透析中断による死亡に関するニュースへの反応(ブコメ)をみて気になったから書く。
長谷川豊の透析関連発言を擁護する意図は毛頭ないので勘違いのないように。
長谷川豊の発言の趣旨は、「透析患者が透析が必要になったのは自業自得。そんな患者達が税金や健康保険を大量に使って生きながらえるのはおかしいから透析患者は透析をやめて死ね。」ということだろう。
福生病院の説明では、「当院で悪意や手抜きや医療過誤があった事実はない」とされている。
おそらく医師個人のなんらかの目論見として透析中止を提案したのではなく、コメディカルを含む医療チームによる提案なのだろう。
これは、維持透析を続けていくことが患者本人にとってベストな選択かどうかを見直すきっかけを与えたということではないだろうか。
一言に「週3回の透析を死ぬまで続ける」と言われても、具体的なイメージができる人はまずいないだろう。
透析は1回3-4時間程度で、その間は片腕に太い管が2本入った状態で椅子もしくはベッドから動くことはできない(本を読んだりテレビを見たりはできる)。
透析中やその前後では血圧の変動が大きいなどの理由で気分を崩すことも多い。
若い人であれば仕事の都合をつけつつ、決められた時間に決められた病院へ通う生活(夜18時から可能といった透析病院も多い)。
一方で高齢であれば、通院するだけでもそう楽なことではない。
先ほど腕に太い管を入れるといったが、事前にそのために太い血管(シャント)を作る手術を行う。しかし長年経過するとその血管が詰まる。その度に風船で血管を広げる処置や、新しくシャントを作る手術をしたりしなければいけない。
また、日常生活では水分制限や食事制限などが厳しく課される。それを行わないと週3回の透析では生命が維持できない。
例えば水分は1日1000mlまで、塩分は可能な限り控えてカロリーは1600kcal以下に、といった具合だ。
このような患者を目の前にして、医療者は「この患者さんが今後も透析を続けていくのが、この患者さんの人生においてベストの選択なのだろうか」と考える。
自業自得だとか医療費とかは全く関係なく浮かんでくる、1人の人間としての疑問だ。
抗がん剤を続ける患者が副作用で辛そうにしているとき、医療者が「もうやめてもいいんだよ」、と声をかけるのに似ているのかもしれない。必ずしも治療を受け続けるように説得するのが正しいことではないだろう。
でも、結局透析してる人も何らかの死因で死ぬわけですよ いろんな死に方知ってますよね医者なら 死を望んだ人にあえて「とても苦しむ尿毒症」しか見えないように道をえらばせたのっ...
透析をやめた後に亡くなるまでの尿毒症は当然非常に強い苦痛を伴う。 期間としては1-2週間程度で、徐々に症状がでてくる経過だろう。 その苦痛をそのまま与えることは正しいとは言え...
苦しんだから鎮静剤注射はしてたけど収まらなかったってよ 元記事よく読めよ 情報集めが人まかせな医者なんてただの看護婦の下僕だよなwww
適切な薬剤投与ができていたかわからない、しかも1例だけのケースをみて、「透析中断後の尿毒症に鎮静剤は無効」と判断するのが医師として正しい姿勢ではありません。 その有効性や...
そうだね、議論してる最中に一人で人体実験やらかしたやつは責められてもしょうがないね
一般的に症状が非常に強い場合は眠らせるレベルまで鎮静すれば苦痛は感じなくなるので、ただ単に苦痛を完全に除去できる量の薬剤が使われていなかっただけだろう。 鎮静剤の使用に...
痛みやかゆみが強くて薬つかっても眠れなかったことがないとは幸せなバカだね 医療のことを語らないほうがいいよ
日常的に処方される痛み止めや痒み止めと緩和目的で使用される鎮静剤・鎮痛剤は異なるため、医療者自身の経験が役立つレベルではありません。 しかしながら、末期がん患者などでい...
これまでの医療者は生=正義と疑わず、治療せず死ぬ選択肢を与えてこなかった。その結果が高齢者問題。 教育過程で正義を刷り込まれた医療者も被害者といえるけど、福生病院の透析...
長谷川豊ではない、植松聖だ、と言われてもなあ。