はてなキーワード: ももちとは
いわゆる「N国」やら「受信料」が話題になるたび,「自分はNHKなんて普段見ないのに」という声をTwitterなどで目にする。そんなことあるか?と僕はいつも思う。ところが,僕が普段接しているコミュニティの中には,NHKをよく見る人ばかりのコミュニティと,民放をよく見る人ばかりのコミュニティがある。「NHKを普段からよく見るか」という問いは,何故かコミュニティによってキッパリ綺麗に回答がまとまる(と僕は感じている)。
「NHKをよく見る」人が多いのは,大学関係のコミュニティだ。僕が通う大学は国内の大学受験で最難関クラスと呼ばれる大学で,都会/地方出身問わず高所得の家庭出身の子弟が多く通う大学でもある。彼らは当然のように何も流すものがなければNHKを点けるし,NHKのドキュメンタリーの話をよくするし,実家でもNHKしか流れない,なんて話もする。
一方で「民放をよく見る」人が多いのは,両親を含む親族や地元の公立中学関係のコミュニティだ。両親は地方出身のブルーカラー,地元の公立中学というのは都会から電車で40分くらいのベッドタウンにある,そこまで豊かではない家庭の子弟が多く通う学校だ。彼らは民放のドラマやバラエティの話をし,民放が映し出されたTVこそがお茶の間の原風景だという。
僕はこの観察から,富裕層とそうでない層との間に存在する経済的・知的な階級格差の一つのあり方が「NHKをよく見るか」なのではないかと思っている。もっと踏み込んで言うと,親から子に受け継がれる所得や学歴,品性や習慣の一つとして,「よく見るTVのチャンネル(特にNHK/民放)」があるのでは,ということだ。
自分の見える範囲だけで推測した思いつきにすぎないんだけど,どうなんすかね。
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僕はというと,フ○テレビを筆頭とした民放を好む両親とは違って,NHKをよく見る方だ。特にNHKの特集番組は情報収集とそのまとめが素直に上手くて,知的好奇心を満足させてくれるから好きだ。反対に民放に溢れているような,他人を虚仮にして取る笑いとか日本スゴーイとか芸能人の惚れた腫れたとか可愛い動物動画とか少しも楽しめたことがないし,作る方も見る方も品性を疑ってしまう。こういう消極的な理由で,とりあえずTVを点けておきたいときはNHKにするというのもある。
ということで,裕福ではないけどNHKをよく見る人,裕福だけど民放をよく見る人,というのももちろん存在すると思うけど,あくまで指標として……という話です。
AV女優のレベルアップが目覚ましい昨今、皆さんいかがお過ごしだろうか。
こちらで提唱したいのは、トリプルディスプレイで鑑賞するAVこそ最高であるという論である。
そして同一のAV作品を左画面ではインタビュー(着衣)、中心画面ではメイン、右画面ではフェラシーンを流す。
また、その際には左右の音声は切っておく。
これにより、左画面を観ると普通の可愛い子であるにも関わらず、
右画面ではちんこに下品にしゃぶりつくその子の映像を同時に眺めることができ興奮度がアップする。
そして中心画面ではその子がなんとセックスしている姿を観ることができるのだ。
中心画面では主にセックスシーンを流すが音声が流れているのはこちらのみであるため、
各シーンを端折りながらダイジェスト的に鑑賞し、最後はセックスシーンで射精に至ることがほとんどだ。
これにより、セックス!え!こんな可愛い子が!?フェラがエロい!正常位乳揺れえろい!!という同時多発エロを楽しむことができる。
ちなみに僕の性癖はルックスの良い子が下品にセックスに勤しんでいるのに興奮するというものであるため上記の設定にしているが、
あなたがとにかくフェラが好きなら3画面ともフェラシーンを流すでも良し、
とにかく性交シーンが好きなのであれば異なる体位を各画面で流すのもよい。
インタビューシーンが最も興奮するという強者であればそれのみを流すのももちろんアリだ。
違う作品を同時に流すことによってちょっとした乱交気分を味わうことも可能だ。
とにかく言えることは、トリプルディスプレイを用いたAV鑑賞には、夢とロマンと可能性が詰まっている。
お試しあれ。
Aくんは○○というジャンルのキャラクターだ。二次元。わたしは作者の半ば公認で、次元を越えて二次元の男と結婚した。
Aくんとの出会いはわたしがまだ学生のころ。もう10年以上も前になる。
わたしはその原作が大好きで、10年の間に他のいろいろなジャンルにもはまってきたけれど、落ち着くと○○に魂が戻っていった。
記念に作者さんのサイン会が開かれることになり、わたしも運良く当選した。
サイン会というものは初めてだったけれど、周りにいるのがみんな○○を好きな人という空間というそれだけで気分が高揚した。
10年以上もの間愛した世界を作った神様みたいな存在の人と会う。就活の面接よりも、部活でソロをもらって楽譜一枚ぶんの長い間注目されながら演奏したときよりも緊張した。
登壇された先生も緊張されたご様子で、それでも堂々と読者の我々への感謝やご挨拶をされていた。
サイン会のことは今でも鮮明に覚えているし、たくさん連ねたい感情や思い出はあるけれど、この記事のメインはそれではないので端折って進めようと思う。
わたしの番がきた。
他のサイン会というものがどういうシステムかはわからないが、このサイン会は応募したときの名前が名刺くらいの大きさの紙で用意されていて、順番がくるとそれが読者→スタッフさん→先生へと渡され先生がサインと宛名を書いてくれるというものだった。
先生「あ!」
わたし「わわ……」
繰り返しになるが、わたしは10年以上前から○○が好きだ。Aくんが好きだ。
応援の気持ちで、単行本がでると、とりわけAくんが登場していると(Aくんは一年出てこないこともあるくらいのキャラ)ファンレターを出したりした。二回だけバレンタインにAくんにチョコをお送りしたこともある。
それは少しだけ熱心な普通のファンの範疇だったはずだったけれど、覇権ジャンルのような人口ではないためか、先生はわたしの名前を覚えてくださっていた。
もちろん本名は井上とか吉田とかのありふれた名前で、馬喰町太郎だなんてパンチのきいた名前ではない。
元気良く挨拶して、お祝いのお言葉と、サイン会という機会を設けてくださった感謝と、作品への思いをお伝えしよう。そうして考えていた言葉が全部吹き飛んだ。
先生は、すみませんお名前見てはっとしちゃってと笑い、隣で色紙の用意などをされていた方(担当編集さんでした)に「Aの馬喰町さん!」とわたしのことをお伝えされた。
そしてわたしには長い間○○を読んでいたお礼と、わたしが先生やアシスタントさんや担当さんの間でAの人で通っていることを話された。
長年作品を支えた(という言い方はおこがましいものの先生のお言葉を借りて)一介のファンにはこれ以上ないお言葉だった。
当然、古参ファンへのリップサービスだと理解していたし、本気でないからこそわたしも「えーっwwwありがとうございますwww」という軽めの反応をした。
冗談やお世辞で言っていただいたことでこんな記事を書いたりはしないし、この記事は自慢のつもりでもない。理由はこの先を読んでもらえるとわかると思う。
わたしはSNSをしている。漫画やゲームなどのことを話す用途のアカウントで、サイン会に行ってきたことを軽く話した。
「Aくんをわたしの嫁に出すしかないと言っていただいちゃったので今日は結婚記念日😂」という文面で、本気らしさは感じさせなかった。と思う。
それから数ヵ月が経ち、即売会のイベントに先生が参加され、○○の最終回後のお話が同人誌という形で頒布された。
Aくんはそのご本の中で既婚者になっていた。(※相手がいるという記載のみで、奥さまはお名前すら登場していない)
わたしの話になるが、わたしは基本的に作中の男女カプが好きな腐女子だ。腐カプを好きになることはたまにしかないが、♂♀、♂♂どちらでも固定厨。
ただし、公式の推しカプには従うし、推しが幸せになるのを祝福できるし、公式で好きな異性がいる男をホモにする腐女子は公式アンチか?それともエアプか?と思う。推し♂♂がそれぞれ女の子とくっついたら公式を受け入れる。
わたしはAくんを腐カプの受けとして見ていた。
でもAくんが女の子を好きになって、女の子と結婚して幸せなら、わたしは祝おう。BAのことは諦められる。幸せになってね。そう思った。偽りはない。
ご祝儀袋にファンレターを入れて(本当は本当にご祝儀を入れたいくらいの気持ちだったけど現金はだめなので)気持ちばかりの差し入れのお菓子をお祝い代わりに、ご結婚おめでとうございますという旨とご本の感想をしたためた。
数日後の先生のSNSに、「お祝いされるべき方にお祝いをいただいてしまった😂」という旨の投稿がされた。
遠回しに結婚相手はわたしだと仰っている。わたしにしかわからない形で。
これは完全に自意識過剰なのだけど、先生がわたしのSNSを見かけた可能性はあった。もっというと、以前からチェックをされているかもしれないという気もしていた。(そのため当該アカウントでは腐関係は隔離して、見られても困らないごく一般的なファンの投稿だけになっている)
この理由はどうにも暈しようがないので伏せさせていただくが、サイン会のときの投稿よりも前からそこはかとなくそんな予感がしていた。
だからサイン会の後に、なんにも投稿しないことでなにか変なこと言っちゃったかななど思わせたくなくて(わたしはネガティブなのでわたしならそうなる)、喜んでみせたのもある。
だから、今回の先生の投稿も、わたしの反応待ちなのではという感覚があった。当然自意識過剰だ。
自意識過剰だけど、ともかくわたしもSNSを投稿した。先生が遠回しに伝えてくださるのはわたしと他のファンの方双方へのお気遣いだし、わたしも大層喜んだ様子で詳細は書かず感謝を綴るのみにとどめた。
ところが先生のご本を読み、かつ先生とわたしのSNSのどちらも見ていた方には察せられるもので、配慮が足りない、常識がないと言い出す人がいた。
(正直、ご自身の立場だったらおまえはもっとなんにも伏せずに狂喜乱舞で全部ツイートするだろうと思うそういう性格の人だ。)
わたしは腐女子でBAが好きだった。Aくんが結婚したからそれを受け入れた。
しかし相手がわたしとなると話は変わる。わたしじゃAくんを幸せにできない。でも、自費出版とはいえ公式でAくんは結婚した。
公式を受け入れないのは公式アンチという信条と、10年の推しカプを自分自身のせいで諦める苦しさで板挟みになった。
チョコを送ったのがよくなかったのか。それくらいみんなやってる。
ファンレターだって、腐要素こそ滲まないよう努めたが、夢感情は元々なかったのでAくんと結婚したいなどということはもちろん書いたことがない。表情や言動を事細かに好きだと綴っただけだ。
サイン会で喜んだのも長いファンを喜ばせようというお心遣いが本当に嬉しかったからだ。
誤解のないように言うが、わたしが喜ぶかなと結婚までさせていただいたご厚意自体は本当に嬉しいし、この上なくありがたい。
ファンとの距離感が近すぎるとは思うけど、お気持ちは本当に本当に嬉しいし、それほど大事なファンだと思っていただけてることは誇りです。○○を好きでいて本当によかった。
でも推しカプの片方が結婚してましてその相手が自分という事態はどれほど複雑(オブラート)な気持ちか、固定厨の方なら多少はご想像いただけるだろうか。
ご厚意に厚意と感謝を示したくて喜んでみせたら上っ面だけを見た界隈の一部の人間に常識がないと思われること、それにこういった反論をできないこと、本当に頭にきてます。
言い方を選ぶのをやめさせていただくと、お前らただの嫉妬だろ?
怒ってた一部は夢女子で、夢女子の全員がそうだとは思わないけど、ああいう場で喜ばないほうがよっぽど世渡りの常識ないのに夢界隈のローカルルールにあわなかったんだかしらないがよく自分こそが常識みたいな面ができるな。何様だよ。
○○のことは今でも大好きだし、Aくんのことも一生の推しだと思っているけど、今は創作するのもしんどくてそれ以降別ジャンルばかり描いている。
再度になるが、わたしは固定厨腐女子なのでこの記事は自慢でもなんでもない。
わたしが表立ってこんなことを言えないから連中だけ好きに愚痴を言えるのがムカつく一心で書きました。
作者に見られてるかもと自意識過剰にでも思った時点で鍵かけろとかオタクは原作者の目に触れるなとか、わたしにももちろん落ち度はある。(その点を反論させていただくなら、わたしに怒っていた夢女のほうが先生に直リプをバンバンしているはばからないオタクです)
これを読んでくださった方にもわたしのほうがよくないと感じる人もたくさんいると思う。わたしかわいそうでしょう同情して!というつもりならもっと自分に都合の悪いところは伏せて印象操作して書いている。
無職だ。
それなりに期待されて入社したものの、ミスを連発し、同僚も腫れ物を触るような対応で、後輩からも「ちゃんとやってくださいよ(トホホ)」とバカにされる始末。
会社で一言も発せずに、帰宅することも多かった。やはり仕事仲間との、コミュニケーションは重要だ。
人見知りはあるものの、よく言われるコミュ障とは思ったこともなく、そっちの面では心配なぞ微塵もしていなかったが、最終的には会社のドアを開けるのに手が震える様になった。
腹痛もひどかった。この一年、まともなウンコが出たことがない気がする。
「もうここでは働けない」そう思ってからは早かったが、特に次の仕事が決まっているわけでもなかった。
でも早く抜け出したかった。
転職サイトへの登録ももちろんしているが、自分に何ができるのか?とっちらかってまとめることができない。
働くって、なんだろう?
お前の所属してる会社、学校、部活などのグダグダ感そのままにただ武器持っただけなのが日本の軍隊だ
その武器と言うのももちろんグダグダな設計思想の元でグダグダな製造工程を経て作られている
どう考えてもろくなことが起こりそうにないだろう
朝からきたない話ですまない。
便秘なんだ。
不溶性水溶性問わず食物繊維が豊富っぽいやつも食べていれば、牛乳やヨーグルト的な乳製品ももちろん摂っていて、
水分に関しても充分量摂っているのだけれど便秘なんだ。
肥満気味といえばそうかもという体型ながら、まあ166cmの69kgなので、極端にひどいってことはないと思う。でも便秘なんだ。
ただ、便秘なのは便秘で、眠前処方が前提っぽい下剤を出してもらわずに寝た翌日は確実に大きいほうが出てこない。
下剤を入れた日でもカフェオレ的な乳製品をがっつり飲まなければ、なかなか俺のSiriから返事が来やしない。
運動不足が原因かなあと思って、スマホで調べて出来るなりのリハビリはしているんだけれど便秘なんだ。
詰まらない話で良いんだ。(便が
中学時代あたりとか身長伸ばしたくて一日2L近くは牛乳を飲んでいたり(身長は伸びず、のちに骨密度を褒められた)、
今日もサクッと行くわよと言いながらめちゃくちゃ寝たので、
多分12時間超えの久しぶりの睡眠は逆に腰が痛くなるわと思いつつ、
今日はそんな日にするわね。
なんでもないようなことだったわ。
台風でテレビのアンテナが壊れて屋根に登って直そうとしていた30代女性ってニュース、
どういう背景か知る由もない、知ってよし!って言うわけじゃないけど、
それほどテレビ見たくてアンテナ直したかったのかな?と必死感か伝わってきて、
家族の人は?って思っちゃったし、
台風でテレビのアンテナを無茶して必死で直したがる30代女性って
私の中のそのパワーワードはじわじわ来て仕方がなかったのよね。
それに車がエンコしてとりあえずボンネットだけ開けておいて故障感出しておくかって米国映画とは違い、
屋根に登ったところで、
私ができると言えば、
せいぜい倒れたアンテナをまっすぐにするだけ、
でもあなたは知らないのかしら?
うまく角度を合わせられたとしても、
って作業は一人ではとても大変だと思うのよ。
台風も去ったし
強くこの時ばかりは思うばかりだったわ。
命あっての物種、
死ぬこと以外はかすり傷、
なんて言うけど
ちょっと利口ではなかったわね。
アンテナ直せても、
「このアンテナが直ったら結婚するんだ」ってそれ死亡フラグ!って
アンテナ直せたところで、
土煙が立ち込めてその煙なくなるとともにその中ボスも倒したか!?ってさなかに
煙の中から普通に歩いてきて実はぜんぜん倒せてなかった!っていうガッカリ感、
後世に語り継がれるべきだわと私は思うの。
生きてるだけで丸儲け論を提唱したいと思いつつ、
アンテナ折れたときは録画溜まってるのを観なさい!って伝授したいわ。
うふふ。
熱々のチーズがとろけて口の中が火傷しそうだけど、
ゆっくりたべてね。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
美形な人って初対面でコミュ障に見られないし、実際コミュ障であっても無口な人だから〜とか口べただから〜とか、プラスに取られることはなくても取り返せないほどのマイナスになることは少ない気がする
まあ最初に与えられるハードルは顔が良ければ良いほど高くて、勝手に期待されるのもしんどそうだなと思うが、受け身でいても周りに人が集まってくるというのは一つの才能だなと思うんだよな
友達がいない顔のいい人間ももちろんいるだろうけど、本人にコミュニケーションの才能がなくても完全にひとりぼっちになるということは可能性として低いはずだ
そして、社会で生きて行く上で救いようのないタイプのコミュ障を患っている人はたいがい容姿の偏差値(持って生まれた顔の良さだけではなくて努力で何とかなる範囲を含めて容姿とする)が低いなと感じるし、社会に溶け込もうという意欲を感じないから近寄ろうと思われない、思わないのかなと
ところが顔面偏差値が高ければ、本人に社会に溶け込む意欲が無かったとしても許されてしまうあたり、美ってすげーしこえーなと思う
https://anond.hatelabo.jp/20090622193531
https://anond.hatelabo.jp/20170920232940
こういう人とつきあったり、友達の女の子が不幸になっていくのを見てしまうと
自分は誰とでも付き合えるきがしてたけど、やっぱり誰とでも付き合えるわけじゃないんだな
付き合っていてどんどん気持ちが傷ついていく異性は、
付き合った際に相手の気持ちをどんどん落ち込ませる童貞はだめだと思う。
(そして相手を落ち込ませていく非童貞ももちろんだめなので、つまり童貞かどうかはどうでもよい。)
童貞だったけどその後いい旦那さんになった例もあったほうがいい気がしたのではってみる↓
その後も話していると、いつの間にか他の家族や本人を責めるような話になっている
言い返されると非は一切認めず、自分に都合の悪いことは必死な形相で話を逸らして誤魔化そうとする
そもそも逸れる以前の話自体もあちこちに飛んで支離滅裂なことが多い
こんな人と20何年間も暮らして近くで接していて、まともに何かのトピックを話し合ったり、重要なことに目を向けて問題解決に取り組んだりできるようになる訳がないと思った
兄弟揃って社会不適合者みたいに育ったし、何もしてなくても常にイライラする
既に一生分疲れてる気がするし、ものすごいハンデ背負ってる気がする
すべてを批判するつもりはないし、感謝していることももちろんある
親も親でそう育ちたかった訳ではないはず
分かるなぁ、こりゃ出会いが悪過ぎるよw
なのにみんなしてドラクエドラクエ言ってるし、やらない奴はRPG好きじゃないみたいな風潮だもんな。
誰かに聞いて欲しいみたいのはあるだろうし、ドラゴンボールが駄作だって評論して滅多打ちになってた記事が少し前にあったけど、ああいう逆張りじゃなくて普通に嫌な記憶ばっかりなんだからこう感じるのは仕方ないと思うぜ?
ただまぁこれってDQ6が悪いんじゃなくて、セーブ方法が原因じゃん? 素晴らしかったって自分でも書いてるし、心の傷が癒えるまで待つしかないよな。
助けになるか分からんが、リアルタイムでRPGが拡まっていくのを思春期に経験してたオッサンの長ーーーい話でもポテチ食いながら読んでくれ。暇な時でいい。
「あー、ピコピコやるやつですごろくみたいの始めたのか。ちゃんと勉強もしろよ?」
「しょーがねえなぁ少年ジャンプとガキ共は。まーた欧米かぶれの下らないゲームで盛り上がって」
「まぁ子供の入門wwにはいいだろw RPGは難し過ぎるし、アラレちゃんの奴(笑)が絵を描いてるんだろ? エンガチョだよなw」
体感、一つ目が7割、二つ目が2割、最後の意見が1割弱って感じだな。尤もゲームを多少は知ってる人間の話で、半分以上の人はもっと批判的か無関心だ。
興味ないとか不良のやる物とか面白そうだけど目が悪くなるとか、どうせファミコンなんて一過性のブームだろうとか、放っておけば飽きる、とかな。
大人がどうしてファミコンを許してくれたかっつーと、ゲーセン行かせるよりマシだったからなんだよ。
ゲーセンってのは不良とヤクザと仕事をしないサラリーマンの営業と、後は風俗か水商売の女が男に連れられて行くもんで、要はインベーダー喫茶に毛が生えたヤツな?
おもしれーだろ? スペースハリアーとかグラディウスがあるのに世間はインベーダーなんだよ。それに毛が生えた程度にしか思われてねーの。
もうちょい詳しいとギャラガとかパックマンくらいか? ゼビウスもあったけど「まぁ若い子の一部には変なモノが流行ってるな、マイコンマニアは無害だしエレクトロニクスの時代だからそのうち使い物にはなるかもしれない、放っておけばいい」って感じだよ。
大人たちは高度経済成長からバブル真っただ中で忙しいんだけど、マジメな人がゲームは無害かどうか見守ってた空気だな。
っつーのはさ、『みんなそんなに遊ばない』んだよ。
子供だからピコピコやってても見逃して貰えるけど、基本的にまともな大人は遊びの話を人前でするものじゃねーワケ。悪い事だったんだよ、それ。
庶民の娯楽として市民権があったのはボーリングと映画だな。運動は身体を鍛える物だからスポーツはキホン除外で。
釣りは生活の一部(の延長)で、テニスとゴルフは限られた金持ちの趣味で、健全な奴はキャンプとか山登りとかか? いやネクラ君達には卓球もあったなw
まぁオッサンもガキだったから勘違いもあるかしれんが、遊びってのは『大人の許す範囲でやるもので、豊かになったから恵まれた子供達を好きにさせてやってる』って感じだった。街を作るのに忙しかったんだよ、大人は。後はその弊害を処理するとかな。あ、夜の遊びは例外な?
どう言ったらいいか難しいんだが、別に今を否定しようとかってんじゃなくて、大人と若者には明確な溝があって気楽に口を利いて貰えないっつーのかな?
俺は都会の人間だからかしれんが、道路も上下水道も電気もガンガン整備しなきゃいけないからガキはどいてろって空気なんだよ。日本中。
…んで、激しい仕事が終わった連中だけが飲んで騒いでよくて、仕事付き合いしながら店で歌ったり踊ったりしつつ駅とか公園とか会社で寝てまた仕事するワケよ。
それが当たり前なの。w スゲーだろ?
日曜日に休める幸運な大人はテレビだな。ちゃぶ台とビールで。だらしない人は横になって。
上に書いた娯楽は会社の許可が必要(申請書はいらない)みたいな感じでさ、家族サービスとしてデパート、遊園地、動物園なんかも認められてはいた。
長いけどジーサンバーサンと会話が弾むかもしれないから、もうちょい我慢して付き合ってくれ。
そういう中でのゲームってのは、娯楽のオコボレとしてひっそり発展してた。
例えばバッティングセンターの片隅に。
ボーリング場や温泉やゴルフ場の待ち時間潰しや、遊園地の片隅。
毛色の違うものにとしてLDゲームもあったが、まぁそれは置いとこう。
大人には相手にされない子供騙しのゲームは、ユダヤ人貿易商のテコ入れもあってインベーダーブームでヤクザの懐を大いに潤したが、“ほんの5、6年”で下火になって行った。
一部のエレクトロニクスマニアは自分で作ったり改造したりもしていたが、技術屋さんが変わり者なのは仕方ないってのと、将来のメカトロニクス産業を支えるかもしれないから、って見逃されてた感じだ。
あと、パチンコ産業も大きく関係してるが複雑過ぎるし知識が足りないからそれも省く。
ともかくそういう中でマニア(オタクじゃねーぞ?)の趣味としてブロック崩しが一時期売れたりしたんだが、それは大人の玩具って位置付けで高級パーティーグッズに近かったかな。8トラとかみたいにさw
めんどくせーから時系列を丁寧に整理しないが、縁日の射的や温泉卓球のオマケとしてブロック崩しが拡まり、インベーダーで日本中の100円が足りなくなり、家庭用単機能ゲーム機が玩具として売れ始め、パックマンやギャラクシアンやドンキーコングとかマリオブラザーズとかゲームウォッチなんかのブームもあって不良少年が社会問題化したので子供のゲーセン出入りが禁止され、ヤクザと無線屋とジューク屋と興業屋がシノギを削ってそこにマイコンブームが来て、玩具屋も巻き込んで産業スパイ使って殺し合いをしながら兎にも角にもファミコンは誕生した。
「一家に一台、ファミリーコンピューター!」
https://www.youtube.com/watch?v=gguhhdbXD7A (当時のCM動画)
ってな具合よ。
大してして話題になってねーけどな。
マイコンブームってのはまぁパソコンと同じで若者が勉強するなら仕方ないって面があってだな? アメリカから技術や文化を学ぶために赦されていて、ウルティマだのウィザードリだのをマイコン好きやその開発者がこっそり持ち込んで研究してたらしい。主流はパズルとアドベンチャーゲームな。息抜きにアクション、暇潰しにシューティング。変態野郎がエロゲ。
んで、ハイドライドやドラスレが出て、そういうのに関われない可哀想な子供の為に何とかごまかしてジャンプが無理矢理宣伝して売ったのがドラクエってワケだ。
いやー辿り着くまで長かった。ww
当時のマイコン誌とか全然詳しくないんだが、エロと一緒にRPGブームを作ろうって盛り上がってて人気はロマンシアだな。
都築和彦 大浦孝浩 山根ともお 佐藤善美 なんて出てるが、この辺が一流のイラストレーター様で鳥山なんざアメコミカブレのギャグ漫画家で、偶々アラレちゃんで当てたロリコン野郎だったんだ。
分かるな? 子供向けだから許される変態スレスレの漫画家ってポジションだ。
本人がどうかは知らんが小児性愛者スレスレの際どいシュール漫画をヒットさせてて、コメディだから許されてた。本格的な変態はうる星やつらを読んでたから、それで被害を免れてた部分もある。
宮崎事件はまだだから大してバッシングもされてないし、手塚や水木一郎みたいにグロくないからまぁ読ませといてやるかってレベルだ。
高尚なイラストレーター様達はマイコンゲームを上流の趣味として仕掛けていなさったんだよ。っつうか、それに加わってらっしゃった。
少なくとも俺や俺の周囲の視点ではそうだったって話かしれんが、テクノブームとゼビウスがなければファミコンはあんなに受け入れられてないし、マイコンマニアがそんなに御大層なモノかっつーとガキの遊びよりはマシだが「ちゃんと育ってくれればいいけどねぇ」ってのが世間の目。そして市場的にはキャプテンシステムの復興なるか? スーパー301条でまたやられなきゃいいけど…、ってのがあって家電を支えるから変人の趣味として黙認されてた状態だ。
そのごく一部だぞ? そういう不真面目な研究家っつかーの中のホンの一部が、西洋ファンタジーを輸入する事にした。
ガキの遊びで性能はそこそこだがアタリショックの後だから「どうせ消えるでしょw って言うかコンピュータじゃないじゃんww」みてーな。
結論としてはだな?
マイコンマニアが愉しんでいる残りカスを下らん少年誌の連中が怪しいソフトハウスと組んで出来損ないの子供騙しを売り出したのがドラクエで、当時は殆ど売れなかったんだ。
ファミコンを最強にしたのはスーパーマリオであって、それにビウスブームが加わり、ナゼか狂ったように売れたジャンプの力があってようやくドラクエ2が少し話題になっただけなんだ。
ゲームの出来としてはFFの方が上だし、ストーリーはヘラクレスの栄光の方が評価されてた。
ちゃんと世界背景が練られてないじゃないか、と。なんだこの雑なグラフィックは、と。
パスワードとか拷問だよなww でもマイコンプログラミングに比べたら単純だし、子供の文字を覚える勉強くらいにはなるだろww
ファンタジーなのにタケヤリが武器屋で売ってるんだから、やっぱギャグだよなぁ…。
まぁ鳥山は独自の味があるしギャグ漫画家だし、ともかくガキの遊びだから許してやろうぜ、と。
そうして大人と若いお兄さん達に見逃して貰いながら、戦後最大のパワー(他の世代の倍の人数だ)を持った団塊の世代の子供達は「きっと次はもっとすごくなる」とか鬱屈した思いを抱えつつ、ようやくセーブ機能を実装されたドラクエ3に狂喜乱舞する事になるワケだ。
この当時には受験戦争って言葉もあってな? まぁもうドラクエやってる時点で大半は負け組なんだが、そういうストレスが子供の逃避として機能してたのもあるかもしれねー。
それから小・中学生が初めて見るファンタジー世界の冒険を嬉々として大人に語ってたら、中々ぶん殴って勉強しろって言い辛いだろ?
修学旅行にファミコン隠して持って行って旅館のテレビでみんなで遊んだとかどーしようもねぇバカもいたみたいだけど、そこまでするくらい好きなら勉強すれば許してやるかって笑いになるだろ?
うわーもう超なげーわw
軽く見直したけどなんだよコレw オッサンどんだけ語りたいんだよ?ww って感じだけど、でもまぁオッサン達にとってサクっとこれくらい書けるくらいの思い入れは結果としてできちまったんだ。ネットで対立煽りが盛り上がるように、苦労したり批判されると人間ってムキになるだろ? その方が熱意も強くなるんだよ。
それから人口比ってのはデカくてさ、マイコンのお兄さん達には遊んでばっかりでごめんなさいって部分もある(でもバブルは恨んでるけどなw)んだが、元増田みたいに感じてる若い子が出てくるんじゃねーかと最近不安になってたらやっぱりねって感じで、それでも思ったよりマイルドだし、きちんと自分だけの問題として語ってるから「もういい加減に叩くのやめてくれよ」って気分にならずに済んでて、俺達世代としては「ゴメン無理矢理押し付けたりしないから頼むからもう批判しないで」って言いたい。キミに、じゃなくて世間になんだけどな。
もしかしたらそれがメインでこんなに長く書いてるのかもしんねー。
感じ方は自由だし、言うのももちろんだし、それを否定する気はない。
ただ、オッサンらは戦争も知らないし高度経済成長には貢献してないし豊かさの頂点で育たせて貰ったから、負け組世代として罰を受けてるのかもしれない、とかもちょっと思ってる。
ゲームばっかりしてて悪かった。
マンガもたくさん読んでてすいません。
子供も作れてないし収入は低いし老いた親を満足に面倒見る蓄えもなくて申し訳ない。(っつってもそういうヤツの比率や世代差がどれくらいかまで知らねーけど)
だけど、それだからせめて精一杯楽しんだゲームで辛い思いをしたりして欲しくないってのは割とあって、スマホゲー禁止とか言わないし弾圧されるんだったら助けてやる。
助けてやる力は碌にねーんだけど、そうしたいと思ってる。
唐突だけど終わる。言いたい事は書いた。
正確にはクオーター
祖母は母方
前、祖母が酒に酔った時に「おじいちゃんは韓国人」に話していたことがある
その時は子供だったから「何言ってんだこの人」と思ってスルーしていた
今回、入院の荷物を整理するにあたり、母親はひたすらに祖母の荷物をを見ようとする私を拒んでいた
祖母と母は不仲な為仕方ないのかと思ってたけど、たまたま荷物を見てしまったら納得した
家系図が出てきたのだ
他にも韓国人の写真やら北の国の将軍様が描かれたお札も出てきた
しつこく聞こうとしたけど聞ける雰囲気じゃないし、母親が来た為聞くのを辞めた
本当に韓国人なの?
私はずっと日本人だと思ってたし、そうだと思ってた
でも、家系図があるって事は本当だよね
母は、「祖父のせいで子供の頃に酷い目にあった」と祖父を死ぬまで毛嫌いしてた
この事を死ぬまで墓場に持っていくか、証拠を突きつけて母親に聞き出すかどうしようかと葛藤している
持ち出したことはバレてないはずだ
戸籍で分かるのかな
ずっとモヤモヤして眠れなさそう
こんな時期に在日三世だなんて知りたくなかった
何故母親は頑なに隠すのだろう
因みに母親は私が知ってる事は知らない
親に裏切られたような気持ちだ
職場にバレないようにしよう
酒の席で口走らないようにしないと
人事の意見としては、「嫌韓の人も多いから、雇わない方が争い事かなくて楽」と、本人の資質関係なく雇わない方針らしい
書類選考で分かった時点で跳ね除けてるんだと
後は、朝鮮学校出てるとか……
そういう人も不採用らしい
勿論渡来人云々の話はあるだろうけど、明治以降にその血が混ざってることが嫌
後は1番嫌なことは親に隠されてたことかな
この事は昔から知ってた事だけど
その事も今回の嫌な件に拍車かけてるんだけどね
ちなみに職場では半島の酷さについて先輩たちと話すことが多いよ!
あんな美味いピザ食べたこと無かったし、まさか宅配ピザ食べて感動するなんて思わなかった。
ピザは好みの具と、控えめな生地さえあればいいと思っていた。何なら、重くてゴムみたいなすすの味のする生地は邪魔だった。
焼きたての熱で生地の底がべっちゃりして、美味しくないピザのイメージが強かった。重すぎるピザは味なんて楽しむ余裕なく、冷える前に必死に消費するものだったのに。
ふわふわでサックサク、揚げ焼きしたような香ばしい米粉の生地が具の邪魔をせず豊かな香りで旨みに厚みを持たせ....と、そこからは語彙がなくなる旨みに溺れ、声を上げて感動しながらピザを貪った。
具の美味しさももちろんだが、生地が変わるとこんなにもピザ体験が変わるのか!?と驚いた。
【辛い描写が出てくるので閲覧ご注意ください】
京アニの事件があった。あれから、友人に連絡が取れない。既読のつかないライン、夢に出てくる彼の顔、10分置きに被害者リストと検索をかけている。
多くの人が、今日アニのために祈っている。多くの人が、募金箱にお金を入れる。多くの人が、「生きて真相解明を、生きて罰を」と望んでいる。多くの人が失われてしまった京アニの財産を悼み、多くの人が有名な監督の安否を気遣う。それは当然のことで、現実的なことで、そしてとても尊いことだと思う。
そのうえで、僕はこの文章を綴る。
なお僕はこの事件のずっと前に、人を焼死というかたちで失くしている。最後の吐息を、苦しむ様を、肌を、僕は知っている。それがどれほど凄惨なものであるかを、知りたくもないのに、僕は知っている。
僕は彼が好きだった。彼が夢を叶えるためのあの場所に、どれほど頑張ってたどり着いたか、どれほどの夢を見ていたかを僕は知っていたし、彼の仕事への姿勢を、僕はとても尊敬していた。一緒に作り上げてきたものがとても素晴らしいものであったことを、僕は誇りに思っている。
こんなことを言うと怒られるかもしれない。でも、僕は、彼が「著名な人間」ではなくても彼を愛していたし、彼が彼の仕事をしていなくても彼のことが大好きだった。
多くのアニメーターさんの命が失われた。文化の消失であり、文明への許せない反逆だ。
多くの人が僕と同じように苦しんでいる。34人の方々の、怪我をされた方々の近しい人たちが、みんな苦しんでいる。直接に関わりのなかった人も、心を寄せ、その無事を祈っている。だから僕は、決して僕が僕と分かる場所で、この言葉を吐きだすことはしない。だってそれは、「35人の方々の、怪我をされた方々の」近しい人への暴言になるかもしれないからだ。
でも、ここでだけ言わせてほしい。
文化や資料の損失、それに思いが至らないくらい、僕はただ、個人でしかない、僕の友人のことが、ただ心配している。その無事を祈っている。
有名な監督の安否を心配する声が流れるなかで、僕はただ、「一個人」であった、まだ名前も出ていない彼の安否を願って夜をすごしている。優秀な技術者だったから、彼を、彼たちを、彼女たちを心配しているわけじゃない。名付けられないスタッフひとりひとりに、その無事を祈る人間がいる。そのことを、どうかだれかひとりにでも知ってほしい。
多くの人が京アニのために募金をし、その再建を祈り、願い、思いをはせている。とても尊いことだと思う。多くの人が「お金では何も戻らない、でも何かせずにはいられない」と考えて、お金を入れている。僕ももちろん入れた。
だけど、多くの人が言っているように、京アニが復活しても、そこには34人の姿はない。
これは決して、「募金をするのが無駄だ」とか「偽善だ」とかじゃない。入れている人達の多くが、戻ってこないことを承知で、それでも自分にできることを探して、大切なお金を入れている。それが前を向くための力になることも知っている。
だからこれはただのやるせなさとどうしようもなさと無念さで言うのだけれど、人の命はお金では買えない。戻ってこない。決して。それにどうやって折り合いをつけたらいいのだろう。
今まで何度もこの言葉を聞いた。僕はそれをわかっているつもりだった。でも、全然わかっていなかった。被災地に、犯罪被害者の方々に届けと入れてきた多くの募金は、それでも僕にとっては「他人事」だったことに気づく。本当にごめんなさい。
選挙のこともほかの芸能ニュースも、申し訳ないけれど、僕にはどうでもいい。だって彼らは生きている。選挙には行ったけれど、世の中のあらゆる動きは、僕にとってはどうでもいい。それらにもとても大切な意味があるということを、今の僕は「知って」はいても、どうしてもクリアには「感じ」られないのだ。
犯人について
犯人の話も出ている。よく見るのは
1.犯人の背景の話
2.生きて償え、生きて真相を語れ
3.これから二度とそんなことが起きないようにするために、対策が必要
という3つだと思う。
1については正直、どうでもいい。犯人の背景にどのようなものがあろうと、その男が全き加害者で、京アニの人達が全き被害者であることは間違いがないからだ。精神障害があった? 苦しんでいた? それがなんだというのか。それによって差別がうんぬん、という話すらどうでもいい。
その男の背景に思いを馳せてその男を許そうとすると考える人がいたとして、そしてそれが今回の件のご家族なのだとしたら、僕はそのご家族の勇気に敬意を表したいと思う。
そうでなければ黙ってろ。その男の背景を持ってその男を擁護する人には、夢を希望を奪われ、苦悶と壮絶な痛みのなかでもがき苦しみ、喉がやけて息ができなくなって、「なぜ」の声も届かないまま死んでいく己の家族を見ても言えるのかと聞きたい。
こういうことを言うと、「仮定の話をしても無意味だ」と言う人もいるだろう。だが、「仮定の話」を考えることができないのであれば、その人は想像力と共感力の欠けた化け物なのだと僕は思う。
2はよく見る意見だし、僕にも分かる部分がある。僕と同じ立場の人でも、このように望んでいる人もいるだろう。ただ、それでも、僕はあくまで僕だけの考えで言いたい。今まで一度も言わなかった言葉で、僕ははっきりとこう言いたい。「死ねばいいのに」ではなくて、心の底から言いたい。
「どうか、死んでいてくれ」。
「刑罰を受けなければならない」「神格化されてはならない」「真相を究明しなければならない」という意見は本当にその通りなのだけれど、僕はあの男がたとえ生きていたとしても、僕たちが望むような刑罰も、僕たちが望むような真相も、齎されることはないと思っている。
日本は法治国家だ。だから僕は、その男が拷問によって死ぬべきだとは決して言わないし、その男の家族に累が及んではいけないと考える。だが、そうである以上、あの男に下されるのはたとえ死刑判決であっても安寧に満ちた「首吊り」という終わり方に過ぎないのだろうし、そしてそれが実行されるのは何十年も後のことになるだろう。
真相などない。狂人に真相などない。そしてたとえ真相が語られたとしても、亡くなった方が生きて帰るわけじゃない。亡くなった方は声をあげることもできずに命を引き取ったのに、なぜあの男にだけ法廷で声を挙げる権利が許されるというのか。なぜ、自らの、けったくその悪い最低最悪の言葉を、「真相」という言葉で語ることが許されるのか。死刑廃止論とかそういう議論に使われるのもごめんだ。私怨で構わない。
死んでくれ。死んでいてくれ。死んでいてくれ。どうか、死んでいてくれ。
これから二度とそんなことが起きないようにするために、対策が必要
3の意見もよく見る。たしかに正しい話だし、二度と同じことが繰り返されてはならない。再発があってはならない。
でも、この言葉を語る人に、反論ではなくて、ただ本当に純粋に聞きたいのだ。
「セーフティーネットや孤独を感じる人へのフォロー、世界が裕福になったとして、本当に『狂人』が現れないと思いますか?」と。
孤独が人を狂わせることはたしかにある。セーフティーネットがあれば防げていた事件もあるだろうし、実際に防がれたこともあると思う。そういう意味では、これは有効だ。
だけれど、どのようなきめ細やかなネットであっても、そこから漏れる人は必ず出てくる。ネットに引っかかっていたとしても、犯罪を起こす人間はいる。
今回の事件は、「社会が悪かったから」起こったんじゃない。社会がよくなっても、事件を起こす人間はいなくならない。
それに、亡くなった人は、「次の事件が起こらない布石になるために」死んだわけじゃない。このような発言をする人も、決してこんな意味で言っているのではないと推測はできる。
歌の歌詞ではないけれど「意味のない悲しみはないと思う」と僕も願いたいし、今までずっとそう思って生きてきた。そしてそうすることが、この痛ましい事件から立ち直る方法のひとつだとしても、それでも僕は、「対策」から外れる人間がいることも知っているし、このような事件がまったく起こらなくなるわけではないと知っている。
「今回の事件から学ぶ」「二度と同じ思いをしない世界へ」これはたしかに意味のあることだ。
だけれど、「今」亡くなった人は、二度とかえってこない。
その言葉をネットに流す意味を、「今」亡くなった人がいた・その人を愛しく思う人達がいるネットに流す意味を、どうかお願いだから考えてほしい。
残された人のこと
未来を夢を希望を一方的に奪われた犠牲者の悲しみを、僕は決して「分かる」なんて言えない。言える筈がない。僕が思いを馳せられるとしたら、「残された人のこと」だけだ。
楽しく語り合った時間、一緒にとった写真、ともに作り上げた作品。それらはすべて優しくて面白い思い出の筈なのに、一番つらい記憶と重なることの残酷さを僕は思う。思い出となるものが、一番苦しい記憶に重なって、そしてそれは決してなくなることはない。思い出が鮮やかであれば鮮やかであるほど、夢と希望と命を奪われた愛する人の胸を苦しみを思い出してしまう。
僕は人の死を何度も見てきた。だけれど、「だれかに、理不尽に、奪われた命」は、また違う意味を持つ。命の尊さやご家族の苦しみに優劣や軽重はない。それはわかったうえで(僕自身も、それの経験者だ)言う。故意に、だれかの手によって、理不尽に、身勝手に、苦しみを持って愛する人を奪われたことの慟哭は、その人と紡いだ楽しい記憶さえ蹂躙してしまうものだと。
もうひとつ。
僕は彼と、随分「大人」になってから知り合った。子どもの頃からの付き合いとは異なり、多分彼の交友関係もまた、彼の家族はそれほど明確に把握はしていなかったと思う。
だから、彼の名前が公式で発表されない限り、僕は彼の安否を直接的に知る方法はほとんどない。あらゆる方法で連絡をとったけれど、ご家族がそれを目にして、そしてご返信をされない限りは(当たり前のことだけれど、それを強制するわけではないです)、僕は彼の本当の安否を状態を、知ることができないのだ。
これはとても難しい問題だと思う。「被害者の名前を公開するな」という気持ちはもちろんあるだろうし、それは責められるべきではない。被害者のプライバシーは守られるべきだ。だから僕は、僕のところに連絡がなくても、それを批判はしない。
ただ、心配なだけだ。ただ、安否が知りたいだけだ。そして、「それがしれない環境」をどう打破していいのか分からず、毎日夜を過ごすことしかできないでいる。
これからのこと
「本当に友人だったらこんなことを書ける精神状態じゃないはずだ」「事件にカコつけてみてもらいたいだけ」「自分に酔っている」と思う人もいるかもしれない(たとえ匿名であっても)。ただ僕は彼のプライバシーを書く気はないし、また僕も「僕」としてここに綴るつもりもない。酔っていると言うのならそうなんだろう、こんなつらい話、いつもの精神状態で、いつもの語り言葉で話せるわけがない。ただ、書いていて、吐き出して、それでいい。僕は僕自身が落ち着かないということで、これを書いているだけだ。
僕は彼からの連絡を待つ。それ以外にできることはない。ただ、そうはわかっていても、僕は何度も被害者名を調べる。身勝手なことだ。ほかのご家族やご友人だって同じ気持ちでいるのに、僕はその「被害者名」のなかに彼がいないことを願って、ずっと調べているのだから。
ただ知りたい。彼がどうしているのか。彼が今何をしているのか。「覚悟を決めなさい」と言われたけれど、それでも彼の無事を祈り、僕は彼の連絡を待っている。
京アニを、なかにいた人を愛していた人たちの「心配」「何かできることを」の気持ちを、この吐露によって傷つけてしまったとしたらごめんなさい。「心配」「祈ること」「自分達ができること」をやりとげる人達に、心から敬意を表します。僕はまだ、現地にいけません。心が追い付きません。まだ安寧を祈るところにまでたどり着けていません。僕自身の未熟さゆえの話です。「安らかな旅路を」とさえ、まだ祈ることもできない。あまりにもむごい事件だったから。
僕はこの事件を、政治的な解釈と結びつけたくはないし、陰謀論も知りたくありません。ほかの犯罪や事故との比較もいりません。僕がこの事件に、今まで接してきた事件のどれよりも深くショックを受けているのは、社会的道義や主義主張などの話ではなく、ただただ身勝手に、僕個人として、僕の友人が心配だからです。僕は僕の怒りを憤りをやるせなさを、社会的道義や社会的倫理観に代えることはしません。犯人の背景や思想もどうでもいいです。ただ友人の無事を祈ります。
僕は仕事をします。彼は僕の仕事のやり方を好きだと言ってくれていたから。だけれど、日常に戻れない人にも僕は寄り添いたいし、寄り添われたいと思います。
「被害者のなかに、実際の知人・友人・家族がいる人」と、「京アニという会社を、なかのスタッフを画面を通して心から愛していた人」と、「痛ましい事故に心を寄せ、自分ができる限りのことをしようとしている人」との間には、たしかにどうしても、どうしても、どうしたって越えることのない、仕切りはあると思います。あります。
その仕切りがあっても、だれもが祈り、願い、心を馳せることの尊さは、決して変わりません。喜びは分け合うことができても、悲しみは分け合うことはできない。でもそれでも、僕は人が持つ人の可塑性を、人の持つ人への愛情を信じたいと思います。その可塑性が亡くなった人にはもうないのだとしても。残された人間にしか感じられないものだとしても。
(また、これはあくまで「人間」を対象としているので、人間ではないあの男に対しての言葉ではありません)
読んでくれてありがとう。
上司のボスは日本におらず監視の目がないこともあり、やりたい放題のパワハラが行われていた。
本社には何度かパワハラの報告がいき、最終的に本社はパワハラ上司を切った。
それでも10年以上に渡り、あれだけのパワハラがやれたのは監視の目がないという外資系特有の事情もあるけど、仕事など関係なく人格攻撃に終始し巧妙に反論を封じていたからだと思う。
そこで部下が粘ると「どうしてあなたはそんなに頑固な性格なんだ!!」と大声で怒鳴られることになる。
論点を意見の良し悪しから「頑固な性格の問題」にすり替えてしまうというわけ。
会議等で「XXX君は頑固だからあんな問題が起こる」とか無理やりこじつけて頑固者のレッテルを貼りまくる。
パワハラ上司は部下を「あなたが社員なのはおかしい。あなたには派遣のほうがあってる。」と叱る。
そんなだから派遣社員に不満がないわけがなく、パワハラ上司はそんな派遣から時折パワハラのネタを拾っていた。
部下が「誰が何を問題にしているんですか?」と聞いても、パワハラ上司は「自分の胸に手をあてて考えなさいよ」と答えるのみ。
本当に問題があるなら当事者で話し合って解決すればいいんだけど、その当時者同士で話すことはダメだし、誰が言ったのがはっきりしないことのほうが多かった。
この「自分の胸に手をあてて考えろ」は反論のネタを与えないために効果的だった。
これは特に口実がないのに気にいらない部下を責める手口。
「あなたの性格だとXXXの問題が起こる可能性があるでしょう!!」と責める。
届いて読んでいただけるとうれしいです。
以下、19歳さん とお呼びします
19歳さんはとても正直に、今のご自分の思うことを整理されていると思いました。
とっても長くなりました。
19歳さんの親ほどの年齢の、自民党(と補完政党の公明維新)に投票しなかった私も正直に。
今回 19歳さんが選んだこと・選ばなかったことには、
そんなの無理もないです。
だけ
何か急にやんや言われている。
で、投票してみた日にはその選択を「何でぇーーー???」って言われるし
19歳さんがいま確かな価値観や積極的な理由がないから、もの知ってる大人より浅はかとか
そんなことは絶対にないです。
政治ウォッチに関する年季も関心も知識も私の1000倍あろうかという大人で
あまつさえ「わしの周りではみんな(N国)褒めとる!ワハハ」みたいな方も見ましたからね
...バ〇
誰にも言えない...
確かに学ぶ機会はなかったけども
そして、それでも世界は変わってないように見えていました。
周りもみんな大丈夫そうだし。誰も何も言わないし。
「維新だけはダメ!あかーん!」とボロクソ言う声はよく聞きました。
私TVほとんど見ないし 橋下さんも顔と名前しか知らなかったんで
「何で?」って聞いたんですけど
後々に橋下さんが退いたあとも「維新!ダメ!」はやっぱり聞きました。
そしてやっぱり
「何で?」って聞いても返事は
...わかんないですよ...
※今はわかります 生理的にとかじゃなく、政策(と性質)が決定的に支持できません。
....しかし
維新については若い方が一瞬 「なんとなく、いいのかも?」って思わせられてしまうのがすんごいわかるので
ええ私もむかし憶えが....ので本当はお伝えしたい...
話それました。
欠けたままでいることを疑わなくても
何となく今までは無事でいられた(ように見えた)のはただ、その前の時代のギリギリのおつりだけで。
たぶんそのおつりはなくなっています。
そうか知らないと不安ですね。
私は消費税ない時代にもう成人して仕事もしてて、ついこの前くらいの感覚なのでそうでもないですが
現政権がめざそうとしてるところは何につけても、明治時代とかのイメージです。
一部の大人のファンタジーを満たす的な?該当の記事は見てないけど。
ネットの情報の真偽は別にしても(これも言い出すと長くなるからやめます)
それは絶対に避けられなくて、ほんの数日で戦争やテロと同じかそれ以上の被害を受けます。
地震だったら数分です。
私は
311の直後 当時の民主党政権が
被災者の救済を速やかに進めるために、与野党一致の協力を求めたときに
当時の野党だった自民党がそれを拒否したことが忘れられません。
これがもっと周知になったら、
きっと言い出すでしょう。
でもあの当時(まだほんの8年ちょい前)から何を学ぶことも反省もなさそうな現政権に
生活も命も左右されるようなこと任せる気になれないです。
でも所属している限りは、個人で逆らって上の決定を変えることはできないでしょう。
※立派なキャリアを重ねているのに(容姿偏差値もトップクラス)
何に対しても何の意見も持たない、見事に白紙の超有名サラブレッド2世議員の方もいます。