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2020-08-03

翻訳】タレック・アラム博士「イベルクチン可能性を解き放つ」

翻訳】タレック・アラム博士「イベルクチン可能性を解き放つ」

https://unb.com.bd/category/special/dr-tarek-alam-unleashing-the-potential-of-ivermectin/54846

UNB NEWS DHAKA PUBLISH- JULY 19, 2020, 12:22 PM MUHAMMAD SYFULLAH - UNB STAFF WRITER UPDATE- JULY 20, 2020, 10:49 AM

バングラデシュメディカルカレッジBMC)の著名な医師医学教授でもあるタレック・アラム博士は、安価で入手しやすい2種類の薬剤を組み合わせて、コビド-19に苦しむ患者治療し、ウイルスの負荷を減らし、病気重症度を抑えることに大きな成功を収めてきた。

COVID-19患者の98%が抗寄生虫薬イベルクチン抗生物質ドキシサイクリンの併用で4-14日以内に治癒している」とBMCに併設された病院患者治療する過程BMC医師のチームを率いて研究を行ってきた有名な医師であるDr Tarek Alamは言いました。

彼らは最近、 4 月 15 日に開始されたその研究中にウイルスに対する 2 つの薬物の組み合わせ治療と途方もない成功を報告しました。

私たち発見したことは、人が陽性とテストされた後、または症状が見られた後、できるだけ早く2つの薬を使用する方が良いということです 」アラム博士はUNBとの仮想インタビューで言った。

私たちはすべての患者に5-6日以内に薬を使用しました(そしてほとんどすべての患者治癒しました)。実際には、これら(薬)が時間後の使用場合有効であるかどうかのさらなる研究を行う必要があります 」と彼は言った。

これまでのところイベルクチンは、4月以降、「400から500人のCovid患者」で使用されている。

98%の患者治癒した一方、糖尿病心臓問題を持っているか集中治療室ICU)に行くために必要治療を得ることに遅れている唯一の「4-5人の患者」、また、レムデシビル血漿療法を投与されたにもかかわらず、2人の患者が死亡しました。

バングラデシュでは感染した患者の2%を死滅させるのに苦労しているウイルスに対して、このようなことはあまり聞こえないかもしれませんが、ここではニュアンスの違いを説明します。アラム博士研究で報告された数字が維持されるならば、医療システムにかかる圧力が劇的に減少することになるだろう。

世界的に見ても、ICU支援必要とする患者割合は、国によって、医療システムによって、また国の中の地域によっても異なる。イタリアでは、大流行の初期には、すべての陽性患者12%がICUへの入院必要しましたが、これは高齢者が多いことに起因していると思われます。一方、ニューヨークでは、病院情報源によると、総入院患者の5人に1人(それ自体は約20%)が何らかの時点でICUサポート必要としたと推定されているので、約4%の患者ICUサポート必要したことになります中国では、最初の44,000人の患者対象にした研究では、5%が重症患者ケア必要としていることが示されている。

この4-5%の患者数を2%に減らすことができれば、利用可能ICUのベッド数を少なくとも2倍に増やすことができます。あるいは、別の見方をすれば、必要とするICUベッド数は、彼らの半分か、それ以下になる。彼の数字が維持されるならば。

シラミ退治薬」の隠れた驚異

ラム博士がどのようにしてその処方箋に辿り着いたのかは、現在進行中の ICDDR, B の臨床試験のために最終的に採用されたものである特に科学界の一部の人でさえ、その可能性を否定していたことを考えると。

評判の高い国立研究所に所属するウイルス学者が、アラム博士のチームの初期の結果を報じたテレビ番組パネル文字通り退席し、抗ウイルス薬以外の治療法を議論するのは時間無駄だと暗示をかけていたことを思い出す。

もしウイルス学者がこの番組に参加していたら、医学教授であるラム博士(最終的には番組接続することができた)から学んだことは、バングラデシュほとんどの人々が思春期からシラミ退治薬として知っているこの薬に対する彼の見方を変えていたかもしれない。

実際、イベルクチンは「不思議な薬としての抗菌性、抗ウイルス性、抗がん剤としての特性を持ち、様々な病気治療するために多くの潜在的効果提案する」と先月The Journal of Antibioticsに発表された論文によると、「実際には、イベルクチンは、その抗菌性、抗ウイルス性、抗がん剤としての特性を持ち、様々な病気治療するために多くの潜在的効果提案する」と述べている。

また先月、『Antiviral Research』誌には、イベルクチンCOVID-19の原因物質であるSARS-CoV-2の複製を阻害することを示した初のin vitro細胞培養研究の結果が報告されています

「イベルクチンは、FDA承認の抗寄生虫剤であり、以前にin vitroで広範な抗ウイルス活性を有することが示されているが、原因ウイルスSARS-CoV-2)の阻害剤であり、SARS-CoV-2感染後2時間後にVero-hSLAM細胞への単回の添加で、48時間後にウイルスRNAの〜5000倍の減少をもたらすことができる 」と著者らは報告している、アラム博士のチームが患者PCRテストの結果から報告されたウイルス負荷に対する効果対応する効力を持つ。

ウイルス負荷は、感染者に存在するウイルス粒子の指標であるほとんどのウイルスでは、ウイルス負荷が高いと予後が悪くなります

また、BMC医学部長のアラム博士は、彼のチームは、メディアに来る前に彼らの観察中に60人の患者に主に2つの薬を適用したと述べた。"60人の患者は全員、4-14日以内にコビド-19陰性になった。彼らは入院ICUへの入院必要しませんでした。

ラム博士は、この2つの薬がバングラデシュでは何年も前から安価で入手可能であることに言及し、人々には薬を恣意的に、あるいは医師処方箋なしに使用しないように求めた。

彼は多くの人々 が今では、組み合わせを取っていると述べた博士ラムに話した医師によって処方されたその有効性を観察しました。「しかし、どれも彼女または彼は Covid-19 の陽性または医師処方箋なしでテストされない限り、これらの薬を摂取する必要があります」と彼は付け加えた。

著名な医学教授は、状態が深刻に悪化する前に病院に行き、自宅で治療を受けることで時間無駄にしない方が患者のためであると述べた。 抗ウイルス剤の使用だけでは多くの場合、この病気を治すには十分ではなく、より多くの薬が必要であると付け加えた。

彼は、高齢者患者糖尿病や高血圧などの併存疾患を持つ他の患者は、医師看護師が今、このようなケースで行われる必要があるかを知っているように、恐怖や遅延なしで病院入院しなければならないことを示唆した。

病院では(Covid-19患者のための)宿泊施設問題はありません。すべての医師は今、コビド19の患者場合に何をすべきかを知っている」と彼は言い、政府は十分な病院のベッドと酸素を大規模に管理していると付け加えた。

博士ラムは、彼のチームは、独自研究を開始し、現在規制バングラデシュ医療研究評議会(BMRC)からこの点での臨床試験のための許可を求めると述べた。ICDDR、B試験は来月で終了する予定です。

最後に、2015年にメルク研究所のアイルランド人科学ウィリアム・C・キャンベル博士日本人研究大村智氏がイベルクチン発見ノーベル医学賞を受賞したことを知っても、もう驚かないかもしれません。キャンベル博士他界していなければ(ノーベル賞は死後に授与されることはありません)、この2人は第3の科学者、つまり薬を開発したメルク研究チームのトップと賞を分け合っていただろうという見方が強いです。その人物とは、バングラデシュ科学者モハマド・アジ博士である

2020-07-31

anond:20200731114210

極論すぎてレスする気になれんけど、抗がん剤にせよ頓服需要が高ければ薬局で売るメリットはあるから

anond:20200731114041

安全証明されてない薬ってなんだ?

その論だと抗がん剤なんかも処方箋なしで売ってよくなるのでは?

2020-07-26

終末期がんの緩和ケア安楽死とどう違うのか

 外科でできる手術は終え、転移があるので抗がん剤治療を長く続けたが、結果進行を止める術はすでになくなり、抗がん剤を入れたところで副作用がつらいだけ、という状況に至った場合抗がん剤をやめ痛みの緩和を主眼に置き、残された人生の質を向上させ静かに死んでいく選択肢を、現在すでに選ぶことが可能になっている。

 そういった経緯で基本的にはできることがなくなり、自宅で介護の後に親を看取った。がんになったことがないので全身を襲う痛みの辛さは分からないが、痛みを緩和する医療麻薬入りの貼薬では効かなくなり、その場合座薬を使うが、これを入れるのも相当に痛がる。意識も(麻薬いれてるんだから当然だが)あやふやな感じになり、これでQOLマジで上がってんのかよとも思うが、家にいること、家族が側にいることはやはり大きく違うようだ。最終的には大きく喀血し、多臓器不全で亡くなった。

 はたしてこれは安楽死とは違うのだろうか? 抗がん剤を入れ続ければ、おそらくあと数カ月の延命可能だったろう。その分の命を奪う行為であることは違いないはずだ。その選択をした本人や家族医師は、医療不作為による殺人、あるいは嘱託殺人には当たらないのだろうか?

 などと昔のことを今回の騒動で思いだしたのだった。終末期医療明日はどっちだ。

終末期がんの緩和ケア安楽死とどう違うのか

 外科でできる手術は終え、転移があるので抗がん剤治療を長く続けたが、結果進行を止める術はすでになくなり、抗がん剤を入れたところで副作用がつらいだけ、という状況に至った場合抗がん剤をやめ痛みの緩和を主眼に置き、残された人生の質を向上させ静かに死んでいく選択肢を、現在すでに選ぶことが可能になっている。

 そういった経緯で基本的にはできることがなくなり、自宅で介護の後に親を看取った。がんになったことがないので全身を襲う痛みの辛さは分からないが、痛みを緩和する医療麻薬入りの貼薬では効かなくなり、その場合座薬を使うが、これを入れるのも相当に痛がる。意識も(麻薬いれてるんだから当然だが)あやふやな感じになり、これでQOLマジで上がってんのかよとも思うが、家にいること、家族が側にいることはやはり大きく違うようだ。最終的には大きく喀血し、多臓器不全で亡くなった。

 はたしてこれは安楽死とは違うのだろうか? 抗がん剤を入れ続ければ、おそらくあと数カ月の延命可能だったろう。その分の命を奪う行為であることは違いないはずだ。その選択をした本人や家族医師は、医療不作為による殺人、あるいは嘱託殺人には当たらないのだろうか?

 などと昔のことを今回の騒動で思いだしたのだった。終末期医療明日はどっちだ。

2020-06-07

発熱したので大阪市の新型コロナ受診相談センター電話した話

先日、妻が高熱を出した。

緊急事態宣言解除後であり感染者数も落ち着いた段階ではあったが、

この時期に高熱が出ればコロナ感染を疑ってしまう。

しかし、仮にコロナであるならば、安易医療機関受診することで感染拡大に加担してしまう恐れがある。

どうしようかと右往左往しながら調べたところ、大阪市には「新型コロナ受診相談センター」という電話窓口があったので電話をしてみた。

結論から言えばコロナの診断ではなかったが、自分と同じように電話した人の体験談を見かけないので、参考までに記録しておきたい。

家族構成

大阪市内在住。

・・・30代前半会社員接客業

増田・・・30代後半会社員オフィス勤務。書類を扱う業務があるため緊急事態宣言中も週2程度出社。

子無し。

なぜ電話したのか(経緯・症状)

5月30日(土) 朝から体がだるいと言っていた妻が、午後になり発熱。当初は微熱だったがみるみるうちに上昇し、39度になった。

しんどそうではあるものの、咳や鼻水、喉の傷みなどは特に無し。本人曰く味覚も問題ない。便は下痢

接客業のため緊急事態宣言中も出勤はしていたものの、マスクも着用しており、帰国者や陽性患者とも接触はなかったという。基礎疾患は無し。

素人から見ても、「コロナではなさそう」とは思ったが、無症状の患者もいるというのだから判断がつかない。

土曜の午後ということもあり近隣のクリニックはやっていないし、連れていくわけにもいかない。

「この状態で4日待たないといかんのか、いや基準は変わったのか」と思っていたところに、大阪市ウェブサイトで「新型コロナ受診相談センター」の相談基準を知る。

どこに電話したのか(新型コロナ受診相談センターとは)

大阪市の新型コロナ受診相談センター電話した。

https://www.city.osaka.lg.jp/kenko/page/0000490878.html

24時間電話を受け付けており、相談目安に該当すれば電話してもよいのだという。

大阪市ウェブサイト相談目安によると、

次の症状がある方は、新型コロナ受診相談センター帰国者接触相談センター)にご相談ください。

1.息苦しさ(呼吸困難)、強いだるさ(倦怠感)、高熱等の強い症状のいずれかがある場合

2.重症化しやすい方(※)で、発熱や咳など比較的軽い風邪の症状がある場合

 (※)高齢者糖尿病心不全、呼吸器疾患(COPD等)等の基礎疾患がある方や透析を受けている方、免疫抑制剤抗がん剤等を用いている方

3.上記以外の方で発熱や咳など比較的軽い風邪の症状が続く場合

 (症状が4日以上続く場合は必ずご相談ください。症状には個人差がありますので、強い症状と思う場合にはすぐに相談してください。解熱剤などを飲み続けなければならない方も同様です。)

とある。今回の場合、(2)は問題が無いし、発熱してすぐのため(3)でもない。(1)の高熱に該当すると判断した。

電話時の対応

土曜の夕方電話をしたが、待たされることなくすぐにオペレーターにつながった。相手先は「大阪市保健所です」と名乗ったと思う。

(あとから相談センター電話番号をググったところ、大阪市保健所の番号だった)

電話先の相手は30代くらいのはきはきとした喋り方の女性。口調は丁寧だし、応対には慣れしていた。

こんなことでいちいち電話するなよ、と塩対応をされたらどうしようか不安だったため、この点では少し安心

最初に、妻が発熱をしており、コロナではないか不安である旨を伝えたところ、

発熱者のフルネーム同居人である増田フルネーム、年齢、住んでいる区を確認される。どちらか一方の連絡先を尋ねられたため、ひとまずは増田携帯電話の番号を伝える。

そののちに症状を伝える。今朝から体調が悪かった、39度の熱がある。咳や味覚異常は無いなど。

オペレーターからも改めて、「基礎疾患は無いか」「息苦しさはないか」「外国から帰国者との接触はないか」「陽性患者との接触はないか」「風邪薬や解熱剤等を飲んだか」

などを確認される。いずれも該当しないと返答する。

電話をして、どのような指示をされたか

その上で、今後どのように行動したらよいかを指示される。

以下、オペレーターからの案内の趣旨

コロナであるか否かに関わらず、一度近くのクリニックを受診して、医者の診察を受けてほしい。

PCR検査医師が診察し、コロナの疑いがあると判断した場合しか受けることができないため」

「土曜の午後で病院がやってないと思うので、受診月曜日でよい」

「たしかに高熱ではあるが、息苦しさや陽性者との接触などの状況が無いことからコロナかどうかは分からない。

しかし、若くて体力もあるため、熱以外の症状が出ていない場合もある」

以上を説明された上で、大阪市24時間相談窓口の番号を案内される。

https://www.city.osaka.lg.jp/shobo/page/0000003501.html

オペレーター曰く

24時間救急病院を案内している窓口があるので、万が一以前として熱が下がらなかったり症状が悪化するようならば、

電話をしたうえで近隣の夜間診療対応病院受診してほしい。コロナ対応救急医療も依然としてひっ迫している状態が続いているため、

必ず窓口に電話をし相談してからにしてほしい」

と伝えられる。

その後、不明点などが無いか確認される。

説明は分かりやすかったし、内容を復唱確認したうえで、電話を切る。

通話時間10分ほど。

電話後にどうしたか(症状の経過、受診について)

一晩経過し、翌日(日曜)の熱は38度台~37度台後半で推移。

息苦しさや味覚異常なども無し。

増田自身は体調も問題は無し。

念のため増田自身の勤務先に相談したが、緊急事態宣言が解除されることもあり、増田本人に症状が無いなら出社してほしいとのことだった。

月曜の朝に妻の熱を測ったところ37度。熱は残っているが、体調は問題が無いとのこと。

午前休を取って病院に連れて行くことも考えていたが、結局増田普通に出社した。

病院が開く時間には熱は下がった。待合室では隔離されたらしい。

医師の診察した結果は「下痢症状があるため、おそらく胃腸から風邪ではないか」との診断だった。PCR検査不要判断される。

翌日から平常通り妻も勤務を再開する。

電話をしてみて

案内ややりとりもスムーズであり、安心感はあった。最終的にPCR検査医師判断必要なため、「発熱=疑わしい。すぐに検査」という体制ではないらしい。

少なくとも「30代前半で39度の熱が出た程度では、ただちに検査する必要がない」という方針運用されているようである

最終的にコロナではなかったからよかったものの、万が一感染していた場合は、平常通り出社した増田自身が無症状の感染者として、周りにウイルスをばらまいていたのではないかという不安はある。

実際、twitter検索で「大阪 検査数」「大阪 保健所 相談」といったワード検索すると、発熱はあるが検査をしてもらえなかった人々のツイート散見される。「検査数を絞って感染者を抑えているのではないか」という疑惑とセットではあるが、検査数も公開されているためそれはさすがに無いだろう。

医療リソースやこれまでわかってきたコロナ感染者の状況を加味した総合的な判断ではあろうことから素人増田現在大阪市方針批判するつもりはない。

だが、クラスタに関わらなかった無症状・軽症者については、もう当たり前に外を歩き回っているという前提で、これからも過ごしていきたいと思っている。

ちなみに大阪では「https://covid19-osaka.info/」で、陽性者数・検査数はもちろん、新型コロナ受診相談センターへの相談者数も公開している。

増田相談した5月30日相談件数は590件であり、検査数は390件だったらしい(相談受診後、検査実施されるまでのタイムラグがあるだろうから、この数字が相関しているわけではなさそうだが)

2020-05-30

anond:20200530175746

という誤った思考に陥ったか日本は衰退してるんよ。

ある程度の選別は必要ではあるが、まずはまだまだ結果が先の段階にも広く薄く金を出さないとならないの。

山中教授最初研究資金も、審査した人は「こんなものうまくいくのか?」と思いつつ出したという話だし、

本庶教授も何やら奇妙なたんぱく質の鍵穴を調べてみたら思わぬ特性が見つかって、新しい抗がん剤につながったの。この段階では収益なんて絶対に考えられない。

まり萌芽・基礎研究の段階は国が金を出す必要があるし、そこを削ったからこその日本の衰退。

2020-05-14

ゴーヤとがん

以前に知り合いから、「ゴーヤの種が癌に効く」と言う話を聞いていました。彼のお父さんが膀胱に毎年検査で小さなポリープ発見されていました。そのたびに内視鏡手術で取ってもらっていました。そんな時テレビみのもんた氏がゴーヤの種が効くという番組みをやっているのを見て、飲み出したところ毎年の検査ではポリープ発見されなくなったそうです。しかし、4-5年見つからなかったので、気が緩んだのか飲むのを中止したところ、翌年の検査で癌が見つかり、しかも手遅れで手術もできないと言われたそうです。もう高齢なので抗がん剤治療も受けられず、本人は「ゴーヤで治す」と宣言してゴーヤを飲むのを再開したそうです。そうしたら、驚くべきことに数ヶ月で癌が消えて、数年たった今でも健在だそうです。医者も何が起こったのか、と大変驚いたそうです。

 

これ一例だとたまたまということかも知れませんが、今度はその知人の母方の伯母が肺癌になり、これも手遅れと言われたのを抗がん剤治療と並行して、ゴーヤを飲み始めたら数ヶ月で癌が消えたそうです。2年たった今でも健在です。彼の母方なので、お父さんとは血筋が違いますので、効き易い血統ということでもありません。これも医者は大騒ぎだったそうです。

 

こんな話を聞いていたのですが、よくある民間療法のいいかげんな話かもしれないと半信半疑でした。しかし、その知人は物事論理的に考える技術屋ですし、しか人一倍論理的人間です。ゴーヤとの利害関係もありません。

 

そうこうしているうち、私も身内に癌になる人が出ました。卵巣癌でこれも手遅れで手術もできないと言われました。最悪数ヶ月の余命とも言われました。知人の話を思い出し、駄目でもともとと、このゴーヤ治療を奨めたところ、抗がん剤が効いたのかもしれませんが、数ヶ月で手術ができるくらいに縮小し、手術後8ヶ月の今は普通生活ができるまでになりました。1年前の絶望の淵と比べると、夢のようです。今度、私の家に招いてBBQをやろうと言っています

 

ゴーヤが効いたかどうかはわかりませんが、身近なところで3人も癌が消えるか縮小する人が出ました。これが本当なら、世間ではもっと騒いでいてもいいとは思いますが、そんな話は聞きません。相変わらず半信半疑ではありますが、安いものでもありますので、私もパウダー状の市販品を買って毎日飲むようにしています

 

今年はコロナの影響でゴーヤを家庭で植えている人も一杯います。実も沢山できるようです。利用価値のなかった種をこういう形で活用されたらいいと思います

 

最後に余談になりますが、沖縄県はがんの死亡者割合が全国最小の県です。しか米兵ゴーヤを食べる習慣がないのでガンを持っています

2020-05-10

父亡くなる

私は物忘れがとても酷くて色々忘れちゃうから忘れない様に何度も読み返して記憶に焼き付ける為にメモする

 

末期癌の父をさっき自宅で皆で看取った

昼間訪問した時はまだ反応があったんだけど0時過ぎぐらいから呼吸がちょっとおかしくなったというので、母から2時に電話が来た

 

誰も歩いていない真夜中の静かな町を早歩きで向かう

暗く静かな道でバクバク打つ鼓動が妙に痛い

実家は近いか電話来てすぐに着けた

 

人工肛門にしてからどんどん痩せていって、

徐々にご飯が食べられなくなって、父は骨と皮でゴツゴツになってしまっていた

入れ歯だったからごっそりげっそり頬がこけちゃってねちょっと不憫でね

 

誰も泣き叫ばず静かに看取る真夜中

掌の中で命が消えていく哀しい時間

 

段々目の焦点が合わなくなって、白目が濁るってのかな?瞬きとかの動きが減っていき、亡くなると体温が失われて肌の色が変わっていくんだね知らなかった

 

その時を迎えた父は、寝た様に見えた

ぽかんとクチ開けていつものパジャマ着て酔って寝ちゃったみたいに

だけど、違う

腹膜が1mmも動いてない

それを見て、ああもう呼吸をしてないんだなって痛感した

開いた口と閉じた瞼

苦悶さは一切見えない

モルヒネの力で苦しさはなかったみたいだけど、目頭に残ったこの液体は、たぶん父の最期の涙だ

  

私が電話受けて実家着いてから10分ぐらいで父は逝った

まるで着くの待っててくれたみたいだ

昼間は自力でベッドから起き上がって座る位置直したり動いたりしてたって言ってから、今夜逝こうと決めたのかな?

それぐらい不思議な早さだった

 

末期がんの診断出て2年

思っていたよりも長く父は生きた

胃がん浸潤大腸切除

その後抗がん剤で髪が抜けてしまって、でも抗がん剤止めたら髪が生えて生命力すごいなーなんて言ってて

末期がんって判ってから仕事辞めて家にいる事になった父は家具作りやスマホ家事料理を始めた

引っ越したばかりの団地の部屋を得意の家具作りであちこち整え、スマホを学んでネット競馬したりLINEyoutube視聴やポケモンGOもしだした

炊き込みご飯を勧めたら気に入ったみたいで美味しいのを作る様になったし、カレーも作った

茶碗蒸しプリンも良く作って食べさせてくれた

庭いじりが好きな父は四季折々庭を整えられて少し楽しみを持ててたみたい

あとめだか飼いだしたけど上手く育てられなくてすぐ死んじゃうから悲しくなって飼うの止めたって聞いてちょっと辛かった

 

今回は自宅で看取れたので良かったと思う

心電図モニタは母の希望でつけなかった

祖父の時は病院心電図モニタありで音が結構辛くてイヤだなって思ってたから今回は無しでいくって聞いてたので良かったと思う

医者さんも看護師もいない自宅だから、逝こうとする父を皆で静かに見守れて良かったと思う

 

コロナで休業期間で家族全員が毎日じっくりゆっくり看取り期間があったから徐々に覚悟が出来た

 

ありがとうありがとう

って母がずっと言っていた

…お父さん

私もありがとうって思ってるよ

 

朝が来た

真っ白な光の風

暗かった闇が潮の満ち引きみたいに引いて朝が来た

父がいなくなってから初めての一日が始まる

しっかり務めるよ

 

 

火葬をしてきたので追記

 

日経ってから実家へ行った

一日後に見た父はダブルスーツ着せてもらえてて安置してもらってた

顔は一日前に見たままだった

胸には花束が載っていた

父が庭で育ててた花で作った花束

ピンクと白の綺麗な花で、ちょうど咲いたんだそうだ

手摘みの花束ってのがとても我が家らしいなと思った

 

もう一度、声をかける

訃報を送ったら、会社の人とか私の周囲の人達が私が父の面白話をちょこちょこしてたからか、話した事すら忘れてた父との小さなエピソードを覚えててくれて、それが嬉しいねーって話をしたり、孫が父に書いた手紙があったりしたのでそれを見せてもらった

 

出棺後はお別れの時間がないよと言うので、僅かだけど二人きりにしてもらった

線香をあげてから、頭を撫でる

暖かかった頭

髪の毛は一日前と同じ柔らかでふわふわだったけど、髪の毛の先、皮膚からはすでにドライアイスでかっちこちの冷え冷えの身体

わっちゃってて、最期に撫でた頭の温もりとのギャップ感がかなり激しかった

 

斎場

斎場は静かで少し薄暗く、涼しかったので落ち着いて過ごせた

 

先に行った私達から遅れて父と母が車で着いた

車はクラウン

ああ、トヨタなんだ

父はレンタカートヨタって決めてるぐらいトヨタ絶対の信頼を置いてたので、ちょっと笑ってしまった

(偶然なのか帰りに捕まえたタクシートヨタ製だった。どこまでトヨタ好きなんだ)

 

白っぽい棺が台車に載せて運ばれてきて、お花を入れてあげてと言われた

ここでも庭から摘んだ花を入れてあげられた

庭いじりが好きで実家も深い山の中の人から、あっちに行ってもきっと珍しい草木を見つけて育ててるだろうねなんて言いながら皆で父を花で埋めていく

注文してた花と育てた花で棺が埋まっていく

ダブルスーツパリッと着て綺麗な花に埋もれた父のその姿は、見ていても不思議と決して不幸な感じはしなかった

 

余談なんだけど、遠い昔、親戚の葬儀に参加した時、棺に釘を打つ作業があった

知らない親戚だったけどあれは二度とやりたくなかったから、この斎場ではそれがなくって良かったなと思った

 

粛々とやる事が進んで、やがて焼き場の扉前に棺が運ばれる

みんなで父にお礼を言った

ありがとう がんばったね ありがとう

泣きながら 泣き崩れない様に支え合いながら 涙そのままに 既に涙が枯れてたり

各々の別れ方だった

 

そして、横、縦と閉まっていく扉

金属製の重い境界の扉

かにかにしめやかに

その時は終わった

 

時間ぐらいして、燃え終えた父が出てきた

乾いた白いバラバラで粉々の崩れたただの物になった身体

それは死んだ珊瑚みたいで骨に見えなかったし、これが父だったんだとはちょっと思えなかった

物を骨壷に入れて、布巻いて、木箱を母が抱える

ようやく終わったなー。そんな感じ

 

真夏の様に暑かった昨日とはうって変わって、とても凉しい皐月らしい午後のお別れだった

 

三週間前ホスピス入院になったけど、何とか実家に戻ってきた父

そこからゆっくりゆっくりかに逝く様に準備をしてたそうだ

整えてなかった実家の不便な所のビフォーアフターを済ませ(DIY好きの父なのであちこち整えてった)、身の回りの物の整理や、搬出搬送やすい様に動線の整理も済ませ、亡くなる3日前、栄養のない点滴に自分意識で切り替えたとも聞いた

吐き気が酷かったんだって

 

二年半、末期がんの父を皆で思い思いに看病をし、逝くまでを皆で見られた事

祖父の時出来なかった事を全て出来たと思う

言い方悪いけど、母の時にまたやる事になるだろうから、その覚悟も出来たと思う

 

私もこんな風に逝けたらいいと思えた葬儀でした

 

コメントありがとうございました

モルヒネ意識が混濁してた父ですが、最期には目があって何度かアイコンタクトを交わせたのですが、その眼差しと動きには心残りや苦痛な感じは一切見受けられなかったので、悔い無かった様に感じられました

2020-04-27

anond:20200426234824

風邪薬より抗がん剤の方が適当だったか

いずれにせよウイルス増殖が閾値を超えコロナ肺炎に移行する段階でアビガン有効かどうかは未知でしょ

その前の段階でも自然治癒と比べて有効性を示したデータ存在しない

RNAウイルスの増殖を抑えるというアビガンミクロ効果は疑いようはないけど、複合的な要因が複雑に絡み合う疾患への効果限定的

2020-04-23

岡江さん、ガン闘病中だったのか

まー基礎疾患あって抗がん剤やってたらあかんのかもな

2020-04-15

父が入院するって連絡が来た

今度はいよいよ帰ってこられないかもしれないっていう入院

 

父はコロナではないんだけど、コロナ禍だから病院にお見舞いへは行けない

末期がんなんだ

抗がん剤の投薬効果がなくて、薬止めて在宅医療をしてた

この頃体調がかなり悪くなっちゃってとうとう入院しろってなった

 

父は私の家から徒歩5分に住んでいるけど、コロナ禍だから会いに行けない

(母に強く止められてるしそれがいいと思う)

 

このまま顔を見られず亡くなるかもしれない

色々、覚悟を、しなくてはならない

私は明日も出社だ

日常一所懸命生きなきゃな

2020-04-04

父の髪の毛が生えてた

抗がん剤止めたからなんだけど

それにしても人体ってすごいな生きる力ってのを感じた

抗がん剤止めたんだけど

2020-03-07

新型コロナウイルスワクチンは出来ません!

ワクチンを望むブックマークコメントがチラホラだけど、絶対出来ない。

今年だけの流行のために大量生産はしないし、そもそも新薬開発はしない

あり得ない仮定だが、実用化できそうなワクチン製法今日世界に公開されたとしてもだな、工場をおったてるかって、建てないわな。

いくら巷で流行してても、タピオカブームに乗るような感覚で、医薬品の開発がやれるかって話。

工場が稼働する頃にこの騒ぎがおさまってしまったら、投資無駄

インフルエンザとか麻疹くらいに世界に広まってくれて、毎年冬になるとCOVID-19が大流行するならとにかく、数年に一度SARSMERSときみたいにたまにぽっと出ては数か月で収束するんなら、流行ってもいない病気ワクチン大量生産して、誰が買ってくれるというのか。

既存の薬がCOVID-19にも有効でした!」

ってんなら、既存の薬の増産くらいはするかもしれん。

けど、COVID-19のためだけに大規模投資は出来んよ。

最近だと、副作用訴訟起こされたら巨大な製薬会社も傾くからな。

医者だって新薬はいきなりは使わん。

動物実験いくら安全だったっていったって、治験でも安全だったって言ったって、基礎疾患を持ってるかによって反応は様々なはずだもん。

藁をもすがる思いで、副作用覚悟で投与する抗がん剤とかならまあとにかく、そもそも罹患する確率が0.1%以下で罹患しても死亡率が5%以下って病気の予防薬なんて、副作用報告が限りなくゼロじゃなくちゃ使いたくないわな。

どうやっても毒になりえない、例えばヨーグルトとかなら

R-1乳酸菌コロナウイルス予防効果が認められました!」

みたいな宣伝をして増産するだろうけども。

そんなわけで、増産どころか開発もしない。

そもそもワクチン大量生産は難しい

そして、ラボワクチン候補を作ってみて、動物でした!人体実験でも有効でした!って結果が得られたとして、それを大量生産できるかは非常に怪しい。

ワクチン味噌づくりや酒造りみたいな「醸す系」のものなので、いきなり大量生産に移行できるかというとかなり難しい。

例えるなら、木桶で日本酒醸造した日本酒を、巨大なステンレスタンク大量生産できるかってこと。

事実ワクチンって21世紀の今でも手作業でチマチマ作ってる。

信じられないかもしれないが、インフルエンザワクチンは卵にウイルスを接種して、培養して液を吸い上げてるし、麻疹ワクチンなんか小さなフラスコ培養してる。

卵をコンベアで運んでるとか、昔はスポイトで吸い上げてたけど今はポンプを使ってるとか、スゲー空調管理された場所フラスコ培養してるとか、そんな程度の機械しか出来てない。

機械化すりゃいいというのは簡単だが、全世界どの業者もそうってことは、出来なかったから今に至ってる。

新型インフルエンザ対策公募事業細胞培養でゴッソリ作れとお達しが出たが、何年も検討して上手くいかなかった。

一応、上手くいったことになってるが、既存の季節性インフルエンザワクチンが今でも卵でチマチマ作ってることからお察し。

ワクチン開発は簡単じゃない

ワクチン開発は易しくない。

マラリアワクチンだってHIVワクチンだって、何十年も頑張っても出来る気配がない。

それと、今の時代倫理的問題で開発が進まない。

ワクチン起源は、ジェンナーが、

「牛痘に罹ったことがあると天然痘に罹らないなら、ひらめいた!」

ってノリで、近所の子供に牛の膿汁を針で刺したのが始まりとか。

出来るかそんなもん!

弱毒化してるとか、このウイルスワクチンになるに違いないとか、どんなに培養細胞動物で確かめたって、ヒトにはそうそう打てないよ。

ワクチン(たぶん)を接種したあと、その人にウイルスを吸い込んでもらって本当に有効かを試すような実験が、いったいどこで出来るというのだ?中国なら出来るかもしれないが。

昔開発された歴史ワクチンは、倫理?なにそれ美味しいの?って時代に開発されてたので、弱毒化したとはいえ病原体のものを使ってるものが多い。

そいつらは超優秀。

天然痘BCG麻疹、そりゃ弱毒な病原体とはいえ、一度罹るわけだから免疫は確実につく。

だが、そんなワクチン開発は今のご時世もう開発は難しい。

今後開発されるワクチン生ワクチンであることはまずない。

一方で、効き目はとにかくとしてとにかく安全不活化ワクチンがこれからワクチンを開発するなら最有力。

ただし、不活化ワクチンは効き目がイマイチ

インフルエンザワクチンくらいの有効性のワクチンが開発できたとしよう。

インフルエンザワクチン有効性が5割、同じ程度のワクチンが開発できても、死亡率3%のCOVID-19を、死亡率1.5%に減らす程度。

感染予防は出来ないので、次回蔓延したときも今回と同じようにイベント自粛、小中学校臨時休校といった措置は避けられない。

これが、エボラとかだったら死亡率を半減させるだけで十分有効といえるけど、今回のCOVID-19って死亡率が問題ってわけじゃないんで。

そういうわけで、ワクチンに期待はしちゃダメ

2020-02-12

anond:20200212194356

よしお前には死ぬほど苦しい抗がん剤治験をやってもらおう

2019-12-29

35歳、授乳期にステージ0の乳がんになった

ありがとうインターネット

年代がん患者さんの情報発信きっかけで、幸いなことにステージ0の超早期乳がん発見したのがこの夏。

早期のがん患者治療を終えそのままひっそりと日常に戻って行く人が多いのか、あまりインターネット体験談も見当たらず…

この度約6ヶ月の治療を終えたので、簡単ではあります自分体験談インターネット漂流させてください。


発見きっか


子の授乳中、胸に触ったら左胸にしこりが触れた

昨年、子を出産しました。

出産直後は乳の生産が安定せず、両胸しこりだらけ(これはあるある)。

そして徐々に安定供給が始まり1年が経ち…そろそろ乳が枯れてくる時期にやってきても1箇所だけ残り続けるしこり

丸というよりは、いびつな楕円形…?

触れて見た感じでは2センチくらい。

「ここだけ母乳が溜まりやすいのかな?なんか気になるな」と思いつつ、体調面での自覚症状は何もなし。

あと最大の難関は、自分病院に行きたくても0歳児を預かってくれる先もなく…しこりに気づいてから半年はゆるやかに過ぎて行きました。

身近にいるがん患者記事を読む機会があった

これまで、TVピンクリボン特集を見ても、芸能人乳がんになったニュースを見ても、全部人ごとだと思ってました。

両親も健在。

身内にも乳がんはいない。

でも、そんな私でもなっちゃうんですね…がんに。

しこりに気づいて半年が経ち、子が1歳になったので保育園に預けて復職

その頃、同じ職業の30代子持ち女性乳がん闘病記を読む機会がありました。

なんとなく「授乳中だから関係ないだろう」で済ませていたしこりがまた気になり始めます

安心するために、乳腺科に検査に行っておくか」という軽い気持ち

早めに会社を早退し病院を予約、保育園にお迎えに行くまでの1時間検査に行きました。

過去会社健康診断乳がん検診も受けたことがあり、エコー検査マンモグラフィも受けたことがあったので、検査自体特に不安はありませんでした。

(検索すると、よく「マンモは泣くくらい痛い」とか出てくるが、個人差あるのでビビってないでとりあえず検査には行って欲しい)

発見した乳がんの種類

結果、町医者での検査では「良性腫瘍です」。

ホッとしたものの、「念のために精密検査受けますか?」と言われ、「まぁ安心するために受けとくか」くらいの気持ち

病院を紹介してもらい後日精密検査をしたら一転。

悪性腫瘍だということがわかりました。

最終的な病理結果は以下。

あれよあれよという間に精密検査の日程が組まれ、手術日が決まり、手術決行。

ジェットコースターのような数カ月でした。

気持ちの変化


思えば、はじめに町医者に行って検査結果を待っている間が一番気持ち谷底でした。

考えうる最悪のシナリオを一日中考えていた気がします。

今、標準治療がすべて終わって当時の自分の心境に一問一答で答えて行くと

子供が成人するまで生きていられるのかな…」

ステージ1でも、5年生存100%2019年においては、早期の乳がんは治せる病です。信頼できる最新の統計データを見て一旦落ち着こう。

乳がん母乳を子に飲ませてしまたかもしれない…」

医学的に、子に対して影響はないとエビデンスが出ているそうです。

仕事も、休職退職かな…」

→実際には、手術入院の5日間を除いては、通院しながら継続して働くことができました。焦って会社辞めないで!人事とか社労士さんに相談して!!

「髪が全部抜けちゃったり、一日中吐き続けるのかな…」

テレビドラマ悲劇的な演出に毒されています…これは抗がん剤副作用乳がん放射線治療では髪は抜けません。

「左胸だけ凹んじゃうのか。二度と温泉に行けないのかな…」

→左胸に手術の傷はありますが、驚くことにサイズにほぼ左右差がありません。目立ちにくく仕上げてくれたそうです。先生ありがとう医学ってすごい!

「これから医療費はいくらかかるんだろう…数千万とか用意できないよ…」

トータルでかかった治療費は、半年間でだいたい40万円くらいでした(加入している健保で上限を超えた分はこのあと戻ってくるので、この半額以下になります)


今回の学び


一番の恐怖は無知

身近に患者がいない人にとっては、先入観で「がん=治せない病気」だと思っている人も多いと思います。(私もそうでした)

正しい医学情報に触れましょう。しかも最新の。2000年代2010年代でも標準治療の内容は変化しています

私の場合は、夫が徹底的にここ最近データを調べ上げてエビデンス武装してくれたため心強かったです。

早期であれば、仕事と通院を両立しながらがんは治療できる

仕事をしていたから、がんのことを考えすぎずに生活できたと思います

周囲に告知するかどうかは慎重に

身近な例としての啓発も含めて、割と気軽に周囲の友人にカミングアウトしていたのですが、

友人がドン引きしてしまい変な空気になってしまたことが何回かありました。

相手も、わたしとどう接していいかからなかったんだと思います

そもそも相手自分乳がんであることを伝えて、どうしたいのか?」を考えた方が良いなと感じました…。

身体違和感があるなら、検査へ行こう

子育て世代のみんなー!皮膚科小児科耳鼻科…子の通院行脚お疲れ様です!

自分の通院ってついつい後回しになるよね。わかる!

でもね…違和感があったら、検査に行ってみてください。

あとこれを読んでるパパさん、ママ検査に行くために会社遅刻/早退して子供を見ていてくれると嬉しいです。





この後10年間の経過観察が控えていますが、

ひとまず一区切りということで。

◾︎2019/12/30追記

驚くほど多くの人に読んでもらえて嬉しい!あたたか言葉ありがとうございます。一点だけ補足。

町医者はどうして見逃したのか?】

曖昧記述があってはいけない」と具体的な医学情報を端折った関係で、言葉足らずになってしまいました。

近所の乳腺科では「穿刺吸引細胞診」という検査を受けました。これは即日検査できる反面、取れる細胞も少ないので確定判断が難しいそうです。(ちなみに転院時、検体を大病院にも持ち込みましたがそちらでも「良性」との判断でした)

病院では、局所麻酔をして更に多くの細胞採取する「針生検」という検査を事前予約して行いました。

ステージ0で見つけるのも難しい段階のがんだったと思いますし、むしろ町医者先生が適切に大病院へとご紹介してくれて大変感謝しております先生ありがとう!!

2019-12-20

抗がん剤で太るってどうゆうことやねん、と思っていたが、顔に脂肪が沈着して腫れたようになるって副作用があるんだな

https://www.hospita.jp/disease/2772/

2019-11-13

一般人でもできる疑似科学の見分け方

一言でいうと、従来の方法既得権益のために存在する、とすぐに陰謀論に結び付けるもの疑似科学です。

たとえば、「この方法でがんが治る!」

普通の人は思います。なぜこの方法でがんが治るのなら、既存抗がん剤であったり、手術は存在するのだろうかと。

著者は答えます。これは製薬会社医者のせいであると。この方法が広まってしまったら、製薬会社倒産し、医者は路頭に迷います

なので、彼らはこの方法をひた隠しにしているのです。しかし、学会異端児である著者は皆さんにすべて暴露します。

はい、この論法疑似科学である確率98%です。

たとえば、「この〇〇〇パイプテクターで水道管の交換が不要です」

普通の人は思います。なぜこの謎の水装置水道管の交換が不要なのかと。

業者は答えます。それは配管業者施工会社おまんまを食うためにあるのですと。

本来は不必要水道管の交換を、彼らは危険を煽って、皆様のお金をくすね取ろうとするのですと。

しかし、賢いあなたならわかりますね。彼らの給料修繕費から払う必要はありません。

このバッキンガム宮殿でも採用された謎の水装置で、信用ならない配管業者施工会社と戦いましょう。

はい、この論法疑似科学である確率100%です。

そもそも良い方法であれば、知る人ぞ知る方法になるわけないのです。

世の中で日夜、バカみたいな量が出版される論文特許に目を通し、

どっかに儲かる方法いかなと考えている人たちがたくさんいるのです。

コストを下げられる、既存手法より性能が高い。そんな夢のような技術があれば、多くの会社はすぐに採用します。

疑似科学自分たち採用されていない理由、主流ではない理由を、つねに既得権益のせいとして、

逃げようとします。そこが叩きどころです。

2019-11-11

anond:20191111162034

無粋な話

  

「切ってみなきゃ進行がわからないガンなんてあるの?」

基本的に癌は切った後に顕微鏡細胞の形などを見て、どれだけ進行しているか・どれだけ正常な細胞とかけ離れているか等を見ます

 なので切るなり刺すなりして細胞をとってこないと確かなことはわからないのです。

  

リンパ腺に転移してたら切ったら散るかもしれないってどういうこと?」

→癌がある臓器を切る前にその近くの血管やリンパ管を切って臓器を取り出せるようにします。

 例えば腸であれば腸間膜という血管やリンパ管があるところを切りますが、

 がん細胞が流れているリンパ管を切るとがん細胞お腹の中に流れていくことがあります

 また、がん細胞がついた器具が他の臓器に触れてがん細胞がばらまかれることがあります

 これらが起こることはまれですが、ないとは言い切れません。

  

「来月手術の予定だったのが前倒しで来週行うってどういうこと?」

→がんの進行による症状が出てきた、あるいは抗がん剤などが効いて予想以上に癌が小さくなった、手術室スタッフの都合

 色々なケースが考えられます。一概に良くないことが起こったとは言えません。

  

「そういうパターンで完全に治ったケースってないの?」

転移性のがんの場合医師は完全に治ったとはおそらく言いません。完全にがん細胞がないという保証ができないからです

 なので癌が見つかってから5年後とか10後生きている割合で見ています

 統計こちら https://ganjoho.jp/reg_stat/statistics/stat/summary.html

 この他にも部位別、進行度別の統計もあります

 ちなみに男性全体、全部位の5年生存率は約6割です

anond:20191111162034

どんな二人でも、出会う前に愛はない。出会い、愛が生まれ、はぐくむ。結婚制度から、どのタイミング結婚するかと愛には恐らく関連がないし、見合い結婚が当たり前だった時代に愛がなかったというわけではないだろう。

増田は、結婚の前半の自分の接し方を悔いているようにもみえるが、まあ、あまり気にしないことだ。

癌の予後を考える場合に、重要なのがステージングだ。がんの進行度をステージに分類し、分類された患者がどのような経過をたどるか記録・統計することで、予後を想定することができる。

おもながんの予後はTNM分類といわれている。

Tはtumor。腫瘍(がん)の本体の大きさ。

Nはnode。リンパ節(Lymph node)への転移の程度。

Mはmetastasis。遠隔転移の有無になる。

多くの場合、術前に画像診断で大体のステージングをする。リンパ節について画像でわかるのは、リンパ節が腫れているという大きさの情報と、造影剤を使った場合にはがんに集積しやす造影剤リンパ節にも集まっているということだけであり、画像上所見のあるリンパ節に実際にがん細胞いるかどうかは、手術してみないとわからないということになる。なので、病期分類(ステージング)は正確には手術後じゃないとわからない。術前のステージングはあくま暫定的と考えたほうが良い。

遠隔転移が明らかな場合には手術しない場合もある。

原発腫瘍から離れたところにがん細胞があれば、手術しなかったりするけれど、この場合も、遠隔転移かどうか、細胞を少しとってきて、病理診断を依頼する。病理診断顕微鏡で実際に細胞を見て、がん細胞かどうか診断することな

原発腫瘍から離れたところだと、例えば、胃がん肝臓転移だったら、転移かどうか確定診断のために針で肝臓腫瘍を刺してちょっと細胞を取ってきたりする。腹水と言って腹腔内に水が溜まっているときには針で腹を刺して水を抜いて、そこにがん細胞が見つかれば、遠隔転移有ってことになったりする。

増田場合、手術してみないと病期がわからないというのは、むしろ明らかな遠隔転移はなく、リンパ節も、あまり原発から遠いところは腫れていないということなのではないかなー。

各臓器で、原発のガンがあった場合に、最初転移するリンパ節がある程度決まっていて、一番最初転移するリンパ節センチネルリンパ節といったりする。センチネル門番って意味な。

リンパ節転移が、原発から経路の遠いところまであれば、より予後が悪い。乳がんなどのガンでは、一番近いところのリンパ節転移があっても、ステージIになったりする。

から術前に想定されている病期はそれほど進んでいないのかもね。

ただ、手術して実際にリンパ節なりを取ってきて病理診断してもらわないと確定しないので、主治医ははっきりしたことは言えないってことだろう。ぬか喜びが一番きついから。

細胞の種類や、原発臓器によって、予後は変わるし、ステージが低いか安全ということもないです。一方、化学療法抗がん剤)や放射線療法の組み合わせで、リンパ節転移が消えたりすることもある。結局経過を見ないといけない。おおむね5年くらい再発がなければ、完治とされるかな。乳がんは、10年たっても再発したりするので、やっぱり種類によりますよ。

まだ心配な時期は続くかもしれないね増田、頑張れ。

例えば5年生存率95%とかいっても、こういう統計的なものって患者さんにとっては生きるか死ぬかだから医者から聞いても気休め程度かなと思う。

(5年して、一人の患者が”95%生きている”状態ってのはなくて、100人患者がいたら、生きている患者が95人と、死んだ患者が5人ってだけだから。たくさん患者を診る主治医からすれば有用だけどね。)

さて、参考になるかわからないけれど、うちの妻の場合だけれど。

5歳年上の美人奥さん結婚して10年で乳がんが見つかった。見つかった時点で、胸骨リンパ節転移があった。乳がんセンチネルは、腋下なので、胸骨リンパ節転移があると、一気にステージはIIIc。手術でも取れないし、放射線化学療法でも消えてなくなりはしなかった。予後統計している文献にもよるけれど、調べた範囲ではおおむね5年生存率60%。まあ怖くて直接には主治医予後を聞いていないから、あくま素人が調べた範囲だ。

泣けるね。

”再発”はしない。あるのは局所増大か遠隔転移のみ。再発っていうのは一度消えたがんにおこるものからね。

泣いたね。

もし5年でなくなるとすると、一番下の子はまだ小学生

泣いたよ。

で、今は5年たった。定期的に検査をするけれど(PETかな)、妻の胸骨の内側にまだ癌はいます。いまのところはまだおとなしく共存しているけれど。

いつも思うことは、いずれ別れが来るということ。

でもそれは、がんがあってもなくても、誰にでもいつでも起こりうることなんだ。

明日にも交通事故にあうかもしれない。

通り魔に刺されるかもしれない。

隕石がおちてくるかもしれない。

いつ別れが来るかわからいから、今日一緒に時を過ごせることを大事にしたいんだ。

そういうふうに、別れを想像するとつらくて寂しくて怒りさえわくような、そんな彼女出会たことが、とても幸運だとおもうんだ。

大きな病気を得たとしても、すぐに不幸になるわけじゃない。不運と不幸は違うと思う。

すまん。癌患者家族の話はつい自分投影して長くなった。

健闘を祈る。

2019-10-04

今日保険見直しで某窓口へ行ってきた。

ガン保険見直しで「最近抗がん剤ではないオプシーボという新薬があって、それはガン保険適用外となります。ですので医療保険のほうが〜」って説明されたとき、お!?ってなった。

つい1時間前に漫画の「フラジャイル」読んでて、オプシーボが題材だったから俺のほうが詳しかった。

ここまでダイレクト漫画知識活用できたのは初めてだ。

医療漫画は凄いな。

2019-08-29

命日の決まっていた猫のはなし

の子は命日が決まってるんだな。


安楽死を決めた時、私はそう思った。


うちのかわいいかわいい猫のはなしをしようと思う。

疲労と虚しさMAXだった若かりし頃、実家の犬を恋しがる私に知人が囁いた。

「猫なら手がかからないよ」

あれこれ言い返したと思う。それでも知人は言葉巧みに猫の良さを吹き込み続けた。

結果、私は一度でいいから飼ってみたい、とメインクーンを選んだ。

いい子が安く買えるかも、と安易な思いつきでネット検索し、ブリーダーからそれはそれはかわいいブラウンクラシックタビーの男の子を譲ってもらった。

買い手がつかず生後半年のその子は、7万円で我が家にやってきた。

残念なことに重度の食物アレルギーを持っていたその子は、メインクーンとしてはあまり大きくなれなかった。

メインクーンの成長が止まるまで三年ほど。その間、血便を伴う下痢を何度もくり返し、体質に合う処方食が見つかるまで一年かかった。

ベスト体重は6.4kgの、男の子にしては小さなメインクーンになった。

ただ、私の猫はとても朗らかだった。

人間が大好きで、友人たちのアイドルになった。

「猫は好きじゃないけどこの子は好き」

積極的に会いに来てくれる人もいた。

7歳の時にアレルギー改善したのは幸いだったと思う。アレルゲンの除去療法に成功したのだと思うけれど、詳細は医学系の情報をあたっていただきたい。

10年生きればいい、と言われた猫は、13歳になった。免疫力が落ちてきたのか、鼻炎で鼻水を垂らすようになったけれど、月に一回の通院で点鼻治療を続けた。獣医が言うには加齢によるものから対症療法しかないとのことだった。

13歳になったある夜のこと、帰宅すると猫が倒れていた。体温が下がり、呼吸は荒く、今にもしんでしまいそうな様子だった。

近所のかかりつけ医に連れて行くか、救急病院に連れて行くか、それとも家でこのまま看取るか、悩んだのは10分くらいのことだった。

私は猫をキャリーバッグに詰め込んで、タクシーに飛び乗っていた。

朝まで元気だった。食事を少し残したことが気になったけれど、それだけだ。わけもわからず失いたくなかった。

向かったのは、夜間診療もしている以前のかかりつけ医だった。引っ越しして何年も経つが、カルテが残っていた。

タクシーの中から電話をしたので、急患として即座に処置を行ってくれた。電話を聞いて急いでくれたタクシー運転手さんにも、病院スタッフの皆さんにも、その間待ってくださった他の患畜の皆さんにも、感謝している。

採血レントゲンCT、様々な検査をして酸素が投与された。

原因はわからないが肺に水が溜まっている、無気肺を起こしている、心臓肥大している、明日はないかもしれない、そのようなことを言われた。

今夜が峠ですってやつだな、と頭のどこかで考えていた。原因がわからない以上、治療のしようもなく、とにかく今晩頼んで帰宅した。

妹猫が、不安そうに待っていた。抱きしめて泣いた。

ほとんど眠ることができず、翌朝病院が開くのと同時に向かった。酸素ハウスの中で猫は、ぐったりと寝ていた。声をかけて触ると、目だけでこちらを見た。

酸素投与とステロイド抗生物質の点滴を続けた。

猫は三日間何も口にせず、病院許可を取って自宅からフードを持参した。四日目の朝だ。朝ごはんを完食したとうれしそうに看護師さんが教えてくれた。猫は酸素ハウスの中で座って、帰りたいと鳴いた。

どこかで見た記憶を頼りに、ペット用の酸素ハウスレンタルして、自宅で看取ると連れて帰った。猫はなかなか酸素ハウスに入ってくれなかったけれど、その間は酸素マスクそばに置いた。明日にもしぬかもしれない猫を、無理矢理ハウスに入れるつもりはなかった。

毎日好きなものを食べさせた。後にいうちゅ~る食べ放題まつりだ。

内服薬だけはと飲ませながら、一ヶ月、二ヶ月、三ヶ月。酸素ハウスを返却した。猫は普通に歩いていた。

猫の中で何がおこっているんだろうと、もう一度病院へ連れて行った。色々と再検査をし、二回目のCTを撮った。前回の入院で右の肺は半分ほど潰れてしまっており、心臓肥大していた。

「あのあと他の先生たちにも聞いてみたんです。猫ちゃん重症喘息による無気肺です。あの時は肺炎合併してああなったんでしょう。また繰り返す可能性はあります

うちの猫喘息だったなんて、全く気づかなかった。鼻水を垂らしてくしゃみをしている、と思ったのは咳だった。それと知ってから注意して見ると、くしゃみをする時と、咳をする時があった。喘息治療をすべきだったのに放置していたことを、深く後悔した。

近所のかかりつけ医は信用できないと、遠くの病院まで月に一回ほど通うことになった。そんな生活を7ヶ月ほど続けた。

ある時、帰りのタクシーの中で猫が粗相をしてしまった。ペットシーツのおかげで大事には至らなかったが、粗相するほど我慢させたことが申し訳なくて、近所に開院した別の病院に連れて行った。

その頃猫はまた鼻水を垂らすようになっていた。それから右目だけ瞬膜が出るようになっていた。年を取ると瞬膜が出っぱなしになりやすいというが、右目だけ? と少し気になっていた。

これまでの経過を聞いた先生も、それが気になると言っていた。ひとまず二週間分の喘息の薬をもらって、信頼できそうな先生だと安心した。

二週間後、先生が言った。

「顔の右側が腫れてきている。鼻の悪性リンパ腫可能性があります

そうか、と思った。ショックもあったが、もしかしたら、と思っていたからだ。

右側からしか出ない鼻水、瞬膜、大きくなってきたおでこ

「顔の悪性リンパ腫はどうなりますか」

「すごく腫れます。ぼこぉって変形してくると思います最後は悪液質で亡くなることになります

私の猫は片肺の13歳だ。抗がん剤治療には耐えられないと判断して、ステロイドによる治療選択した。

けれど腫瘍を抑えることはできなかった。ステロイドを増やしても、どんどん腫れるばかりだった。

25mg/日を10間内服させて、それでも腫れが進行していた。鼻血浸出液で、可愛かった顔は汚れるばかり。けれど拭かせてくれなかった。

副作用による空腹感で、猫は鳴いて鳴いて、可哀想だった。

ステロイド25mgは5錠になる。朝3錠、夜2錠。追加して抗生剤が半錠ずつ。

苦しみながら飲む猫に、私は治療の中止を選択した。自己満足しか思えなかった。

薬剤性の高血糖で血糖測定やインスリンもしていたが、全てやめた。

ステロイドを中止した翌日から、猫は昏昏と眠るようになった。

ごはんを食べて、寝る。そんな穏やかな生活は、5日しか続かなかった。

から鼻血、口からはよだれが大量に出るようになり、ペットシーツが欠かせなくなった。それでも気を抜けば部屋のどこかが血だらけになっていた。

カリカリを食べなくなった。ウェットなら食べてくれたのも2日ほどだった。それからはちゅ~るしか受け付けなくなり、ちゅ~るさえ食べない日もあった。

視神経が圧迫されたのか、目が見えなくなった。突然の全盲であちこちぶつかりながら、恐恐歩くのが可哀想でベッドの上を区切ったらそこで眠るようになった。

トイレにいけなくなった。連れて行くとおしっこはするときもあったが、どんなに踏ん張ってもうんちは出せないようだった。

2週間が経った。

ちゅ~るも食べなくなった。食べられなくなった。

最初は食べようとしたけれど、ひどくむせて鼻からも口から出血する。鼻と口が繋がってしまったようだった。そのうち猫は食べることを諦めた。

当然水も受け付けない。脱水がひどくなり、あれほど出ていた鼻血浸出液ピタリと止まった。

このまま家で見ていても、数日で亡くなるだろうと思った。

けれど、体の置き場がないとフラフラになりながら寝返りする姿や、一箇所でぐるぐると回る姿、とうとうベッドの上でおもらしして自分でショックを受けている姿を見て、安楽死を考えるようになった。

別れたくない。悲しい。寂しい。

それと同じくらい、楽にしてあげたい。

戻れないことはわかっていた。朗らかで、やんちゃで、甘えて鳴いてばかりのあの子はもう戻ってこない。

自分だったらどうだろう。ガンの痛みに苛まれて、目が見えなくなって、鼻からも口からも色々な体液が出て、お腹が空いても食べることができなくて、そして今は脱水症状に苦しんでいる。

動物病院に状況を報告した。安楽死選択ひとつだと思うと先生は言った。

苦しみの合間、眠っている猫を見て思った。

の子は命日が決まってるんだな。

翌日は動物病院休みだったから、一日中猫と過ごした。

苦しんで鳴く猫を撫でて、体をトントンして、そうすると猫は15分くらい寝る。それからまた起きて苦しむ。

愛しさと諦めが交互にやってきた。

安楽死の当日。予約時間ギリギリまで悩んだ。

行きたくないと言って泣いた。ずっと一緒にいたい。家で最期まで看取りたい。

猫は眠る時間が少し長くなったように思った。昏睡に近かったのだと思う。

やっぱりやめようか、と言ったのは予約時間5分前だ。

猫は起きて、苦しそうに叫んだ。

看取りたいというのは自分エゴだと思った。泣きながら猫をキャリーに入れて、病院へ連れて行った。

病院は昼休みだった。着いたときから先生看護師さんも泣いていた。おとなしい猫のことを、かわいいかわいいと言って撫でてくれた人たち。

点滴の針を刺す。処置室へ移動する。気が済むまで二人で、と先生たちは出て行った。たくさん話しかけてあげて、と。

けれど、声を出したら号泣してしまいそうで、やっぱりやめると言ってしまいそうで、囁くように「いいこ」「ありがとう」とくり返していた。

猫はぐったり寝ていたけれど、起きて、また鳴いた。苦しい、と。

大丈夫もっと話す?」

顔を出した先生に、私は言った。

「お願いします」

病院がきらいな子ではなかったけれど、一番好きなのは家に決まっている。

早く連れて帰りたかった。楽にしてあげたかった。

最初に繋がれたのは麻酔薬だった。プロポフォールだと思う。しみる薬剤だから、薬が入る時、猫は苦しそうに泣いた。前投薬をお願いしなかった私のミスだ。

数十秒で猫は眠って、呼吸が浅くなった。

そのあとに二種類入ったけれど、そちらが何だったのかはわからない。猫は呼吸が止まり心拍が止まった。

二人とも号泣しながら、とりとめもなく話をした。

先生は、前は安楽死に反対していたけれど、自分の猫の時に限界まで頑張らせてしまって、後悔してからは賛成していると言っていた。

「やさしい選択をなさいましたね。いいおねえちゃんでよかったね」

先生は私も、猫も褒めてくれた。

帰ったらお風呂に入れてあげるといいと言われて、本当はもう何も本人の嫌なことはしたくなかったけれど、少し悩んで体を洗った。

たっぷりシャンプーリンスを使って、血の塊やこびりついていたおしっこを全部洗い流した。

体を拭いて一番涼しい部屋に連れて行くと、留守番していた妹猫が不安そうにしていた。

帰ってきた兄猫、もう呼吸の止まっている兄猫、私を見て、鳴いた。

「どうして」

体を乾かして、耳や口に脱脂綿を詰める姿を妹猫はじっと見ていた。

すべての処置が終わって、ダンボールに入った兄猫のところにもう一度行って、悲しそうに見ていた。

猫が"死"を理解しているのかはわからないけれど、どんどん具合が悪くなる兄猫が妹猫の相手をしなくなって、苦しそうにしている姿をずっと見ていた。

「もう大丈夫だよ」

妹猫を撫でて、一緒に寝た。兄猫のように朝まで一緒にはいてくれなかった。

いつかはと思っていたから、その後の段取りスムーズだった。

猫が生きている間に葬儀社を見繕ったり、アイスノンの用意をしたり、体が収まるサイズダンボール箱を用意したりするのはつらかった。

でも、しておいてよかったと思う。きちんと見送ってあげることができたから。

それから、死後の処置自分でしてよかったと思う。

鼻血浸出液の塊を洗い落とした猫の顔は、やっぱり私にとって世界一かわいかったけれど、同時に諦めがつくほどに哀れだった。

大きくなった腫瘍が鼻の穴を塞ぎ、裂いて、口の中まで入り込んでいた。

処置をしなくてもあと2~3日だっただろう。

けれど、その2~3日あとには更に腫瘍が広がっていただろう。

どれほど頑張ってくれたのかわかって、うれしかったし、ありがたかった。

姉が言った。

「いっぱい愛してもらったね」

そう。猫に愛されていたのは、私だった。

家猫のあの子にとって、世界で一番愛しい相手は私だった。

安楽死を悩んだ時、はてな匿名ダイアリー記事がとても参考になった。

自分ペットに対して安楽死選択したことは、あまり口にできないことだと思う。

感謝気持ちを込めて、私も書き残そうと思った。

それから、鼻腔内腫瘍、鼻の悪性リンパ腫の転機についても可能な限り詳細に記した。

目に見える病気はつらい。これからどうなるんだろう、最後はどうなるんだろう。調べてもわからなかった。

もちろん、早期から悪液質になり、眠るように息を引き取る子もいるとは思う。

ただ、私にはそういう例が見つけられなかった。

ペットロスに関しても、亡くなる前の方がキツかった。

対処法を調べても亡くなったあとのことばかりで、毎日毎分生きてるか不安に思いながら涙する感情対処する方法は見つからなかった。

結論から言うと、どうにもならない。だからどこにも書いていないのかもしれない。

とりあえずいつでも仕事をやめられるように貯蓄に励むといいと思う。かけられる人は不労保険とかもかけたらいいんじゃないかな。

自分に関して言えば、家で付き添うようになってからの方が不安は少なかった。

離れている間にしんでいないか毎日戦々恐々としていた。

最後お金の話をしようと思う。

7万円を最初に出したのはそういう意図だ。

4日間の入院で15万円ほどかかった。

酸素ハウスを3ヶ月レンタルして6万円。

薬代が月に1.5万円~3.5万円。

採血レントゲンが1.5万円。

CTが4万円。

そして安楽死処置が3万円で、葬儀が2万円。

治療11ヶ月に及んだ。がんばった私。

もっともこれはミニマム治療だった。良心的な動物病院だった。

抗がん剤を使っていたら、入院が長期に渡っていたら、考えるとキリがない。

お金がない人はペットを飼ってはいけない。

これはもう、べきとか、なるべくとかではなく、事実として。

最低賃金上がればいいのに。

雑然と書いたけれど、私の猫の話はここでおしまいです。

いつかどこかの誰かと猫の、役に立ちますように。




8/31追記

twitter感想を見かけたよ」と友達が教えてくれたので、検索して全部読んだ。

自己満足と、もし検索に引っかかればって気持ちで書いた乱文に、たくさんの言葉ありがとう。とてもうれしかった。

今でも歩いている時に何の前触れもなく涙が出たりするけれど、愛の量だと思ってる。

安心してるんだ。もう苦しんでいないって。

でも、私の帰りを待っていることはないって、それがどうしようもなく悲しいんだ。

この感情はそれぞれ別のものから、ずっと抱えていくと思う。

話が複雑になるので詳細は省いたけれど、妹猫の話を少ししようと思う。

便宜上妹と言っているけれど、血縁関係はないんだ。

今回記事に書いたメインクーンが超絶寂しがり屋で、一頭飼いしてたら精神的におかしくなってしまったので、保護猫だった年上の女の子に来てもらったのが最初(便宜上姉猫)。

姉猫は10歳で先立ってしまった。その時も色々あったけれど、今回は触れない。

姉猫が亡くなってしばらくはメインクーン一頭飼いだったけど、やっぱり寂しかったみたいで、妹猫に来てもらった。

飼いたくてメインクーンを選んだけれど、飼ってみたらあんまりに愛しくて、猫のことを色々調べるようになって、保護問題ペットショップの不適切販売を知ったんだよね。

私は安易に猫を飼いはじめてしまったけれど、だからこそ2匹目は保護猫って決めてた。

妹猫は兄としてメインクーンを慕ってくれて、本当に仲が良くて、その姿は癒やしだった。

その時に弟猫だったメインクーンは、兄猫になったんだ。

妹猫は寂しそうだし、悲しそうにしてる。人間と同じように、悲しみを抱いて生きてくんだと思う。

「別れがつらいから二度と飼えない」って人に伝えたいことがあるんだ

姉猫が逝った時、もういいかなって私も思った。兄猫が寂しがらなかったら、妹猫は来てなかった。

実際のところ来てくれたから、わかったことがある。

それは、亡くなったあとも、思い出が増えていくってこと。

妹猫を見て、姉猫はああだったな、こうだったな、って思い出すことが増えた。

最初ちょっとつらかったり、姉猫と妹猫を比べるようで申し訳なくなったりしたんだけど、すぐに違うなって気付いた。

妹猫を通じて、姉猫の思い出がどんどんやさしいものに変わっていった。当たり前だった記憶ひとつひとつが、キラキラ色づくようだった。

亡くなったあとも姉猫を愛しく思う気持ちはずっと続いていた。

兄猫がさみしがらなければ、妹猫が来てくれなければ、知らなかったこと。

きっとこれは、新しい子を迎えるつもりはなかったのに迎えることになったから気付けたことだったので、共有しとく。

別れはつらいけれど、悲しいし寂しいけれど、次の出会いを恐れる必要はないと思うよ。

いつかあなたが、愛し愛される家族とまた暮らすことができますように。

姉猫も兄猫も妹猫も、どの子世界一かわいい

世界一ひとつしか持っちゃいけないって誰が決めたんだ。少なくとも私の辞書にはないな。

生きててくれるだけでよかった。逝ってしまっても愛してる。

の子もみんな世界一だよ。

あとな、創作って言ってた人な。

文章力があるって受け取っとく。ありがとうな。

創作だったらいいな。

そしたらきっと今頃、どの子もうちで伸び伸び寝てて、パソコンに向かってる私のところに兄猫あたりが飛び込んでくる。

キーボードダイブしてもいいよ。叱るけど。

ずっとずっと愛してるよ。

ところでなんで増田なのか(あとでぐぐっとく)

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