかできないかが大企業の境目になるので今と変わらず新卒を取る会社は取って教育をして転職していくし、その体力がない会社は新卒を取らず上記に書いたような邪悪な方法ですでにスキルのある人材をどうにか安く使おうと頭をひねるだけだろう。
経営者たちの「かっこいい」ポイントのひとつに「新卒取って教育に力入れてます!」がある限りそれはなくならないだろうし、ほとんど宗教的にどの経営者も「金ができれば新卒取って教育からやりたい」とのたまっているので、この点はそこまで心配するようなことではないように思う。自分の考えでは、潤沢な資金を用意して中途を取ったほうが良い。教育は経営者の趣味に近く、趣味ならば社の3%程度の予算で贖える程度の範囲に納めたほうが良い。
もちろん、最低時給が上がることで今新卒採用・教育が出来ている中小企業が出来なくなるという未来は大いにありうるが、その程度で新卒を取れなくなる企業で積める新卒教育経験などおそらく大したものではないので考慮に値しない。
というかいっそ新卒採用というものはものすごくレアかつハイレベルなキャリアパスであって、普通は新卒で正規雇用就職など出来ないのだから、短時間で働きながらより実務に近い学びをする、というのが世の中のスタンダードになったほうが新卒市場で無意味に疲弊していく若者を減らせるかもしれない。新卒諸君に罪はないが、社会構造に罪があるので新卒市場は早めに崩壊してほしいものの一つである。また当然、働きながら学ぶというのが成立するためには短時間の労働で生活費がまかなえる必要があるので、むしろ最低時給は向上しないとこれが成り立たない。
これには反対。誓ってもいいが最低時給を撤廃してそのような動きをする企業はあくまで理想家が起業した一部起業であり、その理想家は大抵社と自分を同一視しておりトンチンカンな説教をし人間を壊す。はっきり言って「最低時給が下がったし、うちも安く雇って教育からやろう!」と言い出す奴にまともな教育のプランはないので、結局安い金でこき使われ何をしているのかもわからない機械の部品みたいな労働がはびこるだけでしかない。
もっと人件費が安ければ教育もできるのになぁ、と言っている奴らは教育をしたいのではなく、安く使える(今無能な)人間に俺が物を教えてやろう、という気持ちよくなるためのプロセスを踏んでいるだけにしか思えない。本当にその教育に価値があるのならば、時給1500円払った上でその教育に1時間500円払わせればよい(会計上可能かちょっと怪しいが)。従業員がその教育に価値を感じるなら500円喜んで払ってくれるであろう。そうすれば時給1000円で使えて教育もできる。
想像してみてほしいのだが「新卒には時給2000円も払うんだからきちんと教育プラン考えないと無駄金になっちゃうぞ」と襟を正すのと「時給500円ぐらいなんだしまぁ教育が終わったら賃金上げるってことで」と構えている2社ならどちらの方がまともな教育を実施しそうであろうか。
それはない。先に述べたように正社員の給料を下げるというのは大変な苦労を伴うため、基本的に経営者は正社員の給与を上げたくない。クビにするのも難しいので、本人が辞めると言わない限り続くコストが増大していくなど経営者からすればたまったものではない。 なので雇った社員の給与は据え置きにしたいし、ボーナスで還元するからと嘯きながらだましだまし進めたい。そして経営者は従業員が転職をそうそうしない(できない)とも思っているので、給与が上がらなければ転職してやります〜という脅しもあまり効果がない。本当に転職された時にしまったな、と思う程度である。
基本的にサラリーマンが給与を上げるには、1. 上げるに足る実績を作る 2. その実績をレポートラインに対して強くアピールする 3. 無視できない定量的な成果と定性的な理由を作る 4. その上で会社に金がある、というステップが必要だが、どんなレポートがあがっても4の「今は金が無いからいつか還元するね」は倒産するまで言える。なので日本企業において昇給というのは勤続年数による「そろそろ上げないと真剣にやばそうだな」程度のタイミングでしか実行されず、その上昇幅は概ね入社時の給与によって決定するため、最低時給が下がればそれだけ全体の昇給幅も下がると見ている。
最低時給が上がった程度で社内IT化などが成功できるような先見性や判断力のある企業はすでにIT化なり機械化なり進めているだろうから、最低時給による影響はない。その雇用カットは起こるべくして起こる。あったとして中小が人件費向上に伴ってなんとかしようとIT化を進めようとして失敗して無駄金失う程度のことしか起こらない。結果、ファジーな入力でも何らかアウトプットしてくれる人間の方が便利なのでひーひー言いつつ人間を雇うことになる。
なので時給1000円だった仕事が時給1500円になる以上の変化は起こらないだろう、と思う。あるいは1500円になることで生活に余裕が出るとしたら、アルバイトの人手不足などが起こる可能性はあり、むしろ失業率の低下に寄与するのではないか。
思いつくまま文を打ったので読みにくければ申し訳ない。苦労して読んだのに大したことは書いてなかった、と言われても申し訳ない。
経営に携わってきた中で思うことは、経営者というのはサラリーマンをやったことがないか、サラリーマン時代の記憶が消えているとしか思えない出来事や言動が多く、こいつらは果たして自分と同じ人間なのだろうかと感じるシーンが非常に多い。そして、多くの経営者がそうなってしまう理由もなんとなく理解できてきている。
経営には決定・判断を必要とされるシーンが多く、逆に手を動かすとか実作業めいたものを行うことは経営者がやるべきでないと教えられることが多い。なので、営利活動において最も気持ちいい「決定を下す」、という瞬間と俺はこんなにもお前らや会社のために考えて悩んでいるのに、という判断のストレスが相まって、会社と自分を切り離して考えられなくなっていくように思う。だからこそ会社の金を不当に多く得ようとする労働者が泥棒のように感じられるし、自社の事情を顧みず最低時給をせーので上げるなどという施策に対してはつよい怒りを覚えるだろうと思う。
最低時給向上反対という意見にも価値があるし、元増田の危惧するところが一概にすべて問題ないと言い切れるものではないと思いつつ、こういう考えの経営者もいるのだという一例程度になれば嬉しい。
遅まきながら春がやってきた。
仕事をサボって、馬車でバザーにいく。
まず入口の墓地コーナーからして賑わっている。にぎにぎである。平日午前中なのに。
どんだけバンシー並べんねんと思ったのは、バンシーしかわかる怪物がなかったからだろうか。
奥の方にはわけわからん苗コーナーがあり、足腰ガクガクな元勇者おじいちゃんおばあちゃんもここでは元気である。達者での。
店内に入ると馬車コーナーがおっぴろげられていた、が、スルー。馬にもたくさん種類あるけど、あんなに必要なのか?私はよく知らない。多分知ることもない。ウマ娘はそこそこ好き。
さてお目当てはペットコーナーである。ここのアクアブレスはめちゃくちゃラーニングしやすい。アクアブレスはたしなまないが、モンスターのおさかなはきれいだなと思う。やってみたいな、とは思うが、おそらく私は1週間で新ジョブに飽きてしまうだろう。妄想の中のおさかな達、ごめんなさい。
食品コーナーではメイクイーンちゃんが売ってた。プライスダウンで190,000円。奇しくも今日は給料日である。こんな値段で売れるのか…?と思ったが、今月の手取りは19,600円くらいだった。消費税を入れると足らない。きっと私よりも経済力があって、温かいファミリーが引き取ってくれるだろうと期待と祈りをこめながらその場を離れた。野菜コーナーはかわいいという感情よりも、売れ残った時のことを思ってしまいもの悲しくなる。生産者の顔が走馬灯のように浮かぶ。いや、数秒で忘れる。
かぶとむしやクワガタも売っていた。おじいちゃんが店員とあれこれ話しながら見ている。孫にでもプレゼントするのだろうか。
気を取り直して2階の神具コーナーへ行く。ロングソードがほしい。
だがロングソードの取扱いが少ない。お目当ては見られなかったものの、神具コーナーはたのしい。新しい生活への希望を感じられるような雰囲気がある。スライムの一匹でもしばき倒したくなるというもの。もしかすると展示から感じられるものかもしれない…売り場ご担当者様いい仕事しているぞ。
あまり長く見ていると、ギルドに戻ってお小言なりちょっとした問答(混んでた?系のやつ)があってボロを出すといけないのでそろそろ戻るとする。
お店を出ると園芸コーナーとともに、はるか遠くにヤマ(閻魔大王)が目に入る。こないだ死んだ際に出会ったことがあるが、最近では肉眼で見えるらしい。そのまにはまだまだ亡者の列が並んでいた。短い春がはじまったなーとおもった。
店内の酒場で仲間を集めればよかったなでもこれ以上遅くなったらやべーな…などと葛藤しながら、少々暑くなった馬車内に戻り、帰路についた。