はてなキーワード: ネット上ではとは
ネット上ではテストコードを書かないのは低レベルな開発者という風潮だ。
10年以上、テストコードを書く開発と書かない開発の両方を経験してきた。
■前提
・テスト対象は大小さまざま。OSの保守だったり、アプリだったり。レガシーだったり、モダンだったり。個人だったりチームだったり。GUIだったりCUIだったり。
結論としては書かないほうがいいと思った。
・テストを書くためのコストが小さいなんて妄想もいいところだ。クソデカである。
結局、テスト対象も変わってしまうし、プロジェクト設定も変わるし、Jenkinsも変わるし、人間の頭の中も変えないといけない。
・100人以上かかわる巨大プロジェクトでも「テストコードを書かなかったので破綻した」、とかはなかった。
・テストコードを書くと実装の見落としが見つかってありがたいことはあった。
・git pushするたびに毎回走っても全くの無意味だった。
・テスト対象が変わるとテストを書き直さないといけないのがサイアクだった。非効率化の極みだ。人生の無駄。
・その次にサイアクだったのは、テストコードの実行が失敗したときテストコードのバグであることが大半であったことだ。
・GUIソフトとテストコードは相性が悪いが、そもそも世の中のソフトウェア開発の大半はGUI開発である。
・テストコードを書くと、テストしやすいクラスの実装をするようになる。それは美徳とされているが、実際には直感的でない長くて複雑なプログラムになっている。
例えばテストコードを書くためにDependency Injectionとか言って外から内部を変更できるようにすると
メンバ関数でやるべき処理が実際にはクラスの外にある、となる。最初は面白く感じたり達成感があるかもしれないが、しばらくして見返すと酷い状態だ。
テストコードを書いたほうが早い時もあったけど、トータルで考えれば、テストコードを完全にやめたほうがシンプルなコードで早く完成する。
・エンジニア歴5年
・プレッシャーに弱い
・正直ぜんぜん優秀な方ではない
・年収アップ
・転職するかはまだ決めてない
個人的にはエージェントを使う必要性はそんなにないかなと思った。
面接日程とかも結局こっちが日程伝えて調整するし、エージェントのおかげで楽になったとかは特に感じなかった。
助言とか面接対策とかはしてくれるのでその辺は良かったかも、ただ、助言に関してはポジショントークかもというのを念頭に置いておいた方がいいきがする。
年収交渉もしてくれるのでその辺もいいかもだが、結局こっちの希望年収を伝えると、ちょっと厳しいかもと希望を下げるように言ってきたりもするので、エージェントと自分が調整する必要が出てくる。
あと、いいエージェントの見極めも大変。
よく分からんとこは自分の希望と全然違う会社を勧めてきたりする。(コンサル激プッシュなど)
エージェントを通さないと、カジュアル面談からスタートするのが多いとおもう。
その後何回か面接とか、技術課題があるとことかはその対応をして、内定という流れになる。
面接に関しては回数が多い上に、選考を通じて同じことばっかり聞かれるので、かなりめんどくさい。
最終面接の頃には本当にやる気がなくてどうしようかと思った。
しかも、時間的制約があるので仕方がないとは思うけど、やっぱり表面的な質問が多くて、盛ったり嘘ついたりとかは全然できる(私はしてないけど)
向こうの時間も使うので、やっぱりできるだけお互いのためになる時間にしたいなと思って臨んでたけど、この辺は色々面接方法とかも課題がある感じなのかな
正直あまり時間をかけたくなかったけど、こういう試験とかに関してはギリギリいっぱいまで時間使って、できるだけ良くしようみたいしてしまう傾向があり、たくさん時間を使ってしまった。
調べたりもしてよかったので、全然できないみたいなことにはならなかった。
競プロみたいにアルゴリズムを問われる部分もあれば、文章問題に回答したり、設計問題に回答したり、apiを軽く実装したり、みたいな感じだった。
アンカーを設定する意味でも、初めから希望年収を公言して申し込んでいた。(現職の30%アップ)
面接で年収に妥当しないと判断されて落とされるとかもあった気がする。
複数内定があればオファー面談で交渉もできるし、採用側もかなり柔軟に対応してくれそうな雰囲気があった。
年収は大事なとこなので交渉してもいいと思うけど、職責が大きくなりそう。
個人的に転職活動してよかったのが年収周りを把握できたことで、ネット上ではエンジニアは転職すると手放しに年収めっちゃ上がる的な記事がたくさんあるが、私の場合はそんなことはなかった。
求められる職責とか会社の評価制度によって、だいたい提示される年収が決まってそう。
この辺の勘所を知れたのはよかったなと思った。
転職活動はかなりめんどくさい上に、時間をたくさん使うので、よほどの動機がないと腰が上がらないなと思った。
何より面接日程調節が一番めんどくさかった。
これはほんとにめんどくさかった。
やっぱり入ってからいろいろとギャップがあるかもしれないし、転職リスクはあるなーと思ってる今日この頃。
さらに今よりもちょっとレベルの高いことを要求されそうので、その辺も少しプレッシャーを感じている。
年収が上がるのは魅力だけど、総じて転職するべきかどうかはまだ悩むなぁ
日本で子育てしんどいよな!でもな共同親権は大体の国で導入されてんだよ。どこに行っても変わらんのよ残念でした。恨むなら外人と離婚してガキ誘拐して日本に帰国する女を恨め。
saihateaxis 2024/04/12 22:02
https://b.hatena.ne.jp/entry/4751979165704515648/comment/saihateaxis
日本で共同親権を導入しようとしているのはどういうわけか実子誘拐批判者が多いが、これは全く道理に合わない
実子誘拐を禁止したいなら刑法を改正して実子誘拐者を牢屋にぶち込んだほうが早い
日本で実子誘拐がはびこっているのは単独親権だからではなく誘拐をした親に親権を与えるから
ガキ誘拐して日本に帰国する女に親権を認めず外国人の父に単独親権を与えれば誘拐問題は解決する
共同親権が導入されてもDV親に親権は与えられないことになりそうだが、しかし現在誘拐をDVとして問題視しないのであれば共同親権が認められてもやはり問題視されないだろう
それどころかガキ誘拐して日本に帰国する母が「夫のDVにあっています」と嘘の主張をして通ってしまえば共同親権制度はまったく無力
②ハーグ条約を遵守してないこと
ネット上ではよく共同親権とセットでハーグ条約が語られるが実はあまり関係ない
ハーグ条約はざっくり言うと
1,不当に国外に連れ去られた子供はとりあえず元々住んでた国に返還する
2,あとは元々住んでた国の法律で処理される
という取り決め
実子誘拐は親権が未定の状態で起こることも多いので、ハーグ条約は親権とは違う独自の基準で返還の判断を行うことになる
そして1を履行して元々の国に送り返してしまえば後は日本の単独親権制度は影響を及ぼさなくなる
逆に日本に返還された子供について日本が単独親権を選ぶのはハーグ条約で禁止されていない
日本における子の連れ去りに関する欧州議会決議https://www.moj.go.jp/content/001347789.pdf でもハーグ条約と共同親権は関連づけられていない
また、ハーグ条約はあくまで子供が国境を越えてしまう事例にのみ適用される
外人と離婚してガキ誘拐しても国境さえまたがなければハーグ条約とは無関係
「外人と離婚してガキ誘拐して日本に帰国する女」と「日本国の単独親権制」も実はあまり関係ない
問題なのは日本がその国で定められた親権を守る実力行使をしないことであって、
福原愛の事件の福原愛と江宏傑は台湾で結婚して台湾法で共同親権を持っていて日本は関係ない
日本の親権制度が実子誘拐を助けたわけではないので、共同親権制のアメリカやイギリスに逃亡しても同じ結果になっただろう
実子誘拐を理由として共同親権を望む人には「誘拐犯と共同で子供を養育したいのか、それとも誘拐犯抜きで単独で子供を養育したいのか」ともう一度考えてみてほしい
まとめ
ネット上では議論が白熱しているが、感情的なものが多く見受けられる
反対している方の意見や、挙げられている海外での被害例はかなり極端なものが多いと感じており、
これを根拠に議論をするべきではないのでは、というのが個人的な意見だ
そもそも、この制度は「共同親権を強制する」というものではなく、「共同親権という選択肢を作る」ものではないのか
たしかに、「片方の親が拒否した場合、裁判所が親権を決める」という点は疑問が残る
しかし、よく考えてみればこれは現行の単独親権でも同様で、両親がそれぞれ親権を主張した場合、最終的な決定は裁判所にゆだねられる
養育費の面も問題として挙げられることが多いが、これはそもそも共同親権とは分けられて議論されるべきである
共同親権であろうと単独親権であろうと、別居親は養育費を支払う義務があり、それが支払われなければ司法や行政が介入する必要がある
共同親権になったら別居親の収入も合算されて社会保障が計算されるので子どもの権利を阻害する、という反対意見には賛同できるが、
一方で同時に導入が議論されているはずの「法定養育費制度」にはほぼ触れていないのはアンフェアだと感じる
この「法定養育費制度」が適切に機能し、子どもが別居親の収入の恩恵を十分に得られるのであれば、
社会保障の計算に別居親の収入が合算されるのは大きな問題ではないと感じる
また、別居親による連れ去りや、それに伴う虐待被害などは、単独親権でも十分起こり得ることであり、
逆に共同親権が有無で急激に件数が増減する、という根拠はないと考えている
したがって、これを理由に共同親権に反対する、という意見には賛同しかねる
私自身、両親が離婚しているのだが、そのときに母から言われたことがある
「お父さんとお母さんは夫婦ではなくなるけど、お父さんは一生あなたのお父さんだからね」
親権があろうとなかろうと、物心のついた子どもにとっては親は親なのだ
共同親権の考え方は、11歳で両親の離婚を経験した私にとっては、自身の感覚に沿った制度であり、頭ごなしに否定する必要性を感じないものである
最後に、この共同親権に反対する人々が、「夫からひどい扱いを受けて離婚して親権をとった(とりたい)母親」視点にしか立てていないことに関する問題提起をしておく
とくに幼い子どもの場合、離婚事由(不倫など)が母親にあっても、親権は母親になる可能性が非常に高い
母親の再婚相手や、ひどい場合は母親自身から虐待を受ける子どもにとって、共同親権制度が導入されることで、子どもを守る可能性が生まれる
それでトランス治療して性転換してから、トランスジェンダーじゃなかった気づいて、戻るパターンって
実際どれくらいあるのかね。
子宮頸がんワクチンの後遺症騒動に似てる。確かにワクチン後遺症は0ではないが、思春期のメンタル不調をワクチンのせいと騒ぐ連中がいるように、少女たちのメンタル不調を「それはジェンダーのせい」と決めつける人々が沢山いるとの告発が、本書の中核だと思った
まとめ
•アメリカの白人少女たちの多くが居場所がなく、メンタルを病んでいる。一方でネット上ではマイノリティが注目を集めている。そこで「自分の生きづらさは、自分がトランスジェンダーだからではないか」と思い込みやすい環境がある
•学校や病院は、少女に冷静な判断を促す代わりに、自殺を防いだりするために少女の訴えを全面的に受け入れて、ホルモン治療や乳房の外科手術を勧める
•その結果、少女たちが「自分はトランスジェンダーではない」と思い直して治療中断をした時には、家族の絆も、声も胸も生殖機能も元に戻らない状態になってる事態が複数ある
誤読しそうな点
•本書の批判は、第一にジェンダーイデオロギー活動家に向けられており、第二に性別移行処置を子どもの希望通りに行う医療者に向けられている。それらに比較すると性別移行治療を受ける本人と家族への批判は極めて乏しい
•本書で騒いでるのは、本書で主に批判されているジェンダー活動家が、「トランスジェンダー当事者への差別扇動では」と論点をずらしてる場合が多いと思う
•メディアは、ジェンダー学者の代わりにトランス治療を途中で中断した人や、トランス治療を完遂した人の声を積極的に取り上げよう
•学校と病院は、男性ホルモン治療をすぐに勧める代わりに、SNS依存などの、他のメンタル問題に対処しよう。他のメンタル問題がへれば、性別違和が消える場合も多い可能性がある
•トランスジェンダーの人への差別も、突然抱きついて応援してるPRするのもやめよう
追加
〉「トランスジェンダーなどというものは実在しない」という本ではないのね
その通り。ワクチンの副作用が出る可能性が0.1%以下の確率でも、1万人受けたら1人以上いるのは自然だよね。この本は「これまでは性別違和を訴える大半が男児だったのに、なぜこの10年で、アメリカだけで、思春期の少女が急激に増えたのか」がテーマ。
〉トランスジェンダーについて「滅多にないのでトランスジェンダー主張は棄却せよ」というのが同書の主張の本質
私はそのような主張は読み取れなかった。私が読み取った同書の主張の本質は以下の通り
「SNSや動画サイトは、子どもが影響を受けやすいことにもっと配慮を。学校は子どもの健康に親に隠し事をしないで。医療者は医学処置より傾聴を。アメリカに少女の居場所を。」
子宮頸がんワクチンの後遺症騒動に似てる。確かにワクチン後遺症は0ではないが、思春期のメンタル不調をワクチンのせいと騒ぐ連中がいるように、少女たちのメンタル不調を「それはジェンダーのせい」と決めつける人々が沢山いるとの告発が、本書の中核だと思った
まとめ
•アメリカの白人少女たちの多くが居場所がなく、メンタルを病んでいる。一方でネット上ではマイノリティが注目を集めている。そこで「自分の生きづらさは、自分がトランスジェンダーだからではないか」と思い込みやすい環境がある
•学校や病院は、少女に冷静な判断を促す代わりに、自殺を防いだりするために少女の訴えを全面的に受け入れて、ホルモン治療や乳房の外科手術を勧める
•その結果、少女たちが「自分はトランスジェンダーではない」と思い直して治療中断をした時には、家族の絆も、声も胸も生殖機能も元に戻らない状態になってる事態が複数ある
誤読しそうな点
•本書の批判は、第一にジェンダーイデオロギー活動家に向けられており、第二に性別移行処置を子どもの希望通りに行う医療者に向けられている。それらに比較すると性別移行治療を受ける本人と家族への批判は極めて乏しい
•本書で騒いでるのは、本書で主に批判されているジェンダー活動家が、「トランスジェンダー当事者への差別扇動では」と論点をずらしてる場合が多いと思う
•メディアは、ジェンダー学者の代わりにトランス治療を途中で中断した人や、トランス治療を完遂した人の声を積極的に取り上げよう
•学校と病院は、男性ホルモン治療をすぐに勧める代わりに、SNS依存などの、他のメンタル問題に対処しよう。他のメンタル問題がへれば、性別違和が消える場合も多い可能性がある
•トランスジェンダーの人への差別も、突然抱きついて応援してるPRするのもやめよう
追加
〉「トランスジェンダーなどというものは実在しない」という本ではないのね
その通り。ワクチンの副作用が出る可能性が0.1%以下の確率でも、1万人受けたら1人以上いるのは自然だよね。この本は「これまでは性別違和を訴える大半が男児だったのに、なぜこの10年で、アメリカだけで、思春期の少女が急激に増えたのか」がテーマ
私もそう思う。性虐待を受けた人の治療と、治療で偽りの記憶が生まれない配慮を両立出来るように、トランスジェンダー医療はもっとバランスが良く改良が出来ると信じたい。
〉上っ面の理解で、本当の性自認を否定し、LGBTを差別する人がいるのでは
まさに私がこれを書こうと思った理由です。Amazonで一位になったけれど、積読のまま差別に利用する人が出現すると思ったから、その意見を前にした時に「この人、ちゃんと読んでなさそう」と思ってツッコミ出来る人を増やしたかった。
もちろん私の読解にも限界があるから、他の人もどんどん私のまとめを建設的に批判して発信して欲しい。
私はLGBT当事者で、家族とは絶縁しました。私も思春期の思い込み、大人になったら卒業するかなと思ったけど、どうやら私は「ワクチンの副作用が出る0.1%のほう」だったようで。
この本でインタビューに答えてる家庭のように、LGBTが理由で家族と取り返しのつかない喧嘩から絶縁に至る家族が減って欲しいと思います。
最近はあまり見なくなったけど、少し前は発達障碍当事者の自己語りをネット上でよく見かけた。
自分にはどういう特性があり、どういう問題を抱えてきて、何が困難で、といったような語りだ。
これはかつてネット上の色んな場所で見られ、時に煙たがられてきたようなものだが、当人にとってこれは自分を理解し次の段階に進むために必要なステップである。
このような語りをするのは、大人になってから初めて診断を受けたような人が多い。そういう人は、子供の頃から様々な理不尽に曝されて生きてきている。
人と全く合わなかったり、馴染めなかったり、いじめられたり。自分は普通にしているだけなのに、その原因が分からない。
それが発達障碍という概念を知って、自分を散々苦しめてきた原因はこれだったのか!と天啓を受けたような気分になる。
あの時の理不尽も、この時の違和感も、すべてはこれが原因だった。人生の伏線回収だ。
そして、この大発見を皆に知らせたいという気持ちになり、このことを知ればみんなが自分を見る目も変わるかもしれないと期待をも抱き、語らずにはいられなくなってしまうのだ。
俺自身もそうだった。俺はネット上ではなく精神科医に対して自己語りをしたのであるが、A4用紙に20ページぐらい、自分の半生の出来事を一心不乱に書き続け、病院に持参したものである。
そのような「大発見」は、当人にとっては生き方を左右するレベルの出来事だが、赤の他人にとってはどうでもいいようなことである。
しかし発達障碍の当事者は、発達障碍を持つがゆえに、それが他人にとってどうでもいいことであるとは気づかない。
そのため、まるで数学の新しい定理を発見したかのような気持ちで、その発見は他人にとっても価値があるものだと確信し、自己語りを公開するのである。
そのように自己語りをしても、周りからの反応はほとんどない。しかし、そうして言葉を紡ぐプロセスを経ることで、当事者は自分自身を深く理解し、次のステップに進むことができる。
また自己語りに関する反応が薄いことで、ああこれは他人にとって価値のない情報なんだと、当人もやっと理解することができる。自己語りは、当事者自身のために必要なことなのだ。
最近、こうした自己語りが少ないのは幼少期から診断を受ける人が増えてきたためだと思う。子供の頃から発達障碍の自覚があれば、大人になって急に天啓を受けることもないのだろう。
また発達障碍の概念が十分に知れ渡ったために、他人に知らせたいという動機も薄くなっているのだと思う。
しかし今でもそうした語りをまったく見ないわけではない。もしそのような自己語りを見かけたら、それは当人にとって必要なステップなのだと理解してほしい。
変な女子アナに騙されないで良かった
この報道によると、この女性は元日本女子バスケット選手だ。身長が180センチ台で、中学生の時にバスケットを始め、名門私立大学出身だ。世界を舞台に活躍したことがあり、モデル活動の経験もあると紹介した。この女性は昨年、実業団を引退して米国に渡り、インスタグラムのアカウントも削除したという。
現地ネット上では、この条件に合う女性は元日本バスケット選手の田中真美子(28)だと推測されている。田中は早稲田大出身で、2019年から日本女子プロバスケットチーム「富士通レッドウェーブ」でセンターとして活躍した。2021年8月に日本代表チーム候補に選出されたが、2022-23シーズンに現役を引退した。
また、大谷の練習の映像で田中とみられる女性が映っているという主張も出てきた。ドジャースのキャンプで撮影されたとみられる映像で、ある女性が大谷が練習する姿を見ているが、この女性が田中ということだ。
個人的にはこれだと思う
https://anond.hatelabo.jp/20230610225932
事の切っ掛けは新宿歌舞伎町トー横近辺のレンタルルームで40代弱者男性が頭部を撃ち抜かれた射殺体で発見されたのが始まりで検死の結果銃創からは硝煙反応が検出されず微かなアンモニア臭がするのみでこれは何事だとこの凶器不明の殺人事件は連日大きく報じられ中には東京拘置所で不審な死を遂げたトー横のハウルとの因果関係を疑う報道もありインターネット上でも大きな盛り上がりを見せて単に事件に関心を持っている人たちを始め当のトー横界隈やキチガイ陰謀論者の他ただ祭りを楽しみたいだけの馬鹿共も入り混じり謎が謎を呼ぶこの殺人事件を巡る騒動はますます過熱していきトー横にも配信者や野次馬を始め様々な目的で大量の人が出入りするようになり連日トラブルを起こすから地元勢力を筆頭に反社やビブ横ドン横グリ下警固の混成部隊がSNSを通じ地元勢力の支援に駆けつけ子供たちに自衛力を持たせるという名目で面白半分に凶器を横流しする者も現れて三つ巴四つ巴の対立が生まれ一触触発の自体に皆が戦々恐々としているところ新宿署に捜査本部を設置し本格的な捜査を開始した警視庁が歌舞伎町に大量の捜査員を投入しその余波で違法売春違法薬物の摘発も進みトー横の浄化が進んでいくが居場所を奪われまいと反発する一部の地元勢力と警察が衝突し遂に暴動に発展し機動隊が投入され力づくで制圧されていくトー横キッズたちを見かねた第92セルフクンニ特殊空挺部隊に所属する私立中高一貫セルフクンニ軟体開発女学院の生徒数人が機動隊員を殺人潮吹きで盾ごと貫き射殺しその他制圧に加わっていた警官全てを皆殺しにしてトー横キッズたちを保護した彼女たちは百合の間に挟まる男を許さないという校則に従いついでに男のトー横キッズも皆殺しにしたあと警官から奪った拳銃や警棒で彼女たちを武装させ戦利品の警察車両やジュラルミン盾でバリケードを構築し東宝ビルに籠城を始めるがその様子はテレ東以外の全てのテレビ局で生中継され事態に気づいたセルフクンニ軟体女学院の一同は騒動を収めるため第一種戦闘配備で待機となるが防衛省からの通達により当学院の存在を明るみに出すわけにはいかないと出動を禁止され各地に潜伏している第92セルフクンニ特殊空挺部隊の隊員に望みを託し病みかわ地雷女子たちの無事を祈るしかなく歯がゆい思いをさせられるばかりでこの日の屈辱は後世まで語り継がれることになるのだがその話は一旦置いといて東宝ビルには警視庁特殊急襲隊通称SATが投入され包囲網を形成し立てこもり犯に投降を呼びかけているがトー横キッズたちを人質に取っているとされる病みかわ地雷メイクの立てこもり犯たちは徹底抗戦の構えを見せており先程リペリング降下で突入したSAT隊員たちを懐から取り出した未知の武器で一瞬で斬殺した瞬間をフジサンケイグループの報道ヘリが鮮明に捉えておりその後同社のヘリは殺人潮吹きによってメインローター基部をやられ墜落しその間際立てこもり犯の一人はフジテレビアナウンサー大塚範一への殺害予告とめざましテレビ司会者谷原章介の軽はずみな言動への苦言を呈し東海テレビスイッチ!のはじめまして再放送かDVD化を希望する声を発したとされるが警視庁が恐れているのはまさに彼女たちの圧倒的な戦闘能力でありそれもそのはず第92セルフクンニ特殊空挺部隊の隊員たちは死にたい死にたい言いながら愛用の貝印カミソリで左手首を切ることでカミソリに赤い刀身を形成しその刃は形状を自在に変化させ超長射程の槍のような使い方も出来るという恐ろしいもので初見殺しも大概にしろという感じだがそれを受けてSATチームはまずはそのリスカソードの最大射程を見極めその射程外からの狙撃で立てこもり犯を排除し人質を救出するという作戦に切り替えようと画策するも高層ビルが建ち並ぶ都市の構造上それも不可能と判断しやはり屋上ヘリポートから隊員を次々と送り込み犠牲を覚悟でCQBで仕留めるしかないと判断したSATチームは最精鋭のポイントマンを送り込みビル内の制圧に乗り出すがその威圧感に怯えたのか人質だと思われていたトー横キッズの一人が警官から奪取した拳銃をSAT隊員に向けており子供を撃つことに一瞬の躊躇いを見せたのが命取りで防弾装備の僅かな隙間を縫って首を撃ち抜かれてしまい銃声を聞きつけ突入の合図だと勘違いした後続の隊員は安全確保のされていない敵地に大所帯で突入してしまいホテルの廊下に仕掛けられた数々のトラップで先頭の隊員に甚大な被害を出してしまうが流石は警視庁特殊急襲隊といったところで後続のライフルマンが見事に拳銃を所持しているトー横キッズの一人を銃撃し彼女を庇おうと無防備に射線に出てしまった第92セルフクンニ特殊空挺隊員の一人が致命傷を負ってしまうがどうせセルフクンニ軟体開発女学院入学時に捨てたこの生命最期はぴえん界隈に捧げてみせようと覚悟した彼女は無数の銃弾を受けながらも超高速セルフクンニを開始し最大出力の殺人潮吹きでSAT隊員十数名を薙ぎ払うように殺害し体水分の一切を失ったその体は一瞬でミイラ化してしまうが骸骨と化したその顔はどこか満足げであったしトー横キッズの一人は無事逃げおおせて皆と合流し彼女の死を他の隊員に伝えたけど水分の無駄だと決して涙を流さず冷静に次の作戦を練り始めるが最大限の悔しさと悲しみを込めて握り締めた拳から鮮血が滴っているのを彼女は決して見逃さなかったが突如階下から大型の重量物が衝突したような轟音が響き渡ると激しい銃撃戦が表で始まり銃声に特有のモールス信号を見出した第92セルフクンニ特殊空挺部隊隊員たちはこれはビブ横ドン横に潜伏していた他の隊員の増援に違いないとSAT隊員の装備を鹵獲しながらも階下に急ぐと花道通り沿い駐車場にピンク色のラッピングで彩られた奇異なバスが停まっておりその車内からは激しい銃撃の他夜景の輝きを反射してキラキラと煌く殺人潮吹きの射線を認めすぐさまピンクバスに乗り込み一行はスマホのナビを頼りながらセルフクンニ軟体開発女学院の所在する険しい山岳地帯へとバスを走らせるが警視庁もそれを見逃すほど甘くはなくすぐさま全所轄署に非常事態宣言を通達しあらゆる交通網に規制線を張り必ず犯人の乗るピンクバスTSUBOMI CAFEを拿捕するよう念押しで通達しカーチェイスを開始しその様子は報道ヘリによって無責任に実況中継され警察は犯人は重武装しているので絶対に近寄らないでくださいと全国民に通達する手間を負う羽目になり実際にカーチェイスに参加した一般市民の自動車はバス内から放たれたグレネードランチャーで大破し乗車していた一家4人が全員死亡するという大惨事を引き起こしそれはそのはずピンクバスを運転しているのはビブ横に潜伏していた同じ第92セルフクンニ特殊空挺部隊の隊員であり彼女たちは米軍基地から密かに持ち出した強力な重火器を装備して今回の事件に介入しておりこの装備この人数のセルフクンニ特殊空挺部隊相手では如何に警視庁といえども苦戦は必至でありとてもではないが急遽駆り出された制服警官が制圧できる相手ではなく箱根七曲りを突破した頃には追跡は警察のヘリのみとなりビブ横担当の隊員がヘリめがけジャベリン対戦車ミサイルを発射しこれを撃墜し追手を完全に撒いたかに思えたが習志野からチヌークが発進したとの情報をビブ横に残り二重尾行している隊員から通達されいよいよ日本最強の特殊部隊と言われる陸上自衛隊特殊作戦群との直接対決が近いと予感した彼女たちは何とかドン横から増援を要請できないかと秘匿性の高いイスラエル製通信アプリで応援を呼びかけるが既にドン横に潜伏していた彼女たちは身元を特定され愛知県警SATチームと守山駐屯地の陸上自衛隊との混成部隊によって追い詰められ撤退を余儀なくされつつあるとの絶望的な報告を受け覚悟を決めた彼女たちは途中でトー横キッズたちをピンクバスから降ろし路銀を渡して何とかセルフクンニ軟体開発女学院へとたどり着き我々の部隊名を告げて入学を志願しろとだけ告げて彼女らはトー横キッズたちを追跡から逃れさせるため敢えて派手に暴れるために湯河原へと進路を変更し最期の戦いへと赴くがまんまと装備を強奪されテロ事件に使われた在日アメリカ軍と在日アメリカ大使館が黙っているはずもなく横田基地からAFSOCの隊員が特殊作戦群に先んじて出動しており既に監視衛星やグローバルホークからの情報で彼女たちの位置情報を特定し包囲網を築いているがこの事件引き金を引くのはやはり我々ではなく同じ日本人ではならないと考えた同部隊の司令官は効果的なフォーメーションと武器による威圧を続けながら攻撃することなく彼女らを包囲し特殊作戦群の到着を待てとの命令を出し約一時間後に到着した陸上自衛隊特殊作戦群の面々は先んじて到着していたAFSOCから必要な情報を得ると彼女らの立て籠もっているホテルへ突入を敢行し地元警察によって完全封鎖された観光地を舞台に日本の最高戦力同士がぶつかり合うが僅か4人の疲労困憊した第92セルフクンニ特殊空挺部隊と50人規模の特殊作戦群では勝負になるはずもなくホテルはまたたく間に制圧され4人合わせての最大出力殺人潮吹きで部隊の1/3を道連れにしたものの近隣住民に一切の被害を出すこともなくこの事件は解決しセルフクンニ軟体開発女学院の存在をなんとしてでも隠蔽したい防衛省の働きかけで本事件の報道は自粛され特殊作戦群とAFSOCの隊員からは彼女らがもっとクレバーに立ち回れば更に甚大な被害が出ていたのではないのかあの戦いは彼女らの自殺願望を成就させたに過ぎない茶番であり彼女らの所属する部隊の本隊と戦っていれば全滅していたとの意見も出ていたがそれはあくまで真偽不明のネット上の不確かな情報でしかなく結局私立中高一貫セルフクンニ軟体開発女学院の存在は一切表に出ること無く幕を閉じトー横近郊のレンタルルームで見つかった変死体も千枚通しのようなもので自らの頭を刺し傷口に自分の尿を注いだと推察され40代弱者男性だから仕方がないという無理筋な結論に達しネット上では顰蹙を買うのだが同時期に服も靴もボロボロに破れて疲れ果てた病みかわ地雷メイクの女子たちが素人では登頂困難と言われている険しい山岳の登頂に無装備で挑戦し地元の村人たちが必至に登山を止めたにもかかわらず彼女らはその山を登っていき行方をくらませたことについては地元ラジオ局のごく短い報道を覗いてどこも報じなかったのは我が国の報道機関に属する記者の怠慢という他ならないが同時に我が国が誇るぴえん文化の希望ある未来を象徴するものであった
何かと言うと、10年ほど前にとあるセンセーショナルな事件があった場所を見に行ってきたのだ。女子高生による同級生殺人事件である。今回は、そのレポとそんな悪趣味な聖地巡礼を決行するに至った経緯の2点を、書き手である私の過去の自語りを多大に含めながら書いていこうと思う。事件の現場を特定して見に行ったイチ野次馬の実録として読んでもらえれば幸いである。
はじめに言っておくが、私はこういった事件が起きるたびに容疑者の地元は出身高校は云々……と嗅ぎ回るような野次馬ではない、とだけ表明しておく。しかしこういった行動に出ている以上、完全否定はできないところはあるが。
はじめに、その事件の内容を説明する。2014年に起きた、女子高生による同級生の殺害事件である。当時15歳の加害生徒Aが、同級生であるBさんを自室に連れ込んで絞殺。動機は「体の中を見てみたかった」「人を殺して解体してみたかった」といったものだった。(以下、それぞれ加害生徒=A、被害生徒=Bさんと表記)
事件の具体的な名称・地名については関係者に迷惑をおかけしてはいけないので伏せさせていただいたが、手口が特徴的なため、調べれば聡明な読者諸君においてはすぐピンとくるであろう。
事件の現場となった場所は、事件発生からほどなくしてネット上では特定されていた。私は現場となったマンション名をgoogleマップで検索、自宅からのルートを検索し向かった。
(ちなみに事件現場のマンションは、事故物件掲載サイトの「大島てる」さんにも掲載されている。Aの実家も)自家用車を走らせ、現場に到着した。所要時間は割愛させていただく。
現場は国道に面しており、すぐ近くには駅や大きなアーケード街があった。駅が近い故か、市営のコインパーキングが現場マンションの向かいにあった。車をそちらに止め、徒歩で現場に向かった。
ここで、あらかじめ大事な前提を記載しておく。現場の敷地内には立ち入っていない。
敷 地 内 に は 立 ち 入 っ て い な い
そこまですると流石に不法侵入になってしまうので、面した道路から歩いて観察するだけにとどめた。私もそんなことでお縄になりたくないので、その点はご理解いただきたい。
現着し、まずはマンションの外観を観察してみる。10階建てでおそらくオートロック。今ではどの部屋にも人が住んでいる気配がある。現場となった5階にもまた、どの部屋にもカーテンがはまっていた。10年も経ってしまえば、その近くの人々の生活もすっかり元通りのはずだろう、という考えが自分にはすっぽり抜け落ちていたことに気づかされた。
マンションの裏手には駐車場が2台分ほどある。ただしもしかしたら、隣のビルに入っているクリニックの患者用かもしれない。駐車場付近から見上げると、当然マンションのベランダが頭上にずらっと見える。AはBさんの殺害後、証拠隠滅のためにスマートフォンを5階のベランダから投げ落としたのだという。彼女のスマートフォンが落ちていたのはこの辺りだろうか、と思いをはせる。
駐車場からさらに路地を入ると、住宅が斜面に立ち並んでいた。ここから先は進んでいない。途中で引き返したのは、非常に坂道が急でその後の体力を考慮したためだ。この町の特徴的な地形ではあるが、国道から一本細い路地に入っただけで急峻な坂道になる。西側には海があり、その海岸線近くまで山地が迫ったこの街の地形故だ。
マンションに数秒黙祷し、周辺の探索に移った。国道の向かい側には小さな商業施設があり、昔ながらのブティックを中心に、1フロアだけのイオンやダイソーが入っていた。ブティック中心だからか、店内は年配の女性が多い。日本のどこにでもある、田舎の商業施設の風景に心が安らぐ。商業施設の1Fからはアーケード街に通じており、今どき珍しく賑わいのある商店街が広がっていた。雰囲気で言うなら、福岡市天神の新天町商店街にかなり近い。
商店街は今どきのカフェや居酒屋といった飲食店から、昔ながらの八百屋にかばん屋、チェーン店のドラッグストアにアニメイトまであった。筆者は商店街と言えばシャッター街と化した薄暗い故郷の商店街しか頭になかったためまあまあ驚いた。にぎわうアーケードの喧騒の中で、AもBさんもここで一緒に買い物を楽しんでいたのだろうか。楽しい時間をすごしたのちに、あのような凶行に及んだのだろうか。そんな、彼女と一緒にお出かけを楽しんだ後にお持ち帰りして夜はムフフなことをして、じゃないんだから……と下世話で邪な形容をした。凡人かつ俗物の私にはそういった想像が限界だった。勿論、真相はAにしかわからない。
横断歩道を渡り、マンションのある側に戻る。国道沿いに北西に進むと、5分もせずに県の弁護士事務所が見えた。Aの父は敏腕弁護士だったと聞く。Aの父は、Aの母が亡くなった後まもなくして若い女性と再婚した。それがトリガーになったかは知らないが、2014年3月にAは父の殺人未遂事件を起こしている。Aと一緒には住めないと判断したAの父は、Aの戸籍を外してAの祖母の養子にし、マンションで一人暮らしをさせることに決めたという。この事実だけ見ると父親もAの扱いに手を焼いていたのと同時に、法的には娘を切り捨てた薄情者、という印象を受ける。
しかし、現地を歩いてみると、現場の近くには県の弁護士事務所があり、父の職に大いに関係していたであろう場所がある。2014年当時からあったのかはわからないが、もしかしたら父は、自分の業務で関わることの多い場所の近くに娘を住まわせようと、ひいては見守りたい意思があったのかもしれない。娘のために駅の近くかつオートロック、自分の職場からも近い賃貸物件を見繕って用意してあげていたのかもしれない、と思いをはせる。やはりやるせなさを覚える。
結果としてAの父親は2014年10月に自宅で首を吊っているのが発見され、そちらの実家もそれで「大島てる」さんに掲載されている。Aの父親の行動には怒りを覚えるところも多いが、同時にどうにもできなかったのだろうと痛ましさを覚えた。
ここまで想像を巡らせたのち、私はマンション近辺を後にした。名物のハンバーガーが食べたくなった、ヤニを吸いたくなった。そういったその時湧きあがった欲求が、私を2014年から2024年へと引きずり戻してくれた。
参考程度に記載するが、賃貸サイトによる2024年2月現在の家賃相場は、その市はワンルームで3.72万円。現場となったマンションはワンルームだが4Fの家賃が4.9万円と、その地域では少しお高めな印象は受ける。築年数も浅く何より駅近物件だからだろう。ちなみに、現場となった502号室はどの賃貸サイトにおいても今は入居者募集されていなかった。
では、なぜそのような不謹慎な聖地巡礼を決行したのか? その理由は、「私がこれまでの人生で1番執着した事件だったから」にほかならない。少し回りくどいが、私自身について、この増田の匿名性を損なわない程度にお話しする。
筆者である私は、Aと同年齢である。そして2014年に何をしていたかというと、やはり高校1年生をしていた。私とAの経歴には非常に共通点が多い。もっとも、Aの方が実家は太く彼女自身の才能も豊かなのは間違いないのだが、その内面には非常に共感できるところが多かった。Aも私も、住んでいる県も学校もまるで違うのだが、だいたい同じくらいの偏差値帯の公立中高一貫校に中学受験で入っている。抜けきらない中二病で一人称は女なのに「ボク」だったし、Aのようなかなり短いショートヘアをしていた。高1の途中から不登校児になったのまで同じだった。(一つだけ自慢。今でこそ私はうだつの上がらない無職だが、高1当時は県内模試で2ケタの順位につけるくらいには学力もあった。)
問題はここからである。高1当時の私は、少年事件について調べるのが大好きで、それをモチーフにして同級生を殺しまくるお話をケータイ小説で執筆・投稿していた。今思うと二重に恥ずかしい子どもである。
事件発生当時まず何を私が考えたか。「A、私の書いたの読んだの?」である。今考えると普通にそんなのはあり得ない確率であるし、ほぼ妄想の域だった。しかしそれくらい手口が酷似していた。後ろ暗い喜びと同時に、思考回路が同じという点でかなり精神的に追い詰められた。二律背反で感情が板挟みになっていた。学校に行っても、やはり同じ高校1年生が起こした事件ということでクラスでの関心も高く、「キ〇ガイだよね~(笑)」とクラスメイトが笑っているところも見かけた。今でも思い出して動悸がする瞬間である。
そしてそのケータイ小説の掲載に関しては、投稿を削除した。そのうえで、もう創作はしないと筆を折った。
そしてその後、連日ニュースがそれを報じてどんどん事件の全容が見えてきた頃には、私はネットでAの情報を漁りまくっていた。私はもともといじめられっ子で、当時はいじめっ子たちのピグやTwitterを特定して、特にアカウントは作らず毎日のように静観するという人聞きの悪い趣味を持っていたから、そういうのが大好きではあった。また、AにはASD(自閉スペクトラム症)があり、その点も考慮して医療少年院送致がふさわしいとの判決が出た2015年頃、実は私もASDの診断を受けていた。偶然にしてはあまりにも近すぎると、一方的にシンパシーを感じていた。
そしてそのうちに、Aに対してどんどん惹かれていったのだ。Aのような人の内面の深淵をのぞき込みたい、という気持ちになり、進路希望調査では心理学部のある大学を書くようになった。その後、急速にメンタルの調子を崩して精神科医療にかかったり、卒業も危ぶまれるくらいには学校に行かなかったりしたが、どうにか高校は卒業した。
犯罪心理学をやりたいです!と意気揚々と心理学部のある大学に入り、臨床心理学系の大学院にまで進み、少年司法の分野に行きたいと思い公務員試験を受け、児童相談所に勤務した。今振り返ると、「心理学がやりたい!」の起点はさかのぼればすべてAへの関心に行きつくと思う。我ながらどうかしている。
そして現在、2024年2月。児相勤務は上司や先輩からの陰湿ないやがらせに遭い、私はひっそりと公務員を退職した。今は退職してから3か月が経つ。公務員時代の蓄えでギリギリなんとか食えているが、正直来月以降の生活は先が知れない。なんでこの分野に焦がれ続けて10年間走ってきたのか? その疑問を問い詰めた時、この事件の存在が頭をよぎった。2024年のあの現場を、Aが生きていた町の2024年を見れば、私のこの思いを終わらせられると思った。以上が、私がこんな不謹慎な聖地巡礼をもくろみ、決行した理由である。
ちなみにわたしは結局、大人になってから二次創作という形で再び筆を執るようになった。どれだけ思考回路が狂気の側に近く、そのリビドーを表出させたいと願ったとしても、創作という法に触れない表現方法を選ぶことができた。私はその点で非常に適応的でポジティブな強みを持つことができたのだと、今は肯定出来ている。
話を本筋に戻すと、私はこの旅で、ようやくAへの執着に諦めがついたように思う。私は間違っていたかもしれないとはいえ、10年間走り続けてきた。そしてきっと、AはAで、医療少年院かあるいはどこかで、償いとAの人生を生きているのだろうと思い至った。やっと私は2024年の自分を生きていけるようになったと思えた。不謹慎だろうが、ようやく私はこれで前を、未来の方を向いて歩いていけそうな気がしたのだ。
最後に、被害者の方のご冥福をお祈りすると同時に、Aの更生と治療がうまくいっていることを祈る次第である。
ちなみにこの後、普通に私はその街の名所を一通り回り、観光して帰宅した。軍港の町なので、港に停泊している米軍の大きな船を眺め、海上自衛隊の博物館を見学してきた。他にも、ネイルチップが取れて応急処置にシールを買うためダイソーに入ったら、パンキッシュな服装のマダムと談笑したり。名物のバーガーを食べていたらバラエティ番組のロケの一団が店に入ってきてびっくりしたり。〇本雅美に似ていたが、声が違ったのでおそらくローカルタレントかなにかだろう。
俺が男だということはネット上では俺しか分からないわけだが、そんな状況で「お前は女だ」と言ってる人間が何人もいると笑えてくる。
身分証でもあげたら納得するのか?いやしないね。どうせ「どこかの画像だ」「他の誰かのものだ」とかいうんだろ?
本当に怖いね。noteの人だけじゃなくて、ブクマカでも女認定してる人がいるんだから。
明らかに間違ってるのに高らかに宣言して、非難して、あざ笑う人間って本当にいるんだなと思った。
別に俺はそんなに傷付いてはいない。あの文章だって、心の底から100%で書いてるわけじゃないんだよ。
「増田のここが異常」とか言われても「いやそこまで本気で書いてないし…」となる。
胸が大きすぎるのは確かに苦手だけど、キャラにデカい胸を押し付けるなと書いたのは文章のフックみたいなもんで、まあ思ってないよ。「このように書いたら読んでもらえるかな」って思ったから書いた。
増田ってまず「読んでもらう」ことが大事で、本音も書くけど、そのためにある程度は誇張したり目を引くようにしないといけない。
キャラに押し付けるなとか言ったのは俺の架空のキャラ設定だよ。だからここに違和感を持つのは当然で、後から考えたら書かなきゃよかったとは思ったけど、文章にどこか引っかかる部分をたくさん散りばめないと読まれないから、これはある意味釣り針。引っかかった人はごめんなさい。これはフェイクです。
でも胸がデカすぎるのはやっぱり違和感だしノイズになるのは確か。
僕ヤバは単なる例で、あんまり良い例ではなかったかもしれないけど、何か具体例がないと読まれないと思ったから。僕ヤバは好きだからやめときゃよかったとも思ってる。
まあ話はそれたけど、俺は男だし、そこだけは間違えないで欲しいし、こんな女みたいな?男もいるってことだけ覚えて欲しいかな。
まあ胸の大きいキャラが多いのは商業的には仕方ないと思ってるよ。あの増田は単なるお気持ち表明でしかないし、まあ一個人がたまに書くのは許して欲しい。
※タイトルは自分の考えによるものであり、「世間的にこう思われている」と主張するものではありません
この文章は男性性を攻撃する為のものでも、女性性を攻撃する為のものでもない。
私は数年前から「正しく」生きていたいと思うようになった。それでニュースを見たりそのニュースへの反応を見ていたりしていたのだが、1つ問題が出てきた。
私は男性だが、その男性性はよく(ネット上では)「厄介なもの」だとされており、更にそこに書かれていることはある程度自分にも心当たりがある。そう、正しくなろうにも私は既に原罪を抱えていたのだ。
ただ、まだそれで男性アンチに回ろうとも絶望して死を選ぼうとも思わない。心当たりがあるので罪人なのは否定せずとも、罪人にも弁護する権利があるはずである。
さて、これがまた難しいものだった。
「女性性」について考えようにも私の「男性性」が邪魔をするのだ。
まず、私は当事者ではない。「男性性の原罪」の影響で異性についての考えにバイアスがかかる。罪人が何かを主張する権利はあっても、その主張が本当に正しいものかは考慮すべきだ、というような感じだ。
更に、仮に「女性性の原罪」が存在するとして、それは恐らく男性性のソレより派手で目立ったものではない、ように見える。そうなるとその罪が女性性によるものなのか人間固有のものなのか判断がしにくい。
例えば、男性にも女性にも暴力性を抱える人は存在するが、男性の方が派手で目立ちやすいというような現象の逆が私には思いつかなかった。
そして最後に、私は被害者のことを同情的に見てしまうクセがあるのだが、そうなるとやはり「女性性の原罪」からの被害を受けた男性より「男性性の原罪」の被害を受けた女性の方が多く見つかるのである。結果としてやはり女性の方に同情的になってしまう。
さて困った。私は男性を否定し、攻撃するつもりはない。なんなら、私以外の男性も自らが抱える「男性性の原罪」の被害を受けているとも思っている。自分の「原罪」による失敗を悔やんだり自己嫌悪した男性は多いだろう。
しかし私は他人ではなく本人なので、「原罪」による影響に抗う余力が残っているかどうかがわかる。自分の罪を認めることにあまり抵抗はないが、しかし自分だけが大罪人であると考えるのも短絡的で、辛い。
なのでカウンター的に「女性性の原罪」を考えて自分の罪悪感を少し軽くしようと思ったのだが、結果は上の通りである。
今までの経緯のふりかえりと、今回何が起きたかお伝えしますね。
まずは何が起きたか振り返ろう。
※ソースがない、との指摘がありますが、「本人の証言レベル」ですがありますよ。事実ベースです。後で貼っておく。
・原作者はドラマ化にあたり「原作に忠実に描く」条件を出し、日テレと合意
・いざ開始してみると原作から乖離した脚本が毎回提出され、毎回大幅に修正する始末(1話から8話まで)
・原作者と脚本家は最後まで1度も会話せず、間にはチーフプロデューサー1人のみ
・原作死守という条件が一向に守られず、他の脚本家を探す時間も無くなったため、9話と10話は原作者が仕方なく自分で脚本を書いた…が、脚本は素人なので当然不評
・脚本家の元に9話と10話の不出来について視聴者から様々なDMが届くも、脚本家は「9話10話だけ原作者が書いた、私じゃない」とインスタで弁明
・さらに脚本家は「最後は原作者がワガママで書きたがったので、仕方なく協力した」と激怒してポスト
・脚本家のインスタを受け、原作者はブログにて「窓口はプロデューサー1人のみだった。そもそも原作を守る契約が脚本家に伝わってなかったのでは?」と暴露
・暴露ブログについて、ネット上では擁護の声多数
・その後、なぜか原作者は謝罪し、記事を削除してブログも閉鎖
・なぜか原作者「攻撃したかったわけじゃなくて。ごめんなさい」とポスト
・原作者が自殺
・しばらくして2024/02/08、脚本家は「知らされていなかった」、小学館は「日テレには間違いなく伝わっていた」と暴露
https://petitcomic.com/news240208
小学館編集のお気持ち表明記事について批判するつもりはありません。
最後の一文「寂しいです、先生。」についてはXでトレンド入り。「打算的で女性の共感を求める戦略的コメント」などとバッサリ切り捨てた投稿がバズっていましたが、この編集は長きにわたり深い信頼関係があったようなので、救えなかった自分の無力さを嘆き感情を吐露したとしても不思議ではありません。
また、この記事では日テレとのやりとりに関する経緯について説明不足ですが、「編集として」のコメントなので致し方なしかと。
https://www.shogakukan.co.jp/news/476200
組織として検証すると宣言されたのは大きな進歩ですが、結果は公表するということですね?
この2週間何やってたのかわかりませんが、それではみんなで結果の公表を待ちましょう。
第三者検証でないと意味をなさないのですが、一歩前進かと思います。
芦原妃名子先生がが亡くなられてから二週間強、先日(2/5)以下の記事がバスっていました。
■小学館が『セクシー田中さん』に関係する記事を削除したことについて
https://anond.hatelabo.jp/20240205173407
穿った見方をすると、この記事がバズったから「もう精神的に無理です、コメント出させて」と小学館上層部に泣きついたとも推測できます。事実は不明ですが。
衝動的に記事を消すのは不要な疑念を招くことになります。恥ずかしいことがなければ堂々としていればよいのです。
しかし、はてな匿名ブログがバズらなかったら、ひょっとしたらこれらのコメントは出なかった可能性があるのでしょうか。
全部推測ですが、そうだとしたら恐ろしい話です。
え?それってやばくないですか?
終わってない?
今回のコメント表明は、脚本家と小学館が歩調を合わせて公表されています。
つまりタッグを組んだ「日テレに対する徹底抗戦」にも見えるのです。
脚本家は「何も聞いてなかった」と言い、小学館は「日テレにはしっかり伝えていた」と言う。
それに加え「原作者と脚本家の間に入っていたのは日テレの人のみ」だと原作者がブログで暴露していたことを考慮すると、
自ずと「日テレが原作を守るという約束を反故にし、好き放題コントロールしていた」ということになるのですから。
ずっと沈黙を貫くのも流石に無理があるでしょう。
今後の日テレの動向に注目が集まるところです。
予め言っておくが、自分は「安楽死反対派」である。それもかなり強く反対している。
ネット上ではたびたび安楽死に関する法整備を求める意見が見られる。
経済的な理由による安楽死は論外として、病気による耐えがたい苦痛を避けるための安楽死を求める意見は一定の支持があるようだ。
だが、主張は結構なことだが「国家によって安楽死を認める」ことがどれほど重大なことか理解していない意見が多いように見受けられる。
あくまで自分の意見だが、「安楽死を認める要件」として最低限以下のようなものがあってしかるべきだと思う。
安楽死とは、要するに医師などにより生命活動を停止させること、即ち「殺人」に他ならないのは疑いなく事実である。
即ち、「安楽死を法的に認める」ということは「国家によって殺人を承認する」ことに他ならない。
国家によって認められた殺人と言えば、「死刑」もそれに相当する。死刑の判決を言い渡すのは言うまでもなく裁判所だ。
当然殺人を法的に認める以上、安楽死についても裁判所による手続きがなければならないと考える。
医師によって、患者がもはや死を避けられない状態であることの証明が必要だ。
主治医はもちろんだが、感情的な選択を避けるためには利害関係のない複数の医師による中立的な判断がなければならないと考える。
当然、安楽死を「行う」医師がどれほどいるかという問題もある。
これが難題である。
その意志が、短期的な抑うつ状態や、周囲や「世間」の圧力に左右された一時的なものでないかの証明が非常に難しい。
2019年の透析中止死事件では、透析を続ける苦痛のあまり透析中止を決断したとされるが、終末期に至って透析中止を撤回したいと言いながらも助からなかったとされる。
本人の意志とはこのように揺らぐものであり、かなり長期間の意志確認は必須である。中立の公証人による証明があってもいいかもしれない。
同様に、安楽死を決めたものの直前になって「生きたい」と意志表示したならば即座に安楽死を中止しなければならないだろう。
また、周囲や世間の圧力でないことを証明するためにも、「安楽死」を美談にしないようにマスコミやSNSには厳重な自制と規制が求められるだろう。
特定の病気になったら安楽死するべき、なんて世論が広がることはあってはならない。
なまじハラキリ文化の日本であり、「潔い死」が受け入れられやすい社会的素地があるのはかなり危うい。
「安楽死を法的に認める」ためには、「安易な安楽死は認めない」という国民の意識改革がなければならないという矛盾がある。
これらの議論を進められるだけの十分な社会的な理解が日本にあるかというと、正直言って「ない」と言わざるを得ないのではないかというのが自分の意見である。
特にマスコミやSNSに関しては、現状ではほぼ絶望的なのではないかと思われる。
なお、昨今の安楽死議論の中には「終末期患者を生かし続ける社会的コスト」に言及するものがあるがこれは論外で、
憲法25条の生存権を見れば明らかなように、国民には「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」し、
国には「国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない」とされている。
国民が生存を望むならば国は生存を保障しなければならない憲法上の義務が存在する。どれほどのコストを支払ってもだ。
つまり、一番手っ取り早い方法は憲法25条の改正と言うことになる。
当然自分はこのような憲法改正には賛成しないし、国際人権A規約にも反する。ハードルは極めて高いと言わざるを得ない。
いくつかコメントが来ていたので補足。
繰り返すが、自分は「安楽死反対」の立場からこれを書いている。
これくらい厳しく要件を掛けなければ、恣意的に運用されかねないという強い懸念があってのことである。
コメントにあるように「経営者が労働者に家族の安楽死を要求する」なんてことが起こりかねない。
裁判所の決定を要するとしているのも、時勢に強く左右されかねない行政ではなく、常に法の番人たるべき裁判所が決定すべきと言う考えからである。
実際、裁判によって決定した死刑囚の署名を時の法務大臣の意志で停止した過去の例もある。
そしてこの程度の要件をクリアできないのであれば、そもそも安楽死を法制化するべきではないというのが主旨だ。
国民の生存を保障するためにある国家が、それに相反する法制を行うことがどれほど困難なことかということについて、頭の片隅にでも残れば幸いである。
個人的には本人の自由意志が確認できなくなった段階で安楽死を認めるべきではないと考えている。
「本人の自由意志がなければ生存権を行使している」と見なすべきであり、当然国家はそれを保障しなければならない。
この時点で「本末転倒だ」と思われる人は多いかもしれないが、安楽死法制化は終末期医療のコスト削減策「ではない」。
あくまでも本人の自由意志によって死を選択する自由を与えるための法制であるべきであり、
医療コスト削減が目的にすり替わるのであればそもそも法制化の目的を見誤っている。
なお、現行法制でも積極的安楽死ではなく、延命治療終了による消極的安楽死は行われており、この手続きで不備があるとは思えない。