はてなキーワード: 一朝一夕とは
噂話が絶えない船→goship
白昼堂々ヒルクライム
千夜一夜/一粒万倍/一日千秋/一石二鳥/七転八倒/二束三文/八十八夜/三々五々/十人十色/千載一遇/一期一会/一栄一辱/一攫千金/一望千里/一喜一憂/一向一揆/一進一退/百姓一揆/百人一首/三位一体/一都六県/百発百中/一朝一夕/一言一句/一汁一菜/三寒四温/一挙一動/一国一城/万世一系/一世一代/千差万別/五代十国
一都六県に含まれるtrocken
美容師が住んでる岬→襟足岬
ありがたい寺→御の寺
疑似餌のジビエ
舌鋒鋭い蜂
すかしっぺ/スカラシップ
煙に巻かれたフィリップモリス
ロキソ人(ろきそんちゅ)
ビザン人(びざんちゅ)
啼き声がGAFAの烏
UMAの馬
ジュラ紀/受話器
ビビッとくる鮮やかさ
wisdom teeth/親知らず
ボー君/暴君
コニャック/こんにゃく
試してgoddamn
コックの訛り→コックニー
名前がローチのコック
酒「人を飲んでも飲まれるな」
むざむざに含まれるザムザ
うーんガンダム
仁和寺の法師→ドツボにハマる
ヴォルリモート
山→n字谷
全然やりたくない人→やりたいのは川川ですが..
ひらくごま
水質オタク
絵売りピデス
さすが官房長官
カルツォーネは重い
明るい寺→カン寺
猪突猛進する豚
ラクダに乗った人「楽だな」
掛け値なし(税込)
ベルリン昼ハーモーニー
うるさい猫じゃらし→猫じゃかし
苔のムース
予告された殺人の記録↔︎受胎告知
物憂い株主
春眠打破
ハーシム家/拍子抜け
有無を言わせるな「うむ、分かった」
哲学書→形而モノ
聖書→啓示モノ
メメント森
地上のもつれ
この誰何(Suica)だれの?
予備のスペアリブ
お好み焼きが嫌いな人
焦点をshorten
掛け算で答えを割り出す
あるざますロレーヌ
夫妻肺片↔︎親子丼
心行くままに書く→まにmanuscript
頭抜けた手腕
東大前頭葉
親のコシヒカリ
アタワルパ「能うるか?」
非jokin’ 講師
新宿ぴえん
声が低いハスキー犬
八十八夜の二子玉の五十六と、四十九日の九十九里の三四郎のミニ四駆
十+八十八ハ/10+88=
88歳に似合う色→ベージュ
すごい夢中な人→ゴリ夢中
onの字
さだまさしの妻「そんなせっしょうな」
Uber「同乗するなら金をくれ」
nicheもsuchもいかない
鋭意ままよ
麦とホッブズ
金曜労働しよう
マシンガンの真贋
ドッジボールの在野
包丁とかけて露と解く→どちらも刃/葉の淵から零/毀れるでしよう
珈琲とかけて狂言回しと解く→どちらも引き立てが美味い/上手いでしょう
製紙とかけて調髪と解く
→どちらも髪を梳く/紙を漉くでしょう
噂話が絶えない船→goship
白昼堂々ヒルクライム
千夜一夜/一粒万倍/一日千秋/一石二鳥/七転八倒/二束三文/八十八夜/三々五々/十人十色/千載一遇/一期一会/一栄一辱/一攫千金/一望千里/一喜一憂/一向一揆/一進一退/百姓一揆/百人一首/三位一体/一都六県/百発百中/一朝一夕/一言一句/一汁一菜/三寒四温/一挙一動/一国一城/万世一系/一世一代/千差万別/五代十国
一都六県に含まれるtrocken
美容師が住んでる岬→襟足岬
ありがたい寺→御の寺
疑似餌のジビエ
舌鋒鋭い蜂
すかしっぺ/スカラシップ
煙に巻かれたフィリップモリス
ロキソ人(ろきそんちゅ)
ビザン人(びざんちゅ)
啼き声がGAFAの烏
UMAの馬
ジュラ紀/受話器
ビビッとくる鮮やかさ
wisdom teeth/親知らず
ボー君/暴君
コニャック/こんにゃく
試してgoddamn
コックの訛り→コックニー
名前がローチのコック
酒「人を飲んでも飲まれるな」
(3) 要約
むざむざに含まれるザムザ
うーんガンダム
仁和寺の法師→ドツボにハマる
ヴォルリモート
山→n字谷
全然やりたくない人→やりたいのは川川ですが..
ひらくごま
水質オタク
絵売りピデス
さすが官房長官
カルツォーネは重い
明るい寺→カン寺
猪突猛進する豚
ラクダに乗った人「楽だな」
掛け値なし(税込)
ベルリン昼ハーモーニー
うるさい猫じゃらし→猫じゃかし
苔のムース
予告された殺人の記録↔︎受胎告知
物憂い株主
春眠打破
ハーシム家/拍子抜け
有無を言わせるな「うむ、分かった」
哲学書→形而モノ
聖書→啓示モノ
メメント森
地上のもつれ
この誰何(Suica)だれの?
予備のスペアリブ
お好み焼きが嫌いな人
焦点をshorten
掛け算で答えを割り出す
あるざますロレーヌ
夫妻肺片↔︎親子丼
心行くままに書く→まにmanuscript
頭抜けた手腕
東大前頭葉
親のコシヒカリ
噂話が絶えない船→goship
白昼堂々ヒルクライム
千夜一夜/一粒万倍/一日千秋/一石二鳥/七転八倒/二束三文/八十八夜/三々五々/十人十色/千載一遇/一期一会/一栄一辱/一攫千金/一望千里/一喜一憂/一向一揆/一進一退/百姓一揆/百人一首/三位一体/一都六県/百発百中/一朝一夕/一言一句/一汁一菜/三寒四温/一挙一動/一国一城/万世一系/一世一代/千差万別/五代十国
一都六県に含まれるtrocken
美容師が住んでる岬→襟足岬
ありがたい寺→御の寺
疑似餌のジビエ
舌鋒鋭い蜂
すかしっぺ/スカラシップ
煙に巻かれたフィリップモリス
ロキソ人(ろきそんちゅ)
ビザン人(びざんちゅ)
啼き声がGAFAの烏
UMAの馬
ジュラ紀/受話器
ビビッとくる鮮やかさ
wisdom teeth/親知らず
ボー君/暴君
コニャック/こんにゃく
試してgoddamn
コックの訛り→コックニー
名前がローチのコック
酒「人を飲んでも飲まれるな」
(3) 要約
むざむざに含まれるザムザ
うーんガンダム
仁和寺の法師→ドツボにハマる
ヴォルリモート
山→n字谷
全然やりたくない人→やりたいのは川川ですが..
ひらくごま
水質オタク
絵売りピデス
さすが官房長官
カルツォーネは重い
明るい寺→カン寺
猪突猛進する豚
ラクダに乗った人「楽だな」
掛け値なし(税込)
ベルリン昼ハーモーニー
うるさい猫じゃらし→猫じゃかし
苔のムース
予告された殺人の記録↔︎受胎告知
物憂い株主
春眠打破
ハーシム家/拍子抜け
有無を言わせるな「うむ、分かった」
哲学書→形而モノ
聖書→啓示モノ
メメント森
地上のもつれ
この誰何(Suica)だれの?
予備のスペアリブ
お好み焼きが嫌いな人
焦点をshorten
掛け算で答えを割り出す
あるざますロレーヌ
夫妻肺片↔︎親子丼
心行くままに書く→まにmanuscript
頭抜けた手腕
東大前頭葉
親のコシヒカリ
副業系の情報商材は誰でも成功できるアイテムじゃなくて、成功する機会の提供である。
そこから実際に成功できるかは、本人の行動力とパーソナリティと運しだいなのだ。
つまるところ、商材なんて買わずともそれなりに上手くいきそうな成功できる素質のある人間にしか商材たり得ないのだ。
副業とは要するにビジネス。他者との競争であるが故、成功し続けるのには差別化は必須である。
ただ、差別化なんてそう簡単にできるなら誰も苦労はしないし、当然差別化できなければ埋もれるしかないのも自明。
とはいえ差別化するには、専門的で高水準かつ大衆にうける趣味、特技でもなければ困難だろう。
しかしながら、大多数のなにも積み重ねてこなかった人間が一朝一夕でどうにかなるレベルの問題ではない。
天啓の如きアイデアをひらめくのを待つのもいいが、その間にも自由に動ける時間は刻一刻と減っていく。
そもそも、成功できる人間は「商材を買ってから」なんて悠長なことは考えず、既に行動を始めていることが殆どだろう。
その金で宝くじでも買ったほうがまだ夢を見られるのではないだろうか。
民主党寄りのメディア関係者たちも「鳩山総理は逆転ホームランになるような、何かアイデアがあるのではないか」と言っていた。
実際には、そんなものは無かった。
枝野幸男の支持者たちは、立憲民主党の情報発信について「小出しにしているだけで、良い政策のアイデアはこれから出してくる」と言う。
鳩山由紀夫の記憶を失っていない有権者は、枝野幸男も鳩山と同じではないかと疑っている。すなわち、ありもしない良いアイデアを持っているかのように偽っているだけだ、と。
自民党が言う「悪夢のような民主党政権」は、明らかに言い過ぎだろう。しかし、三味線を弾いて有権者を騙したことは総括が必要だろう。
自分たちは自民党と違うというならば、自分たちの過ちを振り返り、鳩山由紀夫が嘘をついたと素直に認めるところから再出発してはどうだろうか。どうせ一朝一夕で支持率が回復するわけではないのだから。
日向勃興
サラリーマン予想
急ごしらえのハイサーグラフ
前途洋々前頭葉
買ってよかったものという表現は、どうでもいいものをたくさん買っていることを示唆している
アッサムに着いた人「あっ寒」
大笑いしてごまかす→へそで沸かした茶を濁す
舌打ちするゲバラ
いざこざ/イコイライザ
矢を売ってる店→矢屋
大童↔︎ちっちゃいおっさん
ペン付きの剣
血で血を洗う共洗い
海をデカい水と言う人
偽物のバッタ
いずくにか/ゆめぴりか
棚を見た人「棚だなあ」
自腹↔︎他背
狭い城→2畳城
一晩置くという指示は、昼間に起きていることを想定している
犯罪者だらけの町→犯し町
群馬↔︎県牛
海開き↔︎山閉じ
ガンジー→塩ニズム
餅の写真
石の上にも桃栗三年柿八年
2度あることは3度目の正直
泣きっ面に蜂の巣をつついたような
犬も歩けば棒になった足にあたる
雀、三子の魂百まで踊り忘れず
掃き溜めに鶴の一声
上にたんこぶがある目から鼻に抜ける
怖い仕返し→疾病がえし
猫ひろし↔︎猫の額
月に雁の贋作
若きウェルテルの悩み/若くて売れてる人の悩み
嘘をつく麦→lie麦
ファンであることを言おうとしてモンゴルの君主になってしまった人→「大ハーンなんです!」
ラッパーが好きな飲み物は何かな?→ジントニック(ライムが入っているから)
ポルター概すと
誰かの前をずっと歩き続ける逆ストーカー
ワンダー惚ける
内科医/神内豊
自衛官/大伴真純
噂話が絶えない船→goship
白昼堂々ヒルクライム
千夜一夜/一粒万倍/一日千秋/一石二鳥/七転八倒/二束三文/八十八夜/三々五々/十人十色/千載一遇/一期一会/一栄一辱/一攫千金/一望千里/一喜一憂/一向一揆/一進一退/百姓一揆/百人一首/三位一体/一都六県/百発百中/一朝一夕/一言一句/一汁一菜/三寒四温/一挙一動/一国一城/万世一系/一世一代/千差万別/五代十国
一都六県に含まれるtrocken
美容師が住んでる岬→襟足岬
ありがたい寺→御の寺
疑似餌のジビエ
舌鋒鋭い蜂
すかしっぺ/スカラシップ
煙に巻かれたフィリップモリス
ロキソ人(ろきそんちゅ)
ビザン人(びざんちゅ)
啼き声がGAFAの烏
UMAの馬
ジュラ紀/受話器
ビビッとくる鮮やかさ
wisdom teeth/親知らず
ボー君/暴君
コニャック/こんにゃく
試してgoddamn
コックの訛り→コックニー
名前がローチのコック
酒「人を飲んでも飲まれるな」
むざむざに含まれるザムザ
うーんガンダム
仁和寺の法師→ドツボにハマる
ヴォルリモート
山→n字谷
全然やりたくない人→やりたいのは川川ですが..
ひらくごま
水質オタク
絵売りピデス
さすが官房長官
カルツォーネは重い
明るい寺→カン寺
猪突猛進する豚
ラクダに乗った人「楽だな」
掛け値なし(税込)
ベルリン昼ハーモーニー
最近多くの企業で、人事制度を「ジョブ型」へ移行する動きが目立つ。なぜならリモートワークとの相性がよいからだ。欧米企業のようにジョブ型であれば、仕事を切り分けてリモートで仕事を進めやすいが、メンバーシップ型の場合はそうはいかない。
リモートワークは欧米を中心に広がってきた働き方だが、欧米企業においては働き方もジョブ型で、仕事を個人に切り分け、成果も無理なく評価できる。一方のメンバーシップ型は、出社して同じ「職場というハコ」の中で一緒に働くことを前提とし、メンバーの役割を柔軟に調整するため、個人の成果の評価には困難が伴う。
日本はメンバーシップ型の働き方が一般的な中、突然リモートワークに移行したため、極端なミスマッチを起こしてしまった。リモートワークを実施するならば、個々に仕事を切り分けるジョブ型への移行が不可欠なのだ。
ジョブ型へ移行するには、仕事の成果を適正に評価できなければならない。そのためには、仕事の進め方もより個人の責任を明確にする方向へ改めなければならない。さらに仕組みを整備するだけでなく、評価する側のスキルも必要になってくる。さらには、メンバー全体が新しい働き方を受け入れるよう、価値観のシフトも必要となるのだ。
日本においてはメンバーシップ型組織の歴史は長い。「中世以降、ムラ社会が成立し、環境に最適化するために相互監視的な集団主義が浸透していったから生まれた考えだ」と社会心理学者の山岸俊男氏は指摘する。
そのムラ社会は昭和から平成にかけて、会社という組織の中でも脈々と受け継がれてきた。その結果、日本では社会でも会社でも同調圧力が強くなった。会社は働く場であるとともに、コミュニティーでもあった。しかし昨今、転職や副業に加え、リモートワークの普及が進み、ムラ社会を解体する動きが出てきたのだ。
働き方の制度を変えても、多くのメンバーの価値観は一朝一夕には変わらない。日本企業では、「あなたがいてよかった」と存在を肯定されたい人のほうが、「あなたの能力はすばらしい」と能力を肯定されたい人よりまだまだ多い。
こうした事情から、財界を中心に「同一労働同一賃金」の実現という文脈で進められてきたジョブ型雇用への移行が、なかなか思うように進捗してこなかった。それがくしくも、コロナ禍という強力な外圧により、待ったなしの状態になっているのである。
多くの企業で、個々の社員の役割や仕事成果の品質の基準は明確に定められておらず、社員に委ねられている。委ねられてはいるが、会社は社員を十分に信用してはいない。だから監視する。「オフィスへ出勤し、上司の目が届く範囲で仕事をするのならば安心だが、目の届かない所にいると心配」という感覚なのだ。できるだけオフィスで観察するのと変わらぬ管理をしなければならないと考え、「社員PC管理システム」などを導入してまで細かく監視する事態につながっている。
しかし、オフィスに出社していても、本当にきちんと管理できているのだろうか。実際には職場でも「やらされ感」を抱きつつ、意欲もなく、非効率的に仕事をしている社員もいるに違いないが、そのような状態でも、決められた時間、その場でデスクに向かってさえいれば、これまではよかったのだ。社員を信用しているのか、信用していないのか、不明な状態である。
つまり「成果よりも時間。とにかく長い時間、仕事をすれば高く評価する」という、生産現場における管理形態から抜け出せていない古い価値観である。かつて目立った、効率的に仕事をして上司より早く帰る部下よりも、非効率でも遅くまで残業している部下を高く評価してしまうような価値観だ。昨今では、そこまであからさまではないとしても、残業や休日出勤をする人を仕事熱心であると見る価値観が残っている企業はまだ多い。
これは「ジョブ型」「メンバーシップ型」という枠組みで考えれば、完全にメンバーシップ型の価値観である。会社側が「社員はサボるかもしれない」と考え、実際に社員も「サボる余地がある」と感じている。監視する側、される側という関係性にある。これではリモートワークがとても機能しそうにない。こうした価値観のままではジョブ型への移行がうまくいかないのは当然だ。
・仕事の進め方は本人に委ねられている。
キーワードは「自律」だが、実現には前提がある。いわゆる「ジョブ型」への移行だ。多くの企業で理念や行動指針の中で「自律」を強く標榜しているにも関わらず、いっこうに進まないのも、働き方の「ジョブ型」への移行が進んでいない点に原因がある。仕事の仕方や評価のあり方が、社員の「自律」と矛盾した状態にあるためだ。
社員が自律的に働かなければジョブ型は機能せず、ジョブ型に移行しなければ社員は自律的に働かない。つまり、「卵が先か鶏が先か」ということになるが、価値観を変えるためには、新たな価値観に合った仕組みが必要で、その仕組みを機能させるには、新たな仕組みに合った価値観への移行が必要となる。いずれが欠けても頓挫してしまう。「ジョブ型」の人事制度など仕組みの整備と、雇用する側とされる側の新たな価値観へのシフトが、同時並行で進められなければならないのである。
その場合は競技者としての能力よりも容姿の方が重視されちゃうでしょ。
容姿が整っている選手の方が資金集めや練習環境で優位になる様になると、競技の公平性が保てなくなるのではないか? って懸念が出てくる。
選手としての能力は高いのに、容姿で劣っているせいで資金面、環境面で不遇になるんじゃないかってね。
容姿も才能の内と言えるかもしれないけど、そればかりが重視されて競技のレベルが落ちたんじゃ本末転倒になっちゃう。
かといってYouTubeなどでの活動で得た資金を例えば競技団体などが管理して選手に分配する様にすると、今度は容姿が整っていて広告塔向きの選手ばかりに負担がかかる可能性がでてくる。
競技団体の上層部が選手の上前を跳ねる形で搾取する事への懸念もある。
この辺りは自由と公平のどちらを重視するかという事についても個人差や国家間での差があって、一朝一夕に解決するのはなかなか難しいんだよね。
要約すると「ワクチン接種の書類に書いていることが難しくてわからないから」だ
様々な思想や主義、健康上の都合などによってワクチンを摂取しない人がいるだろうが
私のような理由でワクチンの不接種を決める人間もいるという事実を示したく、以下にその詳細を書き殴る
郵便受けに投函された「新型コロナウイルスワクチン予防接種のお知らせ 接種券在中」と印字された封筒を開けると中には数枚の書類が入っていた
ざっと広げてみるとフローチャートの描かれた書類が目にとまる(以下この書類を書類Aとする)
「ワクチン摂取までの流れ」と題されたそのフローチャートではワクチン接種に至るまでの過程がざっくりと解説されていた
しかしそのフローチャートを読み進めたところで第一の問題が発生する
そのフローチャートに
→いいえ:集団接種会場で~
と選択肢があるのだが、ここに私の希望する「どちらでもいい」という選択肢がないのでフローチャートを進めず詰んでしまったのだ
私はワクチンが打てればいいとしか考えていなかったので、近くの医療機関だろうが集団接種会場だろうがどちらでもいい
この2つの選択肢から選べと言われても選択基準もなにもないのでこのフローチャートから先に進むことが私にはできないのだ
この時点で私の心には少なくないダメージが入っているのだが、フローチャートはとりあえず読み飛ばして書類Aを読み進める
するとフローチャートの次の段にワクチン接種の際に持参するもの一覧が記載されており「クーポン券(同封)」とある
ここでまた詰む
この同封のクーポン券を持っていけば割引になるのかと思いきや、しかし同じ書面に「接種費用無料」とある
とするとこのクーポン券はどうやら割引券ではないらしい
ここで「クーポン」でググってみる
「もともと「券」を指す語ではあるが、クーポン券と称される場合もある」
とあり、要するにここでいうクーポン券とは接種券を指すのだろうことをようやく理解する
さてはて、クーポン券の意味を理解したところでその同封のクーポン券とやらはどれだと思い
ため息一つ吐きつつ封筒の中から出てきた書類を並べてみるが「クーポン券」が見当たらない
2つ目の詰みだ
いや、よく見たらあった
右上に「券番号」と書かれた書類を隅々まで見てみると一箇所にだけ「こちらのクーポン券は大切にお持ち下さい」とあるではないか
この書類がクーポン券であると理解するためには太字でも大きな文字でもなく他の文字と何ら変わらないフォントで記載された、
このたった一つの「こちらのクーポン券」という文字を見つけなければいけないのだ
さらによくよく見てみるとはこの書類には「本接種券は~」との記載もあり、どうやら「クーポン券」と「接種券」という違う言葉が同じ意味で用いられている様子
この言葉の使い方には市民を混乱させる以外のどんな意味があるのか書類作成者に問うてみたいところである
なんとかクーポン券は見つけられたので2つ目の詰みは取り消そう
書類Aへ戻り、持参するものの一覧にクーポン券の他に「予診票」と書かれていたので同封の予診票を確認する
名前欄や住所欄などは問題なく埋められるが、問題はその下の「はい」「いいえ」のチェック欄の連続だ
「『新型コロナワクチンの説明書』を読んで、効果や副反応などについて理解しましたか」
とあり、これに答えるためにはその説明書を読まなければならない
同封の「新型コロナワクチン予防接種についての説明書」と題された書類がそれであろう、読んでみる
片方の面には「ファイザー社ワクチン用」、もう片方の面には「武田/モデルナ社ワクチン用」と記載されている
しかし自分がどちらを接種することになるのかどの書類のどこを読んでもわからない
再び2つ目の詰みだ
いやいや、どちらを受けるのかわからないなら両方を理解すればいいだろうと脂汗を拭きながら説明書を読み進める
効果や副反応について細かく記載されているが、正直理解できない
「効果」と「副反応」に関しては理解できていないが理解できたことにしよう
しかし予診票にある「効果や副反応などについて理解しましたか」の「など」とは何のことだ
説明書には「有効成分:トジナメラン」「添加物:ALC-00315:[(4-ヒドロキシブチル)]」などと初めて見る文字列が羅列されているが、これが「など」に当たるのであろうか
であれば理解できない
こんな見たこともない難解な言葉を並べられて理解できる人など医者や薬剤師以外にいるのだろうか
3詰みだ
「現在、何らかの病気にかかって、治療(投薬)などを受けていますか」
医者から薬を処方されているのでカルテには何らかの病名が記載されているのかもしれないが、結局のところは「寝付きが悪い」でしかない
それをもってして「はい」にチェックを入れていいのかわからない
4詰み
流石に私もそこまでのバカではないのでここでいう「今日」が今日、つまり8/14のことではなく、接種当日のことを指すであろうことは予測ができる
しかし「具合が悪い」とはなんだろうか
私はアレルギー持ちで数年前からほぼ常に呼吸器の調子が微妙に悪い
これは内科で診断をもらっているが症状が軽いので薬は服用していない
おそらく接種当日も呼吸器の調子は悪いだろうが、それをもってして「具合が悪い」にチェックを入れていいのかわからない
5詰み
脳が半ばフリーズしてきているので質問があるのか無いのかも、もはやわからなくなってきている
6詰み
「医師の診察・説明を受け、摂取の効果や副反応などを理解した上で、接種を希望しますか」
いいえにチェック付けたくなってきたんだけどいいえにチェック付けるんならこの予診票意味なくないですかなんなんですか
7詰み
予診票の記載は以上だが、予診票は全く同じものが2枚入っている
しかしこれは2枚とも記載して持参するのか、それとも2回あるワクチン接種それぞれに1枚ずつ持参するのかわからない
8詰み
予診票については以上だが、ああ、もうめんどうだ
お問い合わせ窓口に電話をして上記の疑問をすべて質問してみよう
9詰み
以上9つの詰みをもって
ワクチン接種に割けるだけの心の余裕は完全になくなった
もう二度とのこの封筒を開けることはないだろう
前にも書いたことがあるのだが、これは原因がはっきりしている
学生運動だ
当時運動部の面々は当局側に付いて自分らの邪魔をしてきたため、その恨みを今なお引きずり、左派は彼らを敵としか認識できないからだ
もちろんアスリートを自分たちの仲間に引き入れることができれば、それに越したことはない
ところが現実には大坂なおみですら己の党派のラジコンにしきれず、日夜歯ぎしりしているのが現状である
海の向こうでアスリートが反差別やらBLMやらをネタにイキったりしているのに比べると、日本はずいぶん周回遅れだと言わざるを得ない
しかしこの五輪を巡るいろいろを見てもわかるように、一朝一夕で今の流れを変えるのもまた難しい
ここまで来ればもうおわかりだろう
とりあえず火焔瓶投げとかどうだろうか
荻上チキ・Session | TBSラジオ | 2021/07/19/月 15:30-17:50 https://radiko.jp/share/?sid=TBS&t=20210719160547
(荻上チキ氏)
この小山田圭吾氏が過去に行っていた、いじめに関する露悪的なまぁ、発信。
1回のインタビューでぽろっと答えたということではなくて、複数回のインタビューで詳細にそのいじめの中身を語って、しかも悪びれる様子がないというような様子というのは、Web上でも20年以上前からたびたび話題とはなっていたわけです。
そうしたようなことがずっと棚上げされたまま、今回オリンピック、パラリンピックで楽曲提供をするという風になった際に、この名前がでてきたことに対して、これは明らかにちょっとミスマッチだろうというような非難がさらに盛り上がり、また今回の報道などによってその出来事、そういった発言を過去にしていたということを初めて知ったという方も多くいると思うんですよね。
90年代の音楽などに触れている人などにとっては、コーネリアス・小山田圭吾氏というのはとてもあの馴染みのあるミュージシャンだと思うんですけれども、でも日本全体でどれだけの認知度かというと、そこはちょっと分からないところがあるので、むしろ今回の件で小山田氏を初めて知った人にしてみれば、オリンピックなどで楽曲提供しようとしていたけれども過去にとんでもない犯罪的な差別を行っていた人物だったっていう情報だけ与えられると、当然ながらそんな人物不適格でしょ、となるのはこれまた当然ということになりますよね。
この件っていうのは、過去にじゃあ行っていたいじめ加害が発覚した場合に、その人の仕事までキャンセルする必要があるのか?というような問題として理解される向きも一部あるんですけど、その問題とこの問題は別だと思うんですよね。
今回のは、過去のいじめ加害というのが何かのきっかけで「発覚」した事案、ではないんです。
そうではなくて、小山田圭吾氏が繰り返し過去のインタビューの中で攻撃的、露悪的な仕方でいじめの手法というものを赤裸々に語っていた、それを読んだ人たちに対して当然不快感を与えるかもしれないけれども、それを一つのエンターテイメントとして味わって欲しい、読んで欲しいという感覚、文脈で内容を提供しているということになるわけですよね。
そうすると、いじめとか差別というものを軽視するような発信というものを、アーティストになってから行っていた問題ということが、ここに関わってくるわけです。
過去のいじめ加害という点でいうと、国立教育政策研究所のデータなどだと、小学校から中学校の間にいじめ加害を行っていない児童というのは1割程度しかいないんですよね。
やはり誰かしら、何かしらのタイミングで、誰かに否定的なあだ名を呼びかけたりとか、誰かを無視したりとか、誰かを叩いたりとか、そうしたようなことを一定期間行うということはしてしまうところがある。
ただそれが持続的にどこまで行うのか、何年間も行い続けるのか、ずっと行うポジションにいるのかということで見ると、どんどん数が絞られていって、継続的な加害者になっていくという人はその中でもまた一部になっていくっていう状況があるわけですね。
ところがこの小山田氏の様々な発言というものは、そのいじめの文脈というものを超えた、性暴力でもあるし、障害者差別でもあるし、いろんな問題を含んでいるわけです。
インタビューの中でも紹介されている加害行為というのは(先程「たまむすび」の中でも少し紹介されたりしていましたけれども)たとえば人前でマスターベーションすることを強要するとか、あるいは女子達が見ている中でわざと服を脱がして人前を歩かせるであるとか、あるいはぐるぐる巻きにしてバックドロップをしたり、あるいはまた大便を食べさせたりとか、そうしたようなことを繰り返していたんだということを言ってるわけです。
他にも様々なダウン症の児童などに対する侮蔑的な発言というものを仲間内で繰り返していたことなど、いろいろなことを自ら発信されてるんですけど、インタビューの中だと(笑)とかそうしたような文言を用いて、非常に露悪的な仕方で発信されていたということになるわけですね。
こういったような事態というものは、このインタビューを読んだ人たちに対しては大変なストレスを与えることには当然なるわけですね。
なぜこれがストレスなのか、ということも改めて振り返っておきたいと思うんですけど、僕がたまに紹介している概念で「公正世界信念」という概念があります。「公正世界仮説」と呼ばれることもあります。
これはどういうことかというと、「この社会というのは、正しいことをすれば報われるんだ」というような考え方、これが公正世界信念ですね。「この世界は公正にできていて、人々が適切に振る舞えば、世界はそれに応えてくれる」という一つの信念というのがあって、多くの人たちはこれを内面化しているんですね。
内面化するからこそ「努力は報われる、だから頑張ろう」というようにモチベーションを維持することができる、動機づけを保つことが出来るわけです。
逆に言えば「正しくないことをすれば懲罰を受けるよ」というような考え方でもあるので、これがまた社会から逸脱をするのではなくて適応しようというモチベーションに繋がるところがあるんですね。
良くも悪くもこういった信念を持っているという人はとても多いんだけれども、ただこういった信念が揺らぐような悪いニュースというのがしばしば飛び交ってくるわけですね。
そうすると「あれ?今起きた事件って公正世界信念を揺るがしてしまうじゃないか」誰かが例えばいじめられていた、誰かが性暴力を受けた、そうしたような、バッドニュースが入ってきた時に、人はとっても不安感を抱くわけです。
その不安感は、要は「もしかしたら自分も努力しても報われないこともあるかもしれないし、気をつけていても被害に遭うかもしれない」っていうこと、ってなるとすごいストレスなんですよね。
その時に取られがちな手段が二つありまして、そのうちの一つというのが「被害者非難」被害者が悪いというんですね。
どういうことかというと「これは公正世界信念が揺らいだのではない、世界は変わらず公正だ、と。だけれどもあの被害者に落ち度があったから、あの被害者は適切に努力してなかったからそうした目に遭ったんだ、つまり過去に正しくない事をしていたからその懲罰として被害にあっただけなんですよ」っていうふうに矮小化をする。
こういったような仕方で、貧困当事者を叩いたり、被災した方を叩いたり、性暴力の被害にあったことを叩いたりということで、むしろ弱者を叩くっていう方向で解消しようとしてしまうのも、公正世界信念のもたらす現象なんですね。
でも、同じく公正世界信念が揺らぎそうになった時に起きがちな方略のもう一つが「加害者に対するバッシング」加害者に対する過剰な懲罰や"悪魔化"ということになるわけです。
要は加害者に対して因果応報というものをもたらしたい、因果応報をもたらすことによって、このモヤモヤした感覚をなんとか治めたい、って感じるものなんですね。
この感覚そのものはとても重要ではあるんだけれども、場合によっては「加害者がまだ謝ってないじゃないか、加害者はきっともっと碌でもない奴だ」っていうことで、悪魔のような存在として描かれるようなことがあって、そうなるとどう対処してもこの信念が回復されないっていうことになってしまうわけです。加害者がどれだけ謝罪をしても、なかなか対処が困難だということにもなりうるわけですね。
一般的にこうした公正世界信念というものは、人々にとても重要な動機づけを与えるし、社会に適応しようという努力を与えるものではあるけども、しばしばそれがコントロール不能な攻撃に向かうような側面というのも当然あるわけです。
ただ、こうしたような「被害者非難」とか「加害者非難」が全部悪いのかというと、そう単純に語れないというところもあるんですね。
「加害者非難」などに通じることによって、一定の抑止効果とかいうのを社会に拡散したいという人もいるでしょう。いろんな動機がそこにあるわけなんです。
今回の件についてはどうなのかというと、明らかにやっぱり小山田氏が発言していたことが明らかになったら、大変多くの人達も不愉快に思うし、また非常にこの世界を不公正だという絶望感を味わうことになる。だから何かしらな仕方で公正さを回復したいと思う。ここまではもう多くの人たちの望むところだと思うんです。
ではその回復の手段がどうすればいいのかというと、今回のようなケースって、回復の手段がほとんど難しいんですね。
例えばすでに被害を受けていた当事者はいて、その人はその後いろんな後遺症とか様々なものを味わって生きてきたかもしれない、それを例えば今更謝罪したからといって回復できるとは限らない、つまり、加害者が被害者に謝罪をすればそれで治まるような案件ではどうも無さそうということも分かっている。
一方で社会に対して、多くのこの不公正があったことについて、あるいは不公正があるということをアーティストとして発信したことについて謝罪すればそれで治まるのかというと、なかなか治まらないでしょう。
少なくともパラスポーツとかオリンピックなどのテーマソングを書くという役割は適任ではないということは言えると思うんですね。
一方で別に小山田圭吾氏に今後ミュージシャンとして二度と活動をするな、みたいなことを言ってるわけではない。
そこはあの今後どういう風にやって行くのか、今後小山田氏の振る舞いとか応答責任を通じて、多くの人たちが「なるほど、まあそう言うんだったら」という風に安全感覚を取り戻せるかどうかにかかっています。
だから今回のペライチで出した謝罪文で多くの人達が納得できるというわけでは当然無いわけなので、今後の様々な発信において、その問題にどう取り組んでいくのか、どう向き合っていくのか、その姿勢を見せ続けることによって、人々の「加害者避難」でも「被害者非難」でもない、ある種の「修復的公正」と言うんですけど、公正感覚が修正されていくというか、取り戻されている感覚というものを、ひとりの発信者としてもたらすことができるかどうか、それが小山田氏に問われてるポイントのひとつになるわけなんですよね。
で、これはとても難しいことではあるんだけれども、アーティストとしていじめ加害の手法などについて露悪的に語って、それが障害者差別などをさらに助長して、なおかつ多くのいじめ被害者に対しても二次加害をインタビューを通じて行った、という点について、同じアーティストとしてどういう風にその後自分で責任を取るのかということはこれからも出てくると思うんです。
だから今回テーマソングを作るか作らないか、これは作らない方がいいと思います。そしてその仕事を降りた方がいいでしょう。
ただその後二度と活動するなという話ではなくて、それに対して活動者としてどういう風に向き合っていくのかということを多くの人たちが見ていきますよ、ということに応答責任というのが出てくるということになるわけですね。
これ、見ている側もやってはいけないのは、「防衛的帰属」という言葉があるんですけど、何かの問題をどこに帰属させるか、どこに責任の所在をおくかっていうのが、その人達の考える倫理観とか道徳観とは別に、その人の考える将来の損得で左右されるところがあるんです。
例えば今回小山田氏を擁護してる人がいるんですね。たとえば「そんな過去の話」とか「その当時はいじめを露悪的に語るのが当然だったんだ」みたいな仕方で擁護する人たちがいる。
それを見ると、結構典型的な「防衛的帰属」だなって思うわけです。
どういうことかというと「彼が悪いことになると、自分も悪いことにさせられてしまう可能性がある。だから『彼が悪くない』っていう風に言うことによって、自分が叩かれるリスクを下げたい」。つまり自分を防衛するために、責任の所在を「彼ではない」「ここではない」「そこではない」というふうに位置づけたがるということなんですね。
そういうふうに、どこに責任を帰属させるのかっていうようなこと自体が、人々にとって損得を左右されるような問題になってるわけです。
だからネット上などでも、実はその、小山田氏のあり方というものを擁護する声というのも、まちまちあって、しばしばあって、そうしたかたちを見ると、たぶんその自分の振る舞いとか、自分のメディアの振る舞いとか、90年代の表現とかいうものまで堀り返されると問題だなっていう風に思われると色々発表がしにくくなるとか、そうしたようなことが場合によっては関わってくる可能性もあるわけですね。
そういうような「防衛的帰属」を繰り返していると、結局、今回どうすればいいのかっていう議論が前に進まないことになるんですよ。
そうして「自分が叩かれたくないから、この人は擁護しとこう」みたいな損得勘定で議論されてしまうと、結局、「被害感情にはどうすればいいの?」とか「こういったものを再発しないためにはどうすればいいの?」っていう議論が出てこないことになるんですね
ちょっと遠回りした言い方になりましたけれども、今回インタビューによって多くの人たちが非常に不公平な世界だっていう感覚を突きつけられた、それに対してなんとか回復したいっていう強烈な動機に突き動かされているという状況がある。
それをやったのは何かの暴露とかではなくてミュージシャン本人のインタビューの中での発言だったから、ミュージシャン本人として今後の発信などでどう応答するのかということは当然問われてくるだろうと。
それが行われてない現段階においては、このオリパラのテーマソングを受けるというのは不適格だことに当然判断されることにはなるだろう、と思うわけですね。
ではその後どうするのか。
これ一朝一夕に本人が反省しましたって言って何とかする話ではないでしょうし、反省云々ということするためには基礎知識とかいろんなことが必要になりますよね。
どう誤っていたのかを言語化できないと、応答はできないということになるので、今回の本人のメッセージ云々でおそらくなかなか納得しがたいようなところがある中で、どうそれに向き合っていくのかということが問われていくのかな、という風には思います。
80年代90年代当時というのは、特にいじめ対策というものは今より脆弱でした。今は随分といじめ対策で、科学的に何が必要なのかということもわかってきました。
今回、多くのメディアがこのいじめ問題を取り扱うのであれば、いじめ対策として今どういった知見がより重要で、よりどういった教育こそが必要なのか、という話も、いろんな現場に広げてきてほしいなと思います。
私フェミニストなんだけどさ
で終わったらダメだと思うんだけど
どこ向かってんのって思ったら軌道修正しないと
私は10年20年後にちょっとでも変わってたらいいなくらいに思ってるんだけどさ
だからフェミニスト同士で殺し合ってこの流れを止めてしまうような事はやめてほしいのよね
私は女性蔑視問題って夫婦別姓が一番分かりやすいと思うんだけどさ
まあ別姓というか
選べんのに選べないのよね
妻の姓にすると不思議がられたりね
でも夫姓になるのを喜ぶレディも沢山いる
まあ喜ぶのはええよ
でも、なんでそうなったんだろう、と
そこよ
夫姓を選ぶ事とか
めっちゃ普通な事になってるけどそもそもそれ女性蔑視からきてるよね
で、それを女性自身も疑いなく受け入れてるわけやな
これが根深い
姓に関しては結婚することのアイコンになってるから受け入れるどころか嬉しいと思うようになったわけやな
公的機関がセクシーポスターを使うのは倫理的にどうなん?ってまあ、正直思うけどさ
そういう表面的なやったやらないみたいな話じゃなくてさ
当時私は24か25で、週末は友だちと会ったり、都心に買い物に行ったりすることが多かったんですが、なぜかその日は久しぶりに、父と自転車で西友に行くことになったのでした。買い物のためというよりも、恒常的に太っていた父の、運動のためだったかもしれません。
スーパーから家まで自転車で10分ちょっとの道、なんとなく父が先を走り、私が追いかけていく中で、自然と父の背中が目に入って、思ったんです。
あれ、パパの背中、思ってたより小さいんだな…と。
身長170cmちょっとに対し体重は90kg近くあり、どちらかというと「大きい」印象を与える父でしたが、背中を丸めてママチャリをこぐ姿は、食卓でビールとウィスキーと焼酎をちゃんぽんで飲んで管を巻いているときよりも、少し縮んだように見えました。
父はその頃60歳近いので、多少は本当に縮んでたのかもしれませんが、小さく見える理由はそれだけじゃないこともわかっていました。私が就職したことで、私のほうの見え方が変わっていたんです。
その頃はネットバブルと言われた時期の真っただ中で、私はそんな会社のひとつに、運良く入れていました。
そこは日本ではわりと大きな「ITベンダー」とか言われる会社の子会社だったので、親会社からエラい人が続々と天下ってきていました。でも当時まだ光ファイバーはおろかADSLすらほとんど普及してない時代、Windows 95が出てから数年って時代なんで、大手ITベンダー出身のはずのエラい人たちでも、じつはパソコンをほとんど使ったことがなかったり、せいぜいメールの読み書きができる程度だったりしました。そんな人たちがいきなり、ネットの会社の役員として送りこまれてくるわけです。しかも親会社はセミナーと称して顧客集めのイベントを開いて、子会社に送り込んだ役員を登壇させ、「ネットで御社のビジネスが変わりますよ」みたいな話をさせるんです。
そこで私がやってた仕事のひとつが、子会社に来て早々に付け焼き刃トークさせられる役員のために講演資料を作ることと、講演当日のカバン持ち(会場のプロジェクターにパソコンつないだり。当時はパワーポイントみたいな大きなデータを相手先に送るのも、容量制限でできなかったりしたのです)でした。私自身もその会社に入るまでネットにほとんど触ったことのないニワカだったので、資料作りといっても実際はもっとコアな先輩社員に依頼してネタ出ししてもらったりする、窓口的な役割です。
そんな、ニワカな私がニワカな役員をサポートする不安な構図だったんですが、講演はそれなりに(多分)好評で、親会社主催のものだけでなく外部のイベントに出張っていくこともありました。大きなホテルの「なんとかの間」とかの華やかな壇上で、スポットライトを浴びながらネットのビジネス活用を語る役員たちは、頭頂部が多少ハレーションしていても(だからこそ?)、いかにもエラい人っぽく見えました。エラい人「っぽい」だけでなく、ニワカであっても数百人を相手に堂々と話ができる、それは一朝一夕には身に着けられないスキルだと今でも思います。
大企業出身のエライ人たちはトークができるだけでなく、部下の扱いも丁寧で、いや私が若い女だからということもおそらくあったのですが、とにかくそういった講演サポート業務の後は、「お礼」と称して素敵なレストランなどに連れて行ってくれました。私はただ窓口になっただけなので、と言うと、じゃあネタ出ししてくれた人たちもみんなで、となり、ずいぶん大人数でごちそうになることもありました(それが会社のお金だったのかポケットマネーだったのかは不明)。
そんなわけで私の会社の人たちは、上司も先輩も同僚も、そこそこ大企業文化の中にいて、都会慣れしていました。「肩で風を切る」ってほどじゃないにしろ、少なくとも必要なときには背筋を伸ばして堂々と振る舞える、そんな人たちが、いつの間にか私にとっての「普通」になっていたのです。
それに対し父は、そんな平成っぽいスマートさとは無縁で生きてきました。そもそも、なぜ私が父を「パパ」と呼ぶことになったのかまったく理解できないような「おとっつぁん」的な風貌だし、人前で話す機会があるとしたら会社の朝礼か親戚の法事くらい、しかも話がムダに長くてつまらない、と家族の中で有名でした。素敵なお店なんか結界が張ってあると感じていたらしく、まれに家族旅行で伊豆のホテルに行ったときには、入り口から赤いじゅうたんが敷いてあることにおののき、「あのー、この、じゅうたんの上、歩いていいんすけ?」(いつも語尾がモゴモゴしている)と質問して失笑を買った、とか、ファミレスでアイスクリームを注文するときに、「フレーバーを選ぶ」という概念をまったく知らず、「えーこの、バニラ・チョコレート・ストロベリー・アイス、頼んます」と全フレーバーを読み上げたとか、そんなエピソードには事欠かない人なのです。
そしてその日も、うら若い娘とお出かけの機会だというのに、会社の作業服だか私服だかわからない、着心地だけが最高の服装で、ボロボロのママチャリに乗って、西友に行くくらいしかできないのです。
でも私は、だからといって、父の存在が恥ずかしいとか、引け目を感じるとかいうわけでもないな、とも思いました。
むしろ、その小さな背中にかかっているものの重さを、改めて感じたんです。
岩手県の奥地でだいたい10人兄弟の3〜5番めくらいに生まれた父(兄弟姉妹の半分くらいが子どものうちに亡くなってるのでいろいろ曖昧)は、中学校を卒業すると集団就職で上京し、小さな運送会社に入りました。最初は15歳で運転もできないので、助手として荷物の積み下ろしから始めて、18歳で免許を取って運転手になり、20代でその運送会社の社長の娘と結婚、30代で子どもが生まれ、それが私の姉と私になります。姉が生まれたあたりから、家族は会社のすぐそばに住むようになり、姉と私は毎日、祖父や父、社員の人たちが働く姿を見ながら育ってきました。
祖父の会社はオイルショックとかいろいろありながらも、高度成長期とバブル景気でそこそこに拡大、多いときは社員(「若い衆」と呼称)数十人を抱えるまでになりました。祖父は会社の仕事より、地元の運送業の顔役的なことをメインでやるようになっていたので、成り行き的に父が現場の切り盛りをしていました。
でも90年代、バブル崩壊以降は会社の業績が右肩下がりになり、銀行からも貸し剥がしを受け、頻繁に資金がショートするようになっていました。高度成長期に「若い衆」だった運転手さんたちも実際はもう全然若くなく、平均年齢50歳くらいになっており、お子さんがいる人たちもたくさんいました。2021年の今と違って景気は悪く、ネット通販からのドライバー需要も発展途上で、万一倒産した場合、ベテラン運転手さんでも簡単に次の仕事が見つかる見込みはありませんでした。
これがドラマだったら、私みたいなネット企業で多少の経験積んだ娘が家業に乗り込み、会社をITで立て直し、引いては業界全体を改革していく…となりそうなところです。でも、そうはなりませんでした。まず私自身、いきなり乗り込んで何か改善できるという自信がなかったし、何ができるかもわからないのに親のコネで会社に入るなんて、社員の人たちに申し訳ないと思っていました。また祖父や父には、私に苦労をかけたくないという思いもあったのだと思います。
なので私としては、今にも倒れそうな会社というボロボロの自転車を、とにかく倒してはいけない、続けなきゃいけないんだという思いで漕ぎ続ける父を、ただただ後ろから、見守ることしかできなかったのです。
高価なスーツを着てスポットライトを浴びることもなければ、お洒落なレストランに部下を従えていくこともない父だけど、私はどんなに誇りに思っていることか。
西友からの帰り道、緑道にかかる橋をのろのろと上っていく父の背中を見ながら、パパの子どもに生まれて本当に良かった、と思いました。
ハマらないままで掃除機吸えてたのかよ!って思うとともに、
なんで蓋が閉まらないんだろうと何度やっても上手く行かなかったのは、
各社共通タイプの正しい切り込みのところを切って使ってなかったから
ミスがミスを呼ぶというまったくもってなってないわ!って思ったのよね。
ちゃんと紙パックに印刷されている手順にそって指示された切り込みを切って掃除機に差し込んで欲しいわ!
って私も紙パックを装填しようと思ったけど
パナソニックN型、パナソニックK型!と同じメーカーなのに2種類のパターンがあるのなら話は別ね。
でも無理矢理ハマらないまま突っ込んだ形跡が残っていたので
もうさすがに犯人探しは止めるけど
こういうのはちゃんと使ってほしいものね!って思うのは私だけ?って
おかげさまで、
めでたくあっぱれな吸引力を華麗にも復活させた不死鳥のように復活したのよ!
でも間違ったまま使えててゴミ吸い込めてたのも謎だけど。
あれはもう掃除機のパワーでもちこたえていたと言うところなのかしら。
今度はしっかり密着密閉した気持ちよくハマった紙パックで掃除が捗るわ!ってもんよ。
真の掃除機のパワーを発揮すべく、
もう一度紙パックの装填間違ってないか。
あの紙パックじゃないタイプの中で遠心分離して集まるタイプも最初は良かったけど、
あんまり要は私は好きじゃないタイプの掃除機かも知れないわね。
メンテナンス的には紙パックをぱっと捨てられて再装填出来る方が、
どちらも一長一短一朝一夕にはいかない感じがまた長所と短所と言ったところかしら。
まあ確かに
パナソニックの掃除機に紙パックの切り込みの切り方が2種類ある方が鬼なのかも知れないわね。
だから
忙しくなるかも知れないという体裁を保ちつつ
こっそりカントリーマームをレンチンしたら美味しいと言う事実を発見した
原住民に美味しい食べ方を教えてもらった気分よ。
でもさ、
なんかこんなにちっちゃかったっけ?って
小ささは私感じて間違いないところだと思うし、
掃除機で吸い込めちゃいそうな小ささで
しかしこんなに豆粒のようにカントリーマームって小さかったっけ?って
走馬灯を開いて思い出しても、
大きい頃の思い出がなくて、
比較できないことにも気が付いたわ。
昔はもっと大きかったわよね?
今のお菓子に対する不満全体を
やっぱり増量された粉が落ちて仕方ないので、
掃除機は欠かせないと言うことで今日はこのぐらいにしておくわ。
粉の量多ければ多いほどいいとは限らないのね。
うふふ。
フレッシュレタスの歯ごたえが朝の目覚めを呼び起こしてくれるわ!って
べつに眠気眼で食べてるんじゃないの。
目が覚めるような美味しさ!って言いたいだけなの。
半分食べて半分はキューブ状にカッツして
一玉丸のままで一度買ってみたいわね。
なんつってー。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
「制度的、構造化された差別」とは、第一義的には「明文化された法に書き込まれた差別」または「明文化された法に反する社会的行為としての差別」を指す。つまり、社会的に実体が明文化されたものとして目に見える差別のことな。法の下の平等をうたう日本国憲法第14条にあげられるものなんか(人種、信条、性別、社会的身分又は門地による差別)がその代表例。
次に、それに準じるものとして、明文化されていなくても、社会通念として固定し誰もがその存在を認識できるような(たとえば統計上明らかに不自然なデータとして見える)暗黙のきまり、ルール、マナー等による差別のことも指している。たとえば、夫婦同姓強制問題なんかがそうで、改姓による社会的な不利益が存在すること、そして、データを取れば明白にそれを女性が蒙ることが社会通念として存在すること、これは明らかにおかしいでしょう?という問題提起なんかがそれに当たる。
前者についてすら、まだ話は全然片付いてない。後者の中でも、夫婦同姓強制のような明白にデータで説明できる問題については、まだ始まったばかりですらある。その中で、いわゆる「弱者男性」の苦しみを差別として問題化するのは、一朝一夕にできることではない。差別というのは「見える化」するのがまず大変なんだ。そのためには、
・弱者男性というのは誰なのか(どういう苦しみが「弱者男性の蒙っている差別」なのか)
・それは誰によってどのように作り出されてきたのか(構造化された差別ほど、差別の加害者よりももっと上のレベルで差別は作り出されるものである)
・どのような状態を目指すのか
・それは従来の社会をどう変化させ、他の権利や差別と調整が可能か
を最低限明らかにしていく必要があるだろう。増田が真にこれを問題として捉えたいなら、ていねいにこれらの作業を進めていくことで、一歩でも問題は解決に向かうだろうと思う。差別解消への戦いというのは、社会通念との戦いでもある。長く遠い道のりだ。
債務超過だって書いてんだから負債が上回ってる状態に決まってんだろ
日本の大事な企業だから残せだのなんだの言ってるやつが居るけど、利益出せないなら誰も出資なんてしてくれねーだろ
手っ取り早く資本を増やせば一応の解決にはなるけど、延命治療なだけであって利益が出せないなら企業としては遠からず潰れるだろ
そもそも何年もこの状態だったから今に至るわけであって一朝一夕で解決する問題でもないだろこれ
諸々の費用カットや舵取りがしやすくなるっていうメリットがあるのはググったら出てきたけど
そもそもの話、資本にまで手をつけるような状態の会社が上場廃止したところで上手く立ち回らないと倒産する気がするんだけど、そうでもないのだろうか