「タブー視」を含む日記 RSS

はてなキーワード: タブー視とは

2021-07-05

anond:20210705084207

フランス人黒人だと最大限彼等を擁護するんだなw

そもそも黒人に対して肌の色関係揶揄タブーの様にアジア人への顔に関する揶揄タブー視されて然るべきじゃないか

2021-06-29

anond:20210629174755

当たり前だけど、LGBT界隈で運動やってきた人達の中にも

一級市民扱いされるようになれば「上がり」と思ってる人も、そうでない人もいるわけだ。

前者には他のセクシュアリティなんぞ知ったことかって感じのもいるし

特に若い世代ゲイは先人の権利闘争とか知らんから運動バカにしがち)、

後者はその線引きをフェアな範囲で今後も拡げようとしてる。

何がフェアかは視点によって違うわけだが、割と広く受け入れられている基準

そのセクシュアリティが不可避に、または高い確率他者を傷つけたり、

性愛に関する以外の法律を犯すかどうか、だろう。

ズーフィリアは、「聖なるズー」みたいな本が受け入れられるようになったことを考えても

「なんでタブー視してるんだっけ?」という問い直しの機運は生まれつつあると思う。

ペドフィリアは、少なくとも現代西欧社会は、絶対悪ということにした。

どこからペドフィリアなのかは文化時代によって伸縮するが、少なくとも

タブーにした年齢以下の子もの性的自己決定権合意があっても制限しますよ、

ということになっている。

性病出産性的搾取といった重大な帰結につながる余地がある性行為について

まだリスクを適切にとらえたり、嫌なときにノーと言う判断能力責任能力

充分に備えていないから、というのが理由だ。おれはこれは適切な線引きだと思う。

セックスを抜きにしても、法律上はどこの国でも未成年制限行為能力者という

扱いになるからな。

ネクロフィリアは、少なくともわれわれが殺人死体損壊という

性愛とは別のタブーを乗り越えない限り、線引きの内側に入れられることは

ないだろう。

この線引き問題傲慢さや恣意性については

朝井リョウの『正欲』が果敢にチャレンジしようとしたのだが、

多様性賞賛恩恵にあずかれない善良なパラフィリアたちが

世間無理解のせいでひどいめに遭う」という筋に落とし込むために

ペドフィリア絶対悪にする、というまさかまさかの落としどころを選んだ。

「正しい性」と「間違った性」の線引きを批判してる話のはずなのに、

著者自身も「間違った性」という線引きをそのまま使ってしまったわけで

大失敗というほかない。

2021-06-15

タブーを受け入れた側が勝つ

あるゲーム世界的に大人なのだが、同じ分野のゲームの中でも極めて違反行為が横行していることで有名でもある。一般プレイヤーの3割くらいは何らかの違反行為に手を染めているし、それを多くの大なり小なりのコミュニティでは黙認している。規約違反として処分される対象なのに堂々とマスコミがさも正当なプレイのように報じることも多い。わかりやすくいうとノーヘルバイク乗るのって普通だよね?って感じで。

だけどそんなタブーを犯しているのに大人気だ。普通違反行為が横行しているゲームは人が減っていくのだが、多くの人はそれをタブー視することがない。だからみんな気軽に受け入れている。結局の所、タブーを受け入れた方が成功するんだなってことだ。

2021-05-10

眠れない夜と、ダムタイプ「S/N」について

深夜に殴り書いた言葉を公開させてください。

--------

私は夢見る、私の性別がなくなることを。

女友達手作り料理を持ち寄って会った。母親に男かと揶揄されるたび居た堪れない気持ちになる、と話したらいつのまにか女性の生きづらさの話になって、社会で圧迫される自分自身のことについて話してた。

絵の中で無性別になれるようになったこと、裸を描けるようになったこと。それは昨年唐突に訪れた解放で、ふりでない、本当の意味での理解が訪れた瞬間だった。昔から友達に突然カミングアウトされたり、周りにいろんなセクシュアリティの人が増えて、そこに対して何も思わなかったけど、一方で私はどう考えてもシスヘテロで、ただ家族強制する性の価値観あんまり理解できなかった。

--

女の子らしさはガサツで割と男性的とされる趣味の多い私にはハードルの高い問題で、170cm近い体躯王子役を押し付けられまくった経験からLGBTなの?」「腐女子なの?」と言われることも多々あり、それが耐え難き苦痛に感じる私自身も嫌だった。

普通であることに安心する家族普通であることに怯えるわたし曖昧言葉には常に適度な距離感必要で、冷静さを欠いた議論には意味がない。そういう話をするたび、周りの“いい人”たちはみんな私のことを考えすぎだと言った。そんなに思い悩むから生きづらいのだと。

思考をやめる気はさらさらないが、一方で年々神経を蝕まれつつあるのも事実だった。精神科にかかったことはないし、これからもお世話になるつもりはないが、胃痛で薬を飲むという意味がわかるようになってしまった。自傷的に何度か手を出した煙草のせいだが、倦怠感で身体が動かなくなったりもした。腹痛で意識を失いかけた。神経症で人は死ぬんだと思った。

--

「S/N」を見たのは好きな人の影響だが、どうしてあの人を好きになったのかを思い出した。どうして彼じゃなきゃだめだったのかを。酷い時も、辛い時も沢山あったし、客観的に考えればこうした方がいい、とかもいっぱいある。ただ、それが重要なわけではなくて。愛の器官が母親の甘い束縛と重め(笑)の虐めで壊れて、他人から暴力罵詈雑言を崇拝の一形態だと感じるようになってしまったんだと思ってた。精神的に魘されないと安心できないのかと。でも違う。

--

わたしはきっと、何者にもなりたくなかったんだと思う。透明になりたいし、全てになりたい。もう殴られたくないよと強く願ったら17歳になる頃には殴られなくなったけど、真綿で締め付けられるような虚無が残ったからいつも首に縄をつけてぎりぎりで生きてる。側からはそう見えないはずだけど。好きなトラックメイカー音楽よりもいつか結婚した時の愛する人の方が大事だよ、と言っていて、すごく驚いた。私はずっと、天啓のような何かを信じることでしか、辛い過去を受け入れられずにいたから。いまもそうだし、そうでないといけないと思うの。

--

本当にばかばかしくて、ちょっと幼い話だけど。わたしは、好きな人わたしの目をじっと見て、「眼鏡でもかわいいよ」と言ってくれたその一言で22年近くの呪いが解けた人間である。でも、親の呪いがこんなに深くわたしの中にあるって知らなかった。

小さい頃から蝶よ花よと育てたられた私だけど、母は写真を撮るたびに眼鏡を外させた。かわいくないから外しなさい、と言った言葉はいつの間にか習慣になって、眼鏡さえ外せば最強なのだという行きすぎた自尊心すら生んだ。実際に眼鏡の有無で同一人物だと気付かれないことがあったのも遠因だろう。わたし眼鏡諸悪の根源にすることで耐えていた。

--

恋愛にもそんなに恵まれず、高校で軽い虐めに遭った際「わたしかわいいからでしょう?」と母の言葉確認をとったら、途端にキョトンとした顔をされ、その時から全てがわからなくなった。ルッキズムの最下層に突き落とされたような気分だった。

当時の私は髪のとかし方も知らず、見えている世界レイヤーが少なすぎたので、たしかに見目麗しくはなかったと思う。でも好きなバンドインストアイベントで憧れていたギタリストに前の女の子と明らかに異なる冷たい目を向けられたこととか、そういう体験が、私の不安を加速させた。何をやっても痩せなかったし、服屋の服は全部小さすぎて似合わなかった。最悪だった。

大学生になって古着にハマって、ようやくアメリカサイズの服を着ることでサイズ問題解決したけど、やはり可愛いという言葉が怖かった。私から一番遠いところにある気がした。

--

好きな人言葉は頭の先から足元まで響くような衝撃で、衒いのないトーンは私を惑わせた。本当に、本当に、誰に言われても嘘だろうと、嫌悪感しか抱かなかったその恐怖が、ようやく解放されたような気がしたのだ。それ以降は人の褒め言葉を、きちんと信じられるようになった。

まあ今もコンタクトはたまにしてるけど、選択肢眼鏡を含められるようになったのは、あの時好きな人が認めてくれたからだった。それだけで意味がある。私は体質的に目が乾きがちで、眼鏡ですら頭痛眩暈がすることがある。健康被害よりも強迫的なコンタクト依存から解放されたのは、本当に嬉しかった。

--

「S/N」を見た時に自覚した。わたしは他の人では満たされない渇きを、好きな人ならわかってもらえる気がしたのだと思う。ジェンダーの話はわたしも後追いだし、LGBT当事者でもなくて、フェミニズムに明るいわけでもない。どちらかと言うと旧体制的で、内心少し男根主義に傾いてるけど、でも、多様性を締め付けられる社会が本当に息苦しかった。私が可愛いものを好きなのはかなり異常者で、可愛くないことは罪だって、ずっと見えない誰かの声が聞こえて死にたかった。でもそれを人は幼いという。若気の至りだと。本当にそうだろうか?

好きな人に会う前から男性に恋をしても、きっと眺めるのが好きなだけだった。男性男性性は愛おしくはあるが恐怖で、私は母の教育方針もあって、結構性をタブー視してた。ちょっとフィクトセクシュアルの気もあるせいか虚構を覗き見ることだけが唯一許されてる気がして、それ以外は全部怖かった。そこがギリギリライン

--

それでもようやく付き合ってもいいかなという人に告白されて、焦りであっさり色んなことを済ませてしまったわけだけど、思ったより呆気なくて、何も感じなくて、その行為はいつの間にか虚無感に満ちた義務になった。心がない行動は演技で、いつも断れない自分も嫌だった。でも私というキャラクターが彼を承認した以上、そのキャラクターには責任を持たなければならない。告白承認する、他人人生を背負うとはそういうことだと思った。

そこには頭では納得していたけれど、ある時期から本当に、他人身体に触れられること、好意を抱かれることに恐怖を抱くようになった。何度か背筋が凍るほど嫌な思いをしたせいもあるだろう。私を世の中に貸し出すのが無理になって、人が信じられなかった。そしてどこかで、プツンと糸が切れた。

--

好きな人もその一人といえばそうだし、それは最悪の搾取の仕方ではあったけれど、あれよあれよと巻き込まれプライベート時間は、たぶん優しさであったように思う。私は余りにも臆病で、そして彼の傷は大きすぎたから、私たちは付き合うという選択を保留することにしたけれど、彼は私に好意を伝えてくれたし、たくさん泣いていた。

なんかもう、それだけでよかった。

セックス搾取じゃなくて優しさで、きっとお互いを信じ合うことで、小さな希望で、だから好きになってくれる人たちに怯えるのは私が間違ってるって思う。でも怖かった。

--

好きな人は、私が今まで誰にも話さずに来た、心の穴を知っていた。きっと直感的に。運命いたことを言うとキザだから言わないけど、彼は他の誰にもない魔法で、私を狂わせるけど、よく考えたらそれが無ければ痛くて痛くて生きてられなかったかもしれないし、また勉強が好きになれたからとか、恋心で作品が作れるからとかそんな現金理由よりも、なによりも私が感じていた性の不安とか、かわいいに怯える切実な揺らぎとか、そういう感情無理解でいなかったから。普通に属してるひとたちは…家族も含めて、気づいてなかったのだろう。私が泣くたびに宥められて惨めになる。好きな人だって適当な時あるけど、もしかしたら私のその不安を、あなたならわかってくれるんじゃないかと。

そういう、希望だったんだ。

--

私の部屋はいま彼がくれたお洋服とか、お揃いのものとか、ドローイング、筆跡で満ちている。ちょっとファナティックだと自分でも思う。

でもこれしかなかった。彼になりたかったというよりか、嘘でもいいから愛されてみたくて、その嘘を嘘で終わらせるのが本当に耐えられなくて、本人の知らないところでそれを実現させるために、彼を統合失調的に創造しようとしたのだ。なぜか告白されたり、結局関係性がよくわからなくなったりして、側からみればきっと軽い地獄なんだろうけど。毎日家でも学校でも暴力を振るわれたり表現手段を持たなかった頃よりは、全然幸福だよ。

わたしあなたが好き。

それそのものが救済なんだ。

私はセックスのない世界に行きたかった。それが思い出せたことだけでも、(私が生まれる前に作られた)この作品はとても、とても深い爪痕を私の身体に残したと思う。

2021-05-05

anond:20210504215224

いや実際に政治のせいで人が死んでんだからタブー視する方が罪だろ

問題ちゃんと向き合って変えていこうよ

2021-04-27

日本私権制限タブー視される理由

欧州ではコロナ感染拡大を抑えるために、私権制限を含めたロックダウンが行われている。

でも日本あくま国民自粛に頼るだけにとどまっている。

日本私権制限が行われないのかというと、太平洋戦争の時のトラウマが残っているからではないかではないか

私権制限と言われると、どうしても戦時中の統制社会を思い出してしまう。

そもそも日清日露戦争時にも私権制限は行われていた。

日本海海戦が行われている時は、九州北部の一帯で灯火管制実施されていたりとかね。

私権制限は、別に絶対悪」というわけでもない。

戦時中私権制限して失敗し、今度はコロナ私権制限せずに失敗したとすると、次は日本人は私権制限についてどう扱えばいいのだろうか。

2021-04-08

anond:20210408151025

顔がイイせいで理想化されてイメージが落下するまでの落差が激しくて、地面にびたーーーーん!!された感じだな

ブサイクだったらここまでタブー視されなかったと思うわ

問題児に憧れた自分がいやになってタブーになったんだよ

初めから憧れさえもなければ適度に距離が取れたはずだ

2021-04-05

病気の人や障害を持っている人のことを可哀想だと思うことがなんとなくタブー視されてるのってなんでなの?可哀想もの可哀想だと思うけど。

2021-03-29

anond:20210329105617

今でも責任能力無しで無罪ないし減刑になるケースあるからそれに追加される感じだろうねぇ

責任能力がないなら自由制限されるのはある程度必要ことなのにそっちはタブー視されてる気がする。

2021-03-27

anond:20210327093204

ネットリンチはしばしば現実殺人事件に繋がることから

この界隈ではタブー視されてる気がする。

2021-03-20

かわいい人に(後略)」のnoteにワイがツッコミを入れていく

かわいい人にかわいいと言えないのは、僕としては結構ありえない

https://note.com/yasuharakenta/n/ne19f1e86e899

                                                                                               

頭痛吐き気を催す素晴らしい内容やった。

回りくどい文章だし、例えは似て非になるものばかり。歪んだ主観で全て判断しているし、なんでそれここで持ってきたんや!と思う部分が多く読んでて何度も悶絶した。

それでも女性共感する部分を利用して、僕ならこうする!これがモテマインド!みたいなのが称賛されているのだから、筆者はさぞかし気持ちが良いんやろうな。

初めてエッセイなるものを読んだんだが、こうゆうもんなのか?

                                                                                             

こんなんで女性からの支持を得ていることや、他の男を下げ自分立場を良く見せていることに、激おこスティックファイナリアティぷんぷんドリーム状態になったこのワイが、勝手ながらnote気持ち悪い部分をピックアップして、細けえなと思うほどにツッコんで評価していく。

本文について賛同している人も、これ見れば割とフラットになるのでは?と思うわ。

ちなみにクソ長くなってしまったので、めんどくさい人は最後の方だけ見てもらってもまぁわかると思う。一応ちゃんと目を通してもらったほうが、noteの筆者が書いてることに疑問を持つことができると思うけどな。

頑張って面白くなるように書いたので、ワイの無駄努力を汲んでくれるならできればちゃんと読んで欲しい。

                                                                                             

以下では、noteの内容の一部抜粋を繰り返しツッコミを入れていくので、一度本文を読むか、照らし合わせて読んだ方がついていけると思うで。

それと、筆者に語りかけるような書き方をしているが、別に筆者に届いてほしいとかではなく、こう言いたいと想像して書いた結果なのでその辺は承知の上で見てほしい。

                                                                                             

ではスタート

男子の多い理系大学女子の多い家政科系大学の合同サークル新歓にふらふらと参加した。会は居酒屋2階のお座敷全体で行われ、20分もするとビール瓶を持った先輩たちが席を行き来し始めた。

僕がさっきまで話していた目の前の女の子のところにも複数人で来て「かわいいよね、言われるでしょ」と笑い「まあまあ」とビールを注いだ。別の席では胸の大きな女の子に「ってかスタイル良くね?」と、それまでの会話はどうでもよかったかのようなテンションで話している。

はあ、と僕は口を曲げていた。目の前の女の子を取られたからじゃない。そんなやり方ないよなと思っていたからだ。

「胸の大きな女の子に「ってかスタイル良くね?」それまでの会話はどうでもよかったかのようなテンションで話している」

この書き方って、胸を見ていたお前さんだから出てくる言葉やないんか?

そいつらのコミュニケーションの取り方はあまり気持ちのいいものではないのかもしれん。お前さんの気持ちはめちゃくちゃわかる。

けど「スタイル良くね?」の発言は、ただただその通りの意味で、胸からきているものだと捉えているのは男性でも共通感覚ではないやろ。

胸の大きさをまず確認しているお前さんが気持ちが悪いわ。

そんなつもりで書いたわけではないのかもしれんけど、胸を強調してしまっている書き方は読んでて気持ちが悪いので-5点

                                                                                             

かわいい人にかわいいと言うのは、僕としては結構ありえない。

かわいいと言われても、そんなことないですと返せば「いやかわいいって」とゴリ押しを喰らい、ありがとうございますと返せば「調子乗ってる?笑」と餌食にされる。逃げ道がない。そういうことはふたりきりのときに言えばいい。

好意を持ってるからこその意地悪だと思うけど、確かにそうゆうやつは結構おるわな。

つっても、それは会話の切り口であって、基本的かわいいについては二言三言とで終わるやろ、逃げ道がないって言葉で重く考えるのはちと考えすぎや。

仮にそうだったとしても、可愛いを言うのは二人のときだけにしようってのも飛躍しすぎや。

可愛いって伝えたい場合は、通路側までその子呼び出してかわいいねって言うんか?

それとも店の外にまで出るんか?二人きりの空間ならトイレの中か?

いずれにせよ、そっちの方がめちゃくちゃきもいし、めんどくさいわ。

女性だって可愛いについてめんどくさいと思う人もいるだろうけど、言われなかったらそれはそれで悲しく感じたりもするやろ。

からこそ言わないことにしようってゆう考えやろうけど、それは短絡的すぎや。

この人のエッセイによってアホみたいなハラスメントがまた生まれそうだし、そんなのできてしまったら、ますますコミュニケーションを取るのがめんどくさいから-5点

                                                                                             

胸が大きい人に胸が大きいと言ったら、その人がキュンとするとでも思ってるのだろうか。下心があるからこその発言だろうけど、本当にやりたいならそんなことは言わないべきなのに。僕は背が高いけど、大きいねと言われてキュンとしたことは一度もない。会話のきっかけとしては仕方ないと諦めているが、もし「好き。だって背が高いから…」と告白されたら「キエエエエ!」と竜巻を起こしてしまう。天候を操る能力者の場合はだけど。

から、どう考えても相手を喜ばせたくて「かわいいね」「胸が大きいね」と言ってるとは思えない。

本当に好きだったり付き合ったりしたいなら別の作戦を取るべきだ。

でも、その場の瞬間的な欲求に左右されてる。

ん?胸のくだりはどこから出てきたんや?お前さんはやっぱりおっぱいが大好きなんか?それとも書いてないけど新歓でだれか言ったんか?

そうだったのなら、ワイもその意見には同意や。

だけど、それをお前の背丈と同様に考えるのは無理があるやろ。

胸について触れられたら不快感が生まれることがあると思うし、そもそも発言自体セクハラに該当するのでタブー視されてるけど、身長ってそこまではいかんやん。

胸について話すことは構わないってゆうラフな人でも、どこまで話せばいいか難しいし、異性に幻滅されたり、同性からビッチ扱いされることもあるだろうから、かなりセンシティブなことだと思うのに対して、やっぱり身長はそうでもないと思うわ。

                                                                                             

それから、お前さんへの「大きいね」とゆう発言がキュンとしてもらうために言ってると思うんなら、自意識過剰の枠では収らないので早めに精神科への通院をオススメするで。

相手好意を持ってると断定した上でのこととするなら、確かにキュンとはならないやろうな。

だが、身体的な特徴に対する発言でキュンとさせてくれるものってまぁ無いやん?そして相手もそうなると思って言ってるわけではないやろ。

彼女がそうゆうの求めるタイプやったらホンマにめんどくさいわぁ。

                                                                                             

てかまず、なんやキュンって?

キュンってのは、ひょんなことで意識したり、しぐさや行動などで生まれときめきだったりってゆう、だいぶ抽象的なものとおもうんやけどさ。

気合い入れておしゃれした日に、異性から「かっこいいね!かわいいね!」ってゆう発言に嬉しさは感じたとしても、キュンってゆうときめきのようなものは滅多に感じないやん。

ポケットにどれだけのキュン詰め込めばそうなんねん。相手に求めるハードル高すぎやろ。

下手にキュンを求めているところと、天候を操るのくだりが何回読んでも意味不明だったので-15点。

                                                                                             

結局、無理して飲まなくていいからね、気にしなくていいからねと言った俺が一番信頼を集めていた。

いやお前さんも好感度稼ぎ大会に参加しとるやないかい。配慮しているように見せかけて、本当はあわよくばを狙ってたんちゃうんか?

さりげないようでゴリゴリに自慢をブチ込んでくるやつの話は大体つまらいから-10

                                                                                              

でも、仮に僕が優しいとして、それが姉妹に由来するならあまり嬉しくはない。

かわいいね、胸でかいよねと絡まれてる女性を見るのは全然楽しくないし、今からその人たちに年の近い姉妹ができるわけもないし。

まれてるのを見るのは大体の男が好かんやろな。ただあーゆうの自分がやる時は結構しかったりするんや。楽しいから何やってもいいわけではないけどな。

てかさ、初めからお前が止めればええやん。なにを「俺はこう考えている」「お前らとは違う」みたいなこと思ってんねん。実際被害が目の前で起きとるやんけ。

つっても、まぁそうだよな、「上級生だから、、」とか、「新歓からそんな動きは、、」とかいろいろと考えてしまうもんよな。すればいいやんでできるほど簡単なことじゃあないよな。

から行動に移せないお前さんを責めたりはせん。

だが、こんなエッセイ自分正当化しているのは気持ちが悪いから-15点

                                                                                              

高校放課後教室で、よく話してた明るい同級生女の子から、実は毎朝のように痴漢にあっていると聞いた。

痴漢を突き出せば数時間の拘束で遅刻は確定。毎朝声を上げるわけにもいかないと彼女は言った。

からというわけじゃないけど、ほぼ初対面の女性ルックスのことばかり言うのは、好奇の目で見てますよと伝えてるようなもので、かなり抵抗がある。

かわいいも胸大きいもやりたいも同じ。全部「うっわ。いい女」と言ってるように聞こえる。

あのさ、関連しているわけじゃないのになんで痴漢の話出すんや?

仮にそれがあったからの話だったとしても、痴漢行為と外見についての発言って別問題よな?

なんだかずっと読んでて引っかかるんやけど、お前さんのルックスや外見に対する発言解釈が=下心ありきの発言だんだんなってるのが、読んでる側との認識ギャップが生まれて読みづらいんや。なんでそうなるんや?

かわいい」って、好意を持った発言でもあれば、パリピナンパ挨拶のように使うこともあるし、小さい子にだってかわいい」って言うことだってあるやろ。

お前さんも何かしらがあって、かわいいなどの言葉をそう捉えてしまうようになったのかもしれん。それやったらさぞかし辛いできごとがあったんやろなぁ。

だが、その感覚正当化されるように書くのは「は?」としか思わんし、伝えたいイメージを共有しにくくする文脈の書き方は、読んでて気持ちが悪いので-10

                                                                                             

僕も「背高いね」と言われるのは嬉しくないし竜巻は起こしちゃうけど、別にいい。「かわいい」と「背が高い」はそのくらい、性質全然違う。


いや、十数行くらい前に、胸に対する発言を背丈で例えてたんだけど、、、、、、は?

竜巻災害が起きると危険なので、むやみやたらに使うのは避けてほしい−5点

                                                                                             

突発的に見えるものも、選択が伴っている。ランダムじゃない。

池袋で育ったから、「不良に絡まれた」という話は友達からときどき聞かされていた。中学生の頃の話だ。けど僕自身は一度も絡まれたことがない。どちらかといえば草食系だし体力にだって自信はないけど、たぶん背が高いから。

不良ですら相手を選んでるなら、女性は体力的に弱いというだけで、女性というだけで、どれだけ嫌な思いをしてきたんだろう。

なるほど!不良でもそうするんなら、確かに女性ひどい仕打ちを受けてるよな!男サイテー!

ってのもさすがに短絡的すぎやろ。それどうゆう解釈なん?ワイにはその解釈の仕方がわからないわ。

それとホンマにさ、比較するところがおかしくすぎひんか?

不良が喧嘩を売る相手と、男性卑猥なことをする女性判断基準を一緒にするのは違うやろ。

まず暴力行為を行うことと不純な行為を行うことは目的全然違いすぎる。

                                                                                             

不良は自分より弱いであろう女性子供喧嘩売ったりすることはせんやろうし、卑猥行為をする人はルックスや着ている服などその他もろもろの要素があって行為に走ると思う。電車内などは密着度が高いことが原因で、一過性衝動に駆られ痴漢行為に走っていることもあるやろうしな。

まぁどちらも体力的に自分より弱そうが大前提だとは思うが、ただ入り口が似ているだけで、行動に出るかの判断材料は他にもあるはずなのに、それを「相手が体力的に弱いから行動するのだ!」と一緒くたにするのはさすがに無理があるわ。

なんでもかんでも取ってつけて、それっぽく出しているところが読んでて気持ち悪いので−5点

                                                                                             

                                                                                             

前にツイッターで「妻が池袋は人とぶつかるから嫌だと言っている」という投稿が回ってきたことがある。僕は当然意味がわからなかったが、後に確か別の人が後ろからその様子を撮影した動画も回ってきた。

その動画を見るまで、育った街ということもあって、渋谷より新宿より、池袋は過ごしやすいなぁとすら思っていた。

僕には到底分からない(と信じたい)が、背の低い中学生しか絡まない不良も、女性に次々とぶつかる男も、弱いものを力で圧倒することに優越を感じているのだろう。

結局体力が物を言っている。どれだけ頑張って生きても。

実際、脳の構造女性のほうが空間認識能力は低いと言われているんや(諸説あるがこっちの意見が多い)

                                                                                             

男性はぶつかってくる」は本当か

https://anond.hatelabo.jp/20201205155542

                                                                                             

それだけが問題じゃないにしても、上の記事のように、反対側の考えを持っている人も女性の方におるんやで。(ホンマに女性かは知らんけど)

だとすると、そのツイッター投稿だけ鵜呑みにして、男側がぶつかってくると考えるのは視野狭すぎるやろ。もうちょっと脳みそ使ってあげようや。

                                                                                             

それとお前さんは、女性側の立場を少し知ったくらいで優越感を感じるんか?

お前さんもそうやってわからないことをSNSだったりで気づくわけやん。

気づいて、それを踏まえた上での行動や配慮することはいいことや。ワイもお前さんを見習うべきだと感じた。

けど、その行為優越感を得たり、こんなエッセイで気づかない人を蔑むように書くのはさすがに心がすさんどるやろ。

実際お前さんも気づかない側におったはずやのにな。まるで童貞卒業したての男のようやな。

男はぶつかって優越感を得ているとか意味不明な結論を堂々と出したのにもかかわらず、結局しょうもない優越感を得ようとしているのは自分とゆう特大ブーメランちょっときついので-10

                                                                                             

僕ら男だってドラえもんタイムマシン恐竜のいる時代に行き、大恐竜たちが次々と舐め回してきたら怖いに決まってる。ほんやくコンニャク言葉の通じた恐竜たちが「大丈夫大丈夫!」「興味本位から」「かわいかたからつい」「ちょっと触りたかっただけ」と言ってきても、なるほど!と納得できるだろうか。すぐそこで暴走した恐竜が別の男を食い千切ってても。

それに、恐竜を使ったフィクションにしないと例えられないという事実自体が、体力差による不平等を既に示してる。

え?どうゆことこれ?、、、、、、、、、、、え?

マジでどゆこと?なにそのとんでもない例え方?え、ホンマに意味わからん

全然意味がわからないもんだから、試しに15回くらい立て続けに読んでみたけど、一ミリ意味分からんアカ頭痛くなってきた。

なるほど!と納得できないのはお前さんの例え方であって、恐竜威圧的コミュニケーションじゃないわ。

これ恐竜じゃないと無理か?トラやライオンでもいいやん。ゴリラだって一般男性より力強いやろ。

恐竜以外に例えらないのは知識的な問題であるのに、それを「恐竜以外に例えられないという事実自体が、体力差による不平等を既に示してる。」って置き換えるのはもはや天才なのか?ここまで責任転嫁露骨に下手なのも珍しいと思ってしまったけど、ワイの様な凡人には理解できてないだけなのだろうか?

えっ、、、ほんとに意味わからん。どうしよう、ゲボ吐きそうだ。

クロちゃんのわからないわからないがここで初めて共感できてしまった。

                                                                                             

まず、そもそもパワーバランスおかしい。男の人が襲ってきても女性側は抵抗余地がある(武器なしの場合に限る)のに対し、恐竜なんて男が銃や刀持ち出してもどうすることもできひんやん。

その例えだとパワーバランスに開きがありすぎて、生まれる恐怖心の大きさが圧倒的に違うわ。

女性恐竜と男の人どっちが怖いですか?のアンケートしたらそりゃ100パーセントに近い数値で恐竜やろ。

もしかして、ここでは恐怖心の大きさなどは考慮せずに、感じるものが似てるかどうかなのか?

わかった。じゃあそうゆうことにしとくわ。

そう考えてみたけどやっぱり意味わからん

                                                                                             

それと、この時点でお前さんのnoteの内容は

女性の外見に対する発言について自分意見を伝えたい

女性は外見の発言のみならず、視線空間を共有するだけでも恐怖に感じていることを伝えたい

女性は体力的に弱く、性被害に遭っていることを伝えたい

自分女性のためにいろいろやってんやで!すごいやろ?ってのを伝えたい

                                                                                             

ってゆう複数の要素をごちゃまぜにしとることで、いろんな基準が飛び交い、そのせいで文章にまとまりが無く、読みずらいを超えてすごく気持ちが悪いんや。

そこに謎理論の例え話重ねるとかお前鬼か?

読みづらい文章、例えもひどい、男性嫌悪を無駄助長している、恐竜大好き、以上の点を踏まえて-10

                                                                                             

もう書いててホント頭痛くなってきたわ。

時間を返してほしくなってきたので追加で-5点

                                                                                             

勘の良い人なら「本当にやりたいならそんなこと言わないべき」ってことはお前が一番エロいだろと思ってるかもしれないし、その通りだと僕も思う。

ワイもそう思う。日本で一番エロイと言っても過言じゃない。おっぱい大好きそうやしな。自分を見つめ直すことはいいことや!+40点

https://anond.hatelabo.jp/20210320132031 (続き)

     

2021-03-18

anond:20210318104931

横だけど

差別かどうかと当事者がどう感じているかは、意外とそりが悪いと思う

日本人差別する用語は無数にあり、国や文化によって考え方も全然違うし、そもそも日本人に通じる差別かどうかもわからない

ある国では日本人差別軽蔑してきた歴史があってその用語現代で使うことが現地人にはタブー視されていても、その事実日本ではあまり知られていないなら、それは現地の人の懺悔過去歴史を繰り返したくないという表れが強いだけかもしれない

差別かどうかを争うのに、当事者が必ずしも問題の中心にいるとは限らない

差別を受ける人が既に存在しない場合もあるから

から難しいんだよな

2021-03-13

ぶっちゃけ創価学会統一教会人達って言うほど悪いことしてるの?

よく言われる騒音おばさん伊丹十三の件も結局真偽の程はよくわからないし、彼らは巷で噂されている程恐ろしい宗教団体なん?(統一教会は何かここ最近改名したらしいけど、長たらしい名前で書くの面倒なので便宜上旧称で書く)

彼らの集会行事、例えば集団合同挙式とか葬儀の様子(集団でお経を唱えるやつとか、また数年前に起きた火山噴火犠牲となった少女統一教会員の娘だったようで、その時の派手な葬儀の様子が巷で話題になった。)こいういうの不気味で気持ち悪いという人達もいるみたいだけど、これらだって彼らの中だけでやる分には別に外部に迷惑をかけてないのでは?不気味で気持ち悪いと思うのならわざわざ顔近づけて覗かなきゃいいのでは?

霊感商法みたいなことやってるって話も、まあ統一の方は昔ガチでそういうのやってたっぽいけど(今もやってるのかどうかは知らん)、創価の方はどうなの?信濃町売店写真とか調べてみたけど見た感じそこで売られているグッズの殆どは(まあ「大勝利飴」とか少々アレなネーミングセンスのものもあるけど)そこまで露骨に値の張るものでもないし、また信濃町の中を歩いて撮ってみたという動画も幾つかネットに上がっているけど、それ見た感じじゃ売店の周りで悪質な客引きとかキャッチセールスとかやってる感じでも、撮影者に何か絡んでくる感じでもなかった。

入信・入会を拒んだもの脱会しようとした者に集団嫌がらせとかストーカーしてくるみたいな話とかもさ… 統一の方はちょっとよくわからないけど、創価については例えばマキシマムザホルモンダイスケはん創価大学出身で、彼もまた実は在学中に創価学会とはちょっと一悶着あったみたいだけど、最終的に彼は学会から大学名をプロフィールに載せないで欲しい」「創価大学ではライブをしないで欲しい」「金輪際大学へ出入りしないで欲しい」等と言われて追放された様で、この様に学会と何か揉め事を起こした者は寧ろ学会の方から拒絶・破門するみたいだぞ。また、このことで未だにダイスケはん学会から嫌がらせを受けているなんて話は(明るみになっている限りでは)聞かないし。

あと菊とか鶴とかのタブーの話も、確かに言われてみればテレビ創価について特集しているの殆どたこと無い(前に池上彰が少し特集しているのを見たことがあるくらい)ので事実マスメディアでは彼らに関する報道は半ばタブー視されているのかもしれないが、ネット上の噂によるとそれは実は創価学会在日コリアン系の集団で、彼らがメディア支配しているからだ、そして日本メディアが左寄りなのもまた彼らのせいなのだっていうけど本当にそうなの?(統一は確かに創始者韓国人文鮮明本部韓国にあるという事は教会の方からはっきりと明言しているが、)池田大作は本当にソンテチャクなのか?確かに日本テレビ報道が左寄りなのもまた否定はしないけど、それって創価に関連する報道がほぼタブー視されていること関係あるの?その噂のソースとされるこちらのサイト(http://peachy.xii.jp/korea/)ってデマとかが指摘されまくってるやつだし。ていうかそもそも創価学会が支持している公明党って自民党と連立関係にあるわけだし、むしろ彼らは左界隈とは対立している側では…?

あとこういうこと書くと「これ書いてるのってひょっとして学会員・教会員なんじゃないか…?」みたいに思う人もいるかもしれないが、まあ正直この文章も彼らを擁護するものでは全くないと言えば嘘になるかもしれないけど、仮にこれを書いているのが学会教会関係者だとしてそれで文章正当性の内容が薄らぐのか?あとこれは筆者の偏見かもしれないがオタク層の中にアンチ創価統一が多いような気がするのだが、ちょっとそのオタクアンチ創価統一兼任している方々に問いたいのだが、例えばネット上の学会教会に関するあやふやな噂を全て真に受けて学会教会関係者を皆一括りに「嫌がらせストーカーをしてくるような恐ろしい人たち」と決めつけるのは、それはマスコミオタクに対する悪意ある偏向報道を真に受けてオタクを皆一括りにして社会不適合者・犯罪者予備軍扱いすることと何が違うのか?また前述通り彼らの集会や挙式や葬儀の様子を不気味で気持ち悪いと思うのはまだ個々人の主観だろうが、参加を強要されたというのならともかくわざわざ覗き込んできて「不気味で気持ち悪い」というのは、それはオタ趣味文化にまったく興味も理解も無いやつがわざわざオタクイベントの様子を覗いてきて「うわっ、キモッ!」等というのと何が違うのか?またもし仮に自分の周りに学会員・教会員と判明した者や若しくはその疑いのある者がいた時に、それだけでその者を「あい学会員・教会員らしいぞ」「うわ怖っ、もうあいつと関わるのよそう」等と陰口をたたいたり村八分にしたりするのは、それは嘗てオタクバッシング最盛期の頃にオタバレした者やオタク疑惑をかけられた者が受けたいじめと何が違うのか?またそういう集団での嫌がらせや陰口や村八分にしたりすることこそ、(仮に本当に行われているとして)悪質な信者がやっているとされる嫌がらせストーカー行為等と五十歩百歩ではないのか?ていうかぶっちゃけ彼らはオタクの敵なのか?現状どこぞのフェ〇パ〇ク連中の様にサブカルアニメとのコラボイベントかにクレームつけて火付けしてる感じでもないし、また先ほども言ったが公明党はその〇ェミパヨ〇連中と対立している自民党と連立関係にあるわけだし、寧ろアニメに火付けしている連中とは対立している側ではないのか?(ただまあ、逆に彼らが直接オタクの味方をしているという話も聞かないし、またそれだけでオタクは寧ろ公明党を支持しようみたいな話になるものそれもまた安直な考えではあるだろうけど。)

と、書き綴ってきたが正直筆者個人も彼らのことを真っ白な集団だと信じ切っているわけでは無いし、もし本当に何か良くないことをしているのであればそれはきっちりと批判糾弾されるべきだと思う。ただ、ネット上で彼らに関する噂を真に受けて彼らを叩いたり怖がったりしている人達を、その風潮を見ていて、その辺りモヤモヤしていたことを事を思わず書き綴りたくなった。少なくともも自分の周り学会教会関係者、又はその可能性がある者がいたとしても、周囲にしつこく入会を勧めてくるとかじゃないのなら本人の信じる宗教くらい本人の好きにさせてやればいいのではないだろうか?その宗教団体に入った結果どうなろうとそれは本人の自己責任ではないのか、と筆者は考える。

2021-02-12

話題独身税たっぷり触れてます。【移民と置き換わり、消滅しゆく日本人への「逆説の少子化対策」】

https://yt3079.hatenablog.com/

日本人は毎年数十万人単位で急減の一方で、移民外国人住民)は毎年増加(コロナ渦で数年はずれるが)を続ける

日本人移民人口比逆転は時間問題「40年後の40才以下の3人に1人は移民?」

出生率に変化がなければ、将来の人口動態もほぼ推計通りになる) 

◎約90年で人口が半減するスピードしか子供が少なく老人が多い)。人種単位の持続性の観点では有事であり、危機非常事態。それなのに対策は後手後手

→例えば、ウイルス蔓延現在進行形悪化スピードが早く、人権制限してでも効果的で思い切った対策をとる機運も生まれやすいが、少子高齢化ダメージ時間スピードが遅いために、切迫感が低く、結果、対策が「常に」後手に回る。

◎現状の育児支援中心で自由意志に期待した少子化対策は30年以上、毎年失敗の連続政府自治体対策対象世帯である「産みたくても産めない人。結婚したくてもできない人」はどれだけ存在するのか。被害者感情に流される対策効果が出ていないのが現実

→本当はお金ではなく、大変だから子作りをしたくない。面倒だから結婚したくない。だから育児支援保育所いくら作っても、育休を増やしても結婚に結びつかず、子供は増えない。(平均年収の倍で待機児童のない東京都千代田区出生率は全国平均以下)

出生率低下の要因は未婚率の上昇と多産の減少。その原因とされる「格差拡大説」はどこまで正しいのか。

独身低所得者が多いのは「原因ではなく、結果」。1970年代までは、低所得者年収200万円以下)でもほぼ結婚して子供がいたが、現在戦時中よりもはるかに低い出生率日本を含む先進国生活多様化しており、コスト要因の結婚必要性優先順位の低下により、低所得者から結婚回避するようになった。

◎子作りしたい人への環境支援ではなく、子作り「したいと思っていない人」に子作りを促す対策重要

→既婚者の完結出生児数は約2人であり、現実として子作りをしたい人は支援関係なく、子供を作っている。問題出生率低下の要因である未婚者の急増であり、結婚を諦めている人、意欲に乏しい人にどう働きかけるかがカギ。結婚個人自由だが、その自由により、社会の持続性を大きく損ねている。

動機に働きかけ効果だけ求めた少子化対策は次の通り。「3大義務同様に子作りの努力義務化の指針」「第3子以降に1000万円超など、多産ボーナス」「子作り負担のなく福祉を受ける40才以上の独身増税実質的独身税)」

→早婚に金銭メリットが生じて、相手理想ハードルが下がり、これまで結婚できなかった層も結婚相手対象に。育児放棄など社会問題の増加より、少子化放置で起こる社会問題の方がはるかに深刻。消費性向の高い育児世帯と若年人口が増えれば内需が復活。

少子化対策の失敗は、効果でなく倫理的視点(受け入れられやす育児支援のみ)で選ぶから失敗する。本来負担の大きい子作りに対し、反発のない対策効果も期待できないはず(作用反作用法則)。先祖の多大な負担があったからこそ、現代人が存在する。現代人が身勝手倫理モラル負担回避正当化すれば、将来世代は先細りの一方。

目的少子化解消)は手段人権問題があるが効果を見込める対策)はを正当化するのか。メリットデメリットを上回れば導入すべき(人が減り続ける悲惨社会になっても、子供を作らない自由意思尊重大事なのか? 倫理観や同義性の遵守より、手段が受け入れ難くても「問題解決を優先」すべき) 

★本稿のポイント

少子化対策の「思い込み=(人権モラル少子化解消よりも重要)」を解消し、少子化対策にの人権モラル我慢すれば、効果的な対策を実行でき、少子化問題解決可能。昔の子沢山を成立させていた周囲のプレッシャーや後継、労働担い手などの子供が生まれる要素が無くなった現在、「法律一本の施行」で制度を作り、子作りに動機を与えて出生率の上昇に繋がる具体策を提案する。それを実行するには、いかにしてハードルとなる人権倫理観を我慢してもらうのかの説得が少子化対策本質にして、本稿の最大のテーマだ。少子化が解消し子供が増えれば、内需が復活し日本経済回復する。本書では、このままの少子化状況が続いた場合日本人に訪れる悲惨運命とそれを回避するための、効果を優先した対策提案解説する。

〜〜〜〜〜〜

近代社会学の祖オーギュスト・コントは「国の未来人口構成で決まる」と見抜いたそうな。人口を減らしながら常に高齢者が多い逆ピラミッド状の人口構成では、衰退は避けられません。合計特殊出生率1.36(2019年)と低迷を続ける日本。このまま人口が減り続ければ、国の発展以前に現日本人が将来的に存続できなくなります。存続できない可能性が高いのではなく、日本人出生率が2を切り続ければ将来的に存続できなくなるのは物理現象です。それに対し、どこか他人事日本社会政治問題意識を投げかけたいと思います

問題解決するより、発見する方が困難です。個人組織も、自ら気づかない潜在的問題により、傾いていきます少子化問題は極めて深刻な問題にも関わらず、政府少子化対策関連予算先進国の中でも総予算に占める割合が低く、口では声高に危機感を高めていると言っても、財政支出観点からは本気度が極めて低く、問題視していないレベルと明確に言えるでしょう。2019年末に決まった26兆円(真水4.3兆円)の経済対策でも少子化関連には1円も使っていません。使い先は電線の地中化など。。

現状の少子化対策育児支援など環境整備の観点しかなく、30年間も同じような方向性政策しかとられておらず、改善兆しが全くないのに、「地道にやるしかない。環境整備が大事だ」と言い続けています。一方、日本人が減り続ける中で、近年の政府実質的移民政策に大きく舵を切りました。100年後の日本列島は日本人移民の混在する国になっていますさらに、それ以降も出生率が大幅に回復しない限り、容赦無く日本人は減り続ける一方で移民割合は増え続け、その時の日本国籍のルーツ海外由来になっている可能性が物理的に極めて高くなります公用語中国語などに変わっている可能性も十分あるでしょう。

そうはならない為の少子化対策。現状の育児環境改善策以外にも、視点を変えれば効果のある対策はあるはずです。出産育児個人権利に関わる問題ですが、残念ながら環境支援だけで結婚、子作りの有無を自由意志に委ねた現在少子化対策では増えていない現実があります。それを改善するためには、より、子作りの動機付けに導く政策必要であると考えますしかしそういった対策は、個人自由意志に反する可能性のある対策であり、モラル倫理観の問題で実行に大きな障壁がありますしかし、動機付けの対策有効性があって少子化改善される可能性があっても、現代人のモラル人権を優先すべきなのでしょうか。その優先順位がどうあるべきか、問題提起したいと思います

少なくとも現状の育児支援中心の対策より、効果が見込めそうな対策を、モラル現代人の自由権利理由放棄してもいいのか。現代人のモラル価値観はその人種の存続や持続性以上に重要価値観なのかーー。

このように、少子化対策の具体策だけでなく、タブー視される少子化対策問題に対し、「どう向き合って、どう考えるべきか」。そういった観点を問いただすような内容になります現在出尽くしている対策論点とは違った観点と具体的な対策提案し、実効性のある少子高齢化対策に繋げたいと思います

【要点・トピック

現状の少子高齢化改善しないまま、実質的移民外国人労働者を受け入れ続けると、いずれ日本人移民が「人口比で逆転」する事になる。日本人の為の日本ではなくなり、多民族国家に変わる。日本人外国由来の国民住民人口構成逆転に繋がる現象はすでに進行しており、人口構成比の逆転は時間問題。不可逆になる前に手を打つべき。

政府自治体育児環境支援ばかりの少子化対策は結果が出ておらず、失敗との結論けが必要国民自主性に任せれば、少子化は進行する一方。少子化構成要素である未婚率の高まり少子化現象の原因ではなく結果。日本を含む先進国が直面する少子化の原因は文明化による価値観多様化で、結婚と子作りの優先順位が下がった事による晩婚化、非婚化が進んだ影響。現状の育児支援中心の対策方針を「大幅に変えないと」今後もさら日本人は減り続ける。子作りの動機付けをアメとムチの両面でやるくらいでないと解決は難しい。効果的な対策を打てば「翌年から出生率は著しく反応する事が過去の事例からも分かっている。子供が増えだし、出生率が2を越えれば、日本の将来は明るい。

モラル倫理観、自由意志を優先して、負担感のある少子化対策をせず、現状の効果が上がってない対策をなおもやり続け、その結果このまま滅びるか、逆にモラル人権をある程度我慢して、有効性のある対策を実行し、安定した持続性のある社会にするかーー。

続きは以下にて

https://yt3079.hatenablog.com/

ーー第一部//「現日本人が少数派になる日」ーー

第一章・日本人が少数派になる日

◆このまま人口が減り続けると、どうなるのか

政権関係なく、労働や消費の担い手不足という現実問題対応するため、政府経済団体は、外国人労働者という形態で、実質的移民国連定義では1年以上住む外国人)の受け入れをさら推し進めるようになるだろう。実際、2018年の「骨太の方針」でも外国人労働者受け入れ拡大の方針が決まり、2019年4月には改正入管法施行された。彼ら外国人高齢者になった時、どうなるか。もちろん追い返す事はできず、いずれは外国人移民高齢化問題も出てくる。

このまま、日本人人口減少分を外国人で補おうとすると、コロナ渦で数年はずれ込むだろうが、基本的には時間の進行とともに、日本人外国人比率が相反し、やがて逆転することになる。この点ははるか先の未来の事として、ほぼほぼ論じられていない。このままでいいのだろうか。すでに東京都内ではかつて外国人が多かった街は新大久保観光地くらいだったが、今や主要繁華街で昼夜問わず、その割合は静かに増え続けている感がある。

出生率数字は「人口が減っていくかもしれない」危険指数ではなく、数値が2.0を下回る状況が続けば「いつまでに人口ゼロになるか」の確定年数を導ける指数内戦中のシリアアフガン北朝鮮より先行きが危ない少子化日本

出生率を人に問うても、いまひとつ危機感が薄い。出生率低下と言っても、「人口ゼロになる事は無いだろう」「単なる警告信号のような数字だ」と、漠然認識する人は多い。しかし、出生率の1.41という数値は男女2人の親から約30年後の次の出産サイクル時の出生数は1.41人しかまれてこない計算だ。これを分かりやすく1人に置き換えると約0.7人になる。1年間の出生数が87万人(2019年出生数)だとすると、この世代が、第一子を生む頃の30年後は87万×0.7の約60万人、その30年後は約42万人。その30年後は約30万人とどんどん減り続ける。そんなバカなと思うかもしれないが、実際、第二次ベビーブームの1973年は209万人の出生数で、彼らが出産適齢期になった30年後の2003年あたりは不景気の影響もあって、出生率が1.26程度まで減っており、その結果、113万人と親世代の半分程度の出生数に落ち込んでしまった。団塊ジュニア世代就職氷河期世代不況と重なる運の悪さがあったが、現実的に、出生率が2を切ると、容赦なくその数値の割合だけ、出生数は減り、人口が減り続けるのである

この危機感の無さには、「出生率」と言う単語にも問題があるのではないか。2018年に国会を通過した「働き方改革」も「残業代カット改革」なら法案は通らなかっただろう。それほど名前大事だ。言葉は悪いが「人口半減期」のような数字で、出生率人口が「半減する期間」で示した方が分かりやすいのではないか。例えば、今の出生率が続くと人口半減期はおよそ80~90年だ。つまり、2100年ころには日本の総人口は6000万人に半減している計算だ。今の出生率が続いた場合に、半減するまでの期間を書いた方が、危機感は伝わり易いだろう。

内戦シリアアフガン独裁政権下の北朝鮮はいずれも出生率が2を上回る。いくら内戦政治不安経済状態が悪くても、それにより大規模な内戦に発展しない限り年間1万人も死亡する事はない。しかし、日本では団塊世代平均寿命を迎える2030年頃は年間170万人程度の人口減を経験することになる。そして、今後70年かけて日本の総人口が6000万人に減少すると予測されている。結果的に早く滅びる国がいい国と言えるのだろうか。

◆現日本人外国人実質的移民)に徐々に置き換わり、日本人はやがて少数派に転落して、いずれゼロになる・・・100年後に純粋日本人消滅へ。アメリカではすでに16歳未満で白人過半数割れ

移民が来ても、混血化するから日本人の血は残るはず」というのは大きな誤解である出生率が2を割っていれば、人口減少は続き、その減少を補うために、時間の進行とともに、外国人移民が入り続け、日本人の血はゼロになるまで混血化しながら希釈化され続けていく。

2020年6月には国勢調査局の統計を基にAP通信がまとめた情勢によれば、アメリカではすでに16歳未満で白人人口が初めて半分を割ったという。流入が急増するヒスパニック黒人アジア系に対し、白人人口が増えなかったためだ。アメリカでは1990年に75%だった白人割合は2020年現在は60%に急減。たった30年で約20%も人種割合が低下したことになる。さら2045年までに白人人口が半分を割るという推計がある。白人出生率が2を切り続けて増えず、白人人口ゼロに向かい減っていく一方で、ヒスパニックアジア系流入がその穴を埋めているためであるアメリカ出生率は2を上回っているが、それはヒスパニックを中心に移民出生率が高いためである現在アメリカ多民族国家だが、そのうち白人が減り、やがて黒人ヒスパニックだけの国になり、逆に多様性は少なくなっていく可能性が高い。

日本は今のPermalink | 記事への反応(1) | 02:50

2020-12-13

腐女子下品なのは女性らしさから解放体験をしているか

最近、ちょくちょく話題になる増田を読んで、確かにツイッター上の腐女子下品発言は 男オタより酷いな、と思った。

私は、男性向けジャンル女性向けジャンルアカウントを分けずにフォローしているため、色んな情報が雑多に入ってくる。

 

男オタは、「🔞」がアカウント名についてれば、エロ絵垂れ流していいと思ってる節はあるが、それ以外の発言は「○○の××がいい」ぐらいの可愛いものである

 

今日見た女オタ(腐女子)の発言は「○○のおせっせは 基本ガツガツしてるけど、たまに優しくすると、かえって☆☆が物足りなくなっておねだりするから、結局○○が燃えガツガツになる(一部省略)」とか言ってた。

下品である

 

本来なら、公共の場下品な話をすることはタブー視されてるはずだ。

それでも公共の場下品な話をする人とは、「酩酊した歯が欠けたオッサン」か「権力があって周りに諌める人がいないオッサン」ぐらいのものである

 

まり腐女子オッサン化している。

 

オッサンって、進んでなりたいものではない。でも、オッサンは、女オタが抑圧されていたものを全て持っている。

女らしさの強制下品欲求の発露。

である以上、それをしようものなら、親や周囲の女性コミュニティから、叱られたり、眉を挟められたり、自身評価が下がる行為

それらを、やってみたくて仕方がない。

 

勇気を出して変態ツイートをしてみたら、「わかります!」「解釈一致です」「(無言のいいね)」の雨あられ

本来なら評価が下がるのに、逆に評価が上がったかのような錯覚に陥る。

 

エスカレートする下品発言。誰かが始めたら、私もやっていいんだと思い、どんどん広がる下品な界隈の輪。最初はされていたはずの検索避けも、後から入ってきた無知な女が、入れ始めたら最後。いつのまにか、ハッシュタグをつけ始める始末。なんで検索やすくしようとする。

 

そして、しばらくして、模倣したはずのオッサンから言われる。

「○○界隈は、一般への配慮もできないキチガイ女の集まり

 

見てるだけの自分からすれば、

「🔞をつければ免罪符になると思ってる男オタ」も「下品発言をする女オタ」も大した違いではない。

 

みんな勝手にどんどんやればいい。

人類オッサンになればいい。

 

 

 

 

 

最後に。

主語デカイと鼻息を荒くする奴もいるだろうが、「一部の〜」を、全てにつけるのはめんどくさいのでしません。

主述が変なところもあるけど、増田なので直しません。

2020-12-12

なんでみんな明日死ぬ話を嫌がるんだ

よく思うことなんだが、外ではとても言いづらいことなのでここに書かしてもらう。

自分は「もし自分明日死んだら」ということをよく考える。誤解されないために明記するが、これは自殺したいと思っているということではない。自分の余命が決まっているというわけでもない。自分はありがたいことに安定して(多くはないが、生きていくことはできる)お金が手に入る状況にあるし、友人にも恵まれており、趣味等もある。体もまだ20代前半で特に大病を患っているわけでもない。かなり恵まれている状況にあるということは自覚している。

だが、こういう状況にあっても、明日死ぬ確率というのは決してゼロではない交通事故、なんらかしらの社会とのトラブル事件に巻き込まれるなど)、突然の体の異常の発生(心臓発作等)、最近だとコロナもある。もちろん、小さい確率ではあるが、無視できるものではないだろう。明日ではなく1年後になれば、人間関係トラブルからの鬱の発生→自殺願望の発生といったルートや生死にかかわる病気を患うといった、もっといろいろな要因が存在する。1年後、今と同じように心身ともに健康にいられる確率というのは決して100パーセントではないだろう。死というのは、たとえ恵まれ自分であっても決して遠い状況ではないのだ。

こういう考えを持つようになったのはなにも最近のことではなく、小学6年生のころからであり、23歳になった今になるまでずっとこのことを意識している。小学6年生のころに一時的に親との関係がうまくいかなくなり(今思い返せば反抗期の始まりのような些細なことであったが、当時の自分にとっては世界を揺るがすような重大ごとであった)、自殺を考えたことがある。実行はしなかったし、「自分死ねばみんな困るだろう」という小学生らしい浅慮な考えだったが、幼いながらに死に方に思いを巡らせた経験はかなり強烈であり、それからも事あるたびに、死は近くにあることを思い返すようになった。

最初はこういった考えが悪い方向に働くこともあったが(どうせいつかは死ぬんだといろいろ投げやりになった時期になったこともあった)、高校卒業したあたりからは「いつ死んでも後悔しないような生き方をしよう」というように考えるようになった。これは、色々なことに対して「プロセス」を重要視するようになるという変化を自分にもたらした。例えば、何か目標がありそのために努力をしなければいけないとする。すると、それまではその目標を達成するために努力をしようという考えだったのが、努力する過程も楽しもうという考えになった。そうすれば、目標を達成する前に死んでしまったとしても後悔しないからだ。これは極端な例だが、なんらかしらの結果を出すために何かを我慢するのではなくそプロセスを楽しむ、あるいは選択をするときプロセスが楽しそうなほうにする、という風に考えることができるようになった。

他にも、人との出会い一期一会と思って大事にすることができるようになったり、なにより「今日一日は楽しかたか?」ということを意識しながら生きることができるようになった。これは後ろ向きな考えをしがちだった昔の自分からするとずいぶんとよい傾向だと思っている。

(ちなみに、今死ぬなら誰にどういう遺言を残したいか、といったことも考えたりする。そうすると自分が本当にお世話になっている人はだれか、とかやり残したことは何か、みたいなものが見えてくるのでよい時間だと思っている。もちろん、本当に自分遺言を書かなきゃいけない場面になった時にこういう考えができるかといわれたらそんなことはなさそうだし、おままごとの域を出ないとは思う。)

まあこういう感じで、死にたくはないが、明日死ぬことになっても後悔したくない、ということを念頭に置いて生きているんだが、こういう話をする(もちろん、本当に親しい友人にしかしないが)と「やめてよ、そんな話」とか言われたりすごく傷ついた顔をされる。本当にやめてほしいと頼まれ場合ほとんどだ。もちろん、自分のことを必要存在だと思ってもらえること自体はありがたいことである。だが、「もし死んだら」みたいな話をそこまでタブー視しなくてもよいのではないか、という気持ちになる。「今本当に死にかけてる人とかに失礼じゃん」みたいなことを言われたりするが、その発言こそ「自分はまだ死ぬ側じゃない」という傲慢さを自分は感じてしまう。○○歳まで生きてあれとかこれとかやりたいみたいな話をしておいて、それよりも早く死んでしまい、「もっとやりたいことやっておけばよかった」となるよりはよっぽど良い気がするのだが、「それはそうだけど死ぬなんて言わないでよ」みたいに言われてしまう。

先ほども述べたように、死はいだって割と近くにいると思ってるしそんな状況でも死なんてどっか他人事みたいな扱いをするよりは、もう少し気楽に話せてもいいのになあといつも思っている。

ここまで書いて思いついたのだけれど、こういう話を笑い話としてできるフォーマットが「明日地球に巨大隕石が落ちてきたら」なのかもしれない

2020-12-11

"差別"とは何なのかとそれへの私見

追記意図しない読み取られ方があるので前に移動しました、誤解を招く表現だったことおわびします)

 私は、書き忘れていたが、日本国憲法第14条に規定される属性による区別は当然のことながら差別だと考えている。私があげた絶対不可能属性による区別の話は憲法規定されていない属性に関してそれが差別かどうかを判断するガイドラインとして扱ってほしい。

日本国憲法14条

「すべて国民は、法の下に平等であって、人種信条性別社会的身分又は門地により、政治的経済的又は社会的関係において、差別されない。

華族その他の貴族制度は、これを認めない。

栄誉、勲章その他の栄典の授与は、いかなる特権も伴はない。栄典の授与は、現にこれを有し、又は将来これを受ける者の一代に限り、その効力を有する。」

社会的身分には職業が含まれると考えるのが相当であるので、私も職業差別には反対の立場であることは変わりない。

 そもそも先述のガイドラインにたどり着いた理由説明すると、すべての人には自由があり、差別として行為禁止を行う余地はできるだけ小さくしておくべきという私の価値観がある。ただし、生来変更不可能属性に基づく差別第三者による救済が難しいものが多いため、差別禁止によってもたらされるデメリットよりもメリットのほうが圧倒的に大きいのはほぼ間違いないであろう。一方で生まれから少しでも選択余地のある問題に関しては差別禁止するよりも、その人が選択できる余地を増やすことを通した救済が比較的行いやすい。そのためそのような問題に関しては差別の撲滅に注力するよりもより救済を行う方へ注力するほうが望ましいと考えている。

 加えて合理性を求めるひとがいるが、およそ全て人間バイアスを経て観測した世界に対して最も合理的な行動を常にとっている(たとえそれが周囲に人間にとって不合理に見えたとしても)。合理性客観的なようでその人の価値判断目的などに左右されるきわめて主観的ものである。この文章は私にとっては合理的に思えるが、読む人にとってはそうは思えないかもしれない。合理性とはきわめて主観的かつ相対的ものなのである。ただ、社会的意味での合理性は人々の議論を通じたコンセンサス形成によるものであるので、成熟した議論を経た後での差別の描像がはっきりとより多くの人に共有されることを望んでいる。

追記ここまで

中学受験に関しての増田を端に発した議論はてな界隈で盛んになっている。

大方ブクマカダブルスタンダード批判したものであるが、そもそも差別はてなーすべて同じ意味で使っているとは思えない。例えば公立中学に通っていたことを黒人になぞらえて批判しているエントリがあったが、肌が黒いことと公立中学に通っていたことが全く同列に扱われるべきものとは現在社会通念に照らしてもあまり一般的な考えではないと私は考えるが、その増田にとっては同じようなものとして考えていることは明らかである。その是非はともかくとして、現状においては差別は各人それぞれによって定義されるものといって差し支えないため、さまざまな形態区別を明示し、その日本社会およびはてなでの受容のされ方について考えるとともに同時に私見を述べてみたい。なお、どこから差別と考えるかは各人に委ねたいと思うのでここから先ではあえて「区別」という言葉を使う事にする。加えて強調しておくが、これはあらゆる社会通念に照らして問題とされている差別肯定するものではない差別とは何かを考える指標としていただきたい。

1. 日本国憲法第14条に定める属性および性的志向による区別

 これははてなーはもちろん、現在社会通念上認められていないといって差し支えない。特に性別についてはこれを支持する判例存在し(e.g. 最判昭和56年3月24日民集35巻2号300頁 いわゆる日産自動車事件) 、これはおそらく論ずるまでもなく明らかである。ただし憲法私人間効力については間接適用説が主流となっているため、例えば三菱樹脂事件のような判例存在する。ここでは憲法議論意図したものではないのでこれ以上は触れない。

2. 病気による区別

 これは最近聞かれる医療従事者への偏見にも関連している。社会的な建前としてはおそらく差別だと認定されているが、実際としては差別だとする意識が1.ほど完全に浸透しているとは言い難いところがあるだろう。おそらくはてなーに聞いてもこれは差別だと(それが建前であっても)答えると思う。なお、実際にHIVについては陽性者に対し無断で検査を行い陽性だったことを理由解雇した事件についてはその解雇無効であるとした判例存在する(千葉地判平成12年6月12日労働判例785号10頁)。

3. 年齢による区別

 このあたりから判断が難しい。現在社会的定年制は受け入れられている(是正しようとの動きもあるが)ため、年齢”差別”という言葉社会的にまだ受け入れられていない可能性は高く、受け入れられるにしても近い未来ではないだろう。おそらくはてなーでもこのあたりから認識が分かれ始めると思う。以前あった私立医科大学女子生徒と多浪生を意図的に排除していた問題にあってはこれを問題視する風潮がはてなにはあったのは覚えている方は多いと思うが、定年制への問題視はあまりなかったように思える(これは自分の印象)。なお、判例においては定年制公序良俗には反するとは言えないとの判例が出ている(東京地判平成6年9月29日判時1509号3頁)。

4. 学歴学校による区別

 これは今渦中にある問題である。実際として就活においてはいわゆる学歴フィルター存在しないと断定することはできず、存在するものと考えるべきだろう。しか厚生労働省ガイドラインhttps://www.mhlw.go.jp/www2/topics/topics/saiyo/saiyo1.htm)にも採用の可否を決める要素となってはならない項目の中に大学名・学校名に該当する項目は存在しない。少なくとも採用の場においては大学名のみによる扱いの差を設けることは認められているといって差し支えないだろう。私の周りを見渡しても実際学校の評判とそこへ通っている生徒への評価が関連づけて語られることも多く、私的な場においてもこれがタブーとされているとは到底言えないであろう。実際はてなーでも公立中学を「動物園」とまで評する向きもあることからそこまでのタブー視もはてなーの中にはないと言える。

5. 嗜好(性的志向はふくまない)による区別

 いわゆる「オタク差別」などを念頭にしたものである。これを例にとると過去には東京埼玉連続幼女誘拐殺人事件などに端を発したいわゆるオタクへの偏見があった(が、現在社会では薄いものとなってきていると私は感じており、マクロ視点に立つならそもそも区別存在しなくなってきているのではないかと考えている)。これの社会的な受容を考えてみる。個人ミクロ視点にたつならそういった嗜好を理由ハラスメントを受けた例はあるだろう。ただ、それは嗜好を理由にしたハラスメント問題とされるのではなく、そのハラスメント自体問題とされる(ことが多い)ため、おそらく社会的問題視はあまりいであろう。ただ、そもそも属性による区別はその属性もつ者がある一定程度存在しないと成立しないものである(その嗜好を持つ人が単独ないし少人数でしか観測されなければ単なる変人として扱われるだけで、それは区別とはよべない)ため、嗜好による区別に接する機会がすくなく、議論俎上に上がるレベルにすら到達していないかもしれない。これはぜひ読んだ方に該当する例とその社会への受容のされ方を考えていただきたい。

 と思いつくものを上げてみた。どれが差別に当たるかは皆さんに考えて、議論していただきたい。正解は存在しない。なお、私の中での差別定義は「絶対選択不可能属性事実に基づいて行われる区別」と考えている。これに立脚するなら1-3までが差別に該当し、私は公立中学に関して「動物園」と評するなど、悪い評価を与えるものについては差別表現ではないと考えている。なぜなら公立中学に進むかの選択自由意志に基づくものである経済的事情などにより私立への進学は到底不可能な方がいるのは重々承知している。その実態はともかく)からだ。ただ、その表現は褒められたものではないのは確かで、やはりひどい公立中学の現状があるのだとしてもそれへの是正措置に関する言及があるべきだっただろう。つまりこれは差別問題として扱うのではなく、公的機関から財政支援などによる学習の機会均等や学習環境改善問題還元されるべきである。これを差別であるからと現状への批判を封じるのは実態への改善議論を封じることになり、好ましくないと考えている。ただ、度を過ぎた中傷理由の如何を問わず控えられるべきであることは注記しておく。

 また、学歴問題は、生来変更不可能ものではないのでこれもまた差別ではないと考えている。ただ、大学の再入学を経た後の不利な扱いは年齢差別として問題視されるべきだとも考えている。年齢への差別に関してはこれを問題視し、排除へと議論がより進むことを期待したい。

 ここまで様々な属性への区別について述べてきたが、おそらくそれぞれの考える差別があったことだろう。ただ、差別問題を考える際に忘れてはならないのはそこへの是正措置である公立中学問題に関してもそれを差別であるから議論提示を封じるのではなく、ではそこにどのような是正措置が行えるだろうかと考えてもらいたいのである。なぜなら本来理想状態であれば誰でも自由にその中学に行くか選択できるから、そのような偏見など生じないかである偏見差別現在の不完全から生まれる。差別問題センセーショナルになりがちで議論している双方が異なる差別概念を持っており、話がかみ合わないという事はありふれたこである。そうなりそうなときには一度立ち止まって双方が差別概念を共有するよう歩み寄ってもらいたい。以前として世界にはびこる差別への問題提起および是正きっかけとなればうれしく思う。

anond:20201210074954

2020-12-09

anond:20201209100208

人知人がいないとか、友人知人もそろって陰キャ結婚話題タブー視されてるとかじゃね?w

2020-11-24

同性婚と近親婚

https://anond.hatelabo.jp/20201123215327

近親婚が禁止されている主な理由性的虐待隠れ蓑になるという理由と、もう一つ遺伝的疾患発生確率の高さがあると思う。特に後者欧州王族で顕著になったため近親婚がタブー視される原因となった。

後者観点からいくと、では子供を生みようのない同性婚場合は近親婚はアリなのだろうか?兄弟や父子が結婚することはアリ?

2020-10-08

anond:20201008100557

逆じゃないよ、モテない女はモテない男よりもタブー視されやす存在であることを分かっていない。

モテない女の方が、自分処女であることを公にすることの方が制約が強い。

anond:20201008100557

ではネット界隈ではモテない男の話題は誰もが簡単に楽しんでいるのに、モテない女の話題存在自体タブー視されて「触れてはいけないもの」扱いされているのはなぜなのかな?

2020-09-21

同性愛に対する本能的な嫌悪について




リアルでは言えないんだけど実際に同性愛者を見かけると嫌悪感を感じてしまう。

男同士で手をつないでイチャイチャしてるのとかを見ると、気持ち悪くなる。


頭では多様性理解できるしそういった権利社会的に認められてもいいとは

思うんだけど、目の当たりにすると本能的な部分(だと思う)で拒否反応が出てしまう。


で、それがなんだって話なんだけど、近年“多様性の許容”みたいな観念が広がりすぎて

現実世界で、同性愛をみて“気持ち悪い”と思う感情を出すことはNGみたいな風潮が

強まっている気がする。

からだって話なんだけど、その感情タブー視されないといけないものなのかなってモヤモヤしたものがある。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん