はてなキーワード: 線引き問題とは
一級市民扱いされるようになれば「上がり」と思ってる人も、そうでない人もいるわけだ。
前者には他のセクシュアリティなんぞ知ったことかって感じのもいるし
(特に若い世代のゲイは先人の権利闘争とか知らんから運動をバカにしがち)、
何がフェアかは視点によって違うわけだが、割と広く受け入れられている基準は
そのセクシュアリティが不可避に、または高い確率で他者を傷つけたり、
ズーフィリアは、「聖なるズー」みたいな本が受け入れられるようになったことを考えても
「なんでタブー視してるんだっけ?」という問い直しの機運は生まれつつあると思う。
ペドフィリアは、少なくとも現代の西欧社会は、絶対悪ということにした。
どこからがペドフィリアなのかは文化や時代によって伸縮するが、少なくとも
タブーにした年齢以下の子どもの性的自己決定権は合意があっても制限しますよ、
ということになっている。
性病や出産や性的搾取といった重大な帰結につながる余地がある性行為について
まだリスクを適切にとらえたり、嫌なときにノーと言う判断能力・責任能力を
充分に備えていないから、というのが理由だ。おれはこれは適切な線引きだと思う。
セックスを抜きにしても、法律上はどこの国でも未成年は制限行為能力者という
扱いになるからな。
性愛とは別のタブーを乗り越えない限り、線引きの内側に入れられることは
ないだろう。
世間の無理解のせいでひどいめに遭う」という筋に落とし込むために
ペドフィリアを絶対悪にする、というまさかまさかの落としどころを選んだ。
「正しい性」と「間違った性」の線引きを批判してる話のはずなのに、
著者自身も「間違った性」という線引きをそのまま使ってしまったわけで
大失敗というほかない。
保育士や児童やその家族に感染者が激増してるもんだからバンバン休園してもらっている。
当然保護者からは仕事で困るという苦情が殺到している。わかる。でも仕方ないんだ。
問題は、医療従事者や仕事の都合で絶対に預けたいという保護者をどうするか。
ここで問題になるのが,休園してても医療従事者やひとり親は優先的に受け入れよという国の去年の通知。
「緊急事態宣言後の保育所等の対応について」(令和2年4月7日付け事務連絡)だ。
https://www.mhlw.go.jp/content/11920000/000619709.pdf
それが今年4月23日に
84 緊急事態宣言が発出された地域における保育所等の対応について(周知)(令和3年4月23日)
で廃止されてるんだが,
なぜか同日の
85 保育所等における新型コロナウイルスへの対応にかかるQ&Aについて(第十報)(令和3年4月23日)
の問10-1ではさっきの令和2年4月7日通知の職種に従うべきとされている。
https://www.mhlw.go.jp/stf/newpage_09762.html
小さな皮膚科とか耳鼻科はどうすんだとかバイトで医療事務やってるだけでも優先なのかとか線引き問題がどこまでもついて回る。
保育園もスタンスが様々で,休園してラッキーとか言ってる園もあれば保護者のために開けたいわよという熱い園もある。
後者の場合,例外的な受け入れを許容したら何名でも受け入れてしまうだろう。
なので結局ひとりも受け入れないという状態になっている。
以前から、セクハラの線引き問題を筆頭にして「他人と関わるリスク」は認識されていたが、コロナウイルスの存在により、それは物理的にも正当化されることになった。
その結果、危機感にも煽られて、他人は感染源で迷惑で税金泥棒でワガママだといった妄想意識は、正当なリスク認識とぐちゃぐちゃになったまま、行動で示されるようになった。
例えば、電車車内でのマスク無しの咳に対する叱責なんかは、感染するリスクを権威者とした社会的ミルグラム実験に、そういう意識をこっそり載せたようなものだろう。
https://okuranagaimo.blogspot.com/2020/04/blog-post_18.html?m=1
ところで、上記ブログはコロナウイルス後の世界について書かれたものだが、各論に基底として在るものの、そこに明示されていない事項は、「人間嫌い」に対する社会的容認が進むということではないのだろうか。
テレワークの話なんかはまさにその通りであるし、ナショナリズムの拡大も、人間から組織へのシフトと考えればそうなるだろう。政府のやることにつべこべ言うな!という意見も、まさにその現れだろう。
こういった、自分以外の人間は汚らわしいという意識は、政治経済よりも根源的である人間関係の在り方をも変えてしまうだろう。あんなに親しい家族でさえ、ウイルスを持ち込むリスクになるのだから。
インフルエンザの頃から、子供が学校でもらってきた、といった例があったが、これが致死傷になるのであれば、まず家族を持つことに躊躇いが生じる。一人暮らしのスタイルは優位性を持つだろう。
その結果、少子化対策には国民の理解が得られなくなる。そして、まさに濃厚接触である生殖行為も、個人的行為のまま遠ざけられていく。その結果、人間においても人工受精が進むだろう。
「平常に帰る」ことはない、それが一番大きく現れる分野は、まさに自分と他人の人間関係においてだと思ったので、とりあえず急いで書いてみることにした。
https://games.yahoo.co.jp/qa/detail?pg=2&qid=1254381067
戦争を美化し暴力を崇拝するゲームや世界の非難の的となる児童ポルノを規制しない民主党について
https://okwave.jp/qa/q5510859.html
子供がDVDを借りるときに冗談めかして「バトルロワイヤルが見たい」と言ったときには、「やめときなさい」と言ってしまいました。
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/2342036.html
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/2549507.html
車椅子の人に100%まじりっけなしのノーマライゼーションを、というのなら、
学業が不自由な人にも、100%まじりっけなしのノーマライゼーションを、と言ってもいいのだろうか。
学業が不自由ではあるが東大で学びたい!と叫んでもいいのか。国立大学だぞ。
あとは顔とかさ、それから「生まれつき貧乏な家」とかも、QOLを考えたら生与のハンディキャップと言える。
もちろん、世の中が出来る限りフラットになるのが理想だと思うが
彼のデモンストレーションの「ラインを越えてる」感や「それで食ってんのか…」感を考えると、いっそアホになって
「わしゃアタマに障害があるけど東大で学ぶ権利がある、すべてのハンディキャップにノーマライゼーションを!」
と叫んでも、ライン越え度合いはちょうどいいぐらいなんじゃなかろうか。
目立たない障碍や、今はハンディキャップと認知されていないがQOLを著しく下げる生与のウィークポイントがある人は…
などと考えたら、格安航空会社の車椅子対応って、QOLの程度差、線引き問題でしかなかったりする。
全ての飛行機に乗れないということであれば別だけど。
理想を今すぐに現実にするのは難しいから程度差を埋める着地点を探そう、とは思ってなさそうだよな。
あの極端なデモンストレーションで伝わるのは「線引きの中にオレを入れろよ」という当たり屋マインドでしかない。