2020-07-18

渡辺明孤独な闘い

 藤井聡太棋聖誕生し、世間は大きく湧いている。

 けれど、ここでは、番勝負で敗れた渡辺明二冠の話をさせてください。

羽生藤井の間

 渡辺明は、昨年このような発言したことがある。

「今の棋士自分も含めて、歴史的には羽生藤井の間、という位置づけになるんじゃないですかね」

2019年2月27日付「日本経済新聞」夕刊)

 いつものようにニヒルな笑いを浮かべて、彼はあっけらかんとこのようなことを言った。

 しかし、この発言は私にとっては結構な衝撃であった。渡辺明は、羽生の次は藤井時代だ、自分時代を作る棋士ではない、そう言ったのである

 この言葉意味は、とてつもなく重い。

 渡辺明は、紛れもない「天才である

 中学生棋士になり、20歳将棋界の最高タイトル竜王を獲得する。

 玉を堅く囲い、針の穴に糸を通すような細い攻めを見事に通す。理路整然としたその将棋は、美しく、絶品である

 2008年には、羽生善治との頂上決戦を3連敗4連勝という劇的な結末の末制し、初代永世竜王の座を手にする。

 こうやって書くと、渡辺棋士人生は栄華に満ちているようであるしかし、そうではない。彼の棋士人生は、常に孤独との闘いであった。

 渡辺の同世代で、彼と同じレベルトップを張り合える棋士はいなかった。渡辺は、若いから、一回り以上も上の羽生世代と「たった一人で」しのぎを削り続けた。

 羽生世代は、底知れぬ力を持った将棋怪物たちである渡辺は、たった一人で怪物たちと剣を交え、互角以上の戦いを続けてきた。

 最強の羽生世代と争ってきた彼は、これまで年下の棋士タイトルで敗れたことがない。はっきりいうと、「格」が違うのである。踏んできた場数も、積んできた経験も、何もかもが違う。孤独と闘ってきたものけが持つ、底知れぬ「凄み」のようなもので、彼は年下の棋士たちを蹴散らしてきた。

 2017年度には、大きく勝率を下げ、プロ入り後初の負け越しを喫する。「衰え」がきたのか-そう思った人もいたかもしれない。

 しかし、渡辺は死ななかった。自らの将棋を大きく改造し、再び上昇気流に乗る。鬱憤を晴らすように勝ちまくり、再び三冠の座に上り詰めた。

 そんな渡辺明という天才が、当時まだタイトルを獲得していない棋士を、タイトル99期の羽生の次だと言った。自分飛ばして、である

 渡辺明は、本音をはっきりと口にするタイプで、お世辞で人を持ち上げるようなことはしない。

 いいものはいい、ダメものダメと、はっきりと言う。

 「羽生藤井の間」との発言も、率直な彼の実感なのだろうと思った。そう思うと同時に、私は恐ろしくなった。

 藤井聡太とは、いったいどれほどの棋士なのか。どこまで行く棋士なのか。

 天才しか、見えない世界があるのだろう。言わば藤井聡太は、「天才から見た天才」。雲の上の、そのまた雲の上にあるような世界は、想像も及ばなかった。

 想像も及ばないから、見てみたいと思った。渡辺明と、藤井聡太によるタイトル戦。その舞台を、心待ちにした。

抗いの舞台

 待ち望んだ舞台は、時を経ずに実現する。2020年6月渡辺が保持していた棋聖タイトルに名乗りを上げたのは、藤井だった。

 

 「なるべくなら藤井と当たりたくない」そう言って笑っていた渡辺だったが、藤井聡太にとって初のタイトル戦を待ち受けることになるのは、自分だった。

 このあたりは、強者宿命である。あるいは、将棋神様が、渡辺に課している試練なのかもしれない。

 渡辺明は、自らが「時代を作る棋士」と評した最強の挑戦者と、盤を挟むことになった。これまで蹴散らしてきた年下の挑戦者たちとは違う。そのことは、渡辺自身が、始まる前から一番分かっていただろう。

 棋聖戦5番勝負が、幕を開けた。

 第1局、矢倉選択した藤井は、凄まじい、人間離れした踏み込み渡辺を圧倒する。1三の地点に、飛車と角が次々に飛び込む。鮮烈な寄せ。驚異の見切り。

 将棋から、地割れの音が聴こえた気がした。

 第2局。この将棋に関しては、今も冷静に振り返ることができない。これまで見てきた将棋の中で、一番の衝撃だった。

 先手番で矢倉選択した渡辺将棋は、基本的には先手が主導権を握ることのできるゲームで、特に渡辺の先手番は抜群に強い。用意周到な作戦で一局を支配する、それが渡辺である

 その渡辺が、何もさせてもらえなかった。王手すら、かけることができなかった。藤井が放つ異筋の手が、渡辺矢倉破壊した。観戦しながら、頭が割れるような、足元が崩れ落ちるような感覚に陥った。こんなことは、もう後にも先にも訪れないかもしれない。

 「いつ不利になったのか分からないまま、気が付いたら敗勢」。渡辺ブログでそう回顧した。理路整然とした彼の口からたことが信じられない言葉だった。

 2連敗。これまでタイトル戦でストレート負けをしたことのない渡辺が、あっという間の土俵である羽生の次は藤井時代だといった渡辺言葉は、残酷にも証明されようとしていた。私は茫然とした。最強の渡辺明が、手も足も出ない。自分が見ているものは、悪夢だと思いたかった。羽生世代という怪物たちと剣を交えてきた渡辺。その渡辺の、剣先すら届かない。こんなことがあるのか。私は叫び出したい気持ちだった。

 2020年7月9日棋聖戦第3局。私は仕事を休んでこの将棋を観戦した。藤井聡太の初タイトルを見るためではない。渡辺明の「意地」を見るために、仕事を休んだ。このまま終わる渡辺ではない。そう自分に言い聞かせながら、食い入るように盤面を見つめた。

 第3局、渡辺は角換わり腰掛け銀で、90手目のあたりまで想定していたという、圧倒的な研究を投入する。研究の多さと深さは棋界随一の渡辺だが、今回投入したのは、とっておきの中でもとっておきの研究だったと思う。藤井聡太から白星を挙げる。たった一点の至上命題を果たすため、渡辺はついに、極限まで研ぎ澄ました剣を抜いた。序盤から中盤、ほとんど時間を使わない渡辺研究範囲時間を使わずに指す、この徹底的な合理主義渡辺の特徴だ。用意周到な研究リードを奪い、抜群のゲームメイクで、渡辺は一局を支配し、離さない。藤井の追撃も凄まじかったが、序盤を飛ばして残しておいた時間最後に物をいう。渡辺、腰を落とし、崩れない。そして、ついに藤井が頭を下げる。

 渡辺明藤井聡太に初勝利。「これが渡辺明だよ!」今度は、本当に叫んでいた。もし、渡辺が何もできないまま3連敗していたら、私はしばらく将棋を見られなくなったかもしれない。しかし、3連敗する渡辺ではなかった。3連敗など、するはずがなかった。

 この勝利は、たんなる1勝ではない。もはや渡辺明の「凄み」としか言いようがない。盤を挟んだ目の前にいる棋士は、まさに今、次の時代を切り拓こうとしている。渡辺にとって、その「圧」は凄まじかったと思う。自らを飲み込もうとする圧倒的な濁流に、渡辺は自らの強みである研究」で立ち向かい、そして振り払った。あの舞台でこんなことができる棋士は、渡辺明以外にいない。大舞台で、濁流に抗う。孤高の棋士渡辺明が報いた、最強の「一矢」だった。

 棋聖戦第4局。先手番となった渡辺は、第2局で完敗した急戦矢倉作戦を再び用いた。胸が熱くなった。「気付いたら敗勢」そう振り返った、渡辺にとって悪夢のような将棋である。負けたら終わりの一戦で、再びこの作戦選択することには相当な勇気がいる。しかし、渡辺悪夢悪夢のまま終わらせておく男ではなかった。自身が完敗した将棋を徹底的に研究し、改良手順を藤井にぶつけたのである妥協を許さない、トッププロとしての威信をかけた将棋だった。

 渡辺研究は功を奏し、互角からやや渡辺有利の形勢で局面は進行する。しかし、藤井は全く崩れずに渡辺のすぐ後ろをひた走る。紙一重の攻防の中で、渡辺盲点の一手があった。藤井の攻め駒が、気付けば渡辺の玉を左右から包囲していた。「負け」。渡辺は、このあたりで覚悟を決めたという。

 ピンと背筋を伸ばした渡辺が、「負けました」と声を発する。渡辺明棋聖戦が終わり、史上最年少タイトルホルダー、藤井聡太棋聖誕生した瞬間である

 

次の機会

 激闘を終えた当日の深夜、渡辺自身ブログ更新した。そして、自身将棋を、淡々と、それでいて的確に分析する。信じられないような完敗を喫した第2局の後も、タイトルを失った第4局の後も、その姿勢は全く変わらなかった。目を覆いたくなるような将棋を、淡々と振り返る。それも、当日の夜に。普通人間なら、抜け殻のようになっていてもおかしくない。すぐに敗局の分析をする。これもまた、渡辺の「凄み」である

 「負け方がどれも想像を超えてるので、もうなんなんだろうね、という感じです」

 渡辺はそう述懐した。藤井聡太と初めてタイトル戦を闘った男の、偽らざる本音なのだろうと思った。棋界のトップを走り続ける男が、「想像を超えている」と述べた。その意味は果てしなく重い。

 渡辺トッププロとしての矜持を胸に、全力で闘い抜いた。第1局、第2局では、昼食に高額なうな重を連投した。これは、藤井聡太が昼食の値段を気にせず、好きなものを頼めるようにした配慮だと言われている。藤井聡太が残り時間3分の場面でトイレに走った時、渡辺は次の手を指さなかった。そこですぐに指せば、藤井の持ち時間を減らし、追い詰めることもできた。しかし、渡辺藤井が戻るのを待ってから盤上に手を伸ばした。藤井を戸惑わせるような「盤外戦術はいらない。時代が動くか動かないかというこの戦いにおいて、そんなものは「邪道」でしかない。渡辺は、藤井が全力を出せるように環境を整え、「将棋」で真正から勝負した。

 結果は、1勝3敗での敗退。「羽生の次は藤井時代」という渡辺言葉が、現実のものになろうとしているのかもしれない。藤井聡太時代が、今まさに幕を開けたのかもしれない。

 しかし、渡辺抗う。自らが発した言葉に抗い続ける。そう信じている。

 「次の機会までに考えます渡辺はそうブログを締めくくった。渡辺は、もうすでに「次の機会」を見据えている。ここからまた、渡辺明の闘いは続く。

 渡辺明二冠、棋聖番勝負、本当にお疲れ様でした。これからも、ずっと応援します。

  • 三浦九段にしたこと忘れないからね

    • あれはしょうがないよ。 強いて言うなら不正対策をしてこなかった連盟が悪い。

      • 女子陸上で、1位は速すぎる、男ではないかって2位がクレームつけて、セックスチェックやったら1位は女で2位が男だったことがある。 男の自分より速いから、絶対男だって思ったんだろ...

      • 疑わしいだけで罰するのは連盟くらいのものだからな。

        • いうてドーピングとかも基本疑わしきは罰するやで

          • ドーピングは陽性反応出てからでないと罰しない。 グレーの段階で罰するのは連盟くらい。

            • 抜き打ち検査の時に申告した場所にいなかったとかでもアウトやで

              • なるほど。それはそうだ。 しかし、三浦九段は調査に協力的であり、その手の過失はない。

                • 休場届出さなかったじゃん

                  • 勝てば4400万円。負けても700万円だっけ? プロ・アマ問わず目指してるタイトル戦を、なんで自分から休業しなきゃなんだ?

                    • じゃあスポンサー様に「不正疑惑のある棋士が名誉ある竜王戦に出場しもしかするとタイトルを獲得するかもしれませんがスポンサーを降りないでくださいね」って土下座してこいよと...

                  • なんで不正してない棋士が休場届出さないといけないのか教えて。

    • 三浦って人は何をしたの?

      • 何もしてないけど、将棋ソフトを対局中に使ったと渡辺元棋聖に濡れ衣を着せられたんだよ。それで暫く出場停止になったりタイトル戦に出られなくなったりエライ目に遭った。

        • 単に疑わしかっただけだもんね 証拠がないってだけ どう見てもやったとしか思えなくても、証拠がなかったら罰せられないんだよね

      • わかんないけど、首つったらしい?

  • 渡辺明は19歳で結婚して奥さんと息子と暮らすリア充。フットサル・競馬・ぬいぐるみetc.とやたら多趣味で交友関係も広い。 真に孤独な戦いを貫いているのは豊島将之竜王・名人。コロ...

    • 豊島は対藤井の勝率高いよね

    • 国語の問題なんだけど、元の増田が渡辺氏について「孤独な戦い」と評したのは、私生活に対してではないだろう。 羽生と、藤井という巨壁の間の世代であること。そして、その世代の...

    • t1997takaak i奥さんの顔見たら、・・・ってなっちゃうんだけどね。出来婚だし正直後悔してるんじゃないかとすら思う。あれだけ早く結婚して子供はその時のひとりだけだし。 どうい...

  • あれだけのことを三浦九段にしておいてなんだかなぁって 天才かもしれんがけじめはしっかりつけないとな

  • あれだけのことを三浦九段にしておいてなんだかなぁって 天才かもしれんがけじめはしっかりつけないとな

  • 藤井は将棋界の熱量を一気に高めたよな。 渡辺はそれを見事に受け止めている。

  • 孤独??? 久保利明 千田翔太 橋本崇載 島朗 依田紀基 高尾紳路 小暮克洋 松本博文 後藤元気 大川慎太郎 白鳥士郎 田中誠 リコー将棋部 b:id:blueboy なにが孤独だよ、お仲間いーっぱ...

  • 三浦の件を言及している人も多いが、 責められるべきは渡辺ではなく、将棋連盟及び谷川前会長の方だろう。 告発後の対応のグダグダさが、三浦にとって取り返しのつかない結果を招い...

    • きちんと証拠固めしなかったから逃げ切られちゃったよね

      • バカなのかな。そもそも不正してないから証拠も出てこなかったんだろうが。

        • ほんとそう たまたまそうなっただけだもんな たまたま当たっただけみたいな

    • 渡辺が告発者だっていうのもちょっと違って、告発者は別にいたけど、渡辺が棋界を代表する「竜王」として声明を出しただけだよな。 もちろん渡辺も疑ってたからそういう行動を取っ...

      • いいや、グレーの段階で処分するのはまともな組織ではない。 羽生が疑わしきは罰せずと言ってたがこれが正しい。 https://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1610/20/news077.html 結局白だったものを処分...

        • 処分が下ったのは「不正したから」ではなく「休場に同意したにもかかわらず休場届を出さなかったから」だが?

          • そんなのは取って付けた屁理屈。 「休場届を出すこと」自体が合意だろ。口頭の意志表示だけで通るなら休場届なんて要らないし罰せられる必要もない。

            • だから「疑惑のある状態で竜王戦には出せない」ってのは大前提だよ。 本人がそれに納得すれば「自主的に休場した」という穏便なかたちで済むけど 反発するなら強制的にでも休場させ...

    • 自分の挑戦相手に対して根拠もなく言いがかりをつけたんだから、人間として恥ずべき行為でしょ その後の連盟の対応も最悪だったけど、最初の問題を起こしたのは間違いなく当時の渡...

      • 実際検証してる段階で「不正を行った三浦九段と対局するつもりはない。常務会で判断してほしい。」って決めつけててヤバい。 https://mainichi.jp/articles/20161026/k00/00m/040/081000c

  • なにこの文章力。あんたプロだろ。

  • 将棋魔人と将棋星人の戦いって感じの流れだもんなあ。 一局目: 後手番だったこともあり、まずは相手の指し手に乗ってじっくり戦う → じっくり矢倉に組んで戦うも、複雑な終盤に...

    • 将棋星人: 藤井棋聖・羽生九段 将棋魔人: 渡辺二冠 将棋きゅん: 豊島竜王名人 将棋中尉(軍曹から昇進): 永瀬二冠 将棋の強いおじさん: 木村王位 将棋地球代表: 深浦九段

  • 棋士は皆孤独な闘いやってるよ。

    • 藤井聡太の圧倒的な才能の前にひれ伏すことになった棋士たちは皆同じ思いを共有する仲間だよ。 真に孤独となるのはこの若さで敵なしになってしまいそうな藤井聡太。 孤独ではなくそ...

  • > しかし、この発言は私にとっては結構な衝撃であった。渡辺明は、羽生の次は藤井の時代だ、自分は時代を作る棋士ではない、そう言ったのである。 > 渡辺明は、本音をはっきり...

  • かの冤罪事件について、我々が真に許してはいけないのは観戦記者の小暮克洋だろう。 三浦本人のインタビューで唯一名指しで「許せない」と語っているのは小暮である。 https://ironna.jp...

  • かの冤罪事件について、我々が真に許してはいけないのは観戦記者の小暮克洋だろう。 三浦本人のインタビューで唯一名指しで「許せない」と語っているのは小暮である。 https://ironna.jp...

  • すごい読ませる文だなと思った。将棋全く知らないのに読み切っちゃった。

  • これ見てこいつ微塵も将棋知らないんだろうなと思った 人気ゲームに集まってくる同人誌の連中ぐらいくっせえゲロのようなにおいがする文章

  • 天彦ォ

  • いや、孤独な闘いでは全くないだろう。ワイドショーとかミーハーなメディアは取り扱わないだけで。 2017年の絶不調についても、キチンと書かないのならそれは贔屓であろうよ。

  • ナンバーツーの系譜に名を連ねる渡辺明が、次代のナンバーワンの台頭によって久々に注目されている。 長年の将棋ファン的には、歴史の必然というか、ついに渡辺明にもこのときが来...

    • 8. 加藤一二三 タイトル通算8期。 永世称号が無いのに、何故か実力制第六代名人とは呼ばれない。 称号としての「実力制第○代名人」と言うのは、永世名人に届かなかった塚田正夫...

    • レジェンド順位戦S級 S級1組 永世三冠以上 羽生善治 中原誠 大山康晴 S級2組 永世かつタイトル20期以上 谷川浩司 渡辺明 S級3組 永世称号保持者 米長邦雄 佐藤康光 森内...

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