はてなキーワード: 抗がん剤とは
父ががんの宣告を受けた。いわゆるステージ4、がん細胞が原発部位を飛び出し、体の他の場所へ転移している状態だ。昨日はこれからの化学療法(抗がん剤治療)方針に関して医師から説明があるというので、幼いころ、野球場へ連れて行ってもらったときのように、父の後ろをついて病院まで行ってきた。
結論から言えば、医師の説明はスタンダードな標準医療に沿ったもので、こちらとして安心できるものだった。魔法のように父を長生きさせてくれるものではないのが残念ではあったけれど、お医者さんは魔法使いではないので仕方ない。
今回、医師の話を聞きに行くあたって、真っさらな状態では質問すらままならないだろうと思い、父のがんについて簡単な勉強をしていった。「診療ガイドブック」の父に関係しそうな部分を読み込み、さまざまな医療機関のサイトで疾患の解説をしているページをあたり、予想される薬剤名で検索しては各方面の記事にさんざん目を通した。
そんな予習をしている際には、当然「魔法」を喧伝するサイトにもたくさん出くわした。曰く、「抗がん剤なんて危ない!」「日本なら死ぬのを待つだけ」「海外に行けばこんなにきれいに!!」などなど。冷静になろう、父に正しい医療を受けてほしいと思う自分に対してさえも、こういうサイトは心の隙間を見つけて染みこんでくる。
「自分が行動を起こさないせいで、父は命を落としてしまうんじゃないか」
「安易に標準医療に頼ったら、助かるはずの父を苦しめてしまうんじゃないか」
こうした「魔法」について医者に聞いたところで「そんな治療法はエビデンスがないので、『受けるな!』とは言えませんが、おすすめもできません」と答えるのが分かってはいるのに、ついつい主治医にも確認した方がいいんじゃないかという気持ちが頭をよぎる。
そういう不安を払拭できたのは、やはり知識だった。病院や学会が発する資料を素人なりに読み込み、正確な数値に触れ、薬の作用機序を大まかに頭に入れ、標準医療の進歩を実感してこそ、「魔法」の誘惑から逃れ、医師の説明に耳を傾けられたような気がする。自分で言うのもおこがましいけれど、まだ、私にはそうした医学的エビデンスのある資料を読む力があったから、あやしい魔法から逃げおおせることができたのだろうと思う。もし、これが年老いた本人だけ、あるいはあまり資料を読む習慣がない人だけが情報に向き合った際に、標準医療と「魔法」の区別がつくのだろうか、という懸念は残った。
発端は親切心なのかもしれないが、あやしげな商売でがん患者やその家族をたぶらかす連中を絶対に許せない。
今、私は父を病院に託し、抗がん剤が父に対して劇的な効き目を発揮してくれることを祈り、激しい痛みや生活苦が今後、父(または同居する母)に訪れないように祈ることしかできない。幸いオリンピックのチケットが2枚当たったので、かつての野球場のように、来年の今ごろ、父とともにオリンピックスタジアムへ行けることを夢見ている。
待ち時間が空いて暇なので書く。
アラフォー女性です。6年前に卵巣癌で卵巣、子宮を摘出しました。
それ以来いわゆる悪玉コレステロールの値が上がって健康診断ではいつも注意を受ける。
癌の方の主治医の話では、卵巣を摘出するとそうなりがちだしまあしょうがないですよ、との事。
それが今年は大分下がって、基準値よりちょっと高いくらいになっていた。
何で下がったんだろう、とずっと考えていた。
食生活が変わったわけではない。
一応あまり脂っこいものは食べないように気をつけてはいたが、去年は父が亡くなり、母が病気に倒れ、自分の食生活に気をつけるどころではなくてむしろ適当だった方だ。ストレスがすごくてずっと我慢してたチョコとかも食べてた。
6年経って抗がん剤が身体に与えたダメージが和らいだのかなとも思う。5年くらい影響が残るという人もいるし。
父親寝たきりだったし、今再発は絶対に出来ないというプレッシャーが大き過ぎて参ってしまった。
で、耳鼻科の医者から「カフェインは良くない」「出来るだけ水分を多く取る」の2つを言われてそれを今も守っている。
コーヒーはデカフェ。麦茶もほうじ茶もカフェインは入っているから無印良品の黒豆茶を水筒に入れていつも持ち歩いている。
やっぱり一番の理由はそれかなあ。
黒豆茶おそるべし。
ひとつ病気になる事で数珠つなぎ式にあっちもこっちもとわるくなっていたけど、珍しいこともあるもんだ。
それとも卵巣を取ったことによる長かった更年期障害がそろそろ終わるのかもしれない。
不眠もちょっと良くなってきたし。
母の癌が肺転移しているという告知を受けた。前回の手術からわずか一年経っての事だ。
母の癌の原発巣は元より希少な上、本来出来る場所とはまるで違うところに出来ていたらしく、1億人に一人いるかいないからしい。なんの抗がん剤が効くのかさえよくわからない。治療法の方針立ても定まってはいない。なにもかもが「よくわからない」まま、母はガン転移の告知を受けた。
他方、私。鬱病で休職中の元会社員である。大して気がきくわけでもなし、何かの役にたつわけでもなし。ただ母の病院に付き添う事ができるだけの存在だ。
そして、父。母の次かそれと同じくらいに大変だと思う。癌告知をされた妻、鬱病で休んでいる子のいる中で父は辛い顔一つ見せずに頑張っている。父のメンタルが心配でならない。
何を聞きたいわけでもない。何を言いたいわけでもないが、ただ吐き出させてほしい。それだけだ。
丁度5年前癌になって手術したんだが、その後地獄の抗がん剤治療8ヶ月が待っていた。
抗がん剤中でも上手に調整して出歩いてる人もいるみたいだけど、自分はずっと白血球値が低いままだったし体調も良くないし、メンタル的にもやばかったので病院に行く以外はほとんど出歩かなかった。今思うとちょっと鬱っぽかったのかもしれない。
で、その間に読んだり観たりして救われたと思う作品を挙げていく。
治療後に、これ治療中に知りたかったと思ったのも含まれているので時系列的におかしいとこもあるけど勘弁な。
治療中に下手な本読んだり映画を観たりして登場人物が自分と同じ病気で死んだりするとダメージくらうし、かといって主人公が元気にはねまわってるのを観て今の自分の境遇と比べて落ち込んだりするし、なかなか難しいんだよ。
病気療養中の人、あるいは周りに病気の人がいてお見舞いに本でも持ってこうかという人はよかったら参考にしてほしい。
ちなみに自分は以前はサスペンスとかホラーとか好きだったんだけど、癌になってからは一切受け付けなくなった。一番最初に死ぬ登場人物に感情移入してしまうので。
あと『きのこを食べたら癌が治った』みたいな本をお見舞いに持って行こうかと考えてるやつは自分が死んだらいいと思うよ。マジで。
【ドラマ編】
『名探偵モンク』
ちょうどHuluで公開されていてこれはマジでよかった。エミー賞も受賞したアメリカの人気ドラマ。
主人公の探偵モンクが重度の強迫性障害を持っているんだけど、同時にそれが事件の謎をとくヒントともなっているところがうまい。モンクを取り巻く元上司の警部や看護師がモンクの強迫性障害に振り回されてうんざりしつつも暖かく見守っていくという構図になっている。
探偵ものなので当然殺人シーンはあるけどソフトに表現されていて何とか大丈夫なレベル。シリーズになっていて話数が多いのも助かる。基本コメディ。
『dinner』
登場人物の一人ごとにスポットを当てていく形式だけど、誰もスネに傷持つ訳ありの人ばかり。
小さな希望を胸にまた明日も頑張ろうとする姿に励まされた。視聴率が悪くて話数が削られてしまったのは何とも残念。
ラスト一人ラジオ聞く江口洋介の姿に泣いた。サカナクションの主題歌もいいよね。
『カルテット』
社会的には落ちこぼればかりの現実離れした夢の共同生活。明快な答えも解決策もない日々になぜかほっとして救われる。
例の前夜、ゲームやとりとめのない会話を楽しむ4人のシーンは何度も観てしまった。マキさんの「ちょっとトイレ」にも泣いた。
『鹿男あをによし』
玉木 宏が鹿になっちゃうやつ。幻想的な作品なので現実逃避にもってこいだった。でも良くできてるよね。
仕事を定年退職したサラリーマンが妻と娘のため正月の福袋の行列に並ぶというドラマ。これも面白い。
ドラマはHuluで配信されて入ればHuluで、なければ無料動画配信サイトで観てた。
あんまり褒められたことじゃないけど抗がん剤治療はとにかく金がかかるので大目にみてほしい。
癌の種類にもよるけど自分の場合は1回あたり15000円、それを月3回8か月続けるのよ。
あと漫画とか本も書こうと思ったけど以外と大変だし読んでくれる人もいるかわからないのでここまでにしときます。
需要ありそうなら続き書くわ。
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漫画・本編こっちにまとめました。コメントくれた人ありがとう。
あとドラマ編で『植物男子ベランダー』忘れてたわ。NHKの30分深夜ドラマ。おっさんマジ癒し。途中の変な小劇場は飛ばしちゃうけどね。
お陰様で経過は順調です。自分の癌は10年で寛解と言われてるけど、5年を無事経過して再発の可能性は大分低くなったと医者にも言われました。
漫画や本など、闘病記はたくさんあるけど、「癌になったけど家族が支えてくれたから立ち直れました。やっぱり家族は大切だよね、妻Love」みたいのが多くて、結婚していない子供もいない自分はどうすりゃいいんだと逆に落ち込んだりした。闘病記なら何でもいいわけではない。
あと闘病記って健康な人がお見舞に持ってくものではないと思うよ。これ読んで元気出したまえって何様だ。
【漫画】
最近誰もがお察しの理由でまんしゅうきつこからまんきつに名前を変えたまんしゅうきつこさんの改名前の作品。
自身のアル中と、そこからの復帰を描いている。このひとの絶望を笑いに変えて昇華する力は本当にすごいし才能だと思う。
『大家さんと僕』
2018年4月時点で累計発行部数75万部を突破した、今更いうまでもないお笑い芸人カラテカ矢部のエッセイ漫画。
アパートの大家さんである老婦人と矢部との心温まる交流を描いている。
ほのぼのとしたやり取りの中にも、戦争、老い、介護、孤独といったテーマがさりげなく混ぜ込まれている。
アラフォーBL漫画家藤河 るりさんの闘病記(1)から仕事復帰(2)まで。
病名で検索するのがやめられなくなってしまうなどの癌患者あるあるネタも多く、頑張りすぎない自然体の作者に共感できる。
『海街diary』
これもまた有名な吉田 秋生の名作。
漫画家ってすごいなあと思った。自分が死んだことがないのになぜ死ぬ人の気持ちがわかるんだろう。
話の途中で癌になったおばさんの話が出てきて、そこはさすがに辛いので飛ばして読んだ。
【本編】
夫の入院先からの帰り道、パン屋で焼きたてのパンを買った妻が「悲しいのに幸せにもなれるのだ」と思うシーンが忘れられない。
実は木皿泉は夫婦のユニット名でご主人は脳出血でまひがある。そんな背景にも勝手にシンパシーを感じていた。
もし癌が再発することがあったら、この本を母親に渡そうと密かに思っていた。
東野圭吾の本で泣くなんて自分もヤキが回ったなあと思ったけど。
あとはYoutubeにあがったお笑い動画とかよく観ていた。主にアンタッチャブル。
転移してるかどうかの検査の結果待ちとか、もうどうしようもない時に観ていた。
よく「悲しくて胸が痛い」みたいな表現があるけど、辛すぎると本当に体が痛くなるのよ。
そんなときしょうもないお笑いをみてるとふっと体が楽になった。
やっぱり笑いの力ってすごい。アンタッチャブルまた活動してくれ。
こんなところからなあ。
「透析を行わない選択肢を提示する=長谷川豊かぶれのヤブ医者」って考えてるようなブコメ多すぎ。
同じように、「治療可能なのに抗がん剤や手術治療を行わない選択肢を提示する=とんでもエセ科学かぶれのヤブ医者」って考えてる人も多そう。
医師が考えうる全ての選択肢とそのメリットデメリットを提示・説明し、患者やその家族に理解の理解を得たうえで方針を決定するのが、現代のインフォームドコンセントという意思決定のやり方であることを理解しなければいけない。
透析中断による死亡に関するニュースへの反応(ブコメ)をみて気になったから書く。
長谷川豊の透析関連発言を擁護する意図は毛頭ないので勘違いのないように。
長谷川豊の発言の趣旨は、「透析患者が透析が必要になったのは自業自得。そんな患者達が税金や健康保険を大量に使って生きながらえるのはおかしいから透析患者は透析をやめて死ね。」ということだろう。
福生病院の説明では、「当院で悪意や手抜きや医療過誤があった事実はない」とされている。
おそらく医師個人のなんらかの目論見として透析中止を提案したのではなく、コメディカルを含む医療チームによる提案なのだろう。
これは、維持透析を続けていくことが患者本人にとってベストな選択かどうかを見直すきっかけを与えたということではないだろうか。
一言に「週3回の透析を死ぬまで続ける」と言われても、具体的なイメージができる人はまずいないだろう。
透析は1回3-4時間程度で、その間は片腕に太い管が2本入った状態で椅子もしくはベッドから動くことはできない(本を読んだりテレビを見たりはできる)。
透析中やその前後では血圧の変動が大きいなどの理由で気分を崩すことも多い。
若い人であれば仕事の都合をつけつつ、決められた時間に決められた病院へ通う生活(夜18時から可能といった透析病院も多い)。
一方で高齢であれば、通院するだけでもそう楽なことではない。
先ほど腕に太い管を入れるといったが、事前にそのために太い血管(シャント)を作る手術を行う。しかし長年経過するとその血管が詰まる。その度に風船で血管を広げる処置や、新しくシャントを作る手術をしたりしなければいけない。
また、日常生活では水分制限や食事制限などが厳しく課される。それを行わないと週3回の透析では生命が維持できない。
例えば水分は1日1000mlまで、塩分は可能な限り控えてカロリーは1600kcal以下に、といった具合だ。
このような患者を目の前にして、医療者は「この患者さんが今後も透析を続けていくのが、この患者さんの人生においてベストの選択なのだろうか」と考える。
自業自得だとか医療費とかは全く関係なく浮かんでくる、1人の人間としての疑問だ。
抗がん剤を続ける患者が副作用で辛そうにしているとき、医療者が「もうやめてもいいんだよ」、と声をかけるのに似ているのかもしれない。必ずしも治療を受け続けるように説得するのが正しいことではないだろう。
10年前は10キロ減に成功したけれど、今回は投与直後は食欲減退すれど1週間もすれば回復して暴飲暴食でプラマイゼロ。医療は進歩しているのですね。
体調が良かったり入院しなくて済むのは嬉しいけれど、見た目がまったく病人じゃないのに死に至る病ってのが気まずいくらいには今のところ元気です。
なんかムカつく。。
私は本当にしんどい思いをしてきたのに、それを否定されているように感じる。
私が母に怒りを感じるのは当たり前で、それを許そうと私だってしんどい思いで乗り越えようとしてるのに。。
結局病気になるまで罪悪感なんて全く感じずに、好き勝手生きていて、自分が病気になったから、治すために自分の罪を許してもらって解放されるために呼んだってこと?それは私のためじゃない。自分のためだ。
私には献身的なサポートをしてくれる人なんて、中学の時から誰もいなくて、人格否定を常にされながら育って、そのおかげで相当に苦しくて人生に希望が見出せなかった。死にものぐるいで努力して、普通の人と同じ土俵に立ったと思ってもすぐに足元をすくわれた。
この精神病質は一生治らないんじゃないかって、思い悩んで、死んだ方がましで消えてしまいたいと何度も何度も繰り返しながら、原因と思われる事を恨んだ。
ずっと消えない、トラウマと変容してしまった脳と、心の歪みを抱えて、幸せを感じることができない。
そんな、人生を経てきている。何も知らないあなたが、それを否定しないでほしい。私だって病気と闘っている、幼い頃からずっと。サポートだって本当は欲しい。でも誰もいなかったから、1人で闘ってきている。本当はあったはずの青春も楽しい子供時代も奪われてコンプレックスの固まりで、出来損ないの心を持って、周りに迷惑をかけている事に罪悪感を感じながら、自立しようと、まともになろうと、認められようと努力をしている。
母のことばかり優先は出来ない。母に似てるだなんて、私にとっては侮辱と同じなんだよ。私はそうは思わない、嫌なんですって前にも言っているのに、なぜ繰り返し言うの?何故、私の気持ちや意見を伝えているのに、否定するようなこと、私の不幸なんて大したことじゃないみたいな風にいうの?
あなたに何が分かる。あなたに私の想いなんて分からない。母のことを本当に愛しているようだけれど、その為に私達を、利用したり、センシティブな話題に首を突っ込まないで欲しい。どんな思いで、私が病院に来ていると思っているの?
本当に腹がたつ。自分の病気よりも、子供の幸せを願うくらい利他的であったなら、わたしもこの感情を和らげることが出来るけど。
あんなひどいことをしておいて、一言くらいで簡単に許されると思わないで欲しい。。変なスピリチュアルカードで、どうやって病気が治りますかって聞いたら、"許し"というメッセージが出たから、だから謝ろうと思ったってそういう事なの?
罪悪感を抱えて、罪を背負いながら、生きて欲しい。それが贖罪であるから。解放されただなんて思わないです。事情がなんにせよ、あなたがしたことは、ひとり、ふたりの人生を大きく毀損してしまったんだから。
私は、人を傷つけることに凄く罪悪感があるよ。よくもあなたはあんなに酷いことが出来て、言えたよね、、まだ子供の私に。それを、癌になるまで悪いと思ってなかったってこと。。?病気になるまで、謝るつもりは全く無かったって、そういう事?
心から私のことが心配なら私の話をもっと聞いてくれるはずじゃない?私のことに興味を持ってくれるはずじゃ無い?応援してくれるはずじゃ無い?自分の考えの押し付けで、人の気持ちを考えていないんだよな。相手の立場を慮る余裕やキャパがないのか。。いつも結局自分勝手で結局自己中。自分が常に優遇されていて、贅と快楽を享受しないと気が済まない...結局そんな浅ましい人間の本質は変わっていない...
そんな母のことが、ずーーーーーっと嫌いだった。そんなにすぐには、この感情は変えられない。時間がかかる。私は、母を好きになることは出来そうにないや。過去を仕方がないと受け入れて許し、彼女の幸福を祈ることは出来るけれど。やっぱり、好きにはなれないよ。やっぱり近づきたくないと思ってしまったよ。死んでしまったら悲しいのかもしれないけれど、何を話していいか分からないよ。まだ怒りが残っているようだ。私は次の世代や、周りの大事な人を傷つけるような事をしたく無いから、自分の人生を強く幸せに生きて、周りを不幸にする愚かな選択をしたくないから。だから母の事を、少なくとも過去の母の言動や思考パターンは病的で否定しないといけない。そうしないと、同じ事を、私も連鎖してしまいそうで怖いんだよ。。。。
今は献身的な夫に見せてる旦那さんだって、家族が酷い状況の時に母をたぶらかして不倫して、一層家庭をかき回して、母は外泊三昧で父も子供達もみな傷ついて、私の思春期は楽しい思い出が殆ど無い。離婚した時なんて、はっきりと思い出せず記憶が飛んでいる。わたしはとっくに母からのサポートや愛情なんてものは諦めて、必要ない、自分で努力して立派になるんだって、理想の生活を手に入れるんだって、母の存在を否定して1人で頑張るしか無かった。誰にも辛さ、悲しさ、苦しさを話すことができなかった。
そんな風に奪われるべきじゃなかった。
そのことについて、罪悪感は感じない?謝ろうとは、思わないかな?
母は離婚して旅行や贅沢三昧で罪悪感もなく、手厚いサポートもあなたにしてもらえて、私は荒れた家庭でずっとひとりぼっちだった。
食事にだって困ってた。病気になっても、自分で対処するしか無かった。
兄や孫たちが来るのは良いけど、被害側の私や弟が来て話すのは、負担になるからもうやめた方が良い?もう来なくていい?
何なの?マジでムカつくわ....。もう2人で勝手にやってくれだなんて思うよ。私は一体何に巻き込まれていて、どうしてこんなにストレスを感じないといけないの?
せっかく過去に向き合って、母を許し、過去のことを水に流して今の母さんと、新しく絆を作ろうと思って、トラウマに苦しみながらも、体調崩して休職せざるを得なくなっても、今は母との時間を作って母のためにも自分の為にも向きあおうとしているのに....
カウンセリングにだって言った。心療内科にもお世話になっている。
当たり前かもしれないけれど、現旦那は母のことしか、全く考えていない。私達がどう感じるか、どんなショックを受けるかなんか考えていない。
他のことなんてどうでも良いと思ってる。
私が昔つらかったことを話すのは母を傷つけて、体調を悪化させる、悪者扱いされている?初めに向こうから、過去の嫌だったこと全部話して、言いたいことはなんでもゆってって言うから、ゆったのに。ずっと蓋をして出来れば忘れてしまいたい感情で、向き合うのも思い出すのも辛かったのに。それなりに、自分なりに人生築き上げてたところだったのに。。思い出したらフラッシュバックで気持ち悪くなっちゃったよ。
どうして、それで母を悪くいう私が悪者扱いなの?
お金持ちをひけらかして、一体何なのか。ディズニーのホテルなんて私は泊まったことないよ。うちの家庭ではディズニーは私が行きたいといっても兄がいかないとゆって、私だけでは連れて行ってもらえなかったよ。
母が捨てて出てった家に今でも住んでいる私は、カビだらけのエアコンを20年以上未だに使っていて、母が壁に穴を開けて、嫌な思い出の詰まった部屋に住んでいるよ。一人暮らしが出来る気力も体力もないんだよ。努力してスキルを磨いて、職を手に入れ、鬱や体調不良に苦しみながら、精一杯稼げるお金が年収400万だよ。
あーー良いご身分ですねーー。なんでもやってもらって、なんでも買ってもらって、好きなことだけして働きもせず、金持ちに甘やかされて、離婚して良かったですねー。あれだけそんなんじゃお前は社会でやっていけないよって、私を否定していた癖に、自分はちゃっかり、お金持ち見つけて不倫して、愛されて自立もせずに余裕があるふりして、孫を甘やかして良い人ぶって、幸せを満喫ですかーそうですか。
私に贖罪したいなら、アパートの一棟くらい買って欲しいくらいだわ。言葉じゃなく、行動で示せ。利己的な動機が透けて見えるうちは、言葉は信用することが出来ない。
なんせ今までなんども裏切られてきたからねー簡単に信用したら、危ないって染み付いてるのよ。
病気が分かってから、自分の住む家の改築に、自分の趣味に2000万ものお金を使って、私の将来のことを心配してくれる事はないもんね。成人後何度か食事に言った時もいっつも自分の話ばかりして、良い家に住んでるから遊びに来てって、自慢していたなー。こんな生活が出来る私すごいでしょーって、何にも努力してないくせになー。
私の仕事に興味待って話を聞いてくれたり、思いやってくれたり応援してくれることはなかったな〜。
子供達や孫のために、お金を残したいとは思わなかった?おまけに連帯保証人にされそうになったんだ。あれは危なかった。こうして死にそうになっていて、あの時すでに病気の事分かっていたのにね...
嗚呼、ならなくて本当に良かった。信用しなくて良かった。はあ。こういう、落し穴とか罠みたいなのがちょこちょこ潜んでいるから母と対面すると気を抜けない。
現旦那は偉そうに、自分は何でも知ってるみたいな言い方しやがって、あなたに、私の気持ちや辛さは分からない。
一体母の何が良いのか。話を聞いているだけで気が滅入ってくる。論理的な話が出来ず、頓珍漢で意味不明。標準医療を拒み、代替医療に大金を注ぎ込み、挙句に癌がどんどん悪化して苦しんでいる。見てるだけで、話を聞いているだけで頭が痛くなってくる。
ちゃんと、彼等との間に防御壁を作っておかないと、医者なんてヤブ医者ばかりだとか、抗がん剤は毒だとか、検診なんて無駄だとか、あなたは病気じゃないから医者なんて行くなとか、そんな、将来の私に不利益になるような全く根拠のない価値観を押し付けられそうになる。
だから、自己をしっかりと保ち、それを受け入れず、ただそれを信じ込んで祈っている弱った母の事を傷つけないように配慮しなくてはならない。
私は、素人の意見よりも専門医の意見を、信じる。結局それが、一番当たっている可能性が高いから。医者だって、間違うこともあるだろう。分からないこともあるだろう。でも、素人のそれよりは、断然信用出来る。良い医者に当たれば本当に信頼してお任せしたくなる。
日々、研究の努力を惜しまない、優秀な医師の判断を聞かないだなんて、本当に頭が悪い。素人判断の思い込みが何故正しいと思うのか?愚かだ。。。実に愚かだ。。。
揃いも揃ってアホか!!
肯定出来ないのはね、私は母のようになりたくないし、母のように生きたくないし、まともな人になりたいから。。私と同じような思いを将来子供にさせたくないから。だから私は母と似ていたらいけないんだ。母のようになったら、虐待の連鎖をしてしまうことになるから。
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まあでも、今は私だって父さんに支えてもらっているし、母さんだって本心から謝ってくれたのかもしれないし、母さんも辛い思いはしてきているし、職場の人にも状況理解してもらって配慮してもらっているし、、恵まれていて、皆から思われて心配されているんだよ。だからいつまでも被害者意識抱えなくていいんだよ。私のために。許せないと思い続けることが、私の負担でもあるんだよ。
私のことを愛していた、悪い事をしたと思っている、それが母さんの本心。受け入れてみよう。愛を受け取る努力をしよう。信じたい。本当は人の善意を、心から信じたい。
怒りなんて感じたくない。実の親を否定して悲しい気待ちになりたくない。昔のことは、ただのすれ違いで、今は仲直りができると思った。心から、私の事を愛している、心配してくれると思った。。
今は疑い深い、闘争本能が出ているだけなんだよ。臆病な警戒心の強い幼い私がでてるだけなんだよ。客観的に見つめて落ち着こう。
ふう。今は強く怒りの感情を感じている。
これは正当な怒り..?
この怒りの根っこは...?
これは認知のゆがみ?
被害妄想なの?
腹が立って、仕返ししてやりたい、傷つけること言ってやりたいだなんて思ってしまう。
ただ、反射的にそれをしたら私は母と同じになってしまう...
だから実際には言わないで、相手が喜ぶような事を言ったりするんだけど。それが"すべき"事で自分の本来の"ありたい姿"であるから。
でも現にこうして私の自動思考が怒りを反射的に感じてしまうことは事実で、これをうまく解放できないと、怒りや悲しみの感情が自分の中に、溜まってしまうんだと思う。そして一定以上溢れると、また抑うつや体の不調や感情の麻痺が起こるのかもしれない。
感情を無理やり押さえつけたり、見ないようにするんじゃなくて、怒り上手く操ってあげたい。怒りを必要以上に恐れないようにしたい。
普通の人はこういう場面で怒りを感じないのかもしれない。母に似てるって言われて凄く嫌で、怒るってたしかに一般的にみれば普通では無いよね。
なんだかもう会いたくなくなっちゃった。
私って本当愛情無いのかな。
信用してないんだな。
寂しいやつなのかな。
開きかけた扉が閉まっていく音.........
こうして、全人類に対する愛を失って、新たなトラウマになってしまうんだろうか....
人を信頼することは怖い事で、愛は存在しないと、潜在意識に刷り込まれてしまうんだろうか。。。
とりあえず現旦那とは、話したく無い。うちの家庭の事情のことを理解していないのならば、悪意が無かったとしてもその余計な発言は私を苛立たせる。
疲れたな。
でも、怒りを感じる事は当然!今まであまり使っていなかった、吐き出していなかったから、ちょっと過剰反応で出ちゃってるかもしれないね。
そう、この怒りは受け止められる。
私が悪いわけじゃ無い。
もっと言い返しても良かったんだよ。
あいつ偉そうに。何なの?ムカつく。
でも、あの人も母の癌が良くなることだけを考えていて、精神的に余裕がないんだろう。
あー虐待加害者の母が愛されていることにも腹が立ってんだな。私はひとを傷つけることが怖くて、パートナーを作れないでいるのに。
私だって口論なんてしたら疲れる。余計に、分かり合えないしんどさを抱えて落胆してしまうかも。問題を起こす自分として、自己否定をしてしまうかも。
母の本音が聞きたいのよ。
私の幼少期のことが聞きたいのよ。
可愛いと思ってくれていた?
愛してくれていた時はあった?
私は本来はどんな性格で、小さい頃に何があったの?何が、私の心に今も引っかかっているの?
私はどんなトラウマを抱えさせられたの?
今も私の人生にしつこくしつこくついて回る暗い影の正体を知りたいの。
どんな事を、謝りたいと思っているの?
ちゃんと思い出して話して。
じゃないと、私はあなたを許すことは出来ない。
あなたはもう十分、人生楽しんだでしょう。子供にお金をかけるより、子供の希望を叶えたり、喜ばせることよりも、自分の欲求を満たすことには躊躇なくお金を使って。
かわいそう?そんな風には思わない。
あれはあの人の業。
人にねー、呪詛ばかり撒き散らしていたからねー、帰ってきているんだよー。
母さんとの楽しい思い出、いくら探してもなかなかなかなかなか出てこなかったよ。
それでもね、今日は本当は、母さんにハグをしてね、昔のことはもう気に病まないで、母さんは一生懸命だったの分かっているし、育ててくれてありがとう産んでくれてありがとうって感謝を伝えようと思っていたんだよ。
そうすれば彼女の心が明るくなって、病気に良い影響になるかなと思ってさ。喜ぶかなと思ってマッサージジェルも持っていったよ。
そんな、私の努力と決心を踏みにじられた気持ちだよ。苛々してしまって言えなかった。
あいつ、私が3才の頃にいつも駄々こねて母が置いていくよといって置いていっていくら離れても動こうとしないなんてことが何度もあったなんて話をして、なにが言いたいわけ?3才の私が悪いとでも言うの?私の性格がおかしいとでも言うの?
ああそう言う事柄があって、私のこころは少しずつ傷ついて壊れてしまったんだなって、怒りしか感じないんですが。
ムカつく。
加害者側の癖に。。。
私は誰かに加害したことなんてない。問題があると、怒りを感じても出さないようにして、うまく平和にやり過ごそうとして、そう感じる自分を責めて、全部負の感情背負ってきたんだよ。怒って口論になることが、トラウマなんだよ。イラっときても人に適切に怒りの感情を出すことが出来なくなってしまったよ。子供の頃に私が怒る=倍で帰ってきて、人格否定される =罰を受けるっていうパターンが染み付いていたからかもしれない。地獄だった。そうして怒る母を否定しているからかな。。。。
一度、この感情が全て放出されるまでキレてみたい。徹底的に相手をやり込めてやりたい。言い返せないようにズタズタに心を切り刻んでやりたい。私が正しいんだって、証明してみせたい。闘いたい。勝ちたい。
私が経験した、この辛さや苦しみを味あわせたい。後悔させて、泣いてすがって謝らせたい。
おっと、出てくる感情そのままに書き出していたら、まさかこんな言葉が自分から出てくるとは。
本能というか、潜在意識からのメッセージだろうか。気づかなかった。蓋をしていた頃は。こんな激しい強い怒りを抱えてたんだ私は。あの人の発言はキッカケで、過去の事、その時溜めてしまった事、今まで感じないように抑えていた事、ひっくるめて出てきたんだ。
今は随分穏やかになったと思っていたけど、やっぱり昔封じ込めた何かが開きかけている。何か、恐ろしいものが私の中に眠っている。
でも、こうして感情を感じられるのは良いこと。私はある時から、空虚と諦観を抱えた感情の無い人形のようだった。
人格は、普通のふりをしているだけで、中身が存在していなかった。楽しみも、嬉しさも感謝も幸せも、ポジティブなものを感じられなかった。まずは怒りを徹底的に吐き出す。そうして健全な心が帰ってくるかも!
あーーーーーーーーーむかつく!!!!!
ほんまに。神さまは見てる。
それがあなたが負うべき業なのかもしれないね。赦し、だなんて。
ぴったりじゃないか。
そうやっていつまでも利己的なままでいたら、きっと治らないだろうねー。
良い最後じゃん。いい気味だよ。
人を苦しめた分だけ、自分に返ってきてるんだろう。
叔母は、同じ家庭で育っても、あんなに優しく繊細で人の気持ちを思いやれる人に育った。努力して自分と向き合ったから。
あなたは何度も気づけるチャンスがあったのにも関わらず、他人に責任を押し付けては、自分の欲求を満たすことに夢中だった。ひとを傷つけることに躊躇が無く、非常に冷酷で、それを見せつけて楽しんでいるようにもみえた。
人格障害レベルやで。許されることじゃないで。これが許されたら世の中の頑張ってる本当に子供思いのお母さんが報われないで。
これ以上私みたいな思いをする子供が、居なくなりますように。子供達が愛情をたっぷりと受けてのびのびと育つことが出来ますように。
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長い、要約編
・哀れに思う気持ち
・ここから学び、二の舞にはならないぞ、という決意
・この怒りは、嫉妬かもしれない
・本来私が欲しかったものを持っている人、それをわたしから奪った人。
・私は今のの自分を不幸だと感じ満たされていないんだろう
・母を許せていない
しばらく頭痛・倦怠感・胃もたれ?あるもたまに飲酒しつつ普通に過ごす。
もう大丈夫だろうとマグネシウム錠を止めたら急に便が硬くなりアナルから大量出血したりしながら、抗がん剤投与10日目。
前日丸一日、人混み&寒空に居たせいかも……で病院で渡されてあった抗生物質を即飲む。
夜、高校生のとき好きだった人に会う予定は絶対に飛ばしたくなかったので絶食しひたすら寝た結果、夜は熱が下がる。
12日目。
下の毛を引っ張るとモリモリ抜ける。髪はまだ大丈夫だけど引っ張るとスッと抜けてしまうやつもいる。件の好きだった人と日曜日に急いで会っておいてよかったと心から思う。歯医者に定期検診に行くと昔神経を抜いた歯がもう限界かもということでいずれ抜歯しなければならないそう。ついでに抗がん剤治療中の旨伝える。
昔 抗がん剤治療をしたとき虫歯が出来まくったので、信頼できる先生の元で定期検診を受けられるのは安心。
14日目。
2回目の投与。痔持ちの快便野郎には便秘が一番辛い副作用だったため、マグネシウム錠を大量に出してもらう。相変わらず点滴の針が入りづらい。
15日目。
白血球を増やす注射。今回は24時間ルールを知っていたのでギリギリの時間に行ってすぐ済んだ。地味に痛い。
そして気付かないフリをしているけれど昨日あたりから明らかに髪が抜け始めている。昨日も今日も怖いやら面倒やらで洗髪せず。
16日目。
買い物に行かなければならないためシャンプーをしてみる。どんぶりいっぱい毛が抜ける。だいぶボリュームダウンしたけれど、まだ気にならないレベル。そのまま買い物へ行く。
確か前回は、1回目の時点では少なめだけどウィッグなしで出られるくらいには毛が残っていたはず、そのうちにもう一度くらい男の子に会っておきたいななどと考える。多分無理だけど。
ここ何日か胸がパンパンに張って痛いのでもしやと思ったが夜、生理が来る。止まるって言ってたのに~と思いつつ排卵してたっぽいしな……などと考える。これでしばらく何年か来ないのかも?
17日目。
そこら中に髪の毛が散らばり不愉快。単純に副作用か精神的なものか生理のせいか、丸一日動けずダラダラする。気分は悪いが食欲は旺盛。
髪を洗ったら更にどんぶりいっぱい毛が抜ける。いつまでたっても抜け続けるので諦めて切り上げる、まだあるけど、分け目の地肌が見えていてお年寄りか明らかに病気な人の頭になったので、明日からはウィッグで仕事に行かなければならない。嫌だな。
ちなみに1回の投与で明らかに腫瘍は小さくなった気がする。関係あるか分からないけれど、ずっと続いていた口の中の知らない味も少し減った気がする。慣れただけかな。自分のにおいじゃないみたいに感じる体臭は変化なし。まぁこれは加齢臭かも知れない。
内臓のダメージとかはよく分からないけれど、副作用の中で一番つらいのは正直言って髪の毛が抜けること。
これだけで普通の生活へのハードルが上がる。どうやってウィッグ付けたままセックスするかが今後の課題です。
また、酒を控えてるせいなのか味の好みが明らかに変わり、以前はほとんど食べなかった甘いものや果物がやたらほしくなるのも不思議。炭水化物もモリモリ食べてしまっているけど やはり全体的に食欲は落ちているのかジワジワと体重減少中。
ほんっと髪の毛が抜けなければなぁ
30代男。
との心のこもった手紙をもらった。
それ自体は満足しているが,骨髄バンクの仕組みに不満が残っている。
手続き途中で気が変われば,患者さん側が移植を受け入れるための前処置(大量の抗がん剤を投与しつつ放射線を当てて白血球自体を全滅させる。当然そこでドナーからの移植が中断すると死ぬ。)の前までであれば,いつでも中断できる。
ところが,骨髄バンクのコーディネーターさんは極めて細かくこの経費を確認してくる。
そういうのを移動のたびに訊かれるし,こっちは用事があって別経路で行くことになっても最短経路以外では申告できない雰囲気。
コーディネータは気を使って嫌な雰囲気にならないようにしてるんだが,
人命がかかってる大変なイベントで10円単位まで細かに精算しなきゃいけない制度というのは,どうなんだろうか。
あと,全日程を通じて合計5000円だけもらえる。支度金だって。
自分は遠隔地での移植だったので電車の費用は別途もらえたけど,
旅行のためのこまごまとした道具類を用意して,帰りは荷物を宅急便で送ったら5000円じゃ足りなかった。
自腹だよ。
あ,医療保険や自治体によってはドナーへの給付金があるけども,俺の保険も自治体もそんな制度は無かった。
おれは朝起きてダルかったら電話一本で有給取れるぐらいユルい職場。
移植数日前から体調万全にして絶対に風邪をひかないようにして,
24時間ぐらいは点滴つないでて,翌々日には病院を追い出されて,
白血球の相性って数十万人に1名のレベルですよードナー登録してくださいねーって言ってるけど,
おまえそれゼロ円でやれって言われたら,数十万の1どころか数百万分の1になるじゃんよ。
ぜひ提供したいという人でも,カネという現実の問題を突き付けられた時には,躊躇するだろうよ。
そりゃ当たり前だし正当だ。
ともすれば足が出るような制度になってるんだ。
法外な報酬をよこせと言ってるんじゃないぞ。
なおかつ仕事の面でマイナスにならない程度の補償なり報酬が欲しいんだよ。
患者さんが極めて厳しい環境にあることを想って,報酬なんか二の次だと考えているはずだ。
それはそれで素晴らしいよ。言葉にならないぐらい偉大な行為だと俺は思ってるよ。
でもさ,補償制度をしっかり構築していれば,あと数千人,数万人救えたんじゃないの?
1991年の骨髄バンク設立以来,いったい何人のドナーが金銭的理由で提供を断念した?
いろんな体験ブログを見てると,ドナーは偉いということで病院関係者からチヤホヤされることが多い模様。
でも,俺の場合はそうではなかったな。
退院するとき,「それじゃ出ますね」とナースステーションに声をかけたんだけど,
「あ,おつかれさま」の一言だけ。出てきて見送るとか,無し。
手術後で腰が痛い状態で,荷物を抱えてヨチヨチと駅まで歩いたよ。
圧倒的に気の毒な患者さんたちを相手にしてる医者や看護師から見たら,ドナーなんて健康そのものなんだから,丁重に扱う存在ではなかったんだろうな。
骨髄提供は一生に2回までと骨髄バンクで決まっているとのこと。
なのであと1回は提供できる。
不満はたくさんあるが,結局,俺が我慢すればどこかの誰かが命を救われる可能性があるのだ。
ただし言うことは言うぞ。
意外に反応が多くて驚きました。
ただ,これで提供を保留する方もいらっしゃるかと思うと心配です。
良いことした気になってるから、だらだら長いけど聞いて欲しい。
増田で書いたことあるけど、私乳がんの既往があるから定期的に検診受けてるんだ。
再発しにくいタイプだし、新しく出来ることはあっても手術したがんについてはそんなに不安ではない。
がんのせいで治療が出来ない不具合が出てしんどいけど、乳の病院で出来ることはないから、先生にしんどいよーって話をするだけのために病院行ってる。
先生楽しい人だし、お喋りたくさん聞いてくれるから待ち時間は長いけど大好きなんだ。
だからその日もぼんやりスマホいじりながら待ってたら、少し離れたところで告知されたてほやほやの女性が看護師さんから治療の説明受けてるのに気付いた。
こんな外待合で話すの?と思わないでもないけど、気になってチラチラ見てたんだ。
相づちは打つけど、心ここにあらずな感じ。
あれは数年前の私か。そう思ったらすごく苦しくなってきて、励ましたくなってきた。旦那さんも一緒にいるのにそんなお節介にも程があるようなことを思ったんだよ。
告知されたてのころの私、患者とのなれ合いとか反吐が出るぜと思ってたから。
誰にも奥まった部分での苦痛は言わずに終わらせてやるってどこかに思ってた。
抗がん剤を打つためにプチ入院を2回したんだけど、その2回とも親くらいの年齢のおばさんに話しかけられて、すごく癒されたんだ。
共感してもらえることはすごく励みになることに気付いた。
医師や看護師にこの薬の副作用は~って質問しても、そういうのはあんまり聞かない、とか、みんなこう言ってる、としか返ってこないの。
本人が病気になって同じ治療してるわけじゃないからわからないことも多いの。仕方ないけど。
患者も、不具合あるけど大変なことから順番に言ってたらついつい言い忘れたりとか、治療のせいと思ってないから言わないでいたりっていうことが多いから伝わらないのよ。
だけど、患者同士だと妙にわかり合えることが多くて、すごく勉強になった。
だから、その女性を見てあのおばさまたちに励まされたことを思い出して、何か私にも役に立てるんじゃないかってすごく胸がザワザワしたんだ。
いきなり知らない人間から傷心の時に話しかけられるの鬱陶しいかなってすごく葛藤した。
でも、でも、あれは私なんだ。
そう思ったらいてもたっても居られなくなって、つい近寄って声をかけてしまった。
私も、同じ病気なんです。術後数年経ちます。他人事と思えなくて声をかけてしまいました。すみません。
向こうも驚いてたけど、お話ししていくと段々顔が明るくなってきてね。
旦那さんも途方に暮れてたような顔してたのが、何だか安心で泣きそうになっちゃってて、うんうん、って何も言わずに頷いてくれてるの。
奥さん、今の気持ちとか、仕事はどうしてたかとか、どんどん質問してきてくれて、私が答える度に噛み締めるように受け止めてくれて、元気が出てきたってお礼言ってくれたんだよ。
お節介かな、鬱陶しいかなって躊躇したけど、思い切って声かけて良かったなあ。
私と同じ主治医にかかるみたいだから、あの先生優しくて良いですよって言っておいた。
その患者さん、先生と看護師さんに、私と話して気持ちが楽になったし、前向きに治療する元気が出たって言ってくれたらしい。
私の診察の時に、先生と看護師さんからすごく感謝してもらっちゃった。
若い女性の方からって聞いたから絶対〇〇ちゃんや~んって思ったよ、ありがとー、と先生はいつものゆるゆるな感じでお礼言ってくれた。
看護師さんには結構真面目な感じで、どうしても医療従事者の説明は伝聞でしかないから上手く届かない、話しかけてくれてありがとうって感謝された。
私今もずっと体調悪いから全然幸せじゃないんだけど、それ聞いてひとときの充足感が得られたよ。
相手が好意的に受け取ってくれたから良かっただけって思わないでもないんだけど、彼女の苦痛をほんの少しでも和らげることが出来たんだと思うと少し誇らしいの。
ちなみに、一番良いアドバイスできたなって思うのは脱毛について。
周りからまた生えてくるよって慰められるの、鬱陶しいんだ。また生えてくる云々は理解してるけど、フサフサなとこなら一気にいくと、今生えてないことが悲しいし惨めな気持ちになるんだ。
だからウィッグを良いものにしてると自尊心が保たれるし、事情知ってる周りからウィッグすごいって褒めてもらえて嬉しいよって言っておいた。
脱毛については何言われても鬱々とするんだけど、上司(頭髪が残り少ない)に「お前生えてくるかも知れないけど俺はもう二度と生えねーんだからな」と、言われたときだけは逆にすみませんっつって元気になっちゃったんだよ。
このエピソードを伝えたら、彼女めっちゃ笑って、元気出たって言ってた。
回復不可能な人も良い医療用ウィッグおすすめする。最近のは本当にわからないよ。
こんなとこでしか言えないから自慢させてね。私の自己満足なお話。
お目汚し失礼しました。
終わってから、あと2ヶ月くらいで1年!
その節は独り言のような日記を見ていただきまして、ありがとうございました。
私は無事再発などもなく、髪もショートくらいまで伸びました!
髪質はほとんど変わんないかな…。太った! 今はちょっと痩せた!
ニュースや、ホッテントリでも、ガンの話はいっぱい聞くし、亡くなる方も多くてとても心がズキズキする…。
実は、私が手術の後すぐ、小林麻央ちゃんが亡くなったんだ……。
その時は本当にショックで… でも、当時よりも、段々とショックが大きくなっていった気がする。
あの時は、むしろ反発した部分もあった。今は、もう、彼女に対する想いはよくわからなくなってしまった…。
先日、伯母さまが亡くなったの。やっぱりガンで。長いこと闘ってらした方で。お通夜とお葬式に行って、やっぱり短い髪で、しょんぼりしたよね…。ああ、そうよね… って。抗がん剤のつらさも思い出したりしてさ。いや、長く治療した人はずっともっともっとつらかったんだろうなと… 自分の場合、終わりが見えてることが希望もてたよね…。あと、そこまで吐き気も強くはなかった。それでも、つらかった。もう、つらかったことなんてすっきりさっぱり忘れちゃってたくらいつらかった。
やっぱり、今も戦ってる人がいる。この前、術後もつらい増田がいてさ…。
自分なんて元気になってからは、つらかった生理なくなってヒャッホーイ☆ な気分(ちょっと強がっちゃった…… ほんとはちっちゃい子見るとちょっとだけしょんぼりする…) だけに、申し訳なさもあったりして、悩んで悩んで悩みに悩んで、結局、トラバも書けなかったの…。
私は元気! ちょー元気! 仕事はじめたよ! でも、ブラックだった☆
でも楽しく元気に生きてますよ!
あと、ブッコメでもらった、「元記事のリンク」って言われたの、できなかったの、ごめんね…
温野菜の方だったんですね。嬉しい。
首をつりたくなるの、私の場合当時は赤ちゃんの象みたいな、ぱやぱやの毛しか残ってなかったので飛び降りるとヅラがずれてかっこ悪いな、と思ってしまったせいもあります。
あとはヅラをむしって、全裸で奇声を上げて近所中を走り回りたいという衝動にも駆られました。
体力ないなかで追いかけられたらすぐに捕まってしまうなということがネックで実行に移さなかったことは賢明でした。
世の中にはストレスで露出に走るタイプとそうでないタイプの2種類の人種がいるのだなと学びました。
自分がそっちのタイプだったかと、がんになるまで知らなかったので、気づきを得たときは何とも言えない心境でしたね。
リュープリン、打った後の不眠がすごくてしばらくしたら落ち着くのですが当時は抗がん剤の日にリュープリンも打っていたので何が何やらでした。
元々の婦人疾患者でも不安定になりがちだったので、ホルモンの変動にすごく敏感なタチなんだと思います。
その後のタモキシフェンという飲み薬でリュープリンの非ではない尋常でない鬱になり、即腱鞘炎になったので、確信しました。
タモキシフェンの副作用がほぼないとか言ってるやつにはオラオラオラってしてやりたいです。
ほぼないとされる副作用にことごとくはまっていくタイプの患者だったので、病院スタッフもあんまり真剣に取り合ってくれないのがもどかしかったです。
めっちゃ下痢するって言っても、フーン、みたいな。化学療法室の師長さんだけが副作用と言ってくれて、〇〇ちゃん、もう限界なのよね。と同情してくれ生理食塩水打ちながらこっそり泣きました。
ステロイド、私は体力なしのぐったり期に使っていたのですがぽっぽしました。
精神的には食欲以外そんなに作用しなかったのですが、あなたがDIO様になるくらいなら相当お辛いのでしょうね。
抗がん剤とステロイド併用すると、何故かみんなカレーに行き当たるようです。
みんな吐き気が治まったらカレー食べてやる、って思うみたいで。
乳がんで死ぬ人はそんないないけど、治療中に生活が乱れたのを引き摺って糖尿病とか生活習慣病で死ぬ人は結構いるんだよね、とお医者さんに言われてぞっとしてます。
お母様と仲直り、よかったですね。
うちの母は自分の非を一切認めない困ったちゃんなので、自業自得はないでしょって言うとお前がピルを飲んでたせいだから間違ってないと言いまくるので永遠に埋まらない溝です。
病気のこと以外では概ね仲は良好なので、昨年父を亡くしてからはたくさん電話をするよう心がけています。病気話地雷。
大学病院の治験、ちょっとワクワクしますよね。私も抗がん剤の副作用に鍼治療がいいかもという研究に参加しました。
鍼の先生優しくて好きでした。
温野菜の方とは別でしょうか、同じ方なのでしょうか。どちらにせよ食欲に打ち勝って強い人。尊敬します。
私の場合は二種の抗がん剤の二番目の時にステロイドを処方され、最初の抗がん剤にはステロイドは使用していないのです。
不眠は初期からだったので、ホルモンを止める注射(リュープリン)の副作用だと思います。
顔面蒼白、顔に色のついたものは目玉だけな状況だった私の頬も真っ赤になりました。
体重が減った抗うつ薬はイフェクサーです。サインバルタは体重にも気持ちにもいまいちでした。
飲み下すときのシャラシャラした感じは好きでしたが。
痩せて嬉しいですが不眠にはあんまり良くなくて調整しております。
寛解後QOLが低下するであろう病を患ってらっしゃるとのこと、お互いうまく現実逃避と自分のご機嫌取りをして、死ぬまで生きましょうね。
あの食欲に打ち勝てたのですね、強い人。
食べたいのに吐き気がして食べられない、頭の中は肉、カレー、がっつり!なのに、においで気分が悪くなる、そんな抗がん剤明けのステロイドの誘惑を、温野菜で済ませられただなんて。尊敬します。すごい意志です。
太ったのは間違いなく自己管理の至らなさです。ステロイドだけのせい、と読ませてしまったのは失礼しました。ステロイドも一因で、逃避行動に食を選んだわけです。不眠もすごくて、食べると幸せだし眠くもなるから。うつはステロイドの前からきていたと思うので、関係が全くない訳ではないとは思うけれど、期間も短いし、ホルモンぐちゃぐちゃなことが1番強いかなという印象です。ステロイドのくだりまで結構長かったのに、読んでくれてありがとう。
蛇足だけれど止まることを知らなかった食欲は、新しく処方された抗うつ薬でぴったりやんで体重が少し減ってきているのが地獄の中のかすかな光です。
「私はこの人たちを認めない」なら好きに言えばいいけど
「私はフェミニストだが、この人たちを認めない」と言ったんだから
何らかの方法でフェミニストであることを示してなければ疑われるのも仕方なくね?
ID晒すわけでもなく(=普段の自分の言動を示すわけでもなく)
逆になんで「私はフェミニストだが」の部分信用してるの?
たとえば
「おれは医師だが、抗がん剤を肯定するxxxというブクマカはまともなやつではない」と
そして、その増田を増田で「信用できない」って指摘するのがフェアじゃないってどういう理屈よ?
そんで「他の人とのやり取り」って一体何のこと言ってんだ…?
見えないものを見ようとしてる人かな?こわ
二十代後半で乳がんが見つかった。
乳腺症のひどい胸をしていて、二次性徴が見られるころからずっと胸が痛かった。
二十代半ばをすぎたころから何となく胸全体が柔らかくなった気がしていたけれど、
よく触ると固い部分があるからやっぱり自分の胸はこういう胸なんだと思った。
巨乳にあこがれて、理想はEカップだったけれど、長い間Cカップだった。
がんが見つかる2,3年前に下着屋さんで測ってもらったらDカップになっていた。
Dカップも小さくはない部類だなとのんきに考えてはいたけれど、
しこりが大きくなってきているのは薄々感づいていた。
自然と乳がんの話になり、乳がんは肉まんの中に梅干しのタネが入っているみたいな触り心地らしいよ、と、年上の同期が言った。
肉まんの中に梅干しのタネ入ってるのなんか触ったことないですよね~、と、呑気なフリをしていつもの通りおちゃらけて私は返事した。
実は私の胸にもしこりがあるんですよ~、触ってみます?と、いつも通りの雰囲気で、しかし内心焦って続けた。
胸のしこりは、想像の中にある肉まんの中の梅干しのタネに触り心地がそっくりだった。
彼女たちは触らず、微笑みながら言った。
帰国して約一か月、土曜日にトイレでぼんやりしながら、そういえば、と思い出した。
何となく人気らしい病院を選んだ。院長が講演活動なんかもやっているらしい。
電話がつながったものの、案の定、初めての患者は一か月くらい診てもらえないと応答した女性は言う。
「しこりがあるようなら、うちじゃなくても良いんで、一刻も早く診てもらってください」
あまりにも真剣な声だった。電話で問い合わせただけの相手に言うにはあまりにも真剣だった。
予約がとれなければ面倒だからやめとこう、そう考えていた私に次の病院へ電話をかけさせるには十分すぎる熱量だった。
仕方なく次の病院に連絡をしたら、その日のうちに検査ができた。
マンモグラフィーは痛いものだと健診で受けたことある友人から聞いていた。
それにしても痛すぎるのではないか。
それまでの人生、私は自分が痛みに強いのだと思って生きてきた。根拠があるわけではないのだけれど。
しこりのある胸を挟まれた時、あまりの痛みに体が震えて、冷や汗が出た。
検査技師のお姉さんに肩を抱かれて、一旦休憩しようかとベッドに座らされたときにパニックになりそうだった。
こんなに痛い検査が侵襲性のない検査とされているのがおかしい、どうかしている、
痛みを我慢できなくて恥ずかしい、情けない、あまり働かない脳みそを使ってぼんやり考えた。
しこりの少ない胸を検査された時も痛かった。だけども反対側より随分と楽に思えた。
自分の名前を呼ばれて診察室に入った時に、お医者さんからかけられた第一声は「大丈夫?」だった。
大丈夫ではなかった。血の気が引くとはこういうことをいうのかとしみじみと考えた。
そういう知識は持っていた。普通の会社員として働いてはいるけれど、学校で習った。
エコーでお医者さんが見せてくれたしこりは、もこもこしたクリームパンのような形をしていた。
お医者さんは、難しい顔をしている。モデルのように美しい女医さんだ。
良性の腫瘍の表面はつるりとして、悪性の腫瘍はデコボコしている。
そういうことも学校で習った。
これがもしも何ともなければ、がん保険に入ろう。
だから大丈夫だ、言い聞かせるように胸の中で何度もつぶやいた。
医師の友人に連絡をとった。
友人はマンモグラフィー読影の講習を受けたばかりだから何でも聞いてくれといつになく自信にあふれていて、
エコーがこうで、というと、段々と友人の返信に元気がなくなってきた。
当時、転勤になったばかりで、それまでとは全く別の職種にコンバートされていた。
それまでは暇で仕方なかったのだけれど、打って変わって忙しく
新しい職場は単身赴任のおっさんばかりで、慣れない環境に日々翻弄されるばかりだった。
登録していない番号に胸騒ぎがする。折り返すと病院に繋がり、すぐにお医者さんへと代わった。
電話で細胞診の結果を言うことはできない。でも詳細に検査がしたいので予約時間を変更してほしい。
結果を言うことができないも何も、それは告知のようなものではないのか。
人生を揺るがすほどの言葉を、私は残業中に、会社の非常階段で受け取った。
診察室で細胞診の結果を見た。
あまり詳しくはないけれど、学校で見たことのあるような悪い顔をした細胞が並んでいた。
バコラ生検といって、皮膚を切って漫画のような太い針をした注射器のようなもので組織を吸い上げる。
局所麻酔を打つ。痛みがありますよ、なんてお医者さんは言ったけれど、マンモグラフィーの方がよっぽど痛い。
検査をしてくれた個人病院ではなく、大学病院へそのまま紹介状が書かれた。
色々な説明を受けた。
詳細な検査なしにはわからないけれども推定されるステージ、予後、タイプによる治療方法の違いや色々。
がんのサイズは3cmあったので、ステージⅡ以上は確定だと、悲しい顔で告げられた。
「先生、すぐ治りますか」お医者さんにバカみたいな質問をした。
「うん、すぐに元気になるからね」お医者さんは、今思えばとんでもない嘘つきだった。
大学病院での検査の結果、私はホルモンレセプター陽性、HER2タンパク陽性だった。
簡単にいうと、乳がんの治療薬に対して感受性が良いから治療しやすいタイプだ。予後も非常に良い。
その時は、結果に対して良いことだと感じた。
しかしそれが不幸なこととだと後々思い知る。
術前に二種類の抗がん剤をし、術後に放射線治療とホルモン療法をする。
卵巣の保護とがんの発育を防止するために女性ホルモンを止める注射を打ち
手術は、温存できそうであれば乳房は温存、シリコンは30年で入れ替える必要があるからおすすめはされなかったので
術中にすべてが終わる、同時再建となる。
私の乳がんは治療効果が出やすい。出やすいということは、可能な限りの治療法をすべてやってしまうということだ。
予後が良いことと、元気に余生を送ることは違う。
若いから体力がある、回復が早い、とあまり知識のない周りは言う。
元々同い年の友人と比較しても筋肉痛になりやすく新陳代謝の良かった私に副作用はてきめんに出た。
2,3回の抗がん剤でがんは柔らかくなり、一種類目の抗がん剤を終えるころには触れることさえできなくなった。
それでも、標準治療という、乳がんに決められた治療は命に関わる副作用でもない限り続けられる。
味覚障害にならなかったことで体重はどんどん増えていってしまった。
病気のストレスでどんどん食べる。抗がん剤の副作用の吐き気がおさまれば、
副作用止めのステロイドのせいで食欲がとどまることを知らない。
乳がんです、と職場に言えば早期と言った覚えもないのに早期のがんの扱いをされる。
実際に早期の分類ではあるものの、どうせ早期なんだろ、と軽くみられるのは納得いかない。
咳が止まらない風邪のおっさんが、俺もガンかな、と独り言を言う。
病人扱いはしない、と言われたけれど、仕事は当たり前に1人分用意されていて
懇願しないと手伝ってもらえない。
確定診断の前、がんかもしれないと連絡したらいつもお前は私たちを驚かせてばかりだとなじられた。
そのあとに、あんたが落ち込んでると思って、と電話をかけてきた母に優しさは感じたけれど
最終的にはがんは自業自得だと罵られて終わった。
突然健康と容姿を奪われてしまって、なおかつ職場と家族の理解が伴わない、そうなると当然頭がおかしくなる。
手術はうまくいった。乳首も残せた。傷跡も自分ではそれほどは気にならない。
少しずつ萎縮しているようで、元々がん抜きにしても健側の乳房より大分おおきめだった乳房がかなり小さ目になっている。
それでも医療機関で新しいスタッフに出会うたびにきれいだと褒められる。
術後4年とそろそろ半年がくるが今はがんのためには何もしていない。
時期的にはそろそろ寛解といっていい。
手術痕はきれいなものの、剥がれた背中の筋肉や、弄り回されて傷ついた神経は軽い疲れや天候不順で大いに痛む。
この手術がうまくいっていないようで周辺のスジがひどく痛むし、こうしてキーボードを打っていても
薬指や小指のあたりに力が入らない。
抗がん剤で傷ついた手の表面の神経はいまだに感覚が怪しく、ざらざらした布を撫でると奇妙な不快感を覚える。
足も不意に菜箸でつつかれるような痛みを覚えるときがある。
私は元々婦人科系のホルモン疾患があって、ピルを飲まなければ日常生活を送ることすら困難だった。
しかし、ホルモンがエサになるタイプのがんだから使用することができない。
ホルモンの乱れ、心身に蓄積したダメージ、見た目が元気そのものだからこそ理解されないタイプの不調を抱えている。
こんな体調だし、あまり弱みを他人に見せることが好きではないから彼氏はいない。
太ってしまったものの、髪の毛は生えてきているし、我ながら顔は普通レベルには整っている方だと思う。
だけれど、結婚して、子供を産んで、ということは私には夢物語だ。
人生で一番色恋にうつつを抜かさなければならない5年間私はひたすらに体調が悪くて自分の世話さえままならない。
がんが連れてきた不調によっては死に至ってしまうかもしれない。
幾度も孤独な夜を越え、みじめさと苦しさと痛みに、毛のない頭を抱えてもだえ苦しんだ。
粘膜が弱って、鼻が蛇口になったのかと思うほどの量の鼻血が出たこともあった。
ホルモン療法を始めてすぐはひどい鬱状態に陥り、首を吊りたい欲求を抑えることに必死になった。
それと比べれば瞬間最大風速は今の方がぬるい。
でも、終わりもないし先が見えない。
次にがんができたら、そう、一度でもがんを体験したことのある人間なら頻度はともかく頭に浮かぶだろう考え。
できれば死にたい。
何もなくて、安心を得る人もいる、見つけて、切って、はいおしまい。で済む人もいる。
でもそうでもない人もたくさんいることだろう。
そもそも私は乳がん検診適用の35才より若くに自分で病院にかかったから
がんサバイバーがエネルギッシュな姿をさらすことは勇気を与えるかもしれない
でもサバイバーがエネルギッシュにならなければいけないという無言のプレッシャーがある。
現に、私の母は新聞で見た乳がん患者はこんなに元気なのに、あんたはいつまで病人気取りなんだと叱責してきた。
元気がない人にも声を上げさせてほしい。
下手にがんが見つかるとこういう辛い思いをして、死ねずに生きる羽目になる。
だからそれでも生にしがみつきたい人だけが検診をする覚悟を持てと。
やさぐれて、どうしようもなくて、地の底を這いずり回って泥水すするような気持ちで毎日を送る羽目になるぞ。
末期で見つかっていれば、大事な人にありがとうと、嫌いな人へ呪詛を伝えて心軽く天国だか地獄へ行けていただろうに。
病気になる前よりずっとずっと性格が悪くなってしまって悲しい。
長い長い、そろそろ自分を乳がん患者と呼ぶのにためらってしまう三十路女の独り言。
たくさんの方に愚痴に付き合っていただけたことに、少し気分がすっきりしました。長くてすみません。
Amazonの欲しいものリスト!?公開したら物をいただけるの!?さもしい私は飛びつきそうになりましたが、三十路レディなので澄ました顔で見ない振りができます。
お肉食べたい!不眠改善のために良い寝具欲しい!楽して痩せるダイエット器具!
…物欲は止まることを知りませんが、あなたの周りの少し元気がない人に美味しいご飯やおやつをごちそうしてあげて下さい。
回り回っていつか私がご相伴に預かることになるかもしれません。
◆母のこと◆
クソ!母親が!!うちひしがれている娘に!!!そんなことを言うだなんて!!!と、当時発狂しそうに悲しんだんですけど、母も恐かったんでしょう。
恐がりなんです、恐がってる自分を受け入れられなくて、私に当たることしか出来なかったんだと思います。
今も、私が一刻も早く普通に戻れることを期待しています。私の体調が悪いこと、気持ちの落ち込みがあること、すべてを気の持ちようで片付けようとしています。
私は、母の中では病人であってはならないのです。あって欲しくないのです。
だからと言って、娘に言って良いことと悪いことの区別がついていない理由にはなりませんが。
母は、母なりに私に愛情を持っていることだけは誤解されたくなくて追記しました。
内弁慶で臆病なおばさんなんです。
ちなみに、近親者で乳がんは父方の祖母(60代発症)だけで、姉も、おばや従姉妹、その他男性、他に誰も乳がん患者はおりません。
◆職場について◆
国家資格は取得しているものの、勤めている会社ではその資格を使ったお仕事はしていません。
ですので、デリカシーのないおっさんらもあんまり医療知識がないです。
とは言え、どう考えても非情な対応をされたことは間違いありません。
もっと貶してください。
叩いて下さい。
あの頃耐えて笑っていた私が報われます。
今は優しい人達の多い職場に転勤しています。仕事にも人にも恵まれています。
泥水をすすりすぎて、濾過した雨水うめぇ!水道水最高!って言っている状態なのかもしれません。
分子標的薬で心不全症状がガンガン(乳がんだけに)出ていた最中に引越しを伴う辞令を出した会社には多少わだかまりはあるものの、結果オーライで職場環境は確実に改善されています。
それでも体が辛いものは辛い。
そうなんです、八つ当たりなんです。
わかっているんです。
気軽に乳がん検診に行こう、それで簡単な処置で助かる命がある、それは尊いことなんです。
ファッション感覚でピンクリボン、ウェーイ!としている女子が妬ましいんです。
ウェーイしている女子がいるからこそ気軽に検診が出来る、それが本来の目的なんでしょう。
ただ、若年性乳がんって、乳がん全体のほんの数%なんです。貧乏くじ引いてしまった感が否めないんです。
元々ちょいちょいツイてなかった私が、こんな所でもツイてなかったかー、と。
妬ましく思っても許して下さい。
エネルギッシュに闘病体験を語って、良い感じの活動をしている先輩サバイバーを見て、そうはなれない(なりたい訳でもないけれど)不定愁訴がしんどいんです。
残っている後遺症のようなものも障害レベルではなくて、1個1個は誰しもが抱えている何らかの不調なのかもしれません。
不調の数が多すぎて、歯車がガタガタで、支える気力も尽き果てた状態が今の私です
ぶっ飛ばさせて、レッドリボン軍だか、クリボーだか、びっくらぽんだかのアイツを。匿名のこの場でくらい。面と向かっては、きっと吐き出せないので。
優しい言葉をありがとう、長い愚痴に付き合ってくれてありがとう。
嵐のような感情の発露は鍵付きのTwitterだけで行っていました。
初めて書き散らしたこの場で、思いもよらずたくさんの方に見ていただけて、嬉しく思います。
大好きなアーティストに懇願して(服の上から)触って貰ったことあるので、本体の私は乳のせいで地獄のクソ煮込みをわんこそばで注ぎ込まれている割に、乳だけは世界で1番幸せ者かもしれません。